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夏目漱石の作品における「道」
夏目漱石の作品における「道」――漢詩を中心に―― 開南大学 20131204(三) 一、はじめに 二、儒・道・禅における「道」 三、漱石の漢詩における「道」 四、漱石の早期の作品における「道」――「則天去私」との関わり 五、むすび 一、 はじめに 〈詩の概要〉 ・夏目漱石の漢詩作品:二〇八首。「真剣の作」「思索者の詩」といわれる。 ・時期別に整理すると、主に下記のような四期区分。 第一期:洋行以前 (明治十年代~三十三年、七五首) 第二期:修善寺大患時代 第三期:南画趣味時代 (明治四十三年七月~十月、十七首) (明治四十五年五月~大正五年春、四一首) 第四期:明暗時代 (『明暗』執筆中、大正五年八月十四日~十一月二十日、七五首) (※漱石は、明治三十三年九月~同三十五年十二月、イギリスへ留学。大正五年十二 月九日に、他界。) ・本稿で取り上げた「道」を詠む詩は、主に彼の晩年、すなわち四期区分の作詩時期にお ける第四期、「明暗時代」の作品に見られる。 ・漱石の漢詩において、「道」が四十三回。比較的出現する回数が多い語。また、「道」 と組み合わされて詠まれていて、表現が似ているものに「天」(主に、形而上の「天」) があり、両者が漱石の理想の世界を示唆していると言われる。 〈従来説〉 ・一部の先行論者は、漱石の漢詩における「道」や「天」を、彼が晩年に語った理想的な 境地、「則天去私」の「天」とともに、仏教や禅の側面から解読している*i。 ・佐古純一郎*iiは陽明学の角度から論を展開。 ・江藤淳*iiiは漱石の「道」を仏教と関連づけて見ている一方で、彼の「天」について「儒 教のというよりむしろ老子の「天」ではなかったか」との異なった見解を示している。 〈本研究の目的〉 今西順吉は漱石の大学生時代の評論『老子の哲学』をふまえ、漱石は生涯に渉り一貫し た問題追究を行っていたという姿勢を指摘したうえで、「時代の合理主義的風潮を配慮し た結果であろうと思われるが、形而上学的・宗教的側面についてはむしろ沈黙を守り、後 年の作品群において若干の象徴的な表現を用いるにとどめている。しかしその僅かな表現 が漱石の胸奥にある核心的なものを指示する極めて重要な意義を背負わされている」*iv と述べている。漢詩における「道」や「天」は、まさにこうした「核心的なもの」であり、 1 漱石の内面を理解する際に重要な役割を果たしているように思われる。 そこで、本考察では、儒・道・禅における「道」(ないし「天」)の意味を概観しつ つ、漱石詩中の「道」を分析検討し、さらに漱石の他の作品と対照しつつ、そこに託す漱 石の内面の一端を明らかにしたい。 二、儒・道・禅における「道」 漱石文学は儒・道・禅の三つの学問を基盤として出来上がったといわれる。漱石漢詩に おける思想的要素も、この三つの学問と深い関わりにあると察せられる。それがゆえに、 この三つの分野をふまえて漱石の作品における「道」を考察したい。 (一)儒教 【資料1】 「君子務本、本立而道生(君子は本を務む、本立ちて道生ず)」 (『論語』学而第一) ……徳ある君子という者は、物事の根本に力を尽くすものである。根本さえ確立すれば、 自然に道は生じてくる。 【資料2】「志於道、據於徳(道に志し、徳に據り)」(『論語』述而第七) ……我々はまず以て人たるの道を修養に志して、進むべき方途を確立しなければならな い。かくの如くにして進んで行けば自然、心に得るところがあるに違いないが、次にその 心に得た徳を失わず、それを執り守って行くように努めねばならぬ。 【資料3】「天命之謂性、率性之謂道、修道之謂教(天の命之れを性と謂い、性に率う之 れ道と謂い、道を修むる之れ教えと謂う)」(『中庸』の開卷第一) ……天が人に授けたものを人の性という。その人性の自然に従うこと、これを人の道とい う。その人の道を修めること、これを教えという。 【資料4】「誠者天之道也。思誠者人之道也(誠は天の道也、誠を思ふは人の道なり)」 (『孟子』離婁上) ……万物にあまねく、古今に貫いている誠、それが天の道である。この天の誠に背かない ように努めるのが人間の道である。 【資料5】「誠者天之道也。誠之者、人之道也(誠は天の道なり。此れを誠にするは、人 の道なり)」 (『中庸』20章) ……誠というものは天然自然にあたえられたものであるが、さてそれをわが身に具現する ように努力するのが、人の道である」 まとめ:儒教における「道」は、「道路の如きもので、己もより人もよるべき本務、即ち 道筋である。」*vと解されている。子思は「天道即人道、人道即天道、天人合一」の真 理を説き、「誠」を天道・人道の根本、人や万物の本性であると説いている。つまり、こ 2 こにおける「天」「道」云々は、天賦の本性に従って生きる道を指示しているのである。 (二)道教 【資料6】「人法地、地法天、天法道、道法自然(人は地に法り、地は天に法り、天は道 に法り、道は自然に法る)」(『老子』第二十五章) ……老子は世の中には人(王者)・地・天・道の四つの大なるものがあると説いており、 「この四大も、最後は自然に帰るよりほか方法はない」「結局、人間もまた自然に法るの が一番よい」*viと示している。 【資料7】「徳兼於道、道兼於天(徳は道に兼ねられ、道は天に兼ねらる)」*vii 【資料8】「無為為之之謂天(無為にして之を為すを之れ天と謂ふ)」*viii(『荘子』天地) ……荘子は「天を以て天に合す」*ixと唱え、老子と同様に「自然」の天や道を説いてい る。 まとめ:老荘が説く「道」は、自然に則る「道」である。また、その「天」も「無為の天」 とされ、自然の「道」と同じ趣をもつ。ここにおける「自然」とは、私心私欲、虚礼虚飾 などを斥けた、天地万物の純朴な本性を示す。要するに、大小・善悪の対立を「太一」(天 地・万物の出現または成立の根本)によって調和し、ものの自然なままの姿を真の性とし て受け入れ、無我無心に対処すれば、真に自由な生活を得られ、現在の価値を自覚するこ とができる、との説諭である。こうした人為(小我)を去って無心になり、自然と融和し 絶対的存在になるという「天」「道」(自然)の思想、およびそれが仄めかす物我一体、 天人合一のような絶対的な自由の境地は、前述の儒教の論理と一致するところがあると考 えられる。 (三)禅 儒教・道教は「天」を宇宙の本体、人間の天賦の本性として見、「道」をわれわれの歩 むべき道、理想的な生き方として提示するのに対して、禅宗は「仏」を宇宙一切の万有の 象徴としており、「悟り」(迷いが解けて、仏道すなわち真理を体得すること)を禅修行 の目的、理想的な境地としている。禅宗では、儒教・道教のように「天」「道」の語を直 接用いて説明してはいない。「悟道」「聞道」「成道」といったように、「道」は「仏道」 すなわち悟りという真理の別称として用いられているように見られる。 禅宗が不立文字、以心伝心、直指人心、見性成仏などを主旨とし、その悟りとは「本源 の一心への自覚」、つまり「無我」「無心」(妄念や分別を離れた状態)といわれる心の 本体、いわば「本来の面目」への認識を示す。こうした無心の境地が、禅の真の精神を表 すものであり、相対を超越した絶対的な自由の世界を象徴しているのである。 以上、儒教と道教における「天」「道」の理念は、天性を貴び、絶対自由の世界に逍遙 して真の価値を追究するところに相似点があると察せられる。儒・道両教はともに、「天」 すなわち「自然」に則る「道」を説き、小我を去って自然の大我に帰依した統一的な融和 3 の世界を貴んでいる。一方、禅宗では、「天」「道」の語を直接用いてはいないが*x、 心の「本来の面目」を「無我」「無心」によって示し、外物に束縛されない絶対自由の世 界(心の根源的な自由性)を説いている。こうした「無心」の境地は、儒教・道教の「天」 「道」が示す自然、無我の境地と趣を一にしていると窺われる。 三、漱石の漢詩における「道」 (一)「道」と「天」 まず、漱石の漢詩における「道」の用例を見てみたい。これらの「道」の用例は、そ のほとんどが、「天」と読み合わされて詠われている(※傍点傍線は筆者による。また、 傍線の口語訳を【 】内に記した。以下同様)。 【例1】 天下自多事 天下 被吹天下風 天下の風に吹かる 高秋悲鬢白 高秋 鬢の白きを悲しみ 衰病夢顔紅 衰病 顔の紅きを夢む 送鳥天無尽 鳥を送りて 看雲道不窮 雲を看て 残存吾骨貴 残存せる吾が骨貴く 慎勿妄磨? 自ら多事 天尽くる無く 道窮まらず 慎んで妄りに磨?する勿かれ(無題、明治四十三年十月七日、詩86) 【鳥が飛び去ってゆくのを見送れば、空は果てしもなく、悠々と浮かぶ雲を見ては、 道の窮まりないことを思う。】 →「天」や「道」は、自然の摂理を示し、時空などを超越した永久不変、息むことのない 絶対的な天地を譬えている。 【例2】 寂寞光陰五十年 寂寞たり 光陰五十年 蕭条老去逐塵縁 蕭条と老い去りて 塵縁を逐う 無他愛竹三更韻 他無し 三更の韻 与衆栽松百丈禅 衆の与に 淡月微雲魚楽道 淡月 微雲 魚は道を楽しみ 落花芳草鳥思天 落花 芳草 鳥は天を思う 春城日日東風好 春城 日日 東風好しく 欲賦帰来未買田 帰来を賦せんと浴して 竹を愛す 松を栽う 百丈の禅 未だ田を買わず (無題、大正五年八月二十三日)(詩144) 【淡い月、微かな雲、そして水の中で自由に泳ぎ自然な生き方を楽しんでいる魚。落花 芳草の時節に、果てしない空に思いを馳せる鳥。彼らの自然、無心に生きる姿が羨まし い。】 →第五・六句「淡月微雲魚楽道 落花芳草鳥思天」は、「自然の調和をもっとも自然に享 4 受す」*xiるイメージを写した句であるとされる。「魚楽道」は、中村宏の注解の通り、 「魚が自然にまかせて無心に泳ぎ回っている」の意であり、また「鳥思天」は、鳥が天す なわち無限の自然に憧れるさまをいう。この「天」や「道」は、「自然」の天・道と解さ れよう。ここで、魚や鳥のように自然の中で自由に逍遙して、無心のままに生きたいとい う作者の願望が吐露されている。 