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HIKONE RONSO_294_131
131 リルケ最後の「悲歌」 一「マリーナ・ツヴェターエワ=エフロンのための悲歌」について一一 金 子 孝 吉 L リルケの「悲歌」といえば,1912年に作り始められ,1922年に完成した10篇 からなる『ドゥイノの悲歌』をだれしもまず思い浮かべるだろうが,彼は死 (1926年12月27日)の半年前,もう一篇の「悲歌」を書き残している。ポリス・ パステルナークの紹介で当時彼が文通していたロシア生まれの詩人マリーナ・ ツヴェターエワ=エフロンのために作った悲歌である。リルケ最:晩年にミュゾ ットの館で書きあげられた50行からなるこの詩は,完成摸すぐに,当時パリに 亡命していたツヴェ八一エワのもとへ,1926年6月8日付の手紙に同封されて 送られた。異郷での窮乏生活に喘ぎ,また亡命ロシア人文学サークルにおける 仲間たちの無理解と批判に苦悩していたツヴェタ一遍ワは,神のように絶対的 に敬愛していた詩人リルケから,思いもかけぬ素晴らしい贈りものを受けとっ て驚喜した。以後,自分の名が付された「悲歌」は,彼女にとって生涯にわた って守り続けるべき大切な〈宝物〉となる。リルケが亡くなってまもなく10年 になろうとする1936年11月14日,ツヴェターエワは彼女の一番の親友アンナ・ テスコワーに宛て,この「悲歌」について書いている。 親愛なるアンナ・アントノーヴナ, 今日はあなたに一手紙のかわりに一一リルケの最後の悲歌を送ることにしま す。これは,ポリス・パステルナークをのぞけば;誰も読んだことのないもので す。…… 私はこれを マリーナ=悲歌一と名づけています。この悲歌は,『ドゥイノ 132 北川 弘教授退官記念論文集(第294号) チクルス の悲歌』の連作を締めくくるものです。いっか(私の死後に)これはその連作のな かに付け加えられることでしょう。この作品が『ドゥイノの悲歌』を最終的に完成 させるのです。 ただし お願いがあります。けっして誰にも一あなたとあなたの妹さんを のぞいて一誰にもこの詩のことは話さないでください。この詩は,リルケと私と のあいだの,私と彼とのあいだの秘密なのです。そして私はこの秘密にいつもたち 戻っていくのです,人々が私をあからさまに侮辱するときに一三の靴の皮紐を 解く資格もないあの連中に傷つけられたときに。…・一 これはリルケが書いた最後のものです。彼は7か月後に亡くなりました。そして この詩のことは誰も知らないのです。 1936年12月で一あと1か月半で一彼が死んで10年になります。…… 一10年。私の髪も灰色になってしまいました。・・…・ とにかく読んでみてください。この詩のなかには,答えがあります一あらゆる 1) 問いに対しての。 M.Z. この「悲歌」が本当に『ドゥイノの悲歌』に付け加えられるべき作品である かどうかは別にして,この手紙は,「マリーナ=悲歌」が彼女にとって持ってい た意味をよく伝えている。彼女の作品の斬新さを理解できない批評家たちから 的外れで,かつ手厳しい非難を浴びたとき,いつもツヴェターエワは,彼女に とってのく最高の詩人〉であったリルケから献呈されたこの詩を読みかえすこ とによって,再び詩人としての自信を取りもどすことができたのである。 また,彼女はこの「悲歌」をリルケとのあいだの「秘密」であると言ってい るが,実際この詩は長いあいだ公表されることがなく,せいぜい彼女とごく親 しかった人たちがその存在を知っていただけだった。確かに1953年には,Insel 版のリルケ全集第2巻の〈献呈詩〉の部のなかに,この作品が,リルケが残し 2) ておいた草稿にもとづいて収録されたことにより,一般の人々にもこの詩の存 1) Marina Zwetajewa: Bn’efe an Anna Tesfeova und R. N. Lomonossowa. Aus dem Russischen von 1. Wille und J. Peters. Berlin: Oberbaum Verlag, 1992, S. 180. [M. Cyetaeva : Pis’ma k A nne Teskovo]’. Praha : Academia, 1969, S. 145.] 2) Rainer Maria Rilke : Sde’mmtliche Werke. Hrsg. vom Rilke−Archiv in Verbindung mit / リルケ最後の「悲歌」 133 在が知られるようになった。だが,ツヴェターエワは,ふたりが交わした往復 3) 書簡を50年のあいだ公表してはならないと宣言していたので,このリルケ最後 の「悲歌」がいったいどのような文脈において成立したのかについては,その 後も長いあいだわからないままだった。ようやく1976年に,ふたりが交換した 書簡が50年の歳月を経てそれぞれスイスとソ連で封印を解かれ,続いて綿密な 4) 編集整理を施されて一冊のまとまった往復書簡集として公表されるに至って, この詩の成立事情も明らかになったのである。 それによれば,この「悲歌」が書かれた事情は次のとおりであった。5月17 日付の手紙でリルケは,現在彼が苦しんでいる病いについて述べ,その病気の せいでいっか彼の方からは手紙を出せなくなることもあるかもしれないと書い たのだが,その言葉をツヴェターエワは,リルケが彼女との文通を休みたいと 示唆していると受け取った。リルケと文通できるということで天にも昇る幸福 を味わっていた彼女は,いきなり冷水を浴びせられたかのようで,しばらくは 意気消沈してリルケに返事を書くことができなかった。やっとのことで綴った 6月3日付の返信においてツヴェターエワはまず,彼女の方はリルケを必要と しているのに,リルケの方は彼女を必要としていないと嘆く。そして毎日彼女 がどんな思いでリルケからの手紙を待っているか,また彼と会うのをどんなに X Ruth Sieber−Rilke. Besorgt durch Ernst Zinn. Frankfurt/M : lnsel Verlag, 1955’1966 〔以下SW.と略記〕. Bd. II, S.271ff. 3) M. Zwetajewa : Einige Bn’efe von R. M. Rillee. ln: R. M. Rillee und M. Zwetojewa. Ein GesPrde’ch in Bn’efen. Hrsg. von Konstantin M. Asadowski. Frankfurt/Main und Leipzig:Insel Verlag,1992, S.149.