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PDF2453kb - 飯田市美術博物館
伊那谷自然史論集 14:41−51(2013)
木曽山脈天龍川流域の山地渓畔林の分布,種組成と立地
深町篤子※1・星野義延※1
Distribution, Species composition and site condition of mountain riparian forests in the Tenryu River basin of the Kiso Mountains
Atsuko FUKAMACHI,Yoshinobu HOSHINO
*1
〒183-8509 東京都府中市幸町3-5-8,東京農工大学大学院連合農学研究科植生管理学研究室
Faculty of Agriculture, Tokyo University of Agriculture and Technology, Fuchu, Tokyo 183-8509, Japan
分布情報や種組成などの報告のほとんどない木曽山脈天龍川流域の山地渓畔林において,生態学的な基礎的知見の蓄
積を目的に調査を行った.天龍川支流のうち,北は小沢川から南は黒川まで11河川を踏査し,このうちの5河川におい
てサワグルミやシオジが優占する14林分の渓畔林で植生調査を行い,種組成を明らかにした.与田切川にはまとまった
渓畔林の広がりが確認できたが,それ以外の支流で確認した渓畔林はいずれも小規模な林分であった.調査林分の階層
は4層からなることが多く , 高木層にはサワグルミ,シオジ,トチノキ,カツラが,亜高木層や低木層にはアサノハカエ
デなどのカエデ類が,草本層には大型シダ植物やミヤマタニソバやウワバミソウなどの小型草本がよく出現した.構成
種のうち常在度が高かった種は,オシダ,イトマキイタヤ,イワシロイノデ,ニワトコであった.種組成に基づいて調
査地の渓畔林の植物社会学的な位置づけについて検討した結果,調査地北部の小黒川ではヤマタイミンガサ−サワグル
ミ群集に,それ以外の支流にはシオジ−ミヤマクマワラビ群集に同定される林分の分布が認められた.現時点では植食
性動物の過剰な採食による林床植生の著しい変質はみられなかった.
キーワード シオジ,サワグルミ,植物社会学,林床植生,植物地理学
Key words Fraxinus playpoda,Pterocarya rhoifolia,Phytosociology,Understory vegetation,Phytogeography
失のみならず,残存した渓畔林の種組成と構造の変質
1.はじめに
も懸念されており(中村,2000),残された渓畔林は
渓畔林は河川上流域に成立する林であり,人々の生
保全的価値が高いといえる.しかしながら,渓畔林の
活水を支える水源涵養林ともよぶことができる森林で
種組成や構造に関する過去の資料は少なく,多種の生
ある.また,そこには陸生生物から水生生物まで多様
物の保全や今後の変化の予測や利用や保全の施策のた
な生物が生育・生息していることが知られている.渓
めに,現時点における渓畔林の種組成,渓畔林が成立
畔林では風倒によるギャップ形成など多くの森林でみ
する環境の記録はとても重要である.
られる撹乱に加えて,洪水や土石流,斜面崩壊といっ
加えて,近年のニホンジカ(Cervus nippon,以下,シ
た渓畔域特有の様々な攪乱が生じる
(崎尾・山本,2002).
カ)の高密度化により,太平洋側の植生の変質が著し
このため,渓畔林の主要構成樹種であるシオジやサワ
く(植生学会企画委員会,2011),奥多摩の渓畔林で
グルミなどは,こうした渓畔域特有の攪乱体制に適応
は植物種の消失や被度の低下が報告されている(大橋
的な特性を備えていることが知られている
(佐藤,1995
;
ほか,2007).赤石山脈では防鹿柵による植生回復の
Sakio,1997など).しかし,渓畔林の種組成と立地環
試みがなされたが,植被率は回復したものの種組成の
境の対応関係について草本も含めて検討した研究は,
回復には必ずしも至っていない
(渡邉ほか,2012).一
久保ほか(2001)や川西ほか(2004)を除いてほとん
方で木曽山脈では,シカによる植生の変質の有無に関
どない.
する報告はなく,現在の植生の状態把握が第一の課題
渓畔林の構成樹種には通直で大径木になる有用材と
といえる.
