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映画を通して考える生命倫理 - Osaka University

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映画を通して考える生命倫理 - Osaka University
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「映画を通して考える生命倫理」授業に関する報告
浅井, 篤; 牧, 左希子; 福山, 美季
医療・生命と倫理・社会. 10 P.47-P.58
2011-03-20
Text Version publisher
URL
http://doi.org/10.18910/12843
DOI
10.18910/12843
Rights
Osaka University
「映画を通して考える生命倫理」授業に関する報告
浅井 篤
(熊本大学大学院生命科学研究部教授、生命倫理学)
牧 左希子
(熊本大学大学院医学教育部医学科修士課程、生命倫理学)
福山美季
(熊本大学大学院生命科学研究部助教、看護学)
抄録
本論では映画を通して考える生命倫理教育の方法論および実践例を報告し、その意義と
問題点を考察する。筆者らが映画を用いた生命倫理教育を始めた主な理由は三つある。第
一に優れた映画作品は知的にも感情的にも刺激的でバランスの取れた倫理教育の素材にな
り得る。第二に教育効果が持続し学習者が実社会で倫理的観点から物事を考えることを可
能にする教育方法のために、映画は学習者の心に触れる最適な素材となる可能性がある。
第三に海外ではすでに 10 年以上前から映画を用いた臨床医学の教育が行われ、その方法
論が「シネメデュケーション」としてある程度確立している。今回はその一例として、2007
年より熊本大学全学部教養選択科目として開講している「映画を通して考える生命倫理」
の構成と内容を紹介する。具体的な実践例を提示し教育実施にあたっての留意点と問題点
を検討する。また映画を対象にした生命倫理学領域の学術研究の必要性にも言及する。
1
はじめに
本論では映画を通して考える生命倫理教育(Bioethics Education through Films)の方
法論および実践例を報告し、その意義と問題点を考察する。本論では生命倫理という表現
で、生命・医療倫理、臨床倫理、医療倫理、医の倫理などと呼ばれるすべての領域を広く
包括することを予めお断りしておく。また医療専門職に対するプロフェッショナリズム教
育についても言及する。
筆者らが映画を用いた生命倫理教育を始めた主な理由は三つある。第一に優れた映画作
品は知的にも感情的にも刺激的でバランスの取れた倫理教育の素材になり得る と信じるか
らである。映画は観る者の五感を刺激し、興味を掻き立て、観て聴いて感じた上で自然に
考えさせる力を持っている。映画にはその国その時代の文化と思想、道徳観と宗教観、医
学と医療状況、人生哲学と死生観、時代の社会の世相と問題意識が描かれる。タブーと ポ
リティカル・コレクトネスも表現される。優れた作品は観る者を楽しませると同時に、彼
らが人間社会の諸問題を考える機会を提供する[1-3]。
映画を見ながら生命倫理を学ぶ利点は、問題を実感できる、強い感情が引き起こされる、
様々な立場を追体験することができる、登場人物に対する反応を通して 「どのような人間
であるべきか、どのような性質(徳性)を持つべきか」という問題を考えることができる
47
点にもある[4]。有徳性に関する教育的意義は医療専門職のプロフェッショナリズム教育
においても意味を持つだろう。物語は多くの場合フィクションなので、鑑賞者は第三者と
してある程度距離を置きながら作中の出来事や人物について考えることができる。
描かれないこと、つまり語りの欠損への気付きは鑑賞者の問題意識と知識、感受性のレ
ベルに左右される。同じ描写や物語を観ていても、鑑賞者のその時の問題意識と心のあり
方によって、彼らの心に響くことは異なる可能性がある。作り手が意図したもの以外の事
柄を鑑賞側が感じ取ることもあり得る。したがって、他の人々とひとつの作品を語りあう
ことで、自分の思考の幅を広げ、感受性を磨き、他者から学ぶ機会を得ることができる[3]。
第二に長年の生命倫理教育体験を通して教育のあるべき姿の模索を続けているが、未だ
に、どのように教育すべきか、最も効果的な方法論はいかなるものかを明確にできないか
らだ。人は教室で習ったことは時間と共に忘れてしまい、試験がなければ真剣に勉強しな
い傾向がある。生命倫理関連分野の教育効果が持続し、学習者が実社会で物事および自ら
の行動の倫理的意味を常に考え、場合によっては行動変容まで引き起こすことができる教
