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現代における租税の意義について-租税法律主義の歴史的考察を中心

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現代における租税の意義について-租税法律主義の歴史的考察を中心
現代における粗税の意義について
−租税法律主義の歴史的考察を中心としてー
下 :村
芳
入組税許雛詰鮎︶
夫
は
目
現代における租税の意義について
に
三
め
五
じ
ス
五
リ
租税法律主義の歴史的考察
ギ
五
イ
H マグナカルタの意義
七
1
田 植利の請願から名誉革命へ
カ
九
九
リ
植民地自治と重商主撃⋮∴
〓
メ
日
抑圧立法と独立への道程
ア
田
三
一四
ス
アンシャンレジームとその崩壊
;
lフ ン
H
革命と人権宣言
フ
⇔
2
1
福祉国家と租税の本質
租税法律主義の現代的意義
私有財産権の修正変化と生存権
近世市民社会と租税法律主義
一九
一八
︼八
3
租税法律主義の現代的意義
4
び
福祉国家と納税の義務
す
5
3
2
二
む
ノ ̄\.匡勾 t・一一
は
︵注1︶
じ
め.に
租税とは何か、またなにゆえに訂民は租税を負担するのかという租税の隠念をめぐる議論は、元来歴史的発展の所産
︵注2︶
である。特に、なにゆえに国家は租瓢を徴収するのか、また、なにゆえに国民は納税の義務を負うのか、という租税の
本質︵租税の根拠︶を明らかにするためには、国家権力と私有財産権との歴史的な関係を尭明しなければならない。す
なわち、資本的生産方法を基調とする私有財産権と、ン国家による強制徴収として国民に課きれる租税とは、本来相矛盾
︵注3︶
するものヒ観念され∵租税の本質打開する議論は∵こめ両者の矛盾をいか忙調停するかという調和論の形で発展してき
たものであり、・をれ隼▲そ阻時代町封ける社会的経済的管見属を扱きにして考えることは不可静である。と同時幣国家
っている。
.
と私有財産放とをいかに調和きせるかという問題は、志豪の本質や任務をいかに考えるかといヶことと密接な関係をも
︵注4︶
国家と私有財産権とめ矛盾ないし対立を、∴はじめて明確に認識したのは三ハー上長世紀め絶対王政の末期、
発展によっ∵て社会的進出をなした市民階級によってであった。.貨幣資本の拍頭と資本的生産方法の採風紀より資本蓄積
をなした市民階級は、専制君主軋よっで代表される国象由課税権に抵抗し、↓代象なげれば課税なし﹂の∵いわゆる租
税法律主義の原則を旗、印にして闘争したが、∴租税法律主琴の原則は、国家と私有財産権との矛盾をいかに調和させるか
に関する憲政上の二人つめ重要な原則であったといえる。
そめ意味で、租税法律主義の意義は一般的疫は、︰国民中食担する租税は、国民の総意の代表である国会の定める法律
主
によるべきである、というまうに理解されている。そして、その要求ほ、近代憲法における主要なテーマであったt、
現代における租税め意義にづいて
現代における租税の意義にづいて
四
租税法律主義の歴史的考察は主としてこの面からの検討がなされねぼならない。と同時に租税法律主義の原則は、ノその
時代虹おける社会思想ないし国家観を背景としてはじめてその存立の基礎を与えられる。租税法律主義のよって立つ社
会思想ないし国家観を、ゝ本稿では﹁理念としての租税法律主義﹂と呼ぶならば、近世市民社会によって成立をみた租税
﹁代表なければ課税なし﹂′という主として憲政上の意味と、憲政上の要求を支える社会思
法律主義の理念と、現代におけるそれとは必然的に相違するものであることは容易に理解しうるところである。このよ
ぅに租税法律主義の原則は︵
想ないし国家観、換言すれぼ、理念としでの租税法律主義という両面の痛として理解きれねばならない。
ぞこで本稿では、まず第一に租税法待主義の歴史的考察を行ない、中世封建社会から近世市民社会への成立過程にお
いて、一租税潜律主義が国家権力と私有財産とを調和させる憲政上の原則としてどのように考えられたかを、近世市民社
会形成の先駆となったイギリス、アメリガ、フランスについてみることにする。ゴの歴史的経緯をみるについては、主
として憲政又との関連が中心となるが、㌧租税法律主最もまた社会的諸現象を抜きにして論述することは不可能であり、
そ望息味で、、本稿では必要な範囲での社会的経済的諸現象を考え合わせてのべることにした。
租税法律主義の歴史的意義を考案したのち、近世市民社会によって成立をみた租税法律主爵の原則がいかなる社会思
想な ノ い し 国 家 観 を 背 景 と し て 主 張 さ れ 、 そ の
して認職掌ゎたかについて述べてみることとする。租税法律主義がよっ七たつ社会思想ないし国家観は、い・わば租税法
律主義の理念ヒでもいうべきものであるが、それは、税法の定立過程においても、また税法解釈および適用に際して
も、常に遷調とすべき最高原則の一つであるといえよう。
次いで、近世市民社会における租税法律主義の理念が、その後の社会経済の変動によりどのように変化せざるを得な
かったか、換言すれば∵租税法律主義のもつ現代的意義をそれがよって立つ社会理念ないし思想の面から考察し、理念
上しての租税法律主義が有する現代的意義かちみて、由税の森質とは何か、また国民の納税の義務はどう解釈されるべ
きか檻つ.いて考察してみることとする▼。
なお、本稿ではハ現代における狙税の意義を考察するために租税法律主義の理念を中心としてとサあげたのである
が、租瀧億傭主義せめでる諸問題紅ほ、尭おこ迩はかに∵祝儀の解釈および適用にあたづ、租税法律主義裾い一か篭る機
儲を有す渇かという問題がある。その問題腰濃への電賓な指凛の一つが、租税法律主義の選念にあることほ前述したと
︵注1︶ 田中二郎租税法
〃
三頁
八三頁
八二貢
第八巻﹁市民と租税﹂金子宏
〝
︵注2︶ 島恭彦、財政学概論
︵注3︶
︵注4︶ 現代法
リ
ス
一、租税法律主義の歴史的考察
ギ
マグナカルタの意義
イ
三一二貢
おりであるが、その問題については、引続き研究のうえ報告する予定である。
1
H
イギリスにおける租税法律主義の理念は、議会による国王権力の制約を通して実現されたといえる。マタチ・カ.ル女
︵MagnpCarta−−N㌫梯︶ぬ議会による国王権力の最初の成果として表われたものである。しかしながら、マグナカル
現代における租税の意義について
五
現代における租税の意義について
六
タカ基本的性格は、料建制の立場からみてあまりにも強すぎた国王の絶対権を封建制の形式通狂に制限するという意味
を有していたのであり、このことは、国王にこれを強制した諸侯が或力ある騎士の階級のもの、であったことからも伺い
︵注5︶
︵注6︶
知誉﹂とができよう。国王の絶対権を封建制の形式通りに制限するという機能を有するマグナカルタの第十二条には、
︵注7︶
︵注8︶
