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第35号
2015 年 6 月 14 日 MUSIK BAUER ZEITUNG 第 35 号 No.35 2015 年 6 月 14 日 T.J.O.S. 発行 団員広報部 3 月の演奏会、お疲れ様でした。コンサート後の団員広報誌が遅れることは 毎度の事なので反省しております(多分)。まずは、演奏会の開始前にソリストの 青木さんにインタビュー!青木さん、ありがとうございました。 ※今回は中野と福田でインタビューを行いました。 広報部(以降 K) よろしくお願いします。 A インペクは、半年くらいやったかな?でも何にもやらなかった 青木さん(以降 A) よろしくお願いします。 (笑) K ではまず、バイオリンを始めたきっかけは? K (笑) A バイオリンを始めたきっかけは、私は 2 歳頃から弾いていて、 A 私が中学 3 年生とかで、他は高校生だったから、何にもやら 覚えてはいないけど、小学校のお受験のための塾があるビルに なくていいじゃない、こんなこと言っちゃだめだけど。で、当時は バイオリン教室があって、そこで習い始めたのがきっかけです。 すごくシャイだったからね。あんまり頼りなかったかもしれない。 K ご両親は楽器をなさっていたのですか? K TJOS で一番印象に残っている演奏会は? A 両親はまったくやっていませんでしたが、母は自分の子ども A いっぱい。毎回印象に残るけど、私が中学生の時に N 響の に何らかの音楽をやらせたかったみたいで、たまたまそこに教室 ホットコンサートに出たことがあって、N 響のメンバーと TJOS のオ があったから始めたらしい。 ケの団員の何人かが混ざって弾いて、その時に初めてコンミス K TJOS に入ったのは・・・ やらせていただいて、私の隣にマロ先生が座っていたの。その A 小学校 4 年生から。その時は 4 年から入れなかったんだけ 時はフィンランディアを弾いたんだけど、すごくそのことを今でも ど。今は「先生」になっている今野先生とか近藤先生も一緒に弾 覚えています。 いてたの。 あとはピアニストの清水さんがいらしてラフマニノフ 3 番弾い K ちなみに今野先生とかは当時どのような人だったのですか? て、それもコンミスをやらしていただいたんだけど、とても印象に A そうねぇ。今は「先生」だけど、今野先生は当時「ぺこちゃん」 残っています。 って呼ばれてて、雰囲気は団員のときからあんな感じ。ほんとに K 昔オケに在籍していて、今ソロで弾いていて「あ、変わった おもしろくて(笑)今は小さい子も多いけど、入った当時はちいさ な」と思うことはありますか? い子はわたしくらいしかいなくて、みんな中高生ばっかりだった。 A うーん、ジュニアオケがあったから音楽がすごく好きになれた だから当時と比べて年齢層がすごく低くなったと思う。 し、あと、やっぱり、今はロンドンに住んでいるけど当時の団員の K 特に去年くらいに多くの先輩方がいなくなってしまったの 友達とは常に連絡を取っているし。向こうの大学にもたくさんの で・・・ 友達はいるけど、ほんとに長い間友達でいるのはジュニアオケ A だからかぁ。チェロも今 2 人とかだよね・・・。 の仲間なんですね。 で、オケを経験したからこそ、ソロをやると K 男子も少なくなっていますし・・・ きに他の楽器の音がわかるようになったかな。 A そうだよねぇ。女子は強いからね(笑) K TJOS が当時と今で演奏面とかで変わったなと思うことは? K ちなみに当時の男女比はどのくらいだったんですか? A それはないと思う。で、なにがいいかってみんなすごく楽しそ A まず団員数がすごく少なくて、バイオリンも多くて 6 プルトくら うに弾くこと。集中練習とかだと朝から夕方まで弾いてくたくたに い、かな。でもやっぱり、音楽の世界は女の子が多いから、その なるけど、休憩時間も弾いてたりしていて、その姿を見ると「音楽 時も女の子が多かったかもしれない。 が好きなんだな」っていうのがわかる。このオケってすごくいい部 K TJOS ではいつまで入っていたのですか? 