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震災後の「文化」と藝術による地域創造

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震災後の「文化」と藝術による地域創造
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福島大学地域創造 第24巻 第2号 2013.2
研究ノート
震災後の「文化」と藝術による地域創造
「福島現代美術ビエンナーレ 2012 ∼ SORA ∼」を中心に
―
―
福島大学芸術による地域創造研究所所長 渡 邊 晃 一 Ⅰ,研究の背景と目的
近年,文化庁などの様々な助成事業が示しているよ
うに,地方の大学は地域住民とともに新たな文化活動
を推進していくことが求められている。
そのなかで「芸
術による地域創造研究所」は,福島大学の研究者が中
心となり,福島県内の博物館,美術館,教育機関と連
携しながら,
「芸術による文化活動を通じた街づくり」
「地域の活性化に関する実践的研究」を推進してきた。
その中でも特に重要な役を担ってきた事業に「福島現
代美術ビエンナーレ」がある。
本研究所の主な研究概要
⑴ 芸術文化による街づくりの必要性,街づくりに
催されているヴェネツィア・ビエンナーレに追従する
ように,このような「芸術祭」が近年は世界中で行わ
れるようになった。日本でも越後妻有アートトリエン
ナーレ,横浜トリエンナーレなどが開催されている。
「福島現代美術ビエンナーレ」は,2004年に福島大
学の絵画研究室で始動したものである。他の芸術祭と
異なる特徴としては,本企画がトップダウン的なもの
ではなく,初期の段階から学生が参加し,運営に携わっ
てきた美術展であり,福島県に関係している若手のイ
ンスタレーションの作家を中心に,パフォーマンスな
どの「現場」で鑑賞することに重点を置いた作品や,
子どもたちへのワークショップなど,地域創造と教育
的な意味を結びつけて提示してきた。これまで福島を
拠点に活動してきた若者にとって,最先端の多彩な芸
術(インスタレーション,ビデオアート,パフォーマ
ンス等)を紹介する機会や,若手の幅広い表現活動を
支援する企画はほとんどない状況にあり,福島で広く
多彩な現代美術に触れる機会を作ってきた。
おける芸術や文化の意義に関する理論研究。
⑵ 芸術文化を通じた街づくり・地域の活性化の事
「福島現代美術ビエンナーレ」は2006年以後,福島
県文化振興事業団,福島市写真美術館など,県内の文
化施設の協力によって規模も拡大された。参画者も在
学生や卒業生,福島県内で活躍している造形作家に加
例研究。国内,国外の事例収集,成功要因に関す
る分析研究。
⑶ 県内モデル地域における文化政策研究。文化資
源の洗い出し,ネットワーク化に関する政策研究。
えて,特定のテーマをもとに国内外から著名な作家も
招待するようになった。
「福島現代美術ビエンナーレ2012 ∼ SORA∼」は,
福島大学芸術による地域創造研究所が主催する大規模
⑷ 芸術イベントによる街づくりの実践研究。モデ
ル地域における文化政策と芸術イベントの
展開。
⑸ 学生のイベント体験を通した文化による地域づ
な芸術プロジェクトとして,東日本大震災後にはじめ
て開催されることから復興祈念事業として位置づけら
くり。学習効果の検証。
「ビエンナーレ」とはイタリア語で「2年に1度」
を意味する。
「3年に1度」は「トリエンナーレ」
,毎
れてきたものである。本稿では本プロジェクトがこれ
までといかに異なるものになったのかも検証していき
たい。
年開催のものは「アニュアル」という。1895年から開
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滞在費がかかり,学生やボランティアのサポートも
Ⅱ,研究の内容
容易ではないことも予測された。
経費的な負担が十分に得られない一方で,沢山の
作家からは参加の申し出を頂くようになった。震災
1,地方にとっての現代美術とは?
