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第2章 イタリア - 日本弁護士連合会

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第2章 イタリア - 日本弁護士連合会
第2章 イタリア
Ⅰ はじめに-視察の目的
権利条約は基本理念として,インクルージョンをあげている。これは障がいのある人
の権利と尊厳は一般社会の中で実現されなければならず,決して分離された特別の空間
で保障されるものではないということを,権利条約という法的規範性のあるものとして
認めたものである。この理念は,差別とは何かを問い直す中で確認され,障がいのある
人のみならず,人種,性別はもとより広くマイノリティの権利と尊厳の実現のあり方と
して確認された。この理念の確認は新しいものではない。1960年代後半から197
0年代は,全世界的に,人種差別,民族自立,女性差別撤廃の戦いが大きなうねりとし
てあったのであり,当然,障がいのある人を含むマイノリティの共通に求めるものとし
て確認された。これは日本においても例外ではない。同じ時期,差別と戦う広範な運動
が日本にもあり,学生や労働者らは,
「障がい者解放」
「施設解体」をスローガンに,障
がいのある人もない人も,共に学び,共に地域社会で暮らすことを求めていた。
イタリアは,この時期,これらの反差別を掲げる大衆・労働運動のうねりのなかで,
大きく社会制度を改革し,障がいのある人の教育を,特別学校から地域の学校での教育
に転換し,精神障がいのある人の医療についても,特別な医療制度ではなく一般医療の
中で保障するべきであるとし,精神科病院を廃止するに至る。国自らが率先して,差別
のない社会制度を構築したのである。それは1969年の民主化運動「暑い秋」の精神
障がい者施設解体運動,学校民主化運動に象徴される広範な大衆・労働運動の成果でも
あり,それに引き続く,教育・医療関係者らの努力の成果でもある。しかもイタリアは,
一国内だけの改革に終わらせず,これを障がいのある人の権利条約として国際社会の共
通のものとするように努力し続けてきた。1981年の国際障害者年を機に発表された
10年の障害者行動計画の折り返し年であった1987年には,早々と障害者差別撤廃
条約を国連に提案している。この時期には時期尚早として条約化は見送られたが,その
後の「障害者の機会均等化に関する基準規則」
(1993年)を経て,2006年の障害
者権利条約採択に至るまで,一貫して条約化を主導してきた。
なぜ同じ時期,同じように差別のない社会を求めていた日本でできなかったことを,
イタリアは制度として確立し,その内実を深めることができたのか。その40年にわた
るインクルージョンの実践の成果を確認し,条約化されたインクルージョンをいよいよ
日本で内実化するためには何をどのようにするべきか,これを学ぶためにイタリアを視
察することとしたのである。それは障害者権利条約の完全実施を求めるシンポジウムで
報告するにふさわしいものになるはずであり,実際,短い期間ではあったが,教育・医
療・司法と班を分けることによって,広範な視察を実現でき,イタリアのインクルージ
ョンの現在を可能な限り視察することができたと思う。
視察日程は以下のとおりである。いずれも2014年である。
〈教育〉
4月2日 午前 パオラ・ラリッサピーニ特別学校(ミラノ)
午後 学校教育実践報告(クオモ教授他)
-305-
4月3日 午前 エミリアロマーニャ州学校教育局
午後 ボローニャ大学ミーティング
4月4日 終日 学区説明及び学校現場視察(幼稚園、小学校,中学校)
〈精神〉
4月1日 午後 リハビリテーション・レジデンス・サービス
4月2日 午前 バルコラ精神保健センター
午後 マジョーレ病院
午後 トリエステ精神保健局
4月3日 午前 知的・発達障がいデイケアセンター
〈司法〉
4月1日 午後 カリスティローネ司法精神科病院
4月4日 午前から午後 ボローニャ社会内刑執行支援事務所(UEPE)
Ⅱ 総論
1 イタリアの障がいのある人の権利法制の流れ
(1)1992年「障がい者包括法」
イタリアでは,1970年代から民主化運動が盛んに行われ,精神障がい者施設
解体運動やインクルーシブ教育が推し進められてきた。個別法や大統領令により,
細かな施策が次々と実施されてきた。
そして,1992年法律104号の「障害者の支援,社会統合及び諸権利に関す
る包括法(障害者包括法)
」により,障がいのある人の権利が包括的に定められたこ
とにより,障がい者権利法制が確立したものである。
条文構成は,1条~5条「障害者の権利について」,6条~11条「早期発見や
リハビリ医療等」,12条~17条「教育」,18条~22条「就労」,23条~
28条「余暇等生活」,29条~37条「政治」,38条~44条「行政等の役割」
となっている。
法律の目的は,障がいのある人の「完全な統合」や障がいのある人の参加や権利
の実現を妨げている状況の防止や除去,障がいのある人の阻害や社会的な排除状態
を克服するための手立てをとることで,これらは国の責務である(1条)。
1条(目的)
共和国は,
(a) 障害者の人間的尊厳の完全な尊重,その自由と自立の権利を保障し,家族,
学校,労働及び社会への彼らの完全な統合を促すものとし,
(b) 障害者の人格の発達,可能な限りの最大限の自律達成及び集団生活への参
加,さらに,市民権,参政権及び財産権の実現を妨げている不全的状況を防
止ないし除去し,
(c) 身体,精神及び感覚に障害を有する人々の機能的,社会的な回復を追求し,
障害の予防,治療及びリハビリテーションに関するサービスや給付ばかりで
-306-
はなく,障害者の阻害や社会的な排除状態を克服するための手立てを取るも
のとする。
障がい者の定義は,
「結果的に社会的不利又は周辺化を引き起こす,学習障がい,
他者との関係作り又は職場への参加に関して困難を伴った安定型又は進行型の身体
的,精神的又は感覚障がいのある者」とされている。この定義は,後述の2006
年差別禁止法に引き継がれている。「社会的不利又は周辺化」「他者との関係作り
又は職場への参加に関して困難を伴った」というあたりの文言に,社会モデルが取
り入れられているといえよう。
(2)権利条約の批准
権利条約が採択されると,2007年3月30日,イタリアは,権利条約の署名
準備が整うと同時に条約及び選択議定書に署名した。
2008年1月28日,イタリア上院(元老院)において,権利条約及び選択議
定書の批准並びに権利条約に関連した国立の国内監視委員会の設立が全会一致で承
認され,2009年2月24日,イタリア下院(代議院)においても権利条約及び
選択議定書の批准並びに国立の監視委員会の設立について審議され,「法律200
9年3月3日第18号」が成立した。これにより,国内監視委員会の設立が具体化
し,批准の準備が整った。
2009年3月14日の官報(61号)にイタリア共和国大統領が批准を承認し
たことが記載され,同年5月15日に権利条約及び選択議定書を批准した。
元々,
1987年に最初に国連総会で条約策定を提案したのはイタリアであった。
その時点では国連に予算がないとか,人権問題ではないといった理由が反対意見と
して出され,
条約制定への流れを作ることはできなかったが,
イタリアは代わりに,
国内法整備を着々と実現していったのである。
2 社会的協同組合の存在
(1)はじめに
イタリアでは,社会的協同組合という,個人が自由な意思で加入でき,民主的ル
ールの下で運営される地域に根差した民間の団体が活発に活動している。
この社会的協同組合には,後述するように,組合活動の目的に応じ,A型B型の
2種類がある。A型は,行政から委託を受け,社会福祉サービスを提供することが
その主な活動内容であり,B型は,障がいのある人など,社会的弱者に就労の場を
提供し生産活動を行うことが主な活動内容である。
(2)社会的協同組合の歴史
イタリアでは,1970年代の半ばに,最初の社会的協同組合が誕生し,次第に
全国的な広がりを見せるようになっていった。
そして,1991年「社会的協同組合法」
(法律381号)が制定されると,これ
らの取組は自治体との関係も深めながら量的にも質的にも存在感を増していった。
同法の1条では,
「社会的協同組合は,市民の,人間としての発達及び社会参加につ
いての,地域における普遍的な利益を追求することを目的としている」と規定され
-307-
ている。
法律的な裏付けを得たことで,さらに社会的協同組合の取組は拡大し,2013
年現在,
イタリア全国に約1万2000の社会的協同組合が作られるまでになった。
また,2013年の統計によれば,社会的協同組合が,イタリアの国内総生産の約
7%を生み出し,全労働者の6%がこれらの団体で働いているとされている。
(3)2種類の社会的協同組合
法律381号では,2種類の社会的協同組合が定義されている。それがA型とB
型である。
a A型の社会的協同組合
法律381号では,
「社会福祉,保健,教育サービス」を提供する協同組合を「A
型社会的協同組合」と規定している。
例えば,高齢者の介護,障がいのある人へのサービス,困難な状況にある未成
年者保護,ホームレス夜間収容所の運営,幼稚園や保育園の経営,薬物依存患者
に対するサービスなどを提供しているA型社会的協同組合が存在する。
そこで働く全ての職員が,その職業のためのトレーニングを受け,労働協約に
基づく賃金を受けている労働者である。
これらA型社会的協同組合の提供するサービスの70%は,公的機関から入札
等で受注した事業である。
b B型の社会的協同組合
法律381号は,
「社会的不利益を被る者の就労を目的として農業,製造業,商
業及びサービス業等の多様な活動」を担う協同組合を「B型社会的協同組合」と
して規定している。例えば緑地の整備,掃除,レストラン業,分別ゴミステーシ
ョンの運営などの仕事を行っている。
このB型では障がいのある人をはじめ,
「社会的不利益」を被る人々が,その事
業体で働く人々全体の30%以上を構成することが義務づけられている。200
7年には,全国でおよそ3万人の「社会的不利益」を被る人たちがこのB型社会
的協同組合で働いている。
この,
「社会的不利益」を被る人とは次の6個のカテゴリーに該当する人たちと
される。すなわち,①身体障がい者及び知的障がい者,②精神障がい者,③麻薬
中毒者,④アルコール中毒者,⑤未成年かつ家庭状況困難な者(親が刑務所に入
っている子どもなど)
,⑥受刑者である。
B型社会的協同組合の目的は,現在弱者層に属している人に就労の場を提供す
ることによって,弱者層から抜け出させることにある。
B型の社会的協同組合は,形態としては協同組合だが,実質は企業である。事
業活動を通じて利益を出さなければならず,赤字を出すと倒産することもある。
また,ここで働いている労働者にとっては,利益がそのまま賃金になる。
(4)小括
イタリアでは,社会福祉サービスの提供の場面,また,就労を通じた社会参加の
場面それぞれにおいて,地域に根差した民間団体である社会的協同組合が重要な役
割を果たしている。地域の福祉は,行政に任せるのではなく,その地域に暮らす人々
-308-
が担い,障がいのある人など,社会的不利益を被っている人たちも,その人が暮ら
す地域で就労し社会参加することのできる仕組みが作られているといえる。
法制度や文化的背景の異なる日本にこれら社会的協同組合をそのまま輸入する
ことはできないが,障がいのある人の社会参加を考える場合,障がいのある人も,
福祉の客体ではなく,権利の主体として自らB型社会的協同組合の運営に参画する
というイタリアの取組は,今後の日本社会においても参考となるものと思われる。
3 イタリア差別禁止法の概要
(1)イタリアでは,初の包括的な差別禁止法として,2006年に法律67号「差別
の犠牲者である障害者の法的保護に対する規定」が制定されている。
この法律は,2000年11月に EU の理事会で承認された「雇用及び職業にお
ける均等待遇のための一般的枠組みを確立する EC2000年78号閣僚理事会指
令(均等待遇枠組指令)」に基づいてイタリア政府が制定したものである。200
6年法の前に,雇用における障害者差別禁止法が既にあったようだが,上記 EU 指
令をそのまま法文化した内容だったようである。これを雇用以外の分野に広げたの
が2006年法ということになる。
法律の内容は,全4条の短いものである。1条は目的と適用範囲,2条は差別の
定義として直接差別,間接差別,嫌がらせの三つに類型化していること,3条で法
による保護として司法による救済が行われること,4条で法の適用範囲として,個
人及び団体を対象とすることが記載されている。
1条(抜粋)
この法律の目的は,共和国憲法3条に規定され,1992年法律104号3
条により推進されている,障がい者の市民的,政治的,経済的,社会的権限を
完全に享受するための機会均等原則及び公正な取り扱いを完全に実施すること
である。
2条において,均等待遇の原則は,障がいに基づくいかなる差別も存在してはな
らないことを意味するとし,差別の定義として,①直接差別(discriminazione diretta),
②間接差別(discriminazione indiretta),③嫌がらせ(le molestie ovvero)の3つに類
型化している。
① 直接差別
障がいを理由として,障がいのない者と比較して不利に取り扱われている,
あるいは,それと近似した状態の場合
② 間接差別
表面的には中立的な規定,基準,慣行,命令,契約又は行為によって,特定
の障がいを持つ者が他の者と比較して不利な立場に置かれる場合
③ 嫌がらせ
障がいと関連した理由により障がいのある者の尊厳と自由を侵し,
あるいは,
-309-
威嚇的で侮辱的で,敵意に満ちた環境を生み出すような好ましくない行動や行
為
3条では,司法による救済として,個人及び団体は裁判所に訴訟をすることがで
き,その手続は1998年法律286号「移民救済法」を適用し,一般の手続より
も迅速で効果的な法による保護を行うことを目指している。立証責任については,
障がいのある個人に対する差別の有無の証明は原告にある。裁判所は損害賠償命令
や差別の状況を改善する命令や,差別の撤廃に関する計画を迅速に採用するなどの
権限を有しており,また,その地域で最も発行部数の多い新聞において裁判につい
て公表することができる。
4条では,団体が,個人に代わってあるいは団体として起訴し裁判に参加するこ
とができることが書かれている。この団体とは障がいのある人々の保護を目的とし
て組織された協会及び事業体にまで拡大されている。
(2)差別類型
上記のとおりイタリアの差別禁止法においては,差別類型として直接差別,間接
差別,嫌がらせの3つが定められており,合理的配慮の不提供という類型がない。
この点について,ボローニャ大学で障がい問題にかかわるラウラ・アンドラオ弁
護士と話をした際質問すると,イタリアには「合理的配慮」という概念がないとい
うことだった。
だからといって,合理的配慮の実態がないということではなかった。
もし視覚障がいのある人が会社に就職したのに,墨字の資料しか渡されず,内容
がわからないため職務が遂行できないというケースがあったらどういう差別にあた
るのかという質問に対し,同弁護士は,「間接差別にあたる。企業が障がいのある
人を雇用した以上,障がいのある人がほかの人と同じように働くことが出来る環境
を作らなければならない。
」と明確に答えた。
また,間接差別の条文は,裁判の根拠として使われることが多いか,との質問に
対しては,多い,との答えだった。
これらのことから,合理的配慮の不提供という差別類型が,イタリアでは間接差
別に取り込まれ,実質的には保障されているものと思われた。
同弁護士は,嫌がらせの差別類型も訴訟でよく使われると述べていた。
嫌がらせという差別類型は日本にはなく,しかし障がいのある人が社会生活を送
ろうとした場合,
明確には直接差別にも合理的配慮の不提供にもあたらないような,
しかし不愉快であったり傷つけられたりといった被害は,残念ながら多い。
「嫌がら
せ」の定義や実際のケースへの適用や立証に困難はあるかもしれないが,日本でも
かかる類型の導入が検討されるべきである。ただし日本では,障害者虐待防止法で
心理的虐待が定義されており,この中で「嫌がらせ」のケースを可能な限り取り込
んでいくのが現状可能な方策であろう。
(3)救済プロセス
イタリアの差別禁止法では,救済方法としては裁判提起ということになる。一般
にイタリアの民事裁判は日本より長期間を要するようであるが,差別事案に関して
-310-
は,「移民救済法」を適用し,一般の手続よりも迅速で効果的な方法による保護が
なされるとのことである。
具体的には,
地方裁判所に申請すると,
裁判所が迅速に非公式な調査権を行使し,
一般的な手順によって決定を出す。上告受理されると,裁判官は最も適切と思われ
る緊急命令を発行し,その後当該の命令が直ちに実施されるというシステムである
とのことである。
また日本と異なって,裁判所が,損害賠償命令を出すだけでなく,差別の状況を
改善する命令や,差別の撤廃に関する計画を迅速に採用するなどの権限を有してい
るということである。損害賠償には,非経済的損失の補償も含まれる。また,非経
済的損害の回復を決定し,差別による影響を除去する命令を下すことができる。
日本では,合理的配慮の不提供を主張する中で,実質的に被告側に改善を促した
り,和解の中で改善を約束させるといった方策しか取れないが,今後は,改善命令
といった作為命令を可能にする法改正が望まれる。
また差別を受けた本人だけでなく,団体訴権が認められており,障がい者団体に
よる提訴が可能である点も,注目に値する。
(4)判例
イタリア差別禁止法に基づく判例を一つ紹介する。
2011年1月9日のミラノ一般裁判所で争われた支援教師の時間数削減に対す
る判決である。17人の障がいのある子どもの保護者と障がい者権利団体 ledha
(Lega per i Diritti delle Persone con Disabilità)が国に対して訴訟を起こし,支援教師
の時間数削減は障がいのある子どもへの直接差別に当たるとして勝訴しているとの
ことである。
4 代理人から意思決定支援へ -ボローニャ大学ミーティング
(1)期日
2014年4月3日 午後3時から5時30分
(2)参加者
ニコラ・クオモ教授(Prof. NICOLA CUOMO)
マリネラ・アルベリッチ(MARINELLA ALBERICI 障がいのある子を持つ親の
会から)
ラウラ・アンドラオ(LAURA ANDRAO 弁護士)
クラウディア・ランディ(CLAUDIA LANDI 弁護士)
(3)ミーティング(テーマ:
「障がいのある人の法的後見人」
)
a ラウラ・アンドラオ弁護士の講義
2004年法第6号により管理支援制度(amministrazione di sostegno)が制定さ
れた。
これは,
権利を擁護するための酸素のような存在であると考えられている。
管理支援者の役割とは,
障がいのある人の権利を保障することである。
同制度は,
民法の一部に規定されている。
弱者,
例えば精神的に困難な状況にある人の支援,
若しくは,その家族の方への支援をするための制度である。
従来は,インテルデチオーネ(interdizione:困難な状況にある人の代わりにすべ
-311-
ての決定権を持っている人=本人に権利がない。以下「禁治産制度」という。
)し
かなかったが,2004年に法が改正されて,あくまで支援を行う人としての管
理支援制度ができた。弱者に代わって意思決定するのではなく,本人の意思を尊
重して決めていくことができる制度である。
管理支援者は,
日常的な世話をする。
例えば,老人でスーパーの買い物のときにお金を数えられないとか,郵便局に行
ったときどの書類を書いたらいいのか,といったことの支援や,手術を受けるか
どうかの意思決定の支援などもする。精神的な障がいがあるという以外にも,例
えば,一時的な,麻薬常習者やアルコール中毒者といった弱者層も対象になって
いる。
禁治産制度しかなかったときには,制度利用により本人の決定権が全て失われ
てしまう状態だったが,管理支援制度の場合には,管理支援者が就任したことに
よって失うものはなく,かえって得るものが大きくなっている。
管理支援者は,日常生活の中で自立性の一部又は全てを失っている人の支援を
するという役割がある。もし,日常的な自立性を欠く人がいて,管理支援者の利
用が必要だということになれば,裁判官のところに行き,裁判官の判断で管理支
援者をつけることができる。裁判官のところに申請ができるのは,本人,配偶者,
永続的な同居人,四親等内の親族などである。特別に管理支援者に委任されたこ
と以外の全てのことについて,本人は行為能力を維持する。
管理支援制度の目的は弱者層に属する人たちが安心して日常生活を送ることで
あるので,支援の対象は本人が支援を必要としている部分のみである。管理支援
者は,
いつも本人のそばについて見守っていて,
必要とあれば支援をするけれど,
あくまでも,その人の支援をすることが目的であるから,決してその人の権利を
奪ってはいけない。
なお,
管理支援者制度の利用料は基本的に無償であり,
費用がかかるとすれば,
多少の経費のみである。通常は,家族が管理支援者となることが多いが,弁護士
がなる場合は,10年ごとのローテーションとなっている。
b 質疑応答
Q 「代理人」から「意思決定支援」という変化と,差別禁止法や権利条約との
関係性はあるか。
A 特に何か大きな出来事(条約の批准等)があって変わったのではない。この
制度は,2004年の1月頃に出来た制度だが,本人の決定権を奪うような制
度ではなくて,1人1人のニーズにあった支援を行おうという法律家の意見の
高まりでできた。
Q 権利条約に関するイタリア政府の報告では,2004年法第6号は,行為能
力の一部に制限がある,若しくは,行為能力が完全ではない人を支援するため
のものだと書かれているが。
A その人が有している行為能力に合わせて,例えば50%に制限された行為能
力であれば,それを全て尊重するという意味である。
Q 権利条約12条に2004年法は適合していると考えるか。
A 考える。権利条約12条を実際化したものが,この法律だと思っている。
-312-
Q 以前の禁治産制度も残っているのか。
A 併存しているが,禁治産制度が使われるケースは非常に少なく,ほとんど管
理支援者制度の利用に切り替わってきている。
(4)管理支援者制度と禁治産制度
a 権利条約12条は,法律の前にひとしく認められる権利として,
ア 締約国は,障がいのある人が全ての場所において法律の前に人として認めら
れる権利を有することを再確認する。
イ 締約国は,障がいのある人が生活のあらゆる側面において他の者と平等に法
的能力を享受することを認める。
ウ 締約国は,障がいのある人がその法的能力の行使に当たって必要とする支援
を利用することができるようにするための適当な措置をとる。
としている。
「法律の前にひとしく認められる権利」としては,上記のとおり障がいのある
人がその法的能力の行使に当たって必要とする支援を利用していくことができる
かが大きな課題となっている。障がいのある人の行為能力の制限が伴わない支援
の在り方としての一つが「支援された意思決定(supported decision-making)
」であ
り意思決定支援といわれるものである。
b この点上記ミーティングにあるとおり,イタリアの管理支援者制度は本人の意
思決定に重きを置く制度であり,その内容は日常生活から医療,重大な意思決定
に及ぶものである。
この点で2004年法は権利条約12条3項の趣旨に適合するものと考えら
れる(ただしその内容は今回のミーティングでは明らかではなく,また2004
年法の和文での解説が十分に入手できていないため,その理解は上記に止まる)
。
一方で,2004年法の施行後も禁治産制度は存続しており,代行決定を容認す
る制度が存続している点について,障害者権利委員会でも指摘されているように
権利条約12条の法的能力の享受,行使には適合しない面も否定できない。
c 日本でも,権利条約を批准する過程で,障害者基本法23条が2005年の改
正において,
「国及び地方公共団体は,障害者の意思決定の支援に配慮しつつ,障
害者及びその家族その他の関係者に対する相談業務,成年後見制度その他の障害
者の権利利益の保護等のため施策又は制度が,適切に行われ又は広く利用される
ようにしなければならない。
」と規定し,さらに総合支援法(2013年4月1日
施行)が42条において,
「指定障害福祉サービス事業者及び指定障害者支援施設
の設置者(以下「指定事業者等」という。
)は,障害者等が自立した日常生活又は
