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信仰の歴史を仕上げる
信仰の歴史を仕上げる ヘブライ書の福音 30 信仰の歴史を仕上げる 11:30-40 いよいよ 11 章の結び、信仰で生きた人たちのリストの締めくくりです。神 と共に歩んだと言われるエノク。神がお取りになったので、いなくなったと 言われるこの人の去り方は、美しいイメージを聖書の頁に残しています。行 く先を神にお任せしたまま出発したアブラハム。彼は約束の地に旅人として 住んで、しかも神の言葉が必ず実現するとかたく信じました。老年に至って も、孫はおろか、一人の子も与えられなかったのに、「お前の子孫は空の星 のように、海辺の砂のようになる」という約束を疑わなかったばかりか、つ いに奇跡のように与えられた我が子を「献げよ」と命じられれば、「神はこの 子を復活させてでも約束どおりになさる」と信じてイサクを献げる人でした。 そしてモーセの信仰です。エジプト王女の子としてユダヤ人の保護者にな るより、その栄光の地位を捨てて、貧しい奴隷民族の一人に帰ることが主の 意志と示されれば、直ちに信仰で決断して荒れ野へ立ち去ったのです。前回 読んだ最後のシーンでは、行き止まりの「葦の海」の水がモーセの杖の下に 一晩で引いて、乾いた土地に変わります。だれもが絶対絶命、希望はゼロと 思った瞬間に、この人だけは「神がこれを渡らせるとお決めになった以上、 水を分けてでも道をお作りになる」と信じて、杖を高く上げ、手を海に向か って差し伸べたのです。 モーセと同じことは私に命じられていなくても、モーセがそこまで信じ切 った神にお会いすることは私にも、あなたにもできる。モーセの信仰はあな たにも与えられる、という所でモーセ物語は終わっておりました。今日の結 びの言葉は、むしろあなたの信仰のほうが大事な本番で、モーセもアブラハ ムも、本当はあなたの前座だったと言います。終幕のクライマックスで、肝 -1- Copyright えりにか社 2008 All Rights Reserved. 信仰の歴史を仕上げる 腎のあなたが出て来ないと、このドラマは締まらない。アブラハムもモーセ も宙ブラリンになって意味を失うと言うのです。40 節。 神は、わたしたちのために、更にまさったものを計画してくださったので、 わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しなかったのです。 ヘブライ書を読み始めたのが去年の 1 月ですから、第 1 講の時にここを読 んで感想を申し上げたのを、覚えていて下さる方も、あるいはいらっしゃる かも知れません。「私たちを抜きにしてはこの人たちのやったことは宙に浮 いてしまう」と訳したものです。ここは英語でもある程度意訳しないと通じ にくいと思われるようですが、本当は文字どおりには、so that without us they may never be completed. という感じに書かれています。さて私たちの 持っている日本語の訳文はどんな響きに聞こえましょうか。 聖書協会口語訳は「わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはな い」で、ノアもエノクも私たちと一緒に初めて、約束の成就を味わう。イエ ス・キリストが死なれて、イエス・キリストが死から復活されて初めて、ア ブラハムの信仰も意味を持った。彼らは福音の時代を待っていてくれて、い ま私たちと並んで約束の実現を見る。英語の聖書は大体そういう趣旨に訳し ます。フランシスコ会訳の「わたしたちといっしょでなければ、かれらが全 うされることはないからです」は、とてもはっきりしていますね。新改訳の 「わたしたちと別に」、新共同訳の「わたしたちを除いては」も大体同趣旨 でしょう。39 節とのつながりから言っても、「全うされる」というのは「約 束されたものを手に入れる」ことだろう、という推測はわかります。 