育方法を追求する必要があるという思いを強く持っている。中でも、いちばん知りたいの
は倫理に無関心な者がその重要性を実感できるような 教育手法である[5]。「倫理無関心
者の覚醒の試み」といってもよい。このような観点から、映画を用いた教育は、学習者の
心に触れる最適な素材となる可能性があると期待した。
第三に海外ではすでに 10 年以上前から映画を用いた臨床医学の教育が行われ、その方
法論が「シネメデュケーション」としてある程度確立しているからである[6]。終末期医
療や臨床現場の倫理的問題、医師のプロフェッショナリズム がシネメデュケーションの教
育項目に含まれている。筆者らは日本の医学教育および生命倫理教育の現場でも、その方
法論を応用できると考えた。Alexander らは、映画の一部または全部を用いた医学教育は
楽しく、長く記憶に残り、同時にプロボカティブで議論を促進することができる、距離を
保ちながら感情的に関わることができると述べている[6]。また近年、倫理学、生命倫理
学の教科書の中に、当該領域の問題を内包した映画作品を幾つか紹介、言及している書籍
が登場している[7-9]。
筆者らは上記のような理由と背景で、映画を通して考える生命倫理教育を様々な機会に
実践、執筆してきた[1-5,10,11]。本論ではその一例として、2007 年より熊本大学全学部
教養選択科目として開講している「映画を通して考える生命倫理」の構成と内容を紹介し
具体的な実践例を提示する。また映画を用いた生命倫理教育の意義と問題点を 考察する。
また映画を対象にした生命倫理学的観点からの学術研究の必要性にも言及する。
2
「映画を通して考える生命倫理」コースの概説
「映画を通して考える生命倫理」コースの一義的な目的は、学習者である学部学生が作
品の中に現れる問題を身近に感じ、各自で問題を見つけて、自然に問われていることを考
えることである。何よりも「実生活や現場で生きる知識」として 楽しく生命倫理を学ぶこ
とが大切だと考えている。生命倫理関連問題に関する関心を持つための入門編と捉えるこ
とができよう。
48
作品の選択の方針は次の通りである。最新作、名作、古典的作品など新旧の作品を織り
交ぜ年代的に偏らないようにする。日本映画、英語以外の外国映画、英語映画(米、英、
豪、加などなど万遍なく)などを可能な限りリサーチし、一回のセッションで複数の国ま
たは言語が使われる作品を取り上げるよう心がける。製作者の著作権について解説、留意
することは言うまでもない。
作品ジャンルもエンターテイメント、文芸作品、コメディー、カルト、ノンフクション
等多様な作品を収集・紹介する。医療や生命科学を主要テーマとして直接的に扱った作品
同様に、一見関連性の低いと思われるが、実は生命倫理関連問題を内在させている作品も
紹介するように努める。今まで生命倫理教育や学術論文などで「定番」として取り上げら
れている作品も漏らさず紹介する。
内容は原則的に使用教科書[4]にあるテーマを順に取り上げるが、適宜変更または追
加し、医療専門職のプロフェッショナリズムを含んだ生命倫理領域の多様なテーマを取り
上げる。H21 年度に取り上げたテーマと主な作品を表 1 と表 2 に挙げる。クラスの規模は
100 名程度である。
進行方法(90 分授業)の一例を提示する。一回の授業では一つの生命倫理関連問題を 3
~5 つの映画作品を紹介しつつ進める。可能な限り学生の発言を促すようにし、双方向性
教育を心がける。
1
主要テーマの簡単な解説と問い掛け
2
教科書で取り上げている作品の紹介
3
同一問題を異なる立場や観点から取り上げている 関連作品の紹介
4
クリップ提示(作品毎にあらすじ説明、可能な場合は予告編提示)
5
映画に描かれた問題を隣同士の二人ペア、少人数グループ、またはクラス全体で 検討
する。すべてのクリップを観た後に話し合う場合もあれば、一作毎に映画ごとに議論する
こともある。
Zazulak は「何を観たか」、「何を聴いたか」、「何を感じたか」、「何を考えたか」、「この
映画はあなたの将来の診療にどのようなインパクトを与えると思うか」の 5 ステップを用
いて医学教育を行うことを提唱している[12]。事前説明を行わずクリップを提示し、こ
の“Zazulak プロトコール”を参考に問題探求と議論を行うことも多い。一回の授業で取
り上げる映画作品の本数や種類は毎年変わり、議論の形態や時間、プレゼンテーション様
式も全体の進行具合に合わせて柔軟に行う。
3
四つの実践例
ここでは公衆衛生と人権、医療専門職のプロフェッショナリズム、コメディー映画を通
して考える生命倫理、およびナチス関連映画と倫理問題の 4 つのセッションの内容を報告
する。
公衆衛生と人権
公衆衛生と人権のセッションでは、まずウォルフガング・ペーターセン『アウトブレイ