「福島現代美術ビエンナーレ」はもともと福島大
後の福島という場に意味を見出し,自身の作品制作
と結びつけて社会的な主張を試みる美術家や,福島
の現況に何らかの形でサポートしたい気持ちで参画
学の学生,大学院生,卒業生を中心に構成されてき
た。2004年の初年度は,福島大学が教育学部から人
間発達文化学類に変わる時期でもあり,そこから在
する者,
「福島空港」という展示場所の魅力も加わっ
た。福島出身で,現在は県外の大学や海外で活動を
しているアーティストからも参加したい意向を受け
学生と卒業生の関係を考慮しながら,卒業生も参加
できる大規模な県内の現代美術展という意味合いを
含ませた。さらには福島在住,福島出身の国内外で
取った。結果,2012年は,国内外から同時代の美術
活躍している美術家や,全国の教育学部で絵画の指
導にあたっている教員にも呼びかけるようになり,
その参加者は徐々に広がってきた。
2006年からは,福島県の文化振興事業団が参画し
たことから広範囲に参加作家を募っていった。招待
作家として国際的に活動されている美術家を呼ぶよ
うになった。また福島大学に国費留学生も在学する
ようになったことから,海外からもアーティストが
(2006年には「空」
,2008年
参加するようになった。
は「YAMA」
,
2010年は「HANA」をテーマに,靉嘔,
川口起美雄,吉江庄蔵,佐藤時啓,戸谷成雄,松井
冬子,蜷川実花ほか,海外からもドイツ,ポーラン
ド,アメリカ,中国,バングラデッシュなど,国際
的なアーティストが多数参画して実施されてきた。)
2012年,本展を開催する計画を立てた当初は,こ
れらの広範囲な作家の招待は経済的にも難しいと考
えられた。
「ビエンナーレ」として,これまで継続
的に行われてきた事業であり,震災復興祈念と位置
づけたものの,新たに立ち上げたものではないこと
家150名が参加することとなった。
主な参加作家
岡部昌生,オノヨーコ,河口龍夫,ヤノベケンジ,
八谷和彦,大友良英,大野慶人,浅井信好,舘形比呂一,
椿昇,名和晃平,西村陽平,上田美江子,端聡,港千尋,
今村育子,大黒淳一,國府理,齋藤さだむ,ときたま,
土田俊介,林剛人丸,母袋俊也,荒井経,伊藤将和,
サガキケイタ,Three,清水龍鳳,柴崎恭秀,鈴木美樹,
千葉清藍,登崎榮一,小西徹郎,角田純一,宗像利浩,
宗像真弓,山本小百合,柳沼信之,吉田重信,渡邊晃一,
ド イ ツ /Thomas Bayrle,
Sebastian Stoehrer,Il-Jin
Atem Choi,Yasuaki Kitagawa+,Zero Reiko Ishihara,アメリカ/長澤伸穂,Sheri Simons,カナダ/
武谷大介,バングラデッシュ/ Md, Tarikat,フラン
ス/Marie Drouet,メキシコ/保住将文,SUSANA
CASTELLANOS,MANUEL CUNJAMA,FICHA
TÉCNICA(JUAN RAMÓN LEMUS GUERRERO,
から,復興に関する助成金が得られなかったからで
ある。一方で,これまでの県や市の助成金は,芸術
文化事業に向けることが難しかった。そのような経
済的な状況の中,まずは50名程の数で本企画を開催
CIELO VERTEBRADO,GRÁFICA DIGITAL IN-
するプロジェクトを立てた。
また,これまで開催場所となった福島県文化セン
New York Stony Brook の学生,院生
TERVENIDA CON)
.
