Comments
Description
Transcript
岡山県の地域振興事例
2007 年 1 月 22 日発行 岡山県の地域振興事例 ①独自ブランドのジーンズを発信-児島 ②歴史・大学・交流でまちづくり-高梁 ③民間主導のバイオマスタウン-真庭 要 旨 1.岡山県は、水島という一大工業地帯を抱える工業県であるがゆえに、県内経済の水 島への依存度が高いという特徴をもつ。そのため、県内の他の地域・他の産業の活性化 が大きな課題となっている。そこで本稿では、水島以外の地域から、高品質なジーンズ 生産に支えられて繊維産地としての地位を保つ倉敷市児島、歴史と大学と交流を柱に地 道なまちづくり活動を蓄積してきた高梁(たかはし)市、民間企業の主導で始まったバ イオマスへの取り組みが近年、地域を挙げた取り組みに成長して注目されている真庭 (まにわ)市の3つの事例を取り上げる。 2.倉敷市児島地区は全国的に有名な繊維産地である。近年、各地で繊維産業の苦戦が 続く中、児島を支えているのはジーンズである。世界的な高級ジーンズブームの中で、 児島のジーンズ業界が培ってきた高い技術と品質は、国内外のアパレルメーカーや消費 者に高く評価されてきた。そのような中で、児島製を前面に打ち出したブランドを作る 動きや、ジーンズを産業観光に利用する動きが現れている。企業と地域、行政の連携は 未だ十分ではないが、ジーンズにかける地元の期待は強く、今後、連携の強化や行政の 側面支援などによって、ジーンズが地域を牽引していくことが期待されている。 3.県の中西部に位置する高梁(たかはし)市では、城下町としての歴史と、大学を擁 する学園都市という特徴を生かしたまちづくり活動が続けられており、町並みの保存や 商店街の賑わい創出などの成果を出してきた。小規模な都市ながら活発な活動が継続さ れている理由は、地域内外の専門家との活発な交流や、意欲的な人材の集うまちづくり の民間組織の存在である。住民自らが楽しみながら、生活に密着したまちづくり活動に 関わるという姿勢が高梁のまちづくりの強さであり、厳しい状況の中、今後も高梁を支 えていく力になると思われる。 4.県の北部、中国山地に位置する真庭(まにわ)市は、全国から注目を集めるバイオ マス先進地域である。地元企業家らの勉強会が、豊富な森林資源に注目してバイオマス に取り組み始め、各企業が、木質廃棄物を利用した発電事業や製品開発などを成功させ てきた。現在ではその取り組みが地域に広がり、官民をあげて、様々なバイオマス資源 の利活用、バイオマスを生かした産業観光などに取り組んでおり、国からバイオマスタ ウンの認定も受けた。民間主導で始まった取り組みだけに地元の熱意は高く、バイオマ スが真庭の新たな産業に育っていく可能性は十分あるだろう。 5.以上3つの事例の共通点を探すとすれば、民間主導の取り組みであることが挙げら れる。児島は、各企業の個別の取り組みがようやく、地域という面での取り組みになり つつある段階であり、高梁や真庭は、地元の住民や企業が始めた取り組みを行政が側面 支援する体制となっている。地域振興に絶対的な解はないが、地域に自立と責任が求め られつつある今日、住民が主体的に関わる取り組みを行政が支援するのは一つの有効な 形といえるだろう。 本誌に関する問い合わせ先 みずほ総合研究所株式会社 調査本部 政策調査部 研究員 富永玲子 Tel:03-3201-0577 Email:[email protected] はじめに 岡山県といえば、まず、白桃やマスカットなどをイメージする人が多いかもしれない。実 際、穏やかな気候を生かした果樹生産は盛んであるが、岡山県にはもう一つ、水島という全 国有数の重化学工業の集積地を抱える工業県という顔がある。最近の景気回復傾向の中、水 島に事業所を置く企業の多くは業績が好調であり、それに牽引されて県内経済の状況も総じ て堅調に推移している。しかしそれは同時に、県内経済の水島への依存度が高いことを意味 しており、県内他地域の産業振興や活性化が大きな課題となっている。 そこで本稿では、水島以外の地域から3つの事例を紹介する。まず、水島と同じ倉敷市の 中から、世界的にも注目されているジーンズの産地である児島(こじま)地区を取りあげる。 次に、人口4万人弱の小規模な都市でありながら、城下町としての歴史や地元大学との交流 を生かし、活発なまちづくり活動が展開されている高梁(たかはし)市を紹介する。