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107号 - 青山学院大学山岳部

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107号 - 青山学院大学山岳部
緑ヶ丘通信 No.107 2014 年(平成 26 年)12 月 24 日発行
ら無くなったのが良かった。 そして、 明日は晴れ
ていることを願って就寝した。
■ 8 月 16 日
青山学院大学山岳部 OB 会 ・ 緑ヶ丘山岳会会報
No.107 2014 年 12 月 24 日発行
4 時半起床。 まだ雨は降っていないが雲は怪
しい。 予定していた東沢は増水、 濁流であると
みて、 行き先を針ノ木岳に変更した。 出発して
すぐ雨が降り始め、 平ノ渡場を少し過ぎた避難
小屋に入って天気予報を確認する。 この先も雨
の日が続くと分かり気分が落ち込んだ。
このあと針ノ谷沿いを進んで行くのだが、 ここで
は渡渉する箇所が多く、 増水しており危険だと
発行人:会長代行 神澤 淳子 編集:広報担当 鈴木 成治
デザイン:菊地 理
緑ヶ丘山岳会HP:http://www.auac.rakusaba.jp/blog/
見て、 南沢出合手前でテントを張ることにした。
すると、 テントを張ると同時に雨は止み、 天気に
恵まれない我々であった。
晴れたおかげでテント場では衣類などの装備を乾
かしたり、 焚火をおこしたりして、 晴
山岳部夏山合宿
~ 北アルプス
れている時間を大切に使った。 こ
こで羽田さんがイワナを釣ってきて、
みんなで焚火を囲んで塩焼きで食
中西 謙(理工学部 2 年)
べたが、 これがうまかった。 沢ならで
はの時間を過ごした日であった。
期間:2014 年 8 月 14 日~ 22 日
場所:北アルプス縦走 ■ 8 月 17 日
メンバー:真下、 中西、 増子、 池内、
4 時起床。 この日は渡渉が何
羽田 OB、 鈴木 OB
度かあるため、 東沢のために持っ
てきた沢靴を履き針ノ木岳に向
■ 8 月 14 日
けて出発した。
今回の夏合宿は鈴木さんのお誘いで前
この日も出発と同時に雨が降
半は黒部川東沢の沢登り、 後半は現役だけ
で北アルプスを縦走して親不知まで行くことに
り始め、 晴れるという期待を裏切
▲針ノ木小屋でガイドのツルさんと
られる。
した。 去年は表銀座を縦走して西穂高岳ま
大きなザックを持ってバスに乗り込み、 黒部ダ
で行く難易度ある夏合宿であったが、 今回は
ムへ出発した。 到着してから記念写真を撮り、
昨日より沢は穏やかだが膝まで増水して沢登
去年の倍の日数で日本海を目指してとにかく
今日の目的地である奥黒部ヒュッテに向かった。
りに近く、 沢靴があって良かったと感じた。 池内、
歩く合宿である。
天気は曇っており、 雨男である真下さんを横に
増子にとっては初めての沢登りになるが、 このよう
見て嫌な予感がした。
な形になるとは思ってもいなかったであろう。
去年の夏合宿では毎日晴れており、 山の
景色や星空が綺麗であったことを鮮明に覚え
最初は黒部湖沿いの平坦な道を進み、 渡船
雨と沢の水で体が冷えながらも歩き進み、 針ノ
ており、 今回も毎日が晴れで楽しい合宿とな
場まで行く問題の無い道だが、 出発してすぐ増
木谷出合に到着。 ここから針ノ木峠まで登りが続
れば良いという気持ちで臨んだ。
子が路肩から滑り落ちた。 早くからこの先が不安
く。 ここでまた増子が路肩から落ちた。 かなり疲れ
になる一同であった。
が見えフラフラの状態だが、 針ノ木小屋がすでに
夜、 現役は羽田 OB 車と鈴木 OB 車に分
見えていたので小屋を目標に登ることができた。
かれて扇沢に向かう。 先に自分と池内を乗せ
それからすぐ雨が降ってきた。 最悪だ。 そして、
た羽田車が到着し、 テントを組み立て寝る準
渡船場に着き、 船の出発まで平の小屋で雨宿り
到着してすぐに針ノ木小屋でバイトしているツル
備にかかる。 お盆休みであるため車が続々駐
をした。 ここで池内の雨具が壁にかかっていた釣竿
さん(ヒマラヤ遠征のガイドさん)に会いに行った。
車場内に入ってきた。 それから数時間後、 真
の針に引っ掛かり、 なかなか取れないため結局は
約半年ぶりの再開で元気そうであり良かった。
下さんと増子を乗せた鈴木車が到着し、 眠そ
さみで雨具を着ることになってしまった。 それからも
テント場には 5 張ほど張っており、 我々も体が冷
うな顔で立てておいたテントに入り就寝した。
出発時間になって船に乗り込むとき、 池内は湖に
えていたのでテントを張ってすぐ中に滑り込んだ。
片足落ちてしまい災難続きであった。
■ 8 月 15 日
対岸の道は丸太のハシゴや橋の連続であり、
■ 8 月 18 日
起床してすぐ関電トンネルトロリーバスの始発
雨で濡れているため、 滑りやすく注意の必要な
4 時起床。 朝から増子が腹痛で体調が良く
に乗るため準備にとりかかる。 前半の沢登りで
道であった。 奥黒部ヒュッテに到着する頃になっ
ない。 池内も膝が痛いため、 あまり早く歩くことが
は使わない装備や食料は車に置いておいた。
て雨は止み、 テントを立て食事の準備にとりかか
できない状態だ。
切符を買いに駅に向かうとそこには登山客や一
る。 初日はチーズフォンデュを作り、 みんなに好
針ノ木岳頂上に向けて出発。 雨は降っていな
評で良かった。 なによりフランスパン 2 本荷物か
いものガスで視界が悪い。 途中、 雷鳥の親子を
般観光客など大勢の人が並んでいた。
1■
緑ヶ丘通信 No.107 2014 年(平成 26 年)12 月 24 日発行
見ることができた。 頂上に着くが、 ガスで景色は
の時間に合わせ下山する。
見えずすぐ小屋に戻る。 小屋に着くと空から光が
下山の日が合宿中最も晴れた日であり、 山は
射し、 少しの間だが晴れた。 この時間を使って装
我々を嫌っているのかと思ってしまう。 この日は合
備を乾かし、 扇沢に向けて出発した。
宿を終えることができるということで、 池内、 増子
初め 1km ほど雪渓が続き、 気をつけながら
も顔色が良い。 自分も晴天だけあって気分が良
進むが何度か滑ってしまった。 池内は片足が雪
く、 いつも以上にカメラのシャッターを切っていた気が
渓を踏み抜いてしまった。 一歩間違えれば大事
