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大 賞:タイトル:幸せにします 野沢 新司 氏 ペンネーム(東京都日野市) 第

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大 賞:タイトル:幸せにします 野沢 新司 氏 ペンネーム(東京都日野市) 第
第1回
非正規社員の主張全国コンクール:作文部門受賞作品
大 賞:タイトル:幸せにします
野沢 新司 氏
ペンネーム(東京都日野市)
若い人の非正規労働は、いくぶん社会に容認されている。「まだ若い
から」「今のうちに好きなことをしなさい」という、温かい目が注がれる。そ
こにはアルバイトなどの非正規労働は「若い人がするもの」という、暗黙
の了解のようなものが存在する。
だいぶ以前、アルバイトは大学生が小遣い稼ぎにするものであり、大
の大人がすることではないというような、了解事項のようなものがあった。
私は二十三歳の頃、フリーターをしながらあるスポーツに打ち込んでい
たのだが、身体の調子を悪くして病院に行ったところ、医者から、
「いい歳してフリーターなんかやるもんじゃないよ」
と言われた。その頃は二十三歳でもアルバイトに似つかわしくない年齢
だったのだ。その医者から見れば、アルバイトなどはあくまでも学生が片
手間にするものであって、生計を立てる手段だとは思えなかったのだろう。
私はショックだった。自分の職業を否定されたことが、言いようのないダ
メージを心に与えた。それまではアルバイト生活をしていても、
(自分はこれで生活費を得て生活しているんだ)
というような矜持があった。だが、その一件があってからは、アルバイト
生活をひどく恥じるようになった。自立して生活しているのだから恥じるこ
とは何らないのだが、それでも自分の生活形態を他者に話すことに大き
な抵抗を覚えるようになった。それはそうだろう。なにせ「するべきでない
仕事」を生業にしているのだから。
あの一件があってから、十年以上が経った。フリーターなどの非正規労
働者は激増し、働く人の三分の一を占めるようになった。なんとなく非正
規労働者が「社会権」を得たように感じた。そして私はその状態を歓迎し
ていた。
弱者は自分以外の弱者をどこかに見つけようとする。自分一人が非難
の対象であったら耐えられない。非難の対象が一人でも増えれば、それ
だけ自分にかかる非難は減少する。負担は大勢で担えば軽減するよう
※原文ほぼママ
に、私は自分以外にも非正規労働者がもっと増えれば良いと思った。非
正規労働者が増えれば増えるほど、そのような雇用形態はスタンダード
化し、糾弾の対象でなくなる。それは今にして思えば、非正規労働者の
私が自分をどうにかして守ろうとする、悲しい欲求のように思えた。
だが、どんなに非正規労働者が増えても、解決しない問題がある。そ
の一つに「結婚の問題」がある。私は今もフリーターだ。しかも三十代半
ばの「高齢フリーター」である。年齢的には結婚してもおかしくない年齢で
あり、職業的には結婚するには問題のある立場である。少なくとも、社会
の目はそう見る。
私には付き合っている恋人がいる。彼女は私との結婚を望んでいる(よ
うだ)。それは男子として、とても誇らしいことだ。だが、一人の「労働者」
として、どうしてもその「好意」を受け入れられない気持ちがある。果たし
て自分に結婚する権利があるのか。時給で働く自分には、結婚する資格
などないではないか。いや、恋愛する資格すらないのかもしれない。私
は結婚のことを考えるたびに、自分自身を否定した。それは社会が非正
規労働者を否定するのと連動しているかのようだった。
私はある時はアルバイトで、ある時は派遣社員だった。時には契約社
員もした。だが、共通しているのは常に「自己否定」の気持ちだ。恐らく非
正規労働者の全ては、どこかにそんな気持ちを抱えているのではなかろ
うか。正社員と比べ、非正規労働者は明らかに「格下」である。ひどい職
場では労働者というより「お手伝い」のようにしか見られないところもある。
雇用形態が、その人の労働意欲や社会性、果ては人格までも規定して
しまう。
「あの人はあんな歳にもなってフリーターだ」
「どうしようもないね。将来どうするんだろう」
そんな言葉を何度もかけられているうちに、非正規労働者は自分自身
を責めるようになる。
だが、果たして非正規労働者はそれほどの「悪」であろうか?それほど
までに「軽蔑の対象」であろうか?そして正社員と非正規労働者は「違う
世界に住む人たち」であろうか?
