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宮島新三郎再評価の論
宮 島新 三 郎 再 評価 の論 一 好学批評家の悲劇 長 L生 崎 勇 一 涯の 輪 郭 昭 和9年(1934年)2月27日,英 文 学 者 ・文 学 批 評 家 宮 島新 三 郎 は年 余 の病 気 養 生 の 甲斐 もな く逝 った。 行 年43才 。 文 壇 は 最新 の西 洋 文学 の 学 識 と社 会 史 的 な 方法 論 との融 合 を構 築 しな が ら,現 代 日本文 学 に科 学 的 な批 評 を適 用 し始 め た ばか りの,有 為 の批 評 家 を失 な った。 ま た,早 稲 田 大 学 の 文 学 部 は,近 代 の西 洋 文 学 と,明 治 以後 の 日本文 学 とにか か わ る, い わば世 界 文 学 的 な 幅 ひろ い学 究 意 欲 を そ な え,生 きの い い文 壇 事 情 に通 じた,い か に も早 稲 田 マ ン ら しい教 授 の一 人 を失 な った こ とに な る。 昭和9年4月 刊 行 の 同人 雑 誌r稲 門 文 学 』 第11号(昭5早 水 盛源 一 郎 編 集)は 大英文卒 ・ 「宮 島 新 三 郎 氏 追 悼 号 」 と題 して,加 藤 朝 鳥 ・青 柳 優 ・小野 武 雄 ・柳 田 泉 の追 悼 文 の ほか に,一 頁 分 の年 譜 ・著 訳 書 目録(著 書 10点,訳 書8点)を 掲 載 し て い る。 年 譜 につ い て は私 の調 査 が 未 了 な の で9 こ こで は そ の ま ま 受 け いれ るが,著 訳 書 目録 は不完 全 で,書 目の 出 版 元 が 脱 落,誤 記 と誤 植 が数 箇 所 あ る。 しか しr稲 門 文学 』 の追 悼 号 が 宮 島 の 歿 後,一 ケ 月 た らず で編 集 され た ら しい こ と を考 慮す れ ぼ,年 譜 ・目録 の疎 漏 を咎 め だ て す るに は お よぶ まい 。 む し ろ今 日で は貴 重 な研 究 資 料 とい え よ う。 そ こで年 譜 を転 載 し,目 録 を利 用 させ て い た だ く。 年 譜 に つ い て の私 の 註 釈 は,昭4。 東 文 化 大 学 文 学 部 教 授)お 早 大英 文 卒 ・荒 川 竜 彦 氏(現 在,大 よ び昭9・ 早 大 英 文 卒 ・鈴 木 幸 夫 氏(現 在,早 稲 田大 学 文 学 部 教 授)の 談 話 に 負 うと ころ が大 きい 。 感 謝 の 意 を表 明 す る 一59一 宮島新三 郎再評 価の論 とと もに,推 測 をま じえ た註 釈 の文 責 は私 に あ る こ と を明記 して お く。 著 訳 書 目録 の参 酌 につ い て は,著 作 に重 点 を置 き,訳 業 の分 は略 記 す るに と どめ る。 故 ○,明 宮島 新三 郎 氏 ・年 譜(r稲 門文学 』第11号 に拠 る。西歴年 は補記) 治25年(1892年)1月28日 東 京 市 神 田 に生 る。 両 親 の原 籍 は 埼 玉 県 比企 郡宮 前 村 日輪 。 千 葉 で 小 学 教 育 を 受 く。 ○,明 治44年(1911年)東 京 中学 を卒 え,早 稲 田大 学(私 注 ・大 学 予 科 に相 当 す る早 稲 田高 等学 院 の意 味)入 学,同 級 に直 木(三 十 五),両 細 田(源 吉 ・民 樹 の 意 味),青 野(季 吉),保 高(徳 蔵),西 条(八 十), 田 中(純),木 ○,大 村Xの 諸 氏 あ り。 正4年(1915年)3月 早 稲 田大 学 英 文 科 を卒 業 。 母 校 東 京 中学 に 教鞭 を と る傍 ら,大 日本 文 明協 会(私 註 ・早 大 総 長 大 隈 重 信 の 資 金援 助 に よ る文化 出版 団 体)の 編 輯 事業 に携 わ る。 ○,大 正9年(1920年)早 稲 田大 学 高 等 学 院 教授 とな る。 ○,大 正14年(1925年)早 大 よ り英 国留 学 を命 ぜ らる。(私 註 ・5.月神 戸 出発) ○,昭 和2年(1927年)5月 帰 朝,早 大 教 授 に任 ぜ られ 今 日(昭 和9年 2月 現 在)に お よぶ 。 ○,昭 和4年(1929年)日 ○,昭 和9年(1934年)2月27日 本 大 学 芸 術科 に 出講 す。 東京 市杉 並 区松 庵 北 町(私 註 ・現在 の 西 荻 窪 の あた り)の 自宅 に て逝 去 。 享年43。(私 過 労 の ため健 康不 調,昭 和7年,脳 註 ・昭 和6年 以 後, 障 害 気 味 の ノ イ ロー ゼ で休 講 多 く, 昭 和8年 の 後半 に は ま っ た く休 講) (註釈)大 正 末 期,イ ギ リス留 学 一 年 前 の 宮 島 は,第 二早 稲 田高 等学 院 (二年 制 の大 学 予 科)で は,勤 勉 な英 語 教 師 で は なか った ら しい 。 新進 評 論 家 と してr新 潮 』r文 章 倶 楽 部』r早 稲 田文 学 』 な ど に文 芸 時 評 や作 家 論 を発 表 す るほか,明 治 文 学 の 入 門 書(r明 治文 学 十 二 講 』)を 準 備 中 で あ り,英 文学 者 と して は最 新 の 紹 介 記 事 や翻 訳 の仕 事 を引 き受 けね ば な らな .1 宮島新三郎 再評価 の論 か っ た。 したが って英 語授 業 の休 講 は,文 学 者兼 業 の 語学 教 師 にふ さわ し い 程 度 で あ った 。 例 えば教 科 書 の年 間 進 度30数 ペ ー ジ とい う学 級 もあ っ た。 当 時 の 学 生 は 一般 に教 室 の授 業 を参 考程 度 に聴 講 して,自 力 学 習 の美 風 を持 ち合 わ せ て い た の で,宮 島 は高 等 学院 学 生 に排 斥 され る ど ころか ,却 て 作 家兼 業 の 吉 田弦 二 郎 講 師 の人 気 に匹敵 す るほ どの好 評 を うけた 。 教 師 と して の 宮 島 の魅 力 は,授 業 の合 間 に海 外 文 学 の新 風 を紹 介 す るほ か に , 個 人 的 に接 触 を求 め て くる文 科 志 望 の 学生 に は,多 忙 の 時 間 を 割 い て親 切 に応 対 した こ とな ど。 文 学 者 宮 島新 三 郎 は教 養 課 程 に 相 当 す る学生 た ちに 英 語 の読 解 を指 導 す る よ り も,文 学 研 究者 あ るい は 文 学 批 評 家 の卵 を発 見 し,育 成 す る こと に一 層 多 くの興 味 を抱 い て い た ら しい 。 この嗜 好 は宮 島 が文 学 部 教授 に昇 任 した 後 ,さ らに 明 らか に な る。 昭 和 6年 の 春 ご ろか ら8年 まで,彼 の 自宅 で 日曜 会 とい う文 学 談 話 会 が 毎 週 行 な われ た 。 午前11時 頃 か ら午 後3時 あ るい は4時 ま で の長 時 間 ,学 部 の 上 級生,大 学院 生,早 稲 田 出身 の若 い 研究 者 な ど,毎 回 の参 加 人 員 は10名 か ら15名 前 後,昼 食(荒 川 竜 彦 氏 の 談話 に よ る と,多 ・ラ イス)つ くの 場 合,カ レ ー きのサ ー ビス で あ る。 この期 間 の宮 島 は 肉体 が 衰 弱 して い く 過 程 で,休 講 が 多 くな って い た。 せ め て 日曜 日に は若 い 人 た ち を呼 び集 め て,と い う代 償 的 な サ ー ビス 精 神 と人 恋 しさが あ った の か もしれ ぬ。 この 会 合 で は宮 島 は積 極 的 に は 語 らず,門 弟 と もい うべ き人 た ちの 談話 を調 整 す る に と どま った とい う。 会 の 常連 メ ンバ ー には,前 記 の荒 川 竜 彦 ,'青 柳 優(昭5・ 卒,昭 英 文卒,文 学 評 論 家),木 寺黎 二(本 名,松 和10年 英 文 卒,英 代 に は シ ェス トフの翻 訳 で 知 られz),小 文学 者),永 井 正 次(昭8・ 概 論 』 〈 未 完 〉 の主要 編 集者)な 尾 隆,昭8・ 英文 野 武 雄(昭9・ 英 文 卒,宮 島 の 遺 稿 集r明 治文 学 ど。 教 室 の宮 島 につ い て 再 言 す る と,高 等学 院 教 授 の 終 りに ちか い 頃(大 正 13年 ・1924年),教 材 と して,バ ー デ ィ(ThomasHardy や・ カ ーペ ンタ ー(EdwardCarpenter,1844-1929)を 一61一 ,1840-1928) 使 った。 宮 島 新 三 郎 再 評 価 の論 ・・一 デ ィ は1895年 発 表 の 『日蔭 者 の ジ ュ ・ 一 ド』(Judethe●bscuye 倫 理 上 の 不 評 に 気 を く さ らせ て,小 説 の筆 を絶 って い た 。 それ に 次 い で ウ ェ ル ズ(H.G.Wells,1866-1946)の 理 想 主 義 的 な 科 学 小 説 や,ゴ ワ ー ジ ィ(JohnGalsworthy,1867-1933)の い は 「社 会 劇 」 が,第 .)の ール ズ 改 良 主 義 的 な社 会 小 説 あ る 一 次 大 戦 後 の 新 文 学 の 抬 頭 ま で,イ ギ リス文 壇 の主 流 と み られ る よ う に な る。 しか し 日本 で は 教 科 書 版 の バ ー デ ィ の 声 価 は, 大 正 中 期 か ら昭 和10年 頃 ま で凋 落 す る こ とは なか った 。 