社会生活を営むことができるよう,障害者等の意思決定の支援に配慮するととも
に,市町村,公共職業安定所その他の職業リハビリテーションの措置を実施する
機関,教育機関その他の関係機関との緊密な連携を図りつつ,障害福祉サービス
を当該障害者等の意向,適正,障害の特性その他の事情に応じ,常に障害者等の
立場に立って効果的に行うように努めなければならない。
」と規定するなど,意思
決定支援の規定が置かれるに至った。
しかしながら,現在の成年後見制度は本人の意思決定支援の手続を経ることな
-313-
く行為能力を制限する可能性があり,特に後見類型では一律及び永続的な行為能
力制限の効果を及ぼす制度であることから,障害者権利委員会の見解を前提とす
れば権利条約12条に違反すると指摘される可能性が高い。
その点を踏まえ,現行法上民法と任意後見契約法に分離されている成年後見制
度について,意思決定支援を基軸とした統一単独法である「意思決定支援法」と
して規律されるべきであると提案する動きもあるところであるが(大阪弁護士会
「ひまわり」設立15周年記念シンポジウム報告書)
,かかる提案に際してイタ
リアの管理支援者制度の内容は参考にされるべきである。
(5)感想
ミーティングでは,イタリアの後見制度の概要を知ることができた。紙幅の関係
で割愛したが,実際の管理支援者制度の申立事例が紹介され,日本と同様,弁護士
が申立てに関与し,本人の生活史を詳らかにすることで適切な支援態勢の構築を目
指す活動がなされていることが分かった。中でも,必要な意思決定の支援対象とし
て性に関する意思決定を含めていることが注目された。ダウン症の子の母親からも
話を聞くことができたが,日本と同様に親なき後の問題があり,本人の将来の社会
参加や後見人の引継ぎに関して問題意識を有していることや,本人の意思を重要視
している姿勢が感じられた。
本人意思の尊重,意思決定支援という視点について,今回のミーティングを参考
にしながら日本における成年後見制度の見直し及び現場の支援に活かしていきたい。
Ⅲ 教育
1 インクルーシブ教育制度の歴史と概要
(1)全ての子どものインクルーシブ教育を保障する法律の成立
イタリアでは,0歳からの保育園から大学まで保育・教育の全ての学校段階でイ
ンクルーシブ教育が保障されている。保育園,幼稚園,小中学校,高等学校,そし
て,大学において障がいのない子どもと同様に普通学級での教育が法令により原則
として保障されるという1970年代から始まるこの取組は1992年法律104
号の障害者包括法に具現化されている。
イタリアのインクルーシブ教育法制度の特徴は,障がいのある子どものみではな
く従来の学校教育制度により疎外されている全ての子どもたちを統合するという
障がいの有無や程度を問わず「全ての子どもの教育を保障するインクルーシブ教育
制度」を構築した点にある。
統合可能とされる障がいのある子どもを既存の学校教育制度に組み入れることで
障がいのある子どもの統合とするのではなく,学校教育制度全体を改革する中で障
がいの有無や程度を問わず全ての子どもの教育を保障するインクルーシブ教育制度
を構築したイタリアについて,その実態と法令について整理していく。
(2)インクルーシブ教育法制度の概略史
1970年代にインクルージョンの動きが始まるまで,障がい児教育は分離され
た特別学級及び特別学校で行われていた。特別学級は知的障がい,身体障がい,弱
-314-
視及び難聴で普通学級への復帰が可能な程度のものが対象で,特別学校はそれ以外
の知的障がい,身体障がい,盲,ろうの子どもたちが対象とされた。1967年大
統領令1518号は,障がいの診断手続及び特別学級,特別学校に該当する障がい
について規定しており,これに基づき学校長が保健医療所の意見を参考にして児童
生徒の振り分けを行う制度が取られていた。
1969年の民主化運動「暑い秋」で精神障がい者施設解体運動や学校民主化運
動等がイタリア全土を巻き込み,その流れで1970年代よりインクルージョンに
向けた法改正が徐々に行われた。地域の学校の普通学級における教育の保障は,義
務教育段階の障がいが軽度の子どもから重度の子どもへと拡大し,
その後,
幼稚園,
高等学校へ,そして,1992年法律104号により,保育園,大学が加わり,0
歳から成人までのインクルーシブ教育が法律で保障された。以下,1970年以降
の就学に関する法令を記載する。
・1971年 法律118号
義務教育段階の障がいのある子どもの地域の学校への就学を保障。ただし,重度
の知的障がいのある子ども,身体障がいのある子どもを除く。
・1977年 法律517号
義務教育段階の重度の子どもを含む全ての子どもの地域の学校への就学を保障。
特殊学級の廃止。
・1988年 通達262号
高等学校に障がいのある生徒の受入れを保障。
・1992年 法律104号
保育園,幼稚園から大学まで,全ての障がいのある子どもの地域の学校での就学
の権利を保障。
(3)障がいのある子どもの就学先と在籍者数
普通学級に在籍している障がいのある児童生徒の人数と全児童生徒数に占める割
合について,2007/2008学校年度では,幼稚園1万8934人(1.1%),
小学校7万825人(2.5%),中学校5万6023人(3.1%),高等学校4万
2931人(1.6%)で合計18万8713人(2.1%)となっている。
次に,児童生徒の障がいの内訳をみる。複数回答のものと思われるが,視覚障が
いが小学校5.3%,中学校4.4%,聴覚障がいが小学校6.1%,中学校5.0%,
肢体不自由が小学校14.3%,中学校11.2%,知的障がいが小学校40.1%,
中学校43.0%である。割合が高いのは,知的障がい,学習機能障がい,言語機能
障がいの他,注意欠陥障がいや感情・情緒障がい等である。
次に,大学に在籍している障がいのある人の人数であるが,2004/2005学
校年度は9134人で,身体障がいのある人が2814人,視覚障がいのある人が
764人,聴覚障がいのある人が542人,知的障がいが290人,失読症が68
人,その他が4656人となっている。
(4)教育の機会均等とインクルーシブ教育の権利規定
障がいのある人・子どもの教育の機会均等について,イタリア共和国憲法3条,
34条,38条などで障がいのない者と同等に保障されることが規定されている。
-315-
1970年代から始まるインクルーシブ教育の取組の中で,これら憲法条文につい
て,障がいの程度を問わずそして学校段階を問わずに全ての障がいのある子どもの
教育が普通学級で保障されること,そして,そのための整備は国が責任を持つとす
る解釈が憲法裁判所で確認されていく。
1992年法律104号(障害者の支援,社会統合及び諸権利に関する包括法)
は1970年代から始まるインクルーシブ教育法制度の到達点であると位置づけら
れている。この法律は,教育だけではなく障がいのある人の生活全般を見通した法
令である。章立てを見ると,1条~5条「障害者の権利について」,6条~11条
「早期発見やリハビリ医療等」,12条~17条「教育」,18条~22条「就労」,
23条~28条「余暇等生活」,29条~37条「政治」,38条~44条「行政
等の役割」となっている。
法律の目的は,障がいのある人の「完全な統合」や障がいのある人の参加や権利
の実現を妨げている状況の防止や除去,障がいのある人の阻害や社会的な排除状態
を克服するための手立てをとることで,これらは国の責務である(1条)。
教育について,0歳からの保育園,幼稚園,小中学校,高等学校,大学という全
ての教育機関における教育を障がいのない人と同様に普通学級で学習する権利があ
り(12条1項2項),しかも,この権利について学校機関は学習の困難性や障が
いその他を理由として拒否できないことが明確に記載されている(4項)。その普
通学級での教育の目標は,「障害のある子どもの学習,コミュニケーション,人間
関係及び社会化に関する潜在的な可能性の発展」とされている。
なお,この法律は,イタリア国籍の障がいのある人・子どものみではなく,外国
人や無国籍者及び定住者にも適用される(3条4項)。
以上のようにイタリアでは「障がいのある子どもの教育権・学習権=地域の学校
の普通学級において教育を受ける権利・学習する権利」と明確に法律で規定されて
おり,学校などの教育機関には障がいのある人・子どもを受け入れる義務と責任が
あることが明文化されている。
(5)教育に関する差別規定と権利侵害に対する救済
イタリアの法律は明確に障がいのある子どもの学習権を保障し,国や市の義務に
ついても規定しているため訴訟では勝訴することが多いといわれている。教育にお
いて差別禁止という文言を用いた明確な規定は存在しないが,前述の法律104号
12条4項における,障がいのある子どもの学習権は障がいに起因する困難性によ
り妨げられないという規定は,障がいのある子どもへの差別禁止に相当するもので
あろう。さらに,それを保障するための方策について同法律で記載されている。
障がいのある子どもの教育に関する訴訟事例を見ると,支援教師の時間数の削減
に関するものが多い。例えば,2006年には,予算削減で支援教師の配置時間を
一日から5.6時間に減らされたことに対して保護者が市を起訴し,
シラクーサ行政
裁判所は市に対して障がいのある子どもに学校時間全てに補助員の配置を保障して
いる1992年104号法13条に反しているという判決を出している。また,2
010年にはラツィオ州行政裁判所に3人の障がいのある子どもの保護者が支援教
師の配置時間を減らされたとして国を相手に訴訟を起こしている。
保護者は勝訴し,
-316-
裁判所は支援教師の時間の回復と保護者にそれぞれ4000ユーロの賠償金支払い
を国に命じている。
なお,訴訟を起こすまでの間に,保護者の権利を明確にした法律や法令のもと,
学校と保護者の話し合いが行われる機会を多く設けているので訴訟の数はそれほど
多くはないとのことである。
(6)障がいのある子どもの学習保障
イタリアでは障がいの有無に関係なく子どもは全員地域の学校の普通学級に就学
することになっているため,就学先の決定機関はない。次年度に就学する子どもの
保護者は全員,
入学申請書を市の学校当局あるいは入学を希望する学校に提出する。
障がいのある子どもの学習権を保障するために「個別教育計画」
(piano educativo
individualizzato:PEI)が作成される。そのための手続として,子どもが小学校に
入学する前後に,障がいの認定→「機能診断」の作成(Diagonosi funzionale:DF)
→「動態―機能プロフィール」の作成(Profilo Dinamiko funzionale:PDF)→「個
別教育計画」の作成(piano educativo individualizzato:PEI)という一連の流れ
がある。
障がいのある子どもが学校に就学する際の具体的な手続は,1992年法律10
4号13条に基づき,県と市がプログラムを規定する。このプログラムにより,地
域保健機関,県,市,教育事務所,学校,保護者などの多くの機関の連携のもと障
がいのある子どもの教育に関する目標や支援体制,学校と学校外の統合生活の連携
等の計画が行われる。
(7)「個別教育計画」作成までの流れ
a 入学前の手続~障がいの認定と「機能診断」の作成
障がいの定義は1992年104号に規定されている。障がい者とは,「恒常
性のあるいは進行性の,学習,人間関係及び労働の面での困難性をもたらし,か
つ,社会的不利や阻害を引き起こす,身体,精神あるいは感覚に障害を有するも
の」(1項)であり,重度障がいとは「単一又は重複の障害が,年齢に対して個
人の自律性を縮小させ,個別あるいは関連的な次元で常時包括的・永続的な支援
が必要とみなされる場合」とされている(3項)。
判定は,地域保健機関の小児神経科医,心理学関係者,そして,社会福祉士等
その他の専門家などが医療委員会を組織し,証明書(certificazione)が発行さ
れる。これにより,「1992年法律104号に相当する」と認定され,法律に
記載されている支援サービスを受けることが保障される。
保護者の申請のもと地域保健機関は子どもの障がいを認定し,機能診断を作成
する。保護者は,入学申請書とともに,この機能診断を学校に提出する。
ボローニャの機能診断の様式を見ると,子どもの機能について,運動,感覚,
認識,学習,言語コミュニケーション,情緒―関係,個人的自律及び社会的自律
という8つの領域に分けて自由記述と程度(軽度・普通・重度)を記載するよう
になっている。自由記述に際する留意事項として,子どもの所有している能力と
困難,興味関心や発達の可能性,そして,子どもの物理的な移動や投薬・リハビ
-317-
リなどの状況,カウンセラーや補助員等人的配置の必要性を記載するとされてい
る。
これは子どもの就学先を判定するためのものではなく,学校長が支援教員や介
助員を要請するための資料となるものである。学校長はこれを元に支援教員や介
助員の派遣要請を行い保護者の申請に基づいて障がいのある子どもが入学する体
制を整えるのである。
b 入学後の手続き~「動態―機能プロフィール」と「個別教育計画」の作成
子どもが入学すると,機能診断を元にして,学校における具体的な個人の計画
を作成するために,障がいのある子ども一人一人に学校と地域保健機関そして保
護者によるオペレーティンググループ(Gruppo Operativo)の設置が義務付けら
れている。構成員は,校長,クラス担当教員及び支援教員,地域保健機関の担当
者,地方公共団体の教育補助員又は技術者,そして障がいのある子どもの保護者
である。このグループは少なくとも年に3回は集まり,動態―機能プロフィール
と個別教育計画を策定し,検証・更新を行う。更新は必要時のほか,学校間のつ
ながりを持たせるために幼稚園,小学校,中学校の最終学年と高等学校の在学中
にも行うことになっている。
ボローニャの動態‐機能プロフィールの様式を見ると,学校外での子どもの様
子や対人関係について質問しているモデルAと,子どもの機能の状態について記
載するモデルBがある。モデルAは自律と支援の状況,支援を得ている人,家で
の活動と対人関係,学校外での活動等,特に誰と一緒に何をしているのかという
子どもの社会参加を中心に聞き取る内容になっている。モデルBは機能診断と同
じ8項目(①運動領域,②感覚領域,③認知領域,④学習領域(読み/書き/計
算),⑤言語コミュニケーション領域,⑥情緒―対人関係領域,⑦個人的自律領
域,⑧社会的自律領域)の現状と,潜在的能力(短期間・長期間にわたる予測)
等について記載するものである。
この動態‐機能プロフィールをもとにして,個別教育計画が策定される。個別
教育計画は,毎年策定され,子どもがクラスの授業に参加するに伴い必要となる
支援や事項,学校外の活動やそれらの統合等について記載された文書で,クラス
の授業と連結した個別の学習指導プログラムも含んでいる。学校やクラスは障が
いのある子どもが在籍していることを前提とした学習指導計画案が策定するが,
個別教育計画はそれを個人に焦点を当てて書かれたものともいえる。
記載内容としては,①クラスの特徴,②支援教師や補助員,その他人的支援の
配置時間,③生徒が利用するもの(食堂の使用,投薬,特別な移送,エレベータ
ー,トイレ,車いす,特別な机,計算機,休憩する場所,特別な器具と補助等),
④通学時間,
⑤障がいのある子どもの参加を前提としたクラスの活動プログラム,
⑥学校内と学校外の活動の統合の形,クラスでの授業内における個別の目標の有
無や達成状況,学校外での活動プロジェクト,⑦リハビリテーションやセラピー
についてなどである。
(8)就学後の学習保障
a 個別教育計画の作成について
-318-
これについては前述したが,障がいのある子どもを普通学級にインクルージョ
ンするための最も重要な方法として,障がいの認定→機能診断書の作成→動態‐
機能プロフィールの作成→個別教育計画の作成の一連の流れについて規定されて
いる。これにより,地域保健所が管轄する医療と保健,そして学校教育と家庭(保
護者)が連携して障がいのある子どもの教育に責任を持つ体制ができ,普通学級
における必要な支援等が具体化される。
文章には子どもの障がいの状態とともに,
その子どもの好みや文化的嗜好性,潜在能力について記載される。
b 地方公共団体,学校,地域保健機構のプログラム協定について
障がいのある子どものインクルーシブ教育に関して地方公共団体・学校・地域
保健機構が共同でプログラムを策定することが規定されている。これの効果は以
下である。一つは,子どもが学校内だけでなく学校外においてもインクルーシブ
された活動に参加できること。二つ目は,支援体制の整備を共同で行うことによ
りその権限と予算の配分について明確にしてその実施を義務化したことである。
例えば,学校と専門のセンターの連携による専門の教材や補助器具の整備,国
による支援教員の派遣,市による身体的な介助員の派遣,県による視覚障がいや
聴覚障がいの補助員の派遣というように役割を義務化した。そして,支援教員は
一般の教員と同等に障がいのある子どもの教育に関する責任を有し,その役割に
ついて明確化している。
支援教師について,障がいのある子どもには個別支援計画に沿って支援教師が
配置されるが,支援教師の役割は障がいのある子ども個人の支援ではなく,学級
担任とともにクラスを共同で担当することである。また,他の教員と協力して障
がいのある子どもの個別支援計画を作成し,学年協議会及び教員会議において活
動の計画策定に参加するなど,障がいのある子どもの個別支援計画を学校教育全
体に位置づける役割を担う。
また,介助員は教員ではなく福祉関係の職員などが担う。介助員は様々な種類
があるが,身体障がい,知的障がいの子どもには介助員として市の職員が,聴覚
障がいのある子どもへのコミュニケーションスタッフや視覚障がいのある子ども
の介助は県の職員が配置されている。さらに,ボローニャでは独自に高等学校段
階になるとチューターという制度を設け,その高校を卒業した同年代の者を配置
している。
c インクルーシブ教育の実現方式
ここでは,インクルーシブ教育の実施を高めるために,以下が規定されている
(14条)。
・教員等スタッフの教育と研修
・中学1年からの体系的な進路指導
・個別教育計画と関連した,クラスの枠を超えた集団の編成
・学校の継続性の保障のための上下の学年の教員間の協議の義務付け
・学校教育経験を最大限に保障するために3回までの留年を認めること
・支援教員の養成について,幼稚園と小学校の教諭は大学において,中学・高
等学校の教諭は卒業後の資格修得課程において行われる
-319-
d インクルーシブ教育のためのオペレーティンググループ
インクルーシブ教育について提案,検証し管理するためのオペレーティンググ
ループを県段階と学校内に設置することが規定されている。特徴としては,県の
団体間オペレーティンググループでは障がい者団体や家族団体が指名した人が3
分の1を占めていること,学内オペレーティンググループにも保護者や生徒の参
加が見られることである(15条)。
ア 県の団体間オペレーティンググループ(G.L.I.P)
・役割:プログラム協定の検証,個別教育計画の策定,子どものインクルージ
ョンに関する活動について,教育長,学校,地方公共団体,地域保健機構へ
専門的助言及び提案を行う,公教育大臣及び州知事への報告書の作成
・構成:教育長が任命した教育組織管理分野の専門家2名,地域保健機構の担
当者2名,市の担当者1名,県の担当者1名,障がいのある人・家族団体か
ら指名された者3名
イ 学内オペレーティンググループ
・役割:インクルーシブ教育計画の策定の保障
・構成:教員,サービス・オペレーター,保護者及び子ども
e 評価及び試験
イタリアには日本のように入学試験は存在しないが,中学校修了資格試験や高
等学校修了資格試験があり,これらを取得することにより上級の学校(高等学校
や大学)への進学が認められる。しかし,そこに一般的で絶対的な評価基準が存
在する限り,特に重度の知的障がいのある子どもの進級や進学の大きな障壁とな
る。これらについて,公教育が設置する修了資格試験の基準ではなく,障がいの
ある人で必要な者に関しては,個別教育計画に基づいて個人の進歩の度合いによ
り評価するとされている。
さらに,試験の方法について,障がいに応じて補助員を配置したり,同質であ
るが内容の異なる試験内容等へと変更・調整することにより公平を保つ義務が学
校側にあることが記載されている。
f その他の障がいのある子どもの学習保障
ア 学級人数の少人数化
1クラスの上限人数は25人で,障がいのある子どもが在籍する場合は20
人を限度とする。
イ 教員の複数性
一学級二担任制や二学級三担任制など,複数の大人が子どもを多様にみられ
る体制を作った。
ウ 教科学習の柔軟化
教科を固定的に学習するのではなく,合科的な授業を取り入れることで学校
の独自のプロジェクトの中での学習を可能にした。
エ 学校の住民参加
クラス会議,学校会議等,学校に地域住民や保護者の代表,高等学校段階で
は生徒の代表が構成員になり学校の運営に参加する。
-320-
オ 障がいのある子どもの通学の保障
1971年法律118号で障がいのある子どもの通学の無償化が規定されて
いたが,障がいのある子どもの通学について市の福祉局との連携により,専用
バスの運行や介助員の措置等が行われている。
カ バリアフリー
1971年法律118号で公共建築物及び学校施設の障壁の除去について規
定され,その後1978年大統領令384号で実施のための規則を承認した。
18条では,「就学前から大学その他の公立学校は,歩行ができないあるいは
困難な子どもによる利用を保障しなければならない。」「机,いす,タイプラ
イター,点字教材,着替えの部屋など,教育活動に必要な教材や設備は,個々
の障がいに対応したものでなければならない。」「エレベーターのない学校に
おいては,歩行のできない子どもの学級は1階に設けなければならない。」と
規定されている。
その後,1989年法律13号でこれらの基準は私立学校を含む民間の建造
物にも適用され,1992年法律104号へとつながる。8条では,学校を含
む公的・私的な建造物には物理的障壁の除去が義務付けられている。これに伴
い,学校におけるスロープや階段昇降機,エレベーターの設置,特別な仕様の
トイレ等の整備が進められている。
(9)おわりに~今後の制度改正の見通し~
2006年に権利条約が採択され,イタリアは2007年3月30日に権利条約
と選択議定書に署名し,2009年5月15日にこれを批准した。条約批准に際し
て,1992年法律104号で権利条約における学校教育の内容を満たしていると
され,あまり問題になっていない。これは,1992年104号法が現在まで一部
の改正のみで抜本的な法改正は行われていないことからわかる。既述のとおり,イ
タリアは1987年に国連で障害者差別撤廃条約を提案しているが当時は反対多数
で却下されたという経緯を持つ。
イタリアは国連や EU の規定内容を国内で着実に実
体化した国であるといえる。
だが,実態を見ると,近年の教育予算の削減や市場化を取り入れた教育改革の中
で,支援員の配置時間数が減少されるなどの影響がみられる。また,私立学校は障
がいのある子どもの受入れに消極的であり,保護者にとっては実質選択できない状
況にある。2006年差別禁止法が実態にどのような影響を与えるのかさらに注目
していきたい。ただ,そのような中でも,イタリアは普通学級におけるインクルー
シブ教育を分離教育へ転換することはないであろうと思われる。現状に対する批
判・不満の背後に「イタリアのインクルーシブ教育制度に対する誇り」が強く存在
しているからである。
2011年3月22日,ダウン症の女性が文学の学位を修得しパレルモ大学を卒
業したということが,イタリアでも新聞報道されたが,後述するイタリアのインク
ルーシブ教育の推進者であるボローニャ大学のニコラ・クオモ教授は,大学の講義
でこれを取り上げ,「ダウン症の人の能力がこの40年で上がったわけではない。
イタリアの社会環境が変わったのだ。インクルージョンは文化の問題である」と解
-321-
説をしている。イタリアのインクルーシブ教育の30年間の到達点を端的に表して
いる出来事であろう。
2 インクルーシブ教育の現状-学校教育局のヒアリングから
(1)ヒアリング概要
場 所:エミリアロマーニャ州学校教育局
日 時:2014年4月3日午前
担当者:検査官ラファエル・イソア氏
(2)イタリアの歴史について
イタリアでは,1970年代に大規模な社会改革が行われ,同時期に特殊学校,
孤児院,精神科病院が閉鎖された。これは科学的にも心理学的にも弱者層に属する
人々のリハビリを,地域で行っていかなくてはならないという考え方に基づくもの
である。改革から40年が経過し,統合教育は普通のもの,当たり前のこととなっ
