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教区報408(2009年 8月 9日)
日本聖公会 大阪教区教務局 〒545-0053 大阪市阿倍野区 松崎町2-1-8 TEL 06-6621-2179 FAX 06-6621-3097 発行責任者 教務局長 司祭 原田光雄 〈HP〉http://www.nskk.org/osaka/index.htm 〈e-mail〉offi[email protected] 第408号 2009年8月9日発行 司祭に加えていただきました。 支えられ、大阪教区の新しい 皆さんのお祈りとご指導に 7│9] ︶マルコによる福音書6・ [ 聖 霊 降 臨 後 第 6 主 日︵ 特 定 じられた。 ﹂ は二枚着てはならない﹄と命 は履くように、そして﹃下着 の中に金も持たず、ただ履物 たず、パンも、袋も、また帯 ﹁旅には杖一本のほか何も持 い﹂、﹁ひたすら神様だけを信 と い う の は、﹁ 命 を か け な さ れさえも持たずに派遣される 守る頼りになるものです。そ ような外敵から、自分の命を 道で出逢うかもしれない獣の した。当時の杖というのは、 えも許してくださいませんで カによる福音書では杖一本さ パンも、下着さえも、更にル は言うに及ばず、明日食べる いとおっしゃるのです。お金 の旅に何も持たずに行きなさ いました。辛うじて木の枝を て絶壁から谷底に落ちてしま た時、彼は突然足を踏み外し 降り始め、何も見えなくなっ ました。日も沈み、急に雨も って行き、道に迷ってしまい ん進むうち、深い谷あいに入 で山登りをしました。どんど ﹃ある信仰深い牧師が一人 のことを考えて見ましょう。 牧師のたとえ話を通して自分 味かを考える個所です。ある てを委ねる〟とはどういう意 ので下が見えなかっただけで 嵐が吹きすさぶ暗い夜だった 奇跡的に助かったのでした。 ほどの高さしかなかったので、 木の枝は地上から5メートル 実は、彼がぶら下がっていた がどうなったのでしょうか。 がら絶壁から落ちました。彼 らないのですか?﹂と考えな たのに、どうして救って下さ 彼は﹁神様!従順に仕えてき がら最後の瞬間を迎えます。 と愛する人々を心に浮かべな 子に人生の道のすべてを頼り、 すなわち、イエス様は神の なのです。 じて頼りなさい﹂という意味 た。﹁子よ、手を放せ﹂。彼は 時、 神 様 の 声 が 聞 こ え ま し の力が無くなりそうになった 何分経ったでしょうか、牧師 さい。﹂彼は必死に祈りました。 なたに従います。助けてくだ 心から悔い改めてあ 様救って下さったら 祈 り 始 め ま す。﹁ 神 る状態で神様に切に 死になってつかんでいるその すことが出来ないその枝、必 様の教えに逆らいながらも放 しょうか。自分にとって、神 つも頼っているものとは何で うか。神様に頼る代わりにい れるような人はいないでしょ 絶壁の枝にぶら下がっておら も旅の途中に足を踏み外して、 はいないでしょうか。それと 出来ずに戸惑っておられる人 人生に悩み、旅立つことが した。﹄ 皆様と常に導いてくださる神 つかんで助かった彼 神様に委ねる生き方を要求さ 驚き、声が聞こえた方に向か は、ぶら下がってい ずつ組にして遣わすことが記 れたのです。これがまさにこ 全てを委ねる人生 されています。それは、イエ の世に派遣された私たちの生 枝は、自分にとって何の意味 でした。その大変なミッショ 私にとって何が神様との関係 ちが黙想すべきポイントは、 本日の福音書を読んで私た 牧師は、絶望感を感じ、とめ 手 を 放 せ ﹂。 こ の 声 を 聞 い た 同じ声が聞こえました。﹁子よ、 けて下さい﹂と。するとまた ︵チョウ ジョンピル・主教 座聖堂付︶ ただきたいと思います。 が有るのかを黙想してみてい 人 ンには、あれやこれやと準備 の邪魔立てをしているのかを ス様は愛する弟子たちを しても足りないほどである、 どなく涙を流しながら、家族 鍾 必 ス様が﹁狼の群れに小羊を送 ってもう一度叫びました。﹁助 と私たちは思ってしまうかも 悟ることです。すなわち〝全 司祭 趙 り込むようなものだ﹂と言わ き方なのです。 しれませんが、イエス様はそ 2 さて、この福音書で、イエ れるほど、大変なミッション 様に感謝いたします。 10 ていると体が浄化されていく んな時代、祖父は八ヶ岳、 さな商店がありました。そ 歳を過ぎてこれからの みたいで、なんとも言えない 群落をながめ﹁この雄大な 人生をどのように過ごそう 自然、いいだろう、みーん 富士山、ドウダンつつじの コリントの信徒への手紙Ⅱ 気分になります。 9章6節の言葉を思いながら かと思っていた矢先、自宅 の裏の空き地で家庭菜園を 日本聖公会婦人会 第2回会長会 主教座聖堂に 教区会長ら集う ︵定期︶総会後第2 回会長会 している方がおられ、私も 去 る 6 月 3 日︵ 水 ︶、 4 日 が大阪教区主教座聖堂︵川口 な神さまが私に、みんなに そしてイエスさまがいつも 基督教会︶で開催され、全国 種を蒔き感謝をもって収穫し、 私のそばにいて下さる。な 仲間に入れてもらいました。 だいています。それがまた私 ーにも心配する事なんかあ ︵木︶、日本聖公会婦人会第 の励みにもなり嬉しく心豊か 与えてくださったのだよ。 植えましたが、失敗でした。 になります。神さまは多くの 教区の会長と傍聴者、役員 そして多くの方に喜んでいた 今度こそはと意気込んでい りゃしない。有りがたいこ さっそく葱とさつまいもを ましたが、お借りしていた ものを創られました。