作者 の 暗 い宿 命 観 が 青 年 向 き で あ るか ど うか,問 題 が 残 る に せ よ,手 か に 通 俗 的 な 深 刻 味 を 織 り こ み,修 が,深 なれた物語構成のな 飾 の 多 い 自然 描 写 を あ し ら っ た 作 品 刻 癖 と 好 奇 心 に 富 む 学 生 た ち の 英 語 学 習 に 適 当 だ っ た の で あ ろ う。 一 方,カ ー ペ ン タ ー は 宮 島 が 大 学 卒 業 前 後 の 数 年 間,傾 明 の 人 道 主 義 に 立 つ 思 想 家 で あ り,そ と い う。 現 在 で は,カ の教 材 は宮 島 の編 註 した もの だ った ー ペ ン タ ー は 昔 日 の 思 想 的 な 影 響 力 を も た ず,大 の 英 語 教 員 の 関 心 も受 け ず に い る 。(念 目 録 二 十 種 ほ ど を 点 検 し た が,カ た)宮 倒 して い た反 文 の た め,持 学 ち合 わせ の英 語 教 科書 ーペ ン タ ーの教 科 書 版 は一 つ も な か っ 島 と カ ー ペ ン タ ー と の ふ れ 合 い に つ い て は,後 に 少 々 の考 察 を試 み る こ と に す る. 昭 和6∼7年 の 文 学 部 英 文 科 で は,(鈴 PhilipSidney(1554-86)のr詩 1595)を 講 読,選 木 幸 幸 夫 氏 の 談 話)宮 島 は の 弁 護 』(AnApologieforPoetrie, 択 科 目 の 「現 代 英 文 学 」 で は 一 定 の 教 材 に よ らず に,講 義 を 行 な っ た と い う。 古 典 と 現 代 に わ た る 教 授 の 博 識 を 示 す 証 拠 と い え よ う。 前 記r稲 門 文 学』 掲 載 の小 野 武 雄 の追 悼文 に よ れ ぼ,病 気 静 養 中 の 宮 島 は 英 文 学 に 関 して 三 つ の 仕 事 を 準 備 中 で あ っ た。 「英 文 学 者 と し て の 先 生 」 「ラ ス キ ソ評 伝 」,「英 文 学 の 社 会 的 背 景 」,厂エ リザ ベ ス 朝 の 批 評 文 学 の研 究 」 これ ら三 種 の 研 究 は,未 完 のr明 治 文 学 概 論 』 と 同 様 に,ま と め ら れ ず に 終 っ た 。 現 代 の 外 国 文 学 研 究 者 の 狭 少 な,あ 門 化 と ひ き く らべ る と き,宮 るい は 偏 狭 な専 島 新 三 郎 の 広 大 な 視 野 は 羨 望 に値 す る 志 向 で あ る。 一62一 宮 島新 三郎 再評 価 の論 故 宮 崎 新 三 郎 氏 ・著 作 目 録 〈r稲門文 学 』 掲 載 分 を参 酌 して,補 充 と注 記 を加 え た) ①r近 代 文 闘 の 先 駆 者 』(大 正10,9月,春 〈 四 六 判,325頁 造 思 想 十 二 講 』(飆 ③r欧 州 最 近 の 文 芸 思 潮 』(大 ④r短 篇 小."=研 ⑤:Q治 ⑥r芸 翁 全 集 刊 行 会) 〉 ②r改 大 洋 社)〈 秋 社 内,杜 田 隆 太 郎 共 二.;_,大正11,新 究 』(大 正12,8月,春 正13,9月,版 四 六 判,257頁 潮 社)〈 秋 社)〈 未見〉 未見〉 元 不 詳,重 版,昭 和13,3月, 詩 壇 社)〈 四 六 判,332頁 〉 文 学 十 二 講 』(大 正14,5月,薪 術 改 造 の 序 曲 』(大 正14,5月,早 正 文 学 十 四 講 』(大 正15,7月,新 稲 田 泰 文 社)〈 〉 四 六 判,349 頁〉 ⑦r大 内,索 ⑧r文 芸 批 評 史 』(昭 和3,春 秋 社 版r大 の 思 想 エ ンサ イ ク ロペ デ ィア』 「文 芸 思 想 」 篇 上 巻 に 収 録)<前=:書 興 国 文 芸 思 潮 』(昭 ア 』 第11巻 和4,春 ン ガ リ ー,ユ 代 英 国 文 芸 印 象 記r(昭 告 に よ る と,四 本 のP・3∼54> 秋 社 版r大 「 文 芸 思 想 」 篇 下 巻 に 収 録)〈 内 容 項 目 は チ ェ ッ コ,ハ ⑩r現 六 判,521頁 引15頁 〉 第10巻 ⑨r新 詩 壇 社)<四 和4,三 思 想 孟 ン サ イ ク ロペ デ ィ 前 掲 叢 書 本 のp.229∼260, ー ゴ,ス 省 堂)〈 ラ ヴ,イ タ リー〉 未 見 〉(他 書 の 附録 広 六 判,320頁) ⑪r現 代 文 芸 思 想 概 説 』(昭 ⑫r現 代 文 芸 思 潮 』 昭 和9,6月,(東 の 三 分 の 二 は ⑪ か ら 転 載,新 和6,5月,三 省 堂)〈 京 出 版 社)<四 四 六 判,501頁 六 判358頁,内 〉 容 た に 厂ジ ョ ・ 一ジ ・パ ア ナ ー ド ・シ ョー 研 究 」 を収 録 。 当 時 の 早 大 文 学 部 長 ・吉 江 喬 松 博 士 の 追 悼 的 な 「序 」 あ り〉 ⑬r明 治 文 学 概 論 』(昭 の 論 著(未 完)の ほ か,「 和9,5月,東 京 出 版 社)<菊 明 治 文 学 思 潮 」(未 完),「 判202頁,表 題 日本文 学 に お よ ぼ ・し た 西 洋 文 学 の 影 響 」 ,厂 早 稲 田 文 学 と早 稲 田 派 」 の 諸 論 文 を 収 載 。 宮 島 の 歿 後,門 下 生 ・永 井 正 次 が 主 と し て 編 集 。 宮 島 の 先 輩 柳 田 泉 が 「附 一63一 宮 島 新三 郎 再 評 価 の論 言 」 を あ とが き 。 文 字 通 り の 遺 稿 集 な の で,正 確 詳 細 な 年 譜 と著 訳 著 目 録 の 欠 落 は 惜 しい 〉 △ 追 記 前 掲 のr大 思 想 エ ン サ イ ク ロペ デ ィア 』 第11巻 に 「文 芸 思 想 家 研 究 」 とい う6号 活 字 二 段 組 の 附 録 が 収 載 。 宮 島 新 三 郎 の 担 当 分 は, ラ ス キ ソ,シ ョ ー,モ リス,ウ ェ ル ズ 等10余 頁 で あ る 。 昭 和4年 当時の 宮 島 の 近 代 英 文 学 に 関 す る興 味 の あ り ど こ ろ の 一 半 が 窺 わ れ る 。 唯 美 派 の 「生 活 の 芸 術 化 」 運 動 と 空 想 的 社 会 主 義,シ の 諷 刺 的 な,あ ョー や ウ ェル ズ る い は 楽 天 的 な 社 会 改 良 主 義 に 対 す る宮 島 の 関 心 は,二 十 代 青 年 期 の カ ー ペ ソ タ ー 尊 崇 に つ な が る。 単 的 に 言 え ぼ,文 性 と改 革 的 な 社 会 性 と の 結 合 意 欲 で あ る。 た だ し,前7- 思 想 家 研 究 」 の 内,カ ー ペ ン タ ー の 短 か い 評 伝 は,詩 学 の芸 術 書本の 「 文芸 人 富 田砕 花 が 担 当 して い る。 こ の ほ か に 英 米 文 学 の 講 座 物 や,英 語 雑 誌 に,宮 島 が寄 稿 した解 説 記 事 の う ち,単 行 本 に再 録 され な か っ た もの が数 点 あ る に ちが い な い。 翻 訳 の 対 象 は,カ ー ペ ソ タ ー(r文 明 そ の 原 因 と救 済 』,r愛 と 死 と の 劇 』, r吾 が 日吾 が 夢 』<原 題>Civilization,ZtSCauseandCure;TheZ)yama ofLoveandDeath;MyDaysandDyearns),ウ ゲ イ 』Tono-Bungay),バ theMaddingCrowd;そ 共 訳)・ ェ ル ズ(『 ー デ ィ(r遙 の 他),ロ トノ ・パ ン か に 狂 乱 の 群 を 離 れ て 』Farfrom レ ソ ス(『 虹 』 丁肋Rαzη うoz〃柳 田 泉 と トル ス トイ の 『人 生 論 』 お よ び ロ マ ソ ・ロ ラ ソ の 『トル ス ト イ の 生 涯 』(た ぶ ん,英 宮 島 は43才 書 と を,そ 訳 か ら の 重 訳),ま たr現 代 米 国評 論 集 』 の 選 訳 な ど。 の 若 さ で 生 を 終 る ま でb,研 れ ぞ れ 十 余 冊,合 究 的 ・解 説 的 な 評 論 集 と翻 訳 わ せ て 二 十 余 冊 を 生 み だ し た こ と に な る。 猛 烈 な 勉 強 ぶ り とい っ て よ い 。 吉 江 喬 松 博 士 はr現 代 文 芸 思 潮 』(前 掲)に 寄せ ア こ 「序 」 の 一 節 で,宮 島 新 三 郎 の文 業 を 次 の よ うに賞 讃 して お られ る。 「… … この 人 の 書 い た如 如 何 な る短 か い論 文 で も,尽 く全 力 的 に真 正 面 一64一 宮 島新三郎再評価 の論 に打 当 っ て行 って い な い もの は な い 。 な ほ ぎ りに,気 紛 れ に,即 興 的 に, 書 き流 し て い る もの は一篇 とて もな い。 この真 摯 の態 度 こそ は,一 時 的 な 華 か さな ど は ない に し て も,必 ず後 代 に な って か ら振 返 って 大 正 昭 和 期 の 文 芸 批 評 史 を書 く人 の ため に,い か に 当代 批 評 が真 面 目に な され て あ った か の最 も尊 い例 証 と して挙 げ られ る最 上 の人 とな さず には置 か ぬ」 私 は宮 島 の論 著 の 大 半 を通 読 して,吉 江 博 士 の宮 島 愛 惜 の表 現 が 空 言 で な い と悟 っ た。 に もか か わ らず,近 代 日本 の批 評 史 の な か で,宮 島新 三 郎 は生 前 と同 様 に地 味 な 存在 で あ る。 