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金沢医科大学 教養論文集 vol.43(2015)(PDF-オープンアクセス)

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金沢医科大学 教養論文集 vol.43(2015)(PDF-オープンアクセス)
ISSN
0387-0278
金 沢 医 科 大 学
教 養 論 文 集
MEMOIRS
ON
LIBERAL ARTS AND SCIENCES
KANAZAWA MEDICAL UNIVERSITY
Vol. 43
2015
目
次
大学教育の新しい潮流の現状と課題
-アクティブ・ラーニングとクリティカル・シンキングを中心として- ・・・ 田
中
一
郎
1
金沢医科大学の初年次教育システム -三つの教育手法の統合- ・・・・・・・・・・・・ 本
田
康二郎
7
「クリティカルシンキング入門は,何をすることなのか(1)」・・・・・・・・・・・・・・・ 菊
地
建
至 29
ヴィルヘルム・モムゼン『ゲーテの政治観』(9) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 公
地
宗
弘 51
1
大学教育の新しい潮流の現状と課題
−アクティブ・ラーニングとクリティカル・シンキングを中心として—
田 中 一 郎*
New Trend of Higher Education, Its Current Situation and Challenge
- Active-Learning and Critical-Thinking Ichiro TANAKA*
1.
はじめに
中央教育審議会(以下,中教審)から 2008 年に出された「学士課程教育の構築に向けて」と
題する答申の中で「学士力」という考えが打ち出されたことを転機として,
「学習成果」
,つまり
学生が何を学び,どれほど成長したかに関心が向けられるようになった。いわゆるアウトカム評
価の重要性が叫ばれるようになったのであり,この頃から大学評価・学位授与機構も国際的に通
用する大学の質を保証するものとしてアウトカム評価を強調するようになっている。
それまで教育に関しては,卒業要件単位を満たすに足る授業を提供し,単位制度のもとで卒業
させることが学生に対する,あたかも唯一の責務であるかのように考えられてきた。このため,
従来からファカルティ・ディベロップメントの活動によって大学教員の資質向上,そして大学に
おけるカリキュラム編成やシラバスの整備等の努力はなされてきたが,学生に必要単位を充足さ
せるということ以上の関心は希薄であった。
この答申では,
「学士力」とは「課題探求や問題解決等の諸能力を中核とするものである」と
述べているが,それを実現する具体的な方策としては,
「教育方法の点検・見直し」
, TA の活用,
ICT の活用等の各大学が従来から取り組んできたもの以外では,
「学生の主体的・能動的な学び
を引き出す教授法(アクティブ・ラーニング)を重視」すると述べていた。ただし,答申に付け
られた「用語解説」でも,アクティブ・ラーニングとは「伝統的な教員による一方向的な講義形
式の教育とは異なり,学習者の能動的な学習への参加を取り入れた教授・学習法の総称」と解説
し,それ以上に踏み込んではいなかった。
同じく中教審から 2012 年になって出された「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に
向けて」では,このアクティブ・ラーニングについて「従来のような知識の伝達・注入を中心と
した授業から,教員と学生が意思疎通を図りつつ,一緒になって切磋琢磨し,相互に刺激を与え
ながら知的に成長する場を創り,学生が主体的に問題を発見し解を見いだしていく能動的学修
*
自然科学 Department of Natural Science
(平成 27 年 11 月 27 日受理)
2
田 中 一
郎
(アクティブ・ラーニング)への転換が必要である」とより明確に述べている。その内容につい
ても「ディスカッションやディベートといった双方向の講義,演習,実験,実習や実技等を中心
とした授業」と説明し,その注では各大学での実施例が挙げられている。これらの答申を契機と
して,多くの大学でアクティブ・ラーニングが導入されてきた 1。
時期を同じくしてクリティカル・シンキングにも注目が集まるようになっている。これらの答
申でそれに言及されていないのは奇妙に思われるが,既成のものに対する批判的精神を培う授業
方法あるいはリテラシーのひとつとして,近年においてクリティカル・シンキングに注目が集ま
っているのは納得できることである。これもまた,
「学生の主体的・能動的な学び」を引き出す
のに有効である。
上記の答申でも言及され,また新たな教育方法あるいは手段として関心を集めている e−ラー
ニングや MOOCs もある。しかし,e−ラーニングについてはその学習だけで単位認定しようという
動きはあるものの,その目的は予習・復習のためであったり,リメディアルの手段であったりす
ることが多い。MOOCs については,学外者に対する教育サービスと考えられ,いずれも教育の補
助的・周辺的なものであると位置づけることができ,自大学に在籍する学生に対する教育の中心
を占めているとは言いがたい。
したがって本稿では,アクティブ・ラーニングとクリティカル・シンキングの現状を概観し,
それらの充実と発展を図る方策について考えることにしたい。それら二つを取り上げるのは,ど
ちらも対面形式の授業を改善しようという試みであることに加えて,共通する課題を抱えている
ように思えるからでもある。
2.
アクティブ・ラーニング
アクティブ・ラーニングは大学に限るものではなく,すでに小中高等学校でも実践事例が数多
く報告されている。ただし,先の中教審答申が主として大学を対象としていたこともあり,答申
以降,多くの大学でアクティブ・ラーニングを採用した授業が開講されるようになった。なお,
初等中等教育においてもアクティブ・ラーニングを推進する方向性を中教審が打ち出したのは,
2014 年の答申「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について」においてである。
実際にアクティブ・ラーニングを導入した授業を見ると,理系学部では調査,実験,各種機器
の製作と,その成果のプレゼンテーション,文系学部では,企業の協力を得たビジネス・プロジ
ェクトの構築などがある。
ただし,アクティブ・ラーニングに基づく授業を実施している大学からは,すでにいくつかの
失敗事例についての報告がなされている2。そこで挙げられている事例は多岐にわたるが,多く
は学生の自主性に委ねた結果に起因している。
たとえば,指導的役割を果たす学生がいないためにグループワークが成立しない,無気力な学
生がいるために全体のモーティベーションが下がってしまう,学生の社会性の欠如など,アクテ
ィブ・ラーニング特有の問題というより,通常の講義科目でも見られることがアクティブ・ラー
ニングによって顕在化したと考えられる。
大学教育の新しい潮流の現状と課題
−アクティブ・ラーニングとクリティカル・シンキングを中心として—
達成目標の設定を学生の自主性に委ねてしまうと,それを低く設定しがちになるのは避けがた
いことであるし,教員が過剰に介入すると学生の自主性を損ねてしまう。そうしたジレンマは試
行錯誤の中でしか解決できないのかもしれないが,言いうることは,学生にその授業についての
目標を明確に示し,あるいは明確な目標が設定できるテーマが選ばれるべきである。またディス
カッションやディベートの基礎となる知識をあらかじめ習得させておく必要がある。これには従
来の座学としての講義科目との緊密な連携が図られるべきだろう。
アクティブ・ラーニングは教授法であって,どのようなテーマを取り上げるのが適切かという
議論は別途必要である。これは後述するクリティカル・シンキングにも共通することだが,そこ
で取り上げられたテーマが受講生の興味をひかないものであれば,さらに事前に充分な知識がな
ければ,真剣なディスカッションやディベートが期待できないのは当然のことである3。
上記に関連したより一般的な問題としては,授業時間の中でディスカッションやディベート,
演習,実験,実習や実技に充分な時間を確保しようとすれば,従来の授業においてなされていた
知識伝達のための時間は減ってしまうことである。
この問題を解決するために,反転授業を実施し,講義時間数の減少を補おうとする試みもなさ
れている4。これについては「終わりに」でも触れるが,専門性の高い高等教育の中でどれほど
の効果を発揮するかは疑問としなければならない。
最後に付け加えておかねばならないのは,アクティブ・ラーニングと従来型の講義とを対比さ
せ,アクティブ・ラーニングのほうが上位にあるとする論調についてである。アクティブ・ラー
ニングを推進する論者がしばしば引用するのは,アメリカの National Training Laboratories
の調査に基づいて作成されたと言われているラーニングピラミッド(学習方法を知識定着率の高
い順に並べると,「他人に教える」,「自ら体験する」,「グループ討論」となり,「講義」は
最低となる)である5。これが本当だとすれば,確かに「自ら体験する」ことによって学びを定
着させるアクティブ・ラーニングは有効だが,それと講義は対立するものではなく,既述のよう
に補完し合うものだと考えるべきだろう。なお,アクティブ・ラーニングを推進する議論の多く
で,ラーニングピラミッドの中にアクティブ・ラーニングよりも有効なものとして「他人に教え
る」があることが無視されているのは奇妙なことである。
3.
クリティカル・シンキング
高等学校までの受動的な学びから能動的な学びへと切り替えるという目的にとって,学生に通
説や常識に対する批判的精神を身につけさせることは重要である。この趣旨からすると当然であ
るが,大学高学年や大学院で開講されている事例,あるいは NHK の高校講座「ロンリのちから」
のように高校生を対象としたものもあるが,クリティカル・シンキングはその多くが大学の初年
次教育の中で開講されるようになってきた。クリティカル・シンキングとアクティブ・ラーニン
グの共通の課題については後述するが,それらが異なるのは,各大学で現実に開講されている講
義の中でクリティカル・シンキングのほうは独立した科目として実施されていることが多いとい
う点である。クリティカル・シンキングはリテラシーであり,アクティブ・ラーニングのほうは
3
4
田 中 一
郎
教授法であるから当然であると言ってしまえばそれまでだが,独立した科目としてのクリティカ
ル・シンキングは学生の専攻する学問分野との関係が希薄になってしまいがちであるという点は
気がかりである。
前述のアクティブ・ラーニングについては,2012 年の答申で述べられているように「ディス
カッションやディベートといった双方向の講義,演習,実験,実習や実技等を中心」とする教授
方法の総称と解することができるが,クリティカル・シンキングについては必ずしも共通の理解
があるとは思えない。
アメリカにおいても事情は変わらなかったようで,すでに 1990 年にアメリカ哲学会が次のよ
うな統一見解を出している。デルファイ・レポートと呼ばれるものである6。
クリティカル・シンキングとは,目的をもち,自己調節力のある判断であると解され
る。それは,解釈,分析,評価,推論だけでなく,その判断の基礎となった証拠,概
念,方法論,基準,文脈の考察についても説明できるものである。クリティカル・シ
ンキングは探求の道具として不可欠なものである。
このような統一見解があっても,日本の各大学で開講されているクリティカル・シンキングの
授業には,その力点の置き方によって微妙な違いがある。たとえば,金沢医科大学も参加してい
る「大学コンソーシアム石川」が運営している「いしかわシティカレッジ」で開講されている「ク
リティカル・シンキング」の授業内容には,
「論理学の応用という意味においても,学生のみな
さんにバラエティに富んだ具体的な事例や文章作成を通して,論理的技術の力を習得してもらう
ことが,この授業の目標なのです」と述べられている7。また,中京大学の論理学 B,副題に「ク
リティカルシンキングと科学的思考」と題された授業では,「心理学の知見や哲学的な思考法を
学ぶことを通じて批判的思考の基本を身につけていきます」とある8。
このように論理的思考あるいは哲学的思考を強調するものがある一方で,九州大学の平成 22
年度大学院共通教育科目の,こちらはクリティカルシンキングというタイトルの授業では「クリ
ティカルシンキングとは批判的思考のことであるが,限界を指摘し,指摘した限界の乗り越えを
図る提案を行うという批判的思考は難しいものである」と述べ,
「
「なぜ?」と問い続ける学問・
研究を支えるクリティカルシンキングの態度を体験的に培うこと」を目標として掲げている9。
どのような目標を掲げるのが適切かはともかく,論理的思考を強調しすぎると,哲学では論理
学,数学では集合論や統計学に限りなく近づいてしまい,すべての学生が身につけるべき批判的
精神の涵養という目的から離れてしまうという懸念がある。
いずれにしても,クリティカル・シンキングを初年次教育の中で行おうとすると,その素材と
して高等学校までの知識レベルのもの,あるいは日常経験から得られるものを取り上げざるを得
ないことになる。ある国立大学では,クリティカル・シンキングで取り上げる課題に「比較的日
常的な題材で専門的な知識などが不要であること」という条件を付けている10。そのような素材
のほうが活発な議論を促すことになるのかもしれないが,クリティカル・シンキングの内容が一
種のクイズ形式になってしまうのではないかという懸念もある。内容が各学生の専攻とどう関わ
るのかということを抜きにして論理的な思考だけを取り出しても,学びを深めていくプロセスの
中に位置づけるのは困難である。言い換えれば,それぞれの学生が専攻する学問の理解を助ける
大学教育の新しい潮流の現状と課題
−アクティブ・ラーニングとクリティカル・シンキングを中心として—
ことになっているかどうかには疑問が出てくる。また,そのことは学生の学習意欲にも関係して
くるだろうし,彼らが得る達成感にも影響するだろう。
受動的な受講態度から能動的なものへと転換させるには初年次に開講することに意義がある
のは間違いないし,実際に多くの大学で初年次に開講されていることを考えると,高等学校まで
の既習の知識あるいは日常的経験を題材にするのは避けがたいことかもしれない。初年次向けの
ひとつの授業科目の中でクリティカル・シンキングとともに教えられることがあるノート・テイ
キングや情報リテラシーであれば,同時期に開講されている他の授業でも直ちに役立つことは学
生にも自覚でき,その「役立つ」という認識が学生の勉学意欲に繋がることがあるが,クリティ
カル・シンキングに同様の認識をもたせるにはさらに工夫が必要だろう。
4.
おわりに
教育の主たる目的のひとつが知識と技能の伝達であるということは,いつの時代にも言えるこ
とであり,今後も変わることはないだろう。この伝達されるべき知識と技能の内容は,とりわけ
科学技術の高度化に伴ってますます増え続けている。ところが大学においては,卒業までに要す
る修業年数のほうは4年あるいは6年で,これは変わるところがない。
大学全入時代を迎えて,学生の能動的学習を引き出し,既存の知識に対する批判的な学習姿勢
が重要であることは否定しがたいが,増え続ける知識と技能を限られた時間の中でどのように伝
達していくかという課題と,学習への能動的・主体的学習態度の涵養という課題をどう折り合わ
せるかということは,意外と議論されていない。
この問題には,反転授業のような手法を導入することを解決のための一方策としようとする試
みがあることはすでに指摘しておいた。これは初等中等教育であればある程度の効果を発揮する
かもしれない。自学・自習であっても一定の学習効果は得られると思われるからである。しかし,
高等教育において高度な専門的知識を身につけさせようという場合,その効果は限定的なものに
留まらざるを得ないだろう。
さらに,単一の講義科目の限られた時間内で学生に知識を伝達し,彼らの能動的な学びを実現
するには限界がある。クリティカル・シンキングについては初年次の学生に対して開講する意義
は否定できないが,アクティブ・ラーニングとともに従来からなされてきた知識伝達型の講義を
圧迫していることも事実である。この問題を解決するには,従来型の講義の中にアクティブ・ラ
ーニング,クリティカル・シンキングの手法を導入することが目指されるべきであり,従来型の
講義科目と連携することも考えられるべきだろう。そして,そのことが大学における教育の効果
を最大限に発揮させることになるだろう。さらに限られた時間を有効に利用するために,教室だ
けでなく,図書館,あるいは食堂といった場所をラーニング・コモンズとし,学生がともに刺戟
し合える場とし,キャンパス滞在時間の全体をアクティブ・ラーニングとクリティカル・シンキ
ングの機会とする工夫が今後は追求されるべきだろう。
またそうすることで,ラーニングピラミッドを信じるか信じないかはともかく,「他人に教え
る」,つまりピア・サポートは知識の定着にとって重要であることは否定できず,キャンパスと
5
6
田 中 一
郎
いう空間とキャンパス滞在時間のすべてを学びの場とすることができるからである。
【注】
1. アクティブ・ラーニングの実施状況については,2010 年度から毎年実施されてきた河合塾の
「大学のアクティブラーニング調査報告書」に詳述されている。要約版については,
http://www.kawaijuku.jp/research/activelearning/ で閲覧することができる。なお,注
に掲げたすべての URL については,2015 年 11 月 10 日に閲覧した。
2. 中部地域大学グループ・東海 A チーム編『アクティブラーニング失敗事例ハンドブック』一
粒書房,2014.
3. アクティブ・ラーニングの学習成果が学生の受講態度と関係しているということについては,
蒋研・溝上慎一「学生の学習アプローチに影響を及ぼすピア・インストラクション—学生の
授業外学習時間に注目して—」『日本教育工学会論文誌』38(2014), pp.91-100.
4. 岩崎公弥子,大橋陽「反転授業を導入したアクティブラーニングの取り組み」『コンピュー
タ&エデュケーション』39(2015), pp.98-103.たとえば,立教大学の「大学におけるアク
ティブラーニング調査報告書 」(http://cob.rikkyo.ac.jp/blp/file/ActiveLearning.pdf)
や産業能率大学のホームページに掲載の「アクティブラーニングとは」
(http://cob.rikkyo.ac.jp/blp/file/ActiveLearning.pdf)に引用されている。
5. たとえば,立教大学の「大学におけるアクティブラーニング調査報告書 」
(http://cob.rikkyo.ac.jp/blp/file/ActiveLearning.pdf) や産業能率大学のホームペー
ジに掲載の「アクティブラーニングとは」
(http://cob.rikkyo.ac.jp/blp/file/ActiveLearning.pdf)に引用されている。
6. Facione, Peter A. : Critical Thinking: A Statement of Expert Consensus for Purposes
of Educational Assessment and Instruction , Executive Summary,“The Delphi Report”
(https://assessment.trinity.duke.edu/documents/Delphi_Report.pdf).
7. http://www.ucon-i.jp/newsite/city-college/kamoku/kamoku-sougou.html で見ることが
できる。
8. http://syllabus.chukyo-u.ac.jp/syllabus/syllabus-o/syllabus.php?id=7900180 で見る
ことができる。
9. http://rche.kyushu-u.ac.jp/~in-kyotsu/h22/G4014.html で見ることができる。ただし,
2015 年度は開講されていないようである。
10. 南学「クリティカルシンキングをうながすゲーミング教材の開発と評価」『三重大学教育学
部研究紀要』64(2013), p.343.
7
金沢医科大学の初年次教育システム
本
田
康
―三つの教育手法の統合―
二
郎*
The system of freshman-year education in Kanazawa Medical University
―The integration of 3 methods:
Problem-Based Learning, Academic Writing, and Critical Thinking
Kojiro HONDA*
はじめに
2015 年 4 月 よ り 始 ま っ た 金 沢 医 科 大 学 の 三 位 一 体 の シ ス テ ム は , 問 題 基 盤 型 学 習
(Problem-Based Learning),アカデミック・ライティング,クリティカル・シンキングという三つの教
育手法を連動させる取り組みである。この仕組みを作っていく過程で,金沢医科大学一般教育
機構協議会をはじめとする様々な場で議論が行われた。なかでも,2013 年 12 月から 2014 年 7
月まで月に一回開催された,金沢医科大学クリティカル・シンキング導入検討委員会1での議論
は,現在のシステムを開発する上で非常に重要な内容を含んでいた。
そこで,本論文では検討委員会でまとめられた報告書をもとに,これに加筆修正を加え,この
システムの仕組みや,その目的を明確にしてみたいと思う。
目次
はじめに
1.大学初年次教育の現状
2.初年次教育と高等教育の国際的質保証との関係
3.金沢医科大学における初年次教育の分析
4.クリティカル・シンキング科目導入の検討
4-1.クリティカル・シンキングの定義
4-2.一般教育機構の教育目標の確認
4-3.良医育成との関連
4-4.すでに導入している大学
*
1
人文科学
Department of Humanities
(平成 28 年 1 月 9 日受理)
勝田省吾学長の指示により筆者を代表としてクリティカル・シンキング科目導入検討委員
会が発足した。メンバーは以下の通り。松田博男教授(数学),田中一郎教授(科学史),
公地宗弘准教授(ドイツ語),東海林博樹准教授(生物学)
,橋本光正准教授(物理学),前
田雅代講師(化学),津田龍佑講師(体育学),本田康二郎講師(人文科学),計8名。
8
本 田 康 二 郎
5.独自カリキュラムの具体案
5-1.大学基礎セミナー・アカデミックスキルズ・クリティカルシンキングの三位一体
5-2.クリティカル・シンキング科目の学習要項案と期待された教育効果
6.DKS/AS/CTの三位一体の初年次教育システムの始動
7.結論
参考文献表
1.大学初年次教育の現状
日本の大学において初年次教育が話題となり始めたのは2000年代の半ばのことである。高
校から大学への接続をスムーズに図る目的で始まった初年次教育は2009年の調査の段階で
実に全体の 84%にのぼる617大学で実施されるに及んでいることが分かった。
このような取り組みが本格化した背景には,新しい高等教育の全体像を検討した中央教育審
議会の答申「学士課程教育の構築へむけて」(2008)の存在がある。この答申の中で,これから
求められる学士の基礎的素養として以下のようなものが挙げられていた2。

知識・理解 (Knowledge and understanding)
• 専攻する特定の学問分野における基本的な知識を体系的に理解する
とともに,その知識体系の意味と自己の存在を歴史・社会・自然と
関連づけて理解する。