される種が多く,これらの種は特に低標高域において
長野県の植物種の分布は長野県植物誌編纂委員会
多量に伐採され,針葉樹の植林が広く行われ,失われ
(1997)に,渓畔林の分布や植物社会学的な位置づけ
てきた(生原,1989;崎尾・山本,2002).また,林
についての報告は飛騨山脈,赤石山脈を刻む河川で行
道や砂防堰堤などの敷設によって , 渓畔林そのものの消
われている(環境庁 ,1978;宮脇編 ,1979;大野 ,1985).
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NaturalHistory Reports ofInadani14(2013)
しかし,木曽山脈においては渓畔林の分布や種組成に
木曽山脈における天龍川上流域のうち踏査した主な
関する知見も乏しく,中山ほか(1983)がケヤキ林など
支流は,北から小沢川,小黒川,犬田切川,藤沢川,
の種組成に関する報告を行っている他にはみられない.
太田切川,与田切川,片桐松川,大島川,野底川,松
これらのことから,本報告では,木曽山脈の天龍川
川,黒川の11河川である(図1).表層基質はほとんど
上流域における渓畔林の分布と種構成,立地環境につ
の支流の流域で花崗岩質岩石,ホルンフェルスからな
いて報告するとともに,植物社会学的な位置づけを行
るが,小沢川と小黒川の流域には一部堆積岩地が含ま
い,伊那谷における基礎的な生態学的知見の蓄積と今
れている.
後の利用,保全のための現状の報告を目的とした.
2.2.調査方法
2.方法
木曽山脈における天龍川支流を踏査し,サワグルミ
2.1.調査地概要
やシオジなど渓畔林構成種の分布について記録した.
木曽山脈は中部地方を代表する山脈のひとつであり,
さらに,サワグルミやシオジなどが一定の広がりをも
構造地質学的には壮年期の隆起地形の代表とされ,そ
つ林分において,
植物社会学的手法(Mueller-Dombois
の最高峰は木曽駒ヶ岳(2956m)である(長野県植物
& Ellenberg,1974)を用いて植生調査を行った.す
誌編纂委員会,1997).また,天龍川は日本の河川の
なわち,維管束植物の種組成と優占度・群度を高木層,
うち最大の流出土砂量をもつグループに含まれており
亜高木層,低木層,草本層などの階層ごとに記録した.
(芦田・奥村,1974),その流域では断層活動に伴う激
また,傾斜角度や方位,観察された表層基質の状態や
しい隆起と河川の下刻が知られている(国土交通省,
微地形,GPS(GPSMAP60CSx,GARMIN Ltd.)によ
2009).
る調査地点の位置,植食性動物による採食痕跡の有無
調査地域に近い気象観測所(飯田;標高516m,観
も記録した.現地調査は2011年5月 ,7∼10月に行っ
測期間1981∼2010年)の年平均気温は12.8℃,年降水
た.植物種の和名,学名は米倉・梶田(2003)に,植
量は約1612である(気象庁2012).なお,長野県で
生単位の和名は原記載の論文で用いられた名称とし,
は夏季の降水量が6・7月 と9月に多い二峰性で,年
学名は宮脇ら(1994)に準拠した.
降水量が少ない中央高地式気候が知られている.調査
3.結果と考察
地点に近い気象観測所(諏訪,辰野,伊那,飯島,飯
田)の気候資料においても ,いずれもこうした傾向が認
(1) 渓畔林の種組成・構造と立地
められた(気象庁2012).
踏査した11の支流のうち,小黒川(OGR),与田切
川(YTK),片桐松川(KKM),松川(MAT),黒川
(KUR)の 5河川において,サワグルミやシオジが優
占する14林分で植生調査を行った(図 1).植生調査
を行った範囲は標高約1130∼1600mの間で,調査面積
は150∼625となった(表1).
気象庁(2002
;観測期間1971∼2000年)の3次メッ
シュのデータから調査地点の標高(10mDEM)をもと
に補正を行うと,
調査地の暖かさの指数は47.8∼67.2℃・
月,寒さの指数は−26.6∼−41.7℃・月の範囲で,吉
良(1948)に従えば冷温帯に相当する.
