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第46号
松蔭女子学院 大学 松蔭女子字院短期 大キ 京教 セ ンター 神戸市確区傷 原伯母野 山町 1-2-1 、 YMC A余島 キ ャンプ は 一 当 時 は現在 の様 な立 派 な施 設 でな く 北 の浜 に船 が 、 、 、 、 九 を 八 九 年 四 周 年 え つく と浜 を歩き 岡 の急 な坂を 登り そし て下 り 南 〇 迎 。 今 四 一年目 の夏を 迎え て い の浜 の近く にテ ントを 張 って生 活をし まし た T度今 ます 。 の間 の上 にあ る イ ンフ オメ ーシ ョンセ ンタ ーが食堂 で し た。重 度 の障 害を も つ西 村 君 は松案 杖を つきな がら 、 四 一年 の歴史 の中 には多 、 く の出 来事 があり ます 。 日 又 リ ーダ ー の人 連 の手 を 借り なか ら 急な坂 を登 り降 りし なければ なりま せ ん でし た。松養 杖 では坂 は無 理 本 で初 め て試 み られ た小 学 。 、 生 の為 の十 二泊十 四 日長 期 でし た し かし食事 は岡 の上 水泳 は北 の浜 だ った か 、 ら です 。最初 リ ーダ ーは、食事 に行 く為 に坂 の下 にや 少年 キ ャンプ は 民主的 な っと立 った彼を お ぶ って登 った そう です。次 には彼 を 生活体 験を中 心とし てお こ 、 な われグ ル ープ ワーク の技 機 か ら支 えな がら そし て時 にはど こか らか本 の社 を 、 、 ひろ ってき て それ に つかま ら せながら 又電車 ご っ 法 が キ ャンプ にとり いれら 。 、 ﹁ ャ ン こ れ まし た 又 い な プ 体 嫌 育 の 子 の の キ 供 達 為 の様 に ロープ を互 いにまき つけなが らな んと か そ の ﹂ 。 は体 育 の技術 が できな い為 に動 く こと が嫌 いになり 、 坂 を彼 と登 った そう です 体 の問題 や他 の人 と コミ ュニケ ー シ ョンを 作 る事 がむ あ る 日彼 が い つも の様 に坂 の下 で ﹁ 今 日は ど の様 に 、 し て, ︱ダ ーが僕を 上ま で連 れ て い ってくれ る のか な つかし い等 の子供 達 に キ ャンプ のも つ楽 し い生活 の 、 ぁ﹂と思 って いま し た。 中 で体 を動 かす喜 び 友 と いる喜 びを体 験 させ、 現在 し かし リ ーダ ーは現 われ ませ ん。 ふと上 を見上 げ る YM CA の体 育 や水 泳プ ログ ラ ム の大き な基礎 を つく りま し た。 とな んと リ ーダ ーが坂 の上 に立 って いる ではあ りま せ 。 ん か 彼 はとま ど いな がら も自 ら歩 く事を 気づ きまし 。 た な にし ろ歩 き だ そうと しま した。皆 さ ん の自 の前 。 にあ る この坂 です 今 の様 に舗装 され て いな い地 道 、 そし て小 雨 のふる中 を歩 き だ そうとしま し た。 しかし 。 、 歩 け るはず がありま せ ん 立 と うとし ても足 が滑り 。 す ぐ に転 ん でしま います 、 そ の度 に服は 泥だら け 膝 や膝小 憎 が傷 ついて いさ ます。 ついに彼 はは い つくば って登う だしまし た。さ っと少 し行 っては滑り 、元 に 民りそ んな繰 り返 しだ っ 。 、 た のでし ょう 自分 の持 って いる全 ての力 をだ し は い つくば っては い つくば って泥だ らけ になり、血 ま み 。 れ にな っては って登 った のでし ょう 、 皆 さん は こ の坂 が いく ら急 だ と い っても 一分 も あ 島キャンプ所長 近江岸建助 今 日 のお話 は余島 が考 え てき た人 中心 のキ ャンプ の 、 中 で特 に誇 に思 う そし て私 達 の尊敬 す る西付 勇 二君 に ついてお話 をし ます。 、 一九 五 三年当 時敗 戦 から新 し い日本 を復 興 築き あ 、 げ る為 に 経済 や教 育等 に国 民全体 が立ち あが って い 。 まし た そ の中 で忘 れ さられ て いく子供連 が いまし た。 それ は当 時 ﹁ ポ リオ ﹂と呼ば れ た ハンデ ィキ ヤ ップ の 。 、 子供達 だ った のです あ る子供 は 一人 で歩 く のが危 い 又外 にでたら いじめ られ る ので座 敦年 の様 な中 で生活 し て いた のです 。 Y MC Aは生 き て いく事 に者 痛 を お 、 ぼえ る子供達を 余 島 の自 然 の中 で伸 び伸び と生活 さ 、 せ 友達 が いる事 の書 びを 伝 えよう と ﹁ 肢体 不自由 児 。 の為 のキ ャンブ ﹂を実 施し た の です 神戸YMCA余 き る に 生 共 10月 25日 発行 1990年 ー ・ エ チヤベル ユ ス 10月 25日 発行 1999年 チ ャ ベ ル ・ニ ュ ー ス い 第4 6 号 XX弟 じ れ ば 登 り き る こと が てき る でし ょう 彼 が 何 。 分 か か った のか 知 り ま せ ん 二十 分 ?■ 五分 , な にし ろ や っと は い つく ば って登 り ま し 。 た 登 って ふと, を み る と 雨 が ふ って いた か ら か も し れ ま せ ん。 リ ーダ ー が 涙 を し て待 っ 。 て てく れ た そ し て泥 だ ら け にな った彼 を 両 手 で抱 き み ん な か いる 食 堂 へ つれ て い ってく 。 れ ま し た そ し ても っと 驚 いた事 は皆 が スー 、 プ が さ め る のも いと わ ず 彼 を ま って てく れ 。 た の です 彼 は こんな 素 晴 ら し い件 間 が いる事 を 体 験 し 生 き る 次 心を し ま し た。 ほ と ん ど 自 由 のき か な い手 と 足 に事 を 縛 り つけ 袴 を 書 き だ し た 。 