[M. Cvetaeva:地∫ん。薦。 pisem R伽醐物吻嘘 Ril’ke. >Volja Rossii<<, Paris 1929, Nr. 2, S. 26ff.] 4) R. M. Rilke/M. Zwetajewa/B. Pasternak : Brie]iveclasel. Hrsg. von Jewgenij Paster− nak, Jelena Pasternak und K. M. Asadowski. Frankfurt/M:Inse正,1983.これには,リ ルケとツヴェターエワの書簡のほかに,この文通に深く係わっていたポリス・パステルナ ークの書簡も.数多く収録されていた。なお,1992年には,Asadowskiによって,主にリル ケとツヴェターエワの二詩人の関係に焦点を絞って新しく編集し直された本が出版された。 注3)ですでにあげたR.M. R漁εund M. Zzvetaewa. Ein GesPrdch in Bn’efen. Hrsg. VQn Konstantin M. Asadowsk三. Frankfurt/Main und Leipzig:Insel Verlag,1992〔以下RuZ と略記〕であり,編集者によれば,1992年版の方が,オリジナルの手稿により忠実になつ たとされている。 134 北川 弘教授退官記念論文集(第294号) 強く憧れているかを情熱的に語る。しかしそのあと彼女は,いまや気持ちの整 理がつき,リルケに迷惑をかけたくないので,彼からは何ひとつ望まない決心 をしたと告げるのである。この悲愴な決意を述べているツヴェターエワの手紙 を読んでリルケは驚き,ただちに6月8日付の手紙で,あの発言はけっしてそ ういう意図のものではなかったことを伝える。彼は自分の「ちょっとした言葉」 が彼女に「大きな陰を投げかけてしまった」のを深謝する。そして,彼女をい っときでも不安にさせたことに対する詫びの意味をこめて,長大な詩を作り, 同日の手紙に同封して,彼女に捧げたのである。以上が,マリーナへの「悲歌」 が生み出されるに至った事情であるが,この献呈詩は,リルケ晩年の作品群の なかでもひときわ充実した内容をもつもので,結局ふたりの『往復書簡集』の 頂点を形作るものとなった。その意味では,ツヴェターエワの苦悩は十二分に 報われたともいえるのである。 II. 晩年のリルケに特有のきわめて凝縮された表現形式で書かれたこの「悲歌」 は,しかし,完全に理解するのが困難な作品である。また,従来,内容がふた りの交わした文通ときわめて密接な関係をもち,それと不可分のつながりがあ るのではないかと推測されていたために,両詩人の書簡集が公表される以前に はこの詩を十全に解釈するのは不可能であるとも見なされていたようである。 それでもディーター・バッサーマンは,書簡集の公刊以前に,この「悲歌」に 5) ついて果敢にも比較的詳しい解釈を試みている。そして確かにバッサーマンの 解釈は,さまざまな傾聴すべき見解を含んでいた。だがそれは,彼自身も断っ ていたとおり,多くの点で留保付きの解釈であることには変わりがなかった。 そういうわけで,ふたりの書簡集の公表は多くの関係者によって久しく待望さ れていたのだった。実際,書簡が公表されたことによって,かなり多くの疑問 5) Dieter Bassermann: Der andere Rillee. Gesammelte Schriften aus dem NachlaB. Hrsg. von Hermann Mdrchen. Bad Homburg vor der Hdhe : Hermann Gentner Verlag, 1961, S. 222−230. リルケ最後の「悲歌」 135 点が解けたといえる(それについては後で触れる)。しかしそれにもかかわら ず,この悲歌にはなおも謎めいた部分が残っている。確かに周辺的な事情や往 復書簡との関連については明らかになったのだが,作品自体の解釈の困難さが それですっかり取り除かれたわけではないのである。ふたりの書簡集を編纂し たコンスタンティン・M・アザドウスキーも,この詩の「秘教的esoterischな文 体」について言及し,「この『悲歌』は,ふたりの文通者同士だけにしか完全に は理解できない詩的な〈暗号〉のよう」であり,ふたりは,「他人には全く思い もっかない秘密を共有している共犯者,盟約者同士のような印象」を与えると 6) 評している。 このようにマリーナへの「悲歌」は,最終的には完全に理解し尽くすのは困 難な作品であるのだが,今回筆者は非力も省みずこの「悲歌」の解釈を試みる ことにする。難解だからといって,はじめから解釈を加えずにそのまま放って おくのは,このうえない美酒を前にしながら,ただ指をくわえて見ているのと 同じであるように思われるからである。 きわめて複雑で濃密な内容をもつ本作品を一行ごとに十全かつ詳細に解き明 かすためには,本来なら,各下行について,その予行と密接な関連をもつリル ケの他の作品を数多く引用して,それらとその詩行との綿密な比較対照作業を おこないがら,着実に解釈を進めていくことが必要だろう。だがそれをすると, 例証をあげていくだけで,許されている戸数をほとんど奪いかねない。また, 本作品とふたりの往復書簡集との関係について述べることも,この特殊な「悲 歌」の本質を理解するためにはどうしても欠かせないことから,それにもいく らか紙幅を割きたい。そういうわけで,今回は例証をいちいち丁寧にあげるの は断念し,最:低限不可欠なものだけを引用することにしたい。そのほかは,関 連作品の内容の要約や参照箇所の指示のみにとどめることにする。 III. 7) 「マリーナ・ツヴェターエワ=エフロンのための悲歌」は次のように始まる。 6) RuZ, S.28. 7)マリーナへの「悲歌」の原文テクストはさまざまな版に収録されているが,今回使用し/ 136 北川 弘教授退官記念論文集(第294号) おお,万象のなかへの喪失なのだ,マリーナ,落下するこの星々は! 私たちが自己をどこへ,どの星へ投げかけようと,私たちは万象を 増やしはしない!全なるもののなかでは常にいっさいがすでに数えられている。 また落下する者が聖なる数を減らすこともない。 