私自身はしかし、「全うされる」はそれだけではなく、この先人たちの果 たした役目が「完結する」意味も強いと思います。あなたや私がイエス様の 下さるものを信仰でしっかり受け止めて、信仰で約束の恵みを戴いて初めて、 この人たちのしてくれたことが意味を持つ。モーセがしたことも、アブラハ -2- Copyright えりにか社 2008 All Rights Reserved. 信仰の歴史を仕上げる ムが残したものも、無駄じゃなくなる。そういう意味が強いように、ここは 受け取れるのです。ここはまた結びの所でもう一度、触れましょう。では、 信仰で生きた人たちの歴史 PART 5。モーセの次です。 1.約束の国カナンに住んだ人たちの信仰。 :30-32. 著者は旧約聖書の歴史を知り抜いている人たちに、これを書いていますか ら、ヨシュア記、士師記、サムエル記を読んだことのない人には印象も感銘 も半減するかも知れません。この 20 行余りの歴史を、いちいち旧約書を開い て解説申し上げれば、2 時間では済まないでしょう。がっかりなさらないで、 むしろこれを機会に旧約聖書の通読をなさってはいかがですか。新共同訳は 「良くない。ダメだ」と、一言の元に否定なさる先輩もおられますけれど、 私は別意見でして、結構役立つと思います。 実は私自身が、ヨシュア記から士師記、サムエル、列王記に弱いことに気 付いたのが 3 年あまり前でした。以来星田の集会では士師記の一章から、皆 さんにもお付き合い頂いて、いま列王記の終わりあたりまで読み進みました。 CM めきますが、今晩は主の預言者エリヤがバアルの預言者四百五十人と対 決する所です。 ところで、モーセの後がエリコの城壁まで飛ぶ理由は多分、このヘブライ 書の著者のいくぶん偏った評価と言いますか、著者自身の見識によると、「荒 れ野の四十年は不信仰・不従順の時代」という評価……これは 3 章と 4 章に 現れていました。ですから、葦の海を渡るモーセからヨシュアがエリコの町 を攻略するまでは、信仰の実例は、著者にとっては空白になるのです。 30.信仰によって、エリコの城壁は、人々が周りを七日間回った後、崩れ落 ちました。 31.信仰によって、娼婦ラハブは、様子を探りに来た者たちを穏 やかに迎え入れたために、不従順な者たちと一緒に殺されなくて済みました。 -3- Copyright えりにか社 2008 All Rights Reserved. 信仰の歴史を仕上げる 32.これ以上何を話そう。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、 サムエル、また預言者たちのことを語るなら、時間が足りないでしょう。 前半はヨシュア記です。ヨルダン川を渡ったイスラエルの人々をまず阻ん だのはカナン人の堅城エリコでした。これを武力ではなく主の指図への信仰 と服従で落としたという記録がヨシュア記 6 章です。主がヨシュアにお命じ になった通りに、民は、角笛を吹き鳴らす七人の祭司と主の箱を先頭に七日 間、城壁の周りを毎日一回行進して宿営に戻ります。七日目には七度町を回 って、角笛と共に鬨の声をあげると、その瞬間に城壁が崩れ落ちた。この時 救出されたただ一人の住民がラハブです。 ラハブの前身は娼婦だったと言います。聖なる神の救いには最も程遠い種 類の人間と言えるでしょうが……。なぜか、この悲しい女性が憐れみを受け ることになります。ここにはイエスのもとに来た徴税人や娼婦の救いが「先 取り」されていると言えますか。娼婦ラハブはイスラエルの神ヤハヴェの力 を見る目を持ち、生ける神を畏れる心を持っていたのです。著者はこの女性 を信仰の人ヨシュアと同列に、ヨシュアに服した民と同列に置いて見ます 32 節に並ぶ六人の名は、初めの四人が士師記、あとの二人がサムエル記の ヒーローです。ふたり一組と見て、三つの組は年代順ですが、各組のペアー は主要人物を先に逆にしてあります。