の です 何 年 か た ち 大 西 洋 沿 岸 の震 覧 会 で彼 、 は 入 選 し そ の絵 を 奈 島 の改 築 時 十 四年 前 に ﹁ 私 の生 き る 原点 余 島 に ﹂と 寄 贈 し てく れ ま し た。 そ れ が イ ン フ ォメ ー シ ョンセ ンタ ー に か か って いる ﹁ パ ラな ど ﹂と いう 大 き な 油 絵 。 。 てす これ が奈 島 です 私 達 は こ の出 来 事 か ら 何 を 感 じ 取 る こと か で 。 き る でし ょう か ハンデ ィを も った彼 を 毎 日 お ぶ って坂 を 登 ってや る こと の方 が 一見 福 祉 的 でボ ラ ンテ ィ アら し く てや さ し さ のあ る 行 為 の様 にみ え ま 。 す し か し そ の事 は本 来 的 に彼 の為 にな って 。 ﹁ いるか と いう 事 が 大 切 です 相 手 の側 の論 理 に立 つ﹂ そ の時 に何 が そ の人 の為 にと って 、 ベ スト であ る か ど の行 為 が ﹁ 共 に生 き る ﹂ と いう こと の表 れ であ る か ∼ 、 、 一 沢を 流 し じ っと ま ち つづ け る 泥 だ ら け の彼 を 抱 さ し め る そ の行 為 が 1 、 、 人 の為 人 の為 と い って いる多 く の事 が 、 ひ ょ っと し て自 分 の為 自 分 優 先 にな って い る の では な いか , そ ん な 々 何為 は ク ツク ラ エで 。 す 。 考 え てみ て下 さ い る 辿 を 河 一 ヨ ンポ ス テ ラヘ の 道( 3 ) 一 ク の道 ︱ル ピ ュイ か ら コ ンク ー﹄ と いう 本 。 、 であ った パ リ に戻 って か ら知 った こと だ が こ の七 十 頁 ば か り の小 冊 子 こそ 、 唯 一の実 用 。 的 な ガ イド ブ ック だ った の であ る 早 速 求 、 め た が フラ シ ス ハイ カ ー連 盟 の全 国 自 然 道 委 員 会 が 発 行 す る ﹁トボ ガ イド ・シリ ー 、 、 ズ ﹂ の 一冊 て 実 によ く 出 来 て いる と 分 か っても あ と の祭 り であ った。 だ が 、 こ の小 冊 、 子 を 予 め 読 ん で いた ら 途 中 パ スや汽 車 て ス 。 キ ップ す る場 面 も あ った か も知 れ な い を 丸 め て いた 。 、 ツ ア ー の 一々 歩 き は じ め て三 日 げであ った ロンド ン オ ック ス 。 、 目 再 び強 烈 な暑 フ ォード コヴ ェント リ ー、 ポ ー ツ マス近 郎 、 さ が 戻る。 だ が空 な ど か ら 参 加 し た と いう十 人 た ら ず の男 女 は 、 、 は 澄 み わ た り こ 平 均 年 令 四十 五 六 才 と いう と こ ろ であ ろ う 。 、 の透 明 な 空 気 は 秋 か 公 務 員 の夫 婦 図 書 館 に勤 め る年 配 の女 。 、 、 、 のも のだ 野 の花 性 O L 巨 大 な体 垣 の大 学 教 授 リ タ イ ア 、 、 の色 え ほ し た 男 性 な ど であ る こと が 次 第 に分 か って が ″ て 。 き た 。 路 上 で出 全 ってし ば ら く 肩を 並 べ て歩 ん と う に美 し い く こと も あ った し 、 宿 の食 堂 で テ ーブ ル が 隣 今 日 の道 のり が 十 。 、 、 二キ と 思 う と気 持 合 わ す こと も あ った が 普 通 の旅 と違 って 、 、 が楽 で ゆ とりも や は り ゆ と り が な か った のだ ろう か お 互 い 。 、 生ま れ る 道草 を に相 手 の疲 れ を は って遠 慮 が ち で い つも 寡 、 。 噴 いな が ら 二人 黙 であ った 彼 ら が 何 故 こ の ツ ア ー に興 味 を も った のか 、 も う 少 し いろ いろ話 し か け れ ば の間 では 冗 該 も 飛 、 、 。 び一 父う よ う にな り よ か った と 今 にな って思 う 物 見 遊 山 では 、 な く な にか真 摯 な 雰 囲 気 が 漂 って いた こと 。 、 が 印 象 にあ る か ら であ る 彼 ら に 一歩 一歩 、 足 を 遅 ば せ て いた も のは い った い何 だ った 。 のだ ろ う こ の 一行 に はガ イド が つい て いた 。 ひ ょ っ と す る と 聖 職 者 だ った のか も し れ な い。 彼 は 、 マ ップ ケ ー スを 胸 に下 げ い つも手 に小 冊 子 。 そ の小 冊 子 は ﹃サ ン ジ ャ ッ で は な く ロンド ン のあ る旅 行 会 社 の企 画 し た ご 機 嫌 で ツウ グ に 。 着く 、 、 二週 間 の旅 の間 町 や村 の住 人 は 別 と し て 。 ほ と んど 人 に出 会 わ な か った 今 の時 代 に従 、 歩 旅 行 と いう よ う な 酔 狂 な こと を す る人 は 、 いな いと い ってし ま え ば そ れ ま でだ が 道 中 で出 会 った のは イギ リ ス人 の 一行 と ブ ー ル ジ ュか ら 来 た と いう 女 性 と だ け であ った 。 イ ギ リ ス人 の 一行 と は ツウグ で初 め て出 全 って、 。 そ の後 も 行 く 先 々 で出 会 う こと にな った 彼 ら も ど う や ら ル ・ピ ュイを 振 り 出 し に コンク 。 、 ま で歩 く ら し い コンクま で の道 す か ら 抜 、 き つ抜 か れ つす る こと にな る のだ が 彼 ら に 、 出 会 う たび に 何 故 か 私 の頭 の中 で 一ク ワイ 、 河 マー チ ﹂が 鳴 り 轡 き 心 持 ち 背 筋 を 伸 ば そ う と し た こと を 思 い出 す 。 