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Page 1 Page 2 アメリカ石油資本の対英領北海進出 ー開発
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アメリカ石油資本の対英領北海進出 : 開発コンソーシア
ムの形成と石油政策
本田, 浩邦
一橋論叢, 101(6): 876-899
1989-06-01
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://doi.org/10.15057/11142
Right
Hitotsubashi University Repository
アメリカ石油資本の対英領北海進出
一開発コンソーシアムの形成と石油政策一
本 田 浩 邦
はじめに
I アメリカ石油資本の英領北海進出とJOint ventureの形態
]I イギリスの石油開発政策の基本性格と開発コンソーシアム
皿 開発コンソーシアムをめぐる資本間関係
おわりに
はじめに
小論の課題は,1960年代以降の国際石油資本(IntemationalMajOrs)1)の国
際的展開のうち最も成功をおさめたものの一つである英領北海油田への進出の
ヶ一スを取り上げ,そこでの石油資源支配をめぐる資本間関係と石油政策との
連関を分析することにある.
中東におけるJOint ventureを中心とする国際的なカルテルの再編によっ
て形成された戦後国際石油資本の蓄稜様式2)は,1960年代から70年代にかけ
てのOPEC諸国による国産化,利益配分方式の変更などの攻勢を前に,新た
な変化を余儀なくされた.こうした1960年代以降の国際石油産業の発展過程
において世界の様々な産油領域で新たな形態のJOint ven亡ureと石油政策が
生み出されるが3),これらは産油国資源自主権回復要求と国際石油資本の多国
籍的な展開との二契機によって根本的に規定されたものにほかならない.この
ような国際資源支配の形態変化に対する国際石油資本の戦略的対応が石油資本
間および資本と国家の間にいかなる諸関係を生み出しつつ具体化され,またそ
876
アメリカ石油資本の対英領北海進出
(105)
のことによって国際石油独占体がどのように可能な運動形態を獲得したのかと
いう問題は,今日の国際石油産業の基本性楕を明らかにするうえでの不可欠な
課題である4).小論の対象である英領北海は,非OPECの代表的産油領域で
あり,こうした過程の重要な一側面をなす5).
なお,本稿では分析の範囲を英領北海油田開発の本椿的な起点である「大陸
棚法」が制定される1964年から,主要コンソーシアムにおける資本間の基本
関係が確立する19η年までとする6).
1) “Seven Sisters”と呼ばれる主要大手国際石油資本をさすが,行諭中,Majorsを
非Majors系,ないしはIndepend巳nts(「独立系」)と区別して示す場合でも,そ
れは個別資本レベルや金融資本系判の緒合関係を合意していないため,あくまで相
対的な区別にすぎない.また,周知のとおり1984年にMajorsの一社であるGuli
がSocalによって買収されたため,198壬年以降の事実に関説する際は前社を除く・
またSocalは,その後海外プランドとして用いていたChevronの商号を同社の正
式な社名とした.なお,Majors,Independents等の用語の一般的な周いられ方に
ついては,J−M−Blair,τ加Co仇〃ol o∫0〃,19η.P.P x.参照.
2)1960年代までの国際石油資本の運動形態については以下の藷研究に詳しい.山
田恒彦,甘日出芳郎,竹内一樹『メジャーズと米国の対外政策』木鐸社,19η年・
U.S.Senate,Subcommittee on Multinational Corporation,〃〃〃舳肋舳’0”
C0ψo〃〃o〃∫螂〃ひ∫・F0閉48閉Po1吻,1975(アメリカ上院外交委員会多国籍企
業小委員会『国際石油資本とアメリカの外交政策』松井他訳,石油評論社,1976年).
JohnM−Blair,o力。泓
3)MObiiの1975年当時の副社畏Massad氏は・歴史的な中東のJOint venture
と対比して,1960年代以降発展したJoint ventureとして,rライセンス協定」
にもとづくものと,「生産分与契約」にもとづくものの二つをあげ,前者の代表と
してイギリスとノルウェーのものをあげている(U.S・Congress・House・Committee
on Judiciary,1≡=伽〃8ツ∫祝∂〃∫〃y1’悦”θ5〃8α〃o閉,」Pα〃 1,P.126)。
4)今目,伝統的な国際石油産業諭の立場か1ら,Majorsの一貫統合型の資源支配体
制の「解体」が強調され,OPECのカルテル機能の「喪失」とあわせて,国際石
油市場の「不安性」が喧伝されている.ところが一般にこの種の議論が,蓼態の根
底にあるこのような国際石油資源支配をめぐる新たな諸関係の正確な把握に班付け
られたものであるとは言いがたい.たとえぱかつて産業組織論の立場から国際石油
産業を諭じたE.ペンローズ(Edith P㎝rose)は,最近の論文において大要以下
877
(106)
一橋諭叢 第101巻 第6号
のように主張する。すなわち,1970年代の過程をつうじて国際石油産業は,その
統合バランスを上流から崩壊させ,そのことによって下流部門の不安定佳は急増し
霜要の減退が生じたのであり,さらに現時点でのr均衡」は,「個格メカニズム」
によってではなく,「非OPECのOPECに対する協調」によってもたらされてい
るというものである(“Downstream Implication of Stmctura1Change”,in n
Hawdon,ed.τ加Cあ伽8伽8∫〃刎6〃〃oヅ肌o■〃P〃o1舳刎1〃㈱〃ツ,1985、).この
種の議論は今日の国際石油産業論に支配的な見地の一つであるが,1960年代まで
の原油供給メカニズムの特殊な在り方を過度に一般化し,それを基準として,そ
れからの乖離によって現状を把握しようとするものにすぎないといえないだろうか.
5)従来の英領北海油田開発の経済学的研究は,およそ二つの流れに犬別し得る.第
一は・イギリスの国家政策の側面からの研究であり,その多くは北海の開発史や個
々の政策の評価をめぐる問題にカ点を置いたものであった.これらの研究が多かれ
少なかれイギリス保守党と労働党の政策諭争を背景にしているという事憎は,これ
らの研究に国家政策の能動性を協調する傾向をもたらしたといえる.第二は,北海
油田開発に際しての資金調達の面からの考察である.これは,その開発に莫犬なリ
スク・キャビタルの集中が必要とされ,様々な資金調達方式が開発されたこと,ま
たそれが国際収支など,国民経済の諸分野に影響をおよぼしたことなどと関わって
いる、これら研究史上の二つの流れは,ともに北海石油開発の客観的な諸特徴を反
映しているものといえよう.従来の諸研究は,油田開発をめぐる国家と企業の関係
あるいは石油資本と金融機関との関係の実態の分析に宥意義な素材を与えるものと
なっているが・しかし同時に,国家政策や産業金融の個々の断片的な機能規定に終
始していることから,北海油田のもつ石油資本にとっての本質的意義を明らかにす
るうえで不十分さを残している.本稿は,こうした二つの流れのうちの前者に関わ
るものである.