する。 八方池には鏡みたいに綺麗に山が映り、 遠
故になっていただろう。 池内、 増子ともフラフラの
くの山々もよく見える。
状態だが無事、 扇沢に到着した。
リフトを使って下まで降り、 またオートキャンプ場
この先の天気や二人の様子を見て計画を変
に行った。 ここで夏合宿から解放され、 近くの温
更し、 白馬アルプスオートキャンプ場でテントを張
泉でゆっくりし、 スーパーで肉などを買って焼き肉を
ることにした。 この日はオートキャンプ場だけあって
食べた。 これがすごくおいしく、 楽しい夜となった。
▲岩魚を食べる中西、 池内(中)益子(右)
扇沢→黒部ダム→奥黒部ヒュッテ
朝の目標は平の渡し 10 時便。 途中大粒の
快適に夜を過ごすことができた。
■ 8 月 22 日
雨が雨具をたたきペースが落ちる、 昔なら走って
白馬駅から電車に乗り東京に帰った。 みんなは
10 時の便だが、 今はあっさり 12 時便へ目標
5 時起床。 このままオートキャンプ場にいたい
特急を使って帰るが、 自分だけ青春 18 切符で
変更、 これも今のスタイルかな。 豪雨に変わり
気持ちだが、 唐松岳に向けて出発する。 久しぶ
ゆっくりと各駅停車で帰途につき、 松本城など観
登山客は無くダムの色は濁流で茶色へ、 東沢も
りに天気は晴れている。
光しながら帰った。
濁流となっていた。 易しい沢でも茶色い沢の遡
■ 8 月 19 日
第一ケルンまでリフトを乗り継いで行き、 そこか
今回の合宿は雨続きの嫌なスタートとなったが、
らの道は木道が続く。 登山客が多く、 我々もハ
焚火して釣った岩魚の塩焼きを食べ、 チーズフォン
イキング気分であった。 ただザックが周りの人より
デュやパスタなど今まで無かった食事をした。
大きいため目立っていた気がした。
道沿いには花などが綺麗に咲いており、 八方
池も見ることができた。 だが、 また天気が怪しく
なり曇ってきた。 なんとか雨は降らずに唐松岳頂
上山荘に着きテントを張ることができたが、 風は
強く、 ガスで景気も見ることができない。
この先のことを考え、 池内、 増子の様子と天
気から親不知には行けないと判断し、 唐松岳周
他にも途中でキャンプ場に止まったり、 ゴンドラに
乗ったりと、 とても緩い合宿となったが、 なんだかん
だ楽しかったと思う。
2014 年度北アルプス
黒部川東沢夏合宿に参加して
行はしたくないと作戦会議。
■ 8 月 16 日(雷雨時々曇り)
奥黒部ヒュッテ→針ノ木谷
東沢遡行を中止、 選択肢には読売新道もあ
るが実力を考えると NG。 平の渡しより針ノ木へ
登るルートにする。
針ノ木谷は一般道であるが荒れている。 雷雨が
激しくなり沢は茶色い濁流となる。 安全な川原に
テントを設営。 夏の北ア登山道の途中で幕営でき
羽田 登志男(昭和 60 年卒) る場所は数少ないだろう。 我々 OB はツエルトを小
何年ぶりの合宿参加であろうか?
屋架けし雨の中の焚き火に挑戦。 まだ茶色い沢で
自分が 35 歳ぐらいまでは、 三つ峠の岩トレ、
あるが、 釣り糸をたれたら岩魚を直ぐに一匹かかる。
小川山のフリークライミング、 2 月の八ヶ岳等々、
これはいけると思い、 その後も継続するが無念。 焚
4 時起床。 五竜岳往復に向けて出発した。
学生と山に行く事が良くあった。 ある意味、 先
き火を囲い夕食。 1匹を皆で楽しむ。
出発してすぐ鎖場が続き、 風があるため注意
輩が後輩に教える機会を探し山に行った。
辺を歩いて合宿は終えると決めた。
■ 8 月 20 日
■ 8 月 16 日(曇り時々雨)
して進んで行く。 天気は曇っていたが、 綺麗な
しかし今回の参加は、 過去の意図と異なる。
雲海を見ることができ、 富士山も見ることができ
50 歳が現役と共に行動できるのか? 体力の
た。 五竜山荘までいいペースで歩いていたが、 こ
差が一番の気になっていたが、 沢登りと聞き、
一般道であるが何度となく渡渉する。 場所によ
こで増子の体調が悪くなる。
少なくとも大学1年には技術的に負けることはな
り膝までは水量があり、 一般道とは思えない、 あ
い、 ということで参加を決めた。
る意味、 沢登りを楽しむ事ができた。
五竜岳頂上に登るが景色は見えなく、 すぐ唐
松岳のテント場に戻る。 すると天気が晴れ、 テ
また学生との会話も楽しみの一つだ。 後日、
ント場から見える山々が綺麗に見ることができた。
計画が黒部川東沢と聞いた時、 東沢は沢登り
まだ乾いていない沢靴や登山靴を乾かし、 自分
の対象と言うより、 安全な沢でエスケープや下降
も外にマットを敷いて日光浴を楽しんだ。
にも利用できる沢ではないかと思った。
針ノ木谷→船窪分岐→針ノ木峠小屋
針ノ木峠の小屋に到着。 時々雨が止み雲海
を見る事もできた。
■ 8 月 17 日(曇り時々晴れ)
唐松岳山荘には先生連れの中学生の団体が
しかし良く考えると、 50 歳を過ぎた OB2 名と、
針ノ木峠→針ノ木岳→針ノ木雪渓→扇沢下山
集まり賑やかになる。 みんなも晴れている間は外
新人 2 名の参加する合宿には、安全第一である。
どんよりとした朝、 ガスの中、 高山植物に導
で過ごし草笛を吹いたりして遊んだ。
むしろ山を楽しむ事のできる領域と理解した。
太陽の恵みを全身に感じるが直ぐに針の木大雪
日没に合わせて唐松岳頂上に登り、 日が沈
むのを待つ。 そして、 この夏合宿中一番の素晴
らしい景色を見ることができた。
■ 8 月 14 日
離京 私と鈴木の車2台で扇沢へ。 週間天
気は決して良くないが微かな期待。
■2
渓を下山。
今回、雨男・真下君の魔力で天気が悪かったが、
その分ゆとりの行動となり、 自然の豊かさを満喫し
た山行となった。 また、 新人の行動は不安の連続
■ 8 月 21 日
普段あまり行わない準備体操をしてから、 リフト
かれ山頂を往復する。 テン場に戻って来たとき、
■ 8 月 15 日(曇りのち雨)
であったが、 これからの活躍を切に期待する。
緑ヶ丘通信 No.107 2014 年(平成 26 年)12 月 24 日発行
我が OB 会の顕在化
してきた諸問題
顔を見たくないとかエラそうな態度が我慢ならない
彼らにどう受け取られているか、常に注意すべきだ。
…とか、 我慢してまで出席したくない、 ということ
しかし、 先輩に対して礼を失しない態度も当然
だろうか。 また、 肩身が狭くて、 ということもある
