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第 64 話(45 頁) 3 匹のクマ ひとりの女の子が家を出て

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第 64 話(45 頁) 3 匹のクマ ひとりの女の子が家を出て
第 64 話(45 頁)
3 匹のクマ
ひとりの女の子が家を出て森へいきました。森で女の子は道にまよってしま
い、帰り道をさがしましたが見つからず、森のなかの小さな家にやってきまし
た。
戸があいていました。戸のなかをのぞいてみると、家のなかにはだれもいま
せんでしたので、なかに入りました。この家には 3 匹のクマが住んでいました。
1 匹めのクマはお父さんで、ミハイル・イワーヌイチという名前でした。父さ
んグマは大きくて毛むくじゃらでした。もう 1 ぴきは母さんグマでした。お母
さんは少し小さめで、ナスターシヤ・ペトローブナという名前でした。3 番目は
小さな子グマで、ミシュートカという名前でした。クマたちは家にいませんで
したが、森へさんぽにでかけていたのです。
家のなかには部屋がふたつありました。ひとつは食事の部屋、もうひとつはね
る部屋です。女の子が食事の部屋に入ってみると、テープルのうえにスープのは
いったおわんがみっつありました。ひとつめのとても大きなおわんはミハイル・
イワーヌイチのでした。ふたつめの少し小さめのおわんはナスターシヤ・ペトロ
ーブナのでした。みっつめの青い小さなおわんはミシュートカのでした。それぞ
れのおわんのわきにはスプーンが、大きいの、中くらいの、小さいのとおいてあ
りました。
女の子はいちばん大きいスプーンをもって、いちばん大きいおわんのスープを
ひとくち飲んでみました。それから中くらいのスプーンをもって中くらいのおわ
んのスープをひとくち、それから小さいスプーンをもって青い小さなおわんから
ひとくち。すると、ミシュートカのスープがいちばんおいしく思いました。
女の子はこしをおろしたくなりましたが、見るとテーブルのそばに、いすがみ
っつあります。ひとつは大きなミハイル・イワーヌイチので、もうひとつは少し
小さめのナスターシヤ・ペトローブナの、そしてみっつめは小さくて青いざぶと
んのしいてあるミシュートカのでした。女の子は大きいいすによじのぼろうとし
て、おっこちてしまいました。それから中くらいのいすにこしかけましたが、い
ごこちがよくありません。それで、小さないすにすわってみると、わらいだして
しまいました。それほどぐあいがよかったのです。女の子は青いおわんをひざに
のせると食べはじめました。スープをぜんぶ飲んでしまうと、いすをゆすりはじ
めました。
いすはこわれてしまい、女の子はゆかにしりもちをつきました。女の子はおき
あがり、いすを立てて、つぎの部屋にいきました。そこにはベッドがみっつあり
ました。ひとつは大きなミハイル・イワーヌイチの、もうひとつは中くらいのナ
スターシヤ・ペトローブナの、みっつめは小さなミシュートカのです。女の子は
大きなベッドによこになりましたが、広すぎました。中くらいのベッドによこに
なると、高すぎました。小さいベッドによこになりました。すると、ベッドがちょ
うどぴったりでしたので、女の子はねむってしまいました。
クマたちが、おなかをすかせて帰ってきて、食事にとりかかりました。大きなク
マは、おわんを手にとりのぞきこむと、おそろしい声でほえるように、「だれだ、
わたしのおわんに手をつけたのは!」
ナスターシヤ・ペトローブナは自分のおわんを見ると、それほど大きくないうな
り声で、「だれですか、わたしのおわんに手をつけたのは!」
ミシュートカは自分のからっぽのおわんを見ると、ほそいきいきい声で、「だれ
だよ、ぼくのおわんに手をつけて、ぜんぶ飲んでしまったのは!」
ミハイル・イワーヌイチは自分のいすを見ると、おそろしい声でほえるように、
「だれだ、わたしのいすにすわって、場所をうごかしたのは!」
ナスターシヤ・ペトローブナは自分のいすを見ると、それほど大きくないうなり
声で、「だれですか、わたしのいすにすわって、場所をうごかしたのは!」
ミシュートカは自分のこわれたいすを見ると、きいきい声で、
「だれだよ、ぽく
のいすにすわって、こわしてしまったのは!」
クマたちはつぎの部屋にきました。
「だれだ、わたしのねどこにねて、しわくちゃにしたのは!」
ミハイル・イワーヌイチがおそろしい声でほえました。
「だれですか、わたしのねどこにねて、しわくちゃにしたのは!」
ナスターシヤ・ベトローブナがそれほど大きくない声でうなりました。
ミシュートカはベンチをしたにおいてベッドによじのぼると、かんだかいきい
きい声で、
「だれだよ、ぼくのねどこにねたのは!」
するととつぜん女の子がいるのに気がついて、まるで切りつけられたみたいに
金切り声をあげました。
「いたいた!
つかまえて!
つかまえて!