最後に、 県内で最も経済状況が厳しいとされる北部地域の中で、民間主導でバイオマス事業への取り 組みを推し進める真庭(まにわ)市の現況を紹介したい。 1. 独自ブランドの発信に取り組むジーンズの街-倉敷市児島 (1) 児島の繊維産業を支える世界一のジーンズ 県の南部に位置する倉敷市は、岡山市に次ぐ県内第二の都市である。同市は、一大工業地 帯である水島、白壁と柳並木の美しい町並みが残り、県内随一の観光地となっている市中心 部の美観地区など、エリアごとの特色が豊かであり、その中で、瀬戸大橋のたもとに位置す る児島地区は、古くから繊維の産地として知られてきた。児島は、繊維産業の盛んな岡山県 の中でも最大の産地であり、倉敷市の衣服出荷額は、全国の市町村のトップである1。わが国 の繊維産業では、1980 年代から生産拠点の海外移転が進むようになり、国内産の繊維・衣服 の出荷額やシェアは大幅に低下してきた。その中にあって岡山県は一定の地位を維持してお り、厳しい状況の中で健闘している産地の一つであるといえる(次ページ図表1)。 ここ数年、児島の、そして岡山県の繊維産業を支えているのがジーンズである。1973 年に 初の国産ジーンズが児島で作られてから、児島には大手ジーンズメーカーのほか、デニム生 地の生産、縫製、洗い加工2など、ジーンズ生産の各工程に関わる多くの企業が生まれた。現 在、児島には 100 社以上のジーンズ関連企業があるといわれており、国産ジーンズの約4割 は児島製であるという。もっとも、児島がジーンズの産地として注目され始めたのは最近の ことである。1990 年代のヴィンテージジーンズ3ブーム、2000 年前後からのプレミアムジー 1 2 3 経済産業省「工業統計」(2004 年)による。 ジーンズ生産の最終工程で、縫製した製品に、洗う、こするなどの加工を施して、履きこまれた風合いを出 すもの。ジーンズの仕上がりを左右する重要な要素であり、各社が技術を競っている。 希少価値の高い年代物のジーンズへの注目から始まり、次第に年代物の復刻版ジーンズが人気となった。 その中で、中古の風合いを出すための洗いや各種加工の技術が重視されるようになった。 1 ンズ4ブームと、市場では高度な加工を施した高価格帯ジーンズの人気が続いており、その中 で、児島のジーンズの品質や加工技術の高さが、世界のアパレルメーカーやデザイナーに認 められたのである。欧米向け輸出の増加などを受けて、生産も好調に推移した。また、この ことがメディアなどに取り上げられ、児島は、国内の消費者からも良質なジーンズの産地と して認知されるようになった。 (図表1 繊維・衣服出荷額の推移) 輸入額 (%) (兆円) 90 12 80 10 70 8 60 50 6 岡山県以外の出荷額 岡山県の出荷額 輸入・国産の合計に 占める国産のシェア 輸入・国産の合計に 占める岡山県のシェア 40 4 30 20 2 10 0 0 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 (年) (注) 棒グラフは左目盛、折れ線グラフは右目盛である。 (資料)経済産業省「工業統計」、財務省「貿易統計」 (2) メイド・イン・児島のジーンズブランド 児島において、高品質ジーンズに特化して業績を伸ばしてきた企業の一つに、今回取材し た株式会社コレクトがある。デニムを中心とした生地の製造・販売を行う企業で、関連会社 を含めても従業員数 40 名前後の小所帯ながら、1992 年の創業以来、順調に業績を伸ばしてき た。 初めてのヒット商品となったデニム生地は、一般的に使われている合成色素ではなく天然 の藍で染色し、高品質な綿を材質に使用したものであり、通常の生地の倍近い価格にも関わ らず、国内外から広く引き合いがあった。このヒットを契機に、同社は色や材質、織り方に こだわった個性的な生地に特化するようになり、また縫製技術やデザインの提案なども含め て、多くのメーカーのジーンズ作りに協力することによって、高級ジーンズブームの一端を 担ってきた。現在では、地元の大手ジーンズメーカーからジーンズ通に人気の小規模メーカ ーまで、約 400 社と取引を行っている。 4 1本2万円前後~数万円の高級ジーンズ。2000 年頃にアメリカで、ハリウッドスターの着用などにより人 気に火がつき、世界的なブームを巻き起こした。 2 また同社は、2005 年に自社ブランドのジーンズの製造・販売を開始した。