【例3】 独往孤来俗不斉 独往孤来 俗と斉しからず 山居悠久没東西 山居 悠久 巌頭昼静桂花落 巌頭 昼静かにして 檻外月明澗鳥啼 檻外 月明らかにして 道到無心天自合 道 無心に到らば 天 自ら合し 時如有意節将迷 時 如し意有らば 節 将に迷わんとす 空山寂寂人閑処 空山 寂寂として 人閑かなる処 幽草芊芊満古蹊 幽草 芊芊として 古蹊に満つ 東西没し 桂花落ち 鳥啼く (無題、大正五年九月三日)(詩154) 【人間は小我を捨てて自然の変化に伴い無心となれば、おのずと「天」(自然) と同化、融和し、絶対的な自由の境地に到達できる。】 →従来の研究*xiiは、漱石の「則天去私」への志向を示す句であると解している。 →全集では、この句を「人の道も無心の境地に到達すれば、おのずから天と合体し一つと なる」と注した上で、「ただし「合天」「会天」ともに禅語にはないようである」と記し ている。 →『荘子』には「天を以て天に合す」(前述)、また「忘己之人。是之謂入於天(忘己の 人。是を之天に入ると謂う)」(天地篇)などと、「合天」「入天」*xiiiの説が見える。 これは、自然と一体化して、己の存在をも意識することのない、すなわち「心が全く虚の 状態になる」*xivという純粋、無分別の心境を象徴するものである。 →「道到無心天自合」とは、人間の無心と「天」(自然)の無心とが融和一致するさまを 形容し、「天人合一」といわれる統一的な融和の世界および自由な精神の境地を仄めかし ている。 【例4】 虚明如道夜如霜 虚明 迢逓証来天地蔵 迢逓として 月向空階多作意 月は空階に向かって 風従蘭渚遠吹香 風は蘭渚従り 幽燈一点高人夢 幽燈 一点 高人の夢 茅屋三間処士郷 茅屋 三間 処士の郷 弾罷素琴孤影白 素琴を弾じ罷めて 還令鶴唳半宵長 還た鶴唳をして 道の如く 夜 霜の如し 証し来たる 天地の蔵 多く意を作し 遠く香を吹く 孤影白く 半宵に長から令む (無題、大正五年九月六日)(詩158) 5 【霜の如く冷やかな夜、わが心の虚にして清く明らかなるさまは、まさに願い求 める道そのものである。こうして無我無心に、はるか彼方までたたなわる天地万 物の姿を観照しようとする。】 →「虚明」:吉川幸次郎の注によれば、「空虚で明るいもの。心理的にいう」とある。 →また、中村宏は、任彦昇と朱熹の句を例にあげ、それを「漱石の求める無我の境地と不 可分のものであった」と注解している*xv。 →佐古純一郎は、陽明学との関連に着目し、「漱石はその詩の中に、『虚懐』『虚明』『虚 白』といった言葉を好んで使うのであるが、それらの言葉に漱石がたくしているのはこと ごとく『虚霊不昧』ということであった」*xviと述べている。 →陳明順は、「虚明自照 不労心力(虚明自照すれば、心力を労せず)」(心の本体すな わち「本来面目」は、虚明で自ら照らすので、精神力を使う必要がない、との意である。) なる禅語を典拠にあげて、「詩に用いた「虚明」は、人々が持っている「本来面目」の意 として、漱石はその意味を詩に表現しているに違いない」*xviiと指摘している。 →一方、「虚明」が、第七句「弾罷素琴孤影白」の虚白のイメージとともに、無私虚心の 境地を表象する『荘子』の「虚室生白」*xviiiに通じていると窺える。 →まとめ:先行論において、この「虚明」の語をそれぞれ儒・道・禅の視点より解するも のがある。帰納的に言うならば、漱石漢詩における「虚明」とは、純粋、無分別な心を示 し、忘我無心の自由の境地を表象していると考えられよう。初句「虚明如道夜如霜」は、 光源のさだかでないうつろな明るさが、闇の中で霜のように冷たく光るさまをイメージし た句である。こうして〈闇の中の微かな光〉を借りて、心の虚無の状態を譬える表現は、 漱石の明治三十一年の作「春日静坐」にも、「独坐隻語無く 方寸微光を認む」(詩67) と見える。「虚明如道」の吟詠により、漱石が求めている道とは、私心私欲やすべての雑 念から離れて真の自己を感じ取り、心の根源的な自由性を発見しようというところにある と言えよう。 【例5】 曾見人間今見天 曾て人間を見 醍醐上味色空辺 醍醐の上味 白蓮暁破詩僧夢 白蓮 暁に破る 詩僧の夢 翠柳長吹精舎縁 翠柳 長く吹く 精舎の縁 道到虚明長語絶 道は虚明に到りて 長語絶え 烟帰曖緲妙香伝 烟は曖緲に帰して 妙香伝う 入門還愛無他事 門に入りて 手折幽花供仏前 手ずから幽花を折りて 今 天を見る 色空の辺 還た愛す 他事無きを 仏前に供う (無題、大正五 年九月九日)(詩159) 【かつて相対的の現実世界にあくせくしていたが、今は天という絶対的の世界を 見ることができた。色即是空、空即是色の世界に醍醐の味わいを感じる。(中略)。 虚心無我の道は余分な言葉がいらない。それはたとえていえば、かすかな香の煙 が妙なる香りを伝えるような縹緲たるものである。】 6 →「天」は「人間」の対比として詠われ、「相対」を超越した「絶対」の世界を仄めかし ていると窺える。 →第二句「醍醐上味色空辺」が示す「色即是空、空即是色」という仏教の真理は、そうし た無分別の絶対的な境界を説いている。 →第五句「道到虚明長語絶」は、これと同じ趣であり、虚心無我の境地を示した句である。 翌日の大正五年九月十日の漱石の無題の詩にも「風月只須看直下 不依文字道初清(風月 只だ須く看ること直下なるべし、文字に依らずして道初めて清し)」(詩160)と、類 似の表現が見られる。 【例6】 胆小休言遺大事 胆小なるも 大事を遺ると言う休かれ 会天行道是吾禅 天に会して道を行うは 是れ吾が禅 (無題、大正五年十月十二日)(詩190) 【偉大な志がなければ、人生を大なるものにしようとは言ってはならない。天の 理を会得してその道を実践するのが私の禅である。】 →「胆小休言遺大事」の「遺」について、従来の注釈書は全集の読みを踏襲したかのよう に、「わする」と読み、「忘れる」の意に取っているが、句意からすればそれを「のこす」 と読み、「残す」の意に解すべきではないだろうか。 →「会天行道是吾禅」は、先行研究において、漱石晩年の座右の銘「則天去私」と関連付 けて考えられている。例えば、佐古純一郎は、「『則天去私』は『会天行道』といい換え ることができるものであろう。その具体策は『去私』の実行以外にはあり得ない」と指摘 していて、我意を去って無心になることを「去私」の意とし、「天然自然」の天や道を漱 石が志向していると論じている*xix。また、岡崎義恵はこうした漱石漢詩における形而上 の「天」を、「『人間』を超越棄却した世界」「禅的精神の極致」と述べた上で、「漱石 の『会天行道是吾禅』といふのは、文芸の道において遂げ得られるものであるらしい」*xx との見解を示している。 →そもそも禅は自力によって修行し悟りを得る手段である。たとえ詩中に禅の言葉やイメ ージを好んで用いたとしても、わざわざ「吾が禅」と断ったこの漱石の吟詠には、一宗一 派の禅に自己を所属させようとはせずに、自らの歩むべき道、つまり「天」「道」が仄め かす天然自然、無差別のありかたへの志向を吐露するだけの意図があるとも考えられない ことはない。要するに、外の詩例によっても窺える如く、漱石詩中にみる「自然」の天や 道は、必ずしも「禅的精神の極致」のようなものに限らないのである。 【例7】 吾失天時併失愚 吾 天を失いし時 吾今会道道離吾 吾 今 道を会して 併せて愚を失い 道 吾を離る (無題、大正五年十月二十一日)(詩197) →「天」「愚」「道」は、ほぼ同義語的に用いられている。その意味は、前述と一貫して、 自然、純粋な心、および無我無心という絶対的な自由の境地を表象しているのである。 →第二句「吾今会道道離吾」の吟詠は、万物の存在に無心となるという『荘子』の「入天」 7 の境地を描き出していると考えられる。これと類似する描写として、漱石の大正五年十一 月二十日夜の無題の詩に「碧水碧山何ぞ我有らん、蓋天蓋地是れ無心」(詩208)とあ り、天地万物に無心となるというような絶対の世界を浮き彫りにしている。 以上、漱石の漢詩における「道」と「天」の用例を見てきた。これら以外にも、「道」 だけが出現する例は少なくない。次に「道」に言及する詩句を節録して、その意義を考察 してみたい。 (二)「道」 【例 8】 樹下開襟坐 樹下 襟を開いて坐せば 吟懐与道新 吟懐 道と与に新たなり 落花人不識 落花 人識らず 啼鳥自残春 啼鳥 自ら残春 (「春日偶成」十首、其の八、明治四十五年五月二十四日)(詩101) 【木陰にくつろいで坐っていると、道に冥合するような気分とともに詩情が湧いて くる。】 →「樹下開襟坐」:何のこだわりもなく、悠々とくつろいでいる様子を詠っている。 →「落花人不識 啼鳥自残春」:自然の摂理への作者の共感を示したものである。 →この詩は絶句であり、起・承・転・結の四段階によって詩想を伝えるものである。そこ で、第四句「啼鳥自残春」が示唆する自然の摂理は、まさしく第二句の「道」の意味を吐 露しているように思われる。要するに、この「道」とは、「自然」の理といったようなも のと解されよう。 【例 9】 遙見半峰吐月色 遙かに見る 半峰 月を吐く色 長聴一水落雲声 長えに聴く 一水 雲より落つる声 幽居楽道狐裘古 幽居 欲買縕袍時入城 縕袍を買わんと欲して 道を楽しみて 狐裘古り 時に城に入る (無題、大正五年八月十五日)(詩135) →「遙見半峰吐月色 長聴一水落雲声」:さりげない自然観照のありさまを写した句であ る。それを介して作者の「幽居楽道」の様子を描き出している。ここで作者が楽しんでい る「道」とは、世俗離れして山・月・水・雲などの自然風物とともに無心となる、という ようなことである。つまり、この「道」も、作者の自然に従順する生き方を示している。 【例 10】 尋仙未向碧山行 仙を尋ぬるも 未だ碧山に向かって行かず 住在人間足道情 住みて人間に在りて 明暗双双三万字 明暗双双 撫摩石印自由成 石印を撫摩して 道情足る 三万字 自由に成る 8 (無題、大正五年八月二十一日)(詩141) →「尋仙」:道教的な理想郷、つまりすべての煩いから解放された絶対的な自由の世界に 逍遙したい作者の意欲を仄めかしている。