そして とだよ。 席した。 会、ゲストなど総勢 人が出 土地が売れてしまいました。 サムエル、 か?感謝、 り、活動報告、2007年度 会 は、 会 館 3 階 で 議 事 に 入 開会聖餐式で始まった会長 感謝だよ、 会計報告が行われた。議案審 解ります 36 10 なっ、婆 河南町の山間の土地を借り そんな時、私の住んでいる ずり等に季節を感じ、神さま りの草花、山菜、野鳥のさえ びたび出てきます。畑のまわ 聖書には動物、植物の話がた で、またか⋮と思ったりし の心を読みとっているよう た言葉でしょう。当時の私 行くたびになんど聞かされ ら言っていました。清里に 祖父が度々言っていた言葉が むかし、清里に住んでいた 心から感謝しています。 からの大きなプレゼントに 議では、運営委員会委員長に 井上美津さん︵大阪教区・2 期目︶を承認し、今後2年間 の被献日献金活用の対象者に 国連女性会議参加者を加える 議案、2009年度コア運営 費並びに一般会計予算補正の 議案を原案通り可決した。感 謝箱献金お献げ先については、 横浜教区婦人会から提出され 万 たガザのアハリ・アラブ病院 支援を修正案で可決し︵ 万円を2年間︶を については、 教区6万円ず の2010年度教区婦人会枠 処理などを検討。被献日献金 きをうけて・第2集﹂残冊の 間 の 意 見 交 換 を 行 い、﹁ 息 吹 議事終了後、さらに約1時 原案どおり可決した。 の提案︵ を支援する﹁ニームの会﹂へ 出の南インド・ダリッド女性 円 を 2 年 間 ︶、 運 営 委 員 会 提 50 主と共にあゆむ 神 さ ま か ら のプレゼント さんや﹂ る事が出来、開墾をはじめ が造られた自然の偉大さにと 山本 勝彦 ました。大自然の中、イノ たものです。いま畑に立ち サムエル とにこに シシ、狸、いたち、カラス っぷりとつかりこんでいる状 こしなが 等との知恵比べをしながら、 しかし今の広さ、450坪 思い出されてなりません。そ 祖父の言葉を思い、神さま 態です。 が労働、管理の限界だろう ︵や ま も と かつひこ 富 田林聖アグネス教会信徒︶ ︵次頁最下段につづく︶ ョップと分かち合いの時をも 承認した。夕食後はワークシ つ支援することを追加議案で 10 順次畑を広げてきました。 と自分に言い聞かせている れは 年も前のことで、駅舎 ところです。あくまで趣味 は木造、駅前に5、6軒の小 20 3 10 22 ワークショップ風景 60 ですので楽しく畑仕事をし 40 2009年8月9日 (2) 大 阪 教 区 報 第 408 号 櫻井 揚子 教区婦人会旅行での思い出 マリヤ たいです。やって良かったと 皆で思えるようにと願ってい ます。皆様のお支え、お祈り を宜しくお願いいたします。 ︵前頁よりつづく︶ ち、日本聖公会婦人会のしく み、感謝箱献金の歴史と内容、 の2泊3日の旅で、大西主教 へ。八ヶ岳高原と清里方面へ 京教区︶の報告に続き、被献 ん︵バーンサバイ友の会、東 出席された佐々木紀久江さ 回国連女性の地位委員会に 会長の櫻井さんと 副会長の槻本清子さん ︵右︶ 被献日献金について、グルー プに分かれて学んだ。 世話になっています。チャプ プレン内田望司祭、趙鍾必新 ご夫妻、原田光雄司祭、チャ 2日目は、朝の礼拝、第 レン内田望司祭のご指導のも 6月 日より教区親睦旅行 会総会後、婦人会会長に任命 と副会長の槻本清子さん、各 日献金申請の審査が行われた。 年ほどはずっとお され、何も解らない私で務ま 司祭と参加された総勢 人の が最近の るのかと少々不安な気持ちで 教会代表者の方々と共によく 婦人達が、2台のバスに分乗 日の教区婦人 お受けしました。石橋聖トマ 話し合い、よく考え合ってや して行って参りました。 今年の5月 ス教会の信徒です。山本登司 っていきたいと思っています。 件あった申請のうち、神学 祭のもと荘園で青年時代を過 ︵5頁につづく︶ 生枠7件、有志グループ3件 の支援を了承した。2回目と なる今年度は被献日献金への 陰の鶏小屋で半ば放し飼い、 気付かされ、愕然とさせられ 思いやりに欠ける自分自身に ﹁ララ﹂の死は、優しさと 鏡に映らないその姿に の姿。 みに驚くほど鈍感な自分 他者の苦しみ、悩み、痛 身のことにだけ気を配り、 かんだ。ヨナ同様、わが に変更された日本聖公会婦人 日間の日程を無事終了。 午後1時の閉会の祈りで、2 題点も浮かび上がってきた。 を感じたが、同時に様々な問 申請数も増え、情報の広がり ﹁ララ﹂ 車の通る道路を横切り、向か た出来事であった。自分は、 会は、被献日献金申請制度も あたる鶏小屋の中で﹁ララ﹂ ながら、炎天下、直射日光の 人々と共に生きていくこ り 目 を 向 け、 そ の 目 で エスに、もう一度しっか している本役員会の任期も、 なっている。大阪教区が担当 度総会で不備を見直すことに 含め3年間の実施の後、来年 まって死んでいた。 は名古屋コ いの柳城短大の庭へも散歩に 気付かせてくださる主イ 大阪へも昨年9月、一緒に は息も絶え絶えであることに との大切さを思い知らさ 2007年にしくみが大幅 ーチン3歳 冷房の効いた涼しい部屋にい と一緒に、ひよこの時か 引っ越して来て、主教館の庭 気付くのがあまりにも遅すぎ であった。 ら可愛がって育て、その で カ月を過ごした。環境の 名古屋への引っ越しも 車で同行。その二代目は 変化にも慣れ、春頃からまた た。なぜ、もっと早く鶏小屋 れた熱い出来事であった。 直し作業など、総会に向けて あと1年となり、具体的な見 ︵日本聖公会婦人会役員会︶ 正念場を迎えることになる。 