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芝谷桂祐 - 横浜国立大学・国際教育センター

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芝谷桂祐 - 横浜国立大学・国際教育センター
台湾 SV を経験して
まず、台湾 SV への参加を希望した理由を述べようと思う。
それはまず国際理解 台湾の文化と社会 を受講した理由にもつながる。私はもともと台湾に対して興味を抱いてい
た。それは、台湾は親日国だとよく聞いていたからだ。やはり母国に対し良い感情を抱いてくれていることはとても嬉し
く、台湾とはどんな国なのだろうか、それを深く知りたくこの講義を受講することに決めた。実は、受講する前から一つ
気になる疑問を抱いていた。それは、”なぜ台湾人の中には日本語をしゃべることができる人が多く存在するのだろ
う。”というものだ。しかし、この疑問は授業を受けることで、なんとも浅はかで、いかに自分の知識が乏しく、そして台湾
人に対して失礼なことであるかを痛感させられた。台湾は 1895 年~1945 年の間、日本によって統治されていた。この
事実を知らなかった自分はいかに歴史に無頓着であり、無知であるかを思い知り、そしてさらなる疑問が浮かび上
がった。それは、”実際には台湾人は日本に対してどう思っているのだろうか”というものである。直接台湾に行き、現
地の人々と触れ合い、答えに近づくことができれば、そう思い台湾 SV に参加することを決めた。
では以下では SV での時系列に沿って、体験し感じたこと、学んだことを述べていきたいと思う。
1 月 11 日 一日目
この日は台湾に着いて現地の学生、横浜国立大学から留学している日本人学生と夕食の席を共にし、交流を深めた。
まずはじめにとても驚いたことは、彼らはみな日本語がとても流暢であることだ。日本語学科に属しているのだからとい
うのはあるのだろうが、それにしても日本語の上手さには驚いた。いつごろから日本語を学んでいるのかを聞くと、早
い人でも高校生から勉強しているらしく、わずか数年でほぼ問題なくコミュニケーションをとることができるレベルまでに
上達している。そこに、台湾の語学教育(語学以外の教育レベルも高い)のレベルの高さ、そして自分の語学力のなさ
を痛感した。私は中学一年生から約八年間英語を学んでいるが、全くと言っていいほどコミュニケーションは取れない。
しかし彼らは私たちが話す日本語のほぼすべてを理解し、なおかつ正しい文法で返事をよこしてくれるのだ。特に、
ゆっこというあだ名の学生は最初日本人なのかと勘違いを起こすくらい日本語の発音に長けていた。そして実際に交
流していくと、彼らは日本の文化にとても興味があることに気づいた。日本の音楽アーティストやアニメ、漫画に非常に
興味があり、台湾にも多くの日本の作品が流通しているそうだ。ホテルでテレビをつけると NHK が放送されていたり、
商店街の看板に日本語が書かれていたり、日本とのつながりの深さを初日にして感じることが多かった。
1 月 12 日 二日目
この日は清華大学を訪問した。清華大学は特に理系が有名な大学であり、台湾屈指の名門校である。まず、その面
積の広さに驚いた。正門を入ってから理系の学棟まで車で移動しなければならないほど広く、そして建物ひとつひと
つの大きさもとても大きかった。中に入り、様々な研究室を覗き、どのような研究を行っているかを聞かせていただいた。
私自身は経営学部であり、日本では文系に区分されているのであまり関連性がないだろうと思っていたのだが、研究
の中には経営学部におけるマーケティングを学んでいるところもあり、今まさに私はマーケティングについても学んで
いるので、とても興味がわいた。PC ルームには休みの日にも関わらず多くの学生が足を運んでおり、自習をしている
ようだった。横浜国立大学では、PC ルームは図書館は 22 時までしか使用できないのだが、清華大学では 24 時まで
使用でき、朝早くから夜遅くまで勉強に励む環境づくりがされているのだろうと感じた。
清華大学を見学した後、台湾の夜市を見てみたいと思い、士林に向かった。士林夜市は夜市のなかでも規模が大き
く、多くの出店や観光客、台湾人で賑わっている。まず感じたことは物価の安さである。日本で食事をする場合おそら
く 500 円はくだらないだろう。しかし、台湾では 200 円~300 円あれば満足できるほどお腹いっぱい食事をすることが
でき、さらには味はとても美味しいものであった。人の顔ほどの大きさがあるフライドチキンが 150 円で買えたり、小龍
包が一つ 30 円以下であったり、物価の安さをとても羨ましく感じた。しかし、ここで、初日に交流した学生から聞いた
話を思い出した。彼らのアルバイトでの時給は 100 元程度らしく、日本円にして 300 円くらいである。つまり、物価が安
いのと同時に所得も低く、彼らからしたら我々が感じるほどの物価の安さはないのだろうと思った。そして、ここは熱気、
