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1 森有正におけるパスカル・デカルト研究 竹内 豊 本稿は

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1 森有正におけるパスカル・デカルト研究 竹内 豊 本稿は
1 森有正におけるパスカル・デカルト研究
竹内 豊
本稿は森有正におけるパスカルおよびデカルトに関する研究の経緯を概観し、さらに両
研究の相関について若干の言及をなそうとするものである。
森有正がパスカル・デカルト研究に携わった期間は1938年(昭和 1 3)の卒業論文提出
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を初発として、1950 年(昭和 25)の渡仏直前までの 10 年余に渉っている。 両研究は形式
的には一応独立しており、その研究基調も異なるが、かれの内面にあっては、これらは離
れ難く結合しており、その結果両研究は相補的な関係を構成していると言うことができる。
これについては改めて後述する。ここではまず両研究の経緯を概観しておきたい。
森有正におけるパスカルおよびデカルト研究は、1938 年提出の卒業論文「ブーレーズ・
パスカル研究」に発足したことからも知れるように、パスカル研究がデカルト研究に先行し
て進められた。これらの研究は 1943 年(昭和 18)の『パスカルの方法』『デカルトよりパスカ
ルヘ』の相つぐ刊行によって一つの区切りがつけられた。この期間をパスカル研究の前期
とすることができよう。この期間中デカルト研究の方面では、『デカルトよりパスカルヘ』に
収録された「自然研究」、「明証と象徴」が挙げられる。
つづく 1944 年から 45 年(昭和 19-20)にかけては、論考の発表される機会はなかったよう
だが、パスカル研究の方面において、その後の研究方針を確立した時期である。この研
究方針に基づいて、終戦後の 1946 年から 48 年にかけて、意欲的な論考がつぎつぎに
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この期間は、言うまでもなく戦時体制から敗戦へと継起した激動の時代に相当している。
このことは森の研究に直接反映しているわけではないが、一応留意しておく必要がある。
執筆されたのである。この期間を森のパスカル研究の後期と呼ぶとすれば、この後期にお
いてかれのパスカル論考は書き尽され、1948 年を以ってほぼ終息したとみなすことができ
る。この時期デカルト研究の方面では、1948 年に『デカルトの人間像』が刊行されている。
これには『デカルトよりパスカルヘ』に収められた前記二論考が加筆されたかたちで収録さ
れたほか、1947 年に執筆されたデカルト論考「懐疑」、「思考と実践」、「人間像」が収めら
れている。この書の「はしがき」には、これら5編のデカルト論考が「パスカル研究の余暇に、
折に触れて書かれたもの」(Ⅸ-3)であることが明記されていて、依然としてパスカル研究
の補完的性格を脱していないことを予想させるが、内容的には、すでに独立した基調を備
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えている。 しかしこの時期の森の意欲は、何といってもそれまでに精力的に執筆された
パスカル論考を集成することにあったと考えられる。
森は 1949 年(昭和 24)に、それまでに発表したパスカル論考を集成した一書を刊行する
予定であった。が、この計画は未完に終っている。刊行を予定して準備された「はしがき」
(全集11巻解題に収録)によると、その一書の構成は全5章から成っている。ここに収録さ
れるはずであった論考は、10篇中8篇が、パスカル研究後期に書かれたものである。構
成内容をみると、第4章に配される6篇のシリーズをなす論考群と第5章の「パスカルにお
ける『愛』の構造」とが中心を形成していることが分かる。第4章の論考群を執筆順に記す
と、「パスカルにおけるイエス・キリストの問題」(1943 年)、「パスカルにおける『死』の問題」、
「パスカルにおける『心情』の問題」(以上2篇1947年)、「パスカルにおける聖書解釈の問
題」、「パスカルの宗教思想の根底-愛の共同体としての教会について-」(以上2篇194
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後年、それはつぎのように確認されている。「デカルトは、二十数年来、私の研究主題で
あった。当時、私は特にデカルトの体系のしかじかの細目でなく、殊にかなり研究の進ん
でいたパスカルとの関連において、前者の思想的な全体像を少しでも明確に把握したい
