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九十九島の島々 - GMOとくとくbb

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九十九島の島々 - GMOとくとくbb
■九十九島の島々
※「西海パールシーリゾート」の Web ページより(抜粋)
元の島(もとのしま)
<由来>
鹿子前と牽牛崎の間の小湾の根元にある島という意味から「元の島」と名付
けられた。
<歴史>
島の奥は埋め立てられ、戦前は体が弱い徴用工員兵の作業場として塩釜が作
られた。
以前この島には炭鉱があって、現在のパール・シーセンター近辺に石炭を集
積していた。
昭和 15 年頃は炭鉱跡に人々は水を汲みに行っていた。
戦後、朝鮮の引き上げ船が南側の岬に激突して大破し帰国を断念した。
船は鳥ノ巣の東側の入り江にしばらく放置され、朽ちていった。
<伝説>
昔この島には二ツ尾の大蛇が棲んでいた。ある時その身を地上に横たえ日向ぼっこをしていた大蛇を弓の名人
が見つけた。名人は弓を満月のごとく引きしぼり、大蛇に放った。矢は見事に命中し、大蛇は真ッ二つに裂け
た。大蛇は怒り立ち鎌首を立てて天に昇ろうとしたが力尽き、立ち往生してしまった。大蛇の死体はやがて石
と化し、「龍岩」と呼ばれるようになった。また尾の方は飛び切れ海辺に横たわり、石となって「飛切(干切)」
と呼ばれるようになった。この大蛇は腹中に卵をかかえており、その卵が四辺に散乱した。よってこの弓射り
の場所は今でも「子下し」と呼ばれている。
情報提供:鹿子前地区、出典:佐世保の地名は語る
牧の島(まきのしま)
<由来>
松浦藩時代に、放牧場であったのが由来と言われています。
<歴史>
以前はトマト等の野菜を育てていた段々畑があった。
昔、伝染病等で亡くなった人々を火葬したと思われる土台が残っている。
<言い伝え>
海賊船がこの島に停泊していた、という言い伝えがある。
※松浦党が遠く大陸まで海賊行為をし、陸地より目立たない九十九島を基地に利用し
ていた、と伝えられている。
<民話>
昔、牧の島で牛と馬が東西に分かれて大乱闘を演じた。島に居合わせた一頭の鹿は様子をうかがい、馬が勝
ちそうになったので馬に加担した。ところがまもなく牛が勝ちそうになってきたので今度は牛に加担しようと
した。しかし、牛はたいそう怒って鹿の角をへし折ってしまった。鹿は泣く泣く馬のところへ戻り、そして角
のない鹿として一生を過ごした。これが『馬鹿』という言葉の語源である。
一説によると、この東西に分かれての馬と牛の争いは源平合戦をたとえているとも言われている。
<伝説>
○牧の島の東側にある小さな入り江は昔、海賊船の集合地であった。ある時、地元の者がここに潜んでいた一
隻の海賊船を捕らえ、金銀宝玉を奪ったうえに海賊達に石の重りをつけて海中に投げこんだ。その時海賊の一
人が沈みながらも海面に顔を出し、「この恨み七代の後までたたってやる」と言いつつ沈んでいった。その後、
呪いの言葉どおり、海賊を襲った者の家系には必ず体の不自由な子が生まれた。
一説では、この伝説における人物は「地元の者」「海賊」ではなく源平合戦の折、平家に加担していた松浦水軍
がおちのびてきた時、源氏に寝返った者が、財宝の警護をしていた平家の武士を襲ったとも言われている。
○夜間にこの付近の海上を通ると必ず舟幽霊につけられて遭難した。このため船頭たちはここを『魔の浦』と
呼んで恐れた。
情報提供:鹿子前地区
桂島(かつらじま)
上空から見ると特徴ある島姿が際立ってみえ、樹木がとりわけ美しい島で
す。
<由来>
神功皇后が男装のお姿で出征された三韓征伐を終え本土へ凱旋する途中、元