福島大学,国際アート&デザイン専門学校,California state University Chico,The State University of
ターは,震災後に建物が大きく崩れてしまったこと
により,使用する目処がつかなかった。そのなかで
福島グローバルロータリークラブの協力が得られ,
福島空港で現代美術展の開催をあらためて考えるよ
会期中,「福島現代美術ビエンナーレ2012 ∼
SORA∼」は現代美術の作品の展示に加えて,シン
ポジウムや講演会,ワークショップ,パフォーマン
スを開催し,幅広い世代が関心を抱き,多くの人々
が交流できる場を設けることとなった。とりわけ今
年は震災後の福島に住んでいる者にとって,夢と活
うになった。しかしながら福島空港での美術展はは
じめてであり,
なかなか計画も進展しなかった。
「空
港」という公共の施設のもつ制約や作家が滞在する
際の調整等の困難さが予想できる。加えて福島大学
力を感じてもらえるような新たな「FUKUSHIMA」
「福島によ
のイメージ作りの一端を担い,「福島の」
から距離が離れていることにより,往復の交通費や
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る」
「福島のための」開催の趣旨を沿って,地元発
信の国際的な芸術祭を展開したいと考えてきた。
ある。三沢は,岡本太郎記念公園が設立され,東北
の墓所として多磨霊園から分骨もされている。古牧
今年度の主な開催主旨は,以下の通りである。
温泉ホテルの創業者,杉本行雄と意気投合した岡本
太郎は,この地に37年間通い続けた。杉本は渋沢栄
一の孫である渋沢敬三の秘書を若い頃つとめてい
①.タイトル SORA
SORAのテーマは,本県出身の高村智恵子によ
る「ほんとの空」から。SORAは,空,宙,天,蒼
穹,太虚などの意味も包含している。震災後,福
た。敬三は,宮本常一,柳田国男と関連する民族学
者であり,衣・食・住・信仰・山樵・農・漁などに
関わる膨大な郷土民具を収集し,小川原湖民俗博物
島第一原子力発電所事故による被災した放射線と
いう「見えないもの」に対する不安気持ちを,
「見
館を建設した。旧南部藩領内の民具1万8千点のな
かには国の有形民族文化財も多い。
東北には豊かな自然環境や史跡,伝統文化,すぐ
れた文化人の足跡が多く残されている。しかしなが
えるもの」の美術を通して対向する意味もある。
②.企画内容の【3つの柱】
A,芸術による「FUKUSHIMA」のイメージづくり
ら今回の震災後の報道では,このような岡本太郎の
足跡をたどる「文化」の情報はあまり伝わってこな
福島に関連のあるテーマの設定
B,福島の産官民学連携による地域文化創造
福島の若手が中心となる芸術企画
多彩な現代美術の紹介
C,福島を拠点とした国際交流と震災復興祈念
福島の未来を展望する活動
かった。
幾度ともなく,陸前高田の松原の一本松が紹介さ
れてきたが,八戸市の八戸港内,種差海岸からウミ
ネコ繁殖地としても知られている蕪島(蕪嶋神社),
気仙沼の広田湾に面した大理石海岸,南三陸町の歌
津総合支所にある魚竜館の話は伝わってこない。何
度も「石ノ森章太郎記念館」を報道で見聞きした一
方で,その向かいにある「旧石巻ハリストス正教会」
の話があげられることはなかった。ハリストス正教
会は日本最古の現存する木造教会であり,山下りん
の聖画が飾られている。
震災後,福島でも沢山の文化史跡が失われた。福
島市でも歴史的な教会や旅館が取り壊された。
福島県には,震災後,立ち入れなくなった史跡も
2,福島の「風」と文化
「問題はいま世界が一般化(ジェネライズ)されてい
るということです。日本で見る光景も,ニューヨークや
バンコクもそれほど変わりがない。
(中略)その虚しさ
をようやく感じつつあるのではないか。
」
(岡本太郎『日本再発見』
)
「福島現代美術ビエンナーレ2012 ∼ SORA∼」
多い。富岡町小浜450の富岡川北岸の台地上にある
小浜代遺跡。大熊町には,歴史の変遷と共にその時
代を生き,昔の生活や風習からその土地や家に生活
した人々によって伝承・口承されてきた民話が70編
は,2011年3月11日に三陸沖で起きた国内観測史
上最大の地震によって大きく予定変更を余儀なくさ
れた。その主旨内容を再起していく上で,新たな基
盤を支えたのが,岡本太郎の存在であった。
以上,冊子として残されている。双葉町歴史民俗資
料館には,古墳時代末期の壁画が見つかった国指定