林分の階層構造は高木層,亜高木層,低木層,草本
層の4層が認められることが多かった.ササ類などの
低木第2層を伴って5層となる場合や,大型シダ植物
と小型草本からなる2層の草本層をもつこともあった.
高木層では,渓畔林の代表種であるサワグルミ,シオ
ジ,トチノキ,カツラに加えてオオバアサガラやミズ
キなどがみられ,亜高木層や低木第1層ではイトマキ
図1 調査地域.網かけ印は踏査範囲を,四角印は植生調査
地点を示す.
イタヤやアサノハカエデ,オオイタヤメイゲツ,チド
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伊那谷自然史論集 14(2013)
表1−1 木曽山脈天龍川流域における渓畔林の種組成.
43
NaturalHistory Reports ofInadani14(2013)
表1−2 木曽山脈天龍川流域における渓畔林の種組成.
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伊那谷自然史論集 14(2013)
表1−3 木曽山脈天龍川流域における渓畔林の種組成.
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NaturalHistory Reports ofInadani14(2013)
表1−4 木曽山脈天龍川流域における渓畔林の種組成.
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伊那谷自然史論集 14(2013)
リノキなどカエデ類が多くみられた.草本層には大型
の株立ちが優占する 1地点で行った.出現種数は34種
シダ植物や小型草本がよく出現し,大型シダ植物には,
と本報告の林分の中では少なく,林床ではタマアジサ
オシダ,イワシロイノデ,ミヤマクマワラビ,ヤマイ
イ,スズタケが優占した.調査地点の比高は流路から
ヌワラビ,イッポンワラビなどが,小型草本にはミヤ
20mほどあり,増水では冠水しない位置にあった.急
マタニソバやウワバミソウ,ミヤマムグラなどがみら
傾斜で,崩壊斜面に隣接する崩れやすい立地であり,
れた.
崩壊地を好むタマアジサイを伴っていた.立地の不安
調査林分に高常在度で出現した種は,オシダ,イト
定さは出現種数の少なさにも関係していると考えられ
マキイタヤ,イワシロイノデ,ニワトコであった.
た.
以下,河川ごとに渓畔林構成樹種の分布状況や林分
・松川
の植生概況を示した.
松川は与田切川とともにシオジの生育を確認できた
が,中山ほか(1983)ではシオジの生育は確認されて
・小黒川
おらず,個体数は限られていると考えられる沢である.
小黒川ではサワグルミ,トチノキ,カツラの単木的
シオジが優占する小規模な林分において山腹斜面で植
な生育を確認した.これらの種が林冠構成種となる小
生調査を行った.この地点では林冠をシオジが優占し,
規模な林分2地点で植生調査を行った.亜高木層はイ
亜高木層においてトチノキが,低木第2層では高さ約
トマキイタヤが優占した.また,タマアジサイなどの
2mのイブキザサが優占した.この斜面はイブキザサ
低木,アカソ,ヤグルマソウなど高茎広葉草本が多く
が優占していたことから地表の安定性が保たれている
認められた.草本層の出現種数は約60種と多く,植被
ことが推測できる.
率も高かった.林分の成立していた立地は,流路から
の水平距離・比高はともに数10m以上ある,河川の増
・黒川
水により冠水することのない山腹斜面であった.
黒川では林道沿いでサワグルミを単木的であるが,
数多く確認した. 1地点で植生調査を行った.アサノ
・与田切川
ハカエデや亜高山域に生育するオガラバナが亜高木・
与田切川ではサワグルミやシオジの優占する林分を
低木層第1層でみられ,低木層第2層をイブキザサが
確認し,カツラやトチノキを単木的に確認した.標高
覆う中で,草本層ではタマガワホトトギス,タニギキョ
約1350mに位置するシオジ平自然園(以下,自然園)
ウ,オクノカンスゲなどがみられた.この地点は亜高
は広い沖積地にあり,サワグルミとシオジが混生する
山帯に近い標高域にあり,WIは約47.8℃・月となった.