、 最 初 は 仲 間 同 士 の旅 と 思 って いた が そ う 銀 10月 25日 発行 1990年 チ ャ ベ ル ・ニ ュ ー ス (2)第 40号 10月 25日 発行 1990年 チ ャ ペ ル ・ニ ュ ー ス 46号 (3)第 ︱ ス 硬式 テ ニス部 ⑤ 全 日本 学生 選手権 大会 2 ∼2 9 日、神 戸総合 運動 公園 で開催 。 7月 2 ダブ ル ス準 決勝 松蔭 ︶ 1 12山 姉 ・三特 ︵ 稲奏 水岡 ︿ 亜 大 ︶○ ③ 関西 選手権 大会 8月 3 1ヽ9 ︲日う つぼ コート で開催 。 ダ ブ ル ス決 勝 種奈 水 岡 0 12栗 又 ・口中 ︵ 園 田 ︶O ◎ 関西 学生 選手権大 会 0∼6 日、香 里グ リ ー ンテ ニスクラブ 8月 2 2 。 で開催 フ ラ ッシ ュ 一 こ 、 やみくも であ ったか ら こそ 歩 き通 せた よう チ ャベ ル で結 婚 お め で と う ! な気 もす る。 ガ イド氏 にば らば らと見 せ てもら った範囲 上 ︾足立 弘美姉 ︵ 大学 英米 文字 、 、 0 7月 7 日 ︵ で そ の後 にと ても 役立 つこと にな った のは 0年 車 ︶と山端康人 兄 科0 。 道 標 のこと であ る 小 冊子 の裏表 紙 に図示 さ 、 7 8 大 学国文 字科 れ た道標 の中 の 赤色 と白 こ とを上下 に塗 っ ③ 月 日 ︵日﹀大 山信子姉 ︵ 、 8年卒 ︶と大 山貫 兄 R 8 てあ る のが ︵ 写真 ︶ 自然 道 ︵C︶ の道標 て 。 ︲ あ る ことを知 った のであ る 中世 の巡礼な ら 大 学英 米文字 0 7月 2 日 ︵ 土 ︶烏 飼見代姉 ︵ 4 ず とも私 たちも果 たし て この道 て いいのだ ろ と 田 己 科 ︶ 永 兄 年 卒 佳 8 う か、と いう不安 に絶えず 付 きまと われ て い 2年 上 ︶松本 陽代姉 ︵松蔭 高 校 3 0 9月 8 日 ︵ 。 た 広 い広 い牧草 地 や畑 の中 の道なき 道を突 卒 ︶と林 浩 兄 っ切 って いくとき、林 や森 の小 道を辿 るとき、 0 7 日 ︵日︶長 、 ◎1 月 大 学英 米文 字 野政美 姉 ︿ 身 の文 ほど の草 を彊 き分 け掻き 分け進 むと き 7 と 兄 科8 年 卒 ︶ 中 野 雅 美 あ るか無き か の踏 み跡 に目を こらし なが ら従 0 う とき、木 の幹、岩 肌 、道端 の石、 囲 み の棚 0 1月 M 日 ︵日︶福 永友実 子姉 ︵ 短大 英文 学 、 、 2 や壁 電 柱など に この赤 と自 の道 樟を見 つ と 口 科3 年 卒 ︶ 山 博 之兄 0 ◎ 1月 四 日 ︵日︶塩 谷法 子姉 ︵ 短大英 文 字科 6 8年卒 ︶と木 戸内 千幸 兄 それぞれ チ ャベ ル で結婚 され まし た。 おめ 。 てと うごさ います 、 、 けたとき は ど んな にほ ぅとし 増 し か った ことか。 そし て、とく に十 字路 や分 かれ道 に 、 ぶ つか ったとき も はや進 巡す る必要 がなか った。 必す しも 、完 備し て いたわ け ではなか ったが、 そ の後 の道中 、どれ ほど か助 けられ、 。 心丈夫 であ った ほと んど迷 う こともな く無 、 、 事 二百4口 を 踏破 でき た のは ひと え に この 道 標と Q の地 図 の読 み の確 かさ に負 って いる と いえ る。 右か 、とか で旅 の明暗を 分 け、生 死 にもか かわ った であ ろう ﹁ 神 のさす ら い人 ﹂ 、 の不安 の大 き さが いま さら のよう に思 われ Z つ。 シ ング ル ス決 勝 国 田女大 ︶O 水 周 0 12 回中 ︵ ダ ブ ル ス次肪 水 阿 ・三木 1 12栗 又 日中 O 故式 テ ニス部 ◎ 西 日本 学生軟 式庭 球 選手 権大会 、 7月 8 2 日ヽ 8月 2 日 福知山市 民 コート で 。 開催 団体 決勝 O 松蔭 3 11天 理大 、1 。 松蔭 は9年振 り 1回目 の優勝 ダブ ル ス 岩 回数 子 岡部 美奪 ︵いずれも 国文 3年 ︶ 国文 3年 ︶ 野 口利 恵 ︵ 国 組 と 阿座 上 ゆり ︵ 。 文 2年 ︶組 は 3位 と な った シ ング ル ス 優勝森 山ち か こ ︵ 国文 2年 ︶ 国文 1 準優勝 阿座上 ゆり 3位 後藤佳 子 ︿ 年﹀ ◎全 日本 学生 軟式庭 球大会 8月 8 日∼ M 日千奏 県白子 町サ ニー ヨート 。 で開催 団体 準次 勝 松蔭 2 13天 理大O ダ ブ ル ス準決 勝 松蔭 ︶3 15稲 日 本橋 河座上 。後藤 ︵ ︵日本体 育大 ︶0 シ ング ル ス 決 隣 松蔭 ︾ 松蔭 ︶ 5 12森山 ︵ O細 山 ︵ 。 細山 正 江選手 は優 勝 森山 ちか こ選手 は準 。 。 英米文 1年 ︶は 3位 優膀 松井 朋恵 選手 ︵ 、 。 の人 々は朝夕 2度 の マンデ ィーを習慣 にし て 一日 鯨体 まさ に大人 と小人 のようだ った 。 、 、 いる様 でし た ま た お手洗 は和式 ト イ レと イ ンドネ シ ア ワーク キ ャンブ に 村 人 が汗 一つか かず も くもく と作業を 進 め 、 る のと は裏 慎 に、少 し働 いただ け で、 大 つぶ 同じ 形な のですが 紙 で用を 足す と いう習慣 参加 し て 。 ょっ っ 、 く 福本 小 百合 浦 地 愛 の汗 を流し 呼 吸を乱 し てしま う自分 が情 け が無 左手を使 て洗 い流す のです ち く 、 。 と と馴染 み にく いよう に思 われま だ け だ 聞 藤本 格 子 今 井 瑞 穂 な く 恥 しくも 思 った 部 活 で体 を 鍛え た位 、 、 、 、 てみると大変気 持ち が良 く 大半 で 人 より体力 があ ると思 い ワーク でも力 す が 慣れ ー ヮークの岱験から得たも の のキ ャンパ が フ ァンにな って帰 ってく るほ 、 を 発揮し 村 の人 々の役 に立 とうな どと いう ど です。