自らジーンズの 製造に乗り出したのは、これまでの各社との取引を通じて、ジーンズ生産のノウハウや体制 が整ったことに加えて、ファッションブランドのジーンズでは表に出てこない「メイド・イ ン・児島」をアピールするジーンズを作るためであった。こうして立ち上げた自社ブランド が「桃太郎ジーンズ」である(写真1)。「桃太郎」といえば舞台の岡山が連想されること を狙った命名である。桃太郎ジーンズは、生地、色、縫製など全てにおいて、児島の職人技 を駆使して高品質を追求したもので、最もハイエンドな製品になると、天然藍の手染め糸を 手織りで生地にし、色持ちをよくするために1点ずつ海水で洗うという徹底ぶりである。桃 太郎ジーンズの発売は、地元メディアのみならず岡山県議会でも話題になり、ジーンズにか ける地元の期待の高さをうかがわせた。㈱コレクトは、今後もテキスタイル(生地)事業と ジーンズを主としたアパレル事業の二つを柱として、児島から世界一のジーンズを発信して いくと表明している。 (写真1 桃太郎ジーンズ) (3) ジーンズを利用した産業観光の取り組み 国産ジーンズ発祥の地であり、多くの関連企業が集まる児島は、ジーンズ愛好者の間では 「ジーンズの聖地」とされ、ジーンズファンの若者やファッション業界の関係者などが京阪 神から訪れることもある。近年、この点に注目して、ジーンズを観光に利用しようとする動 きが現れている。 一つはジーンズバスの開通である。これは、JR瀬戸大橋線の児島駅を起点に、ジーンズ の縫製工場やショップ、ジーンズミュージアム5などの関連スポットをバスが巡廻するもので、 ジーンズで観光客を呼び込もうとJR西日本と倉敷市が始めたものである。2006 年3月から 2007 年3月末までの予定で、巨大なジーンズの写真でラッピングされたバスが、週末などに 1日6便運行されている。 もう一つは、産業観光ツアーである。倉敷市が新たな観光振興策として、市内の商工会議 5 児島を代表するジーンズメーカーの1つである㈱ベティスミスが開設したもので、ジーンズの歴史や生産工 程に関する資料などが展示されている。 3 所と連携して始めたもので、児島商工会議所では、2005 年秋に4コースのバスツアーを催行 した。コースには、ジーンズ関連企業を中心に、学生服、畳縁など他の産業も組み入れられ た。2006 年秋には、水島や倉敷市西部の玉島地区など近隣の地域にまたがるコースも加え、 6コースのツアーを催行したところである。 桃太郎ジーンズを販売するショップの藍布(らんぷ)屋も、ジーンズバスの巡廻地点や産 業観光ツアーに組み込まれている。当店は本藍染めが体験できることもあって人気を集めて おり、社長の眞鍋氏によれば、バスを利用して店を訪れる観光客も多少増えてきたという。 ただ、ジーンズバスは行政主導で始まったこともあり、各企業、地域との連携が十分ではな く、産業観光に取り組む意識が必ずしも地元に浸透していないと感じるとのことである。ジ ーンズを観光資源として活用するためにも、また、地域住民にジーンズ産業を盛り立てても らうためにも、ジーンズショップを集積させるなど、まずは児島がジーンズのまちであるこ とを視覚的に分かる形にする必要があり、行政がその整備を支援してもよいのではとのこと であった。 (4) 地域を挙げた取り組みの強化へ 今回取材した㈱コレクト以外にも、児島では多くのジーンズ関連企業が健闘を続けている。 そしてジーンズの産地として、各企業が競い合って向上させてきた技術と品質が、ジーンズ ブームの中で世界的に認められ、児島への注目を高めてきた。しかし現状では、その努力が 個々の企業によるPRの段階にとどまっており、児島地区や岡山県全体としてジーンズ産業 を振興しようとする「面」としての取り組みには、残念ながら至っていない。眞鍋氏によれ ば、行政がジーンズに注目し始めたのはここ1~2年と、市場での評価からはだいぶ遅れて いるという。(3)で紹介した産業観光の試みは、連携不足とはいえ、面の取り組みの第一歩で あり、このような取り組みを契機として、行政と産業界、地域の連携が深まり、適切な側面 支援がなされていくことが期待される。 ジーンズ市場は過熱感が一段落したとされているが、長い目で見れば、ジーンズは幅広い 世代に浸透し、需要が拡大してきた製品である。児島のジーンズが、世界に評価された確か な技術と品質で、今後もジーンズ業界のフロントランナーとしての役割を担いつつ、地域の 繊維産業を活性化させていくことを期待したい。 2. 