断念しつつおこなうすべての落下は,根源のなかへと落ち,癒えるのだ。 5 というのも,すべてはひとつの遊戯,同じものの交替,移動であって, どこにおいても名前はつかず,どこかに故郷をもち,勝負に勝つことも ほとんどないのではないか。 マtj 一ナ,私たちは波であって海!深遠であって,マリーナ,私たちは空! 私たちは大地,マリーナ,大地であって,私たちは幾千回もの春, 湧き立つ歌が不可視の世界のなかへ投げこむあの雲雀のよう。 10 この悲歌の開始部分は,リルケ特有の詩作方法,すなわち,ひとつの言葉に ポジティブな意味とネガティブな意味の両方をこめて用いながら,最:終的には 肯定的な意味で読まれることをめざすという,弁証法的な詩作方法が典型的に みられるところである。つまり,「喪失」Verlust・「落下」Sturzは,否定的に 扱われているようでいて,結局は肯定されているのである。ある存在物の喪失 ・死を,〈無〉になることと見なすのでなく,それが生まれ出てきた「根源」 Ursprungへ〈回帰〉することと考えるのは,リルケの文学の基本思想である。 すべての存在老は,根源である全一者(;「全なるもの」das Ganze,「聖なる 数」die heilige Zah1)から引き裂かれることによって,はじめて個体となって 誕生してくる。存在者が,あらかじめ定められている寿命にあらがうことなく, 「断念」して死滅してゆくとき,じつはそれは,自己が生まれ出てきた根源へ 戻り,ふたたび根源と合体することになるのである。またそのとき,個体にな る際に負った剥離の傷もようやく「癒える」のである。なにかが万象のなかか ら失われることはありえず,人間の眼には消滅とみえたとしても,それはじつ は,たんに全一者のところへ「移動」したにすぎない。そして,「移動」したも のはその後,今度はなにか別のものに形をかえて,全一者のところがらふたた \たのは,RuZ, S.71−72. リルケ最後の「悲歌」 137 び出てくることになる(=「同じものの交替」)。従って,「全なるもの」である 「聖なる数」の増減は決して起こりえないのである。この宇宙にあって,あら ゆる事物・存在者には,永遠の安定はありえず,絶えざる移動と交代,死滅と 誕生があるだけである。だから,それらは,固定化された「名前」をもつ暇も なく,落ち着くことのできる「故郷」を見いだすこともない。個々の存在にと っては,「すべては」次にどうなるかわからぬ賭け事にも似た「遊戯」Spie1な のである。ただしこれには「勝つ」ということはない。なぜなら,すべてのも のはたえず消滅と再生を繰り返すのだから,死んだからといって負けたのでは ないし,生まれたからといって勝ったわけではないのである。 もちろんリルケとツヴェターエワについても以上の法則は当てはまるのであ って,死滅の運命からふたりは免れることはできない。しかし,その法則を必 然的なものと捉え,消滅と再生の運命を肯定的に見ることができるふたりには, そのような永遠に続く流転は,安定さの欠如と感じられるどころか,このうえ ない法悦とみなされるのである。なぜなら,ふたりは「波」になり「海」にな り,ときに「深遠」,「天」になり,または「大地」となり,さらには「幾千回 もの春」にもなることができるからである。彼らはそのように次から次へと姿 を変えながら,万象のすみずみにいたるまで駆け巡っていくことができる。こ れは要するに,リルケが後期の作品のなかで繰り返し歌っていた「変身」 Verwandlungにほかならないのだが,このような雄大な旅が「変身」すること なのであれば,それはまさに悦び以外のなにものでもないといえよう。 「雲雀」は「第七の悲歌」にも登場しており,そこでは「おまえは純粋に叫 ぶだろう,/立ちのぼる季節が……/晴朗な大気や親密な心情の天空のなか 8) へ投げ入れるときの鳥のように」と歌われていた。このマリーナへの悲歌では, 雲雀は,全一の空間である「不可視の世界」Unsichtbarkeitのなかへ「歌」う ことによって投げ入れられる存在であるとされる。結局,雲雀は,真の詩人の 比喩であると見なしてよいだろう。詩人はその純粋な歌声によって,雲雀と同 様に,晴朗な全一の空間のなかへ入っていくことができるのである。 8) SW. Bd. 1, S. 709. 138 北川 弘教授退官記念論文集(第294号) ところで,この詩はどうして「喪失」・「落下」というようないわば暗涙なテ ーマから始められているのだろうか。また,最初すこし戸惑いを与えるかもし れない「数」をめぐる表現が使われているのはなぜだろうか。これらの疑問は, ふたりの往復書簡を読むと氷解する。すなわち,書簡における話題がこの詩で もひき続いて扱われているのであり,その文脈のなかで見れば,これらは唐突 な思いつきで歌われたのではないことがわかるのである。まず,この詩がいき なり「死」につながる重い主題で開始されているのは,6月3日付の手紙でツ ヴェターエワがそれについて言及していたからである。「存在しないこと 9) 死ぬこと!」Nicht sein.一Sterben!という表現がそこに見られるのである。 そもそもく死〉は,ツヴェターエワの文学の最大のテーマであった。死ぬこと は,彼女にとって虚偽の現世からの脱出・解放であり,純粋な精神的存在に高 められることであった。だが,これについては後でもう一度触れることにしよ う。また,「数」についてのく数秘学>Zahlenmystik, numerology的な話題 も,ふたりの間ですでに取りあげちれていたものであった。リルケは5月10日 10) 付の書簡で,「7,私の幸福をもたらす数」,,Sieben, meine segnende Zahl“と 述べたのに対し,ツヴェターエワもすぐ5月12日付の返信で,「7番目の天,7 11) 番目の夢」について語り,「7 ロシアの数!」と書いていたのである。もと もとリルケには,たとえば『オルフォイスへのソネット』の第II部第13歌(「言 い表わせぬ総計に,/歓呼しつつおまえ自身を数え入れ,そして数を消し去 12) れ。」)などに見られるように,数秘学的な思考があったのだが,〈数〉がツヴェ ターエワとの文通のなかで話題となっていたことによって,この詩においても, それが事物の消滅と再生,流転と変身についての神秘的な法則を語るにふさわ 13) しい題材として登場してきたのであろう。 9) RuZ, S. 69. 10) RuZ, S.52. 