断言しても良いが、非正規労働者の持つ労働意欲は正社員のそれと
全く遜色ない。いや、彼等の(そして自分の)名誉のために言えば、正社
員以上のものではないか。時給で働く我々には、手を抜く時間はない。
「解雇」はすぐそこにあるのだ。職を守るためには、生活を守るためには、
我々は一分たりとも手を抜くことは出来ないのだ。それは非正規労働者
のみに分かる心理である。
フリーターなどの非正規労働者は不真面目だと思われている。仕事に
対して勤勉さと責任感に欠けると思われている。考えてみれば分かると
思うが、世の中のフリーター全てが不真面目だったら、今のように社会は
動いていかない。世の中は不況だが、曲がりなりとも世の中が動いてい
るということは、大半のフリーター達が一生懸命仕事をしているということ
である。社会の三分の一がみんな不真面目だったら社会は動かない。
雇用形態が違うだけで、非正規労働者も正社員同様に勤勉さと責任感
を持って仕事をしているのだ。
私はこのことを、実は恋人の両親に知って貰いたいと思っている。彼女
の両親は六十代だ。非正規労働者が家庭を持つことに対して、快く思っ
ていない。その気持ちはいくぶん分かる。経済的な安定性に欠け、将来
的にも不安さがつきまとう以上、それは当然かもしれない。それは大切
な娘を持つ親の、ごく当たり前の気持ちのように思えた。
だが、世の中にはもっと不安定な仕事をしていながら家庭を持っている
人が沢山いる。学生アルバイトの延長のような仕事で家庭を持つことに
意義があるかもしれないが、それでも自分の仕事に「責任」と「誇り」を持
っていれば、それは尊重すべきではなかろうか。愛が全てを克服すると
までは思わないが、それでも正社員と非正規の壁ぐらいなら乗り越えら
れるかもしれない。それは立派な愛のかたちのように思える。
我々、非正規労働者は、常に正社員からの侮蔑に曝されてきた。それ
は同時に社会からの侮蔑も意味してきた。こと恋愛に関しては、非正規
労働者と付き合いたいという女性は滅多におらず、結婚の対象としては
論外と見なされている。私が勝手にそう受け止めたのではない。口では
っきりそう言われたこともある。
もしかしたら、非正規労働者は正社員に優越感を持たせるために生み
だしたのではないかとすら思うときがある。人は常に他者に対して優越
的なものを欲する。私だってどこかで他者を見下したい時がある。それは
人間として当たり前の感情かもしれない。優越感を得たいという欲求こそ
が、社会の発展をもたらしたからである。
だが、雇用形態における優越には意味があるだろうか。不安定雇用で
働く人達を蔑み、色々な権利から除外していくことに、意味があるだろう
か。
私は恋人と一緒に生きていくことで、この問題を越えたいと思っている。
私が非正規雇用で働くのは自分の時間の確保と、夢の実現のためだが、
多くの正社員には理解されない。それでも良いと思う。圧倒的多数の人
から理解されなくても、恋人からの理解が得られれば、それは大きな武
器になる。そして非正規労働でも結婚できること、家庭を持つこと、それ
らが可能であることを示せれば、それは意味のあることだと思うのだ。
我々は時給で働く。一時間という単位のもと、仕事に励む。それはとて
も不安定かもしれないが、一時間という時間の大切さを知っているという
意味では、とても貴重な雇用形態だと思える。時間の大切さを知ってい
るということは、それによって得た賃金の大切さも知っているということで
ある。私は千円札一枚を稼ぐためにどれだけ汗を流したか、はっきり分
かっている。そして、権利も社会的認知もなく、それでも必死に働く大勢
の仲間の存在を知っている。それはかけがえのない「人生の財産」であ
る。少ない賃金と不安定な雇用だからこそ得られた「宝」があることを、私
は知っている。それは彼女のお父さんとお母さんにも誇れる、私の人生
の一ページである。
いつか彼女のご両親に、結婚の承諾を得るために会いに行くかもしれ
ない。その時にご両親から、今までずっと非正規労働をしていたことを指
摘されても、私は動揺することはないだろう。自分の仕事が間違いなく社
会の片隅を支えてきたことを知っているからである。
私の手は、平日はアルバイトをするために働き、休日は彼女の手を
繋ぐためにある。どちらも大切な働きをしている。「働きたい」という気持
ちと「愛している」という気持ちに正規も非正規もないのだから……。
