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Title
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Issue Date
Type
um nicht zu sagenとwenn nicht gar :
Steigerungか
諏訪, 功
言語文化, 32: 125-132
1995-12-25
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://doi.org/10.15057/8899
Right
Hitotsubashi University Repository
Konzessionか
125
um nicht zu sagenとwenn nicht gar
Konzessionカ・Steigerungカ・
諏訪 功
um nicht zu sagenは,日本の標準的な学校文法ではr断り書きのum...zu不定
形」と呼ばれ,「...である,たとえ..。ではないにしても」,「。..である,たとえ...と
までは言わないにしても」等,前半の主張に留保を付する意味で用いられると説明さ
れている。たとえぱ「独和大辞典」,小学館1985,1990,S.1938のsagenの項には,
Ichhabe nicht vielgegessen,um nicht zusagen,gamichts.という例文が挙げられ,
「私はなんにも食べなかったとは言わないまでもたくさんは食べなかった。」という訳
文が付され,同書S、2286のumの項にはSie ist ziemlich rundlich,um nicht zu
sagen dick.という例文が挙げられ,r彼女はでぶとまでは言わないとしてもかなり肉
付きがよい。」という訳文が付されている。いずれも前半の主張に留保,譲歩を加える
言い方と解釈できよう。
ところが,ドイツで出版されている辞書の説明はこれとかなり異なる。Langen−
scheids GroBw6rterbuch,Deutsch als Fremdsprache,Langenscheidt KG1993の
S.815には,um nicht zu sagenの項で,verwendet,um ein noch starkeres negatives
Urteil einzuleiten「より強い否定的な判断を導入するために」という説明の後に,
Diese Zeichnung ist ungenau,um nicht zusagen schlampig.という例文が挙げられ
ている。ungenau r不正確な」という否定的な判断の後に,um nicht zu sagenを介
してschlampig rいい加減な」という,より強い否定的な判断が導入されているとす
れば,全体は「このスケッチは不正確,いやそれどころかいい加減だ。」という訳文が
当たる。
またDUDEN,Deutsches Universalw6rterbuch,2.v611ig neu bearb.und stark
erw.Aun.1989のS.1282では,um nicht zu sagenに対して,(wem es nicht so
hart klange,wUrde man am liebsten sagen「そうきつく響かないとすれば,いっそ
126 言語文化 VoL32
こう言いたいくらいのものだ」)という説明の後,schlecht,umnichtzusagen
miserabe1という例句が挙げられている。説明どおりに訳せば,「...は悪い,(そうき
つく響かないとすればいっそ)惨憺たるものだ(と言いたいくらいだ)。」となる。要
するに「...は悪い,いやそれどころか惨憺たるものだ。」という意味になり,これは
Langenscheidtの説明とほぼ一致する。さらにDUDENの同書S.1413のsogarの
項では,sogarに関する説明:zursteigemdenAnreihungvonSatzenod.Redeteilen
「文または品詞を程度を高めつつ列挙するために」の後,言い換えとしてmehmoch l
um nicht zu sagenの2つが挙げられている。sogarの例文,er sah das Madchen
ungeniert,s.herausfordemd an.r彼はその女の子を臆することなく,いやそれどこ
ろか挑発するように見つめた。」に含まれているs.(=sogar)を,この2つの言い方
でそのまま置き換え,ersahdasMadchenungeniert,mehrnoch/umnichtzusagen
herausfordemd an.と言い得るとするならば,最初に引用した遠回しな説明:「そう
きつく響かないとすれば,いっそこう言いたいくらいのものだ。」から一歩踏みだし
て,sogarに与えられている説明,つまり「文または品詞を程度を高めつつ列挙する
ために」という説明が,um nicht zusagenについても当たることになる。
ドイツで出版されたこの2つの辞書の説明をr独和大辞典」の2つの例文に当ては
めてみると,Ich habe nicht viel gegessen,um nicht zu sagen,gamichts.は,「私は
なんにも食べなかったとは言わないまでもたくさんは食べなかった。」から「私はたく
さんは食べなかった,いやそれどころかなんにも食べなかった。」どなり,Sie ist
ziemlich rundlich,um nicht zu sagen dick.は,「彼女はでぶとまでは言わないとして
もかなり肉付きがよい。」から,「彼女はかなり肉付きがよい,いやそれどころかでぶ
だ。」となる。前半の主張に後から留保を付する言い方なのか,それとも前半の主張を
後半でさらに強める言い方なのか,取り方によって文意は大きく分かれる。
同じような問題は,譲歩・認容の副文もしくはその省略と考えられる要素を導く接
続詞wennにおいても見出される。「独和大辞典」のS.2528にはseinrup五ges,wenn
nicht aggressives Verhaltenという例が挙げられ,「彼の攻撃的とは言わないが不作
法な態度」という訳文が付されている。この場合,wenn nicht...は「...である,た
とえ...ではないにしても」というふうに,前半の主張に後から留保を付する言い方で
あると考えられる。しかし,wemnichtまたはwennnicht sogar/wemnichtgarに
も,um nicht zu sagenと同じく,前半の主張を後半でさらに強調する用法が見出さ
れるのである。
um nicht zu sagenとwenn nicht gar−KonzessionかSteigemngか一 127
(1)Geschrieben hatte Nestroy den、P万昭6π∂oπκo露s魏召als dreiundzwanzig・
jahriger Student der Rechte,wenn nicht gar schon als Gymnasiast,also zu einer
Zeit,da er an nichts dachte,als ein groBer Sanger zu werden.