汎用的能力 (transferrable skills)
• 知的活動でも職業生活や社会生活でも必要な技能(コミュニケー
ション・スキル,数量的スキル,情報リテラシー,論理的思考力,
問題解決力)

態度・志向性(attitude, responsibility)
• 自己管理力,チームワーク・リーダーシップ,倫理観,市民として
の社会的責任,生涯学習力

総合的な学習経験と創造的思考力(ability to synthesize, creativity)
• これまでに獲得した知識・技能・態度等を総合的に活用し,自らが
立てた新たな課題にそれらを適用し,その課題を解決する能力。
この答申が出されるまで,特にこれらの能力に焦点を当て,それらを成長させるための努力が
なされてきた形跡はない。戦後,大学の中に一般教育課程を設置しアメリカ型の大学制度が導
入されたわけだが,教育の中身は個々の教員の裁量に託されるだけで,組織として「学士の基
礎的素養」について検討し,教育手法を開発し,その教育を行うという伝統は育まれてこなかっ
た。
やがて 1991 年の大学設置基準大綱化に際して専門教育と一般教育の区分が廃止されること
2
中教審 2008,強調は引用者による。
金沢医科大学の初年次教育システム ―三つの教育手法の統合―
になり,これにともない一般教育課程は廃止され,学部教育全体が教養教育を志向する場に様
変わりした。ところが逆に一般教育課程が無くなったことで,大学における教養教育を担う教員
のアイデンティティが弱まる結果となり,対策が立たぬまま時が過ぎてきた3。
初年次教育に注目が集まったのはこのような状況下においてであった。2011 年度の調査の段
階で,短大を含めた高等教育機関への進学率が 53.9%に至り,大学の大衆化はさらに加速して
いることが分かっている。ところが,高校をはじめとする中等教育機関は大学入試という関門が
あるため,コミュニケーション能力を向上させるような取り組みをするゆとりを持って
いない。大学入学前にトレーニングすることが出来ないとなれば,教育制度全体で見たと
きの教養教育不在のしわ寄せは大学初年次に集中せざるを得ないことになる。
ここ数年で,初年次教育科目を導入する大学は急速に増え,その教育手法も大筋で定まって
きた。山田は,初年次教育プログラムの設計思想と到達目標は概ね次の四点に集約されつつあ
ると分析している4。

大学生活に移行する際の支援

基礎的学術技術(アカデミック・スキル)の獲得

キャンパス資源の活用とオリエンテーション

新入生のセルフエスティーム(自己肯定感)の向上
本学の現状に照らして初年次教育を考えるとき,医学教育に固有の初年次教育にどのようなも
のがありえるのか考えてみる必要が出てくるであろう。2013 年度の初年次教育学会では初めて
医歯薬看護系の教育担当者が集まってワークショップを開催した。医療系大学における初年次
教育に独自性を持たせる取り組みは今始まったばかりであり,その形はまだ定まっていない。
2.初年次教育と高等教育の国際的質保証との関係
初年次教育を高等教育の国際的質保証との関連からとらえておく必要もある。というのも,昨
今の教育改革の動向にはグローバル化という国際情勢の影響が大きく反映しているためであ
る。
人,物,金が国境を越える時代においては,教育も国境を越える。世界貿易機関(WTO)では,
2000 年より高等教育サービスの貿易自由化にむけた交渉が始まっている。教育の国際化という
テーマは,国際交流の促進という目的だけでなく,通商を促進する目的からも注目されるように
なったのだ。このような動きは「高等教育の市場化5」と呼ばれ,留学生を送ることは教育の「輸入」
を意味し,留学生を受け入れることは教育の「輸出」を意味するようになってきている。
このような状況下で,大学評価・学位授与機構も教育の質を評価する必要性を説いており,そ
れは「消費者保護6」の視点から積極的になされるべきものとされている。すなわち,大学在学中
3
4
5
6
舘昭「2章 高等教育における初年次教育の位置づけ」,初年次教育学会編 2013 所収。
山田礼子「1章 日本における初年教育の動向」,初年次教育学会編 2013 所収,p.25。
塚原 2008,p.15。
大学評価・学位授与機構 2009,p.13
9
10
本 田 康 二 郎
にどのような「付加価値7」が得られるかを明確にし,その情報を公開することが今後の大学の義
務であると説いているわけである。
高校生の大学選びが国際化していくなかで,日本の大学教育の国際的な「商品価値」が試さ
れることになった。日本政府としても留学生を増やす努力を始めている8。他国との比較の中で,
自国の教育の質が相対的に高いことを示すためには教育評価の国際基準を積極的に利用する
必要が出てくる。ここで注目されているのが OECD の主導する AHELO (Assessment of Higher
Education Learning Outcome=高等教育における学習成果の評価)9である。これは,一般的技
能(ジェネリック・スキル)・工学・経済学の各分野で学生に共通試験を行い,国際間さらには大
学間の比較を行おうとする試みである(日本は工学分野にのみ参加を表明)。ここで注目すべき
は,一般的技能の中でクリティカル・シンキングの能力が測定されることである。このような能力を
涵養するためには,日本の大学のこれまでの専門教育の枠にとどまらないカリキュラムが必要と
なる。つまり初年次教育は,教育の質保証という面から見ても,今後の大学教育のカリキュラムに
おいて不可欠の要素となっていくと言えるわけである。
3.金沢医科大学における初年次教育の分析
一般教育機構の初年次教育に対する本格的な取り組みは「医学総論」という科目の導入で始
まった(1994年度の導入時の呼称は「テュートリアル」で2002年に改称)。医学総論は東京女
子医科大学のテュートリアル講義を参照して,角家暁教授(脳神経外科学)の主導の下で本学
に導入された科目である。この科目では,医療問題や社会問題についてヒントが書かれたシート
を数枚用意する。受講生は6~7名のグループをつくり,このシートの展開にそって,そこに隠さ
れている問題を発見したり,それに関する不明点や課題を抽出したりしながら,グループ討議を
行っていく。そして,互いの役割分担を決め,調査テーマを設定し,翌週までに各自で図書館や
インターネットを活用した調査を行い,結果をハンドアウトにまとめる。2週目以降は調査結果の
発表を行い,相互学習(教え合い)のスキルを高めていく。
この科目は2014年度より「大学基礎セミナー」と名称を変え,公地宗弘准教授(ドイツ語)を中
心に科目運営がなされている。この科目の特徴は,一般教育機構の教員のほぼ全て(約15名)
で取り組んでいるという点にある。例年,1月~3月にかけて翌年度に用いる教材を開発している
のだが,理数系の教員も文系の教員も隔てなく草案を会議の場に持ち寄り,この中から教材選
定を行っている。この時,互いの専門知を出し合いながら議論し,選定した教材の内容をさらに
洗練させていく。教材が完成するまでに数回の会議を要することもある。こうして,理数系の知と
文系の知を融合させた教材が開発されていくことになる。多分野の教員が互いのアイデアを出し
合いながら一つの教材を練り上げていくこの仕組みは,大学から教養部が廃止されて久しい現
7
同上
文部科学省『「留学生30万人計画」の骨子策定について』
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/20/07/08080109.htm
9 AHELO ホームページ参照。
http://www.oecd.org/edu/skills-beyond-school/testingstudentanduniversityperformanceg
loballyoecdsahelo.htm
8
金沢医科大学の初年次教育システム ―三つの教育手法の統合―
在の大学界においては,きわめて珍しいものといえるだろう。
次に2012年度より「日本語表現法」という科目が導入され,筆者はその担当者として本学に
赴任することとなった。この科目の目的は,受講生たちの文章能力を向上させる点にあった。し
かし,単なる作文の練習ではなく,学術文献の執筆につながるような論理的文章のトレーニング
が必要とされていた。筆者はこれに加えて,大学史,ノートテイキング,研究倫理,プレゼンテー
ション資料の作り方,プレゼンテーションの方法,学術文献の検索方法,論文の書式などの内容
を盛り込み,2013年度より「アカデミック・スキルズ」という新科目を立ち上げた。
この科目は直ちに大学基礎セミナーとの連携が図られ,学術文献の検索方法については大
学基礎セミナーの導入学習に編入された。また,プレゼンテーションの練習の機会は,大学基
礎セミナーの中で行うこととなり,プレゼン資料の作成とプレゼン技術についてはアカデミック・ス
キルズが担当することとなった。科目の主眼である論文作成の練習の段では,大学基礎セミナ
ーで取り上げられた医療問題あるいは社会問題に深く関連するテーマを与え,両講義を通じて
受講生が重層的に学習を行えるように図った。
論文作成の練習としてこの講義で行う取り組みは,受講生が5~6名のグループの中で議論し
ながら,協力して論文のアウトラインを作成していくことである。手分けして情報集めをし,ハンド
アウトを交換して情報共有し,議論の流れを構築していく。アウトライン作成は,論理構成の組み
立てを練習するための恰好の素材となる。講義中に作成されたアウトラインを元にして,実際の
論文作成は各個人が夏休みに取り組んでいく。協力関係が強くできたグループほど,収集する
情報量が増え議論の内容も深くなっていく。このように,アカデミック・スキルズは「競争型の学習」
から「協創型の学習」への転換を図る試みと言うこともできる。
これらに医療入門という科目を加えて,金沢医科大学は近年注目されている初年次教育が
「重視する内容10」の多くをカバーしてきた。しかし,全項目をカバーできているのかを丁寧に検
討せずにきたので,金沢医科大学クリティカル・シンキング導入検討委員会では,現状のカリキ
ュラムで初年次教育がどこまでカバーされているのか,検討を行った。その結果が表1(「初年次
教育の教育目標と金沢医科大学の取り組み」)である。金沢医科大学の既存科目が「重視する
内容」をどれだけカバーしているのかを記号「○(カバーできている),△(一部カバーできてい
る),-(カバーできていない)」で表現されている。
議論の中で特に弱点と思われたのは,以下の5項目であった。(表中,灰色部分。)
① 論理的思考能力や問題発見・解決能力
② 学問や大学教育全般に対する動機付け
③ 読解・文献講読の方法
④ 学生の自信・自己肯定感
⑤ 大学への帰属意識
①および③については,現状ではアカデミック・スキルズによってカバーをすることが何より重
要だが,限られた時間の中で文章力と読解力の両方を高めることが難しいという問題ある。これ
10
山田,前掲書,p.21 を参照。
11
12
本 田 康 二 郎
を補う科目として,クリティカル・シンキングという科目が導入されたとしたら,特に前者(論理的思
考能力や問題発見・解決能力)の育成の補完が期待できるという議論がなされた。
レポート・論文の書き方などの文章作法
アカスキ
大学基礎セミナー
医学セミナーⅠ
○
○
△
△
○
△
△
プレゼンテーションやディスカッションなどの口頭発表
技法
○
○
受講態度や礼儀・マナー
△
△
情報収集や資料整理の方法とノートの取り方
○
△
○
読解・文献購読の方法
△
△
将来の職業生活や進路選択に対する動機付け
学生の自信・自己肯定感
その他
△
学問や大学教育全般に対する動機付け
社会の構成員としての自覚・責任感・倫理観
情報の科学
○
学生生活における時間管理や学習習慣の確立
論理的思考力や問題発見・解決能力
総合人間科学
△
コンピュータを用いた情報処理や通信の基礎技術
図書館の利用・文献検索の方法
アドバンスト・コース
△
△
○
△
△
○
○
△
△
△
△
△
○
○
△
△
学長講話の導入、学部長講話の導入
チームワークを通じての協調性
○
大学への帰属意識
△
○
△
△
フィールド・ワークや調査・実験の方法
○
表1. 初年次教育の教育目標と金沢医科大学の取り組み
②に関しては,これまでのところ個々の教員の裁量に託されてきたといえる。何らかの方法論
を用いて学生に積極的な動機付けを行うためには,それに対応した教育手法の研究が必要だ
が,これまでのところ積極的に行われてきていない。これは,今後の課題である。
④に関しては,学長によるイニシアティブが必要ではないかという意見が出された。具体的な
対策として,「金医大には優秀なスタッフとカリキュラムが用意されているので,講義にしっかりつ
いてくれば必ず良医になれる」という主旨の話を入学式か一年次の早い時期に学長にして頂く
ことが何よりも効果的であろうという結論が出され,その旨はすぐに学長に提案された。これを受
けて,2014 年度の医学セミナーにおいて「学長講話」が導入されることになった。
⑤に関しては,同様に学部長による講話,病院長による講話,研究所長による講話などを講
義に取り込むことができれば,学生たちの動機付けになるのではないか,という意見が出された。
さらに,特徴あるカリキュラム構成を実現し,特別な教育を受けているのだという矜恃を持っても
らえるような長期的な努力が必要だという結論が出された。これに付随することとして,学習要項
(1年生向け)に一般教育機構長の言葉をのせ,「一般教育の理念」を明確に謳う必要があると
いう意見が出され,この案は 2014 年度の学習要項で実現された11。
4.クリティカル・シンキング科目導入の検討
3章での検討をふまえ,論理的思考力の涵養や,文章の読解力・批判力を養うために「クリテ
11
『金沢医科大学学習要項』(第一学年用 2014 年度以降版)を参照。
金沢医科大学の初年次教育システム ―三つの教育手法の統合―
13
ィカル・シンキング」という科目の導入を目指すことになった。本章では,この科目導入にあたっ
て議論された内容を要約していく。
4-1.クリティカル・シンキングの定義
クリティカル・シンキングという科目は米国の大学の教養教育において開発されていったもの
だが,当初は米国でも様々な論者が独自の定義づけを行っており混乱が発生していた。そのよ
うな状況を糺すため1990年に多くの大学教員が集まってデルフォイ計画が実施された。これは,
クリティカル・シンキングの定義づけについて一定の合意を形成するための会義であり,この取り
組みの成果はデルフォイレポートとしてまとめられた。このレポートの中で行われたクリティカ
ル・シンキングの定義は以下の通りである。
我々はクリティカル・シンキングを,目的をもった,自己調整された判断であると
理解する。それは解釈,分析,評価,推論だけでなく,その判断の基礎となる証拠や
概念や方法論や基準や文脈についての考察を説明することも含んでいる。クリティカ
ル・シンキングとは探求の道具として必要不可欠なものである。クリティカル・シン
キングは,すでに広く行き渡っている,自己矯正的な人間の現象なのである。理想的
なクリティカル・シンカーはいつも知識欲旺盛で,情報通で,個人的偏見に直面して
も正直であり,判断をする際には用心深く,考える意志が固く,諸問題の中にあって
明晰であり,複雑な問題の中にあっても秩序立っており,関連する情報を集めるのに
勤勉で,基準の選定においては合理的であり,探求において集中力があり,主題と状
況がゆるす限りの正確な結論に至ろうと絶えざる努力をする12。
レポートの中で,ブルックフィールド(Brookfield)はクリティカル・シンキングの要素として次のよ
うなものを挙げている。①仮説を立てること,仮説を疑うこと;②文脈の重要性を強調すること;③
対案を想像したりそれを詳しく調べたりできること;④自省的な懐疑主義を実践すること,の4つ
である。彼が強調するのは,クリティカル・シンキングは通説や常識を根底から疑うセンスを身に
つけることを目指すという点である13。
また,カーフィス(Kurfiss)は,クリティカル・シンキングとは状況,問い,問題,現象の調査であ
ると述べた。「クリティカル・シンキングにおいては,全ての仮説が疑われてもよいし,さまざまな視
点が積極的に調査されるべきであり,探求が何らかの特定の結果を得るために歪められてはな
らない14」ということが彼の強調点である。
この両者の強調点から分かるように,デルフォイレポートで指摘されたのはクリティカル・シンキ
ングが単なる論理学の一分派ではないということであった。単なる認知的スキルだけでなく,批判
12
13
14
Simpson and Courtney (2002),p.92
ibid.
ibid.
14
本 田 康 二 郎
的な態度の涵養を目指すという視点がクリティカル・シンキングには当初から含まれていたことに
留意するべきである。
では,クリティカル・シンキングが,医療人の教育に応用された場合,それはどのように再定義
できるであろうか。シンプソンとコートニー(Simpson and Courtney)は看護学部での教育にクリテ
ィカル・シンキングを導入するにあたり,それが目指す教育目標を「認知スキル(cognitive skill)
の涵養」と「態度(affective disposition)の涵養」の二つにおいた。彼らの定義によれば,求められ
る認知スキルと態度は以下のような要素を含んでいる15。
認知スキル:
①
解釈能力(問題だけでなく,患者のケアにかかわる客観的および主観的データを正確に
解釈する)
②
分析能力(問題の中の概念や議論,客観的・主観的データ,患者のケアに関連する可
能な行動プラン,などをチェックする)
③
推論能力(主張を吟味し,議論を評価(間違った推論を発見)して,患者のケアに適する
結論に到達する)
④
説明能力(患者の健康ケアの文脈で,ある個人が特定の判断に至った理由をしっかり擁
護し,それを分かりやすく説明する)
⑤
評価能力(可能な信頼性を確かめるだけでなく,特定の患者のケア状況に関連する事
項を確かめるために,情報を評価する)
⑥
自己調整能力(明瞭さ,正しさ,制度,論理,重要性などといった普遍的基準を用いて,
常に自分をモニターし,患者ケアの文脈に適するように自分自身を正していく)
態度:
①
心が開かれている(他の視点を評価できる,他者が異なる意見を持つ権利を尊重する意
思がある,自分と他者のための視点をともに得るために他の文化を理解できる)
②
知識欲旺盛である(例え応用の仕方がわからなくても,知識を獲得し,物事がどのように
働くのか理解しようとしている)
③
真実を追究している(最高の知識を得るために問いを発する勇気がある)
④
分析的である(分析的に考えており,理由と証拠を適用しようとし,また結果を予想しよう
としている)
⑤
体系的である(組織を尊重し,あらゆるレベルの複雑な問題に熱心に取り組んでいる)
⑥
自信がある(自分自身の理由付けに自信を持っている)
クリティカル・シンキングとは直訳すれば批判的思考となるが,この場合の批判とは
日常会話で用いる批判とは違い,「よく吟味する」とか「きちんと評価する」という意味
15
ibid. pp.92-93.
金沢医科大学の初年次教育システム ―三つの教育手法の統合―
の批判である。上に見たように,クリティカル・シンキングの構成要素には大別して認
知スキルと態度の二つが含まれている。態度の方は,問題に取り組む批判的な姿勢のこ
とを指すが,これを教育するのが一番難しい。教員が手本を示しながら,問題を鵜呑み
にせずに批判的に考察していく姿勢を身につけさせる必要がある。認知スキルの方は技
術的な要素であり,この科目で教育する主な内容がここに含まれてくる。クリティカル・
シンキングが対象とするのは「理由つきの主張」と呼ばれるもので,根拠や前提に基づ
いた判断を吟味しようとする。この科目で教えるのは,この「理由つきの主張」の分析
であり,主張がどういった理由を組み合わせて構成されているのかを理解する力を養う
ことが目指される。もし,ある主張とそれを理由付ける根拠が理解できたら,次の段階
では理由付けの妥当性について二つの観点から吟味することができる。一つは根拠とし
て挙げられている情報が正しいのかという事実確認や情報評価の観点。もう一つは,根
拠として挙げられている情報が本当に根拠の役割を果たしているのかという論理の観点
である。このような吟味を主体的に行うことが出来るようになったとき,人は認知スキ
ルと批判的態度を共に身につけたと言えるようになるのである。
以上のように,大まかにいってクリティカル・シンキングは論理的推論のような認知
スキルと,常識や前提を批判できる態度という二つの能力を涵養するための科目である
と言える。このような科目は,本学の一般教育機構の教育目標にも適合するであろうか。
次にその点を確認しておきたい。
4-2.一般教育機構の教育目標の確認
新たな科目の導入を検討するにあたり,委員会では一般教育機構の教育目標の確認を行っ
た。2012 年度に整理された教育目標の中身を再吟味し,さらにその内容を洗練させてシンプル
な表現を行った。その結果が次の内容である。
2012 年度に整理された一般教育機構の教育目標
委員会が抽出したエッセンス
1. 豊かな人間性と多用な考え方の涵養
1. 自立自律
2. 主体性と自己管理能力の涵養
2. 受動から能動への転換
3. コミュニケーション能力の涵養
3. 基礎学力涵養
4. 論理的・科学的能力の涵養
4. 倫理観涵養
5. 知的好奇心と自己開発
クリティカル・シンキングの中の批判的態度の涵養という教育目標は「2.受動から能動への転
換」に対応していると言える。また論理的推理などの認知スキルも「3.基礎学力涵養」に対応し
ていると言える。また,「4.倫理観涵養」という側面でみた場合も,自らの価値観や道徳観を明
確に人に伝える上で論理的な文章表現を行う力が必要になってくると言えるだろう。つまり,クリ
ティカル・シンキングは本学の一般教育機構の教育目標と齟齬を来すような科目とはならないと
結論づけることができた。
15
16
本 田 康 二 郎
4-3.良医育成との関連
委員会では,教育目標の議論から一歩進めて,そもそも良医の育成ということで何が求められ
ているのかに関しても再確認を行った。我々が参考にしたのはア)『金沢医科大学案内 1997』,
イ)『金沢医科大学医学部案内 2014』,ウ)小田島粛夫『良医を育てる 金沢医科大学の挑戦』
(2001)の三つの資料であった。
ア)の中で良医は次のように表現されていた。