例 えば,河 出書 房 版 のr現 代 文 学 論 大 系 』(全8巻)や,筑 r現 代文 芸 評 論集 』(3巻 摩書 房 版 の 揃,「 現代 日本文 学全 集 」 の 内),ま た講 談社 版 の 「日本現 代文 学 全 集 」 に収 め られ た数 冊 分 の 評 論 家 文集 や,あ 町 書房 版 のr昭 和 批 評 大系 』(全4巻)な るい は番 どに,宮 島 の論 文 は一 篇 さ え も 収 録 され て い な い。 学究 的 な 博識 を具 え,文 学 の本 質 に執 着 しな が ら,文 学 の時 事 性 に敏 感 な 批評 精 神 を示 した 良 心的 な文 学 者 が,死 後 三 十 年 で 忘却 され て よ い はず が な い。 しか し,卒 直 に言 っ て,宮 島 新 三 郎 は 近 代文 学批 評 史 に巨 歩 を と ど め るほ どの存 在 で は なか っ た。 彼 は社 会 史 的 な視 座 に立 っ て科 学 的 な分 析 批 評 を志 しなが ら中 道 でイトれ た 。 ま た,彼 は英 米 文 学 の新 風 を紹 介 ・解説 す る こ とに,あ ま りに多 くの 時 間 と精 力 を費 した よ うにみ え る。 宮 島 が 自分 の 文学 論 を樹 立 す る志 を もっ て い たな らば,ま た,そ の 志 を支 え るに足 る独 自性 を磨 こ うとす る執 念 を も ってい た な らば,彼 は英 語 教 師 ら しい解 説 好 きのサ ー ビス 精 神 を,も っ と早 い時 機 に切 りす て るべ きで あ った 。 2.可 能 性 と限 界 宮 島 が 壮 年 時 の 仕 事 を総 括 した とみ られ る評 論 集r現 代 文 芸 思潮 概 説』 (昭6・5月,三 省 堂 刊)の 特 徴 が,次 の仮 定 に則 っ てい た な らば,死 後 三 十 数 年 の 現 在,宮 島 新三 郎 の 批評 史 に お け る地 位 は,た ぶ ん 平林 初 之輔 一65一 宮島新三 郎再評価 の論 と拮 抗 した の で あ る ま いか 。 この 評論 集 は 四部 構 成 の体 裁 に な っい る。第 一 部(200頁 分)は 「現 代 文 芸 思 潮 の諸 傾 向」 と題 して,英 米 文学 お よ び東 欧諸 国 の新 文 学 の現 状 紹 介10篇 と,日 本 の通 俗 小 説 に関 す る所 感 一 篇(「 文 芸 の 通 俗 化 」)を 収 め て い る。 第 二 部 「 現 代文 芸 の諸 傾 向」 は文 学 の 研 究 と批 評 に関 す る原 理 論 7篇 と紹 介 記 事1篇 か ら成 る。 この部 門(約100頁 分)は 批 評 家 宮 島 新 三 郎 の 立 場 を宣 明 す る役 割 を もち,ま た現 代 日本 の 文 学情 勢 の俗 悪 性 と研 究 上 の機 能 的 な瑣 末 性 を反 省 させ る効 能 を もつ と思 われ るの で,収 録 論 文 名 を あ げ て お く。 ○ 文 芸 と社 会 科 学 との関 係,○ 新 時 代 の 文 芸 批 評,○ 文 芸 批評 の 問題 ○ 芸 術 評価 の基 準,○ 先 駆 的 批 評 家 の 任務,○ 文 学 の本 質 お よ び価値 へ の 一一 考 察,○ 文 芸 批 評 の新 基 準,○ 最近 の英 国評 論 界(T.S.Eliotの 律 の 分 析 批 評,J.M.MurryやHughFaussetの 文学 自 「創 造 的 批 評 」 方法 な どの 簡 単 な 紹 介 。私 見 に よれ ば これ は 第 一 部 に収 容 すべ きで あ る)。 第3部 「現 代 日本 文芸 の諸 傾 向」(約100頁 か ら1930年(昭5)に 分)に は,1927年(昭2) 至 る文 壇 の展 望 的 な 批 判10篇 が 収 録,こ の うち 厂新 興 芸 術 派批 判 」 は,雅 川滉 の 「芸 術 派 宣 言 」(r新 潮 』 昭5・4月 野 豊 彦 の 「新 興 芸 術 は何 故 に抬 頭 した か」(r新 潮 』 昭5・5月 号)と 久 号)に 対 す る批 判 と して注 目され る。(宮 島 の立 場 は プ ロ文 学 擁 護,そ の特 性 と限 界 に つ い て は後 述)第4部 究 書 の 書 評10篇 「現 代文 学 評 論 」(約60頁 の ほか に,片 分)に は翻 訳 書 ・研 上 伸 の 追悼 文(「 片 上 伸 小論 」),田 山花 袋 の 追 悼 文 「田 山 花袋 氏 の功 績 」,花 袋作 のr重 右 衛 門 の 最 期 』 と ズ ウデ ル マ ソの 『猫 橋 』(HermannSudermann:Z)erκ 「田 山 花 袋 氏 とr猫 橋 』」 α'z6%s彪9)と の 比較 論 これ は五 頁 分 の 随筆 的 な短 文 だが,両 作品の 類 似 点 と,花 袋 の嗜 好 の 本 質 を指 摘 。 宮 島 の広 汎 な 文 学 知 識 を示 す一 証 左 とな る。 さて,私 の な い ものね だ りの 仮 定 に もど る。 前 掲 書 の第 一 部 の海 外文 芸 一66一 宮島新豊郎再評 価の論 紹 介記 事 を切 り捨 て た とすれ ぼ,第 二 部 の 概 説 調 と文 学 知 識 の 引用 癖 を抑 制 して,自 己流 の提 案 を大 胆 に主 張 した とす れ ば,第 三 部 の展 望 的 な文 学 時 評 で ぽ,相 撲 の行 司 めい た軍 配 団 扇 を捨 て て,彼 的 な携 評 方 法 を,文 壇 概 評 で は な くて,個 とす れ ば,こ 自身 の志 向す る社 会 史 々の 作 品論 ・作 家 論 に適 用 した れ らの 仮定 は宮 島新 三 郎 が批 評 家 と して の 資 質 を活 用 す れ ば,実 現 で きた はず の仮 定 で あ る。 宮 島 の 批 評 家 ・文 学 史家 と して の優 れ た素 質 を点 検 して み よ う。 た と え ば,33才 の 春,イ ギ リス 留学 の直 前 に公 刊 され たr明 治 文 学 十二 講 』(1925, 大 正14)は,文 学 史 家 の展 望 的 な 総 合 能 力 と批 評 家 の 鑑 賞 能 力 とを 併 合 し て,こ の若 い研 究者 の大 成 を約 束 し てい る。 この入 門 的 な 研 究 書 は,今 日 の冷 静 で精 緻 な 明治 文 学 研 究 の 観 点 か らみ れ ば,部 分 的 に素 朴 実 在 論 的 な 傾 斜 が 読 み とれ て,か な り目障 りな 感 じが しな い で もな い。(た とえ ば, 二 葉 亭 のr浮 雲 』 の先 駆 的 な リ ア リ ズ ム を高 く評 価 しな が ら作 中 人 物 に 対 す る位 置 づ け と分 析 の 不徹 底 。 漱 石 の後 期 作 品r行 人 』 やr明 暗 』 を 「余 裕 派 」 の理 智 的 な 心理 操 作 と片 づ け る安 易 な常 識 性)ま た,文 学 史 の 著 述 と して は不 用 意 な 印 象批 評 的 な発 言 や,論 理 性 の よわ い,厂 人 生 派 」 調 の素 朴 な 断 定 と詠 嘆 な どが書 中 に散 在 して い る。 しか し,こ れ らの 弱 点 は,「 文 化 史 的 の 立場 か ら見 たr明 治 文 芸 思 潮 史 』 の 序論 の よ うな もの」 とい う宮 島 の 野 心 的 な意 図 を大 して 傷 つ け る もので は な い 。 この著 述 は 入 門 的 な 明治 文 学 史 で あ るが,小 説 の 流 派 を 中心 に す え て, 評 論 の 動 向 は大 勢 を示 す に と ど ま り,詩 歌 には 全 くふ れず に す ませ て い る。 項 目の 立 て方 は現 在 の文 学 常 識 に も適応 す るが,敍 述 の精 粗 は必 ず し も妥 当 では な い 。 しか し大 正 末 期 の 時 点 で,体 系 的 な 明 治 文学 史 が岩 城 準 太 郎 の 著 作(明 治39刊)だ け とい う貧 寒 な状 況 の な か で,宮 島新 三 郎 が 時 代 思 潮 を軸 と して近 代 小 説 の 発 展 を通観 しよ う と した試 み は,も っ と高 く評 価 され て よ い。 ま た,そ の 文 体 には第 一 講 か ら第 四 講 に至 るま で 印象批 評 の調 子 を抑 え 一67一 宮島新三郎再評価の論 て,歴 史家 の総 合 判 断 に立 脚 し よ うとす る形 跡 が み え る。(福 沢 諭 吉 の 功 利 主 義 的 な啓 蒙運 動,中 村 正 直 ・新 島 襄 の精 神 改革 的 な啓 蒙 運 動 と,こ れ と平 行 す る仮 名 垣 魯文 の開 明調 の 旧派 戯 作 文 学 な どの 時代 か ら1,政 治 小 説 の 流 行 と同 時 期 に 抬 頭 した リア リズ ム新 文 学 の 宣 言 と,そ の 作 例,逍 遙 の 『小 説 神 髄 』 ・四 迷 の 『浮 雲 』,お よ び紅 葉 の硯 友 社 派 の誕 生 ま で の叙 述) 文 学 史 家 と して公 正 を保 と うとす る態 度 は,逍 遙 のr当 世 書 生 気 質 』 に つ い て 「皮 相 な滑 稽 諧 謔 な 分 子 が 多 くて,人 生 的意 義 を思 わせ る要 素 が 少 な い 」(同 書,p.88)と い う遠 慮 の な い 適評 に示 され て い る。 第五講 「 芸 術至 上 主 義 の文 学 」 以 後,宮 島 の 文 学批 評 家 的 な側 面 が,文 学 史 家 の役 割 を越 えて,素 朴 に,つ よ く,あ らわ れ て くる。(た だ し,第 六 講 「日清 戦 争 と思 想界 の推 移 」 は,社 会 科 教 科 書 の よ うに,僅 か16頁 分 の容 量 に現 象 を区 分 列挙 す るだ けで,分 析 と批 判 は不 充 分 。 