ている。もちろん組織,オーガナイズ,人材育成等の問題もあるが,それが基本的
哲学や真理を覆すまでには至っていない。
(3)教育についての考え方
教育というものを考えたとき,人と違う子どもがいることはクラス全体にとって
よいことと考えている。その中で子どもたちは助け合い,友情など様々なものを学
ぶ。8年前に,イタリア,ドイツ,ベルギーにおいて,ダウン症の子どもの知能検
査について比較調査を行った。当時ドイツではダウン症の子どもは特殊学校に通い,
ベルギーではダウン症の子ども専門の特殊学校に通っていた。比較調査の結果,イ
タリアで生活しているダウン症の子どもたちは,2国にくらべ,平均で30%以上
知能が高いという結果が出た。心理学者の分析によると,こうした成果が出た原因
は,先生ではなく周りにいる友人,同級生にあるという。いろんな知性をもった友
人に混じって生活することで互いに刺激を受けるからである。
(4)イタリアの教育体制
教育省(国レベル)の下に学校教育局(州レベル)がある。イタリアにも今なお
特別学校は10校ほど存在するが,もちろん家族は,子どもを普通学校へ通わせる
か特別学校へ通わせるか自由に選択でき,99%以上が普通学校への入学を選択す
る。特別学校に通う子どもは1%未満である。なお,エミリアロマーニャ州では,
特別学校は1校もなく,どんなに重度の障がいを抱えた子どもでも,普通学級に入
学している。例えば人工呼吸器をつけている子どもであっても,どうしても家での
治療が必要であるという場合を除き普通学級に通う。子どもの状況により,クラス
の教員,補助教員,看護師,呼吸器の専門家,支援員(エデュケーター,補助教員
より下の人)がつく。例えばアンナちゃん(小学校3年生)は背骨を骨折し,首か
ら下が動かず,人工呼吸器をつけている子どもであるが,熱を出して家にいなくて
はならないときはスカイプ(無料のテレビ通話システム)で教室とつなげ,参加さ
せたりもする。障がいのある人は行きたいという要求が強いので,病人のように支
援するのではなく,何かしたいと思ったらその気持ちを大事にし,刺激を与えるこ
とが非常に大事である。
-322-
イタリアでは,障がいのある人に対し,様々な公的機関(市の社会福祉課,医療
地域公社等)が協力体制をとっている。障がいのある人にとって一番問題となるの
は,自分の障がいではなく,周囲にいる学校の先生,社会福祉士,医師が協力関係
を築けないことにある。このため,子どもを統合教育に参加させるには,学校だけ
でなく,環境を整えるために,周囲にいる主体の協力関係を深めることが最も大切
である。
法制度,障がいのある人に対するサービスは州によって異なることはないが,イ
タリアには南北問題があることに起因して,このような協力体制がうまくできてい
る州とそうでない州とで,程度の差がある。
(5)バリアフリーについて
バリアフリーに関しては,予算の関係もあるため全ての学校がバリアフリー化で
きるわけではないが,エミリアロマーニャ州内の小中学校は概ねバリアフリー化さ
れ,2階建以上の建物にはエレベーターがつき,段差はできるだけなくし,障がい
のある子どもが動きやすいよう改造するようにしている。ただ,高校以上になると
それが難しくなってくる。
(6)教材について
現在イタリアでは,出版社は,教科書を作る際,点字のものも作らなくてはなら
ないという法律があり,学校に目の見えない子どもを受け入れることが分かった場
合には,出版社にその旨伝えると,出版社が点字の教科書を送ってくれる。
また,県単位で教科書を支給するセンターがあり,知的障がいのある子ども(特
にダウン症の子ども,遺伝性の障がいで知的障がいのある子ども)に合わせた教科
書も支給される。ただ,全て特殊なものを使っているのではなく,一緒にできるこ
とは一緒に行い(できてくるもののレベルは違うが,例えば春というテーマで作文
を書いたり絵を描いたりなど,同じテーマで障がいのない子どもと一緒に授業を受
ける)
,特別な教材を使うのは算数などの教科が多い。
(7)試験について
イタリアでは,高校の卒業は国家試験によることになるが,目の見えない人につ
いては,点字の試験用紙あるいはコンピュータで点字化されたものが用意される。
(8)就学前
子どもが生まれ,小児科医から障がいがあると診断された場合,正式に障がいの
認定を受けるためには診察を受ける必要がある。認定された障がいの度合いにより,
障がい年金,送迎,障がいのある人用の駐車スペースの利用など,どのようなサー
ビスを受けるのかが変ってくる。例えば目の見えない子どもの点字機械については,
家で使うものについては市の社会福祉課の負担で購入されるが,学校で使うものに
ついては学校教育局が購入するなど,家で必要なものは市が負担し,学校で必要な
ものは学校教育局が負担することになっており,障がいのある子どもの権利として
保障されている。
また,エミリアロマーニャ州では,出生後2日目に,聴覚検査が行われ,耳の聞
こえない子どもに対しては,2,3歳の内に,およそ97%人工内耳の手術が施さ
れる。担当の医師はその子どもの成長に合わせた治療プログラムを作成し,専門の
-323-
リハビリが行われる。もちろんイタリアでも手話に対する議論はあるが,現状とし
て手術をせず手話をしたいと主張している人の割合は,全体の2~3%で,手話に
固執している人たちは,手話は自分たちの言語であるという意識が非常に強い。し
かし,ラファエル検査官はそれには反対で,手話では深いところまで伝えることは
できず,どんなに知性が高いとしても,学校においてよい成績を修めた人は非常に
少ない。非常に複雑な議論であり,もちろん両親に手話で育てたいという希望があ
れば,手話を教えるようなシステムになっているが,何十年もこの研究をしてきて,
個人的には子どもは聞こえた方がよいと確信している。
障がいのある子どもが入学する前に,小児神経科医,言語学者,心理学者,家族
等により,障がいの有無だけでなく,生活する上で何ができて何ができないかを診
断する,機能的診断が行われる。家族は一番長く一緒にいて,その子どもに何がで
きて何ができないかを一番把握しているので,診断には絶対に参加してもらう必要
がある。診断においては,例えば,ダウン症の子どもは普通の年齢の子どもと比べ
知的能力が低いことが多いが,社会性が高い,といった良いことも記載される。
機能性診断が終わると,学校での受入れとなる。そこで,家族,学校の先生,社
会福祉士と機能的診断を行った医師らが一緒に会い,診断結果を踏まえて個人の教
育計画(
「ペイ」と呼ばれている)を作成する。ペイには,クラスでの対応,学校
生活を行う上で何が必要か(補助教員や人工呼吸器のケアをする人などの人員,あ
るいは機械など)が記載される。
これらは理論的にはすばらしいが,実際に,補助教員が国から何時間保障される
べきところ,予算がないから何時間しかつけられない,小学校の1クラスの定員は
25人で,1人障がいのある子どもがいたら19人にしなくてはならないが,クラ
スの編成上それが困難であるなど,様々な問題がある。なお,このように,様々な
ところから上がってくる様々なクレームに対応し調整するのが検査官の仕事であ
る。検査官には決定権はなく,法律に従い皆に平等に行わなくてはならないので非
常に難しい。
普通は障がいのある子どもの場合,自分の住んでいるところから一番近い学校を
選ぶ。学校に行くだけでなく,コミュニティーの一員として過ごすため,住んでい
るところから近くの学校を勧める。それぞれの市には,障がいのある人に対する個
人プロジェクトの他,障がいのある人,高齢者など弱者層に対し,どのようなサポ
ート主体(民間の主体も含め)がどれだけあり,予算の範囲でどのように使うこと
ができるかなど,資源と予算についての地域計画がある。
(9)個人プロジェクト
イタリアでは障がいの程度種類に関わりなく,どの子どもも普通学校に入学する。
もっとも,障がいのある子どもには,個人プロジェクトが作られ,それに沿って統
合教育が行われる。例えば生まれたときから全盲の子どもが学校に行くときは,目
が見えないことを考えた上での特別な教育が必要になるが,普通学級に入る。本は
全て点字になっており,例えば色を分からせるため,単に点字に訳すだけでなく,
匂いと関連させるなどの配慮を行っている。さらに,目の見えない子どもの教育を
専門とした補助教員が付き,普通学級の教師の他,その子どもの横には専門の補助
-324-
教員が付くことになる。一言で目の見えないといっても様々なタイプがあるので,
点字だけでなく,コンピュータを使って拡大縮小するなど,その子どもに合わせた
方法を用いる。個人プロジェクトというのは,同じ障がいであっても環境,程度に
より異なるので,その子どもに合ったプロジェクトを,医師,家族,社会福祉士が
考えて作る。教育は学校だけの問題ではなく,皆がチームになって行うことが大事
である。個人プロジェクトは毎年作り直される。なお,障がいのある子どもが学校
に行く場合に,両親が付き添いを求められることはない。学校には用務員のような
スタッフがいて,研修を受けた上で,トイレ介助や,給食時の食事介助をするので,
親の付き添いが必要ということは全くない。
(10)高校への進学について
イタリアは,小学校が5年制,中学校が3年制,高校は5年制で,16歳(高校
の最初の2年間)までが義務教育となる。中学校(14歳)までは皆一緒だが,高
校は文系,理系,工業系,農業系,語学系,美術系など専門に分かれている。高校
の入学試験はないので,基本的に好きな高校を選ぶことができるが,実際には必ず
しも本人の希望の高校に行けるわけではない。
そこで,中学校卒業前にオリエンテーションが行われ,中学の先生,家族,地域
のオペレーター,個人計画を作る心理学者,神経医などのチームの人が参加する。
家族の中には子どもに期待をする家族と,高校なんてとても無理だと考えている家
族など色々いるため,交渉が必要となる。そういうときに検査官であるラファエル
検査官たちは,家族に対し,1年先のことではなく,子どもが25歳,30歳にな
ったときのことを考えてください,とアドバイスする。最終的には70%くらいの
障がいのある子どもがホテル関係等,職業訓練学校のようなところに行く。
義務教育終了時で辞める人もいるが,障がいのある子どものうち,高校を卒業で
きる子どもの割合は60%,大学に進学する子どもの割合が20%である。なお,
エミリアロマーニャ州では,障がいのない子どもで高校卒業資格を得ることができ
るのは97%で,40%が大学に進学する。高校を卒業できる障がいのある子ども
の中で,高校の卒業資格をもらえる子どもと,修了証書をもらう子どもに分かれる。
卒業資格を得れば大学に進学することができるが,課程を修了したという修了証書
では大学に進学することはできない。
(11)就労支援
大学に行かない子どもは何らかの形で就職することを考えるが,5年間の高校生
活の後期に,成年への移行のための準備が始まる。非常に難しい時期である。高校
生活後期の2年間になると,地域の雇用センターとコンタクトをとり始める。基本
的に障がいのある人の就労は保障されなくてはならず,それぞれの企業は企業の従
業員数にあわせ,その何%が障がいのある人でなければならないと決まっているの
で,障がいのある人用の労働ポストを準備するようになっている。単に就労するの
ではなく,一人一人に合った職場を探してあげなくてはならない。高校生活後期2
年間のうちに,企業内研修ということで実際に企業に派遣され,企業に合うかどう
かを見る。障がいのある人を雇ったことで非常に良くなった会社もある。一人のダ
ウン症の女の子が駅にある喫茶店に正規雇用されたところ,その子が入ってから他
-325-
の従業員がよく働き,お客さんに親切になり,お客さんの態度も良くなったという
ことがあった。かわいそうだから働かせてあげるということではなく,何ができ,
何が好きかを見極め,その子どもの能力に合った仕事を見つけてあげなくてはなら
ない。これまで担当した中で一番おもしろいケースは,自閉症で,アスペルガー症
候群,ただし知能の非常に高い子どもについてのケースである。その子はホテル関
係の専門学校に通い,英語とフランス語とドイツ語が話せ,カクテルを作ることが
できたが,騒音が苦手で騒がしいところにいることができなかった。その子のため
に仕事を探している間にナイトクラブでの仕事を見つけた。彼の場合,ディスコは
うるさくていることができないが,ナイトクラブは照明が落としてあり,騒がしい
雰囲気ではないので,やっていけるということでナイトクラブに就職した。
もちろん,残念ながら経済危機のため障がいのない子どもであっても職を見つけ
ることが困難な状況で,障がいのある人の職を見つけることは難しく,どう考えて
も就労できるような状態でない人もいる。その場合には,保護された,社会的協同
組合がやっている作業所に入ることがある。
(12)検査官の仕事について
エミリアロマーニャ州には本来18人の検査官がいなくてはならないが,経済危
機のため,現在4人で仕事を回している。検査官は,エミリアロマーニャ州にある
学校のクラス,教員のコーディネート,問題が生じたときの窓口,家族との関係,
学校システムや医療システムの関係調整を担当し,加えて研究を行っている。
子どもの両親と学校の方針が異なる場合,検査官が中に入り仲介を行う。例えば
自閉症の子どもを持っている両親が,先生のやり方がよくないというクレームをつ
けた場合,ラファエル検査官が出向き,先生と話をし,個人プロジェクトを見せて
もらう。ラファエル検査官の仕事は,誰が正しいかを決めることではなく,家族の
主張が正しくなく,実際と違っていても,家族が悩んでいることは確かなので,そ
れをどういうふうに和解の状態にもっていくか,話合いを行ってうまくおさめるこ
とである。いつもうまくいくわけではないが,皆がうまくいくよう話合いで解決策
を見つけていこうとする。
学校関係,医療関係,市の社会福祉関係といった問題の性格に応じて,ほかにも
解決策を見つけ,仲介する役目を持つ人がいる。クレームの性格により対応する組
織は違うが,皆同じ方針で取り組んでおり,チームでうまくコーディネートして,
チームで解決している。
それ以外にも,権利を侵害された場合に裁判を起したりする機関もあり,障がい
のある人が,権利侵害など何らかの問題を抱えている場合,困難の度合いによって
は裁判になることもある。なお,政府の中には障がい者委員会,障がい者の権利を
考える委員会,
子どもの権利を守る委員会があるが,
これらは政治的色合いが強い。
(13)地域とのかかわり
学校を出た後,障がいのある人が生きていく上で,障がいのある子どもの両親は
必ずどこかの協会に属している。協会の関係組織,ボランティア団体が支援を行っ
ており,両親は子どもが卒業した後も地域の支援ネットワークの中に取り込まれて
いく。
-326-
協会はいわゆる労働組合のようなかたちで,障がいのある人の権利を守り,雇用
を代表することも兼ねており,うまくサービスが機能していない,何かを増やして
ほしいと要求するときは,協会を通じて障がいのある人の声が学校教育局にあがっ
てくる。
エミリアロマーニャ州では,自閉症の子どもを持つ親の協会が強く,また,ダウ
ン症の子どもを持つ親の協会,交通事故により障がいを持った人の協会など色々あ
り,定期的に会合を持ち,その声を行政に届ける役割をしている。
(14)院内学校
例えばボローニャ大学の付属病院には,イタリア各地から小児がんと小児白血病
の子どもが集まり入院しているが,病院内部に,入院している子どものための学校
があり,子どもたちは放射線治療をしながら学校に通っている。
入院して学校生活から離れている子どもよりも,入院しながら院内学校に通う子
どもの方が治療の効果が上がっている。
ラファエル検査官がローマの教育省で働いていたときのことだが,バチカンの裏
にある病院に入院していた9歳の女の子が描いた絵を先生が持ってきてくれたので,
家に飾ってある。絵には小さな血のしみがあり,その子は絵を画きながら死んでい
ったとのことだった。ラファエル検査官は,最期まで先生が付き添い,絵を描きな
がら死んでいったその子を誇りに思っている。
その子は病気に負け,
大人になれず,
大学に行くこともできなかったが,お金の無駄ではなかったと思う。市民として倫
理的にやるべき事をやり,すばらしいと思っている。
入院せず,放射線治療を受け家で安静にしていなくてはならないような子どもの
場合,
スカイプで学校とつないだり,
クラスの子どもを家に遊びに行かせたりして,
できるだけ学校生活を中断させないようにしている。こちらでちょっとした予算を
持っており,自宅療養中の子どもに先生を派遣するようなことも行っている。
(15)感想
ラファエル検査官の話は,私たちに勇気を与えるものだった。これが州の学校教
育局という公的立場にいる人な発言かと思うと,イタリアのインクルーシブ教育は
ますます強固なものになるだろうと,大いに期待が持てた。彼は,エミリア州の検
査官として,全体の教育の方向性をインクルージョンの方向性に持っていくことを
職務とし,個別に保護者と学校当局で,教育の方法やそれぞれが必要としているこ
とに意見の食い違いがあるときも,調整官として,意見調整をしていた。彼の長年
の経験とインクルーシブ教育への確信によって,調整の方向性が分離に向かうとい
うことは考えられなかった。彼は,私たちが,ボローニャに来る前に,ミラノの特
別学校を視察してきたことに痛く落胆し,そこはイタリアの恥だと言わんばかりだ
った。
唯一彼と私たちと意見が食い違ったのは,人工内耳に対するあまりにも安直な
信頼だった。日本ではまだまだ人工内耳に対しては,聴覚障がいの当事者からの反
対もあり,また権利条約が手話を言語とし,ろう文化を守る立場を鮮明にしている
ことからも,安易な装着については疑問が呈されている。ラファエル検査官は最終
的には,本人・保護者が決めることだとの前提に立ちつつ,個人的には「聞こえた
-327-
方がいい」との立場から,人工内耳を積極的に導入すべきであるとの見解を持って
いた。この見解についても率直に意見交換できたことは,今回の視察の大きな収穫
となった。
またこれだけインクルージョンの理念を確信し,40年の歴史がありながら,
やはり今般の国全体の財政状況により,理念通りの展開ができていないことについ
ても率直な意見を聞くことができ,これについては日本のこれからについても共通
の問題として参考になった。しかし,どんなに国が貧しくなろうと,人としての尊
厳を守るための理念と各現場の工夫は決して後退しないのではないかと思う。財政
状況の悪化があれば理念を強固にし,各現場に更なる工夫を求め続けるのではない
かと,そう私たちに思わせる自信が彼にあったのである。
3 学校の教育内容を変更する取組の経緯
(1)レクチャー及び質疑の概要
日 時:2014年4月2日午後
場 所:ファエンツァの学校
担当者:クオモ教授,マットゥーニ教員,ルイジさん
(2)
「知るという喜び」という教育方法の実践について
まずクオモ教授とマットゥーニ教員から,30年ほど前から取り組んでいる「知
るという喜び」をいかに引き出すかについて,このファエンツァの学校(幼稚園か
ら中学校)で実際に行われた教育実践のビデオを見ながらお話を伺った。
(クオモ教授とマットゥーニ教員の話)
1976年に,イタリアでは統合教育が実践されたが,周囲の国を見ても,まっ
たく前例のないことだった。特別学校の閉鎖により,突然,障がいのある子たちが
普通学級に行くことになり,
先生たちも,
どうしてよいのかわからない状態だった。
1976年から80年ぐらいの間は,実験的に,いろいろな取組が行われていた時
代だったが,そういう実験的取組を繰り返して,1980年代前半に,いろいろな
教育手法が生まれてきた。普通学級の子どもの知性と知的障がいのある子どもの知
性とでは,やはり違いがあり,どうやって一緒に教育をするのか,ということを考
える必要があり,このプロジェクトは生まれた。そこで,同じ考えを持っていた教
師で集まって,クオモ教授に声をかけたところ,ボローニャ大学とのコラボ研究を
立ち上げることができた。
やる気のない子どもや,学習することができない子どもに,いくらやるように押
しつけても意味がないことはよくわかっていた。そこで,子どもたち自身が授業に
参加したいと思えるような工夫をした。例えば,ビデオにあるようなタイムマシン
や魔法使いを登場させるということをやった。このような工夫で,子どもたちの興
味をひき,子どもたちの学習意欲を引き出すことを試みた。
先生が「先生」として授業をすると,子どもたちが習得しないことでも,先生が,
別のキャラクターとして教えると,子どもたちはとても興味を持って授業に取り組
む。子どもたちから,
「知るという感動」を引き出すためには,先生たちも,従来の
教育方法を捨て,新しいキャラクターを演じる必要がある。そのためには,
「教える
-328-
という情熱」
,
「教えるという感動」もとても大事になる。
大事なのは,子どもたちが,そこに居やすいと感じる環境を作ること,もう一つ
は,いくら新しい教育手法を取り入れたとしても,すぐ成果が出ると考えてはいけ
ないということ。
ビデオの中に映っている女の子は,中程度の知的障がいと診断されていた。彼女
は,教室に入ることが苦手で,学校にいる半分の時間は,教室に入らず,外に出て,
好き勝手なことをしていた。その子に教室にいてもらうことにすると,彼女は,ク
ラスの子どもや,先生までひっぱたいた。
いろいろ話し合いを繰り返し,クラス自体の態度を変えていかなければいけない
という結論に至った。私たちは,一つのキーワードを持つことにした。彼女は,周
囲の人間をたたくが,
それは,
「助けてほしい」
というメッセージなのだと理解した。
彼女との間で,信頼関係を作ることが,まず重要となる。クラスに居たいと思える,
居心地のいい場所を作る必要がある。そこで,
「指導をする必要はあるけれど,押し
つけてはいけない」
,ということをキーワードとした。
私たちは,いろいろなことを実践したが,なかなか結果は出なかった。そういう
中で,タイムマシンのプロジェクトは,彼女にとっても,他のクラスの子どもたち
にとっても非常に意味のあることだと思い,このプロジェクトを始めた(ビデオの
中の彼女はとても楽しそうだった。
)
。ビデオだけを見ると,子どもが遊んでいるよ
うに見え,
子どもを楽しませるためだけにやっているように見えるかもしれないが,
実際には,例えば時間の観念や,地図,また人物描写など様々な教育要素が含まれ
ている。このプロジェクトによって,授業についていけない子どもも授業に参加す
ることができるようになり,また教育カリキュラムも消化することができた。
Q この教育手法は重度の障がいのある子どもにも有効か
A 「知る喜び」を引き出す教育手法は,重度の障がいのある子どもたちにも有
効である。重度の障がいのある子どもは,クラスの中のほかの子どもたちに助
けられることで成長する面が大きい。重度の障がいのある子どもの周りに,そ
の子を助けようとする子どもたちがいるということだけで,成長する要素とし
て十分だと思う。こういった教育に精通した,例えばマットゥーリ先生がいて,
何か困ったことがあれば,アドバイスができる,例えば私(クオモ教授)のよ
うな人間がいるのであれば,このプロジェクトは,必ずうまくいくはずである。
重度の知的障がいのある子どもが生まれてくる確率は,1万人に1人程度,その
ような子どもたちを,一つの教室に集めるということは,いろんなところから集め
てきたとしか考えられない。重度の障がいのある子どもについては,一か所に集め
て特別に教育するという方法の方がよいと考える人もいて当然だと思うが,大事な
のは,障がいのある子どもの親が十分な情報を得て,選択ができる状態にすること
である。
Q 一番困難だったケースはどのようなケースか
A 一番難しかったのは,ダウン症かつ自閉症の女の子のケース。学校には来る
が,一日中,紙切れを手で持って,ぷらぷらさせているか,外に出てしまうだ
けだった。補助教員の先生が,ほかの子どもの邪魔にならないように,わざわ
-329-
ざ外に連れ出していることもあった。
教育における3つの大切なこと,
「自立性」
,
「社会性」
,
「学ぶこと」のうち,中で
も一番大事なことは社会性だと思うに至った。彼女が勝手に外に出て行ってしまっ
たり,
連れ出してしまえば,
彼女の社会性についての教育はゼロということになる。
それではいけないので,外には行ってはいけないこと,連れ出さないことにした。
そもそも自閉症かどうかについても,彼女を外に連れ出して隔離することによる,
心理的な要因もあったのではないかと考えた。
障がいのある子どもがクラスの中で何もしないとか,させないとかいうことがな
いように,クラスの中で固有に何かをさせるということになっているが,それまで
は,5分の休憩時間に,彼女と話をする機会が設けられていた。それを,休憩の時