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銀 賞:タイトル「人生はレットイットビー」
佐藤 貴典氏(福島県会津若松市)
仕事を一度辞めると、なかなか、正社員として、採用してくれるところ
は少なく、現在、準社員として働いています。正社員との差は、多々ある
のが現実ですが、嫌な思いをする度、思い出す言葉があります。“レット
イットビー”この言葉が、僕の支えです。
高校を卒業し、新入社員として、木材チップの、プレス工場に就職しま
した。第一生産課に配属されたのは、僕と、派遣社員の山田さんです。
山田さんは、四十二歳。独身で気の優しい男性です。そんな山田さんと、
年は違えど、一緒に入社した縁で、仲良くなっていきました。
まず、一番下っ端がしなければいけない事、それは、勤務時間が終わ
ったら、工場内の木材チップの切れ端を、カートに入れて捨てる事です。
入社三日目、この日も、カートで、チップ屑を集めていました。工場内
を周っていると、僕より、四つ上の、小野さんが来ました。
「山田さんにもチップ捨てやらせろ。」
僕は、疑問に思いつつも、山田さんと、チップ捨てを始めました。
「すんません、俺の仕事なんすけど…。」
山田さんは、にっこりして、
「何言ってんの、俺も、一番下っ端だよ。」
嫌々、チップ捨てをする僕の反面、山田さんは、文句一つ言わず、黙
々とチップを拾う姿に、感心するしかありません。しかし、逆にそれが、気
に障るのか、小野さんは、
「お前はいいっ、山田さんにやらせろっ。」
と、僕の耳元で、そっと呟きました。
「でも、一番下っ端は、俺ですから…。」
そう言うと、小野さんは、また小声で、
「いくら年上でも、あいつは、派遣だぞ、社員のお前より、下っ端な
んだよ。」
その皮肉を込めた言葉は、かすかに、山田さんにも聞こえていました。
疑問を感じた僕は、少しむきになり、反論しようとすると
「佐藤くんいいから、俺やるから…。」
山田さんは、そう言って、僕を押しのけ、また、黙々と、一人チップ捨て
を始めました。その日からずっと、チップ捨ては、山田さん一人の仕事に
なりました。
僕と山田さんが入社して、二か月経ち、第一生産課の新入社員歓迎会
が開かれる事になりました。しかし、それは、僕だけの為であり、山田さ
んは、対象ではありませんでした。小野さんの言い分では、
「あいつは、派遣だ、うちらの会社の人じゃないんだよ。それに、誰
も仲間とは思ってないし、歓迎してないんだよ。」
確かに、小野さんだけでなく、他の皆からも山田さんへの風当たりは
強かったのが、事実でした。
夏のボーナス、僕にとって初めてのボーナスです。まだ入社して間もな
いので、今回は、五万円程度でしたが、それでも、喜びはひとしおです。
その週末、ボーナスを貰ったという事で、第一生産課、皆で、飲みに行く
事になりました。
「おい佐藤、あいつは、連れてくるなよ。」
また、小野さんは、僕に山田さんを連れて来ないよう言ってきました。
「あいつは派遣だから、ボーナス貰ってないんだよ、来る資格ない
だろ、飲みに行く金だってないんだよ。」
それが、言い分でした。
入社して一年が経ちました。二十歳になった僕は、晴れて、お酒が飲
めるようになり、自分から、会社の人と飲みに行く事も、多くなりました。
この日、僕は、山田さんと飲みに出ていました。僕と山田さんは、益々、
仲良く、こうして二人で飲みに行く事も度々ありました。居酒屋の後、スナ
ックに行くのが定番で、山田さんは、スナックで、ビートルズの歌を歌うの
が、定番でした。
「佐藤くん、ビートルズの歌はね、歌詞がすごくいいんだよ。」
とは言っても、英語の歌詞なので、よく分かりません。ただ、山田さん
の、英語で歌う、その上手な歌声が、いかにビートルズ好きなのかは伝
わりました。
入社二年目が経った頃、小さな事件が工場内を騒がせました。小野さ
んが、製品に打ち込む、ロット番号をミス入力したまま、五千個作ってし
まったのです。しかも、明日出荷です。ロットを間違えれば、製品として認
められません。すべて作り直さなければなりません。一週間かけて作っ
た製品を一日で作る事は容易ではありません。
「すみませんが、今日、残業できる方、手を貸してもらえますか?」
小野さんの表情は、深刻そのものでした。急な頼みにもかかわらず、
