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第9号 - AKIHIKOの会

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第9号 - AKIHIKOの会
いの あ)の 脚 Gを生 きる こ と
死て
ホスピス ・在宅ケア実践中の臨床医内藤 いづみさん をお迎え して
4回 A K l H l K Oの会 開催
第1
4年 、今年も昨年 に引き続き ﹁
A KIHIK
没後 1
4回 AK
O忌﹂を開 かれた会 へと いう観点 から ﹁
第1
、
I IKO
を
とし
ち
H
て
い
の
の
時
生
の
会
﹁
死
︶
代
︵
﹂
、
、
日
き ること﹂ を メイ ンテー マに 三月 二十 一日 ︵
︶
。
東京神楽坂 。日本出版 クラブ会館 で開催しました
。
講師 はお 二人 一人は臨床医 と し てホ スピ ス ・在
、
。
宅 ケア実践中 の内藤 いづみ氏 もう 一人は批評家 で
、
。
わがAKIHIKOゼ ミ主宰 の米沢慧氏 お二人は
、
山梨 日日新聞 に 生命 ・医療 に関す る ﹁ファック ス
。
米沢氏 が内藤氏 の話を引き 出
書簡﹂を連載中 です
『
毎日グラフ別冊 』1967年4月 1日 号より
、
、
す形 で ︿いのち ﹀を取り囲む状況 に ついて
とりわけ脳死 による心臓移植 の道を開 いた臓
、
、
器移植法 の施行 高齢社会 介 護社会 に つい
、
てふれ て 死も ﹁いのち﹂と ルゼを ふる時代
。
に入 ったと淡 々と語りました
、
続 いて登壇 した内藤 いづ み氏は 自 らが取
り組む ホ スピ ス医療 におけ る事例を スライド
、
を使 って紹介 実践を通し ての説得力 のあ る
、
。
が ん告知﹂ や緩
お話 は 笑 いあり 涙あり ﹁
、
和 ケ アのことなど 時間を オーバーす るほど
、
。
の質問があり 関心 の高さが伺われました
今 回も遠 くは北海道 函館 から昭彦氏 の長女
、
さん
の
多 の大住敏 子さんも駆け
純
子
博
佐
藤
、
シ ャ ッター以前﹄第 三号 の
つけ 折り から ﹃
、
発刊を祝し て 第 二部懇親会 は大 いに楽 し い
。
。
会 になりました 参加者 五十七名
、
シ ャ ッタ ー以前 ﹄第 三号 は 昨年 の第 3
1
﹃
、
回AKIHIKO の会 の二次会 で 中川道夫
、
氏を編集 長 と し て刊行 され る こと が決 まり
、
実際 に動き 出した のは昨年秋 でしたが 二十
、
、
七名も の方 々にご執筆 ねが い この春 漸く
。
完成 しました 今 回は表紙 デザイ ンを加清明
、
子さんにお手伝 いいただき また川島 書店さ
んには取次店 の窓 口にな ってくださり感謝 で
、
。
す ﹃シ ャ ッター以前 ﹄ 三号 は まだ残 部 が
。
あります この本 の売り上げ が会 の財政を支
。
。
え て います ぜひ友人知人 にお勧 めくださ い
トナム
ら ホ スピ ス ヘ
福岡と東京 ・葛飾 で岡村昭彦写真展開催
、
去 る 四月 二十 日 ∼ 二十 五 日 福
岡 市 中 央 区 六 本 松 N H K ギ ャ ラリ
ーにて、 ﹁いのちを考え る写真展﹂
、
。
が 開 か れ た そ れ に先 立 ち 四月
、
十 八日 ﹁いのちを考え る︱ バイ オ
エシ ック ス のす す め﹂ と 題 し て早
。
稲 田大 学教授 の木村 利 人氏 が講演
、
講 演 会 の入場 者 は 一人○名 写 真
。
展 の入場者 は 一三〇〇名だ った
、
今 回 の写 真 展 の主 催 は バイ オ
エシ ック ス研 究 会 ︵
代 表 ニ ノ坂 保
喜 氏 ︶と 福 岡 ・生 と 死 を 考 え る会
、
︵
代表 隈崎行 輝氏 ︶ で A KIH I