実は東日本大震災の最中,東京国立近代美術館で
は『生誕100年 岡本太郎展』が開催されていた。
岡本太郎は,東北を「縄文の時代を非常に直感的に
史跡「清戸さく装飾横穴墓」の展示をはじめ,町内
遺跡の出土品や民俗資料などがある。
また,福島県には地震と関係のある史跡がいくつ
身にしみてかんじる」場所であり,
「日本民族の始
源を逞しく彩り,世界的に誇る文化」があると語っ
ていた。縄文土器に魅せられ,日本文化の深層を探
る旅を行い,多くの写真資料を遺してきた岡本太郎
もある。806年開基といわれる水晶山玉蔵院常福寺
は,開基以前の天平6年(734年)に東北地方で大
地震や飢饉が流行し,その惨状を見た大和国,鷲峰
山の源観が善無畏三蔵伝来の秘仏である薬師如来を
は,他にも恐山のイタコ,花巻温泉の鹿踊り,出羽
三山の修験者,家々に伝わる呪具であるオシラさま
護持してきたと言われている。境内の南東斜面には,
「龍燈杉」と呼ばれている巨木があり,霊木として
等,様々な東北の伝統的な習俗について言及して
いる。
岡本太郎の東北と関わって特記したい地に三沢が
崇められている(市の天然記念物)。福島県と宮城
県境に位置する萬歳楽山は,かつて日本国全体に及
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れられた日本』『神秘日本』という日本紀行3部作
の後,『日本列島文化論』のなかで,岡本太郎は,
既成の「日本的」という観念がしみこんだものより
ぶ縄文信仰の中心地であり,日本列島におけるマグ
マ活動の臍の部分にあたる。地震の災難を収め,人
の才能を強化・開花させる力があると言われてきた。
住吉神社という福島県いわき市の神社の境内には
「臥龍銀杏」がある。幹の中は空洞になっており,
も「日本の中に生きている人間の生活,その喜怒哀
楽のすべて,生きる意味」に重点をおいた文化論を
展開すべきであると語っていた。
龍のような姿をしている。樹齢は600∼1000年。10
月には例大祭では,長い参道で「流鏑馬神事」が行
われており,本殿の裏に御神体山とされている「磯
山」がある(本殿は県の重要文化財)
。
岡本太郎は東北の風土から狩猟文化の
「馬の文化」
の存在も強調していた。先述の三沢には,会津藩の
士族たちが日本最初の英式牧場を開設し,古くから
「文化(culture)」は,耕す,育てる(cultivate),
農業(Agriculture)という語に連なり,「自然に手
を加える試み」を示している。その土地の自然,人々
の生活と密接に関わっている。
一方,「文明(civilization)」は,ラテン語の都市
(civis/city)を語根とする18世紀の造語であり,
「自
南部藩最大の馬の放牧地「木崎の牧」として知られ
ている。人は自然と向かい合い,動物とともに文化
を新たに作り出してきた経緯が,「馬の文化」には
見出せる。
今回の大地震で福島は,
伝統行事
「相馬野馬追」
(国
の重要無形民俗文化財)に参加する馬も沢山亡く
なった。原発の半径20キロ圏内の警戒区域に取り残
されている馬も多く,行方不明のままである。
福島は,
余震と巨大津波による自然災害が重なり,
福島第一原子力発電所の事故という二次被害を引き
起こされた。福島では今も,放射性物質漏れによる
「見えないもの」が甚大な問題となっている。
将来に不安を抱え,生まれ育った土地を離れた者
も多い。
「風」にのって流された放射性物質は,福
島に住む人々が先祖代々受け継いできた「土」に甚
大な被害を及ぼした。福島で育まれた地場産業も甚
大な被害を受けている。
福島の街なかに「がんばろう!日本」と大量に印
刷された旗が飾られていた。旗がたなびく福島の街
中を歩きながら,私は岡本太郎の東北の視点と重ね
た。福島住民にとって余震や放射能という「目に見
えないもの」の影響力,不安な気持ちを,「風土」
と関わる芸術文化による「目に見えるもの」の力を
今こそ重要ではないか。
基軸に支援していくことが,
然(風土や気候)を徹底的に管理,支配し,普遍化
へと向かって都市化された状態」を示す。「文明」
の典型は,クーラーや照明機器で,同じ温度と湿度,
明るさを保った空間である。何処にいても同じよう
な「場」を作り出す。季節感も太陽の位置も関係な
い。近代以降,西洋ではすべての「未開(uncivilized)」
は,文明開花されるべきという前提がある。文明開