11) RuZ, S.57. 12) SW. Bd. 1, S. 759f. 13)リルケ文学におけるく数〉の意味については,拙稿「リルケと〈数〉 『音楽の裏側』 に潜む「法則』をめぐって 」〔徳島大学教養部紀要(人文・社会科学)第22巻,1987〕/ リルケ最後の「悲歌」 139 私たちは歌を歓呼として始める,だがそれは私たちをすぐに 11 まったく凌駕してしまう。 突然,私たちの重みはその歌を引き下げて嘆きへと曲げ擁める。 けれども嘆きとは? それは下へ向けられたより若い歓呼ではないだろうか。 下にいる神々も賞賛されたいと望んでいるのだ,マリーナ。 神々はそれほどに無垢で学校の生徒のように賞賛を待っている。 15 賞めること,愛する人よ,私たちは蕩尽することにしよう,賞賛を。 続いてリルケは「歓呼」と「嘆き」の関係について歌う。1∼10行の変身・ 流転の主題を受け継ぐかたちで,ここでも歓呼と嘆きの循環性が指摘される。 死んで落下することが,次に生まれてくる若い生の上昇を用意するように,没 落の嘆きは,未来に生まれてくるはずの歓呼の若い芽生えなのである。「第十の 悲歌」の最後では,「立ちのぼる幸福」と「落ちていく幸福」が同列に並べられ 14) ていた。あるいは,リルケの詩に頻繁に登場するモティーフであるく噴水〉や 放物線を描いて飛ぶくボール〉においては,つねに上昇と下降の両方がその動 15) きの本質的要素をなしていた。そのように,歓呼と嘆き,生と死の関係も,一 方は他方にとって存在するための必要条件なのであり,片方だけに固執するの は,真実の世界である全一的な世界から眼をそむけることなのである。 そう考えるならば,地中深く広がる〈死〉の世界は,普通思われているよう \を参照。同稿においてすでに筆者は,おもにリルケ独特のく数〉思想に基づいて,マリー ナへの「悲歌」の1∼5行目を一度解釈したことがある。 14) SW. Bd. 1, S. 726. 15)〈噴水〉についてはとくに,「第七の悲歌)(SW. Bd.1, S.709),晩年の完成詩「無制 (SW. Bd. II, S.159),フランス語詩集『果樹園』第26歌「噴水」(SW. Bd. II, S.530),草 稿詩「『オルフォイスのソネット』をめぐる作品群からの8っのソネット」のV,VI, VII (SW. Bd. II, S.468ff.)などを参照。〈ボール〉については,『新詩集別巻』「ボール」(SW. Bd. 1, S.639f。),『オルフォイスへのソネット』第II部第8歌(SW. Bd. 1, S.755f.), 「ラガツの墓地で書かれた作品」の皿「(存在していない)ボールのある子供の墓」(SW. Bd. II, S.172f.),『エリカ・ミッテラーとの往復書簡詩』の返信13(SW. Bd. II, S.318f.)な どを参照。なお,リルケ文学におけるく噴水〉とくボール〉の象徴的意味については,Otto Friedrich Bollnow : Rilke. Stuttgart : W. Kohlhammer Verlag, 21956, S. 260ff. ; Beda AIIemann : Zeit und Figur beim sPnten Rillee. Pfullingen : Verlag G. Neske, 1961, S. 58 ff.などに詳しい論述がある。 140 北川 弘教授退官記念論文集(第294号) な恐ろしいものではなくなる。そこは,新しい生が育まれる大切な母胎なので ある。そして「下にいる」,冥界を支配している「神々」も,恐怖の対象ではな くなる。それどころか,彼らが果たしている欠かせない重要な仕事のゆえに, 私たちは逆に彼らを「賞賛」すべきなのである。彼らは恐ろしくないどころか, 「無垢で」,素直な「生徒」のように,人間から賞賛されることを願ってさえい ると歌われる。そしてリルケはマり一ナに,生と同様に,死の世界をも,なん らの留保もなしに,ひたすら力のかぎり賞賛しようと提言する。 アザドウスキーは,14行目の「下にいる神々」は世俗的な愛:の神のようなも のを示唆していると解釈している。マリーナがリルケ宛の書簡のなかで,通常 の人間的な愛をあまりに厳しく拒絶している(「愛など私は敬わないし,愛しも 16) しない。愛のひどい下劣さ」)ので,リルケはそこまでしなくてもよいのではな いかという意味で,愛の感情的・官能的な面もそれなりに肯定するために,彼 17) らも「賞賛されたいと望んでいる」と歌ったのだという読み方である。この解 釈にもたしかに一理はあるが,愛:に関するそのようないわば妥協的ともいえる 主張は,この詩の後半で登場する「愛する人々」について歌われている内容と はまったく関係が認められないし,また,この詩の開始部分との繋がりを考慮 して読むならば,「下にいる神々」はやはり死の国の神々と取るほうが自然だと 思われる。 「悲歌」は,次に「所有」のテーマに移る。 私たちが所有するものなど何ひとつない。私たちは,花を折らずに, 17 そのうなじのまわりにそっと手をあてる。そんな仕草を, 私はナイル川のほとりのコーム・オンボで見た。 そのように,マリーナ,王たちもみずから断念しつつ,捧げものを供えるのだ。 「所有」とそしてその対立概念である「断念」の即題も,ふたりの往復書簡 16) RuZ, S. 69. ,,Liebe ehre und liebe ich nicht. B Be”MKova HM30cTi{ 」ro6BM 一“) 17) RuZ, S. 229 (Anrnerkungen). リルケ最後の「悲歌」 141 においてすでに取りあげられていた。ツヴェターエワは,悲壮な決意を表明し た例の6月3日付の手紙で「所有」についてこう書いていた,「他者のなかにあ ること,それとも,他者を持つこと(あるいは持とうと欲すること,そもそも 欲するということ)のどちらがよいのでしょう。私はそれに気づいたので,手 紙を差しあげずに沈黙していたのです。でも,それはいまではもう済んだこと。 欲することを私はすぐに終わりにしてしまいました。私はあなたから何かを欲 したでしょうか。なにもです。……つまり,ライナー,もう済んだことなの 18) です。私は欲することを欲しませんlch will nicht wollen.」と。このようなツ ヴェターエワの「持つことhaben」・「欲することwollen」(=所有すること) を断念するという思想は,リルケのそれについての考えと不思議なほど似かよ っていたということができる。