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アヴァンギャルドとコレクター: ニキータ・ロバーノフ

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アヴァンギャルドとコレクター: ニキータ・ロバーノフ
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<研究ノート>アヴァンギャルドとコレクター : ニキータ
・ロバーノフ・コレクションの作品目録出版にちなんで
五十殿, 利治
スラヴ研究(Slavic Studies), 43: 229-237
1996
DOI
Doc URL
http://hdl.handle.net/2115/5250
Right
Type
bulletin
Additional
Information
File
Information
KJ00000113409.pdf
Instructions for use
Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP
[研究ノート]
アヴアンギャルドとコレクター
ーニキータ・ロパーノブ・コレクションの作品目録出版にちなんで五十殿利治
美術史という学問はまだ歴史が浅く、とりわけ近代については、いっそうその感が深い。
しかし、これは研究の積み重ね、つまり研究史という点からして、比較にならない面があっ
て、一概に近代美術研究者を責めるわけにはゆかないであろう。
そうした近代美術史における未開拓の領域として、作家を庇護するパトロンやコレク
ター、そしてコレクションの成立(と散逸)という問題がある。ここで、例をわが国にとっ
てみると、すでに「本来の美術史は美術品の移動によって始まる」という視点から田中日
佐夫が『近代日本のコレクターたち
美術品移動史』で手掛け、近著『現代の美術コレク
ター』において、さらにその問題を展開させている(1)。さらに、この田中の仕事ではあえて
取り上げていない、散逸してしまったコレクションのうち、近代日本において忘れてなら
ない松方幸次郎の西洋美術品の収集についての基本資料となる、 5
0
0頁に近い総目録が越
智裕次郎によりまとめられ、神戸市立博物館より刊行された (2)。この種の基礎研究が積み重
ねられることによって、近代における美術史を、枠取りされた美術作品の内部に封印しな
いで、それを含む美術界というものを動態において把握する土台ができるはずである。
このようなコレクターおよびコレクションの研究において判明してくることは、そのコ
レクタ一個人の趣味というものだけではない。彼と画商とのやりとり、場合によっては、
注文を出した作家とのやりとりといったものから、時代の動向が照らし出されることがま
まあるのである。たとえば、 1
9
2
2年から 2
4年までベルリンに赴任した日本銀行のエリー
ト、宗像久敬のコレクションについての、オットー・デ、イツクスとの不幸な交渉経過を含
む、水沢勉による一連の先駆的な研究は、当時の日本人としては傑出したこのコレクター
の存在を浮彫にしている(九戦後散逸してしまい、わずかにクレー、モホイェナジ、シャガー
ルなどの鈴々たる作家たちのサインが記された(それ自体としてはまことに興味深い)記
録ていどしか残されていない彼の収集品には、カンディンスキーの油彩、ディックスの水
彩、あるいは、最近になって筆者が明らかにしたように、ラリオーノブのプリミティヴな
油彩(4) まで含まれていたのである。
宗像と作家たちの交渉は、アヴァンギャルドとコレクターという関係に当るわけだが、
アヴァンギャルドを社会がどのように受容したかという問題にも絡んでくる。われわれは
とかくアヴァンギャルドと社会との関係をジャーリズムでの反応、作品の撤回というかた
ちでの官憲の圧力といった直載なものに求めやすい。 しかし、間違いなく、コレクターの
存在はアヴァンギャルドと社会を結ぶひとつの重要な回路である。とりわけ、近代におい
ては、かつての王侯貴族といったパトロンの代わりに、自立した作家としてプルジョワを
コレクターとしなければならないので、その役割はより重要なのである。
こうした問題意識での研究は、つまり、アヴァンギャルドと社会を結ぶ回路としてのコ
五十殿利治
レクターという側面からのものとして、近年ドイツで出版されたへンリケ・ユンゲ編の論
文集『アヴァンギャルドと大衆』が注目される(九左翼の美術批評家でロシア・アヴァンギャ