6) イギリスの開発政策は,アメリカの対外政策や多国鰭銀行,IMF等の役割を璽
要な規定要素としており,またその他の北海を領有する諸国とりわけノルウェーの
開発状況の影響を受けているが,ここではそれらについては考察対象から除外した.
1 アメリカ石油資本の英領北海進出とJoin七ventureの形態
1960年代のOPEC結成以降,Majors各社はOPEC原油取り扱いマージン
の減少,コスト増を長期的趨勢と判断し,それに対処するため,OPEC依存
度の軽減,新鉦を含む原油供給源の多角化を追求し,探査・開発活動を様々な
878
アメリカ石油賞本の対英領北海進出
(107)
領域で徐々に活発化させた.その中で1960年代から70年代にかけて英領北海
油田に対しても米系を中心とするMajOrSの進出が活発化されたのであるが,
これら大手の石油企業の進出こそ北海油困開発のもっとも基礎にあり,その金
体を主導したものにほかならない.同時にこの過程は英領という地域的特殊性
から,英米石油資本の対抗関係をひとつの軸として展開されることになる、ま
ず本節では,Majorsのこの時期の経営戦略との関わりでこの領域への資本進
出の内容を検討してみよう。
探査活動は,ユ960年から各国,各企葉によって精カ的に行なわれ,1963年
には北海全域の調査がほぼ完了した、鉱区ライセンス取得は,1964年にr1964
年大陸棚法」(The Continental SheH Act,1964)の立法化をまって開始され
た.同法によれぱ英領北海のライセンスは,「探査ライセンス」と「生産ライ
センス」Iの2種類に分けられ,政府の裁量によって申請企業の申から選びださ
れたものにライセンスが付与されるということがもりこまれた.1964年の第1
次ライセンス・ラウンドが北海油田開発の事実上の起点をなす.以後,各石油
会社はBP(Bri士ish Petroleum)など一部を除いて,それぞれにコンソーシ
ァムを形成し,鉱区の確保と権益の分割をすすめた1).1960年代,Majorsに
とっての北海操業は,主に非OPEC領域への展開の一環としての意味をもっ
たが,逆にいえぱそのかぎりでの一般的重要性を持つものにすぎなかった・し
たがってこの領域での主要鉱区の確保も1960年代に進行するが,それはもっ
ぱら先行投資的な性格を持ったものにすぎなかった。
しかしこのような状況も1970年代に入ると一変し,北海の重要性は次の2
つの理由によって著しく高まる.第1には,1971年,BPによる英領北海最
初の商業油田であるフォーティーズ油困の発見,つづく翌1972年のShe1l/
Exxonにょるブレンド,コーモラントなどの巨大埋蔵の発見によってこの領域
が新規原油供給源としての可能性を示したこと,第2には,この時期のOPEC
攻勢と原油価格の上昇によって従来の隈界油田の開発が可能になったことであ
る.北海操業の中心は探査活動およぴ有望と判断される鉱区ライセンス確保で
あり,したがってこの時期の資本間競争は必然的に鉱区探査,ライセンス獲得
879
(109) 一橋論叢 第101巻 第6号
競争として展開された.
以上のような1970年代半ぱまでの米系Majorsを中心とする一連の企業進
出の過程の特徴は,次の諸点に整理される.
(1)Majorsほか石油企業各社の北海進出競争は,イギリス政府の開発政策
の下で・具体的には探査およぴライセンス取得活動をめぐる競争としてあらわ
れた.1970年代前半までの進出の結果,原油生産べ一スでみれぱBPが全体
の約32%,Shel1/Exxonグノレープがそれぞれ20%,ChevrOnがユ0%,MObil
がア%を占めた.すなわち資本レベルの資源支配力でみれぱ,BP,ShelIを中
心に英系資本が過半数を辛うじて確保したが,その他のほとんどの部分を米系
に譲り渡すこととなった.
BP・ShellおよびExx㎝はMajorsの申でも卓越した地位を占めた.Shel1
/Exxonという米英の最犬級の企業同士の北海における共同歩調は一貫してお
り,それは一部を除いて今日に至るまで続いている.ChevrOnとTexacoは初
回と第2回ライセンス・ラウンド(1965年)ではCa1亡exグノレープとして活動し,
主に南部領域を中心に操業を行なったが,1967年3月,一都を除くヨーロッバ
地域での操業と世界中の海洋開発とに関する資産の分割,共同の解消を決定し,
それにともないイギリスにおいても両社は基本的に独自の行動をとることに’な
った2).MObi1,Texac0.Gu1fの原油供給基盤の拡張は比較的低調といえ,Majors
間でも歴然たる格差が生じた.
(2)各企業は,多くの場合グループを形成して操業を行なったのであるが,
それは後に考察する法制度上の用件を充たすためのみならず,高額の開発資金
とリスクの効率的分散,技術上の依存関係3)などがその結合の根底にあったも
のと推測される・このことにようて北海の石油開発は多数の鉱区ごとの,広範
な中小の石油資本,投資会社なども含んだ数多くのコンソーシアム群によって
管理・運営されることになった.C㎝tinent乱1,Amerada,Phi11ips,Texas
Eastemなど米系Independentsが台頭したのをはじめ,Burmah Oil,RiO
TintO Zinc,ICI,Assodated NewsPaPer,英国国営石炭庁(NCB)など英系
巨大企業の保有する子会社やRanger Oi1(カナダ),ERAP,SNPA(仏),
880
アメリカ石油資本の対英領北海進出 (109)
ENI(イタリア),Pet「o丘na(ペルギー)などヨーロッバ系企業の参入が目立
った.この点は,国際石油資本が従来中東で経験してきた一国単一コンソーシ
ァムによるM乱jOrs系の排他的カルテノレに基づくものとは根本的に異なる資本
間結合の特徴といえる.
(3)英領内での米英石油資本間の権益分割をめぐる対抗という事態に際し,
英国政府は「裁量的」なライセンス認可によって英系資本に対して独自の保護
を行なった、D・J・MacKay&G・A−Mackayは,この点についてrBPと
Shel1は,開発を求められる水準で行なうための経営資源を持っていないとみ
なされていた.しかし両社に対しては特別のとりはからいがなされた.すなわ
ち有望な区域の比較的高い割合をそれらは得ることができた」と述べている
が4),初回のライセンス・ラウンドなどでは分与された金鉱区のうちもっとも
埋蔵の可能性が大きいと見られた北緯53度から55度までにBPの取得鉱区
が優先的に割り当てられたりしたことなどはその端的な事例といえる.