リルケ自身も生涯にわたって事あるごとに,人 19) 間が「所有」に固執することの弊害・危険性を訴えてきた。リルケはツヴェタ ーエワが自分と同じような考え方をもっているのを知って,ますます彼女に対 して,詩人としての親近感を強めたにちがいない。そのような文脈のもとで, リルケはこの悲歌のなかでも所有について言及したのだと考えられる。「私たち が所有するものなど何ひとつない」と彼は17行目できっぱり断言しているので ある。次いで歌われるナイル河畔で彼が見たという,花にそっと触れる慎み深 い仕草,そして,どんなに強大な権力をもち,金銀財宝に恵まれた王たちでさ え,「断念しつつ」恭順に神々に犠牲の品を供えるというような光景は,『C・ W伯の遺稿から』第1部(1920年晩秋成立)の第VII歌,いわゆる〈カルナクの 詩〉においても見られたものである。すなわち,そこには「おお,見よ,みず からを捧げることを知らなくて/所有など何ほどのことがあろうか?/・…・・ 20) 王妃はパピルスの花を折るかわりに,しばしばそれをただ抱きしめる」と歌わ れていたのである。また,この節度を心得た態度は,「第二の悲歌」の終わり近 くで称えられているアッティカの墓碑に刻まれた人物たちの抑制された身振り 18) RuZ, S.69. 19)たとえば『ある女友だちのための鎮魂歌』,SW. Bd.1, S.654.などを参照。 20) SW. Bd. II, S. 120f. 142 北川 弘教授退官記念論文集(第294号) をも思い出させる。彼らは,愛する人と別れるさいでも,相手の肩にほんの軽 く手を触れるだけで,それ以上のことは断念するのを知っている控え目な人た 21) ちだつたとリルケは歌っていた。 すなわち,宇宙にあるすべてのものは消滅・再生を繰り返し,永遠に変転し 続けるのであるから,私たちがなにかを長いあいだ手元に引きとどめておこう と欲しても,それは無益なことであり,いな,そもそも不可能なことなのであ る。所有することを断念してこそ,万物の必然的で自然な流れの相を観ること ができるのであり,またそれを素直に肯定できるようにもなるのである。 天使たちがあの救われるべき者らの扉にしるしをつけにいくように, 20 私たちは見たところ優しげに,あれこれのものに手を触れる。 ああ,どんなに心ある口実のもとにあっても,すでになんと遠ざけられ, なんと放心しているのだろう,マリーナ,私たちは。しるしを与える者, ただそれだけの者。 17行目∼19行目では,リルケが1911年の初めに旅行したエジプトでの体験が 歌われていたのだが,エジプトということで連想されたのであろうか,次の行 では,『旧約聖書』の「出エジプト記」の一場面を想起させるような比喩が持ち だされる。「出エジプト記」第11章以下には,エジプト王の圧政に苦しむユダヤ の民のために,神がエジプトの国土を襲い,その入ロの柱と鴨居に雄の子羊の 血のしるしが塗られているユダヤ人の家の初子の命は救ったが(すなわち,何 もせずそのまま過ぎ越したが),それ以外のエジプト人の家のすべての初子を殺 してしまったと書かれている。これが,イスラエルの人々にとっての一番大切 な祭りであるく過越の祭り〉の起源となった出来事とされているのだが,20行 目の「救われるべき者らの扉にしるしをつける」というのは,そのような行為 が念頭に置かれていたのではないかと推測される。 さて,私たち人聞は,地上にあるいろいろなもの,特にはかないものに,そ 21) SW. Bd. 1, S. 691f. リルケ最後の「悲歌」 143 れらを救うという一見優しげな意図のもとに,触れようとする。だが,たとえ 「どんなに心ある口実」があったとしても,そのような意図は,人間の一方的 な思い上がりにすぎないのである。真実の世界=〈中心〉から「遠ざけられ」, また「放心している」存在にすぎない人間が,自分の手の中でそれらの事物を つかむ(=所有する)ことによって,それらを消滅することから救:い出そうと しても,それは最初から無理な企てなのである。人間には地上の事物の消滅を とめることは不可能である。人間にできるのは,ただ「しるしを与える」こと だけであり,それ以外にはなにもできない。この「しるしを与える」というの を,人間が事物に名前をつけることと解するのは適切ではないだろう。7行目 で,事物は「どこにおいても名前はつかず」とされていたのだから。そうでは なく,ここは,事物のために私たち人間ができるのは,ただそれをなんの下心 もなく,純粋に歌いあげることだと読むべきだろう。従って,「しるしを与える」 というのは,結局のところは詩人の仕事のことだといってよい。つまりここは 内容的には,「第九の悲歌」において,私たち人間がこの世に存在するのは「事 物たち自身ですら,それほど心をこめて存在しているとはけっして思ってもい なかった/そのように言うため」であり,人間あるいは詩人の果たすべきこと は,事物を歌うことを通して,それを「不可視の心のなかで変身させ」,「私た 22) ちの心のなかで眼に見えぬものとして甦らす」ことだと述べている箇所と,同 じことをいっているとみてよいだろう。 だが,この仕事は人間にとって簡 単に成し遂げることができるものではない。 このささやかな仕事にあってしかし,私たちのひとりは, もはやそれに耐えきれず,意を決してつかみかかり, 25 復讐し,殺してしまう。というのも,その仕事に死をもたらす力があることを 私たちはみな気づいているからだ。その仕事は,その優美な振舞にもかかわらず, 私たちを生者であるものから生き残った者にする 奇妙な力があるのだ。存在一しないこと。 29 22) SW. Bd. 1, S. 718ff. 144 北川 弘教授退官記念論文集(第294号) 事物を歌うことは,はたからは「優美な」ものに見えるかもしれないが,本 当は生易しい仕事ではけっしてなく,おそろしいほどの忍耐を要する困難な行 為なのである。それに耐えきれず,あせって乱暴に成し遂げようとすると,危 険であり,命を落とすことさえある。リルケの詩の読者なら,ここの部分が, 彼が1908年晩秋に書いた『ヴォルフ・フォン・カルクロイト伯爵のための鎮魂 歌』を想起させることに気づくだろう。詩人であった伯爵は1906年に,作品を 創造するためのあまりの苦悩に耐えきれず,19歳の若さで拳銃自殺してしまっ た。