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第1章 序論 - 東京工業大学電子図書館

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第1章 序論 - 東京工業大学電子図書館
第1章
序論
第1章
序論
1-1 背景
あらゆる科学の発展は人々に飢えることのない十分な食料の供給や暖かい住
居や衣服、また困難な病気の克服といった生きることに必要不可欠な事柄を超
えて、快適性や利便性を保障し、
それによる豊かな文化の進展に貢献してきた。
我が国では現在、少子化とともに高齢化が急速に進んでいる。65 歳以上の高齢
者が総人口に占める割合(高齢化率)は 2006 年 6 月に遂に 20%を超え、2015 年
には 26%、2050 年には 36%に達すると予測されている[1]。このような社会構
造の変化は、身体機能が衰えつつある高齢化世代の健康で活発的な活動性を維
持することが求められている[2]。このような背景の下、医療に関わる科学の進
展は高齢化社会における人々のQOL(quality of life)の向上及び維持に貢献する
ことになる。しかしながら高齢化社会は高い費用を要求される医療コストを負
担する若手世代の相対的減少も意味するため、これからの新時代の医療はコス
ト性を考慮したものが求められることが想定される。従って、従来の機能と同
等もしくはそれ以上の機能を持つ新規生体材料を開発することは、上記のよう
な医療コストの低減に貢献し、社会的に大きな意義をもつことになる。
医療に用いられる材料は、高分子、セラミックス及び金属材料がそれぞれの
素材が有した特長を活かして様々な医用材料として用いられる。医用材料は用
途に応じて多岐に渡り一括りにはできないが大まかに分類すると以下のように
纏められる[3]。
第Ⅰ群:生体機能の代行・制御
生体内の器官の異常部位を代行し、生体全体の機能を制御
(例:人工血管、人工皮膚、人工骨、人工赤血球、人工心臓など)
第Ⅱ群:診断・治療システムを支える医療素材
新しい機能を有する材料を用いた革新的な診断法や治療法
(例:カテーテル、バイパスチューブ、バイオセンサーなど)
第Ⅲ群:免疫工学及び細胞工学分野への応用
(例:細胞培養基材など)
第Ⅰ群は生体内に埋植し、その材料としての機能を果たすものであるのに対
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して、第Ⅱ群は医療を補助する役割である。第Ⅲ群は新機能を有する材料によ
って補助される生命科学の進展に大きな役割を果たすことができる。医用材料
は、それを用いることで患者に与える副作用に最大限注意を払う必要があるこ
とから、コスト性よりも安全性を重視される傾向が強い。すなわち、生体材料
として用いられる素材は一般的にあまり出回らない特徴的な性質を有し、かつ
純度の高い素材が用いられることから、その調達の高コスト化の要因となる。
生体材料は、機械的特性を除けば、基本的に材料表面と生体組織との反応に
よってその機能を果たしている。すなわち、素材自体が生体材料としての機能
を有さなくても表面にその機能を付与することで生体材料として用いることが
可能である。一般的に工業材料では素材の表面に薄膜を形成するコーティング
によって、材料の高機能化と低コスト化は盛んに行われている。この考え方は
生体材料に適用することが可能である。すなわち、機能性コーティングの観点
から医療コストを低減させる新規生体材料の手法を開発する研究は有望である
といえる。
生体材料はその使用するための必須条件は他の工業材料と異なり、動物実験
や臨床治療を経て安全性を保障されなければ認可されない。これは生体に接触
したときに、発熱、溶血、慢性炎症、アレルギーなどが発生しないといった無
毒性が証明されなければ、どんなに生体材料としての機能が優れていたとして
も意味をなさないことによる。また、無毒性が保障されても、材料界面組織と
生体組織との適合性がないものは、生体内の異物排除の働きによる繊維性皮膜
や血栓などの形成されるため用いることができない[4]。このような要求を満た