ま た、 イ ンド ネ シアではい け布 団を 、 お ご った考えを し て いた自分 に ば かば かし 、 短大家政学科 一年 福本小百合 な いので 寒 い思 いをし た ことがあり くま でも思 ってしま った。 それ て、い 間 とと 使 用t ﹁ ンド シ ・ ーク ャン ネ イ ワ と ま し た。 日中 いくら普 く ても 、 日本 の様 に湿 う ア キ プ い ﹂ にか く作 業 の邪魔 にだけ はなら な いでお こう 。 、 、 名 のもと でイ ンドネ シ アに行 く のだ から そ 気 がな い為 夜 にな ると大 変涼 し いのです 又 と話 し合 った。 、 、 風 通 れ なり に ワークはさ ついし 大 変 な んだ ろ tを良 くす る為 に格 子窓 が付 いて いる の 、 、 ワークを 通し て いか に自分 が ぬく ぬく と 。 し ご い る で 意 外 な 夜 を 程 涼 過 せ の で す 食 う と分 か って いた つも り であ ったが 、最初 の 日本 で生き てき たかを 、体 で知 る ことが でき 生 活 はや はり 同じ アジ アの だけあ っ 、 国 て お ワーク でそれ 上 のも のであ る こと に 以 気 が つ 。 た 自 然 と真正面 から向 き合う こと が少 な い 米が主食 でし た。 これ に機種 類 か の野菜 の煮 、 いた。高 校時代 部活 で鍛 え た この体 だか ら、 、 か ら 自然 の大切 さを忘 れ てし まう の ではな も のや、 す テと呼ば れ る焼 き鳥 などを 一つ 、 た 少 々の こと には吉 をあ げな か ったが ワーク 。 、 いだ ろう か ⋮⋮ 、 。 のお 皿 に盛 っていただく 訳 です が 中 には 日 中 早く体憩 にな ってよ ︱ ︶と いう気 持 ︵ 、 。 学 ぶ こと の多 い 村 の ワーク であ った 本 から渡 ったらし き ト ー フと呼ば れ る拐げ物 ち で頭 の中 が い っば いだ った のは、まぎ れも な ども あ ったりし て美味 しさ に涙 し て言 ぶ人 。 な い事実 であ った も いまし たが、時 にはあまり の辛さ に涙 し た 、 最初 のワークは 校 の 一 の建 のテラ 学 部 物 。 イ ンド ネ シ ア の生 活 様 式 人も いまし た し かし イ ンド ネ シ アは多 民族 スとな る部 分を 平ら にす る作業 であ った。 、 、 。 国家 です から 私 たち がパ リ の村 で 歓 迎 の ︿地面を 平ら にす る位 のも のか ︾と 正直 な 、 、 。 短 大 英 文 科 二年 今 井 韓 穂 気 持ち そう思 った しかし 上 は粘土質 で 、 、 。 、 、 イ ンド ネ シ ア では 田舎 だ け でな く 都 会 で 固く し かも重 い ■を 掘り それ を集 め て 。 、 も 一日 の始 ま り は朝 早 く か ら 始 ま り ま す そ パ ケ ツリ レー の要領 でト レイを 涯し て いく 、 、 れ は こ の国 の書 い気 候 の影 響 の為 と 思 わ れ ま 同 じ姿勢 の続 く単純 作業 だ った ので 二 日目 、 、2 す が 学 校 は 朝 7時 半 か ら 授 業 が 始 ま り 1 、 。 、 三 日目 とも な ると かな りき つか った ま だ 時 前 後 か ら 昼 の体 憩 が 4時 頃 ま で そ し て夜 ま だ ワークは残 って いるし 、 この頃 には、キ 7 。 時 頃 ま で授 業 があ り ま す ャンパ ーは、無 理を せず 、 マイベ ー スでやる し か し 何 と 言 っても 一番 日本 の生 活 と 異 な 、 。 と いう ことを充 分 に信 った ようだ った。 い る と る と ま は お 目 あ 部 分 風 お 手 洗 で 思 す 、 、 それ にし ても 現地 の人 々の体 力 には驚 か ンド シ し に イ ネ 日 る ア に は に つ か い 本 の 様 湯 舟 事 て 出 て た の 意 味 頂 豚 丸 擁 きな ども イ ス 。 され た。次 の ワークは、村 の道 の片側 にパイ く、 ンド ど け ラ イ シ な な を い だ な の で ム ネ ア 水 で 体 洗 流 す す の の人 にと っては考え 教 徒 プを埋 め る溝を 掘 るも ので、村 の人 々と い っ これ は マンデ ィーと 呼 ば れ て い て、 湯 舟 よ り られな い事 の 一つです。 一つの生活 様式を 取 、 、 っ し ょに っ を ると い ったも 作 業 す の だ た の だ が 小 さ な タ イ ル張 り の浴 憎 に溜 め てあ る 水 を てみ ても言 い切 れな いも のが この国 にはあ 、 、 。 私 たち キ ャンパ ーと村 の人 々と の力 のと は 手 お け を 使 って行 う の です が イ ンド ネ シ ア るよう に思 われま し た インドネシアの 子供たちと 10月 25日 発行 1990年 チ ャ ベ ル ・ニ ュ ー ス (4)第 46号 , ` : : 、 私 達 は主 にパ け島 を観光 し た のです が パ リ局 は、 イ ンドネ シ アの中 でも独 特 の文化 を 、 持 っており それ がまだ根 強 く残 って いる こ と で有 名な 所 です 。 みなさん も 一度 や 二度 は 、 名前を 聞 いた ことがあ るよう に 日本 人 観光 。 客も たく さ んおとづれ て います 豊 か な自然 、 に囲まれ た美し い風 景も さる ことなが ら と などな た部 ◎全 日本 大 学な きな た選手権 大会 8月 5 日、横 浜文 化体育 館 で開催。 個人 の部 決 勝 岡 山県立 短大 ︶ O加藤 ︵ 松蔭 ︶ ︱山 下 ︵ 国文 2年 ︶は優 勝 加藤友 相 選手 ︵ 団体 の部 松蔭 1 12大 阪体 首大 学O 。 松蔭 は学 優 勝 交 流会 に ついて 村 の人 々や子供達 と いろ いろな形 で の交 流 が ンズ ー教 にも とづ く多 く の寺院 では宗教 と い も てた こと で、私連 を迎 え入 れ て下 さ った村 うも のの大き さを あら ため て感 じさ せられ ま 、 大 学英米 文字科 二年 浦 地 愛 の方 々の暖 か さ 子供達 の乗直 さ等を 感じ る し た。 