何人かは、集まり、その中に、僕と山田さんもいました。
「なんで、あいつの尻拭いしなけりゃいけねーんだよ。」
そんな声もどこからか、聞こえていました。
残業生産を進める中、一人一人減って行き、夜九時、さすがに、僕も、
疲労が募り、帰る事にしました。
翌日、結局、小野さんは、工場で一夜を過ごす事になってしまいました
が、出荷に間に合わせる事ができました。そして、もう一人、最後まで残
業に付き合い、工場で一夜を過ごした人が、山田さんでした。
入社三年目の春、会社に不況の波が押し寄せてきました。工場内、人
員削減が叫ばれ、誰かが解雇されるという噂が絶えません。そんな折、
山田さんは、僕に打ち明けました。
「佐藤くん、俺ね、会社辞めるよう言われちゃってね。」
やはり、派遣社員が、一番に人員削減の対象だったのです。
「なんで、山田さんがっ、誰よりも、よく働いてるのにっ。」
「いいんだよ、派遣会社のほうで、県外の方だけど、仕事見つけてく
れたから、そっちに行こうと思うから。」
「そんな、県外なんて…。」
僕は、山田さんに会えなくなる事を想像し、悲しくなってしまいました。
「ビートルズの曲にもあるだろ、“レットイットビー”だよ。」
その曲は、山田さんの、ビートルズの中で、一番好きな曲です。
「えっ、どういう意味?」
そう聞くと、山田さんは、
「自分で、調べてみて。」
と言って、教えてくれませんでした。
その日の、仕事終わり、僕は、とうとう我慢できず、行動にでました。僕
の足は、事務所にいる工場長の所に向かっていました。工場長は、雲の
上のような存在です。まともに話かける事など、初めてです。
「あ、あの…、山田さんをクビにするのは、おかしいと思います。ク
ビにするなら、僕をクビにして下さい。」
意を決して言いましたが、僕は、緊張のあまり、手が震えていました。
工場長はニッコリしました。
「佐藤クン、度胸あるねー、私は、そんな度胸ある子をクビにはした
くないねー、それに、山田クンも、一生懸命働いてくれていて、本当
に、クビにしたくないねー…。でもね、それは私個人の意見であって、
会社全体を考え、会社の制度もふまえて決めた事なんだよ、こうい
う時の為に、派遣社員を取っているという意味もあるんだよ。申し訳
ないが、分かってくれないかい。」
そう言うと、工場長は、机に手をつき、深々と頭を下げました。僕は、
工場長の誠意のこもった対応に、引くしかありませんでした。
とうとう、山田さんの勤務最後の日が来てしまいました。その日、勤務
時間を終えると、驚くべき光景がありました。
工場長が、カートを押して、木屑集めをしているのです。そんな工場長
を皆でじっと見ていると、その視線に気付いた工場長は、こっちにやって
来ました。
「はっはっは、ちょっとわざとらしいかな?でも、これから、私達も、
偉そうにしてないで、ゴミ捨てを積極的に行うよう、心掛けるよ、山
田クンを見習ってね。」
僕らと一緒にいた、山田さんは、きょとんとしています。工場長は、山
田さんの目の前に来ました。
「山田クン、今日までごくろうさま、こんな事になって本当に申し訳な
い。」
工場長は、山田さんに、深々と頭を下げました。
「そんな、頭を上げて下さい。」
山田さんは照れ臭そうにしています。工場長は、続けました。
「君をクビにするのを必死に止めようとする者が二人もいてね。君
がとても、よく働いている事も教えてくれてね。」
僕は、自分の事だと思いましたが、もう一人は誰だろうと、思いました。
「佐藤クンと、小野クンだよ。」
小野さんは、照れ臭そうに、下を向いていましたが、顔を上げると、叫
びました。
「よしっ、みんなっ、山田さんを拍手で送ろうぜっ。」
工場を出る時、皆で、盛大な拍手をして、山田さんを送りました。山田
さんは、僕の前に来ると、僕に、ある物を手渡しました。
「佐藤くん、良かったら、これでも聞いて僕を思い出して。」
それは、ビートルズのCD、全曲集でした。
「ありがとう、山田さん…。」
僕の目には、涙が溢れていました。
「山田さん、人生は“レットイットビー”だよ。」
山田さんは、高らかに、手を挙げて、去って行きました。その背中には、
いつまでも、盛大な拍手が浴びせられていました。
“レットイットビー”、それは、“なるようになれ”という意味です。
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銅賞:私の夢と主張