﹁一切の楯金︵Sc已age︶、もしくは援助金︵已d︶は、朕の王国の一般評議会によるのでなければ朕の王国においてはこ
れを課さない﹂として満会欄租税協讃聴を
しかし、ごの条項が哀して近代的な租税法律主義の理念を表わしているかどうかについては疑問があろう。何故な
ら、マグナカルタにいう国王の課税権は封建制度の慣習によって認められてきた国王の課税権である。従ってこの条項
は国王の課税権を封建法あせまい限界内にとじごめる反動的な意図をもっていると考えられるからである。第二に、議
会の同意を要する課税というのも多くは国王が封建領主としての資格で徴収するものであり、この条件は単純な封建契
約竺例にサぜずJ瀧して遣代的な租税協讃を意味していたのではない。第三に、議会の構成員についてみても、決し
て国民の代表者七徹すベせものではなく、単常封建貴族のせまいグループの代表者にすぎなかったことがあげられる。
こ㌧れらの理由からマグナカルタ甘みちれる議会昭租凝協讃権をもつて直ち妃近代的租税法律主義を表象しているものと
は簡声できない。マグナカルタは∵まぜに封建制▼の産物なのであり、それ故に、.マグナカルタそのものを過大評価する
こ七はできない。。むしろそめ意義は歴史的にみて、マグチカルタにみうけられる乱税恩憑のうちに近代の粗野法律主義
の萌芽が認められるところにある。その思想的蘭芽とは、議会︵その構成員が封建制度の担い手であったことは上に述
べたとおりであるが︶にょる国王権力の制約、ないし規制の方法にみることができる。換言すれば、人民の権利︵特に
財産権︶妄国家から守る方法をその後の立憲史上において与えたことにある。そうであればこそマグナカルタはイギリ
ス立藩政治の賞典とも考えられ、義金の租税協讃梅を確認する場合に常軋引き合いに出されるのであるα後代の人々に
と︵一て、マグナカルタはイギリス人の自由の憲章となるが、塵史的にみる限りでは、絶対王制の発達した≠ユードル王
朝︵二血∼一六世紀︶のもとで▼は忘れ去られ、一七世紀専制主義七議会主義とが対立するにおよんや王権神授詞忙対
抗す る 武 器 と し て 登 場 す る 。
︵注5︶楯金とは、戦争のために必要が生じた場合、君主がその臣下である領主に命じて鏡主が軍役に従う代りに献金させたもの。封
建制度ほ、君主の土地下封と掩護に対して、臣下が忠勤の義務と軍役奉仕を約することによって成立するものであ
し、君主が軍役を免除し、その代償として貨幣上の義務を課し美ことは、君主と臣下の間に結ばれた人格的関係を
と
眉○頁
のがあるが、これは家臣のものが封土を相続する時に納めるもの。
︵注6︶援助金とは、臣下の長子が騎士になを時や、その娘が嫁するときに出す御用金。なお▲、この他に、リリーフ︵邑ief︶という
︵注7︶ 宮沢俊義他編、人権宣言集
︵注且
肖=旛利の請願かむ名書革命へJ
現代における租税の意義について
七
願﹂︵PettiOnOf空g富︶は、その根底に市民階級の拾頭という事実が存したのである。﹁権利の請願﹂は、マグナカ
への転化を一段と強め、封建諸侯に代って市民階級の社会的進出をあたらすこJナとなった。±ハ二八年の﹁権利の請
ての羊毛工業の発展とエンクロージャト︵e邑02r凸等にみる経済的変化は、ン商業資本の拾頭と。封建的身分の貨酪
の時期には、国王権力の絶対化に伴ない、議会もその機能を停滞せしあられることとなった。しかし二六世紀を通じ
イギリス社会の中央集纏化は、一五世紀末期から二ハ世紀にかけておし進められ、絶対王制の撃岩見るに至る。こ
】
現代における租税の意義について
八
ルタ以来絶対王制転よって失なわれた議会の権利の回復老、直接的には、由王の課税権に対する議会の協讃権を通して
﹁権利↑の請願﹂にと.って、最も重要な要求として競走されているのである。当時
要求したものである。従∨つて、﹁国会制定法による一般的同意なしには﹂国民はいかなる租税を材負担tない、という
議会の租税協讃権を確立することはい
の経済社会.の進展により、商業資本と貨幣轟済を背景として富を蓄積しっつあった市民階級からすれは、︼国王の課税権
は∵その活動と富の形成に対する侵害であったが故に∵極力これを制肘せんとして働きかけたのである。マグナカルタ
もぎた国王権力の制限として機能したが。その担い手が中世封建諸侯であったのに対し、﹁権利の請願﹂は近代市民革
︵注9︶
命の推進者であった市民階級であった点にその近代性を見出すことができよう。しかしまた、マグナカルタも﹁権利の
請願﹂∵む、と五ぬ人民と国王との対立はこれによって解決されなかった点で共通点を有している。
﹁権利の請願﹂によって、人民はいったん叢会の租税協層権を手中にしたが、真に議会主義の確立をみるには、その
後も議会無視の暴挙に出た国王権力に対抗する人民の抗争を経て、名誉革命に至る一ノ連の歴史的事件をふまなけれはな
︵Dec−胃賢iOnOfRighr∽︶
を承認さ
らなかった。義会主義と眉制主義との対立は、一六四二年の内乱勃発にまで発展してゆくが、一六八八年の名誉革命に
よる議会主窟の堕止に★ってようやくその蕃結せみるに至る町であ告
︵注10︶
︵茫−−Of巴gts︶として制定した。その定める全十三ケ条は、民権の
議会は、プアゥ1とウイリアムが即位する際、議会が決定した﹁権利の青書こ
せ↓革命の翌年、即ち一六八九年に﹁権利章典﹂
尊豆と国王に対する議会の地位確保を根本精神とするものである。すなわち、国王といえどむ議会の定める法聖文配さ
れる▲べきことを明らかにし、法の優位ないし法の支配を確立した。租税についても、この根本精神をふえんし、﹁大権
に名を障り、国会の承認なしに﹂長い期間、または異なった方法で国王のために金銭を徴収す各ことは違法であると明
記している。
この権利章典で主張され、要求されている権利および自由は、﹁その一つ一つが全部、わが国の人民の真正で、古来
から伝えられ、疑う余地のない権利および自由であり﹂、マグナカルタ以来権利の請取を経て確立された王権に対する
抵抗の成果であった。名誉革命以後、議会はいかなる法をも制定し、廃止する権能をもつようになり、議会主義の主張
はここに実を結ぶことととなる。その意味で、マグナカルタ、﹁権利の請願﹂における租税法得主義が、国王権力を前
提とし、議会はそれに対する租税について単に協讃する機能しか有していなかったのに対し。﹁権利茸典﹂のそれは、︰
議会自らが租税を定立するという積極的意義をもつものであり、近代市民社会における租税法得主義はここにその真の
メ
リ
近代自然法思想と租税の翠鱒一〇六頁
カ
植民地自治と重商主義
ア
︵注10︶ 大淵利男
︵注9︶ 今井登志菩、英国社会史、二一九頁
碇立をみたのである。
2
H
アメリカ新大陸への移住は大別して宗教上および経済上の動機から行なわれたものであるが、移住民はすでに長い間
イギリス本国における自治と代議制の訓練をつんでいた。それ故に、アメリカにおける植民地自治は、その移住の当初
から発達したのであるが、イギリス本国における植民地政策もまた植民地自治を発達せしめる一つの大きな原因となっ