必要だ。 いい歳になっても碌な挨拶ができないで
だろう(私もそうだが、 できるだけ出席している)
。
は困る。 上下左右、 誰に対しても 「親しい中に
土田紘介(昭和 43 年卒) 要するに、 わざわざ時間とお金をかけて出ていき
最近、 OB 会に関して色々な話を耳にした。 たいと思わせるものがないということが最大の理由
信頼関係が傷ついているような話もあり、 ちょっと かもしれない。 もちろん、遠距離だからという人も、
危機感を抱いたので、 以下、 当たり前のような また体調が優れない人もいるだろう。
ことであるが、 自分への内省を含めて考えてみた。 では、 総会の雰囲気とはなんだろうか。
総会と新年会 ・ 慰霊祭の出席者数
現在 100 名ほどの会員がいるのであろうか。
たとえば、 役員がプリントを読み上げるだけで、
全体の時間の半分は使われてしまう。 読めばわか
るものは読みあげる必要はないのではないか。 あら
1 年に一度の、 我が OB 会の活性程度を物 かじめ、 会員に送付しておき、 当日は質疑応答
語る総会、 新年会、 上高地明神での慰霊祭。 だけにするのだ。これだけでもつまらない、味気ない、
この三つの行事に出席する会員は近年、 同じ どこか冷たいような雰囲気が少しは解消される。 こ
顔に限られている。 総会と新年会には毎年 20 こで浮いた時間は、 長老会員の昔話でも失敗談
~ 25 名ほどの会員が出席するが、 そのうちの でもいい何かしゃべってもらえれば楽しい時間にな
4、 5 名ほどが入れ替わるものの、 ほとんどは毎 るだろう。 ここは執行部の腕の見せ所だ。
回同じ会員だ。 慰霊祭はずっと少なくなる。 今
立食と言う形、 青学会館と言う会場、 これら
年の慰霊祭は現役が全員 4 名もの出席があっ も一考の余地がありそうだ。 落ち着いてゆっくり話
たが、OB は 10 名足らずで、役員と辰巳会(OB が出来ない、 という人もあるかもしれない。
会の中で辰年と巳年で構成するグループ)以外
*
の OB は私が 1 人であった。 総会、 新年会は、
慰霊祭、 この出席者はさらに少ない。 ひと頃、
役員、 監督、 コーチと 「辰巳会」 のメンバー、 30 名前後の出席者があったと思う。 近頃、 出
これだけで出席者の過半数を占めている。
席者はほとんど同じ顔である。 ここに参集しないの
なにかしら、 OB 会とかかわっていれば出席す は事情があるのかもしれないし、 慰霊の気持ちが
るようになる(責任を感じて、 あるいは連帯意 ないとは思われないが、 何年間に一度は参加して
も礼儀あり」 だ。
先輩後輩という立場の違いはあるが、 基本的
には、 我々は追いも若きもすべて同等であると
いうこと、 そして絶えず時代は流れ変わっており、
新たに OB となってくる面々は、 以前の私たちが
育ったとは違う環境で育ってきていることを認識し
なければならない。
縁があって同じ山岳部の OB、 OG なのだ。
仕事や会社ではない、 利益を追求する組織で
はない。 お互いが嫌な思いをする場であってはな
らない。 自分はそんなにたいそうな人間ではない、
ということを知らない人も世の中にはいるものだが、
しかし我々は 「諫言」 は 「謙虚」 に受け入れ
て、正すべきは正す度量を持ちたいものだ。私は、
現役のころから厳しい先輩で、 言うことも厳しい
が、 もし、 それを撤回するときには後輩に対して
あっても潔く謝る人を知っている。
また、 OB 会員の多くは、 「山」 に関して、 他
の人、 他大学 OB、 青学体育会 OB、 日本山
岳会、 団体、 企業などと接する機会が多いと思
うが、 AAC の名において言動は、 奢ることなく、
品性を保ち、 名誉を守ってほしいとお願いする。
識で)
、 と言えなくはないな、 と思う。 もし理事 もいいのではないか。 ご遺族も慰霊に来られたこと
会が存続していたとすると、 プラスその方たちの出 もあるのだ。私も事情の許す限り慰霊に訪れたい。
会報 「緑が丘通信」、 これも考えよう。
明神から宮川の清らかな流れを渡り(今年の慰
いずれにせよ、 出席者は減少ぎみのように思 霊祭直前に 3 名の我らが有志によって、 危なっか
える。 あるいは、 出席しないというより OB 会か しい橋も安心して渡れるように修理された)
、 森閑
も採り上げてほしいが)
、 会員登場のコーナーを
とした森の中をゆっくり緩やかに歩む。 そして慰霊碑
縁があって同じ山岳部の OB、 OG なのだ。 の前に立つ。 冷涼な空気の中、 賛美歌を歌い聞
何とか、 皆、 楽しみに出席できるようにならない きながら高い木の間越しに仰ぐ明神岳。 さらにその
テーマは自由でもいい。 最近登った山の話でも、
席が見込まれたであろう。
ら離れていく傾向がみられる。
ものだろうか。 やはり、 解決のためには、 原因を 上に空を見上げるとき、 ああ、 私たちは生かされて
除去しなければならいだろう。
いるのだ、ということをしみじみ感じる。そして山に逝っ
そこに顔を出せば、 見飽きた顔だけでなく、 懐 た仲間に想いを馳せ、 その霊の安らかならんことを
かしい顔や久しぶりの顔を見出すこともできる、 こ 祈る。 暫し日常を離れ、 俗塵にまみれた身も心も
ういう場であってほしい。 私より 4、 5 歳以上の 洗われるような清々しい一時を、 残された仲間た
年配の先輩方、 そして私が知らない後輩の皆さ ちと過ごすのもいいものではないかと思う。
んに、 年に 1、 2 度は会いたいものだ。
行事には、 自分の同期あるいは近い先輩、 我々はこれでいいのだろうか
後輩に声をかけて、 そろって出席しようではない OB 会は、 言うなれば遊びの組織なのだ。 楽
か。 声がかかれば、 それじゃあ、 行ってみるか、 しくなければ意味がない。 楽しくなければ、 不快
という人は必ず現れると思う。
*
ここで一度、 若手の会員はともかく、 我々年
感を味わったりすれば、 次はもう御免だ、 という
つまらぬ記事は掲載せず(この記事は是非と
設けることを提案する。 順番でもアットランダムに
でも毎号 2、 3 名ほどの会員に執筆してもらう。
想い出の山行でも、 近況報告でも、 なんでもい
い。 顔も忘れそうな先輩にも後輩にも登場して
ほしい。 若い会員、 長老たちがそれぞれ何を考
えているのかも知りたい。