にもかかわらず、これまでと違って、そうした 自由の境地を厭世的な生活によって求めるのでなく、「人間」に住んで味わうのである。 「人間」すなわち現実世界に安住できる理由とは、転句の「明暗双双」*xxiと「自由成」 がその説明に当たる。つまり、「無我」「相対即絶対」の真理を認識することによって、 仙郷だの人間だのの差別もなくなり、自然の成り行きに任せて物事を成就する、という詩 想を作者が伝えているのである。この「道情」とは、自然、無我といった無差別な自由の 心境をいうものであろう。 次の用例にみる「道」の描かれ方も、上記と一貫して、道教の「無為」「自然」や、禅 の「無心」「無差別」、または儒教の「楽天知命」などといった自由無碍、悠々自適の精 神境地を表すものであると察せられる。 例 11 香烟一炷道心濃 香烟 一炷 道心濃く 趺坐何処古仏逢 趺坐 何れの処にか 終日無為雲出岫 終日 無為 雲 岫を出で 夕陽多事鶴帰松 夕陽 多事 鶴 松に帰る 古仏に逢わん (無題、大正五年八月二十二日)(詩143) 例 12 何須漫説布衣尊 何ぞ須いん 漫りに布衣の尊きを説くを 数巻好書吾道存 数巻の好書 吾が道存す (無題、大正五年八月二十八日)(詩146) 例 13 飣餖を焚く時 天然景物自然観 天然の景物 大道 飣餖焚時大道安 安し 自然に観る (無題、大正五年九月十八日)(詩168) 例 14 聞説人生活計艱 聞く説らく 人生 活計 艱しと 曷知窮裡道情閑 曷ぞ知らん 窮裡 道情 閑かなるを (無題、大正五年九月二十二日)(詩171) 例 15 大道誰言絶聖凡 大道 覚醒始恐石人讒 覚醒して 誰か言う 聖凡を絶すと 始めて恐る 石人の讒 (無題、大正五年九月二十六日)(詩176) 例 16 興来題句春琴上 興来たりて 句を題す 墨滴幽香道気多 墨は幽香を滴らせて 春琴の上 道気 多し (無題、大正五年九月二十九日)(詩178) 例 17 紅塵堆裏聖賢道 紅塵堆裏 聖賢の道 碧落空中清浄詩 碧落空中 清浄の詩 描到西風辞不足 描きて西風に到りて 辞 看雲採菊在東籬 雲を看 東籬に在り 菊を採りて 足らず (無題、大正五年九月三十日)(詩179) 例 18 観道無言只入静 道を観るに 9 言無くして 只だ静に入り 拈詩有句独求清 詩を拈るに 句有りて 独り清を求む (無題、大正五年十一月十九日)(詩207) →例 11:坐禅により古仏のような無心の境地を吟味しようと示した句。 →例 12:「布衣」すなわち平凡な普通の人間であっても、自ずから自分自身の楽しんで いる道がある、という「楽天知命」の生き方を示す。 →例 13:「古語や古字をごてごてと並べた、虚飾の多い詩文を焼き尽くしたところに大 道があり、天然の景物はそのまま自然に見るべきなのである」との意である。「飣餖」は 韓愈の「南山詩」などに見える語である。並べるだけで食べないごちそうの意から転じて、 詩文などで無意味に飾った詩句を羅列することに譬える。 →例 14:自らの境遇に安じた生き方を示した句。この「道」が、例 12 に似通っており、 儒教の君子の「知命」の修養の現れと見える。 →例 15:「大道は聖人だの凡人だのという分別を超越したものである。そうした道を知 って、始めて知覚・認識を持たない石人の方が絶対的世界を認識する目をもっていると嘲 られることに気付いた」の意に解されよう。ここの「道」は、賢愚聖凡の差別を無くす絶 対的平等な世界をさす。これが老子の説く道に通じている。 →例 16:余計な思慮を持たない、随所随縁の無心の境地をうたった句である。「道気」 とは、こうした無心の心持ちを仄めかしている。 →例 17:「聖賢道」すなわち古来の賢人が説く道が、「清浄詩」すなわち虚飾のない自 然、純粋な詩文と並べて詠われ、「描到西風辞不足 看雲採菊在東籬」とあるように、陶 淵明風の無心の境地を借りてその「道」の内実を表現している。 →例 18:例 17 に類して、無言無声の道と清浄なる詩とは対をなして歌われ、物静かで、 清らかな心境を願い求める詩人の心の意欲を浮き彫りにしている。 以上、漱石漢詩における「天」・「道」はともに、自然と融和した人間の無心の境地を 描くために用いられていることは明らかである。その「天」は、「自然」の天であり、ま たその「道」とは、〈天に則る道〉、つまり自然に伴い無心となるような生き方を示して いる。この「天」や「道」の意味は、儒・道・禅の根本精神に通じるものであり、一貫し て、私心私欲や小主観、小技巧を去った人間の本来の本性および、それがほのめかす無我 執、無分別、すなわち「無心」という自由無碍の境地を示唆しているのである。 漢詩中の「天」や「道」は、漱石の理想の世界を表している。「天」「道」との合一を 願い求める漱石の思惑により、心の純粋さすなわち人間やものの「真」の側面を貴ぶ彼の 内面の一端が窺われると同時に、東洋的な自然、無我の自由の境地への彼の関心ないしそ の追究の様相が垣間見られると思われる。 四、漱石の早期の作品における「道」――「則天去私」との関わり 漱石晩期詩中の「道」または「天」は、従来、彼が晩年に語った理想的境地「則天去私」 と関連づけられ論じられてきた。