歴史・大学・交流でまちづくり-高梁(たかはし)市 (1) 高梁のまちづくり活動の始まり 高梁市は、岡山県の中西部に位置する人口4万人弱の都市である。山陰と山陽を結ぶ交通 の要衝であり、備中国の城下町6として発展してきた町で、今も歴史を感じさせる佇まいが残 6 備中(びっちゅう)は現在の岡山県西部。高梁市の中心市街地は、近世の備中松山藩の城下町にあたる。 4 る。また高梁は学園都市でもある。江戸時代に藩校7が置かれて学問の中心地であった歴史も あり、市が熱心に四年制大学を誘致し、1990 年に吉備国際大学が開学した。現在、関連校も あわせると 4,500 人ほどの学生・教職員がおり、市の人口の一部を形成しているだけでなく、 様々な形で高梁のまちと関わっている。この高梁市は近年、歴史と大学を生かしたまちづく りで広く注目を集めるようになった。 高梁市で本格的なまちづくり活動が始まったのは 1992 年頃のことである。当時、中国横断 自動車道(岡山米子線)8の全線開通(1997 年)を控え、沿道の高梁市にはストロー現象9に より衰退するのではという危機感があった。また、吉備国際大学の開学により、学生が増え るだけでなく、古い家屋が学生マンションに建て替わるなどの影響がまちに現れるようにな ってきた。これらによってまちの活性化や景観保存などへの関心が高まっていたところに、 旧建設省中国地方建設局から、岡山の地域づくりのために、県内各地で意欲のある人材を組 織したいとの呼びかけがあった。これに応えて、高梁市でも、青年会議所や行政などから若 手が集まり「高梁地域づくり交流会」(以下では「交流会」という)が組織され、以後、こ の民間団体を中心としてまちづくり活動が活発に行われるようになった。 高梁のまちづくり活動は、その規模や活動の範囲、継続期間において、人材や資源の豊富 な大都市に遜色のない充実したものと評価されており、その理由を探ろうと各地から視察者 が訪れる。以下では、交流会事務局への取材などから、活動の特徴と他の地域への示唆を探 ってみたい。 (2) 「歴史」と「大学」を生かしたまちづくり 高梁のまちづくり活動の柱は、「歴史」「大学」「交流」の3本である。 まず「歴史」を生かした取り組みとして、町並みの保存活動が行われている。例えば、市 内を流れる紺屋(こうや)川沿いは、桜や柳の並木と古い建物が並び、市の美観地区に指定 されているが、その中に昭和初期の倉庫を利用した観光物産館がある(次ページ写真2)。 これは、マンションに建て替えられる予定であったところ、市民の間に保存運動が起こり、 それに応えた高梁市が買い取って改装したものである10。また、1997 年には交流会などが中 心となって「たかはし町並み建築デザイン賞」が創設された。これは、景観保全について先 駆的な取り組みをしている住宅や商店などを表彰し、町並み保存の意識を高めようというも ので、現在までに計 28 件が選定されている。この取り組みも高梁市を動かし、壁の修復など の費用を一部補助する制度の創設につながった。 7 諸藩が、主に藩士の子弟の教育のために設置した教育機関。 米子と岡山を結ぶ高速道路。この道路の開通により、北は米子から、瀬戸大橋を経由して南は高知まで、高 速道路で結ばれることになった。 9 道路の開通などにより、人口などが都市部に吸い上げられ、流出する現象のこと。 10 この観光物産館は、市民の有志が出資した有限会社によって運営されている。 8 5 (写真2 紺屋川沿いの観光物産館) 「歴史」に関わる取り組みではもう一つ、郷土ゆかりの人物の顕彰事業も盛んである。一 人は江戸初期の政治家で文化人の小堀遠州(こぼりえんしゅう)11で、遠州の作庭で知られる 頼久寺(らいきゅうじ)では、10 年ほど前から毎年、コンサートや講演会、茶会が開催され ており、地域の人気イベントとして定着している。もう一人は、幕末の政治家である山田方 谷(やまだほうこく)12である。こちらは 2005 年が生誕 200 年にあたることから再評価の気 運が高まり、地元である高梁でも、2004 年 11 月に記念フォーラムを開催、地域の内外から約 350 人を集めたほか、たかはしFC(フィルムコミッション)の事業として、市内の子どもた ちによる方谷の映画製作などが行われた。 「大学」とは、主に地元の吉備国際大学との協働事業を指している。ここではその中から 商店街活性化の試みを紹介しよう。高梁駅前の商店街は、郊外に大型ショッピングセンター が開店した影響で客足が遠のき、対策が求められていた。