︵撞11︶
た。すなわち植民地の財政費は植民地での収入で賄うべきだとする本国の植民地財政自弁政策は、アメリカにおける政
九
治的自治を実質的に保障することとなる。植民地議会ほ主として総督以下の俸潜をも含む予算に対する協讃権、課税に
現代における租税の意義について
現代における租税の意義について
︵注12︶
一〇
対する承認の権によって総督を牽制し、民衆の要請の主張に実効をおさめてきた。さらに、その財政協讃権を楯忙し
て、植民地に対するイギリス国王の大陸に挑戦t、これを次第に減少せしめていったのである9特に下院は、植民地の
財政膨脹からくるところのたび重なる協讃権を通して飛躍的にその権威を増大し、その籍果一七六〇年代には、イギリ
ス国王がいかに総督に命令しても総督は代議院の支援のないかぎり何事をもなしえない状態にあった。従って、植民地
︵注13︶ 見合う収入をあげるための税を植民地議会が認めるか否かにかかっていたのである。
での本国の施策の実施は、植民地議会がそのための予算を可決するか否か、裏をかえせば、本国の施策に要する支出に
しかしながら、﹁国縫と国富との同時形成﹂を本質とする重商主義政策は、植民地産業を独占的濫支配し、本国の利
益を図ることをその究極の目標とする。イギリス本国よりみれは、植民地の存在も単に自給自足を目指すイギリス商業
帝国の凝済的補助桟閑たる役目を有効に果しうるためのものであると考えられていた。従って、植民地の交易は本国が
独占し、本国の商人が利益を収むべきものであったし、植民地の産業も本国産業と利益の衝突を来さぬものに限られる
べき で あ っ た 。
このような重商主義政策ほ、必然的に植民地に対する規制の強化となってあらわれてくる。その規制の強化ほ、第一
に航海に、琴一に植民地の輸出入貿易に、撃二ほ植民地産業に関係して表面化してくる。一六至年から二ハ七三年以
降に数次にわたって出された航海条例および一七三三年の糖蜜法にみる統制法親ほその代表的なものである。ことに糖
密法は、フランス領酉印度諸島上の貿易に対し禁止的な税を課したものであり、植民地人に脅威を与えた。このような
植民地政策は、その実効をあげえず、従って植民地人の利益を実質的には侵さなかったが、自治を尊び、次第にアメリ
カ人としての自主的意識をもつにいたった植民地人の精神を刺激せずにはおかなかった。
︵性11︶ 植民地の統治磯措は、英国王の勅使又は領主から任命された総督︵G雫em。r︶、および参議会︵曾u鼠−︶七、一恵の財産資格
を有する自由民によって公選された下院︵A∽托nb−y又はHO亡SeO鴫COmmOn︶により樟成されていた。
︵注望 アメリカ学会、原典ア
抑圧立法と独立への道程
︵注13︶ 田中英夫、アメリカ法の歴史、一入貢
⇔
上述したように植民地議会、ととに下院の権威の漁夫の理由は植民地議会が財政権をは擾していたことであった。そ
こで国王梅力の植民地に対する独立隊保と、フランスとの七年戦争、︵一七五六∼一七六三年︶の結果拡大した大陸の警
備保障のため本国軍隊の植民地常駐阻要する経費捻乱の必要から、イギリス本国は植民地に対する国会課税を際定し
た。一七六四年の砂糖法および一七六五年の印紙税法がそれである。
︵注14︶
民地自治の、・従?て自頑の礎石であると信じていた植民地人は課税負担そのものよりも、植民地人の課税協讃権を無視
したイギリス国会による直接課税といを課税方法払おそれをなしたのである。しかし、、﹁代表なけれぼ課税なし﹂とい
うスローガンも実際にそれが容れられること自体を真剣に目指していたものとは思われない一。.なぜなら、もし本当に本
国の国会に代表が出せたとしても植民地の代表は少数で結局は放れてしまうからであり∴これは植民地側でも十分に認
らない旨を主張しているのである。′つまり、そこ紅は単なる本国に対する喪税の協讃をこえて、、本国からの自立という
︵注15︶
識されていた。彼等は↓代表なけれぼ課税なし﹂の慮理から1植民地に乱す各課税は植民地議会によっでなきれねばな
√
政治上の独立が主張審れてい畠とみ各ことができよう。
一一
これら一連の本国の抑圧的政策に対し↓植民地側は協力態勢を撃えて反本国抗争に立ち上うたバその最初の成果は丁
現代における租税の意義について
現代における租税の意義について
︵注16︶
一二
七六五年五月三十日に出されたヴアジゴア決議であっ1た。こ吟決議を全植民地の公けの抗議に患で組織するきっかけを
与えたのが同年十月の印紙税法会議である。
上記の商法は﹀その反対に会いまもなく廃止ぎれたが、蔓一一口法︵一七大六年︶、タウンゼソト諸法〓七六七年︶、さらに
独立革命町口火となっ▲た茶法︵一七七三年︶と懲罰法華去国の植民嘩に対する威圧は出藍るこ.とがなかった。これに
対しで植民地胤はいよいよその協力敵勢を固め反英抗争町立ち上った。一七七四年の第﹂回大陸会議は画期的な意義を
もつ。、第一回大陸会議望且言及び決議第四項は、植民地払おいてイギリス国会の植民地立法を全面的に否定してしま∵つ
たのであるヂ㌧植民地側は、太国に対する法的隷属の地位を揚棄しないかぎひ瀾民地自治を完全に守ることのできないこ
︵注17︶ と猷確認したのである。∵
もほやイギリス本国は武力によっそ植民地を屈服させを以外に植民地を隷属の地位軋とどめおくことができないと考
え、とノこ軋イ誤㌢ス本国の武力によを弾圧と、これ軋対する植民地の武力抵抗が始まる。土の武力闘争は最初から植民
︵注18︶
地の独立を目指して行なわれたもめではな▲㌔あぐまでも植民地人の敷法的権利の擁護のためであった。しかし、⊥七
七六年七凡四日独立宣言の挽択に及んでその間争は独立戦争へ、と進展してゆく。
独立宣言ほ、一政府の起源に関するロックの契約説に準拠して、彼等がアメリカに移住したのちイギリス本国において
服せると同一の法の体系を自己の意思により再び新に採用し採択したものであること、また彼等がイギリス国王の臣民
.︵注19︶ のである。
であったのは彼等が任意にそれを承認した結果であり、国王が大英帝国の元首であるがためではないことを主張したも
独立宣言を支えた思想は潰然法恩恵であゃそれはまた∨ィギリ大の名誉革命を庵支えた思想であった。tかし、イギリ
スの権利章典は↓古来の権利と自由﹂といテ伝統的観念が主張の根拠となり、きわめて現実的実際的方法により確立き
れたのに対し、アメサカ独立宣言にみる人海思想は、天賦のものであり、不可譲のものとしてより鮮明に自然権思想が
打ち出されている。それ故にこそ、人民の契約によつて作られた国家は、人民の所有︵生命自由および財産︶を守るこ
とを目的とするのであり、ヾ国家の課税権も絶対的なものでほなく、国民の同意なしに租税を徴収することは、私有財産
の根本法則を侵害し国家め目的に反することになる、と観念された。そこで考えられている国家の目的が財産権を含む
フ
ラ
ン
ス
︵注19︶ ファ﹂フソド著、前掲書、四六貢。