村上暎二理事長:
「良医」の能力=
A) 個々の患者に適した医療を提供できる。
B) 常に患者の立場に立って考える。

小田島粛夫学長:
「良医」のあるべき姿=
A) 優秀な医学知識や技術を持っている専門家。
B) 人間としての完成。

山田裕一教授:
「良医」の定義= 「患者,健康人を問わず,人を理解し,支援できる医師」
また イ)の中では次のような定義が述べられていた。

「良医」の定義=
A) 倫理に徹している。
B) 人間性豊かである。
さらに ウ)の中では,次のように表現されていた。

「良医」に求められるもの16=
A) 基本的に重要な医学知識と医療技術
B) 進歩し続ける医学や医療技術を生涯を通して学び続ける意志と能力
C) 倫理に徹した豊かな人間性
医学のトレーニングは,患者の症状から病因を突き止める能力を身につけることを一つの柱と
している。医師になり診察が始まると,多くの場合は大学で学んだことや自分の経験蓄積をもと
にして,病因を見つけることが出来るようになるだろう。しかし,既存の知識が当てはまらない場
面に遭遇する可能性が常に残っている。医師にとっての「未知との遭遇」を果たしたときに,それ
に対応する能力が試されることになるであろう。前提そのものを一度疑ってみたり,仮説を立てて
それを検証してみたりする能力が,そのような場面で初めて求められるはずである。従って,良
医になるために,論理的な思考能力や自らの前提知識を疑う批判的態度を養うことが無駄にな
ることはないのではなかろうか。
16小田島粛夫『良医を育てる
金沢医科大学の挑戦』金沢医科大学出版局,2001 年,p.14
金沢医科大学の初年次教育システム ―三つの教育手法の統合―
また「学び続ける意志と能力」を養うためにもクリティカル・シンキングは重要である。小田島は
資料の中で考えることの重要性を指摘していた。

「考える」ことの重要性=
 自学自習の基本となるものはいうまでもなく「考える」という行為である17。
 大学における教育は「育て,育む」ことであり,現在の学生を対象とする場合は「考える」
こと,「考えることを身に付けさせる」ことが基本であり,とにもかくにも学生をパスカルの
「考える葦」に変えることが必要である18。
ここで述べられている内容はクリティカル・シンキングの目指すものとほぼ一致している。
以上から,クリティカル・シンキングは本学が目指す良医の育成という教育目標にも合致した内
容をもつ科目であることが見えてきた。
4-4.すでに導入している大学
クリティカル・シンキングのような科目の重要性が見えてくるにつけ,他大学におけ
るクリティカル・シンキング科目の導入状況を調べる必要性が高まった。委員会では,
手分けをして情報あつめを行い以下の13点の資料について調査した。

平柳行雄 「『クリティカルシンキング』という授業受講が『批判』力と論証文
作成力に及ぼす効果」 『大阪女学院短期大学紀要』,42 号,2012

ベネッセ教材『Critical Thinking』,『Logical Thinking』
VIEW21, Extra
Edition, Vol.2, pp.36-39

ハーバード・メディカル・スクールの講義概要(PPT 資料):Mark Quirk,
“Shifting the Medical Education Paradigm form Knowledge to Critical
Thinking,” handout of Harvard Academy Education Day

武田明典ら
「高等教育におけるクリティカルシンキング」
『神田外国語大
学紀要』,22 号,2010

Elaine Simpson and Mary Courtney “Critical thinking in nursing education:
Literature review,” International Journal of Nursing Practice; 8: 89-98, 2002

九州大学大学院共通教育科目「クリティカル・シンキング」(シラバス)

荻原 哲・望月 太郎「アジア型クリティカル・シンキングの教育モデルをもと
めて」 『大阪大学 大学教育実践センター紀要』第4号,2007 年,pp.43-52

大野智「『あの人に効いた』は,私にも効くか?」apital, 2012(ウェブサイト),
http://apital.asahi.com/article/kiku/2012121200003.html
17
18

福岡大学・関口浩喜「アカデミック・スキルズゼミⅠ」(シラバス)

愛媛大学・山本與志隆「日本語リテラシー入門」(シラバス)
ibid. p.18
ibid. pp.42-43
17
18
本 田 康 二 郎

大阪府立大学「クリティカル・シンキング能力を育む~医療・看護問題をテー
マに~〈初年次ゼミナール〉」(シラバス)

久保田祐歌「どのような授業でクリティカル・シンキングを教えられるか」『名
古屋高等教育研究』第 10 号,2010 年,pp.253-268

楠見孝「初年次教育において思考力を育成する意義」ベネッセ大学シンポジウ
ム 2013 資料,pp.61-74
これらの資料を分析する中で久保田(2010)や楠見(2013)で指摘されているクリティ
カル・シンキングの4つの教授法が参考になった。その4つとは,

一般的(general)アプローチ:初年次ゼミ,ライティング,リーディングなどの
講義においてクリティカル・シンキングを教授する方法

導入(infusion)アプローチ:専門分野の教育において批判的思考のスキルを明
示的に教える方法

没入(immersion)アプローチ:学習者が教科・専門内容に深く没入することを通
して,批判的思考スキルを明示的にではなく,見よう見まねで獲得させることを
目指す教え方(従来の専門教育や,臨床実習)

混合(mixed)アプローチ:上記3つのアプローチの混合形態
のことを指す。
第一学年においてクリティカル・シンキング科目を導入しようとしている本学の立場
は上記で言うところの「一般的アプローチ」になるわけだが,医学部の専門科目におけ
るクリティカル・シンキングは初年次に学ぶ一般的なクリティカル・シンキングではカ
バーしきれない可能性がある。理想的には,初年次にクリティカル・シンキングを学ん
だ後,上級学年の各専門科目の中で個別にクリティカル・シンキング的な要素を導入し,
「混合アプローチ」によって継続的に学生たちにスキルを学ばせることが望ましいので
はないだろうか19。
クリティカル・シンキング科目の具体的な教授法については,資料から読み取れる内
容が少なく,また読み取れたとしても各大学・各教員によって内容は様々であり,決定
的な方法が確立しているとは思われなかった。金沢医科大学におけるクリティカル・シ
ンキング科目も,大学のカリキュラムにあった独自の内容を持ったものにしていくこと
が望ましいのではないかと思われる。
ここまでの議論から,このクリティカル・シンキング科目を導入することで,金沢医
科大学が他の医学部に先駆けて特徴ある初年次教育を実現する可能性をもつことが確認
された20。
2015 年より,有川智博講師(生物学)が中心となってパイロット授業「教養での学びを
駆使して科学するプログラムの開発」を始動させている。この科目は,クリティカル・シ
ンキングの手法を専門科目に接続する試みである。この科目が完成すれば,金沢医科大学
において「混合アプローチ」を実現する道が開くかもしれない。
20 本文で挙げた資料の他に,インターネット上で検索できるシラバスがあった。資料とし
19
金沢医科大学の初年次教育システム ―三つの教育手法の統合―
19
て価値があると思われるので,以下に掲載しておく(①~⑧)。
①日本大学(http://syllabus.chs.nihon-u.ac.jp/op/syllabus29554.html)
科目名:クリティカル・シンキング
「クリティカル・シンキング(批判的思考)」とは,ものごとを「考える」とき(とりわけ,
この授業で重視する「推論」を行なうとき),論理的に正しく考えられているかどうかを吟
味することです。哲学に限らず,あらゆる学問において,また生活のあらゆる場面におい
て,論理的思考力は重要であり,この授業では,その力と批判的態度の獲得を目指します。」
②九州大学(http://rche.kyushu-u.ac.jp/~in-kyotsu/H19/syllabus_19_29.html)
科目名:クリティカル・シンキング
「クリティカル・シンキングとは批判的思考のことであるが,限界を指摘し,指摘した限
界の乗り越えを図る提案を行うという批判的思考は難しいものである。日常生活における
私たちの思考は,学問・研究の場で重要な批判にまでは至らずに,非難にとどまった思考
である。特に,他の専門領域あるいは社会的現象については,素朴な因果論を当てはめて
いることがしばしばである。この授業の目標は,「なぜ?」と問い続ける学問・研究を支え
るクリティカル・シンキングの態度を体験的に培うことである。
具体的には,授業全体に共通したテーマとしてリスクを取り上げる。リスクは,それを乗
り越えるために結果と原因とをつなごうとすると,厳密な事象の観察が求められるテーマ
の典型である。批判的思考は,どのような因果関係が見いだされるかを左右する事象の観
察において,重要なものである。」
③芝浦工業大学(http://syllabus.sic.shibaura-it.ac.jp/syllabus/2012/din/74652.html)
科目名:クリティカル・シンキング
「クリティカル・シンキングとは,
「論理的かつ構造的に考える」ことである。本講義では,
「論理的」かつ「構造的」な思考方法を身に付けるために,さまざまなケースを取り上げ
ながら,具体的な思考方法を身に付けられるようにする。
」
④中京大学(http://syllabus.chukyo-u.ac.jp/syllabus/syllabus-o/syllabus.php?id=5900300)
科目名:クリティカル・シンキング
「批判的思考(クリティカル・シンキング)は,あらゆる学問分野を学ぶためにも,社会
で生きていくためにも要となります。この授業では,哲学的な思考法に関する知識の修得
を通じて批判的思考の基本を身につけていきます。従来の批判的思考法ではあまり取り上
げられることのなかった,科学方法論にも焦点を当てて解説します。加えて,科学技術に
関わる問題を吟味・検討することを通して,複眼的に物事を見るスキルや態度を身につけ
ることもねらいとします。」
⑤熊本大学
(http://syllabus.jimu.kumamoto-u.ac.jp/kusy_detail.php?nendo=2012&scd=42&jcd=50
106)
科目名:看護診断学
1) 看護実践におけるクリティカル・シンキングを理解する。
2) 看護記録の目的・方法,POSの看護記録を理解する。
3) 看護過程に看護理論を活用する意義を理解する。
4) 看護過程の5段階(アセスメント,看護診断,計画立案,実施,評価)を理解す
る。
5) ゴードンの機能パターンを用いた看護過程の展開を理解する。
20
本 田 康 二 郎
5.独自カリキュラムの具体案
新しい科目を導入するならば,それを既存科目との関係の中に位置づけ,お互いの教
育効果を高めあうことが望ましい。本章では,本学の既存科目とクリティカル・シンキ
ングを接続した新しいカリキュラムの具体案をまとめる。
5-1.大学基礎セミナー・アカデミックスキルズ・クリティカルシンキングの三位一体
第3章で述べたように,金沢医科大学一般教育機構のこれまで行ってきた取り組みの中で画
期的ともいえる教育システムは PBL 教育の場としての大学基礎セミナー(以下で適宜 DKS と略
記する)である。DKS では,複数(約 15 名)の教員が教材開発に関わり,毎年指導方針を議論し
ていく場が用意されているので,教員の FD 研修としても機能している。この科目を主軸として据
えることで,一般教育機構全体がチームとして学生に向き合う状況を生み出している。そこで,
新科目を導入する際には,この科目をサポートして活かしていくシステムが生み出されるように配
慮が行われた。
例えば 2012 年度より導入されたアカデミック・スキルズ(導入時の名称は「日本語表現法」,以
下で適宜 AS と略記する)は,2013 年度より本格的に DKS との有機的な連携を深めた。AS で当
初教えていた情報検索の方法論は,現在 DKS の内容に編入されている。この情報検索の場面
で,特定の学説(これまで地球温暖化に対する「CO2犯人説」を具体例として取り上げてきている)
に対する賛成意見(Pros)と反対意見(Cons)を両方とも調べるよう指導している。ここで,科学研
究の現場では定説が確立していないということを実感させ,物事を多角的に見ることの重要性を
6)
ローパー・ローガン・ティアニーの生活行動看護モデルについて理解する。
⑥東京医科歯科大学(http://www.hslp.jp/events/2013/07/25/gc-tokubetsu/)
科目名:グローバル・コミュニケーション
「●英語により医学情報(論文やデータベース)を読む能力,口頭または文書で情報発信
を行い,議論する能力を持つ ●適切な基準や根拠に基づく,論理的で,偏りのない思考
(クリティカル・シンキング)ができる ●世界共通言語による世界の医療・健康事情の
把握と,それによる広い視野を持つ」
⑦獨協医科大学(http://www.dokkyomed.ac.jp/dmucn/curri.html)
科目名:クリティカル・シンキング
「今年度の新入生から,筋道の通った考え方,物事を正しく解釈できる思考を訓練する授
業科目「クリティカル・シンキング」を導入した。(獨協医科大学看護学部)」
(http://www.asahi.com/edu/hiraku/article15.html も参照のこと。)
⑧上智大学(http://www.sophia-humans.jp/department/05_nursing.html)
総合人間科学部看護学科
科目名:クリティカル・シンキングⅡB(2年次)
このように,多方面の大学においてすでにクリティカル・シンキングという名目の講義
が導入され始めている。医学教育の世界でも,アメリカのメディカル・スクールではこの
科目がすでに導入されており,日本の医科大学や医学部,看護学部においても少しずつこ
の傾向が広まっている。
金沢医科大学の初年次教育システム ―三つの教育手法の統合―
理解させている。これを受けて,その後の DKS では課題にそった多角的な情報検索とその要約
のトレーニングが行われている。AS では DKS におけるディスカッションを活かしながら,それに関
連するテーマについて「議論→情報収集→アウトラインの作成」という流れで論文作成のトレー
ニングを行っている。
AS の講義では論文執筆前にアウトラインを構成することの重要性を説き,学生たちは実際に
グループ内で議論しながらアウトラインを作る練習を行ってきた。また,参考文献の用い方や参
考文献表の書き方なども指導されている。こうした指導を行うことで,学術論文の体裁や書式を
理解させることには成功している。
しかし,学生たちは調査して得た資料を批判的に検討する能力を伸ばせずにいたし,自分の
所論を論理的に構成して話すことに対してもまだ意識的ではなかった。こうした批判能力や論理
構成力などのいわゆる「考える力」をつけるためには,AS だけでは十分な時間を確保できていな
かったのである。これを補うために新たに導入を検討したのがクリティカル・シンキング科目(以下
で,適宜 CT と略記することがある)であった。DKS においては「プレゼンテーション能力の涵養」
を通じて「考える力」を養うことを目指しているが,クリティカル・シンキングにおいては「文章批判
力の涵養」を通じてこの目的に向かえば,より充実した教育効果が期待できる。
このように DKS を中心として,AS と CT がこれをサポートしながら有機的に連携する三位一体
の取り組みができれば,新しい教育効果を生みだすことを期待できると思われた。具体的に3つ
の科目の教育目標をまとめておこう。