49
ク』(1995 年、米)を紹介する。本作では現代米国の西海岸にある小さな町にモターバ出
血熱という致死的ウイルス性疾患が局地的に流行する。 潜伏期間 24 時間、罹患した患者
は 2、3 日で 100%死亡するという恐ろしい感染症という設定である。
最初に過去のアフリカで同疾患が小集落で発生し、米国軍が特殊な爆弾で集落ごと疾患
を消滅させるシーンと軍の微生物研究所の内部を観る(DVD チャプター1、2)。ここで微
生 物 が 感 性 力 と 毒 性 で レ ベ ル 分 け さ れ る こ と が わ か る 。 次 に ウ イ ル ス が 感 染 者 か ら 他の
人々に映画館で飛沫感染する様が描かれる( チャプター13)。続いてウイルスが変異し、
飛 沫 感 染 と 接 触 感 染 の み の 伝 播 か ら 空 気 感 染 も 可 能 に な っ て し ま っ た こ と が 提 示 さ れる
(チャプター15,16)。学生は、ここまで物語の基本的な状況とモターバ出血熱に関する「事
実」を知ることができる。
そ れ ら を 踏 ま え た 上 で 、 軍 に よ っ て 町 に 無 条 件 に 隔 離 さ れ た 人 々 の 様 と 脱 走 を 試 みる
人々のシーンを観て(チャプター19)、その後、特殊爆弾を落として 2300 名の住民ごと町
を消滅させるべきか否かのホワイトハウス決議のシーンを鑑賞する(チャプター23)。こ
こで問われている問題は公衆衛生と個人の人権の対立であり、学生 は脱走者の射殺や感染
者消滅による感染爆発阻止の倫理的正当性を具体的に考えることができる。
二本目は、瀬々敬久監督『感染列島』(2009 年、日本)である。極めて毒性および感染
力の高いウイルスが蔓延し、日本国内で何千万もの人々が感染、その数割が死亡するとい
う大惨事が描かれる。治療にあたる医療従事者とその家族、感染患者とその家族の思い、
感染者や治療に当たる医療従事者に対する社会の態度が明快に描かれる。本作を『アウト
ブレイク』に続いて提示する理由は二作品の対照性にある。 前者では全く描かれていなか
った、非感染者による感染源に対する誹謗中傷と陰湿ないじめが描かれてい るためだ。予
告編を観て全体像を大まかに把握した上で、鳥インフルエンザの発生源になったと想定さ
れる養鶏業者とその娘に対する誹謗中傷といじめがしっかりと描かれる(チャプター4)。
養鶏業者は後に自殺してしまう。このような描写は、2009 年の新型インフルエンザ流行時
の人々の感染者や感染者を出した教育施設や地域に対する多くの心ない誹謗中傷や差別的
態度を思い起こさせるものであり、十分に検討に値するテーマであ る。同作品には、致死
性と感染性が高い感染性疾患に対する医療専門職の診療義務についても考えさせられるシ
ーンもある(チャプター9)。
続いて取り上げるウォルター・サレス監督『モーターサイクル・ダイアリーズ 』(2004
年イギリス=米国)は、当時は医学生だった若き日のチェ・エルネスト・ゲバラの南米大
陸縦断の旅を描く。本作の最後の三分の一はアマゾ ン川という自然の障壁に囲まれたハン
セン病療養施設で展開し、学生は、上記二作のような急性致死性感染症ではなく、生涯に
わたって続く感染性疾患に罹患した人々の生活と人間関係を観ることができる。 まず日本
語予告編を提示し、その後主人公たちのハンセン病施設での行動を垣間見てハンセン病に
関わる多くの医学的および人権に関わる問題を認識することができるだろう (チャプター
17)。この時に我が国におけるハンセン病患者に対する差別と監禁の歴史にも触れ、映画
と現実の密接な関係を学生に伝える。同時に若きユダヤ人、ジュダ・ベン・ハーとキリス
トの生涯を重ね合わせて描いたウイリアム・ワイラー監督の古典的歴史大作『ベン・ハー』
(1959 年、米国)にある業病の谷の描写を観ることで、時代も場所もジャンルも違う作品
50
において、ハンセン病と隔離そして偏見と差別が描かれ ていることを知り、学生は問題の
普遍性の高さを理解できると期待される。
医療専門職のプロフェッショナリズム
この授業では学生にプロとは何かを問いかけ、どのような職種がプロフェッショナルと
社会的に見做されているかを考えさせる。現在社会的に専門職に必須と認識されている 専
門性、自律性、専門倫理、患者の福祉最優先などの特性を知識として提供する。そして自
分のいちばん大切な人が病気になった場合、どんな医療専門職にケアしてほしいかを各自
イメージしてもらう。その上で 5 つの作品の紹介と解説を行う。
最初に我が国の古典的名作である黒澤明監督『赤ひげ』(1965 年)を取り上げる。予告
編で大まかな内容をつかんだ上で教科書を用いて粗筋を解説する。舞台は江戸の小石川養
生所。貧しい人々のための公立医療機関である。ある日、長崎でオランダ医学を 3 年以上