(Nachwort zu”Talisman“,Universal・Bibliothek Nr.3374,S.87)
rコルシカの王子」を書いたとき,ネストロイは23歳の法学部学生だった,い
やそれどころかまだ高校生だったのかも知れない。つまり,偉大な歌手になるこ
としか考えていなかったあの時期である。
(2)Der Betrug,die LUge,die boshafte Falschheit kOnnen in der Tat ebensogut,
wenn nicht noch besser,durch einen prazisen Sprachgebrauch zustandekommen
wie durch einen unprazisen.
(Eugenio Coseriu:Das Phanomen der Sprache und das Daseinsverst註ndnis des
heutigen Menschen,丁廿bingen1970,S.133)
欺隔,嘘,悪意のある二枚舌は,実際のところ,不正確な言語使用によるのと
同様に,正確な言語使用によっても同じようにうまく,いやそれど二ろかもっと
うまく行われ得る。
例文(1)のwem nichtgarschon alsGymnasiastを,前半の主張に留保を付する
意味と取ると,rたとえすでに高校生としてとは言わないものの,23歳の法学部学生
として」となるが,...also zu einer Zeit,da,..という時を表す規定がその後ろに続
いていることから考えて,この解釈には多少の無理がある。やはり「23歳の大学生の
とき,いやそれどころかもっと若い時期に」というふうに,時間を順に追って行く表
現,つまりはzur steigemden Anreihung von Satzen oder Redeteilen「文または品
詞を程度を高めつつ列挙するために」wenn nicht gar schonを用いていると解するほ
うがすなおであろう。
例文(2)ではwenn nicht garではなく,wenn nicht noch besserが用いられてい
るが,このbesserはwennの前のebensogutに対応し,r同じようにうまく,いやそ
れどころかもっとうまく」という意味を表していると考えられる。この箇所の直前で
は,「社会生活の諸問題や困難を不明確もしくは故意に不正確な言語使用のせいにし
ようとする」のは,言語に過大な責任を負わせることであり,「正確な言語使用によっ
て,実践生活のもろもろの実質的困難が一掃されると考えることは,素朴な,しかも
危険な幻想である」と述べられている。このつながりを考えると,この箇所もまた,
「同じようにうまく,いやそれどころかもっとうまく」と解するほうが,前半の主張に
128 言語文化 Vol.32
留保を付する言い方(「たとえもっとうまくとは言わないまでも,同じようにうまく」)
と解するよりも無理がない。
wenn nichtgarが一つの文成分ではなく,主語と定形(定動詞)を備えた副文を導
いている例もある:
(3)Die Vorliebe der Liedmeister fUr bestimmte Dichter erklaren zu wo11en,wUrde
kaum zu befriedigenden Ergebnissen fUhren;es handelte sich eben um pers6n−
1iches Angesprochensein,wenn nicht gar pure Lebensumstande wie bei Beethoven
md Jeitteles,Schubertund Mayrhofer,WagnermdMathildeWesendonk,Brahms
und Max Kalbeck von auBen einwirkend fUr eine Partnerschaft maBgebend
waren,
(Texte deutscher Lieder,hrsg.von Dietrich Fischer−Dieskau,dtv3091,S.11)
特定の詩人に対するリート作曲家の偏愛を説明しようとしても,あまり満足す
べき成果は得られないだろう。個人的に感動を受けたということかも知れないし,
それどころかべ一トーヴェンとヤイテレス,シューベルトとマイアーホーファー,
ワーグナーとマティルデ・ヴェーゼンドンク,ブラームスとマックス・カールベ
クの場合のように,単なる生活事情が外から影響を及ぼしてパートナーシップを
作りだしたのかも知れないからである。
この例文におけるwenn nicht garを,前半の主張に留保を付する意味と解釈する
ならば,「一前略一ブラームスとマックス・カールベクの場合のように,単なる生
活事情が外から影響を及ぼしてパートナーシップを作りだしたとまでは言わないにし
ても,個人的に感動を受けたということかも知れないからである。」となろう。しか
し,この長大な副文をこのような留保を表す文と解するよりも,特定の詩人に対する
作曲家の偏愛を,まず「個人的に感動を受けた」ことに帰し,さらに一歩進んでr単
なる生活事情が外から影響を及ぼしたのかも知れない」のであるから,この偏愛を
「説明しようとしても無駄である」というふうに論を展開すると解するほうが,文の流
れに沿った解釈として自然であると思われる。
この問題に関しては,雑誌「基礎ドイツ語」の「ドイツ語質問箱」を介して,元
DUDEN編集部のDr.Dieter Berger氏に問い合わせたことがある(「基礎ドイッ語」
1995年3月号S.70−71)。その際,上記の例文(3)のほか,ドイッ語母語者から得た
以下の3つの例文を提示し,そこに含まれるwenn nichtの意味を尋ねた。
(4)Es ist zu bef廿rchten,daB die Arbeitslosigkeit bis zum Jahresende um5%,
um nicht zu sagenとwenn nicht gar−KonzessionかSteigerungか一 129
wenn nicht um10%ansteigt.