ポツポツ卵を産み始めた。 ヨナの不平不満が脳裏に浮 かったのだろうか? ︵主教 サムエル 大西修︶ 日、朝元気 を涼しい木陰に移してやらな しかし、7月 だったが、主日礼拝から戻っ 12 りもした。 産んだ卵を給食で使った 県長岡市の保育園で園児 出かけ、学生や信徒の人気者 てみると鶏小屋の奥でうずく 13 96 の雌、新潟 ﹁ララ﹂の死 難しいことは解りませんが、 53 楽しい婦人会・代表者会にし 10 マスを出たり戻ったりでした 20 ごし、結婚後は転宅が多くト 21 主教座聖堂の玄関前の木 10 第 408 号 大 阪 教 区 報 (3) 2009年8月9日 大阪・京都教区 合同教役者修養会 教区間協働など話し合う よ る﹁ 聖 公 会 契 約︵ 誓 約 ︶ ﹂ 京都教区の荒木太一執事に つ い て の 報 告 が あ り、 ま た あろう。 取り上げる必要のある問題で を行ってこなかったが、今後 立ててこのことの学習会など た。大阪教区では今まで取り ンデレ教会に場所を移し、閉 の分かち合いの後、宮津聖ア れたあと、参加者全員の思い 主教による署名と捺印が行わ 協働に関する合意書﹂への両 や伊根湾観光を楽しんだ。ひ いくつかのグループで天橋立 なかったのは残念であった。 ャプレン職の聖職が参加でき 大阪教区からは、学校のチ 西主教説教で献げ、散会した。 The Anglican Communion ︵ 4年のウィンザー・レポート たすら釣りに精を出す京都教 会聖餐式を高地主教司式、大 で提起されたことであるが、 区の若手もおられたし、この 午後は、自由な観光の時間、 ︶についての解説 Covenant が 行 わ れ た。 こ れ は 2 0 0 ルと宮津市中央公民館、宮津 全聖公会が直面している不一 眞 京都教区との合同教役者修 聖アンデレ教会を会場として 致 か ら 回 復 し、﹁ 共 に あ る ﹂ 司祭 施洗者ヨハネ 山本 日︵月︶か 親しい交わりと有意義な学 養会が去る6月 び・意見交換が行われた。 ら 日︵水︶まで京都府宮津 市において開催された。今年 幹事︶ 時とばかりにホテルでのんび 日本聖公会京都教区 教区主教 ステパノ 高地 敬 ことを目指そうとするための 日本聖公会大阪教区 教区主教 サムエル 大西 修 初日は、両教区主教による 救主降生 2009 年 6 月 24 日 で5回目となる。大阪教区か 以上 ︵やまもと まこと・芦屋聖 マルコ教会牧師・教役者会 5. 大阪・京都両教区が他教区との協働関係を持つことは妨 り過ごすご老体もおられた。 会で検討し、推進する。 一つの﹁道具﹂なのだ、とい 4. 今後の課題の一つである人事交流について、両常置委員 ﹁教区間協働について﹂ の発題、 会を開催する。 人、京都 3. 毎年、大阪・京都両教区間で、宣教協働についての評価 らは大西主教以下 だ宣教協働の課題について総会において報告する。 最終日は、両教区の﹁宣教 2. 日本聖公会第 57(定期)総会の決議に基づき、取り組ん う荒木執事の言葉が心に残っ 会など)を推進する。 夕食後は4グループに分かれ 役者会、合同聖職養成委員会、礼拝に関する合同の研修 人 1. 大阪・京都両教区が、これまでの宣教協働関係(合同教 22 10 教区からは高地主教以下 するために、以下のことを合意する。 て、それぞれの働き げない。 の現場からの分かち 大阪教区と京都両教区は、これまでの宣教協働関係を推進 24 の参加で、宮津ロイヤルホテ 合いを行った。5年 調印式の大西主教(左)と高地主教(右) 目ともなると、教区 が違ってもお互いに 少しは事情がわかっ て来てはいるのだが、 たとえば田宮紘執事 の釜ケ崎での働きに ついての生の声に励 まされ、京都教区の 若い教役者たちに元 気づけられる楽しい ひとときであり、時 間の経つのも忘れる 翌日は、両教区の ほどであった。 常置委員会からそれ ぞれの教区の課題に 宣教協働に関する合意書 26 2009年8月9日 (4) 大 阪 教 区 報 第 408 号 見学、八ヶ岳ロイヤルホテル 昼食、サントリー白州工場を で旅の始まり、駒ヶ根SAで 1号車は大西主教のお祈り の石は立教大の学生が下から のことだそうです。祭壇の横 ってきやすいようにと考えて その理由は誰もがいつでも入 席がありますが畳席が殆どで、 礼拝堂はまわりと後部に椅子 下さった聖ヨハネ教会の方々 が出来ました。お世話をして の方々との親睦も深めること 通して、普段出来ない他教会 た。感謝なことにこの旅行を い出来たのも嬉しいことでし 生日でしたので、車中でお祝 「みんな集まれ!」 [email protected] あて させていただきました。その 時から清 運んできたそうです。このす 主催:大阪教区宣教部生涯学習委員会 後はバスで帰路についたので 里聖アンデレ教会で聖餐式 ご苦労様でした。すべてのこ 参加費用: 800 ︵3頁よりつづく︶ ︵写真︶ 、説教は横浜教区の島 ばらしい礼拝堂で、新しい気 とについて、感謝いっぱいの 夕の礼拝 説教: 教区婦人会旅行での思い出 田征吾司祭。ポール・ラッシ 持ちで聖餐式に与ることがで 旅でした。 会 場: 守口復活教会 すが、 日は主教夫人のお誕 ュ氏により1948年に清里 き感謝でした。礼拝後はバス 着。2日目は午前 農村センター、清里聖アンデ ︵さくらい ようこ 石橋聖 トマス教会信徒︶ ら清里を見学し、自 を利用したり歩いたりしなが 円 会場: 立教大学池袋キャンパス 12 レ教会が完成したそうです。 