学んだ青年医師保本登が養生所を訪ねてきて、赤ひげと出会うところから作品は始まる。
学生たちは冒頭から 18 分間を観る(チャプター2~11)。映画は小石川養生所の状態を細
かく描写する。どんな患者が何のために入院しているのか、どんな思いを抱いているのか
もわかる。そして赤ひげ、保本を含めた 4 人の医師の人間性や医学に対する考えを一通り
知ることができる。同クリップを観た後、学生たちに、 4 人の登場医師の内、どの医師に
自分のいちばん大切な人を受け持ってもらいたいかを尋ねることにしている。その理由を
説明することも求める。
次は矢口史靖監督の『ハッピー・フライト』(2008 年、日本)を取り上げる。この作品
では、操縦士および客室乗務員のプロフェッショナリズムを学ぶことができ、同時に航空
業界で働く人々のプロフェッショナリズムと医療専門職のそれを比較対 照することができ
る。ANA 全面協力によるコメディータッチの航空パニック映画だが、新人教育や実地試験、
一機のボーイング 747 がフライトするために必要な地上スタッフの様々な共同作業が描か
れ、医療専門職のチーム医療を考える上でも大いに参考になる。 授業では操縦士の帽子の
意味に関するシーン(チャプター6)を観ることで、専門職として学ぶ必要のあることと
上司からの教育方法を考えることができる。
続いてメル・ブルックス監督による『新サイコ』(1977 年、米国)では、絶対になって
はいけない医師像を提示する。映画はロス・アンジェルスの名門精神病院を舞台に、施設
の経済的利益のために精神障害患者を不当に入院させる医師と看護師たちと、真相解明に
立ち上がった新任院長とその仲間の対決がアルフレッド・ヒチコック作品のパロディーを
連発しながら描かれる。学生は故意に患者の病状を悪くするように仕向ける悪徳精神科医
を観ることができる(チャプター9)。専門職として決して許されない患者の利益を犠牲に
した自己利益追求を楽しみながら感得することができる のではないだろうか。
他にも時間が許す場合は、ソルヴェイグ・アンスバック監督『日のあたる場所から』
( 2003
年フランス=アイスランド=ベルギー)とフランク・オズ監督『おつむてんてんクリニッ
ク』(1991 年、米国)を紹介する。これらは患者と医師の適切な距離を考察するには最適
な作品になっている。前者では特定の患者にのめり込み過ぎる新人精神科研修医が、後者
では休暇を取っている担当医の別荘に押し掛ける極めて依存度の高い不安障害の患者が描
51
かれる。
コメディー映画を通して考える生命倫理
学生の気分をリフレッシュさせ集中力を高め、彼らがリラックスしながら目の前に展開
している事件や人々の行動を観察し、自ら課題を見つけ出すことは大切である。 このセッ
ションでは、前掲 Zazulak の「何を観たか」、「何を聴いたか」、「何を感じたか」、「何を考
えたか」、「この映画はあなたの将来の診療にどのようなインパクトを与え ると思うか」の
5 ステップを活用する[12]。最後のステップを「この映画はあなたの将来の行動にどのよ
うなインパクトを与えると思うか」と改変して問い掛けるのが適切であろう。下記に紹介
する作品のクリップを事前説明を行わず提示し、問題探求と議論を行う。
ジェイ・ローチ監督『ミート・ザ・ペアレント』
(2000 年、米国):主人公の男性が恋人
の両親に会いに行き様々な騒動が巻き起こるという物語。看護師である主人公が、医師が
多い彼女の親族たちに会い気まずい雰囲気になるシーンがある(チャプター9)。仕事にお
ける性役割に関する固定観念、医師の看護師に対する差別意識、社会的な特定職種に対す
る価値付けが見て取れる。
ベン・スティラー監督『トロピック・サンダー』(2008 年、米国): ベトナムを舞台に
した戦争映画の製作過程を描いたアクション・コメディー。麻薬中毒の主人公のひとりが
攻撃対象の麻薬工場に行ったら何をするかわからないと不安になる。そこで、まだ正気を
保っている時に共演者たちに自分が禁断症状を克服するまで木に縛り付け、何を言っても
解放しないでほしいと頼むシーンがある(チャプター17-18)。このシーンから「ユリシー
ズ契約」について考察することができる。
「ユリシーズ契約」は事前同意や事前の治療許可
であり、冷静な時の治療を受けるという個人の意向を、その後正気を失って当該治療を拒
否する場合でも、その人の「真の自己決定」尊重を根拠に実施するという約束 である。本
概念の意義や問題点を含めて議論する。
メル・ブルックス監督『珍説世界の歴史パート 1』
(1981 年、米国):歴史上有名なエピ
ソードをオムニバス形式で描く作品である。第 3 話ではブルックスがモーゼに扮してシナ
イ山に登り受戒するシーンが、セシル・B・デミル監督『十戒』(1956 年、米国)のパロ