DKS: 問題発見能力,情報収集力,プレゼンテーション能力の涵養

AS: コミュニケーション能力,アカデミック・ライティング技術の涵養

CT: 能動的態度,論理的推論能力,文章表現力の涵養
これら三つの科目の関係性を踏まえ,2014 年度の日程を例にして講義概要をまとめたものが
表2(「CT 科目案とその既存科目との関係」)である。
表2の中で,CT は AS との密接な連携が意図されている。夏休み前まで,批判的態度の涵養
を行い,余裕があれば論説文執筆のトレーニングを行う。そこで培われた力は夏休みの AS の論
文執筆課題に活かしてもらう。夏休み明けには,クラス内の他の学生が書いた論文を読み,その
批評を行なわせる(ピア・レビュー)。他人の論文を読み,論理構成の適否や批判的視点の有無
などを確認させ,批評能力を培わせる。また,友人からの批評を読み,それに基づいて自分の
論文を手直しする中で,認知的スキルや文章表現の復習をすることが目指される。
CT で学ぶ批判的態度は,DKS の講義の中で行われるグループ討議の中でも役に立つことに
なるであろう。また,CT の講義の中で他人の考え方をじっくり聞く練習を行えば,DKS における
グループ討議において,より深い交流が行われ,議論の質も高まることが期待される。
三位一体システムの中では,「DKS の課題選定→AS および CT の課題選定(DKS の課題に
連動させた内容を選ぶ)」という流れを保ち,三科目が常に一体となって教育を行う形を取ること
で,各科目が互いに補い合いながら学生に多方面から刺激を与え,総合的なジェネリックスキル
を身につけさせる仕組みとなるだろう (図1)。
21
22
本 田 康 二 郎
図1. DKS/AS/CT 三位一体の初年次教育システム
23
金沢医科大学の初年次教育システム ―三つの教育手法の統合―
アカデミック・スキルズ (AS)
大学基礎セミナー (DKS)
クリティカル・シンキング (CT)
月・火
水
木
I(9:00~9:50)
Ⅱ(10:00~10:50) Ⅲ(11:00~11:50)
4/14-15
①ガイダンス
②グループ交流
4月16日
概要ガイダンス
(M30)
4/21-22
③大学での学びとは何か
④ノートの取り方
4月23日
自己紹介・初年次教
育(セミナー室)
①ガイダンス クリティカル・シンキングと医学
9:30~ 導入学習:要約(M30)
4月24日
② クリティカル・シンキングとは何か① 論理学概論
連休
4月30日
初年次教育・個別発
表(セミナー室)
連休
5月7日
初年次教育(セミナー 9:30~ 課題学習ガイダンス(D31)+
α?
室)
5月14日
早期臨床体験実習
早期臨床体験実習
5/19-20
⑥レポートの書き方1
⑦レポートの書き方2
5月21日
5/26-27
⑧レポート作成 テーマ1「乳がん検診」①
⑨レポート作成 テーマ1「乳がん検診」②
5月28日
⑩レポート作成 アウトラインの発表
⑪班替え
6月4日
6/10-23
4月17日
③ クリティカル・シンキングとは何か② 文章読解
導入学習:ハンドアウト
4月28日 ⑤ハンドアウトの作成
6/3-9
9:30~ 導入学習:文献検索(M30)
⑫グループ交流
10:00~ 導入学習:討論と発表(D31)
自己紹介・「手引き」
による説明
6/23-24
⑬レポート作成 テーマ2「赤ちゃんができた」①
⑭レポート作成 テーマ2「赤ちゃんができた」②
6月25日
6/30-7/1
⑮レポート作成 アウトラインは発表
⑯パワーポイントの使い方
7月2日
⑤ 論説文の形式を学ぶ②
早期臨床体験実習
課題1
5月29日
⑦ 解説
課題1
6月5日
⑧ 論説文を書く②
6月12日
⑨ 解説
6月19日
⑩ 論説文を書く③
6月26日
⑪ 解説
7月3日
⑫ 小テスト(論説文作成スキル)
課題2
課題2
課題2の振り返り(セミ
ナー室)
5月8日
⑥ 論説文を書く①
課題2
6月18日
④ 論説文の形式を学ぶ①
5月22日
課題1
6月11日 課題1の振り返り
6/16-17
5月1日
パワーポイントの使い方(M30)
夏季休暇
夏期休暇
夏期休暇
8/18-19
⑰DKS「キーワード」抽選会
⑱プレゼンテーションの技術
8月20日
発表準備(セミナー室,M30)
8月21日
⑬ レポートの批評
8/25-26
⑲DKS発表準備
⑳DKS発表準備
8月27日
中間発表1(M30)
8月28日
⑭ レポートのブラッシュアップ
9/1-2
㉑プレゼンテーションのブラッシュアップ
㉒プレゼンテーションのブラッシュアップ
9月3日
中間発表21(M30)
9月4日
⑮ レポートのブラッシュアップと全体のまとめ
9/8-9
㉓レポートの書き方3
㉔レポートの書き方4
9月10日
本発表1(M30)
㉕提出レポートの再構成
㉖ メディカル・ドローイング 1
9月17日
本発表2(M30)
9/16-17
㉗ メディカル・ドローイング 2
9/18-22
㉘ メディカル・ドローイング 3
㉙ メディカル・ドローイング 4
9/29-30
㉚春学期の総括と展望
成果: ライティング技術とネットワーキング
アカデミック・スキルズで書いた
レポートを互いに批評する。
9月24日
成果: 情報収集とプレゼンテーション
表2. CT 科目案とその既存科目との関係
成果: 論理的推論と文章表現
24
本 田 康 二 郎
5-2.クリティカル・シンキング科目の学習要項案と期待された教育効果
これまで述べてきたような形で,クリティカル・シンキングは DKS と AS との密接な関連をもった
科目として設計されることが目指された。
科目設定の段階で作成された学習要項の素案を以下に示す。
【学習要項案】
クリティカル・シンキング
キーワード: 文章読解,文章作成,批判的思考
概要:
文章の論理構造の把握力,主題に対する批判的思考力を身につけ,学術文献を読解す
る。講義では,論理学の基礎的知識を身につけた上で,論説文の形式を身につける。実
際に論説文を作成することで,文章力と論理的思考力を鍛え,それらの校正作業を通じ
て批判的思考力を高める。
行動目標:
① 論理学の基礎知識を身につける。
② 論説文の構造を読み解く能力を身につける。
③ 論理的文章の作成能力を身につける。
評価方法:
行動目標 行動目標 行動目標 評価項目
①
②
③
別計
ユニット試験成績
実習成績
レポート
出席状況
授業態度
小テスト
口頭試問
30
10
10
30
10
30
その他(レポート批評)
行動目標小計
30
10
30
20
20
20
(総計)
100
50
教科書:クルーシアス『大学で学ぶ議論の技法』杉野・中西・河野(訳),慶応義塾出
版,2004
参考書:Anthony Weston, A Rulebook for Argument, Hackett(2009)
25
金沢医科大学の初年次教育システム ―三つの教育手法の統合―
成績については,実習課題10点×3回,小テスト10点×1回,レポート批評20点×1回,レポー
ト(校正作業)10点×1回,授業態度30点の合計から評価を行うよう設計された。
最後にこの科目の導入によって期待される一般教育機構全体に対する教育成果を表3にまとめ
る。表1で指摘された弱点課題を減らし,本学の初年次教育を大幅に充実させる可能性を秘めた
科目であることが分かるはずである。
レポート・論文の書き方などの文章作法
アカスキ
大学基礎セミナー
医学セミナーⅠ
○
○
△
△
○
その他
CT
○
△
△
△
○
△
学問や大学教育全般に対する動機付け
プレゼンテーションやディスカッションなどの口頭発表
技法
○
○
受講態度や礼儀・マナー
△
△
情報収集や資料整理の方法とノートの取り方
○
△
読解・文献購読の方法
△
△
○
△
△
△
△
△
○
○
○
将来の職業生活や進路選択に対する動機付け
社会の構成員としての自覚・責任感・倫理観
情報の科学
○
学生生活における時間管理や学習習慣の確立
論理的思考力や問題発見・解決能力
総合人間科学
△
コンピュータを用いた情報処理や通信の基礎技術
図書館の利用・文献検索の方法
アドバンスト・コース
△
○
○
△
△
△
○
学生の自信・自己肯定感
チームワークを通じての協調性
○
大学への帰属意識
△
○
△
△
△
△
フィールド・ワークや調査・実験の方法
○
表3. クリティカル・シンキング導入によって期待される教育成果(予想)
6.DKS/AS/CT 三位一体の初年次教育システム始動
5章までの検討をうけて,一般人にも分かりやすく批判的思考の方法を教えた経験を持つ人
物が求められ,哲学カフェの運営実績もある菊地建至講師(人文科学)が迎えらえた。その結果,
2015 年度より金沢医科大学に新科目「クリティカル・シンキング」が導入される運びとなった。
菊地講師は期待されていたとおりの教材開発を行い,一年生に「早合点するのでなく,常日頃
からひとの話を聞き,さまざまな意見や疑問を尊重して聞き,じっくり他者とかかわること」(教材よ
り)を目指すよう促す講義を始めた21。
アカデミック・スキルズの課題として提出されたレポートを,CT 講義の中で交換し,クリティカ
ル・シンキングで学んだ批判的思考を活用して互いの論文を批評しあうという新たな試み(ピア・
レビュー)を行う試みも実現された。こうして,大学基礎セミナーとアカデミック・スキルズ,さらにク
リティカル・シンキングの三つを連動させた「三位一体の初年次教育システム」が始動したのであ
る。
三科目の有機的連動の試みは,まだ始まったばかりであり,今後さらに新しい連結の形が試さ
21
具体的な講義内容については,本号(『金沢医科大学教養論文集』Vol.43)に掲載され
た菊地建至氏の論文を参照のこと。
26
本 田 康 二 郎
れていくことになるであろう。三つの科目が互いの教育効果を高めあうような完成形を作り上げて
いくことが目指されている。
7.結論
これまでの議論の中で述べてきたように,クリティカル・シンキングという科目の導入は,金沢
医科大学の掲げる「良医の育成」という教育目標の達成に大きく貢献する可能性を秘めた科目
であり,またこの科目の導入により既存の科目(大学基礎セミナー,アカデミック・スキルズ)の教
育効果をさらに高める可能性が高いものであることが示された。この科目によって,学生たちの
批判精神と論理的思考能力が高まり,これにより生涯を通して学び続ける意志と能力が育まれる
はずである。
また Problem Based Learning (PBL)と Academic Writing ,さらに Critical Thinking という三つ
の教育手法を連結させて有機的な教育システムを作る試みは国内において前例がなく,大学に
おける初年次教育の新しい形として独創的な取り組みとなっていくだろう。
さらに,このような取り組みによって養われた能力を継続的に高めていくという新しい目標が見
えてきた。これを実現するためには,専門科目との連動を目指さなければならない。この課題に
取り組むために,専門科目の中に,①問題探究や,②クリティカル・シンキングや,③ライティン
グなどの課題を盛り込んで新しい教材を開発する取り組みを予定している。この試みについては,
稿を改めて別の機会に論じてみることにしたい。
参考文献
ベネッセ教材『Critical Thinking』,『Logical Thinking』 VIEW21, Extra Edition, Vol.2,
pp.36-39
中 央 教 育 審 議 会 『 学 士 課 程 教 育 の 構 築 へ む け て 』 文 部 科 学 省 , 2008
http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2
008/12/26/1217067_001.pdf
大学評価・学位授与機構『大学評価文化の展開』ぎょうせい,2009
愛媛大学・山本與志隆「日本語リテラシー入門」(シラバス)
福岡大学・関口浩喜「アカデミック・スキルズゼミⅠ」(シラバス)
福沢一吉 『文章を論理で読み解くための クリティカル・リーディング』NHK 出版,2012
平柳行雄 「『クリティカルシンキング』という授業受講が『批判』力と論証文作成力に及ぼす効果」
『大阪女学院短期大学紀要』,42 号,2012
伊勢田哲治ほか 『科学技術をよく考える クリティカル・シンキング練習帳』名古屋大学出版会,
2013
本田康二郎ほか 「技術者倫理教育における教育効果測定」『教育フロンティア研究会資料』
FIE-09-46,電気学会,2009
金沢医科大学の初年次教育システム ―三つの教育手法の統合―
河合塾「特集2 大学教育の国際的通用性」『Kawaijyuku Guideline』河合塾,2010
久保田祐歌「どのような授業でクリティカル・シンキングを教えられるか」『名古屋高等教育研究』
第 10 号,pp.253-268,2010
楠見孝「初年次教育において思考力を育成する意義」ベネッセ大学シンポジウム資料,
pp.61-74,2013
九州大学大学院共通教育科目「クリティカル・シンキング」(シラバス)
Mark Quirk, “Shifting the Medical Education Paradigm form Knowledge to Critical
Thinking,” handout of Harvard Academy Education Day/ハーバード・メディカ
ル・スクールの講義概要(PPT 資料)
Lee, Robert M.K.W and Yin Kwan, Chiu “The Use of Problem-Based Learning in
Medical Education,” Journal of Medical Education, Vol.1 no.2, 1997
荻原 哲・望月 太郎「アジア型クリティカル・シンキングの教育モデルをもとめて」 『大阪大学
大学教育実践センター紀要』第4号,pp.43-52,2007
大 野 智 「 『 あ の 人 に 効 い た 』 は , 私 に も 効 く か ? 」 apital, 2012 ( ウ ェ ブ サ イ ト ) ,
http://apital.asahi.com/article/kiku/2012121200003.html
大阪府立大学「クリティカル・シンキング能力を育む~医療・看護問題をテーマに~〈初年次ゼ
ミナール〉」(シラバス)
Simpson and Courtney “Critical thinking in nursing education: Literature review,”
International Journal of Nursing Practice; 8: 89-98, 2002
初年次教育学会編 『初年次教育の現状と未来』世界思想社,2013
武田明典ら 「高等教育におけるクリティカルシンキング」 『神田外国語大学紀要』,22 号,
2010
塚原修一(編著)『高等教育市場の国際化』玉川大学出版部,2008
27
29
「クリティカルシンキング入門は,何をすることなのか(1)
」
菊 地 建 至*
An Introduction to Critical Thinking: Meaning, Object, and the First Step
Takeshi KIKUCHI*
【要旨】
本稿は,クリティカルシンキング(略 CT)の入門授業に関して我々は何を知るべきかという主
題について,理論及び実践の両面から論じる。CT 全般を論じるものではない。本号の「クリティ
カルシンキング入門は,何をすることなのか(1)
」はその前半であり,筆者の CT 入門が実際に
どういうことをしているのかを重点的に扱っている。理論的な考察は次号掲載の(2)を中心にす
る。
(1)では,主に三つのことを論じた。CT の意味について【1-2】
,CT を学ぶ目的について【1-3】
,
CT を理解するとはどのようなことかを明らかにする一環として,アーギュメントに注目する CT
入門の実践のポイントについて【2-1】である。また,本論の最初の節で,金沢医科大学1年生必
修の授業「クリティカル・シンキング」及び「医療と社会」の授業計画を示した。
【目次】
序
1 何のためにクリティカルシンキング入門で学ぶのか
1-1
クリティカルシンキング入門の授業計画のスケッチ
1-2
クリティカルシンキングという言葉は,何を指すのか
1-3
クリティカルシンキングの目的について
2 クリティカルシンキングを理解する
2-1
アーギュメントに注目するクリティカルシンキング入門
【以上が,
『教養論文集』本号(第 43 号)に掲載する部分です】
2-2
心理学的クリティカルシンキング入門
2-3
クリティカルシンキングをかなり理解できたということは,何ができるようになる
ことか
3 クリティカルシンキングにブレーキをかけるものについてよく知り,クリティカルシンキング
を抑制することや恐れることから前進する
4 「クリティカルシンキング入門」の条件の解明と今後の課題
【以上は「クリティカルシンキング入門は,何をすることなのか(2)
」と題して,
『教養論文集』
第 44 号に掲載する予定です】
*
人文科学 Department of Humanities
(平成 27 年 12 月 14 日受理)
30
菊 地 建 至
序
「クリティカルシンキング入門は,何をすることなのか」という問いに,3通り別個に答えるの
が,本論の1から3までである。すなわち,CT の意味と CT を学ぶことの目的を示すことで答え
る1,CT を理解するとはどのようなことかの探究で答える2,
「クリティカルシンキング入門は,
何をすることなのか」という問いかけが修辞疑問である場合にそれにどう応答するか,その取り組
みとしての3である。そして,これらを踏まえ,筆者が開いているクリティカルシンキングの入門
授業(及び学校外の CT 入門・集中ゼミ)の独自性と課題を論じるのが,本論の4である。
本稿がクリティカルシンキング全般を論じるのではなく,その対象を,クリティカルシンキング
の入門授業に関して我々は何を知るべきかという主題に限ることを,ここで明確にしておかねばな
らない。CT を大学・専門学校・高等学校等の授業として論じるにしても,技術や知的実践の一種
として論じるにしても,CT は非常に広い範囲に及ぶものである。とりわけ,クリティカルシンキ
ングが学校教育に導入された当初から中心的な位置を占めるアーギュメント(議論)評価の技術,
また,科学リテラシー学習,これらに関しては,かなり高度な内容もある。本稿は「入門」に考察
範囲を絞り,詳しくこれを論じる。
また,本稿の読者には,これがクリティカルシンキング入門の金沢医科大学での実際の運用のあ
りよう,筆者の授業や諸教材の工夫等について割く部分も大きいことを断り,その趣旨をご理解願
いたいと思う。これには,下記の二つの背景がある。ひとつは,これが,筆者が勤める金沢医科大
学の定期刊行論集『教養論文集』に寄せるものであることに関係する。筆者の CT に関連する教育
歴は長いものの,
本学での CT は導入一年目にあり,
多様な本学関係者も読者として想定している。
二つ目の背景は,哲学系クリティカルシンキングが「医学教育」や「教養と専門の両方に深くかか
わる教育」の重要な部分となりうることはこれまで十分に認識されてきたことではなく,むしろ,
将来のあるべき形として社会に問うものだということである。したがって,クリティカルシンキン
グとその学びに関する専門的な議論だけでなく,ある程度具体的な取り組みの公開によってもクリ
ティカルシンキング入門が理解され,かつ,吟味の対象とされることが肝要である。
1 何のためにクリティカルシンキング入門で学ぶのか
1-1
クリティカルシンキング入門の授業計画のスケッチ
まず,筆者がクリティカルシンキング入門としてどういう授業を実施しているのかということに
関して,2016 年度の前期及び後期の授業計画(金沢医科大学)を記そう。どのようなことが大学
の授業としてのクリティカルシンキングで実行されるのか,読者が具体的なイメージを持つことが
できたほうが,本論を読むにあたってよいからである。
前期科目の「クリティカル・シンキング」
(一年生・必修)に関しては,ここでは各回テーマを
「クリティカルシンキング入門は,何をすることなのか(1)」
挙げ,それぞれの概要は本論の関連各所で詳述する。後期の専門準備科目「医療と社会」
(一年生
必修)に関しては,ここでひとまとめに各回テーマと概要を記す。
「医療と社会」というタイトル
にクリティカルシンキングは入っていないが,筆者は「医療と社会【後期】
」を,考察の領域を「医
療と社会」に限定してクリティカルシンキング入門を継続するものとして構成している。
2016 年度「クリティカル・シンキング」
(前期・一年生必修)授業計画
第1回 ガイダンス
第2回 講義とワーク −−−−自分の気づき,思いや疑問を率直に言葉にする
第3回 講義とワーク −−−−アーギュメント(結論とその根拠)を特定する
第4回 講義とワーク −−−−キーワードの明確化に取り組む (主に「自由」と「強制」について)
第5回 実習 −−−−授業参加者は,
「あなたが(匿名で)文章を書く,つづいて,それを読んだ二人
の学生が(匿名で)それぞれの考えを書く」紙上対話に取り組む
第6回 講義とワーク −−−−心理学的クリティカルシンキング1
第7回 講義とワーク −−−−心理学的クリティカルシンキング2
第8回 講義とワーク −−−−互いの論述を批評する実習のための準備学習
第9回 実習 −−−−ピア(授業参加者どうし)で,CT を生かし互いの論述に詳しくコメントする
第10回 ゲスト講師による特別講義 −−−−「科学研究」及び「医療統計」とクリティカルシンキ
ング
第11回 講義とワーク −−−−リベラリズムにおける善い生き方,多様な価値やライフスタイル,
思想と言論の自由等について考える
第12回 講義とワーク −−−−推論とその評価について考える
第13回 実習 −−−−学期末の最終課題の準備
第14回 実習 −−−−ピア(授業参加者どうし)で,CT を生かし,
「アカデミック・スキルズ」
(前
期・一年生必修科目)のレポートにコメントし合う
第15回 授業のまとめ
2016 年度「医療と社会【後期】
」
(後期・一年生必修)授業計画
「医療と社会」は一年生必修・専門準備科目のひとつであり,通年 2 単位の授業である。前期は,
同僚の本田康二郎氏(人文科学)が担当し,主に生命倫理学を講義する。後期が筆者の担当であり,
「医療と社会【後期】
」におけるクリティカルシンキング関連の目標はつぎのことである。すなわ
ち,
「医療と社会」の領域に関して CT を何度も実行すること,また,CT を実践する者どうしのか
かわり方をよく理解し,ピア(同僚・学生どうし)の CT を自主で行なえるようになることである。
31
32
菊 地 建 至
そして,それらの実践と考察を通して,CT の理解がさらに深まる。
第1回 ガイダンス
授業参加者は,ガイダンスを聞き,後期「医療と社会」の目標や特徴,前期「クリティカル・シ
ンキング」と後期「医療と社会」の関係等を理解する。
【ホームワーク:前期授業の復習】
第2回 医療・福祉の公的制度,及び「制度とその利用に関して,正しいとはどういうことか」1
授業参加者は,医療・福祉の公的制度とマーケット(市場)
,
「ニーズ needs」
,
「市場化」等の概
説と映像資料から,問題点を整理することに取り組む。
【ホームワーク:問題点について調べる】
第3回 医療・福祉の公的制度,及び「制度とその利用に関して,正しいとはどういうことか」2
授業参加者は,
「医療・福祉の公的制度1」の内容と,