リルケは,伯爵の衝撃的な死を悼みながらも,若い詩人の早急さを非難す る,「どうしてあなたは待たなかったのか,その重みが/まったく耐えられぬも のになるまで? そうすれば,その重みは一変したのに」と。リルケによれば, 伯爵は,あと少し我慢すれば真の詩の言葉がそこから生まれてきたはずの大事 な「鋳型」を「みずからの手であまりにも急いで打ち砕いてしまった」のであ 23) る。この『鎮魂歌』で歌われたように,「しるしを与える」という詩人の仕事 は,生命を危険にさらすような至難の行為なのである。 「死」のモテ4一フが登場して,悲歌はここで再び冒頭の主題に立ち返った といってよいが,リルケは次に,「存在一しないことNicht−sein」という,短い が,印象的に響く語を置く。この表現は,マリーナの6月3日付の書簡に見ら れたものだった。「手紙がないのは一あなたがいないこと,でも手紙があって も一あなたはいない,いいえ,あなたがいても一あなたはいないのです。 あなたの中へ!存在しないということ一死ぬこと!Nicht sein− 24) Sterben !」とツヴェターエワは彼女独特の文体で書いていた。先にも少し触れ たが,彼女にとっては,現世に存在しないこと,死んでいることは,ネガティ ブなどころか,このうえなく望ましい状態である。それは,限界づけられた虚 偽の現実からの解放,純粋な精神的存在への昇華,人間の魂の真実の故郷への 25) 回帰なのである。ツヴェタ一節ワにとって,詩人リルケはすでに真実の世界の 23) SW. Bd. 1, S. 660, S. 662 24) RuZ, S. 69. 25)ツヴェターエワの独特なく死〉の捉え方については,拙稿「リルケの〈死〉とツヴェタ/ リルケ最後の「悲歌」 145 なかにいるために,生きているにもかかわらず,現実のなかには存在していな いのである。「あなたがいても一あなたはいない」というのはそういう意味で ある。リルケが,この悲歌のなかに,Nicht−seinという風変わりな言葉を入れ たのは,マリーナの手紙のなかにあった表現がきっかけとなったのは間違いな いといえる。だが,Nicht−seinという言葉は,実はリルケの作品『オルフォイ スへのソネット』第II部第13歌にも見られるものである(「在れ。そして同時に 26) 非一思の条件を知れ」Sei 一 und wisse zugleich des Nicht−seins Bedingung)。 ということは,ツヴェターエワが6月3日の手紙でその表現を使ったのは,リ ルケの『ソネット』を意識していたのかもしれないのである。両詩人は,お互 いの詩の世界の本質を端的にあらわすキーワードを,こうしてキャッチボール でもするかのように送りあって楽しんでいるといってよい。 あなたは知っているだろうか?29 盲目の命令が私たちを連れて,新しい誕生の凍てついた控えの間を, 30 いく度となく通っていったことを……いや,私たちを連れてだろうか? 数かぎりない眼蓋の下の眼からなるひとつの肉体を拒否しながら,それは 全種族の,私たちの内部に投げ入れられた心を,連れていったのだった。 その命令は,渡り鳥の目的地へとその群れを,私たちの漂流する変転の形象を 運んでいったのだ。 27) ここは,マリーナへの悲歌のなかでも,とくに晦渋な箇所であるが,おおよ その意味は捉えることができる。この部分は,詩の冒頭と関連づけて読むべき だろう。私たちは宇宙のなかで消滅と再生を絶えず繰り返している。万物の変 転を統べる究極者が出す,有無をいわせぬ「盲目の命令」によって私たちは, \一エワ」〔彦根論叢第287・288号,1994年〕を参照。 26) SW. Bd. 1, S. 759. 27)29∼33行については,Heinlich Imhof:Rillees》Gott《. Heidelberg:Lothar Stiehm Verlag,1983, S.265f.でも解釈がおこなわれているが, Imhofの説明はあまりにユング派 心理学に寄りかかりすぎており,納得のいくものではない。 146 北川 弘教授退官記念論文集(第294号) もうすでに「いく度」も根源の世界から連れ出され,その都度,長くて厳しい 道のりを通って,さまざまな存在物として新しく生まれ変わってきたのである。 誕生に至るまでの道は,極度に困難なもので,「凍てついた控えの間」(ふつう 主室は暖めるが,たんなる通路である控えの部屋を暖めることはないので,そ こはつねに寒いのである)のようであるとされ,また,「渡り鳥」の遥か遠い目 的地をめざす苛烈な旅にも喩えられている。そして,その行程を運ばれていた ときの私たちは,誕生後そうであるような「肉体」をもった存在ではなかった。 いや,まだ重い「眼蓋」に被われたままで眼が開いていない胎児のような状態 ではあったかもしれない(「数かぎりない眼蓋の下の」という表現は,リルケの 28) 薔薇を歌った墓碑銘の詩句を思わせる)。だが,「盲目の命令」が運んでいたの は,そのような肉体ではなく,「心」だった。そのなかには,現世でのあらゆる 存在物の可能性が込められていた。永遠に変身し続ける私たちの「心」のなか には,人間あるいは動物,植物,また事物となって生まれ変わることになるす べての可能性が投げ込まれていたのである。その意味で「心」は,そこに,「漂 流する変転」のすべての軌跡がいわば束をなし,「群れ」をなして描かれている 「形象」であるといえる。自然の大いなる力によって,毎年定められた季節に なると,渡り鳥がぎっしりと大群をなして,まっしぐらに目的地めざして長い 距離を飛び続けていくが,私たちのなかにある「心」,いわば魂も,そのなかに さまざまな新しい生命体・存在物への可能性を秘めて,根源的世界から表層世 界へと至る遠く,厳しい道のりをもう何度も通ってきたのである。 愛する者たちは,マリーナ,没落についてそれほど知ることは許されない。 35 彼らはいつも新しいもののようでなくてはならない。 彼らを入れた墓だけがようやく古び,彼らの墓だけが思案し, すすり泣く樹木の陰のしたで黒ずみながら,昔のことを思い出す。 彼らの墓だけが崩れ落ちるのであって,彼ら自身は柳の枝のようにしなやかで, 28)SW. Bd. II, S,185.(三行詩「薔薇よ,おお純粋な矛盾,悦びよ,/このように多くの眼 蓋のしたで/誰の眠りでもないという。」) リルケ最後の「悲歌」 147 彼らを大きく携めるものが彼らをすばらしい冠へと丸めるのだ。 40 ああ,彼らは五月の風のなかで吹き消えてゆく!