そこで大学の協力を得て 2001 年か ら商店街で開催されているのが「手作り遊び教室」である。毎月 1 回、ボランティアの学生 が、地域の子どもたちに、クリスマスツリーやうちわの製作など季節にあった手作り遊びを 教えるもので、毎回 100 人近い子どもたちが集まり、商店街の賑わい創出に寄与している。 この教室から子育て支援事業が派生し、高梁市の支援も受けて、空き店舗を利用した「にこ にこ広場」が整備された(次ページ写真3)。また、2004 年 2 月からは、同じく空き店舗を 利用して、学生と商店街により常設のフリーマーケット「ラーデン広場」が運営されている。 一定のスペースを月額 500 円で住民らに貸し出して自由に出品してもらい、売上の1割を運 営費に回す仕組みである。障害者福祉施設の品物も扱い、学生と住民のボランティアが店番 を務める。こちらもオープン以来、売上を順調に伸ばしており、商店街の活性化に一役買っ ている。 11 1579 年-1647 年。備中国の代官として備中松山城を再建したほか、多芸多才な文化人として知られてお り、茶道、建築、造園などにも多くの功績を残した。 12 1805 年―1877 年。備中松山藩の藩政・財政改革に手腕を発揮し、8 年間で、10 万両の負債を 10 万両の貯 蓄に転換した業績で名を残している。 6 (写真3 「にこにこ広場」(左)とラーデン広場(右)) その他、他県のまちづくり団体を招いて行う物産市、全国の藩校関係者が集う「藩校サミ ット」などのイベントのほか、地域の内外から講師を招いて開催される「まちづくり塾」や 各種勉強会など、まちづくりに携わる人材育成にも積極的に取り組んでいる。 (3) 高梁のまちづくりを支える「交流」と「交流会」 では、高梁のまちづくり活動を支えているものは一体、何であろうか。 第一に、まちづくりのもう一つの柱である「交流」、つまり地域内外の様々な専門家や団 体との協力関係や連携が挙げられる。多くの協力相手の中で、やはり地元の吉備国際大学の 存在は大きい。(2)で紹介した以外にも、小堀遠州の茶会への協力、大学のゼミとまちづくり 関係者の交流、商工会議所会報への学生の寄稿など、様々な協働事業が行われている。とは いえ、大学と地域の関係が最初から強固だったわけではなく、単身で地域に飛び込んできた 大学教員の活動を、周囲の市民が盛りたて、支援することで、次第に組織間の連携へと発展 してきたものであるという。交流会事務局長の遠藤氏は、民間組織間の交流は意外と少ない が、活動を広げる上で、民間の挑戦を民間が応援するのは重要なことであるという。2005 年 には高梁市、吉備国際大学、高梁商工会議所の間に「連携協力包括協定」が結ばれ、公式に 産・学・官連携の強化が図られることになった。 第二に、意欲的な人材の集まったまちづくり組織の存在である。高梁のまちづくりには、 青年会議所、商工会議所、フィルムコミッションなど複数の団体が関わっているが、(1)で述 べたとおり、その中核が「高梁地域づくり交流会」である。交流会には 10 名前後のコアメン バーを含む 30~40 人が集まっているが、彼らはそれぞれ、交流会を含めて2つ、多い人は3 ~4つのまちづくり組織に所属している。軸足を置く活動分野はそれぞれ異なるが、そのよ うな人材が交流会に集まることによって、各自の得意分野を生かした活動が可能になってい るという。あるアイディアの実行を、最も実現可能性の高そうな団体に任せる、他の団体か らの応援要請に即座に協力するなど、交流会を中心として、人とアイディアが各団体の間を 7 うまく流れており、このことが広範なまちづくり活動を支えている。 こうして、幅広い交流・連携を生かして集まったアイディアが、まちづくり組織に集まっ た住民により着実に実行されることで、住民主導で、一定のレベルを保ったまちづくり活動 が長年継続されてきたのが高梁の特徴といえるだろう。なお、こうした民間主導の活動が、 ハードの整備や制度づくりなどの行政による側面支援を引き出してきたのも特徴的である。 そして、活動の内容は住民生活に密着したものである。派手な取り組みではないが、地域 住民の生活に最も近い部分で、住民自らが楽しみながら、高梁の魅力を掘り起こしていくと いう姿勢が貫かれているところが、高梁のまちづくりの強さではないだろうか。 (4) まちづくりの今後の課題 高梁のまちづくり活動にとって、今後の課題は何だろうか。 