の女の姿にもどられるため「かつら(鬘)」をぬがれ海に捨てられた。そのか
つらが南東の風に乗って流し流され、この島に流れついた。この伝説により
鬘島と名前がつけられた。しかし、この漢字が難しいので後に「桂」の文字
に変更されたといわれる。
出典: ふるさと歴史散歩・佐世保
1
松浦島(まつらじま)
いくつもの深い入り江をもった島の形が特徴的で、南九十九島のシンボルと
なっています。
<言い伝え>
平戸藩松浦家の所有地で鷹狩りなどに使われていた。また、松浦家兵船のつ
なぎ場所であった。
上質の土が採れ、瓦を焼くために使われていた。
現在の養殖いかだ付近には、2つの墓がある。
平戸藩の罪人をこの島に島流しにし、住まわせていた。
三ヶ所に木の化石がある。
情報提供:船越地区、俵ヶ浦地区
斧落とし(よきおとし)、丈ヶ島(じょうがじま)
昔、殿様が釣りのじゃまになった木を切ろうとして降りおろした「斧」を落としてし
まったという由来をもつ「斧落とし」と、荒々しい奇岩に覆われた「丈ケ島」。
斧落とし
<由来>
昔、平戸藩松浦侯の殿様が鷹狩りをしていた。しかし、殿様はそのうち鷹
狩りに飽きられ、釣りをなさるようになった。そこで釣り場を探し回ってい
るうちに、この島にいきついた。しかし、ちょうど良い釣り場には木があっ
て殿様は、その邪魔な木を切ろうと家来にヨキ(斧)を持ってこさせた。そし
て殿様自らその木を切ろうとされたが、慣れない手には無理で斧を海に落と
してしまった。それから誰ということなくここは斧落し(よきおとし)と呼ばれるようになった。
丈ヶ島
<伝説>
昔、九十九島の村々に住む若い娘が次々と姿を消す怪事件が起こった。村人が調べたところ、どこからとも
なくやってきて丈ヶ島に棲みついた竜のしわざとわかった。村人は竜討伐に知恵をしぼったが、手におえる代
物ではなくとうとう領主に訴え出た。領主はさっそく鎮西八郎為朝(*)の再来と噂の高い弓の名人である家来を
つかわし、竜討伐を命じた。名人はみごと弓で竜をしとめた。その時竜はものすごい叫び声をあげて鎌首を持
ち上げ天に舞い上がろうとしたが力つき立ち往生し、そのまま石になってしまった。人々はそれからこの岩を
竜石(立岩)と呼ぶようになった。
*鎮西八郎為朝…平安末期の武将・源為朝。九州に勢力を張っていたので鎮西八郎と称された。豪勇で弓の名手とうたわ
れた
出典:ふるさと歴史散歩・佐世保
鞍掛島(くらかけじま)
馬の鞍に形が似ていることからこの名前がつけられた。干潮時には陸まで
歩いて渡れる。
<由来>
神功皇后がこの島の松に立ち寄られ、馬の鞍をかけられた。このことから
鞍掛島の名前がついた。
昔、七郎神社の祭典日にはたくさんの神々が集まられ、この島の松の木に
次々と馬の鞍を掛けられた。それは松の枝が海面すれすれにまでたわむほ
どだったという。
出典:観光地の伝説
オジカ瀬(おじかせ)
潜水艦が浮かんでいるように見える島です。島の上部にあるクロマツが帽
子のようにも見え、特徴ある景観となっている。
<歴史>
戦時中、島影が潜水艦のように見えたため米軍がこの島を誤爆し、たくさ
んの魚が死んだ。
戦後、米軍の弾薬処理場として接収されそうになった。
情報提供:鹿子前地区、出典:九十九島に関する伝説及び昔物語
2
金重島(かなしげじま)
外海側は荒々しい断崖で、東側の入り江には静かな砂浜をもつ島です。夏場
はキャンプも楽しめる。
<昔話>
昔、この島に大蛇が棲んでいて、島の大きな岩の溜まり水を飲んで暮らし
ていた。ところがある石屋がその岩を崩してしまい、石屋は大蛇の呪いで死
んでしまったという。
<歴史>
沖合いの海中のどべ(泥)をとり道路工事に使っていた。
戦後は米軍の海水浴場になっていたが、その後日本人にも開放された。現在
