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110529Sermon
2011. 5.29 説教メモ 山口道征 ヨハネの黙示録 2 章 1~7 節 「初めのころの行いに立ち戻りなさい」 ●これからの 2,3 章には、小アジア州にある 7 つの教会宛の書簡が掲載されております。具体 的な彼ら宛だけの書簡ではなく、全世界の教会宛の書簡であると何度も申し上げて参りま したので、しっかりと御言葉に耳を傾けたく存じます。これらの教会宛の書簡にはすべて末 尾あたりに、「耳ある者は、"霊"が諸教会に告げることを聞くがよい。」という結言がござい ます。本日の箇所では、 7 節にございます。耳を持つ者たちにこのように言われております ことは、意味深長でして、福音書にも同様のことが記されておりますこと、ご存じだと思い ます。(マタイ 11:15,13:9,43)、マルコでは、「聞く耳のある者は聞きなさい。」(4:23)とあります。私ど もは身体的には聞く耳を持っていながらも、聞くべき事を聞いていないと言うことなので す。「何を聞いているか注意しなさい。」(マルコ 4:24)とも言われております。それこそ、耳をそ ばだてて、御言葉に聞く必要がございます。 ●本日の箇所は、具体的にはエフェソの教会宛です。エフェソは小アジア西海岸にある港町で、パトモス島 にも近く、小アジア地方の中心都市で、パウロがその三回目の伝道旅行で訪れ、 2,3 年滞在し伝 道された所です。そして、そこには、ローマ 11 代皇帝ドミティアヌス(81-96 年)の巨大な大理石像が 建てられてあったということです。 ●本書簡を書き送ることを命じた方は、 1 節に「右の手に七つの星を持つ方、七つの金の燭 台の間を歩く方」とあり、前回 1:20 に関連して申し上げましたように、イエス・キリスト御自身なの です。この方は、七つの教会の中に生きて働いておられる方であるというのです。書簡の受 け手がすべて、「教会の天使」となっておりますが、教会の指導者宛であると考えるのが自然 のようです。 ●エフェソの教会の方々は 3 「よく忍耐して、わたし(キリスト)の名のために我慢し、疲れ果てるこ とがなかった。」ここに描かれた信仰者の姿は、信仰を得た当時のすべての信仰者の姿を思 2 わされるものでしょう。ですから彼らは、 「あなたの行いと労苦と忍耐を知っており、ま た、あなたが悪者どもに我慢できず、自ら使徒と称して実はそうでない者どもを調べ、彼ら のうそを見抜いたことも知っている。」とキリストに言われているのです。「悪者ども」とは、ここ での文脈からは 6 節にある「ニコライ派の者たち」を指していると思われますが、コリント後書には 「こういう者たちは偽使徒、ずる賢い働き手であって、キリストの使徒を装っているのです。」(二 11:13)とあり、教会内の危険人物の存在を明らかにしています。それにもかかわらず、当初 の彼らは、「労苦と忍耐」を持って信仰生活を送っていたと言うことなのでしょうか。今日の 教会の中にもこのような危険な存在があることを知る必要があるのです。「悪者ども」、「偽 教師」、「偽預言者」の存在を。 ●当初の彼らは、健全な信仰に励んでいたのです。私たちもそのような思いの中で、信仰に 4 励んでいるつもりです。しかし、主の言葉は厳しく語りかけるのです。 「しかし、あなたに 言うべきことがある。あなたは初めのころの愛から離れてしまった。」、「愛」は「アガペ」が使 われているそうです。ですから、神様の愛から離れてしまった、と言うことです。信仰を得た 初めの頃は、その神様の愛に生きていた、その喜びに満たされて、他者に対しても、そのよう な行為で接していた。しかし、今はその頃の愛から離れてしまったというのです。主の言葉 はこのように語りかけているのです。「行って、エルサレムの人々に呼びかけ 耳を傾けさせよ。主 はこう言われる。わたしは、あなたの若いときの真心 花嫁のときの愛 種蒔かれぬ地、荒れ 野での従順を思い起こす。」(エレミヤ 2:2) 5 ●ですから、主はこう言われるのです。 「だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改め -1- て初めのころの行いに立ち戻れ。」悔い改めの必要を何度も繰り返しております。(2:16,22 、 5 3:3,19)そしてさらに、 「もし悔い改めなければ、わたしはあなたのところへ行って、あなた の燭台をその場所から取りのけてしまおう。」燭台とは既に申し上げ、 1:20 にありますよう に、教会を指しておりますので、もし悔い改めなければ、その教会を取りのけてしまうと言 うのです。それほどに重大状況であるということなのです。私たち、今日の教会も、心して聞 く必要があるのです。 ● 6 節にニコライ派に関して記されておりますが、 2:14,15 からわかるように、ニコライ派とは教会 6 内に存在した異端ということでしょう。主もはっきりと主張されております、 「わたしも それを憎んでいる。」 7 ● 「耳ある者は、"霊"が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には、神の楽園に ある命の木の実を食べさせよう。」、「命の木」とは神の創造の業によりエデンの園に植えられ たもの(創 2:9)であり、新たなるエルサレムの登場時に植えられるもので、「川は、都の大通りの 中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そし て、その木の葉は諸国の民の病を治す。」(22:2)ものと記されております。 ●命の主に感謝を献げましょう。お祈りいたします。 以上 -2-