「平等と不平等」
,
「公正と不公正」
,
「選択
の自由」等の概説をふまえ,
「問いと,その問いに答える結論と,その結論を支える根拠」を論述
する。
【ホームワーク:1200 字以上の論述】
第4回 エンハンスメント,及び「医療行為とはどういう行為か」
・
「医師や研究者は患者等のどの
ような望みの実現も助けるべきか」
授業参加者は,読書資料や参加者どうしの対話を生かし,
「エンハンスメント enhancement」及
び「エンハンスメントの欲望と倫理」について,じっくり,複数の視点で考える。また,統計や因
果関係についての CT を学ぶ。
【ホームワーク:次回実習・紙上対話の準備】
第5回 実習
授業参加者は,
「あなたが(匿名で)文章を書く,つづいて,それを読んだ二人の学生が(匿名
で)それぞれの考えを書く」紙上対話に取り組む。
【ホームワーク:これまでの授業の振り返り】
第6回 医療におけるケア,及び「医師はケアとどうかかわるか」
授業参加者は,
「自律」
,
「ケア care」
,
「自分で自分をケアすること」
,
「他者とのケア関係の中で
自分のケアをすること」
,
「患者さんが自分で自分をケアすること,ケアの関係,それらも重視する
医師,もしくは,そういうことは自分の職務にかかわりがないと考える医師」等について,複数の
視点で考え,
「明確になった考えと,まだ明確に語れないが重要だと思う問題」を整理する。
【ホー
ムワーク:コミュニケーションカード,及び第9回授業での分担報告のための準備】
第7回 QOL(Quality of Life)
,及び「医師は QOL とどうかかわるか」
授業参加者は,資料(ドキュメンタリー)から問題点を整理し,
「問いと,その問いに答える結
論と,その結論を支える根拠」を論述する。また,医師と患者の対話や医療コミュニケーションに
「クリティカルシンキング入門は,何をすることなのか(1)」
ついての CT を学ぶ。
【ホームワーク:次回実習の準備】
第8回 実習
授業参加者は,参加者どうしの問題提起・論述の検討(すなわちピアによる CT コメント)を生
かし,エンハンスメントの倫理や法規制,医療の目的と手段,望ましい医療制度,
「QOL」等に関
する自分のアーギュメントの改良に取り組む。
【ホームワーク:論述のリライティング】
第9回 医療の社会史,及び「社会と医療はどうかかわってきたか」
授業参加者は,医療者と病院の社会史,日本社会における「健康」概念の歴史と現在,
「再生医
療」と社会,
「健康格差」と社会等の分担報告を聞き,将来医師でもある自分がいる社会・地域の
課題を整理することに取り組む。
【ホームワーク:これまでの学習及びホームワークの発展】
第10回 ゲスト講師による特別講義 −−−−「医学」及び「医師の職業倫理」とクリティカルシン
キング
ゲスト講師による講義を聞き,ゲスト講師との対話に参加する。
第11回 「健康増進」と「健康格差」
授業参加者は,
「健康格差」
,介入の「ポピュレーション・アプローチ」
,
「ナッジ」等の概説をふ
まえ,
「問いと,その問いに答える結論と,その結論を支える根拠」を論述する。
【ホームワーク:
論述と,ピアによる CT コメント】
第12回 実習
授業参加者は,健康という概念,医師の職業倫理,健康格差問題等のアーギュメントのアウトラ
インを,複数人で協力して作成する。
【ホームワーク:冬期休暇課題】
第13回 社会医学(保健医療)や社会保障の国際比較,及び「グローバル化とはどういうことか」
授業参加者は,グローバルな視野で「社会医学(保健医療)や社会保障」を考えるための資料を
読み,CT を実践する。
【ホームワーク:冬期休暇課題のつづき】
第14回 実習
授業参加者は,CT の学びを存分に生かし,
「未来の社会やある地域において,ひとがよく生きる
ために,将来医師でもあるあなたは何をするか,また,何をすべきか」に関する各自の論述に,他
の学生とコメントし合うワークに取り組む。
【ホームワーク:これまでの授業の振り返り】
第15回 授業のまとめ
33
34
菊 地 建 至
1-2
クリティカルシンキングという言葉は,何を指すのか
クリティカルシンキングの授業を担当する教師や CT 学習書の著者が CT について語る時に避け
られない説明書きがある。すなわち,次のことである。クリティカルシンキングの”critical”も,訳
語の「批判的」も,第一にその対象の言論を否定することや非難することに直結して理解されるべ
きではない。また,それは他人を非難しがちな人物を表す言葉でもない。CT は必ずしも否定や非
難を導く思考ではなく,明確に区別する思考や吟味する思考を指すということを中心に理解される
るほうが適切である。
筆者も,授業やそれ以外の CT 集中ゼミ(セミナー)の冒頭で,
「CT は,こういうものではない」
という特徴づけと,CT の実践や力を「肯定的な言葉で特徴づけて」理解することを,並べて話す
ことから始めている。
それでは,CT はどのような思考や知的実践であるのか。また,学校のカリキュラムにおいて CT
の入門授業はどのようなものなのか。これらを詳しく論じるのが本論全体であるが,まず本節では,
CT の意味に焦点を当て,その見通しを示す。
日本社会における近年の重要なクリティカルシンキングの研究書1と学習書2では,クリティカル
シンキングはどのように定義されているのか。
CT というのは,他人の主張を鵜呑みにすることなく,吟味し評価するための方法論である。
「クリティカル」というのは,日本語に直訳すれば「批判的」ということだが,日常的にいう
「批判」とは違い,相手をけなすというようなニュアンスではなく,相手の言っていることを
最終的に肯定するにせよ否定するにせよ,その前に「よく吟味する」
「きちんと評価する」
という意味である。
さて,相手の主張をよく吟味するには,いろいろなものが必要である。CT の教科書では,
しばしば,
「CT の3要素」というものが挙げられる。それは,知識,スキル,態度である。
(略)
(伊勢田(他)編[2013], iii)
実は,科学的思考と呼ばれるものも,それぞれの領域に特有の要素をとりのぞいて骨組みだ
けを取り出すなら,一種の CT になっている。その意味では,CT を学ぶことは,科学のもの
の考え方の骨組みを学ぶということにもつながるのである。
(伊勢田(他)編[2013],v)
このように批判的思考には複数の定義がある。その中核は,批判的思考は,目標に基づいて
おこなわれる論理的思考であり,意識的な内省を伴う思考である。批判的思考における情報を
鵜呑みにしないで判断する能力は日常生活の実践を支える能力であり,学習や学問をおこなう
基礎となる能力である。これは,
(略)批判的思考は,さまざまな市民生活,職業,学問領域
において適用できるジェネリックスキルであり,転移可能なスキルであるという位置づけと結
びつく(Phillips & Bond, 2004)
。
(楠見(他)編[2011] , p.3)
「クリティカルシンキング入門は,何をすることなのか(1)」
35
道田(2003)は,批判的思考の概念を「論理主義」
,
「一般的な批判的思考」
,
「第2波」に
分類している(略)
。
「論理主義」とは,良い思考を理論評価や論理分析に還元可能と考える古
典的立場であるとしている。
(略)
「第2波」は,
「論理主義」や「一般的な批判的思考」など,
論理操作や評価的側面を重視していた第1波に対して,批判と創造性が包括的に位置づけられ
ていたり,道田(2001)で述べられているように,共感や柔軟な対人認知なども批判的思考
の一部としてとらえられていたりするものである。
(略)
(楠見(他)編[2011], p.116)
それでは,本稿はクリティカルシンキングという語をどのような意味で用いるのか。本稿はクリ
ティカルシンキングを,
「早まることなく,細部にもかかわって,複数の視点で,吟味し,問い,
よく考えること,またそのための場を作ること,そして,それらのことが身につくための一連の本
番同様の練習や実践」という意味で用いる。
分けて,記そう。すなわち,CT の思考の特徴に関する意味と,CT の環境に関する意味である。
後に詳しく論じる必要があるが,CT の入門授業は前者だけでなく環境への視点も含まねばならな
いというのが本稿の主張である。
まず,本稿が重視する CT の思考の特徴について言えば,CT はどのようなものであるのか。ク
リティカルシンキングは,早まることなくじっくり,複数の視点で,細部にもかかわって,できる
だけ明確に,問い,よく考えることであり,その考えを率直かつできるだけ明確に表すことを含む。
学生とのかかわりを通じて,筆者は一つ一つ,下のようにパラフレーズするようになっている。
早まることなく −−−−「質問(疑問)があります」
,
「まだよくわかっていません」
,
「考え直して
いるからもう少し待ってください」
,
「このテーマでもう一度書き直したい」等は,CT ではプラス
に働く言葉だと思っていい。そういう発言や姿勢は,相手にただ苦情を言っているのでもなければ
非難や反発の表現でもない。本人の怠惰の表れでもない。クリティカルシンキングに取り組む者ど
うしの場ではそう受け止められる。そのような言葉は奨励されることであり,実際に活用するとよ
い。クリティカルシンキング入門では,このことを理解することが重要な経験であり,重要な達成
のひとつである。CT を通して,さまざまな「わからない」に落ちついて対処し,それらから目を
そらすのではなく「わからない」は重要な出発点であるという心構えで実践するひとが育つだろう。
細部にもかかわって −−−−「細かいことかもしれないけれど,そして普段の生活の中で細かいと
言われそうなことは言わないようにしてきたけれど,気になったことだから今回は自分用にメモし,
他のひとにも伝えようと思います」
,
「細かいことが気になっているのかもしれないけれど,語り
手・著者や聞くひとがこの言葉をどういう意味で使っているか,質問したい」
,
「このアーギュメン
ト(結論・根拠・推論)についてまだそれが確かなことだと言うには早いと思うから,判断や行動
決定を進めるのはもう少し待ってください」
,
「細かいことかもしれないけれど,自分自身や親しい
ひととの関係について変化を感じるから,耳を澄ませています」等は,CT ではプラスに働く言葉
だと思っていい。そして,
「細部にもかかわって」問い考えることは「早まることなく」問い考え
ることと通じるものである。
36
菊 地 建 至
複数の視点で,批判的に −−−−「この視点で正しいと思えても,別な視点からの考察や吟味を試
すことは有意義なこと,かつ,許されるべきことでしょう」
,
「疑問を呈することも根拠や異論を検
討することもなくただ権威に従うことや同調することがいつも正しいとしないでよいはずです」等
は,CT ではプラスに働く言葉だと思っていい。たしかに複数人集まっても視点がひとつであるこ
とや批判が許されないことは生じるが,それぞれのひとが本気で問い発言できる環境であれば,語
りや思考をともにする他者との経験は「複数の視点で,批判的に」問い考える取り組みへの道を開
くだろう。そして,そのように問い考えることが,早まることなく,細部にもかかわって吟味する
思考を実行し持続することにとって,強力な支えにもなるのである。
このような CT の意味や一見冗長な解説が CT の入門授業の参加者に共有されるのは,環境に恵
まれなければ批判的に考えることもそれを口にしたり耳にしたりすることも表れないことが珍し
くない,そういう経験と反省が共にされているからである。
「早まることなく,じっくり,複数の
視点で,細部にもかかわって,できるだけ明確に,問い,よく考える」ということはどのような環
3
境でも同じく実現しやすいというものではない。
そうであれば,個人別スキルアップの成果指向に閉じるのではなく,参加者が自他の成長やクリ
ティカルシンキングの働く環境について考えることも,クリティカルシンキングの重要な部分であ
ると理解し,クリティカルシンキング入門を形成するのはどうだろうか。
クリティカルシンキングが学校のカリキュラムにおいてどのような授業になるかという問いを
論じる際にも,本稿は,CT の思考と環境に関する意味の視点を重視する。
学びにおける思考と環境に関連するものとして,
「知的スキルやリテラシー」と「他者や集団と
のかかわり」の双方に注目する学力観,そしてそのような学力の育成を重視する大学教育は,近年
その支持が広がっている。たとえば文部科学省中央教育審議会が「学士力」と言って重要視するも
4 そこでは,学士力が,1知識・理解,2汎用的技能(ジェネリックスキル)
のもそうである。
,3
態度・志向性,4統合的な学習経験と創造的思考力から成るとされる。そして,数量的スキル,情
報リテラシー,論理的思考力,問題解決力,日本語と特定の外国語を用いて,読み,書き,聞き,
話すことができるコミュニケーションスキルの5つが含まれる「汎用的技能」は,総じて思考やリ
テラシーに注目するものである。また,
「態度・志向性」の中のチームワーク,リーダーシップ,
倫理観,市民としての社会的責任等は,他者や集団とのかかわりに注目するものである。それらが
幅広く求められる学力の育成に寄与する教養教育は,医科大学・医学部の教育プログラムでも,今
後求められる良き臨床医,医学者・科学者,研究する医師等へ育っていく医学生に欠かせない教育
課程の基幹的な部門に位置づくことが期待されてよいものであろう。
しかし,日本の学校教育で実際にこのような学士力の育成のための教育が十分に展開されている
かという点では,まだそうではないという評価が現状にふさわしいのではないだろうか。
また,たとえばチームワーク,
「共感や柔軟な対人認知」
(楠見・子安・道田[2011], p.116)等の
他者や集団とのかかわりに関する力と,個人の「思考力」がこのように並んで注目される場合でも,
両者の関係の問い,すなわち「思考とそれを表すことや聞くこと」と「他者や集団との良いかかわ
「クリティカルシンキング入門は,何をすることなのか(1)」
37
り」がどのような関係であるかという問題を検討している哲学系 CT 教育の研究は十分にないのが
現状である。思考の表現の良い活動の条件としても他者や集団とのかかわりのありようは重要であ
るのか,もしそうであるならばそれはどのようなものであるべきなのか。他者や集団との良いかか
わりの条件としても思考は重要であるのか,もしそうであるならばそれはどのように育つことが望
ましいのか。それらの問題の探究も加わって,望まれる教養教育の理解が深まるのである。
本稿が「環境」という言葉を用いるのはこのことに関係している。
「環境」は,ただ並存してい
るとか,並んで注目されるというのではない関係の解明も視野に入れるからである。そういう視点
から見れば,クリティカルシンキングの思考と環境の意味の探究,及び,そういう問題意識を重視
する実践報告と考察は,本稿も含め,日本の社会において今後一層の充実が期待されるものである。
もちろん,日本の大学教育で,たとえば筆者のよく知る分野の哲学・倫理学の授業に関しても,
個々の教師に興味深い実践や教材がある。CT に関する一人用の学習書・一般書にも優れたものが
5 アーギュメントや科学リテラシーの学習を
ある。心理学的な CT は読みやすい本に恵まれている。
重視する哲学系 CT では,翻訳書を除けば,伊勢田哲治氏や戸田山和久氏がかかわったものが取り
6 筆者もクリティカルシンキング入門の中でそれらを存分
かかりやすく,かつ,手堅い良書である。
に参照し,たびたび学生にも勧めている。
しかし,それらは基本的に個人ごとの学習やスキルの習得を前提にしたものが中心であり,また,
それらの教材・学習書がどのような場で,どのように用いられ,改良のためにさらに何が考えられ
るとよいかを語り合う場は少ない。ひろく日本の学校教育にクリティカルシンキングの授業が重要
な位置を占めるということも,哲学系 CT の実践報告が共有され,そこから考えるということもほ
7
ぼないまま,現在に至るのが現状だと言えるだろう。
それらのことも意識し,本稿は具体的な授業計画【1-1】
,ハンドアウトや実習の内容等も公開し,
開かれたものであろうと思う。クリティカルシンキング入門は,
「問いと結論と根拠のつながりの
発見や吟味」
【2-1】や「心理学的な CT」
【2-2】
,そして,自他の CT がどうなっているのかという
ことについての CT(ある主題について考えるだけでなく,たとえば自分がどのような考えるプロ
セスにいるかを考えること)
【2-3 及び 3】
,それらに関する理解や技術知も得られることを意図す
る。加えて,CT 入門にとって環境が重要だという前提と,CT 入門の実習や環境はピア(同僚,学
生どうし)で形成することが重要だという前提から,CT 入門は個々人のスキルやツールの獲得だ
けでなく,複数人でそれにかかわる実習や場の形成,そしてその条件の探究も重要な実践として内
に含まなければならないと考え,本稿は CT 入門のありようを論じる。
本節で示したクリティカルシンキングの見方を筆者が強調することは,理論的な考察だけでなく,
筆者の経験によるところも大きい。ここで,どのような場での経験なのかということも記す。まず,
筆者は非常勤講師としてこれまで多くの大学で多様な授業を担当する機会があった。どこでも学生
が CT を実践する際のブレーキとアクセルには共通することが少なくないことを経験し,それにつ
いて学生と話し,工夫を重ねた。その中から「CT 入門に,何が重要か」や「CT 入門は,何をする
ことなのか」を考え,そのつど授業を準備し直し,再び学生の声を聞く。本論の主題はいずれも,
8 また,学校外での哲学カフェ,CT ゼミ等の経験と,それらの
この経験と反省から生まれている。
参加者やそういう場を開いている友人たちとの対話・反省からも学び,常に考えている。加えて,
38
菊 地 建 至
大学等の高等教育に先行する初等・中等教育の「p4c(こどもの哲学)
」の取り組みからもこの面で
学ぶことが多く,筆者は小中学校教員の友人たちとこの社会での p4c の実践と理論の探究を続け,
9
そのプロセスを公開することにも取り組んでいる。
1-3
クリティカルシンキングの目的について
本節は,
「クリティカルシンキング入門は,何をすることなのか」という問いを,
「何のための」
CT なのかという目的の視点で考える。
クリティカルシンキングや,一般的に懐疑や思考に関して,
「それは,本人が考えずにいられず,
いわば考えてしまっているというようなことである」や「目的や成果など度外視して,CT するの
が楽しいというのが本来である」という考えがある。そして,大学で哲学を研究し,哲学教師をし
ているような者の多くにとってそれは率直な実感であり,魅力的な言い回しでもあるだろう。筆者
にも,その感覚を共有する面はある。
しかし,CT の実践の中の充実や楽しみだけでなく,その外にも目的や重視すべき帰結はあるの
かという問いに肯定的に答えることもできなければ,ひろく学校教育の中にクリティカルシンキン
グの入門授業が重要な位置を占めることはない。肯定的な応答を切り捨てず,本節は,何のための
CT がありうるかを考える。
CT を学ぶことは,社会のためになる。これに関して筆者が重視するのは J.S.ミル『自由論』で
論じられる考えであり,思想・言論の自由や吟味し合うことに開かれた言論が現在と将来の人類社
10 また,人類社会まで広げなくとも,そういうことが自分の
会のためになる,という考えである。
かかわっている集団のためになるということとして理解することもできる。本論ではこの論点に関
して,簡潔に,有力な説をいくつか紹介することにしよう。
ひとつは,社会において共有される情報の質の向上という意味で,CT は社会のためになるとい
うことである。これは,伊勢田哲治『哲学思考トレーニング』において,
「本書では,クリティカ
ルシンキングというものを,情報の送り手と受け手両方の共同作業の中で,社会において共有され
る情報の質を少しでも高めていくためのもの,としてとらえる」
(伊勢田[2005], p.15)と表される
ものである。これは,CT の社会的意義の中心であり,インターネット等の進展が著しい社会にお
いて,また,民主的な集団において,今後一層重要性が増す CT の目的の理解であると思われる。
もうひとつは,科学的思考や科学リテラシーの育成に役立つという意味で,CT は社会のために
なるということである。科学と CT に共通点が多いのは間違いなく,科学者や自然科学系教員,自
然科学や医学を学ぶひとがクリティカルシンキングの名を知らずともそれを実行しているケース
は数々ある。しかし,筆者が思うに,CT と科学的思考の関係の問題については理論的にも実践的
にも詳細な検討を要する。CT の学びと科学的思考の間には,CT をよく知ることが科学的思考の成
長を促すという関係があるのか,もしそうであればいかにそれが成立するのか,そういう問題に関
して,筆者は金沢医科大学の東海林博樹氏(生物学)
,本田康二郎氏(人文科学)
,有川智博氏(生
物学)らとの「教養の学びを駆使して科学するプログラムの開発」
(2015 年度)を通じて探究して
いる最中であるから,それの振り返りも含め,この問題は稿を改めて論じることとする。
「クリティカルシンキング入門は,何をすることなのか(1)」
他にも,CT は「シティズンシップ教育」や「民主教育」として有効だということも言われ,こ
11 CT の批判的な本質を考えれば,ただ従順で集団
れも社会のためになる CT に関する主張である。
主義的な人物を育てるという意味でシティズンシップ教育等を理解する場合には CT は役に立たな
いはずであるが,集団や他人への関心と自律・反省の意志を合わせ持つ個人に焦点を当てるならば,
CT は有用であろう。筆者も日本社会における今後の道徳教育を構想する際に「学生と教員が道徳
に関するクリティカルシンキングを実践すること」を重視するのがよいという論を示したことがあ
12
るが,それはこの文脈の議論のひとつとしても位置づけられる。
CT を学ぶことは,学ぶひと一人のためになる,このことも重要である。同時に社会のためにも
一人のためにもなるというケースがあるのは言うまでもない。たとえば医科大学であれば,学生が
科学者や研究する医師として成長することは本人のためにも集団のためにもなることは明らかで
ある。また,共有される情報や知識のありように注意深く,他者への関心が深い医師(良医)へと
成長することは,本人のためだけでなく,患者やその家族との話し合い,
「チーム医療」等におい
ても有益なことである。加えて,ここで重視するのは,社会や集団に抗する一人,社会や集団から
自分は外れるのではないかと思う一人にとっても CT は重要であり,ためになることも見逃されて
はならないということである。
たった一人で,また,少数派として社会や集団と戦うために,言論や心理の CT が生かされると
いう局面はある。その際,立論・反論や問題提起,それらの理解にとって重要な言葉の意味を明確
化すること等,クリティカルシンキングの学びによってアーギュメントの吟味の技法や着目点の把
握に通じていることは,力強いことである。また,心理学的 CT を身につけることによって,
「騙
し」や「間違った思い込み」や「心理的・認知的な偏り」によく気づくひとや翻弄されにくいひと
に育つこともまた,一人のためになる。
自分の感情,信念,思考,他人や集団とのかかわり,状況等について「早まることなくじっくり,
細部にもかかわって,複数の視点で,批判的に考える」CT は,さまざまに当人の気づきや変化の
