...

日本記者クラブ会報

by user

on
Category: Documents
28

views

Report

Comments

Transcript

日本記者クラブ会報
日本 記 者 ク ラブ 会 報
記 者 ク ラブ 賞 の募 集 始 ま る
会 見 出 席 申 し 込 み に ご協 力 を
喜 一、 渡 辺 美 智 雄 、 .
.一塚 博 の .一.
氏
事 は 自 民 党 総 裁 選 に絡 ん で 、 宮 沢
雨 に 明 け暮 れ た十 月。 ク ラ ブ 行
八 日 ・.二塚 の 両 氏 は 海 部 続 投 断 念
に 選 ば れ ま し た が 、 し 日 ・渡 辺 、
結果は.
r想 通 リ、宮 沢 氏 が新 総裁
か.
を 決 め る レ 一1ー ヒ そ れ ぞ れ 極 め
て タ イ ミ ン グ の 良 い 11 に 行 わ れ 、
...
候 補 と も 熱 っほ く 抱 負 を 語 って
く れ 、 好 .評 で し た .
.
最 初 、 企 画 委鼓会 で、 いや しく
も 総 理 大 臣 を 決 め る 1ー ヒ 、 都 ヘロが
つけ ば 立 候 補 者 の 公 開 討 論 会 を ク
ラブ で・
E 催 し た ら ど う だ ヒ いう 声
がヒ が り 、検 討を しま し た が 、残
念 な こと に告 .
小日 の十 九 日 前 後 に
は場 所 が と れ ず、 連続 会 見 に 落ち
着 いた も の で す . 来 年 か ら は 場 所
の制 約 が な く な るわ け で、 実 現 へ
夫
.
⑩ ㎜
駁 京 都 ﹁ 代 田.
区 内 幸 副 ..ノ .ノ
日 本 フ レ ス セ 、
、
〆タ ー ピ ,ゾ
℃.社 団 法 凡
日 本 記 者 ク ラ ブ
.
電'
請 ...丸 ● .一. 二 七 二 二 ︹代 一
会 員 数 で 、 カ ッ コ内 は 事 前 中 し 込
み 人 数 です 。 す べ て 出 席 者 は 事 前
申 し 込 み の ..倍 以 L 、 甚 だ し い 例
に な る と 四 ・.一
倍 に も な って いま
す。
・東 ﹂
駄電 ・
月最 高 ⋮
顧 闇 、 卜 八 日 u
山丁旬 以 降口は 、 ﹁ ﹄ハ U 一 .一ル 縮F
が、 それ 泌
.
﹂も 間 に あ わ ず に あ わ て
な り 多 く の席 を し つら え て いま す
性 な どを 加味 し て申 し 込 みよ りか
事 務 局 で は知 名 度 、 会 見 の重 要
・ サ モ ラ ・ボ リ ビ ア 大 統 領 、
パ ス
て イ ス を 運 び 込 む こ と が .酢 一
.一で
..卜 圧 日 - 速 水 優
会 見 を 行 いま す が 、 テ ー プ ルと イ
す.
.来年 四 月 か ら はレ 階 を・
E体 に
エ フ ト シ ェ ン コ 氏 、 ,.一卜
ス を セ ット し な け れ ば な り ま せ
表 幹 事・
、 、⋮卜 几 目 目 ソ 連 の 詩 人
山 太 郎 外 相 と 会 見 、 昼.
食 会 な ビ が
ん 。 ま た 、 入 数 によ って部 屋 も バ
だ け 艀 前 に フ ァク スな ビ でお 申 し 込
一 B ・中
行 わ れ ま し た . ま た 、 .
八U に は 米
ラ エ テ ィー に富 ん でき ます 。 でき る
Aム、 さ ら に 二 十 .一日 、 .一十 一二 日 の
み を 頂 き た く お 願 い いた し ま す ,
レ 月 の理事 会 で、 九 二年度 の 日
本 記 者 クラ ブ賞 が例 年 通 り実 施 さ
(、
フ レ ピ ュー }
を 、涯 レ 八 が 兄 学 す る な ビ . 秋 の 行
り は 一月 =.十 .日 で す 。 ・
応募 要 領
れ る ことが決 ま りま し た、 締 め 切
と こ ろ で 、 次 の 数 字 を ご 覧 く だ
は レ 六 べー ジを ご 覧 、
項く と し て、
一四 〇 (九
コ.
}、 三
∴
い.
、宮
沢
さ
候 補 の推 薦 を お 願 いし ま す .
