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純潔規範の形成
純潔規範の形成 ―大正期の性教育をめぐる言説を中心に― 首都大学東京 太田恭子 1 研究の目的 本報告は、大正期の性教育をめぐる言説に注目することによって、近代日本における純潔規範 の形成の新たな回路を明らかにしようとするものである。 近代日本のジェンダー形成を考察する上で重要なテーマである、結婚まで異性と性交しないこ とを重視する「純潔規範」については、明治末期の高等女学校の修身教科書に登場し、大正期に 入って平塚らいてうらによる「貞操論争」で「処女」の価値が語られるようになり、1920 年以降、 女性雑誌などによって流布されたことが、これまでの研究から明らかになっている(川村 1994; 牟田 1992; 高島 1995)。他方、明治末期に子どもの手淫の予防策として性教育の必要性を主張す る議論が登場したが、大正期の性教育論では「貞操」が教育内容の一つに加えられ、性教育の可 否や方法が大いに論じられるようになった。この「性教育」を語ることの流行は、家庭やメディ アにおける性教育実践を生み出したと思われる。つまり、学校における修身教育や女性雑誌に掲 載された貞操論とともに、性教育も純潔規範形成の回路の一つであったのではないかと推測され るのである。しかし、その過程の具体的な考察は未だ十分とはいえない。 本報告では、この性教育における純潔規範の形成という回路を考察するための出発点として、 大正期の性教育論を取り上げ、性教育論において貞操論がどのように受け止められ、「貞操」や 「処女」の教育方法について、どのような議論がなされていたのかを明らかにする。 2 研究方法 本報告は、歴史的な文献資料の言説分析を行うことを主な内容とする。その基本的な枠組みに は、江原由美子の『ジェンダー秩序』(2001)を用いる。すなわち、「ジェンダーの社会的構築」 という視点から、言説を、文化的に利用可能な形で流布され、「出来事を特定の形で作り出す語 られた言葉」と位置づけ、他の諸言説との関連性に注意を払いつつ分析を行う。この枠組みでは、 言説は、単に世界を写しとるものなのではなく、「性別カテゴリーを使用しながら『ものごとは 何であるか』を定義するような」ものとして位置づけられる。 3 結論 1920 年代に処女陵辱事件が頻発するや、貞操を「理想的な結婚の条件」としていた従来の性教 育から大きく変わり、処女の純潔を保護することが性教育のメインテーマの一つとなった。しか し、そこには大きな問題があった。処女性を、何も知らない無垢なままでいることだとするなら ば、その状態を守るために一定の性知識を与えるということはパラドキシカルな議論になってし まう。ここに登場したのが、女子に直接教えるのではなく、女子にとっての将来のロールモデル でもある母親に性知識の獲得を促し、必要な時には母親が女子に適切な性知識を与えるという、 性教育論であった。しかし、この性教育論は、確かに矛盾を止揚する一石二鳥の解決策ではあっ たが、母親の肩に娘の純潔を維持する責任を負わせるものでもあった。こうした性教育論が、娘 の性行動に対する管理責任意識を強化し、純潔規範を強化したのではないかと思われる。これに ついては今後の研究課題としたい。 【主要文献】 川村邦光 1994『オトメの身体―女の近代とセクシュアリティ―』紀伊国屋書店 牟田和恵 1992「戦略としての女」『思想』2 月号 高島智世 1995「貞操をめぐる言説と女性のセクシュアリティ」『名古屋大学社会学論集』