また、 通信の最終1ページは欠かさずあずさヒュッ
テの利用について割かれているが、 一考を要す。
他に記事はないのか。 会員の OB 会への参画意
識をあらゆる手段をもって高める努力をするのだ。
会報の送付時に 「なぜ、 あなたは総会、 新
年会、 慰霊祭に出席しないのか」 というようなア
ンケート調査をすることも提案する。 このアンケー
トで会員諸氏の忌憚のない回答には、出席云々
と同時に他のものも見えてくる可能性がある。
ことになる。
我々は先輩風を嫌味に吹かせていないだろう
配者は、 我が身を振り返ってみようではないか。 か、 傍目には滑稽と映るエラそうな態度をとってい
かく言う私が一番その必要がありそうだが…。
ないだろうか、 等々、 言動には気を付けようでは
なぜ、 出席する会員が少数なのだろうか。 総 ないか。 特に、 普段、 若手 OB に接する機会が
会の雰囲気がイヤだ、 つまらない、 また、 あの ある OB は気を付ける必要がある。自分の言動が、
会員相互の繋がり
最近ある中堅の会員が言っていたことがある。
それは、 年 1 回でいい、 山岳部なのだから 「会
員全員参加の大集会」 を山でやろう、 というも
のである。 老いも若きも、 子連れも、 女房も旦
3■
緑ヶ丘通信 No.107 2014 年(平成 26 年)12 月 24 日発行
那もみんなだ。 体が不自由なら若者が助ける。
年配者の荷物は若者が引き受ける。 どこか適当
楽しき OB 会へ道が開かれ、 顔を見せてくれ
る会員が増えることを祈って…。
な所(山)があるはずだ。 日帰りでもいい。 年
に 1 度だ、何とか都合をつけようよ!ということだ。
そして、 緑ヶ丘山岳会と一線を画そうとしてい
1 年に一度のことだ。 あらかじめ日にちが決まって
る会員、 退会を考えている会員、 離れていこう
いれば休めないはずがないのではないか、 と言う
としている会員、 彼らが思い留まってくれることを
のだ。 実現は難しいがいい考えだ、と私は思った。
願って…。
壮大なこのプランが実現したら天下に誇れる素
晴らしいことだ。 そんな OB 会であってほしい。
現在は現役の山岳部も OB 会も近年になく
盛り上がりを見せているのではないだろうか。 これ
立山カルデラ砂防会館横から砂防工事専用
軌道(トロッコ列車)に乗り、 終点の水谷連絡
立山カルデラ
体験学習会
下河邉 史郎(昭和 40 年卒)
は現監督会の努力や指導によるものだろうし、 ま
▲カルデラ行 トロッコ列車
所までの約 18 km、 標高差 640 m の間に
38 か所のスイッチバックが有り、 終点の水谷に到
着直前には、 連続 18 段のスイッチバックで急峻
な崖を登る。 立山の砂防工事は、 現在も国土
交通省の管理下、 砂防工事は、 行われており
た 2010 年、 36 年ぶりの現役 ・ OB 合同のヒ
立山駅(昔の富山地鉄の千寿が原駅)のす
ますが、 その歴史は古く約 150 年間瀬の安政
マラヤ遠征が実現したということ、そして 2013 年、
ぐ隣に立山カルデラ博物館があるのを皆さんご存
5 年(1858 年)の飛越地震で、 成願寺沢の
第 2 次隊が登頂に成功したこともあろう。 2014
知ですか?
源流(湯川)の大鳶山、 小鳶山が崩落し、 そ
年 1 月の報告会には、 九州から北海道まで全
今回は、 予約の難しい立山カルデラ博物館が
の土砂が大土石流となり現在の富山市あたりま
国から 40 余名もの OB が参集してくれた。 うれ
実施している、 一般的に入る事の出来ない立山
で襲い、 それ以降たびたび洪水に見舞われ江戸
しいことに、 なつかしい顔が何人も見られた。
カルデラを訪れる自然 ・ 歴史と砂防工事を見学
時代から営々と現ざまで行われています。 カルデ
そんな気運も、 我が OB 会、 山岳部ではなか
するツアーに参加し、 自分の目で立山カルデラ内
ラの中には、 砂防工事以外にもいろいろ歴史的
なか長続きがしない。 そんな 「青山気質」 という
部を見る事、 また、 2012 年 4 月、 立山連峰・
に見る物が有ります。 その一つが、 立山温泉で
ものがあるのなら、 これを打破しようではないか。
剱岳に有る 3 つの万年雪 「御前沢氷河」 「小
す。 立山温泉は、 1583 年に深見六衛門によっ
窓氷河」 「三の窓氷河」 が、 日本初の、 現在
て発見され、 江戸時代には大いに栄えたようです
想い起こそう、 年配の会員諸氏よ。 生命がき
も活動する氷河であることが学術的に認められ、
が、 1858 年の土石流により、 温泉街は壊滅。
らめき輝いていたあの時代を。 あのころの仲間を。
その研究発表をされた、 博物館の学芸員の飯
1869 年(明治 2 年)新たな源泉が発見され
また会おうではないか。 まだ若いと言える仲間た
田 肇氏、 福井 幸太郎氏の案内で 「御前沢
温泉街は復興。 1969 年(昭和 44 年)に発
ちが旅立ってしまったが、 その後を追う前に集まり
氷河」 を立山の山頂から眺望する旅でした。
生した豪雨により温泉への道が大きな被害を受けた
*
初日は、 立山カルデラ博物館にて、 学芸員の
のと、 1970 年(昭和 48 年)アルペンルートのバ
福井氏から①氷河の話②立山カルデラと常願寺
ス路線開通を受け、 1973 年(昭和 48 年)廃
いかもしれない。 同じ山岳部で、 「山」 を通した
川の話を聞き、 最後に雪崩の模擬体験をした。
湯。 現在は、 立山温泉を含む立山カルデラ一帯
者の繋がりの如何に貴重なものであるかを。
には出席しようではないか。
そして若い諸氏よ、 君たちはまだ気づいていな
①氷河の定義は、 「重力によって長期間にわたり
は子都度交通省による砂防工事が行はれており、
一つの例をあげよう。 私は、 今年のゴールデ
連続して流動する雪氷体」 とされ、 厚い氷体が
危険防止の為立ち入りが厳重に制限されている。
ンウィークに小日向のコル BC の白馬合宿に参
流動していることが条件で、 研究の結果、 前述
今回の体験見学会では、 立山温泉の跡地を
加した。 BC に 2 泊し、 村上監督の許可を得
の 3 つの万年雪は、日本初の氷河と認定された。
訪れ、 当時の繁栄の後の立派な、 タイル張りの風
て角田コーチ、 3 年生になった真下君の白馬岳
②立山カルデラは、 西側は、 立山 ・ 黒部アルペ