す機能性コーティングの設計は、生体に対する無毒性を保障された機械的特性
及びコスト性に優れた基材に生体材料としての優れた機能と生体適合性を有し
た材料による構成であることを考慮した指針であればよい。
熱・触媒硬化系の生体材料として多く臨床応用されているものとして天然ゴ
ム、ウレタンゴム及びシリコーンが挙げられる。シリコーン系材料は生体親和
性の優れた材料として、人工臓器や使い捨て医療器具など様々な用途に用いら
れている。シリコーン化合物の例として、直鎖状高分子であるポリジメチルシ
ロキサン(PDMS)は、ポリウレタンのセグメント化することで血液適合性と機械
的特性に優れた人工血管や人工心臓などに用いられている[5]。このような背景
から、シリコーン系材料は機能性コーティングとして生体材料への適用に期待
できる。しかしながら、先に挙げたPDMSはシリコーンの生体材料への応用例
として多く見られるが、医療基材に対する機能性コーティングではあまり用い
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られていない。両側の側鎖にメチル基を有した直鎖状の高分子であるPDMSは、
その末端もしくは側鎖の有機官能基を改質することで他の有機高分子とのグラ
フト化のよる結合に有利であるが、PDMSの持つ有機基はセラミックスや金属
といった無機材料との結合には余り適していない。
シリコーンと呼ばれるシロキサン(Si-O-Si)構造に有機官能基を有した有機シ
リケート系材料は、ゾル-ゲル法を用いることで様々な機能性コーティングの手
法が研究されている。ゾル-ゲル法は有機及び無機化合物の溶液をゲルとして固
化し、加熱することで酸化物の固体を作製する方法である。この方法の利点は
(1)高純度のガラス及びセラミックスが比較的低温で生成すること、(2)高度の均
質性が達成しやすいこと、(3)溶液下での均一な反応から通常の方法では作製で
きない新しい組成のハイブリッド材料が作製しやすいこと、(4)スパッタ法や化
学気相蒸着法に比べて生産効率が高い、等といった特徴をもっている[6]。例と
してFigure 1.にシリカガラスの製造法に対する加熱温度の比較を示す。特にコ
ーティングによる表面改質は溶液を経て合成されるため、コーティング基体を
溶液に浸漬し引き上げるという非常に簡便なディップ法を用いることができる
ため低コストである。ゾル-ゲル法を用いた機能ガラスの研究は 1980 年代から
急激に増加し、様々な組成をもった材料が報告されている。有機無機ハイブリ
ッドはシリカに原子または分子集団の有機基及び高分子を組み込むことで弾力
性や引張強度などの機能を向上させた材料として開発された [7] 。これは通称
Ormocerと呼ばれるゾル-ゲル法を元にして作られた新規材料として知られるよ
うになった。
以上の背景から、ゾル-ゲル法を用いた有機シリケートは、生体材料としての
機能付加とその作製に対する長所から、機能性コーティングによる新規生体材
料の開発に有効であると考えられる。そこで、本章では、有機シリケート材料
の成り立ち、現在の医療応用の現状について言及し、また、期待できる応用用
途の周辺について述べる。
1-2 有機シリケート系材料の基礎
1-2-1 有機シリケートの開発背景
(1)シリコーン系材料の開発
Kippingは 1910 年から 1940 年にかけて、Grignard法を駆使した以下のような
合成方法によって有機基を導入したシランの合成に成功した。以下の反応は、
エーテル溶媒下で行われ、塩化シランとGrignard試薬の当量比によって、3 つの
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タイプのケイ素とアルキル置喚基のついた有機シランが合成できる[8]。
Mg + RBr → RMgBr <Grignard Reagent>
①RMgBr + SiCl4 → RSiCl3 + MgBrCl
②2RMgBr + SiCl4 → R2SiCl2 + 2MgBrCl
③3RMgBr + SiCl4 → R3SiCl + 3MgBrCl
Rは有機官能基で、Kippingはメチル基の合成は行わなかったため、ここではエ