栗田 純子 氏(東京都西東京市)
人が生きてゆくときに、それなしでは生きることが困難なもの。その一
つに「希望」が挙げられるでしょう。
非正規社員の多くは、その不安定な雇用状態や、生活を成り立たせる
ためには余りにも不遇な収入によって、人生に「希望」を見出すことを困
難にさせられています。
このことの問題は、非常に重大です。自ら積極的に選んだのではない
にも関わらず非正規社員である状況が継続することは、その人自身から、
生きるための希望を奪うのです。
私は今日までの社会人としての約十五年間、二十代、三十代と、複雑
な事情が絡み合い、常に非正規社員として働いてきました。
今日は私が、日々、非正規社員として感じていることを述べ、その私
の夢と主張をお話します。
私にはとても好きなことが二つあります。一つ目は、人と支え合うこと
です。私の職業はホームヘルパーです。二つ目の好きなことは、絵を描
くことです。余暇の殆どを、絵に関わることに費やしています。地元の社
社会福祉協議会からお声を掛けて戴き、地域の催しで子供に絵を描く喜
びを伝えたり、ポストカードを制作して、近所のお店に置かせて戴いたり
しています。
そしてゆくゆくは、この二つの好きなことが重なることが、私の夢なの
です。
具体的には、抱える障害が重度であったり、生活の状況のために、絵
画教室へ参加することが難しい方々へ、ご自宅へ伺う、または、私の自
宅へ来て戴いて、絵の素晴らしさを伝えたり、展示会を開き、その方達の
作品をたくさんの方々に観て戴くお手伝いがしたいと考えています。
そして、絵の楽しさをお伝えすると同時に、その方の生活やお体の、
介助や介護を担える将来の自分でありたいと考えています。
絵を描くという余暇活動は、実は最もその人物らしさが出る場面であっ
て、生活の中のごく基本的部分として、本来はとても大切にされるべき時
間なのです。
こうして、求める将来像を具体的に胸に描きながら、福祉と絵画という
二つのフィールドの行き来が出来るのは、私が正社員と言う立場にある
よりも、現在のフットワークが柔軟な状態であるからだとも言えるでしょ
う。
社会人として多くの方々との出会いを経験し、また一人の労働者とし
て社会の一員を担う中で、非正規社員という視点から実感してきたこと
が幾つかあります。少し稚拙に聞こえるかもしれませんが私は、本質的
な事柄であるとの認識がありますので、率直にそれらを述べてみたいと
思います。
・「時給の高低と、私自身の人間の価値は無関係」という事実。
・「パート職員の立場に、なぜこれ程までにもなれないのだろうか?」
という雇用者側への憤り。
・「もしかして、正社員は、非常勤職員よりも、人間として偉いと思って
いるのだろうか?」という大きな疑問。
・「ボーナスって、もらうとどとんな気持ちがするのかな」というボーナ
スへの憧れ。
・「正社員仕事の責任が重たいとよく聞くけれど、仕事をしている全員
に、重たい責任があるのではないか」という、一労働者としての自
負。
などです。
話題を冒頭に戻しましょう。
非正規社員が、その経済的生活基盤が不安定であるために、日々の
労働と暮らしの中で徐々に人生の「希望」を捨ててゆくこと。これは人間
の真の貧しさを意味しますから、決して放っておいてはいけません。
去年年末、繰り返しテレビで報道された、所謂「派遣切り」を余儀なくさ
れた人々によるデモ行進は感動的でした。彼らは、社会的に非力な立場
に追いやられた者が、団結し、自ら行動し、訴えることの力強さと、勇気
とを見せてくれました。それは、人が「希望」を奪還しにゆく、美しい姿で
す。
このデモの十ヶ月前。私自身も、二年三ヶ月真面目に勤め続けたつも
りでいました職場から、ある日突然、月末解雇を言い渡されました。「パ
ート職員は、あと三週間で、もう職場に来なくて良い。」と言うのです。大
きな BGM の掛かる部屋で、冗談交じりの会話の中、経営者から申し渡さ
れたのです。そのときの唖然とした思いは、与えられた痛みとして、今で
も心に残っています。
雇われる側であるから、非力であるから、一人きりであるから仕方が
ない。
一体、何百人の、何千人、何万人の人々が今までこういう思いを飲み込
んできたでしょうか。非正規社員であるがゆえに受ける、理不尽な対応
に、涙を呑んできた人も多かったことでしょう。