この人たちは、いわば弱小民族イスラ エルの命の恩人です。周囲から襲いかかるカナン人、ミディアン人、アンモ ン人、ペリシテ人を次々に迎え撃って、武力の上でも非力の民族を信仰で支 えた勇士たちです。ヘブライ語ではショフェート(士師)という名の外に、 モシーア(救助者)という名を当てています。民族の救助者です。 そして最後にイスラエルの十二部族をついに統一して立つのがダビデ王。 そのダビデを主の選びによって引き出す人がサムエルです。この人サムエル はまた、これに続く預言者の時代をも代表していると言えます。この人たち -4- Copyright えりにか社 2008 All Rights Reserved. 信仰の歴史を仕上げる の業績ではなく、信仰に注目せよ。神の言葉を本気で受けた人として、神の 約束を何よりも確かなものとした人、自分の非力を見ず、主の力に支えられ た人として注目せよ。それがヘブライ書独自の視点です。 2.イスラエルの苦難の歴史に反映する信仰。33-38. 33.信仰によって、この人たちは国々を征服し、正義を行い、約束されたも のを手に入れ、獅子の口をふさぎ、 34.燃え盛る火を消し、剣の刃を逃れ、 弱かったのに強い者とされ、戦いの勇者となり、敵軍を敗走させました。 35. 女たちは、死んだ身内を生き返らせてもらいました。他の人たちは、更にま さったよみがえりに達するために、釈放を拒み、拷問にかけられました。 36. また、他の人たちはあざけられ、鞭打たれ、鎖につながれ、投獄されるとい う目に遭いました。 37.彼らは石で打ち殺され、のこぎりで引かれ、剣で切 り殺され、羊の皮や山羊の皮を着て放浪し、暮らしに事欠き、苦しめられ、 虐待され、 38.荒れ野、山、岩穴、地の割れ目をさまよい歩きました。世は 彼らにふさわしくなかったのです。 最後の一句はどういう意味だと思いますか。不信の世が彼らに判決を下し たというのです。「こいつらは我々の世界に生かしておく価値はない。信仰 で神に服して我々に盾突くような者は、人間の住む所に住まわせる値打ちが ないのだ。」そう判断を下すことによって、実は皮肉にもこの世自身が、我 と我が身に判決を下した。信仰の人にいて頂く値打ちがないことを……。形 は単純な文ですが、意味はひと捻りもふた捻りもしてあります。 旧約聖書を知っている人には、この文章がどんなイメージとつながったか を、32 節からカメラを動かすようにして見て行きましょう。「獅子の口をふ さぎ」はサムソン、ダビデの故事、それに獅子の洞窟に投げ込まれたダニエ ルがいます。34 節、「燃え盛る火を消し」は炉の中に投ぜられたが、死なず に神の子と共に歩いたという、ダニエルの三人の仲間。「剣の刃を逃れ」は -5- Copyright えりにか社 2008 All Rights Reserved. 信仰の歴史を仕上げる ダビデやエリヤ。「弱かったのに強い者とされ」はサムソン、ヒゼキヤ王。 35 節の「死んだ身内を生き返らせてもらった」のはサレプタの寡婦とシュネ ムの婦人。エリヤ、エリシャ物語に出ます。37 節「石で打ち殺され」たのは 預言者エレミヤ、祭司ヨヤダの子ゼカルヤ。次に、聖書は黙していますが、 伝承が「鋸で真っ二つに引かれた」と伝えているのは預言者イザヤです。「羊 の皮」「山羊の皮」は私たちの連想とは結び付かないでしょうが、あの国で は衣服すら無い窮乏の人というのは、家畜の皮を剥いでそれを身にまとった ものです。それでかろうじて寒さを凌いだ。気候も生活習慣も違う私たちに は一読して理解しにくい所です。 これらのイメージは、主として旧約聖書の人物から取られていますが、35 節後半の「他の人たちは」以下は、恐らく読者たちの記憶に新しい、せいぜ い百年前の歴史。シリア王朝のギリシャ化政策へのレジスタンスの闘士たち、 迫害の犠牲者たちが含まれているだろうと言われます。この時の圧力はアン チオコス 4 世によるユダヤ信仰抹殺政策でした。