チル基(C2H5)やフェニル基(C6H5)を示す。これらの有機シラン化合物は、水と容
易に反応し、塩素が水酸機に置換される。
①R3SiCl + H2O → R3SiOH + HCl
②R2SiCl2 + 2H2O → R2Si(OH)2 + 2HCl
③RSiCl3 + 3H2O → RSi(OH)3 + 3HCl
Kippingはこうした生成物を、アルコールとの類比からシリコールと名づけた。
このような化合物は塩酸下で加水分解重合する。その結果、①ではR3-Si-O-R3、
②はポリジアルキルシロキサン。③はポリアルキルシロキサンとなる。Kipping
自体は、このようにできた粘着性の重合体について、シリコーンと名づけてか
らはそれ以上興味を持たなかったが、有機シロキサンの合成研究の基礎を築い
た。
Table 1.にシリコーンの構造単位を示す[9]。有機官能基Rで埋まっていないシ
ロキサン結合の数R3Si-O-, R2Si(-O-)2, RSi(-O-)3, R4Siに対応してそれぞれをM単
位,D単位,T単位,Q単位と呼ぶ。シリコーンオイルは主鎖がD単位、末端がM単位
で成り立っており、シリコーンゴムはこれらの一部を架橋し、かつシリカなど
の充填材を加えたものである。一方T,Qからなる構造生成物はシリコーンレジ
ンとよばれ、有機高分子ではプラスチックあるいは樹脂にあたる。
シリコーンレジンのうちで T 構造のみからなるものは、Si 元素につき、1.5
個の O が結合していることから、1.5 を意味するセスキから、シルセスキオキ
サンと呼ばれる。シルセスキオキサンの構造は Figure 2.の種類があるとされて
いる。
ポリメチルシルセスキオキサン(PMSQ)は、1970 年代 Merill によって最初に
報告された。
[MeSiCl3/Aceton(0℃)] + [H2O, Aceton, Toluene] ⇒ PMSQ
(heat,40℃∼)
これらの構造は高分子全体的にはランダムで、規則的なケージ構造ではない
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と考えられている。
ケージ構造のメチルシルセスキオキサンは、1958 年にOlssonによって報告さ
れた。これはメチルトリクロロシランをメタノール中で濃塩酸を使って加水分
解させ、約 10 日間放置すると結晶が析出する。メチルシルセスキオキサンの立
方体型八量体は約 225℃で昇華する性質を利用して、昇華精製によって 37%の
収率で得られる[9]。
(2)ゾル-ゲル法による有機シリケートの合成
ゾル-ゲル法は、金属アルコキシド(ここではアルコキシシラン含む)の均質溶
液目的とする化合物を合成するために化学量論比の制御が容易で、高純度、高
均一、低温焼結を特徴としたファインセラミックスの合成方法として知られて
いる[10]。
Figure 3.にアルコキシシラン溶液のゾル及びゲルの粒子成長及び変化の流れ
を表した図を示す[11]。ゾル-ゲル法における物質の粒子成長は、その溶液の環境、
pHや触媒作用によって変化することを示している。
塩基性下では、OH-イオンが関与した以下のような求核置換反応、
により反応が進行する。最初に上記のようなH2Oの酸素原子の求核反応が起き、
次に起きる反応は-OHが置換してSiの電子密度が低下したSi(OR)3OHを優先的
に攻撃するため、テトラヒドロシランSi(OH)4の生成反応が有利に進む。
一方、酸性ではH+イオンが関与した以下のような求核置換反応が起きる。
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この反応では、塩基性下と異なり、未反応のSi(OR)4とSi(OR)3OHとの反応選
択性は少なく、同時に酸触媒の影響から加水分解による急激な重合反応が進む。
一方塩基性では以下のようなOH-による反応が進む。
以上のように、アルコキシシランの重合反応は、塩基性下では反応が異なる
ために、作製されるシリカゲル微粒子の大きさは、酸性触媒下で数∼数十 nm
の微細なものになるが、塩基性触媒下では数十∼数百 nm の粗粒になる傾向に
ある。
ゾル-ゲル法で有機シリケート材料を作る利点は、低温合成、均質性の向上な