間ではなく,授業の冒頭の時間に変更した。つまり,今まで,みんなが授業を終え
たあとに付け加えて行っていたものを,授業の頭に持ってきた。
その子は,よだれを垂らす子だったが,クラスに世話好きな女の子がいて,拭き
なさいよといってティッシュを渡した。すると,彼女の症状は少しずつ和らいでい
った。
自立性の面では,学校に来て,上着を脱いでかけるということは,すぐ覚えた。
その後,クラスの子ども,一人ひとりが前に行って,自己紹介をするということを
した。子どもたちの中には,彼女の頭をなでたり,さっと身を隠して驚かす(いな
いいないバァみたいな動作)ということをしたりする子どもが出てきて,彼女は少
しずつクラスに溶け込んでいった。
彼女は,学ぶということができなかったが,徐々に,彼女なりに,みんなが筆箱
を出したら自分も筆箱を出すとか,みんながノートを広げたら自分もノートを広げ
たりするようになった。
授業の初めに,彼女に合わせた活動をすることになったわけだが,それは,ほか
の子どもにとっても楽しい時間でなければならない。そこで,みんなで音楽をかけ
て,初めは顔の一部(鼻や眉など)
,次に肩,そして足と,リズムに乗せて身体を動
かすということをした。彼女は,初めは反応しなかったが,少しずつ反応するよう
になった。すると今度は,
「○○さんが,こういう動作をしたから,今度はそれを真
似してみよう」ということで,クラスの子どもたちが,その子の動きを真似するよ
うになった。
そのうちに,その子は笑うようになり,クラスでジェスチャーゲームが流行って
きて,その子も,手を挙げて参加するようになった。彼女は,ほとんど言葉を話す
ことができず,話すときも声が小さくて聞き取れないのだが,彼女がジェスチャー
をしているとき,ほかの子が彼女の後ろに隠れて,彼女の代わりに喋って「声」の
担当をしたりした。
最初は,本当に,紙をぷらぷらさせているだけの子だったが,2年後には,クラ
スの人気者になった。
障がいのある子だけが学ぶのではなく,その周りにいる子どもたちが学ぶという
ことが,非常に重要なのだ。
Q 重度の障がいのある子どもたちを分離して特別な教育を行うことと,ここで
-330-
の教育との,一番大きな違いは何か
A みんなと一緒に普通学級で教育を受けることで,先生と友達とともに,自分
自身でストーリーを作ることができる。特別学校の子どもたちは,自分のスト
ーリーを作ることができるだろうか。夢や情熱を語ることができるだろうか。
特別学校では,治療としてのストーリーはあるが,人間としてのストーリーを
引き出すことは難しいのではないか。
(3)ルイジさんのお話
続いて,ルイジ・ファルティネッジさんから,お話を伺った。ルイジさんは,ダ
ウン症の障がいを持つ26才の青年。ボローニャ大学の教育学部に在籍。3才から
14才まで,この学校に通っていた。高校は,ホテル関係の高校に通っていた。ボ
ローニャ大学在籍時に,スペインの大学に留学した。この学校でのサポート活動を
始めて3年目になる。
イタリアには,ボルサラボールという労働奨励金と呼ばれる制度があって,これ
は,労働についていない人に対して,就労支援をするために,わずかなお金を支給
し,労働に就くための支援を行うというもの。彼は,この制度を利用して,小学校
での授業のサポートに従事している。例えば,紙芝居を作ったりしている。
ルイジさんは,自分で作った紙芝居を使いながら,自分の生い立ちとダウン症と
いう障がいがどのようなものなのかについて,分かりやすく話してくれた。
そして彼は以下のように話した。
「僕は,この学校で過ごした間に,
『根』の部分を作り,今は『実』を付けている
ところです。僕は,この学校で子どもたちのサポートをしているのですが,この仕
事がとても好きです。
」
「色々やりたいことはあったけれど,自分が一番好きなのは,子どもや先生と一
緒にいることなので,教育関係の仕事をしたいと思っています。だから,今の大学
に進学しましたし,これからも努力を続けていきたいと思います。
」
「最後に1つだけ言わせて下さい。子どもはみんな知性を持っています。知性を
身に付けることもできます。できない子どもに,
「できない」というレッテルを貼る
のではなく,その子どもたちに刺激を与えて,
「知る喜び」を教える,ということを,
先生たちは目標にしなければならないと思います。ご両親も,障がいのある子ども
が生まれたとしても,その子どもは知性を持っているし,その知性を伸ばすことが
できる,ということを理解して欲しい。これが僕からのメッセージです。
」
(4)感想
インクルージョンがまさに自由・平等と並ぶ崇高な理念であり,それを実現する
ために何をどのようにするべきか,人々の不断の努力が問われていることを,素直
に私たちにわからせてくれた。崇高な理念に基づきシステムを替えたが,現場はど
うしていいか分からなかったこと,そのためには理念を実践するための創意工夫が
必要であり,教師らの情熱なくしては実現できなかった。正直言って30年前の実
践ビデオを見せられても,これが日本でできるだろうかとの躊躇いが先に立ち,懐
疑的になってしまったのであるが,しかしクオモ教授とそれを教育現場で実践して
きた先生方の話は,悩み迷いつつ,分離教育からいかに脱却してきたかの過程がリ
-331-
アルに語られ,説得力のあるものだった。教育にとって一番大切なことは社会性を
身に着けること,この確信に立ち,隔離・排除せずに粘り強く取組み続け,どんな
に重度な障がいがあろうと,重度の障がいのある子どもの周りにこれを助けようと
する子どもたちがいるだけで成長の要素は十分だとの確信を現実に具体化し,各教
室で実践してきたのである。これらの教育実践があったからこそ,インクルージョ
ンが理念に終わらず,個人の人生を変えるものとして,また社会の在り様も変えて
きたのだということを思い知らされた。
日本はようやくインクルーシブ教育の理念を受け入れたのであるが,これを教育
現場で実践するには,まだまだ大きな困難が待ち受けている。
4 教育現場の視察内容
視察最終日は終日,教育現場の視察を行った。ボローニャで,幼稚園から中学校ま
でカバーする一つの学区を訪問し,最初に全員で学区長より概要説明を受けてから,
視察メンバーを2組に分けて,午前午後と,幼稚園,小学校,中学校を回った。
特別学校だけは,教育視察初日にミラノで視察を行った。
(1)学区責任者からのヒアリング
a 視察概要
日 時:2014年4月4日午前
場 所:ラベンナ県ファエンツァ市カルキーディオ・ストロッキ校区
対応者:マリア・サラゴーニ学区長
b ファエンツァ学区の全容について
対象児童は3~14歳までで,幼稚園から中学校までが学区の対象となる。
幼稚園の対象は3歳から5歳までで,2つの幼稚園で10クラスある。
小学校は6歳から11歳までが対象で,2つの小学校で33クラスある。
中学校は12歳から14歳までが対象で,
2つの中学校で18のクラスがある。
全体で1400人が在籍しており,2013年度の障がいのある子どもは幼稚
園に2人,小学校に8人,中学校に14人,合計24名である。障がいの認定を
受けた児童については,クラス担任以外に補助教員がつく。基本的に補助教員は
2人の障がいをもった児童に1人とされているが,重度の障がいをもった児童に
ついては,さらにエデュケーターという支援要員がつく。補助教員は国,エデュ
ケーターは市から予算がつく。
今回視察したカルキーディオ・ストロッキ校区は,ラベンナ県ファエンツァ市
の4つある校区(正確には,4つの校区と,私立学校が1つある)の一つで,カ
ルキーディオ・ストロッキ区全体では,幼稚園・小学校・中学校が2つずつある。
そのうち,ストロッキ中学校とカルキーディオ小学校は同じ敷地内に隣接して
いることから,まとめてストロッキ・カルディーオと呼ばれることがある。今回,
視察するのは主としてこのストロッキ・カルディ-オである。
c 現状における問題点
ア クラスの規模
規則上は障がいのある子どもがいる場合にはクラスを小さくするべきである
-332-
が,実際,近年は予算的に難しく,障がいのある子どもがいても,幼稚園28
人/クラス,小学校25人/クラス,中学校28人/クラスというのが現状で
ある。本来であれば,障がいのある子どもがいないクラスの定員は25名,障
がいのある子どもがいる場合,特に重度障がいをもった児童がいる場合には1
9名定員が基準だが,必ずしも守られていない。
イ 補助教員
現在働いている補助教員は13人である。しかし,毎年人が変わる上に,い
ろいろな学校に派遣して補助教員を補っており一つの学校・教室に固定的に配
置されるわけではないために,クラスの現状を把握していない人が来ることで
問題も生じている。
(2)幼稚園
a 視察概要
日 時:2014年4月4日
対応者:補助教員ルジア・カルチオッフィ氏(LUGIA CARCIOFFI)
b 訪問先概要
クラス6つ。教員12人,補助教員1人。
開園は,月曜から金曜までで,1 週間40時間。
1クラス担任が2名で,午前午後で変わる。昼食の時間だけ担任が2人体制に
なる。
補助教員は1週間25時間契約で,訪問した保育園には10時間/週勤務して
おり,他の幼稚園に15時間/週行っている。補助教員がいない時間を補うため
に,エデュケーターが10時間/週配属されている。
c 視察内容
視察先の幼稚園では,知的・言語障がいのある女児(エレーネ)のいるクラス
を見学するとともに,実際にどのような取組がされているかについて,補助教員
から話を聞いた。
ア 個別プログラムの作成
障がいのある子どもが入園してき
た際には,担任が作るクラスのプロ
グラムとは別に,障がいのある子ど
ものためのプログラムが組まれる。
そのプログラムの作成は補助教員に
よってコーディネートされる。
プログラムの作成前には観察期間
を置き,何が一人でできるのか,人
間関係,コミュニケーション能力,
知覚能力などを把握する。
その上で, 視察団について説明を受ける児童。左手前がエレーネ
その子どもの目標を決め,保育園の3年間を通じて,自立性を高める計画が立
てられる。このプログラムの作成には,親のサインが必要とされ,プログラム
作成には親も関与する。
-333-
例えば,エレーネの場合には,右側の筋肉が縮小しているので,ミニカーで
遊んで右側を伸ばすようなプログラムが取り入れられているということであっ
た。
イ 関係者間の連携
障がいのある子どもの教育において最も重要なことの一つは,医師,親,先
生など,その子どもに関わっている関係者が話し合いの場を作ることである。
話合いは,特に何もなければ,3回,経過観察後の9月と,1月と6月に行わ
れる。それ以外でも,問題が起きれば,その都度話し合いが行われ,親は話し
合いの場に来なければいけない。
例えば,エレーネの場合,6月と9月に小児神経科の医者とエレーネの状況
を共有しており,エレーネの言語・動作の遅れについては,地域医療公社がフ
ォローアップするという協力体制がとられている。また,子どもの親が集まる
ときに,子どもがエレーネに対する好奇心を示したときには,先生に伝えてほ
しいと親たちに伝え,エレーネに対する他の親への説明も,教員から行ってい
る。
ウ 障がいのある子どもがクラスに与える影響
エレーネのいるクラスは男児が多くてうるさいクラスで,わんぱくな子ども
が多い。しかし,エレーネがいることで,みんな気を付けないといけないと自
覚し,他の児童の集中力が養われている。というのも,他の子どもも,エレー
ネが動作が遅いことは認識しており,自分が気を付けていないと,ぶつかった
際などにエレーネにけがをさせてしまうことを認識しているからである。
エレーネが涎をよく垂らすので,
汚い,
遊びたくないという子どもがいたが,
そのような際には,教員から,
「つばも水からできている」と説明するなど,他
の子どもの理解を深め,エレーネが孤立することのないよう配慮している。
2年前はダウン症の子どもがおり,課外の時間を作った。絶対参加ではなか
ったにもかかわらず,15家族が参加し,買い物や,ジュースを買って飲むと
いうような課外活動を行った。
(3)小学校
a 視察概要
日 時:2014年4月4日
対応者:マリア・サラゴーニ学区長
b 視察内容
ア 普通学級
見学したクラスは25名程度のクラスで
あり,その中に,障がいのある生徒として
アレッソ(男児)がいた。アレッソには,
専属で補助教員が付いていて,他の生徒と
同じクラスで終日勉強している。
見学した際,そのクラスではイタリア語
の授業が行われていたが,アレッソは,サ
-334-
ルが食事をする絵を順番に並べて,ノートに貼る作業をしており,その作業を
通して順番を覚える練習をしていた。授業の途中までしか見られなかったが,
アレッソの何らかの発表の時間があるはずだったことは,午後の授業を見るこ
とでわかった。
午後の授業でもアレッソのそばには補助教員がいて,別のメニューをしてい
たが,授業の終わりころ,それぞれの発表の時間には,アレッソも前に出て,
自分の作品を誇らしげに発表していた。
イ 個別対応ルーム
この部屋には,重度障がいのある生徒とその生徒を担当する教員2名(1名
は補助教員)及びセネガル出身の生徒とその生徒の担当教員の5名が在室して
いた。セネガル出身の生徒は移民であり,イタリア語が理解できないため授業
についていけないとのことで,専属の担当教員により個別指導を受けていると
のことであった。
この個別対応ルームにおいては,主として重度障がいのある生徒であるベン
ジャミン(男児,小学校1年生(6歳)
)への学校側の対応について,ヒアリン
グを行った。
ⅰ 障がいの状況
小頭症であり,
呼吸をすることも困難である。
腹部にチューブが設置されており,食事はその
チューブからとっている。
最長でも1日1時間程度しか他の生徒と同じ
教室で授業を受けられない。
それ以外の時間は,
ほとんどが個別対応ルームで休んでいる状態で
ある。見学した際も,個別対応ルームのベッド
で横になり,休んでいる状態だった。
ⅱ 教育体制
ベンジャミンには,教育担当教員と補助教員の2名が付いている。ベンジャ
ミンに対するカリキュラムは,この2名の教員が協議して作成している。
なお,教育担当教員の費用は市が負担し,補助教員の費用は国が負担してい
る。
ⅲ 学校生活
ベンジャミンは,障がいのない生徒と同じクラスに所属している。しかし,
体調との関係で,ベンジャミンは長くても1日1時間程度しか教室にいられな
いので,毎週水曜日には,コミュニケーションの時間を作っている。この時間
には,クラスメイトと一緒に歌を歌ったり,本を読んだり,絵を描いたり,マ
ッサージをしたりする。また,コミュニケーションの時間以外でも,クラスメ
イトが個別対応ルームにいるベンジャミンに会いに来る。その際には,クラス
メイトがベンジャミンに対して,自分達が描いた絵をプレゼントすることもあ
る。
クラスメイトは,ベンジャミンが実際見えているのか聞こえているのかはわ
-335-
からないが,ベンジャミンは肌に触れると,触れられたことがわかる,という
ことは理解している。ベンジャミンにとっては,このような学校に来て,学校
生活を送ることが大切な時間となっている。
ⅳ 教員による個別対応
ベンジャミンは,学校内で動くことが好きなので,本人が希望すれば,車い
す(又は乳母車)に乗せて校内を散策させることがある。
また,ベンジャミンが教室内でいる時に,クラスメイトが休み時間に動き回
ると,怖がることがあるので,その場合には,ベンジャミンを外に出すことも
ある。
ⅴ 重度の障がいのある生徒の受入体勢
この学校では,1年に1人は重度の障がいのある生徒が入ってくる。そのた
め,その生徒の健康状態や体調に対応できるような部屋が用意されている。こ
の部屋には,必要に応じて様々な機材が配置されることになっている。重度の
障がいのある生徒は,常時,障がいのない生徒と同じクラスに所属している。
しかし,その生徒の障がいの重症度により,そのクラスにいられる時間は異な
る。イタリアでも,1960年代では,重度の障がいのある子は家庭内に残さ
れたままになっていた。
ⅵ 通学方法
ベンジャミンの場合,入学したばかりなので母親が他の人に任せることを不
安に思い,両親が送迎しているとのことである。しかし,送迎するか否かは両
親が選択することができ,両親が送迎しないことを選択すれば,市が送迎を行
うことになる。この場合,送迎にかかる費用は公費でまかなわれる。
(4)中学校
a 視察概要
日 時:2014年4月4日午前
b 視察内容
ア クッキングラボの見学(フルーツの串刺し)
視察の時間帯は2人の障がいのある
生徒,ステファーニャ(中3女子,ダウ
ン症),マルゲリータ(中1女子,聴覚
障がい,弱視,簡単な手話と唇を使って
表現する)が,フルーツの串刺しを作っ
ていた。毎週火曜日にクッキングラボで
作業を行い,1学期はクッキーやパスタ
を作り,2学期はフルーツをテーマとし
て洗う,皮をむく,切ることを学んでいる。クラスの友人が一緒に手伝ってく
れており,作ったものはクラスの友人に配る。彼らはそれぞれ原学級を持ち,
授業内容が異なる場合でも,必ずクラスメイトに彼らの姿が見えるよう,配慮
されている。
イ マルゲリータの日記発表(パソコン教室)
-336-
視察の時間帯は,それぞれ科目別の授業が行われ,マルゲリータのクラスは
パソコン教室で情報産業の授業を受けていた生徒と,教室で歴史の授業を受け
ていた生徒に分かれていたようである。マルゲリータは,フルーツの串刺しが
終わると,自分のクラスメイトがいるパソコン教室に行き,みんなの前で,彼
女の日記を発表した。マルゲリータは学校から帰ると,毎日復習し,その日に
見たこと,したことの日記を書き,翌日,クラスで発表をしている。
マルゲリータの日記の発表は,簡単な手話と絵,唇を用いて行われた。
パソコン教室では,パソコンの授業
を中断し,マルゲリータの発表を楽し
そうに聞いた。教師が,
「マルゲリータ
の発表はどうでしたか?」
と尋ねると,
クラスメイトが手話(手振り)で「よ
くできた」と表現した。親しい友達や
教師は,マルゲリータと同じ表現方法
を使ってコミュニケーションを取れる
とのことである。
ウ マルゲリータの日記発表(原学級)
パソコン教室での発表が終わると,マルゲリータは自分のクラスに戻り,自
分の席に着いた。ここが日本でいう「原学級」にあたると思われたが,22名
のクラスである。クラスでは,歴史の授業をしており,授業が終わるころ,彼
女は,自分が作ったフルーツの串刺しをみんなに配った。その時もマルゲリー
タだけが配っているのではなく,クラスメイトも手伝った。その後,彼女は自
分の日記とさっきまでやっていたクッキングについて,
みんなの前で発表した。
クラスのみんながマルゲリータを温かく受け入れている様子は明らかだった。
クラスメイトに私たちからも質問した。生徒らは「マルゲリータは友達。
」
,
「別の言葉を話しているから最初は話すのが難しかったけれど,最初だけ。マ
ルゲリータが私たちに教えてくれた。
」
,
「休み時間,マルゲリータは皆の中心に
いる。一緒に遊び,冗談を言ったりしている。
」等と口々に言っていた。教師も,
「マルゲリータにとっても友達,皆の手助けが必要。ボトルを開けることも困
難。皆がそれをカバーしてくれる。学校に来ても外に出るときも,いつも友人
と一緒。
」と述べていた。
クラスのみんなとの交流が盛り上がり,クラスメイトから日本語を教えてく
れとの声が上がり,視覚障がいのある田中伸明弁護士がホワイトボードに「み
んなのことが大好きです。
」
と書いて意味を説明し,
拍手喝采され,
生徒らも口々
に発音した。
エ ステファーニャのクラス(ピザ)
マルゲリータのクラスで長居をしてしまったため,ステファーニャのクラス
に行く時間がなくなってしまった。でも彼女も私たちをどうしても案内したい
ということで彼女の先導で連れて行かれたのが,彼女がピザを焼いた教室だっ
た。時間の都合で少ししか見学することができず,彼女に申し訳ないことをし
-337-
たと思う。
(5)特別学校(ミラノ)
a 視察概要
日 時:2014年4月2日午前
場 所:パオラ・ラリッサピーニ特別学校(ミラノ)
対応者:同学校の校長 アンナ・ゾッピ氏
b 同校の概略
同校は,2つの小学校,1つの特別学校,1つの中学校という4つの学校から
なる総合学校である。小学校には計800人,特別学校には76名,中学校には
500人の児童生徒が在籍する。
総合学校といっても,同校は,校長は共通であるものの,4つの学校はそれぞ
れ200メートルほど離れた場所の別々の敷地にあり,教師もそれぞれ別の教師
が在職している。
現在,特別学校に在籍するのは,座ることのできない子どもや一日に何度も痙
攣を起こす子ども,重複障がいのある子どもなど,障がいの程度が重い子どもた
ちばかりで,皆障害者手帳を持っている。他方,2つの小学校には計37人,中
学校には32人の障害者手帳を持つ子どもがいるが,小学校には,その他にも,
学習障がいなど,手帳を持たないが障がいのある子どもが約20%いる。普通学
校を見学すれば,障がいのある子どもたちがいかに周囲に溶け込んでいるか,見
てもらえると思う。
ミラノ市内の特別学校には,ここともう1校私立の学校があるが,学費が高い
こともあり,
ここにはミラノ中及びミラノ郊外からも子どもたちが集まってくる。
ここにいる子どもたちは障がいが重いので,通学バスで通学している。
特別学校に通わせるか,普通学校に通わせるかは,小児科精神科医などの専門
家と相談した上,最終的には保護者が決めることになるが,定員があるため,保
護者が希望しても入れないことがある。その場合には,待機リストに載り,空き
ができるのを待っている間,普通学校に通うことになる。ただ,重度の障がいの
ある子どもを普通学校では対応できないので,1日のうち1〜2時間だけ行った
りということをしている。これとは逆に,保護者が希望しないのに特別学校に措
置されるということは絶対にない。
小学校も中学校も特別学校も給食があり,障がいのある子ども,咀嚼に問題の
ある子どもなど,必要に応じて別メニューを給食センターが用意している。
総合学校には,
6歳から14歳の子どもたちが在籍しているが,
特別学校では,
小学校の1学年の過程をそれぞれ2年間かけて学んでいくため,6歳から16歳
まで在籍することになる。特別学校の子どもたちについては,16歳以降特別学
校を卒業した後のことを考えて,料理など,小中学校の子どもたちと一緒に行う
授業もある。また,イタリアでは,中学校ごとに,校長の裁量で,音楽に力を入
れるなどできるので,この総合学校では,特別学校と中学校の児童生徒が,音楽
を通しての交流もはかっている。
障がい認定された子どもが入学すると県から予算がつくが,この予算は,子ど
-338-
も自身にというより,コンピュータや通学バスなどに使われている。また,市は,
食事介助,着替介助など,人員にかかる費用を出してくれている。
ここに来ている子どもたちは,
普通学校に行くのが困難な子どもたちであるが,
校長自身の考え方,目標として,普通学校で一緒に学ばせたいという思いは持っ
ている。
c 視察の内容
校長先生から,同校の概略などについてお話を伺った後,校内を案内していた
だいた。
同校では,1階は比較的障がいの程度の軽い子どもたちが学ぶ教室,2階は障
がいの程度が重い子どもたちが学ぶ教室になっていた。
障がいの程度が軽い子どもたちのクラスには4~5人程度ずつ,障がいの程度
の重い子どもたちのクラスには2人ずつの子どもたちがいて,各教室それぞれ2
~3人の教師が授業を行っていた。教師たちは,子どもを自分の膝に乗せて,文
字を教えるなど,授業風景はどこの教室も温かく手厚いものであった。
(6)感想
教育現場の視察として,私たちはインクルーシブ教育の歴史のあるボローニャを
選び,ファエンツァの幼稚園から中学校を,2班に分けて午前午後と可能な限り視
察をした。そこで出会った一人一人の障がいのある子どもたちはクラスの一員とし
て大切にされ,学校,教員,友人らに温かく囲まれていた。どんなに重度であって
も,1日1時間しかクラスに参加できなくても,そのほとんどの時間を個別対応ル
ームのベッドの中で過ごしていても,クラスの生徒らは,彼は自分たちの友人であ
ることを意識し,仲間であることを忘れないし,学校も教師らも決して忘れさせな
いよう工夫している。共に学ぶための授業の工夫をし,それができないときは補助
教員をつけてクラスの片隅で別の授業をしていても,彼らは自分の学習をクラスの
仲間に紹介し,一時であってもクラスの中心におかれる時間が保障されている。そ
してクラスの友達は障がいのある子どもが中心となる時間を,決して厭うことなく,
共に喜び楽しんでいる。一見すると,クラス別の別学,あるいは同一教室内での分
離教育かと思える場面もあったが,別学にしても必ず戻し,しかも彼らを中心に据
える時間帯を作ることで,別学の疎外感を見事に克服しているように見えた。