月 20 日 締 切: 8 9 月 23 日(水・祝)13 時 30 分から 会場: 東京カテドラル聖マリア大聖堂 を記入し申込むこと。 日時: 然の恵みをいっぱい ④連絡先電話番号 「こぎ出せ、沖へ─」 感じつつ散策しまし た。夕食後に趙司祭 の韓国での司祭按手 式の様子をビデオで ①名前 ②所属教会名 ③大学名・学年 記念礼拝 参加申込み: e-mail にて 米国聖公会 キャサリン・ショーリ総裁主教 日 時: 8月31日 (月)10時∼16時 時から 18 時 日時: 9 月 22 日(火・祝)11 観せていただき、あ と黙想の指導をして カンタベリー大主教 説教: ローワン・ウィリアムズ いただきました。3 日目はフラワーセン ターへ足を運び、バ ラの香りいっぱいの 園内を散策いたしま した。当日は好天気 で富士山、南アルプ ス、八ヶ岳も見えて ゆっくりとした気持 ちの良い時間を過ご 記念プログラム キャリアプラニングセミナー ダイジェスト・コース 日本聖公会 宣教150周年 第 408 号 大 阪 教 区 報 (5) 2009年8月9日 10 大阪北宣教ブロックの働き 介していただき トピックスを紹 リートーキングを行いまし 動﹂をテーマに約1時間のフ ク男子会が実践する宣教活 第1部の最後は﹁北ブロッ り立っているのだと改めて深 のご婦人達の支えがあって成 過ごしました。男子会は教会 交えながら楽しい歓談の時を 加者一人ひとりの自己紹介を 鼓を打ち、のどを潤して、参 能いたしました。川口教会男 ました。引き続 た。参加の皆さんには、先般 く感謝した次第です。 えながら、映像と音楽とナレ いて、5月 日 の教区会後に行われた宣教懇 子会会長から、 に司祭按手を受けられたヨハ 談会の資料を抜粋してお配り 子会長の食前のお祈りで始ま ネ教会の趙司祭に記念講演を ーションの不思議な世界を堪 でした。2003年に川口基 していただきました。 それぞれの教会 督教会、大阪聖パウロ教会、 り、盛りだくさんの料理に舌 大阪聖ヨハネ教会の3教会男 し、参考としていただきまし ︵のち たくじ 大阪聖ヨハ ネ教会信徒 男子会長︶ 能させていただきました。 れ間に恵まれ、大阪北ブロッ 大韓聖公会ソウル教区大聖 た。短い時間でしたので、特 での活動状況や ク5教会の男子会メンバーが 子会で始まった交流会に、聖 堂で行われた按手式の様子を に結論を出すということでは 5教会男子会が交流会 三々五々大阪聖ヨハネ教会に 贖主教会と守口復活教会が加 写真とビデオをスクリーンに ことを旨としました。それで も、この話し合いの中で次の ことがコンセンサスとなりま し た。 ︵ 1︶ 守 口 で 行 っ て い る﹁プラスワン運動﹂を各教 会でも検討してみる︵2︶礼 拝を共に行う試みを広げる ︵ 3︶ 合 同 の 教 会 委 員 会 が で きないかを検討する︵4︶緊 急事態︵葬式等︶への対応を 主催 超教派クリスチャン信徒連盟 カトリック大阪大司教区エキュメニカルチーム 野知 卓司 集まりました。この日は、恒 わり、毎年の当番を川口・ヨ り︵ナレーターはヨハネ教会 ブロック内で協力する体制を 検討する︵聖職者だけでなく 第 6 回 学びと祈りの集いのお知らせ 6月 日の午後、梅雨の晴 例になった5教会男子会の第 なく、お互いの考えを述べ合 信徒の秋山公子姉︶そして趙 い、聴き合って理解を深める 写して見せていただきました。 大変立派な大聖堂で一度に 人もの司祭按手が行われ、1 者は宇野主教、内 司祭のお話があり、ビデオを 信徒も︶。 大阪聖アンデレ教会 順番に受け持ち、 今年は大阪聖ヨハ 00人を超える聖職者が集 く研究されている黙想につい 田司祭、趙司祭、 見ている間は右手を握り締め 人以上の御婦人たち 第2部では、ヨハネ教会婦 人会の 会 場 ハネ・パウロ・守口・贖主と ネ教会が2回目の い、多くの信徒の見守る中で 4人、贖主3人、 てお話されました。わかり易 坪井司祭、山野上 て、右手がなえた状態を想定 和田幹男神父(カトリック 北摂ブロック司祭) 9月 20 日(日)14 時∼17 時 無料 7回目の交流会が行われる日 当番に当たりまし ました。その後、趙司祭が韓 の式の様子を見ることができ 今回の参加者は 国で学ばれ、ご自分でより深 た。 川口 人、パウロ 守口4人、ヨハネ くビデオにまとめた映像と語 司祭︶でした。第 し、最後にその手がイエス様 により用意された手造り料理 を、冷たい飲み物とともに堪 日 時 講 師 「パウロ:迫害者から伝道者へ」 テーマ 8人の 人︵聖職 時﹂ 、 第 2 部﹁ 懇 によって自由にされ伸ばす事 1部﹁話し合いの 親の時﹂のプログ ができるようになる体験を交 12 27 ラムで、各教会男 10 10 29 2009年8月9日 (6) 大 阪 教 区 報 第 408 号 21 パレスチナとイスラエルの大地に共生を 日現地からお二人の とはいえず、イスラエルに完 いない。とても自立的な国家 の領土の連続性が確保されて 4つに分断され、国家として 岸北部・中部・南部とガザの 検問所によりパレスチナは西 1914年には %、今では 領政策によりキリスト教徒は してこられ、イスラエルの占 なり司祭として長年の活動を ご自身は1948年に難民に き上げ運動をしてこられた。 *後日談 ハ = ーパーさんは 6月8日に、ヘブロン近郊の を目指したい、といわれた。 立的なパレスチナ国家の樹立 占領への抵抗運動を通して自 ストの教えに従い、非暴力で い。これがパレスチナ国家の 全に管理された国家でしかな 彼は、パレスチナの土地は神 2%しかいない、とのこと。 