︵注望独立の宣言が公鱒の問題として決定的にとりあげられるに至った経緯については原典アメリカ史︵下︶、一八頁参喝
︵注望 原典アメ、リオ史︵下︶、±ニ琴
であること、国で、植民地静会こそがこの権限を有するむのであることを述べでいる。
その決議には崗において、代表なければ課税なしの原則を、何においてこの権利は常にイギリス国民によって承認されたもの
︵注望 ヴァ﹂ジ七ア凝議の訳文は、原典アメリカ史一︵下︶、八六頁参喝
藤原守胤、前拷書、五七貫
︵注ほ︶ 田中英夫、前掛者、五七貢
なヶた。︵ファランド啓高木外訳、アメリカ発展史、三八頁。藤慮守胤﹂アメリカ革命史論、六三富
なお、﹁代表なければ課税なし﹂という場合の代表の意味が植民地と本国でほ別異に解されていたことも両者の抗争のもとに
︵注14︶h原典アメリカ史︵下︶、七頁
所有の保障にあることほ明ちかであり、租税法律主義の機能もまたそこに存したといえる。
3
三ニ
イギリス払おける啓制主爵と議会主義との対立は、名誉革命によってその結論を得たが、その主張の根底にある思想
現代における租税の意義について
檻佗に.封けみ乳税lの忠義についで
︻四
はアメリカに受け継がれ独立革命をもたらせ、きらにヨ十ロッパ大陸におけるフランス革命の背景ともなった。
ウランス革命の性格については種々の議論があるが、それを明らかにすることは本稿の目的ではない。しかし、革命
の原因の一つはアンシャン∴レジーム末期における財政的窮乏と、その財政危機をもたらせたところの社会的原因転あ
アンシャン
ったことは疑いのないところである。、
H
革命の起竺、世紀前フラ支倉愚王制はルイ一四世に確立ぎれたどみることがでせる。アンシャンレジーム下にお
けるフランスの国民.克明確に虜創された二つの廃団かち構成jれていた。一つほ僧族、貴族からなる特権階級であり、
他は、それ以外めいわゆる第三階級であった。特権階級は社会生活のうえで当然負うべき租税を免れ、そこから引き出
される利益を最大限竪享受しでいたが、第三階級は生産に従事し、社会的に有用な仕事を負い、同時に唯一の納税階級
を樟成していた
︵注訓︶ も類例がなかったのである。
位に甘んでいた。これら二つわ社会的集団の対立はほとんど宿命的であり、かつその不平等さは他のヨーロッパ諸国に
フランス車命の序曲は、、アンシャツレジーム末期の財政窮乏を打開するため、、それまで特権階級が有して免税特権を
および高等
廃止し財源を確保せんとした国王に対して、療権階級が反抗したことから始まった。蔵相カロンヌの提案し.た補助地租
︵注21︶
は、全てのフランス人を対象としたものであったが、名士会︵A設enb−e∽de払nOt註︼es︶
︵注㍑︶
税︵一七八大年︶
法院︵勺賢−eme已︶は、旧来の免税特権を楯に∴してこれを拒否した。
ここにおいて、シヤルん二ハ世は、やむなくこの租税法案を実効あらしめるため一六一四年以降絶対王制のもとで閑
︵注23︶
1
かれなかった三部会︵Et毘egener㌢旦を召集せざ、をを衛なくなった二▲七八九年の三部会はま軋にララ貫首命の自
火となった。
このように、フランス革命はその当初、特権階級の国王に灯する反抗から始まったものセ、叡る。その反抗は、自己を
国民と全く別の存在になぞらえ、同時に自己の手であぐまでむ政民を支配しょうと望んだ痔権階級の自負から生じた私
のであり、大局的にはあくまでも廣族の自己防衛であったといえる。その段階でのフランス革命は単に専制主義を覆え
すことの意味しかもたなかったが、噛権階級の底筑はh、藤代の纏力を失墜させ、壷制主義の穐威にあくまでむ抵抗レ祭
る力を示すことによって∵そわ後の第≡階級の奉命匿道を開いたのである。
︵注20︶ ボトルニコル、.金沢誠也訳、フラyス革命、三〇頁∵
︵注21︶ 名士会はその構成において三部会と極めてよく似ているが、学者や市民の有力者もそれに加わっていた。したがって、その当
んになった。︵野田良之、フノースソス法概論︵上︶、三三六頁︶
初は三部会より以上に諮問的な機能を有していた。しかし三部会がその機能老衰過したこと執ら逆に〓ハ世紀叔降その活動が
︵注望高等法院はその司法的機能よりも王権に対する強力な政治的反対勢力としての役割を演じた。∴野田良之、帝掲書、四〇六頁︶
しかし封建的特権的利益の擁護をその目的とし窓等法院は箋リス議会にょる王権との対抗とその制限にみられた全社会的機
能をもたなかった。
の事情で臨時の徴乱を行なう場合特に召集された。
︵注讐 三部会鱒貴族、僧昭平民の三部よ′れなり、それぞれの代表が集まって国事を試する目的をもつ。
由革命と人権宣言
フランス革命を真に社会的たらしめたのは、垂二階級︵特に革命の▼初期においては経済的にカを有していたブルジョ
一五
アジトであった︶の革命への参画で告∧毛市民階級は、三部会の召集を要求す私ことについでは貴族と行動をか献に
現代における租税の意義について
現代における租税砂意義にりいて
一六
じたが、貴族ボその召集形式牢ついで過去の形式に執着したため貴族との共闘体制を放棄し㍉それ以後革命の由い手と
して積極的な行動を起すこととなる。すなわち、三部会における第三階級の叢員数針倍加させ、↓七八九年六月には、
階層区分毎記憶をとどめている三部会という名称を不適当と考え、これを﹁国民議会﹂と名づけたのである。そして、
もし、国民議会姐何ちかの理由で解散を余儀なぐされる場合には、議会の承認を経ぬすべての課税を即時に中止させよ
﹀♪ヾ
ぅとい/資快諾を行なぃ偲現像覇権叡我がむ÷芝、した。
しかしハ特権階級増反動勢力と、国王の轟余へあ弾圧はく句意され、それは遂匹武力によって行なわれようとしてい
た。入鹿は己の武力弾圧忙対抗しう・るため武装を要求し、↓セ八九年七廠十四日武、器弾薬があると考えられていたパス
チュー牢獄凄艶撃七た。この人民め武力介入町よっ七アンサヤソ︶ジームは事実上崩壊し、八月二十六日国民議会は革
命の成果でぁる︰﹁人間と市島の権利﹂妄採択したので
人権彗一昆そ′の第一∵条匿おいて′﹁人は生まれながら吐して自由かつ平等の権利を有する﹂と規定し、すべての人間
原盤妙に計由で平等な近代的市民社会の構成を曇一己でいる。きら竺▼昏由、所有権、安全および圧制に対する反抗権
︵注24︶ 権や革命権の思想を知ることがやきる。∵
を自然権として第二免疫掲げ、∴第≡条匿おいで人民童権恕娩嘉している。ここにも、‡クの自然権にもとづく人民主
定斑紋閲す有人権曇蒜規定ほ乳十二養および訝十四条にあ恕東十≡条は、革命の原因の一つであっ/た財政危機が
租税倉担の不平等による財源不足にあっ姦ことに鑑み、﹁各の権オの経絡および行政の費用のために公共の課税は避く
抱からず﹂と定め、国家作用の行使にとって租税がいかに不可欠の要素であるかを新めて明らかにしている。イギリス
およぴ㌢メ㌢丸たおい肇は、、課税権患財産繚とほ野隠匿酪射され、課税権は財産権軋対略するものと観念されていた。
それゆえにこそ1代表なげれば課税なし﹂の原則が主張され、その原則によって自らの財産権を保障することに力点が