ディーとして描かれる(チャプター3)。本作品ではモーゼが受け取った戒律の石版は二枚
ではなく三枚で、ユダヤの民に石板を示す段になって一枚落としてしまい十五戒が十戒に
なってしまったというジョークとなっている。このクリップからは、道徳の根拠とは何な
のかを「神の命令説」に言及しながら検討でき、同時に残りの 5 つの戒律は何だったのか、
道徳観は内発的か否かなど、メタ倫理の領域の問題まで考察を広げることができる。
スティーヴ・ベンデラック監督『Mr.ビーン
カンヌで大迷惑!?』
(2007 年、英仏独):
英国コメディアンのビーン氏が主人公の作品。英国人ビーン氏がくじでカンヌ一週間の旅
にあたり、初めて異国フランスを旅する物語である。主人公がフランスのレストランに入
り、言葉が理解できないために、全く食べたこともない生ガキとエビの大皿を注文してし
まい途方にくれる場面を提示する(チャプター4)。学生は食文化の差異を切り口に、文化
と倫理の問題を考え、論じることができるだろう。
52
ナチス関連映画と倫理問題
ナチスが描かれた映画を取り上げ、作品から読み取ることができる倫理に関わる問題を
論じるセッションは二回にわたって行われる。第一日の 90 分ではマーク・ハーマン監督『縞
模様パジャマの少年』(2008 年、英米合作)を全編鑑賞する。二日目の冒頭に作品を観て
学生らが認識した倫理・社会・法等の問題を発表させる。議論のポイントとしては、教育
の効果と怖さ、人間存在とユニフォーム、友情と裏切り、ドイツ国民の感情、子供の純情
さと成長によって失われるものなどが含まれるであろう。続いてアラン・レネ監督『夜と
霧』(1955 年、フランス)全編を鑑賞する。本作品はナチス・ドイツが崩壊した 10 年後
に製作された全 32 分のドキュメンタリーであり、学生らは「現実」を観ることができる。
その後、気分転換も兼ねて、チャールズ・チャップリン監督『独裁者』(1940 年、米国)
の歴史に残る演説場面(チャプター7)、スーザン・ストローマン監督『ザ・プロデューサ
ーズ』(2007 年、米)のミュージカル・ナンバー『ヒトラーの春とドイツ』(チャプター
15)を提示する。長きにわたるナチスの人間社会への影響を実感することができよう。
他にもナチスを扱った、またはその時代を舞台にした作品はたくさんあり、様々な倫理
に関わる問題を考えるきっかけを与えてくれるので、学生に紹介する価値があるだろう。
たとえばスタンリー・クレイマー監督『ニュールンベルグ裁判』(1961 年、米)とスティ
ーヴン・ダルトリー監督『愛を読むひと』(2008 年、アメリカ・ドイツ)では法と倫理の
違いや個人の責任と時代の責任、 ルキノ・ヴィスコンティ監督『地獄に堕ちた勇者たち』
(1969 年、イタリア、スイス、西ドイツ)では優生思想と焚書、ステファン・ルツォヴィ
ッキー監督『ヒトラーの贋札』
(2006 年、独・オーストリア)では人生の尊厳が描かれる。
またアラン・J・パラク監督『ソフィーの選択』(1983 年、米国)では究極のジレンマに
おいて選択せざるを得なかった女性の人生が、クエンティン・タランティーノ監督『イン
グルリアス・バスターズ』(2010 年、米国)では着脱できる制服と決して消えない刻印が
取り上げられていた。
4
実施上の留意点と問題点に関する考察
ここまで、映画を用いた生命倫理教育を開始した理由、「映画を通して考える生命倫理」
コースの構成、内容、実践例を報告した。3 年間の経験、生命倫理教育の在り方に関する
見解、作品選択における問題点などを踏まえて、映画作品を用いた生命倫理教育に関する
留意点と問題点に関する考察を行う。
第一に、作品の全体性や芸術性を損ねない配慮が必要である。 現実的には困難だが、可
能なら粗筋の説明と予告編提示だけで済ませたい。映画は最初から最後まで中断なく集中
して最善の環境で鑑賞できるのがベストだと考えているので、一部分だけを提示するのは
本来的には好ましくないであろう。しかし時間的制約と教育目標(映画鑑賞が一義的な目
的ではない)を鑑みて、現在のスタイルになった。4 時間くらいの時間を取り、作品鑑賞
に 2 時間、学習者間の話し合い 1 時間、全体討議とまとめで 1 時間という構成が理想的で
あろう。
第二に、いわゆる「ネタばれ」は避け、これから「いいところ」というところで終わる
53
のが好ましい。作品そのものに学習者が興味を持ち、自ら作品全体を積極的に鑑賞するこ
とを推奨・促進するべきだろう。
第三に、上記の作品選択の基本方針のところでも述べたが、言語、文化、製作国が偏ら
ない意識的配慮が必要である。ロードショー公開される映画で米国作品が占める割合は非
常に高く、DVD 入手も比較的容易なため、授業で取り上げたり言及したりする機会がどう