1)北海開発政策の内容と発展については,山田健治『北海油田の開発政策』成文堂,
1983年,岩佐三郎『北海油田』目本経済新聞社,1977年,②ystein Noreng,τ加0〃
”d㈱〃ツ田仰40ω〃蜆刎肋壬5〃〃昭ヅ〃肋εjV〃肋∫‘α,London,1980,pp.65−75,
などを参照,また,北海の埋蔵量の様々な評価については,Noreng,伽∂.,p、ア2、参照.
2) ”oodヅs1例∂刎∫〃伽1,〃切椛刎〃 1970,p.2609.
3) アメリカが海洋開発の各側面にわたうて世界をリードする地位を築いていること
については,日本長期信用銀行調査部「海洋開発の内容と展望」『調査月報』No.
113−1969年4・5月号,またアメリカにおいて海洋開発が国防と密接に関係しあ
い,協カしあっていることについては,藤井清充『海洋開発』東京大挙出版会,
19ア4年,161∼165ぺ一ジ参照.
4) D.I.MacKay&G.A−Mackay,r伽Po〃〃伽1肋o閉o刎ツg/Wo〃み∫刎0〃,London,
19ア5,p.25.
I1イギリスの石油開発政策の基本性格と開発コンソーシアム
MajOrsをはじめ石油資本各グループの≡英領北海への進出,参入競争は,資
本レペルの諸関係によってのみ具体化されたものではなく,英国政府の資源エ
ネノレギー政策との相互関係によってその運動の枠組みが与えられたものである.
881
(11o) 一橋論叢 第101巻 第6号
したがって,その経済政策的枠組みの考察が英領北海における費本間関係の経
済的意義を理解する上で必要となる.本節七は,政府の開発政策をその国内的
側面と対外的側面とに区別し,各々の意義を明らかにする・
A 開発政策の基本的枠組
イギリスにおける石油資源に対する立法としては,1934年のr石油(生産) .
法」(P・t・01・um(P・0du・tiOn)A・t,1934)が存在したが,1958年の「国連大
陸棚会議」およぴユ964年のイギリスにおける「大陸棚条約」の批准をまって制
定された「1964年犬陸棚法」(Con亡inenta1She1f Act,1964)でそれが全面的に
補完されることによって英領大陸棚区域全般の法的規制の基礎が据えられた1)・
「1964年法」2)は,主として英領大陸棚のライセンス配分を規定した部分とラ
イセンス料金,ロイヤルティーなどの金融的条件を規定した部分とに別れる・
表II−1は,それらをひとまとめにしたものである・
イギリス下院の公共会計委員会(The Public A㏄ounts Committee−PAC)
が1973年に発表したレポート(First RepOrt from the COmmittee of Public
Committee of PubIic A㏄ounts,jVoγ肋∫8α0〃α椛∂Gα8一以下rPACレ
表I1−1英領北海油田鉱区ライセンス認可条件
ライセンス・ラウンド
年次
第4次 第5次
第2次
第3次
第1次
19アO年
/964年
1965年
1971−2年 !9ア6−7年
80ポンド
第6次
1978−9年
80ポンド
初回納入額
(平方キロあたり)
25ポンド 25ポンド 30ポンド
45ポント’
7年目までの料金
110ポンド 40ポンド 50ポンド
50ポンド 200ポンド 200ポンド
30ポンド
30ポンド 200ポンド 200ポンド
(同上)
年度ごとの増カロ分
料 金 上 限
(平カキロあたり)
ロ イ ヤルティ
(%)
国家の事業参カロ
鉱 区 返 還
ライセンス期隈
25ポンド 25ポント
120ポンド
290ポント290ポンド350ポンド350ポンド 3,000ポント
i2.5%
12.5%
12.5%
12.5%
0%
O%
O%
0%
12.5%
51%
120ポント.
3,OOOポンド
12.5%
51%
6年後50%6年後50%6年後50年6後年50%7年後50%7年後50%
46年
46年
46年
46
37年
3ア年
(出所) ⑫ystein Noreog,丁加0“1祀記刎∫加野砒皿dθo仙〃皿㎜o冗壬S圭r〃‘卿一皿‘肋ムbrf克8{囮119畠0
882
アメリカ石油資本の対英領北海進出 (111)
ポート」と賂す)によれぱ,これらの配分規定,金融的条件は,政府の次のよ
うな政策目標によって統一されている.
r(i)英国大陸棚における可及的迅速かつ完全な探鉱およぴ開発を促進す
ること.(ii)金融的条件は,国庫に対する最大限の収益を確保しうるもので
なけれぱならず,同時に石油企業の最大限の参加を妨げるものであってはな
らない.(iii)また,これらの諸条件は,海外のイギリスの石油企業(の活
動)に対して好ましくない影響をもたらすものであってはならない.」3〕
まず(i)については,当時中東その他の国々からの安価な石油資源入手が
可能な状況の下で,イギリスが北洋の苛酷な海洋・気象条件での高リスクの開
発に全体としていかに必要な資金,物資,人材を動負するかという問題を内包
、している・r1964年法」のライセンス政策は,直接的にはそのことに対処する
ものである.大陸棚開発に対するライセンスは,主にr探鉱ライセンス」と海
域における「生産ライセンス」とに分かれる4).これらは,競争入札方式によ
ってではなく,政府のr裁量的判断」によって,ひとつあたり約100平方マイ
ルに区分された鉱区ブロックごとに割り当てられた、競争入札が退けられたこ
一とについて「PACレポート」は,(1)それによっては十分な探鉱が望めない
こと。(2)英国政府の参カロが困難であること,(3)その技術的優越性や海洋掘
1削に要する装置の所有などによって不可避と予想される米系石油企業の大量の
参入に対して・英系企業の権益を擁謹するためにはr裁量的方式」によるより
・ほかはなかったとことがその理由であったと分析している6).
つぎに・(ii)に関して・英国の特殊事情に適合的と判断された金融的条件の
バヅヶ一ジとは次のようなものであった.すなわち通常の法人税に加えて,各
ブロヅクの使用料(当初支払い6250ポンド,7年目以降1万ポンドとなり,上
1限を7万2500ポンドとして毎年6200ポンドづつ加算される),生産される石
油・ガスの井戸元価格(Wen head P工ice)に対する12.5%のロイヤルティー
およぴ若千のプロック申講料であった.これらは,産油条件としては比較的緩
やかなものであり・これによって企業は急遠な開発のため資金調達をさほどの
支陣も来さず行ないうる条件が与えられたともいわれている.