林が発達していた.自然園内で4地点(YTK03,07∼
地形的には増水時に冠水すると考えられる谷底緩斜面
09),自然園より下流の5地点(YTK01,02,04∼06)
であった.
で植生調査を行った.
スズタケが優占した場合に林分の種数は約30種で
・その他の河川
あったが,一つの林分で50∼70種を確認できた.特に
小沢川ではオニグルミを多く確認したが,サワグル
草本層の種数が多く,オシダ,キヨタキシダ,ジュウ
ミ,シオジは実生も稚樹も確認していない.犬田切川
モンジシダ,イッポンワラビなどのシダ植物,コカン
では斜面域に多いミズナラやシデ類などが沢筋で生育
スゲ,ミヤマカンスゲ,オクノカンスゲといったカン
していた.カツラなどの渓畔林の種も単木的に確認し
スゲ類がよく出現した.また,亜高木層,低木層では
たが,
サワグルミとシオジは実生も稚樹も確認しなかっ
イトマキイタヤやアサノハカエデ,オオイタヤメイゲ
た.藤沢川ではオニグルミの分布を多く確認し,サワ
ツ,ヒナウチワカエデなどのカエデ類が豊富であった.
グルミを単木的には確認した.太田切川は舗装された
表層基質は礫径数の礫が占める場合や, 1mを超え
車道の範囲を調査したが,十分な調査はできていない.
る巨礫が卓越する場合もあった.
大島川での踏査範囲ではフサザクラやヤナギ類を多く
確認したが,サワグルミやシオジは確認しなかった.
・片桐松川
野底川流域は人工林が広く,ネコノメソウ類などの渓
片桐松川では数は少ないがサワグルミの稚樹や株立
畔林の林床構成種は確認できたものの,渓畔林の林冠
ちの成木を斜面域で確認した.植生調査はサワグルミ
構成種は確認できなかった.
47
NaturalHistory Reports ofInadani14(2013)
木曽山脈の天龍川上流域に成立する渓畔林は局在し,
述のシオジ−ミヤマクマワラビ群集の標徴種であるシ
小規模であった.そのため,地すべりなどの大きな撹
オジを欠くことなどからこの群集に同定されるものと
乱がひとたび生じれば林分は失われ,支流での分布が
考える.
消失してしまうと考えられた.こうした中で,与田切
シオジ−ミヤマクマワラビ群集は赤石山脈における
川のシオジ平自然園のような規模の大きい林分は,林
天龍川上流で鈴木(1949)によって記載され,標徴種
分内に多様な立地環境を含むことで多くの種に生育場
としてシオジ,カツラ,ミヤマクマワラビ,イワボタ
所を提供し,非常に稀で大規模な土砂災害が生じない
ン,チドリノキ,イタヤカエデが挙げられている.大
限り,壊滅的な被害を受けずに存続すると考えられ,
野(1985)はサラシナショウマ,ヤグルマソウ,ザリ
保全上の価値が高いといえる.
コミをこの群集の標徴種とし,池田(2002)はシオジ
−ミヤマクマワラビ群集を標徴種のないサワグルミ群
団の典型群集に位置づけた.なお,池田(2002)のサ
(2) 植物社会学的な位置づけ
大野(1985)
によると,長野県を含む本州中部の山地
ワグルミ群団の標徴種はチドリノキ,ヤマアジサイ,
渓畔林から,
ヤマタイミンガサ−サワグルミ群集 Cacalio
キヨタキシダ,コハウチワカエデ,アサノハカエデ,
yatabei-Pterocaryetum rhoifoliae (Miyawaki et al.,
バイカウツギ,サワダツ,テツカエデである.
1979) Ohno in Miyawaki 1985,シオジ−ミヤマクマ
小黒川以外の支流の林分がまとめられたタイプは,
ワ ラ ビ 群 集 Dryopterido-Fraxinetum commemoralis
シオジ,ミヤマクマワラビ,クサコアカソ,コカンス
Suz.-Tok. 1949,サワグルミ−ジュウモンジシダ群集
ゲなどの種群を持ち,シオジ−ミヤマクマワラビ群集
Polysticho-Pterocaryetum Suz.-Tok. etal.,1956,サワ
に同定できる(表 1).しかしながら,鈴木(1949)
ラ − フ ジ シ ダ 群 集 Ptilopterido-Chamaecyparidetum
などの既報のシオジ−ミヤマクワマラビ群集とは,サ
piciferae Maeda 1958の4つの群集が認められている.