(5)Wenn der Stum weiter zunimmt,ist zu erwarten,daB viele Fensterscheiben
eingedrUckt,wenn nicht Dacher abgedeckt werden.
(6)Im BUro geht es heute fUrchterlich zu:Ich werde heute abend sicherlich bis
um7Uhr,wenn nicht bis um8Uhr hier sitzen.
この質問に対する回答は,当然のことながら,DUDENのUniversalw6rterbuchの
記述に沿ったものである。佐伯禎明・鐵野善資両氏による訳文を次に掲げる。
『wenn nicht garで導入される文では,ひょっとしたら起こるかも知れない
出来事に関連する推測が述べられます。不変化詞garはここでは強めを表し
ます。つまり,その前の文の中で述べられた出来事がさらにもっと重大な,も
っと影響力のあるものになるかもしれないのです。例文(5)の嵐は屋根をも吹
き飛ばすかもしれません。窓ガラスを壊すだけではないかもしれないのです。
wennnichtgarの代わりにodersogar「あるいはそれどころか」とか,単に
sogar「それどころか」と言うこともできます:
・,daB die Arbeitslosigkeit bis zum Jahresende um5%oder sogar um10%
ansteigt.
。ist zu erwarten,daB viele Fensterscheiben eingedrUckt oder sogar Dacher
abgedeckt werden.
.;Ich werde heute abend sicherlich bis um7Uhr oder gar bis um8Uhr hier
sitzen.』
例文(4)から例文(6)の,こ・の回答に基づく日本語訳を,同じく両氏に従って以
下に引用する。
(4)失業は年末までに5%,いやそれどころか10%上昇する恐れがある。
(5)嵐がさらに強まると,窓ガラスがたくさん壊され,それどころか屋根がは
がされることも予想される。
(6)会社は今日は大変だ。今晩はきっと7時まで,それどころか悪くすると8
時まで残業することになるだろう。
この回答では,さらにum nicht zu sagenについても触れているが,その際,例文
(6)を次のように多少変更している:
(6戸)Ich muB heute bis um acht,um nicbt zu sagen bis um neun an meinem Tisch
sitzen.
130言語文化 Vol.32
これに先立つ説明は,「自分の意見をあまり厳しい調子では言いたくなくて,より人
当たりのいい形を選ぶのですが,しかしそのあとやっぱり,本当は言わないでおこ・う
と思っていたより厳しい判断を付け加えるのです。」となっている。例文に即して言
えば,当初は厳しい調子を避けて,r8時まで」という人当たりのいい形を選んだが・
しかしそのあとやはり,本当は言わないでおこうと思っていたより厳しい判断すな
わちr9時まで」を付け加えた,ということになる。したがって訳文はr今日は8時ま
で,いや悪くすると9時まで机に向かっていなければならない。」となろう。
Berger氏の回答において注目すべきは,同氏が『wennnichtgarの代わりにoder
sogarrあるいはそれどころか」とか,単にsogarrそれどころか」と言うこともでき
ます。』と断言し,wem nichtに含まれる否定詞nichtをまったく無視していること
である。まったく形式的には,nichtは否定であり,_bis um acht,um nicht zu
sagen/wemnichtgarbisneunUhr_は,「_9時までとは言わないまでも,8時ま
で...」となるように思われる。しかし今まで検討してきた例文では・いずれも否定は
形式的なものにとどまり,実質的な否定にはなっていない。
この点に関して関口存男は「冠詞・第三巻・無冠詞篇」,三修社1977,S.540で「錯
構」という観点から次のように述べている。
『,.,たとえばDas scheint mir sehr schwer,wenn n量cht gar mm6glichは,
文法形式から発して考えた直接の意味としては,“それは,たとえ不可能ではない
にしても,すくなくとも非常に困難らしく思われる”であるが,達意眼目から云
うならばむしろ逆で,“それは非常に困難などころか,悪くすると全然不可能です
らあるかも知れぬ”と云うに近く,重点はむしろ最後の方にある・つまりDas
scheint mir sehr schwer,ja sogar unmdglichというのに同じである。』