遠藤氏によれば、今後力を入れたい活動は、第一にハードの充実、具体的には歴史的な町 並みの保存・復元の促進と、山田方谷の記念館の設立とのことである。ハードを充実させる ことには、まちづくり活動の成果を残すという意味があるという。もちろん、イベントの実 施や集客も一つの成果だが、ハードが残ることは、活動に携わったメンバーの誇りであり、 実際にメンバーの拠点にもなる。住民にも分かりやすいため、まちづくりの気運を維持する のにも良いとのことである。第二に、観光客の誘致が挙げられた。今年度から産・学・官の 連携事業として、学習型・体験型観光への取り組みが進められており、2006 年秋には、商店 街や地域の企業を巡る地域密着型の産業観光「まちなか産業観光ツアー」が成功を収めたと ころである。高梁の観光客数は減少傾向にあるため、これらの新しい取り組みの効果が期待 される。 まちづくりの地道な努力が続く一方で、人口減少や過疎化は少しずつ進行しており、ここ 高梁が厳しい状況にあることに変わりはない。ただ高梁には、まちづくり活動の積み重ねで 培われてきた「地域力」があり、それが今後も住民生活を支える力になっていくのではない だろうか。 3. 民間主導のバイオマスタウン-真庭(まにわ)市 (1) バイオマス先進地域・真庭 真庭市は、中国山地が東西に連なる岡山県北部に位置する。同市は 2005 年 3 月、勝山町、 落合町、湯原(ゆばら)町、久世(くせ)町、美甘(みかも)村、川上村、八束(やつか) 村、中和(ちゅうか)村及び北房(ほくぼう)町の9つの町村が合併して誕生した新しい市 であり、面積は県下最大である。市の面積の約8割を森林が占めていることから、林業や製 材業が主要な産業となっており、市内の製材所の数は 30 あまりにのぼる。湯原温泉や蒜山(ひ るぜん)高原を擁し、年間延べ 350 万人近くが訪れる県内有数の観光地域という側面も有し ている。しかし、真庭市を含む県の北部は、県内で最も経済の停滞感が強い地域とされ、少 8 子高齢化や人口減少の進行も早く、地域振興策が求められてきた。 この真庭市は近年、国内外から大勢の視察者を迎えるようになった。その数は昨年度約2 万人。視察の目的はバイオマスの利活用である13。実は真庭地域では 10 年以上も前から、地 域づくりの一環としてバイオマスへの取り組みが進められており、近年その成果が現れてき た。環境意識の高まりや地球温暖化対策の必要性からバイオマスの利用推進が叫ばれる中、 真庭地域はバイオマスの先進地域として、またバイオマスを核とした地域づくりの事例とし ても、注目を集めているのである。 (2) 「21 世紀の真庭塾」の活動 真庭のバイオマスへの取り組みの原点は、1993 年に始まった私設の勉強会である。当時、 中国横断自動車道(岡山米子線)の着工などにより、地域の将来を考えようとする気運が高 まる中、旧勝山、落合、久世町(いずれも現在の真庭市南部)の若手企業家ら 24 名が勉強会 「21 世紀の真庭塾」(以下では「真庭塾」という)を立ち上げた。この勉強会で、時に専門 家も交え、真庭地域のあるべき姿を熱心に模索する中から、「まちづくり」と「環境」とい うテーマが抽出されてきた。「まちづくり」は城下町の面影を残す勝山地域の町並み14、「環 境」は豊富な森林資源と木材産地という、いずれも真庭地域に固有の資源に注目したもので ある。1997 年、この2つのテーマに沿って、真庭塾内に「街並み再生部会」と「ゼロエミッ ション部会」が発足し、それぞれ活発な活動を開始した。街並み再生部会は、勝山での雛祭 りの実施や、店先に揃いの暖簾をかける試みで観光客の人気を呼び、ゼロエミッション部会 では、メンバーとなっている各企業がそれぞれ、製材の過程で出る木くずや残材などの利用 に取り組み、成果を出してきた。このゼロエミッション部会の活動が、真庭のバイオマス事 業の下地である。 社長が真庭塾の塾長を務める銘建(めいけん)工業株式会社は、集成材15のトップ企業であ るが、同社は 1998 年に約 10 億円を投じ、木くずを利用した本格的な発電設備(出力 1,950 キロワット)を導入した(次ページ写真4)。これにより、工場内の廃棄物を減らし、自社 の必要電力を全て賄い、更には余剰電力 1,200 キロワットを電力会社などへ販売している16。 また 2004 年には、同じく木くずを利用した木質ペレット17の生産にも乗り出した。