日本はこうはいかない。同一授業の工夫もないし,別学は分離を意味し,別学か
らの統合は難しい。とくに知的能力の異なり,それが授業の理解度につながってし
まう高学年の授業をどのようにしているのか,その答えを見たように思う。別学し
てもクラスの中心に障がいのある子ども
がいる学校-それがファエンツァの学校
だったと思う。
私たちは,イタリアがインクルーシブ教
育を推進し,特別学校は全廃されていると
の情報がある一方で,一部にまだ特別学校
が残っていることを知った。そこで今回の
視察では,特別支援教育の歴史の長い日本
-339-
からすると是非とも見ておきたい学校だった。朝,視察のために学校に着いた時,
次から次に来るバスから降りてくる障がいのある子どもたちのバス通学の風景に
始まり,学校及び教室内の内容はおおむね日本の特別支援学校と変わらなかった。
どこの国でも,障がいのある子どもを一つの学校に集めようとしたら遠距離通学に
なるのだし,各クラスは少人数になる。そして遠くても「手厚い」教育を求めたく
なる保護者はいる。日本と違うのは,そこは決して強制される学校ではないこと,
保護者の希望によって入る学校であるということと,そこでの教育は障がいのある
子どもの教育として主流ではないということを学校も認識しているということで
ある。本来は地域の学校が望ましい,ということを,少なくとも建前上は認めざる
を得ないのである。この点が日本とは格段に違うことが分かっただけでも,イタリ
アにおける特別学校を視察してよかったと思う。
5 まとめ-障がいのある子どもの親の会の方からのインタビューを踏まえ
イタリアはインクルーシブ教育の40年の歴史を持つ。日本からその経緯を長年見
てきたものとすると,その差は大きく,何とも遠い国の出来事のように思ってきた。
しかし今回初めてイタリアを視察し,その歴史を踏まえても,日本とさほど違わな
い点もあることが分かった。そのことを強く思わされたのは,ボローニャ大学で障が
いのある子どもの親の会の方からご意見を伺った時だ。
インクルーシブ教育が制度上保障されていても,障がいのある人に対する差別は厳
然とある。親の会の方から聞かされた差別の内容は,日本で我々が聞かされる内容と
ほとんど同じである。すなわち,差別の内容として,教師が障がいを理解していない
ことによって不利益を与えられたこと,また20年くらい前の話になるが,と断りを
入れてはいたが,授業の邪魔になるからと外に出されたり,遠足に連れて行ってもら
えなかったり,中学校に入学するときに,その子どもがいるから,この学校には入り
たくないとか,この子どもがいるから他のクラスにして欲しいといわれたりしたこと
を挙げた。
そしてこれは今でも完全によくなっているわけではないことも指摘された。
さらに,学校で必要とした支援を受けられない場合,支援が不足したことによる賠
償と,支援が不足したことによりその子どもの存在を否定されたことについての賠償
も求めることになるということだが,補助教員の存在が法的に保障されてはいるが,
補助教員の時間数が不足し,裁判に訴えざるを得ないということである。
40年のインクルーシブ教育の実践が,人々の心に巣食う差別意識を完全に払拭す
ることはできていないし,また社会が負担するべき支援も十分ではなく,削減されや
すい。
親の会の方は,今までに一番うれしかったことは,子どもが,仕事をしながら一人
暮らしをしていて,お付き合いしている相手もいること。今のままであれば,私がい
なくても,大丈夫だろうと思えること。社会の重要な一員であり,社会に参加してい
ることだと言い,つらかったことは,子どもに障がいがあるとわかったときは,一日
泣き続け,その後から,彼のために何ができるのか,と考え,これからは泣くことは
やめようと思った,と言う。
差別の現状は今の日本と全く同じであり,また子を思う親の気持ちも同じである。
-340-
さらに言えば,ボローニャでの素晴らしい教育実践の数々も,実は日本でも関西を
中心に,共生教育として取り組まれ,ほぼ同じ内容の教育実践は報告されている。関
西では,1960年代から,部落の子どもたちへの反差別・人権教育が教師らを中心
に熱心に取り組まれ,その一環として,1970年代からは,障がいのある子どもも
地域の学校で,障がいのない子どもと共に教育を受ける共生教育が実践されてきたの
である。
それにもかかわらず決定的に違う点がある。それはとりもなおさず,イタリアはイ
ンクルーシブ教育を法的・制度的に保障していることである。社会全体が理念として
のインクルージョンを受け入れ,その実現のために努力することを法的に鮮明にして
いるということである。
制度的保障をしていても根深い差別はなくならないのであり,
それがないところでは,差別の解消は至難である。日本の共生教育は,一部の熱心な
教師と学校の取組によって,いわばもぐりとして実践されてきたのであり,決して社
会全体の共通の認識になっていなかった。よって,熱心な先生が転勤すればその実践
は立ち消えてしまい,継承すら保障されていなかったのである。
今回,ようやく差別解消法の成立と権利条約の批准によって,障がいを理由とする
差別の禁止とインクルーシブ教育が日本の法的規範として認められたのである。ただ
し制度としてのインクルーシブ教育はまだ実現していない。イタリアが1976年,
インクルーシブ教育に転換したことは,
「スイッチをひねったように」といわれるくら
い思い切った改革だったのであるが,日本は未だその制度化さえされていない。遅き
に失するのであり,インクルーシブ教育の制度的保障は喫緊の課題であることを強く
思わされた視察であった。
Ⅳ 精神
1 イタリア精神科病院の歴史と概要
(1)イタリアの精神保健制度の歴史
イタリア共和国は,病床を伴う精神科病院をもたないことで知られているが,こ
れは,1978年に成立した法律180号(通称バザーリア法)に基づく精神保健
改革による。
法律180号が実施されるまでは,イタリアの精神医療制度は日本にも劣らない
ような強権的なものであった。
まず,1904年に「精神病院及び精神障害者に関する規定ならびに規則」とい
う精神障がいのある人に対する初めての法律が公布された。この法律は,社会秩序
を守る法律として,いわゆる危険な精神障がいのある人から社会を守る必要性を打
ち出しており,
「治療」より「収容」が優先された。法律上,
「何らかの原因により,
精神病に侵され,自他いずれにも危険であり,公序良俗を紊す(みだす)者は,収
容し治療しなければならない」(法律36号)として,精神科病院へ強制収容する
ことが可能とされていた。その精神障がいのある人の収容などの手続については,
県が管理し,各県に1つの精神科病院設置が義務付けられた。
法律36号下での,強制入院の手続は以下であった。入院は,医師の証明書と警
-341-
察署長命令によって行われた。入院後は,精神科病院長が15日以内(観察期間)
に検事宛に報告書を送らなければならず,30日以内に退院又は最終入院の判断が
なされ,最終入院とされると禁治産宣告を受け,公民権は剥奪され,後見人が任命
された。そして,基本的に精神科病院から出ることはできず,一時的にでも停止さ
れるときは,治癒証明書が必要で,しかも,家族が裁判所の許可を得て「引き取る」
のではない限り,病院長の直接責任として実施せざるを得なかった。
1968年までは,このような手順で入院が進められ,同年に成立した法律43
1号(通称マオリティ法)によって,ようやく任意入院が法定化され,あらかじめ
患者の同意を確認した上で,強制入院から任意入院へ切替えも可能とされることに
なった。法律431号は,精神科病院を総合病院と同等に扱うことを目的として,
精神科病院の組織改革を定め,精神科病院外での予防やアフターケア活動も定めら
れた。今やイタリア全土で精神保健の中枢を担っている地域精神保健センターが設
置されたのも,この法律による。
そして,1978年5月13日に法律180号「任意及び措置検診と治療に関す
る規定」
(通称バザーリア法)が成立した(同法は,その後「国民保健サービス法」
(1978年12月23日付833号)に組み込まれた)
。
この法律は,「医療(精神科病院含む)の根幹は,治療を受け健康を回復するた
めの人間の権利であって,危険性の判定ではない」と規定し,さらに,精神科病院
を閉鎖するという革命的なものであった。法律成立過程においては多数の反対派が
いたが,フランコ・バザーリア医師(当時トリエステの精神科病院院長)という強
力なリーダーが,
「精神科病院によらずに患者を支えることは可能であり,精神科
病院よりも効果的な手段(地域精神保健サービス)がある」ことを訴え,結果的に
国会で法案が通ることとなった。
法律180号の内容は,精神科病院の新設の禁止,既にある精神科病院への新規
入院の禁止,1980年以降の再入院の禁止であり,また,予防・医療・福祉は原
則として地域保健サービスで行うこととされた。この結果,法律施行後,数年間は
経過的に精神科病院が存続したが,1999年3月,保健省は,イタリア全土での
精神科病院閉鎖達成を宣言した。
(2)制度改革の歴史-バザーリア医師の関わり
イタリア精神保健改革の立役者であるフラン
コ・バザーリア(1980年他界)は,1924
年に生まれた。パドヴァ大学医学部に進学し,1
952年に神経精神医学コースに進み,社会学者
の妻フランコ(2005年他界)と結婚した。生
物学的精神医学よりもサルトルやフッサールな
どの現象学,実存哲学に関心が強く,医師免許取
得後は,パドヴァ大学で講師を務めていた。そう
した発想に批判的な教授から,実践現場に関与す
ることを求められ,1961年にゴリツィア(ト
リエステから,スロヴェニアの国境に沿って数十
-342-
キロ北上した位置にある都市)にある県立精神科病院院長に就任した。
バザーリアが院長に就任した時,県立ゴリツィア精神科病院には,約800人の
入院患者がいたが,バザーリアは,家族と縁が切れている人には住居を用意し,入
院患者を退院させ,5年間で入院患者を約300人にまで減らした。残った人の約
200人は老人で,うち半分はケアが必要で退院できない人,ほか半分は退院した
がらない人であった。それ以外の約100人は老人ではないが,退院したがらない
か,又は住むところのない人だった。
バザーリアは,残った人のうち医療の必要がない人に「オスピテ(お客様の意味)
」
という呼称を付けて完全な自由と食・住居を保障し,入院者と区別した。
「鉄格子
や鉄の扉の奥に押し込めることを正当化するような精神状態など本来ない。精神病
者のときおりの暴力は『結果』である。
」
「精神科病院などやめて人間的存在たりう
る温かい状況に置くことができれば,精神病者の暴力などなくなる。
」と考え,次々
と実践していった。
そして,同志の医師を集め,精神科病院内部の写真を公表したり,ドキュメンタ
リー番組を制作したりして,社会的注目を集めた。ところが,ある入院患者が外泊
で自宅に戻った際に妻を殺してしまうという痛ましい事件が起き,病院責任のため
にバザーリアも逮捕されることになった。バザーリア自身の刑事責任としては無罪
にはなったが,それまでの強かった反発がさらに増し,1969年,バザーリアは
ゴリツィアを追われることになった。
その後,バザーリアは,アメリカの精神保健事情を調査した。アメリカでは,た
しかに巨大精神科病院が崩壊していたが,代わりに生まれたナーシングホームやハ
ーフウェーハホームは,バザーリアにとっては,小規模の精神科病院のように感じ
られた。
1971年,トリエステ県の知事ミケーレ・ザネッティ(当時30歳)に誘われ,
バザーリアはトリエステにある「サン・ジョバンニ精神科病院」院長に就任した。
院長就任後,バザーリアは,
「作業療法」なる無賃労働を止めさせ,仕事作りのた
めの社会的協同組合を作った。約60人の入院患者を組合員にして,病院,厨房,
公園の清掃に従事する「統一労働者協同組合」を組織し,全ての入院患者(労働者)
に正規の労働組合契約を締結する機会を認めた。バザーリアに共感した若い医師た
ちが,バザーリアに師事して集まってきた。
そうして,1973年2月25
日,入院者約400人を先頭に,
若者など約1000人が青い張
り子の馬を引いて「外で暮らした
い」と町を練り歩いた。精神科病
院がもう収容所ではないことを
市民に印象付ける歴史的イベン
トだった。この青い張り子の馬は,
今もトリエステ精神保健局の一
角に保管されている。
-343-
そして,WHO がトリエステを精神保健サービス事業のパイロット地区に指定す
るなどを経て,1980年にサン・ジョバンニ精神科病院は完全に機能を停止した。
(3)法律180号に基づく精神保健医療
法律180号によれば,大前提として,
「治療」とは,通常任意のものであって,
予防やリハビリテーションと同じく,病院以外の地域活動拠点や施設で行われるべ
きであるとされた。従来の,社会秩序維持からの観点ではなく,患者主体の観点か
ら治療が捉えられることになった。
また,相当程度強制力のある治療が必要な場合は否定できないとしても,それは,
極めて限定的な運用によってされることが条件とされた。すなわち,緊急の治療介
入を要する精神の急変が生じ,どのような試みも効果を生まず,患者の治療拒否が
続くような場合に限っては,
「措置治療(TSO)
」を求めることができる。ただ,TSO
の実施場所は,地域内の精神保健施設や患者の自宅でもよく,入院が必要な場合は
総合病院の精神科診療サービス(SPDC)にて行われる,とされている。
TSO の手続については,任意の観点から厳格に定められている。TSO を開始す
るにあたっては,医師が,その理由を明らかにした上で提案し,別の公的機関の医
師の承認を経て,市長のもとへ送られる。市長は,必要に応じて TSO 開始許可命令
を出し,後見裁判官に通知される。さらに,期間も限定的で,1週間経過しても TSO
を継続しなければならない場合は,改めて医師が理由を明らかにしなければならな
いとされている。
このように,常に治療とは任意のものであるという前提のもとに,どの段階にお
いても,治療については患者の同意を取り付けるあらゆる努力をしなければならな
いとされている。その観点から,患者には,自由な意思伝達の権利・措置に対する
不服申立を行う権利も保障されている。
法律180号の成立後,まずトリエステにあった精神科病院が解体され,次々と
全土の精神科病院が解体されていった。そして,精神保健サービスの担い手は,入
院施設から,地域の精神保健サービス機関へと移行していった。
そして,精神障がいのある人が罪を犯した場合,司法精神科病院へ収容されるが,
司法精神科病院入院患者は,精神科病院が廃止された後も約1000人で変わらな
かった。このことは,精神科病院を出た人たちは,罪を犯す危険な人ではなかった
ということを示している。
さらに,イタリアでは全土6カ所ある司法精神科病院を廃止する内容の法律が2
012年3月に成立した。現在は司法精神科病院も活動を続けているが,今後,精
神科医療と犯罪の関係についてどのような取組がなされるか,非常に注目される。
(4)イタリアの精神保健サービス
イタリアでは,1990年までは,医療扶助料は無料とされていた。その後,自
己負担による一部支払制度が導入されたが,基本的には今も無料である(患者本人
が有料医療を望む場合を除く)。イタリアの年間医療費は約670億ユーロ(20
04年当時(
「トリエステ精神保健サービスガイド」より)
)で,その5%(約35
ユーロ)を精神保健費に充当するのが適当とされている。
イタリアの精神保健サービスの組織的概要について図で示すと以下のようにな
-344-
る。
国
公衆衛生省
州
公衆衛生局
Assessorato
Sanita
地方自治体
公衆衛生局
Azienda
Sanitaria
Locale
(ASL)
地方自治体
精神保健部
Dipartimento
diSalute Mentale
(DSM)
国の機関である公衆衛生省をトップに,州ないし地方自治体が精神保健サービス
を担う。実際に業務を行うのは,独立行政法人としての地方公衆衛生局(ASL)の
管轄下にある地方自治体の精神保健部である。
そして,精神保健部の下に,診察など地域精神保健サービスを提供する地域精神
保健サービス(実施場所=精神保健センター),治療共同体,総合病院の精神科な
どが存在する,という構成である。
精神保健センターでは,地域内の成人の治療要請を受けてケアが実施される。対
象は重症者に限られず,苦悩や苦しみ,不安,恐怖を抱く全ての人であり,1回限
りや数回の面接で終わることもあるし,家族に対するサービスもある。
地域精神保健サービスは,その地域だけでなく,総合病院や刑務所内にもある。
そうした場所にある精神保健サービスも,地域精神保健サービス同様,精神保健部
の監督下にあるので,病院長や刑務所長等の施設管理者と連携して保健サービスが
提供されることになる。
そして,医療扶助も地域行政単位に分割されて組織化されている。国は,全費用
を20の州と自治体へ配分し,州は,地域内の事業体の財政を州保健サービスによ
って年間保健計画に基づいて自主管理している。
2 トリエステ精神保健局からヒアリング
(1)視察概要
日 時:2014年4月2日 午後4時から5時
対応者:職員 レナータ氏(*1)
-345-
(2)訪問先概要
トリエステ市は,人口約20万人
のイタリア北西部の都市である。ス
ロヴェニアに隣接する位置にあり,
トリエステ県の県都でもある。
トリエステの精神保健局は,19
81年に設立された。保健サービス
や介入の方針,立案,運営,確認等
を担っている。
具体的には,主にプロジェクトが
行われている。365日24時間体
制で活動する4カ所の精神保健センター(CSM)が設置され,それぞれ約6万人の
住民を対象として,各8床のベッドを備えている。また,マジョーレ病院内に,8
床のベッドを伴う(宿泊診療が可能)精神科診療サービス(SPDC)が設置され,
救急センターと協力しながら救急要請に応じて選別して,地域保健センターないし
はマジョーレ病院にて受け入れる。リハビリや居住サービスも行われ,協同組合と
の連携でデイケアや職業訓練が行われる。
トリエステ精神保健局は,旧サン・ジョバンニ精神科病院の一角に設置されてい
た。サン・ジョバンニ精神科病院は,閉鎖後,精神保健局以外にも,幼稚園,協同
組合の運営するカフェなど,色々な使われ方をしていた。
(3)視察内容
レナータ氏の説明は以下のとおりである。
a 精神保健制度について
トリエステ精神保健局の沿革について説明する。まず,法律36号(1904
年の法律)は,健康上の注意を目的にした法律ではなく,
「安全」を目的にした法
律であった。28日間精神科病院に入院したあと,検察官が入院継続かどうかを
決める。例えば,家族がその患者を介護できるケースがあるけれど,逆に,家族
がいなければ,精神科病院に入れられたケースもあった。
そして,入院するということは,市民権を失うということを意味していた。市
民権を失うと,
家族の財産,
自分の財産を受け継ぐないし使う権利が否定される。
女性患者の例でいうと,シングルマザーなどが,精神科病院に入れられるとき
は,その子どもも一緒に入院させられた。トリエステ精神保健局は,旧サン・ジ
ョバンニ精神科病院の建物を利用しているが,
この建物群の下の方には,
かつて、
子ども用の施設があった。2人の子どもの母が精神病であったため,その子ども
(兄弟)もかなり長い間精神科病院で生活していたのである。
また,入院患者は,金銭管理権がなかった。年金などの収入があったとしても,
精神科病院の会計係に管理され、本人の手に渡ることはなかった。そのため「ち
ょっと。たばこ一本下さい。
」などと,物乞いをする人もいた。家族の収入,財産
がある人もいたが,入院患者はそのお金を使うことは許されなかった。
1971年12月には,精神科病院の考え方を変えていく,という取組が始ま
-346-
った。強制入院の場合でも,任意入院に変えていくという動きが始まりつつあっ
たのである。強制入院が任意入院に変更されていくのと並行して,徐々に,患者
の人権(財産権等)が認められるようになってきた。
強制入院から任意入院へ変わる構図は,
「変化」を意味するのだと思う。健康を
守ることが,行政機関(警察や刑務所など)ではなく,保健サービス機関で担当
する,という考えに移行していった。
そして,保健サービスを受ける施設を利用するということは,人と人が健康の
ために協力していくという変化でもあった。それが,公的な機関を利用せずに個
人の健康を守ることにも繋がっていった。そうして,非任意入院をなるべく避け
ていく中で,
「危険」という考えから,
「健康のサービスを受ける機会」という考
えに変わっていったのである。
b 措置医療(TSO)について
トリエステ精神保健局の TSO への関与について説明する。
あくまで任意治療が前提であるため,TSO は,期間も短期化されている。主治
医ないしは,TSO が必要か否かを判断する精神科医から提案がなされると,市長
が TSO 開始についてサインし,手続は裁判官へ送られる。
TSO が開始されると,7日間,地域保健センターに宿泊するか,マジョーレ病
院に緊急入院するか,2つの可能性がある。患者が治療を拒否している場合,TSO
開始から7日後,治療を拒否することもできる。TSO を継続する場合,医師は,
改めて治療を続ける申請をしなくてはならない。
また,TSO を拒否しようとする患者自身は,後見裁判官に,不服申立ができる
手続が用意されている。
このように,2人の医師のサインが必要とされ,患者自身が不服申立をできる
など、厳格な手続が準備されている。
さらに,TSO の場合,同じような処置が何度も繰り返されていると,後見裁判
官は,その治療を延長すべきではない,という判断を出すことがある。例えば,
4回目の申請があると,当事者の同意を改めて取り直すよう求めることがある。
逆に,必要に応じて,裁判官が治療を受けることを勧めるケースもあるが,いず
れにしても,TSO を使わないという基本的姿勢でトリエステ精神保健局は関わっ
ている。
c 質疑応答
Q TSO を拒否する患者の不服申立手続に弁護士が関与することはあるか。
A 基本的にはない。ただ,TSO 開始にあたっては,証明書を作って,市長へ
送って,市長が後見裁判官へ送るので,
(精神保健局等が)その流れの中で,
弁護士に相談することもある。
Q 具体的な事例を教えていただきたい。
A 女性のケースで、本人はケアの必要性はないと思っていた患者がいた。そ
の女性患者について,TSO が開始され,すぐに任意治療に切り替えられた
(TSO は,
「1日だけ」等の短期に限って行われることもある。
)が、女性は,
任意切替後,再度体調が悪くなってしまった。精神保健局が自宅を訪問して
-347-
も,電話しても,自宅に閉じこもって誰も受け付けない状態であった。その
ため,改めて TSO が再度必要ということで,新しい判断が必要になった。
ご本人が閉じこもっている場合,精神保健局の職員はドアを勝手に開けられ
ないので,消防局の職員が一緒に訪問したが,自宅は鉄扉で入ることができ
なかった。その翌週も訪問して自宅の下で,しばらくの間女性が出てくるの
を待ち続け,最終的には女性によって扉を開けてもらうことができた。
このように,TSO は,いろいろなセクターの人が関連してくる手続であ
る。
Q 心がけておられることがあれば教えていただきたい。
A TSO に関わる人たちが「強制することは良くない」ということを共通認識
として持っていることである。患者本人の意見を最大限尊重すべきであり,
特に初めてケアを受ける人に対しては注意を要する。例えば,10回自宅に
通うだとか,可能な限りの努力を尽くす。最初の出会いが,その人の意向に
反していることを避けなければならないと考えている。
Q 困難な点はあれば教えていただきたい。
A メンタルバランスが崩れている人を放任することはできない。ただ,ご本
人がすぐに治療を受け入れるとも限られず,自分の意向で,治療を受けたい,
と思えるように仕向けていくことが重要である。先の女性の事例でも,定期
的に継続的にサポートしていくことが重要ということがよく分かった。そう
して,患者の状態が良くなる方向へ向けていくのが精神保健局の役割である
と考えている。
Q 青少年と早期治療の必要性について(統合失調症のケース)
,どのように捉
えられているか。
A イタリアの場合2つの考え方がある。1つ目の考えは,ミラノ市で行われ
ているような考えで,ミラノの精神保健局の場合は,早期介入し,服薬治療
を行おうとする。2つ目には,トリエステのような考えで,トリエステの精
神保健局のうちの1つ,サン・ジョバンニ地区には若年層も含めて受け入れ
る体制があり,強制治療ではない形でのケアが行われている。
トリエステ精神保健局では,精神保健部門と18歳以上の成人を対象と