タナ ロ ット やキ ンタ マー ニなど の有 、 イ ンド ネ シ アで の ワークキ ャンプ の間 私 ことが出来 、豊 かな筈 の日本 の子供達 には見 名 な所だ け でな く、小 さな店 や道路 に いた る 達 は何度 か現地 の人 々と交 流を も つことが出 る こと の出 来な い心 の豊 か さを ブ リ ンビ ング ま でヒ ンズ ー教 を感 じさ せる飾り があ り、勉 。 来 まし た サ リ村 の子供 連 のな か に感 じ る こと が出 来 強不足 で何も分 か って いな い私 は ただ ただ確 、 。 、 ど の交 流会も 楽し み いろ いろな ことを 息 た よう に思 います くば かり でし た。幸 い私 など は 仲 間 が いろ 、 い感 じた のです が そ の中 でも最 も印家 深 か ま た、 ジ ャカルタ で泊ま らせ て頂 いた ST いろと教 え てく れまし たが 、もし 、 そう い っ 、 った のは、ブ リ ンビ ング ・サリ村 で の最 後 の TJ ︵ 神学 館 ︶ でも 神学生 の方 々と交 流会 た知識 なり考 え方 なりを何 も知 らず に旅 し て 。 。 晩 の交流会 です 明 日 でお 別れ ⋮と いう実感 をも つことが出来 まし た 一人ず つが英 語や いたら、き っと上 足 で人 々 の生活 を踏 みあら 、 が全 くな い中 お世 話 にな った村 の方 々や ア イ ンド ネ シ ア語 で自 己紹介 をし 、う た ったり し いた ではな いかと思 います。 他 の国 々 て の 、 スラ マ ︵ 寄宿 含 ︾ の子 供達 と の フ ェアウ ェル 踊 ったり 禁し い 一時 でし た。 を 旅 す ると いう ことは楽し いこと です が そ 。 、 パ ー テ ィーが 開かれま し た いろ いると お世 ジ ャカ ルタやブ リ ンビ ング ・サリ村 の地 で の反面 そ の地 域 の風習 ・ほ習 を知 らな いと 、 話 し て下 さ った方 々 の狭拶 の時 私 は後 ろか たく さん の人 々と交流 をも てた ことを感 謝し に多く の迷 惑 を かけ る こと にもな りか ね 手 相 。 、 ら呼ば れ て いる のに気付 き後 ろを見 ると、女 、 。 ます そし て イ ンドネ シ アで出会 え た人 々 ま せん あ たり 前 の こと です が そう い った の子が ︱ュ 留窪ョ ョテー と目 に涙を 浮 か べて や子供 達 に感謝 し た いと思 います 。 ことを よく 肝 に命 じ ておく ことが必要 だ と思 、 。 小 さな声 で言 ってくれま し た そ の 一言 は 。 いまし た 、 、 私 を ︿明 日 この村 を去 らなけ れば ならな い︶ バ リ島 での観 光 、 、 最後 に 私 が 一番強 く猶 かれ た のは パ リ と いう 現実 に戻し まし た。 それ と同時 に ブ 。 島 の音楽 です ガ ムラ ンと いう楽 器を使 い奏 ごし リ ンビ リ グ ン と に 緒 サ で 子 供 達 一 適 ■ 。 藤 裕 子 国 文 科 二 年 本 大 学 学 。 でられ る民族音 楽 はと ても奪 やか です もし 、 た交流 の時 が思 い出 され まし た 。 イ ンド ネ シア ・ヮーク■ ャンブ と いう 一 機会 があれば 一度 聞 いてみ て下 さ い 般 の観光 旅行 と は少し 趣 のと う こ のプ ログ ラ 、 、 。 ム に参加 しま し た それ は やはり 普 通 で 一部︶ 、 ◎関西学生軟式庭球秋季リーグ戦 ︵、 は行 けな いと ころ に行く ことが でき たり イ 、 O松蔭 は大 阪体育 大 様陰女 子大 神 戸学 ンド ネ シア の生 の生 活 に触 れ る ことが でき た 、 1 院女 子短大 関 西外国 語大 の四枚 に3 0 で り 、と貴重 な体験 が でき たと思 います 。 一方 、 。 、 、 完 膀 天 理大を 2 1I て取 り 優勝 した で 名所 と呼ば れ るさまざま な観光地 も お と 、 づ れ る ことが でき より い っそう イ ンド ネ シ 。 アと いう 国 に ついて理解を 深め られま し た 子供達 と 一緒 に盆踊 り やパ リダ ンスを踊 っ 、 、 た こと 折 り紙 で鶴を 折 った こと 日本 で準 、 、 備 し て い った班芸 個 人 事 の破 露 影捨 ス 。 、 ポ ー ツ大会 等 楽し か った ことば かり です ヮーク ・キャンプ現場 10月 25日 発行 1990年 チ ャ ベ ル ・ニ ュ ー ス 6 ) 第4 6 号 、 こ の三 は 七 月 二五 日 か ら 八 月 末 、 、 ま で 約 五週 間 三 八名 の学 生 諸 君 と共 に過 ご し ま し 。 た 最 初 の3 週 間 程 はボ ク ナ ー レデ ス の町 にあ る ウ ェ スト セ サ ック ス 大 学 で語 学 研 修 で 。 す 一番 居 心地 か 良 い察 だ そ う です 、 が 私達 はド ー ム と 呼 ば れ て いる 建 物 の 三階 で生 活 し 、 。 ま し た あ い にく の 日照 り続 き で 師 水 が 求 、 ャ ー め ら れ てお り 風 日 の代 り に シ ワ で教 慣 、 す る よ う な こと も あ り ま し た が ま ず は快 適 。 な 毎 日 でし た 、 私 自 身 は た い て い朝 六 時 す ぎ に起 き 二 ● 、 分 程 度 の散 歩 が てら に新 聞 を 買 い 年 前 中 は 。 ゆ っく り と 新 聞 を ひろげ ま し た 近 く の新 聞 店 は い の良 さ そ う な何 老 の夫 婦 が 朝 早 く か ら 。 、 開 け てお り 安 想 よ く 客 を 迎 え てく れ ま す 、 ま た歓 歩 中 に出 会 う 人 々 は た い て い気 さ く 、 に グ ッド ・そ︱ ニング と挨 拶 を 交 わし て来 、 。 