エルサレムのヤハヴェの神 殿にはゼウスを祭るべし。ユダヤ人はモーセの律法を捨て、信仰を改めよ。 この強行政策への抵抗とゲリラを指揮したのが、祭司マタティアと五人の息 子たち、中でもマカバイと呼ばれたユダでした。マカバイ記という二巻から なる歴史がこれを伝えております。 具体的には、安息日を守ることを禁じ、異教の祭壇に豚の犠牲を献げさせ る。その上、モーセ律法によって死んでも食わないはずの豚肉を口をこじ開 け、喉へ捩込んででも食わせる。それに服しない者は「ティンパノン」とい う丸枠に巻き付けて、体を張り延ばした上から滅多たたきにして、骨も潰れ て息が絶えるまで叩き殺す。35 節の終わりにある「拷問にかけられました」 は、その叩き殺し刑の張り枠「ティンパノン」にかけられた という言葉が使ってあります。「更にまさったよみがえりに達するために」 というのは、エリヤに生き返らせてもらった少年のような肉のよみがえりじ ゃなく、永遠の来世に生きる復活を信じて、という意味です。信仰を否定し -6- Copyright えりにか社 2008 All Rights Reserved. 信仰の歴史を仕上げる て「転び」さえすれば釈放してやる、というのを拒否したことが「釈放を拒 み」です。 マカバイ書にこの人たちの殉教録を読む時に、私はあの踏み絵を踏むのを 拒否して処刑された日本のキリシタンたちのことを思います。人はあるいは、 踏み絵などは無に等しいものだから、割り切ってもよかったのでは……と言 うでしょう。しかし、あれを踏むことは、その時点では「キリスト信仰を捨 てる」ことのシンボル、それも明白で大声のシンボルだったのです。ユダヤ のマカバイ抵抗運動の人たちのシンボルは、見方によっては、それ以上に些 細でこっけいに思えるでしょう。豚肉を口にすることをあくまで拒否してテ ィンパノンにかけられることに甘んじたのですから。しかしその時点ではそ れは、シリア人の総督にとっても、見守る同信の兄弟たちにとっても、「私 は主なる神を捨てる。聖書の神を呪う」という明白で大声のシンボル。愛す る人たちを裏切るシンボルだったのです。 マカバイ記第二巻に「エレアザルの殉教」という記事があります。高齢の 律法学者エレアザルは、豚肉を食べることを強制された時、拷問の係りの者 が彼と旧知の間柄で、彼を尊敬するあまり、こっそりと清い肉を差し出すか ら、王が命じた肉をイヤイヤ食べた振りをして下さいと申し出ます。その時 のエレアザルの言葉。 「我々の年になって、うそをつくのはふさわしいことではない。そんなこ とをすれば、大勢の若者が、エレアザルは九十歳にもなって異教の風習に転 向したのか、と思うだろう。その上彼らは、ほんのわずかの命を惜しんだわ たしの欺きの行為によって、迷ってしまうだろう。またわたし自身、わが老 年に泥を塗り、汚すことになる。たとえ今ここで、人間の責め苦を免れえた としても、全能者の御手からは、生きていても、死んでも逃れることはでき ないのだ。だから今、男らしく生を断念し、年齢にふさわしい者であること を示し、若者たちに高貴な模範を残し、彼らも貴く聖なる律法のためには進 -7- Copyright えりにか社 2008 All Rights Reserved. 信仰の歴史を仕上げる んで高貴な死に方ができるようにしよう。」こう言い終わると、直ちに責め 道具の方へ歩いて行った。(以上訳文は新共同訳の続編から。いまの「責め 道具」の所、原文ではに向かって歩いて行った、とあります。) ヘブライ書が私たちに言いたいのは、この人たちの高貴な姿を見よ、とい うよりもむしろ、あれもこれも皆、このひとたちは信仰でできた。というよ り、そこまで本気で真実を献げたい相手を持った。それほどの神を持ってい た。この信仰はあなたに持てるものだ。もしキリストの中に、あなたを愛し た神をみたら……。それがヘブライ書の中から響く声です。 《 まとめと結論 》 :39,40. 