私にもこんな経験があります。就業時間にクッキーをお互いの机の上
に広げて、延々とおしゃべりを繰り広げる正社員たち。その背後で、机が
与えられていなかった派遣社員の私は、会社の本棚を机にして、立って
仕事をしていました。これとほぼまったく同じことが、他の職場でもありま
した。これらは、地域では極めて優良と評価される会社の現場で大人が
ごく日常的に行っていた現実です。
お菓子のことくらい、と思われますか。しかし、この問題は、正社員と非
正規社員の力関係や立場の隔たりを象徴的に表しているのです。
こういった経験の一方で、自らが非正規社員である私は、先に述べま
したような、福祉と絵画の、二のフィールドを行き来できるというフットワ
ークの柔軟性を得ている立場であり、正社員の存在に常に、感謝と敬意
を抱いています。
長時間労働に耐え、職場と会社の潤滑な回転を死守している、そんな正
社員さんを、たくさん見てきたからです。
また、派遣社員時代に、職場が異動になった私、ただ一人のために、送
別会を企画して開いてくださった正社員さんが他の存在は、ずっとこの
先々も心に暖かく残ります。
障害の話や、病、高齢者の話題の際に、ノーマライゼーションということ
ばや、バリアフリーということばを聴かれたことがあるかと思います。これ
らは、障害や、病を抱える方、そして高齢者に生きやすい概念や、過ごし
やすい空間、街、移動手段は、結果、全ての人に、生きやすく、暮らしや
すい、という考えです。この説明の際に「明日は我が身かもしれないから、
とか貴方もやがて老いますから、今、弱い立場にある人々のことを考え
ましょう。」という解説が加えられる場合が多々あります。
今こそ、この発想を終えて戴きたい。
自分がなるかもしれないから。という捉え方考え方から、どうぞ、転換し
て下さい。
貴方は、一生、生き辛い立場にはならないでしょう。その可能性が大き
い。年を重ねること、老いてゆくことは当然なのだとしても、貴方には豊
かな蓄えもあるのかもしれません。
それでもどうですか?今日、町で隣に居合わせた、或いは駅のホーム
で見掛けた、例えばストレッチャーと呼ばれる寝台車で、常に介護者と行
動を共にする人の立場を、想像してみませんか。あの人が、もっと暮らし
やすくなるために、一緒に考えてゆきませんか。
共感、協調、想像力。ほんとうに大切なのはこのことです。
他者への思い遣りや、自分以外の者への共感は、大変に意味の大き
いものです。しかし今日のように、皆がおしなべて多忙である時代は、他
者への共感力、想像力を奪うことが多いですから、実際には現在の人間
関係では、自分が窮地に立たされ、初めて窮地に立つ者の気持ちが分
かる場面が殆どだと思います、
まるで私の主張は、非正規社員の主張から離れ、あちこちへ飛んでい
るように思われるかもしれません。
しかし、それは違います。
問題は、絡み合っているのです。実は複雑なのです。皆さん、どうぞそ
のことに気付いて下さい。
非正規社員の問題が抱える大きな一側面は、ひとの心の在り方の表
れによる問題なのです。
・自分を他者に置き換えることができるか。
・窮地の立場を強いられた者を、他人事としてではなく、思い遣ることが
できるか。
そうです。非正規社員問題は、小学校のとき、一生懸命に学んでおくべ
きそういうことが、つまり、人間の根幹を形成する大切な大切な「他者を
思い遣る心」というこころの在り方が反映されている、社会全体の問題な
のです。
最後に、私が日頃から、人生で大事な要素だと捉えていることを質問
に代えて、終わりにしたいと思います。
貴方は、今の自分の仕事を好きになるために、何か工夫をしています
か。また、その工夫をすることが許され、可能な状況に身を置くことが、
果たして出来ていますか。
貴方にはほんとうの友人がいますか。
そして、自分は一生陥らないかもしれない、窮地に立つその人の気持
ちや状況を想像するだけの、思い遣りというゆとりを、持ち合わせていら
っしゃいますか。
誰かをないがしろにしたときに痛む、人間らしい心を、もっていますか。
自分の見えるところで誰かが転んだら、近くまでゆき、手を差し出す、そ
ういう時間を今日、貴方はもっていますか。
以上
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銅賞:タイトル:非正規社員の明日
坂本 睦美 氏(埼玉県所沢市)