ワグルミやオシダの優占,ミヤマクマワラビ,イワボ
調査では対象としなかったサワラが優占する林分から
タンの低常在度での出現などの点で,組成的な違いは
なるサワラ−フジシダ群集を除く 3つの群集について
少なからず認められる.
既往報告と比較し,本調査林分の群集帰属について検
木曽山脈天龍川流域のシオジ−ミヤマクマワラビ群
討した.
集には,赤石山脈や奥多摩地域など他地域で報告され
本報告における渓畔林は種組成から,小黒川とその
ているシオジ−ミヤマクマワラビ群集
(宮脇編,1979
;
他の河川で大きく2つのタイプに分けられた(表 1).
奥富ほか,1987)の構成種と比べて,ギンバイソウ,
すなわち,植生調査した河川では最も北に位置する小
テバコモミジガサ,シコクスミレなどの襲速紀要素
黒川の渓畔林ではシオジを欠き,ヤマタイミンガサや
(村田・小山,1976)の種が少ない傾向が認められた.
オオカニコウモリなどの種群が特徴的に出現した.一
襲速紀要素には日本固有種,固有属が多く含まれ,
方,それ以外の渓畔林では,ヤマタイミンガサなどの
その多くの分類群の分化による現在のフロラ形成には
種群を欠き,シオジ,キヨタキシダ,ミヤマクマワラ
気候的要因と地質的要因からの解釈がある.ひとつは
ビやコカンスゲなどの種群が特徴的に出現した.
中国−ヒマラヤ型の分布を有する日華区系の中心要素
ヤマタイミンガサ−サワグルミ群集は宮脇編
(1979)
から分化した,気候的に規定される太平洋側分布タイ
の資料をもとに大野(1985)によって記載され,その
プの一つとする説(堀田,1967,
1974)であり,もう
標徴種・区分種にはツルネコノメソウ,テツカエデ,
ひとつは中央構造線以南(西南日本外帯)の堆積岩類
ウスバサイシン,ヤマブドウ,イワタバコ,オオカニ
の山地に分布し,第三紀以後海没しない陸地として続
コウモリ,ミズタマソウ,アズマレイジンソウ,トリ
いた地史的背景をより重要視する説
(前川,1949,
1977)
アシショウマ,ヤマタイミンガサがあげられた.また,
である.
池田(2002)はヤマタイミンガサ,ウスゲタマブキ,
本研究でシオジ−ミヤマクマワラビ群集の分布が確
コウモリソウを標徴種としてまとめている.
認された木曽山脈南部は,中央構造線より北(西南日
小黒川で認められた渓畔林のタイプには,ヤマタイ
本内帯)に位置し,花崗岩類を中心とした地質からな
ミンガサ,ミヤマコウモリソウ(ウスゲタマブキと母
り,気候は夏に少雨で年降水量の少ない内陸性気候で
種が同じ)
,オオカニコウモリ,ウスバサイシン,サラ
あり,このことが構成種に襲速紀要素の出現の少なさ
シナショウマ,ヤグルマソウなどヤマタイミンガサ−
と関連している可能性が考えられた.
サワグルミ群集の標徴種・区分種が出現しており,後
シオジ−ミヤマクワマラビ群集に同定された渓畔林
48
伊那谷自然史論集 14(2013)
には,シオジ−ミヤマクワマラビ群集と同様に太平洋
あった.
側の地域に分布するとされるイワボタン−シオジ群集
なお,イブキザサは鈴木(1978)では長野県に分布
Chrysosplenio-Fraxinetum spaethianae Miyawaki,
が示されていないが,長野県植物誌編纂委員会(1997)
Ohba et Murase 1964の標徴種・区分種のうち,大野
では分布が報告されている.本調査地を含む天龍川流
(1985)の示したアカショウマ,ミズメ,ムラサキシキ
域での分布に関するより詳しい情報の収集が望まれる
ブなども出現しており,両群集の組成や分布域などの
種と考えられた.