ま す 私 も そ のう ち に す す ん で声 を か け る 。 よ う にな り ま し た キ ャ ンテ ィ ー ンと よ ば れ る 学 生 食 堂 で の食 、 、 事 は 夏 場 と いう こと も あ ってか 温 か い料 、 ー ー ー 理 にと ば し く コ ルド ハム ツ セ ジ と 、 、 サ ラダ 等 毎 日同 じ よ う な も の で いさ さ か 、 。 閉 口し ま し た 学 生 諸 看 も 寮 の炊 事 場 で持 、 参 し た も のを 適 当 に料 理 し て 変 化 あ る献 立 。 てを 考 え て いた よ うです 、 週 末 の上 日曜 には 全 く 授 業 が あ り ま せ ん 串 韓 韓 、 の で 学 生 請 子 には ロ ンド ン行 き を 計 可 し ま し た。 ボ ク ナ ーか ら ロンド ンま で汽 車 で 二時 。 ー 間 た ら ず て行 け る の です でも ポ ク ナ が片 、 、 日 舎 の駅 であ る せ いか 直 通 列 車 は少 な く 、 ト 六 ︱ シ ハム で乗 り 換 え ると か ブ ラ イ ン に 、 立 ち 寄 る も のが あ る と か 時 には 列 車 の後 半 っ 分 か造 中 でま る て別 の方 向 に行 てし ま う と 、 。 、 か 色 々と 難 し い の てす 大 袈 後 に言 え ば 後 ■ 一生 転一 や ■ ・ あ る テ ニス コート では 。 障 害 物 競 争 み た いな も の です よ ほ ど綿 密 に 、 峙 刻 表 を 見 て活 用し な い こと には と ん でも な い所 に行 ってし ま う 危 険 性 が 多 分 にあ り ま 。 ミ ー テ ィ ング す そ の こと に つい ては 前 日 に 、 を 行 な い 十 分 に注 意 し てお いた つも り でし 、 た が いざ 首 を 見 送 る段 にな る と 危 恨 の合 を 。 覚 え ざ るを え ま せ ん でし た と ころ が 二 々 、 五 々出 掛 け て行 った 学 生 諸 君 は 全 員 指 定 の っ 時 刻 十 時 ま で に元 気 な顔 を し て帰 て来 た の 。 です 英 語 に関 し ては 報 り な げ に見 え る 一人 、 っ 一人 の諸 君 も 結 構 立 派 にや て いけ る のだ 。 な あ と 実 感 し ま し た 帰 ってか ら し た ア ンケ 、 ート を 見 ても 、 ほ と ん ど全 員 が 数 回 の ロ ン 。 ド ン行 き を 某 し ん だ と書 い て いま す 、 イギ リ ス の夏 は暮 れ る のが お そ く 九 時 近 。 、 っと と 云 った と ころ です 五 面 く 暮 に や 薄 、 毎 晩 お そく 迄 松 蔭 大 ピクニ ックの風景 公 敏 10月 25日 発行 1990年 チ ャ ベ ル ・ニ ュ ー ス 46号 脩) 第 ィ ギ リス 研 修 旅 行 雑 記 。 ー ー 生 が テ ニスに興 し て いまし た コ デ ィネ 、 ﹁ 松蔭生 のテ ニス ター役 の コー ョラ ン氏 も 、 町き は 昨 年か ら当 地 ではす 。かり知 れ渡 り 。 。 ま し たよ ﹂と云わ れまし た 、 人月 一五 日 に始ま る三 日間 のバ ス旅行 では 、 、 スト ー ン ヘンジを訪 れ グ ラ スト ンベ リ ー 。 、 ウ エルズ パ スの町を見学 しまし た いず れ 、 、 の町も 中央 に教会 の突塔 が高 く筆 え立 ち 。 遠 く郊 外 からも望 見 でき る美し い街 です ど の町も十 年程前 に私自 身 は初 め て訪 れ た所 な 、 、 のです が ど こも 何も変 って いな いこと に 、 。 ー 驚 きまし た 学生 詰君 は 女性 作家 ジ ェ ン オ ー スチ ンが愛し た と いうバ スの町を殊 に 。 気 に入 った様 子 でし た ー 八月十九 日から 三 〇日ま での ヨ ロ ッパ旅 、 行 に ついては 残念 な がら紙 数 が ほと んど議 、 、 きま し た。 ただ スイ スのルチ ェル ンでは す ば らしく有能 な 日本 人女性 が現地ガ イドを 、 し てく れまし た。彼 女 の話 すド イ ツ語 は 私 。 、 の耳 には ド イ ツ人 そ のも のに聞えまし た しかも そ のS嬢 は、 松蔭 の卒業生 だ った ので 。 05 す ︲年程前 に英文科 を出 た のだ そう です 、 、 又 この旅行 に ついては 紙面を お借 りし て 。 書 いてみた い気 がし て います 卓球部 ー ◎ 関西学生 卓球 秋季 リ グ戦 ︵一部 ︶ 7日∼ 9月 6 日、京都 府立体育 館他 で 8月 2 。 開催 松蔭 は春 に続 き 5戦 全敗 で6位 であ ったが 1 入 れ替 え戦 では立命 館大学 再度 の挑戦 を 4 1 で退け て 一部 の座 を 確保し た。 、 ウ ィリ ア 今夏 強 い不安 を担 いて いた海外 旅行 に学 長 と 一緒 、 ム スミ ス カ レ だ った こと 旅行 中 の学長 の適切 な指 示 や学 ッジ で の語学研修 生 たち の ことを真 剣 に考え られ る父性 的態度 、 、 に参加 し た学生 は さら に学長 から の励 まし の手紙 等 によ って 。 二十 名 であ る 帰 学生 たち の心 の中 には自 然 に学長 の父性的 イ 。 国後 に実施 し た ア メ ージが 形成 され て い ったよう であ る この ンケ ート の語学 研 父性 的 イ メージが学生 たち の自 己統制 力を強 修旅 行全体 に つい 化 し 、節 度 あ る行動 を と ってき た要 因 の 一つ 、 。 て の項 目 に 全 員 にな って いた のではな いだ ろう か が ﹁ 大変 よ い﹂と 次 に述 べな ければ ならな いのは寮 生活 の世 いう 評価を与 え て 話 や リク リ ェー シ ョンを担当 し てく れ た男 女 、 、 。 