している。精神保健局とは別に,18才以下の未成年をサポートする部門も
ある。地域の子どもの精神健康状態をどのようにサポートするか,という立
場に立って,18才以下の子どもたちにサービスを提供することが重要であ
る。
もっとも,18才になった子どもが,地域のケアを外れて「精神保健局
へ行きなさい」といわれて,行かずにそのままになってしまうことも考えら
れる。なるべく継続した関わりが必要と考えている。
Q 精神保健局と,依存局(アルコールや薬物依存専門の行政部門)を分けて
いるのはなぜか。
A トリエステのように分かれている州もあるが,同じの州もある。州のモデ
ルの作り方で違うだけのようであるが,今後は統合していく予定である。
-348-
依存症の場合は,予防が中心の考えになる。なるべく,そういう病気に
ならないように推進していく活動が重要で,そういう意味では取組が異なる
部分があると思う。
Q トリエステにおける,精神障がいのある人による犯罪状況について教えて
いただきたい。
A トリエステでも,触法行為に触れてしまう人はいる。ただ,保健センター
でケアをするのがメインであるので,結果的に,刑罰が科された人は今のと
ころ「ゼロ」である。その意味では,精神科病院をなくしたことによって,
「犯罪」はむしろ減っていることになる。
d 感想
トリエステは,精神科病院解体のモデル市とされたことからもわかるように,
地域での支援が非常に充実したシステムになっていた。
精神保健局を中心として,
精神保健センター,協同組合,病院等が連携しながら,任意治療を前提とした医
療提供や社会生活のコーディネートをしていることが実感された。精神障がいを
対象とした行政専門分野があることからして,国を挙げて,その支援の重要性を
認識していることを示していると思われる。
しかし,イタリア全土でも,南北の貧困問題が顕著でもあり,精神保健福祉の
充実ぶりは地域格差があるようである。北部に限っても,ある地域で行われる医
療の方針とトリエステのそれとは異なる。
もっとも,トリエステにおける先進的取組は,成功事例として掲げられるだけ
でなく,他の地域でも,地域生活拠点を充実化させることによって精神科病院に
頼らなくても十分に生活ができることを意味している。
一方,日本の精神科医療は,非常に深刻である。諸外国に比して精神科病院の
数やその入院患者数も群を抜いて多く,入院期間も非常に長い。10年以上精神
科病院での入院を余儀なくされている患者は約7万人もおり,その中には,適切
な支援があれば地域で生活できる社会的入院の入院患者が多く含まれている。
精神科病院に依らなくても,適切なケアがあれば,地域生活が十分に可能とい
う事実は,イタリアに限られるはずはない。
日本でも,イタリア,特にトリエステにおいて実現されてきたように,強制的
精神科医療の限定化(期間の限定,手続の厳格化)が早期に実現されるべきであ
る。そして,アパートやグループホーム等の地域生活拠点をより一層拡充し,平
行して地域医療を充実させることにより,精神障がいの有無にかかわらず,誰も
が等しく生活できる環境を整えていくことが重要と思われる。
*1
当日,精神保健局在籍の医師フランコ・ロテッリ氏が対応してくださる予定
であったが,急な都合でキャンセルになった。急遽,トリエステ精神保健局職
員のレナータ氏が対応して下さった。フランコ・ロテッリ氏は,バザーリアの
後継者として知られている,トリエステ精神医療の中枢を担う医師である。
<参考資料>
-349-
1 トリエステ精神保健局編集(小山昭夫訳)
『トリエステ精神保健サービスガイド
~精神科病院のない社会へ向かって』
(現代企画室,2006年)
2 浜井浩一『罪を犯した人を排除しないイタリアの挑戦~隔離から地域での自立支
援へ』
(現代人文社,2013年)
3 大熊一夫『精神病院を捨てたイタリア捨てない日本』
(岩波書店,2009年)
3 各現場の現状と取組
(1)リハビリテーション・レジデンス・サービス(SAR)
a 視察概要
訪問先:カンティエーリ・ソチアーリ(Cantieri Sociali)
( 就 職 サ ー ビ ス 及 び レ ジ デ ン ス サ ー ビ ス Servizio Abilitazione
Residenze:SAR)
日 時:2014年4月1日 午後2時30分から4時
対応者:同所職員 モレナ・ファーラン氏
b 訪問先概要
精神保健局のプロジェクトチー
ムの1組織として,就職サービス
とレジデンスサービスを扱い,精
神保健局の利用者に対し,資格取
得,リハビリテーション,職業訓
練,社会復帰をさらに促進するこ
とを目的として創設されたサービ
ス機関である。
同機関には,①レジデンス施設
(及び事務局)
,
②職業訓練及び就
職事務局が置かれている。
その他,
民間団体と連携して,工芸教育工房とデイケアセンターも設置されている。
①レジデンス施設(及び事務局)では,ある程度の期間にわたり,精神保健局
運営の居住施設に居住する人々を対象に,居住能力の向上や,資格取得や職業訓
練のプロジェクト開発を目的とする企画を推進,研究する。また,空きベッドを
探したり,居住状況のモニタリングを行う。レジデンス施設は,
「社会復帰レジデ
ンス」と「治療-リハビリテーションレジデンス」の二つがある。
②職業訓練及び就職事務局は1996年に設置され,利用者に対する職業訓練
と就職支援活動の向上を目指している。具体的には,ⅰ職業訓練機関の協力の下
に行う職業訓練コース,ⅱ職業訓練に対する評価,ⅲ職業訓練助成金に関するモ
ニタリング,ⅳ労働,職業訓練に関する職員教育を行っている。
c 同機関のサービス内容
SAR の目的は,障がいのある人の社会復帰である。市町村の諸機関,社会的協
同組合,民間の組織などの枠組みをつなげて,一緒に障がいのある人たちへの個
人的プログラムを推進しながら,個人個人の仕事の内容をサポートしていく。さ
-350-
らには,リハビリテーション・住居・仕事の諸問題へのコーディネートを行い,
障がいのある人の成長を見守って,
能力を引き出すことにある。
これらの考え方は40年前にバ
ザーリア医師が考え出したもので
ある。精神障がいのある人が,社会
的に生きていくために何が必要な
のか,他者との関係の中でどのよう
な可能性があるのか,どのようなプ
ロジェクトを発展させていくかが
SARと同じ建物にある社会的協同組合「リスター・サルト
課題であるとのことであった。
リア社会的協同組合」
。衣服・雑貨の裁縫を行い「Lister」ブ
ランドのタグを付けて一般にも販売している
d 社会的協同組合について
今日,トリエステには社会的協同
組合が18か所ある。その業務内容は,レストラン,掃除,事務関係の仕事,会
社の受付,海岸のスポーツ関係施設の仕事,喫茶店,ホテルなどである。
社会的協同組合のうち,いわゆるB型の社会的協同組合については,組合員の
うち30%は障がいのある人など,社会的に不利な立場にある者を雇用するのが
法律上の義務となっている(1991年11月8日法律381号4条②)
。
社会的協同組合は,障がいのある人になるべく仕事に就いてもらおうという目
的のもとにある制度なのであるから,
上記の30%という構成率を満たした上で,
税金の控除などの財政支援を受けることができる。
社会的協同組合の規模は,15人という小さなものから,250人規模の大き
なものまで様々である。掃除,引越,建築関係の業務に就いている。例えば,精
神保険局内の清掃作業を社会的協同組合の組合員が行っている。
最近では,社会的協同組合の組合員がトリエステ市のガイドに就いていること
もある。若い働く人たちはサービスの中でも,掃除よりもガイド(例えば,サン・
ジュスト城やサローニ・ディ・インカント(Salone degli Incanti)博物館など)が
いいと希望しており,これを選んで働いている。
e 就労支援のシステム
社会的協同組合では,仕事を覚えながら,奨励金を給付するというシステムが
とられている。1980年代ではこれら障がいのある人々は生活保護金を受領し
ていたが,現在は,仕事をして,その奨励金を受けるという制度に移行したので
ある。
現在,トリエステ精神保健局が把握している限りでは,毎年180人がこの奨
励金を受給しているとのことである。給付総額は約40万ユーロであり,一人あ
たり,毎月350ユーロが支給されている。この180人のうち,年間20人が
正式に社会的協同組合と契約を締結する。ただし,現在の社会状況のなかで,そ
の契約形態が短い期限つきの契約であるという限界はある。奨励金を給付されて
いる障がいのある人が正式な労働契約にたどりつくまでの訓練期間は,それぞれ
2年から3年である。
-351-
正式に労働契約を締結した20人の就職先は,約15人が社会的協同組合,2
人が団体組織機関,公的機関,3人が民間企業である。
労働契約においては,①労働者,②社会的協同組合,会社,③精神保健局のオ
ペレーターの三者が連携して,どの程度の仕事をしていくかということを決め,
1週間に25時間を上限とした労働を行う。社会的協同組合,会社には,障がい
のある人を雇用育成する責任がある。オペレーターは障がいのある人の支援,モ
ニタリングを行う。
f 仕事とリハビリテーションについて
旧来,精神科病院にて行われてきた継続的な作業療法は,働くということに良
い影響を与えていないと考えられている。作業療法は,仕事の内容がいかなるも
のであっても報酬が少額であるという問題がある。例えば,掃除をするという作
業で,綺麗にしてもしなくてもその少額の報酬は変わらない。障がいのある人が
労働に関する正式な契約を結ぶ必要があると考えられている。
40年前,精神科病院で作業療法が認められていたのは,病気の人の神経を休
めるということがその目的であった。給料なしで,権利もなく,精神科病院の職
員と一緒に行う作業でしかなかった。
病院が障がいのある人に支払っていたのは,
一杯のコーヒー分,一本のタバコ分程度の僅少な報酬でしかなかった。
現在,バザーリア医師の改革により,障がいのある働く人の人権が尊重される
流れの中では,障がいのある人がそれぞれ目標を持って仕事内容を見つけていく
のが理想とされている。もっとも現在の制度においても,障がいのある人に対し
て,
与えられた仕事を行わせているという傾向があることは否定できないという。
g 障がいのある人の雇用について
労働契約における障がいのある人の法定雇用率は国の法律で定められている。
1999年3月12日法律68号法によれば,従業員数が15人以上の公共部門
及び民間部門の使用者は,総従業員の約15人に1人の割合で障がいのある人を
雇わなければいけないという義務がある。ただし,企業は,納付金を払えば,障
がいのある人を雇わなくてもすむという規定が一方で存在し,約40%の企業が
同規定により納付金の納付を選択する。
企業から収められた納付金は,障がいのある人の職業訓練に関する費用に使わ
れる。
障がいのある人の採用にあたり,36人以上の従業員を有する企業は,一定の
割合で,公的機関が定めた障がいのある人のリストから,そのリストの順位に従
って障がいのある人の採用を行わなければならない。それ以外の場合は,各企業
がそれぞれ障がいのある人を個別に応募して採用できるが,身体障がいのある人
の方が精神障がいのある人よりも多く採用されやすいという傾向があるという。
その他,一般企業への就職を促進する手段として,企業に対し,障がいのある
労働者の社会保険の全部又は一部を国庫負担するなどのインセンティブ措置があ
る。
また,
企業にとっては,
職業訓練を受けた障がいのある人を雇うということは,
そのような訓練を受けていない障がいのある人よりも,採用を行うことに安心感
-352-
があることから,職業訓練制度もまた,障がい者雇用への間接的なインセンティ
ブとなっている。
h パーソナルプロジェクト
就職サービス及びレジデンスサービスでは,
「パーソナルプロジェクト」という
プロジェクトを2006年より開始している。個人の社会的費用を「パーソナル
化」するというプロジェクトである。
このプロジェクトでは,住居,仕事,社会適応を3つの柱として,障がいのあ
る人の個人個人について,それぞれのニーズは何か,目標は何かということを定
めていく。その目標を現実化するためには,どれくらい経済的なお金が必要なの
か,障がいのある人一人一人と面談してこれを計算していく。
必要とされる費用については,SAR がトリエステ市,トリエステ県,精神保健
局などから利用できる制度を使うことにより賄う。
また,法人,社会的協同組合,支援グループによる連携された支援の中で,プ
ログラムを作成する。
同プログラムにおいて,最近特徴的なのは,レジデンス施設でケアを行うとい
う手法を少なくしたことである。現在は,障がいのある人が地域で居住している
場所で,そのまま支援を与えるというやり方を拡げるよう取り組んできている。
レジデンス施設は24時間の支援を行わなければならないので経済的負担が大き
いというのも理由である。
このパーソナルプロジェクトは,精神保健局が推進しているものだが,いまだ
試験的な手法である。国の法律で義務づけられているわけではない。もちろん,
最終的には国による法律制定を目指すべきであるが,現在,この手法が州の法律
で定められているのはカンパーニャ州だけであって,トリエステのあるフリウリ
=ヴェネツィア・ジュリア州では,ガイドラインとして定められているだけであ
る。
<参考資料>
1 トリエステ精神保健局編(小山昭夫訳)『トリエステ精神保健サービスガイド~
精神病院のない社会に向かって』
(現代企画室,2006年)
2 佐藤紘毅・伊藤由里子編『イタリア社会協同組合B型をたずねて―はじめからあ
たり前に共にあること』
(同時代社,2006年)
3 大内伸哉『イタリアの労働と法―伝統と改革のハーモニー』
(日本労働研究機構,
2003年)
4 トリエステ精神保健局ウェブサイト
http://www.triestesalutementale.it/english/mhd_ou.htm
(2)バルコラ精神保健センター
a 視察概要
日 時:2014年4月2日 午前10時から11時30分
対応者:ルカ氏(ソーシャルワーカー)
-353-
b 訪問先概要
精神保健センター(CSM)は,精神保健局のプロジェクトチームの1組織であ
り,
精神保健制度の入り口として,
介入の調整や計画作成の核となる組織である。
週7日24時間体制で活動している。
トリエステ県は,県下を4つの医療保健区に分け,それぞれの医療保健区に医
療保健区の運営を行う精神保健センターが1カ所設置されている。
バルコラ精神保健センターは,保健区1を運営するセンターである。開設は,
1975年で,4つの精神保健センターの中で最初に開かれたセンターである。
保健区1は,トリエステ全県のおよそ3分の2の範囲に及ぶ地域を含んでおり,
住民は,
約6万人である。
トリエステの中では裕福な住民が暮らす地域であるが,
貧困層の暮らす地域も若干ある。
職員は,精神科医,臨床心理士,ケースワーカー,リハビリテーション士,看
護師,介護士,管理者からなる。地域が広いため,自動車を利用して地域を回る
チームと,徒歩で地域を回るチームとで対応している。
c バルコラ精神保健センターの活動
バルコラ精神保健センターでは,次のようなサービスを提供している。
ア 夜間宿泊(ナイトケア)
症状に応じて,センターに宿泊することができる。
6~8床のベッドが備えられており,
必要に応じて利用されている。
現在は,
7床が設置されているとのことである。
利用者の利用日数の平均は9日から11日とのことである。
イ デイケア/デイホスピタル
危機的状態や緊張状態が生じた際,一時的な
保護や安全確保のために,共同生活グループか
ら引き離したり家族の負担を軽くするなどのた
め,
数時間又は終日の入所を勧めるものである。
また,薬物療法や精神療法による支援や,進
路指導プログラム,職業訓練コースへの参加の
ための入所としても利用されている。
ウ 外来診療
センター内で,
初診から継続して診療を行う。
診療の中で,本人や家族との情報交換や意見交
換を行い,
服薬状況の確認やアドバイスを行う。
診断書や専門的健康報告書の作成も行っている。
エ 往診
センター等の施設まで出かけることが難しい人に対し,投薬等の在宅支援の
ため,定期的な往診や緊急時の往診を行う。本人や家族の生活状況の把握や,
自宅から病院,役所,職業訓練コースや職場までの送迎として利用されること
ある。
危機的状況への介入の際,医療従事者による往診が,近所との紛争の調停的
-354-
な役割を果たすこともある。
オ 利用者別治療作業
本人の生活の問題や状態に対する聴取や検討を目的とするものである。
カ 家族のための治療作業
精神保健センターでは,利用者本人のみならず,利用者の家族に対するサー
ビスも提供している。これにより,治療プログラムへの同意や協力を得られる
こともある。
キ グループ内活動とグループ活動
職員と利用者,ボランティアがグループとなり,社会的なネットワークを構
築し,精神障がいに関する知識を深め,問題への対応能力を相互に改善する機
会を増やすことを目的としている。友人や,職場の同僚,隣人,あるいは,治
療及び社会復帰の過程で重要な役割を果たす人が参加することもある。
ク リハビリテーションと再発防止への介入
社会的協同組合,表現研究所,学校,スポーツや娯楽活動,青少年団体やグ
ループ等を利用し,情報収集や,職業訓練と就職のための活動を行う。
ケ 社会的権利及び機会を活用させるための支援
社会的に最も弱い立場にある人とその家族の利益のための介入プログラムで
ある。社会復帰や職業訓練のための経済的手当の給付や他の団体や施設への利
用者の送迎,財産の運用管理の援助などを行う。
コ 住宅支援
自宅,グループホーム,住宅共同社会,治療的共同社会など様々な居住条件
のもとで,日常生活や社会関係,対人関係などの能力のサポートやリハビリテ
ーションの支援を行う。
サ 助言活動
保健サービスでの介入や,利用者の入院先での診療科での助言活動のほか,
これまでサービスを受給していなかった人との接触・助言活動を行う。
シ 電話
利用者からの報告や,利用者への助言,確認などを行う。
精神保健センターを利用するためには,特別の様式はなく,管轄地区の精神
保健センターに直接申請するだけでよい。本人からの申請だけでなく,家族や
友人,隣人等関係する第三者からの申請も可能である。
精神疾患の程度が軽度の人は,自分からセンターに来ることが多いとのこと
である。
d バルコラ精神保健センターのサービスの特色
バルコラ精神保健センターで,介入の際,特に重視していることは,
「良い関係
性を築く」ということである。これは,精神保健センターは,利用者が,危機を
感じて利用する場所であることから,強制的な手段に流れないためには,良い関
係性を築いていることは非常に重要なことであるとの意識に基づくものである。
また,
ドアが開放されているということが重要であるという考えに立っている。
ここでいう,
「ドアが開放されている」とは,質の良いサービスを提供していると
-355-
いうことを意味するわけではなく,サービス
を必要とする人にいつでもサービスを提供す
るということの現れである。
さらに,
センターでは,
40年ほど前から,
精神障がいのある人の近隣の人に対し,
「あの
人は精神障がいだから」というような偏見を
持たなくなるよう,精神障がいのある人も普
通の人であるということがわかるような講演
会や勉強会を行ってきた。
また,イタリアでは,
「家族」を非常に重要視する文化があることから,バルコ
ラ精神保健センターでは,家族に対するサービスの提供をかなり早い段階から始
めている。
例えば,プログラムの中に,家族の関与を積極的に取り入れており,家族専門
のオペレーターも配置している。
また,月1回,カンファレンスという形で家族を集めて,病気の内容や兆候,
精神障がいのある人が何を必要としているのか,あるいは法的なことの講習を行
っている。
現在,バルコラ精神保健センターが抱えている問題としては,予算の削減が
非常に大きいとのことである。
予算の削減のため,職員の退職に伴い新たな人員を雇うことができなくなって
きており,そのため,職員が順序良く仕事をしていくということができなくなっ
てきている。また,スタッフの数が足りないことから,訪問を必要とする人への
訪問が十分にできなくなってきているということもある。
e センター内の様子
レセプション(受付)
,面談室,
デイホスピタル用の部屋,宿泊用
の部屋,台所,浴室,洗濯室,リ
ラックスルーム,
テラス,
事務室,
薬の保管庫,更衣室などを見せて
いただいた。
レセプションの壁に飾られてい
る絵は,1978年にマニコミオ
(精神科病院)を閉鎖し,当事者
が地域生活を始めた時の様子を象
徴的に描いた絵であり,当事者の
「普通の生活がしたい」という願
いが描かれている。オペレーター
と入院していた当事者が一緒に描
いたものである。
デイホスピタル用の部屋は,1
-356-
日のみの滞在を前提としており,ベッドがない。
宿泊用の部屋にはベッドがある。センター全体で7床ある。たまたま入院中の
女性と話をすることができた。その女性は,
「体調が悪く,自分でこれは薬が必要
だと思ったからここに来た。数日だけお世話になる。もうちょっと遅れたら症状
が悪くなると思ったから来た」ということであった。
洗濯室は,デイケアやナイトケアの利用者のみならず,社会的協同組合で働く
人なども利用しに来るということであった。
リラックスルームでは,数名の利用者が喫煙したり,話をしたりしていた。テ
ラスにつながっており,自由に外の空気を吸うことができる。また敷地に高い柵
などは設置されておらず,周囲の景色を見ることもできる。センター内の廊下の
壁には,当事者が描いた絵が飾られ,明るい雰囲気であった。
センター内の壁が一部すすけていたが,これは,オペレーターによれば,以前,
利用者が手を洗った後に使う乾燥機に火をつけ,ボヤになった時の名残というこ
とであった。オペレーターが強調していたのは,
「他の国ではライターなど危険と
思われるものを全て取り上げるが,ここではそういうことはしない。センターの
利用者は,金属製のナイフやフォーク,ライターなど,普通の家庭でも用いられ
ているものを普通にセンターでも使う。危険だといってそれらを取り除くという
ことではない」ということであった。
センターの隣にはトリエステに一つだけある5つ星のホテルがある。ホテルが
5つ星になったのはセンターが建った後のことである。現在に至るまでホテルを
含め,近隣と何らかの問題が起きたことはない。
(3)マジョーレ病院
a 視察概要
日 時:2014年4月2日 午後2時から3時30分
対応者:看護師コスロビッチ・ロレーラ(Coslovich Lorella)氏とアマディ・ア
ンジェロ(Amadi Angelo)氏
b 訪問先概要
マジョーレ病院は,県内で唯一措置治療(TSO)を行っている病院である(VIA
PIETA 2 1piano OSPENALE MAGGIORE 34100 TRIESTE 所在)
。
ア 病院の体制
一般外来(通院)
,訪問外来,夜間緊急時対応,入院(任意入院,強制入院=
TSO)を行っている。他所で治療中であっても,誰でもいつでも受診できる。
ベッドは6床で,24時間体制が採られている。視察当日は TSO の対象者が
1名で,任意入院が2名いた。
スタッフは,精神神経科の医師が1名,看護師が2名で1日3交代のローテ
ーションが組まれている。精神保健センターに心理学士がいるが,外部から来
てもらうこともある。精神保健センターとの連携は密にしており,とくに夜間
救急で入院になったようなケースでは,基本的には翌日センターが治療方針を
決める。
-357-
イ TSO について
TSO とは,他害行為など重症な場合に本人の意思に反して行われる入院をい
う。強制的な機関に連れてこられることもある。
TSO による入院期間は1週間が上限だが,再度の申請は可能である。ただし,
TSO を繰り返すケースは稀であり,病院としても避けるようにしている。
TSO 入院中に医師の判断で面会や通信が制限されることもあるが,患者の権
利擁護者に会うことはでき,電話も制限されない。
ウ 方針
入院に対しては抑制的であり,重症かつ緊急の場合のみ入院する。
とくに TSO は強制的なものなので,なるべく任意入院の形をとり,TSO は
最後の手段として必要最小限の利用にとどまるようにし,TSO による入院後も
なるべく任意入院に切り替えるようにしている。
退院の時期は,患者の立場に立って考える。入院中は家族的な雰囲気の中で
過ごせるよう努め,患者と対話して退院を進める。面会も可能である。
エ 実情
入院期間は病気の状態によって異なるが,若年で初発の場合は長くなる傾向