人々の活気が凄まじく、夜遅くまで明るく賑わっており、現地の人々の熱さを身近に感じることができ、貴重な体験が
できたと思っている。
1 月 13 日 三日目
この日は終日自由行動であり、初日に交流した学生とともにいくつかの施設、土地を訪れた。まず、台湾に古くから住
んでいた原住民についての資料が多く存在する原住民博物館を訪れた。原住民はおおまかに 12 の部族に分かれて
おり、それぞれの部族の資料やその時代の工具などが展示されていた。中でも驚いたのが、部族の中には成人の儀
として首狩りが行われているものがあり、成人すると他の部族の首を狩り、それをもってして成人と認められるのだそう
だ。しかも首を狩る相手は女性子供を問わず、正直に言うととてもおぞましく残忍であると感じた。しかし、彼らにとって
それは伝統的に行われてきたことであり、成人するには行うのが当然のものであるわけで、それを残忍だと感じるのは
わたしの価値観であり、一概に言い切ることはできないのだ、と学生に教えられた。
その後、夜は九份を訪れた。九份とは有名なジブリ映画”千と千尋の神隠し”のモデルにもなっている歴史ある土地で
ある。そこはものすごい数の提灯が吊るされており、幻想的な雰囲気を醸し出していた。さらに授業でも取り扱った“悲
情城市”という映画のロケ地でもあり、伝統的かつ美しい街並みの素晴らしい土地であった。
1 月 14 日 四日目
この日はまず台湾総督府を訪れた。台湾総督府とは、日清戦争の結果清国から割譲された台湾を統治するために設
置された日本の出先官庁であり、現在も総統府として使用されており、警備は厳重で立ち入るためにはパスポートを
提示し、ボディチェックを受けなければならないほどであった。そこには日本統治時代の貴重な歴史的資料から、現
在の総統である馬英九総統の私物などまでが展示されており、まさに台湾の歴史を物語る場所であると感じた。その
後二二八国家記念館を訪れた。そこには二二八事件によって亡くなられた方々の名前や写真があり、二二八事件が
起きた経緯を詳しく解説する書物なども置かれてあった。悲惨な事件によっておきた悲劇を風化することなく記憶し続
けようという意思は日本の原爆ドームに共通する点があるのだろうかと感じた。実際亡くなられた方の写真を拝見する
と授業で聞くだけでは感じられないであろうリアルさというものを感じ、胸が詰まる思いがした。
その後台湾国立大学を訪れ、張文薫先生の授業を体験させていただいた。ゼミの生徒たちは一人一人が意見をもち、
積極的に発表し、考えており、自分も含め日本の学生にはあまり見られないであろう姿であったのでとても感心し、そ
れとともに自分の姿を反省するばかりであった。彼らは授業を受け、なにかを得ようという意思が私に比べて格段に高
く、同じ時間を過ごしても吸収するものの量、質は比べ物にならないだろう。私も授業においてなにか得よう、身に付け
ようという意思をもっと持たなければ、そう感じた。
1 月 15 日 五日目
この日は政治大学台湾文学研究所に赴き、呉先生のゼミの授業に参加させていただいた。ありがたいことに授業のポ
イントポイントで呉先生が日本語で要点を説明してくださり、あまり不自由なく授業に参加することができた。ゼミの生
徒には昨年 SS を利用して日本に訪れた方もおり、交流の際にさまざまな話をすることができた。そのあと台北動物園
を訪れた。学生に聞いたのだが、現在公開されているライフ・オブ・パイという映画に出てくる動物のほとんどがこの動
物園の動物であるそうだ。台北動物園の共通した特徴として私が感じたのは、できる限り自然を切り取ったような環境
づくりをしているということだ。サバンナに生息する動物ならサバンナのような環境に、草原に生息する動物なら草原の
ような環境にできるだけ近づけようと工夫しているように思えた。
この数日間の体験を通して私は、少なくとも台湾の若い人々の多くは日本に対し好意的な印象を抱いてくれている方
が多いように思えた。日本のサブカルチャーに興味を抱いている人もいたし、コンビニなどにも若い人向けの日本の
雑誌なども置かれていて、私が想像していた以上に日本と台湾は距離感が近いのだと知った。そして学生はとても意
欲的であり、学ぶことに喜びを感じているようにも思え、今の恵まれた環境を活かしきっていない自分を情けなく、そし
てもったいなく感じた。今回の SV での個人的な一番の収穫はそういった“意識”の芽生えであるかもしれない。彼らに
触発され、学ぶ意欲が以前より確実に高まったと思っている。ただ一つ、後悔が残るのは、日本統治時代を体験して
いる年配の方と交流をすることができなかったことである。日本統治時代を経験された方々は日本に対しどういった感
情を抱いているのか、これについては答えを出すことはできていない。もし、また台湾を訪れる機会、もしくは台湾の方
と交流する機会があるならぜひ生の声を聞いてみたいと思っている。
経営学部 芝谷佳祐
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