違いについては,より広範な地域から得た植生調査資
料に基づいて比較検討するとともに,地史的,気候的
(4) 採食痕跡の確認された種
要因との関連性について考察することが必要と考える.
動物の採食痕跡を確認した種は,オシダ,キヨタキ
一方,日本海側気候の卓越した地域に発達するとさ
シダ,ウワバミソウ,ヤマアジサイ,ミヤマクマワラ
れるサワグルミ−ジュウモンジシダ群集の標徴種・区
ビ,タマアジサイ,モミジガサ,イワシロイノデ,ウ
分種は,本調査ではミヤマイラクサのみが記録され,
マノミツバ,クサコアカソ,ウスゲタマブキであった.
日本海側に分布の中心がある種は渓畔林の構成種には
与田切川の自然園ではカモシカもしくはシカの糞を確
ほとんど含まれておらず,サワグルミ−ジュウモンジ
認したものの,いずれの調査地でも林床の植被率は高
シダ群集に同定できる林分は本調査地には分布してい
く保たれており,植生の変質が生じるほどの植食性動
ないと判断した.
物の密度増加は生じていないと考えられた.しかしな
がら,1980年代から2000年代にかけてシカの高密度化
と植生の変質が報告された東京都奥多摩地域では,前
(3) 注目される植物
植生調査で記録した種は68科221種であった.環境
記の6種(オシダ,キヨタキシダ,ウワバミソウ,ヤ
省のレッドリスト(環境省,2012b)掲載種のうち,
マアジサイ,ミヤマクマワラビ,タマアジサイ)は渓
ミヤマコウモリソウ(絶滅危惧Ⅰ B)が含まれた.長
畔林において減少種として判定された種であり(大橋
野県のレッドデータブック(長野県環境保全研究所 長
ほか,2007),シカが分布拡大をした場合に早期に消
野県環境部自然保護課,2002)に該当する種は含まれ
失することが予想されるため,今後の林床植生の推移
なかった.関東・中部地方における国立・国定公園特
には注意を払う必要がある.
別地域内指定植物(環境省,2012a)に該当する種は
また,すでにシカが高密度化している場所において
14種含まれた(表2).その選定理由と該当種は,分布
防鹿柵を設置した場合,柵内で回復してくる植生は柵
範囲が地域的に限定されるオクヤマコウモリ,地域的
設置以前と同じ状態となるとは限らず
(渡邉ほか,2012),
に個体数が少ないワチガイソウやヤワタソウ,景観構
防鹿柵の設置が早期に必要となる種が存在することの
成に主要な種とされるイカリソウやタマガワホトトギ
報告がある(田村,2010).そのため,シカが高密度
ス,タニギキョウ,観賞用種で採集の危険にさらされ
化して植生の変質が顕在化する前に,シカの密度管理
ているとされるサラサドウダン,ミツバツツジなどで
や防鹿柵設置に関する計画が重要となる.加えて渓畔
表2 木曽山脈天龍川流域の渓畔林で確認された国立・国定公園特別地域内の指定植物.カテゴリーには,関東,中部の国立・
国定公園特別地域内の指定植物についての選定理由を記した.略記は以下のとおりである.準固有:分布の範囲が地域的に限定
されている,希少:地域的に特に個体数が少ない,共存:他の生物と共存関係にある,不安定:極端な生育立地条件地に生育す
る,景観:景観構成に主要な種,鑑賞:鑑賞用種及び園芸業者,薬種業者,マニア採取種.
49
NaturalHistory Reports ofInadani14(2013)
林では,植食性動物による過剰な採食圧が生じる場合,
植生学会誌,21,
15−26.
もともとの多様な自然撹乱にさらなる攪乱が付加され
吉良龍夫,1948,温量指数による垂直的な気候帯のわかちか
ることになるために,他の植生よりも生産や繁殖への
たについて−日本の高冷地の合理的利用のために−.寒
ダメージが大きいと考えられる.また,渓畔林の成立
地農学,2,47−77.