おかれていたのであるてこれに対しフランス人権においてほ、課税権と財産権との対峰ということよりも課税権の行使
は公権力の維持や行政費用にと?て不可欠のものであるという前提から出発していると考えられる。それ故にこそ﹁財
政なければ国家なし﹂の大原則は、第十四条の﹁代表なければ課税なし㌣よりも先に宣言されているのであり、それほ
フランス革命の最大の原因が国家財政の危機にあったことを考える時、アンシャンレジームを崩壊し自らの権利と自由
を守るための新しい秩序を作り出さんとした市民階級にとうても必然的に導き出されるところであった違いない。
次いで、﹁この課税はすペての公民の間にその能力に従って平等に之を分配すべし﹂と、公平負担の原則を述べてい
る。
療十四条は﹁すべての患民は自ら又は自己の代表粒よりて公の課税の必層を認定し、自由に之に同意し﹂うることを
定めている.。﹁代表なければ課税なし﹂の要求はフランス革命においても重要な人民の要求となうて表われているゾ
以上、イギリス、アメリカ∵フランスにおける租税法律主義の理念を市民国家の生成過程を通し▲て、全社会的変革の
中から見出さんとしたものである。それは中世絶対社会から近世市民社会への過渡期において、国王め慈意的課税を排
除せんとする要求から起‘ってきたものであり、課税権を国王から奪い、人民め総意の代表である議会に留保し、私こ∵て
人民の財産権を担保ぜんとしたものである。市民革命における自由と権利の主張は、その保障を権力分立という統治機
イエリネック、栄治都連吉訳、人権宣言論参喝
構に求めるとともに、その後の経済社会の進歩により自由主義国家観の発展を招来せしめるいたる。
︵注24︶ フランス人権宣言の息憩的淵源につい誓は﹂
現代における租税の意義について
現代における租税の意義について
二、租税法律主義の現代的意義
∫∵近世市民社会と租税法律主義
租税法律主義町理念は、︳七∼一八世紀の社会的変動期にほ政治的経済的変革の中に包含され全社全的変革を可能な
らしめた近代思想を背景とし′乾生れてきたものである。従って、⊥型税法律主義め理念はそれがまって立づ思想的背景を
抜獣にして考察することば不可能である。ネの思想的背景を一言にして言えば、=一′切の侵害から個人の自由と財産権を
︵注25︶
保護しょうとした自然法思想である。自然法思想ほ、天賦の人権∵︵生命・自由・財産︶/と社会契約前を中心として政治
権方砂世俗化、立憲化をはかり、その関心を私有財産の不可侵の証明においた。
自然的自由主義の思想は国家機能を最少限度にとどめおくことを要求する。国家の機能はただ自然的自由の制度をな
んらの障害なしに機能せしめるように限られるべきであるとした。ことに一八世紀の産業革命による資本的生産方法の
拡大は自由重義こそ富の蓄積と社会の発展を可能ならしめるものであり、国家ほ必要最少限度においてのみその機能を
果すべきであるという夜警国家観ないし治安国家観が主張された。
このような自然的自由主義思想およびそれから派生する自由主義国家観を思想的背景とする租税法律主義は、国家権
力に対する財産権の保障という自由権的機能を有することば明らかである。租税は私有財産制度に対する侵害であると
観念され、資本蓄積の滞成にとっての障害となる以上、′できるだけ私有財産権を国家権力から守らんとする要求が租税
法律重義の最も重要な機能とな?たのである。
そしてまたへ租税法律ま義の理念は∵封嵐好支屈と隷属から解放されたはずの市民社会になお課せられる租税く他
方において市民社会が獲得した私有財産億の国家権力からの保護という、相矛盾する二つのものを調和せしめるものと
し▲ても機能した。すなわち、嘉民の総意を代表し
︵注26︶
り1それによって納税の理由と必要とが明確に合唾的に儲明せられ、納税することが市民自身の利益であると自薦七亮
はじめて租税を負担するヱとに凍るのである。かペイ国家は、個人の利益窓貝徹する共同の機関と観念され、その国家
権力の行使によって利益を享賛する者は、その国儀権力の行使に必要な贋用を負瀕する義務をもたなければなちな木上
する。近代市偲社会におけ渇租税Ⅵ埼質は、市民が国家からうけ薄利儲と市民が負担する租税との間の対価関係を前凝
とする鴻のでぁり、それは﹁笹墾父換説﹂ないし﹁租税利益説﹂と呼ば弟ているものである。
︵注望 もっとも、ホッブス﹂く将ック、ルソー等の説いた自然権の内容には差異がみうけられるが、人は生まれながらにして自由平等
である一美自然状態を脱するために相互に契約を結んで国家状態に入ること、自然権は人間固有のものであり国家とい㌧きも
これを侵害しえないこと、∴訂然権の鳳容は生命訝由財産であること、租税は瞥家計利益に対する代価である。とする根本思
おいてほ何ら異なるところはない。
詳細については、一大淵利男、近代自然法思想と租税の理論参喝
︵注讐 島恭彦、前掲書、九七眉
2.私有財産権の修正変化と生存権
自然的自由主義は、その思想の根底紅白然的調和の観念が横たわっていた。国家権力を抑制し、私有財産制度と自由
競争を認めることは、社会全体の利益を実現し﹂人民の全てにと.って普遍的に妥当するものと考えられていた。しかし
一↑九
ながら、∧一九世紀に入っ▼て資本主義は次第にその制度上の欠陥を露呈七ほじめ、経済的弱者とtての労働者階級を大量
現代における租税の意義について
現代における租税の意義について
二〇
に出現きせ、ニ恐慌不景気による失業など転よつて彼等を生活難に陥れ深刻な社会問題を提起し、ここにおよん
調和の思想は無条件の福音でないことがいや応なしに明らかにされはじめた。すなわち、資本主義経済はその内
盾を顕在化しはじめ﹂一方では富の蓄積とその支配、ノ他方では労働者階級の絶対的相対的窮乏化の進展を助長
従来の、自由主義思想をあ?てしてはその矛盾から派生する社会問題に対して何ら解決の道を与えることはできなかっ
た。恐儲と不景気による失業闇、経済の自動調節作用をもってしては解消しえず、ここに経済的社会的に国家の
必然弥に要請されるにい7たか秒である。自由主義社会が保博した自由と権利は、窮乏にあえぎ、生存そのものさえ脅か
されていた労働者階級にじてみればすでに空文化していた。資本主義社会の制度上の欠陥から生ずる問題の解決
は﹁見えざる手﹂正よ㌢旨は不可能七叡ることが認識され、社会的責任によ・つてこれを解決する必要から国家
的介入が社会的要請となってあらわれる∨。
こエにおいて国濠は、やむを得ざる害悪としての消極的国家から、国民経済に介入し、実質的に自由を保障せ
る積極的国家へ、すなわち夜警国家から福祉国展への変化をみることになる。
単濫形式的に画家からの自由のみをもってしては兵質的自由が実現されないところから、生存そのものを権利と
め人間たるに催する生存を保障せんとする生存権思想が出魔することになる。生存権思想は経済部面の平等を目
のでぁる以上国家の積極的な統制ないし配慮を必要とすることはいうまでもない。このような背景のもとに、近