と考えていた。しかしそれは必然的に私をデカルト研究の細目へと追いやる結果となった。
そして私はデカルトの思想の生成、その全体的方向づけに関心を集中し、更にパリに
行ってからは、かれの体系における『時間』と『瞬間』との問題を解明しようとして今日に
到っている。」(「木々は光を浴ぴて、……」(V-48)。
7年)、「パスカルにおける人間存在の問題」(1948年)となる。森が44―45年に確立した
パスカル研究の方針は、この一連の論考群の執筆を中心に構想されたものと考えられる。
この第4章の性格について、前記「はしがき」には「『パンセ』において中心的意義を有す
ると思われる6つの問題を取り出して、それを夫々、出来るだけ展開して見たものである。」
(Ⅺ-433)と記されている。パスカル思想の解明が、その究極するところ『パンセ』の解明
であるとすれば、森のこの一連の論考が中心的位置を占めるのは当然である。
ここで、もう一つの中心をなす、この一書の終章(第5章)に配される予定であった「パス
カルにおける『愛』の構造」についても一言しておかなければならない。この論考は、これ
に先行する諸論考とはやや趣きを異にしている。それまでの論考が「愛」というパスカル研
究の主題を展開する方向で深化させていつたものであるとすれぱ、この「『愛』の構造」は、
逆にその展開を可能とさせる原理構造を究明したものとみることができる。そういう意味で、
この論考は、森のパスカル研究の総括的意義をもつ論考であり、パスカル研究全体を把
握するうえでも、極めて重要な手がかりを与えてくれる論考であるということができる。ただ
注意しておかなければならないのは、森がパスカル研究においてめざした根本的な意図
は、「愛」の原理構造の解明に究極するものではないということである。かれが研究に臨む
態度は常に主体的であり、その言葉の本質において主観的であり、それがかれの研究を
性格づけているのである。むしろ求道者の精神によって貫かれていると言っても過言では
ない。
さて、パスカル研究がほぼ収束する時期、これと相前後してデカルト研究が 1948-50
年(昭和 23-25)にかけてピークをなし、研究のバランスはパスカルからデカルトヘと移行す
る。この期間に書かれたデカルト論考は、質量ともにパスカル研究の補完的性格を完全に
脱却している。これらの研究は1950年の渡仏直前まで続けられ、これがまとめられて『デ
カルト研究』として刊行されたのは、渡仏後数カ月してからのことであった。そのことからも、
これらの諸論考が、渡仏前の慌ただしさの中で集中的に執筆されたことが分かる。このこ
とと先のパスカル論考の集成が未刊のままに残されたこととは、関連しているであろう。
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以上、森有正におけるパスカル・デカルト研究の経緯を概観したところで、つぎに両研究
の相関について言及しておきたい。
先述のように、両研究はその基調において相違している。まずパスカルにおいては、デ
カルトとの対比が顕著であり、それがこの研究の特色をなしている。その対比によって、パ
スカルの思想の偉れた特質を際立たせているのである。これは森のデカルトに発する近
代合理主義に対する批判的立場を反映したものである。この立場は森のプロテスタント主
義的な信仰観から発しており、それがかれの批判精神を形づくっているのである。そういう
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意味で森のパスカル研究は最初から主観的 である。この問題の具体的な内容について
は、別稿「近代意識の批判としてのパスカル研究」で論及するので、ここではその性格を
端的に示している森の言葉を引くに留めておきたい。「しかし率直に言うならば、パスカル
の立場は、デカルト的な在り方をその特殊な、しかし本質的な意味をもつ場合として含む
ような一段と高次の在り方であると考えたい。」(「パスカルにおける人間存在の問題」XI292)。パスカルの立場に立つ限り、デカルトは乗り越えられるべき対象として捉えられてい
るのである。
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ただこのことを、直ちに森の内部にパスカルからデカルトヘの転換が起ったとすることはで
きまい。少なくともこの時点においては、あくまでも研究手つづき上の理由であると考えら
れる。
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前記「はしがき」の中で、森は自分の研究を顧みてこう述べている。「私は出発点において
主観的であったという咎を免れないかも知れない。しかし私は、十数年を経た今日でも、こ
の様な出発の仕方をしたことを後悔していない。」(Xl-432)。