北 村 透 谷 の ・ 「文 学 界 」運 動 の説 明 が4頁 分 と は極 め て もの足 りない) 第 五 講 の 一一斑 を紹 介 す る と,「 成 り上 り もの,通 人 振 り,欧化 熱 の あふ り を喰 っ た江 戸 ツ子気 質 の発 揮,言 いか えれ ぼ,当 時 の社 会 を風 靡 してい た 俗 臭 美 の権 化 が,硯 友社 一 派 の芸 術 の生 命 で あ った 」(p.103),露 伴の男 性 的 な 「ロマ ソテ ィッ ク ・ア イデ ィア リズ ム」 につ い て,「 紅 葉 の作 品 と は比 べ もの に な らぬ ほ どの 厳 粛 さ しか しそ の厳 粛 さ は,理 知 の 世界 に お け ろ厳 粛 さで あ る。 現 実g世 界 へ 持 って く る と案 外 風 船 玉 の よ うに ひ し ゃげ て し ま うか も しれ ぬ。 これ は全 く彼 が 仏 教 の経 典 や元 禄 の文 学 やの 中 に現 われ た 架 空 的 な もの に心 酔 して,生 活 を理 想化 し空 想化 した結 果 に ほ か な らぬ」,ま た,紅 露 の 比 較 に つ い て,「 紅 葉 は 複 雑 多 岐 な 人情 を描 こ う と した が,結 局 類 型 的 人情 しか描 け なか った 。 それ とい うの は,実 際 に動 きつ つ あ る現 実 的 な人 情 に ふ れ な か ったか らで あ る。 露 伴 は 一 個 の 理想 を 描 くに は 描 い た が,そ れ と現 実 生 活 との交 渉 とい う こ とに対 して は,少 し も考 察 を払 わ な か っ た」,紅 露 の文 学 を支 持 し た社 会 的 な 背 景 に つ い て, 「そ れ は,人hが 擾 乱 動 揺 の跡 を受 けて何 か し ら落 着 きを求 め,活 動 よ り は 静 止 を欲 す る社 会 で あ った か らで あ る」(p.108-110) 一68一 宮島新三郎再評価 の論 紅 葉 と露 伴 につ い て の 以上 の発 言 は,宮 島が 技 巧 本位 の遊 び の文 学 を排 斥 し,人 道 主 義 に よ る現 実 革 新 の理 想 を尊 び な が ら,現 実 を直 視 す る文 学 を い っ そ う尊 重 す る傾 向 を明 示 す る。 この傾 向 は第 一 評 論 集Q近 代 文 明 の 先 駆 者 』(大 正10年 刊,28才)の 頃 か ら9イ ギ リス留 学 後,プ ロ文 学 擁 護 の立 場 を卒 直 に うち だ した 三 十 代 の後 半 か ら晩年 ま で一一1し て い る。 『明治 文 学 十 二 講 』 の なか で,宮 島 の人 道 的,批 判 的 リア リズ ム と もい うべ き傾 向 を,さ らに追 跡 す る と,自 然 主 義 に つい て,そ の衰 退 の最 大 の原 因 は,厂 現 実 主 義 の積 極 的方 面 を欠 い て い た とい う点」,で あ り,そ の 結果,自 然 派 作 家 の態 度 は 「懐 疑,無 解 決 を 実生 活 上 に標 榜 す る に至 っ アこ」 と宮 島 は批 判 す る。 さ ら に,人 生 の 暗 黒面 の文 学 上 の再 現 は人 生 の真 を得 るた め で あ り,そ れ は また,目 的 意 識 と して 厂よ りよ い人 間 生 活 ・社 会生 活 を創 造 せ ん とす る意 欲 に基 い た 全 円 的 目的 が あ るた め で は な い か」 と主 張 し,厂 この 意欲 に基 づ い て創 作 され た文 芸 は ロシ ア の(小 説)作 で あ り,日 本 の 自然 派 作 家 に は,全 品 くこの 意欲 が な か っ た。 最 初 に は あ っ て も次 第 に 忘 れ られ て 了 っ た」 と結 論 す る。(第 十 講 厂自然 主 義 の 意 義 お よ び分 化 」p.201∼202) 社 会 の現 実 と,社 会 の歴 史 的 必 然 をみ きわ め,人 間 の生 態 と本 性 を探 り だ そ うとす る欲 求 を,リ ア リズ ムの 本 質 とみ るな らば,宮 島新 三 郎 は リア リス トで あ る。 厂わ れ らいか に生 くべ きか 」 とい う問題 意 識 が ,現 実 の不 満 とか らみ 合 うと き,誘 発 され る改 良 ・革 新 意 欲 の構 想 を,ア イ デ ィア リ ズ ム とみ るな らぼ,宮 島新 三 郎 は理 想 主 義 者 で あ る。 この両 面 の性 格 を彼 は生 涯 に わ た って 具 え て い た。 宮 島 は イギ リス 留 学 を終 え た後(昭2,1927年5月 帰 国,35才),英 米 の社 会主 義 文 学 の 動 向 を精 力 的 に紹 介 ,ま た 日本 の プ ロ文 学 の 隆盛 に共 鳴 した 。 だ が,彼 の 立場 は 同伴 者 的 な側 面 援 護 に と どま って,プ ロ レ タ リア 文 学理 論 史 の 上 に,め ぼ しい記 録 を残 して はい な い 。 宮 島 よ り二 年 お くれ て早 稲 田 の英 文 科 を卒 業(大 正6年)し 輔(1892∼1931)は,宮 た平 林 初 之 島 と前 後 して評 論 活 動 を開 始 した 。 平 林 は プ ロ文 .・ 宮島新三郎再評価 の論 学 の抬 頭 期 か ら隆 盛 期 に至 る間,マ ル クス 主 義 文 学 評 論 家 と して 積極 的 な 役 割 を に な っ た。(大 正10年10月r種 昭 和4年3月r新 蒔 く人 』 創 刊 以 後 の執 筆 活動 か ら, 潮 』 収 載 の重 要 論 文 厂 政 治 的 価値 と芸 術 的価 値 」 ま で) r平 林 初 之 輔 遺 稿 集 』(平 林 駒 子 編,昭7,平 凡社)の 目次 面 は,彼 の 関 心 が 広 汎 な領 域 に わ た っ てい た こと を示 して い る。 プ ロ文 学 の原 理 論 と 現 象 論,映 画 芸 術 論,大 衆 文学 お よび探 偵 小 説 論(平 林 の探 偵 く推 理 〉 小 説 通 は専 門家 の段 階 で,創 作 数 篇 の ほか,フ ラ ソス物 の推 理 小 説 を数 冊 訳 して い る)。 文 学 の 国 家 的保 護 の考 察 ・暴 力 の合 法 性 と 非 合 法 性 ・婦 人 問 題 。大 学 論 な どの社 会 批 評,社 会 科学 ・文 化 科 学 に つ い て の学 究 的 な方 法 論,フ ラ ソス文 学 理 論 の本 格 的 な 研 究,北 村 透 谷論,近 世 以後 の 日本 文 学 史 研 究 の序 説 的 な もの,「 社 会 史 的観 点 よ り見 だ る明 治文 学 」 の解 説 論 文 (講座 物 の記 事)な ど。 この ほか,平 林 は生 物 学 を中心 に 自然 科 学 に興 味 を抱 き,そ の領 域 の訳 著 もあ る。 この よ うな広 い領 域 の 業 績 は,現 在 の 「学 究 的」 な常 識 か ら推 測 す る と,知 的好 奇 心 の安 売 りとみ られ るか も し れ ぬ。 しか し,中 味 は そ の よ うに怪 しげ な もの で は な い。 「平 林 君 の趣 味 の広 汎 は,そ の 文芸 理 論 の基 礎 の広 汎 な る と ころか ら発 す る現 象 で あ る」 とい う吉 江 喬 松 博士 の 断 言(r平 林 遺 稿 集 』 序)は,宮 島新 三 郎 の文 業 につ い て吉 江 博 士 が,「 な ほ ぎ りに,気 紛 れ に,即 興 的 に, 書 き流 して い る もの はmと て もな い 」 と断 言 した と同 じ程 度 に真 実 で あ る。 平林 初 之輔 の多 方 面 の文 筆 活 動 が 軽 薄 を免 れ た の は な ぜ か?,そ 会 革 新 の 目的 意 識 が,彼 れ は社 の学 究 性 と時事 性 とを緊 密 に組 み合 わ せ る織 り糸 に な っ て い た か らで あ る。 彼 は一 般 的 に は,文 学 批 評 家 と して認 め られ て い る。 ま た,外 国文 学 研 究 の分 野 で は,早 大 英 文 科 出身 で あ りなが ら,仏 文 学 者 と して通 用 す る程 度 に,独 自の学 習 を刻 苦 した うえで,立 派 な研 究 実 績 を示 して い る。 そ の方 面 の論 文 の数 は 少 な い と して も,早 大 仏 文 科 科 講 師(大 正12年4月 和6年6月,39才 就 任)と して学 究生 活 に専 心 した な らば,ま た,昭 の若 さ で留 学 先 の パ リで客 死 しなか っ た な ら ば,フ ラ ソ ー7p一 宮島新三郎再評価 の論 ス 文 学 批 評 史 の有 力 な専 門家 に な っ た で あ ろ う。 平 林 の 社 会 批 評 あ るい は 風 俗 批 評 が短 文 の ば あ い に も,理 論 的 な重 み を もつ の は,そ の 土 台 に社 会 科 学 の基 礎 理 論 が蓄 積 され て い るか らで あ る。 平 林 初 之 輔 の これ らの強 み と可 能 性 は,す べ て 評 論 活 動 の な か に 活用 さ れ た とい っ て よ い。 な ぜ な ら,彼 の 生 存 中 に 一 般 の み る と ころ,そ して現 在 の文 学 史 の 常 識 にお い て も,平 林 初 之 輔 は な に よ り も先 ず批 評 家 で あ っ た。 一 方,宮 島 新 三 郎 は 英 米 文 学 の 新 知 識 を追 うこ とに執 着 し,学 究 者 の 位 置 を捨 て きれ ず,ジ ャ.一_ナリズ ムの 舞 台 を ふ み な が ら,文 学 知 識 の啓 蒙 的 な 紹 介 に熱 心 で,自 己 を主 張 す る こ とが 弱 か っ た よ うで あ るn 宮 島 は一 流 の 文芸 雑 誌r新 潮 』 や,r朝 日』 ・r読 売 』 の学 芸 欄 を主 要 な 舞 台 に して,昭 和 初 期 の数 年 間,か な り多 くの評 論 ・時 評 を発 表 し なが ら,地 味 な存 在 で あ った とい え る。 