Comments
Description
Transcript
太宰治自筆ノート [英語] 翻刻
Hirosaki University Repository for Academic Resources Title Author(s) Citation Issue Date URL 太宰治自筆ノート [英語]翻刻 津島, 修治 「翻刻太宰治自筆ノート : 英語・修身」, 2012, p.1-96 2012-11-01 http://hdl.handle.net/10129/5098 Rights Text version publisher http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/ 「太宰治自筆ノート 翻 刻 ─1─ 英語」 凡 例 1.資料本文の頁数を翻刻の先頭( )内に示した。 2.資料本文以外の情報となる肖像画などについては( )の中に肖像画の位置や書き 込みについて示した。 3.判読できなかった文字については、その文字数分を□(白シカク)にした。 4.資料本文の抹消部分については、抹消された文字の下側に「〃」を付けた。 5.資料本文の訂正箇所については、抹消された文字の下側に「〃」を付け、上側に訂 正の字句を示した。訂正の字句はポイントを下げた。 6.頁の破損により判読不可能な文字などは■(黒シカク)にした。 7.ノートの中に描かれたイラストは、この度の翻刻に際しては割愛したが、今後、附 属図書館として、デジタルアーカイブにアップすることを予定している。 ─3─ (表紙) Johnson & Goldsmith Essays by T.B.Macaulay Sir The l□to Hirosaki High School L.1.1. S.Tsushima Trade mark Trade mark (天地逆で筆記体で「Ogawa」など書き込みあり) (表紙の裏) (頁中央部に肖像画あり) (1) Johnson Macaulay. 私自身はすいしやうされたる2篇の論文ハ 閣下の手になれるものだといふことワールドの 持参から聞いた。 かかある名譽はいかによくこれを受けべきか 〃 〃 〃 いかに言葉にて謝するわからぬ程な 好意であるのだ。 ささなる奨励を受けて始めて閣下 御好意に甘えてへ□問した内時に 〃 世の他の人々の如くに君閣下の辞令の 〃 人をみするの力に圧服せられたのであつた。 そこで私は世界の征服者の征服者 たることを自ら 禁ずることがcannot 即ち世界人が爭ふて彼やうとしてる 〃 尊敬を今又轉んて欲するの念を禁ずる ことかcannot 所が今 しかうするが ─5─ 今余り奨励されなかつたその爲に自負心も けんそんの念もしかうを續けること が出来ぬやうになつた。 奉呈 私は当つて閣下にしゆい書を奉呈すせ 〃 〃 〃 発る時私は礼にならはざる 〃 ひつこみ勝ちな學者が持つことの 出来る有るたけの力をつくして閣下の 意をむかへやうとした (頁左側に縦書きで「人から好意思顧といふ ものになれて居ないので」とあり) (頁左側に肖像画あり) (2) 私はなし得るかぎりをなし 盡した。何人もそのなし得るかぎる 盡したことが等閑にせられる ことをよろこぶて□がものがない 〃 〃 〃 な それが微に□るものであらうとも 〃 外□室を待ちうけ 〃 はねつけられてからもう今に至る 長年経過 その間私今更ぐちをこぼすも無用の としたのかんなんを廃して私の事業を 着手進行して来たのだそして 少しの強情 〃 〃 〃 〃 〃 一日のホジョ一るもしろれにもなく 一笑の恩顧も受けで出版の間ぎまで こぎつけたのだ。 かやうな次第でかやうな 待遇は受けやうとは強記しなかつた。 私の 〃 おくまで 〃 〃 〃 〃 〃 (3) 彼を岩上に生れた人だと知つた。 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 彼を岩上に生れた人だと知つた。 恩人なるものはこうい□ふもので 〃 ないか人か水中でもかき苦しんで ─6─ 居るのをむとん着を持つて見て居る。 陸に這した時助力をてんてわづら はしものではないか 私の事業のについて閣下與へられたる恩顧はも取るべて今少し早かつた 〃 〃 〃 〃 〃 〃 なら親切なるものであつたらう。 所が私が恩顧を受けても受けなくても つうしやうを感じない。たとへ受けても 楽しむことが出来ぬことがなる迄 こどくの身となつてそしてそれを 與へることか出来ぬ迄入世に 名を知られて居る恩顧を必要とせぬ迄 いろよせられたのだ 感じたと であるから何等のべんぎを受けなかつた 〃 〃 〃 〃 〃 場合にあづかつた、自白しないとて 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 又天が余をして獨力でなさしめたる のおかげによるものだと 事柄でを恩人に大にしてもするもの 〃 と世人が考へることは私が好まいからとて (頁上部に筆記体で「S.Tsushima S.Tsushi ma S.Tsushima S.Tsushima S.Tsushima S.Tsushima S.Tsushima S.Tsushima S.Tsushima S.Tsushima S.Tsushima S.Tsushima」 「S T」 「Love=」とあり) (4) 別にあまり皮肉的ないぢくねたことで あるまいと私は思ふ。 私の事業を学問の保護者から あまりお蔭をかうむらずに これまで事業を進行して来たから 尚一層少い恩議(この上ない少い恩ぎ がありうるとすれば)を以て事業を 完了しても敢へて失望することはないのだ。 私はかつて非常な喜を持つてみづから ほこりたるきぼうのゆめからさめてすでに 久しいものであつた。 いやしい 従順な ─7─ コノ場合ニ公衆ハ 公平以上ニ ニ 公平ヲジヨンソンをあつかつた。 〃 十分にあつかつた。 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 どんなすぐれへん者でも それが 世人に冷静に迎へられるといふ満足それ 〃 〃 してるのも当然なこと だ。 (頁上部には「思ふ 拗戻く」とあり) (頁左上には縦書きで「学問 学 学 学問 学問 学問 学 学問」などあり) (頁左上には肖像画あり) (5) いかな 〃 〃 〃 小きたへしたことのないやうな熱狂を持て 迎へらた 実さいその字書は愉快によめる始めての 字書 引用された 撰たくされ 大なる缺奌 に歸着する みぢめな語源学者であつて ほとんど知らなかつた。 英語 彼の書いた所であ見れば 〃 彼の書いた英語で 全然によれる者だつた。 (頁上部に縦書きで「到着」とあり) (頁上部に肖像画、目と眉の画あり) (頁左下に横顔の肖像画あり、その肖像画のそばに縦書きで「君の顔によく似てゐるよ」 とあり) (6) この 名譽 金銭上の収入に何も加へぬ 約束した シエーンが印刷屋から 出て来る前にまひがりして 費はれしてまつた 大著述の出収後ノ一年のうちに 2度債務者留置所つれて 行かれそして のおかげで ゆるされたとは ─8─ 語るもいたましい次第だ。 最局みて□、に依て英語の 〃 どてざしや形式的に推稱された人から 絶 やはり□えずに依つてそのきうほう 〃 □して行かねばならなかつた。 豫約で Shekesの□版を発行するといふ 〃 ことはくはだてをした 〃 〃 〃 そして 多くさんの豫約者が支拂ふ。 前そのしごとは自分の趣味に かなはなかつたんで 最もきやうみある仕事にむかつた 彼はその多くの論説を と稱する。 (頁上部に肖像画あり) (頁上部「獨裁者、英語学ノ獨我、獨」とあり) (頁左側に横顔の肖像画あり) (頁左側、「今」という字が25個あり) (頁左下「そ」とあり) (7) 投書した。 彼の書いた好書のうちではあまりきようみ のあるものはほとんど無いしかし そのうちに推理上洞刺的 の 傑作である書いたうちで一番すぐれた ものである。ギニーの著者の批評が そのうちにあ□つた。 〃 七□ 春に と題する論説の連續ものを 第一のものを公にした。 廣く 実さいまだもとのまヽである間に づうづうしくもへうせるせられたものだ。 集められた らんぼーの後へんといふこと が出来る。 たヾ前篇よりはやや活気やりやや 力が弱い。 (頁上部に書き込みあり) ─9─ (8) しきりに アイドラーを書いている間に 九十才を越えてる 彼のわづかの収入のうちから 彼のかかさず彼女にしをくりして 孝養をつくしたのであ□つた。 〃 □ 費用を支拂はふ 彼はたつた一週間で小さな 書物を書いた。 讀みなほしもせずに印刷屋 に送つた。 その版權に支拂つた。 その買物に喜んだのも道理で あつた。といふのはRasselas であつたから、 ラセラスの やうな感傷的な婦人はそのボリウム巡回文庫 からの新しい書物といふことは 著者の好きな問題 をについての 〃 即ち人の望みのはかなさとふ (頁上部には肖像画あり) (頁上部には「ああるはむ」、碁盤の目、「アルバム」とあり) (頁左側には肖像画あり) (頁左側には図形に「讀む 讀む」とあり) (8・9頁のノド中央部に肖像画あり) (9) 始どその論説にすぎぬものだと いふことを発見していたく失望し たにちがひない。 の そのもとがたかりは 〃 意中の人がない といふことを 知つていたく失望したにちがひない。 そのものがたりは 彼彼等をとり上げた 〃 に 画き始めたと所ふHero Heroineをつれ 〃 もどしたといふことを知つて失望 ─ 10 ─ したにちがひない その文体は熱心なる論爭の まとになつた ちがつた□意見をとつた 〃 □その著者はを迎々しい珍学者と 〃 〃 稱した。 sidシラブルを用ふることの 出来る所にtereシラブルを用ふ (頁左側に縦書きで「ミストレツス トレツス ミストレツス ミストレツス ミストレツス ミストレツス ミストレツス 」とあり) (頁左側に肖像画あり) (8・9頁のノド中央部に肖像画あり) (10) ることを決してしなかつた。 又□元をそのぼうけん論を名詞と名詞つり合はせ形容詞と しむること出来るない。 〃 それにも劣らず熱心な 外の連中は重々しい意味 が□□□に発表せられ いかにも見事に説明 せられて居るやうな多くの字句を よろこんでいんしやうしてる そして非難且つしやうさん 受けべきものだ□ うもクラスの梗概といふ ことについては批評家は 言はなかつた その 缺奌 は酷評をまねくらし かつた。 ジヨンソン折々 時□と場所と 〃 をゆるがせにして居るといふ ことについて又一つの国民にその 他の時代の風俗に思想 用 轉換する 〃 (頁上部には肖像画や書き込みあり) (頁左側には肖像画などあり) ─ 11 ─ つり合せて話さ ミス (11) シエクスペアー 併し にもジヨンソン説にそうかう奌 に於てひどく 犯はして□らね これらの者は一八世紀のアビシユア 人のつもりであるらしい。そしてハピイ バレーに住んでる人たちはケンブリツヂ ですらも受け入れられなかつたやうな 引力の法則をの法則を珍ら 〃 しくもないやうに語つて居る 所が実さいのアビシユアの連中は 如何なるものだつたかといふことは 知ることが出来やう。 ジヨンソンは語 きたない野ばん人 〃 貭問をむさぼり乞ふ 雄雄なてつ學者に足れずとせずして レンノツクス先人やセルダム□□ きたない野ばん人を 受へることを隔□しないで 英国の全家でそしきを エヂプトにうつして居る。 (12) □妾妻の国一夫多妻の国 〃 婦人が見られないでけつこんす る国 吾が男女つふままひ れ しつとの状□を取り入かせて居る 〃 〃 又一りこんの自由の国に於て 〃 □ として とくことの出来ぬちぎりのべられ わ て居る偶然でくつしわざと 〃 青年少女はめくばせを かはし挨さつを 夢見合ふ けつこんの手順 併しロンドンではさうだろう 今でもそうかもしれない。 な 彼等はそうであい 〃 ─ 12 ─ 不適当な かやうな色んな ことを ヘクターをアリストールを 引用せしめ ヂルヘーのせんたくの あるかして居るやうな浮人 (頁上部に筆記体で「Jmo Jaer 与」とあり) (頁右側に肖像画や書き込みあり) ( 頁左下に縦書きで「ヂルヘーのオラクルの時代に榮えた者とROMANOを表はしてる、」 とあり) (13) を非難するやうなものではない。 上述の如き かやうな努力にやつた ジヨンソンは生活して来た この時年に□偶に大変化が 〃 起つた。 王朝の敵であつた。 彼のジヤコバイトはわづかの ほんとど□ららさまに著作に 書いた人だ。 大きな丹青をこらした辞書の うちですら彼はしゆみとはんだん この不足なけ□つ□ぼうてきびしく 〃 〃 侮 □じゆく的な酷評を押入 〃 したのである。又ホイツクノ財手 〃 段産とも得意に財源としてたのみ 〃 にしてある所の国産税を 憎むべき租税とかいた。 又彼は国産税の委員を やひなる言葉にてばとうして るものだから本気に告発しやう と思つた。 (頁上部には「与 よ 魔よけ やくよけ しからば ─ 13 ─ 非難非 魔物 魔除け」とあり) (14) renegade 又彼ハ トイフ言葉ノ 意味トシテ尚□官ノ名によつてかかげられると やうつとさへぎられた。 