なかでも、禅的視点による論考が比較的に多いように見 える。しかし、漱石の青年時代の文章における天や道を、この晩期のものと対照して見て みれば、両者の内容には通じるところがある。それに、この天・道の意味や用法は、儒家・ 10 道家におけるそれと一致するところがある一方で、天・道が示唆する「自然」への漱石の 眼差しは、東洋的伝統思想に止まらず、西洋近代の「ネーチュアー」の概念をも念頭に入 れて比較対照している様子が窺える。ここでは、漱石の早期の文章に即して考察してみた い。 【資料9】 有客嘆曰。甚哉此支之可鄙也。縦横曲直。順性全天。是良場師所以養樹也。今夫隠 逸閑雅。野趣可掬者。非菊性乎。而今如此。安在其為菊哉。養花者応曰。天下之曲 其性屈其天者。豈独菊哉。今夫所尚於士者。節義気操耳。然方利禄在前。爵位在後。 輙改其所操持不速之恐。滔々天下皆是。吁嗟此輩雖金冕而繍服。而其神則亡矣。又 安與此菊異哉。 (明治十八年「観菊花偶記」) →この作文は、菊人形の見物記であり、菊人形の人工的なのを排斥した内容である。文中 に、菊栽培が人工的であることを語りつつ、士の功名利欲のために「其の性を曲げ、其の 天を屈す」る現実をひそかに批判しているのである。この「天」とは、天性や本分、すな わちものの本来備わっている性質の意と解されよう。 →一部の先行論者は、「則天去私」が示す無心の境地を、漱石の禅意識の現れと見なして いる。もとより、昔の禅僧はしばしば陶淵明の詩を借用し、無心または無我の世界を表現 している。例えば、「雲無心以出岫」はその常套表現である。しかしその一方で、儒教・ 道教の思想が陶淵明の思想の基調をなすものであることは見逃せない事実である。岡崎義 恵の指摘にある陶淵明の「天命を楽しむ」の思想も、儒教思想の現れであり、漱石の漢詩 においてはっきりとその受容の様相が見られる。また、「天」や「道」を、人為を去った 自然な本性の譬えに用い、外物に束縛されない自由な心、すなわち忘我無心の境地を仄め かす点は、儒・道両教において一致しているのである。そこで、 「観菊花偶記」にみる「天」 は、禅的というより、むしろ儒教または道教の「天」の理念を吸収し活かしたものではな いかと考えられる。 その一方で、「天」「道」の思想が、はっきり哲学的な意義を以て漱石の言説に出てき たのは、漱石が明治二十五年に文科大学在学中に提出した東洋哲学論文『老子の哲学』が、 その最初であろう。『老子の哲学』のなかには、「天」「道」「自然」「無我」などの語 が用いられている。『老子』は「天法道、道法自然(天は道に法り、道は自然に法る)」 (第二十五章)を説き、その「天」や「道」が究極的に「自然」に帰結される。『老子の 哲学』という評論を通じて、老子の無為自然の道に対する漱石の関心と熱意とが窺われる と同時に、漱石の漢詩と老荘思想との関連性の一端も窺い知られる。例えば、 【資料10】 尤も「ウオーヅウオース」は只天然の書を愛して聖人の書を愛せずと云ふ主義なれど も老子に至つては天然にあれ人為にあれ痛く書冊を講修するを悪みしのみならず日 常普通の経験観察すら毫釐の益なしと思へり去れば四十七章にも不出戸知天下不窺 牖見天道とありて天下を知り天道を見るは学問の経験のと騒ぎ立つるより瞑目潜心 して其機を察すれば廓然として大悟するに至るべしと云ふ議論なり故に其出彌遠其 知彌少とて無形無声の大道を看破するに形而下の末に拘泥して卑低の処にのみ眼孔 11 を着くれば到底高尚なる世界観をなす能はずとの考へなり (『老子の哲学』第二篇「老子の修身」) 例えば、第二篇「老子の修身」において、漱石は『老子』の「絶学無憂(学を絶てば憂無 し)」(第二十章)の理念を取り上げ、老子とワーズワース*xxiiとの相似点に触れつつ 次のように述べている。 尤も「ウオーヅウオース」は只天然の書を愛して聖人の書を愛せずと云ふ主義な れども老子に至つては天然にあれ人為にあれ痛く書冊を講修するを悪みしのみなら ず日常普通の経験観察すら毫釐の益なしと思へり去れば四十七章にも不出戸知天下 不窺牖見天道とありて天下を知り天道を見るは学問の経験のと騒ぎ立つるより瞑目 潜心して其機を察すれば廓然として大悟するに至るべしと云ふ議論なり故に其出彌 遠其知彌少とて無形無声の大道を看破するに形而下の末に拘泥して卑低の処にのみ 眼孔を着くれば到底高尚なる世界観をなす能はずとの考へなり →「絶学無憂」を表す好例として、この評論と同時期の漱石の漢詩に、「漫識読書涕涙多 暫留山館払愁魔(漫りに識る読書涕涙多しと、暫く山館に留まりて愁魔を払う)」(明治 23)(詩48)や、「人間五十今過半 愧為読書誤一生(人間五十今半ばを過ぎ、愧ず らくは読書の為に一生を誤るを)」(明治28)(詩55)などがある。 、、 →「瞑目潜心して其機を察すれば廓然として大悟するに至るべし」とは、「託心雲水道機 尽(心を雲水に託して道機尽き)」(漱石詩)のような無心の境地を彷彿させる。