883
(112) 一橋論叢 第101巻 第6号
これらの鉱区ライセンス政策および租税政策をあわせてみれぱ・政府が可及
的速やかに英領大陸棚開発を,民間資本を主体にし,その資金九技術カに全
面的に依拠しながら行なうとともに,政府への操業計画,調査状況の報告義務
を課すことによって,自らも北海開発上の情報に接近し,統制カを保持しよう
としたことがうかがえる・
当時の政府の開発戦略は,租税条件を低水準に押さえることによって,開発
への外国資本をも合めた民間資本の参加を促進し,そのことにとって大陸棚か
ら最大の収益を得ようというものであり,その過程で生じるであろう政府の統
制九英系資本の技術水準,シェア,関連産業との結合,環境保護といった一
連の予想される問題については,ライセンス政策および金融的条件などを通じ
た規制によって制御・調整しようというものであった、いいかえれぱイギリス
攻府は,米系石油資本の北海参入および活動の自由と自国の経済的利益の拡大
とを結びつける独自の立場からの戦略的意図を持っており,したがってこの点
からすれぱ政府の開発政策は,開発全体を統制する規制手段としての性樒を与
えられたものであったといえよう6〕.
なお,このような政府の開発政策のもつ位置は,一般に北海石油開発を論じ
る際に,開発を政府の戦略的能動性によって説明する所論の根拠ともなってい
る.しかし,こうした把握は,政策それ自体の機能的な位置を示すものにほか
ならず,その位置そのものが何によって規定されているかについては何も述ぺ
てはいない.それについてはこの政策の対外的側面との関係であらわれる・次
にそれを検討しよう.
B 開発政策の対外的側面
政府の設定したライセンス期間は,返還区域を除いて46年という長期にわ
たり,しかも政府の取り分は12.5%のロイヤルティr申請料および通常の
法人税のみという,きわめて低額のものであった.ここで注目すべき点は,こ
うした低率の租税負担は,同時期にMajOrSが中東その他の産油国政府から獲
得していた条件とほぼ同水準ないしはそれを下回るものであったということで
884
アメリカ石油資本の対英領北海進出
(113)
ある.このことによる政府の北海操業からの取り分は50∼60%と推計された.
これは,オランダやアメリカにおける各国の政府の取り分と同様の水準であり,
ノノレウェー(55∼80%),ナイジェリア(70∼75%),中東諸国(75H80%)と
比べてみれぱかなり低位であったことがうかがえる7).
英国におけるこのような課税水準は,1960年代から70年代の開発過程全般
を通じて継承されたものであるが,このことは先に述ぺた政府の政策目標の
(iii)と関わるものと思われる.「PACレポート」は次のように述ぺている一
「わが国が原油供給を受けている国の大半はOPECのメンバーであり,
それらは自らの国々において石油会社の利権からの収入を増大させようとし
ている.英国における企業課税は,53.75%であり,OPEC諸国での一般的
な水準である名目50%の加税率よりはかろうじて高い・しかし,税負担額
が,世界市場で支配的な油価よりも高い『公示価格』(Posted Price)に基
づいているため,実効税率はOPEC諸国の方が高い.(動カ)相は,もし英
国が高い金融的条件を課せぱ,OPECを刺激し,それに追随させることに
なり,われわれの海外における石油産業の利益と国際収支を損なうことにな
るであろうと考えたのである。」8)
当時の国際石油情勢,つまり1960年代のOPEC結成以降,従来は国際石油
会社によって決定されていたr公示価格」が,当初は形式的に,後にはより実
質的にOPECとの協議による決定碓項となり,また産油国の事業参加内容や
利益配分方式が産油国政府により有利なかたちで変更されつつあるといった状
況の下で,その国際石油資本の本国のひとつであるイギリスの石油政策は当然
のことながらMajorsとOPECとの間の交渉に影響を及ぼさざるをえなかった一
したがってその政策は,OPEC側の要求や主張に口実や正当性を与えるもの
であったり,報復を呼び起こすようなものであってはならないという基本的な
考え方が当時の政策当事者にあったのであった。「PACレポート」は,まさに
この点を指摘し,Majorsの中東はじめOPEC諸国での多国籍的展開と国家
政策との間に密接な対応関係が存在したことを明らかにしているといえよう9〕・
ところで,以上のように結論づけうるとしても,それでは1970年以降,い
885
(114)
一橘論叢 第101巻 第6号
わゆる「第一次石油危機」をへてOPEC攻勢が強化され,OPEC諸国の政府
の取り分が急増することによって,もはやOPECに対する交渉上の配慮が不
必要と思われる時期においてさえもこうした政府の取り分が引き上げられなか
ったということについてはどのように考えるぺきであろうか.この点を考察す
るために,以下,1975年労働党政権下で成立したr石油税法」(The Oi1Taxa−
tiOn Act,1975)10)の内容をふりかえってみたい.
労働党政府は,1974年の総選挙で政権についたのち,。新たに4脇の「石油
収入税」(PRT)を設けることをこの「1975年石油税法」によって規定し,こ
れによって形式的に見れぱ,労働党政府が当初公約によづて示していた北海石
油開発に対する80%の利益確保には及ぱないまでも,75%程度まで国家収入
は増加するものと思われた.ところが政府は,当時焦点となっていた国営石油
会杜(BNOC)の事業参加協定にからむMajorsとの協議の末,税制上の問題
について以下の2点での譲歩を行なった.
(1)限界油田の操業を保謹するために,課税前収益が5%に満たない油国に
対してPRTを課さない.
(2)総計1000万トンを上限とする年間100万トンの生産物に対する課税控
除(Oi1Al1owance)を認める.
このような条件は,石油会社にとって満足のいくものとなり,BNOCの事
業参加のはずみとなったが,いずれにせよこの措置によって課税水準は事実上
強化されなかった11〕.民間調査機関ウヅドマヅケンジー社が1980年に行なっ
た推計によると,PRTが形式的には60%や70%の場合でも,多くの油田が
4割を上回る異常ともいえる収益を上げているが,このような高収益を可能に
する制度上の保障のひとつにはこのような問魑があったと考えられる.
このようなかたちで政府の北海操業に対する低水準に緩和された金融的条件
は,OPEC攻勢の時期以降も継続された.従来,北海開発の研究において,
こうした政府の租税政策の根拠としては,政府と企業の「限界油田開発促進の
必要性」さらには政府の開発事業参加をめぐるr政策上の失敗」あるいは石油
企業側の強い減税要求などの諸要因があげられてきた.確かにこれらの要因の
886
アメリカ石油資本の対英領北海遜出 (115)
存在も重要であろう.しかし,北海石油開発全般を長期にわたって特徴付ける
上記の性格を,同じく長期にわたる「政策的な失敗」で説明したり,あるいは
国家収益を犠牲にしてまでのr開発促進の必要性」の存在によって説明するこ
とには無理があろう・また資本の要求という場合でもこの産業の固有の特殊性
が語られねぱならない。けだしここで重要と思われるのは,以上のような要因
と並んで・英系石油資本の当時の申心戦略であった北アメリカ進出との関連で
ある.この点はその重要性にもかかわらず,従来の研究史においてあまり強調
されてこなかった・以下,この点を深めるために英系石油資本の1960年代末か
ら70年代前半にかけての北米進出とその北海油田開発政策にとっての意義に
ついて述べてみたい.