〃 ベンシヨンとのいる字を彼を 国家は爲ろうざる雇員に與へる手当と定義 の 主人に命にふくする爲にほうきくに 〃 よつて雇はれたる国家のどれい。 だからこうゆう定義を下す本人 自身は やうそうもないやうに疑る。 併し驚意の時代だ。 ジヨージ三代が 多くのあいそをつかし又 ジヨージ 宮殿を なつけた。 ロンドンの所ははんこう的になり ケンブリツヂは 学の人たちは不平をならす 主なる者 しきりに思見を はげまうとして居た 国庫の支納者はロードビルド 主義に対してジヨンソン に対して意義をさしはさむ (15) 筈だつた。 保ご者と考へられたかつて居た。 そしてジヨンソンは一人であり びんぼうなる人で 三百ポンドの年金が□きやされ この出来ごとはジヨンソンの全生活 法に変化を来した。始めてもはや 一日の貧者の爲に□らくに迄 〃 明 〃 を よぎなくせられしことはなかつた。 彼は 小僧 を恐れることなくし てが□のたいだをほしいまヽにする 〃 ごご二時迄ねて居りそして ─ 14 ─ 又朝日没迄人と話をする に自由に出来る身の上となつた。 骨の折れるしごとをついかう すべくけいかくしてあつたのだ。 (16) 彼は彼の 幼年 〃 多がくのよやく金を受けとつたの であつた。幾年の間よやく金 でくらして居た 彼はそのけんやくの 幼やくめを体面をけがさすには 〃 果さずにしまふことから cannot だから彼の友人は努力する やうに彼にすすめたのである。 再三そうしやうと決心したので あつた。その友人の勧告も け□いくわするのみにして何等 〃 なされなかつたのであつた。 この熱心にたつだに 流れぬやうににのつた。 又彼はこの生産を送ル たびことに自分のちかひ言を 決心などをなすとのとなす。 時間を空費するしやうと決心 するのであつた。 (17) かかつてる 彼が魔力はいのうにも又ちかひ にもていこうして居た 私は黒しやうぞくの尼さんの豆ぼうし 〃 のやうにあごの所でむすぼれてる ぴつたり ひんじやくなきいろい顔色 をして居る 併る時私の傍に立つたのは小柄な 丸々としたかつこうの婦人であつた。 彼女は成る程私よりもとし上だつた ─ 15 ─ かもしれないが267才をこゑ て居なかつたでせう。 同じやうに美しかつた。 帽子をかぶらず くるみ色であつた。 そして髪の毛を□べらして居た。 顔かたち 目鼻だちは美しくはなかつた。 大してやさしくも とへ端正でもあ 〃 〃 りませんでしたがしかし決して みにくい女ではなかつた。 □ち私は心の目鼻だちが表情に とんで居るやうないはれを見た (18) いちじるるしいとくちやうは 總明であつたか ふんべつとなつたか ま とう考へてました。がしかし 〃 いまだほとんどその奌に ついては確信を得なかつた。 併し見る目に非常にここちよい目の すずしさがそして又顔色のいきいき した奌があつた おいしい林檎の上のくれないの やうであつた。 即ち表にとともに赤いとともに 中みのけんぜんな シャウ ルーターしうと私は用件に 〃 〃 取りかかつた。君は大へんお高く あり両親たちは娘に対して 君のやうな先生を恐らく反対する かもしれないから手段の賢明で あるかいないかについて全くは確信 はして居ない。ところで人は 時分の判断に依つて行動 (19) recommend 推賞 recommend ─ 16 ─ informed 知る address 辞令 overpowered 圧服される vainqnear 征服者 terre 世界 attendance 司候する negleer 等閑に付す repulse はねつけられる uncovern 無とん著 labowr 事業 notice 恩顧の(みとする?) imparf 與へに。 obligation 恩顧の for 独力で myself provina 天 asperity 拗戻 cynical 皮肉な conclude 完了する □caltation かんき (20) するのは段々 いこと 両親の言ひな 次第に こちらからみ びく 先生の適否は 齢の問 ではない、く んさつ 依ると音楽の こ すでに50に るよりも た所に 人は い よ その人により 君に信 したいと 〃 思ふ 私は彼女が私 彼女に 好評にふさは い男で ると いふことを見 せばい と そして私は私 身を知 て居る が私はに於か たる信 を うらぎること 出来な のだ、 彼女が更にか とくが げんみつに努 られる 〃 あらう ─ 17 ─ それから彼女 條件の 題を 論じ始めまし 。彼彼 は 全く自分をけ かいし (21) 非常に注意深くありました。 彼女は必ずしもかけひきをしないと は言ひないが彼女は ふかく私の 心をさぐつて私の強記がどん なものかと見□□さうとしました。 その金額を上げさしることをが ゑんき 盛んときたてました。 私をして年五百フランに きめさせた。 その高尚の取引きが終らぬ うちにくらくなつたが大して急が なかつたのである といふのは 私は彼女の話ぶりを聞く爲 に坐つてることを非常に 好みましたから。 そして彼女□はくを一移の じむの才能が非常に気に入り ました。 (頁左側に肖像画あり) (22) ひか 彼のこの時代の手扣へといふ 吾が身をせむることが色々書きつけてあつた。 例へば19後□さいの前噫 私のなまけ気分は更にひどいちどん ち の状態においついつた。 〃 不しぎな物忘れなやうな気分が 私を被ふ だもんだから昨年のことばどうだつた か知らね ふつつくわつ察が来た。 その時にも同じ状態であつた。 その時代に ─ 18 ─ 私の時間はむだに費やさ れた あとになんら 夢の如く見える 記憶力がこんらん日が私の□□□かに 過ぐるかといふとかねか出ない。 所がこうゆう状態に しあはせなことはかやうに さ とりこにくれてる魔力は 〃 (23) とうとうやさしぐも方親切でも 〃 ない所の手によつて被られるに 至つた。 彼はコクリーンのある 出る 出礼に 本気に注意を拂ふに 至る程そして実さいの友人 のさけび出された □□□ 〃 〃 せいれいから 浮かばれぬ 〃 消息を 消息を聞かうと思ふて 〃 〃 の 〃 の教會へ明一時に 実さいに出かけて行つた。 併しその出礼はすごさと□ たんぐわんせられても遂に頑と してものをいはなかつた。 □□ いたづらな少女が 多くさんのてつかてくやを ぐろうしてなぐさめてるとたう といふことが明らかになつた。 (24) 能力を確信し人気に酔ひ王黨へ とうは心にもえて かくりつせる名聲を有する こうりう 派の政策 (の者)ぶじよくしてやる相手を さがして居たが の出れいの三義の 詩でうた□ あのもう永い間よやくされて ─ 19 ─ 長い間 かかやうに寛大にしはらはれ た書物はどことなるかを 尋ねた。 □しあからさまに大道徳家 は さき□したものを非難した。 〃 この恐ろしいことは□中中 〃 ききめがあつた。 そして1765の十月に 九年間の近き役 新ぱんが出た。 (25) この発行はジンヨソンの 正直といふ名よを救ふたので あつた。 能力及び学問の名聲には何等 □文には二三立派なる文句を含ん でるが最上のきりやうは表はれて居ない。 もっともかちある註訳は彼が 幾年かの間の人間の生活 情 生□をいかに信容して 〃 るかを示し 機會を有するやうな 註訳であつた。 もつともよきへう本は 性格についての註訳だ ジヨンソンが かやうにすぐれたものは ハムレツトのみごとがこうさつに 於ても見出すことが出来す (頁上部と左側に肖像画などあり) (26) 併しことに賞さんは終りを つげねばならぬ 一体このこれ程いかなる古典□行でも 〃 〃 〃 〃 にそんざいな かちないものを示しことはこんなん ─ 20 ─ だ。 讀者はこうゆうものを 劇を一つづつひつくりかへ して見ても一句でもうまくすいそく してていそくせい 〃 〃 今迄の注記者を失敬させたやう な文句を 一つでも□□に せ 満足に説明さるなどは見あた 〃 らぬであろう、 ジヨンソンがじしよしゆいしよに 〃 〃 〃 て 彼のくはだつたしごとには 〃 とくにてきしたものだ 述べた。 なぜかといふと□□□さく 者として彼の先人のいかなる (27) ものよりも英語を一層ひろくくわんさつ する必要もとにあつたからであつた。 彼の文学の知しきはかいはく であつたと□□ふそは爭ふべ からざる□不幸にも 精通し 成立□してあることが特にのぞまし□ 〃 〃 〃 〃 ある部分を全文ゆるがせにして居た。 古いものをかんこうする 所がシエクスペヤ 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 否 ゆらい否定の説を断定することが 〃 きけんせい通して居らなかつたこと いかなるぎじぎよく者 〃 いん用せるものはたつた 一句でもないといふことを 断言しても暴言であから ジヨンソンは数ヶ月かかれば 現存してるあるゆる古い戯曲に (28) 精通することが優に出 所がそんな古い ─ 21 ─ これはかれがくはだてた 事業に必要なこと準備だと 〃 〃 いふことはほとんど思ひ浮 ばなかつたらしい。 ユーリピデスの 著述に通じて居ない人が ソオウクレスを刊工することが 愚の骨頂だといふことは 認めた□世 併し彼は生またから 発見し得る所に依れば のたつた一まくでもよまない を所行したのであつた。 彼の ち くつぎたく評して 〃 (29) そんけいしてる人でもの □□□□やく者の義むを 果せる方法に賞さんに於て ついては 併し彼は長い間彼の両親を 苦しめて居た責務を果したのであつた。 そして彼は 依つて見ざまされた。 フーシのじげきに彼に見ざました。 休眠状態にもどつた。 彼は長い間すでに得た名せいを 長い間待つて居たオクスフオー 博士号から 文学協會からは教授の職 王にははいいつを給いた。 陛下が居た。 かやうにすぐれた作家が 今ここに書くことをないやう 希望するむねをこん切 (頁左側に「彼」の字あり) (30) にのべられた。 ─ 22 ─ たつた二三の政治に関する 小冊子を そのうちの一番長いものでも サベヂの傳やRasslasを ければ 書いたやうに本気に書いたら 〃 時 〃 〃 四十八回間で書け得る 〃 かきものを始める気になれない やうなものらに気分にもかかはず 口頭では 一言も変へないで印刷すること の出来る程な 主流な 学問の問題けつぎろん 論ずるとことは ゆくわいなことであつた。 (頁上部に肖像画あり) (31) 彼は言ひるがごとくあしをくむんで 〃 ゆつくりはなしをするのが好きだつた。 彼は放題をもちだすやうな人 に対しのり合ひ馬車にのり合した人 いんしよく店で 彼のみちたる所のあふるるもの のべ 與へる 併し彼の會話は□二三の 〃 友人即ちその能力ちしき で幼 彼の投ぜるよこに へ なげかひしむる人にとりか 〃 はなばなしき眼ざまし きことはなかつた。 19 クラブを作つた だんだんに文學世界に恐ろ しい勢力となつた。 この祕みつ會によつて新刊書物 に下された註訳はすぐにロンドン中 に知れわたつた。 (32) そして一日中に全発行部分を ─ 23 ─ うれ切るか或は トランクやカステラ□のやう□ 〃 相場を定める程な力があつた。 それは吾々がこの小さなクラブ にいかに□大なしゆじゆざつた の働よりあつまつたか といふ考へて見れば不しぎと 詩と軟文学の大 ガリツク ソノ ムジンノ なきものまね カイギャク □□タリ 台の効果に 完備せるちしき 會合 生れもそだちもいいしんし 友 □情に依つてみつせつに 〃 性格習慣 (頁左側に横顔肖像画あり) (33) 性とうの彼の見解、彼の生活の しんせんによつてその名高きベル□ト ラングトン 情事 花柳界の地しき やかまし いしげみひにくなとんさいなどで 有名な かやかうな連中の主權を握る 〃 ことは ジヨンソンは主權をにぎつて居た。 バーブであつたら他のものは やむを 主權を爭ふことが 出来たである 一般にはあまりしんぼうづよい た ききてはなかつてけれども 〃 ジヨンソンガ ききてで満足して□ そしてクラブ自身はかやうに としたの□の ジヨンソンのクラブと稱せられてる ─ 24 ─ (34) 第貳学期 團体の會員 大部分を有利せし□めたし 〃 倶楽部、尊重させられて居なかつた。 會員となるのもよういなこと ではなかつた。 