年間 15,000 トンの生産能力を有するが、現在、日本国内の木質ペレット販売量は年間 8,000 トン強と、 生産に見合うだけの需要がないため、同社はなるべく価格を抑えて販売促進に努めていると 13 バイオマスとは、動植物から生まれた再生可能な有機性資源のことで、廃棄物系(家畜の排泄物、生ごみ など)、未利用系(稲わら、間伐材など)、資源作物(さとうきび、なたねなど)に大別される。バイオマ スは燃焼させても二酸化炭素を増やさない「カーボンニュートラル」な資源であるため、二酸化炭素削減の 観点からも注目されており、政府も取り組みを強化している。 14 旧勝山町は、江戸時代中期に三浦家が立藩した勝山藩の城下町である。 15 製材し乾燥させた厚さ2~3センチの板を張り合わせて作った板材。主に住宅の建築に用いられる。 16 この発電事業は先進的な取り組みとして評価され、2005 年の愛知万博で愛・地球賞を受賞した。 17 木材の粉を圧着して長さ1~2センチの円筒に成型したもので、業務用ボイラーや家庭用ストーブの燃料 として利用される。石油より熱効率は劣るが、発熱量あたりのコストは石油の6割前後と安い。 9 ころである。 (写真4 発電などに利用する木くずの貯蔵施設) また、社長がゼロエミッション部会長を務めるコンクリート製品メーカーのランデス株式 会社も、2002 年に大手建設会社と共同で、端材や木材チップを混ぜた木質コンクリートを商 品化した。このコンクリートは保水性・透水性に優れており、高速道路の斜面緑化や、真庭 市内のスタジアムに利用されている。また、桧製品を扱う株式会社ビーエムディーは、桧の 廃材から、桧のもつ消臭効果を生かしたペットのトイレ用の敷砂を開発したところ、これが 大ヒットとなり、現在は月に約 30 万袋を生産している。 (3) バイオマス事業の地域への拡大 このように、真庭塾という勉強会に集った地元企業が、木質系の廃棄物の利用に取り組む ことから始まったバイオマス事業は、次第に行政や研究機関などを巻き込み、地域全体に拡 大してきた。 まず 2002 年には、地域内外の産・学・官が連携する場として「資源循環型事業連絡協議会」 が発足した。2004 年には、バイオマス事業を地域で共有する体制を作るため、真庭塾のメン バーや森林組合などの出資により「真庭バイオエネルギー株式会社」と「真庭バイオマテリ アル有限会社」が設立された。ここでは、木質ペレットや木片コンクリートの販売、バイオ マス関連のコンサルティング業務などが行われている。 経済産業省の外郭団体であるNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)も真庭地 域に注目し、2005 年に当地域を「バイオマスエネルギー地域システム化実験事業」の実施地 域に指定した。これにより真庭森林組合などが、NEDOから事業費を得て、今まで活用さ れてこなかった樹皮や、山間部に放置された木材の利用に取り組んでいる。また真庭市内の 10 産業団地では、NEDOと大手造船会社が共同で、木材チップからバイオエタノール18を精製 する実証プラントを稼働させており、精製されたエタノールはE3燃料19として岡山県と真庭 市の公用車で試験的に利用されている。 そして 2006 年 4 月、真庭市は、岡山県内で初の、また中国地方でも2件目の「バイオマス タウン」20として国に承認された。これにより真庭市のバイオマス事業は、市をあげて、様々 なバイオマス資源の利活用に取り組む段階に入った(図表2)。バイオマスタウン構想の公 表にあわせて、市役所の担当部署や、行政と市民、産業界の連絡会が設置され、推進体制も 整備された。 (図表2 真庭市の主なバイオマス資源の利用状況と利用目標) (分量単位:t/年) 発生量 資源の種類 現状 利用量 利用率 目標 利用量 利用率 木質系廃材 122,800 95,400 78% 112,400 92% 廃棄物系 家畜排泄物 123,300 99,900 81% 111,900 91% 食品廃棄物 8,900 900 10% 1,800 20% 未利用木材 57,100 0 0% 8,800 15% 未利用 廃棄物系 利用90% を達成 (資料)真庭市バイオマスタウン構想書 バイオマスタウンの承認と前後して、真庭市における木質系廃棄物以外のバイオマス資源 の利用も実際に活発になってきている。例えば、真庭市中部の湯原温泉では、旅館組合と地 元企業の有限会社エコライフ商友が、旅館などの使用済み天ぷら油を回収してBDF(バイ オディーゼル燃料)21を製造し、温泉旅館組合の送迎用車両などの燃料として利用している。 