C 英系石油資本の対北米進出と課税水準
アメリカ向け直接投資の推移を表II−2によって見ると,1960年の約69億
ドルから工970年の132億ドル,1973年の177億ドノレと13年間で約2.5倍の増
加を示している・そのうち石油関連は1960年の12億ドルから1970年の30億
表II−2米国直接投資の流出入(ユ96σ一19ア3年)
(単位:10億ドル)
アメリカ産業
向け直接投資
うち石油関連
%
アメリカの
対外直接投資
うち石池関連
%
1960
6.91
1.24
18.O
31.89
10.80
1965
33.8
8.80
1.71
19.4
44.80
15.30
32.2
1970
13.27
2.99
22.5
78.ユ8
21,71
1971
37.8
13.66
3.11
22.8
86.20
24.15
28.O
ユ972
14.36
3.24
22.6
94.34
26.66
27,8
19ア3
17.75
4.43
25.O
29,57
2ア.8
l07.27
Bureau of Eoonomio An旦1y畠is,Dept.of Com皿eme.
出所) Fede旭工Ene工gy Ad岨j口istration,乃㈹一〃0ω冊‘㈹肋”0o桃ro=α冊d1冗ア閉冊θ岳o冊刀o㎜柵〃o
肋附附8ow“M冊也∫也〃1型,1974.
ドル,1973年の44億ト“ルと同時期に約3.ア倍の増加を示しており,石油関連
投資が全体に占める割合も1960年のユ8%から1970年,22.脇,1973年,25.
5%と徐々に高まっている.他方アメリカからの対外直接投資は,1960年の
318億ドルから1973年のユ072億ドルと・これも約3倍化しており,うち石油関
887
(116) 一橋論叢 第101巻 第6号
連が1960年の108億ドル,約34%から,19ア3年の295億ドノレ,約27・8%と
なっている.ここから読み取れることは,直接投資をその増加率で見るかぎり,
流出入は同様の傾向をたどっており,絶対額からすれぱ,アメリカの対外進出
の圧倒的強まりを背景に,外国資本のアメリカ進出がこの時期に進行し,しか
もこうした資本流出入の傾向は,石油関連しに比較的つよくあらわれ,絶対額
も大きかったということである.
つづいて以上の対米石油関連直接投資の地域別構成を表II−3によってみて
みよう.石油関連投資の1973年の総額は,44億ドノレであり,その内ヨーロヅ
表II−3 対米石油関連直接投資の地域別内訳(1973年)
(単位:10億ドル)
地域別
全地域
石汕産業への直接投資
%
4,43
100.O
カ ナ ダー
0.30
6.8
●ヨ■ロヅハ
3.40
76.7
イギリス
1.38
31.2
オランダ
1.50
33.8
その他
O.52
11.7
そ の 他
O.73
16.5
Buf舳u of Eoono血ic Ana1y帥呂、D巴pt.of Co皿皿eroe.
出所) 表II−2に同じ
バからの流入が実に76.7%を占めていた。さらにその中で,国別内訳を見れ
ぱ,イギリス31.2%,オランダ33.8%と,この二国が大都分を占めている.
これはこの両国の石油資本,BP,Royal Dutch/She11など巨大多国籍石油資
本の活発な対米投資(とりわけアラスカを中心とする)の当時の状況を端的に
示すものにほかならない12〕.
このように,主要3社によって主導される英系石油資本の北米に璽点をおい
た活発な対外活動(米系のイギリス進出と重ね合わせてみるなら英米石油資本
の「相互浸透」)こそ,米英石油資本の戦後の発展のひとつの到達を表現する
ものであり,両者の基本関係の文字どおり根底にすわるものであった.このよ
うな関係がイギリスの北海油田政策の直接的背景をなし,そのことによって北
888
アメリカ石油資本の対英領北海進出 (117)
米における権益の増大を背後にひかえていたという事実は,イギリス政府が国
内において操業条件を緩和されたものにしつづける客観的根拠となったものと
考えられる.
両国の課税水準を比較すれぱ,まずロイヤルティーが両国と.もにユ2.5%と
共通であり,法人税は,イギリスが52%,アメリカが48%(連邦)に州法人
税(例えぱアラスカの場合は9.4%)を加えたものとなり,これも同様の水準
である(もちろんr海外課税控除」などを考慮した場合の政府の取り分は,さ
らに低いものとなることはいうまでもない)13)・イギリス政府の開発政策は,
中東のみならず北米をも含めた英系石油資本の多国籍的な哀開に対して,それ
らの進出先における操業条件に対する報復をまねかぬようあらかじめ配慮した
ものであるという意味において,対外的にも英系石油資本の利害を反映したも
のといえるのであり・逆に米系にとっては,アメリカの権益に対して英系の参
入を認める反面,北海で有利な条件を獲得するという関係に奉っていたものと
思われる。北海は,いわぱ両者が互恵的な関係を切り結ぷひとつの接点となっ
たといえよう.
D.I.MacKay&G.A.Mackayは,1975年に以上のような考え方を次の
ように一般的に指摘している■
r北海が,増大しつつある炭化水素資源の単なるひとつにすぎないこと,’
また,われわれが他の領域においても強固な地位を確立することが望ましい
ことを銘戸己すべきである.もし英国が自らの区域に対して保護主義的な政策
をとるとすれぱ,その他の国々も同様に反応するかもしれないという現実的
な危険性が存在する・さらにこのことは,北海における外国ム業の予想以上
の減少をもたらすであろう.」ユ4)
政庖による規制の強化を要求し,北海におけるコンソーシアム・システムの
.有効性を強調する論者の多くは,しばしぱ民間資本の技術カ・資金カヘの依存
^から生じる様々な弊害は,「政府による法的・金融的な’規制の強化」によって
除去されうると主張している15)・しかし,イギリスの開発政策そのものが英系
石油資本の海外活動と米英石油資本の相亙関係を前提したものであり,したが
889
(118)
一橘論叢第101巻第6号
ってそのことによってr規制」の内容もおのずと制約を被らざるをえなかった
ことを勘案すれぱ,そのような主張が可能ではないことは明らかであろう。と
もあれ,以上のような事情の下で形成された政策こそが,以下で考察する英領
における資本間関係の具体的形態,独占的結合様式である開発コンソーシアム
の基本的枠組となる.