する環境が河川の上流部であり,一度種子や植物体の
気象庁,2002,メッシュ気候値2000.(財)気象業務支援セ
供給源が消失してしまうと,もともとの渓畔林の再生
ンター,東京.
はとても困難であると考えられる.
気象庁,2012,URL http://www.data.jma.go.jp/obd/stats
これらのことから,シカの高密度化による植生の変
/etrn/index.php (2012/9/10確認 ).
質が生じるよりも早くにシカ害対策に取り組むことが,
国土交通省,2009,中部地方の古地理に関する調査報告書.
渓畔林の保全や林内景観の維持,土壌流出防止等に役
天竜川・菊川 川の流れと歴史のあゆみ.151pp.
立つと考えられ,木曽山脈天龍川流域の渓畔林での予
久保満佐子・島野光司・大野啓一・崎尾 均,2001,秩父・
防的な植生保全対策の実施が望まれる.
大山沢渓畔林における高木性樹木の生育立地と植生単位
の対応.植生学会誌,18,
75−85.
謝辞
前川文夫,1949,日本植物区系としてのマキネシア.植物研
究雑誌,24,
91−96.
本報告の遂行にあたって,平成23年度飯田市美術博物館地
域史研究事業より助成をいただいた.飯田市美術博物館の蛭
前川文夫,1977,日本の植物区系.玉川大学出版部,東京.
間啓博士には現地踏査の際に多大なご助力をいただいた.天
178pp.
龍川総合学習館かわらんべの堤久氏には木曽山脈における貴
宮脇 昭 他 編著,1979,「長野県の現存植生−長野県の
重な資料をご紹介いただいた.東京農工大学植生管理学研究
環境保全,環境創造の将来計画に対する植物社会学的,
室の吉川正人博士,大橋春香博士,東京農工大学植生管理学
生態学的提案−」.長野県.412pp.
研究室卒業生の宮崎卓氏および亀井裕幸氏には論文執筆の際
宮脇 昭・奥田重俊・藤原陸夫,1994,「改訂新版日本植生
に多くの貴重なご助言をいただいた.ここに記して感謝の意
便覧」
.至文堂,東京.910pp.
を表したい.
Mueller-Dombois D. & Ellenberg H. ,1974,Aims and
Methods of Vegetation Ecology. John Wiley and
引用文献
Sons, New York, NY, US.
村田 源・小山博滋,1976,襲速紀要素について.国立科学
芦田和男・奥村武信,1974,ダム堆砂に関する研究.京都大
学防災研究所年報,17(B)
,555−570.
博物館専報,9,111−121.
生原喜久雄・相場芳憲・井上一彦・カダール ソエトリスノ,
長野県植物誌編纂委員会,1997,長野県植物誌.信濃毎日新
1989,北関東地方におけるシオジの更新に関する研究.
聞社,長野.1735pp.
東京農工大学農学部演習林報告,26,
9−49.
長野県環境保全研究所 長野県環境部自然保護課,2002,長野
県版レッドデータブック∼長野県の絶滅のおそれのある
堀田 満,1967,日本列島における植物地理の若干の問題.
野生生物∼維管束植物編.信州豊かな環境づくり県民会
ミチューリン生物学研究,3(2),122−135.
議,長野.297pp.
堀田 満,1974,植物の分布と分化.三省堂,東京.400pp.
池田 正,2002,本州中部における太平洋型ブナ林の種組成
中村太士,2002,水辺林の更新動態.41−63.「水辺域管理
分化機構.横浜国立大学大学院博士論文.
−その理論・技術と実践」
(砂防学会編)
.古今書院,東
京.329pp.
環境庁,1978,第2回自然環境保全基礎調査 特定植物群落
調査報告書(長野県)
.
中山 洌・伊藤静夫・小林規甫・清水照雄・堤 久,1983,
環境省,2012a,国立・国定公園特別地域内指定植物.URL
中央アルプス松川溪谷のフロラと植生.天龍川水系中流
http://www.env.go.jp/park/doc/data/plant.html 部流域の自然と社会綜合学術報告書,399−479.