2005 年 11 月の開始以来、回収量は順調に伸びており、2006 年8月からは湯原地区の一般家 庭の使用済み油も回収されるようになった。また、畜産の盛んな真庭市の北部地域では、家 畜の排泄物の堆肥化が進められており、処理施設の増設も検討されている。 一方で、バイオマスを観光資源として活用する試み、「バイオマスツアー真庭」も始まっ た。近年、観光客数が伸び悩み、梃入れを図りたい真庭市観光協会と、視察者が急増して、 ボランティアでの対応が苦しくなってきたバイオマス関連企業、それに真庭市が手を組み、 18 さとうきびやとうもろこしなど生物資源から作られるアルコールの一種で、そのまま、あるいはガソリン と混ぜて車の燃料となる。政府の定めた京都議定書目標達成計画でもバイオエタノールの利用促進がうたわ れている。 19 エタノールを3%の割合で混合したガソリン。 20 バイオマスタウンとは、地域が連携して効率的にバイオマスの利活用に取り組んでいる(と見込まれる) 地域のことで、政府が、全国の市町村から構想を募集し、基準に達したものを承認して公表している。 21 Bio Diesel Fuel.植物油から出来る燃料で、軽油の代替燃料としてディーゼル車などに用いられる。廃油 を原料に利用することでごみを減らせる点だけでなく、硫黄酸化物をほとんど含まず、黒煙も 1/3~1/2 程 度になるため、大気汚染緩和の面からも注目されている。 11 視察者を観光客として取り込もうというものである。バイオマス関連企業や施設の見学、関 係者によるレクチャーに加え、町並み保存地区の散策などの観光的要素も組み込まれた有料 のツアーを準備し、視察希望者はこのツアーに参加する。観光協会が受付窓口となり、オプ ションで湯原温泉への宿泊、岡山駅や岡山空港からの送迎も手配する。2006 年 12 月にツアー を開始してから2ヶ月弱で既に 200 人以上が参加し、予約も順調に入っているとのことで、 観光産業の振興につながることが期待されている。 (4) バイオマス産業の育成に向けて 元来、真庭塾が目指してきたのは、次代の子どもたちに豊かな環境と働ける職場、地域の 誇りになるものを残すことであり、その手段の一つがバイオマスであった。(3)で紹介した産 業観光も、バイオマスによる地域振興の一例ではあるが、最終的な目標はバイオマスを真庭 地域の新しい産業に育てることだといえるだろう。 (2)(3)で見たとおり、既にいくつかの事業が立ち上がり、そのための会社も設立されてい るが、新しい産業といえるほどの規模には至っていない。今後、バイオマスを産業として育 てていくためにはまず、地域住民によるバイオマス資源の利用促進が不可欠である。例えば 前述した木質ペレットやBDFも、製造や廃油回収は順調な一方で、利用量の増加は鈍い。 利用拡大のためには、家庭用ペレットストーブなど関連設備の低価格化や、ガソリンスタン ドでのBDF販売などの体制整備が望まれるほか、普及啓発活動も必要であろう。真庭市役 所は、市の施設にペレットボイラーを導入するなど、率先して利用に取り組むほか、2005 年 秋からタウンミーティングやシンポジウムなどの普及啓発活動を行っており、今後は小学校 の総合学習の機会なども利用することを検討している。 一般に、産業創出のような大きな取り組みは、行政が主導して産業団地の建設や企業誘致 などを進めるケースが多いが、真庭では民間の自主的な取り組みが地域を先導し、行政を巻 き込んできた点が特徴的である。地域を挙げた取り組みに育つまで 10 年以上の時間を要して おり、地域振興は一朝一夕に成るものではないことを感じさせるが、住民が自主的に取り組 んできただけに関係者の熱意は強く、5年後、10 年後を期待させてくれる地域である。 おわりに 以上、見てきた3つの事例から共通点を探るとすれば、民間主導の取り組みである点が挙 げられるだろう。児島の場合は、世界の市場で認められた地元企業の実力に、ようやく行政 が注目し始めた段階だが、高梁や真庭の場合は、住民自らが地域の将来を考えて始めた取り 組みを、行政が側面支援する体制が作られている。地域振興策に絶対的な正解を見出すのは 難しいが、地域に自立と責任が求められつつある今日、住民の立ち上げた取り組みを行政が 支援していくという形は、一つの方向を示しているのではないかと思う。 12