どが挙げられる[6]。また、重合は加水分解によって進むので、酸塩基性を調整
することで反応性を変えることもできる。特にKippingによるクロロシランの重
合反応と異なるのは、反応溶媒中に金属アルコキシドを共重合させることで、
原子レベルで結合したハイブリッド材料の創製が可能であることが挙げられる。
金属アルコキシドは電気的に陰性なアルコキシ基の影響で、金属原子が求核
性で攻撃を受けやすく、加水分解及び重縮合反応を起こしやすい。従って、こ
の加水分解速度をアルコキシシランの重合速度に合わせるため、β-ジケトン等
による配位子を持つ有機化合物による錯体安定化を行う[11]。
ゾル-ゲル法によるシルセスキオキサンは、アルコキシシランのアルキル基の
一部がオルガノ基に置き換わったものを用いて重合することで作製される。例
えばメチルトリエトキシシラン(MTES)を加水分解・重合することで PMSQ が
できる。これはゾル-ゲル法によって金属アルコキシドを組み込んだ、新規機能
を有した有機シリケートの合成へ応用できる。
(3)ゾル-ゲル法による有機シリケートコーティング
Table 2.にゾル-ゲルコーティングに使用されるコーティング手法を示す。ゾ
ル-ゲル法によって調整される材料は液体であることから基体への適用が容易
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である。特にディップコーティングは基体を溶液中に浸漬し、引き上げること
で複雑な形状の物体でも全面的にコーティングしやすい。テトラエトキシシラ
ン(TEOS)のようなアルコキシシランから合成される膜厚の限界厚さは 0.2∼0.5
μmであるといわれている[12]。一方メチルトリエトキシシランのようにSiに有
機官能基を有するシリカ膜は限界厚さ 0.7μm以上である[13]。この理由は、コー
ティング液の乾燥による収縮に伴う内部応力が、有機官能基による収縮の減少
や応力緩和効果が挙げられる。ディップコーティングの膜厚は溶液の粘度η及
び引き上げ速度υの増加ともに厚くなる。Landau及びLevichによる厚さtに対す
る式をStrawbrigeとJamesが書き換えた以下の式で表す事ができる[14]。
t=0.944(ηυ/σ)1/6(ηυ/ρg)1/2
ここで ρ は溶液の密度、gは重力加速度である。以上より有機シリケートのゾ
ル-ゲルコーティングは溶液の重合促進による粘度の上昇や、引き上げ速度を制
御することで望ましい膜厚で製膜することが可能である。
1-3 有機シリケート材料の医療応用
1-3-1 骨修復材料
(1)生体活性を有する材料
骨折や病気によって欠損した患部は自家骨の移植が望ましいが、体の健常な
部位を傷つけることや、取得量に限りがあるといった問題を孕んでいる。従っ
て骨の損傷の治療には患者の負担を減らすために自家骨の代替となる人工材料
を用いることが重要になる。しかしながら、
生体に存在しえない人工の物質は、
繊維性のコラーゲン膜に覆われて生体組織と分離されるため治療に用いること
は難しい[15]。
生体活性材料とは、特異な生理学的活性を引き出すために設計された、生き
ている骨組織と直接結合できる材料を指す。これは、1970 年代Henchらによっ
て、Na2- CaO- SiO2- P2O5 系ガラス(Bioglass®)で報告されたのが最初である[16]。
その後、水酸アパタイトやMgO-CaO-SiO2-P2O5-CaF2 系ガラスを熱処理してア
パタイトとβ-ウォラストナイトを析出させた結晶化ガラスA-Wなど、いくつか
の材料が骨と接合することを示した。これらのような骨と結合する材料は全て、
生体内で低結晶性のハイドロキシアパタイトの薄層を介して骨と結合していた。
この低結晶性のハイドロキシアパタイト層は生体内における繊維性のコラーゲ
ン膜の形成反応を抑える働きをするため、埋植した材料と骨との結合性を高め
る[15]。従って、生体活性材料はこのような機能を持つことが条件となる。この
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性質をin vitroで調べるために、ヒトの血漿の無機イオン濃度とほぼ等しい擬似