そ の主 因 は,自 己 主 張 の 弱 さ,論 争 性 の 不 足,解 説 紹 介 的 な論 説 内容 お よ び これ に伴 な う迫 力 の弱 い文 体 な ど に あ るの で な い か。 ま た,宮 島新 三 郎 が プ ロ文 学 擁 護 の立 場 に あ りな が ら,そ の 評 論 が 平 林 初 之 輔 ほ どの強 い説 得 性 や,蔵 原 惟 人 の果 敢 な 斗 争 性 と方 向 の あ き らか な 指 導 性 を,示 す こ とが で きなか っ た の はな ぜ で あ ろ うかa第 一 に 思 い つ く 答 は,宮 島 に は平 林 ・蔵 原 の よ うな 政 治 へ の 直 接 参 加 の 体験 が な か った こ と。 第 二 の 推 定 は,宮 島 は文 学 の社 会 性 を重 視 し,社 会学 的批 評 を主 張 し,あ る程 度,そ の 意 味 の 実 践 的 な 批 評 ・研 究 を行 な い な が ら,人 道 的 な 敬 良 主 義 と主 情 性 に 流 され て,平 林 の 同伴 者 的 マ ル キ ス トの程 度 に,科 学 性 に 徹 す る こ とが で きず,ま た,蔵 原 の 正統 派 マ ル キ ス トの程 度 に ま で, 徹 底 で きな か った こ と。 マ ル クス主 義 の経 済 ・歴 史 理 論 を完 全 に消 化 しな けれ ば,プ ロ文 学 撤 護 の 批 評 家 と して,論 理 性 ・説 得 性,指 導 性 を充 分 に発 揮 で きな い は ず だ な ど と過 重 な註 文 を私 は亡 くな っ た人 問 に言 って い るの で はな い 。私 は 宮 島 の 立 脚 点 の曖 昧 性 を指 摘 した い の で あ る(i)。 彼 は 昭和 初 期(1927∼1930年,評 論 集r現 代 文芸 思 潮概 説 』 に収 載 の論 一71一 宮 島新三郎再評価 の論 文 を執 筆 した 時期)の プ ロ文 学 優 勢 の 時 代 に次 の よ うに発 言 した6 「現代 社 会 の理 想 は社 会 主 義 で あ る。 … … 社 会 組 織 の 善 が社 会 主義 の実 現 に 則 して考 え ちれ,社 会 組 織 の悪 が 資 本 主 義 の 存 続 に則 して 考 え られ る よ うにな って い る こ とだ け は 明 白 で あ る。 それ 故 社 会 主 義 は 現 代社 会 の理 想 で あ る。 この理 想 の あ らわれ を,わzし た ち は新 しい プ ロ レタ リア 文学 の 中 に見 る こ とが で き る(2)」 また,ル ナ チ ャル ス キ イの 「マ ル クス主 義 文 芸 批 評 の 任 務 に 関 す るテ ー ゼ 」(『戦 旗 』 昭3・9月 号,蔵 原 訳)に 宮 島 は全 面 的 に賛 意 を表 して,次 の よ うに発 言 した。 厂一 … す な わ ち ロ シア に於 い て現 在 ル ナ チ ャル ス キ イ に よ って 芸 術 評 価 の 基 準 と され た,プ ロ レ タ リア文 化 の た め に貢 献 す るか 否 か が,今 の 日本 にお い て も適 用 さ るべ きで あ る。 勿 論 この基 準 に従 っ て行 な われ る批 評 は, しか く簡 単,単 純 な もの で は な い。 … …今 後 の批 評 は,科 学 的 性 質 の 追 求, 社 会 学 的 関 連 性 の 究 明 をそ の 背 景 に持 た な けれ ば な らぬ。 特 に芸 術 の 技 術 的 方 面 に関 して は,在 来 の プ ロ レ タ リア批 評 は余 りに無 関 心 す ぎた 。 この 芸 術 の技 術 的 方 面 と雖 も,社 会学 的 関 連性 か ら独 立 した もの で は な く,従 っ て それ か ら生 ず る ゜rには芸 術 的価 値 と呼 ば れ る もの で さえ社 会 的 に決 定 され るの で あ る(3)」 これ らの発 言 か ら宮 島 新 三 郎 の 批 評 家 と して の 立場 を推 定 す る と,彼 は プ ロ文 学 派 で あ り,ま た,プ ロ派 の うちの ア ナ キ ス ト系 と も思 わ れ な い の で,マ ル クス主 義 に拠 る プ ロ文 学 撤 護 の 批 評 家 とい うこ とに な る。 だ が, 事 実 は そ うで は な い。 宮 島 の意 味 す る プ ロ レタ リア文 学 は,マ ル クス主 義 文 学 だ け で は な い。 そ れ を包 み こん だ上 で,さ ら に広 義 の プ ロ文 学 を想 定 して い た の で あ る。 そ の広 義 の プ ロ文 学 とは,「 無 産 階 級 乃 至 は労 働 階 級 の 文学 で あ り,… … プ ロ レ タ リア トは個 人主 義 の非 社 会 的 な る もの で あ る こ と を痛 感 してY 集 団 主 義 に立 ち,人 聞全 体 の平 等 権 を認 め て,こ れ を基 礎 と して新 社 会 を 建 設 しよ うとす る。 この プ ロ レタ リア トの イ デ オ ロヂ ィ に よ って 貫 か れ て 一72一 宮 島 新 三 郎 再 評 価 の論 ゐ る文 学 」 で あ る 。(r現 代 文 芸 意 潮 概 説 』 収 載 の 「英 国 の プ ロ レ タ リア ト 文 学 」P.146∼147) 宮 島 は 作 例 の 一 つ に,ロ Oが067,1914)を レ ン ス の短篇 『プ ロ シ ア 士 官 』(Prussian あ げ て い る 。 こ の 主 題 は 士 官 と 従 僕 の 心 理 的 な 葛 藤 で あ る。 作 者 に は 「プ ロ レ タ リ ア ト 。イ デ ィ オ ロヂ ィ」 の 自 覚 は な い し,、ま し て, そ れ を 主 張 す る つ も り も な か っ た は ず だ 。 宮 島 は こ れ を承 知 の 上 で,強 にrプ 引 ロ シ ア 士 官 』 を プ ロ文 学 に 編 入 す る 。 作 中 の 従 僕 が 士 官 の 嗜 虐 的 な 酷 使 に 反 抗 し て,不 作 為 に 士 官 を 扼 殺 し て し ま う と い うス ト リ ー の 背 景 に, 軍 隊 の 階 級 観 念 が あ り,こ れ が 読 者 に 伝 わ る か ら だ,と 宮 島 は説 明 す る。 の 短 篇 の 主 要 な 興 味 は,士 官 が 従 僕 の 肉体 的 私 自 身 の 読 書 体 験 で は,こ な 魅 力 に 倒 錯 的 な 愛 情 を 抱 き,嗜 る プ ロ セ ス に あ る 。 つ ま り,フ 性 愛 の 症 例 が,ひ 虐 的 な 酷 使 を 加 え て,不 測 の返 報 を うけ ロ イ ト流 の 精 神 分 析 学 の 領 域 に 属 す る異 常 き お こ す 興 味 に 通 じ る。 そ し て 作 者 の 狙 い も,お そ ら く, そ こ に あ っ た と 思 う。 宮 島 の 説 明 は 牽 強 付 会 と い うべ き で あ る 。 宮 島 の プ ロ 文 学 観 が マ ル ク ス 主 義 に 拠 る も の で な い こ と は,イ 学 の 直 前 に 出 版 さ れ た 評 論 集r芸 歳)を 通 読 す れ ば,さ 術 改 造 の 序 曲 』(大 正14年5月 ら に 明 ら か に な る 。 同 書 の うち,プ ギ リス留 刊,33 ロ文 学 に 関 連 す る 論 文 と 紹 介 記 事 は 次 の 通 りで あ る 。 ① 「英 国 プ ロ レテ ー リア トの 芸 術 」(上 編 「現 代 文 芸 の 新 傾 向 」 第 二 章) ② 厂芸 術 と 階 級 」(中 編 厂現 代 文 芸 と環 境 」 第 四 章) ③ 「プ ロ レ ッ トカ ル トと 文 芸 の 使 命 」(下 編 「現 代 文 芸 の 諸 間 題 」 第 二 章) ④ 「ボ ル シ ェ ヴ ィ ズ ム と 芸 術 」(下 編 第 三 章) 宮 島 は イ ギ リ ス の プ ロ文 学 の 系 譜 を 次 の よ うに 図 式 化 す る 。 カ ー ラ イ ル(後 キ ソ(特 期,r過 去 及 び 現 在 』Past/.Psesent,1843)→ に 『時 と潮 』TuneandTia'e,by漉 び ギ ャ ス ケ ル 夫 人(特 α76andTyne,1867)お に 処 女 作MaryBarton91848)→ ー73- 一一 ラス よ ウ ィ リァ ム ・モ リ 富島新亶郎再評価の 論 ス→ サ ミュエ ル ・バ トラー→ カ ーペ ソタ ー/こ の延 長 線 上 に,20世 紀 の プ ロ文 学 路 線 と して,ゴ ー ル ズ ウ ォズ ィ,ギ ルiト ・キ ャナ ソ,ロ レ ソス ・ が 存 在 し,「 こ こに英 国 プ ロ レテ ー リア ト芸 術 の 全 図 が 展 開 され る」(論 文 ①) 私 は これ らの 文 人 の 関 係 作 品 を部 分 的 に しか読 ん で い な い の で,自 信 を 以 で宮 島 の 図式 を批 判 で きない けれ どラ 彼 の 鷹 揚 な 網 羅 主 義 に 納 得 で き瀲 こ とだ けea oe言 して お く。 宮 島 図 式 か ら うけ る印 象 で は,労 働 問題 に 関 係 す る文 学 あ るい は労 働 者 ・無 産 階 級 着 が 登 場 す る文 学 が,こ と ご と くプ ロ 文 学 に組 み い れ られ て しま う。 