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牛トロウイルスが関与した搾乳牛の伝染性下痢症再発事例
牛トロウイルスが関与した搾乳牛の伝染性下痢症再発事例 中央家畜保健衛生所 会田恒彦 村山和範 篠川有理 矢部静 本間裕一 渡邉大成 中田稔 はじめに 材 料 成牛の伝染性下痢は野外でしばしば発生し病性 A農場では、下痢発症中または回復した成牛9頭 鑑定が行われるが、主な原因ウイルスとしては牛 のペア血清と、うち3頭の下痢便および子牛2頭か コロナウイルス(BCV)やロタウイルスなどが知ら らもペア血清と糞便の採材を行った。B農場は成 れている。しかし、実際には伝染病を疑うものの 牛3頭からペア血清と下痢便を採材した。この他、 これらが否定される症例もあり、その原因の解明 前回および今回の病性鑑定以外に、20か月齢以上 が求められている。 を対象として、A農場から4回のべ63頭の血清およ 牛トロウイルス(BToV)はコロナウイルス科の1 び2回のべ28頭の糞便、B農場から3回のべ51頭の 本鎖のRNAウイルスで、子牛に対しては下痢症ウ 血清および2回のべ12頭の糞便を採材し検査に供 イルスとして知られており[5,17]、呼吸器症状へ した。 の関与も示唆されている[15]。成牛に対しても下 痢症の原因ウイルスであることが疑われている 方 法 抗体検査 が、発生事例がほとんどないためその病態は不明 下痢関連ウイルスの抗体検査については、BToV な点が多く、再発の有無も明らかになっていない はAichi/2004株、牛ウイルス性下痢粘膜病ウイル [7,8,11]。我々は平成20年度の新潟県業績発表会 ス(BVDV)1型はNose株を用いた中和試験により、B 等で県内の3酪農場おいて発生したBToVの関与に CVは掛川株を用いたHI試験により行った。 よる成牛下痢症を報告した[1,2,10]。このうち2 農場で伝染性の下痢が再び発生し、BToVの再関与 が疑われたことからその概要を報告する。 遺伝子検査 BToVスパイク(S)遺伝子[6]、BCV[13]、牛ウイ ルス性下痢・粘膜病ウイルス(BVDV)[16]、牛B群 発生概要 ロタウイルス(GBR)[3]および牛C群ロタウイルス 平成21年11月8日、成牛24頭と子牛2頭を飼養し (GCR)[14]特異遺伝子の検出は、下痢便乳剤から ていたA酪農場において、搾乳牛3頭が泥状の下痢 ウイルスRNA抽出キット(High Pure Viral RNA Ki を呈した。その後も下痢が伝染したことから13日 t, Roch)を用いてRNAを抽出し、RT-PCR法(PrimeS に病性鑑定を実施したが、最終的に成牛19頭と子 cript One Step RT-PCR Kit Ver.2, Takara)によ 牛1頭が発症した。なお、前回のBToVの関与によ り行った。BToVのS遺伝子領域をダイレクトシー る下痢の発生は平成20年2月であった。 ケンス法により解析し、得られた塩基配列とイン B酪農場はA農場の近隣にあり、成牛24頭を飼養 ターネットサイトBLASTsearchにて検索した既報 していた。平成22年1月4日、成牛1頭に水様性下 のBToV配列の相同性を遺伝子解析ソフト(DNASTA 痢と乳量の減少が見られ、その後下痢が伝染し最 R)を用いて比較し、分子系統樹の作成を行った。 終的に成牛10頭が発症した。前回の発生は平成19 年5月であった。 なお、A、B農場ともに下痢の発生前に牛の導入 やワクチンの使用はなかった。 ウイルス分離 ウイルス分離にはBToVに感受性のヒト直腸由来 株化細胞(HRT-18Aichi細胞)を使用した。下痢便 の10%乳剤を無血清Eagle's MEM(日水)で作成し、 その遠心上清原液および10倍希釈液にトリプシン (Trypsin TypeⅠ, SIGMA)を1μg/0.1ml濃度で添 加し37℃、5%CO2条件下で30分間加温後、吸引洗浄 した単層細胞に接種、37 ℃で90分間感作し吸引洗 A農場病性鑑定 浄後、5%牛胎子血清含有Eagle's MEMを添加して ペア血清を用いたBToV抗体検査で成牛9頭中5 静置培養を行った。2および3代目についてはトリ 頭、子牛2頭中1頭の計6頭で抗体価の有意上昇が プシンは添加せずに継代を行った。 認められた。最も顕著な個体では抗体価が32倍か ら1024倍に上昇するなど、成牛は比較的高い抗体 抗原検出 価を示した。一方、子牛2頭については抗体価が 下痢便からのA群ロタウイルス(GAR)抗原検出は 市販キット(ロタレックスドライ, 第一化学薬品) 低く、4∼16倍であった。BCVについては抗体価に 有意な動きは認められなかった(表2)。 RT-PCRでは、成牛2頭と子牛1頭でBToVのS領域 を用いて行った。 に特異的な遺伝子増幅が確認された。