ルドとも無縁ではないアドルブ・ベーネ、ミュンへンの画廊経営者ハンス・ゴルツ、ある
いはハンブルク美術館長グスタブ・パウリなどについての論文も含まれているが、ブラン
クアルトのロジーとルートヴィヒ・ブイシャー、フォン・デア・ハイト家などのコレクター
についても大きな比重が割かれている。いずれも短い論文なのが難点であるが、やがてモ
ノグラフィーとなるような重大な問題をはらんでいる。
ところで、アヴァンギャルドとコレクターというネ見点でロシア・アヴァンギャルドをみ
ると、そこにもコレクターの存在が見逃せないことに気づかされる。まず、同時代でアヴア
ンギャルドを支持したコレクタ一、そして長らく等閑視されていた時代に少しずつ作品を
収集した現代のコレクターにわけで考えよう。
まず第一のカテゴリーで挙げられるのは、大コレクターたちである。ロシア・アヴァン
ギャルドの成立期においては、ちょうど、今日のトレチャコブ美術館の基をつくったパー
ヴェル・トレチャコブに相当するような二大コレクターがいた。ひとりはセルゲイ・シ
チューキン、そしてイワン・モロゾフである。両コレクションはプランスの近代絵画の収
集で知られている。
モロゾブ家はモスクワの一大コンツェルンで、その代表格のイワンのコレクションは早
世した兄弟のミハイルが始めたプランス絵画の収集を受け継いだものであり、とくにセザ
9
1
2年『アポロン』誌に掲載された目録によれば、 1
7
ンヌ作品において際だ、っていた (6)0 1
点のセザンヌがそのコレクションに含まれていた (7)。このほか、同コレクションには、印象
派のモネ、ルノワールから、いわゆる後期印象派のゴッホ、ゴーギャンまで、かなり個性
的な特徴を備えた作品があった。ただ、コレクションのもった影響力(ロシアだけにとど
まらない)という点では、モロゾブはシチューキンのはるか後塵を拝することになった。
セルゲイ・シチューキンは当時では世界的なコレクターといえる。とくにマチスとピカ
ソの収集においては、群を抜いていた。今日、エルミタージュ美術館が誇るマチス作品、
たとえば大作の「音楽」と「ダンス」も、もとをただせば、シチューキンの邸宅を飾って
いたものである (8)。マチス自身、シチューキンの招きでロシアにやってきたことがあった
し、すこしモンゴル系ともいわれる彼の容貌を伝える貴重な素描を制作している(九さらに
重要なことは、シチューキン邸で画家たちがその作品に触れることができたという事実で
ある D 限られた人間だけが近づけるまさに私的な愛蔵品ではなく、シチューキン・コレク
ションは作家たちを啓発するという芸術的な役割を演じたのである。
この二大コレクターについてはよく知られているので、そのほかのコレクターについて
触れておきたい。筆者が留意したいのは、舞台美術関係のコレクタ一、レブキー・ジェヴェ
ルジェーエブである。彼はペテルプルグの「青年同盟」のパトロンで、会長ともなった人
物である。彼は金銭的な援助だけをするパトロンではなく、より積極的なタイプの活動家
であったようである。同盟員に家業(錦織)に関係する応用美術、そしてなによりも自ら
関心を抱いていた演劇に興味を向けさせた点で功績があるといわれる(10)。
ジェヴェルジェーエフのコレクションとして注目されるのは、現在ペテルプルグ国立演
アヴァンギャルドとコレクター
劇博物館蔵となっているマレーヴィチの素描である o それは 1
9
1
3年、伝説的な未来派劇場
上演のために制作した一連の舞台装置と衣装のためのデザインであり、また「黒い正方形」
のための霊感源となったといわれる素描を含むものである o この所蔵をめぐって若干の経
緯がある。ジェヴェルジェーエブはこのスキャンダラスな公演を支援したのであるが、マ
レーヴィチのデザインを画家に返却しなかったようである。マレーヴィチが「黒い正方形J
を含む 3
9点、のシュプレマテイズムの絵画を発表する「“ 0,1
0
"最後の未来派絵画展 J が開
催されたのと同じ 1
9
1
5年 1
2月に、ジェヴェルジェーエブは自ら収集した演劇美術関係の
作品群とともにこれを公開したのであった (11)。マレーヴィチはこの年のマチューシン宛書
簡にうかがえるように、「太陽の征服」上演後、そのための素描を発表することに拘泥した
が
(
12)、その第一の理由が戯曲に盛りこまれた世界観を土台にしてマレーヴィチの想像力が
ますます展開していったためであることは疑いないとしても、第二の理由として、手元に