呂場跡を見ることが出来ました。 ザラ峠は、 現在
主稜隊に加えてもらった。 これは、 もう夢のよう
ンルートのある弥陀ヶ原台地、 天狗山、 国見岳、
は薬師岳から立山に行く途中で通過しますが、 昔
な素晴らしい山行であった。
浄土山,龍王岳、獅子岳、ザラ峠、鷲岳,鳶山、
は、 高山から長野に抜ける一番標高の低い峠であ
私は今年、 古希を迎えた高齢者だが、 40
大鳶崩れ跡、 小鳶崩れ跡とへと続く広大な広さ
り、 戦後までは登山道がありました。 佐々成政が
歳と 50 歳の年齢差のある若者とザイルを結び
を持つ、 立山の火山活動とその後の浸食によっ
天正 12 年(1584 年)
、 厳冬期に立山を越え
合うことに大いなる歓びを感じている。 そして角
てつくられた等々講話を聴きました。
て浜松の徳川家康に会いに行ったとの有名な話で、
田君のリードと真下君のフォローのおかげで、 例
2 日目は、 アルペンルートを使い、 室堂、 浄
年より雪が少なく、 その分いやらしい箇所もあった
土沢圏谷、 一ノ越、 雄山に至り、 頂上から 「御
が、 雪稜、 雪壁の登攀を十分に楽しむことがで
前沢氷河」 を眺望の予定。
この時通ったと言われる峠です。
松尾峠は、 立山温泉経由で立山登山をすると
きに使った峠。 大正 12 年 1 月、 槇有恒、 三田
きた。 この歳になって、 このような経験をさせても
登山道沿いに見られる数々の氷河地形(圏
幸雄、 板倉勝宣のパーティーが一ノ越から立山に
らえるのは、 この上もなく幸せなことだ。 山岳部
谷、 モレーン、 U 字谷、 岩石氷河)や氷河に
スキー登山を行うために、 芦鞍のガイド 10 名と入
の 「繋がり」 のおかげ、と感謝している。 山ででも、
ついての話を聞きながら歩みを進めました。 日頃
山。 天候が悪く、暴風雪の中、板倉勝宜が絶命。
そして社会ででも 「繋がり」 はあり、 これは貴重
の我々の山湖では、 常に頂上をめざし、 一目散
日本登山史上初の冬山遭難として知られ、 この話
な、 かけがいのない財産ともいえるものなのだ。
の歩きですが、 学研的な散策でしたが、 残念な
は後に槇有恒氏が、 彼の著書 「山行」 の中に克
がら、 当日は天候に恵まれず、 一ノ越に着くころ
明に記している。 私は、 たまたま 「山行」 を所持
以上、 思いつくままに書き流し、 またエラそうな
から、 深いガスが立ち込め、 雄山山頂に着く頃
しているのを思い出し、 帰宅後その部分だけを読み
ことを言ったような気もするが、 これも、 ひとえによ
から小雨も降り始め、 まったく視界も利かず、 「御
直したが、 実に克明に描かれており感銘を受けた。
りよき OB 会のために、 という思いに免じて、 お
前沢氷河」 の眺望をあきらめ早々に下山。
今回のツアーは、 山を登るのでは無く、 学研的なツ
許しいただきたい。
■4
3 日目、 立山体験見学会の日である。
アーであり立山をより深く学ぶことが出来た。
緑ヶ丘通信 No.107 2014 年(平成 26 年)12 月 24 日発行
日中韓
Students Summit 2014
日本山岳会 三国合同学生交流
真下 孝典(教育人間科学 3 年)
glafis.com/hirose/insbong/ 一部改編)
そのインスボンに向けて 2 日目から準備が開
始され、 各国の言語で行われているクライミング
用語を英語に統一することから始まります。
日本ではカタカナ英語が流通しているので、 慣
2014 年 8 月 6 日~ 12 日の日程で、 日本
れないと難しいと感じました。 結局、 落ちそうで余
山岳会学生部として青学から真下 1 名が、 日
裕がなくなってくると 「テンション!!」 と日本語で
中韓 Students Summit に参加しました。 この
叫ぶこともありました。あまり望ましくはありませんが、
日 中 韓 Students Summit は 日 本 ・ 中 国 ・
クライミング中に切羽詰った声で叫んでいれば一先
韓国の三国の山岳部学生が一か所に集い交流
ずテンションは張るのかなとも思いました。
を深める、 日本山岳会の年に一度の行事です。
開催地は各国持ち回りとなっており、 今年は韓
国での開催となりました。
私にとっては昨年の日本開催に引き続き、 二
度目の参加となりました。
この催しでは隣国同士でありながら、 独自の文
化を持ち、 また隣国であるからこそ共通した文化
3日目の 8 月 8 日には各自の技量を韓国グ
レードで計り、 インスボンに備えてクラス分けを行
いました。
4 日目、 ついにインスボン本番です。 私はあ
まりクライミングが得意ではありませんが、 どうにか
真ん中のクラスに振り分けられ、 インスボンのシュ
イナード B というルートに挑みました。
▲インスボン
を持ち合わせた東アジアの学生同士で交流するこ
インスボン全体にも言えることですが、 このルー
うに登っていき、 徐々に傾斜が緩くなり、 クラック
とができ、 各国での登山を最高の環境で楽しめる
トはスラブとクラックで構成され、 終了点は大きな
が消失後は歩いてテラスへ。 ここでシュイナード B
とともに国際理解にもつながります。 国が違えど登
テラスになっています。 我々は最後に全員と頂上
は終了で、 多くの人はそのテラスから懸垂下降し
山という点で一致しているという、 奇妙な一体感
で落ち合うために、 終了点からイヤーズロックと呼
ます。
を持ち合わせたこの環境は、 他では得難い貴重
ばれる岩を登り、 1 ピッチ懸垂下降してまた頂上
しかし、 頂上に向かう我々はそこからイヤーズ
に 1 ピッチ半くらい登り返すという行程でした。 終
ロックという岩を乗越す必要がありました。 しかし、
了点までで 4 ピッチあるので合計で登り 5 ピッチ
ここが今回の最難関 5.10c のスラブなのでした。
す。 今回はクライミング三昧の 7 日間でした。
と懸垂 1 ピッチのルートです。
開始直後は約 2 mの垂壁で、 言い方を変えれ
韓国ではボルトが普通のルートでも非常に少
ば斜度 90 度のスラブです。 20cm 程度の場
■ 8 月 6 日 ( 第1日)
なく、 ロープも 60m のものを使用します。 リード
所にステップはありますが手がかりはなし。 まったく
日本出国 韓国でウェルカムパーティー
はすべて韓国のガイドクラスの方が行い、 その後