ベンゴ士 の嗣子 名門立派な 財産 □ シヤレ者 精神よ うルサイ奴 うぬぼれ強く おしやべり ジユ柔弱 進取的好奇心 he loveの形容詞ニ非ズ wasのwasにかかる 推理スルコトモ 南方十字星座 現行国語トシテ死語トシテも □然が 崇拝者 (頁上部には「46P」、筆記体で「auiang」とあり) (頁左側には国旗のような画あり) (頁左側には筆記体で「petrior、pqbuo、patrionr、patrio r、patrior、patriot」とあり) (頁左下には横顔肖像画あり) (35) 彼の品性は植物学者は寄生と看して それより強い植物のみきんまきついて □をすつてして生存するぜんにう植物ににて居た 〃 〃 とりついたにちがいない 彼はとりついて 民權案案ヨーゴ會ニ於ける最いて 〃 愛国者トナツデアロ カルベス派のメソジスト 大聲なる野外傳道者 ナツタコトデアロ (頁上部右側には縦書きで「コ」「ヨ」とあり) (頁左側には横顔肖像画あり) (頁下部には肖像画などあり) (頁下部には筆記体で「Boswell」とあり) ─ 25 ─ (36) やがて派家の人が 早く親交をむすぶことになつ ひらけた社 交らる ふてきとうに へんぺ□ てまね ゆりうごかすこと 息づかい、ぶつぶつつぶやくこと きたいな がつがつした食事をたべ旁 折々かんしやくを 起すこと、粗暴 強暴 これらの喜劇ですらも彼のあらたなる き 交友 彼に□じた□やう時を 〃 一そうましたんだ これらの喜所はしつたい 及び迷境のうちの長い間の 奮□であつた生涯によつて 跡 あとにのこされたざんにんなる恨□であつ 〃 た つからだ 〃 ふつうの□文てにあつて かやうの 人にけんをの念 のみを (頁上部には筆記体で「The」18個あり) (頁左側には縦書きで朱書きで「上戸塚九五三」とあり) (37) 起さしたのであらう。 所がジヨンソンのやうな天才 博學 しやうさん尊敬 ジヨンソンは間もなくサースバークの 醸造所に一室を持ち そして彼の友人の 年々の大部分はこれらのすみかで すごした 彼がうつうにすまつて居た居宅に な 比かくすれば立派でぜいたく 〃 ─ 26 ─ 思はれた 主なるたのしみはアビシニアの聲楽者が 言つた言葉のうちに婦人の□帽の 〃 なつかしみあるうるはしさと稱するもの から得られたのであつた。 (38) スヰーに婦人は随分彼を茶化したり 彼女が若し彼女の軽□に依て 彼を腹立たせることがあれば 天女の如き気だてのやさしい 彼のしつせき 充分につぐのうた 又彼が身体及ビ精神に 於て病める時には彼女は 最もやさしい と 富なるものがもめめる 〃 いかなるい安も婦人の 器用な知恵がやさしい 同情によつてうごかせれし 工夫 せつびも彼の 病室にはととのうたのである、 (頁左側に肖像画あり) (頁下部には絵あり) (39) 彼女父の如くあいじやうを持 併し多少色男ぶつたいんぎん の気みを持つて そのいんき のたいどはぶこつ のものではあつたが今はすたれて は居るがしやれものやめかしやで る ある ほこりとしたの所の 〃 ばかものの連中のせはぶり よりは一そううれしいもので あつたにちがひない □ののしやうがいの たつぷり半はこと の家 ─ 27 ─ ですごされたらしい 彼はその家ぞくにつれだつて (頁上部には筆記体で「This」31個あり) (頁左側には肖像画あり) (40) 又あるときは 同時に 立方のせまい いんきなうちのにせまい家を 〃 かまいて居たんだ 屋根裏べやには彼の しよさいがあつた 種々ざつたのしよ物が 集められたものであつて バラバラに散らばつて ちりにまみれて居たのだ 下の部屋では折々 ごくまれに 貭素な 小牛 食事□□手のパイ或 〃 〃 〃 は小羊の肉にほうれん そうをそへたもの (頁上部には筆記体で「pen」「This is (頁上部には肖像画あり) (頁上部には「又」、頁左側には「又五」とあり) (41) ライスの□デムナドを 友人をもてなしたものであつた すまいが彼の長いるすの間 だれもすまつて居ないわけでは なかつた。 その家はかつて集められた とつぴな集まりであつた 家であつたのだ。 先づ家族のかしらには ウイリアムというばあさんを 置いたその主なる取柄は と めくらのひんこんであつた。 〃 ─ 28 ─ a pen」とあり) 併し彼女が小言をいふ にもかまはず彼は今一人 彼女に (頁上部に筆記体で「This」「This is s」とあり) (42) 家に置いてせはしてやつた 処を 互に知つて居たのであつた デ夫人の娘 びんぼう な夫人ふつうmiss genesonl ジヨンソンが 夫人□□□□てをも 〃 〃 〃 〃 又家に於てせわして 置イテ 年よりのやぶ 医者この人でこの不思議 な動物□を完成する Here村は石炭の うんぱん人夫かし馬車 刺略 の助手をしらくしたり とうやくしたりする (43) その□しろにはぱんきれ □ブタ或はジン 等をうけたりわづかな 銅銭 これらのかあいそうな人たちはお互い たえずけんかそしてジ ヲロンボのサーバント ハララレク □ けんか 実さい □々 敵対行動(pe、) を主人にうつしこともあつた 食事が悪いといふことを不平を ならしたり又恩人をののしつたり ぐづぐづ言ふたりしてしまひには ジヨンソンが幸にもやりきれないで 併しジヨンソンは最もきよぼうあり ─ 29 ─ a letter 」「This i 又とみをほこつてる本屋 とうとい努力あるペドロに などのべぶべつの如く見えたる 〃 所□ことは何事にでも 〃 〃 (頁左下には肖像画あり) (44) ん ふ□かいすすぎるやうな人である 〃 こじきどうやうすもの彼の なうなければひんみんの 収やう所へ必ず行つたに ちがひないやうなこじき同様の ものからジヨンソンが□どよくる爲Osbn をなぐりたほした チエスターフイルドをもとと もしなかつた 一そう腹の立つやうなぶじよく をもこじき同様ものの 幾年かの間彼をなやまし 彼の所に寄食して居たのだ (45) 新ぶんざつし 記事論説を かかげた 恩恵にたよる者 三文文士かすめ眼だ 恩給ふ助者 又或人はおぢの一人が重ざい はんはんに決せられ 〃 〃 證明する ふくしうしてやると脅迫した もつともけいべつせる言葉で そのぎぞうの非難をくり返したに 過ぎなかつた。 しばらくの間はこんぼうもつて 歩いた。もしサギ師が それにでくわし 〃 〃 〃 〃 〃 〃 こんぼうかしくもさけて居なかつたなら 英雄□詩ば かり □に上におちる如く彼の頭上におち 借りて言ひば □ 〃 その国にも英国人の□み ─ 30 ─ を支へる□の一本あることを知つた (頁上部と左側には横顔肖像画あり) (頁上部には筆記体で「ma」とあり) (46) 先生 英語でなんといひますか セミコロンですみなさん なんとをかしいんでせう 書くことが出来ぬ ところで先生 先生は大へん早く お讀みになる ここに於てみんなものかぶつぶつつぶや いや、始めて口を開いてさけんだ。 □□ 一向しづかに反対に前列の三人の□□が 〃 〃 一そう聲高にし わからんところのなんかを書く ことはたいくつだ うしろの方で笑ふやつがある。 幾分のさはぎが教室にみなぎり 始めた。 早速の午後を講じることか 必要であつた 急な調子でれんしゆう帖 言つてかヾみなかられんしゆう 帖を渡すひまのないうちに (頁上部には筆記体で朱書きで「Professer」とあり) (47) ひきとつた。さてあなたあなたの 書取帖をください。 一寸青ざめた醜い少女に話しを しかけながらつヾけて言つた。□くわく そして又その少女は私は教室内 □ 注意深い学生であると 気がついて居た。その少女が立つて 歩いて来て おごそなな つつましやかな おじぎをして練習帖 ざつとながめた。 不明瞭に 分けのわからぬ ─ 31 ─ ことが書いてある。て馬かな 〃 まちがひがみち そうゆうように いみのとれぬやうなあやまり 〃 はなかつた、そして又 ほとんどつづりのあやまりは なかつた 私はこの缺奌 を しめしなから ◎ ◎ ◎ ◎ (頁やや上部にノドを頭にして「津島修治」とあり) (頁中央部にえんぴつで顔のような書き込みあり) (48) はちづべきである こと私は言つた 〃 彼女の書取をていねいに 四つにさいて紙片を けつこうである 書取に満足してる とび笑して その事を□返して 七面鳥のやうにふくれよつた 反抗の心持が静められた 最初のこしかけにすはつてる うぬぼれたこび 無益な たはむれはちんもくの不きげん にかはつた 場一そう都者のよいものだつ とどこほりなくすぎた 中にはの鳴りひヾくかぬか 体上の時対をつげた M.ペレーのがんかうの すぐあとに又どこかの 公立の学校のかねときいた。 直チニミダレテシタつた。 (49) 立ち上つた 先生におじぎをして うしたのやうな通学生が 来ない先に去つた。 更に内部の教室 友人近くの生徒がかんきん せられて居つた。 ─ 32 ─ そして教室の高まりつつあるさは ぎをきいて居た。 よこぎりろうかの所に達するや 私の所に出て来た。 不幸にも数ヶ月たつてから そねみ深き なし得なかつたことをなした 幾分それ□よつて己の名をけがす か のに至つたのであつた。 〃 殖民地の爭論は平和的 こうていは不可能といふ奌 迄 達して居た。 (頁上部左側に横顔肖像画あり) (50) 内乱は明らかはさしせまつ て居た。 国内 そして大臣等はここの反たい とうに対して対して国民のせんどうし そして大臣評の□まんに ジヨンソン雄べん を利用することが出来やう と考へたらしい。 彼はすでに政府の内地 外交政さくをようごする爲 に小さつしを書いたことありき。 それは殆ど彼にふ さはしからぬものだつたか の店さきにころが つてあるやうないくたの少さつしに しかし彼のみじめな失敗 であつた。 名 その題自信は馬鹿げたものだ 〃 (頁上部には「内和」とあり) (頁上部と左側には横顔の肖像画あり) (頁下部には縦書きで「課ぜいはあつせいに非ず」) ─ 33 ─ (51) ひびきのよい頭い人の如き彼の あなどつて用ひざるべく筈であつた他の何物によつても 何等□せんたくのとり得なかつたのだ。 〃 小等がとうろん會で用ふる 議論であつた。 含んでるかいぎやく河馬の骨 ぶざま せつれつ ぼすうえるですらも この不法な 助 一ぺんに於ては能力のけいせき をみとめることは出来ぬといふ ことは自由な 発表した 能 タイムとシツペイが表はれて 来たのであつた。 もう書かないやうにして彼の信用 を落さぬやうに必朽□ければ 一番よい。 (頁上部に「む 」「ゑらんだとりゑが」とあり) (52) 併しこれは大な 一週間の□に を書いた 時分程旺盛でなかつた のではなくして彼はおろかにも 決してとりあつかふしかくのない 問題をえらんだ 人にえらばせた 政治家でなかつた。 傳記 文学史 国事風ぞく記 ぜつたいにきらいであつた。 起つてあらそはれてる問題 なんの意見もなつて居ない やうな問題であつた 必ず失敗するものであるやうに 失敗した 言にも彼の失敗といふもの (頁上部に肖像画など) ─ 34 ─ (53) 智力の衰へた爲でない といふことを證明を得た。 〃 〃 最も明らかなに 〃 1777復活祭の前晩にロンドンの 一流の本屋70人から成つてる 會合を代表した 彼は任事をする ことは少しくちうちよして居る けれども彼は応接した。 英国詩人の刊行が計畫中 で 書いて貰ひたいと来た さつそく 非常に適任なしごと 一部は書物 とざされた出所から 出たものであつた。 古い三文文士街の傳説 におさまつて 教會の地下の墓所よこたはつてる もうとつくに死んでるやうな (頁左側に肖像画あり) (54) 今は忘れられてるヘボ詩人等の話から バトレなどの才人とかたらう たことのある 両時代の戯曲家の脚本ヲ 作し 台さしに解しやくしたCileber 〃 〃 〃 〃 といふ人から 交さいしたことのある Orreyから あまり名譽ともならぬ助力を PopeになしやSovage から、 それ故に材料の富□なる 頭を持つてしごとに取りかかつた。 小詩人の傳記はたヾ一パラ 位づつ 最大詩人には五六頁ニとどめ (頁上部には「Gilbs」とあり) ─ 35 ─ (頁上部には肖像画あり) (頁左側には肖像画などあり) (55) て置をつもりだつた。 批評 せまきみぞにはんらんする 豫定ノハンヰニ オサマリ 始めはわづか数行に 止めて置くつもりであつた 十冊 著述 なる程小さなあれど 密刷ではないが 始めの四巻は 詩人傳は □すぐれた 〃 話は小説程に□面白い 〃 人生人間の性状について言ひること かんさつ 〃 〃 〃 眼識あり 〃 批評は往々大そうすぐれたもので ある。そしてひどく腹立たしい程不当 であるやうな場合にでもけんきうする べきかちあり (56) まちだつて居ろう ばかばかしいものではない。 見 せん□もてそくばくせられ又 〃 か 詩的感情は□けて居たが 〃 力強い 必性の はんだんであるのだ。 かちべきある 〃 〃 幾分づつ どんなに悪くとも 何もらかを意味するといふことは 〃 現代の批評としやうせ られてる多くはこれを要求するけんりの ない稱讃である。 (頁上部に筆記体で「wanted」とあり) (頁上部と左側には肖像画などあり) ─ 36 ─ (57) サベヂ傳を17744と ほヾ同じままで再版した。 savageのでんを讀んだ後に他の詩人傳をよむ人は誰でも むく 文体を きようぐうが 年を取ることが少く口をきくことが 多かつた。 間を 〃 〃 ねんいりに文章を作ること に をやつて居つた間についた 〃 文体のくせはい前程 目につかぬやうになつた。 語法は以前にかけて居たやうな 対話的な平易な風をそなへて 往々 ゆ し□くれ 〃 け にでも見わかかつけであろ 〃 気がつかぬことがないの であるのた 傳は nearly=ごとく (頁上部には肖像画あり) (頁左側には筆記体で「Daia□」とあり) (58) この大□ちよじゆつは 〃 すぐ人気をはくした よほどせいとうな非なん よほど不せうとうな もつとも非難するやうな人でさへも 我知らずその書物には る ひきつけら□のであつた 〃 利益を見つもつた 著作は 初めはごく ─ 37 ─ あつたんで彼は けいやを□むすんだ 出来上つたものから どれほど 彼の約束をこえたか (頁上部には筆記体で「This is a」「a」、肖像画などあり) (頁左側には筆記体で「Macaulay」、肖像画などあり) (59) を知つてわづかに今百ギユー はしなかつた あなどりはあなどるやうな風 をしなかつた。 