1) イギリスにおける1960年代のエネルギー政策・とりわけその石炭産業との関わ
りについては,I=D・MacKay&G・A・Mack乱y・ψ・泓・PP・1■17・参照・
2)原文は,ContinentaI Sheu Act1964,P刎凸肋G舳θ〃ん㍑〃W3α舳㈱oグ
1975,Ej=■Zノβ互τH14 Pα〃、1,Chapter29.
3) First Repo㎡iro血the Commi批㏄oi Public A㏄ounts・H・C・122(1972−1973)
Lo皿do皿,HMSO,March,1973,p.x−
4) この他「陸上の生産ライセンス」「メタン占管ヲイセンス」の二種類があるが,
ここでふれる必要はない.
5) PAC report,oク。o〃。,Pμx−xi・
6) こうしたイギリス独特の開発体制は,一般に「北海モデル」(North Sea Mode1)
と呼ばれている.国際石油資本にとって,イギリス政府がその開発の当初よりこの
ような介入政策をとり得たこと自体,彼らが1960年代まで中東のr包括的コンセ
ヅシ目ン体制」に基づいて行なった開発体制や,あるいは競争入札を主とするアメ
リカなどにおける開発体制と根本的に異なる特徴であると同時に,制約の条件でも
あった.したがってこの国では,石油資本と開発政策との対応関係がより直接的な
政治的争点とならざるをえなかった.
7) D.I.MaoKay&G.A.Mackay,oク.〃一,p31
8) PAC report,o声。o似,P,x・
9) このようなPACの見解は,その後のイギリスの北海政策に犬きな波紋を呼ぴ起
こし,とくに1974年の総選挙に勝利した際の労働党の政綱に反映した.
1O)原文は,Oil TaxationAct1975,1〕砒b肋G舳舳1ん’α〃4〃燃〃㈱o∫7975, ,
1…:LlZ■3EτH11,Chapte1.22.
11)詳細は,Kemeth W.Dam,0〃肋舳㈱,Chioago,1976,pp.124_143一な払
Colin Robinson&Tom Morganは,19η年時点の課税水準とバーレルあたり14.5 ・
ドルの油価を前提にした場合,政府の取り分が61%から66%台であると推計した・
(〃〃∫εα伽伽肋舳,E・・榊肋舳1畑〃α・舳舳閉物・L㎝don・
1978,P−95任)
12)F・d・・乱1E…gyAdmi・i・t・・ti・・,〃妙0ω舳妙α倣。1伽”伽卿棚・棚
890
アメリカ石油資本の対英領北海進出 (119)
D㈱∫肋互倣8パω舳切・パ吻り,19ア4,P11尻
13) アメリカの税率については,u S.House,C舳刎”%o閉幽〃8y脇d Wα”、1
亙舳螂1”刎加0〃P・1ω〃切,Ap・i119η,P.・i−15.
14)D・I・M・・K・y&G.A.M・・k・y,砂.〃.,P.85.
15) たとえぱ,②.Nore皿g,o声.‘〃、
m 開発コンソーシアムをめぐる資本間関係
本節においては前二節をうけて・諸資本間においてとり結ぱれた関係の具体’
的内容に立ち入り・それらの意義について考察したい.英領北海油田の開発は,
石油資本のJoint ventureである開発コンソーシァムによって行なわれてお
り,したがってここではその内部編成の分析が申心となる.
A コンソーシァムの権益保有状況
表III−1は,各コンソーシアムにおけるライセンス権益の保有状況を示し
表III−1英領北海主要油田の所有状況(19ア7年)(下線はオペレーター)
油 囲
Argyu
檎益保有企業(シェア%)
Haml1ton(36)Texaco(24)Rlo Tmto_Zmc(25)
A・・。・i・t・dN・w・p・p・・(12・5)K1・1皿w。・tB・・…(2.5)
Ark
Exxon(50) Shei1(50)
Be町1
幽(50)Am…d・H…(20)T・…E・・t・m(・O)B・i・i・・G・山.(・O)
Brea
L・・i・・…L・・d・・dE・p1…ti。・(6.3)S・g・(4)Si・b…(4)
M乱「舳・(36)BNOC(20)B・wV・11・y(1ヰ)K…M・G・・(8)A・h1・・d(63)
Ashla1]d Ca皿ada(1.4)
Brent
Buchan
(Texaco銘
区を除い牟
もの)
Claymore
]≡=xxon(50) She11(50)
聖(2ア・08パ・・D如4)CityP・t・・1・㎜(14)N胸m・・(14)
St・J・・Mi・・凪1(14)CCPA・…i・t・・(10・59)G・…dOi1A・…g巳(5)
Lochiel(ユ)Charterha11Finance(O.33)
O㏄1denta1(365)Getty(235)A1l1ed Chem−ca1(20)
Thomson Scotish Associates(20)
891
一橋論叢 第101巻 第6号
(120)
Phillip・(36.96)P・t・・丘・・(30)Agip(13・04)Ell−Aq・it・i・・(8・09)
Eko丘sk
Norsk Hldro(67)Tota1(405)その他フラノス資本(116)
Heather
Ske1ly(31.2)Tenneco(31.2)Unoca1(31.2)DNO(6.4)
Amoco(30.8)British Gas Corp.(30.8)Amerada(23.1)
1柾OntrOSe
ムI1」rchison
Texas Eastern(15−3)
BNOC(33+ユ/3)Conoco(33+1/3)Guli(33+!/3)
BNOC(21)ICI(182)Chewon(168)BP(15)Lasmo Scott(9)
Ni皿ian
Piper
Stat]ord
M・・phy(ア)O・…D・i1lil・g・・dE・pb・・ti。・(7)R・・g・・(6)
O㏄identaI(36.5)Gotty(23.5)Amed Chemical(20)
Thomson Scotisb Associ乱tes(20)
BNOC(33+1/3)Conoco(33+1/3) Glユ1i(33+1/3)
De血mex(4103)Sa.nta Fe(1629)BNOC(1622)丁正1centrol(965)
Thist1e
B11r㎜ah(8.1)Ash1and(5.43)Conoco(1.16)Gul{(1−16)
Cherterh01】se Group(O.96)
出所〕w皿一ter J.L6vy『北海の實金調達』石油開発公団企業調壷部訳,19η年1およぴ『;百油開発関係資料』
(1卯8年度版〕よO作戚.
たものである.この表では,197ア年時点のものが示されているが,犬規模な
油田ほどMajOrSが少数で権益を分割する傾向にあった。アーク,ブレンド,
コーモラントなどの油田でShel1/E㎜on・グループが権益を二分していること,
BPがフォーティーズ油田をほぽ独占し,さらにブヅチャン油田にも大きな権
益を保有していることなどがその典型である.