大不況の中、派遣社員やパート、アルバイトといった非正規社員の方
々が、各地で大勢解雇され、非正規労働者は使い捨てられるというより
も、『ポイ捨て』されているといった方が、正しいように思われてなりませ
ん。
吸い終わった煙草の吸殻を平然と側溝の中へ捨てたり、飲み終わった
容器を道端へ無責任に捨てる、あのポイ捨てです。
田舎の空き地や道路の脇などに、新品の電化製品や、まだまだ使える
家庭用品といった粗大ゴミを大量に捨てて行く大型トラックは、無責任に
大量の非正規社員を路頭に迷わせた大手派遣会社などと、なんら変わ
りません。
そんなゴミ扱いされて捨てられてしまった知人の中に自殺した女の子
がいます。
ある会社の調査によると、去年の同じ月と自殺者数を比べてみたとこ
ろ、自殺者は顕著に増加しているようで、知人友人の中に自殺する人が
いても、珍しい光景ではなくなってしまったのかもしれません。
だから、私も当時は残念に思いながらも、
「しかたないよね…」
そう思っていました。
けれど、今ならハッキリとその子に向かって言えます。
「辛いこと。苦しいこと。不安。抱えきれない程あったかもしれない。そ
れは、あなたにしか分からないかもしれない。でも、『自殺』っていう選択
肢の前にやれることは全てやってみたの?非正規社員というだけで、全
てを諦めてない?キチンと主張したの?確かにあなたはポイ捨てされた
けど、ゴミではないんだよ。人間だよ。人間なんだから、ゴミにはできない。
調べることや考えること。その情報や考えを選択し、行動として、もっと後
にしてもいいじゃない」
私も以前は、非正規社員という立場からくる雇用の不安定さや将来へ
の不安。過酷な労働条件にも関わらず、その労働対価のあまりの安さに
愕然とし、怒り、悲しみ、自爆自棄になった時期も正直ありました。
なぜ正社員と同量以上の仕事をして、ボーナスが貰えないのだろう。
なぜ万が一の時のための保険に非正規社員は加入できないのだろう。
なぜ非正規社員というだけで冷遇され、差別されるのだろう。
そういった数々の疑念や悩み、怒りを抱えたまま日々の単調な繰り返
しに身を任せていると、十代に持ち合わせていた瑞々しい感情は干から
び、虹色に輝いていた夢は色あせ、あらゆることに主張しようとする心は
擦り切れてしまい、そのうち考えることさえも面倒になってやめてしまう。
以前の私がまさにそうでした。
では、どうして自殺した知人への見方や、非正規社員という立場への
考え方が変わったのかと言いますと、それは一人のホームレスとの出会
いがあったからです。
その出会いによって、自分の生活環境や労働環境を見直し、実際に足
を運んで色々と調べていった結果、非正規社員だからといって差別され
るいわれはないこと。非正規社員だからこそできること。そして、いかに
自分が努力せずに、世の中の『不幸な非正規社員』に染まっていたか…
という事に気付きました。
白髪を短く揃え身なりを整えていた彼の事を、私は、おやっさんと呼ん
でいました。
おやっさんは河川敷に住み、大きなダンボールを繋ぎ合せた中に住ん
でいました。
ダンボールの表面は、雨風を除けるために青いビニールシートが前面
にわたって貼られており、家の中は、真新しい家電製品が設置され、発
電機でテレビからはニュースが流され、扇風機からは涼しい風が送られ
ていました。冷蔵庫の中は食品で一杯でした。
驚く私に、おやっさんが教えてくれたのは無料で引っ越しを手伝う際に、
依頼主から譲ってもらった不用品や、悪質な業者が不法投棄した粗大ゴ
ミや家電製品を拾い集め、磨いて修理した後、リサイクルショップや家電
を買い取る専門業者に買ってもらい、売れ残りは金属や部品を買い取る
業者に買い取ってもらうとのことでした。
ひと月の稼ぎは私の倍以上。労働時間は私の半分ほど。空いた時間
で河川敷の掃除をしたり、二十代くらいの若いホームレスや体の不自由
なホームレスの面倒を見ているようでした。
ホームレスといえば、東京の新宿界隈でボロボロの服を着て徘徊した
り、道端の日陰で横になっている方しか、私は知らなかったので、その光
景は、カルチャーショックだったのです。
おやっさんは自分のバイブルだと言って、よく、ある本を見せてくれまし
た。
それはリサイクル、リユースの会社で全国展開をしている『生活創庫』
という会社を興した堀之内九一郎さんの自伝で、著者もホームレスを経