彼の強い常しきと 長いけいけん 自分の 利を保護する資格を そなへて居る筈であつたか 文学上のかけひきはきたいに 下手でふしゆびであつたらしい。 彼は概して いはれて居た。 すでにせい及する元気 〃 〃 〃 もない程の 機けんを うつたものもいくたりもち 言 たつた あげて□ひば 〃 かちある物でも (頁上部には肖像画あり) (60) 言ふのは 遺名に対し 少しも不敬なことではないのだ。 今は72才 加つて来た 老衰がしきりにつのつて居た からざる 恐くなくして決してさくべ□ける 〃 〃 〃 事件は近づいた 蔭影 しばしば長じゆのざんにんな價を 拂へねばならなかつた。 さいさいくりかへしの出来出 ─ 38 ─ ことを失つた。 不思議な寄宿者 保ごしてやつたりそして 〃 〃 その缺奌にかかはらず彼は 習慣で深くあいちやくして居た 一人一人死んで行つた。 (頁左側に筆記体で「reza」、肖像画あり) (61) そして彼の家のひつそりとした う 中てあつてどなる技そうぞししさも 〃 〃 をしく思ふ 競技 親切なかりようあろ もう死んでしまつて居た もし彼の妻が置かれたならば つがうよかつたであらう 生 併し□きなかへてねたましく思つてるやうな人々の笑ひ 〃 草と そして世の中でいかなる ものでも彼女を愛してる 老人の眼から彼女の墓 にそそいだいたましい 涙を流さしめたのであつた。 いろんな尊敬すべきとしたの ゆかいな特性を有しながら 獨立してるやうに出来て居なかつた。 (62) 自分の精□□一そう しつかりくわんりといふことか 彼女の名ぼには 彼女が彼女の夫 しりょあるしつかり ささあたることには彼女の 〃 の しゆみ□ままにさして併し 〃 爭はれぬ主人であつた よくせいせられてる間は どんな悪い缺奌 でも ─ 39 ─ 失礼な冗談 むじやきなうそ しばらくしねてること位で あつたんだ 死 もう□んでしまつてそして 〃 ゆうふくなくわ婦となつた 非常にびんかんな うつりぎな気まぐれ ふんべつのとぼしい判断力 (頁上部には肖像画あり) (63) 彼はすぐにBreseaから また音楽の先生と恋におちた。 何んも賞さんするとこは見 多 彼女の自負心又他分 〃 これよりまさつたる感情 がこの□不面目な情慾 〃 に対していたくもがいた。 そのもがきはしんけいをいらいらさた。 気しつをねじけさせそし けんこうをも危くしたのたでな 彼のせんたくはジヨー のたんさんせひ しつて 彼のかんしを のがれたくなつた (頁左側に縦書きで「陽気なこうきげんに終る」とあり) (64) 彼に対するたいどは 一変した れいたんなこともあれば おこりつぽいこともあつた。 彼が さつたときは よろこびをかくすことが 出来なかつた。 おかへりと□たつてすすめはしな 〃 かつた。 ─ 40 ─ か そしてもし彼がまれ□れず 〃 て来るやうなことがあれば せ 彼はもはやさとられる 〃 やうに彼を (頁上部から左側には筆記体で「Athena」とたくさんあり) (頁上部には筆記体で「Geltn」とあり) (頁左側には筆記体で「seschlossen」「Teschlossen」とあり) (頁右側には縦書きで「お宮宮 宮下利一」) (64・65頁のノド中央部に肖像画あり) (65) 與へたきはめて明れうなる ヒントをさとつた。 彼は最後に自分で設けた としよしつで の一章を よんだ。 それからあとできとう に於て その家人を神の保ごを ゆだねた 彼のこゑを 力づよき五体 感動を持つて 永久に 愛して居つた 家を永遠に去つた うしろな しりぞいた。 そこで彼の尚のこつてる わかか 不幸な餘命 がつきたのである (頁上部には「宮下」「宮」とたくさんあり) (頁上部から左側には肖像画あり) (64・65頁のノド中央部に肖像画あり) (66) 中風にかかつた 併し智□的能力を 〃 少しもそこそふたらしくはない 〃 併ししつぺいがしきりに彼を □□ ─ 41 ─ 水腫のちやうこうが あらはれて来た 病気のへい発症のもとに 衰へつつある間に 彼は最初の十六年間の おもなる幸□だつた婦人か 友情が 彼女をののしりつてる しんぶんざつし ハムレツトの2つの画像 (頁左下には縦書きで「茶話」とあり) (67) ひきあいに出した記事で 一杯である 彼は熱心に彼女の 存在を 彼女の言を口にしなかつた。 彼の眼にふるる 彼女の記念は皆火に い 投じてやつた。 〃 彼女はその間に 国人の嘲笑叱罵 か のらのがれてそして彼女の 〃 国へとと行き レモナード會の そう人の名と彼女の名は 分つことの出来ぬやうにれんけつ されたる偉人がこの世を去つ たといふことをきいた。 (68) 彼は 彼は精神的又からだの上の □苦つうにも不拘やつきと 〃 なつて生命にしがりついた。 アイドラ□の連ぞくを こ ─ 42 ─ とぢると□ろ立派ないんき 〃 なろんせつにのべた感情 最後の時期が近づけるときく 彼には 彼は楽に呼吸することが思つた し南の土地では一そう のひのようを気づか はなかつたら に向フ多分出発した のでせう (頁上部には「彼」とたくさんあり、墨らしきもので塗られている) (頁上部から左側には肖像画あり) (69) 実さいしはらう支力があた。 2000ポンドを貯金して居た。 た 彼が幾つりかの出版屋の 〃 財産を作つてやつた勞力の もたらせる結果であつた。 併が彼はこの貯金に手に つけたくなかつた。 彼は ちよきんがあるといふ ことをひみつにしてさへして置き たかつたんであつたらしい。 友人のうちには政府□について 〃 年金を三百ポンドに増して 出来ればよいと思つた。 併しこののぞみをむなしくなつた。 今冬英国で過そうと 決心した。 (70) この冬は最後であつて 後 呼吸が短くなつて水ハ 苦痛に対しては勇敢だが 死といふものに対して だんだん深く切解させたて 〃 行つたがすぐ水は ─ 43 ─ くつををやはらげた の幾日かの間 かのやさしいかんごは うけなかつたが 淋しくとりのこされたわけでは な あかつた もつともえらい 〃 内科外科の人迄にかかつた。 彼からちれう代を受けなかつた。 感動もて彼から別れた。 病室によく坐つて 病床につきそうてかんごさせ た。 (71) 老人がが父のごとく親切 は て持つて可かいがつてやつた 〃 と口に立つて泣いて居た。 又Sanztowその信信深いことは かやうな時に於ける り たる たるしかくをそないて居た 〃 友人としての最後にジヨンソンの ジ 握手ヲ受ケる し おそれられて居たそのうゆんかんせまつて来た時 〃 黒きくもりがかれてしまつた。 □ いつもいなくやさしく 死のかなたに構たはるもの 彼は彼のめぐのChristの 讀罪たくさんにかづ (72) おちついた気分で に 著名の人彼がそのでんき 作者である ほふむられた かんとくといふことは非常なせきにんである なんと□言いましたか。 ─ 44 ─ 両氏は時には勞動に少し つかれるに相違ないと思ふ といふことを言つた 駄獸だと director 一方に於てすすめた 校長 あなたもおあがりね君 私が彼のコツプに二つの かたまりをおだやかに (頁上部には「□□」、筆記体で「obser」とあり) (頁上部左側から真ん中には「ねえ」「ネエ」たくさんあり) (頁下部左側には肖像画あり) (頁真ん中にかけて朱書きで三本線あり) (73) ゼひ私に話をしたいと言つたのであつた 実さいどうゆう題目についてですか おさしつかいなければ これといふようなものについては 語らなかつた。 色々の問題についててすか それにつ□て話 私に言つた おばあさんの看とくしやべり相手 が勿論そこに居たでせう 二人ぎにになる光榮を それはけつこうでした。 言つた。 それについてわるく考へる人は恥ぢか がいい 私はその私の隣人を少し知つてるんですよ その場合に ごくくだらぬことについて 長々とぎろんに耳をかたむ けながら長々しいきかせながら (頁中央部には朱書きで「Professer」などあり) (74) ソーフハ理由は何であるか 彼女はあなたの性格を さぐつて居たんだ。 ─ 45 ─ 君の詞奌をみつけたか 無論 さぐりを充分入れる婦人は 胸にあるはかり知ること の出来ぬ感受性の いづみに達する 胸に血がさはぐやうに 頬があたたかくなるやうに 或る女はそれが出来ませう。 ルーターはそのうちの一人で あるか さあ正直話をしなさい。 まだ若い恐らく君よりは 年上だ。併していしゆくな妻の 愛に母の親切加へる ぐらひはの年齢である。 〃 (75) 君に非常に気に入らないか いや私の妻は妻らしくあるりだ 〃 半ば母上らしくありたくない ト思ふ 年とりすぎて居るか 他の奌に於て私にてきとう であるならば一年たヾ一日も 年上であると思はぬ ウイリアム彼女が君に適当 でないか彼女きもちのいい女 ではないか 個人としては 全くさうだ彼女の髪顔は まさに私の賞さんしてるものだ すがたは全くベルギー式だが ゆうびにみちて居る 素□顔は目鼻立ちは どんなにすきか 少しするどいことに口が 内心ニヤヤと笑つた (頁上部左側に肖像画あり) (頁下部左側には「13rooo」) ─ 46 ─ (76) 口のへんには特ちやうがある。 しつかりした奌 ゆくわいな笑ひ方をする むしろ狡猾な なるほどずるそうな表情は まつげのまゆの爲だ君は 〃 〃 〃 〃 まゆに眼をつけ 目をつけたことがない うつむいて居る時を S Sine (頁上部には落書きあり) (頁中央部左側には肖像画あり) (頁中央部には縦書きで「橄欖之実が uLa! 蜘蛛に咬まれた若者は ほろほろと 月の光に散つて行く 空をみつめて舞ひ狂ふ TaRanT 哀れ悲しく舞ひ狂ふ 」とあり) (77) JOHNSON 彼の死んでから 著述の人気 と 多分 のぞいて多いに減じてしまつた。 自分のものとは言はれぬほどに 引き合ひに出しても 文学界さつそく理角せら か いささ□うすらいで来た 〃 併し述の名聲は衰いたが 不しぎにも偉大では Boswellのジヨンソン傳の Boswellの自□ 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 ジヨンソン自身の書中の 及ばぬ程彼の爲に つくした。 かの著述家の遺名は 著述に依つて生かされてる が遺名は著述の多くを生かしてる (頁上部には筆記体で「sentimental、sentimental、senti mental」あり) ─ 47 ─ (78) ジヨ 今でも尚金のボタンのついた 上衣洗はねばならぬしシヤツ を着て日をくばた□き 〃 いきづかい洗 つ 指でこここつたたき 〃 肉をさき 茶をがぶがぶのんで 今尚我々の間にある 死して七十年以上たつてる ジヨンソン程我々 に死知られてる人はない。 〃 彼の智力及びき貭の 変な特色とても彼であつたら したであらう しうようする所の奴を 〃 〃 〃 吾々がwell、knowことは 偉人であり善人であり である 偉大な 善良な吾々の確 〃 だヾ強うするにものだと 〃 いふことはたヾあ公平の 〃 論に過ぎぬのである (頁左側には肖像画などあり) (79) しかしそれはごちそうである。 なんか一方に於てぎろんが 彼女の周囲に行はれてる さいに 手に何かほかの 婦人□□どとさ持つてる時に おちついてあみものをしてる 姿をして□して坐つてる。時に 〃 〃 〃 彼女をごらんなさい 最 ぎろの際中において 〃 性格のせい格とくちやうが 〃 〃 〃 興味 表はされる重要なる□ぎの 〃 〃 ─ 48 ─ 奌 が詳論せられるのだ ぎろんに彼女が加はらぬ。 彼のけんそんした女性的な 心は全くあみものに熱中し てるのだ 彼女の顔は少し もうかかぬ彼女は□さんせいの 意を表して 不さんせいの 表して しかみかほするのでもない (頁上部には「見な」「目の保養」とあり) (頁中央には筆記体で朱書きで「Professer」とあり) (80) きんべんな しごとが好きだふりをしない よそはぬしごとをせつせと やつてる。 彼女がこのさいふの しごとが出来さへすれば ギリ形の少い 〃 〃 彼女にとつて充分だ。 誰かの男の□人か 〃 倚子に近づいてもより一層 おちついたやうす やさしい 顔にあらはる 顔、全体のすがた 〃 〃 〃 〃 彼女のまゆを觀さつせよ 片方のまゆにいく分猫 ありはしまいか言つて もうひたい (頁上部左側には肖像画あり) (81) 私の最初のきくわいを 心かけて注意して見ませう。 まぶたがふるへる しばちよつとそうすい色のまつげは 〃 〃 ま上げられるであらう まつげ(まく)の下の下からちらとながめる ─ 49 ─ 青い目が ざんじ せんさく てきのに眺めませう。 〃 そして又視線をもとにおさの 一体けつこんするでせうか けつこんですつて □小鳥が一緒になるといふのか 〃 勿論彼女にてきとう けつこん 意志でもあり決心 である。 