この3頭の 細菌検査 下痢便を5%羊血液加寒天培地およびDHL寒天培 下痢便についてウイルス分離を実施したところ、 No.10の子牛から継代2代目でBToVが分離された。 地を用い好気条件で24時間培養した。 分離株は限界希釈法にて3代継代を行いクローニ 寄生虫検査 ングし、7代目をBToV/Niigata/A2009とした。な 飽和ショ糖液浮遊法により行った。 お、No.2∼8の7頭については、平成20年5月にBTo 成 Vが流行した際も下痢を発症した個体であること 績 が記録から確認された。また、BToV以外の下痢症 発生状況調査 各農場の下痢発生状況を調査し、併せて前回と 関連の病原体はRT-PCRや細菌検査等で検出され の比較を行った。A農場では成牛のほぼ全頭が発 ず、これらの成績からA農場においてBToVが関与 症し、今回は子牛の発症も認められた。下痢の程 した下痢が再発したものと考えられた(図1)。 度は軟便から泥状で、軽度の咳がみられた前回と この他、A農場で抗体上昇のみられた成牛5頭の 異なり呼吸器症状は認められなかった。乳量は前 ペア血清について、分離株を用いた中和試験を行 回同様に減少しなかった。一方、B農場では成牛 った。その結果、いずれも抗体価の有意上昇が確 のみ約半数が発症し、下痢の程度は前回は水様性 認され、抗体価は前血清が4∼64倍、後血清は128 であったが、今回は初発の1頭が水様でその他は または256倍であった。 泥状であった。呼吸器症状は認められず、乳量は 表2 A農場抗体検査 前回最大7%減少したものの、今回は軽度であっ た。この他、いずれの事例も発熱はなく、下痢は 治療することなく数日で治まった(表1)。 No. 表1 BToVによる下痢の前回と再発事例の比較 A農場 成牛 発生年月 発症数 H20.2 22/22 頭 H21.11 19/24 頭 子牛 発症 下痢 程度 食欲 呼吸器 症状 なし 軟便∼ 泥状 やや 減退 軽度 咳 あり 泥状 B農場 発生年月 成牛 発症 子牛 発症 下痢 程度 H19.5 12/24 頭 なし H22.2 10/24 頭 なし なし なし 乳量 減 なし なし 個体 回復 3,4日 2,3日 食欲 呼吸器 症状 乳量 減 個体 回復 水様 減退 なし 2日目 7% 4,5日 水様と 泥状 軽度 減退 なし 軽度 減少 数日 A, B農場共通:発熱はなく、治療を実施した個体もいなかった。 BToV BCV Pre Post Pre Post 備考 (症 状) 1 32 1024 320 320 泥状下痢 2 8 128 1280 640 泥状下痢 3 128 128 160 160 泥状下痢 4 128 256 640 640 回復 5 512 128 640 320 回復 6 128 128 640 320 回復 7 32 1024 1280 640 回復 8 32 256 160 160 回復 9 16 512 160 160 泥状下痢 10 16 8 80 40 子牛・泥状下痢 11 4 16 80 40 子牛・回復 Pre:H21.11.13, Post:12.3 および個体は異なっているが、BToV抗体価を幾何 1 2 前回発症 No. BToV BToV PCR 分離 1 + − 泥状下痢 2 + 泥状下痢 3 − − NT 4 ・ ・ 回復 5 ・ ・ 回復 6 ・ ・ 回復 7 ・ ・ 回復 8 ・ ・ 回復 M 平均値(GM値)で表した。A農場では前回、平成2 備考 0年2月の発生の際にGM値が22.6から後血清で181 741 bp 泥状下痢 BToV-S 領域 RT-PCR まで上昇したが、その後は低下傾向が見られ、4 か月後に83.6、平成21年5月には27.9を示した。 そして、今回の再発生でGM値192.4まで上昇した ・BCV,BVDV,GBR,GCR 各RT-PCR 陰性 ・ロタウイスルス抗原 陰性 ・細菌, 寄生虫検査 陰性 9 ・ ・ 泥状下痢 10 + 子牛・泥状下痢 11 − 3/5 + NT 計 3 10 11 P N 子牛・回復 判 定 BToVが関与した 下痢の再発 1/3 ものの、4か月後には34.8まで急激に低下し、そ の後も低下傾向が認められた。この他、平成22年 4月に5頭、10月に23頭から採材した正常糞便は全 てRT-PCRでBToV陰性であった(図2)。 +:陽性, −:陰性, NT:検査実施なし 図1 A農場各種検査成績 ・期 間 H20.2∼H22.10月 ・対 象 20か月齢以上 ・血 清 8回, のべ103頭 ・糞 便 2回, 28頭(正常便)→ BToV-PCR B農場病性鑑定 RT-PCRではBToVやBCV等のウイルスが陰性で、 GM値 牛群BToV抗体価推移 その他の検査でも下痢関連病原体は検出されなか った。しかし、抗体検査においてNo.1と3の2頭で n=17 n=10 PCR 0/5 BToVおよびBCV抗体価の有意な上昇が認められた。 