、
K O の会 の大 住 微 子 氏 が 一時 的
、
な移 住 先 であ る福 岡 の地 で 偶 然
こ のお 二人 と 出 会 った こと が ご縁
、
、
と な り 講 演 会 写 真 展 の運 び と
。
な った の であ る 詳 し い経緯 に つ
いては マンヤ ツタ ー以単
型 第 三号
。
を お読 みくださ い
、
四月 二十 九 日 ∼ 五月 四 日
一方
か つし か シ ン フ オ ニー ヒ
1︶岡村さんの作品を生で見るのは、今日が
。
。
9
初めだ った 体が熱くな った ︵
女 。2︶
2︶ 苦悶と無表情な生きる者こ苦痛 の消えた
、
死者 の顔が 身を お いたことはな いけれど
。
0︶
女 ・3
戦争 の記憶として残ります ︵
7
3︶ 継続して下さ い。 ︵
男 ・5︶
4︶ 現在 のユーゴ ヘのNATOの爆撃を悲し
。
い目で改めて思 い出します いつも三度と
戦争 のな いことを願 っている人 々が支配者
。
になるのはたえられません
の いで
犠
牲
せ
。
女 ・勾︶
各地で開 いて平和を訴え て下さ い ︵
5︶ 戦争 の本当 の姿を表わしていて、胸が い
。
たくなる ︵
男 ・坐︶
6︶ 民族間 の紛争 や戦争 に至る歴史的、政治
、
的事情は様 々で 安易な反戦主張は禁物で
。
はあろう しかしこれだけはは っきり考え
、
東 京 ・葛 飾 の写 真 展 では 写真 に見 入 る
。
い人 が印 象 的だ った ア ンケ ート に回答 した
。
五二九名 の中から感想 の 一部を 紹介 します
、
氏 のこと が N H K テレビ と ラジオ の ニ ュー
、
スで取 り 上げ ら れ た た め 新 聞 など メデ ィア
。
によ って写真展を知 った人 の参加 が目立 った
、
今回は開催 二日目 の朝 主催者 の白 石忠
︲
ルズ にお いて ﹁
岡村 昭彦 写 真 展1 2世紀 への
。
。
一
遺一
一
屋 が開催されま した 入場者は九九 二名
ま
られる。 ﹁
争 いになれば犠牲 にな る のは弱 い
、
立 場 の人達 彼 ら は死 ぬ理由 も無 く安 易 に
。中
略︶
殺 される ︵
、
今 こう し て生き て いら れ る私も 生き ら
、
れ る喜 びを感 謝 し つ つ 自 分 の見え な いと
、
き る べき 人達 が虫 け ら の
ころ
同
で
生
私
様
よう に殺 さ れ て ︵
現 に ユーゴ など で︶ い っ
て いる事 は心 にと ど め てお か なけ れば な ら
。
な いと 思う 岡村 氏 の取材 活 動 は こう し た
現実 を全 世界 に知 ら し めたと いう 意 味 で素
、
晴 ら し いジ ャーナ リ スト であ り そ の生 涯
。
は壮 絶 を 極 め たも の であ った の でし ょう
︵
男 ・彰
、
S 勺︶ 6月 岡村 昭彦 のベ
︶ 196 5年 ︵
ト ナ ム戦争 従 軍 の写真 展を パナ通信 より借
り てや った こと があ る。彼 の写 真 展 は 一堂
に展示 したも の ついてはそ れ以来 はじ め て
。
見 る 当 然 新 し い多 く の写 真 を 見 る こと に
、
な った が 古 く か ら の友 人と し て感懐 にひ
、
。 シ ャッター
た って いる ﹁
以ユ
型 が 3号出 て
彼 の偉 大 さ がま すま す あ らわ れ てく るよう
、
で 昭彦 の会 の活 動 が今後 も い っそう 長 く
、
持続 さ れ 多 く の人達 に影 響 し続 け る こと
を期待 した い。新 ガイド ライ ン法案 により
、
日本 が平和 国家 より 戦争 す る国 に転換 す
、
る時 にあ たり い っそう 切実 感 が増 し て い
7︶
るよう に思われる。 ︵
男 ・6