上がれませんでした。
■ 8 月 7 日 ( 第2日)
ろを数珠つなぎのように登っていきます。
なものだと思います。
前置きが長くなりましたが、 以下が主な行程で
ガイドの方にピンにスリングをかけてもらいあがっ
今回挑んだシュイナード B は 5.9 から 5.10a
たものの、 そこは 10c のスラブ。 下は懸垂下降
イミング用語統一など)
くらいのルートと聞いていましたが、 実際登ってみ
のルートで切れ落ちていました。 無我夢中で登っ
■ 8 月 8 日 ( 第 3 日)
ると前半はかなり渋くて長いスラブ、 後半は掌が
て何とか岩の上に。 そこから息つく暇もなく懸垂
道峰山の上部岩場で各自のクライミング技量 入るクラックから体がザックごとすっぽり入るクラック
下降で岩の向こう側におります。 そしてそこから細
チェック
まで多種多様なルートでした。
い深さ数 cm のクラックをよじ登ったら、 木々の
道峰山の岩場でクライミング練習(三国のクラ
■ 8 月 9 日 ( 第4日)
その時のガイドさんの話によると、 韓国ではほ
技量ごとにクラス分けして、 インスボンでクライミ
ぼスラブを含む岩場のため、 スラブの難易度が低
ング
くなっているとのことでした。
■ 8 月 10 日 ( 第5日)
三国合同クライミング大会(人工壁)
■ 8 月 11 日 ( 第6日)
ソウル観光 ・ フェアウェルパーティー
間を抜けて頂上に着きました。
そこには我々のパーティー以外は全員集合し、
待ちぼうけをくっていました。 すでに登攀開始から
実際のところ、 向こうのレベルの高い人は小川
5 時間が経過しており、 だいぶ時間がかかったこ
山で 5.9 くらいのスラブ程度では、 ステルスソー
とを初めて認識しました。 頂上で記念撮影のの
ルの登山靴で登っていました。
ち、 60 mロープ二本を連結した人生初の 50
そのようなルートを、 私は 3 番手で登っていま
m懸垂で一気に下山しました。
した。 1ピッチ目は非常に長く広いスラブ。 2 ピッ
ATC の滑り止めが効きすぎて進まないし、 ロー
チ目はスラブをトラバースしていき、 途中から直登
プは重いし、 グローブをしていても摩擦で熱くなって
今回の Summit ではインスボンが大きな目玉と
してテラスに出ます。 3 ピッチ目はスラブを少しトラ
しまう体験はなんだか異常にも思えました。
■ 8 月 12 日 ( 第7日)
日本帰国
なりました。
インスボンとは、 ネット上で解説に詳しい登攀ガ
イド、 廣瀬憲文氏の言葉をお借りしますと、
バースして腕くらいの幅で深さ1m程度のクラック
この韓国での経験は非常に力になったと実感し
になり、 体がすっぽり入る穴で終了。 4ピッチ目
ています。 すべてが初めてのことばかりのクライミング
は両側にクラックがある二重クラックで掌より少し
で、 自分のすべてを出し切ったと思えました。
“花崗岩の殿堂である仁寿峰 810.5 m(イン
広いくらいで深さは 10 ㎝程度で、 徐々に広く深
スボン)は、 東洋のヨセミテとも呼ばれ、 ソウル郊
くなっていき、 太ももくらいの広さになったところで
この三国合同登山は登山技術の向上のみなら
外の北漢山(プッカンサン)山域に位置していま
片側のクラックが消失してスラブ状に。 その後もク
ず、 国際理解 ・ 交流など様々なことが一度に行
す。” とのことです。(HIROSE Alpine School
ラックは広がっていき、 ザックと体を合わせたくらい
える素晴らしい体験です。 今後も後輩たちには積
韓国インスボン特集 TOP URL: http://www.
の幅にまでなりました。 私はクラックの中を這うよ
極的に参加してほしいと思います。
5■
緑ヶ丘通信 No.107 2014 年(平成 26 年)12 月 24 日発行
午後 1 時くら
ことができることです。本当の限界に到達した際に、
八ヶ岳スーパートレイル
100km いから " 予報通
一体どういう状況になるのか知りたかったのです。
また、 さすがに距離がありますので、 通過タイ
り " 雨が降り始
ムおよび必要摂取カロリーなど計算しました。 偶
め、 深夜まで降り
米澤 清文 ( 平成 18 年卒) 然にも、 同じ大会の 160km に角田君が出場
続きました。 今回
していました。 面識はなかったのですが、 大会前
の難所は大河原
最近トレイルランニング ( 略してトレラン ) の大
に村上さんから電話があり、 角田君の出場を知
峠、 八 王 ヶ 峰 の
会が多くなってきました。 トレランとは、 山の中を
りました。 前日の受付では会うことができませんで
登りと考えていま
走ることです。 皆様も、登山していると軽装で走っ
したが、 電話番号を教えて頂き、 電話をすると
した。
ている人を目撃したのではないかと思います。 高
がつながったので話す機会がありました。 彼の方
大河原峠の登
尾山~陣馬山の往復 30km くらいでトレーニン
が体力があるので、 途中で追い越される時に会
りは、 土砂降りの
グコースとしても紹介されています。 高尾山に行く
えるかなと思っていました。
登山客からみれば走って降りてくるので迷惑な存
■午前 8:00 清里出発
トレイルランニングとは
雨となり無味乾
▲ゴールにて
燥な特長のない林道でした。 単調な林道のコー
スタート地点は、 山梨県清里。
スに途中から飽き始めてきました。 林道を走って
母親の実家が清里にあり、私の名前にも 「清」
一体何が楽しいのか?これって、 トレランと言える
の楽しみ方が、 肉体を酷使する方向性なので
とありますので、 とても愛着のある土地です。 前
のか?林道を走るくらいならば、 八ヶ岳を縦に縦
あまり興味が無いという人も多いと感じます。
日の雨から今は曇り空。 天気予報では、 午後
走したほうが面白いのではないかと、 そればかり
始めたきっかけは、 1 泊 2 日の山行を走ると
から天気が崩れるとのこと。 さて、 長い旅の始ま
考えていました。 全く視界の無い中、 午後 8 時
短縮して 1 日で終わるからです。さっと登って、さっ
りです。 快調に走って、 20km 地点降りの最中
39 分山場を越えて大河原峠 67km に到着。
と帰るというスタイルです。 考え方としては、 ラン
に角田君から電話がありました。 「スタートして、