にある。治療中断があり,病状が悪化して再発した人も長くなる傾向にある。
しかしながら,あくまでも基本は入院はなるべく回避するという姿勢であり,
他の病院や施設につなげることはせず,地域とのつながりを失くすようなこと
にはならないようにしている。
1978年に制定された180号法による医師の大きな変化として,患者を
普通の人間として扱う,尊厳のある扱いに変わったことが挙げられる。看護師
にも,患者の人としての尊厳を尊重する役割があり,重症の場合でも,患者を
縛りつけたり隔離することはない(他害行為のリスクがある場合に警察を呼ぶ
ことはある。
)
。入院時も一般の救急車で運ばれてくる。
c 見学記録
ア 病室
病室は,日本の病院にありがちな
真っ白い無機質な部屋ではなく,壁
精神科の廊下
病 室
-358-
には大きく明るい絵が描かれ,滞在するための居室といった家庭的な雰囲気で
あった。女性部屋と男性部屋,一人部屋と二人部屋があるが,各部屋にトイレ
は設置されており,患者が自分のことは自分でできるようにされている。窓は
内側にしか開かないようになっている。
イ その他のスペース
支援スタッフと会議をする会議室があった。
相談室は,昼夜問わず緊急機関から受け入れの相談を受け付けるようになっ
ていたが,緊急事態でなくとも,気軽に相談し,話を聞けるようになっていた。
鍵がかかるのは薬剤の管理室のみであった。
(4)知的・発達障がいデイケアセンター
a 視察概要
日 時:2014年4月3日 午前10時から11時
対応者:コーディネーター:エリザヴェータ氏,エデュケーター:パオラ氏
b 訪問先概要
トリエステではなく,また当初の視察計画では予定されていなかったが,ヴェ
ネチアにあるデイケアセンターへ急遽視察できることになった。ヴェネチアは,
トリエステから比較的近くに位置し,水の都として観光で有名な都市であるが,
観光スポットから少し路地に入ると住宅がひしめき合っており,本施設もその一
角に設置されていた。
この施設では,知的障がいのある人,自閉症や精神障がいのある人を対象とし
ている。ダウン症の人も含まれている。精神障がいだけの人は,精神保健局が対
応しているので,この施設では,知的障がいを伴う人を主に対象としている。
現在は,18名の利用者がおり(定員は24名)
,現在は20歳から62歳(施
設としては18歳から64歳まで対象としているが)の人が利用されている。男
女比としては同程度である。
本施設はヴェネチア保健福祉局が運営しているが,本施設以外の他の15ヶ所
のセンターは民間が参入して費用を市と保健福祉局が共同して支えているという
形で運営されている。他の施設では利用待機者がいるところもある。
日中活動の内容は,週間活動として,陶芸,庭仕事,ペインティング,手帳等
の製作,料理,運動,音楽等のラボラトリーを行っている。
活動時間は,平日,9時から15時15分までである。
職員は,3人のエデュケーター(オペレーター)
,10人の保健福祉士,1人の
コーディネーターがおり,保健福祉局に所属している。エデュケーターが18人
分の支援計画を立てている。
施設自体は,1994年2月に設立された。設立するに際しても,地域からの
反対はなかった。地域の人達との交流があるわけではないが,市場へ買い物に出
かけたり,展覧会を見に行ったり,公共のプールで泳いだりするなど,施設内で
の活動のほかに,地域に根ざした活動を心がけている。
家族とは,保護者会と週1回面談をするなど,定期的に個人面談をするような
-359-
形で連携を取っている。オペレーターとの会議や,毎日の連絡も行うようにして
いる。
利用者は,
「労働」として働くことはできないが,国からの補助金と私人からの
寄付金をもとに,保健福祉局から賃金が支払われることもある。
宿泊できるような設備は備えていないが,隣接したところにコミュニティーと
して住居型の「レジデンス」があり,家族とともに住めない人がそのようなレジ
デンスを利用することはあるが,現在デイケアセンターの利用者でレジデンスに
住んでいる人はいない。
施設は,市と保健福祉局のサービスとして提供されており,利用者は利用料を
支払う必要はない。家族からの依頼によって利用することが多く,利用者の中に
は利用についてあまり気が進まない人も居る。
高齢のために本施設を利用できない人は老人ホームを利用している。
c 施設内見学
台所では,3~4名が活動し,ボランティアの女性が来られる。重度障がいの
ある人のための,移動式ベッドを備えた部屋もある。本施設は以前小児科病院と
して利用されていた場所を利用している
(ヴェネチアでは,
過去には各小さな島々
に病院が存在していたそうである。
)ので,風呂場,トイレなども引き続き利用さ
れている。畑や陶芸用の部屋も備わっている。このセンターの建物の周りには,
ホームレスセンターや幼稚園など,いくつかの福祉施設が集合している。
d 感想
このデイケアセンターには,日本でいう生活介護の場(いわゆる作業所)と非
常に似たような設備が備わっており,
また活動内容や制度としても共通していた。
スタッフが各利用者に合わせて密な取組をされている点は非常に興味深かった。
労働者性が否定されているなど,同じくイタリア北部に位置しているが,ヴェ
ネチアとトリエステとでは,実際の取組内容に差があるように感じた。
4 まとめ
権利条約12条は法的能力の平等性を定め,権利条約14条は市民的自由の平等な
享受という視点から「いかなる場合においても自由の剥奪が障害の存在により正当化
されない」と定めている。さらに,権利条約14条は障がいのある全ての人に対し,
包容性のある(インクルーシブな)地域社会での生活を実現する視点から,障がいの
ある人が
「他の者と平等の選択の自由をもって地域社会で生活する平等の権利を認め」
,
「居住地及びどこで誰と生活するかを選択する機会を有すること,並びに特定の生活
様式で生活するよう義務づけられないこと」を定めている。
権利条約が精神医療福祉分野で求めている改革の目標地点は明確である。法的能力
の平等性の要請は,精神障がいのために同意能力が欠けていることを前提とする現行
精神保健福祉法の医療保護入院
(同法33条)
を根本的に変革することを求めており,
障がいを理由とする自由剥奪の禁止は,精神障がいのある人であることを自由剥奪の
大前提とする医療保護入院及び措置入院(同法29条)などの強制入院を廃止すべき
か否かという根本問題を私たちに突き付けている。包容性のある地域社会での生活を
-360-
する権利の保障は,長期大量の入院者を保有し続けている現状を速やかに改め,治療
のためではなく社会資源の乏しさゆえに退院できないままに病院に残留している7万
に近い社会的入院者を遅滞なく地域生活に戻し,入院に依存しない地域医療を実現す
ることを求めている。
権利条約を批准し権利条約が国内法的効力を持つに至った現在,問題の焦点は改革
の目標地点を定めることではなく,いかにして目標地点に到達するかという戦略と戦
術を練り上げることにある。こうした問題関心から私たちは,精神科病院に対する依
存を絶ち,決然と精神科病院を廃止して地域医療福祉を実践してきているイタリアの
実情を調査することにした。
イタリアの実践については既に文献報告などもあるので,今回の調査ではそれらを
もとにさらに踏み込んだ実態を法律実務家の目で掘り下げて見聞することにあった。
その成果については各報告の内容のとおりであるが,入院に頼らず,強制力の行使に
頼らない医療福祉が現実に可能であることは30年近い実践の中で十分に実証されて
いるということである。そこでは精神障がいのある人の人間性を究極まで尊重し,安
心して関われる接し方をすれば必ず理解と信頼を得られるという信念に支えられた医
療と福祉の実践があり,その信念は実践の中で単なる理想ではなく,現実に可能な政
策であることを証明している。イタリアの実践は現実に例外なく本人の自己決定を支
えながら必要な医療と福祉を提供することができる社会を実現させている。
日本の精神科病床数は全世界の精神科病床数の約2割を占めるほど肥大化しており,
強制入院率もOECD 諸国の約4倍多用されている。
日本の現状は21世紀に至っても,
依然として施設強制収容中心主義にとどまっており,先進国,文明国として恥ずべき
状態にとどまっている。
今回の調査報告を権利条約の完全履行のために役立て,条約批准2年後の日本政府
報告の際に国際的非難を受けることのない実践的な改革を急速に進めていくことを期
待したい。
Ⅴ 司法
1 イタリアにおける刑事司法と福祉
(1)イタリア刑事司法の特徴
イタリアの刑事裁判制度は日本と同様,三審制をとっている。第一審は治安判事
若しくは地方裁判所,控訴審は控訴院ないし重罪控訴院,上告審は破毀院がそれぞ
れ審理を行い,判決を下す。
注目すべきは,イタリア刑事司法において,判決と刑の執行との間に,もう一つ
別の裁判所による手続きが介在するという制度となっていることである。ここにイ
タリア刑事司法の大きな特徴がある。その裁判所の名を矯正処分監督裁判所
(Tribunale di Sorveglianza :TDS)という。
イタリアでは,自由刑が宣告され,確定するとその殆どの刑の執行がほぼ自動的
に検察官によって停止され,この間に拘禁代替刑が検討される。矯正処分監督裁判
所は,この代替刑の具体的執行方法を検討するために審理を行う。
-361-
刑が執行されている受刑者については,司法省の機関である社会内(施設外)刑
執行支援事務所(Ufficio Esecuzione Penale Esterna:UEPE)が社会調査を実施し,医
療的又は福祉的な措置が必要な受刑者については自宅拘禁(公的施設への拘禁を含
む)といった拘禁代替刑の必要性について検討し,その結果を社会調査報告書とし
て矯正処分監督裁判所に提出する。矯正処分監督裁判所は,刑務所内の処遇にも関
与することができるところに日本の保護観察所との違いがある。
イタリア憲法27条において,刑罰は人道的なものではなくてはならず,更生を
目的とすべきことが定められており,同条の趣旨を実現するため,このような処遇
が定められている。
※ 参考 手続の流れ
刑務所
拘禁刑の宣告
破棄院
控訴院
地方裁判所
治安判事事務所
収容(執行停止)
社会内刑執行支援事務所
受け皿確保
判決手続
社会内処遇
(NPO,福祉サー
ビスの支援)
社会調査報告書
代替刑の選択
矯正処分監督裁判所
法曹
(2)矯正処分監督裁判所(TDS)
矯正処分監督裁判所は,2人の職業裁判官,1人の臨床心理士,犯罪学者又は福
祉専門家,1人の医師又は精神科医師の4人で構成される。
矯 正 処 分 監 督 裁 判 所 の 下 部 に 配 置 さ れ る 矯 正 処 分 監 督 事 務 所 ( Uffici di
Sorveglianza)に常勤する裁判官が,受刑者へのインタビュー調査を行い,施設に対
して処遇変更などの勧告を行うことができるようになっている。
矯正処分監督裁判所における拘禁代替刑の検討は,原則として本人の申請を受け
て開始される。矯正処分監督裁判所自身が受け皿(処遇先)を見つけてくることは
なく,本人,弁護士が受け皿を探してこなければならない。
もっとも,
受け皿確保については,
後述の社会内刑執行支援事務所が支援を行う。
受刑者は刑が確定後,刑務所の臨床心理士や教官,ソーシャルワーカー,医官との
インタビューを求めることができ,その際に,拘禁代替刑や受け入れ先についての
情報を入手することができる。
(3)社会内刑執行支援事務所(UEPE)
社会内刑執行支援事務所は,矯正処分監督裁判所と同様,更生・社会復帰を促進
するために設けられた機関である。司法省内の組織であり,社会内での処遇,支援,
-362-
すなわち社会資源の調整を担当し,刑務所とは別の組織であるということから,日
本の保護観察所とも類似しているが,最大の違いは,刑務所内にも自由に行き来す
ることができ,刑務所と外部の社会資源を直接つなぐことができる点にある。
社会内刑執行支援事務所の業務としては,下記のものがある。
① 被収容者の家族に対する支援
② 拘禁代替刑に関する調整と矯正処分監督裁判所に対する社会調査報告書の
作成
③ 釈放者等に対する社会復帰のための支援
④ 被収容者や社会内処遇の対象者に対する社会資源の調整
Ⅰ 刑務所内での処遇プログラムの関与
Ⅱ 代替刑を受けている人の支援,監督
なお,社会内刑執行支援事務所は地域,民間の団体とも協力を行いながら,受刑
者の支援を行い,矯正処分監督裁判所に生活状況を報告する。例えば,拘禁代替刑
を執行されている触法精神障がい者に関しては,地域内でのケアを行う地域精神保
健サービス(Ambulatrio)が社会内刑執行支援事務所,矯正処分監督裁判所に受刑
者の状況を報告する義務を負っている。
また,薬物等の依存症者に対しては地域依存症サービスによる支援があり,触法
障がい者への就労支援については,
社会的協同組合などが触法障がい者の受け入れ,
支援を行っている。
(4)今回の視察にあたって
イタリアの触法障がい者等への処遇に関する制度を考察すると,①判決後の更生
にむけた処遇を実現する矯正処分監督裁判所が作られ,本人の更生を考えながら刑
の具体的な執行形態を選択する,②さらに,司法省管轄下に刑務所内の処遇と社会
内をつなぐコーディネート機関である社会内刑執行支援事務所が存在し,刑務所内
に自由に入りながら社会内での生活調整を行うとともに,矯正処分監督裁判所に対
して社会調査報告書を作成提出し,
社会福祉的な視点を刑の執行に取り入れられる,
③社会内の受け皿として NGO,地域の教会を中心とした多くの支援団体が活動して
いるため,犯罪者の受け皿に対する反対運動が起こりにくい,といった特徴を見る
ことができる。
上記イタリアの制度は,日本における刑事司法と福祉の関係においても,きわめ
て示唆に富むものといえる。触法障がい者に対し,判決手続き後も福祉的なアセス
メントを実施し,適切な社会関係調整を行った上で地域に戻ってもらうということ
は,障害者権利条約13条,19条の見地からも要請されているところである。
本視察においては,上記制度の一翼を担う社会内刑執行支援事務所(ボローニャ
市)を訪れる機会を得て,その実情に関しヒアリングを行うこととなった。
<参考資料>
浜井浩一『罪を犯した人を排除しないイタリアの挑戦「~隔離から地域での自立支援
へ」
』
(現代人文社,2013年)
-363-
2 各現場の現状と取組
(1)カリスティローネ司法精神科病院(CASTIGLIONE DELLE STIVIERE)
a 視察概要
日 時:2014年4月1日 午後2時から5時30分
対応者:女性棟の責任者 リベリーニ ジャンフランコ医師
経理担当 マリア氏
b 司法精神科病院についての説明
司法精神科病院は,司法省の管轄下に属するいわゆる保安病院である。
イタリアでは人が罪を犯し裁判が行われる時点で,精神的な疾患によって判断
能力に問題があると判断されると,罪の軽重にかかわらず,司法精神科病院に収
容される。イタリアでは罪を犯した人に対し刑を科す。そのためには自分が悪い
ことをした,例えば盗んだ,それに対し刑に服する,ということをわかる精神状
態でなければならない。ゆえに,罪を犯した本人が罪を犯したことが分からない
精神状態であれば,国は罰することはできない。
精神を病んでいたら,国はその病を治療する。ここに来る患者に対し,病院は
治療をしなくてはならず,
国はその治療が有効であるか判断しなくてはならない。
このシステムの目的は,患者が治療により良くなり,社会に復帰したときに罪を
犯さない状態となることであり,罪を犯さない状態となるかどうかが有効性の判
断基準となる。
当院は病院ではあるが,刑務所と同じように患者の生活を管理しなくてはなら
ない。電話,外出,面会してよいか,その回数などは,全て裁判官に命ぜられた
とおりに管理する。管理の基準は法定されているが,病院の中なのであまり厳し
くはしておらず,精神的に問題のある患者が必要としていれば,例えば週1回し
か電話をしてはならないとされていても病院の判断で週2回とすることも可能で
ある。その場合,病院は責任を問われることはない。
また,病院側の判断で変更できる事項もある。例えば,電話を使ってはいけな
いなど社会から切り離した生活をすることに関しては法律で決められているが,
患者の外出などについては病院から裁判官に提案し,判断を伺う。
患者にとっては義務と権利があり,義務に関しては,病院が患者に義務を行わ
せなければならない。権利に関しては,病院が患者の権利を侵害した場合,患者
から裁判官に訴えることができる。病院側も自由に患者とやりとりをするのでは
なく,あくまで司法に従った上で,治療をする。例えば,病院側の判断で,入院
する必要がないと決めることはできないが,患者にとって会わない方がよい人が
いた場合,
裁判官に理由とともに申出ることによって,
何か月は面談を禁止する,
という決定が出る。病院側が勝手に面談禁止を決めてはならない。
c 訪問先概要
ア イタリア全土に司法精神科病院は6つあり,当院はその一つである。
当院は,女性棟が1ヵ所,男性棟が3ヵ所ある。それぞれの部門に医師,看
護師,心理士,教育担当,精神保健福祉士がいる。
基本的に280~290名の患者を収容している。女性が約90人,男性が
-364-
190から200人である。
入院患者の平均年齢は40
歳である。
治療を受ける期間は平均し
て約3~4年。
入院患者の25%が殺人犯
である。60%が人に対する
罪を犯した人(殺人,殺人未
遂,
傷害,
女性に対する暴力,
子どもに対する暴力)
である。
女性のうち,自分の子どもを
殺した人が10人いる。
44%が統合失調症,30%が躁鬱病,20%が人格障がい,残り10%は
複雑な状況の方で,発達障がい,てんかんで病状によって精神障がいが出てし
まう場合などである。
イ 以下のとおり,3つの治療方法で治療をする。
① 薬剤
② 心理療法
③ アクティビティによるリハビリ(詩を一緒に読む,劇を見せるなど)
。
ウ 2013年では180人の患者が入院し,約80人が退院した。治療の結果
が十分であると裁判官が判断した場合に退院する。退院した人の多くはその後
も小さい施設に入って治療を受ける。治療は,自分の意思で治療する場合もあ
るが,この病院から出た後も裁判官が治療を続けさせる場合がある(TSO=強
制的治療(本人の意思に反する治療)ではない。TSO は罪を犯していない人に
対し,短期の治療を強制する際に使うものである。
)
。イタリア中から6ヶ所の
司法精神科病院に集中するので,司法精神科病院で長い時間治療を受け,同病
院を出た後に,自分の町に戻ってそこの施設で治療を受けるということに意味
がある。
エ 当病院全体で250人が働いている。内訳は,医師13人,心理士3人,看
護師52人,教育士5人,保健福祉士4人,加えて社会保健オペレーター10
2人(基本的に患者のそばにいるが,看護師のサポートをする。学位は不要。
)
。
看守,刑務官はいない。1年間で1000万ユーロ(予算全体の中の人件費)
の費用がかかる。
d 質疑応答
Q 日本の医療観察病院は一般の精神科病院と比べ非常にお金をかけている。イ
タリアではどうか?イタリアでの患者一人あたりの予算は?
A 病院全体の年間予算は1700万ユーロ。患者一人あたりいくらかという計
算はしない。イタリアは経済的に苦しいので,年間予算の中でやりくりしなく
てはならない。患者が多い時期も同じ予算でやりくりしなくてはならない。治
療に対する費用は削れないため,掃除費用,車の修理・買い換え費用などを削
-365-
りやりくりをしている。
Q 法180号の施行前後で司法精神科病院の入院患者数等に変化はあったか?
A 法180号は精神障がいがあって罪を犯していない人に対し適用されるもの
なので,この病院とは関係ない。
精神科病院があった1978年当時,イタリア国内の精神科病院の患者数は
約7万5000人だったが,今現在は,精神病の患者数がどのくらいかわかり
にくい。というのも,精神科病院があった時点では入院患者数を数えればよか
ったが,今は治療方法が変わり,できるだけ在宅で治療をすることになった。
このため正確に精神障がいのある者の数を数えるのが難しい。1978年当時
とは社会が大分変わったので,
個人的には全体的に増えたのではないかと思う。
実際,最初の法180号が施行された当初5,6年は,イタリア全体の司法
精神科病院で入所する患者数が増えた。1980~1985年のあいだに約2
0%増加した。
イタリアには6つの大きな司法精神科病院があるが,それ以外に地方の施設
があり,自由だが監視の下で治療を受ける方法もある。裁判にかかっても必ず
司法精神科病院に入るわけではなく,程度等によって違うシステムで治療を受
ける場合もある。地域での治療がうまくいくかどうかによって,司法精神科病
院に入所する患者の人数が変動する。
Q 先ほど当初20%増えたといわれたが,その状態で落ち着いているのか,減
ってはいないのか?
A 20%増え,その後少しずつ減り,現在は落ち着いた状態で,6つの病院合
わせ1000から1200人の患者がいる。
実際イタリアでは,病院に収容されていないが精神的問題を抱えている人た
ちが刑務所に入っている。
というのも司法精神科病院に患者が入院することは,
国にとっても金銭的負担となるので,精神に障がいのある人が必ずしも全員司
法精神科病院に入院するとは限らない。
Q 法180号後,地域精神保健サービスが発達し,在宅での治療が豊かになっ
てきたと聞いている。退院後も司法精神科病院との連携があり,継続した治療
を受けられることから,罪を犯す人も減っているのではないか。
A 退院したあと,地域の施設でさらに治療を続け,犯罪が減っていることは確
かである。今後司法精神科病院をなくした後,増えていくのが地域精神保健セ
ンターであり,10万人につき1つの施設を作る予定である。州に一つと言っ
たが(以下の「地域精神保健センターへの移行」
)
,人口により複数設立される
こともある。
Q 地域の施設というのは,入院する施設のことか,それとも治療共同体のこと
か?
A 地方公衆衛生局(Azienda Sanitaria Locale,ASL)というのが管理している機
関である。予算は国と州から出る。地方公衆衛生局の中では,依存症対策部,
精神保健部(DSM)が実際の事業を行う。例えばロンバルデア州には13の市
があり,地方公衆衛生局は13機関ある。治療機関の数はどのように決まるか
-366-
というと,精神保健部は住民人口10万人に付き1つ設置される。精神保健部
1つに対し,必ず1つ精神障がいの部門が設けられ,最高で15人の患者が入
る。ここで TSO(前述)のケースを扱う。SPDC とは精神障がいに関する治療
サービスを扱う部門のことである。
Q 病院の治療という概念は文化のあり方と結びついているが,治療概念,治療
のあり方が変化をしているのか?
A 職業訓練を受けさせる,表現アートに関わらせる,文章を書かせるなどのサ
ービス(心理社会サービス)を行っている。院内の約90%の患者が裁判官の
許可を受け,毎日100キロの範囲内で外出することを許可されている。そう
いった患者に対してはいろいろなプログラムを提供することができる。サッカ
-,卓球,バレーボールなど地域のチームの練習に参加をしに行く,逆にチー
ムが病院内に来て一緒に活動することもある。外出するときはスタッフが同行
する。
Q 地域精神保健センターへの移行に関してはいかがか。
A 2013年イタリアでは法律が制定され,1年間のあいだに6つある司法精
神科病院を閉鎖し,各州に1つの地域精神保健センター(内情は司法精神科病
院と基本的に変らない)を開くことにした。
私たちとしては今回の国の判断に賛成である。今の状態だと,かなり遠いと
ころからも患者が来るので,退院時や家族との距離という問題がある。施設の
数を増やし,施設1つあたりの患者の数も減らせば,効率的に治療を行うこと
もできるのではないかと考えている。
その法律は2014年施行であるが,実際は時間的に間に合っていない。さ
らにこの1年をかけて6つの病院を閉鎖し,新しい病院へ移行することになっ
ている。ただ,具体的にはまだ何も動いていない。
司法精神科病院を閉鎖して地域精神保健センターに移行する背景には,もと
もとイタリアでは,1980年代,一般の精神科病院においても,数少ない精
神科病院に大勢の患者が集まるという,今の司法精神科病院と同じような状況
があった。それが80年代半ばにかけて,治療機関を作るなど地域で治療して
いこうという大きな変化があった。それを司法精神科病院にも適用していこう
ということにある。罪を犯す精神疾患を持った人が増えたからということでは
ない。
地域精神保健センターの規模は,最大で20人である。
Q 司法精神科病院はイタリア全土で6つ,ここカリスティローネ司法精神科病
院で280人収容されているが,そのような小さな施設で足りるのか?