されましたが、早くに解放さ イスラエル軍に抵抗して拘束 村で井戸を破壊しようとする 善彦 のためには国際法を無視して れたとの情報がありました。 ヨハネ 山口 現地から2人を招き講演会 4月 がユダヤ人に約束したとする ナイム・アティークさんは 土地に住む全ての人の上に神 ︵やまぐち よしひこ 大阪 聖三一教会信徒︶ ユダヤ人の信仰に対し、この サビール・解放神学センター の愛がある、と主張される。 姿だ。 増築は認めない一方、ユダヤ の代表で、占領に加担するイ レスチナとイスラエルの2国 年にオスロ合意が成立し、パ 死者、5300人︵内子ども 0人︵内子ども400人︶の の進攻はパレスチナ人130 たイスラエル軍によるガザへ ﹁パレスチナ子どものキャン いことを知りました。そこで、 たちの目に正しく届いていな を通してこの苦難が日本の私 動に関わるようになり、活動 教会でも子どもたちの支援活 を聞いたことがきっかけです。 会信徒︶からパレスチナの話 れた岩浅氏︵東京聖マリア教 この問題に長く関わってこら レスチナに関心をもったのは、 ⋮﹁平和をつくる﹂ために人々 そして私たちにできることは の感想が述べられていました。 し い ﹂﹁ 理 不 尽 ﹂ と 思 い 思 い つ国として、国際貢献してほ の!﹂﹁ 日 本 は 憲 法 9 条 を も もこんなことが行われている る こ と を 知 っ た ﹂﹁ 本 当 に 今 には﹁多くの命が奪われてい 割を感じました。アンケート 訪に今までと違った教会の役 信徒の方々⋮多くの方々の来 パレスチナ人の家屋の新築 ト教会にて講演会・交流会が 人による入植地の拡大、高速 平和的共存を目指して、キリ でも身勝手な行動をする。 開かれました。 スラエル企業からの資本の引 家設立が現実的解決策だと世 ペーン﹂の方々と一緒に教会 に教会から﹁命の尊さ﹂を発 で﹁家屋破壊に反対するイス 界も認めました。ハーパーさ 1900人︶が負傷と、ホロ で写真展を開催しよう!とい ーターをしておられる。もと もと地理的歴史的にこの地は パレスチナ人もユダヤ人も平 和的に共生してきました。度 佐治 雅子 その根底にあるのは、イスラ わたるパレスチナ人の苦難の しかし、この殺戮は 年に 同団体の方々・幼稚園卒園生・ ました。マルコ教会信徒・賛 の開催中188名が入場され うことになりました。3日間 ︵さじ まさこ 芦屋聖マル コ教会信徒︶ の写真展で実感しました。 信することではないかと今回 昨年 月 日からはじまっ エルがパレスチナ人をアラブ 1ページにすぎません。わた 近隣の方々・学生・他教会の 重なる紛争のあと、1993 芦屋聖マルコ教会で ん は、 ﹁イスラエルの占領政 コーストに匹敵する殺戮が行 人と呼び、民族として認めな したち芦屋聖マルコ教会がパ 27 ラエル委員会﹂のコーディネ 策はこの2国家解決案を骨抜 われました。 ﹁広河隆一 パレスチナ取材写真展﹂ きにしてきた﹂と言われます。 イスラエルの文化人類学者 ジ ェ フ・ ハ ー パ ー さ ん は 宣教部主催で大阪城南キリス 10 道路、隔離壁、600の軍事 講師をお招きして、大阪教区 22 い。もう一点は ﹁自国の安全﹂ 60 12 第 408 号 大 阪 教 区 報 (7) 2009年8月9日 韓国の社会宣教からの学び て勉強することが一番必要な に出合った。学歴社会にあっ 前で真剣に予習している若者 奥にある夜間大学では、開講 も充実している。その食堂の エスに倣うことでもある。 る神の国を宣べ伝えられたイ 来られ、正義と平和が実現す は、貧しく弱い人々の現場に を感じることができた。それ ることができなかったのであ 負った痛みなしには成し遂げ った。現代韓国の社会はその 者の墓などを訪れる機会があ したことが明らかになった若 て多様な活動が行われていた。 地域でその地域の必要に応じ かわっているという。多くの 階にはシェルターがあり日本 いるという。この施設の上の なく、大学の教授を招聘して 学ぶ場所を提供するだけでは のだが、貧しい地区の若者に 目の午後には、民主化運動に とはできない。ツアー第1日 キリスト者の働きを忘れるこ 韓国民主化のために果たした けられることを願った。 保守政権下でもこの政策が続 に多額の費用を提供している。 権が、聖公会が運営する施設 田宮 紘 たとえば、南揚州教会では 生涯を捧げた文益煥牧師の墓 る。民主化によってできた政 元ハンセン病患者の定着村だ のシェルターよりは整ったよ このような活動の背景には、 ったところに、多くのアジア 入りを拒否 ︵たみや ひろし・釜ヶ崎宣 教担当︶ する毅然と や、横に並ぶ聖公会の学生、 その増築中の施設 したスタッ い環境であった。さらに安心 の立派さに驚いた フの姿勢で からの外国人労働者が住みつ が、さらに地域の ある。地域 また獄中で拷問を受けて水死 人々の思いを知り、 社会で活動 して眠ることができるのは、 バスケットボール するという き、教会がその地域の人々を 執事 アンデレ 12 18 2009年6月8日から 日まで﹁日本聖公会第1回韓 国スタディ・ツアー﹂に参加 した。ほとんどの教区から参 加者がありスタッフを含め 人であった。内容は﹁地域に 密着した宣教活動の多様性に 学ぶ﹂ということであった。 のコートを作ると ことは単な 根拠のない いう。外国人の郷 る憐れみや ユ シギョン 警官の立ち 里ではバスケット 施しではな 説教者:司祭 ステパノ 柳 時京(立教学院チャプレン) 福祉センターを運営している。 