n=4 著であった。これらのことから、B農場の下痢はB PCR 0/23 n=13 とくに、BToV抗体価については、No.1が2倍未満 から1024倍、No.3が16倍から1024倍へと上昇が顕 個体別BToV抗体価推移 H20.2 n=5 H20.7 H21.5 n=9 H21.11 n=20 n=25 H22.4 H22.10 H20.2 H20.7 H21.11 H22.4 下痢発生 下痢発生 CVとBToVの混合感染によるものであったと考えら れた(表3)。 図2 A農場のBToV抗体価推移およびRT-PCR 表3 B農場検査成績まとめ B農場は平成19年5月の発生時にGM値1024を示し 特異遺伝子及び病原体検出検査 No. RT-PCR BToV BCV BVDV等* ウイルス 分離 ロタ 細菌・ 抗原 寄生虫 備考 1 − − − − − − 水様性下痢 2 − − − − − − 泥状下痢 3 − − − − − − 泥状下痢 *:BVDV,GBR,GCR −:陰 性 BToV まで再び低下していた。また、今回の発生後、平 成22年4月に採材した正常糞便で10頭中1頭がRT-P BCV Pre Post Pre Post 1 <2 1024 80 ≧1280 2 16 32 640 ≧1280 16 1024 320 ≧1280 3 発生で322.5に上昇したものの、3か月後には35.8 CRでBToV陽性となった(図3)。 抗体検査 No. たが、平成20年7月には92.6まで低下、今回の再 判 定 BCVとBToVの 混合感染下痢症 ・期 間 H19.5∼H22.10月 ・対 象 20か月齢以上 ・血 清 7回, のべ67頭 ・糞 便 2回, 12頭 (正常便)→ BToV–PCR ※陽性検体をシークエンス Pre:H22.1.4, Post:1.29 GM値 n=5 下痢発生後の調査 BToVによる成牛下痢が発生した農場について、 発生後の調査はこれまで報告がないことから、A およびB農場にて下痢発生後に20か月齢以上の成 n=3 n=15 n=3 n=5 H19.5 H20.7 H22.1 n=26 H22.4 PCR+ 1/10 n=10 PCR 0/2 下痢発生 牛を対象として検査を実施した。各採材時の頭数 図3 B農場のBToV抗体価推移およびRT-PCR 遺伝子解析 BToVのS遺伝子領域について得られた塩基配列6 22bpを解析した結果、A農場3頭の糞便由来配列は Niigata A2008 100%一致していた。分離株については糞便由来 Niigata B 2007 の配列と207番目の1塩基(分離株T,糞便由来C)に Niigata B2010 Niigata A2009 相違が認められた。このため、糞便由来の配列を NiigataA2009として既知のBToV配列との比較を行 った。その結果、NiigataA2009は前回の流行の際 MegAlin ,622bp に当該農場で分離されたNiigataA2008株と一致率 が92.4%であった。 B農場についても、平成22年4月の正常糞便から 得られたNiigataB2010の配列は、前回発生時の下 痢便由来配列NiigataB2007と異なっており一致率 図4 BToV S遺伝子領域(622bp)の分子系統樹 は96.9%であった(表4)。 考 表4 BToV S遺伝子領域(622bp)の一致率(%) 察 BToVが関与した搾乳牛の下痢が過去に発生した 2酪農場において下痢が再発し、検査を行った結 Niigata A2009 ・A農場 下痢便 (H21.11.13)由来 3検体は 同一配列のため表記を統一。 Niigata Niigata Niigata Niigata A2009 A2008 B2010 B2007 Niigata A2009 Niigata A2008 Niigata B2010 Niigata B2007 Aichi2004 *** 果、A農場はBToV単独、B農場はBCVとBToVが関与 Niigata B2010 ・B農場 正常便(H22.4.20) 由来 1検体 Aichi 2004 Ni22007 した下痢と判断された。BToVによる成牛の下痢に Gifu- Miyagi2007TI 2006 B145 Breda /E TI/E 92.4 92.9 93.0 93.6 92.7 98.5 93.0 93.3 90.9 *** 99.0 96.4 97.3 99.4 92.1 96.6 94.2 93.3 *** 96.9 97.6 99.3 92.6 97.0 94.9 93.5 *** 97.8 96.7 92.4 99.0 94.4 93.2 *** 97.6 93.0 97.6 94.9 93.8 *** 92.4 96.9 94.5 93.8 *** 92.3 92.7 90.5 *** 94.2 93.3 *** 92.3 Ni2-2007 Gifu-2007TI-E Miyagi2006TI-E B145 Breda *** ついては、発生報告がほとんどなく、その病原性 も認知されていない。