しても多くなる傾向にある。文化、歴史、社会、宗教などの観点から映画を評論した著作
などに精通し、意識的に多様な作品を取り入れる必要がある[13-18]。教育者の感性は限
られているため、学習者から作品を募るのもひとつの手である。常に新しい作品を付け加
える努力が必要であろう。
第四に教育者の個人的な嗜好で一方的な作品批判をしないよう心掛ける必要がある。個
人的によいと思う作品は強く推奨し、必ずしも作品としての質がよくないものに関しては
沈黙を守ればよい。決して教室内で映画をけなしてはならないし、推奨できる側面がない
作品はそもそも取り上げるべきではないだろう。映画批評の時間ではないことを忘れない
ようにする必要がある。
第五に学習者の心理状態に留意し退席の自由を確保すべきである。そのために描写前に
どのような場面が含まれるのかを必要に応じて説明 する必要がある。暴力的なシーンや性
的描写が含まれる作品は極力避けるべきであろう。 たとえばスタンリー・キューブック監
督の『時計仕掛けのオレンジ』(1971 年、米国)は道徳的判断の本質を深く考えさせる傑
作だが暴力とセックスのシーンが多く含まれるため、取り上げていない。また テリー・ジ
ョーンズ監督の『モンティ・パイソンのライフ・オブ・ブライアン』(1979 年、英国)は
人間と信仰と宗教を深く考察させる名作コメディーだが 、一部の人には極めて不快な作品
になり得るため紹介はしていない。
第六に作品の倫理的方向性のバランスに配慮する必要があるだろう。作品の選択の段階
で、教育者の倫理観や思想に基づいて、一定の考え方に偏ったラインアップを作成する危
険性がある。たとえば自発的安楽死を 30 年以上望み続けた男性を描いたアレハンドロ・
アメナーバル監督の『海を飛ぶ夢』(2004 年、スペイン・フランス)を提示した時には、
同様の状態で 20 万回の瞬きで本を出版したジュリアン・シュナーベル監督の『潜水服は
蝶の夢をみる』
(2007 年フランス=米国)に必ず言及・紹介するようにしている。
『海を飛
ぶ夢』は安楽死の賛否両論を極めてバランスよく取り上げた傑作だが、
「自分を憐れむのは
やめた」と決然と執筆のために生きた人の姿を続けて垣間見ることも、学習者が自分で倫
理的問題を深く考察する上では重要であろう。
最後に本教育方法の評価に関して述べる。生命倫理教育には多くの疑問が存在する。い
つ、どこで、誰に、何を、何を目的に、どのように教育すべきか。いかに学習者を評価し、
どのようなアウトカムを測定することで教育効果を判定すべきなのか。 生命倫理教育の最
終的な目的をいかに設定するかには議論の余地があるが、その達成度および教育効果をい
かに評価するかも難しい問題である[5]。筆者らは、参加している学生が一本の映画なり
映画の一シーンを観て心うごかされ、作品から提示される問題を自然に考える瞬間を与え
られれば本コースの目的は達成されたと考える。各セッションで投げかけられた疑問を学
生がどこまで自発的に考えるのか、いつまで彼らの心に残るのか。それは神 のみぞ知るで
54
あり、教育者としては、いつもまで心に残って彼らの倫理的思考や態度、振る舞いやあり
ように何らかのインパクトがあってほしいと望むことしかできない。したがって本コース
が教育手法として意味があったのか否かは、無責任なようだが歴史が判断すると思ってい
る。
5
おわりに:質の高い教育の基礎になる学術的研究の必要性
海外では、映画を題材にしたカウンセリング、看護、心理学などの教育が行われ論文が
発表され、映画に描かれた医療者・医療像を社会学的に分析した書籍も出版されている[19]。
自分が教育している学問領域に関して研究や執筆をしない教育者は講演者としては魅力的
かもしれないが、新しい知識や情報が欠如した無反省な自説を垂れ流す質の低い教育者に
なる危険がある。研究活動によって教育者の知識は増え思考が深まり、自分が今まで教育
的立場から行ってきたこと、語ってきたことを反省することができる。 したがって常に教
育者にとっても学習者にとっても新鮮でアップデートされた内容を維持した教育コースを
行うためには、映画を題材にした生命倫理または医療倫理領域の学術的研究とその成果発
表が必須だと考える。筆者らは今まで、豊田四郎監督『恍惚の人』(1973 年、日本)と堤
幸彦監督『明日の記憶』(2006 年、日本)を中心に認知症を主題にした映画作品を生命倫
理学的観点から分析した論文と、滝田洋二郎監督『おくりびと』(2008 年、日本)を材に
取り現代日本人の死生観と身体観・遺体観を文化人類学的視座から論じた論文を作成し 、
医療人文学(medical humanities)関連の国際雑誌に発表している[1,20]。興味のある
方は是非読んでいただきたい。