いる。 又 研修 の 四人 の若 いスタ ッフに ついてであ る 彼等 は 、 開会式 で述 べた学 明 るく親切 で おし みなく学 生 たち に尽くす 生 たち の緊張 し た 姿勢 と自 分 の仕 事 への責任感 を し っかり と待 、 って いた。 それ ぞれ違 う 四人 の個性 が これ程 小声 の自 己紹介 と 閉会式 での自 分 の感 想を 要 額 よくまと め た堂 々 の スピ ーチと の雲 泥 の うま くか み合う こと はな いと思 われ る程 の見 、 。 差 は この研修 が学生 たち にと って如何 に有 事 なチ ー ム ワーク であ った 学生 たち が最 も 意 義 で効 果的 であ った かを如実 に示し て いる 深く つき 合 った のは この スタ ッフたち ではな 。 と言 えよ う。 か った ろう か 人 間的 にも教 えら れ る ことが ジ ェネ バ市 の歴史 や大 学 の沿革 、キ ャンパ 多 く 、 そ の上 生 き た英 語学習 にこ の スタ ッフ 、 スの周辺、 大学 の特 色 、語学 研修 の内容等 に たち の与 え た影母 は大 き い。彼寺 は 学生 た 、 ついては 菊 池先 生 や吉 輝先 生 の報 告 に詳し ち の研修 生活 を充実 させ てく れた最 も良質 の 。 く述 べられ ており、今年 のプ ログ ラ ムも大差 酒滑油 のようなも のだ った と思う 、 、 な いような ので 私 は他 の面 に ついて いく つ 八月 二二日 に研修 が終り 二三 日 の朝 一〇 、 。 か の感想 を述 べる こと にす る 時 にバ スでジ ェネ パを 出発 し て約 六時 間 窓 。 私 たちが大阪空 港を 飛び立 った のは七 月 二 外 に摩天 楼 が見え てき た 今 ま での口舎 町と 。 。 七 日午後 五時 五 〇分 であ った 一時 間遅れ の は全 く対 象的 な七 三〇万人 の国際的 大都市 ン フラ ンシ ス コ シカゴ き 出 な 行 発 の で サ で の 学生 たち の胸 には期待 と 不安 の入 りま じ った 。 。 への乗 り総ぎ が非常 に不安 であ った 私 たち 要張感 が高 ま った こと であ ろう 旅 行社 の配 、 にと ってジ ェネバ が初 め て の土 地 であ っただ 慮 は親切 ではあ ったが 事 故 に対し て神経 質 。 、 け ではなく 海外旅 行 でさえ も初 め ての学生 になり 過ぎ た のではな いだ ろう か バ スによ 、 。 る マン ハッタ ンの観光 は ガ イド の人柄 の良 が殆 んど であ ったから なお さら であ った 学 、 、 さ 重宮 な 知識 上 手 な説 明 によ って新 し 長 に同行し て頂 いた ことが私 たち の不安を 和 らげ たと同時 にグ ループ のま とま りを よくし い発見 も多 くそれ なり に楽 し いも の であ った 、 。 、 て い った 学長 は 三泊 され ただ け であ ったが が 自 由時 間 は 四時間 程し かなく 五番街 で の 中 森 昭二郎 山 本 10月 25日 発行 1990年 ニ ュース チ ャベ ル (7)第 46号 ウィイ リアム ・ス ミス ・カレッジ 語学研修旅徹 の引率者として シ ョツビ ング が精 い っば いだ った。 これ では 、 学生 のブ ラ ンド志 向 を刺激 し シ ョッピ ング ヘの関 心を 助長 す る結 果 にな っても仕 方 がな 。 いと思 われ た ニ ュー ヨーク の ﹁ 影 ﹂ の部 分 を 具体 的 に少 し ても知 って欲 し いと考 え て 。 いた私 は強 いジ レ ン マを感 じた 次 の訪 ね た のは ワシ ント ン D C であ る。 道路 は碁盤 目状 と放射 状 の組 み合 わせ で 。 整 理 され清 潔感 にあ ふれ て いた 鮮 やかな緑 の木 々と広 々とし た芝生 の中 に政 府機 関 や歴 、 史 記念物 が散 在 し ており 私 たちを楽 しま せ 、 。 てく れ た こと は事 実 であ る しかし 国会 議 、 事堂 のす ぐ近く には黒人 の住宅街 があり そ きき たくな いも の﹂ こは ﹁ 見 たく な いも の﹂ ﹁ 。 ﹁ しさ 実 ﹂ など と言 われ て いる地域 であ る き たな さ ﹂が これ 程ま で に相容れ な いで と ﹁ 。 共 存 し ている都市 は他 にはな いであ ろう 美 し い部 分 に感嘆 す るだ け ではなく 、 アメリ カ のかかえ る黒人 間題 を含 む少数民族 問題 に つ いても積 極的 に関 心 の目を向 け て欲し いと思 ︶ う。 、 次 の訪 日地 デズ ニィーラ ンド は デ ィズ ニ ーが ﹁ 世 界 で 一番 幸 せな場 所 ﹂と呼 ぶ にふさ 。 わし い それ は 日常と を完全 に通断 し た空 間 、 。 を意味 し て いる デ ィズ ューは す べて の人 子 どもと ﹂ ﹁ 遊び 心 ﹂ に訴 え 画 の心 に潜 む ﹁ 。 る別世 界空 間 を創 る こと に成功 した のであ る ︵ 能登着 ⋮デ ィズ ニーラ ンド と いう聖地 ︶ 、 ﹁ 魔法 の王 国 ﹂ へのト ンネ ル の入 回 の壁 に ここを境 にあな た は現在を離 れ過去 と未来 と 空 想 の世 界 に入 る﹂と いう看 板 があ るそうだ 。 が私 は見落 とし た アメリ カ のイ ミテ ー シ ョ ィズ ニーラ ンド を知 って いる ン る あ 京 デ 東 で 、 ﹁ 子ども 心 ﹂を大切 にす る アメ 学生 たち は リ カ の大 衆文 化を ど のよう に感 じ た であ ろう 10月 25日 発行 1990年 チ ャ ペ ル ・ニ ュ ー ス (3)第 46号 。 か このようなすば らし い別天地 を引 ったウ ォルト デ ィズ ューはど んな人物 な のか。 ア メ リカ人 の世 界観 や価値 観 がデ ィズ ニー ラ ン ド と ど のよう に つなが って いる のか、考 え て 、 。 