このような基調をもったパスカル研究に対して、.デカルト研究の方は、より客観的な立場
から、デカルトを捉えようとしている。すなわち近代合理主義は、20世紀という科学・技術
の未曾有の発展がもたらした危機的な時代にあって、根本的な反省を迫られているとは
いえ、それは一方で歴史的な必然性を持っており、また必ずしも否定的面ばかりではなく
肯定的意義をももっているはずであり、森はその近代合理主義の精神的支柱の確立に最
も大きな貢献をなしたデカルトを、一旦パスカル的な立場からの批判を離れて、その歴史
的意義において客観的に捉えようとしているのである。
したがって森のデカルト研究の性格を一言で要約すれば、歴史的デカルトの究明であ
ると言うことができる。この場合の「歴史」とは、単なる漠然とした歴史一般を意味するので
はなく、デカルトにおいてこそその時代の歴史が明瞭に顕われるところの典型を意味して
いる。その真の意義については、別稿「歴史的デカルト像の究明」で論及するので、ここで
はこれ以上触れないが、とにかくその極めて重要な歴史的意義において、デカルトはその
真価を認められており、森のデカルト研究の眼目はそこに究極しているのである。このよう
な意味での歴史的意義はパスカルには見出されない。パスカルの思想は、歴史的意義に
おいてではなく、そのような歴史性を超えた実存的意義そのものにおいて捉えられており
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、この見地に立つならば、依然としてデカルトは「パスカルに比較して平面的であって実存
的な深さを欠く」(Ⅺ-162)のである。
したがって形式的に言えば、パスカル研究は主観的で実存的であるのに対して、デカル
ト研究は客観的で歴史的であると言うことができる。勿論その基調のうえに、パスカル研究
の学問的客観性があり、一方デカルト研究の実存的主体性があることもまた留意しておか
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基本的には、一応こう言って差しつかえないと思うが、厳密に言えば、森はパスカルに対
しても一定の「制限」を見出している。それは歴史的制限と言ってよいと思うが、デカルトに
対する場合、その制限内における評価に止まっているが、パスカルに対しては、その歴史
的制限を越えてなお今日我々に追る実存的意義の評価がめざされているのである。
なければならないことである。
(本稿を執筆するにあたり、全集10巻および11巻の「解題」、および全集11巻付録の広
田昌義氏の論文「森有正のパスカル研究-渡仏まで」を参照した。)
パスカル・デカルト研究論考一覧
パスカル研究論考 1940(昭 15) パスカルにおける愛の一考察
デカルト研究論考
パスカルにおける愛について
自然研究
1941(昭 16)
明証と象徴(注 1)
1942(昭 17) パスカルにおけるイエス・キリストの問題
1943(昭 18) パスカルの内的発展におけるく科学と宗教
パスカルの信仰
1946(昭 21) パスカルにおける「死」の問題
パスカルにおける「心情」の問題
1947(昭 22) パスカルにおける聖書解釈の問題 懐疑
パスカルの宗教思想の根底 思考と実践 パスカルにおける愛の秩序 人間像
1948(昭 23) パスカルにおける人間存在の問題
ルネサンス精神の完成として
のデカルトの 思想
パスカルにおける「愛」の構造
デカルトの方法の形成
パスカル序言(注2) デカルト思想における唯物論
的要素(注3)
「パンセ」本文構成の問題
デカルトの実証的精神につ
いて
1949(昭 24) パスカルの方法(注4) デカルト思想の神秘主義的
要素
1950(昭 25) ブレーズ・パスカル
デカルト解釈の一つの方向
人間デカルト
デカルトにおける知的啓示に
ついて
デカルトと合理主義(注 5)
〈凡例〉
○上記論考一覧は森有正全集9巻所収のデカルト論考14篇、同10巻及ぴ11巻所収の
パスカル論考16篇を執筆順に配列したものである。
○論考名は表題だけ掲げ、副題のあるものは、これを省いてある。
○初出出典等の備考的記事は省略した。詳細は全集巻末の「解題」参照。
(注1)全集に収録された論考は加筆後のもので、1948 年に加筆されている。
(注 2)この論考は 1940 年の「パスカルにおける愛の一考察」を旧稿としている。
(注3)この論考は発表年不明であるが、Ⅸ-367の記述から「デカルトにおける実証的精神
について」に先行すると考えられ、とりあえずここに配列した。
(注4)この論考は1943年刊行の『パスカルの方法』を、1949年に改版する際、修正され
たものである。
(注 5)発表年不明なので、最後とした。
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