体液(SBF)が小久保らによって提案された[17]。この溶液中では、生体活性を示
す材料は表面にヒトの骨と同じような炭酸、マグネシウム、ナトリウム、カリ
ウム及び塩素を含む低結晶性のアパタイト、抗類似アパタイトが確認できる。
従って、この溶液を用いた試験によって生体活性材料の一次スクリーニングが
可能となる。
ゾル-ゲル法で作製したTEOS由来のシリカゲルはSBF中でアパタイトを形成
することが知られている。これは、表面に存在するシラノール基がアパタイト
の核形成サイトとして働き、元々アパタイトが過飽和な体液環境下で形成反応
が起きる[18]。一方で、MackenzieらはTEOSと直鎖状の高分子のシリコーンであ
るポリジメチルシロキサン(PDMS)を組み合わせてフレキシブルな機械的特性
をもつ有機シリケートを開発した[19]。このようにして作られた有機シリケート
はOrganically modified silicateを略してOrmosileと呼ばれ、構造はFigure 4.である
と提案された。Osakaらは骨の機械的特性に近い生体活性材料へ応用することを
試み、TEOSとPDMSと硝酸カルシウム四水和物を用いた材料を作製した[20]。こ
のように有機シリケートであるPDMSを導入した材料は、硝酸カルシウムを導
入したもの以外はSBF試験において生体活性を示さなかった。これは、疎水性
のメチル基がアパタイトの核形成を行うシラノール基の働きを阻害した原因で
あると考えられる。一方で、有機シリケートに導入した硝酸カルシウムは、体
液中にカルシウムイオンが溶出されることによってアパタイトの過飽和度が促
進されるため、非常に高いアパタイト形成能を示した[20]。このようにして作製
された有機シリケート材料は、これまで作製されていた生体活性セラミックス
及びガラスに比べて骨に近い弾性係数を有することで、硬い埋植材料の応力集
中によって周囲の骨に力が掛からなくなることで起きる骨吸収が起きにくい新
たな生体活性材料として研究が進められている。
(2)金属インプラントとその表面改質
大腿骨頸部骨折は高齢者に多くみられ、またこのような骨折による移動の困
難さが寝たきりとなる理由として心筋梗塞の次に多く挙げられている[21]。この
ような骨治療に用いられるのは金属インプラントである。これはヒトの体の移
動に掛かる大部分の荷重がインプラントかかるため、脆性の高いセラミックス
を用いることは不可能である。しかしながら金属は生体不活性であるため、生
体骨との接合性は悪い。高齢の患者にとっては術後何年か経過した後、身体の
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弱体化が進むことが予想されるため、再び新たなインプラント埋植手術するの
は困難である。従って、表面の生体活性化を行うことでこの不具合を解消する
方法がとられている。商用の生体活性化の方法としてはプラズマ溶射法による
ハイドロキシアパタイト(HA)粒子のコーティングが用いられているが[22]、高温
プロセスに伴うHAの分解によって生じる、低い疲労強度や基板とHAとの低い
密着強度といった大きな問題が存在する[23,24]。
(3)生体活性有機シリケートコーティングとその研究動静
ゾル-ゲル法を用いた有機シリケートの生体活性コーティングは比較的低温
で行うことができる。また複雑な形状の基体であってもディップ法等で簡便な
手段で均一なコーティングが可能である。更に有機シリケートの弾性は高いた
め、骨吸収が懸念される金属インプラントと生体骨との間での応力緩和効果も
期待できる[25,26]。有機シリケートを用いた生体活性コーティングの研究は、2000
年以降から行われ始め、数例報告され、例えばエポキシ系[27]やメタクリレート
系[28]のグラフト化されたシランをマトリックスとし、生体活性を有するHAや
Bioglass粒子を複合させた金属基体へのコーティングの報告が挙げられる。これ
らはマイクロサイズの生体活性微粒子を分散させているため、材料の均質性が
悪く、また膜表面に生体活性粒子が存在する点でしか生体活性が望めないとい
った問題が挙げられる。一方で都留、尾坂らはビニルトリメトキシシランを前