(2012/2 /16確認)
大橋春香・星野義延・大野啓一,2007,東京都奥多摩地域に
環 境 省,2012b,生 物 多 様 性 情 報 シ ス テ ム.URL
おけるニホンジカ(Cervus nippon)の生息密度増加に伴う
植物群落の種組成変化.植生学会誌,24,
123−151.
http://www.biodic.go.jp/rdb/rdb_f.html(2012/10/27
確認)
大野啓一 ,1985,山地渓畔林.256−262.「日本植生誌 中
川西基博・崎尾 均・大野啓一,2004,奥秩父大山沢のシオ
部」(宮脇 昭 編著)
.至文堂,東京.604pp.
ジ−サワグルミ林における林床植生の成立と地表攪乱.
奥富 清・奥田重俊・辻 誠治・星野義延,1987,「東京都
50
伊那谷自然史論集 14(2013)
の植生 東京都植生調査報告書別刷り」
.東京都.249pp
forests along the upstream area of the Tenryu
+付表.
River in the Kiso Mountains. We surveyed
Sakio H., 1997, Effects of natural disturbance on the
mountain riparian forests of this area to obtain
regeneration of riparian forests in a Chichibu
basic information about the ecological and
Mountains,central Japan.Plant Ecology, 132, 181−
distributional properties of the forests. In eleven
195.
branches of the Tenryu River, from the Ozawa
River in the north to the Kurokawa River in the
崎尾 均・山本福壽 編,2002,「水辺林の生態学」. 東京大学
south,vegetation surveys were carried out in 14
出版会,東京.207pp.
forests along 5 river branches, and we clarified
佐藤 創,1995,北海道南部のサワグルミ林の成立維持機構
species compositions of these forests. Distribution
に関する研究.北海道林業試験場研究報告,32,
55−96.
of mountain riparian forests in the branches of
鈴木貞雄,1978,「日本タケ科植物目録」.株式会社学習研究
the Tenryu River was very rare except for the
社,東京.384pp.
Yotagiri River. Surveyed stands were usually
鈴木時夫,1949,天龍川上流の温帯林植生に就いて.技術研
composed of 4 strata: Pterocarya rhoifolia,Fraxinus
究,1,77−91.
植生学会企画委員会,2011,ニホンジカによる日本の植生へ
platypoda,Aesculus turbinata,Cercidiphyllum japonicum
の影響 ―シカ影響アンケート調査(2009∼2010)結果
frequently occurred in the tree layer; maple
―.植生情報,15,9−96.
species such as Acer argutum in the sub-tree and/or
田村 淳,2010,ニホンジカの採食により退行した丹沢山地
shrub layers; large fern plants and/or small
冷温帯自然林における植生保護柵の設置年の差異が多年
herbaceous such as Persicaria debilis and Elatostem a
生草本の回復に及ぼす影響.保全生態学研究,15,
255−
involucratum
264.
component species of the forests,
in the herb layer. Among the
Dryopteris
渡邉 修・彦坂 遼・草野寛子・竹田謙一,2012,仙丈ケ岳
crassirhizom a, Acer pictum subsp. savatieri, Polystichum
におけるシカ防除柵設置による高山植物の回復効果.信
ovatopaleaceum var. coraiense and Sam bucus racem osa
州大学農学部紀要,48,
17−27.
subsp. sieboldiana occurred rather frequently. We
identified Cacalio yatabei-Pterocaryetum
米倉浩司・梶田 忠,2003,BG Plants 和名−学名インデッ
rhoifoliae (Miyawaki
クス
(Ylist)
.URL:http://bean.bio.chiba-u.jp/bgplants
et al ., 1979) Ohno in
Miyawaki 1985 in the Ogurokawa River,and
/index.html (2011年1月20日確認).
Dryopterido-Fraxinetum commemoralis Suz.-Tok
Summary:
1949. in the other branches. Severe alteration of
There are a few reports about the distribution
vegetation by overgrazing of herbivores was not
and species composition of mountain riparian
observed at present.
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