彼女程自分の與へることの 出来るやうな印象を彼女程知つて るものはないし しづかに人の心をなやますことを 好むものはない を 君の心にのしのびあしの跡□ 〃 のこさかつたつもりならば、私はご解してると 思ふ (82) あしですつて とんでもない。 その上を 私の心は人のあるとくいたでは 〃 にあるかれる ない。 併し びろうどのやうな前足のやはらか な感じは胸に害を與へない 私に與へて呉れぬ 彼女は全く□けいしきと 〃 遠慮一奌ばりだ。 先づ手始めにはそう□んだ。 〃 尊敬をけんちくのどだいたらしめよ □愛情を階下たらしめよ 愛を階上たらしめよ □ロイターは じゆくれん 〃 せる建築家だ。 興味、興味といふ奌はどう その奌を考へたことでせうか ─ 50 ─ (83) 石と石とのせめんとになるでせう。 吾々は女学校のことを論じた から学生達はどんなで あつたか。 若いものの間に何かりつぱ なけんきう材りようはなかつたか。 十八世紀の英国 (頁左側から下部に肖像画あり) (84) Oliver Goldsmith 昔からもつとも愉快な たものであつ 長くアイルにおちついて居つた たいがいの他の新教の サクソン人の コンランせる時代にあつては 土著になやまされ □ 恐□く 〃 そ せられた 〃 の 新教とサクソン人の 〃 家に生れた 教 かんとと管官の学校で 〃 先生 校長の娘に愛着し けつこんし、僧職につき 一部は 得た所のもので (頁左下に肖像画あり) (頁右側に肖像画あり) (頁右下には筆記体などで「first」 「first」 「first」、 「first」 「A t first 」「At first」とあり) (85) その場所は当時は 実用的の目的では 後半が過された 都會から ─ 51 ─ かけはなれた 今日 開拓地 と同じ 位のも。 今日ですらその詩人の だんじやうちをたづねる やうな 一 家は□□の あとの方の部分はかちで やらねばならぬ。 田小屋は大通りから 村〃 〃 雨がふると 小路どんな二輪馬車こなみぢんに くだけてしまふ どんなに丈夫な車輪でも ひつぱれない程なみ (頁左側に肖像画あり) (頁下部には筆記体で「P□□ 」「first 」「first」「first 」「firs t 」「first」「first」「first」「fer」とあり) (86) ですか 性格の研究ですか 〃 〃 〃 少くとも私の思ふところでは□めづ 〃 らしい性格の研究材料でした。 併し人は最初の會見に依つて 多く見ぬくことが出来ぬ アア 分別顔をしてる 用心深いそうな顔をしてる どうだね 人々の 少し 恥かしく思ふことはなかつたか 併し 私は□我にかへて 〃 それそうとうのれい□せいを 〃 もつておつたのだ。 信ぜられない。 信ぜられないかもしれないが 天使であるやうに思つた。 彼等はそのなやうなまよひのもとに 私を長くおかなかつた。 一番年とつた一ばんうつくしい まよひをさまして呉れる勞を ─ 52 ─ とつてくれた。 (頁上部には筆記体で「coqnell」、「ゲート」、縦書きで「黒丸 」「黒丸」「黒丸」 「黒丸」「黒丸 」「黒九」 などあり) ( 頁左側には筆記体で「sang」 「 sang」「Kin」 「 kin」 「 kin」 「 sung」 「Kind」「sang」「kind sung」「kind」、書き込みあり) (頁右側には縦書きで「黒丸 」「黒丸」「秦話」とあり) (87) 即チ非常□□けんめいな行動を 〃 したので、五分間ののちに 少くとも彼等を彼等のありの ままの人間としてわかつた。 即ち□人のver 〃 〃 〃 非常なあだ女 いつも教會の前 散歩に於て いつもまつさきに居る つぐ□ 〃 〃 〃 立派な色白の金髪美人 美しい おてんば 全くそのとほり 可愛らしい 藝術家むき 一緒になつたらさぞ立派なグループを作すでせう。 ウーラリーはーおちついた (頁上部に肖像画あり) (頁左側に肖像画あり) (88) まつたくたくなさんあるかみ 〃 の毛をどう處□置する 〃 そ アーム 〃 〃 〃 富□な髪のみを モモイロの頬 いたづらげた 天女の周囲には なんといふ黒いかみの毛 美しい 君の国のバイロンなら この女をすうはい ─ 53 ─ 詳しかるに君は冷せいなつめたい 〃 島国人は こんなにすぐれな美の人面前で (89) げんしゆくなつめたいつれない様子 〃 〃 〃 〃 をして居る。 校長の熱情を私がほんとう の□と思つたら笑つただろう 調るには人口的の 〃 〃 〃 〃 (朱 書き) そ よ□ほた頂天を 〃 示す何も□かがある 私は彼が私のけいかいを解く 相手の心に応ずるやうな をとらしめ 態度になつて来るやうにさせる 〃 〃 〃 〃 〃 熱をよそうた 次のやうにつづいて どうだねウイリアム たつたる美術はスバラシイ美しさと 比かくされるならば 下びた平凡なものに見えはしまいか (90) 小供であつた時分 の 一年□2百ポンド程に成る収入ある 〃 〃 〃 〃 すいせんされた。 Weミンス州に於ける 〃 〃 だから すてて 人通り多い通に沿ふ た家廣い 〃 学問字を教へた 〃 〃 七才で 休職給 宿營係 教へぬことにして居た。 そして出れいのについての放 〃 おどぎばなし かしらでBalと しつしする ─ 54 ─ Sa Heなどといふことについ ての話は無じんぞうに 知つてる、 (頁上部に筆記体で「Venus」「banshee」などの書き込み、肖像画あり) (頁左側にも「Venus」などの書き込みたくさんあり) (頁左下部には肖像画あり) (頁左下部には「Le□ him」) (頁右側にも肖像画あり) (91) この人は新教を奉じて居つたに ちがひなかつた 土著のものだつた ばかりでなく即興とに詩を 〃 アイルランド語の 作るることが出来た。 若い時 熱心なる ことにcarubanの一著生崇拝者で通世 〃 作曲 たてことの最後の しらべをいくたびも 聞いた□ことがあつた。 〃 ホリバーは英国出 であつたが 英国ノ国教と いくたの奌 によつて 彼の時代に アイルランド□支配する少数なる 者の ものが支配さるる 多数のもの (頁右側破損) (頁上部には肖像画あり) (92) を見ないけいべつ的な反感を持つ てしたが そのかんじのけいせきは ないといふことは附加しねば ─ 55 ─ ならぬ 又実さい彼は彼は 彼の属する階級が有する 意向□ 〃 (頁左側破損) (頁下部に肖像画あり) (93) 客にぶどう酒も亦気に入るかどう かとたづねだ 勿論気に入りますと客は答へた もし自分が私のお金に対して 何かよきものを持つことが出来る ならば 彼が□自分にすべてをよく 〃 呼ぶはじめた後に 彼は □□ 〃 〃 しかもすりへらされたおかね 〃 〃 を出しかくしからだして 〃 〃 〃 ここにお主人よ私の 金があるその言人は言つた なんですつてと世人は言つた 君は私に対して 一ターレル 拂ふべきであつたのではありません かその客は答へた私は 一ターレル (頁上部には「ていねいにたづわだ」) (頁中央には筆記体で朱書きで「Professer 」「ドイツ」とあり) (94) 彼の 〃 〃 17才にオリバーは免費生として 大学へ入つた 免費生といふものは 食料授業料は少もはらはずして 宿舎費はごくわづか費つてなかた 併し小使のしごとをやらねばな 免ぜられししまつてるが にはをはいたり 特待公費研究生の ─ 56 ─ 皿のかひをやるとか 学校のかんり者の ビール等ついでやつたりなぞ したのであつた やねうらべやでがつしゆくして □つらくがきした名 (95) 彼の能力より劣れる能 出成して上院 ビシヨツプ に 大法官となつたり 〃 多 なつたものも大くあつたのだ。 〃 彼の過 のちじゆく 使ゑきをうちすててしまつた 彼は学業をおろそかにし 試けんはいつも成せき おどけのまねをする くラスのビリにされたり け ひどくしかられたり 大学のやねうらで町の の爲に うかれた青年の女に迄 ぶとう會を 舞踏會 ざんにん先生に むちうたれなぞした (96) みぢめな みすぼしい 貧苦 放落との生活 みすぼ 〃 〃 〃 との間に分たれたる生活 彼のおあしをのこと死んだ 青年はバチユラーの学位を 得て大学を去つた。 未亡人 隠居した みずぼらし 二十七才 〃 〃 〃 〃 今は何かしねばならなかつた ─ 57 ─ 教育はいやにはでやかの 色の服装する 服装をかささぎの好く 好きだつた したり とらんぷをやつたり 曲をくちじさんだり ふゑをふいたり 出□の話をしたりする 他には (頁上部左には肖像画あり) (97) しごと どんなしかくも 與へなかつたらしい。 〃 〃 〃 それからそれと 五六の職業をやつて見たが 成功しなかつた。 僧職□命式を受けることを 願ひ出た 赤いきもので ビシヨツプの官宅から さつそく追ひ出された 彼はそれからゆうふくな かてい教室師 〃 何かけんか 家を 住 あめりかに移□ 〃 よい馬にのつて 入れて見て大いに 満足した (98) 6週間たつと 一文なしの みしぼらしいろばに乗て かへつて来た きつぷを買つた□が ─ 58 ─ 遊び連中の中に入つて遊んでる間に 順風 (168頁まで天地逆) (99)天地逆 ふはいして居た。 は 一般の觀さつに以上にととヾめておく 〃 一二の特別の人□物について 〃 書きたいと思ふ。 (頁下部には「 ○ 12 「○ 14 QQQQQQQQQQQQ」 QQQQQQQQQQQQQQ」 「QQQQQQQQQQQQQQQ 「QQQQQQQQQQQQ 12 」 ○ 「●」黒丸七つあり) (100)天地逆 いつもだいたんな向ふ見ずな 能ふざけだらしのないバカげた色目 〃 はたしかにいつも最適ななが□ めにこたへるるであつた。 ローマキャソリツク教の奥義に ついては宗教のことから めいしんか 行はれてる□ □ ローマ法皇の国々にかやうに 明らか この早熟な不純なたいどの 根元はローマ教国會の 〃 教義ではないかもしれぬが そのしつけのうちに見いだされ るのではないかとうたがつた。 私は見たことを記すのである、 社會の所謂上流社會に屬して 居た 注意深く教育されて居たが 彼等の大多数の精神的に ─ 59 ─ 15 」 ○ (101)天地逆 そく 親しい交りは学校の規律で 〃 きんじ 一人としてこどくかつやくかいなものに 成るときは友達を得る必要以上 には他人に対し尊敬を拂ふ やうに思ふはれるものはありません でした。 各すべて ざいあくといふ ことは全くしらずに育てられて るやうに思はれた。 世の中の実じつは ムジヤキではなくとも彼等を むちにして居しに用ひられて るいろいろの用意は多数で あつた。 14の年に達したこれらの けんそん 男をまことにほとんど どういたことだろうか (102)天地逆 ことによつて表はされて居た 気風は各個人がめいめいの 利益 熱心につい及することに よつて表はされて居 以外あらゆる他の人の利益べんぎ に対していやしい むとんちやく なたん うそをつくことが利えきであうと 思はれる時に大膽にうそをつくことが 出来た あらゆる生徒たちは うまく行きそうな 場合にはていねいに口をきくこつ をしてつて居た。 〃 な そていねいさが有利ですくなる 〃 〃 やいなや非常に完全なるぎこう を持つてたヾちに □冷たんな態度をすることが ─ 60 ─ 大ぺらばけんかはほとんど 起つたことがない することは一般に行はれて居た (頁左側に肖像画あり) (103)天地逆 多くの有さん階級 伯しやく婦人が居りました。 そし又二人の将軍の娘が 七人の大佐の娘が キヤプテンの娘が これらの婦人たちは やがてうりことなる運命である 若き女性と相並んですはつて居た 上着のものである。 服装はほとんど皆一様 態度はややさべつあり 一ぱんのきそくに列外が あつたが大多数のものがこの学校に 一種の気風を與へて居た その気風はランボウそうぞうしいものであり そうご先生に対する つつしみ □をゑんりよなくとうかんに附す 〃 (頁右上・左側に肖像画あり) (104)天地逆 して私が紙ばさみをあけ そして彼等に自然のままに かかれたる□板かこ□かの スケーチを□すなに□ 〃 〃 〃 〃 〃 見やる間にここを 一ぺつせしめよ。 私はこれらのすけつちを 学校の2学□の教室で したのだ その教室には若い女といふ 類□いの百ばかりの標本は ここに集められたる 非常におなしの種類の 題目をてい供したのである ─ 61 ─ この標本はしゆじざつた のしゆるいで 国に於てことなつてる 教だんに坐つて デスクの上を見下しながら 私眼下に見たのでした。 (105)天地逆 私がルーターの顔に 日々私は理そうと現実を比較する 新しい世かいを 性格 とう着する以前に女性の心理に 〃 〃 ついて何を知つてたか ごくわづかである。 私の考はどんなものであつたか ボンヤリした淡い薄い キラキラしたものだつた。 女性に接するやうになつた時に 女性は十分手ごたへのある ものだといふことがわかり 時には又非常にかたい そしてしばしば重 女性のうちには鉛や鉄の金属が 含まれて居た。 