8︶ な んだ か、人間が死 んでゆく 、あ る いは
死 ん でしま って いる人 のア ップ の写 真 が多
く て、 見 て いて悲 し い気 持 にな り ま し た 。
、
人 間 の死を美化 す る つも り はありま せ んが
も っと 人 間 の生と か 死を自 然 の風景 の 一部
と し て撮 ってほ しか った気 がしま す 。 そ れ
と 人間 同 の いは お ろか なも のだ と改 め
戦
士
。
て思 いま した ︵
女 ・坐︶
9︶ 初 め て見 て、色 々と び っく り しま した。
女 ・8
︵
5︶
0 まだ 私 より さ い子な のに病気 や食 事 が
1
︶
小
でき なく て死 ん でしま ってと っても か わ い
。
そう でし た 募金箱 など があ った ら 1円 や
0 円 で も 募 金 し てあ げ た いと 思 いま す 。
1
女 ・︺
︵
、
1
1︶ 人 の命 のも ろさ 生き て いること への感
。
謝 を感 じま した 自 分 の力 では何 も でき な
、
。
いけれど 何 か が出 来 た らと 思 いま す い
つにな って も 平 と いう 日は こな いのでし
和
︲
ょヽ
つか? ︵
女 ・4
︶
2 三 と再び 日 を戦争 からまも らな けれ
︲
本
︶ 度
、
、
ば 日本兵士も海外 で同 じ事を や って来た
。
︲
男 ・6︶
反省 ︵
、
、
、
。
3
・ ︶ 国 家 民 族 宗 教 思 想 介﹀ 人 間
男 ・む
︵
4︶ 悲 し み よ り 、 怒 リ ー 平 和 な 日本 、
・
雪伊 D ▲ 男 ・●
、
5
︲
︶ 最近意識して美し い物 いごこち の良 い
。
物しか見な いよう にし てま いりました 初
、
めて岡村昭彦 の写真展を見 胸が つま る思
いがしました。悲惨な現実も見 つめて いか
なく ては いけ な いのです ね ⋮ 。 ︵
女 ・毬︶
6
︲
戦争﹂と いう重 い響き に落胆す ること
︶ ﹁
、
なく 岡村さんはその中 に飛び込んで ﹁
愛﹂
を 見 つけ よう と す る。 そ んな人物 が こ の
、
生
界 に多 数 存 在 し て いる こと こそ が ﹁
、
。
の尊 厳 ﹂ に つな が る第 一歩 にな る 若 い
何 も 持 た な い私 でさえ 心 の震え を 抑え る こ
と は でき な い。 私も ﹁
そ の第 一歩﹂ に加 わ
9
左がだろうか。︵
男・
1︶
*
7
︲
︶ 一枚 の写真を 2時 間 でも 3時 間 でも見 て
、
いら れそう な程 それぞ れ の写真 には引き
、
。
込ま れた 特 に ヴ ェト ナ ム戦争 の写真 は
、
いま ま でに 二 三枚 く ら いしか見 た こと が
、
9︶
な く 衛 撃 のあ る も のだ った 。 ︵
女 ・1
7 のみ
9日入 者 の中より 1
初 日4月 2
名
紹介 ︶
場
︵
講談社刊︶ の編
岡村 昭彦 報 道 写 真集 ﹄ ︵
﹃
、
でもあ る米沢慧氏 は 今回 のAKIHIKO
岡村昭彦 の写真 の力 が変わ
の写真 にふれ て ﹁
った 1と 思う 。 ﹃ベト ナ ム戦争 写真 ﹄ ﹃
、
報道 写 真 ﹄ から ほかな ら ぬ ﹃
写真 ﹄ にな っ
、
。
要す る に 歴史 か ら解き 放 さ れた
て いる
、
。
真 生命存在としての写真 におさま っている
今回 の写真展ポ スターにそれは象徴 される﹂
と語 って いる。ご自分 の住むと ころで写真
を希望される方は事務局 へご連絡くださ い。
1 ﹁AKI HI KOの会 ﹂ の活動 の 一つと して 、
主宰 米沢
毎 月 一回 ﹁AK IHI KOゼミ﹂ ︵
。
慧 ︶ を開催 し て います 原則 と して毎 月第 二
、
、
土 曜 日 〓 二時 よ り JR水 道橋 駅 ・倫 理研
。