表III−2によって全体の権益に占めるイギリスのシヱアの推移が示されて
いるが,これによれぱイギリスが1970年代一貫して30%台を超えることがな
力、ったことがわかる.また,産油能カでみると19ア4年11月の時点でrアメリ
カに基礎をおく企業は,既存の北海油田の生産カの38%を支配しており,イ
ギリスのそれは44%,その他の国は18%である」と推計された1).これらは
第一節の資本レペルの原油支配カと対比されるぺき数値である.また,MajOrS
や米系IndePendentsにとっては他の中小参入者が自社下流部門を保有して
いないので,彼らふら原油を優先的に獲得することができたため・それは直接
892
アメリカ石油資本の対英領北海進出
(121)
衰III−2英領北海油田鉱区ライセンス認可状況
v
yF
l
2
3
4 (a)
4 (b)
-'
P
I;;
: r
4 zy
;
T s'[
A J
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( P) + 4 ! ) O);1.;7
( )
4 p ,)
J
f a)
( )
r*
* 7
4
T) ; /:t ¥,
f a)
(%)
5
1964
53
51
32,000
22.7
9.2
13.5
1965
37
44
10,000
33.6
15.5
18.1
1970
37
61
8,000
36.5
20,0
10.5
20,0
10.0
10.0
34.7
9.6
35.1
1971-2
llO
213
6
1976
28
64
1978-4
23
59
24,000
= 7
(a)競争入札(b)裁量的認可
(岬〕Fi「stR・州fmmth・C。皿mitt…fP・b1北虹。mt・,〃肋肋ω蜆冊“刎.H.C.
122‘19η一ア3).19フ3.②y5teinNoエe皿g,r加01王1一冊d仙就r頸岨冊記σo皿〃冊㎜‘皿‘∫帥匝舵酊型せπ舳島ハー〃士ゐ
Sea,19畠O,P.59.
エクイティ・べ一スを超える原油供給源の大手企業への集中を意味した.
B 経済的リスクの分散と資本結合
英領北海油囲の開発においては,BPを除くほぽ全ての企業が,探鉱・開発
ともいくつかの企業とバートナーシヅプを縞んで行なった.これらの資本間で
の共同操業の財務・事業分担についての契約がかわされ,政府より鉱区ごとの
ライセンス認可をうけた.
このように開発システムが,中東産油国におけるように一国で単一のJOint
Ventureによる操業という形式をとらなかったことは,英領北海開発のひとつ
の特徴である.アメリカ国内などを除けぱ,中東などで1960年代までに支配
的形態であったJOint ven七ureと北海のそれとの形態上の相異はまさにこの点
にあるのだが,資本の側からの経済的リスクの回避の衝動がこの特殊的性椿を
理解する鍵となる.
北海で石油を発見し,開発生産するためのコストは,大きく分類すると以下
のようになる.①探鉱,評価コスト,②開発資本コストー生産プラットフォ
ーム,ターミナノレ,パイプラインなど,⑥操業費一日常的な人件費,維持費,
生産に付随する消費財の消費.
893
(122) 一橋論叢 第101巻 第6号
探鉱は,地震探査と試掘との段階に分かれるが,地震探査が行なわれる段階
では,情報が余りにも乏しく,探鉱支出金てが回収不能に陥ることもしぱしぱ
であり,もっとも不確実性を伴う.試掘の段階では,試掘井一抗あたり,70年
代初頭で平均600万ドノレを要するといったように支出は急増する.前段階で選
りすぐられた有望な鉱区の箇所にかぎった掘削とはいえ,リスクは依然大きい・
さらに評価段階においては,掘削坑井数の増加とともにリスクは減少するが, ’
次の開発段階では参加企業は膨大な開発費の負担を求められる.たとえぱ,シ
スル油田の開発費には3000万∼6000万ドルの探鉱費にくわえ,5億バーレノレ
の生産のためにさらに10億ドノレが必要とされた.またフォーティーズ油田の
プラヅトフォームは,本体約1億ドル,それに諸設備を加えると2億3000万
ドルにのぼった.さらに開発の進展にともない,海底パイプライン,湾岸受油
設備,原油処理設備,陸上パイプライン,輸出ターミナルなどの建設に必要な
資金を個々にまたは共同で支出せねぱならなかった・その総額は巨額であり,
イングランド銀行によれぱ1665年から1980年の総開発投資額は,1980年価
楕で210億ポンドと推計された2〕.
このような探鉱・開発費は,各油田においてとても一社で負担しうるもので
はなく,長期的な油価の上昇を考慮したうえでも不可能もしくは得策でないと
思われ,したがってコストとリスクとをなんらかのかたちで分散することが最
大の問題とされた.ほとんどの企業は数杜より成るコンソーシアム・グノレープ
を形成し,リスクを参加企業の間で最犬限分散させることによってこの問題に
対処しようとした.一MajOrsの動向に関しては,BP・Shell/ExxOnなどが包括
的な英領北海油田全体の排他的な支配権の獲得へ動いたことはなく・むしろ
MajOrS全体としても鉱区ごとに個別的な資本緒合をとげ,その資金的,技術
的優位性をフルに生かした有望な埋蔵の確保を進め・可能なかぎりリスクを他
へ転嫁することの方がより良策と判断されたのであろう・ 、
以上のことから,各コンソーシアムが個々の鉱区,油田の埋蔵構造,必要資
金,技術,参カロ企業の資産状況などに応じて適切なかたちで結ぴついた資本グ
ループによって構成されたことには合理的・必然的な意味があるといネる.
89壬
アメリカ石池資本の対英領北海進出
(123)
さらに付け加えていえぱ,こうした結合は開発促進をめざす政府の政策によ
っても奨励された・政府は,r1964年石油(生産)法」のなかのr共同開発」
規定に立脚し,ライセンス・ヲウンドにおいて申講が殺倒し,鋲区ごとの重複
が見られた場合には,いくつかの申請者をひとつのコンソーシアムにまとめる
ことによって,北海からの資本流出を阻止するようつとめた3).
C 開発コンソーシアムの内部編成と機能
コンソーシアム内部の詳細については,これまでほとんど公表されておらず
不明な点がおおいが,いくつかの資料によってその内容を見てみよう.