活みたいなものに見えて、見ていてすごくいいなと思う。特に今 A 高校 1 年生の春まで。だから高校 2 年生になる前だね。 は演奏=仕事なわけだから、このジュニアオケに戻ってきて「忘 K インペクの経験とかは? れていた何か」を思い出した気がする。それがすごくよかった。 2015 年 6 月 14 日 MUSIK A BAUER メンバーは違うけどみんなすごくいいものを持っている。私 たちには出せない、きっとプロオケにも出せない、いいものを持 っていると思う。 K 昨日桑田先生にインタビューしたときも同じようなことをおっし ゃっていました。 A うんうん。コンサートごとに音は違うけど、すごくいいと思う。 集中練習は疲れるでしょ? K うーん、合宿の方が・・・ A インペクはやった? K 僕(中野)は以前・・・ A インペクだとゲームとか考えないといけないでしょう。 ZEITUNG 第 35 号 K 向こうで習う音楽と日本で習う音楽の違いとは? A やっぱり「自由」かなと思う。日本だとコンクールなどで間違え ない、みたいにすごく固いけど、向こうはどんなに弾けない子で もすごく楽しそうに弾く。夏休み遊びまくって練習してなくても ね。 K 先生の褒め方も違いますよね。 A そう。そこまで褒めるってくらいね(笑)。何弾いても「Bravo」 みたいな。でもそれで伸びるからすごいよね。 だから海外に行くことはいいことだと思うな。 K 先日のロン・ティボー国際コンクルールで 2 位になりましたが その前後で生活が変わったことはありますか? A 変わったって言いたいけど、何も変わってないかな。でも、今 K ああ、ありますね・・・ までは日本に帰ってきたら休んでいたんだけど、この春休みは A 勝手にやればいいのにねぇ(笑) ちょこちょこ演奏会のオファーがあったり。だからこれから日本に K あ、でも今広報の一環として企画を考えたりして、前回は全 帰ってきたら演奏会がメインになるのかなって。すごくありがたい 員の先生にビデオメッセージをもらって、東進の CM 風にした ことだけどね。 り・・・ K 今後の目標とかありますか? A へぇー。でも、大変だけど楽しいよね、合宿って。 A うーん。まず自分の中で思っているのは、とにかく息の長い K ええ、そうですね。 そういえばこのあいだの分奏の時に今野 音楽家になりたいということ。音楽家ってピークとかがあるけど、 先生が昔は一人弾きがほとんどだって言っていたのですが・・・ 私は音楽をずっとやっていきたい、ソリストとかじゃなくても音楽 A あったあった。やった? に関わる仕事に就いたりして、かな。 K やりましたが、今はプルトごととかで、回数もそんなにないで K ではそろそろ時間なので最後に団員へのメッセージをお願 す。 A そっか。私たちのときは、マロ先生がいて「じゃあ青木弾け」 みたいな。すごく緊張するよね、普段弾けるのに弾けなくなっち ゃうし。 K 頻繁にあったのですか? A あったと思う。でも合宿のときかな。 (中略)~青木さんの知り合いに僕の知り合いの人がいて、それ について雑談~ いします。 A メッセージ?!うーん・・・ とにかく、音楽でなくてもいいけど、どんなことに対しても誇りを 持ってやってほしい。このジュニアで培った仲間たちはずっと続 くと思うから大切にしてほしい。そしてここで教えている先生はみ んな一流の先生だからそのことに対して感謝をしてがんばって ほしい。 みんないいものを持っているんだからそれを誇りに持 ってがんばってください。 K ありがとうございました。 K 青木さんは今はロンドンに住んでいるのですよね? A 4 年目。でもあまり英語はしゃべれないな。 K ロンドンに住み始めて日本との文化とかの違いに刺激を受け たことは? A 人との付き合い方が違う。日本だと絶対どこか他の人のことを 気にしているけど、向こうはすごくオープンだし、特にアメリカ人 とかね。それって日本人にはないことだし、自分の中で大きく変 わったことだと思う。だから音楽にも影響していると思う。向こうで 「演奏が地味だ」「もっと派手に」って言われたりとか。