始まりや促しにつながる。これは CT の醍醐味であろう。
CT を学ぶことは,他者との良い関係のためになる。これに関して詳しいことは3と4で論じる
から,ここではクリティカルシンキング入門の思考のエッセンスである「問いを発する」や「本気
の問いとして聞く」に関する一例を取り上げよう。
筆者がクリティカルシンキング入門の授業や集中ゼミで必ず話すことに,クリティカルシンキン
グに取り組む者(以下では「クリティカルシンカー」と呼ぶ)どうしでは,あなたの問いは修辞疑
問扱いされない,そのことを信じていい,ということがある。あなたも含めここにいる人達でいま
から始まる CT 入門も,そういう場になるだろう,そう伝える。修辞疑問というのは,たとえば受
験生の保護者から子どもへの「なぜこの一週間勉強をしなかったのか」
,学生を叱責する教師の「反
省しているのか」
,恋人からの「どうして会えないのか」等の言葉であり,形式から見れば疑問文
であるから発言したひとが言葉での応答を期待しているように見えるが,じつのところ「勉強しな
さい」や「会ってよ」という命令や怒り等の感情を伝える行為が主であるような言葉のことである。
そして,多くの参加者から「わたしの人生で交わした疑問文の大半が修辞疑問だったし,そうだか
ら質問したり質問されたりすることが嫌だった,いまでも恐いなあ」という気づきがたびたび聞か
39
40
菊 地 建 至
れる。
誰かによって発せられた質問や苛立ち,違和感や納得の行かなさ,考え中の不明瞭な何ごとか等
を,CT 入門に参加しているあなたは本気の問いであり思考であると受け止め,考え,答えようと
する。あるいは,すぐに答えず,しばらく待つことにする。CT 入門では,このことが歓迎される
ことを信じていい。逆に,あなたの本気の問いや思考からの言葉も,相手への反抗や鬱憤の表れ,
語りの拙さ等をことさら強調して捉えられるのではなく,率直にそのまま聞かれる。
「なぜ,この程度のことに,納得が行かないのか」
,
「当たり前のことなのに,あるいは同じこと
なのに,何の違いがあるというのか」
,すぐにそう思う時も,細部にかかわって,早まらず,その
ひとの話を聞くこと,つまり CT の実践は,感じ方,疑問,重視する価値や根拠等に関して,繊細
に異なりを知ることにつながる。また,そうした異なりや異なる面がある他者を即座に否定しない
かかわりにつながる。違いもよくわかるとともに,表面の対立に目を奪われてはわからなかった共
通性にも気づく,そういうこともある。そこでクリティカルシンカーになるひとどうしであれば,
そうでない場合よりも,ずっとそう期待できると言えるだろう。
クリティカルシンカーどうしでは,問いは,早まって修辞疑問として片づけられることはない。
この一点を共有するだけでも人間関係は大きく変わりうる。
ここまでで,個人が CT を学んだり身につけたりすることの目的や重視すべき帰結を整理した。
すなわち,社会において共有される情報の質の向上のため,科学的思考や科学リテラシーの育成の
ため,シティズンシップ教育や民主教育のため,CT を学ぶひと一人のため,他者との良い関係の
ため等。あなたが賛同する考えはどれだろうか。学術研究としては,それらがどの程度の確かさで
実現するのか,有効性はどうか,諸目的の相互の関係はどういうものであるのか等,さらなる議論
や調査が重要になる。筆者もそうした研究に加わる所存であるが,それは本論の考察の範囲を越え
ることである。
ところで,読者一人一人が「クリティカルシンキングは有意義である」や「クリティカルシンキ
ングのこの目的は,わたしが大事に思う集団・組織の将来のために,文化・ライフスタイルの将来
のために重要である」と思う時の重点は,それぞれ異なるということもあるのではないだろうか。
いずれの目的を重視するかは,集団内で収斂しないかもしれない。むしろ,そのほうが常だと言っ
ていいだろう。クリティカルシンキング入門を一年生の必修科目にしている本学でも,教職員が上
記のどれかひとつの目的だけを共有してそうしているのではない。そして,それでよい。学生がク
リティカルシンキングにかかわり始めるにあたって,CT の目的をひとつに絞らず,いくつかの目
的が現実的なものとして考えられるだけで十分である。そういう考えは,初年次教育や入門という
ものの理解として正しい。
筆者は,
「入門」は,単一の達成目標に向けて直線的な向上プロセスの中の「初級」や「低レベ
ル」と同じではないと考える。たしかに,入門は基本を重視する。そのことは,入門と初級の共通
点である。しかし,
「入門」という構えの良いところは,クリティカルシンキングを通じてこうあ
りたいというそのひとの緩やかな憧憬・目標や複数の関心を肯定的に包容できることにある。また,
たとえ高度な技術が身についた時にも,入門的な姿勢を持ち続けることはできるということにある。
それでは,
大学2 年生以上の教育の中でも,
クリティカルシンキングは有用だと言えるだろうか。
「クリティカルシンキング入門は,何をすることなのか(1)」
上記の諸目的につながるということから,
大学2 年生以上の専門教育や実習の事前事後の教育にも,
さらに卒業後の研修やいわゆる生涯教育においても,短時間の集中ゼミ形態も含め CT を取り入れ
ることは,有用である。そして,筆者はこれを提案する際にも,あらかじめ上記のどれかひとつの
目的だけを強調することはない。
専門教育や実習プログラムには重視する達成目標や全体の設計があるのが常であり,組織として
「我々はこの目的のために CT に力を入れる」という共通了解を持つこともあるだろう。また,そ
れぞれの科学やジョブの特性に応じて,CT の内容の選択と編集があることは理に適っており,良
いことである。筆者は,そうした各所での CT の工夫とかかわる中で,CT は豊かになると考える。
ただし,個々の参加者が「これがためになっている」と思うことがそうした共通目的と違うこと
は,実際にたびたび起こる。それに関して,
「それでは CT で何も学んでいないのと変わりない」
や「趣旨と違う結果が生じないように,CT の教育法をもっと厳しくコントロールしよう」という
予断は,クリティカルシンキングの本質からいって,望ましくない。専門教育や実習プログラムに
あっても,個人の「入門」という構えを排除しないことは大事なことである。これは,許容されて
よいことだと思う。また,実際には,筆者はあまり危惧していない。実際に経験して CT の良さを
わかったひとは,おそらく,目的や効果に関するそのような事前の目論見や心配だけを引きずり続
けることはないからである。
自他のクリティカルシンキングがどのような目的とプロセスの中にあるのかということについ
てのクリティカルシンキングはあるべきだが,それは,一つの目的手段関係に閉じたコントロール
のためでも,偶然性を退けるためのものではない。これについては,本論の3及び4で論じる。
本節の最後に,クリティカルシンキングにとって外的な目的を持つことだけがそれに取り組む動
機の中心なのか,このことも問われてよいはずである,ということにも触れたい。すなわち,
「目
的なしに」もしくは「実践自体が目的だから」CT を続けることはありうるし,それは望ましいひ
とつの形でもあるのではないのか,という問題である。筆者も,学校の内外で,直に複数人でクリ
ティカルシンキングに取り組む喜びや快さゆえに始まり,ただそれだけで続く,そういうヴィジョ
ンを想像する。また,そういう場を開くこともすでに実践している。しかし,本稿は,現在及び近
未来の日本社会の学校教育に根を下ろして実行できることは何かを考えることに重点を置く。CT
の目的について論じるのはここまでとする。
2 クリティカルシンキングを理解する
2-1 アーギュメントに注目するクリティカルシンキング入門
クリティカルシンキングはどのような思考や知的実践であるか。また,学校のカリキュラムにお
いてクリティカルシンキング入門はどのような授業なのか。これらに関して,本節では,アーギュ
メントに注目する CT の入門授業のどこに重点が置かれるべきかという問題を考察する。
本論 1-1 の「クリティカル・シンキング」授業計画(金沢医科大学)の,各回のテーマや実習概
41
42
菊 地 建 至
要は,筆者が実践するアーギュメントに注目する CT の入門授業の重点リストにもなっている。そ
れは,大別すれば三つに分かれる。便宜上 A,B,C とグループ分けし,以下に整理する。
A グループ
● アーギュメント(結論とその根拠)を特定する。
● 互いの論述を批評する実習のための準備学習に取り組む。
● 推論とその評価について考える。
B グループ
● キーワードの明確化に取り組む。
C グループ
●実習「紙上対話」
授業参加者は,
「あなたが(匿名で)文章を書く,つづいて,それを読んだ二人の学生が(匿
名で)それぞれの考えを書く」紙上対話に取り組む。
●実習「ピア CT コメント」とリライティング
授業参加者どうしで,CT を生かして互いの論述に詳しくコメントする。また,それを生か
し,各自アーギュメントの改良をはかる。
なぜ CT 入門の参加者は,結論とその前提(根拠)を見つけ,整理して示すこと(A グループ)
に取り組むのか。大学生であれば,改めて CT で学ばなくとも,論文を読み,そこから結論と根拠
を指摘することくらいできる。そう思われる読者も少なくないだろう。これに関して,現在の大学
では,論文からそうすることもままならない学生はけっこうな数いると言うことも,答えのひとつ
である。しかし,本論はそのことを重視するからアーギュメント(結論とその根拠)の特定に力を
入れるのではない。
普段の会話,マスメディアやインターネットでの気になる他人の発言,自分の納得の行かない思
い,腹が立つ相手の言い分,将来の職場の臨床推論等,これらは通常,学術論文のように整理され
ているものではない。しかし,我々が CT を発揮するとよい場面は,論文の読解や批評の時だけで
なく,むしろこのような日常生活や将来の職場にこそある。主張や信念を緩める,つまり「開く」
思考としても,主張や信念を「根拠を持って絞る」思考としても,CT が実践できる,その第一歩
としてアーギュメントの特定の意識と実行は重要である。
日常生活での自他の生や知のありようを反省する時にクリティカルシンキングは有用である。そ
のひとつが,曖昧さや混乱や偏りの多いものからも必要な場合にはアーギュメントを特定すること
である。さらに言えば,そうした日常の中で結論と前提(根拠)を特定する手前で,すでに CT の
実践になっているのは,問いとその問いに答えとして対応する意見を自分自身で発見することであ
る。あなたがある意見のことが気になるとしよう。アーギュメントの視点で大きく分けると,意見
には結論と論証部がある。その時,それは何の問いに答えた意見なのかを整理する。そして,根拠
「クリティカルシンキング入門は,何をすることなのか(1)」
43
に関係なくその結論が気に入らないのか,それとも根拠がないことや,根拠が結論を正しく支えて
いないと思えることが納得行かないのか,それらも意識しつつ,言論を整理して考える。これらの
CT で,問いと結論と前提(根拠)の1セットが明確になる。CT 入門の参加者は,まずこのことの
習得を目指すとよい。
また,クリティカルシンカーは,言論におけるキーワードが十分に明確であるかという視点から
の考察(B グループ)に取り組む。
「医療と社会【後期】
」の授業計画(金沢医科大学)には,数々
のキーワードの明確化のための授業内容が記されている。
「制度とその利用に関して,正しいとは
どういうことか」
,
「医療行為とは,どういう行為か」
,
「ニーズ」
,
「市場化」
,
「平等」
,
「健康格差」
,
「規制」
,
「介入」
,
「エンハンスメント」
,
「ケア」
,
「Quality of Life」
,
「社会医学」
,
「グローバル化」
等。医学部の専門の授業では,これらキーワードのひとつひとつを逐一批判的に分析することや,
文脈や視点を変えてそれぞれの意味等を吟味することに時間を割いていては学習を先に進めるこ
とができない,そのような事情で,
「早まることなく,細部にもかかわって,複数の視点で」キー
ワードを明確化するというプロセスが省略されることは致し方ない。CT はその思考の特徴を生か
し,学校のカリキュラムの中でこういうキーワードの明確化を実践する。
学生は,常に一人でこのキーワードの明確化を行なう必要はない。むしろ,ピア(学生どうし)
でそれに取り組むことは有意義である。一例を挙げると,同じ言葉が使われていても,ある学生と
他の学生は異なる意味を念頭に置いているのかもしれない。このことがわかる経験は重要である。
また,教師や CT 実践の豊富な者がこれの手本を見せることはあってよい。それが,領域限定の専
門準備の授業(
「医療と社会」はその一例である)もしくは専門の授業における CT の講義の一部
を形成し,さらにそうした理解と対話を通して皆で考えるという手法もありうる。1年生に加え,
2年生以上のカリキュラムにこうした内容も含む CT を一部入れることは,医科大学であれば,基
礎医学・医学教育・臨床医学と CT の連携によって,限られた教育資源を有効に生かす一形態にな
るだろう。
付言すると,一年生前期の「クリティカル・シンキング」の授業計画では,第4回授業の「自由
と強制」がキーワードの明確化の細目として挙がるだけであるが,このことにはどのような意味が
あるのか。簡潔に言えば,15 回の授業全体を通じて,相反する一組のものに思われる「自由と強制」
を複数の視点でひとつひとつほぐして問う。それが,学生の最初のクリティカルシンキングに適し
ているからそうするのである。第 4 回はその中心の回という位置付けである。
まとめよう。結論とそれに対応する問いの発見,結論とその前提(根拠)の特定,キーワードの
明確化,これらがアーギュメントに注目するクリティカルシンキング入門の初めの取り組みであり,
ある程度ひとが CT をわかるまでに何度もそれに立ち返るべきことである。その実践こそクリティ
カルシンキング入門のひとつの要であり,すでに重要な達成である。
ここまでのことを聞くと,アーギュメントに注目する CT 入門はずいぶん簡単に思えるかもしれ
ない。しかし,この問いと結論と根拠を明確にすることができるためには,以下のような問いの立
て方も知らなければならない。たとえば「質問」に関して。それはどういう種類の質問か。いまこ
こで問うのに適切な(種類の・規模の)質問なのか。どういう状況・文脈で誰がどのようなひとに
向けてその質問をしているのか。
「問いと結論と根拠の組み合わせ」に関して,それは問いに適切
44
菊 地 建 至
に答えるものになっているか。結論・主張を支えるための根拠は示されたか。結論は,論証によっ
てどの程度確かに支えられているか。そして,意見・論述に隠れている前提はないか。
こういう疑問を持つこと。そして,実際にそれらの疑問に沿ってアーギュメントを特定し,キー
ワードや前提を明確化し,アーギュメントの評価を進めること。それによって,問いと結論と論証
の特定により良く取り組めるようになるのである。このことは,時間のかかる,そして,時間のか
けがいのある取り組みである。そして,これを理解した者どうしは,推論評価に絞った学習経験が
わずかでも,互いの論述を批評する実習に取りかかることができる。また,自他の推論の評価につ
いても少しずつ考えるようになる。
それでは,アーギュメントに注目する CT の実習【C グループ】のために,A グループと B グル
ープの学びに加えて,他にどのような準備があればよいのか。筆者が「紙上対話」や「ピア CT コ
メント」の実習に関して,学生に,これまでどのような話をしたかということを共有することで,
これについて考えよう。
13
■ 実習:紙上対話(ペンネーム使用)
用意するものは,A3用紙1枚である。授業参加者がここで実行することは,以下の3つである。
1 最初に,著者が「著者のペンネーム」と「必ず問い(疑問文)を含む話題」を示し,意見や疑
問,話題に関して気づいたこと等を詳しく記す。これによって,A3 用紙の左頁がある程度埋まる。
*ペンネームの登録の機会は別にとる。
2 つぎのひとは(著者の文章が記された状態で,ランダムに配布された)用紙を受け取り,CT
を生かし,それをよく読み,よく考え,
「第二著者(ペンネーム)
」となって,自分の意見,最初の
著者の書いたことへの質問等を記す。
3 2と同様に,三人目が(二人の文章が埋まった状態で,ランダムに配布された)用紙を受け取
り,
「第三著者(ペンネーム)
」となって意見等を記す。これによって,ひとつの「紙上対話」が完
成する。
【補足 a】
著者がどのような問いを提示するかは,無条件に任意とする場合と,
「第◯回から第△回の授業
内容に関連するものであること」という条件だけ付けて任意とする場合がある。
「見当がつかない
ひとは,下記の例題をヒントにするのもよいと思います」というような配慮もあってよいだろう。
また,この紙上対話は,アーギュメントを整えることや長文を書くことを常に重視するのでなくて
よい。筆者は,短く試しに書いてみる,ちょっと文通みたいな気分で書いてみる,そういう使い方
も許容している。
「クリティカルシンキング入門は,何をすることなのか(1)」
45
【補足 b】
筆者は授業担当者として,この A3 用紙に「後の授業でほかの学生がこれを読み,考えます。で
きるだけ読みやすいように書いてください。ていねいに字を書くこと以外にも,薄い字にならない
筆記具を用いること,文章が分かりやすいこと等も気をつけてほしいところです。具体的な状況の
描写があったほうが分かりやすいと思えば,それも書いてよい。
」という添え書きをしている。
筆者の経験から言えば,多くの学生はこの紙上対話で,著者の書いたことを非常にていねいに,
好意的に読む。第二著者や第三著者は先行する著者の本気の疑問と考えを読み,それらに応えるの
に,相手の考えのよいところをていねいに確認する。そして,そのことと,自分の考えや疑問をで
きるだけ明確に表すこと,この二つに自分の論述の多くを費やす。
相対的に,最初の著者の文章を評価の視点で吟味することや厳しい CT コメントの割合は比較的
小さく,それらがまったくないひともいる。この実習を実施し始めてしばらくの間,筆者は,この
ことが心配や不満の種のひとつであった。筆者が当時,CT の進度や授業計画のほうから考えがち
だったこともその理由である。しかし,そうではなく,まず,他人の言論を受けて自分の疑問や考
えを詳しく記すように歩みが進むこと,その場で生じている複数人での CT のありよう,紙上対話
から得るひとりひとりの実践経験や変化等に目をやれば,上述の学生の実践はすでに十分意義のあ
ることである。
また,筆者はこれまでに,紙上対話が最初の著者の元にもどってきた時の経験について肯定的に
語る学生が多いことを知った。教師は一回ずつの実習等を,個別に閉じたものとして,その実習で
ひとりひとりの学生にどの程度の達成があったかという視点を重視して判断しがちである。しかし,
紙上対話に取り組んだひとは,その経験から,各回の到達度に関係なく,アーギュメントに注目す
る CT の喜びとそれの継続参加への動機を得ると思われる。また,紙上対話に関しても,書かれた
疑問を他者の本気の問いのひとつだと受け止め,考え,答えようとする「クリティカルシンカーど
うしだ」という環境が,対話とクリティカルシンキングを促す。
■実習:著者の詳しい論述に,複数人のコメント係が CT コメントを加える「ピア(同僚)による
CT コメントワーク」と,著者によるリライティング
用意するものは,A3用紙1枚とステープラーである。ステープラーは,つぎのことをするため
に用いる。すなわち,著者は A4 用紙に詳しい論述を書いて持参する。それを,A3用紙の左半分
にステープラーで止める。残りの右半分に,各コメント係はコメントを書く。複数人のコメント係
がいるから,二人目からは A4 用紙にコメントを書き,それを重ねて止めていく。詳しい論述の著
者は,コメントを参考に改良した論述(リライト版)を,左頁のもとの論述に重ねて止める。コメ
ント係がここで集中的に実行することは,以下のことである。
0(これは準備であり,所定の用紙とは異なる各自のノートを使って実行する) 「問いと結論の
対応するものどうし」を整理し,列挙する。
46
菊 地 建 至
1 アーギュメントの特定と評価の視点から吟味する。
「ここが感心した」
,
「ここが良い」
,
「ここ
は直すほうがいい」
,
「ここは改良の候補だと思う」
,
「ここはわたしには理解しにくい」
,
「問いと結
論が合っていない」
,
「この結論の根拠が見当たらない」等,できるだけ具体的にコメントする。
2 「このキーワードをもっと明確にしてほしい」
,
「◯◯という前提が(隠れて)明示されていな
いのが気になる」
,
「これはバイアスかな」
,
「四分割表で考えるとここの考察が抜けているのかな」
等の気づきも CT の一部である。整理し,必要なことは遠慮なくコメントする。
【補足 c】
コメント係の CT コメントは,著者が最初の原稿から改良した論述(リライト版)を最終提出で
きることにつながる。筆者は授業担当者として,評価の一項目「論述の質」に関して,リライト版
を重視して採点することも,学生に事前に伝えている。また,論述作成の段階(草稿段階)で多く
の気づきや複数の視点を持てることは,
「早まらず,複数の視点で,細部にもかかわって,じっく
り吟味して考える」CT の取り組みとして奨励されることであり,最終提出するまでには切らなけ
ればならない箇所も出ることはわかったうえで,いろいろ書き,PC 等にそのつどのバージョンを
残しておくのがよいということも,助言する。
【補足 d】
著者がたくさんの CT コメントを読み,最終的に提出する論述にすべてを反映しなくてはならな
いと感じることがある場合,つぎのような助言をすることがある。すなわち,
「あれもこれも少し
ずつ書くというのではなく,ここで論じられるとよいことの中でアーギュメントを重視したあなた
が十分に扱える論述に絞って明確に書くことが重要だ。また,パラグラフ・ライティングを心がけ
よう。そして,本文の後に,残された課題やもやもや考えていることというタイトルで,アーギュ
メントで詳しく論じられなかった問いやテーマを添え書きすることも,CT のこの実習では認めて
いる」ということである。
ここでひとつ,筆者がまだ答えを出せない問題がある。すなわち,以下の諸問題に関して,教師
は事前に学生にどのように伝えるのがよいか,そもそもそれは事前に全てを教師から伝えるもので
はなく,教師も含め参加者どうしで話され,考えられるのが良いことであるか,そういう問題であ
る。具体的にどのような CT コメントが考えられるか。匿名の紙上対話と違って著者名とコメント
係の氏名を明かしてワークを行なうことの利点と難点は何か。コメント係に関しては何を評価の対
象とすればよいか。
また,この実習の目的について詳しく,学生はどのようにして知るのが良いのか。教師は,事前
にそれを詳しく伝えるべきなのか。たとえば,この実習を通して学生はつぎのような学びや成果を
感じるかもしれない。他者からのコメントを聞いて改良のチャンスがある。準備段階を経て改良し
たものが正式に評価される。時間をかけた複数人での CT のかかわりによってさまざまな違いや共
「クリティカルシンキング入門は,何をすることなのか(1)」
通性を実感することになる。そういう経験を大学一年生からすることは,学生・研究生活でも将来
医師としての生活の中でも生きてくると想像する。その一例だが,論文の草稿段階で,また,患者