図III−1は,NOren9が用いた概念図であり,コンソーシアム内で契約を
結んだ個々の企業め操業上の役割分担の典型的な例を示したものである.コン
ソーシアムAとBの二つの例があげられているが,コンソーシアムによって
オペレーターと各メンバー会社の役割に相違があることがわかる、
まず,コンソーシアムAの例では,コンソーシアム内でのオペレーターの役
割は,操業,仕様書の作成,契約交渉,計画立案と管理,資財購入,品質管理,
洋上設備の設置など,操業の主要部分のほとんどに及んでいるのに対して,コ
ンソーシアムBの例では,オペレーターの役割は探鉱と仕様書の作成といった
基本的な部分に隈定されている。通常コンソーシアムのオペレーターは,コン
ソーシァムのメンバー会杜によって選出され,コンソーシァムのメンバー会杜
との契約下にあり,この契約によって操業料を受け取る、オペレーターは,コ
ンソーシァムの取り決めた条件の下に,]ンソーシアムによって作成された予
算にしたがってメンバー会社から資金を要求する責任をおっている4).開発コ
ンソーシァムのもつ財務,生産計圃,価楕決定は,各油田ごとの操業上の機能
すなわち開発1リスクの分散,技術導入,外部資金の借り入れ,生産調整およぴ
販売などの全体を管理する重要な位置を占める.
1977年時点における英領北海の主要油田のオペレーターは,さきの表III−
1に示されている・北海最大級の油田のオペレーターの地位が米系Majorsを
印心とする大手によって独占されていることが二見して明らかである.一般に
895
一橘論叢
(124)
図III−1
第101巻
第6号
開発コンソーシアムの機構と責任分担の概念図
コンソーシアムA
メンバー会社(設言十)
オペレーター
(設計詳細)
メンバー会社(下請け)(設計建設・組立)
(1鱗誰理)
/一会杜(下請1機)
コンソーシアムB
メ洲一会社(設計)(嘉島)
オペレーター
操業代理企薬
(仕蓑書策成)
(計灘叢整)
/繍杜(驚鑑)
二次下鮒会社(鐵)
1Mo材免S6”Cos灼1恋6囮加κo掘∫〃め,PartユI,P.97.
出所)表II一工に同じ。
オペレーターとしてではなく単なるメンバー会社として参加している企業とし
ては,MajOrsやIndePenden亡s以外では,イギリスその他ヨーロッバのコン
グロマリット企業の子会杜が多いことが特徴である.また,オペレーターおよ
ぴメンバー会杜はコンソーシアムの共同運営のため「操業委員会」(OPeratiOn
COmm三ttee)を設置した.
こうした英領油田の各コンソーシアムを総体としてみた場合,それらがきわ
めて協調的な行動をとっていることが浮かぴ上がる・このことは,とりわけ原
油生産量の調整の面で鮮やかにあらわれる.図III−2は,北海全体の生産実
績をグラフにしたものであるが,これは世界全体の地域別生産の内訳において
896
アメリカ石油資本の対英領北海進出
(125)
図III−2英領北海主要油田の産幽量
120
(単位100万トン}
案領北纏全体
100
80
60
40
20
’〆一 .一■}I・一}}■ 趾㎝t
、.酌血朗
’7 /’ 一一一’’’一’一}一一一一艦㎜
一 C1則㎜o肥
19751976197719781979198019811982198319841985
出所) 『石油開発関連資料』(1986年度版)より作成
OPECが19ア8年以降減産を続けたことと対称的に,北海において一路増産傾
向が堅持されたことを端的に示すものである.
MajOrsが,一方で申東の穏健派諸国を中心に「共存関係」を築きつつ,エ
クイティ原油,パイバヅク原油などの取引で原油調達カの保持をはかる交渉を
続けつつも,他方でこのような「共存」とはうらはらに,OPECの結束を打
破するための非OPECでの増産,価格イニシアチブの奪還を独自に推し進め
る行動をとったことがここに明白にあらわれている.しかも・英領北海におげ
る個々の埋蔵構造や新規油田発見,個別コンソーシアムごとの操業上の不均等
発展にもかかわらず,このように一定の上昇率を描いたことは,コンソーシア
ム間の協調関係の絶妙さを示すものといってよい1
なお,1979年の増加率が突出している理由は,イラン革命にともなうイラ
ンその他からのMajOrSへの供給削減を北海が一部代替したためである1
1) D.I.MacKay&G−A.Mackay,oク.o仇,pp.25_26。
897
(126) 一橋論叢第101巻第6号
2)8肋んげ助81伽∂9・舳γり肋〃舳,M…h・1982・P・58・
3) PAC report,oク.o仇,P・xvi・
4) 日本経済調査協議会『北海油田開発』(日経調資料76−15),1976年,62べ一ジ.
おわりに
英領北海油田開発をめぐって1970年代半ぱまでに形成された独占的資本結 ‘
合様式および資本・国家間の基本関係はおよそ以上のようであった。このよう
な形態はすでに指摘したように国際石油資本の海外進出の形態という点で歴史
的に経験されたものとは異なる特質を持つものであった・考察の一般的緒論は
次のように整理されるであろう.
第一に,国際石油資本の1960年代降の活発な国際的展開,とりわけ中東進
出と米英石油資本のr相互浸透」の強まり,相互の領域における権益の拡大が
開発の重要な背景をなしたが,このような背景は,資本受入国であるイギリス
攻府の開発政策が石油資本の国際的な権益との関わりで規定されざるをえない
という政策的連関を生み出した・
第二に,北海における開発コンソーシァムは,M乱jorsを中心とする石油企
業による資源支配のための独占的な緒合関係を示すものであり,それは同時に
英領における資本レペルの対抗と協調,英国政府の独自の資源戦略など,個々
の主体の個別的な思惑を反映しつつ形成された経済的関係にほかならなかった.
主要油田をほぼ独占しつつ,北海の自然条件による開発上の経済的リスクを分
散し,コストを他に転嫁し得るという開発コンソーシアムの機能はMajOrSに
とって適合的であったのみならず,リスクを負う代償として石油開発に参画す
ることが可能となったという意味において非MajOrS系企業にとっても好都合
であったといえる.また,Majorsや米系Independentsにとっては他の中小
参入者が自社下流部門を保有していないため,それらから原油を優先的に獲得
することができた.これは直接,エクイティ・べ一スを超える原油供給源の集
中を意味した(相互依存的な利害関係を基礎とした支配関係の強化).
MajOrsは,1980年代全般をつうじて国際石油市場のr供給過剰」や国際市
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アメリカ石油資本の対英領北海進出
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場における石油取引の「スポヅト化」「先物化」を主導するが,その際,「タヅ
クス・スビニング」など英国の税制上の措置をも背景とした北海石油支配がそ
の条件の一つとなった・このように70年代後半から80年代の石油情勢の重要
な一側面をなす北海油禺支配の全体像とその意義は,国際石油産業およぴ国際
金融市場との総体的な連関において明らかにされねぱならないが,それらの研
究についそは今後の課題としたい.
(一橋大学大学院博土課程)
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