また,労 資 協 調 主 義 璽ユ 県 トピア社 会 主 義 ・人 道 主 義 的 社 会 改 良 ・反 文 明 の農 本 主 義 的 人 道 主 義 あ るい は 自然依 存 の 人 道 主 義 に拠 るユ ー トピ ア思 想 な ど,す な わ ち資 本 主 義 の 経 済 機構 と機 械 文 明 を,な ん らか の立 場 で秕 判 す る性 格 を もつ 文 学 は,す べ て プ ロ文 学 と い うこ とに な る。 ま た,芸 術 の政 治 的 な傾 向性 を戒 しめ る言 葉 に関 連 して,宮 島 は 理 想 的 な プ ロ芸 術 を次 の よ うに想 定 す る。 「プ ロ レタ リア階 級 自身 が プ ロ レタ リアの 為 め に新 しい 芸 術 を創 造 し且 つ鑑 賞 す る とい うこ と これ は極 めて 尤 もな 要 求 で あ り主 張 で あ る。 … …真 に 自由 と平 等 と正 義 と人 道 とに立 脚 した 理 想 的 プ ロ レタ リア が,自 覚 して 新 しい芸 術 の創 造 に従 事 す る時,そ の 作 られ アこ芸 術 は,最 早 や,決 し て 単 に プ ロ レタ リア階 級 だ け に隔 通 す る狭 い もの で は な く,そ れ は一 般 の 民 衆,広 い人 類 の為 め の芸 術 に な る に相 違 な い と思 ふ 。 けれ ど も階 級 的 な 偏見 や意 識 に立 っ て創 造 す る限 りに於 て は,そ れ は,傾 向 的,第 二 義 的, 目的 的 た るに止 ま って,広 く人 類 の 魂 に訴 へ る こ とは 難 しい で あ ろ う」 (論文 ②) この発 言 中 の 「けれ ど も階 級 的 な 偏 見 や 意 識 に 立 って 創 造 す る限 りに於 て は」 とい う保 留 につ い て は,宮 島 が イギ リス か ら帰 国 しナ こ後,「 プ ロレ タ リア文 化 の為 め に貢 献 す るか 否 か 」 を撹 評 の 基 準 と して 主 張 す るま で に 前 進 しア こ事 実 を参 照 しな けれ ばな らぬ 。 しか し,彼 の プ β文学 観 は あ ま り 一74一 宮島新三郎再評 価の論 に抱 擁 性 が ひ ろ く,抵 評 の文 体 は冗 長 な解 説 調 を克 服 で きな か った 。 従 っ て1930年 代 前 後 の英 米 の社 会 主 義 文 学 理 論 につ よ く影 響 され た三 十 代 後 半 にお い て も,彼 の評 論 は対 決 の鋭 さ を欠 き,曖 昧 な歯 ぎれ の わ る さを残 してい る。 彼 の プ ロ文学 観 の寛 大 な ひ ろが りは,次 の 諸 点 に 原 因 す ると 推 定 さ れ る。(1)社会 主 義 の未 来 像 を構 想 す る,力の 乏 し さに 由来 す る信 念 の弱 さ,(2) 青 年 時 に傾 倒 しア こカ ーペ ン タ ーの反 文 明 的 ・人道 的 な ア ナ ーキ ズ ム の影 響, ③ 気 質 的 な 主 情 性 お よび過 剰 な知 的 好 奇 心 か ら生 ず る折 衷 主義 。 これ ら に関 す る論 証 はr改 3.カ め て試 み た い。 ー ペ ン タ ー か らカ ル バ ー トン へ 文 学 挑 評 家 と し て の 宮 島 の 思 想 内 容 と 立 場 を確 認 し,再 評 価 す る た め に, 次 の 三 著 作 を と り あ げ る こ と が 適 当 で あ る と考 え る 。 Ar近 代 文 明 の 先 駆 者 』(以 下,r著 刊,29歳0収 か ら,大 作A』 と略 称)大 録 論 文 は 大 正4年11月(23歳)執 正9年10月(28歳)執 正10年(1921) 筆 の 「リ ア リ ス トの 悲1 筆 の 厂芸 術 鑑 賞 の 深 化 」 に 至 る22篇 あ る 。 早 稲 田 大 学 英 文 科 卒 業 の 時 期(大 正4年3月)か ら約4年 間,宮 で 島 は イ ギ リス の 社 会 思 想 家 カ ー ペ ソ タ ー(Edwardcarpenter,'1844-1929)° に 傾 倒 し て い た 。r著 説 的 な 論 文7篇 作A』 の 前 半 は 「カ ア ペ ン タ ア 研 究 」 と 題 し て,解 を 収 め て い る 。 従 っ て,r著 作A』 は カ ーペ ン タ ーに深 く 影 響 され た 青 年 撹 評 家 の 初 々 し く清 潔 な 肖 像 を 示 す 。 B『 芸 術 改 造 の 序 曲 』(『著 作B』 歳 。 宮 島 が 渡 英 の 船 を待 ち な が ら,神 と略 称)大 正14年(1925)刊,33 戸 の 宿 で 書 い た 「序 言 」 に よ れ ば, 「尠 く と も或 る 程 度 の 価 値 を 有 す る 文 学 芸 術 は,そ ら 独 立 し た もの と し て 鑑 賞 さ れ る よ り は,社 れ る 方 が,一 最 近 四,五 れ が単 に社 会 や 環 境 か 会 や 環 境 と結 び つ け て 味 読 さ 層 そ の 価 値 を 増 す に 相 違 な い 。 さ うい ふ 立 場 に 立 っ て 著 者 が 年 間 に 書 い た もの を 統 一 し,順 -75一 序 を つ け て 一 冊 に 纒 め た の が, 宮島新三郎再評価の論 即 ち本 書 で あ る」 曜この 「序 言 」 は30代 一 初 め の 宮 島 が,r著 作A』 に み られ る,主 情 的 な文 体 と 自然 回帰 の主 観 的 な 民 主 主 義 と,実 質 に 乏 しい 空 疎 な リア リズ ム文 学観 を克 服 して,よ うや く具 体 的 な 社 会 観 と,批 判 的 リア リズ ム に参 入 した形 跡 を要約 して い る。 収 録 論 文16篇 の大 部 分 は解 説 紹 介 の 性 格 が 濃厚 で,自 己 の意 見 を比 較 的 に っ よ く主 張 して い る もの は,次 の、4篇で あ る。 「 現 代 文 芸 の特 色 と当 来 の 文 芸 思 潮(4)」「芸 術 と階 級 」,「自然,郷 土,文 学 」,「 プ ロ ン ッ トヵル トと文 芸 の使 命(5)」(宮 島 の解 説 に よ る と,プ ロ レッ トカル トの 第 一 義 は, 「出来 上 った無 産 階 級 文 化,労 働 者 共和 国 の文 化,相 互 扶 助 社 会 の文 化」 第 二 義 は 「以上 の如 き文 化 を作 り出 す 道 程,即 上記4篇 ち無 産 階 級 教 化 」 で あ る) の うち,「 自然,郷 土,文 学 」 は論 説 で は な くて感 想 文 で あ る。 自然尊 重 の郷 土 芸 術 ・農 民 文 学 の提 唱 者 た ち に対 す る宮 島 の 賛 意 の な か に,彼 が 自認 す る よ うに,カ ーペ ソタ ー の影 響 と ソ ロ ー(HenryDavid Thoreau)へ の 敬 意 が示 さ れ る。 注 目す べ き発 言 と して,「 反 都 会 的 な精 神,野 蛮 性 の 表 現,そ 従 っ て,そ れ は,今 こに郷 土 芸 術 乃 至 農 民 文 学 の 中 心生 命 を置 くこ とに 日の場 合,意 義 と価 値 とを一 層 加 へ る こ と にな るの だ, とわ た し は考 へ る。 …… 郷 土 芸 術 若 し くは農 民文 学 は,プ ロ レタ リア文学 の主 唱 提 唱 と も合 致 して来 るや うに思 はれ る。 プ ロ レ タ リア文 学 は人 間 の 本 性 に 立 ちか へ った叫 び で あ る。 人 類 の 郷 土 を憧 憬 思慕 す る熱 烈 な欲 求 で あ る。 一 部 階 級者 の意 志 と権 力 とに依 って築 き上 げ られ た不 自然,窮 屈, 不 合 理 か ら脱 し よ うとす る,自 然 の,本 然 の,力 強 い念 願 で あ る」 多 くの場 合,あ る思想 の受 け入 れ 方 は,そ の 人 の 気質 ・性 格 に即 応 す る。 宮 島 は カ ーペ ソ ター に影 響 され た が,こ の随 筆 が示 す よ うに,反 文 明 の 自 然 尊 重 が 宮 島 の気 質 に合 っ た もの とす れ ば,彼 の ロ レ ソス尊 重 は偶 然 で は な い 。 ま た,「 プ ロ文 学 は人 間 の本 性 に立 ちか へ った叫 び」 とい う,論 証 ぬ きの感 情 的 な支 持 は,前 掲 の 他 の三 論 文 に,か な り論 理的 に表 明 され て い る。資 本主 義 を否 定,社 会主 義 を新 しい時 代 の指 標 とす る宮 島 の 意見 は, 『著 作B』 に お い て初 めて 明 らか にな る。 -76一 宮 島新三郎再評価 の論 再言 す れ ば,20代 後 半 のr著 作A』 の全 体 的 な性 格 は,書 名 に代 表 され る人物,カ ーペ ソ ター の影 響 の下 で,自 然 回帰 の主 観 的 な 民 主 主 義 と観 念 的 な リア リズ ム との和 合 で あ る。30代 前 半 のr著 作B』 の 主 要 性 格 は,社 会 科 学 の基 礎 づ け が乏 しい ま まの,心 情 的 な社 会 主 義 の 待 望 と,こ れ に 関 連 して,「 人 生 的 意 義 に対 す る積 極 的 欲 求 乃 至 は積 極 的 自覚 」(厂現 代 文芸 の特 色 と当来 の文 芸 思 潮 」 にお け る用 語)を 表 明す る とみ られ る,新 興 プ ロ文 学 の支 持 と,社 会 環 境 を重視 す る批 判 的 リア リズ ムへ の志 向 で あ る。 また,r著 作B』 の 書 名 は,大 震 災(大 正12,1923)以 後 の数 年 間,廃 墟 の再 建 と呼 応 す る社 会 「改造 」 の風 潮 を反 映 す る ジ ャ ーナ リス テ ィ ッ ク な 感 覚 を表 明す る よ うに も受 け とれ る。 