あなたがそのなかで 呼吸し,感じているぐ1亘常〉の中心から,瞬間が彼らを締め出してしまう。 (ああ,私はあなたをなんとよく理解していることか。あなたは, 同じ不滅の灌木に咲く雌花。私は夜の風のなかに,なんと強く 自分を撒き散らしていることか。ほどなくその風はそっとあなたに触れるのだ。)45 総じてマリーナへの悲歌には,内容の面から見て,リルケが彼女に献本した 『ドゥイノの悲歌』,『オルフォイスへのソネット』との強い関連が感じられる のだが,「愛する者たち」について歌っているここの弱行も,そのことをはっき りと窺わせる場所である。とくに「柳」を「撹める」というモティーフは,『ソ ネット』第1部第6歌の「柳の根を知るものは,さらに巧みに柳の枝を悔める だろう」という詩行を彷彿とさせる。また,ここで否定的に扱われている「墓」 は,『ソネット』第1部第5歌でも「記念の石は建てるな」と歌われて,やはり 29) 同じようにネガティブな形象として登場していた。 さて,「愛する者たち」は本来「没落」=死について考えるようなことがあっ てはならない,とリルケはいう。冒頭で歌われたように,宇宙においては絶え ず「落下」と上昇が連動して生じているのであり,個体の死は次の新しい生へ の一段階にすぎない。全体的な視点からみれば,すべての存在は,死んだとし ても,無に帰すことはないのであって,新しく生まれてくるために変身してい るだけなのである。それらは,誕生し,成長し,盛りを終えれば,すみやかに 変身し,別の存在として甦る。つねに変身を繰り返していれば,その存在は古 30) くなることはありえず,「いつも新しい」のである。リルケのく時間〉概念から いえば,変身を続ける存在は,現世的時間,つまり流れ去る直線的時間のなか ではなく,円環的な時間のなかにいる。いわば永遠の現在のなかにいるのであ る。一方,変身の運命を理解せず,死を率直に受け入れ.られないまま,過去の 29)第1部第6歌:SW. Bd.1, S. 734;第1部第5歌:SW. Bd.1, S. 733. 30)リルケ文学における二様の〈時間〉概念については,たとえば,B. Allemann, a.a.O., S.25ff. u. S. 117ff.などを参照。 148 北川 弘教授退官記念論文集(第294号) 記憶をいつまでもとどめようとして建てられた重い「彼らの墓」は,現世的時 間のなかにいて,悲しげな様子で,暗く「昔のことを思い出し」ながら,次第 に「古び」ていき,最後には「崩れ落ちる」。円環的時間のなかにいて,たえず 変身し,流転し続ける存在が,けっして古くならず,永遠に「新しい」のと三 蹟的である。 さらにリルケは,「愛する者たち」は「柳の枝のようにしなやか」である(あ るいは,そうで「なくてはならない」)という。凝固と停滞を象徴する墓に対し て,彼らは変身を自然に受け入れる柔軟な存在である。彼らを「大きく撹める」 とは,彼らの生命を危険にさらすこと,あるいは彼らを死に至らせることを意 味している。だがそのとき,「柳の枝のようにしなやか」な彼らは折れるどころ か,「すばらしい冠Kranzへと丸め」られるという。すなわち,彼らは死によっ て,栄光ある勝利者の頭上にのせられるような見事なKranz(冠,花輪)とな る。彼らが生まれてきた根源へと循環・回帰するという点で,死は,避けるべ きものではなく,逆に彼らにとってポジティブに捉えられるものなのである。 「愛する以たち」がこの地上から「消えて」いっても,それは,なんら嘆き 悲しむことではない。彼らは,別の存在となって再生してくるために,しばら く姿が見えなくなるにすぎないのである。彼らは,花咲き揃う「五月」の,芳 香にみちた爽やかな「風」のなかに吸いこまれるように,そっと消えてゆく。 なんらの抵抗もなしに,滑るように静かに,眼に見える領域から眼に見えない 領域へ帰ってゆくのである。(この行についても,『ソネット』第1部第5歌で, オルフォイスについて「彼は来てはまた去ってゆく。……彼はなんと消えて 31) ゆかなければならないことか」と歌われていたのが思い出される。) 次の「〈恒常〉の中心Mitte des Immer」という少し風変わりな表現は,ツヴ ェターエワの6月3日の手紙のなかにあったものである。すなわち,「生まれて くる前には,人は〈いつも〉であり,〈すべて〉です。でも生きているとき,人 は〈なにかあるもの〉であり,〈いま〉なのです」。Vor dem Leben ist man immer 31) SW. Bd. 1, S. 733f. リルケ最後の「悲歌」 149 32) und alles, wie man lebt 一 ist man etwas und ietzt.“と彼女は書いていた。ツ ヴェターエワにとっては,もちろん「生まれてくる前」の世界のほうが望まし いのであって,そこでは人は永遠(=〈いつも〉)であり,制約のない〈すべて〉 であることができるのである。それに対して,現世においては人は,いっとき のはかない瞬間に,限定された個体として存在しているにすぎないと見られて いる。リルケは,この書簡にあったimmerという語を,自分の「悲歌」のなか に取り入れたと考えてよいだろう。 またここでは,彼女とたんなる「愛する者たち」との違いも明らかにされて いる。「愛する者たち」はときに,彼らの愛の至幸の「旧聞」をできる限り長び かせようとして,相手を自分のもとにく所有〉し続けることを〈欲して〉しま う。だが,すでに述べたように,人間には所有できるものなど何ひとつないの である。たえず変身・流転し続ける運命にある人間には,時間を止めたり,所 有したりすることは本来許されていないのであり,その運命に逆ちおうとすれ ば,結局あの「墓」のように古び,崩れ落ちるしかないのである。そのように 「愛する者たち」は,現世的な「瞬間」を無理やり持続させようと欲して,か えって逆に「恒常Immer」を本質とする永遠の世界から締め出されてしまうこ とがあるのである。一方,〈断念する〉ことを知り,万物の変身の運命を洞察し ているツヴェターエワは,そのことによって,円環的時間の支配する永遠の世 界,「lmmerの中心」にもはや完全に安定して住み込み,そこでまったく純粋に 「呼吸し,感じている」と称えられているのである。 そのあとに続く,括弧のなかに入れられた詩行は,女性詩人としてのツヴェ ターエワに対する,リルケの心からの親近感を吐露したものであるが,使われ ている比喩の大胆さは瞠目に値する。