やその家族に大事なことを伝える前の医療者チームでの話し合いの場で,このようなピア(同僚)
による CT コメントをし合うことを重視することにも,
この実習の経験はつながるのかもしれない。
これらの疑問に関して,筆者は,本学にクリティカルシンキングの授業が導入された初年度(2015
年度)の授業では,コメント係の心得に関しても実習の目的に関しても,ハンドアウトで詳しく考
えを伝える形をとった。しかし,それがベストであるのかは検討中であり,今後の課題とする。
授業参加者がクリティカルシンキングの実践からどのような意義や目的を重視したかというこ
とに関して,前の 1-3 で論じたように,教師があらかじめ実習に際して提示した目的にそれらが沿
っているかということを厳格にとらなくてよい。また,何をどう配慮するか,何を重大だと理解し,
何に勇気を発揮するか,自分たちでどのような場を開こうとするか,それらに関してクリティカル
シンキングを実践することも有意義であり,率直に言えば望ましいことである。そうだとすれば,
参加者どうしで話され,考えられるのを待つべきだと言えるだろう。
筆者は,
「あなたはこの実習からどう感じ何を思ったか,実習がどうだったらもっとよいだろう
と考えるか」を参加者から聞くことにしている。本学での最初の数年間の学生の声は,これの脱稿
後に聞くことができるから,それについては本論と別に報告する予定であるが,少なくとも教師が
こうしたことも検討課題だと理解すること自体,クリティカルシンキングの実践のひとつである。
本節まででは学生の学習の評価を主題としないから,ここで詳しい検討はできない。ただし,ピ
アによるアーギュメントの批評を含む紙上対話や相互的な CT コメントの機会を設けることには,
一人一人を切り離した作業やスキルの個人ごとの評価を難しくする面があることは,ここに記して
おこう。しかし,評価の基準や視点を複数用意し,手間を惜しまずに評価にかかわれば,それも対
応できることである。また,CT 入門では,個人個人を切り離したものとしてではなく複数人での
CT によって一定の効果があれば,それは教育としても十分良い,そう言える領域がかなりあるこ
とを知ることが重要であると,筆者は考えている。これについては,後に詳しく論じよう。
謝辞
本論には,注や参考文献に挙げたものからの知識だけでなく,これまでわたしがかかわってきた
あらゆる授業と市中のゼミ(
「探 Q 複数の視点で考えるカフェ」
,
「中之島哲学コレージュ」等)の
参加者から経験的に学んだこと,江口聡氏,河野哲也氏,高橋綾氏,田村公江氏,土屋陽介氏,豊
田光世氏,本田康二郎氏,本間直樹氏,村上祐子氏,村瀬智之氏,p4c-japan のメンバー達との度々
の対話がきっかけで得心したこともきっと含まれています。そうした対話の中で得た知の分担を明
確に分けることができるものではありませんが,感謝とともにここに名を記させていただきます。
また,東海林博樹氏は幾度も草稿に目を通し,ご助言をくださった。ありがとうございます。当然,
文責はわたしだけにあります。
47
48
菊 地 建 至
注
1
楠見(他)編[2011]
2
伊勢田(他)編[2013]
3 日本の学校生活でよく見られる学生の CT への消極性について,CT を得意とするひとは「すごい人だけ
れど,友達にはなりたくない」
(楠見(他)編[2011],p.47)という心理に注目することや,日本の学校で
は「社会的 CT」を重視するのはどうかという提案は,たとえば以下の文献にある。元吉忠寛[2011]「批判
的思考の社会的側面−−−−批判的思考と他者の存在」
,楠見(他)編[2011],pp.45-65
4
中央教育審議会・大学分科会・制度・教育部会[2008]「学士課程教育の構築に向けて(審議のまとめ)
」
,
これは文部科学省ウェブサイトで閲覧した。http://www.mext.go.jp 最終アクセス日 2016 年 1 月 28 日
5 たとえば,つぎの本は,初学者にもこれから CT の授業担当者となるひとにも勧めたいものである。E.B.
ゼックミスタ,J.E.ジョンソン[1996]『クリティカルシンキング《入門篇》
』
,宮元博章・道田泰司・谷口高
士・菊池聡(訳)
,北大路書房
6 伊勢田哲治[2005]は,哲学系 CT の基本を学ぶのに行き届いた良書である。筆者はこれを哲学系 CT の自
習書の筆頭として大学生に勧めている。しかし,学生からはこの本も一人で読み通すのが難しいという感想
をよく聞く。その難しさは何か,それを考えることは,筆者が CT の入門授業を考案する際に重視している
ことのひとつである。戸田山和久[2012]は,
「論文の教室:レポートから卒論まで」という書名の通り論文
執筆準備の本だが,哲学系 CT を活用した論述を実行するのに必要なことの多くを,この本から学ぶことが
できる。伊勢田,戸田山,両氏が編者に加わっている CT 学習書に,伊勢田(他)編[2013]がある。
7
数少ない実践報告及び考察のひとつが,青木滋之[2011]「科学哲学の授業でクリティカル・シンキングを
どう教えるか−−−−授業実践からの報告−−−−」
(
『名古屋高等教育研究』第 11 号)である。また,この面でも,
伊勢田氏はパイオニアである。伊勢田哲治[2011]「育成事例③ 科学技術と社会をつなぐ哲学的思考法」
,
楠見(他)編[2011],pp.169-77 筆者は,日本哲学会第 75 回大会(2016 年5月・京都大学)の哲学教育
ワークショップ「哲学対話とクリティカル・シンキング」で,金沢医科大学での CT の入門授業を中心に実
践を報告し,CT 入門についての考えを発表する。
8
これに関して筆者は,哲学・倫理学系学会に限っても,下記の実践報告・ワークショップを開いてきた。
当時は特に CT の入門授業と限定していなかったが,内容的にそれとつながりの深いものである。 安彦一
恵・菊地建至・壽卓三[2009]「
「哲学教育」について−−−−「知」の問題の観点から」
,応用哲学会第 1 回大会,
京都大学。 田村公江・菊地建至[2009]「教養教育としての倫理学(倫理学系科目)において,何をどう教
えるのがよいか」
,日本倫理学会第 60 回大会,南山大学。 田村公江・菊地建至・高橋綾[2010]「教養教育
としての倫理学(倫理学系科目)において,何をどう教えるのがよいか 2」
,日本倫理学会第 61 回大会,
慶応義塾大学。 江口聡・菊地建至・三谷尚澄・相澤伸依[2012]「大学授業運営を考える」
,関西倫理学会
2012 年度大会,信州大学。 久保田祐歌・菊地建至・齊藤安潔・三浦隆宏[2013]「哲学を専門としない学生
に,哲学の〈面白さ〉をどのように伝えるか?」
,応用哲学会第 5 回大会,南山大学。また,関西倫理学会
2014 年度大会シンポジウム「道徳の教育 その可能性と不可能性」では,シンポジストの一人として「学
生と教員が道徳的に考える機会や場を作り続けるために」を発表した。
9
筆者が関わっている p4c–japan のウェブサイトは下記からアクセスできる。http://p4c-japan.com/
10 J.S.ミル『自由論』
,塩尻公明・木村健康(訳)
,岩波書店,1971
11
年,pp.35-7,107-8
たとえば,道田泰司[2015]「社会科教育/市民性教育/平和教育−−−−多面的に考え,公正に判断する」
,楠見・
道田(編)[2015],pp.140-5
「クリティカルシンキング入門は,何をすることなのか(1)」
49
12
菊地建至[2015]「学生と教員が道徳的に考える機会や場を作り続けるために」
,関西倫理学会『倫理学研
究』第 45 号,pp.31-41
13
この紙上対話の方式は,下記の本の「先生のための付録 サイレントダイアローグ」から発展させた。
シャロン・ケイ,ポール・トンプソン[2012]『中学生からの対話する哲学教室』
,河野哲也(監訳)
,玉川大
学出版部,pp.154-5 また,筆者は大学生の場合,この「紙上対話」実習ともうひとつ紹介する実習「ピア
CT コメント」の両方を経験することが肝要だと考え,大学の CT の入門授業の授業計画には必ずこれらを
1セットで入れている。
【参考文献】
伊勢田哲治[2005]『哲学思考トレーニング』
,筑摩書房
伊勢田哲治,戸田山和久,調麻佐志,村上祐子(編)[2013]『科学技術をよく考える−−−−クリティ
カルシンキング練習帳』
,名古屋大学出版会
[2013]『看護教育』第 54 巻第 6 号「特集 クリティカルシンキングは終わらない」,医学書院,
pp.449-85
楠見孝,子安増生,道田泰司(編)[2011]『批判的思考力を育む−−−−学士力と社会人基礎力の基盤形成』,
有斐閣
楠見孝,道田泰司(編)[2015]『ワードマップ 批判的思考−−−−21 世紀を生きぬくリテラシーの
基盤』
,新曜社
子安増生[2011]「批判的思考力の知的側面−−−−学士力をどう獲得するか」
,楠見(他)編[2011],
pp.25-44
酒井雅子[2011]「相対的な価値判断の多様性における問題探究力−−−−Paul, R.のクリティカルシン
キングによる文学単元を基に−−−−」
,全国大学国語教育学会『国語科教育』70,pp.36-43
戸田山和久[2012]『新版 論文の教室−−−−レポートから卒論まで』,NHK 出版
平山るみ,楠見孝「批判的思考の測定−−−−どのように測定し評価できるか」,楠見(他)編[2011],
pp.110-38
道田泰司[2011]「育成事例⑤ 結論を考えさせてからおこなう授業」,楠見(他)編[2011],pp.193-9
道田泰司[2013]「批判的思考教育の展望」
,日本教育心理学会『教育心理学年報』第 52 集,pp.128-39
Weston, A. [2009], A Rulebook for Arguments, 4th edition, Indianapolis.
51
ヴィルヘルム・モムゼン『ゲーテの政治観』
(9)
公 地 宗 弘* 訳
Wilhelm Mommsen: Die politischen Anschauungen Goethes (9)
Translated by Munehiro KOUCHI*
目次
序論
問題設定と方法
Ⅰ. 18 世紀
1. ヴァイマル招聘まで
2. ヴァイマルの「政治家」として
3. 「帝国」――オーストリア
4.
Ⅱ.
フリードリヒ大王とその国家
フランス革命とナポレオンの時代
1. フランス革命
2. プロイセンの破局――ナポレオン
3. 解放戦争
Ⅲ. 復古の時代
1. 神聖同盟と西欧の列強
2. 内政
3. 民族――国民――人間性
4. 社会主義?――身分の区分
5. ドイツとドイツ人
*
ドイツ語 Department of German
(平成 27 年 11 月 11 日受理)
52
公 地 宗 弘
Ⅲ. 復古の時代
2. 内政
政治的リベラリズムに対する無理解
ゲーテが彼の時代の反対派勢力,すなわち政治的リベラリズムを理解することができなかっ
たことは,もはや言及するまでもない。彼は文化リベラリズムは常に擁護するが,通常リベラル
と称される政治的運動は断固として拒否した。彼は折に触れて,分別のある人たちはみな温和な
リベラル人だとも言ってはいる1が,ゲーテ自身がリベラルと呼ぶものは政治とは全然あるいは
わずかしか関係がない2。彼は政治的リベラリズムの欠点を非常に鋭く見て取っており,ほかに
も,当時のリベラルな市民たちは言説というものを過大に評価していると述べたが,これもあな
がち間違いではない。その一方で彼は,
「無条件のリベラリズム」に革命を起こそうという意欲
この翻訳は,Wilhelm Mommsen:Die politischen Anschauungen Goethes, Stuttgart
(Deutsche Verlags-Anstalt) 1948.の 203-216 頁を訳出したものである。
・注は原注と訳注を合わせて通し番号で表示し,訳注の場合は(訳注)と表記した。
・訳者による補足は[ ]で表示した。
・小見出しは訳者による。
・原注での引用とその表記について,原著者は次のように説明している(原著 14-15 頁)
。
「文
学作品や一般によく知られた作品からの引用も出典をあげていない。ゲーテの著作についてはヴ
ァイマル版によった。その際,巻数とページ数のみをあげた場合は,ヴァイマル版の第 1 部か
らの引用を示し,第 2 部からの引用は Naturwissenschaftliche Schriften,第 3 部,第 4 部から
の引用は,それぞれ Tagebücher, Briefe の表記も加えた。より新しい全集,選集に収録された
著作であっても,特別な理由がない限りはヴァイマル版から引用した。対話の引用はビーダーマ
ン編の第 2 版によった。文学作品の引用にあたっては,表記は現代風に改め,その他の場合は
元の表記を踏襲した。引用はすべて例証の意味でのみあげ,繰り返しをいとわなかった。
[中略]
ゲーテ協会の年鑑や季刊誌は G.G.の表記と年号を,ゲーテ協会の雑誌類は誌名と年号を付した。
自由ドイツ協会の年鑑,キッペンベルク・コレクションの年鑑は,それぞれ Hochstift,
Kippenberg と付した」
。
Gespräche Ⅳ, S. 204.
ゲーテは言っている。
「ただし私がリベラルと言う意味は,了見の狭いエゴイズムから自由で
あること,上手に持ちつ持たれつの関係を作ることができない,自分勝手な気持ちから自由であ
ることだ」
(Naturwissenschaftliche Schriften Ⅴ, S. 362)
。別の機会にゲーテはこう言ってい
る。
「リベラルな理念についてさまざまな言説を耳にすると,人間は無意味な言葉を長々と口に
し続けるのがどれほど好きなのかと,いつも驚いてしまう。理念というものはリベラルであって
はならない。それは,生産的であるという神的な使命を果たすために力強く,役に立つものでな
ければならない……人々がリベラルな考え方を追求する必要がある場合,志操のなかに求めなく
てはならないのだが,志操というものは生き生きとした心情である。となると志操がリベラルで
あるのはまれである」
(Maximen [und Reflexionen] Bd.42, 2, S. 133)
。エッカーマンに対して
ゲーテは言っている。あまりに度が過ぎたリベラル主義は,個々人のさまざまな要求を招くため
に難しい。上から親切心,寛大な心,道徳的繊細さを押しつけるのでは長期間に渡ってはやって
いけないことに気がつくだろう」
(Gespräche Ⅳ, S. 330)
。
1
2
ヴィルヘルム・モムゼン『ゲーテの政治観』(9)
53
を過剰に見て取っている3。
保守と革新――永遠の対立
ゲーテは,彼の時代を支配する対立が,保守的で現状維持を求める勢力と,リベラルで改革
運動を進める勢力との対立であることを知っていた。彼はフランス革命の持つ意義を十分に認識
し,大衆の運動が始まったことを不安な気持ちで眺めていた。しかし,この場合はまったく新し
い種類の問題と政治闘争が生じていたことを見抜いていなかった。ゲーテは――すでに若い頃か
ら4――保守派と改革派の闘いはいつの時代にもつきものであり,いつも同じことが繰り返され
るものだと思っている。
「古いもの,既存のもの,旧習の墨守と発展,形成,改造との闘いはい
つも同じだ。秩序はみな最後には杓子定規となってしまい,これを脱するために秩序を破壊する
が,時がたつと,やはり秩序を作らなくてはならないことに気がつく。擬古典主義とロマン主義,
ツンフトの強制力と生業の自由,領地の維持と分散,これらは常に同じ紛争であり,結局は再び
新たな紛争を生み出す。したがって,この争いを一方の側だけが敗者にならないような形で仲裁
できるためには,為政者の最大の知力が必要であろうが,これは人間たちに定められておらず,
神もそれを望んでいないようだ」5。この言葉は政治的闘争が歴史的にたどる経過について,も
ちろん部分的な認識とはいえ,深い認識を含んでいる。その一方でこの言葉は,さまざまな政治
的確信の本物のぶつかり合いというものを相対化もしている。党派というのはいつでもあった,
とゲーテは述べている。結局,彼はすべての政治的理念を利己的な目的の隠れ蓑にすぎないと考
える。
彼らは自由の権利のために闘っているとのことだが,
よく見れば,奴隷が奴隷に相対しているのだ6。
3
『グローブ』誌の関係者たち[Globisten]について以下のような記載がある。彼らは無条件
のリベラリズムを広めようと思っている。
「そうしようとして彼らはすべての合法的なこと,完
全に正義に適ったことを,停滞し,旧態依然のものとしてはねつける。だが,彼らはこの二つの
ものを再び取り入れ,頼みの綱とせざるをえない。このことは内部に動揺を,外部に不安定感を
もたらすことになり,結局は自由が多すぎただけに,その分当惑も強まるので,非常に不快に感
じられることになる(
[Maximen und Reflexionen] Bd.42, 2, S. 486)
。
4 Späne, Bd. 38, S. 483; vgl. oben S. 33.
5 Maximen [und Reflexionen] Bd.42, 2, S. 157. 世界はつましく満足することはなかった。王
侯たちが権力を乱用しないことはなかったし,大衆は徐々に改革が行われると期待してほどほど
の状態に満足することはなかった。常にどちらか一方が苦しみ,他方が楽をするというように,
変わりやすい定めとなるだろう(Gespräche Ⅲ, S. 75)
。立派な理念はどれも,現実に現れるや
いなや専制的に作用し,そのために理念がもたらす利点はあまりに急速に欠点に変わる
(Maximen [und Reflexionen] Bd.42, 2, S. 182)
。理念はどれも見知らぬ客となって現われ,
「それは現実化するにつれて,空想夢想と区別がつかなくなる」
(Maximen [und Reflexionen]
Bd.42, 2, S. 209)
。
6 レオの歴史書に寄せてゲーテは言っている。
「アリストテレスと民主制については常にいろい
ろ論じられるが,問題は全く簡単に言えばこうだ。若い頃,私たちが何も財産を持たないか,安
らかに財産を持つことのありがたみを理解できないときには,私たちは民主主義者だが,年月を
重ねるうちに財産を手に入れると,私たちはそれを保全したいと願うだけでなく,獲得したもの
を子孫にも享受してもらいたいと願うようになる。だから私たちは,たとえ若いときは別のさま
54
公 地 宗 弘
『チェリーニ』には,自由と隷属でなく,
「隷属と無法」が闘い合っている,ともある7。
循環的な歴史観
ゲーテにとって人間が出発点であり,人間はいつの時代でもその優れた点と弱点に関して常に
変らないままであったので,歴史主義が彼に多くの点でどれほど道を切り開いたにせよ,ゲーテ
は歴史主義の意味で歴史の発展というものを元より知らない8。確かに,ゲーテは歴史的な考え
方をする。
「私には私自身のことがますます歴史的に思えてくる」
,と彼は死の直前に書いている
9。彼は抽象化からではなく,直観から出発し,誰もがその時代と結びついており,その生きた
世紀と不可分であることを知っている。彼は人物の生の経歴を取り上げる場合,それを必ずと言
っていいほど時代と環境のなかに置いており,その典型は『詩と真実』での自身の生涯の記述で
ある。彼はとりわけ,どんな偉大な人物もその先駆者がいなければ考えられないことを知ってい
る10。しかしゲーテの歴史に対する関心は政治的な経過ではなく,精神史と学問の歴史に,そし
て第一には偉大な人物に向けられる。たとえば彼は,もちろん彼自身の考え方を誇張しての表現
であるが,
「宗教改革でおもしろいのはルターの性格だけだ」と言うことができる11。ゲーテの
自然科学の考察方法も歴史的な思考と密接にふれあう。彼はいたる所に漸進的な変化
[Evolution]を信じ,急進的変化[Revolution]を認めない。これは歴史的思考にとって強み
であると同時に危険でもある。しかし,まさにランケ以降にドイツの歴史把握において決定的と
なった考え方と異なり,ゲーテは歴史的事象の一回性を前提とせず,循環論と少なくとも似かよ
った考え方に傾いている。彼は「太陽の下に何も新しいことは生じない」と思う12。
長く生きた身ですから,たいそういろいろ経験しましたよ。
この世で何も新しいことは起きっこないってことですよ。
メフィストのこの言葉はゲーテの見解にも一致している。彼は永遠の進歩という言葉は使うこと
はできても,どんな意味でも進歩を信頼することはない。ゲーテはむしろ,歴史の生み出した全
結果に対するある種の深い懐疑から出発している。
ゲーテにとって,精神性と人間性の永遠の光はすべての世紀において放つことができ,
「暗い」
中世においてさえも輝くことができるものであるが,これに対して歴史の世界で起こる政治的な
出来事は,結局いつの時代でも,理性と節度が対処できるのが極めてまれな,暗い激情のぶつか
り合いとしか見えない。ゲーテは 1818 年に言っている。
「数千年来の人間の行状を見渡すと,
ざまな考えに傾いていても,年をとると例外なく貴族制主義者になる」
(Gespräche Ⅲ, S. 412)
。
7 Bd. 44, S. 336.
8 Vgl. Meinecke: Die Entstehung des Historismus, 1936, Bd. Ⅱ, S. 480ff. ここでマイネッケ
の詳細な説明をほんの少しでも補うこと,あるいは歴史に対するゲーテの関係を論じた他の文献
を取り上げることは,私たちの課題とすることはできない。私たちの論点との関連で重要なこと
を強調するにとどめる。
9 Briefe 49, S. 165.
10 たとえばルーベンスにとって。Bd. 49, 1, S. 155f.
11 Briefe 28, S. 227; Gespräche Ⅱ, S. 339. 当初計画された『詩と真実』第三部への序文を参
照。
12 Gespräche Ⅲ, S. 138.
ヴィルヘルム・モムゼン『ゲーテの政治観』(9)
55
さまざまな美辞麗句の下に繰り返される決まり文句に気がつく。これらの言葉は魔力によってす
べての国民や個人に感化をおよぼしたので,一切を支配する高次の力の紛れもない印とみなけれ
ばならない」13。ゲーテによれば,政治史のなかで互いに格闘し合うのはいつも同じ人間の根源
的な力であって,双方の側がある程度の正義をもつが,どちらの側が勝利しても,その勝利によ
って正義を不正義へ変えてしまうため,勝利は持続せず,したがってまた,そこからのさらなる
発展も不可能となり,いつもまた旧態へと,そしてまた新たな闘いへと逆戻りするだけである。
ルーデンとの有名な対話のなかで,ゲーテは次のように言ったとされているが,ここでゲーテは
意図的にメフィスト役を演じている。
「人間たちはいつも互いに恐れ合い,苦しめ合ってきた。
互いを痛みつけ合い,責め合い,自分と他人の生をつらいものにしてきたのだ」
。たいていの人
たちはただ死ぬことが恐いために生きることに執着してきた。結局,人間の定めとはこうしたも
のだ14。別のときにはゲーテはこう言っている。
「あらゆる世紀,世界のあらゆる場所をあちこ
ち巡ってみても,納得できるところはどこにもなく,感覚や判断が麻痺してくる……世界が愚か
であることが分かるだけのことで,これならすぐそこの路地裏でも確かめることができる」15。
ゲーテは,物事が上昇し,衰退し,振り出しに戻ること,事物の永遠の循環について語り,
「死して為れ」
,
「一切は新しく,しかし常に古いものだ」と繰り返し述べる16。
『色彩論』の冒
頭にこうある。