なかなか変 えられなかったけど全く違う文化の中にいることで徐々に変われ たと思う。 青木さん、ほんとにありがとうございました!僕も海外に住ん でいたことがあるので、青木さんの話に少なからず共感する部分 もありました。夏の演奏会に向けて「誇りを持って」頑張りま しょう! It was a pleasure having an interview with Ms. Aoki. The phrase “Be proud of what you are doing” was very inspiring, and I think it stay in our heart. We, the members of TJOS, hope that we can have a concert together again! Once again, thank you so much! 2015 年 6 月 14 日 MUSIK BAUER ZEITUNG 第 35 号 広報部による曲紹介です。Wiki で調べただけ、とかではなく り、1)書きかけた 3 楽章の質がそれまでの 2 楽章と比べて ちゃんと綿密な調査を行いました(真顔)。 低く、書く気がなくなった 2)3 楽章の主題が他の作曲家の ①ドン・ジョヴァンニ序曲(モーツァルト) 曲と酷似していたから 3)もともと作曲途中のものを放棄す 今回の演奏会の曲は、モーツァルト作曲のオペラ曲、「ド ン・ジョバンニ」から序曲です。 この曲は、凄く有名ですよね。誰もが一度は聴いたことの ある曲ですね。 この曲は、スペインのドン・ファンをモデルにしており、 それをイタリア風に言ったのがドン・ジョバンニです。 る癖があり、この交響曲も同様にして放棄された、などが ある。残りの楽章については「後程送る」と約束したシュ ーベルトは結局送らず、31 歳という若さで死んでしまう。 その 43 年後指揮者ヘルベックによってこの曲が発見され、 1865 年に初公演が行われる。 この曲の背景には「死」「運命」「悲劇」といったテーマ そもそもドン・ファンとは、『貴族ドン・ファンが、貴族の が存在している。人間の生活の背後で常に存在するこのテ 娘を誘惑し、その父親(ドン・フェルナンド)を殺した。そ ーマをどうとらえ、どう表現するかがとても難しいと言わ の後、墓場でドン・フェルナンドの石像の側を通りかかった れている。 とき、戯れにその石像を宴会に招待したところ、本当に石像 ③交響曲第 5 番(チャイコフスキー) の姿をした幽霊として現れ、大混乱になったところで、石像 第 5 番と言えば、多くのベートーベンの第 5 番「運命」 に地獄に引き込まれる。 (Wikipedia 参照)』という伝説の を思い浮かべるのではないだろうか(実際「運命」を聴き ことです。 ながらこれを書いてます)。「運命はこのようにして戸を このオペラでドン・ジョバンニは、かなり複雑な性格を持 叩く」などと言ったともされるベートーベンの交響曲第 5 っていて一筋縄では行かない役柄となっています。悲劇のよ 番は後世の作曲家にとって大きく影響を及ぼした。例えば うな喜劇、明るい音楽と悪魔的な暗さとの共存、という独特 マーラーの第 5 番が同じリズムで始まることは有名だ。そ の性格を持った個性的な作品となっています。 して、これは個人的な意見だが、このチャイコフスキーの この序曲は、モーツァルトが初演前に一晩で書き上げたそ うです。それなのに、コーダのただならぬ高揚とすぐに萎ん 第 5 番も影響を受けている。それは、最後の 4 つの音だ。 「運命」のはじまりと同じリズムだ。 でしまう静寂との対比が見事に終結し、とても勢いのある曲 この第 5 番は「運命」と同様「苦悩 to 歓喜」というパタ となっています。さすが天才、モーツァルトです、これでは ーンをなぞっている。第 1 楽章の冒頭部分は個人的にはシ 憧れを超えてあきれそうです(笑) ベリア平原のような何もないところをさまよっているよう 今回、序曲を弾くにあたって、オペラの方も是非みたいで な風景を連想させる。しかし、それは第 2 楽章の「心の叫 すね! び」のようなものを経て第 4 楽章の歓喜・帰郷のようなも ②交響曲第 8 番「未完成」 (シューベルト) のへとつながっている。