リルケとツヴェターエワは,同じ木に咲 く雄花と雌花に喩えられるのだが,なんと,リルケである雄花は,夜,その〈花 粉〉を風に撒き散らし,そしてそれを雌花であるツヴェターエワが受胎すると いうのであるから。ふたりの存在は深い根を通してつながりあって,同じ樹液 がふたりのなかに流れている。そのうえ,ふたりは互いに選び合った親密な夫 32) RuZ, S. 68. 150 北川 弘教授退官記念論文集(第294号) 婦として,力をあわせて未来の果実を作り出すと歌われているのである。ここ は,リルケの彼女への熱烈な共感と愛情が驚くべき率直さによって表出されて いて,このような詩句を最も敬愛する詩人から贈られたツヴェターエワがどん なに悦ばしく思ったかは,容易に想像がつく。この作品を彼女が宝物のように 生涯大切にし続けていたのも頷けるといえよう。 「悲歌」は次のように歌われて終わる。 むかし神々は半分であるような45 振りをすることを学んだ。循環のなかに引きいれられた私たちは しかし月のように自分たちを満たして,全なるものとなった。 欠けてゆく時期にあってさえ,転回の週にあってさえ, 私たちがいつかふたたび全き存在となるのを助けるのは, ただひとえに,眠りなき風景のうえをゆくみずからの孤独な歩みだけだろう。 50 最:後の部分も難解である。とりわけ「半分であるような振りをする」Halften heucheln「神々」G6tterが,もっとも解釈しづらい。なぜなら,ふつうリルケ 33) の晩年の詩に登場する神々は,たとえば「神々……彼らは不滅の者たち」,ま 34) た「神々……おんみらだけが根源だ」というように高い賛辞を受けているの に対し,ここではいささか否定的に扱われているからである。バッサーマンも この詩行には手を焼いている。彼は,推測であると断りながら,次のように述 べる。この最:後のリルケの表現には「神々に対する強い拒絶,……神々に対 する軽蔑さえあるのではないか。……神々は,『全体』でなく,半分であるよ うな振りをすることを学んだ。神々は『学校の生徒のように』賞賛を待ってい る。ということは,人間こそが神々にとっての尺度なのであり,神々が人間の 尺度ではなかったということでないだろうか。だからこそ終行は,『私たちがい つかふたたび全き存在となるのを助けるのは,/ただひとえに,眠りなき風景 33)『オルフォイスへのソネット』第II部第24歌。 SW. Bd.1, S.767. 34)。Jetzt wtir es Zeit, daB Gotter traten aus bewohnten Dingen・…・・“で始まる完成詩 の一節。SW, Bd. II, S.185. りルケ最:後の「悲歌」 151 のうえをゆくみずからの(!)孤独な(!)歩みだけだろう』と歌われているのだ」 と。さらにバッサーマンは,マリーナへの悲歌でのリルケの基本的な創作態度 について,「『ドゥイノの悲歌』とは違って,この詩には,リルケのもはや何に よっても動揺させられることのない完壁な自信が感じられる」。ここではもはや 「疑問」の形をとることはなく,すべてが「完壁な洞察のおかげで」確信にみ 35) ちて「言い尽くされている」,と述べている。つまり,バッサーマンは,最晩年 にリルケが到達した揺るぎない確固とした詩的境地が,彼の文学世界における 神々の地位を相対的に低下させたのではないかと推考しているのである。バッ サーマンのこの解釈は,もちろんひとつの説得力ある見解ではあるが,しかし, なぜ神々が「半分であるような振りをする」のかについては,結局具体的な説 明はなされずじまいである。そしてこの神々と14∼15行に登場した「賞賛を待 つ」「下にいる」神々との関係も,依然として不明のままなのである。私も現時 点では,神々のこのネガティブな行動の意味については,さらなる研究の積み 重ねが必要だとしか言うことができない。それでも,この詩の最後の部分でリ ルケが言おうとしたことの大筋は捉えることができるだろう。その際,バッサ ーマンが最終行にある「みずからの」と「孤独な」の語に!をつけてことさら 強調していたのが参考になる。 冒頭にも歌われていたが,宇宙においては,私たち人間をも含めてすべての 存在は,死と再生,落下と上昇を繰り返す永遠の「循環」のなかに引き込まれ ている。その循環をもっともよく象徴するものとして,ここでは,規則的に満 ち欠けを繰り返し,絶えず変身し続ける「月」が呼び出される。月は,毎夜, 人間がみな眠りこんでいるときでも,ひとり「孤独」に,静寂が支配する冷た い地上の風景のうえを着実に歩んでゆく。「欠けてゆく」ときでも,消滅してゆ く「転回」のときでも動じることなく,いつのまにかふたたび見事な満月とな って明るく輝く。同じように人間も,「全き存在」になるためには,不完全な神 々に救いを求めても無駄なのであって,他を頼らず,人間「みずから」が,彼 に課されたあの「死をもたらす」(26行)こともある困難な仕事を恐ろしいほど 35) D. Basserrnann, a.a.O., S. 226ff. 152 北川 弘教授退官記念論文集(第294号) の忍耐をもってやり続けなければならない。そして,誰からも注目されなくて も,ひとり「孤独」に人生を最後まで歩んでゆかねばならない,というのであ る。 美しく,かつ壮絶な比喩を用いて,断言的に語られたこの最後の決意はじつ に印象的であるが,同時に,死が間近に迫っているのを予感していたリルケが, 詩人として歩んできた「みずからの」長い「孤独な」道程を振り返ってこのよ うな詩句を書いたのではないかと考えると,この終りの部分はいっそう感慨深 く読まれるように思われる。 IV. このリルケ最後の「悲歌」は,彼が生涯をかけて探求してきた重要な詩的主 題の数々が,短く彫琢された表現形式のなかに濃縮されて盛り込まれている点 で,リルケ晩年の詩境のエッセンスを窺うことができる作品である。また,そ の表現のスケールの比類のない雄大さと力強く確信的な語り口は,この詩の大 きな魅力となっている。だが,この「悲歌」をリルケの他の作品とは異なる独 自なものにしているのは,彼がこの詩において,詩人として自己の最高の後継 者のひとりと見なしていたマリーナ・ツヴェターエワに向かって,彼の並々な らぬ信頼と深い愛情を語ったさいの,その驚くべき表現の大胆さではないかと 思われる。それが,この「悲歌」をリルケの数多くの献呈詩のなかでも異色の 逸品にしているのである。 (1994.12.15.)