肝心の素描群がないことも重要な動機であったと考えられるのである
O
このように、コレクターの存在は美術作品の生成にきわめて大きな影を落とす場合が少
なくないのである。
ロシア革命とともに、こうした大コレクターの姿は後退する。従来の大コレクションは
国家に接収された。また、反社会的であったアヴァンギャルドは公認され、美術教育や美
術行政の変革に直接に関与するため、従来のプルジョワ的なパトロンをもはや必要としな
くなる。むろん、ネップ期には個人コレクターが登場するが、必ずしもアヴァンギャルド
作家たちにとって幸運な事態とはならなかった。やがてスターリン体制下で弾圧が加えら
れるようになると、今度は逆にアヴァンギャルド作品を所有していることが、作家やその
家族のみならず、コレクター当人の身の安全を危うくすることにつながった。コレクター
の出る幕がなかったのである o
こうした弾圧と秘匿の時代が長く続いたが、しかし、コレクターの伝統が失われたわけ
ではなかった。戦後においても、重要な役割を演じた人間たちがいた。その筆頭に挙げる
べき人物は、モスクワのギリシャ人、コスタキスであろう。彼の集めた千を超える、膨大
な作品群は、いまやコレクション目録という本の上でしか確認できない(1九なぜなら、 1
9
7
7
年彼が出国するときに、多くの作品をトレチャコブ美術館に寄贈したからである O 広く知
られる人物であり、ここでは賛言は慎むが、ロシア・アヴァンギャルドの再評価において、
このコレクションが果たした貢献はいくら強調しでもしすぎることはないであろう。
戦後のコレクターとして留意する必要があるのは、国際化ということである。ロシア本
国での不当な等閑視の時代に、着実に欧米では再評価が進んでおり、作品の来歴の点でし
ばしば解決不能の難問に直面しつつも、意欲的に収集をするコレクターがいたし、またこ
れに応じる画商の活動も盛んであった。戦前にも、欧米には、ロシア・アヴァンギャルド
に注目した慧眼の持ち主がいた。たとえば、現在、イエール大学美術館に収蔵されている
旧ソシエテ・アノニムの作品の一部は、 1
9
2
2年にベルリンとアムステルダムにおいてロシ
アの現代美術展が開催されたときに、購入されたものである(1九あるいは、リシツキーが
ドイツを主な舞台として活躍したために、この時代のドレスデンのコレクターとして有名
なイダ・ピーネルト夫人のコレクションにも彼の作品が入ることになった(l九
-231
五十殿利治
さて、ここでいまひとりのコレクターの名前を挙げたしユ。ニキータ・ロパーノブ。 1
9
3
5
年ソフィア生まれで、オックスフォード大学で地質学を学んだ後、ニューヨークで銀行に
9
5
4年、ロンドンで見たリチヤー
就職する一方、まだプルガリアから西欧に来て問もない 1
ド・パックル企画のディアギレブ展で受けた感銘から(16)、近代ロシアの舞台美術のコレク
ションを開始したという。
コレクターとしてのロパーノフは、彼の記したエピソードからうかがえる限りでは、画
商あるいはオークションを通じての収集を主とするコレクターというよりも、自ら行動す
るコレクターである。そこには、作品を通しての作家やその遺族や関係者との出会い、ま
たそうした人々を通しての出会いがある。たとえば、アテネでのパーヴェル・チェリチェ
ア作品との出会い。同地の「カフェ・ぺトログラード J でチェリチェアらしい作品をロパー
ノブ夫妻はみつけた。尋ねてみると、カフェの主人はその作品をダンサーであり、また振
付師のクニャーゼブから購入していた。クニャーゼブとチェリチェブはイスタンプールで
1
9
1
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1
9
2
0年に同じキャパレで仕事をしていたのである 夫妻はとりあえずそのとき手元
0
0ドルでチェリチェブの衣装デザインを購入したという(1九
にあった 1
こうして長い時間をかけて形成されてきたロパーノブのコレクションは 1
9
6
0年代の半
O
ばから人の目に触れるようになったのだが、個人の収集としては、かなり展観の機会に恵
9
8
8年 2月には、異例なことといえようが、ソヴ エト芸術基金の肝煎りでモ
まれており、 1
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スクワの国立プーシキン美術館で公開されたこともある(1的。展覧会のたびにカタログが発
行されるので、それをみるだけでもコレクションの成長を辿ることも可能であるが、この