39.ところで、この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながら も、約束されたものを手に入れませんでした。 40.神は、私たちのために、 更にまさったものを計画してくださったので、私たちを抜きにしては、彼ら のせっかくの役割は宙ブラリンで完結しないのです。 (少し言い換えました。) ここの「私たち抜きでは」without us ―というヘブライ 書の言い方は、単に、私たちに与えられたキリストの福音が来なかったら… …というだけの意味ではないと思います。それに、彼らは全うされる筈がな いようになっていたというのも、単に、約束されていたこ との実現を見られなかったろう……という、39 節を補足するだけの対句とも 見えません。 「私たち抜きでは彼らは完結しないんだ」というこの大胆な断定について、 第 1 講のとき私は、次のような説明をして結んでいます。「私たちがなかっ たら、この人たちのやったこと自体が完結しない。それは宙ブラリンになっ て、何のためだったか分からなくなる!」 -8- Copyright えりにか社 2008 All Rights Reserved. 信仰の歴史を仕上げる 私はそれまでは、アブラハムの信仰とか、モーセの偉業とかいうものは、 自分の霊的模範かゴールみたいに、そうです。「恵みの高き嶺、日々我が目 当てに……」みたいに眺めていました。私が行き詰まったり、がっかりして 座りこんだりした時に、私にインスピレーションを与えて、鞭打ってくれる 先達の理想像、信仰の目標としてばかり見上げていました。 そのアブラハムやダビデやヨシュアやダニエルが、本当は私の出番の前座 を勤めて下さった。この私が歴史の舞台で正しく信仰の本番を勤めるように ……。イエス様が十字架の上から下さる神の義を信仰でガッチリ受け止めて、 死んだ私を生かして下さる復活のキリストをわが主として、あの人たちがあ の時点で持っていた信仰を正味自分のものとして欲しい。あれだけ本気で仰 いだ神をあなたも持つように! モーセと同じことはできなくてよい。ダニエ ルの向こうを張って気張るな。でも、あの人たちが内に持っていたと同じ、 どころか、それ以上の内容の信仰をあなたに持たせる力はイエス・キリスト の中にあるぞ! 彼らの信仰の歴史を仕上げるのはあなたなんだ、と。それが ヘブライ書の呼び掛けでありますし、そう見た方が、次の 12 章へ自然につな がると思うのですが……。 (1988/04/24) 《研究者のための注》 1.エリコの攻略はヨシュア 6 章。ラハブと 2 人の斥候は 2 章。 2.ギデオンは士師 6:34,7 章。バラクは士師 4 章,5:19。エフタは 11:29。サムエル とダビデはサム上 16:13。ダビデの救助者としての戦いはサム上 5,8,21 章、下 8 章。正義は士師たちや王たちの事業。 3.ライオンの口は士師 14:6、サム上 17:34、ダニ 6:22,23。火を消す―ダニ 3:16 -18。剣の刃―サム上 18:11,同 19:12,同 21:10。王上 19:1。王上 6:14 以下,: 31 以下。弱さから強さへ―王下 20 章士師 16:28 以下。 4.女たち―王上 17:17。王下 4:34,35。拷問(ティンパノン)―第2マカバイ 6 章。投獄―創 39:20,歴下 16:10。 -9- Copyright えりにか社 2008 All Rights Reserved. 信仰の歴史を仕上げる 5.石打ち―歴下 24:20,21。マタ 23:35-37。剣で殺される―エレ 26:23,王上 19:10。第1マカバイ 2:38。 6.皮を着る―王上 1:8。荒れ野、岩穴―王上 18:4,13。 7.40 節後半の原文。普通はを の意味に解釈しているものと思われる。 - 10 - Copyright えりにか社 2008 All Rights Reserved.