現在は映画を対象にした「医療人文学」論文第三弾として、長澤雅彦監督『13 階段』
(2005
年、日本)と門井肇監督『休暇』(2007 年、日本)を対象にした「死刑存置国日本におけ
る死刑関連映画に関する考察」を執筆中である(平成 22 年 7 月現在)。二つの作品の共通
点と相違点に言及しつつ、殺すことのインパクト、超極秘事項としての死刑、死刑執行参
加志願の 3 つを中心に論じる。他に論じるに値する死刑関連映画の諸例を表 3 に挙げる。
今後も教育内容を深化させるために映画を生命倫理学関連領域分野の観点から学術的に論
じる研究を継続していく予定である。
最後に医療人文学を、物語医療、医学・医療の歴史、文化研究、科学技術研究、医療人
類学、倫理学、経済学、哲学、そして芸術‐文学、映画、ヴィジュアル・アートなど を含
む総合分野[21]と捉えれば、筆者らの教育研究活動も同分野に包含されるかもしれない。
または医療人文学と生命倫理の両方にまたがる活動になるとも考えられる。 生命倫理学と
医療人文学両者の関係はそれぞれをいかに定義するかによって変わるが、その検討は本論
の範囲を超える。いずれにしろ、学際的に、患者とその家族、医療専門職、社会に疾患と
病が与える深刻な影響を理解し、結果的に困難な状況でより良い、またはより人道的な決
定を下すことをために、映画を通した生命倫理と医療、そして人間を考える活動を続けて
いきたい。しかしもちろん教育の課程で登場するすべての「教材」―映画作品―それら自
体を鑑賞することも大切な目的であることを忘れないようにしたい。ピーター・ウェアー
監督『いまを生きる』(1989 年、米。脚本トム・シュルマン)では次のように述べられて
55
いる。
“And medicine, law, business, engineering… These are noble pursuits and necessary
to sustain life. But poetry, beauty, romance, love…These are what we stay alive for.”
[22]
医療に携わりながら映画を愛する筆者らも大いに共感する。すぐれた映画作品は詩、美、
ロマンス、愛のすべてを与えてくれる。
〈参考文献〉
1
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dementia as depicted in Japanese film. Medical Humanities 2009;35:39–42.
2
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医学書院、2009 年、157-161.
3
浅井篤「映画を通して考える生命倫理」、
『道標』
(人間学研究会)、2008 年冬(23 号):
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4
浅井篤編著『シネマの中の人間と医療‐エシックス・シアターへの招待』、医療文化社、
2006 年
5
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6
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2004.
10
浅井篤「映画から読み解く生と死」、『緩和ケア』、2009;19:233-6,11
11
浅井篤「シネマ解題
映画は楽しい考える糧」(連載コラム)、『医学書院雑誌 JIM』、
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12
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13
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14
丹波正史『映画でみる子供の権利』、愛知人権ネット、2004 年
15
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16
橋本勝『映画 20 世紀館』、花伝社、2008 年
17
井上順孝編『映画で学ぶ現代宗教』、弘文堂、2009 年
18
カルチュラル・スタディーズ』、大修館書店、2006 年
飯田道子『ナチスと映画
新書、2008 年
ヒトラーとナチスはどう描かれてきたか』、中公
56
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Wallflower, London, 2005.
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2010:36;31-35.