関口は,一つの伝えたい眼目を含む発話が,正常な文法形式を取るこ.ともあるし,
正常でない文法形式をとることもあることを指摘し,後者をr錯構」とよぶ。um
nicht zu sagen;wenn nicht[gar]も,文法形式から考えると否定であり,直前の発
話に対する留保であるが,伝えたい眼目はむしろその後ろにおかれたunm6glichに
移ってきていて,その限りでは「錯構」の一種であるというのが関口の見解である。
「ドイッ語質問箱」の担当者が[備考]で述べている見解も,この関口の「錯構」と
いう考え方に副ったものである。
『wenn nicht。..もum nichtzu sagen...も一中略一本来は」_である,
um nlcht zu sagenとwenn nicht gar−KonzessionかSteigerungか一 131
たとえ_ではないとしても。」とか,r...である,...とまでは言わないにして
も・」と前半の主張に後から多少留保をつける言い方なのですが,その留保の裏に
は「たとえ_ではないにしても(だが実際には...なのだ)」とか「...とまでは
言わないにしても(だが実際には。.,と言いたいくらいだ」)といった( )内
に示したような本心が隠されていることもあり,むしろその本心を表現する形式
としてこれらが用いられることがあるのです。前半の主張より,後から付け加わ
った留保のほうに重点が移ったと言ってもいいでしょう。その気持ちをそのまま
正面から表現するのが[oder]sogar...であるとすれぱ,控え目な言い方の中に
本心が思わずちらっと姿を見せたのがwennnicht[gar]...のgar(=sogar)な
のでしょう。』
「その気持ちをそのまま正面から表現する[oder]sogar」が,関口の言う「正構」
であり,r前半の主張より,後から付け加わった留保のほうに重点が移った」言い方
が,r錯構」ということになろう。一つの発言によって人に伝えたい眼目,関口の言う
r達意眼目」が,時には相反する複数の文法形式によって表現される例は,日本語にも
見られる。たとえばrとんでもないこと」とrとんだこと」,r負けず嫌い」とr負け
嫌い」のように,同じ意味の慣用句に,否定と肯定両方の言い方が存在する例がある
し,夏目漱石の「我輩は猫である」には,次のような会話がある。
「先ず献立を見ながら色々料理についてのお話しがありました」「誹えない前に
ですか」(岩波文庫1990,S.48)
「誹えない前」は,理屈っぽく言えば「誹える前」が正しい。しかし「誹えない前」
でも「誹える前」でも,日本語母語者には意とするところが同じように伝わる。それ
はr焼けない前」とr焼ける前」が,まったく同じ意味に理解されるのと軌を一つに
している。
アンリ・フレエは翻訳の問題に関し,「逐語訳」が同じ文法範疇を守りはするが,意
味的同一性は顧みないものであるのに対し,いわゆるr自由」訳は文法的範疇の同一
性を無視して意味的同一性を得ようとするものである,と言っている(アンリ・フレ
エ著小林英夫訳「誤用の文法」,みすず書房1973,S.87)。同一言語の枠内ではある
が,zur steigemden Anreihung von Satzen od,Redeteilenという意味的範疇は,
sogarという文法範疇で表されるとともに,まったく範曉を異にするum nicht zu sagen
またはwemnichtgarによっても表されるようである。
132言語文化 Vo1.32
一切の論理的道具立てを持たずに,r否定」という大きな問題に立ち向かうのは無謀
である。今回の「研究ノート」では,いくつかの現象を表面的に指摘したにとどまる
が,最後にこの現象をすこし整理してみよう。
1.一つの文成分が,um nicht zu sagenを介して,より程度の高い意味を表すもう
一つの同種の文成分と結ばれるとき(たとえぱ...schlecht,umnichtzusagen
schlampigのような場合),um nicht zu sagenは,いわばumnichtzusageバという
副詞として,ほぼja sogarと同義の強めを表す。
2.一つの文成分が,wenn nicht garを介して,より程度の高い意味を表すもう一
つの同種の文成分と結ばれるとき(たとえば...sehr schwer,wenn nicht gar un・
mδglichのような場合),wennnichtgarは否定を表さず,ほぼjasogarと同義の強
めを表す。この際,gar(またはsogar)という副詞は,発話意図の主眼が文法形式を
越えて,前半から後半へ移行していることを示すが,必ずしも必須の要素ではない。
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