化は westernizationであり,啓蒙は,en-light-enと
いう意味をもつ。暗黒の世界に「光」が入り,対象
が見られ,理解され,所有される。
原子力発電所は「文明」の象徴であろう。電気が
克服してきた「自然」とは,単純に環境だけではな
く,食欲,睡眠欲,性欲のような「自然な欲求」も
含まれる。
岡本太郎は,新しい文化,芸術の実現をはばんで
いるものの1つに,地方文化意識があると語ってい
る。地方は地方であり,中央に劣っているという官
僚的アカデミズムの教育によってシスティマティッ
クに叩き込まれたもの。一流のことは東京でなくて
は駄目だという考え方。彼の述べる「中央文化人」
とは,現代文化の高度な問題について語れば,必ず
パリやニューヨークなど,西欧文化にたいして持っ
ている地方人の劣等感を潜在的に持っている。そし
て今日の日本ほど自身の文化を侮辱した国民は,か
つてなかったとも言う。日本人全体をおおっている
この官僚的アカデミズムこそ,戦う相手であり,逆
に地方には,かえって中央アカデミスムに制約され
3,福島の「土」と文化
「日本の土とともに働くもののエネルギーは,黙々と,
執拗に,民族のいのちのアカシを守りつづけて来た。形
式ではなく,その無意識の抵抗に,私は日本文化の新し
い可能性を掴みたい。
」
(7351)
(岡本太郎『日本再発見』
)
ない,自由な可能性があり,最も積極的な課題をぶ
つけることができるはずであり,それは「はるかに
重厚で,泥くさく,生活的なもの」であるという。
官僚的アカデミズムを基底にした考え方は,震災
後,芸能人が被災地を訪れたという類の内容や,原
発の問題,政治批判が報道を占めていることにも連
『日本再発見 ― 芸術風土記』
『沖縄文化論 ― 忘
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なっている。一時の「訪問」より,長い時間的スパ
ンのなかで,あらためて地方の文化を基底した活動
きな反旗を掲げたとも言える。
岡本太郎の代表作に《太陽の塔》(1970)がある。
にこだわっていくべきではないか。
美術の文脈においても,震災後は一過性の芸能的
支援が多数行われてきた。震災後,福島大学の研究
日本万国博覧会で主催者側は《太陽の塔》の内側の
展示空間に,「人類の進歩と調和」というテーマに
基づいて,人類の発展に寄与した偉人の写真を並べ
室では多くの美術関係者から,
「支援」という名目
によって,被災地で活動をしたいという申し込みを
受けた。あるアーティストは,地方の美術館の学芸
る予定であった。しかし太郎は「世界を支えている
のは,無名の人たち」といい,世界中の人々の写真
や民具を並べるように進言した。太郎が《太陽の塔》
員を介して,自身たちのアート活動を行える避難所
等の場所を紹介して欲しいと連絡してきた。これま
で 行 っ て き た 活 動 を そ の ま ま, 避 難 所 で ワ ー ク
ショップを行うことを,
「支援」であると言い,たっ
に込めたのは,文明の発達や進歩の中で,人々の生
活も豊かになるのに反比例し,心がどんどん不自由
になり,貧しくなっていく現代社会への,彼なりの
アンチテーゼであった。太郎がこの時集めた民族資
た1回の活動の調整のために,被災地にある大学関
係者がいかに時間をとられたことか。岡本太郎のよ
料は,国立民族博物館の基盤となった。
太郎は「人類の進歩と調和」というテーマについ
うに,まずは現場に立ち合うこと。身体でその「風
土」を感じて,はじめて生まれる活動もある。
グローバリズムを基底にした報道機関と同様に,
美術史が地域特有の文化を欠如させてきたことの弊
害は今日,
問い直されるべきであろう。均質化され,
ファッション化した文明的なアートが,震災後の被
災地でいかに拡大されていったのか。その典型は,
水戸芸術館の企画した「3.11震災後の記録」展の
中でも多く見られた。震災後,衣食住,生理的な欲
求や時間感覚を均質化することによって,資本,経
済,通信の強い立場の者が社会を特権化する状態が
生み出されてきた。アートにおいても,ある地域,
場所に特有の文化を壊すように,グローバルな「文
明」の思潮が社会を啓蒙していることを実感した。
て述べている。
「一般に進歩というと,未来の方向にばかり目を向
ける。科学工業力を誇る。たしかにその面での発達は
近年ますますすばらしく,生きた人間が月の上を歩い
て,また地球にもどって来られる時代である。厖大な