、
ラ 六
な お、 新 年互 礼 会 員 懇親 会 は .
・ 一ヒ Q
モ
〇 二
・ 一 七 〇 (ヒ ニ )、 渡 辺
ス ・サ
月 卜 六 目 ︹木 )午 後 六 時 か ら ト 階 の
〇 )、 パ
ハスプ ラト フ ・ロ シ ア兵 和 国
山
9。 ご ノ
r{疋く だ さ い 。
ブ レ ス セ ンタ ー ホ ー ル で 開 き ま
・ 一 一 一 ︹四
(事 務 局 長
臼 木 東洋 )
・ .一〇 し (八 〇 )、 ア ン タ
ル ・ ハ ン ガ リ ー 首 相
議 .長 代 行
四 )、
(八
塚
事 は 相 変 わ ら ず 多 彩 で L た ,
京 モ ー タ ー シ ョー
両 日 は 、 幕 張 メ ッセ で 開 か れ た 東
空 母
・イ ン デ ィ ヘ ン デ ン ス の 見 学
・
・経 済 同 友 会 代
の 努 力 を す べ き で し ・"う 。
11月 祀 日発 行
四 )。 最 近 の 会 見 か ら 拾 った 実 出 席
11[
第261号
の直 後 、 宮 沢 氏 は 胃 ド 派 が 同 氏 擁
"{2トこ支 ヨ
寺 を リミしLq[〕.1D
連続会 兄 を 軸 に進 めら れま し た 。
力`
力{il'ゴ)才 した 日 クう夕 方 、111・'i峡
'ざI
I'{尺{}兄
第261号
1991年11月10日
1991年
いト戒 〔1年1
ゲ リ ラ 姉 妹 の思 い 出
四 分 五 裂 の革命 勢 力
と 連 絡 を と り つ つ、
が 、 地 下潜 伏中 の姉
ザ ー マン では な い
な こ と で す 。 そ し て米 軍 が ベト
かわ らず 犠 牲 者 が出た のは残 念
に行 われ て いま す。 それ にも か
夜 間 、 そ れ も 電 話 で予 告 し た 後
こ の風変 わ りな部 屋 の天片 一
ナ ム の爆 撃 で 毎 日 数 百 人 を 殺 し
一九 七 〇 年 の ク リ
而 に星条 旗 が な ぐ り醇 き さ れ、
の大 同団 結 を 目指 し
ス マ ス が 近 いあ る 夕
そ の ド に プ ラ ス チ ッ ク ・モ デ ル
て いる こ と も 忘 れ な い で 下 さ い ﹂
方 、ニ ュー ヨ ー ク 市 ウ
の ﹁死 の 配 達 人 ﹂B 52 爆 撃 機 が 舞
て いた。
エ スト サ イ ド の 古 び た ア パ ー ト
って いた 。
夫
と いう のが 日 野 デ スク の方 針
の .室 で 、ジ ェ ニ フ ァ ー ・ド ー ン
力 を た え ず 頭 上 に意 識 し て お こ
和
﹁バ ーナ ー デ ィ ン ・ド ー ンに会
だ った 。 そ し て 当 時 、 過 激 派 若
に 会 った 。 当 時 .1
.六 歳 。 無 造
う と いう つも り だ ろ う か 。
湊
って 取 材 せよ ﹂と いう 手 配 を 東 京
者 た ち の ア イ ド ル だ った バ ー ナ
作 な 引 っ つめ 髪 の 若 々し い顔 。
壁 に は 銃 を か つ いだ南 ベト ナ
" の狂暴 な 圧
本 社 か ら も ら って 、 当 時 ワ シ ン
ー デ ィ ン ・ド ー ン と の イ ン タ ビ
地 昧 な セ ー タ ー に ジ ! バ ン。 幅
"米 帝
ト ン支 局 の駆 け 出 し 特 派 員 だ っ
ュ ー は こ の 連 載 の ト ップ を 飾 る
年 代 は 。ゲリ ラ の年 " 12 と いう
年 " で 終 わ った と す れ ば 、 七 〇
マ ン ﹂の リ ー ダ ー と し て 、 全 米 卜
査 局 )が 反 戦 過 激 団 体 ﹁ウ エ ザ ー
だ が 彼 女 は F B I (米 連 邦 捜
逆 に孤 立 さ せ て いな いか 。
中 間派 を離 反 さ せ、 革 命勢 力 を
達 の、 銀 行 や 大 学 の爆 破 活 動 は
1 大 同 団 結 を 日指 すあ な た
屋 の向 こ う 側 で は 四 、 鉦 入 の 仲
ー ピ ン銃 を か つ い で み せ た 。 部
