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都心から約100キ ロ 、 キ レ イ な青い海と 緑 豊 かな 山々に 囲 ま れ た
都心から約100キロ、キレイな青い海と 緑豊かな山々に囲まれたリゾート地の館山。 近くにあるのにあまり知られていない我がま ち﹁館山﹂の魅力を、我々館山商工会議所青 年部が地元住民の目線から、移住や2拠点居 住を将来的に考えている皆様に新鮮な生の情 報をお届けしたい!と企画したこの﹁館山移 住かわら版﹂少しでも皆様の﹃セカンドライ フ・2拠点居住﹄計画の参考になれば・・・ と今回ようやく創刊にこぎつけました。 青年部各個人が商売を行いながらの情報収集 や取材等を行い手作りで作成していますので、 配信は不定期?になりますが、少しでも目を 通していただけたら幸いです。 ︵ペン太郎︶ 春になると、旅行雑誌やテレビなどでよく 房総が取り 上げられ ています。 必ずと言 っていい ほど出て くる言葉 は暖かい や温暖な 気候等の 言葉です。 確かに年 間平均気温が約16度という恵まれた温暖な 気候、春には色とりどりの花が街を彩り、延 べ約30kmにも及ぶ海岸線や、さんごやウ ミホタル、熱帯魚が生息する青い海、心地よ い太陽の光、まだまだ未開発地の多い豊かな 自然があり、そこに癒しを求めて移住してこ られる方や、別荘を購入して2拠点居住され る方々が昔からたくさんいます。﹁館山ってど ∼よ?﹂と取引先のメーカー営業マンからよ く聞かれます。一昔前は、交通も不便で夏の 観光シーズンには道路は大渋滞なんてことも ありましたが、この夏に念願の富津館山道路 と東関道館山線が直結され、東京から約95 分、ある程度渋滞の緩和も図れるんではない かと。また、大規模ショッピングセンターも 次々とオープンし、新鮮な食材や家電製品等 も都内と同じよ うに手に入るし、 生活には何も不 自由はないです。 でも、せっかく 田舎でのスロー ライフ、都会に はない﹁地元風 情﹂を味わいた い!それなら、 地元の商店街や、専門店などで店主とおしゃ べりしながらノンビリお買い物なんてことも 可能ですし︵笑︶中心部に近代的な建物が建 ってきても、やっぱり館山の売りは何と言っ ても﹁そのまんま残っている自然﹂じゃない かなぁ・・・?小さい頃からよく遊んで、今 もコンクリートの堤防の脇で必死に頑張って る北条桟橋、ボロボロになりながらもキッチ リ存在感を誇っていますよ!いずれ館山にも 観光桟橋が完成して、伊豆や大島なんかに定 期観光便とかも就航する計画もあるようだけ ど、地元民としてみたらやっぱり思い出は極 力残して欲しいなぁってのが本音ですよ。 館山にすでに移住されて、実際に生活され ている先輩移住者の方々に、我々館山商工会 議所青年部のメンバーが実際にお会いして 色々とお話しをお伺いしました。 ここでは、そのお話しをご紹介いたします。 まずは、すでに移住されたY氏︵正木岡在 住64歳︶のお話を・・・ ﹃なぜ館山を選んだかというと、定年後どこ か住みやすい場所はないか?とインターネッ ト・新聞等で色々と調べていました。病気療 養中の妻が﹁海の近くに住みたい﹂という希 望もあり、ある新聞で目に止まった館山を妻 と車で訪れてみることにしました。トンネル を抜けると、大きなヤシの木が道路沿いに並 ぶ南国風の景色にまず心を動かされました。 早速目に付いた不動産屋︵我が青年部員ひら の宅建さん︶に飛び込み情報を収集したとこ ろ、条件にあった土地を紹介してもらい、気 候が温暖で釣りが趣味の私には周りが海に囲 まれてい て最高の 場所!そ れに伊豆 に比べ地 震も少な く、土地 の価格も 比較的安 価、しか も東京か らのアク セスもよ い最適な 環境とい うことで、 この館山 に決めま した。実 際に住ん でみて、 冬場の西 風には驚 かされま したが、 ご近所さ んとも親 しくさせ て頂き、市の医療体制もしっかりとしている ので安心できます。ひとつ不便だな・・・と 思うことは、道幅や駐車スペースが比較的狭 く、大きな乗用車だと不便に感じることがあ りましたので館山に来て1台軽自動車を購入 しました。今は楽しく生活を送っておりま す。 ﹄ Y氏のお話でも出てきましたが、確かに有 料道路を降りてバイパスの館富トンネルを抜 けると、そこからはヤシの木と季節の花々が 道路を飾っていて︵上の写真参照︶ 、いかにも ﹃リゾート地に来たぞ∼!﹄という気分にさ せてくれます。私が東京で働いていた頃はま だバイパスもなく、海岸通りを通って帰省し ていたんですが、みなと川の橋あたりから北 条海岸のきれいな景色が見えたときに﹃帰っ てきたぞ!