駆体とし、酢酸カルシウムを組み込んだカルシウムイオン放出型のコーティン
グを報告している[29]。この材料は均質で生体活性が膜表面全体で期待できると
いった利点が挙げられる。しかしながら、報告ではガラスやプラスチック基板
でのコーティングに留まり、高い荷重を必要とする金属インプラントに用いる
ことができない。
1-3-2 アパタイトの形成反応
SBF中でアパタイトが形成する反応は、カルシウムとリン酸イオンの存在
下で形成することが古くから知られている。これらの合成はカルシウムイオン
の量やpHを制御することでリン酸カルシウムの生成物の種類が変化する。
Figure 5.にカルシウムイオン濃度及びpHによる生成するリン酸カルシウムの種
類の変化、Figure 6.に中性∼塩基性下のリン酸カルシウム類変化の相関係を示
す。しかしながら、リン酸カルシウムの最も安定なアパタイトの結晶であるこ
とから、最終的には熱力学的に最も安定な形態であるアパタイトへと変化する。
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従ってアパタイトの合成は何らかのリン酸カルシウムの中間生成物を経て行わ
れる。Figure 7.にアルカリ∼中性付近におけるアパタイト形成経路を示す[31]。
非晶質リン酸カルシウム(ACP, Ca3(PO4)2·nH2O)、リン酸八カルシウム(OCP;
Ca8H2(PO4)6·5H2O)、リン酸一水素カルシウム二水和物(DCPD, CaHPO4·2H2O)、
三リン酸カルシウム(β-TCP, Ca3(PO4)2)はアパタイトの前駆物質として知られ、
溶液のpHあるいは共存イオン(CO32-,Mg2+ など)の影響でその生成経路が変化
する。BrownはOCPの結晶構造の解析から、ACPからOCPを経由したアパタイ
トの形成反応は、生体内の石灰化、すなわち骨の精製を模擬していると提唱し
た[32]。
1-3-3 コーティングの密着及び耐食性向上
コーティングと金属間の接着は熱力学的にはコーティングと金属の表面が、
新たにコーティング/金属界面が生成するときの自由エネルギーの減少で表現
される[33]。このようなコーティング界面での作用力は遠達性による分散力、有
機シリケートの極性基などによる静電力、水素結合や化学結合による化学力で
ある。これらの結合力は、後者が最も強い影響力を及ぼす。ゾル-ゲルコーティ
ングによる金属との結合は、有機シリケートが有しているシラノール(Si-OH)
基と金属の水酸基(M-OH)との間で脱水反応が起きることによるSi-O-Mの結合
によって大きく依存している。
一般に金属の耐食性を向上させる目的で用いられているコーティングはリン
酸亜鉛とクロム酸塩によるコーティングである。しかしながら近年の環境保全
の運動から、癌や肝臓不全、皮膚障害といった原因物質として上げられるよう
になり、クロムフリーとして有機ポリマー系コーティングが注目されている[34]。
シリカは高い硬度及び高いバリア性を有しているが、低温でのきれいな硬化膜
としては使用できない。有機ポリマーを導入したシリケートは配合条件や合成
条件で膜の保護性や機能性などを自由に制御することができる。但し低温で合
成する有機シリケートは多孔性が比較的高くなる。しかしながらコロイダルシ
リカやアルミナといった粒子成分を混ぜることで緻密性を向上し、耐食性を挙
げることが可能である。
1-3-4 ステント
脳梗塞や心筋梗塞は死亡原因の中でも多くを占めている疾患として知られ、
また病後の寝たきり原因の第一位として挙げられている[21,35]。この病気は血管
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第1章
序論
の動脈が狭くなって(狭窄)起きる。従って手術で狭窄した部位を維持しないと、
再狭窄を起こす危険性がある。ステントは、金属で構成された網目状の医療器
具で、患部にバルーンで拡張することで固定して治療する。Figure 8.にステン
トの写真及びステントによる処置方法を示す。この方法は、つまりかけている
血管を移動経路として用いることが可能であることから、大規模な切開手術を