ほうら、ここ、ここ。おねがい、つか
まえて!」
子グマは女の子にかみつこうとしました。女の子は目をあけると、クマたちがい
たものですから、まどにむかっていちもくさん。まどがあいていたので、女の子は
まどから外にとびだして走っていきました。クマたちは女の子においつけませんで
した。
「この話を、子どもたちは引き込まれるように、じっと耳を凝らして聞いていたよ。私の(昭
和女子大学での)教え子が港区で小学校の先生をしていて、4年生 45 人に対して彼女がま
ず一度読んで聞かせ、それからプリントで配って感想を書いてもらったんだ。」
「へぇー、どんな感想があったのか、もっと詳しく話してくれないか。」(一同うなずく)
「『面白かった』42 人、『ハラハラ・ドキドキした』35 人。クマの親子に人間の名前が付い
ていた、スープの入ったお椀もスプ-ンも椅子もベッドもみんな三つずつそろっていた…。
そんなことを面白かった理由に挙げていた。」
「この話、もともとは英国の民話で、トルストイの原典はそのフランス語版だったと言われ
ているけど、人の名前をつけたのはトルストイの作品だけだ。『ロシアの人たちはだれもが
このお話がロシアのものと思っています。名前を持った熊たちは、ロシアの農民と同じ暮ら
しを営んでいて、読者にとって親しみを感じさせます。日本の幼い読者でも、読んでもらっ
ているうちにこの難しそうなロシア人の名前をたちまち憶えてしまい、熊たちが身近な存
在になります』とロシア児童文学者の松谷さやかさんは講演で話してくれた。子どもたちも
鋭いね。」
「何でも三つで三回の行動が繰り返される。そうして、読む人が次第に深く引き込まれてい
く。そういえば、日本のお話でも、やっぱり三つか七つが多いよ。」
「戻ってきた熊の怒った声も、大きい声、中くらいの声、小さい声と、声に違いをつけて読
んでみたら面白い、という子どもの感想も、ここで紹介しておこう。
」
「簡潔な文体の効果もあって、どんどん話のテンポが勢いづいてくる。この先どうなるか、
このままで無事に済むはずがない…。そう息をのみ、怖いけれど、さらに話の先を知りたく
なる。すると、熊の親子が帰ってくる、女の子を見つける。こうしてクライマックスを迎え
る、という展開だね。」
「ミシュートカが女の子を見つけて叫ぶ。
『まるで切りつけられたみたいに金切り声をあげ
ました』。帰ってきた父親熊が『おそろしい声でほえるように』叫ぶ場面から、ここまでで、
恐ろしい動物の熊の自然の姿が、目の前に浮かんでくる。
」
「ミシュートカの言葉は、短く、単語一つ、命令形の連続だ。「『いたいた! つかまえて!
つかまえて! ほうら、ここ、ここ。……』。ロシア語同様、日本語でも臨場感の極みだ。」
「トルストイ版の抜群の力量、臨場感を確認できたところで、改めて子どもたちの感想に戻
ろうか。」
「黙って人(熊?)の家に入り、スープも勝手に飲んで、見つかったらすぐに逃げ出した女
の子は悪い、わがままだ(31 人)。反対に、ミシュートカがかわいそうだ(38 人)
。そうい
う受け止め方が多かった。でも、女の子も森の中で道に迷い、小さな家を見つけて安心した、
よほどお腹がすいていた、といった同情的な意見も少しあった。具体的には、女の子はなぜ
一人で森へ入ったのか、どうして謝らなかったのか、逃げた次の日には謝りに行くべきだっ
た、という感想も目についた。」
「終わりのない物語だった、と答えた子どもが 31 人もいた。トルストイは(読んだ)僕た
ちに続きを書きなさい、と言っているのではないか。そう考えた子もいてびっくりした。」
「だったら、続きを書いてきた子どももいたのでは?」
「ご推察の通りだよ。いくつか紹介しようか。女の子は『走って逃げた。すると自分の家に
着いた。後ろを見ると 3 匹のクマは追いかけてこなかった。女の子は幸せに暮らすことが出
来た』。
『逃げたがまたミシュートカに会い、二人が仲よく遊んでいるのを両方の両親が見て
いる』。
『家に帰り親に話をした。クマの仕返しが怖いので引っ越しをした』だってさ。子ど
もの想像力には感心させられる。」
「3 匹のクマは、英国の民話もあって、いろんな訳本が児童書のコーナーにも並んでいるほ
どだ。物語としては、女の子がおばあさんになっていたり、金色の髪とはっきり髪の色が書
いてあったりしている。ほかにもベッドが 2 階にあるなど、少しずつ違っているけれど、群
を抜いてトルストイ版が簡潔だ。アーズブカの真骨頂かな。」
「熊の親子 3 頭に人の名をつけ、人間の女の子に名前がない。この巧みさが、登場人物の行
動を生き生きさせている。女の子にも名前をつけていたら、効果半減だよ。」
「しかも、名前がポピュラーで、通常使われるようにファミリーネーム抜き。父と子は同じ
ミハイル(英語だとマイケル)なのに、子どもは愛称のミシュートカで通している。本当に
巧みだよ。」
「子どもたちの 4 人に 1 人ぐらいが、3 匹のクマの話はもっと小さいときに読んだことがあ
ると言っていたし、ね。
」
「青い小さなおわん、小さくて青いざぶとん、とミシュートカの物だけが色まで描写してい
る。これも、ミシュートカを際立たせたいからだろう。」
「ところで、子どもたちも感じているように、この話から教訓を汲み取るのはやっぱり難し
いなあ。そこは、トルストイの意図が見えてこない。」
「当時でも原典も知られていただろうし、この話では、教訓は考えず、物語の面白さ、迫真
性で勝負しようとしたと、そんな気がするよ。
」
「なるほど、というか、そう考えた方が納得できるね。」
<参考>
松谷さんの講演個所は、日本トルストイ協会報「緑の杖」第 10 号所収、「レフ・トルストイとロシアの児
童文学―『アーズブカ』『ロシア読本』をめぐって―」32-33 頁に載っています。
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