この世の天使又人間の花につい て理想家であり夢想家を (106)天地逆 私は彼を驚かした眼つき 反問的のあなたはどうですか 作り笑ひをしました 單にぢやうだんを言つてるのだと断言した 恐らく彼をまじめに考へて居たの であらうかどうかたづねた 丁度その時ベルが鳴つた 遊ぎの時間が 文学の句を 節 習慣になつてる ─ 62 ─ 役たず 立ち上りながら出かけぎはに 陽気な曲をくちずさみなから出て行つた (107)天地逆 問は私をどぎまぎさせた。 所が私は私の校長が正当であり 立派なである所のものに反する所の 〃 しそうねがひを私の心のうちに おこさせようとして居るのを 校長自身にはよくわかつてる 理由だが私にはその理由を みぬくことが出来なかつた。 不正な見そそのかし反□抗ざい 〃 〃 のききめを表はした。 ことに彼が次のやうにつけ加へた時には そうであつた。 いづもれたくさん財産をやがて 所有生するだらう 〃 紳士的若い青年は一寸口を かければ。 三人のもののどれかの手なり心なりさいふ を自分のものをとすることを得べし 〃 (頁上部と左側には肖像画あり) (108)天地逆 うんどうどう 〃 きくね 動鈍物としてなぐりつけられ 〃 するに 嘲笑したやうな人たちは 若い時代の出来事を回想したり 又実さい彼ら落ちた ろまん反等 これらのものがそのやうには ほとんど気づかれなかつたか 二十数年後には作製した ものとそうぞうせれ 態力を示すやうに たい 今更の如く ─ 63 ─ (頁上部に筆記体で「(Toldsm□」とあり) (109)天地逆 従事してる 私は運どう場 しわがれ聲 今でも聞くことが出来 郡 当意即妙 (110)天地逆 時に この悪いやつめが どこにゆくか こごとを言ふために 今について 〃 〃 〃 〃 〃 居間に ペレー氏は彼がたきぎの 赤々ともえてる ゆかいな 客間をに私を案内をして 〃 〃 時節柄ストーブは取りのぞかれた からである。 12人分のカヒーを注文した 〃 間もなく彼と私はコーヒー入 れとさとう入と2つの 大きなとうきの 丸いテーブルを2人の 間に置いて 一人づつ英国流□安易 さで座つて居た (111)天地逆 (肖像画などあり) (112)天地逆 (筆記体で) K、miura STsushima Miura STs[ ] ─ 64 ─ Miura Miura S.Tsushima S.Tsushima S.Tsushima Miura S.Tsushima S.Tsushima S.Tsushima S.Tsushima (113)天地逆 (筆記体で) For japanese Boys Be Bra[ ] sung friend! STsushima L、2 JeogeⅢ For □ japan S8S (112頁の文字「miura」がうつっている箇所あり) (114)天地逆 (筆記体で) S.Tsushima Suji Tsushima (頁全体に肖像画などあり) (115)天地逆 (筆記体で) America America America Amer (頁全体に肖像画などあり) (114頁の文字がうつっている箇所あり) (116)天地逆 もしばしぼ起つたことだか 私は尚一更光榮をになふことに なつて居た。 ─ 65 ─ (筆記体で) L □ Lal L □ Loboar Lve □ soleminty solemnity (117)天地逆 天上の或地上の□ 〃 あらゆる事物に対して 非常にきやみなげに れいたんに むとん着なやうな頭をして居た かつたなら らんぼうな子供のあとをつけ ねばならぬ義むの爲に 大いに 享楽 実さい 私は 自由を だ たしかにそこに見えざそうと 〃 思つて私の部屋に上つて行く 角にひきかへした時に 特けんを持つてる生ひきな ものとして自分をはいせきし たいやうな気になつた。 その□は以前に (118)天地逆 □しゆしやうぞう画 〃 〃 と程 〃 醜悪な□もみにくい 〃 顔をして居た しまらそうなみよりひ□どく 〃 彼にその痕足をのこした 彼の身長は短つた ─ 66 ─ ぶかつこうについてる 子供の間にあつてようぼうの 缺 奌に対してはやさしい 思ひやりがない。 あはれは に対する 嘲笑は 格とくべつな性貭 単純な気貭 最後迄直らなかつたものごとを しくじりがちなけひころ ひ頃向に依つて尚更高め られたのであつた。 先生や生徒はふつろうの 〃 笑ひ草になつて居た (119)天地逆 屬 彼ののこしてゐる階級の 〃 〃 〃 〃 意見特感情を友にいだいて 〃 居ることは ないどころか 〃 〃 〃 〃 〃 〃 実さいない かくかくだ 不きうの遺然に対してなどいふしゆく杯の 等いふ ことはかんぱいのきらうのて居る 〃 位にあつた時でさへも こくふくにあらざれば 何ものも国家を投ふことが出来ぬと主張した □つい□せられた王朝の 〃 クーターマスターの開いてた みずぼらしい学校から59つの 〃 手にうつされた 二三のgrammar schoolに 行きそして□い語学を 学習した 幸ふくどころではなかつたらしい 彼は今 にあるみごとな (頁上部と左部に肖像画あり) (頁上部には筆記体で「good good ale (頁中央に朱書きで筆記体で「Gold」とあり) ─ 67 ─ good good」とあり) (120)天地逆 彼はスープ□□も 〃 たべさせなかつたでせう 実さいへんぱだが丁寧な ペレーはあたまを振つた ばかりであつた そして私が私のせきにつき 異端ノ食前のきとう 丁ねいに人参の 私持つて来させた 皿がはこばれてしまはぬさきに 私に最初料理である 一人前をとりのぞいて置いて はしり出た かはいそうにもし彼等が (頁上部に肖像画あり) (121)天地逆 (頁が破られている) (122)天地逆 (頁が破られている) (123)天地逆 そう私は考へたか あとになつて私は にふつた感受性 鈍感□はしんけいしつに一致する 〃 ものだ。 実さい私はずるい小さい政策家と 私のやどに歸るとなかば をへて居るといふことに気がついた。 しておくれてるといふことは 〃 日常規に反することであつた 〃 スープがもち行かれ 料理の始つたのちに もしおらんだの助教だつた □らばペレは で 大公の人前の恐らく 〃 〃 〃 〃 ─ 68 ─ 叱りつけたと思はれる (頁左側には横顔肖像画あり) (124)天地逆 私を失望さした ペレーの□にかへりながら だんだん 小さい婦人を見てごらん 彼女は小説家かローマンメ作家 のやうでないか 諸君か 詩や小説に書かれたやうな 婦人の小説をよみたいならば 人はその婦人の性格といふもの□ よかれあしかれ情操からなつてる ものだと思つてのだづ 一 ここにつつのお手本がある 〃 しかもそれが非常にふつべつ のあるそんけいすべきてんけてだ。 その重な ちう象的の理性 である。ゾライドルーターよりも こ もつとれい□くなtarenrは 〃 これ迄なかつた。 (頁左側に肖像画あり) (125)天地逆 しまふことか少し来たのであつた。 ひきわけであつた。 私は更に部室を立ち去る爲に 手をさしのべた手を與へた あまりにまともに 彼女をして私に そのまつすぐな視線を 與へさせるつもりで 最後の試驗は私に反対に行く し 彼女を見出したままにのことて置いた。 〃 即ち彼女はつつしみ深く そしてやさしく落ちついて ─ 69 ─ (頁右側には縦書きで「理智 理智 理智 理□」とあり) (126)天地逆 ゲームをたのしんだ。 そのけつまつを急がなかつた。 時にはやや弱々しげに口をきり始めて 彼女に希望を與へると彼女は するどいいつもてかヾやきました。 即ち彼女は私に勝つたと思つた のである。 彼女はわき道にそうせる ひきかへして来てそして□弱々しげ 〃 ではなく文章を弱終るのを 〃 私は喜んだのであつた。 そすると彼女はうつもいてしまつた。 〃 どつちとも 遂にばんさんのしらせにしらせに入つて来た 必 そうとうはかやうにして□然 〃 やむなく終つたのでる わかれてしまつた。私に対して 彼女を 私はとにかく かんしやうを以て少さいつまらないつまらないむだに (127)天地逆 頭の上に なんかすきめひつこんだ所 見出そうと思つて今や いろいろのしれんをして居たのであ つた。 このやうに私を誤解して はいけない 彼女の保やうと思つてるのは 愛の勢力ではなかつた。 その時に於ては彼女のあこがれ て居たものはその政策家の勢力 に過ぎなかつたのである。 私は今彼女の学校の先生と して任命された どんな奌に於て ─ 70 ─ 知りたいと思つたのであつた (128)天地逆 るといふことをみとめた この目的に 手かつかをあたへなかつたでせう 顔つきが助けました あいそしいい平凡なこと 〃 私の顔に絶えず向けられた。 視線はまともに與へろれること く はない眼のすみからこつそりと 〃 その視線を一つもみのがさかなつた 注目したと動揺に鋭く 眞の心格をさがして居るといふ ことをみとめ即ち私の とくちやう 計 奌□変つた 〃 奌 をさかつて居た今や て 結果最後に於□彼女が 〃 性貭のせいふくてやとしつ 小さきしつか (129)天地逆 正直さを信じない かくそうと思つてることを知つてるんだ。 ほとんど見わけることの出来ぬ しづかなうつりかはりによつて 態度は変つた。 心配気な事務的な態度は なくなつてしまつた。 隣人らしい態度で 始めた Pele夫妻のことをたづねた 〃 私は小さい貭問に皆答へた。 彼女はその話をなかびかせた 話の多くの小さいまかりくねを たどつて行つた。 彼は長い間すはり多く 題を変つたのだ 私をとどめることが ─ 71 ─ とくへつの時を持つて (130)天地逆 幸うんにも しようする完全な力を 自身に放つてるやうな気がした。 〃 〃 〃 こうこつ即チ最初私の頭の明せきを げんわくさした金色のもや 大部分なくなつてしまつた。 現実がぼんやりした現実 〃 〃 現はして居た所の対照に依つて 私は失望した絶望した。 私はたヾ全く教へられる所があつた 私は不平をいふやうないかなる気分 に於て感じなかつた。彼女の 仰山らしい言葉を微笑をもつてきいた くれぐれも有難うございます。 なだらかに行きました いかがはしい以上の顔つきをした。 □最初の列すべてがこうつがうと行つてる 〃 熱せさせるやうな所のない 実さい時のまなこは 私と爭つてるといふや光を出した。 かくしたいと思ふだけ (131)天地逆 外套だ バスケシト 木の くぎからひつぱり下ろして居た。 幾分ちつじよを実行させやうとして むだであつた所の先生のかんだか い聲が時々聞える これらのらんぼうな生徒たちの 上にはくんれんは少しもなかつた。 □しどうを受けた学校の一つと 考へられて居た。 あなたは最初の授業をやつて笑れた □ こんらんに気がつかない 〃 かのやうに静落ち着いたなだらかな 〃 言ひ始めた 行爲のなんか事情が不平の 理由を與へた ─ 72 ─ か なんにも□くさずないでください 〃 〃 打ちあけてください (頁左側に筆記体で「Berlin」とあり) (132)天地逆 私はあだかも にたヾ 話をしかけて居るやうなそつけないか 〃 ありきたりの聲で 書き始めよ。 さて 始つた 三人の美人が私をしよつちう 少いくだらん貭問と要求しない 言葉を以て私をさまだげた。 ら それ□の貭問なり言葉のあるものには 〃 全 □々ト 〃 彼女が言ふのに 立ち寄り下さいそして彼女は た 女学校に来た時 出て来て 〃 □このドアをあけたまヽにしといた。 入 ガラス器トウ器が一ぱい一つて 〃 戸 るガラス□のはまつてる戸柵から 〃 で 見えるやうに□□食堂しあった 〃 〃 嗅ぐの一部分をなして居た。 彼女は私とそして彼女が しめないうちに通學先を (133)天地逆 た □くさんあるか幾分悪い 〃 かみの毛のみだけてるちぢれ毛を くりくりしてる黒く眼の上にふりみだした 非常に熱血のマルームのくちびる のやうにあつい唇を開いてそのうちに よくそろつた彼一流の笑ひ を笑つて私に見せた。 彼女は のやうに美しかつた ─ 73 ─ が同時に貞潔には見えなかつた。 カローリンは貴族のうまれであつた。 きふ人のお母令夫人である あとで聞いた。 才能に驚かなくなつた。 三人は(たヾちに見てとつたから) この□□ 〃 〃 立派によつて他の學生達を 眼色なからしめたと思つて居た。 五分もたヽぬうちに 表はした。カラ鉄のやうなむとん着の 胸あてをつけた □無かんかくないげんをの 〃 瞼甲をおろした (頁上部には筆記体で「Brus」「Brussel」など書き込みあり) (頁左側には「S□n」「Isttpl」とあり) (134)天地逆 セフと下古てん的な端正的 〃 などうして肉感的顔つきをするのかしらめ 唇と眼がしご事をたくらんで居る 〃 〃 た いふやうに思つし併しその結果も不安の 〃 念をのこさなかつた。 今では肉感的だ 十年もたてば かさかさした人になる 即ち彼の顔色は多くの未来の愚行を なしやうな様子が だ 明らかかか□□て居た 〃 私は少シクチウチヨすることなく眺めたが 尚一□そうチウチヨすることなく 〃 私の眠に動かさぬ眠を上げて そして消極的であつた□ 偉傑大なるみ□に対して 〃 作 たヾちに敬意を表ふやう にきたいして居た。 クスクス一□□に於て 〃 〃 〃 〃 〃 自由なたいどで言つた。 