必要としない画期的な医療方法として 1990 年代から用いられ始めた[36]。この
治療法の特徴は、用いられる支持材料が患部まで小さく折りたたまれて必要な
場所で拡張することが求められる。このような目的には金属が望ましい機械的
特性を有している。しかしながら、裸の金属を用いたステントは、術後 30%の
確率で再狭窄を起こす[37]。このような理由から血液凝固を抑えるためにステン
ト表面に抗血栓性のポリマーや、抗凝固性薬剤を含んだコーティングする方法
が研究されている[38]。しかしながら薬剤徐放型のコーティングはステントに掛
かるコストを増大させるといった経済的な理由から裸の金属基体そのまま用い
ることや、より簡便な抗血栓性のコーティング手法が求められている[37]。
1-4 研究の経緯と目的
1-4-1 メチルシロキサン系材料の研究経緯
ポリメチルシルセスキオキサンとして知られているメチルシロキサンは、有
機溶媒に不溶で、長鎖のジメチルシロキサンポリマーに比べて加工しにくい材
料である。福島らはメチルシロキサン系材料の合成についての分子構造や反応
機構について調べ、フィルムやコーティングによる容易な調整及び適用法を検
討した[39-41]。作製された材料は、多くのシラン系材料の重合で必要とされる複
雑な還流操作を行わず、クラックフリーのフィルム体とポリカーボネートにコ
ーティングして曲げてもはく離しない柔軟性を有したコーティングを作製した。
川端は、Nb, Ta, Alなどのアルコキシドと共に重合したメチルシロキサン系有機
シリケートをステンレス基板へコーティングし、3∼5μmの比較的厚い膜厚を
作ることに成功した。またその表面は、導入金属元素によって親油性が向上す
るといった機能改善を報告している[42]。清水は、メチルシロキサン-Ca-Nb-Ta
系の有機シリケートバルクがSBF中で高い生体活性を示し、その機能はシロキ
サン構造に組み込まれた金属水酸基による塩基性点によって影響されると報告
している[43]。これらの研究から利点を纏めると以下のようになる。
(1)柔軟性に優れたコーティングが可能
コーティングは金属基体の大きな延性変形に対しても柔軟であり、はく離し
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にくい。これは脆性の高いシリカコーティングでは不可能な性質である。生体
内で運動時に常にせん断方向に不可が掛かるインプラントの応力緩和による強
い密着性、またステントのような拡張性の金属コーティングに最適な機械的特
質を示している。
(2)最もシンプルで、かつ密着性の優れたコーティングである
有機シリケートポリマーとしてよく用いられているポリジメチルシロキサン
(PDMS)は長鎖の高分子であるため網目状高分子であるポリメチルシロキサン
(PMS)よりも加工しやすい反面、コーティングにおける基体との密着性は低く
なる。これは 1-3-3 で指摘したように、有機基が多いため、基板表面と結合す
る水酸基が少なく、また直鎖であるため絡まりにくく物理的なアンカー効果も
低くなる。例えば PDMS 系の反応性シリコーンサイラプレーン®は、メチル基
の側鎖の一部をグラフト化して結合力を高めることでこのような低密着性を解
決している。これに比べて福島らによって開発された PMS は室温で簡便にコー
ティングを行うことができる。
(3)金属アルコキシドなどの導入によって新たな機能の発現が可能
Nb,Ta などのアルコキシドを用いた Ca 導入材料を作製することで、高い生体
活性を示す骨修復材料への応用が可能になった。また、導入元素を変えること
によって、硬度などの機械的特性や表面エネルギーなどの化学的性質を調整す
ることができる。
このようなメチルシロキサン系材料の特性は、少量の原料による機能付加、
低温による材料合成といった低環境負荷を根ざした材料作製手法として優れて
いる。また、高い生体活性や既存の抗血栓性などのシリコーンに見られない材
料特性から、メチルシロキサン系コーティングは医療材料の改善に有効な応用
手法としての高い潜在性を秘めている。
1-4-2 研究目的
本章では、優れた機能を持つ生体材料が低コストの医療を実現するために重