やっぱ館山最高♪﹄と感じたもの です。 ︵笑︶ 今回お話を聞いたY氏は、移住成功例です が、必ずしも﹁良かった!﹂と思う方達だけ ではないと思います。これからこの﹁館山移 住かわら版﹂を作成していくにあたり、失敗 談等も取材し記載していきたいと思いますの で、ぜひとも参考にしていただければと思っ ています。 知らない土地への不安もある、田舎暮らし に対するマイナス面も知っている。でも、そ れを差し引いても子供を田舎で育てる価値は 充分にある。 ﹁子供たちにかえるべき故郷を﹂これが浅野 さんご夫妻の決断。 お子さんの成長にしたがい、そろそろ住替 えを考える時期にきていた。 田舎暮らしを考え始めてからすでに数年が経 過していた、実際、山梨の農村も下見に行っ たこともあったのだが、なにかピンと来なか った。 奥様が熊本出身ということから熊本も考えた が東京には浅野家を囲む大事な仲間があり、 いったり来たりの関係はできれば続けたい。 熊本では遠すぎるなぁ・・。 そんな思いからふっと気にかかったのがご主 人のお父様の生まれた南房総だった。 海がある、山がある、東京へも近い、そうだ 南房総がいいなぁ・・。 人脈や、インターネットそして足で探して決 めた場所は鴨川だった。 仕事もすんなり見つかり順調・・・と思われ た、がしかし・・。 鴨川はすっきりした良い町だ。亀田総合病院 もあり医療も安心できる。 しかし何かが違う、 移住が具 体的にな るにつれ て、その 思いが強 くなって いくのだ った。﹁生 活の匂い がしな い﹂鴨川 はリゾー ト地とし て確立さ れた場所であり、浅野家が目指した田舎では なかった。もう一度しきり直そう。 そうして更に一年が過ぎた。 このままでは時間ばかりたってしまう、来年 は娘さんも小学校へ入学だし・・ 2007年7月5日浅野さんは会社に辞表を 提出、7月7日館山へ家族で向かった。目指 すは﹁安西農園﹂だった。 農業にたいしての憧れではなく﹁尊敬﹂を強 くもっていたご主人は﹁農業に携わる背中を 見せて子供を育てたい﹂と思っていた。 インターネットで検索した観光トウモロコシ 狩りを運営する安西農園の記事から感じる ﹁なにか﹂ があったと浅野さんご夫妻は言う。 ﹁子供達にトウモロコシ狩りをさせたくて﹂ ﹁実はこ という 口“実 で”出向いた安西農園で、 の地域に移住を考えているんだけど・・﹂と 口火を切ってみた。 安西農園の安西淳さんは、ご夫妻と同世代、 畑で働く彼のまわりを浅野家の子供達と同じ ような年頃の子供達がはしゃぎ回っていた。 真っ黒な日焼け顔に真っ白な歯をみせ豪快に 笑う彼はその話を聞き一発! ﹁だぁいじょうぶですよ!﹂ とこれまた豪快。 奥さんはこの一発で館山が良いかもしれな い・・・と思った。 安西さんの人脈から農業法人への紹介も受け 一気に移住へ事が運んだ。 現在︵8月28日︶就職先も決定した。格安 で見つけた借家を改装中。 ﹁こんな家でいいのぉ?﹂と築45年の家を 大家さんは気が引けている様子だが、﹁この梁 が見えているこの辺がたまらないよねぇ!﹂ ﹁この床は何色にする?﹂﹁木の家っていいよ ねぇ、土壁だよ、ほら﹂とご満悦。 改装、引っ越し、保育園の手続き。準備は山 積している。まだまだ東京の住まいの片付け も進まない。館山、東京の往復に疲労感を隠 せない浅野家のみなさんだが、館山に移住す るときめきも隠せない。 浅野家が七夕の日に出会った安西農園の真上 には東京ではまず見る事のできないそれは、 それは美しい天の川が見える事をまだ浅野さ んたちは知らない。早くおしえてあげたいな ぁ。 この家族にとってこの移住が本当に幸せな ものになるよう心から祈るとともに﹁ご近所 さん﹂ としてお手伝いして差し上げたいと ﹁お せっかい心﹂ に 火が灯る富崎在住移住おせっ 会隊員 八代健正がレポートしました。 館山への移住応援サイト近日オープン! 館山商工会議所青年部移住お手伝いネッ トワーク﹁おせっ会﹂が運営するHP ﹁館山へ移住ドットコム﹂ 近日オープン予定です。詳しくは・・・ 館山駅東口ロータリーにある大きなヤシの 木、﹁おっ、 南国にきちゃった?﹂ と思わせる、 長年館山を見守っているこのヤシの木は一体 いつから立っているんでしょう?ちょっと調 べてみました。このヤシの木は、アフリカの カナリー諸島原産のカナリーヤシで、昭和1 6年、今の房南中学校付近に館山海軍砲術学 校ができた時、 市民から寄贈されたそうです。 その後、昭和22年に駅前ロータリーが造ら れた時、砲術 学校から移植 されたそうで す。館山のシ ンボルにふさ わしいこの大 きなヤシの木 はずっと館山 を見守ってい ます。