Comments
Description
Transcript
冬将軍 この時期になると、シベリアの寒気団が南下してくる。すると、NHK
冬将軍 この時期になると、シベリアの寒気団が南下してくる。すると、NHKの天 気予報士は、必ず「冬将軍がやってきます」と言う。まちがった情報を毎年毎 年流されると、徐々にいらついてくる。しかも日本中に流れる。新聞も同じこ とを書く。新聞記者の無知はわかっているが、これも全国に流れる。 (別に書く が。) すると、6ch の市川寛子さんまで、使用する。この子、ちょっとファンだった ので、ガッカリした。ディレクターかなんかに言わされたのやろけど、まちが っているよ。 冬になると、ボクはいつも日露戦争のことを思う。政治的背景や戦略、戦術 などについては、坂の上の雲を読みかえすたびに新たな発見があるが当時の兵 士の装備などについては、あまりどころか、ほとんど書かれていない。 この日露戦争までもが、侵略戦争だなどと頑なに信じこんでいる人がいるら しいのだが、ボクには信じられない。地球儀をみればわかるが、あの強大なロ シアが南下してきて満州から朝鮮半島に触指を動かせば、日本など指呼の間で ある。つまり、あの戦争は、 「日本という新興国家」が存亡をかけて乾坤一擲命 がけでとてつもなく巨大な熊に、なんとか一矢報いようとした戦いである。日 本を存続させるため、植民地にならないためには、戦うしかない。敗れれば滅 亡するのである。 モンゴルのボランティア・ツアーに参加したときにも、その後に行ったとき にも驚いたのだが、8月の最低気温の記録は、マイナス4℃である。真夏に日 中30℃を超えるような日でも、夜寝る前、ゲルの中のストーブを焚いてくれ る。星を眺めるため外にでると、ブルブルと震えるほどなので、毛布を巻いて、 でなければならなかったことである。 満州の曠野もよく似たものだろう。すると、日露戦争に従軍した兵士も同じ 環境にいただろう。真冬にかの地で戦うにおいて、充分な装具を持っていたの は北海道あたりの兵ぐらいではないか。 一方のロシアは、満州やモンゴルよりもまだ北に住んでいる。だから防寒具 は、充分装備されているであろうし、寒冷に対する対策も豊富にあるだろう。 陸軍が満州で戦うなら手が凍えて、などとは言っておられない。敵将クロパ トキンの性格的な問題もあるが、ロシアの伝統的な戦法は、小当たりに当たっ ては退却し、敵の補給線が伸び切ったときにその圧倒的な兵力の総力を挙げて 反撃粉砕するものである。クロパトキンは、ちょっと木っ端役人にすぎた。自 己保身がまず大切だったのだ。 ロシア軍には、日本の「常識」は通用しない。たとえば、沈担堡・黒溝台の 戦いなど、史書では1ページにも満たないが、坂の上の雲によれば酷寒のとき ロシア軍の半分の10万人もの攻撃が、わずか3000人の守備陣地に怒涛の 如くにおし寄せたのである。日本軍参謀本部は騎兵隊の頻回の警告にもかかわ らず「この酷寒の時期には攻めては来ないだろう」という根拠のない思い込み で、反応はきわめて鈍かった。この時の話は別に書くこともあるかも知れない。 日本軍は、敵が退却するから、それを追っかけて、奉天(現在の瀋陽)から 更に北へ攻め上って行った。さいわいこのあたりで、海軍によるバルチック艦 隊殱滅という壮挙があったこともあり、講和条約が結ばれて、満州での戦闘は 終わった。しかし、ロシア陸軍はまだまだ8割以上も残っている。徹底的に継 続していたら、ひっくり返されていたに違いない。ロシア側からみれば信じら れないほどの軽い装備で攻撃してくる日本軍は、脅威であったにちがいな い。 ・・・昭和になっても充分な防寒設備はなかったかもしれない。現代の防寒 具を考えたら100年前とは段違いのはずである。 余談が過ぎた。「冬将軍」の話である。ロシアの酷寒は想像を絶するもので、 ナポレオンもヒットラーも、これにはかなわなかった。だから、どんなにすぐ れた将軍・指令官よりも、 「冬の酷寒」の方が味方としてはこれほど頼もしいも のはいない。このことから「冬将軍」と言われるようになったのである。冬イ コール寒気イコール冬将軍ではないのである。 「嘘を電波で流すな!」いい年を して無知を曝け出すな!