A 思ったとおりに機能するかはわからない。精神状態が不安定な入院してきた
ばかりの患者に対する治療や対処,精神状態が落ち着いている退院直前の患者
への対処など,精神状態にあわせた対処が必要であるが,ここは大きい施設な
ので対応可能である。精神状態の異なる患者を20人規模の小さな施設で一緒
に扱うことは困難なのではないか。
e 施設見学
-367-
入り口では,パスポートを預けたが,特にセキュリティチェックを受けること
はなかった。入ってすぐのところに,大きな食堂のような部屋があり,そこで,
患者と家族が面会をしていた。個別の仕切りはなく,皆で,それぞれ談笑してい
た。特に監視をする人がついているようにも思えなかった。
事務棟で説明を受けた後,患者がいる棟に案内してもらった。男子棟と女子棟
との間は,網のフェンスで区切られ,フェンスの門は施錠されていたが,個々の
建物は施錠されていなかった。
男子棟のカフェには,
女性の患者も多数来ており,
お茶を飲んでいるカップルもいた。処遇が進んでいる患者は,昼間は男女混合で
過ごしているとのことであった。患者はお国柄か,フレンドリーな人が多く,一
生懸命英語で話しかけてきてくれた。
セキュリティが厳重で,本人に会うまでにいくつもの鍵を開けてもらわなけれ
ばならない日本の医療観察法の精神科病院とは,かなり印象が異なっており,と
ても開放的であった。
ただ,法律上は,1年以内に閉鎖することになっているというのに,職員もあ
まり気にしている風でもなく,その気配はまったく窺われなかった。
(2)ボローニャ社会内刑執行支援事務所(UEPE)
a 視察概要
日 時:2014年4月4日 午前10時から午後3時30分
対応者:所長 アントニオ氏
b 訪問先概要
ア 社 会 内 刑 執 行 支 援 事 務 所 と は , 矯 正 処 分 監 督 裁 判 所 ( Tribunale di
Sorveglianza:TDS) からの要請で,拘禁の代替刑を決めていく司法省の機関で
ある。日本の家裁調査官が行っているような社会調査を実施する。医療的・福
祉的措置が必要な受刑者については自宅拘禁等の拘禁代替刑の必要性を検討し,
その結果を社会調査報告書として矯正処分監督裁判所へ提出する。
日本の保護観察所と類似しているが,社会内刑執行支援事務所は刑務所内で
の処遇にも関与し,直接受刑者と関わりながら支援が進められる。
イ 矯正処分監督裁判所は,判決と刑執行(刑務所送致)との間に,宣告刑の具
体的な執行方法を検討する裁判所である。イタリアでは,自由刑が宣告され,
確定すると,受刑者の申請によりほぼ自動的に(形式的には検察官の権限)
,ほ
とんどの刑の執行が一時的に停止されて,その間に拘禁代替刑が検討される。
ウ イタリアでは,刑が執行されるか否かについて次の3段階がある。
①刑が決まった段階で刑務所に入って刑が執行される
②刑が決まった段階で,代替拘禁を選ぶ。
③刑執行中(刑務所在監中)に申請することもできる。
エ 拘禁代替刑としては,5種類のものが有る。
①ソーシャルワーク(保護観察の下での社会奉仕)
ベルルスコーニ元首相が選択したものである。
②自宅拘禁(福祉施設含む)
③保護観察
-368-
④部分拘禁
⑤社会奉仕~ソーシャルワークと社会奉仕は全く別のもの。
オ 代替刑について
保護観察をするには刑が4年以上であってはいけない。刑が4年以内であれ
ば保護観察が可能となる。
実刑中の場合,残りの刑期が4年以内であれば保護観察に変えることが可能
である。
ただ,麻薬,アルコール中毒の依存症の場合は,実刑の年数,又は残った服
役年数が6年以内(
「4年」ではなく「6年」
)となる。こうした依存症の場合
は,特別な機関により治療のプログラムが決められることが前提。
地方公衆衛生局(Azienda Sanitaria Locale:ASL)下にある地域保健センター
が司法機関と共に依存症の治療プログラムを決めている。地域保健センターの
方で本人を治療するのに適切であるかの判断を下す。
治療方法としては2つの方法がある。1つは,コミュニティーに入って薬物
やアルコール依存から抜けること。2つ目は,自宅に帰り,専門家の助言を受
けながら治療をする。どちらも定期的な検査(尿検査)を行い,薬物やアルコ
ールを摂取していないか検査を受ける。
治療のプログラムと同時に,矯正処分監督裁判所で決められた規則に従う必
要がある。規則とは,例えば21時までに帰宅しなければならないとか,犯罪
に関わった人間と会ってはいけないとか,在住の市から出てはいけない(行動
の範囲)など,さらに治療プログラムに沿った生活をしていく。このプログラ
ムや規則を社会内刑執行支援事務所で監督して,裁判所に報告する。
6か月おきにコントロールがあり,代替拘禁の間に遵守した生活をしていれ
ば,
社会内刑執行支援事務所と裁判所との判断で刑期が短縮されることがある。
基本的には1年間に3か月が短縮される。
保護観察(代替刑)の期間が終了した時点で,この事務所から,同時に専門
機関(地方公衆衛生局)の両方から裁判所へ報告書が送られる。刑期の間,受
刑者がどのような行いをしてきたかが確認され,最終的に,裁判所で OK がで
れば刑が終了したことになる。
裁判長,裁判官,二人の専門家の判断により終了が認められる。
カ データ
イタリア全土で,2014年3月末段階で,代替拘禁を受けている者は3万
53人である。内訳としては,保護観察が1万1234人,自宅拘禁が1万1
52人,部分拘禁が815人,社会奉仕が4628人,監督処分が3005人,
その他219人(2010年1月31日現在)である。
実刑を受け,刑務所に収容されている人は,6万167人(2014年3月
31日現在)である。したがって,代替拘禁を受けている人を合わせると,全
体で約9万人が実刑の宣告刑を受けていることになる。ただ,イタリアでは毎
年250~300万件の犯罪(全ての犯罪)がある。イタリアの人口は約60
00万人である。
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保護観察を受けている人のうち,約4000人が,刑務所の実刑中に代替拘
禁に切り替えられた人である。残りは,実刑に入る前に代替拘禁として保護観
察が選択された数である。
c ボローニャ社会内刑執行支援事務所の概要
ア 管轄と職員構成
ボローニャ市のうち,9万5000人の住
人の地域と,
フェラーラ地区を管轄している。
ボローニャ市はイタリア共和国北部にある都
市で,その周辺地域を含む人口約37万人の
基礎自治体(コムーネ)である。エミリア=
ロマーニャ州の州都であり,ボローニャ県の
県都でもある。フェラーラは,イタリア共和
国エミリア=ロマーニャ州に属する県のひと
つである。
職員構成は,12人のソーシャルワーカー
が所属している。そのうち,フェラーラ管轄
のソーシャルワーカーは4人である。心理士
が2人,会計が2人である。そのほか,警察官が2名配置されており,こちら
でのデータを管理している。
なお,イタリア全体では社会内刑執行支援事務所事務所で働いているソーシ
ャルワーカーの数は約1000人である。スタッフの数が圧倒的に足りないと
のことである。
イ 取扱件数
ⅰ 保護観察:230人。
ⅱ 自宅拘禁:160人。身体や精神的な障がいがある人が多い。許可を受け
れば外出が可能である。その場合,例えばボランティア活動に必要な時間と
して1日2時間~4時間等の条件がつけられる。外出許可は代替拘禁が決ま
る前の段階でその人の人格等を考慮して決められる。基本的に外出時に付添
があるということはない。
自宅だけでなく,福祉施設を拘禁場所と指定することもできる。その場合
でも,援助や監督的な役割を果たすのは社会内刑執行支援事務所である。も
し問題があれば,社会内刑執行支援事務所から裁判所へ報告をして,代替刑
の条件を見直しされたりする。
ⅲ 部分拘禁:9人。他に比べて少ない理由は,刑期の半分又は3分の2を過
ぎた人を対象としているためである。朝,刑務所から登校や出勤をして,夕
方刑務所に戻るが,基本的には会社や同僚も知っているケースが多い。代替
刑を決める段階で,環境についても調査する。仕事先等は事前の協議の下で
決める。社会調査報告書で,家族の状況や,生計,刑務所内(期間)におけ
る振る舞いについての刑務官の報告等を資料として,プログラムを決めてい
く。基本的には本人か弁護士から,部分拘禁をしたいという要請があって,
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代替刑が選ばれるので,
仕事先も,自分側で探し
てくるが,仕事先等に候
補がない場合,社会内刑
執行支援事務所が国や地
域の支援を受けているプ
ログラムを紹介すること
になる。
d 代替刑選択の仕組み
ア 代替刑選択の申請
例えば知的障がいがあっ
て,自分でこういう仕事が
したいという希望が言えない場合でも,刑務所内ではエジュケーター等のオペ
レーターがいて,面接で,本人の希望や問題等を話す機会が作られている。一
人の担当者ではなく,複数人が関わることになっているので,希望が言えなく
てそのまま刑務所へ行かされてしまうというケースは少ないと思われる。本人
等の申請がなくとも,周囲が代替刑を提案できないか検討されるような仕組み
になっている。本人の申請がなくても,裁判所による方法の提示はできる。強
制はできないが,本人の同意があれば,代替刑を選択することができる。代替
拘禁の機会が多いのは,イタリア憲法27条(1948年制定)においては,
刑罰は,人道的なものではなくてはならず,更生を目的とすべきことが定めら
れ,それが基本になっているからである。刑務所内でも刑務所外でも,色々な
チャンスが保障されている。
実刑途中で代替拘禁へ切り替えようとする場合,申請権者は本人,家族,弁
護士である。さらに,刑務所自体から,
「刑務所内での振る舞いが良い」ので代
替刑はどうか,と提案するということもある。
矯正処分監督裁判所審理の段階では弁護士が必要的に選任される。自分で弁
護士を付けられない場合,社会内刑執行支援事務所から弁護士を派遣する。年
収制限はあるが,国の費用で賄われる。矯正処分監督裁判所審理は,書類等が
揃っているので,裁判所にいる時間は数分である。それ以前の通常の審理(刑
を決める裁判)は何年もかかる。
イ 社会調査報告書の作成の手順
ⅰ 社会内刑執行支援事務所への依頼経緯
刑務所に入る前の段階で,①裁判所から直接社会内刑執行支援事務所に申請
が来る場合と,②実刑中に刑務所側から社会内刑執行支援事務所に申請が来
る場合の2つのパターンがある。
対象者の名前,住所,刑の内容等の記載された書類が社会内刑執行支援事
務所へ届けられ,調査が開始する。
ⅱ 調査の内容及び手順
社会内刑執行支援事務所で,社会状況,仕事の状況,生計,健康状態等を,
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審理の日までに調査する。
まず,本人を社会内刑執行支援事務所に呼んで面接して,事情を聴く。そ
の後,家を訪問する。そこで家族に会う機会もある。仕事をしている場合は,
仕事先へ訪問する。又は担当者に社会内刑執行支援事務所まで来てもらい,
確認することもある。社会奉仕等,その後どういった施設に送ることができ
るかも考えるので,依存症患者の場合は治療するセンターなど。本人がもっ
ている問題や状況に応じて,施設との連携をとっていく。
ⅲ 代替刑の手順
代替拘禁の申請は本人が直接社会内刑執行支援事務所にきて,弁護士がい
ないけれども代替拘禁の可能性がないかと相談に来るケースもある。弁護士
が代理して申請がある場合もある。本人が相談に来た場合は代替拘禁申請の
援助を行う。
代替拘禁を希望しても,家族がいないとか,家族には頼れない場合,別施
設など,地域の社会内サービス等を使用して,代替拘禁の可能性を探る。グ
ループで生活するような選択も検討する。イタリアでは「家族」が基本なの
で,よほど本人に問題がなければ家族が受け入れてくれるため,家族が「受
け入れたくない」というケースはさほど多いわけではない。
エミリア=ロマーニャ州では,家族等を頼りにできない場合に,コミュニ
ティーへ連れて行って社会保障をしたり,仕事の紹介をしたりして社会内更
生をしようというプログラム(ACERO:アーチェロ~受け入れて仕事をさせ
ようという意味の略語)が導入されている。フェラーラ,リミニ,レッジョ
イミニアの3つの施設がこのプロジェクトに参加しており,現在45名がそ
の施設に入っている。一人当たり,1日45ユーロが刑務所の機関から助成
されている。州からは仕事を与えるための費用が与えられている。この45
ユーロは,コミュニティーの運営費を含めた生活費全般に充てられる。
ウ 保護観察の具体的な方法
面接又は電話連絡は,平均15日おきに行う。問題がある人は頻度も高くな
るので,人やケースによって異なる。
罪を犯し,裁判を経た後,社会内刑執行支援事務所への申請から保護観察の
決定までは時間がかかる。その間で生活が安定して戻っているケースも多いの
で,実は定期的な面接のみで対応できることもある。ただし,問題が大きけれ
ば毎週とか,週2回とか,面談することもある。最近起きたケースでは,本人
から妻に追い出された,どうしようという話もあった。色々な形でフォローを
している。
保護観察をする中で,障がいのある人の割合について,身体障がいや知的障
がいのある人のデータはない。ただ,数は多くない印象はある。それよりも,
依存症のケースが多い。最近はスロットゲーム等の依存症が増えていて心配で
ある。2013年度では,保護観察540人中180人が依存症である。
エ 保護観察中の再犯率
2005年の段階で,再犯率の調査があった。調査方法は,刑務所で実刑を
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済ませたケースと代替拘禁のケースに分けて,5年間の再犯率を調べた。対象
は8800件で調査。刑務所での再犯率は68.7%,代替拘禁の場合の再犯率
は約19%であった。依存症患者の30%が再犯をおかしていた。
オ 刑期満了後の支援
申請があった場合には,服役後又は代替拘禁終了後,6か月間支援を行って
いる。満期終了後も支援を行う理由は,悩みごとを話す必要がある人が多いか
らである。例えば,実刑が終わっても,他のケースで裁判途中である場合もあ
り,そういう相談に関わることがある。又は,実刑中や代替拘禁中に社会サー
ビス(職業訓練等)に関わっている場合に,施設との関わりの仲介を続けてい
くことがある。社会内刑執行支援事務所に来るのは一番弱い層で,移民,依存
症患者,心理的・精神的問題を抱えた人,家族内の問題を抱えた人が来るケー
スが多い。ここで初めて,人として(犯人扱いでも差別扱いもなく)まともな
対応を受けたという人もいる。
カ 精神障がいのある人への支援との関係
基本的に,精神疾患がある場合,司法精神科病院に行くようなシステムにな
っているので,病院にいる間は社会内刑執行支援事務所は関わらない。
ただ,病院で症状が安定してきた場合,又は,あまり症状が重くない場合,
地域生活に移行することが検討される。そのようなとき,精神保健部
(Dipartimento di Salute Mentale:DSM)と連絡をとり,地域生活を調整してい
く。
対象者については,裁判所から,1年に1回,精神保健部と社会内刑執行支
援事務所に連絡が入り,本人の様子を確認し,治療を続けて行くべきか,管理
状態を緩めるかどうかの審理をする。
社会内刑執行支援事務所,精神保健部,警察を宛先にした書面が届くが,対
象者の個人情報,犯罪とのかかわり等が記載され,
「何月何日の審理までに有効
な情報を提出すること」が求められる。
対象者によっては,危険性が続いている場合は,管理期間が延びてしまうこ
ともある。また,病状によっては「完治」という概念がありえないこともある
し(安定という状況はあるとしても)
,薬等で安定しないこともある。そのよう
な場合,管理機関が長期間になってしまう。
依存症については,依存局(DPD)と同じように連携している。
キ 代替拘禁の審理
ボローニャでは週に2回,代替拘禁の審理が行われている。1回に約40~
50のケースを扱っている。
執行猶予に該当する制度はない。代替拘禁中に取り消された場合,残りの刑
が刑務所で執行される。代替刑中に再犯に及んだときには,再度代替刑を受け
られないので,懲役刑に服する必要がある。
代替刑中に規則を破ったときは,社会内刑執行支援事務所へ報告が来る。す
ぐにどうというわけではないが,検査が入る。
ク 代替拘禁の課題
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イタリアの仕組みとして,最初から,宣告刑として「代替拘禁」が言い渡さ
れることはなく,1度刑が出た後に時間をかけて代替拘禁の判断をするという
ものであるので,時間のロスを防ぐという意味で直接代替拘禁を選択できると
よいと思う。
裁判の段階で,被告人の情報が来て,こちらで調査をして,宣告刑の言渡し
の前に,どういった代替刑が可能か,実刑が妥当かの判断ができると良い。
また,いろんな意味で資源が足りない。ネットワークはあるが,もっと資源
があると良い。イタリアはボランティアが充実しているし,質もいいので,ボ
ランティアも人的資源の一つである。例えば,ボローニャでは900人が刑務
所に収容されているが,刑務所内に所属しているボランティアが50人おり,
いろんな活動に参加している。さらに,刑務所を出た後もすぐに問題があった
りするので,ネットワークを利用できる。ボランティアに連絡をして仕事や住
居のあっせんをしている。
ケ 代替刑の期間等
代替刑の期間は宣告刑の期間と基本的には同じである。ただ,減刑の期間が
違うので,結果的に異なることになる。なぜなら,刑務所では6か月ごとに7
5日の減刑がありうるが,代替刑の場合6か月ごとに45日減刑されるからで
ある。
代替刑の審査にはどの程度かかるかであるが,刑務所に入っている人が優先
される。9か月の審査期間が必要となる。そのため,在宅の人は数年判断を待
っている状態である。
その間執行停止されるという仕組みである。
したがって,
10年前に判決を受けた事件で,代替刑を開始する例もある。
代替刑執行中の弁護士の関与は,基本的にはない。たまに「どうしています
か?」という問い合わせがあることもある。矯正処分監督裁判所での代替刑審
判中には弁護士の関与はある。
e 刑務所関連
ア 刑務所内の人の属性
刑務所で実刑を受けている者(約6万人)のうち,約2万人が外国人である。
ボローニャの刑務所には900人の人が服役している。うち,350人がイ
タリア人,500人が外国人である。女性は35人がイタリア人で,30人が
外国人である。ボローニャの刑務所には,毎年約400人の人が入る。
刑務所内には,障がいのある人もいるが,最初から障がいのある人であるこ
とがわかっていれば基本的には代替拘禁となる。自宅又は施設による自宅拘禁
となる。刑務所に入った後の段階で,障がいがあることが確認されれば,その
段階で代替拘禁が選択される。
ただ,裁判所は,障がいや健康の問題がある場合でも,その人自身の社会に
対する危険性と障がいの問題の両方を見て判断する。もし大変危険な人物であ
り,障がいの程度や病気の程度が低い場合には刑務所に送る。例えばパルマの
刑務所には,障がいのある人専門のセクション(身体障がい)がある。同刑務
所には,地方公衆衛生局が管轄する治療と診断のセンターがあり,受刑者の健
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康状態を管理している。なお,基本的には,障がいがあっても刑務所へ送られ
るというのは,精神障がいよりも身体障がいである。
イ 拘禁が繰り返される人
イタリアでも,拘禁が繰り返される人としては,依存症の患者が多い。数日
拘禁されて,
代替拘禁で自宅に戻り,
その間に再犯に及んでしまうこともある。
なお,イタリアでは,犯罪が非常に多いので,勾留場所が全く足りていない
ため,数日勾留して自宅へ戻すことが多い。
ウ 刑務所の事情
刑務所が過剰収容で,足りていない状態である。アルバニア人,モロッコ人
等の移民が非常に多い。イタリアでは当該移民の居住する地域の刑務所へ収監
されるようになっている。EU の裁判所からは,イタリアは刑務所の管理・環
境の状態が悪く,過剰収容であると判断されている。刑務所内の扱いが悪いと
いうことで,申告がされることもある。
知的障がいについて専門性のある刑務所はない。しかし,基本的には,刑務
所内でも,刑務所外で行われている医師や心理士による保健サービスが受けら
れることになっている。ただ,地域差があり,ボローニャはしっかり医師等が
そろっているが,南部では保健サービスそろっていないところもある。
エ 刑務所の地区について
イタリアでは,基本的に,本人の住む地域(州)の刑務所に収監されるよう
にしている。希望を出すことはできる。もっとも,刑務所が過剰収容の状態で
あるので,希望が通らず,遠方の刑務所へ送られることもあるが,それほど多
くはない。
イタリア全土で6万人が刑務所に入っているが,収容可能人数は4万500
0人で,超過収容状態である。そのため,イタリアでも EU でも種々の対策を
講じているが,まだ,功を奏していない。
オ ボローニャ刑務所の医師の内訳
公衆衛生局の担当医師が3人,6名の交替で担当している。それ以外に,精
神科医が3人,感染症に関する医師が1人,心臓疾患に関する医師が2人,産
婦人科医が1人,歯科医が1人,耳鼻科医が1人,採血専門の医師が1人,刑
務所内の麻薬中毒専門の医師が1人である。
f その他
生活保護制度は,イタリア全体で保障されている(住居を与えたり,施設処遇
としたり)が,イタリアは南北で貧富の差があり,その内容が違う可能性はある。
刑務所内の処遇や代替刑執行中について権利を護るための保証人制度がある。
保証人には,弁護士がその役割を担っている。ボローニャに1人,フェラーラに
1人,州に1人,国にもいる。
刑務所処遇に関するテキストがあり,英語版,フランス語版など,数か国語に
翻訳もされている。日本語版はない。
イタリアでは,罪を犯したからというだけでは仕事をクビにできない。また,
移民で違法滞在者であっても,代替拘禁刑中は在留資格があることになり,仕事
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を探したりできる。普通のイタリア人と同じ権利が認められる。代替拘禁期間が
終わると滞在許可がないということになる。
刑務所に在監中でも,市内に出て,落書きを消したり,社会奉仕に従事するこ
とがある。飲酒運転で捕まった時,代替刑として社会奉仕に従事する,というこ
とがよくある。
経済危機と関連して,犯罪が増えてしまっている。10万人に対して,強盗が
12件の割合である。
日本では,刑期を終えた後も仕事に復帰できず,貧困が続いて100円のパン
を盗んでも実刑となってしまうことがあるが,イタリアでも同じようなケースは
ある。イタリアで偽物の「パルマのハム」を作って4か月の刑を受けたという人
もいる。
刑務所から釈放されるとき,
以前は緊急対応用のキットを渡していた。
しかし,
今は経済危機で廃止された。ちなみに,イタリアの人口は6000万人(日本は
1億2000万人)に対して,弁護士の数は25万人(日本は3万6000人)
である。
3 まとめ(感想にかえて)
今回,司法に関して視察したのは2か所であったが,両所とも大変有意義な視察で
あった。
憲法に更生を謳うイタリアの刑事司法の仕組みは,日本のそれとは根本的に異なる
が,障がいのある人が犯罪行為をしたとしても,社会から隔離することなく,それぞ
れの障がいの程度や特性に応じた更生支援を図り,矯正施設によらずに,社会内にお
いて必要・適切な支援に繋げて社会内処遇を行う仕組みは,日本においても大変参考
になると思われる。
特に,代替刑の種類が豊富であって,柔軟であるので,障がいのある人にもそれぞ
れの障がい特性に応じた代替刑対応が可能となっている。また,それを決定するため
に,専門の裁判所である矯正処分監督裁判所が設けられていることも興味深い。
また,イタリアでは,2013年制定された法律で,現在イタリア全土で6つある大
規模な司法精神科病院を閉鎖し,各州に1つの小規模(20人以下)な司法精神科病
院(地域精神保健センター)を置くことにした。保安病院であっても,それまで居住
していた地域から遠く離れた場所ではなく,地域の中に置いて,地域に戻りやすくし
ようというものである。また,小規模にすることで,各人に対してきめ細やかな配慮
が可能となる。一般の精神科病院に遅れること30年ほどでようやく司法精神科病院
でも地域への移行が行われることとなった。ただ,現実には,一般の精神科病院でも
地域差があり,北部のトリエステと南部のナポリではかなり現状には違いがあるよう
である。司法精神科病院についても,今後の法施行後の動きを見ていく必要がある。
なお,今回の視察で,大変印象的だったのは,世界に先駆けて精神科病院を廃止し
たトリエステが,どこよりも治安が良いことであった。夜遅くに,女性や子どもたち
が楽しそうに出歩いているところをよく見かけたが,逆にパトカーや警察官の姿はあ
まり見かけなかった。イタリア全体では,日本に比べて犯罪検挙者は非常に多く,刑
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務所に収容されている者も多いのに,トリエステは,安全な街という印象を受けた。
司法精神科病院への収容者数も,法180号の施行前と後とでは,それほど差はない
という話を聞いたが,精神障がいのある人を閉じ込めておかないと,犯罪が増えると
いうのは,まったくの偏見と迷信であるとの思いを改めて強くした。
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