また、 、 「無形無声の大道」とは、前述の漱石漢詩における「観道無言只入静 拈詩有句独求清(道 、 を観るに言無くして只だ静に入り、詩を拈るに句有りて独り清を求む)や「道到虚明長語 、、 絶(道は虚明に到りて長語絶え)」、「飣餖焚時大道安 天然景物自然観(飣餖=飾り立 てた詩文、を焚く時大道安し、天然の景物自然に観る)などの吟詠と相通じていると窺え る。 →ほかにも、例えば、同じ「老子の修身」にみる「賢愚聖凡の差別はあらじ去るを老子な りとて争でか」という漱石の言葉が、彼の漢詩「大道誰言絶聖凡(大道誰か言う聖凡を絶 すと)」の句と趣を一にしている。 このように、漱石の晩年の漢詩における「道」には、老子の面影があることが察せられ る。「観菊花偶記」や『老子の哲学』など、漱石の青年時代の文章から彼の晩年の漢詩に 至るまで、漱石と老荘思想との深い結び付きが確認され、彼の感受性には「生涯を通じて 道家の思想に共鳴するような一側面があった」*xxiiiと認められよう。 漱石の人為よりも自然を重んじる態度は、上記によりその一端が窺い知られる。さらに、 『老子の哲学』におけるワーズワースへの言及よりも察せられる如く、「自然」に対する 漱石の洞察は、単なる彼の東洋的教養に基づいたのではなく、西洋的なものにも及んでい るのである。 以上、漱石の初期の文章と晩年の漢詩における「天」「道」を対照して見た結果、両者 が一貫して、技巧や主観などの小我を去った、人間やものの天然自然の面目を示唆するも 12 のであることが明らかになった。この自然なる「天」「道」の思想、または「天」の意味 内容は、漱石が晩年に語った理想的境地「則天去私」と意趣が同一であると窺える。一部 の先行論者は、 「則天去私」を漱石の禅意識の結晶と位置付けているが、本考察を通して、 それは彼が若き頃より身につけた、東洋ないし西洋的教養と関わるものであり、禅に限ら ず、儒・道または西洋の「ネーチュアー」の思想の現れでもあると考えられる。それに、 漱石作品中の「天」「道」への考察を通して、人間として文学者としての漱石の取る立場 が窺い知られると同時に、漱石の生涯における問題追求の一貫性も垣間見られる。 五、むすび 漱石の漢詩における「天」は、形而下の果てしない自然(大空)としての天から、次第 に形而上の「天道」(自然の理)に変化し、最後に人心の道と合一するものに至ったので ある。漢詩や初期の文章における「天」や「道」の描写を介して、漱石の「自然」に順応 しようという人生観や文学観の確立のプロセスが垣間見られ、人間やものの「真」を貴ぶ 彼の内面の一端が窺い知られる。それに、「天」「道」が示唆する自然、無我のありかた が、漱石の晩年のモットー「則天去私」の意味内容と一貫したものであることは察せられ る。 「則天去私」は、漱石の晩年の文学と思想の頂点に達したものと見られている。この語 は、人間に用いる場合、小我を去って自然と同化、融和した統一的な自由の世界、つまり 無我、無心という心の絶対的な自由の境地を表し、文学に用いる場合は、人為や技巧を去 った、ものの自然なあるがままの面目を表す。本考察を通して、漱石は一生と言っていい ほど、〈天に則る道〉すなわち無我自然の道に関心を示し、則天去私のありかたを試み、 実践しようとしていたことが窺えよう。 一部の先行論者は、漢詩における無我自然の「道」、または「則天去私」の表現を、漱 石の禅意識の結晶であると解読している。本稿では、敢えてそれは東・西洋の思想文化へ の目配りが、漱石自身の人生体験と結合して、日常の中でおのずと生まれた真の人間のあ りかた、および文学方法への認識を表したものであると指摘したい。大正四年四月二十二 日付の富沢敬道宛書簡において、漱石は次の如く述べている。 (前略)私はあなたよりいくつ年上か知りませんがあなたが立派な師家になられた 時あなたの提唱を聴く迄生きてゐたいと願つてゐます其時もし死んでゐたらどうぞ 私の墓の前で御経でも上げて下さい 又間に合つたら葬式の時来て引導を渡して下 さい私に宗旨はありませんが私に好意をもつてくれる偉い坊さんの読経が一番あり がたいと考へます (十五、四五六) 「私に宗旨はありません」と明示されたように、漱石は特定の宗旨に従って「道」に入ろ う(人生を歩もう)とはしなかった。同じ思惑が、大正五年十月六日の無題の詩に「非耶 非仏又非儒(耶に非ず仏に非ず又た儒に非ず)」とある。換言すれば、漱石における「天」 や「道」とは、宗教的な救いの道を示すものではなく、彼自身が身につけた東洋ないし西 洋の教養が自己反省の鏡として借用され、人間として文学者としての漱石の自己認識と自 13 己確立を促す役割を果たしていたのであると言えよう。 *i江藤淳『朝日小事典 夏目漱石』 (一九七七年、朝日新聞社)、岡崎義恵『漱石と則天去私』 (一九八〇 年、宝文館)、斉藤順二『夏目漱石漢詩考』(一九八四年、教育出版センター)飯田利行『新訳 漱石詩 集』(一九九四年、柏書房)、陳明順『漱石漢詩と禅の思想』(一九九七年、勉誠社)などを参照した。 *ii佐古純一郎『夏目漱石論』(一九七八年、審美社)一三八~九頁・一四八頁参照。 *iii江藤淳『朝日小事典 夏目漱石』一六六・二一一頁参照。 *iv今西順吉『漱石文学の思想』第一部(一九八八年、筑摩書房)二九一頁参照。 *v宮瀬睦夫『東洋哲学の根本思想』(一九四一年初版、一九四三年三版、目黒書店)六八・六九頁参照。 *vi諸橋轍次『老子の講義』 (一九七三年初版、一九七四年再版、大修館書店)五六頁、同『荘子物語』 (一 九八九年、大修館書店)二一九頁参照。 *vii「(天地に通じるものは徳であり、)徳は道に含まれ、道は天に含まれる」の意である。遠藤哲夫 市 川安司『新釈漢文大系八 荘子(下)』(一九六七年初版、一九六八年四版、明治書院)三六五頁参照。 *viii「自我のない行為を天といい」の意である。前掲遠藤哲夫 市川安司『新釈漢文大系八 荘子(下)』 三六六頁参照。 *ix自然と融和し絶対的になる、との意である。これが「天と一になる」ことを示す。つまり、万物に無 心となり、己の存在をも意識することのない、心の虚無の状態を示している。前掲諸橋轍次『荘子物語』 二六五頁参照。 *x仏教の用語の辞典類で、 「天」は「光明之義、自然之義、清浄之義、自在之義、最勝之義、是享受人間 以上勝妙果報的所在、総名為天趣。六趣之一。」の意とされる。 「六趣」とは、 「六道」と同意であり、天・ 人・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄の六つをさす。 「這六道的衆生都是属於迷的境界、不能脱離生死、這一世 生在這一道、下一世又生在那一道、 (中略)永遠転不出去、所以叫做六道輪廻」とされるように、この「天」 (「天道」ともいう)は、仏教の因果輪廻観と関わるものであり、「迷い」の世界に属したものである。 そこで、この仏教の「天」が儒教や道教の「天」と同じく、「自然」や「清浄」の意に解されていても、 両者が異質のものであると考えられる。陳義孝編『仏学常見詞彙』 (一九九四年、福智之声出版社)一三 七・一三一頁参照。 *xi吉川幸次郎『漱石詩注』(二〇〇二年、岩波書店)二〇一頁参照。 *xii例えば、前掲吉川幸次郎『漱石詩注』、中村宏『漱石漢詩の世界』(一九八三年、第一書房)、佐古純 一郎『漱石詩集全釈』 (一九八三年、二松学舎大学出版部)など。岩波全集では、吉川幸次郎の注を引用 している。 *xiii井出大『漱石漢詩の研究』(一九八五年、銀河書房)一三三頁参照。 *xiv諸橋轍次『荘子物語』二六六頁参照。 *xv中村宏『漱石漢詩の世界』二五五頁参照。次の如くある。 虚明の語は「心は空虚にして内照す、故に名づく」と注され、虚静無我の心をいう。任彦昇の文 「虚明の絶境」と朱子の句「居心 物無く 転た虚明」などでほぼこの語の感じがわかる。 *xvi氏の解説によれば、「虚霊不昧」は、王陽明の基本思想であり、「心」に対する王陽明の考え方を示 すものであるという。また、この言葉は朱子がすでに『大學章句』において「明徳」の説明として使っ ているが、 「漱石自身は『伝習録』の中の王陽明の言葉を意識して使っている」とされている。意味とし て、 「心即理」 「此心無私欲之蔽、即是天理」といったような、 「天理を存して人欲を去」る人間の心の象 14 徴であろうと思われる。前掲佐古純一郎『夏目漱石論』一四九・一五三~四頁参照。 *xvii陳明順『漱石漢詩と禅の思想』二四三頁参照。なお、禅の「本来面目」とは、無心無我という心の 本来の姿を示唆するものであることは、拙稿「漱石の古仏詩─無我と孤独の表象─」(『名古屋大学国語 国文学』98号、二〇〇六年七月)において触れている。 *xviii漱石の大正五年九月十七日の無題詩に「独り窈窕虚白の裏に坐すれば、蘭釭照らし尽くして明朝に 入る」(詩167)、また十一月十九日の無題詩に「忽ち見る閑窓虚白の上、東山月出でて半江明らかな り」 (詩207)などとある。この「虚白」の表現について、林叢は中国古典の用例をふまえて詳しく論 じている。主に、それを人間の「純粋な心」を言い表す語として捉え、「無我」「相対即絶対」と同じ境 地を表現したものであると指摘している。本論文第二章と林叢「漱石の漢詩にみる『虚白』の用例につ いて──杜詩・荘子との関わり──」(『論究』第二十号、一九八七年七月)参照。 *xix佐古純一郎『夏目漱石論』一三八頁参照。 *xx岡崎義恵『漱石と則天去私』三九九頁参照。 *xxi禅語。 「明中に暗あり、暗中に明ありと、両者が入り交じった様子のことで、差別と平等、現象と本 体、色と空が表裏一体の関係にあることを示した句」という。前掲平田精耕『禅語事典』二八二頁参照。 *xxiiイギリスの詩人(1770~1850)。漱石は早くから彼に傾倒していた。漱石は明治二十六年発 表の「英国詩人の天地山川に対する観念」で、 「万化と冥合し宇宙を包含して余りあり」 (十二、一八三) と高く評価する。また、『草枕』(第六章)に「あるはウオーヅウオースの如く、一団の水仙に化して、 心を沢風の裏に撩乱せしむる事もあらうが」(二、四五四)とある。 *xxiii前掲江藤淳『朝日小事典 夏目漱石』二一〇頁参照。 15