生産力は人々の生活水準を高めた。しかしそれが果た
して真の生活を充実させ,人間的・精神的な前進を意
味しているかどうかということになると,たいへん疑
問である。
」
また「調和」について岡本太郎は述べる。
「美しいことばだし,だれも反対する人はいないだ
ろう。人間の運命は今日ますます開けてきて,世界の
人類は一体であるという連帯感が現実のものとなって
4,福島の「空」と「太陽」
きている。
(中略)古い観念でいえば,調和は互譲の
「智恵子は遠くを見ながら言う。阿多多羅山の山の上
精神で,互いに我慢し,矯めあって表面的和を保つと
に毎日出ている青い空が智恵子のほんとの空だという」
いう気分が強い。しかし,そんなことをするから,ま
(高村光太郎『智恵子抄』
)
ことに危険なひずみが出てくるのだ。私はそういう体
裁は大嫌いだ。人間を堕落させるものだと思う。もし
福島という地で,なぜ,
「福島現代美術ビエンナー
ほんとうの意味での調和というなら,己の生命力をふ
レ」という企画を開催するのか。その意味を問い直
すことは,地方文化を見つめ直すうえでも重要な視
点を提起できるのではないか。
かつて高村光太郎は『緑色の太陽』のなかで,太
んだんにのばし,だからこそ他のふくらみに対しても
共感をもち,フェアに人間的に協力するというのでな
ければならない。つまり激しい対立のうえに火花を散
らした,そのめくるめくエネルギーの交換によって成
陽の色について議論しても仕方がないと述べた。個
人の自己表現と「地方色を越えた絶対の自由」を提
り立つ。それをほんとうの調和と考えたいのだ。
」
(岡本太郎『日本万国博 建築・造形』恒文社,1971)
唱し,
「文明」を通して美術を再構築することの重
要性を語っていた。註2)
一方,岡本太郎は「文明」に「文化」の側から大
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もともと藝術の「藝」という漢字は若木を土に植え,
それをクサギル姿を示していたという。「術」は,異
Ⅲ,岡本太郎からはじめる視点
「現代日本を美として捉える必要はない。日本美とか,
既成の美術品は単なる参考品でしかない。それよりもこ
の世紀において,悲劇的であり,だが誠実である民族の
生気にあふれ,こういう条件のもとに生きぬこうとする
気配から,新しい人間の生命力,その可能性を見とる。
そこから新しい文化,芸術の問題がはじまるのだ。
」
(岡本太郎『日本再発見』
)
福島県立博物館で2009年,
「岡本太郎の博物館・は
じめる視点∼博物館から覚醒するアーティストたち
∼」という企画展が開催された。本企画では,岡本太
郎が全国の博物館,資料館等で撮影した写真資料とそ
れに付随した関連資料を紹介するとともに,福島県の
自然・歴史資料を展示保管する博物館を舞台に,アー
ティストが作品を制作し,博物館の持つ地域の文化を
見直す機会となった。
本企画で私は「東北の太陽の塔 ― いのちのいの
り・生命樹 ― 」を制作した。東北の民具,仮面,神
像の類,オシラサマや案山子,縄文土器や土偶などを
用いて展示空間を構成した。
「生命を支えるエネル
ギー,
未来に向かって伸びてゆく生命の力強さを表現」
した岡本太郎の《太陽の塔》の内部には「生命の樹」
が飾られていた。塔の外観もまた土偶からインスピ
レーションを受けたと言われる。私はさらに巨樹や血
液,神経のかたちと重ねてみた。《太陽の塔》は縄文
土器を逆さまにした姿にも見て取れる。縄文土器は,
底に穴を開けたものも多数発掘されている。
その穴は,
幼くして失われた生命を「地下の世界 ― 神の国」に
つなぐ経路であり,生命を再生する「祈りのかたち」
にも解されている。
美術史家の田中英道氏は,東北には非常に土着的な
もの,縄文文化が残っており,「土地の神」が日本の
美術,芸術の特質に残っていることは世界でも特筆す
べきであると語っていた。
族が大きな十字路で出会い,互いの邪霊を祓う儀礼と
いう意味であった。藝術の原義は cultureに近く,自
然との関わりと循環作用を示していた。これまで東北
で生み出された「祭り」や「祈り」,芸術の源泉もまた,
自然の脅威から生み出されてきたものであった。嵐や
洪水,地震などの自然災害が頻繁におこる日本では,
自分の肉体も自然(自ら然り)で,人間は自然の一部
という考えから《生命》を捉えていた。今日,「藝術」
は,「人の作ったもの」に傾倒する一方で,「自然(人
間の力ではどうにもならないもの)」や「文化(長い