目標時間より、 2 時間早く到着。 ここで、 完走
ニングの延長線として発展させていきました。 何
40km 地点くらいを走っています!」 スタート時
可能なことを確実に 「行ける!」 感じました。
かのきっかけで青梅高水山トレイルランという大会
間から逆算すると、 フルマラソン並みの速さで走っ
■ 20:50 白樺湖出発
を知り、 出場したことで他の大会にも次第に興
ていることがわかりました。 面識はないけれど、 フェ
味を持ち始めました。
ラーリみたいな人だなと思いました。
在だと思います。
登山とは、 まったく別世界だと思います。 自然
八ヶ岳スーパートレイル 100km
白樺湖→八王ヶ峰の登りは夜間。 風があり、
横殴りの雨。 濃霧のため、 ヘッドランプの光が 1
電話が終わり、 少し進んだところに 18km のエ
~ 2m くらい届かず視界が悪い。 降りは、 泥で
1 年前の記録になりますが、2013 年八ヶ岳スー
イドがあり事件が起きました。 支給される高カロリー
スリップして状態は最悪。 近くにいた人と 「この
パートレイル 100km に出場しました。 きっかけは、
で粘っこくて硬い "PowerBar" を貰って食べると、
状況は修行ですね」 と語り合う。 そして、 ちょっ
富士山の周りをぐるっと一周する UTMF(Ultra-
あまりに粘っこいので左奥の銀歯が取れてしまいま
とばかり人生も語り合う真夜中の大人の時間。
Trail-Mt.Fuji) に出場したいと思ったからです。
した。 その後、 残り 80km は気になって仕方があ
■ 23:57 ゴール
UTMF の精神のひとつに、 「自分自身を探求
りませんでした。 歯には穴が開いている状態です。
長い旅が終わり、 無事にゴールできました。 身
すること、 長いトレイルの走破は人力による旅への
第 1 関門 松原湖 40km 地点。
体は疲れていましたが、 心は達成感で満たされ
挑戦」 とあります。
7min/km で想定より早いペースで通過。
ていました。 ( 終われば、 激しい雨音♪も山の
長いトレイルランの魅力は、 自分の限界を知る
関門
エイドステーション
清里 (Start)
貯水池(第6エイド)
第1関門 松原湖 (CP2)
距離
>NP@
■ 11:55 松原湖出発
制限時間 目標時間 通過時間
>PLQ@
>PLQ@
速度
PLQNP
目標通過時間
午前8時
午前11時27分
午前11時55分
午後1時10分
午後3時
午後4時58分
大河原峠(第8エイド) 午後6時
午後8時39分
蓼科湖 (Goal)
ヘッドランプ走行開始
午後8時50分
午後11時57分
午前0時
午後11時57分
午前2時42分
午前3時
PLQNP
行動時間
PLQNP
トレラン(仮定)
登り
PLQNP
体重
累計エネルギー消費量
1時間当たりの補給量
時間
メッツ
NJ
NFDO
NFDO
備考
午後2時 デポジット
取れた場所
制限時間
通常
標高差が少ないところ
■6
通過時間
NTT林道(第7エイド)
第2関門 白樺湖(CP3)
>PLQ@
神様がくれた洒落た拍手かもしれません! )
緑ヶ丘通信 No.107 2014 年(平成 26 年)12 月 24 日発行
今回1番の出来事は、 エイドステーションで協
緑ヶ丘通信のデジタル配信と
創部 90 周年事業
アンケート結果報告
賛 ・ 提供されていた "PowerBar" 商品名通り
信じられない力を秘めていました…左側の銀歯
が取れてしまうと、 気になって集中できない状態
です。 おにぎり食べても歯にお米が詰まる。 チー
●発送総数 120 枚
ズ食べると、 チーズが詰まる。 羊かん食べると、
●回答数 35 枚(回答率 29.1%)
羊かんが詰まる。 スニッカーズ食べると、 チョコで
はなくキャラメルが詰まる。
①緑ケ丘通信の配信方法について
では、 左側を使わないで右側だけを意識して
スニッカーズを走りながら食べると、 不思議とキャ
ラメルが詰まる。 わかった。 じゃあ、 歩きながら食
べようと思っても、 キャラメルが詰まる。 最後の手
●メールで受取りたい:23 枚
▲明神館前にて
2014 年度慰霊祭報告
●郵送で受取りたい :12 枚
②創部 90 周年事業について(複数回答可)
1) 90 周年記念 パーティー :17
段、 立ち止まって食べても、 キャラメルが詰まる。
2) 高齢 OB ・ OG のヒマラヤトレッキング: 6
あれこれ考えながら、 何本のスニッカーズを食べた
3) 部員章の復活:7
のか、 わからない。 出走前は 65kg だった体重
が、 次の日の朝計ると 67kg(+2kg)。 計算す
ると 100km=10,000kcal の摂取が必要なは
今年度の慰霊祭は 10 月 19 日(日)に執
り行われました。
この開催の数日前に、 岩井 OB, 高橋 OB、
4) 山岳部文庫の大学図書館への寄贈:7
5)OB 会の中堅若手の活性化:7 6)他にどのようなことを実施したいのか
ずなのですが…
村上監督が橋の修繕を行い。 安全な橋に架け
●90周年記念座談会の開催(猪俣 OB)
UTMF2015
替えました。 3 名には感謝です。 ありがとうござ
●梓ヒュッテを考える会の開催(小倉 OB)
いました。
●高橋部長を表彰する(土田 OB)
2015 年 3 月 1 日から、 エントリーを開始し
ます。 2015 年 9 月 25 日~ 27 日の 3 日間
今年も、 現役 ・ OB が無事に登山できている
160km のコースになります。 2 年以内、 対象
ことを感謝し、 お祈りを捧げてきました。 今年も
する(土田 OB)
2 レース 4 ポイント以上が参加資格となります。
事務局を中心に滞りなく終了したことをご報告致
●青学内や、 各高校などに PR をして、 部員
します。
獲得に役立つプランの検討(白井 OB)
八ヶ岳スーパートレイル 100km 3 ポイント、美ヶ
原トレイルラン 40km 1 ポイント、 私は参加資格
【参加者】 野口、 中條、 下河邉、 土田、 高
を満たしましたので、 不安ですがエントリーだけはし
橋努、 小山、 鈴木、 神澤、 村上、 角田、 真下、
ようと考えています。
中西、 池内、 益子 ( 計 14 名 )
現役の学生か、 もしくは興味がある方は是非
出場してみてはいかがでしょうか?