要であることについて言及した。ゾル-ゲル法を用いた有機シリケートコーティ
ングは、物質構成、低エネルギーによる合成、製造手法としての簡便性、コー
ティングの機械的及び化学的の的性能の向上及び異種元素のハイブリッド化に
よる機能向上性のポテンシャルといった点において、上記の背景に適応した材
料である。本研究では、メチルシロキサン系材料の特性を活かし、これまで報
告されていない、高い生体活性機能を発現するカルシウム放出型の生体活性有
12
第1章
序論
機シリケートの金属基板への適応、SBF 試験においてこれまでに明らかにされ
ていない骨類似アパタイトの形成機構の解明、メチルシロキサンコーティング
による長期耐食性の機能の調査、メチルシロキサンの血液との抗凝固性機能の
解明、そして生体内での反応性を調査し、医用材料への応用の道筋を示すこと
を目的としている。
1-5 論文構成
本論文は 7 章で構成されている。
第 1 章ではメチルシロキサン系材料の開発経緯とその機能から期待される生
体材料としての機能の周辺について述べた。
第 2 章では Ca 導入有機メチルシロキサンの金属基板コーティングの作製と
その生体活性と密着強度の関係について述べていく。
第 3 章では Ca 導入メチルシロキサンの SBF 中における骨類似アパタイトの
生成及び形成形態の制御について述べていく。
第 4 章ではメチルシロキサンコーティング膜の金属基板の生体内の厳しい溶
液環境下を想定したときの耐食性について述べていく。
第 5 章ではメチルシロキサンの抗血液凝固機能について調査し、血液内での
適合性について述べていく。
第 6 章ではメチルシロキサン系材料及びコーティングの生体内での組織適合
性及び骨形成能について述べていく。
第 7 章ではこれまで述べてきたメチルシロキサンの特性をまとめ、総合的に
生体材料への応用に適しているかについて結論と、その先の将来展望を述べて
本研究のまとめを行う。
13
第1章
序論
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第1章
序論
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16
第1章
序論
Figure 1. Comparison of SiO2 formation temperatures by various methods
17
第1章
序論
Table1. Unit of silicone structure [9]
Rudder
Random
Cage (Complete)
T
3
8
Cage
3
T 4T
2
Cage
T3 6 T2 2
3
Figure 2. Structure of silsesquoxane
18
第1章
序論
Figure 3. Model of silica gel formation process for silicon alkoxide (17)
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第1章
序論
Table 2. Characteristics of sol-gel coating [12]
Silica gel
Polydimethylsiloxane
Ormosile structure
Figure 4. Microstructure model of Ormosils
20
第1章
序論
Figure 5. Solubility phase diagram for the Ca2+-PO42- system; temperature at 25 ºC and
different pH[31].
Figure 6. Schematic representation of the transformation of calcium phosphates from
21
第1章
序論
one phase to another [31].
Figure 8. Structure of metal stent and medical treatment
22
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