〇世態層瀧は自由権的基本権とともに、国家の責務としての生存権的基本権を規定しているのである。
資本主義凝済の発展と社会的変化は、一方において生存権という新らしいタイプの基本的人権を登場せしめる
に、他方にお小て近代満点革命にまっセ確立された人権に淵し一定の修正変化凌与えることになる。この両者は
︵注27︶ 基礎に出てくる問題であり、相互忙不可分匿結びついている。近代市民革命によって確立された自由権の.テち最も大き
な修正変化を受けたのは財産権である﹄財産権が修正変化を受けたのは、由産権の自由が資本によって支配され
者階級の基本的生活要求を圧迫するため、その生存権を保障するためには資本主義的財産権の自由を制限心なけ
らなかったからであり、それほ生存権保障の登場するにいたった経緯とまさに軌を一にする。換言すれば、一私
租税法律主義の洩代的意義
︵注望
は国家機能の変化−夜警国家から福祉国家へ†転応じ、垂有権転よって修正されたとみることができる。
3
近代市民社会において確立された租税法律主義ほ、一面において、国民の権利と自由の保障は国民の総意である議会
によって守られねばなちないという統治制度上の保障を要求するとともに、他面において、たとえ議会が定める租税で
あってもそれは周民の私有財産権の絶対性を侵害するものであってほならない、という二つの面を有していた。租税法
律主義のもつ前者の面は、国民主権を基底とする議会主義の発展、権力分立制忙よる国家権力の相互抑制という統治制
度上の確立を促し、その意味ではそれは歴史的な意義を有するものとして解されよう。租税法律主義がもつ現代的意義
闇むしろそれが保障する人民の権利の面かち検討されなければならない。
租税法律主義の理念が近代市民社会において有⊥た機能は私有財産権という自由藤の保障であった。tかし、それが
その後の社会経済の変遷乾より、天賦不可譲の権利と考えられた財産権に対し、国民の実質的権利と自由を保障するた
めに生存権によって修正変化をうけるに至ったことはすでに述べたとおりである。しかも、この生存権保障のために
二一
ほ、国家の積極的関与が不可次の庵のと認識せられ、国家は必要悪としての存在から、積極的意義と機能を有すること
現代における狙兢の意義につぃて
現代における租税の意義について
二二
が明らかにされるにおよんで、福祉国家の出現をみためである。ここにおいて租税法律主義がよって立つ社会的背景、
換言すれば、租税法待主義が存立の基礎となるべき社会的理念ないし思想は、①、その実現の仕方において国家権力の
排除ではなく︰その積塵的関与を要求七∵②、、その保障せんとする国民の権利が私有財産権七いう自由権保障とともに
生存権保博の実現のために修正変化をうけ、むしろ生存権保障により重点をおいていると考えられよう。租税法律主義
がよって立つ社会理念ないt思想の現代助意義、換言すれば、理念としての租税法律主義が有する現代的意義もまたそ
士風見出すことがで普るのである。
理念七してや租税法律主義をエのように解するならば、それほ税法の解釈適用にどのょうに影響するものであろう
か。もちろん税法の解釈適用ほ、租税法律主義の理念に反するものであってはならない。従来、租税法律主義の理念が
財産権という自由権の保障にあ?たことに力点をおいて、税法め解釈はいかにあるべきか︰とくに、私法における解釈
原盤草の差異の有無、さら紅﹂そこから派生する問題として、いわゆる↓疑わしきは納税者の利益に﹂の問題、行政通
達の法源準の問題が議論されてきた。しかし、理念としての租税法律主義がもつ現代的意義からみて、従来の議論がそ
のませ妥当する庵Ⅵ七は考えられ庵い﹂
税法ほ、画家歳入の確保という手段を通︺て生存権保障を実質的に担保するものであり、そめ法目的観において私的
自治と契約眉由の原則を基調とする私法分野とは本質的に異なるものである。∨特に、税法の解釈には、租税法律主義の
理念を実現させるための実質的公平負担の原則が考慮されなければならない。公平負担の原則は、それ自体税法の法目
的となサ得るもの■であり、それは私法の分野に見られない税法独自のものである。法解釈が法目的にそくしてなされね
ぼならないことは、▼L私法も税法も何ら異なるところはないがハ両者の解釈原理の差異ほその有する法目的の特殊性から
説明されなければならないのではなかろうか。
さらに、いわゆる﹁疑わしきは納税者の利益﹂にという主張は、国民の財産権という自由権のみを保
点がおかれた近代市民社会においては﹂国家権力の排除によ・って私有財産権を保障することになり
究極の目槙とする生存権保障のためには何ら寄与しえないこと明らかである。さらにまた、﹁疑わし
益﹂により租税負担を免れたようなものがある場合には、他の国民の負担のうえにおいて福祉国家に
と管理を受ることを考えれば∵その公平感において問題があろう。
税務通達をめぐる議論庵また、租税法律主義の原則をふえんし、主としてその法源性をめぐって行な
るほど、税務通達に形式的法規としての効力を認めることはできないが、実質的には次のような意義
れな け れ ば な ら な い で あ ろ う 。
すなわち、税法は取引社会における経済現象をその対象とするが、妄の経済現象は、本来日々変化発
る。従って税法め規定ほ、ノその対象とする全てめ経済現象を予め想起してその細部にわたるまで規
であり、必然的に包括的、ナ般的とならざるをえない。税務通達は、税法の包括的、一般的規定から
上の疑義について行政庁内部の統一をはかり、同一条件同一負担の越旨を貫くことによって租税負担
ともに、本来発展し、流動する経済社会において、税法の予期しえぬ経済取引から利得した者に対し
触⊥ない限りにおいて迅速な課税を行なうことによっても租税負担の公平を図ることが可能となろう
と機能についてほ、租税法律主義の形式面もさることながら∵租税負担√の公平という観点からの再
らな い の で は あ る ま い か 。
現代における租税の意義について
現訳における租税の意義について
二四
理念とtての租税法律主義のもつ現代的意義が税法の解釈適用に当り、いかに作用するかについては、上に掲げたニ
ュ二の聞題提起をするにとどめ、その詳論は別の機会にゆずることとし、本稿でほ、現代における租税法律主義がよっ
て立つ社会理念からみて、租税の本質、および国民の納税の義務ほどのように考えられなければならないかについて考
福祉国家七租税の本寅
察してみることにするβ
4
自由主義国家が資本主慕的生産方法の拡大にともなう、社会間麺の解決に何らの機能を有しないことが明らかにさ
れ、︶この社会問題解決のため転国家の積極的関与が要請されるようになり、ここに福祉国家が出現するに至ったことは
上述したとおりである。ところで、そこセいう福祉国家とは、﹁各人の権利と自由活動を原則としながら、社会的正義
︵注28︶
の要求に基づき、法敵政治的管理を行なって、その間の行きすぎと摩擦を調整すると同時に積極的な国家活動により、
