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写真誘出的インタビューとは何か
写真誘出的インタビューとは何か ――記号という観点から 一橋大学 田邊尚子 本報告は、写真誘出的インタビュー(photo-elicitation interview)に関し、写真と語りとの間に 記号関係が成り立っている点に語りの性質を特徴づけ、写真誘出的インタビューの利点と難点を指 摘するものである。写真誘出的インタビューが考案されて以来、さまざまな分野において実践され、 その有効性が経験的に確認されてきたが、その位置づけは明確になされていない。そのため、写真 誘出的インタビューの実施はいまだ試行的なものにとどまっている。本報告は、写真誘出的インタ ビューを方法として位置づけ、その見込みを示す一つの試みである。 写真誘出的インタビューとは、写真をインタビュー場面に持ち込むというアイデアに基づいて行 われるインタビューのことである。写真誘出的インタビューはおよそ半世紀前に考案されて以来、 言葉のみのインタビューに比べて有効な語りが多く得られることが経験的に明らかにされ、高く評 価されてきた。インタビューが協力者の語りを得ることを第一の目的としている点からすれば、こ の特徴は大きな利点となるだろう。ただし、これまで写真誘出的インタビューに関して理論的検討 は十分になされておらず[Hurworth 2005]、素朴に写真に実証性の高さが指摘できることから、そ れに対してなされる語りにも妥当性と信頼性を見込むことができると考えられてきたのだった。し かしながら、写真があればいつも多くの精確な語りが展開されるというわけではない[Harper 2002]。このことを考えたとき、写真誘出的インタビューの特徴を改めて指摘しなおす必要がある。 報告では、写真に対する語りがどのように行われるのか、あるインタビューで得た語り――協力 者自身に撮影してもらった写真について、 「写真を説明する」ことを求めたもの――を事例として 検討する。そこでは3つのことを確認した。第1に、写真について何が写っているかが自在に指示 され、第2に、その写真の“図”に関して説明され、第3に、写真には写っていない、直接的に確 認可能ではない事柄についての言及もまた展開される。実際、「写真を説明する」ことは字義通り に行われているわけではないし、また、それは写真に確認可能なこと、そこで写されたであろうこ とを実証的に遡及していくものでもない。写真がなくても語りは成立しているのである。 写真と語りとは別のことである。それぞれが単独として成り立っている。ここで、写真に対する 語りを位置づける上で、写真とそのテキストとの関係について論じたバルトの議論を参照する。バ ルトの見方をふまえるならば、写真に対しての語りは、第二のメッセージの付与であり、必然的に 第一のメッセージに対して恣意的なものとなる。このような見方から捉えてみると、写真に対して の語りは、一方でそれが何かを指示するとき恣意的な結びつきを作ることであり、他方でその恣意 性を解消するような展開をするものとなっていると見ることができる。すなわち、写真に対する語 りは、一方で写真に記号性を付与し、他方でその記号の解読を行うものである。ここに、写真に対 して多く語られるときと語られないときが生じることが説明可能になる。写真に対して語りが展開 されないときというのは、写真の外示性が強いときであり、展開されるときというのは外示として 機能せず、共示の必要性が生じるときである。以上のことから、写真と語りとの間に記号関係を作 ることができる点に多くの語りを得るという利点があるが、外示として写真が現れたとき、語りは 阻害されるという難点があることが指摘できるだろう。