ボールが盛んだか 2009年10月18日 (日)10時30分∼(聖霊降臨後第20主日) 場所:プール学院清心館(JR環状線桃谷下車) 司式者:大阪教区主教 サムエル 大西 修師父 支援するために外国人労働者 らという。タシソ い。地域の ─ 来ませ 平和の王 ─ 人以上の聖職 ギセンターの地下 人々の思い 教区礼拝 韓国聖公会の が教会ではなく社会宣教にか には食堂があり給 を知り、そ えようとす 食活動がなされて 出しとは比べよう るスタッフ の思いに応 がないほど食事内 の熱い情熱 いた。日本の炊き 容も食事する環境 日本聖公会 大阪教区 40 2009年8月9日 (8) 大 阪 教 区 報 第 408 号 最高裁判所の裁判 を受け、国は早速 な国側の違憲判決 れました。実質的 じみと思い知らさ いうことを、しみ 数名が待機し続けているそう 欠かすことなく、テント内に そうです。それからは一日も ほどの杭が打たれてしまった されたとの由。それでも4本 め、身を張って杭打ちを防止 に連絡を取り合い、漁船を集 いる宇宙の平和を維持するこ が、わたしたちが生かされて 料や水を確保すること等こそ を防止すること、全人類の食 い自然を守ること、大気汚染 を実感させられました。美し り抜くための戦いであること ことを目論んでいるとのこと る会の闘い﹂は、ジュゴンの 基地反対のための﹁命を守 福田 光宏 官の一人に﹁竹内行夫氏﹂を となのだと、大いに学ばせて です。次期総選挙には必ず﹁竹 司祭 サムエル 悲惨さを思わずにはおれませ です。 沖縄週間 平和に向かっての旅立ち 6月 日︵金︶午後1時那 送り込み、判決を逆転させる 午後5 時からの池住義徳氏 棲息する素晴らしい自然を守 いただきました。 んでした。 の講演は大変迫力のある内容 内行夫氏﹂には﹁×﹂印をつ 縄の旅﹂が始まりました。最 初に訪れたのは壷屋博物館で、 で、大阪教区の皆さんにも是 ︵ふくだ みつひろ 高槻聖 マリヤ教会牧師︶ 沖縄の戦前戦後の生活に触れ けるよう、また機会があれば、 世界情勢の中で、宗教がます 非聞いて頂きたいと思いまし ます重要な役割を果たす必要 ました。陶器の手榴弾には、 ◎オーストラリア首 一人でも多くの方に﹁×﹂を 相、ローマの聖公会 July 性がある﹂と語っている。 イタリアでのG8 首脳会議の折りに、 地元の漁師さんたちが交代で 向かってテントが建てられ、 相互理解と結束を目的として ターは世界のキリスト教会の センターを訪問した。同セン ビア教会との完全相互陪餐が の進展があった。一つはモラ いて、顕著なエキュメニズム ◎米国聖公会総会でのエキュ ︵ ACNS: ACNS4639 ︶ 10, 2009 センターを訪れる た。 ﹁航空自衛隊の空輸活動 覇空港集合、3泊4日の﹁沖 19 太平洋戦争末期の沖縄決戦の つけてくださるよう、宣伝し 2日目はいよいよ﹁辺野古 て欲しいとのことでした。 断罪!﹂と 新基地建設阻止活動に参加﹂ 法律違反と の判決を勝 というプログラム。 は憲法違反、 ち獲た瞬間 オーストラリア首相 ビでおなじ 座り込み、待機しておられる 建てられており、特に聖公会 締結されたことであり、更に ケビン・ラッド氏が み の﹁ 勝 のです。我々が到着すると間 イスラム教、ユダヤ教、その 基地建設予定地は実に美し 訴!﹂垂れ もなくヘリコプターが飛来し とカトリックという最も世界 他の宗教との異教間の対話促 い海でした。その美しい海に 幕を手にし 的な宗派の共働を促す存在で 進が総会決議で支援されたこ の感激を、 て再現して てきましたが、それほどに監 ある。また、聖公会のみが外 とである。 米国聖公会の第 メニズムの進展 くださいま 視が徹底しているということ 交的存在としてローマにある ︵ Episcopal Life on Line July ︶ 21, 2009 76 ローマにある聖公会 した。平和 のようです。漁師さんたちの 唯一の教会である。ラッド首 総会にお 憲法を維 見張りが長く続いたため、あ 相は、センター長のリチャー る日突然午前5時に杭打ち作 業の一団が現れて杭打ちが始 ドソン司祭と会談し﹁現在の 大変な忍耐 の積み重ね まろうとしたそうです。緊急 持するには、 新聞やテレ 世界 の 窓 が必要だと 北谷諸魂教会にて 第 408 号 大 阪 教 区 報 (9) 2009年8月9日 奥へと掘られて片側に木で簡 看護要員。壕の中は細く長く められ看護婦ひとりと彼女達 子から孫へと命が伝えられた に。生きていてよかった。息 必死で生きてこられただろう した辛さ恐ろしさを胸に秘め、 でやさしかった。戦争で体験 こそ宝 豊かな豊かな命﹂こ の聖歌を歌いながら、私の心 は癒されていった。感謝しま す。 場所 ひょうご いこいの宿“六甲保養荘 主題 日本聖公会宣教150周年をむかえて 寺村 直子 る中を命がけで逃げ南部の壕 に着いた。奇跡である。壕に はできない。自決をまぬかれ 易ベッドが作られ治療も何も ことが!しかし戦争はゆるせ 10月11日 (日) PM3:00∼翌PM3:00 川平カツさんの体験を聞く会 の内210人が亡くなられた。 日に沖縄慰霊の い た 友 は 命 の 水 を 飲 み、﹁ 戦 た者、子供達、学生等生き残 になり糸満までトラックで運 できない。薬も包帯も無く生 1 泊 修 養 会 ひめゆり部隊生存者 6月 日︵土︶大阪聖パウ 今年も6月 日を迎える。 争のない世に生まれたかった。 あ り が と う。﹂ と 言 っ て 亡 く なった。今でもその声や様子 歳で沖縄師範学 校に入学し2年生の時沖縄地 が残って離れない。あまりに 歳。 