このため、現時点では臨床 症状、抗体価推移およびウイルス排泄状況など基 礎的なデータを集め、その病態を理解することが 重要である。今回の発生についても前回とほぼ同 様の症状であったことから、BToVによる成牛の下 痢はBCVと類似するものの、症状は比較的軽度で あることが推察された。しかし、BCV感染でも血 便の認められない場合やその他のウイルス性下痢 症については臨床症状での識別が困難であること から[4]、下痢の類症鑑別ウイルスとしてBToVを 分子系統樹解析ではNiigataA2009は2007年の岐 追加する必要があると考えられた。 阜県由来分離株(Gifu-2007TI/E)と近縁で、Niiga BToVに感染した乳用牛ではELISA抗体価の上昇 taA2008とは区分された。同様にNiigataB2010に と下降が明瞭であるが[9]、AおよびB農場の成績 ついても2006年の宮城県由来分離株(Miyagi-2006 から中和抗体価は発生毎に顕著に上昇し、その後 TI/E)と近縁で、過去に農場で流行したNiigataB は比較的短期間で低下する傾向が認められた。ま 2007とは区分された(図4)。 た、BToV単独感染であったことが確認されたA農 場については、前回の発症牛が今回も下痢を呈し たことが記録から確認された。これらのことから、 成牛はBToVに再感染し、再度下痢を発症するもの と考えられた。BToVと同属のBCVについては、ワ クチンの感染防御効果がHI抗体価160倍以上で得 られることが報告されている[12]。本症例では牛 群におけるBToV中和抗体価の低下と下痢発生の関 連性が窺われ、抗体価の低下により感染と発症を 起こし易い状態にあったことが推察された。 塩基配列解析からはA農場で流行したBToVが、 前回と異なる株であったことが明らかとなった。 分離株と元の材料である糞便由来の塩基配列には [8]加地紀之:島根県家畜病性鑑定室報, 第12号, 25-28(2008) [9]Koopmans:Am J Vet Res, 51, 1443-1448 (1990) [10]野村真実:平成20年度新潟県家畜保健衛生所 業績発表会集録, 39-41(2009) 1塩基の相違が認められたが、これについてはウ [11]Scott:Vet Rec, 138, 284-285(1996) イルス分離で7代継代を行った過程で変異が起き [12]Takamura K:Can J Vet Res, 64, 138-140 たものと推察された。また、B農場については、 下痢の流行株は検出されなかったものの、正常時 の糞便から得られた塩基配列は平成19年に侵入し た株と異なることが判明した。これらのことから、 いずれの農場も前回流行したBToVが牛舎内で感染 (2000) [13]Tsunemitsu:Arch Virol, 144, 167-175 (1999) [14]Tsunemitsu:Arch Virol, 141, 705-713 (l996) 維持されていたのではなく、経路は不明であるが [15]Vanopdenbosch:Vet Rec, 129, 203(1991) 新たな株が侵入したものと考えられた。 [16]Vilcek:Arch Virol,136 , 309-323(1994) 本症例はBToVによって下痢を呈した成牛が、再 感染し再び発症することを確認した初の事例であ る。BToVは野外に広く浸潤していることや、複数 の農場で発生が確認されていることを考慮すると BToVが関与する下痢の症例は少なくないかもしれ ない。今後も野外症例を調査し、その病原性を解 明することが下痢の類症鑑別のために重要と思わ れた。 謝 辞 塩基配列の解析および検査についてご助言下さ った、(独)動物衛生研究所ウイルス病研究チーム、 恒光先生および諸先生方に深謝致します。 参考文献 [1]会田恒彦:平成20年度新潟県家畜保健衛生所 業績発表会集録, 42-48(2009) [2]会田恒彦:第148回日本獣医学会学術集会講演 要旨集, 210(2009) [3]Chinsangaram:Vet Diagn Invest, 6, 302-307(1994) [4]福田昌治:平成22年度日本獣医師会獣医学術 学会年次大会, 220 [5]Hoet:Am J Vet Res, l63, 342-348(2002) [6]Hoet:J Vet Diagn Invest, 15, 205-212 (2003) [7]Ito:Virus Research, 126, 32-37(2007) [17]Woode:Vet Microbiol, 7, 221-240(1982)