cr現 代 文 芸 思概 説 』(r著 作C』 と略 称)昭 和6年(1931)刊,39歳 。 この 大 要 につ い て は前 述 。 主 要 な特 徴 は,宮 島 の社 会 主 義 の認 識 が 深 ま り, 唯 物 史観 の 立 場 が あ き らか に な り,プ ロ文 学 の支 持 は擁 護 の地 点 に ま で達 した こ とで あ る。 た だ し,こ の立 場 の 評 論 が,博 識 の 引用 癖 と,カ ーペ ソ タ ーの臭 み を抜 け きれ ぬ理 想 家 風 の発 想 に か きみ だ され て,論 争 性 が 乏 し く,説 得 力 を弱 め て い る。 解 説 調 の諸 論文 の うち,英 米 の社 会 主義 文学 あ るい は社 会 批 判 の文 学 にふ れ た もの が 多 い。 これ は イギ リス 留 学 以 後 に 開 発 され た収 穫 とい っ て よい 。 めだ って 言 及 の多 い の は,ア メ リカの左 翼文 学 批 評 家 カ ル ・ミー トン(VictorFrancisGalveston,1900∼40)で あ る。 宮 島 は カル パ ー トンの著 述 ・発 言 を再 三 と りあ げ て,立 論 の拠 り処 に して い るC7)。 宮 島 は イギ リス か ら帰 国 後,文 学 の 「社 会 的,科 学 的 批 評 」 を提 唱(8), あ るい は 「科 学 的 ・社 会 学 的美 学 」 を批 評 の 新 しい基 準 と して主 張 して, 厂19世純 初 頭 の イギ リス ・ロー マ ン主 義 の文 芸 に そ の萠 芽 を発 し,1880年 代 ∼90年 代 に 極 点 に達 した唯 美 主 義 的 観 念論 」 を過 去 の誤 り と して排 撃 し た(9)。文 学 現 象 を社 会 史 的 な発 展 過程 で考 察 す る方 法 は,文 学 研 究 に 唯物 史観 を適 用 す る こ とに ほか な らぬ。宮 島 は プ レハ ノブや フ リーチ ェや ル ナ チ ル ス キ ー な どの マ ル クシ ズ ム芸 術論 を,英 訳 又 は邦 訳 で 博 読 して い た に 一77一 宮 島新三郎再評価 の論 ち が い な い が(10),「文 学 の 社 会 学 的 批 評 」 とい う用 語 と,そ の 適 用 方法 に つ い て は は,カ ル パ ー トソの 著 述(特 にTheNewer8ヵ 挧 ち1925,宮 の訳 語 で はr最 新 精 神 』)に 負 うと ころ が大 き い 。r著 作C』 お よ び書 評 は,昭 和2年12月(イ 6年1月 の収 録 論 文 ギ リス か ら帰 国 は 同年5月)か にわ た って発 表 され た。 つ ま り,本 書 は 年齢35歳 島 ら昭 和 か ら39歳 に 至 る宮 島 新 三 郎 の 成熱 期 の思 想 内容 と立 場 を総 括 した と考 えて よい。 宮 島 の若 死 に比 較 して 多産 な著 述 活 動 を,前 記 三 種 の 著 作 に しぼ っ て, 彼 の思 想 の進 展 を要 約 す れ ば 以 上 の通 りで あ る。 カ ーペ ソ タ ーが 初期 の宮 島 の思 想 の母 胎 とな るの で,精 密 に論 証 す るた め に は,前 者 の 思 想体 系 を 原書 に つ い て確 か め,こ れ を宮 島 の 「カー ペ ソ タ ー研 究 」 の要 約 紹 介 と照 合 しな けれ ば な らぬ。 私 に は それ を試 み る余裕 が な い。 だが,カ ーペ ン タ ーは 今 や 忘 れ られ た思 想 家 で あ って,大 正 時 代 の 思想 史 との関 連 で専 門 の 学 究 者 が 検 索 す る以外 に は,た ぶん,ふ れ る人 は 少 な い で あ ろ う。 そ れ ゆ え,こ こで は彼 の 思想 の概 要 を,r文 tion,ZtSCauseandCure,1889)<原 明 そ の 原 因 と 救 済 』(Civiliza- 書 が 入 手 で きな い の で,宮 島新 三 郎 訳 に拠 る〉 ∼11)と,宮島 の 研 究 ・解 説 論 文 に も とつ い て 紹 介 して お く。 カ ー ペ ソ ター はr文 明 』 論 の 冒頭 で,現 代 文 明が 病 気 に か か って い ると 診 断 す る。 そ の病 気 と は人 間 の 肉体 の過 保 護 に よ る弱 体 化,社 会 状態 の面 で は,階 級 間 の 闘争,個 人 間 の闘争,社 会 の部 分 的 機 関 の 発 達 に 因 る組 織 全 体 の 衰 弱 で あ る。 肉体 の各 器 官 が統 一 的 な調 和 を保 ナこれ て い る と健 康 で あ る よ うに,社 会 もま た 「真 の社 会 を構 成 す る統 一 」 を失 う と き病 的 状態 に陥 る。 これ を救済 す る道 は人 間 の 場 合 に は,自 然 回帰 の生 活 で あ り,そ れ は実 益 と美 との融 合 に通 ず る。 社 会 の場 合 に は,政 治 の強 制 的 で不 自然 な統 制 を廃 し,経 済 の 自由競 争 が生 み だす 人 間相 互 の不 信 と富 の偏 在 化 を 除 く方 途 を講 じな けれ ば な らぬ 。原 始 共 産 制 に近 い状 態 に な るア こめ に は, 生 活 の 自然 回帰 に よ って,人 間 の相 互 扶 助 と連 帯 を と り もどす必 要 が 生 ず る。 「これ は文 明が,基 督 を嫌 悪 して い た よ うに,常 に嫌 って来 た と ころ の 一78一 宮島新三郎再評価の論 共 産 主 義 で あ る。 しか もそれ は避 け難 い もの で あ る。 な ぜ な ら,宇 宙 的 の 人 間,即 は,ど ち 自然 を受 け容 れ,そ して これ を完成 す る自然 的,根 源 的 の 人 間 うし て も自然 の一 般 的 法 則 を履 行 せ ず に は いな い か らで あ る。 外 的 の 政 府 及 び法 律 は ど うな るか とい うな らば,そ れ らは 消滅 す るで あろ う。 、 何 とな れ ば,そ れ らは た だ内 的 の政 府 及 び秩 序 を も じって こ し ら えた 戯 作 で あ り,一 時 的 代表 物 に過 ぎな い か らであ る」(宮 島訳 を 現代 仮 名遺 い に 改 め た) こ れ は あ き ら か に ウ イ:」ア ム ・ ・モ .リス に 影 響 さ れ た ユ ー ト ピ ア 社 会 主 義 の 変 種 で あ る。 カ ー ペ γ タ ー は 自 然 科 学 の 教 養 を 活 用 し て ,モ リス の 生 活 美 化 ・ユ ー ト ピ ア 社 会 主 義 の 思 想 体 系 を 自 己 流 に 再 整 備 し た と い っ て よ い 。 二 十 代 の 宮 島 新 三 郎 は当 時 流 行 のrル ス トイ の 宗 教 的 な 人 道 主 義 に あ き足 り ず,清 潔 な 人 道 主 義 的 な 社 会 改 造 の 理 想 と,自 然 あ る い は 人 間 性 の 善 意 に 則 る 自 我 の 解 放 と の 二 つ を,カ r著 作B』 ー ペ ン タ ー の 思 想 体 系 に 見 出 した の で あ る 。 の 特 徴 と な る文 学 の 社 会 性 尊 重(唯 物 史 観 の 面 で は未熟 の 多 分 に 人 道 主 義 の 性 格 を もっ 社 会 主 義 へ の 傾 斜)と,リ , ア リズ ム文学 観 に つ い て は 論 証 を 省 く。 r著 作C』 の 主 要 な 拠 り処 は,カ ルバ・ 一 トンで あ る 。カルパ ー ト ソ は 1920年 代 後 半 か ら30年 代 に 亙 る ア メ リカ の 社 会 主 義 文 学 の 隆 盛 時 に ン ヴ ィ ル ・ ヒ・ ッ ク ス(Granville且icks ,1901-)C12,,)と 派 の 代 表 的 な 論 客 で あ っ た 。 し か し,標 ,グ ラ な 、 ら ん で,そ の 準 的 な 現 代 ア メ リ カ 文 学 史(13)で は,ヵ ルバ ー トンは第 一緝 の批 評 家 とみ な され て いな い。 唯 物 史 観 の 公 式 を,支 学 作 品 の 評 価 に,あ ま り に 機 械 的 に 適 用 し た か らで あ る 。 宮 島 が 好 ん で 引 用 し た カ ル バ ー トン の 評 論 集TheNewer.Spiritに 収録 の 巻 頭 論 文 厂文 学 の社 会 学 申 批 評 」(SociologicalCriticism _of'・L露 醐厩 曜 の は,こ の評 論 集 の総 論 的 な 序説 で あ る。 これ を要 約 す る と,社 会 的階 級 の盛 衰 に よ る交 代 は 明瞭 な 時点 に区 劃 され る もの歪 は な く,新 旧 の二 階 級 が或 る期 間,併 存 しな が ら,新 興 階 級 は次 第 に確 実 に新IL;e,政 治経 済 機 構 の支 配 者 とな る。 この社 会 体 制 の 推 79 宮島新三郎再評価 の論 移 に 伴 な っ て 文 学 の 傾 向 は 変 化 す る 。 演 劇 の 場 合,悲 性 で あ り,こ 劇 の 基 本概 念 は 崇 高 れ は 封 建 制 度 に お け る 貴 族 優 位 の 表 わ れ で あ る 。 従 っ て,平 民 が 悲 劇 の 主 人 公 に な る こ と は な い 。 一 方,喜 劇 の基 本 的 な属 性 は 日常 性 と庶 民 性 で あ る 。 従 っ て 平 民 は 喜 劇 の 主 人 公 に な り得 る。 