ここまではあくまで個人的な見解 2 楽章で成り立っているこの交響曲。最後がアダージョで に過ぎないが、実際にチャイコフスキーはこの作品のスケ 終わったり、楽章が 2 つしかないことなど、謎が多くありま ッチに「運命への服従」 「一筋の光明、いや希望はない」な すね。 どといった苦悩の中に見出し、あこがれる歓喜・凱歌とい 「歌曲の王」とも呼ばれている。シューベルトはベートー った人間の感情について書いている。 ベンとほぼ同年代を生きた作曲家でありながらも、彼とは シューベルトの未完成と同様に人間の運命とそれに伴う 違ってロマン派の作曲家である。シューベルトの多くの作 苦悩と歓喜を描いたこの「チャイ 5」。捉え方は人それぞれ 品は彼が亡くなった後になってから有名になり、この交響 であり、きっとそれがよりよい演奏とつながるのではない 曲 7 番も亡くなってから 43 年後に初めて演奏されている。 だろうか。 彼がこの曲を書いた理由は明確で、1823 年にシュタイエ ルマルクの音楽協会から名誉会員に推薦してもらい、その お礼として書いたといわれている。しかし、送られてきた のは前半の 2 楽章のみであり、残りの(本来ならばあるはず の)2 楽章分は送られることはなかった。その理由は諸説あ り、1)書きかけた 3 楽章の質がそれまでの 2 楽章と比べて低 2015 年 3 月 30 日 MUSIK BAUER ZEITUNG 第 35 号 続いて、卒団・退団・入団した団員についてです。また新たに多くの仲間が増えました。練習には名札を持ってきましょう! 【入団】 【退団・卒団】 【休団】 井上麗香(いのうえれいか)さん:Vn、中 3 永原彩瑚さん(Vn) 田崎志保さん(Vn) 宮島麻歩(みやじままほ)さん:Vn、中 2 加藤理沙さん(Vn) 林純乃介くん(Perc) 荻原和香(おぎはらわか)さん:Vc、高 1 森田真帆さん(Vn) 新島七樹くん(Vn) 田村昂暉(たむらこうき)くん:Hr、高 1 井筒みのりさん(Ob) 木村佳祐くん(Vn/Va) 荻原和香(おぎはらわか)さん:Vc、高 1 山村園子さん(Cl) 木村紗良(きむらさら)さん:Vn、中 1 江渡恵里奈グレースさん(Vn) 馬場裕大(ばばゆうた)くん:Vn、小 3 植松優さん(Vn) 都ひかり(みやこひかり)さん:Vn、小 3 浅野千歳さん(Vn) 和田駿平(わだしゅんぺい)くん:Vc、高 1 深井萌さん(Vn) 奥野愛弓(おくのあゆみ)さん:Vc、小 5 石崎彩夏さん(Fl) 倉坂美南(くらさかみなみ)さん:Fl、高 1 多戸鈴さん(Vc) 池田遥(いけだはるか)さん:Fl、中 1 三浦もも花さん(Ob) ♪春の演奏会は、久しぶりの桑田先生の指揮、ソリスト の青木尚佳さんを迎え、たくさんのお客様にもご来場 新インスペクター 福田創紀くん(Vn、高 2) 新インスペクター長 栗栖朝帆さん(Fl、高 2) いただけて素晴らしい演奏会になりました。みなさんも 楽しい経験をされたことでしょう。 桑田先生は、「“音楽でみんなが幸せになる”僕の夢が ひとつ叶いました」と仰っていらっしゃいました。また、 青木尚佳さんからも「こんなに舞台が、会場が、あたた かい演奏会は初めてでした。この演奏会の幸せな思い 出を胸に、またロンドンで頑張ります!」とメッセージを 4 月 19 日(日)東山社会教育会館調理室にて、おやつの会を行 いただいています。8 月の定期演奏会をめざして、また いました。シュークリームに思い思いにクリームや果物をつめ みんなでがんばりましょう。 て・・・。大量のシュークリームを焼いてくださったボランティアのお 母様、ありがとうございました! ♪春の演奏会では、会場設置の募金箱とチケット売り 上げから 96,960 円を「東日本大震災こども未来基金」 に寄付しました。ご協力ありがとうございました。「こども 未来基金」から感謝状をいた だきました。 ♪事務局に元コンサート委 員長の小林裕子さんをお 迎えすることになりました。 おもに会計に関することを 担当していただきます。