21
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URL: http://medicalhumanities.ucsf.edu/overview.aspx
22
ピーター・ウェアー監督『いまを生きる』(1989 年、米)より
表1
H21 年度前期(「映画を通して考える生命倫理Ⅰ」)のテーマと主な作品
第一回
「映画を通して考える生命倫理」総論:スパイク・リー監督『アメリカのイエス
の子ら』(『それでも生きる子供たちへ』の一作、2005 年、イタリア・フランス)、フラ
ンク・オズ監督『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』(1986 年、米国)
第二回
人工妊娠中絶:ラッセ・ハルストレム監督『サイダーハウス・ルール』
(2000 年、
米国)、マイク・リー監督『ヴェラ・ドレイク』
(2004 年、フランス、イギリス、ニュー
ジーランド)
第三回
人生に対する疾患のインパクト:小泉堯史監督『阿弥陀堂だより』(2002 年、日
本)、ピーター・ネス監督『モーツアルトとくじら』(2004 年、米国)
第四回
自己責任と責任の範囲:モーガン・スパーロック監督『スーパーサイズ・ミー』
(2004 年、米国)、アンドリュー・ニコル監督『ロード・オブ・ウォー』( 2005 年、米
国)
第五回
「ミュージカル・ソングから学ぶ生命倫理」
:ノーマン・ジェイソン監督『屋根の
上のバイオリン弾き』
(1971 年、米国)、ラディスオラ・バホダ監督『汚れなき悪戯』
(1955
年、スペイン)
第六回
脳死と臓器移植:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督『21 グラム』
( 2003
年、米国)、ペドロ・アルモドバル監督『オール・アバウト・マイ・マザー』(1999 年、
スペイン)
第七回
信頼と不信(ルネ・クレール監督『そして誰もいなくなった』(1945 年、米国)、
ジョン・カーペンター監督『遊星からの物体 X』(1982 年、米国)
第八回
高度先進医療:ケネス・ブラナー監督『フランケンシュタイン』
(1994 年、米国)、
ダーレン・アロノフスキー監督『ファウンテン』(2006 年、米国)
第九回
親の子に対する期待(生殖補助医療)
:ニキ・カーロ監督『クジラの島の少女』
(2003
年、ニュージーランド)、アンドリュー・ニコル監督『ガタカ 』(1997 年、米国)
第十回
インフォームド・コンセントとプライバシー:パオロ&ヴィットリオ・タヴィア
ーニ監督『カオス・シチリア物語・第二話「月の病」』(1984 年、イタリア)、フロリア
ン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督『善き人のためのソナタ 』(2006 年、ドイ
ツ)
第十一回
真実告知:堤幸彦監督『明日の記憶』
(2006 年、日本)、ヴォルフガング・ベッ
カー監督『グッバイ・レーニン』(2003 年、ドイツ)
57
第十二回
医学研究:熊井啓監督『海と毒薬』(1986 年、日本)、ベニー・マーシャル
監督『レナードの朝』(1990 年、米国)
第十三回
表2
日本人の死生観:滝田洋二郎監督『おくりびと』(2008 年、日本)
H21 年度後期(「映画を通して考える生命倫理Ⅱ」)のテーマと主な作品
第一回
公衆衛生と人権(作品は本文中)
第二・三回
第四回
野村芳太郎監督『砂の器』(1974 年、日本) 鑑賞
死刑制度:ティム・ロビンス監督『デッドマン・ウォーキング』
(1995 年、米国)、
マヌエル・ウエルガ監督『サルバドールの朝』(2006 年、スペイン)
第五・六回
第七回
ニキータ・ミハルコフ監督『十二人の怒れる男』(2007 年、ロシア)鑑賞
安楽死:アレハンドロ・アメナーバル監督『海を飛ぶ夢』(2004 年、スペイン・
フランス)、佐々部清監督『半落ち』(2004 年、日本)
第八回
医療専門職のプロフェッショナリズム(作品は本文中)
第九回
医療政策と医療資源の適切な配分:瀬々敬久監督『感染列島』(2009 年、日本)、
ニック・カサヴェティス監督『ジョン Q』(2002 年、米国)
第十回
人のクローンニング:フランクリン・J・シャフナー監督『ブラジルから来た少
年』(1978 年、イギリス)、ニック・ハム監督『アダム』(2004 年、米国)
第十一回
パターナリズム:フィリップ・ノイス監督『裸足の 1500 マイル』(2002 年、
オーストラリア)、スコット・ヒックス監督『シャイン』(1996 年、オーストラリア)
第十二回
コメディー映画を通して考える生命倫理(作品は 本文中)
第十三回
性同一性障害と同性愛:ケイト・ディビス監督『ロバート・イーズ』
(2001 年、
米国)、ガス・ヴァン・サント監督『ミルク』(2008 年、米国)
第十四回
精神科医療・認知症:豊田四郎監督『恍惚の人』
(1973 年、日本)、松井久子監
督『折り梅』(2004 年、日本)
表3
死刑を取り上げている映画作品と主要テーマ(年代順)
大島渚監督『絞死刑』(1968 年、日本):人種差別、社会の責任、死刑執行の風刺
ティム・ロビンス監督・脚本『デッドマン・ウォーキング』
(1995 年、米国):死刑関連の
すべての問題が極めてバランスよく取り上げられているクラシック
アラン・パーカー監督『ライフ・オブ・デヴィッド・ゲイル』
( 2002 年、米国):死刑反対
運動、騙される捜査陣、冤罪
ニック・ブルームフィールド監督『アイリーン』
(2003 年、英国)
:精神異常を疑われる患
者の死刑執行および生い立ちの影響を描いたドキュメンタリー
長澤雅彦監督『13 階段』(2005 年、日本):冤罪晴らしとタイムリミットがある状況での
真犯人探し。主人公刑務官の苦悩、死刑囚寺田の更正と「償い」、人の命の重み
マヌエル・ウエルガ監督『サルヴァトールの朝』
(2006 年、スペイン)
:軍事政権下の不当
な裁判手続きと死刑制度の政治的悪用
門井肇監督『休暇』
(2007 年、日本)
:死刑囚を収容する拘置所で働く刑務官と死刑確定囚
の日常生活と交流、死刑執行担当志願の是非
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