は私有地になっている。
この島で金や銀が採れるという噂があり、実際に掘りに行った人もいる。
<伝説>
源平の戦いに敗れ金銀宝玉をたずさえて落ちのびてきた平家の武士が、夜陰にまぎれ小舟でしばしばこの島
に渡るのを、里人のひとりが見かけていた。これを聞いた松浦党がその探索をしたが、ついに発見できなかっ
たという。
戦後、佐世保在住のある人が色々な文献による調査の結果、まちがいなく平家の財宝が隠されていると信じ、
私財を投じて人を雇い発掘を試みたが、夢半ばにして亡くなり、ついに発見できなかったという。
足利幕府末期の戦国時代、平戸松浦家と大村家も勢力争いの戦いに明け暮れていた。
天正 14 年(1586)、松浦家の武将・佐々入道加雲は、大村家の宿将・大村与市の守る彼杵城を攻めたが城は
容易に落ちず、かえって大村勢の反撃にあい敗れた。加雲は部下数名と共に船で平戸にのがれようとしたが追
手に迫られ、金重島に隠れた。しかし敵の探索にあって発見されてしまい、加雲はついに大岩の上で自刃した。
島の南側にあるこの大岩は、加雲岩と呼ばれている。
情報提供:鹿子前地区、大崎地区、出典:九十九島の会、ふるさと歴史散歩・佐世保
高島(たかしま)
相浦桟橋からフェリーで約 20 分。水平線に浮かぶ姿は台形と三角形がつな
がったような島形で、遊覧船からもその姿を見ることができる。頂上の公園
からは南北の九十九島や五島・平戸の名勝が一望できる。また、美味しい「ち
くわ」や「ウニ」の産地でもある。
島の形はタツノオトシゴを横から見た形に似ており、港湾施設及び集落は中
部の尾がくびれた形になっている所に集中している。南部(尾の先端部)の
番岳は江戸時代に平戸藩が沿岸警備のための番所を置いたことが名の由来と
なっている。
古くは縄文時代から人が生活していたことが宮の本遺跡の発掘により明らか
になっている。
※島へのアクセス…黒島旅客船(ニューフェリーくろしま)相浦港~高島~黒島
相浦-高島所要約 30 分
黒島(くろしま)
相浦桟橋からフェリーで約 50 分。
「クルス(十字架)の島」が名前の由来と語
られているように、7 割がカトリック信者です。島のシンボル「黒島天主堂」
は国の重要文化財に指定されています。また、豊かな自然に恵まれており、樹
木に黒く覆われた姿が黒島の由来だという説もあるほどで、希少な生き物が生
息する島としても有名です。海水のニガリで固めた独特の風味と硬さが特徴の
「黒島とうふ」が有名です。
横島(よこしま)
割島(われしま)
ライオンが寝そべっ
ている姿に見えると言
われています。
ひとつの島が、真っ二
つに割られたような
珍しい姿の島です。
3
亀子島(かめのこじま)
黒小島(くろこじま)
陸地と橋でつながった
島で、九十九島での真
珠養殖発祥の地と言わ
れています。
干潮時にはひとつに
見える島が、満潮時に
は三つの島に別れま
す。浜が美しく、真珠
の養殖場もあります。
諸島(もろしま)
こま犬のような
奇岩を持ち、隣の
長南風島の奇岩
を合わせ見ると
ちょうど神社の
参道のようです。
長南風島(ながはえじま)
鳥の巣島(とりのすじま)
砂浜もあり、シーカヤ
ックを楽しむ人達の格
好の休憩ポイントとし
て人気がある島です。
[「LIVE」や「Check!」は「西海パールシーリゾート」の Web ページでご覧下さい]
4
「 千畳敷き」と呼
ばれる広い岩場が
あり、遊覧船から
その美しい景観を
眺めることができ
ます。
<由来>
潮が引いたら島が
長く生えてくるの
で「ナガハエ島」と
呼ばれるようにな
った。
情報提供:俵ヶ浦地
区
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