始めにはなんかやさしいものを ─ 74 ─ (135)天地逆 その顔は目立ついきいきとを 顔色は血色のいい 眼にはおどけたやうなやうすが 見えて居□ 成じゆくして居たか からす □ 顔に関してはあざやに 表はれて頭は病的な色 血色の悪いオリーブ色の 顔色をしてる 血色 非常にたんせいな 顔かたちといふものが 多くの人々がそのしよ奌 の一致を 美の完成として見なして (136)天地逆 私か言ふ□人は そこに居るもつとも女らしい顔つきをしてる 人□に含まれて居た。 ここでのべた方がよからう。 せが高い高立ぱな姿をして居た 〃 □美人でおらんだの画かきが 〃 顔かたちはベルギーのまりあの 頭かたちだつた おらんだのゑでウーラリの頭に にてる多くのまりあのゑを見たこと がある。 曲線そして丸々即ちいかなる 情熱をもその青白い清らかな □ふの一様さを線 赤みによつて 見だすことが 細ての オール 中背で丈夫だ ゆうびでない (頁上部に「サワラビ」など書き込みあり) (137)天地逆 おなかがはちきる位おかしい 全くの青二才だ。 ─ 75 ─ さてふたが下された、 そして人の頭が又 私はすでに三人のささやきてを 目につけて居た。そこで私は ちゆちよすることなく その一時的のしよくかう又現はれた 時彼等を凝視した。 づ 彼等のけいそつなわがかのことば 〃 が 彼私に與へて呉れたかは 〃 いちじるしいものだ。 私の恐れて居た考へば黒い 私の恐れて居あまのやうな 〃 〃 〃 〃 〃 〃 ゆるやかにむす 若い者 ほとんど天使のやうなものでは ありあしまいか けいはくなおしやべり けいそつな ささやき聲はすでに幾分私の心から (頁中央には8行にわたって「全くの青二才だ」と書き込みあり) (頁上部と左側には肖像画あり) (138)天地逆 花のやうな顔色 けんこうとさへ見はれる程充分たいかくのいいが たくさんあるやうに思はれた 私は禁慾者のやうに この最初の一べつにたへることが 出来なかつた、げんわくして伏目に なる ささやいた、 書取帖お出しなさい。 ペレーの學校でばん於ての學生 〃 〃 〃 〃 〃 たちに以上のやうにとく本のを□せとは 〃 以上のやうにはいはなかつた。 つくゑのふたをあれる音が した。 れんしう帖を□かし□た ちやつとかくしたあげたふたの かげでは私はベチャベチャささやく のを聞いた。 ─ 76 ─ (139)天地逆 り 先づロイター夫人がすでに外にすべて 〃 出てどこにも見えなかつたといふことを 人即ち先生 觀察した。女の先生は 〃 〃 (女の先生) 〃 私の教だんと同全く同じの教だん 〃 を占めて居た、たヾ一人あ私を 〃 かんしすして居た 〃 彼女はやや暗い所に居たから 私のちか眼では彼女かやせた 骨ばつた蒼白にかほつきをしてる□といふことを 〃 見ることが出来るのみだつた 座つてる彼女の態度は ぼんやりしたと取つ□た態度を 〃 とつて居た 私の丁度目の前のベンチ に腰かけてる生徒は大きな□の 明るい光によつて□照らされて 〃 (生徒の上を)のこ 居つて前の先生よりはもつと明れう と思ふって居た その生徒のうちに141516 少女□居たし 私にはそう思はれたが (□から20迄の若い婦人を 貭素なふくそう かみのゆひかた かてせいに表はれてた (頁上部には筆記体で「on、on 、on、on、on、on、on、on、on、on、 on、on、on、on、on、on、」「son」とあり) (頁下部には筆記体で「some、some 、some 、some、some、some、 some、」とあり) (140)天地逆 だ 教さんのうしろに むかうの教室と 〃 へだて 可能のしきりにくつついて 一つの大きな黒くぬつたワンスをひいた 黒板がありました。 あつ大いチヤウクが、私のじゆげうに 〃 〃 於て生ずるかもしれぬ言葉のかくことに え ─ 77 ─ よつて明らかにするためにつくるの上に 〃 置いてすつた。 その企だてた目的を果した時に その記号が消すことが出来る爲に チヤウクのかたはうにしめつたかいめん が なつてから眼前のベンチに一びつ □與へるやゆうが出来た 丁□度まいぐあひにしめつて居るといふ 〃 ことを確かめるために姿線にふれてから 静かに見上げ私の周囲をゆつくりながめる ぐらい冷静になつた (頁上部に書き込みと、筆記体で「my」とあり) (頁左側には肖像画あり) (141)天地逆 るかというかをたしかめる やうでした、私は彼女が私を 自制のかなり態度にあるといふ やうに判断をしたやうに思ふ なぜか すぐ教室のとびらを 開いた、起立のガサガサいふ 音が我々の入室を迎へた 右 私は□手も左手も眺めず 〃 二列のベンチと腰掛の道を まつすぐに歩いて行つた、 教室の一區域を見下すやうに の 一歩の高さ□教だんにのせてある 〃 からの はなれたつくゑを示めた もう一つの區域は同じやうに 高い所に居る女の先生のかんとく のもとに居つた。 (頁上部に書き込みあり) (頁左側には肖像画あり) ─ 78 ─ (142)天地逆 私はけんけんで知つてるやうに 言つてることは全く正しくあつた 自分としてはしたがふのみであつた 我々は今やだまつて進み出した 大きな高い四角いひろまに 終つて居た そのうちに食事やとだなや 2つのラムプがある 長い 食堂があるといふことを示して居た だれも居なかつた 正面の大きなガラス器は 向ふ例には うたがひもなく教室に通じてる 一対の大きな折戸を示して居た。 ロイター夫人は側面にその眼を向けて 私を見た、多分私□奥院に 〃 つ 案内されてる□落ちいいて 〃 (143)天地逆 であつたらう 心配不安と多忙が眼の 〃 〃 うちにあらはれた即ち げんしゆく あいさつはていねいだつたが きちやうめん 直ちに 平凡 私の深い しめつた冷いタオル をかけた 主人が現はれて来たので しもべがひつ□てした 〃 相ならんで 今 一学級に於て やつて くれでせ□ 書取 讀方は手始めの 一番いい方法であらう といふのは外国語教授の一ばん やさしいやりかただから 先生は自外少々不安に 感ずる ─ 79 ─ (頁左側には肖像画や書き込みあり) (144)天地逆 玄関 となりの家の前に立つた。 間もなく きれいな□色の大理石まがひの 壁のあるここちのよい したがつた。 だんをおりて まはつて ローカのやうな所に出た わきのドアがあいて と共 たつてるやうに上品な 〃 〃 私は眞ひるの光で彼女ノ服装を見ることが 出来た、こぎれいなかんたんなモスリン のガウンが彼女のしまつた丸い姿に ぴつたりとよく似合つて居た 美しい小さいカラー、レースの袖口 瀟□洒なパリ一式のあみ上靴が 〃 その首 手くび足を全くひきたヽせ ました、 併し急に私と出あつた時に 彼女の顔ハ げんんしゆくな顔 (145)天地逆 起されそうであるといふこと考へると うれしさうな心持ちが神けいに作用した 私のこれまでのなやみであつたのは □□□ 無味かんそう 生活の月日の出来ことの 單調なことが ときどき幾分ふんげきを恐らせる 場合でなければ なんら 起さなかつた。 急にわかれ出入口を大またに 歩いて行つた時に彼は私のおとから 彼とく有の笑ひ方をあびせかけた フランス 放蕩者のやうな 嘲笑的な いやらしい ひヾきだつた。 ─ 80 ─ (頁上部と左側に肖像画あり) (146)天地逆 翌日午前はムシウペレ一学校に於ては 非常にゆるやかに過ぎて行く となりの庭へ再び行つてそのたのしい □ふんゑきの間に する爲に 〃 午後が来ればいいと思つた。 その楽しい□周囲といふのは私にとつて 〃 楽しいやうにおもはれたからである 休けいの時□□ こうゆうやうに して時間ががかかつた。 2時を打つサンクードル寺院の 重々しい鐘が私が待つて居た時間を 示した。下つてせまいうらのかいだんの下にとこ 〃 ろでペレー氏にあつた。 たヾただ深ちやうにせよ 〃 〃 やろうとする資格には ならんですよ you know どんなまけん 深に印象にまきこまれないやうに しろ たヾそれだけだ (頁上部には朱書きで「二学期」とあり) (頁上部には筆記体で「yowrll」とあり) (頁上部には肖像画あり) (頁上部には「重、重」とあり) (147)天地逆 のついて居る りつぱな □り合ひ位だつた。 〃 幽けん 〃 〃 〃 すべて單純といふ雄□健 〃 そして雄けんなものであつた。 彼はその重みある 寸鉄的な文を語力強き聲として 正シク活気あるごせいもて これを その語勢及びその聲の ─ 81 ─ 効果は彼のからだをゆりうご かすことや彼の雄べんの とうとうたる彼の雄辨 がたいがいぜんその 苦しいいきづかい大がい おしまいには起つて来る などに□よつて 〃 げんぜらるるよりはむろまてるの であつた。 (148)天地逆 彼のペンは今はふてをとら 舌は活動的だつた。 直接には一□し の上及ぼせる影は全くだぐなき ものであつた。 彼の散話の最高級のもの であつた。彼は強いじやうしき でん話はしきべつ力きち、こつけい 文學及人生のぼう大なる智しき を有し、珍奇のものながたり かずかぎりなく知つて居た 文体に関しては も□る ランブラーのもつとも よくつり合ひのとれた分ほどに くみたてが正しいものてあつた。 彼が 仰々しい文体一致などはなかつた (頁左側には肖像画あり) (149)天地逆 私は ごふ人 私の国のとくけんである 私はいつも要求します。 彼は一寸と笑つて 人のよささうに なしたあらゆることに現れる 一種のおちつきを持つて のきもち そのあ は私を□ 〃 をおちつけ 〃 気に入つた ─ 82 ─ 少しともその晩には考へたのでした。 ブツラセとは再び町に出た時 に非常にゆくわいな所のように思 はれた□かな四円の夜に 〃 その事件のあるそして向上的 な□生涯がその時にもう私に 〃 □つて居るかと思はれました 人といふものはそんなに 感□働されやすいものである。 〃 即ち少くとも人間といふもの が私がその当時あつた やうな人間である。 (頁右側に肖像画あり) (150)天地逆 たのしんで居ました こと更にたそ かれがそのりんくわくを少しく やはらかにした今に於てはことさらに そうでした。そして私はその明暗が それと分らぬうちくらかりの間に 於て彼女のひたいが高い と開い共に□とそうぞうすることが出来 〃 しりよ分別のりんくわくに 於てはつきりしてると共に美いい 性貭が少しほの見えてるやうに 想像することが出来る。 その時にはことに殊にたのしむ 私は立ち上つておいとまする時に 外国の習慣の作法に反対である ら ことをことさ□に手を出した 〃 全く英国式のやである 〃 が親切に 〃 私に握手して呉れた (頁上部には書き込みあり) (151)天地逆 もつと エドワードは □んほうな しつっこい態度を表はした思はれ ─ 83 ─ るがルーターじやうより一そう 態 ろ いろいろと理油をのべいよいろ 〃 の説明をしました。結局自分は 全く私よくのない□気前のよい寛大である 〃 とさへ思はれる人であるといふ ことをうまく示すことを 即ち言葉はむすんだ。 私はすべてのことに同意を してしまつた時に その以上のよち がなかつたからである。私は立ち 上らねばなりませんでした。 もう少しとどまつて居たかつたでせう 何とならば私の小さい□あしが 部屋の外どこへ歸へらねば ならなかつた。即ち そして私はルーター嬢を眺めて (152)天地逆 とりかこまれたくゑきー地面を眺めた。 〃 〃 〃 〃 中央に古いくだものの木に依□つて 〃 両側に中に長い大して幅の広くない手を入れた細長い地面だ。 〃 〃 そこにはひばしがあつた。ばらである 或は花だん□ははるかに向ふの側に 於て きんぐさりであるとかあかしやの こんもりとして居る森の花園であるしばきが あつた。それは私には非常にここちの よいものであつた。なぜ私はにはと 〃 〃 といふものを長い間たつてるから 所で私の眼がそそがれたのはルーター 嬢の花ぞのばかりではありませんでした。 手入れのよくいきをとどいた花だん 〃 を見た時に私の視線に もどしました そして又私は急にはその 視線をそらさなかつた。 (153)天地逆 対して彼女が持つてる いふゑつてん 成る程と彼女はいつた ─ 84 ─ 私もそうだと思ひました。 君あなた私をしてこの家を手放さしめ ないのはこの庭であります しからざれば私はおそらくそれ以来 もつと以前にもつと大きい屋しきにひつこしを したと思はれます。ごしやうちの通り 庭もろともにひつこしことは出来ない。 その□□の他の所では 私ら 出来ないでせう 賛同しました 彼女はたちよけながら申しまし た ごらんなさらないのだ 窓ぎはにいらつして下し もつとよく眺めるために 彼女のあとをついて行きました。 のりだしやうに充分にこれ迄私の 知らなかかつた所である 〃 (154)天地逆 冷やかものでありましたでせう。 この部屋はじふたんがしいたてる 〃 □寝台置とがありました就中その 部屋には□このカーテンには高い が まど□あつた。カーテンがひいてなか 〃 つたので大きなしきとほつたがガラス窓を 更 通して花園を□に一べつせしめたの 〃 であつた。その窓の周囲には つたの葉とそれから又つるが そのまはりにからんで居る。つた。 〃 さんではありませんかとうしろで聲がした 思はず驚いてふり返つた。 