みた い点 であ る 私 自身 は アメリカ の友人 子ど たち に会 うためデ ィズ ニー ラ ンド で の ﹁ 。 も への退行 ﹂は 二時 間程 に過ぎ なか った 新 し い私 を再生 す る には退 行 の時 間が余 り に ニ ュー ハンブ シ ャー大 学 ほ尊言旺摩に参加し て 英米文 学科 一 三回生 活井絵 美 、 私 が初 め て行 く海 外 が アメ リカ で し かも 、 それ が 一方月 以上 にも わ たるも のだと は 考 。 えもしま せ ん でし た 七 月 二六 日 に大阪空 港 を出 発し サ ン フラ ンシ ス コで飛行機 を乗 り換 、 えボ スト ン ヘ行き 予定 では ニ ュー ハンプ シ ャー大学 に着 く のは、夜 の 一〇時頃 だ った は 、 ず な のです が ボ スト ン周 辺が霧 のため にな 、 かなか若陸 できず とな り の コネ チ カ ット州 、 の空 港 へ臨時着 陸し 数時 間 遅れ てや っと者 き まし た。ポ スト ンから パ スで大学 へ行 く途 、 、 中 日然交 通事 故を 目撃 し てしま い 長時 間 、 、 飛行機 に乗り 疲 れ たせ いも あ ってか 初 め 、 は少 々不安も感 じま し た。 し かし 不安も そ 、 の日だけ で次 の日か ら は 大変 楽し い毎 日が 。 続 き まし た 授業 は午 前中 だ け で三限目ま で あり 一限目 はホ ーム ルー ム で主 に会話を 中 心 とし た授業 で、 二限目 はプ ロナ ンシ エー シ ョ ンのク ラ ス、 そし て三限目 は、ゲ ー ムや新聞 、 を コンピ ュータ ーを 使 って作 ったり と バ ラ 。 エテ ィに富 んだも のば かり でし た ク ラ スに よ っては、教室を ぬけ出 し て、広 いキ ャンパ も短 か った ことを非常 に残念 に思 って いる。 いたよう に思 えます 。 こんな所 に住 めばき っ 。 、 今 度 の三六 日間 の語学 研修旅 行 が 学生 一 と やさし い気 持 ち にな れ る でし ょう こ の研 、 人 一人 にと ってい け替 え のな い体験 にな った 修 の中 頃 に、 ホ ー ム ステイがあ り 私 がお世 こと は非 常 に嬉し い。 こ のすば らし い体験 が 話 にな った家庭 は、者 い両親 と小 さ い女 の子 、 視 野を広 め る こと になり さら に自 分自身 を が 二人 も いる家 でし た。私 のホ スト フ ァミリ 、 ﹁ 、 深 く み つめ 私 の人生 ﹂を大切 にす る積 極 ーは、 日本 に大変 興味 が あり たど たどし い 、 的な 生き方 に つな が る ことを 心 か ら期 待し て 英 語 で、 日本 の湊字 に ついて説 明す ると と 、 、 いる。 ても感 激し てくれ まし た 子供 たち は す ぐ 、 、 にな ついてくれ て 彼 女 たち は 私 の英 会話 が上 達す るため の良 い先 生 にな ってくれ たと スの芝生 の上 に丸 くな って座 り先生 と楽 し く 思 いま す。 ニ ュー ハンブ シ ャー で の生活 は、 おし ゃべりをす ると いう こともあ ったよう で 毎 日新 し いこと の連続 で、あ っと いう 間 に通 。 す 朝 は八時 から と少し早 い授業 のはしま り ぎ 、本当 に居心地 が良 か ったと思 いま す。 研 、 だ った のです が ニ ュー ハンブ シ ャー の朝 は 修 後 のアメリ カ旅 行 は、 ワシ ント ンDC には 、 、 、 、 しく さ は し と も 暁 わ や か で 朝 少 て す が す が し ま り ニ ュー ヨー ク ロスア ンジ ェル ス 。 、 寒 いぐら いでし た 日本 の夏 と は比 べよう が サ ン フラ ンシ ス コと ハード な スケジ ュール 。 、 、 あ りま せん 年 後 から は先生方 や UN H の学 でし たが 先 生方 や添乗 員 さ ん のα慮 で す 、 。 生 にシ ョ ッピ ング モール ヘ連 れ て行 ってもら ば らし い旅 行 とな りまし た こ の研修旅 行 は 、 、 、 ったり、ブ ッシ ュ大 統領 の別荘 があ るケネ バ 家 生 活 ホ ーム ステイ 旅行 と と てもせ い 、 。 ンクポ ート ヘ行 ったり と 暇を も てあま し た たくな も のだ ったと思 います 日本 に帰 った 、 。 ことなど は 一度 も ありま せ ん でし た 湖 の 今、 あ の頃 のことを 思 い出す と、別世 界 の夢 。 よう に大 きな池 で泳 いだりし た ことも あり ま のよう でし た き っと 一生 の思 い出 とな る で し た。大 学内 の道路 では、信 号 がな く車 の■ し ょ︼ う。 、 も 少な いので、車 道を渡 る時 は人 が優先 され そ の間草 は私 たち が渡 るま で待 って いてくれ 、 ま 。 キ ヤンパ ス内 では たとえ見 知 ら ぬ人 ◎全 国激 職員 選手 権 大会 す 8月 6 日∼8 日福 島県 部山市総 合体青 館 で 、 ﹁ イ! と ﹂ 気 ハ でさえもす れち がう時 には 、 。 開 催 軽 にあ いさ つを し てくれます 最初 は そう シング ル ス決 勝 、 いう こと にも慣 れ なく て せ っかく あ いさ つ O 川波 ︵ 松蔭女 子大 ︶2 11岩本 、 を し てくれ ても 恥ず かしく てただ実顔 でご 、 ダブ ル ス決 勝 。 まか し て いま し た し かし 日が た つに つれ て O 川波 ・存 ︵ 高 倉小 ︶2 11宝 川 星野 、 周囲 の環境 にも なじ ん でく ると 自 分 か ら 川波豊 選手 ︵ 電算 室 職員 ・卓球 部 コーチ︶ ﹁ハイー ﹂と 通りす がり の人 に自 然 にあ いさ は初 優勝を ダブ ルタ イト ル で飾 った。 。 つが でき るよう になり まし た ニ ュー ハンプ シ ャー に いる時 は、時 間が ゆ ったり と流れ て