各人の生活七福祉を保障するもの﹂であるが、そこでの積極的な国家活動の実質的な裏付けは財政によってほじめて可
能となる。しか旦租観国家における財源は租税収入に依然していることは周知の事実である。租税収入が国家の存立
と活動たとカ、て不可欠の要因であることは今更論ずるまでもないが、福祉国家にお小ては、その掲げる政策実現のため
に用いられる租税は、もはや封建時代におけるような支配者に対する被支配者の貢納でないことはもちろんのこと、国
家が与える利益の対価でもない。
︵注29︶
租税の本質堅関する議論、つ吏り、なにゆゝえに国家は覿税を徴収するか、また、なにゆえに国民ほ納税の義魂を負う
かという問題についてほ、これまで租税と私有財産権との矛盾を調和する形で発展してきた。そこで、本稿では私有財
産権と国家との関係が、中世から近世市民社会を経てそのように発展してきたかを、その思想的背景から考察してきた
のであるが、租税法律主義の現代的意義を考える′に当ってもこの間題は是非とも究明せねぼならない問題でもある。租
税の本質に関する議論もまた、その時代における思想と歴史性の中に見出すことができる。それは、、租税をもって利益
の対価とする租税応益説と、ヒ国家の優越性を主張する租税犠牲説に大別できる。
租税応益説ほ、絶対王制の徴税権力に代うて新に生成しようとする市民的国家の徴税権レ、その下で確立した私有財
産権の調和論であり、租税は周家が財産所有者に与える利益の対価とされた。これに対し、租税犠牲説は、個人に優越
する国家の歴史的、理論的必然性を強調し、国家′はその任務を達成するために当然に課税権をもち、国民は納税の義務
を負うと説かれている。
租税利益説が成立しえたのほ、資本主義経済が上昇期にあっていまだその矛盾を露呈しなかったという現実的要件が
必要であった。それは初期の資施主義経済と自由主義国家を背景として唱えられたものである。−しかし、租税利益説が
成立しえた現実的要件はハ現在存続しえず、かつ、そこでいう租税と国家利益との対価関係も、福祉国家においては、
負担能力の大きいものほ芯㌔国家から受ける利益が大きいとは限らないし、逆に、経済的弱者ほど負
に対tて国家から受ける利益ほ犬である。従って租税の泰質を利益説に求めることはできない。
租税犠牲説は、イギリス、アメりカのように自由主義社会をもちえないまま、資本主義の育成と発展のために全体主
義国家を形式したドイツを中心とする後逸資本主義国において唱えられたものである。りそれほ、国家を個人の意思を超
越七た存在と考える権威的国家観を背景とし、国家はその任務達成のために当然に課税権をもち、租税はその任務達成
のために国民が負担する犠牲ないし義務と考えられた。国民ゐ福祉を究極の目棟とする福祉国家の思想と犠牲前の背景
二五
となった権威的国家思想とは根本的に相容れないこと明らかであり、犠牲説もまた福祉国家における租税の本質を説明
現代における租税の意義について
現代における租税の意義について
することはできない。
福祉国家は、体制的に資本主義と連続を保ちながら、その泰盾解消のたあに修正、改良を行なわんとする国家観であ ︵注
30︶
る。その修正・改良の目的とするところは、最低限度の生活保障という生存権的基本権の確立にある。しかも
正・改良ぬ社会全体の共同責任であり、原則として全国民が客体であるととも匠主体になるものである。従って
参加は福祉国家実現のために重要な意味をもち、:また、それなくしては生存権の保障はそゐ存立の基礎を失なう。.とこ
ろで∵ことにいう福祉国家実現のための国民の参加とは、、国民主権のもとにおいては立法、商法、行政への
いて国民の意思を反映させハ福祉国家実現へ国家をリードすることを意味するとともに、富の実現のための財
自ら負うことを意味する。福祉国家に串ける国家作用は、▼国民自らがその財政負但を課することに.よって実質的裏付け
が得られる。そこでは国家と国民とは、相対立する概念ではなく、国家こそ国民の財産権、∵生存権を保障する
る、という両者の白岡性を前提七する。国家と国民との自同性を前掟とする福祉国家において、租税の本質は
奉仕と管理を実現するための社会的費用ないし社会的間接費用として国民が負担すをものであるといえよう。そ
本来なろば国民経済の自得性に任せられるべきである富の分配過程に国家が介入し、生存権を保障するための社
境せ作り出すために社会的費用として国民が負担するものである。
もっとあ、納税者個人からみれば、社会的費用として負担する租税と、国家的奉仕および管理とは等価関係に
のでほない。一般の経済取引社会においては、費用は有形、無形の利益を獲得するために支払われる価値の犠
原則上し七費用の負担者がその獲得した利益を独占的、排他的堅享受す各のである。↓費用負担者がそれによっ
た利益を排他的覧享受しうる排他原則に対して、法は一般的にこれを所有権として規定している。そこには、
費用と、受けた利益の間に等価関係が成立していることは明らかである。しかし、租税の場合は同じ、くそれを
担する社会的費用といっても、凡その費用を負担したことから得るところの国家の奉仕と管理という利益に対し
排他的な旛利を有しないととを原則とする。それは、国民が受ける国家の奉仕お■よび管理が国民各自、の個人
って決定されるべきものでなく、社会全体の選好により決定されるという、画家の奉仕と管理の本質的性格に
である。従って、個人的には国家の奉仕と管理がある方向に対してなされることを要求したとし七も社会公共
から別の方向になされる七ともありうるし、かつ、なされた国家の奉仕および管理に対して、その利益は原則
ての国民が享受し、一個人が独占的、排他的に享受しうべきものではない。︵例えば、一個人としてほその負担した租税
が値宅に対する国家サービスに使われることを要求していたとしても、社会的公共の観点からみてそれが公園、
対してなされる場合があ具かつ﹂いったん公園、緑地が国家﹂サトビスによって作られれば、その施設の利用は
国民を対象としているものと観念され、一個人が排他的にその利益を享受するものではない。このような場合に
人が負担する租税と、国家サービスは等価関係にないことはもちろん、その交換関係さえ稀薄化する。︶。租税
奉仕および管理とが等価関係にない他の積極的な理由は、福祉国家においては、主体と⊥ての国民が負担する租
体としての国民が受ける国家的奉仕および管理とが等価関係笹ないところにとそ社会正義実現の連があるのであ
れによって一はじめて資本的生産方法による奮の偏在を是正し︵摩擦を調整するーことが可能となるところに求められよチ。
福祉国家における租税の本質を、上に述べたようなものであるヒ考えるならば、そこから、福祉国家におげる
は、共同連帯性という特質をもつといえよケ。福祉国家の実現への指向は、社会的、\経済的変化による歴史的必然性の
中で、国民自らが選択決定したものである。それは、あぐまでも個人の自由を基調とし一つつも∵そこに墜■連
現代における租税の意義について
こ七