美しい小さい觀察室にぼんつとう 〃 大きい部屋につかつかなつた 私のそばに立つたのはルーター嬢だつた 私はそくざに見にかへつた冷静さで おじぎをしてしまつた時に 中々どを失ふことがなかつたから 私はおじぎをしまつてから心地よげな 様子彼女がにはを持つてるので ─ 85 ─ まさつてる奌 に於て會話を始めたの でした (155)天地逆 線じきのストーブ 金めつきのゑのかかつてるかい 暖ろ台の同上のめつきのしてある とけいやその他の装飾品 中央からさかつてる大きな光輝いてる垂飾それから 鏡それから 渦巻持送モスリンのカーテン 美しい目録を完全して居る。 部屋全体のやうすは 滑らかでかヾやいて居ました。 若し広し開かれてるそして 今自分がとほされてるへやに 更に心地よげにしつらへて居る もう一つの更にちさい表はして居る 前の大きは2枚の折戸が□ 私前の眼にあるいあんを與へなかつた 〃 ならばソノ部屋 幾分 (156)天地逆 私はまのなく入口に来た すぐベルを引いたすると又ずきん戸が開 けられそしてその内部に黒と白との 交互になつて居る大理石がしきつめてる 廊下が表れた 壁は同じやうに大理石まがひにぬつ てあつた。一番むやうのガカラス戸 〃 が開いた そ□□ とうして私はくわんた て花だんを見ました。あたたかい春の□夕 〃 べの日を受けて心地よげに見えた。 所は四月のまなかであつたからである。 でそれから私のこと花ぞのの最初 〃 のべ□けんだつた。所で私はしばらく 長らく眺めて居る豫猶を持たずして すぐさまその門番がお嬢さんはおたくに 居らつしやますかに関する私の問にいらし しやいますと答へてその部屋のか ─ 86 ─ さねかを左手をに開きそして私を案内 〃 してその□を私のうしろにとざした。 私は非常によく□ペンキの塗つてある 〃 そして一へや一へやとひろまのうちに 私は入つたのであつた。そのひろまには 白い布でおほはれてるひくと (157)天地逆 いばあさんである何とならば ルーター夫人のむすめだが 恐らく四十才以上であらう。 そうでなくとも即ち彼女が 若く美しくあつても どんなきものをしても美しく なることが出来ぬ ふだんぎのまヽで すがたが上にのつてもけしやう 台 ざつと急がしくわき見しなが ら出発しました。 私はやさた□りんかくのととのはぬ 〃 即ち大きな四角いひたいに てくぼんだいんきな目がある 〃 はなやかさやみり力を缺いて居る やせた の顔を見た。 併しどことなく若い所があつ た若々しさではなかつた かち得るやうな対照でもなく や矢の的でもありませんでした。 〃 (158)天地逆 ムシウペレは 夫人によつて なされた申し出に勿論対対するとが 出来なかつた。かやうな餘分のしごとを しゆうだてす□るといふ許可が 〃 もししごとが申し出されたならば 彼が私をやとつた所の條件ノ 綱目をなして居たから それ故に□日のうちに自由に 毎週□同日の午後にて 〃 ─ 87 ─ ルーターの學校で自由に授業し し□ににといふことが取りきめられた。 バンに成つた時私はその問題について 相談する爲に行かうとじゆんびをしました 私は終日数分ひまなく授業 □問するいとまがなかつた。 今でもきをくしてるがその時私は 部屋を出る前に□何かきのきいた 〃 服装とふだんぎと変つやうかに ついて漸時□孝しました。 が遂にいだぼね折だといふことに 決しました。私はうたがひも なく考彼女は□かたぐるし 〃 〃 (159)天地逆 に 尚私□この場合に 問題のついての 〃 ごく表面の感情は満足の感情 に だつた先づ第一□他の學校で 〃 じゆげうするのは変化だそれから 若い娘たちを教へるといふことは 面白いしごとだらう少くとも れ 女學校に入つて貰ふといふ 〃 ことは私の生涯に於ては全く 新しい出来事でせう、板をうちつけた 窓を眺めながら 花園を とうとう例の神秘的な庭 □□う眺めることが出来よう。 〃 そうして花園に遊んでる 女學生ならびにedenを眺 めることが出来るやうにならふ (160)天地逆 成る程 私は相手をさへぎりました。 といふのはこうゆうやうなおしやべりが 死肉な言ひ週すが非常に私を なやまし始めた。私はペレー氏と 相談して君の希望通りにとり ─ 88 ─ きめられるでせう 感謝してる おや君はもう行つてしまふんですか もう少しめし上りませんか。 やきりんご もう一ぱいコーヒ そのへやから歸りました に 部屋□ 心中に於てひつくり 〃 返して考へて見るその事件は 全く妙な事件のやうに思はれ妙な こ分になされるやうに思はれるといふ のは例の2人の婆さんは こみ入つてゐる 自分には分らぬ 失敗をおばあさんはやつたのた (161)天地逆 世の中は私の子供自分から非常に かはつて居る。相手が答へた 今では若いものはあなたの息子さんや のやうにそんな昔式な頭を持つて居る もとの話にたちもどると マダムペレの が話すであらう 〃 私の娘の學校に於て 貴方が といふ問題と ペレー夫人に息子に話してもらひた いと思つてる その息子に君に 話して見たい 君に私のうちへやつて来て貰ひ たいと思つて居る娘に面會を 求めて貰ひたいそしてこの問題を 最初のペレー氏その人から 君がきいたかのやうあに切り 出すして貰ひたい。 〃 その場合に決して私の名前 を言はないやうにして貰ひたい。 私は決して私はゾライドを 恐らせたくないからだ。 (162)天地逆 ゾライドは注意ぶかい大将だ ─ 89 ─ だから前進をするならば必ず先づ自分の 立ち場しらべる。 若し娘が私が君に娘の意向をすでに うちあけてしまつたといふことを知る ならば娘は□□かばないと思ふ 彼女はそれだけの程度迄 やれと 私に命令をしなかつたから 自分のやりかたは 私は君にひみつをうちあけることに 於て決して□障害はないだらうと思ふ。 〃 まだむペレーも同じやうな意見だつた。 併し君は私たちのいづもをも娘に□裏ら切らないやうに注意してほしい。 〃 私の考へる所では私の娘のこと をいふのだ。 娘は非常注意ぶか□くそして 〃 かげぐちをきくのは非常に面白いもの であるといふ□ことを 〃 私の息子そのままである。 (頁上部には肖像画あり) (163)天地逆 君が思ひやりがあるならば君の ひみつを守り如何におせじの上手だ といふとを駄つてませう。 自娘は君が非常にすぐれた 〃 先生だといふうはさをきいてる 非常によい先生を得たいと 思つて居るから 今日の午後こつちにきて や 君を□とふことが出来るかどうか 〃 さぐりを入れるやうに私にいたくした。 ぞらいだ といふのはゾライドハ全く 女王のやうにふるまつて居る 実さいすぐれた女だ (頁上部には肖像画あり) (頁左下と下部には肖像画あり) (頁下部には「語学、語学」とあり) ─ 90 ─ (164)天地逆 私の友達の 息子さんにしてると同様に それだけですよ 君は私か教室で授業してると 思ひました。 その考が彼女の想像を非常に くすぐるつたかのように。 〃 奥さんは笑ふのがまちかつてる もし貴方が事業をなさらなくても 事業が出来ないからではないと思ふ 急にハンカチを取りだしてフランス風の 上品さを持つておじぎをしながら 鼻の先を□あをぎました 〃 つ 彼女がベルギー人であてて 〃 フランス人 失つて居た 危險なことではないかと思ふ たしかに君を怖れるそのていどに (165)天地逆 私の参會の榮をこふたのは 吾々若し君が賢明であるならば 〃 〃 ぽんすをちよつぴりめし上つて下さい。 彼女の発音によれば 正さんの後に非常においしい 衛生ためになるのみものである。 〃 〃 私はおじぎをしたが更にじたい しました。 つづけて言ひますに おごそかに一すすりしつてから いたくした 私の娘が私にまかせた委任の 〃 〃 〃 〃 仕事を□の重大さを深く感じる 〃 〃 のである。御承知の通り隣り の學校を支配してるのは 私の娘ですよ。 アヽ私は君がしてらつしや ると思つたそのしゆん間に その學校は ルーターの ─ 91 ─ □で と呼ばれて 居るといふことを思ひ出した。 私□して、どういたしました。 (頁左側上部に肖像画あり) (166)天地逆 即ち多くさんのたべものをたへらげて から少しの□□ 〃 〃 一すすりいかがですかと呈きやうしました じだいした。そうではなかつた。2人の ものは 強い一ぱいのポンスウイスキー めいまぜてストーブの と思ふれるものを 近くの台の上にそれをのせ そのべんぎなものの所に いすを引きよせてどうやうにせよと 私に申した。そこで私はそれにしたがひ 二人のまんまん中に席を占めてから 次のやうにペレー夫人、 夫人に話し かけた。られた。 〃 さて用件の話をしましせう。 し始めました。解説して見ると次の 意味であつた。即ち彼女は友達の まだむルーターに重大な 切り出される機會を得るためであつた。 (頁上部には「とを」とあり) (167)天地逆 態度についてわがまヽ放題をゆる して居る。ワイター夫人のおどけた 顔は彼女の口のおきてに 例外ではない。證明するもの であつた。 左りの眼ではまぼたきして ながし眼を使ひそしてその 右の眼は半分しまつて居た。 非常に妙なものだと思つた。 私を食事を共にして呉れと 招待した動機了解しやうとして 二三むだな試をしてからそれを 全く思ひ切りつてしまつた。 ─ 92 ─ そして避くばからざる所の まヽにして置いた私は至つて先づ 一人の人 たくさんに そのもの 菓子コーヒーなどの是非を判断しやう と努めたがらな先づ またたべてとかも なかなか仲々小食ではなかつた。 (頁上部に「容□」とあり) (頁左側に肖像画あり) (168)天地逆 ブラッセル 君ハ いやしい下品なフランスの発音は 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 區調でたづねだ。 ブ どんなに好きですか ベルギーに来て 〃 〃 〃 〃 〃 〃 私はたとへばペレー氏の純粋な巴里式 な発音ベルギー式ののどにかかつた発音との 差を充分區別すことが出来た。 私の顔前ノ人やうなこんな下品な みにくい老婆がどうして女學校の 校長さんになれかしらと なぜかといふは女學校は非常なしやうさんなことばで うはさされるのを聞いて居た 実実さいびつくりされるやうな所があつた。 〃 婦 ロイター嬢人ハシツカリシタマジメナ 〃 ゲンカクな女學校の校長といふよりも 非常におどけた食ひ道楽のおぼあさんの 農夫の妻やどやの 見える 一般に大陸の女は少くともベルギーの おばあさんは全く吾子の 年をめして 居らつしやる英国の ばあさん達か不名譽として ちうちよするやうな (頁上部には肖像画あり) (頁上部には「津島修治、津島修治、津島修治」とあり) (頁上部には筆記体で「S.Tsushima、S.Tsushima、S.Tsush ima」とあり) ─ 93 ─ (裏表紙の裏) (頁全体に肖像画あり) (頁上部には筆記体で「Tsushima、Tsushima」とあり) (頁中央には縦書きで「アドルフ・マンヂウ」「アドルフ・マンヂョウ」とあり) (裏表紙) professer Professer Professer Professer Sir The Kn no Hirosaki High School L、1、1 S.Tsushima (裏表紙の左側には肖像画あり、右側には書き込みあり) (裏表紙中央右には黒い三日月と白い三日月の書き込みあり) (脱漏1) Ito Sensei yamada Sama Ito Sensei Ito Sensei yamada Sama Ito Sensei yamada Sama ya Tanaka Sama Kanagawa 幸にも ジヨンソンにつきしたがつた。 とりあはせが悪いやうに見えたかもしれん といふのは早くからへんけんをいだいて居た。 強い理 ウヌボレ オロカナ□□□ヲイシヤウハ 〃 〃 〃 ブ ハヒの常にブンジンしてるやうに 〃 うるさく思はて たえず常間した。 る 赤んぼと塔たとぢやこもられたら 〃 あなたどうしますか ─ 94 ─ 絶対禁酒家 実さいたひつきりなしののんだくれ 〃 といふてもいい位のものだつた (本文に斜線たくさんあり) (頁の左側に肖像画あり) (頁の下部に書き込みあり) (天地逆に筆記体で「We」「Welcome」とあり) (脱漏1の裏) かやうな両人の間 □全な調□ 恐つてかんしやく玉はれつ 恐つてジヨBowellが平気に恐ルコトヲ言つた 本気になつて恐つてるやうなこと がらをほ すぐに仲なほりした 二十年間弟子はそのしやうを 崇拝し その先生はその間その 弟子を叱り□□笑し又愛した 彼の友人ふつうは大そうはなれて すまいして居た。エデンバルの 開業 地會に會議をしてる 〃 〃 〃 そして折々ロンドンに出かれ (脱漏2) て来るばかり ジヨンソンを注意して觀さつし ジヨンソンが言つた た おぼえ書きを大きな一と□つ 存在してから間もなく 程 よりも 各よいとつて 重要ではないが 重大な 幸福にとつてはすぐに関係を 〃 〃 〃 むすんだのだ。 英国中で最も□□かねもちの 〃 〃 ─ 95 ─ けんぜんな修巻せられたげんかくな 主義、寛大な精神 かしこいしんせつなあいけうのいい ぶえんりよな若いふ人即ち 常に爲す(折)言ふ(所)はすつかり正し いものでない所のことを 併し何をいひ 何をなそうともいつもきもちがい たちの婦人を妻にして居た (脱漏2の裏) (最終行の線を鉛筆でなぞって引いている) ─ 96 ─