「人類が歩みきらなくてはならない円環はしっかり定められており,蛮行によっ
て大きく停止することがあっても,一度ならずその歩みを進めてきた。人類に一種の螺旋運動を
認めたいとは思うが,人類はすでに一度通過した所に戻るのを繰り返すのである。このようにし
て正しい見解と謬見のすべてが繰り返される」17。
政治の不毛性と人間性・精神性の価値
歴史上の政治的な闘いはすべて,ゲーテにとって結局のところ無益なもの,不毛なものであ
り,興味深いものではあっても,そこからデモーニッシュな人物が登場しない限りは気持ちを高
Gespräche Ⅱ, S. 416f. zu Egloffstein; dasselbe zu Müller Ⅱ, S. 419.
Gespräche Ⅰ, S. 434f.
15 Gespräche Ⅳ, S. 198f. たとえばメンデルスゾーンに対して彼はこう言っている。世界史の
なかで繰り返し起こらざるを得ないのは,
「古いもの,土台のあるもの,信頼の置けるもの,安
心させるものが突発する改革によって追いやられ,押しのけられ,だめにされてしまい,根絶や
しにされないまでも,極めて狭いところへ押し込められてしまうことだ」
(Briefe 49, S. 67)
。
16 Naturwissenschaftliche Schriften Ⅺ, S. 5.
17 Naturwissenschaftliche Schriften Ⅲ, S. Ⅷ. 書簡のなかに,人間精神はある種の輪を描き,
それを廻りきってしまうまで回転する,という記述がある(Briefe 13, S. 32)
。別の記述には以
下のようにある。
「諸国民は野蛮さから教養の高い状態へ上昇し,そののち再びそこへ逆戻りす
るのだが,私たちはむしろこう言おうと思う。彼らは幼年時代から非常に努力してまあまあの年
齢へ移行し,最後には再び最初の年月の快適さを憧れると。ところで,諸国民は不滅であるので,
彼らが繰り返し初めから始めるのは彼ら自身のせいである」
(Bd. 49, 1, S. 182)
。
「教養は進歩す
ると信じられているが,世界史からも学問の歴史からも見て取れることは,人間精神は一定のも
のの考え方の軌跡を描いて回転するということであった。どんなに努力を重ねても,色々回り道
をしたあとにいつでも同じ輪を描いて一定の地点へ戻るのである」(Naturwissenschaftliche
Schriften Ⅸ, S. 205f.)
13
14
56
公 地 宗 弘
揚させ,奮い立たせるものではない。デモーニッシュな人物とはゲーテにとって,通常の道徳の
枠外にあり,その時代と緊密に関わってはいても,それ自体が一つの価値である。偉大な人間が
実現するもの,業績それ自体は本質的なことではない。ゲーテは言っている。
「勇敢なスウェー
デン人は皆,王たるもののなかで最も不名誉な王,カール 12 世を崇拝する」
。
「偉大な自然現象
としての非凡な人たちは,どの民族の愛国主義にとっても神聖なものであり続ける」18。ゲーテ
とその歴史観の特徴は,偉大な人物に対する判断はその人が成し遂げたことと無関係なだけでな
く,その政治的目的とも無関係なことである。
「私たちが行動を起こす際に源となる精神こそが
最高のものだ」
,と[ヴィルヘルム・]マイスターの徒弟修業証書に記載されている。ゲーテに
とって学問は研究することがその成果よりも重要であるように,歴史上の政治世界においても成
果などはどうでもよい。年代記編集者は結果を探し求めるが,
「そうしているうちに個々の行為
も個々の人間も見えなくなる」
,とゲーテは言っている19。したがって,私たちが歴史から得る
最善のものは,歴史が引き起こす熱狂だ,というゲーテの言葉20をそのまま額面どおりに受け取
るのは大きな誤解である。ゲーテの関心を引き心を動かすものはどんな場合でも人間的な価値だ
けであって,それが「熱狂」を生み出すとしても,政治的あるいは国民的行為の意味ではない。
人間的な価値と並んでゲーテが歴史に第一に求める価値は,精神的な価値である。精神的な価値
は,全体として政治的出来事と無関係に並立している。ゲーテが歴史について言及するとき,政
治的な出来事について語るのは非常にまれである。たとえばゲーテはギリシャ精神が彼にとって
非常に重要な意味を持っているにもかかわらず,ギリシャ人の政治史についてはほとんど完全に
沈黙している。ゲーテは,彼が『色彩論』のなかでその大部分を記述した精神史にも,
「飛躍を
しない」自然21のなかにも,偶然を排するあの有機的な成長を見て取る。その一方,ゲーテにと
って政治史は偶然と専横が支配している22。1807 年,彼は「自然の内的な規則正しさと一貫性
に慰めを」求めている23。
歴史のなかの政治的事件についてのこうした見解は,ゲーテの政治に対する立場ときわめて
密接に関連し合い,相互に影響し合っている。ゲーテはどんなに「不満」ではあっても歴史に関
わる作業の価値を認めてはいるが,彼の歴史に対する関係は「詩」と「真実」のある種の対立で
ある。世界史はときおり書き換えられる必要があること,したがって政治的な体験と無縁ではあ
り得ないこと24を知っているまさにそのために,彼は世界史の成果に不信の念を抱く。ただ人物
たちだけが歴史の世界を興味深く価値あるものにする。
「完全にそれだけで歴史を私たちになお
Bd. 48, S. 109.
Bd. 28, S. 358.
20 Maximen [und Reflexionen] Bd.42, 2, S, 173.
21 Gespräche Ⅰ, S. 479.
22 Vgl. Meinecke: [Die Entstehung des] Historismus Bd. Ⅱ, S. 551ff. 『ノヴェレ』にこう書
かれている。
「澄んだ自然はどれほど純粋で穏やかに見え,あたかも世界には不快なものがない
かのような印象を与えることか。それから再び人間の住まいへ戻ると,身分の高低,人数の大小
にかかわらず,闘い,争い,調停し,元通りにしなければならないことが常にある」
。
23 Naturwissenschaftliche Schriften ⅩⅢ, S. 313.
24 Naturwissenschaftliche Schriften Ⅲ, S. 239. Vgl. Briefe 22, S. 28. 「この古い出来事は
。
1831 年には 60 年前とどんなに違って見えることか」
(Tagebücher ⅩⅢ, S. 182)
18
19
ヴィルヘルム・モムゼン『ゲーテの政治観』(9)
57
喜ばしいものにしてくれる,唯一のすてきな洞察」は,
「あらゆる時代の本物の人間たちは互い
の出現を予告し,言及し,準備し合うということ」だ25。
ゲーテは歴史と政治におけるどのような状況や事象も,こうした人間的な価値を育み,維持
することを認めるか否かという問いから判断する。ゲーテは配下の人間に対する扱い方について
こう言ったことがある。
「私はどの配下の者にも,自分は人間だと感じてもらえるように,妥当
な範囲内で自由に行動してもらうよう心懸けている。大事なことは公共の立場に精神が吹き込ま
れ,服従することだ」
。
「文化とはまさに,政治的,軍事的状況についてのより高次の理解」のこ
とだ26。この言葉はゲーテにとって,そもそもすべての政治的行動に通用するものである。政治
の責務は国家でも人民でもなく,まさに誰もが,自分は人間だと感じることである。
『遍歴時代』における共同体――人間の内的な陶冶のための共同体
ファウストが大学教授から「植民地開拓者」と実践的活動家となる過程,よく使われる言葉
を用いるなら「政治家の」活動へ向かう道程は,
『遍歴時代』の共同体の生活と同様に,以上の
ことに矛盾するように見える。実際のところ,ゲーテが人間の理想とするのは,言葉の通常の意
味での個人主義ではない。ちょうど拘束が自由と並んで必要不可欠であるように,共同体は個性
のために必要不可欠なものである。しかし,ここで言う共同体は,もちろん『遍歴時代』の共同
体も含めて,政治的,国家的な共同体ではない。
『遍歴時代』と『ファウスト』末尾の「移住計
画」はこれまで政治的に解釈されすぎてきた。さらに,ゲーテがこのファウストの場面を描く際,
どこの地域を念頭に置いたのかを論争するのも無意味なことに思える。決定的に重要なのは,こ
れらの場面は『遍歴時代』と対比しながら見るべきだということであり,この場合,アメリカが
どれほど強くゲーテに影響を与えたのかは完全に明らかである。同時に,
「一切が生じた」源と
しての海[Meer]の偉大さについて抱いていたあの確信も影響を与えている。ただしゲーテ自
身は地球規模の大海[Ozean]は一度も見たことはなかったのだが27。
すでに『修業時代』において,つまりゲーテがアメリカのことを本格的に考える以前に,ゲ
ーテは移住の問題を投げかけているが,さしあたりは,
[今住んでいる]ここにこそ,というの
はつまり先祖伝来の土地にこそアメリカはあり,
「そうでなければ,どこにもアメリカはない」
という解答で片づけている。その後は,諸国に支部を設けたある商業組合が構想されただけであ
る28。同じことは,共通の「保険」に言及するだけで,やはり移住を拒否している『遍歴時代』
の最初の形態にも言える29。それは一種の気まぐれであって,市民が抱く「よりよい状態の期待」
に基づいている,とされる30。
『遍歴時代』が最終的な形になったとき,初めてこの問題がずっ
Naturwissenschaftliche Schriften Ⅲ, S. 250.
Gespräche Ⅲ, S. 421f.
27 (訳注)もちろん,海それ自体はゲーテはイタリア旅行の際に目にしている。
28 世界のすべての地域に支部が散らばる一つの大きな組合を創設し,国家の革命によってどこ
かの支部が所有地から追放された場合に相互に支援し合うことを保証し合うという計画のことで
ある。アメリカへ行く者,ロシアへ行く者があり,ロターリオの場合はドイツにとどまる。
29 Bd. 25, 2, S. 133, 150.
30 Bd. 25, 2, S. 28f.
25
26
58
公 地 宗 弘
と真剣に扱われている。そしてここでも,ヨーロッパと,
「数千年来,誕生,成長,拡張してき
た」その「計り知れないほど貴重な」文化が言及される。アメリカでは死刑を廃止する際には,
穏やかな市民たちを犯罪者たちから守るために城を築く必要があるというくだりから,アメリカ
での自由の過剰さに対する懸念のようなものが感じ取られる。だがそれでも,あの「出来たての
地域」の持つさまざまな可能性は,
「斬新なことをいつでも旧態依然としたやり方で,成長しつ
つあるものを杓子定規なやり方で取り扱おうとする」
,旧世界の「だらけ仕事」に比べ,かなり
魅力を感じさせる。確かに,一つの集団は祖国の地にとどまり,そこに「数年にわたって十分な
拠り所」を見出す。しかし,より大きな集団の方は移住し,初めからやり直そうと思い,移住の
歌にあるように,新世界に「不動の祖国」を見出し,
「この上なく完璧な市民的な心構えのただ
なかで」定住し,
「未開の荒野」のあちこちに広がって行く。
私たちが散らばって行くには,
世界はとても広い。
国家の新たな建設の意味でも,農民の入植の意味での植民地化でもなく,個々の人間が自己陶冶
すべきと定められ,かつ自己陶冶が可能となるはずの共同体を創造することが,移住の本来の意
味内容である。したがってまた,
『遍歴時代』は,将来の国家とその形態という理想を含んでい
ないのだから,よくあるように国家のユートピアの系統に分類すべきものではない。国家の形態
は例の結社にとってまったくどうでもよいものである。第一の「信条」は,すべての統治形態を
「正当なものと認めることであり,それらはすべて目的にかなった活動を要求し促進するのだか
ら,それぞれの統治形態のなかで,どれくらいの期間にわたろうと,その統治形態の希望どおり
に振る舞うよう努力すること」である。というのも,国家はただ「最も反抗的な大衆」に対抗し
て秩序を保ちさえすればよいのであって,
「どんな手段を使ってかはまったく構わない」からで
ある。自己を陶冶する個々人にとって,国家とその形態は完全にどうでもよい。
『ファウスト』――人間の内的な創造の活動
『遍歴時代』に登場する結社は個人を人間的に完成させようと意図するが,それはとりわけ共
同体による教育を通じてであって,国家の建設によってではない。
『ファウスト』においてもこ
れは変らない。ただし,ここでは個人はそうした共同体なしで自らを完成しており,また,ゲー
テにとって重要なのは成果でなく,この活動がファウストにとって持つ価値である。
「自由な土
地に自由な民とともに立つ」という言葉31について,ファウストは生の最後のときになって政治
的,社会的行為に向かうことにより自己を完成する,という意味に解釈することは決してできな
い。確かにファウストは,いかにゲーテの本性の一面を具体的に見せてはいても,ゲーテではな
い。ゲーテが彼の畢生の大作の主人公を政治家,支配者として救済させることは考えられない。
そのようなことが可能ならば,ゲーテが『ファウスト』のこれらの場面に最後の手を加えていた
年月の間,まさに極めて深く憂慮しつつ政治的な動乱を注視していたことと完全に矛盾するであ
ろう。彼の死の数ヶ月前,ソレは,ゲーテは死を悠然と待ち受けている,と書いた。
「人々が今,
31
Vgl. unten S. 234.
ヴィルヘルム・モムゼン『ゲーテの政治観』(9)
59
文学や学問を犠牲にして政治的な問題を重要なことだと考えていることが,彼を以前よりずっと
悲しませていることは,本当に確かです」32。
実際,ゲーテにとって一貫して重要なのはファウストの内的な格闘であり,活動の具体的な成
果ではないということからすでに分かるように,あの『ファウスト』の諸場面で「支配者の悲劇」
は問題外である。死に瀕し,
「千の手の代わりに一つの精神」に満足するファウストの独裁者的
なやり方は,政治的活動の意味で持続的なものは何一つ生み出さない。
「自由な土地に自由な民
とともに立つ」という有名な句は,語の政治的意味における自由とも「ドイツ国民」とも微塵も
関わりがない。さらに,
『ファウスト』第二部の壮大な植民地化の事業はまやかし,悪魔が仕組
んだ幻影にすぎないこと,しかも,このことはゲーテにとって唯一重要であるファウストの内面
の発展にとってこの事業が持つ価値を何ら変えないことを忘れてはならない33。ファウストにと
っても,そもそもの出発点は植民地化ではなく,
「御しがたい四大の目的を持たない力」を制御
することである。それは入植によってではなく,強制労働によって達成され,ファウストは確か
に望みどおりに「支配」と「所有」を獲得する。しかし,
「どんな瞬間にも満足することない」
彼は,他力的な力というものは幸福をもたらさないことを身をもって知り,同時に,どんな無制
限の支配にも付随する誘惑というものに屈してしまう。権力のデーモンはファウストにフィレモ
ンとバウチスに暴力を加えるよう仕向け,罪を犯させる。
「支配をわしは手に入れた,所有も」というのが,あの[暴行の]計画を告げる言葉であった。
支配と所有はファウストにとって「おのれの享楽」ではなく,彼の意識のなかでは他人のための
奉仕であった。すでにゲッツは自己の生き方を貫くことで他の人々に奉仕しているつもりが,
「我意」のためにしくじり,ときおり不正を犯した。この同じ不一致の緊張が,ただしより発展
し,より意識化された形においてであるが,老ファウストのなかに生きている。彼はフィレモン
とバウチスに対する凶行のあと,最後の自己認識の切なさのうちにこの緊張感を克服し,自らが
生の最後の瞬間まで「努力しつつ骨を折っていること」を実証する。その際,努力するファウス
トの政治的理想は錯覚として描かれており,それはかつてファウストが復活祭の折の散歩の道す
がら,大地から離れ,日の永遠の光を吸い込むことができると願ったとき,それが「美しい幻」
であったのと同様である34。ファウストの最後の言葉も強制労働を要求しており,この事実から
32 F. Soret; Zehn Jahre bei Goethe, zusammengestellt von H. H. Houben, Leipzig 1929, S.
590.
33 第四幕への補遺のなかに次のようにある。
「彼にとってうらやましいのは,逆巻く水を制御し
岸辺を守ろうとする海岸の住民である。彼はこの住民たちの仲間に加わりたいと思う。教育と創
造が最初。社会の利点の最初の形」
。こうした線がこれらの場面を仕上げる段になって完全にな
くなったことは,十分に特徴的である。ファウストは社会を建設せず,住民たちに加わらず,強
制労働をさせたうえ,そうした住民に対して不正を犯す。
34 植民地化の価値の有無をめぐって論争は決して収まることがないが,こうした論争は,植民
地化の成功とその客観的な価値は,この植民地化の考えがファウストの発展にとって持つ内的な
価値にとってどうでもよいということを見誤っている。このことは,
『遍歴時代』の場合と同様
に,老ゲーテの思想からある程度類似した箇所を集めることができるということによっても何ら
変らない。シューヒャルト[Schuchard](Julirevolution, St. Simonismus und die Faustpartien von 1831. Zeitschrift für deutsche Philologie 1935; Briefe 60, S. 240ff., 362ff.)は,老
60
公 地 宗 弘
すでに,この強制労働をリベラルな行為あるいは社会的な行為と解釈することは不可能とみるべ
きであろう。ゲーテにとってここで特に重要なのは,例によって実際に達成されるものではなく,
政治的,社会的綱領ではなおのことない。それぞれの個人は日々格闘のうちにふさわしい自由と
生を得なければならないというのは,言うまでもなく詩人の以前からの基本的考えである。しか
し,それをこのように日々の格闘のなかで実証することができるのは,死に瀕したファウストの
場合も政治的活動においてではなく,精神的活動においてである。自由と生の獲得を日々に示す
というのは,
「内面からの創造行為」35なのである。
擬古典主義との共通性とゲーテの独自性
確かに「はじめに」行為ありきで,行為は『パンドラ』にあるように,
「本物の男子の真の祝
祭」であり,行為が「すべてであり,名声は無」である。しかしゲーテが明確に賛成する,ある
いはまったく自明のものとして前提にする行為とは,政治的な行動人の行為とはまったく関係が
ない。政治的行動人にとっては,当然ながら具体的成果のみが価値あるものとならざるをえない。
ゲーテの場合,行為が自己自身の人間性の完成に役立つことのみが重要である。だからこそゲー
テにとって,フリードリヒ大王は,たとえゲーテの作品を理解することがなくても偉大な人物だ
ったし,だからこそゲーテは,ナポレオンが政治的に破滅したときでも彼を尊敬したのだし,だ
からこそファウストは,たとえ彼の最後の唯一の活動的行為が政治的,社会的意味では悪魔の仕
業であり,彼が最後に壮大な「掘り割り」と公言しているものが実際は彼自身の墓穴になるとし
ても,自らが苦心して努力することによって救済される。というのも,
「生において」重要なの
は「生であって,その結果ではない」からである36。
ところでこうした見方は当然のことながらゲーテ独自のものであるのみならず,ほぼ擬古典主
義一般の見方でもある。たとえばフンボルトは,重要なのは人間が何をなすかではなく,その人
間の人となりである,と表現していた。確かにこうした基本的な前提がなければ,ゲーテとその
周辺の人々が政治的な嵐に対して取った全対応が理解できないのである。フランス革命とナポレ
オンが,政治は運命だという言葉でもって人々をこの嵐の世界に陥れた。ゲーテ自身は,それに
よって彼の精神世界にも生じた葛藤を,身にしみて感じたわけではなかった。しかしフンボルト
の場合,ゲーテと内面的に非常に近い関係にはあったが,ナポレオンに対するゲーテの政治的な
振る舞いを理解することができなかったため,
「政治家」としてゲーテの基本的な考え方に忠実
に従い続けたにもかかわらず,この葛藤は明確に現われている。
ファウストとサン・シモン主義の類似点をまったく無理な形で追求したために,
『ファウスト』
のこれらの場面について牽強付会も甚だしい説を論じているのは完全に明らかである。一方,
「ゲーテの目から見て,ファウストの最後の努力はファウストの最大の誤りを意味する」
(S.384)と彼は述べているが,確かにそれは誤りではない。ただしその際,彼もやはり,解釈
の方向は真逆ではあるが,ファウストをリベラルあるいは社会的な意味に解釈しようとする人た
ちと同様に,死へと向かうファウストをかなり政治的に捉えすぎている。
35 Paralipomena Bd. 14, S. 287.
36 Maximen [und Reflexionen] Bd.42, 1, S, 91.
ヴィルヘルム・モムゼン『ゲーテの政治観』(9)
★翻訳の権利について
「文学的及び美術的著作権の保護に関するベルヌ条約」において,いわゆる「10 年留保」条項
(1970 年 12 月 31 日以前に刊行された本については,刊行後 10 年間,翻訳出版されていなけ
れば翻訳権を取得する必要はない)が特例措置として日本に認められている。訳者の調べた限り
では,本翻訳にこの特例措置が適用できると考えられる。
61
編集委員
井
原
上
具
規(委員長)
前
田
雅
代(副委員長)
亮
池
中
雅
美
金沢医科大学教養論文集
Vol.43
平成 28 年 3 月 1 日 発行
発行
金沢医科大学 出版局
石川県河北郡内灘町大学 1 丁目 1 番地
印刷
田中昭文堂印刷株式会社
石川県金沢市打木町東 1448
Published by
KANAZAWA MEDICAL UNIVERSITY PRESS
Uchinada, Ishikawa 920-0293, JAPAN
CONTENTS
New Trend of Higher Education, Its Current Situation and Challenge
- Active-Learning and Critical-Thinking ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Ichiro TANAKA
1
The system of freshman-year education in Kanazawa Medical University
―The integration of 3 methods:
Problem-Based Learning, Academic Writing, and Critical Thinking
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Kojiro HONDA
7
An Introduction to Critical Thinking: Meaning, Object, and the First Step
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Takeshi KIKUCHI
29
Wilhelm Mommsen: Die politischen Anschauungen Goethes (9)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Translated by Munehiro KOUCHI 51
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