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B
の爆撃進路を確認するために
回遊し、海へ送り出す事が念頭に
た海への流出水路を持つ河川は大
川と新淀川、神崎川など堂々とし
下流にも支流をもち旧淀川流域河
黒田川、天野川、芥川など淀から
大谷川、船橋川、檜尾川、穂谷川、
本一︶淀川となり流程は短いが、
する水系の支流支川965本は日
の 大 支 流 を 合 流 し、︵淀 川 に 流 入
分水嶺から流入する木津川と2本
の桂川と、三重県西部と奈良北部
地周辺と京都北山の各分水嶺から
琵琶湖を本流水源として、丹波盆
の各分水嶺の河川と湧水を湛える
あること、比良比叡と安曇川水系
滋賀と接する福井、岐阜の県境で
なる事と河川を画き淀川の水源が
し、淀川上流水が下流に噴出し、
堰︵長柄可動堰︶の大鉄管が破壊
域と新淀川の潮入域を分ける橋下
穴が空いて、水位調節と上流淡水
目は橋脚北側の右寄りに命中し大
機銃掃射で全滅状態になり、二発
だした。逃げ出した人達も数度の
き一瞬にして百人以上の死傷者を
リート製の頑丈な大橋に大穴が空
頭上に爆弾が命中し、鉄骨コンク
掃射され、長柄橋下に逃げ込んだ
んでいる所をグラマンF6に機銃
の一部が南詰の堤防下に集まり休
南詰付近の堤防内に避難した人達
よりB
川水系では6月7日午後
中大爆撃を被り灰燼に帰すが、淀
翌年?に小型鯨が長柄橋下手まで
見 し 仲 間 が 集 ま り 捕 殺 さ れ る し、
師が居眠りする巨大セイウチを発
の上流右岸の潮入湿地付近で川漁
新淀川の東海道本線鉄橋︵上淀橋︶
そして終戦数年後の3月上旬に
のが今でも不思議である︶
る。︵国 民 が 極 め て 平 静 で あ っ た
名以上が死亡した翌日に終戦す
し京橋駅の乗降客と付近住民2千
中攻撃を受け、工廠の
%が壊滅
兵廠と京橋駅一帯が一頓爆弾の集
の上から望遠するが、8月
稿了に当たり、淀川資料館と河
す︶
であるが体験したものばかりで
は 今 も 不 明 で あ る。︵記 憶 の 一 端
安全と大漁を願っていたが、結果
た 一 升 瓶 の 口 を 切 り 撒 き な が ら、
たのは吉兆の徴と飲み代に持参し
漁師が、淀川長柄の主が姿を見せ
鯉が背鰭を見せて通過するのを老
れた船腹を、一尋以上の巨大な真
川漁師の船に同乗し魚群に乗り入
一 週 間 程 度 と 記 憶 す る が?続 き、
日までに大阪市街が8回の集
河であると子供心に自讃自認し今
三発目は三番と四番目橋脚間に命
月
日にいたった。
中し大穴を空けると同時に、目標
県境は分水嶺と河川道路が境界に
古くから淀川を改良し旧淀川流
を外れた四発目は北詰の少し離れ
無 い 時 代 で 猟 友 会 員 が 捕 殺 し た。
域を改良整備し新淀川と神崎川を
た東側の柴島消防署上の右岸堤防
望遠鏡で見た爆撃状況と被害状況
開発した各位の御苦労にも関わら
と並行する産業道路上で爆発し
その後にも赤潮に追われた淡水魚
ず、今も尚一旦事あれば膨大なエ
た。最初の投下爆弾は外れて左岸
である。
ネルギーを内在する水系河川であ
堤防の外側を流れる長柄運河流入
14
11
の爆撃が始まり、長柄橋
90
29
時過ぎ
る事も忘れては決してならない存
口付近の左岸壁で爆発し崩れる。
で長柄橋下手の200m程下流ま
在である。
当時、中学2年の小生が勤労動
その後、5回の大空襲を看視哨
また、淀川に想いを馳せている
員で来ていた近くの会社で空襲時
と思うこのごろです。
で冬眠する萱鼠を見学に行きたい
みで、今冬始めに鵜殿葭原ガイド
る適切で親切なガイド活動が楽し
豊かな各地区管内レンジャーによ
方の河川敷も最高で、知識と経験
小生、平成元年より在住する枚
げます。
いつも次回が楽しみで御礼申し上
毎 回 御 世 話 に な る ば か り で す が、
動、自然観察と淀川ウォーク等で
川レンジャーの各位には、講演活
が戦争も中盤に突入し、河川敷に
でが鯉鮒の背ビレで埋まる状態が
▲明倫観世音菩薩像
日造
29
の防空班員として屋上看視哨から
14
年3月から8
行けなくなり昭和
20
平成23年9月30日 第83号
淀の流れ(5)
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