川平さんは1928年生ま 女学校の生徒達290人が看 上戦が始まった。1944年 れ、 護要員として動員された。そ も惨く、これ以上は書くこと 範学校女子部と県立第一高等 ひめゆり学徒隊には沖縄師 のお話を聞く会﹂が開かれた。 ロ 教 会 に て、 ﹁川平カツさん 20 日首里の上空から那覇 何機という飛行機が来襲。翌 に来て爆弾を落とす。1日中 っている者が集められ、捕虜 月 日全土に爆弾。糸満 市伊原に壕を掘った。伊原第 ばれた。 年3月 一外科壕という陸軍野戦病院 歳の川平さんはおだやか き地獄の有様だった。食事は ないと結ばれた。 私達も太平洋戦争があったと ︵てらむら なおこ 大阪聖 愛教会信徒、守口ぶどうの いえ理事︶ 主催 大阪教区連合男子会 主催:大阪教区神学生後援会 壕で、そこには重傷患者が集 一日一回ピンポン玉位のおに いう事実を強く受けとめなけ ﹁ひめゆり﹂を語り継ぐ夏、 きな穴の中に放り込んで焼く。 ればと思った。 ぎりだけ。亡くなった人を大 れ、彼女はひとり死体の上を 聖歌423番沖縄戦の詩と 5月の大雨の日解散が告げら 飛びこえ、上からは飛行機・ 曲﹁命どぅ宝 小さな命 命 若い方、女性の方も大歓迎 23 15 火炎放射機や爆弾が投げられ 午後3時 ∼ 4時30分 1万円(1泊3食付) 無料(席上献金あり) 費用 会費: 81 大西 修 師父 西宮聖ペテロ教会 講師 大阪教区主教 サムエル 場所: ∼今、わたしにできること、わたしたちにできること。 今、わたしに必要なこと、わたしたちに必要なこと。∼ 8月30日 (日) 日時: 81 10 23 ” 日時 神学生を共に励まそう! 大阪教区連合男子会結成 45 周年 「神学生を囲むつどい」 のお知らせ 10 2009年8月9日 (10) 大 阪 教 区 報 第 408 号 日︵第7回定例︶ 常置委員会報告 5月 2.教務局長報告 ① 5 月 の︿ 教 務 局 だ よ り ﹀ 掲 日︵ 日 ︶ 聖 霊 降 臨 日 載内容について説明。 ②5 月 献 先 と し て、 ガ ザ 地 区 の 子 の 信 施︵ 海 外 伝 道 の 日 ︶ 奉 ① 次 の 3 件 に つ き、 聖 職 の 参 どもたちの栄養補給支援活 1.主教報告 加 を 認 め る と と も に、 費 用 動 に 献 げ る こ と と し た。 ︵日 Ⅱ . 第 1 0 1︵ 臨 時 ︶ 教 区 会 議事録朗読を書記から受け 承認した。 Ⅲ. 教 区 内 の 課 題 や 人 事 に つ 日に朗読さ 教 書 と 記 念 特 祷 が、 全 教 会 に 於 い て5 月 れ る よ う 配 布 し た。 出 来 る だけ用いて頂きたい。 3.協議事項 回︵ 5 / を承認した。 Ⅰ. 第 ︶議事録 管 理 者 届 け、 そ の 他 不 動 産 Ⅲ. 人 事 に つ い て 主 教 の 諮 問 季手当支給額を承認した。 Ⅱ. 教 役 者 の 2 0 0 9 年 度 夏 管理などが行き届いている Ⅳ.教区間協働に関して ④ 教 会 の 代 表 役 員 登 記、 防 火 Ⅳ. 大 阪・ 京 都 両 教 区 の﹁ 宣 か ど う か、 教 区 内 いて主教の諮問に応えた。 教協働に関する合意書﹂に 於 い て 確 認 し て 欲 し い。 ま いて Ⅴ. 台 湾 聖 公 会 と の 関 係 に つ について協議。 に応えた。 ついて協議を継続すること *京都教区と常置委員会レベ 教会に とした。 た入居していない牧師館な したい。 ルで合意文書を交わすこと 日︵第8回定例︶ どの管理もしっかりお願い 6月 2.教務局長報告︵別紙︶ * 今 年 3 月、 台 湾 に 出 向 き、 1.主教報告 ①外登法問題と取り組む全国 更 に3 年 間 の 交 流 を 更 新 契 本 国 際 ボ ラ ン テ ィ ア・ セ ン は教役者研修資金より拠出 キリスト教連絡協議会主催 約した。 する。 祭按手式︵ソウル︶があり、 の﹁ 他 民 族・ 多 文 化 共 生 キ 協働出来る関係を積極的に *同じ教会名、同じ事業など、 日、 趙 鍾 必 執 事 の 司 ③教区の4月一般会計収支に 常 置 委 員 長・ 岩 城 司 祭、 大 日 ∼8 月 4 日 ︶ に、 聖 贖 主 教 会 か ら Ⅵ.法人一元化、教会の統合、 ①5 月 祭 を 台 湾 聖 公 会・ 教 区 教 役 つき米虫克次職員より説明 ロ グ ラ ム︵ 7 月 リスト者青年﹂現場研修プ ター︶ 者黙想会に出席させる。 ︵招 阪 聖 ヨ ハ ネ 教 会 管 理 牧 師・ 日、 田 宮 紘 執 と 列 席 し た。 こ の 日 付 を も 眞子義人さんが参加の予定。 勧めたい。 って彼の大阪聖ヨハネ教会 ン タ ー 職 員、 パ レ ス チ ナ・ 令 を 出 し た。 な お、 住 居 は で主教座聖堂付きとする辞 牧 師 補 を 解 任 し、 活 教 会 共 催 の﹁ 広 島 平 和 礼 れる神戸教区および広島復 * 日 本 国 際 ボ ラ ン テ ィ ア・ セ 再配置の課題などについて プロジェクト責任者の藤屋 拝2009﹂には聖職1名、 以上 ②8 月5 日 か ら 1 泊 で 行 な わ リカさんが聖霊降臨日の信 富田林聖アグネス教会牧師 協議した。 日付け 司祭には日本聖公会沖縄週 施についてお礼を言うため 月 間・沖縄の旅に参加させる。 信徒1名が招待されている。 日から4泊で行なわ 館 と し、 入 居 に 必 要 な 改 修 ③8 月 予定。 