験するも、捨てられていた電化製品を修理してリサイクルショップに持ち
込んだところ、意外な高値で売れたことから目覚め、以来、廃品やガラク
タを磨き、修理して販売する現在のリサイクルショップに到ったという内
容でした。
本を閉じると決まって、
「自分は元々社長だったけど、順調だったことでテングになり、見ての
通り失敗してホームレスになった。従業員には満足のいく退職金を払え
ずに路頭に迷わせてしまったことが、今も心残りだ。今度は気を引き締
めて皆が本当に心から安心して働ける環境を作りたい」
と語っていました。
ホームレスという立場でも夢を持ち、その夢に向かって努力する。
その時、どこかホームレスというだけで見下していた自分は、非正規社
員というだけで見下していた正社員と何が違うのだろう…と気付き、反省
しました。
ところが、意志の弱い私は、おやっさんの元を訪れることをやめて、非
正規社員という存在に戻ると、再び、元の『不幸な非正規社員』に戻って
いました。
そんなある時、金属の価格が暴落し、家電の買い取り価格が下落した
ことを知った私は、おやっさんの事が気になり河川敷に行ってみると、案
の定、ダンボール小屋の周りには、電化製品はなく中から出て来たのは、
以前見かけた若いホームレスの男性でした。
その方曰く、おやっさんはホームレスを卒業し、現在は都内のアパート
に移り住んでいるとのことでした。男性から聞いた住所を訪れると、見知
らぬ名札が掛かっていましたが出てきた顔は、あの懐かしいニコやかな
おやっさんのものでした。
おやっさんは、生活の糧だった電化製品や部品を売ることに見切りを
つけ、それまで無料で引っ越しの手伝いなどをさせてもらっていた得意
先の紹介で、安く住居をみつけると同時にパート先も決まって働いている
とのことでした。
さらに、おやっさんの買い物についていくと、コンビニでもスーパーでも
なく近所の豆腐屋でオカラを、精肉店では、売れ残ってコロッケにする前
の余り肉を、鮮魚店では売れ残って店で消費する以外に、廃棄するため
に発砲スチロールに入れられた様々な魚(おやっさんは『色箱』と呼んで
いました。)を格安で購入していました。
「これだけ派遣切りや、非正規社員問題だなんだと騒がれて、『普通の
人』は品余り状態なんだから、皆と同じ『普通』をやっていても暮らしてい
けん。人様よりも努力して、ようやく人並みに暮らせるんよ」
私は、安く済ませるならスーパーだと思い込んでいただけに、その言動
にまた、ショックを受けました。
それ以来、私は様々な情報を自分で調べ、選択し、実際に足を運ぶこ
との大切さを学び、実践し交渉して、様々な物を安く譲って頂くという術を
身につけました。
インターネットは図書館などの公共施設などで、三十分無料で使えるた
め、調べたい情報と、要点をまとめてから調べると、多くの情報が効率よ
く手に入ります。
よくよく調べてみると、非正規社員と共に会社への待遇の改善を訴え
たり、解雇された非正規社員を一時的に受け入れる団体などが各地に
あることが分かりました。
メディアから与えられた情報だけに目を向け、耳を傾けると、非正規労
働者というものは、辛く苦しい状況を甘受しなければならないかのように
報道されていますが、非正規労働社員の中にも、夢や希望を捨てずに、
自ら考えて前向きに生きている人間がいること。なにも非正規社員という
立場で苦しんでいるのは自分だけではないこと。それらに気付いて、『幸
せな非正規社員』になるために、自らの意思と選択で努力することがこ
の非正規社員大量ポイ捨て時代を変えていく原動力になると思います。
非正規社員という立場によって冷遇されたり、いい加減な扱いを受け
たという声は、どこでも聞きます。
しかし、現在の職場環境や生活環境に不満がある非正規社員の中で、
いったいどれだけの人が、現状を改善するために実際に行動しているで
しょうか?
人間らしい生活は、最早、国や自治体に頼るよりも、自らの手で模索し
手に入れていくしかないように思われます。
最後に、住所など詳しい情報を伏せることを条件として、この文を書くこ
とを許可して下さったおやっさんの口癖で、筆を置きたいと思います。
「人間関係こそが、自分の最大の宝」
「あきらめない人生だけが成功を生む」
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