時間をかけて引き継がれたもの)」と真摯に向き合い,
伝えてきたのかが問われてこよう。
今回の「福島現代美術ビエンナーレ2012 ∼ SORA
∼」の活動を通して,あらためて,美術家であるだけ
でなくひとりの人間であること,特定の土地に住み,
時代の風俗や思想を翻訳した「生きた芸術」をつくる
こと,人間が人間であることを支える「生命」への尊
厳と始源の姿を色濃く反映させることの意義を考える
ようになった。
福島に集められた現代美術の作品は,同じテーマで
結びつけられつつ,新たな「空」を福島という地のイ
メージに与えていた。沢山の作品を一同に介して展示
するなかで,人と人がつながる,体温を感じられる活
動,そして Life(生きること)をつなげていく活動と
なり,多くの者から地域の文化活動が愛される契機と
なっていくものでありたい。
美術は日常生活や地域の伝統文化とも切り離せな
い。美術教育の目的に,共同体に美的な体験を加えて
いく課題もあろう。福島大学は,教育学部から人間発
達文化学類への学部再編成に伴い,地域の文化活動を
担う学生を,幅広く育てていきたいと考えてきた。「福
島現代美術ビエンナーレ」は,このような新学類との
関連から新規に開講した「芸術企画演習」等の受講生
を中心に運営されてきたものでもあるが,本企画で学
生は,作品を制作し,発表するだけではなく,作品と
人,人と人とのコミュニケーションを促すと同時に,
美術と地域との関わりについて,様々な角度から考え
る契機となっている。
芸術による地域創造研究所は,「福島現代美術ビエ
「黒岩寺蘇民祭という1000年以上の歴史を持つとされ
る無形文化財がある。蘇民祭のような祭りに参加してい
る人たちを見ても,まさに形式的というのではなく,夢
中でやっている。そういう伝統や文化がまだ生きている
ンナーレ」など,現代の芸術活動をソフトの面から支
援し,地方から文化を発信する基盤となるべきもので
し,特に日本では,現実の人間,生きている人たちの中
で保存されていることの凄さがある。
」註3)
ある。地域にある大学という場を活用し,将来の町づ
27 ―
―
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福島大学地域創造 第24巻 第2号 2013.2
くりを考えていく場として,県内にある文化関連の諸
機関からも様々な期待が寄せられている。
今後の「福島現代美術ビエンナーレ」では,より一
層,地域連携を強め,人々と交流する機会を設けるな
かで,芸術の「文化」を一般に広く繋げていく活動と
して展開していきたい。
【 註,参考文献 】
1)
「福島現代美術ビエンナーレ」は6年前から福島
で開催している「現代美術の祭典」である。2004年,
福島大学の学生,院生諸氏が実行委員となり始動し
た。 そ の な か に「Artownア ー ト タ ウ ン / Art と
Town ,At@ Own(私たち場所)
」というプロジェ
クトがあり,国内外のアーティストの作品を福島の
市街地に展示してきた経緯もある。
2)宮脇理編『緑色の太陽』国土社,1998年には,川
崎の岡本太郎美術館設立時の大衆の反対運動を仲野
氏が美術教育の問題等を絡めながら記している。な
お《太陽の塔》は,大阪万博のテーマ館のシンボル
として建造された当時,知識人から痛烈な批判を浴
びた。しかしこの巨大な塔は今も万博記念公園に残
され,大阪のシンボルとして愛され続けている。
3)田中英道との対談より『渡邊晃一作品集 テクス
トとイマージュの肌膚』青幻舎,2010年。蘇民祭は
元来,
一切の衣服を着用しない全裸で行われていた。
照明や映像機器の発達により,報道で紹介され,観
光客が増加したため,今では下帯の着用が義務付け
られている。
4)渡邊晃一,廣川豪「現代美術における「制作」と
「発表」との関係について ∼
「制作学」を基点にし
た絵画研究室企画による地域発信の展覧会から∼」 『 福 島 大 学 生 涯 学 習 教 育 セ ン タ ー 年 報 』 第10巻,
2005年3月,pp.69∼77
5)「福島現代美術ビエンナーレ2012 ∼ SORA∼」
の展示風景,出展作家の作品内容,講演会やシンポ
ワークショッ
ジウム,
パフォーマンス等のイベント,
プの内容は,記録資料集に詳しく記載した。
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