ナー﹂︵韓国︶には聖贖主教 記 念 事 業 に あ た り、 主 教 会 ③ 日 本 聖 公 会 宣 教 15 0 周 年 型インフルエンザ感染防止﹂ れ る﹁ 日 韓 聖 公 会 青 年 セ ミ 13 会の荻野直人さんが出席の 22 について文書を出した。 ②5月 日付けで各教会に﹁新 来 阪、 川 口 基 督 教 会、 聖 テ Ⅰ . 第 6 回︵ 4 / 4.協議事項 ② 庄 内 キ リ ス ト 教 会 よ り、 牧 交わしたいと要望があった の で 承 認 し た。 な お、 期 間 は6月より1年間とする。 ︶議事録 を命じた。 る。 3.常置委員長報告 内田司祭および関係信徒ら 日、 松 平 功 司 12 を受け了承した。 日∼ 22 モ テ 教 会︵ 1 2 0 周 年 ︶ 、プ 日、 福 田 光 宏 スタディツァーに参加させ 事を日本聖公会第1回韓国 *6 月8 日 ∼ 待︶ *5 月 7 31 師館に信徒が居住するため 日∼ 28 ール学院大学を訪問される。 28 12 22 賃 貸 契 約︵ 教 区 の 書 式 ︶ を * 13 9 12 11 19 27 31 を承認した。 14 6 第 408 号 大 阪 教 区 報 (11) 2009年8月9日 ヨハネ 大阪聖ヨハネ教会 趙 演馨 月 日︶ ︵ 趙 演優 月 日︶ ンと仲間たち﹂によるアフ ○5 月 堺聖テモテ教会 石橋聖トマス教会 記念事業の一環として家庭 会創立120周年記念礼拝。 宮市立山東自然の家で行い ○ 教 会 子 ど も キ ャ ン プ を7 月 躍動感あふれる打楽器演奏 ま し た。 ク リ ス チ ャ ン 家 庭 日の聖霊降臨日に教 リカ民族楽器を中心とした と尺八のコラボレーション 集会を5地区で実施。また、 ではない子ども達が近隣か ○8 月 日︵ 木 ︶ 午 後 5 時 日 か ら 8 月 1 日 ま で、 西 を お 楽 し み く だ さ い。 お 子 記念事業として建設した新 ら 集 い、 宣 教 キ ャ ン プ と な 教会・施設の動き さん方大歓迎です。 し い サ イ ン 塔 に よ っ て、 地 桃山学院大学チャペル 申 し 込 み 不 要。 入 場 料 は 無 りました。 域の人々へのアピール力が 主 教 サムエル ・ ヘーズレット(1947 英) ︵ 格 段 に 改 善 さ れ た。 来 る 7 16日 主 教 ペテロ 松井 米太郎(1946) ローレンス 料。 夏 の 夜、 暑 さ を 吹 き 飛 12日 司 祭 マルコ 岡 精三(1997) ば し ま し ょ う。 詳 細 は 桃 山 9日 主 教 ヨハネ 山田 襄(1993) 学開学 2 時 か ら﹁ 夏 休 み 子 ど も 映 ○8 月 日︵ 金 ︶ に は、 午 後 周年記念チャペル・ 分 開 場、 午 後 6 時 開 演 桃 山 学 院 創 立 1 2 5 周 年・ 大 月 川口基督教会で行われます。ご関係の有無にかかわらず、ど 画 会 ﹂ と 題 し て、 デ ィ ズ ニ 29日 司 祭 セオドシアス ・ ステファンズ ・ ティング(1927 英) ル カ、 堺 聖 テ モ テ 3 教 会 の 25日 宣教師 イブリン ・ アリス ・レーン(1971 英) ー の﹁ ウ ォ ー リ ー﹂ を 上 映 司 祭 ペテロ 横田 久明(1995) 合同礼拝がテモテ教会で行 20日 司 祭 チャールズ ・ セオドア ・ ワレン(1949 英) します。 18日 司 祭 ステパノ 木庭 孫彦(1928) われる。 日 に は、 聖 ル シ ヤ、 聖 学院大学チャペル事務室へ 27日 宣教師 エルシー ・ メイ・ ベイカー(1977 英) 21 24日 司 祭 深田 直太郎(1945) │3 13 1 25日 司 祭 田中 正之助(1927) 30 23日 司 祭 ステパノ 遠藤 敏雄(1971) 54 司 祭 ドナルド ・F・ ウインズロー(2000 米) フ ァ ミ リ ー・ 夕 涼 み・ コ ン 23日 主 教 ペテロ 柳原 貞次郎(1973) 魂の平安を 14日 宣教師 ドロシー ・ サローム ・ ワインウイルソン(1963 英) ℡ 07 25 │ ◇ 10 月 14 日(水)11:00 ∼ 31 2日 司 祭 ジョージ・チャプマン(1940 英) ︵代︶ 12日 主 教 ヘンリー ・ エヴィントン(1912 英) サ ー ト。 関 西 を 代 表 す る パ 9日 司 祭 ジェームズ ・J・ チャプマン(1946 英) 27 ーカッション奏者 細田真 平 氏 率 い る﹁ マ イ ケ ル・ チ 11日 司 祭 チャールズ ・ ハムデン ・ バジル ・ ウッド(1941 英) 祈ります 30 6日 主 教 ヨハネ 名出 保太郎(1945) 大阪聖ヨハネ教会 4日 執 事 ラザロ 布施 好古(1938) 長谷 隆三 月 日・ 歳︶ 説教者 磯 晴久司祭 19 説教者 内田 望司祭 ヨハネ ︵ 歳︶ 鷲尾禮之 介 日・ 丹野 秀子 日・ 歳︶ 於:主教座聖堂(川口基督教会) 月 月 *教役者逝去記念聖餐式は、毎月第2水曜日午前 11 時から、 ステパノ 平 岡 健二 郎 ︵ 月 日・ 歳︶ ヨセフ ︵ 芦屋聖マルコ教会 マリア ︵ 尼崎聖ステパノ教会 恵我之荘聖マタイ教会 92 82 ステパノ 永田 正 隆 ︵6月1日・ 歳︶ マリヤ うぞ自由にご出席ください。 85 76 78 66 染井 正子 日・ 歳︶ 於:主教座聖堂(川口基督教会) 28 28 ︵7月 ◇ 9 月 9 日(水)11:00 ∼ 28 20 21 23 50 逝去者記念聖餐式 6 5 25 教区関係教役者 6 7 5 5 2009年8月9日 (12) 大 阪 教 区 報 第 408 号