観代における租税の意義について
二八
の考え方がその根底忙ある。その意味で福祉国家は共同体的世界観を否定しえないこともまた事実である。従って、国
民は∵福祉国家実現のために、共同連許して貴任を負夏﹂ととなり、その目的達成めため、の租税負担もその例外ではな
い。料税負担の共同連帯は、二国民の租税回避によって免れる負担を必然的に他め国民に負わせることとなる。私有財
産嘩の絶対化と自由契約を基調とする近代市貝社会においてほ、租税負担もまた結局個人が自己に対して義務を負えば
よかったが∵福祉国家転おい、ては∵そ▲の目的実現のため忙共同連帯して租税負担を負うところ、陀特徴を見出すこと
きヰ鳥その意味で租税は、共同㌧︵協同︶的社会費用ないし、社会劇共同費用とじて国民が負担するものということが
±八九号、一七〇頁
牽きよチ。▼しか㊨∵狙撃を国民が共同して負担することが、国戌の参加を通して行なわれる社会正義実現に資する道な
のである。
前掲零八三頁
︵注胡︶ ﹁現代型福祉国家と生存権﹂池田政章/ジよリスト
︵注卵︶ 島恭潜
福祉国家と納税の義務
∴注3。︶ジュリスト二八九号、一⊥三頁
5
生存権ほ、自由権とはその成立の社会的、経済的背景を異にずるものであることは上に述べたとおりであるが、それ
は普た行政権の発動についでも自由主義国家払おいて要請された﹁安価な政府﹂云は異なった要請をもつことになる。
すなわち、自由権の保障は行政権の発動を極力抑請するが、生存権は社会的見地に立ってむしろ行政権の作用を積極的
︵注31︶
匿おし進め、場合によっては、人間に催する生活を保障するため国民の自由な社会掛動を制限することも辞さないとこ
ろにその保障の意義瞥見出すことができる。ところで、そこでいヶ生存権保障のノための行政権の介入ほ、実質的には国家
の財政によってまかなわれなければならない。しかも、租税国家における財源は租税収入に依存せざるを得ないこと周
知の事実である。租税はその諷遭遇程町おいてすで紅所得の再配分といシ機能を有し、財政政策の一環として現代の国
家目的に寄与しうる性質のものであり、それ良体自由主義経済の見えぎる手による邑動調節の過不足を国家機能によつ
て調和することに役立つものであるが、それは更紅歳出によって一層明確にされうる。社会保障や公的扶助に支出せら
れる国家予算ほ、より直接的に福祉国家の目的を達成する手段となりうる、.と同時に、社会保障や公的扶助が、具体的
にどのような範囲と額において所得の再配分機能を有するかは、租税収入の面から規制されることほ否定セきないであ
ろう。それはまた、その国の経済状態に依存ずること明らかである、。その意味で福祉国家における国民が有する納税の
義務も、局由主義国家におけるそれとは別個の新らしい意義を有することが認識逼れなければならない。
封建的支配と隷属を脱しい権利と自申の獲得の闘争の成果として採択された各国の人権茎一一口はまず何よりも﹁権利﹂
︵注32︶
の宣言であり﹁義務﹂卑宣言ではなかった。当時の人間ほ、′義務は十二分にしょわされていたのであり、いあらた′めてそ
れを宣言する必要は少しもなかったのである。納税の義務についても例外ではない。国王の悪意的課税にょ㌢財産権を
侵害されていた市民にとっ、て納税の義務を人権宣言で規定する必要は少しもなかった。ただ、近代市民社会たおい立
は、財産権の侵害である国家の課税権ほ、市民の総意である議会において決せちれるべきであり、それ比定って市鱒の
財産権を保障することのみを要求すればよかったのである。そしてまたい国家が国民経常に対し不干渉主義をとるてと
こそが私有財産権を保障する途で庵あった。
しかしながら、福祉国家の目的が生存権保障を通しての社会正義実現にある以上、.国家の積極的関与を必要七する。
こ九
これを国民の権利の側からみれば、福祉国家においてほ国民は国家に対して一定の作為義務を求める権利を有すること
現代における狙税の意義について
菟佗に好ける敵組の意諒にサトて
となる。由に作為を要求する権利については、国民は必ずその権利に対応する義務を負
︵注33︶
三〇
でー福祉国家における納税の義務は、生存権保障という社会正義実現のために国家が行なう社会的奉仕と管理に対応す
忍国民の義務であるぺしかも、注意されなければならないのは、そこで強調される納税の義務は、生存権の実質化の役
を要するとして、亘算議定権む定めているのである。
それ故賢しそ、各国憲法墜由家財政の処理権娘を人民の代表である議会にもたせ、国費の支出については議会の議決
理解と納得を得る責務を有するというべきであろうし、国民はその納得と理解のケえ匠納税の義務を負うといえよう。
担﹂のスローガンも確立をみるのである。国家ほ、福祉国家の実現をほかるための歳出計画の内容を国民に示し、その
国家の歳出が福祉国家の目的にかなったものであることが必要であり、またそサでしあるべきところにこそ﹁高福祉高負
国民の納税義務の履行が究極において福祉国家匿おける生存権の実現をはかるとはいってもJ現実的、具体的には、
はかることになる、というこ七が観念されなければなあないであろう。
務が完全に果されることにより担保され、さらに、納税義務の完全なる履行は、究極のところ国民偏らの権利の実現を
国家における納税の義務は、生存権保障という社会正義実現に寄与するものであり、かつ、その寄与は、国民の納税義
上の納税の義務もまた単に宣言的確認的意義という軽微な意味しか与えられていなかったのである。これに対し、福祉
おいてはへ納税の義務の強調は、それが保障する人民の権利と対立するが故に否定されなければなちなかったし、憲法
ある†。それだからこそ、租税法律主義が私有財産権の保障という、もっぱら月商権を保障することを目的とした時代に
役割を果す義務であり、、生存権を実質化するための納革の義務とは、同じ義務でありながら両者は本質的に異なるので
割を奏す義務であり、∵それは乱由権と対応する義務とは本質的に異なるり自由権に対応する義務は、自由権を制約する
′ノ
︵注31︶ 俵静夫﹁行政と基本的人権﹂行政法講座H、二一七頁
窓法Ⅱ、一〇一頁
す
び
︵注33︶ 高原賢治﹁国民の憲法上の義務﹂憲法講座︵2︶、二八三頁
︵注32︶ 宮沢俊義
む
租税法律主義がよって立つ社会的理念をどのように理解するかは、税法の解釈適用に決定的な影響を与えることにな
ろう。租税法律主義の機能が、自由権保障と国家権力の排除という意味をもっていた社会においては、税法の解釈は形
式的 か つ 、 厳 格 に 、
の租税法律主義の現代的意義がすでにのべたとおりのものであるとするならば、このような解釈原理、適用原理が今日
においてもそのまま妥当するとはいえない。それは、理念としての租税法律主義がもつ現代的意義からの新たなる評傲
がな さ れ ね は な ら な い で あ ろ う 。
現代における租税の意義について
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