だ が,シ ス ピ ア の 喜 劇 に 於 て も,'主 要 人 物 と な る平 民 は,無 の 点 で,そ い,召 智 と粗 野 な 性 格 ・様 相 の 喜 劇 性 は 嘲 弄 さ れ るべ き も の で あ っ た 。 た だ し,兵 使 な ど は,忠 順,正 直,勤 ェーク 士,羊 飼 勉 に よ って 賞 揚 され る。 シ ェ ー クス ピア は 特 に 平 民 を 蔑 視 し た の で は な く,貴 族 優 位 の 封 建 制 度 下 の 時 代 精 神 を 反 映 し た に ほ か な ら ぬ 。18世 紀 に ブ ル ジ ョア 市 民 社 会 が 成 立 し た 後 で もi悲 劇 の貴 族 的 性 格 は通 有 概 念 に な って いた 。 ブル ジ ョア社 会 が 生 み だ した最 初 の 悲 劇TheLondonMerchant(14)は,倫 工 業 者)を 代 表 し,審 美 的 な 面 で は 封 建 時 代 の 貴 族 性 の 名 残 りを と ど め て い る 。 文 学 技 術 の 変 化 もま た,社 小 説 の 発 展 史 に お い て,リ る 。(こ 理 面 で は 新 興 ブ ル ジ ョア(商 会 体 制 の 推 移 に 応 じ る も の で あ る。 物 語, ア リテ ィ ー の 深 ま りゆ く過 程 が こ れ を示 し て い の 部 分 の カ ル バ ー ト ンの 論 証 は き わ め て 不 充 分 。 一 結 末 の 部 分 を 引 用 し て,彼 長 崎) の 唯 物 史 観 の機 械 的 な導 入 ぶ りを示 す。 Althoughrevolutonsinestheticsareduetorevolutionsinideas, everyrevolutioninideasisaconsequenceofarevolutioninthesocial structure_thattheprevailingmaterialconditionshaveproduced.(15) カ ル バ ー ト ソ の 論 は,一 化 発 展 に つ い て は,そ 見,明 蜥 に み え る が,小 の 説 明 は 簡 略 で,断 説 の リア リテ ィ ー の 深 牢 は 大 胆 に す ぎ る と思 う。 現 在 で は ア ウ エ ル ・ミッ ハErichAuerbach(1892-1957)の よ うな,精 ま た,私 『ミ メ ー シ ス 』 の 細 な リア リ ズ ム 発 展 史 を 私 た ち は 読 む こ とが で き る 。 見 に よ れ ば,唯 物 史 観 を 文 学 史 に 適 用 す る場 合,説 た 論 を 構 成 で き る と し て も,個 な 傾 侖 と技 法 〉,唯 々 の 作 品 論 の 場 合(特 得 力 を具 え に 小説 作 品 の心 理 酌 物 史 観 で 整 理 す るて と は 作 品 の な か の 大 事 な 部 分 を と ゆ落 す こ と に な りや す い 。 宮 島 新 三 郎 は カ ル バ ー トソ そ の 他 の ア メ リカ 左 翼 評 論 家 の 論 説 を,ほ とん ど無 批 判 に 受 け 入 れ る 場 合 が め だ つ て い る,.こ 41 宮 島新三郎再評価の論 の もの足 りぬ感 じは,昭 和 初期 の プ ロ文 学 隆 盛 時 の空 気 の なか で,宮 島 が ホ い ド 具 体 的 な青 写 真 を作 らず に時 流 に便 乗 した傾 きが み られ る。 総 括 すれ ば,宮 島 新 三 郎 は文 学 批 評 家 と して,そ の時 代 精 神 に きわ め て 敏 感 で あ り,時 代 の状 況 を反 映 す る発 言 を重 ね な が ら,自 己 流 の 文 学 観 を 深 化 す る配 慮 に乏 しか った とい え る。 しか し,文 体 の主 情 性 が 三 十 代 後 半 に至 って も,な お完 全 に 消失 しなか っ た事 実 は,彼 の文 学 愛 の深 さ と,人 生 の た め の芸 術 志 向の つ よ さを,証 明 す る もの で あ る。 今 や,文 学 を愛 す る者 は批 評 家 だ け で あ る,と い う批 評 家 某 氏 の 発 言 を私 はお ぼ え てい る。 果 して その 通 りで あ ろ うか。 批 評 の 状 況 は今 や,あ ま りに分 析 的 で あ る。 (1971●1月) 註 (1)宮 島 の マ ル キ シ ズ ム理 解 の程 度 は,基 本理 論 につ い て一通 りの知 識 が あ っ た もの と推 定 され る。 その 一 つ の 証左 と して,次 の 言 葉 が あ る。 「 私 は専門 外 で は あ るが,か な り早 くか らの河 上 肇 博 士 の愛 読 者 で あ る。 『貧 乏 物 語 』 r社 会 問 題 管 見 』r資 本主 義 経 済 学 の史 的 発 展 』 な ど社 会 問 題 に対 す る私 の 眼 を開 いて くれ た書 物 だ。r祖 国 を顧 みて 』 な る紀行 の如 きは先 年 外 国 の旅 館 に あ っ た私 を慰 め て くれ た ものの 一 つ で あ る」(「最 近 評 論 界 の 一 暼 」 読 売 新 聞,昭4,3月1目 (2)「 ∼8日 所 載,r現 代 文芸 思潮 概 説 』 収 録,p.344) 文 芸 と社 会科 学 との関 係 」(r新 潮 』 昭3,8月 所 載,前 掲 書 収 録p. 219) (3)厂 芸 術 評 価 の基 準 」(読 売新 聞,昭4,5月23日 ∼30日 所載,前 掲 書 収 録, p.253) (4)初 出,『 新 潮 』 大 正13年1月 号。 (5)初 出,『 都 新 聞 』 大 正12年4月22日 (6)宮 島 の ロ レンス 紹 介論 文 は,「 英 文 学 の新 星 」,r文 学 と道 徳 」(ご 篇 と も 『芸 術 改 造 の 序 曲 』 に収 録)。 ∼25日 。 ロ レン ス に言 及 した論 文 「英 国 の プ ロ レタ リ ア ト文 学 」(覡 代 文芸 思 灘 説』 呶 TheRainbow(1915)を,柳 田 泉 と共 訳 で大 正13年(1924)薪 (7)カ 録) ・ ま ナ … レ ン禰 長%1・ 説 晦 』 輸 社 か ら出版 O ル バ ー トンを 引用 した論 文 を 『現 代 文 芸 思 潮概 説 』 の な ガ幾飜 索 す る と, e 宮 島 新 三 郎 再 評 価 の論 「ア メ リカ文 学 の現 状 」,(p.186),「 芸 批 評 の 問題 」(p.232),「 (8)「 新 時 代 の 文芸 批 評」,(p.226),「 文 芸 術 評価(?基 準 」(p.、247) 新 時 代 の文 芸 批 評 」(初 出の 表 題 は 「現代 文 芸 批 評 の 欠 陥 と 其 進 展 策 如 何 」 と し て,r読 売 新 聞」 昭 和3年5月6日 一19日 に,宮 島他 三 氏 執 筆, 『現 代 文芸 思潮 概 説 』p.222-229) (9)「 文 芸 批 評 の新 基華 」 の要 旨。(初 出,新 潮 社 発 行 のr文 学 時 代 』 昭 和4 年10月 号,前 掲 書p.280∼302) (10)フ リ ー チ ェ(br芸 術 社 会 学 』(昇 曙 夢 訳,昭5,4月 宮 島 の 書 評 が あ る 。(「 〈 芸 術 社 会 学 〉 批 判 」,初 明 。 前 掲 書P.492∼496に (11)r文 版 明一 新 潮 社 版)に 出,昭5,7月,掲 つ い て 載誌不 収 録) そ の 原 因 と救 済 』(カ ー ペ ン タ ー 原 著,宮 「世 界 大 思 想 全 集 」(第32巻),昭5,6月 刊)に 島 新 三 郎 訳)は 春 秋社 収 録 。 この巻 に は カー ペ ン タ ー と 思 想 的 な 近 縁 性 を も つ 二 人 の 文 学 思 想 家 の 論 集 も収 め て あ る 。 ソ ロ ー のrウ ォル デ ン 』(古 館 清 太 郎 訳),ホ (12)GranivilleHicksは イ ッ トマ ンr論 文 集 』(古 館 訳) 第 二 次 大 戦 前 に 転 向 。 近 著PartofTruth・1965・ BraceandWorld版)は 彼g回 顧 録 で,1920∼30年 代 の ア メ リカ左翼 文 壇 と ジ ャ ー ナ リズ ム の 状 況 を 詳 細 に 伝 え て い る。 (13)標 準 的 な 現 代 ア メ リ カ文 学 史 と は,例 grounds,1942(邦 495);あ 訳r現 え ば,AlfredKazin:0πNative 代 ア メ リ カ文 学 史 』 南 雲 堂 刊,1964邦 る い は,RobertE.Spiller他 訳p.490∼ 共 編:LiteraryHistoryof_theUnited States,1946,Macmillan刊(p.1361)に お け る カ ル バ ー トン に 対 す る軽 い 評 価 な ど。 (14)TheLondonMerchantの merchant又 通 し 表 題 はTheHistoryoftheLondon はTheHistoryofGsorgeBarnwell『 ロ ン ド ン商 人 ジ ョ7ジ ・バ ー ン ウ ェ ル ー 代 記 』,GeorgeLillo(1693∼1739)作 の散 文 悲 劇。 主 人 公 の商 家 番 頭 が 遊 女 を真 剣 に愛 して破 滅 す るの が 大 筋 。 (15)V.F.Calverton:TheNewerSpirit,p.51(1925,BoniandLiveright 刊) へ (細 引騨 について・畏友黙 書 館 よ り便 宜 を うけた こ とを感 謝 す る。 一82一 教授紅野騨 鵜 書 およVar4大 学図