●年配 OB の中で OB 会に貢献した人を表彰
※アンケートにご協力ありがとうございました。
2014 年度
奈川村祭り報告
9 月 20 日(土)に恒例行事となった奈川村
緑ヶ丘通信 原稿募集中
の村祭りが開催されました。 心配していた天気も
崩れることはなく、 村祭りの準備作業自体は過去
次号は4月 20 日頃発行予定です。
に参加経験がある人にとってそれほど負担に感じる
ものではないので、 土曜日中の作業は決められた
【原稿締切】 2015 年3月 20 日頃
手順に従って粛々と行われました。
【原稿の内容】
(1)山行記録等:山行の時期は問いません。
回想も歓迎。
(2)短信:会員の皆様の短信をお寄せくだ
さい。 私は今、どこにいて、こんなっことをやっ
ているという程度のものでも OK です。
【原稿募集要項】
①記事は、 ワード等のデータで寄稿してい
夕方の公民館での宴会では、 食べきれないほ
▲修繕した橋
どの料理とマツタケ酒も振る舞われて、 大いに楽し
んだ訳ですが、 中でも永田 OB からのメロン2箱
本田 優城君の
入会承認のご報告
の寄付は、 村の方々にとってもちょっとしたサプライ
ズとなりました。
本来このお祭りは現在の 2 日間よりも長い期
間で行われ、 場所も公民館ではなく神社の境
2014 年度総会において、 2014 年 3 月に
内で盛大に行われていたとのこと。 高齢化や若
ただけると助かります。(ベタ打ちで OK)
卒業された本田 優城君の緑ヶ丘山岳会入会
年層が都市に出て行ってしまう傾向は地方であ
②写真ファイル形式:JPEG
承認が議事から漏れており、 総会で皆様の承
れば珍しくないとはいえ、 先祖代々の伝統行事
③連絡先 ・ 原稿送付先:鈴木成治 OB
認を得ることができませんでした。 本田君には大
が無くなってしまうのはさびしいこと。 大したことは
● Email:[email protected]
変失礼なことをしました。 申し訳ありません。
できないかもしれないが、 我々も準村民として行
遅ればせながら、 2014 年 11 月に行われた
※内容によって掲載をお断りしたり、 掲載
役員会において本田君の入会を承認されたこと
時期がご希望に添えないことがありますので、
をご報告致しますとともに、 会員の皆様のご了
予めご承知おきください。
承お願いいたします。
事存続を支えていきたいと思いました。
【参加者】 野口、 斎藤、 小倉、 古城、 真下、
中西、 増子、 他3名
7■
緑ヶ丘通信 No.107 2014 年(平成 26 年)12 月 24 日発行
役員改選と
役員選挙のお知らせ
2015 年
スキー合宿のご案内
2015 年新年会の
ご案内
2015 年度(平成 27 年度)は、 会長およ
2014 年 2 月の合宿は大雪に見舞われ、 ス
恒例の 2015 年緑ヶ丘山岳会新年会をご案
び役員の任期満了に伴う役員改選の年に当たり
キーどころではなく、 小屋の除雪で 1 日が終わり
内致します。 寒さ厳しい折ですが、 皆様お誘い
ます。 会則「第 10 条・役員の選出」に基づいて、
どこにも行けない状況だったようです。 さらに、 土
合わせの上、 奮ってご参加下さいますようお願い
次の方針およびスケジュールにて役員選挙を行い
曜日から参加予定だった 2 組は小屋までたどり
致します。 会場は昨年と同様で中條 OB のお
ますので会員各位にはご協力をお願いいたします。
着けず敗退しています。
店です。 同封のハガキで出欠の連絡と近況をお
今回は前回のような大雪が降らないよう、 皆
1.基本コンセプト
(1)幅広い年代から選出する
(2)女性を登用する
(3)要所にベテランを配す 2.改選される役員
(1)会長および役員 5 名が改選されます。
(2)監査役および監督、 コーチも改選期にあり
ますが、 会則第 10 条および第 12 条により、
選挙の対象ではなく、 役員会で推薦して総会
の承認を得ることになっています。 なお、 役員
補佐役については役員会の決議で指名します。
様心掛けを良くしておきましょう。
ますので上映希望者は USB メモリに保存してお
参加希望の方は役員までご連絡下さい。
【日 時】
2015 年 2 月 6 日(土)~ 7 日(日)
【場 所】 あずさヒュッテ
(1)この 「緑ヶ丘通信通巻 No.107」 にて候
補者を募集します。
(2)会則には 「会員は他の会員を役員候補者
として推薦することができ、 また、 会員は自ら役
冬期あずさヒュッテ
ご利用のご案内
①利用日(入室、 退室予定時間明記)
②代表者の名前、 住所、 電話番号
③利用人数と OB 会員、 非会員等の区分
(ご注意)
すので、 候補者を推薦するか、 または自ら立
※利用は原則として一期間 ・ 1パーティです。
候補してください。 なお、 他の会員を推薦する
※入退室時刻は、 原則午後3時
場合、 必ず本人の同意を得ることを要します。
※前日夜からの利用は一泊分、 午前0時
を過ぎてからの利用は半額お支払い下さい。
局までお願いします。
●利用受付:あずさヒュッテ利用受付係
〒 210-0818 ①宛先:小山恭吾 OB
川崎市川崎区中瀬 3-16-7 高橋 努 方
小金井市緑町 1 ‐ 2 ‐ 34 ‐ 315 電話& FAX:044-299-4172
② FAX:042-301-7912(自宅電話兼)
E-Mail:[email protected]
※ 9:00~22:00
2015 年(平成 27 年)2 月末日
4.投票
(1)次号 「緑ヶ丘通信」(4 月発行予定)に
③ Email:[email protected]
【利用料金とお支払い方法】
1 泊 ・1 名料金
山岳部員
て候補者を公示、 投票用紙(ハガキ)を同
山岳部 OB 会員
封します。
同伴者
(2)投票の締め切りは 2015 年(平成 27 年)
5 月 15 日とします。
本人
家族
800
1300
1800
1800
小学生以下
2300
800
※ご利用日の 7 日前までにお振込み下さい。
5.総会での承認
2015 年(平成 27 年)5 月下旬に開催予
※手数料は利用者負担
●振込先:郵便局口座 定の総会にて投票結果を公表し、 総会に諮っ 記号 10160 番号 73522931
て承認を求めます。
青山学院大学山岳部梓ヒュッテ
■8
2015 年 1 月 22 日(木) 18:30 ~
東京都中央区日本橋 3-2-13 中條ビル 1・2F
TEL:03-3527-9795
【会 費】
5,500 円
【出席連絡】
締切:2015 年 1 月 15 日
容を記載した申込書を送付ください。
※利用月の 3 ヶ月前の 1 日より受付。
(4)締め切り:
【日 時】
同封のハガキでご連絡ください。
【お申し込み方法】
員に立候補することができる」 と規定されていま
(3)候補者の推薦または立候補の届出は事務
持ち下さい。
【場 所】 フィリー
往復ハガキ、 ファックス、 E-mail 等で下記内
3.候補者の募集
願い致します。 山行報告スライドショーを開催し
OB 会費納入のお願い
緑ヶ丘山岳会の財政状況は、 毎年定期的に
会費を納めていただける方が少ないため、 変動
が激しく、 不安定なものとなっています。
さらに、 50 歳代以下の OB 会員の会費納
入が少なく、 かつこれまで財政維持に貢献高齢
OB からの会費は減少しています。
より一層山岳部、 山岳部 OB 会を盛り上げ
ていけるよう会費納入にご協力ください。
【年会費金額】
● 70 歳未満 10,000 円
● 70 歳以上 5,000 円
※年齢は4月2日現在の満年齢で計算
【振込先】
みずほ銀行 八重洲口支店 普通口座 0548478
口座名
青山学院大学 緑ケ丘山岳会
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