0
0頁を超す大部な決定版ともいえるジョン・ボールト
ほどモスクワのI1CKyCCTBO社から 4
編の作品総目録『ニキータとニーナ・ロパーノブ二ロストアスキー・コレクション一一ロ
シア舞台美術家
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4年
Pocm06CKUX. XYOO:JICHUKU PYCCK020 meampα 1880-1930. Kama
刊)が出版されたので、このコレクションについて概要を述べてみる O
コレクションについてのロシア語による著作は実は 3冊目である。最初はプーシキン美
術館での展覧会に際しての出品目録、そして 1
9
9
0年、同じく日 CKyCCTBO社から先の本とほ
ぼ同題の『ニキータとニーナ・ロパーノブ=ロストアスキー・コレクション一一ロシア舞
台美術家
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ルトによるテキストに加えて、コレクションの代表作 2
0
0点、をすべてカラー図版で紹介し
た本格的な画集であった。しかし、今回の作品目録では全作品について白黒の図版と、作
家略歴や関連する戯曲やバレー台本など作品にまつわる種々の基礎的データ(作品名、制
作年代、技法、署名、寸法、記載、文献)が掲載されており、今後、研究者には必須の便
覧といったものになるであろう。ロパーノブと四半世紀を超える交友を続けるボールトに
よる永年の研究成果である o
千点、を超えているロパーノブの収集は、時代的にはある程度前世紀末から今世紀初頭に
集中してはいるが、内容的にみると、ほぽ 1
4
0作家の仕事が含まれ、多種多様で、、概観す
るのは容易で、はない。ディアギレブに関係する「芸術世界 J のベヌアやパクスト、第一次
世界大戦中からディアギレブと行動を共にするロシア未来派のラリオーノブとゴンチャ
アヴァンギャルドとコレクター
ローワ、さらに、無対象表現の開拓者たち、マレーヴィチやタトリン、そしてポポーワや
エクステルといった構成主義者たち、そして歴史にはほとんど名が残されていない無名の
作家たち。
近代ロシア美術史においては演劇との交流がまことに豊かなものであったことをよく物
語る貴重なコレクションであることが想像されよう。ディアギレブのバレエ団のない、あ
るいはマレーヴィチの参加した未来派オペラ「太陽の征服」のない、今世紀のロシア美術
史というのは貧弱このうえないものであろう。
いや、ことはロシアだけに限られない。 1
9世紀末から 2
0世紀前半の美術史は演劇との関
わりを無視してはほとんど成り立たないほどなのである。たとえば、 1
9
8
6年にフランクア
ルトのシルン美術館 S
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J展が明らかにしたように、世紀末のナピ派
を序曲にして、ロシア以外でも、イタリア未来派しかり、ドイツ表現派しかり、 2
0年代の
パリでの動き(レジェとスウェ…デン・バレエ、モンドリアンの舞台装置模型、等々)し
かりと、演劇という鮮やかな糸が美術史に織り込まれているのである。この両者の関係は、
2
0世紀におけるいわゆる「パーフォマンス J のメディアとしての重要性にちょうど見合っ
ていると考えられる oそここそは文字どおり美術と演劇の境界領域であり、必然的にアヴァ
9
2
0年代には抽象美術の進出
ンギャルドが開拓する領域ともなったのであるし、とりわけ 1
する「空間」に合流することにもなった。
さらに、口パーノフ・コレクションについていえば、収集作品の多彩さも見逃せない。
舞台装置や衣装のデザインはもとより、ポスター、プログラム類、舞台関係者の肖像画な
ど、収集対象も舞台美術の多層的で広範なカテゴリーを示すように、多様というよりも雑
多である。これに応じて、作品目録には、作家別のポスター・プログラム・装備などの印
刷物とそのためのデザインのリスト、そして同じく作家別の肖像画とそのモデル、また自
画像についてのリストが用意されている。
こうしたコレクションを概括して、ボールトは作品目録序文でつぎのように四つの特色
を挙げている。まず、ゴンチャローワ、ポポーワ、エクステルの鮮やかな彩色に代表され
るように、作品群の「見た目の華麗さ、く感受性>、内容の充実」、つぎにディアギレブの
バレエ団に関連するような「伝統的なロシア舞台デザインの枠を超えて」、「それ以外の舞