究 所 八階会 議 室 にて 基 調講 演 のあと質 疑 ・
、
自 由 懇談 そ のあとビ ー ルで乾 杯 。年会 費 は
。
。
三〇 〇〇円 です お気 軽 にご 参 加 くださ い
、
2このゼミ の
で
ミ ー を
一
環
セ
ナ
夏
﹁
期
特
別
﹂
。
本
今 年 も 八月 七∼九 日 に かけて開催 します
年 は 三日間 とも軽井沢 町千 ヶ滝 の岩城邸 を会
。
場 に開催 しま す
、
▼ 回 のゲ スト講 師 は 東 京 写真美術館 専 門
今
都
。
演 題 は 一九
調査 員 で写真史家 の金 子隆 一氏
二〇 年代 の貴 重 なグ ラ フ誌紙 資料 を つか って
ナ
リ
ス
ト
と
し
て
の
A
K
I
H
I
K
O
。
必
見
の
書
3 珂将 軍﹂と呼ば れ た男 ﹄ ︵
玉木 明著 ・洋泉 社 刊
税別千 八百 円︶戦後 史 の逆 説 を生 きたジ ャー
4 ﹃シ ヤ ツタ ー以 前 ﹄ 第 3号 購 入 の お 願 い
三月 の ﹁A K I H I K O の会 ﹂ に合 わ せ て 発
売 さ れ た ﹃シ ヤ ツタ ー以 前 ﹄ 第 3号 が 残 って
。
いま す
こ れ が 売 れ な いと 第 4号 の出 版 は で
、
。
販 売 方 よ ろ し く お 願 いし ま す
きませんので
5 ﹃いの ち に寄 り そ って ﹄ ︵
内 藤 いづ み/ 米 沢
慧 共 著 ・オ フ ィ ス ・エム刊 。税 込 千 六 百 円 ︶
ホスピス医と批評家との、勺通の ︿いのち﹀
の往 復 書 簡
1整
畢
幾
葬
艶
擁
義
││:
﹃メデ ィアの中 の写真︱ 近代 フォトジ ャーナ
リズ ムの成 立 ﹄。金 子 さ ん は幕末 から現代 ま
での日本 の写真 史 の調査 、研究 の第 一人者 。
、
東 京 都 写真 美 術 館 の開館 に尽力 し 一方 写真
集 の コレク タ ーと し ても知 られ ます
さ ら にも う ひと り。千 葉地 裁判事 の横 山巌
。
氏 によ る ﹃
少年 審判 と少年 の更生 ﹄ そ のほ
か米沢慧 氏 によ る ﹃
結
軽 井沢︱ 堀辰雄 と病 ︵
、
、
核 ︶地勢論 ﹄ 飛び 込 みで玉木 明 氏等 々 夏
。
期 セミ ナ ーな ら では の企 画を準備中 です
、
。
▼参加 希 望者 は 事務 局 ま でご 連 絡 くだ さ い
。
締 め切 りは 七月 二五日
軽
泰i撫
戦韓宮
G ﹃ベ ト ナ ム もう ひ と つの旅 ﹄
明 石書店 刊 ・税 別 二千 五百 円︶ ベトナ ム に愛
。
。
執 念 の 一作
。年
着 を抱 き続 け て3
月
K
回
I
の
H
I
﹁
K
A
O
K
の
I
会
H
﹂
I
な
K
ど
O
の
ゼ
お
ミ
知
﹂
ら
な
せ
ど
や
で
会
す
報
、
、
、
会 則 会 長 な し で 通信 費 一〇 〇 〇円
、
一
7 A KI HIKOの会 ﹂ の活 動 は 、年 一回 の
﹁
﹁AKI HIK Oの会 ﹂と 不定 期 の会 報 発行
毎
A
不定 期 ︶を払 った人 を会 員 と し て登録 し て
︵
会費
﹁
を お送 りして います 。 この 二年 間 ほど 通信 費
を払 って いな い人 で、引 き続 き案 内等 の必要
。
な方 は通信責 ︵
切手 可︶を お送 りくだ さ い
▼通信 費 の送金 先 は左 記 の通 り です
回座 番号 ﹁〇〇 一七 〇十 六十 六 一五 一二三﹂
加 入者名 ﹁岡村 昭彦 の会 ﹂
﹁岡村 昭彦 の会 ﹂会報第 九号
発行 東 京都 江 戸川 区西小 岩 五十 十 一︱ 二七
戸 田徹 男 方 ﹁岡村 昭彦 の会 ﹂事務 局
TE L& FAX O 三十 三六 五七十 八 三 八〇
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