台装飾美術の現象に注意を集中している」こと、第三として、「クラシック・バレエ、オペ
ラ、演劇の枠を超え J、「サーカス、キャパレ、ヴァリエテ、映画などのあまり正統的でな
い傾向を含める」という舞台美術観(作品目録の付録として、ジャンル別の一覧があって、
全 8項目、バレエ、キャパレ、映画、サーカス、オペラ、人形劇、演劇、ヴァリエテ=ヴォー
ドヴィルに分類されている)。最後に、ソヴェト・ロシアの政治社会状況や亡命によって「無
ヘ
視と破壊を運命づけられていたであろう文化財の宝庫 J となった点である (1
妥当な要約であろうが、ロパーノブ自身は作家を三クゃループに分けたことがある。つま
り
、 1)ロシア・バレエ団の公演に参加した作家たち、 2)ソ連邦の外でロシア演劇に関
わった作家たち、 3)ロシア内外で活動したアヴァンギャルド作家たちである。そして、
ある作家をとびぬけて愛好するということはないが、アレクサンドル・ベヌア、エクステ
ル、そしてゴンチャローワが飾られた部屋で暮らす生活を好むと告白している(問。また
五十殿利治
ボールト相手のインタービューでは、自らを「根っからのコレクタ-as
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Jと呼び、もし投獄されることになったら、どの 1点をもっていくかという意地の悪い
質問に対して、パクストがデザインして、イダ・ルビンシュタインが着用したクレオパト
ラの衣装デザインと答えている (21)。コレクターだけに許される質問ということになろう
か。美術史を志す筆者としては、彼のコレクションでなにがもっとも優れた作品であるか
という問いかけには答えないでおこう。
最後になったが、ロシアの舞台美術、とりわけバレエのそれに関わる世界的なコレクター
として重原英了の名を出さずには本稿を締めくくることはできないだろう。戦前のパリで
交友したラリオーノフのグワッシュ画、ゴンチャローワのディアギレブ像など、その膨大
なコレクションの一部に筆者がはじめて接して驚いたのは、かなり後になってから、すで
に国立国会図書館に寄贈されてからのことである。しかし、そのコレクションは知的財産
としてほとんど利用されないままであったようであった。本年 3月、その一部を藍原家の
ご好意と国立国会図書館支部上野図書館の協力を得て、資生堂ギャラリーの展覧会におい
9
2
0年代の巴里より』を参照していただき
て展示することができた。詳しくは同展目録s'1
たいが、成り立ちにまつわる様々な事情などを含めて、美術品コレクションの存在は多く
を語りかけてくるように思われる。
-注ー
1 s'近代日本のコレクターたち
美術品移動史』日本経済新聞社、 1
9
8
6年、『現代の美術
9
9
5年。引用は『近代日本のコレクターたち
コレクター』同前、 1
美術品移動史』、 7
頁より。なお、これ以前の研究として、矢代幸雄『芸術のパトロン J(新潮社
1
9
5
7年)、
また近年のものとしては経済社会的な側面をも考慮した佐藤道信「歴史史料としての
コレクション Js'近代画説 J 2号
、 1
9
9
3年がある
O
2 s'松方コレクション西洋美術総目録』松方コレクション展実行委員会・神戸市立博物
9
9
0年
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、 1
3 I[fわかちあった熱狂』宗像久敬氏旧蔵サイン帳について Js'神奈川県立近代美術館年報』
1
9
8
3年度、同「宗像とディックス
制作依頼にかかわる新資料」問、 1
9
8
9年度。なお、
当時におけるベルリンの日本人の活動については、拙著『大正期新興美術運動の研究』
スカイドア、 1
9
9
5年、を参照されたい。
4 拙稿「ゴンチャローヴァ、ラリオーノブと日本人」展覧会目録s'1
9
2
0年代の巴里より
川島理一郎、ゴンチャローヴァ、ラリオーノブ』資生堂ギ、ャラリー、 1
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、 1
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6頁
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れている。“ K
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