の片 す み に 蹉 て か け て あ った カ
真 。 ジ ェ ニ フ ァー も 、 こ の部 屋
ム民族解 放 戦 線 の女性 兵 十 の写
認 識 で 、 七 一年 一月 か ら 三 、 四
大 指 名 手 配 の ト ップ に掲 げ 、 血
﹁全 く 逆 で す 。 爆 破 は 人 民 に 力
広 のた く ま し い 牛 皮 ベ ルト 。
十 同 、 読 売 新 聞 朝 刊 で ﹃ゲリラと
ま な こ で 探 し 求 め て いる 人 物 。
の意 識 を 目 ざ め さ せ る 。 そ れ は
計 画 だ った 。
現 代 ﹄と 題 す る 続 き 物 を 掲 載 す る
F B I が捕 え る こ と の出 来 な い
予段 と し て 重 要 な 意 味 を持 ち ま
接 触 を 繰 り 返 し た のち 、 バ ー ナ
ワシ ント ン の反 戦学 生 たち と
で は ま じ め な 研 究 者 が 一人 殺 さ
ー
す﹂
シ ュ ベ イ 。人 口 一万 八 千 。ミ シ ガ
北 へ三 十 キ ロ の ホ ワ イ ト フ ィ ッ
数 日 後 、私 は バ ー ナ ー デ ィ ン 、
談 し て いた 。
間 た ち が 車 座 に な って 何 や ら 相
こ と に な った 。 担 当 デ ス ク は 当
人 物 に会 う の は 難 し い。
ア ジ ア 各 地 の ジ ャ ング ル で 、
ー デ ィ ン ・ド ー ン の 妹 、 ジ ェ ニ
れ て いる が 。
ン湖 畔 の美 し い白 人 居 住 区 。
飛 ん だ。 ミ ルウ ォーキ ー市 か ら
ジ ェ ニ フ ァi 姉 妹 が 育 った 町 に
中 東 の砂 漠 で 、 あ る い は ア フ リ
フ ァ ー ・ド ー ン と 会 え る こ と に
﹁
犠 牲 者 を 出 さ な いため 爆 破 は
ウ ィ ス コ ン シ ン大 学 の爆 破
カ の泥 壁 の家 の 村 な ど で活 動 す
な った 。 妹 は 厳 密 に 、
ラ
.
口っ て ウ エ
と な った 日 野 啓 三 氏 。
時 外 信 部 次 長 で 後 に 芥 川賞 作 家
一九 六 〇 年 代 が "ア ポ ロ の
た 私 は 途 方 に暮 れ た 。
二
ζ黛て煮垂④篭
る ゲ リ ラ に直 接 会 って 取 材 す る
{2}
第261号
1991年11月10日
第261号
1991年11月10日
極 的 な 生 徒 だ った ﹂と 、
冒う 。 姉 は
﹁そ ろ って 実 に 利 発 、 何 事 にも 積
二 人 の こ と を よ く 覚 え て いた 。
姉 妹 が 通 学 し た 高 校 の校 長 は
会 員 に選 ば れ て い る 。
才 で ﹁フ ァ イ ・ ベ タ ・カ ッパ ﹂の
の ロシ ア 史 学 科 卒 。 姉 以 上 の秀
取 得 した .妹 は同 じ シ カゴ大学
..
1
.五 歳 の 若 さ で 法 学 博 + 号 を
フ ァ ー は や っと 承 諾 し た 。
方 を 聞 き た い ﹂と 言 った 。 ジ ェ ニ
紙 を 出 し て バ ー ナ ー ド 氏 の考 え
て いた 。 私 は ﹁訪 問 が 無 理 な ら 手
i に ド ロ シ ー 夫 人 と .一
入 で移 っ
ん で いた ら 、 姉 妹 の こ と が 詳 し
彼 .題 。 邦 訳 未 刊 )と いう 本 を 読
世 代
ホ ロ ウ ィ ッ ツ 共 著 ﹁破 壊 者 た ち の
ー タ ー ・ コ リ ア ー 、 デイ ビ ッド
せ を 絵 に か いた 皐 う な 家 庭
能 に 南心ま れ た 二 人 の舳
眼. 彰
婦、 豊 か な 収 入 、美 しく 才
売 部 長 だ っ た 。 仲 む つま じ い長
器 具 会 社 の ク レ ジ ット カ ー ド 販
父 親 バ ー ナ ー ド 氏 は 一流 電 気
た ち の 行 動 に は 断 腸 の 思 いを し
会 )の .部 で あ る と いう こ と 、 娘
エ ス タ ブ リ ッ シ ュ メ ント ︹既 成 朴⋮
婦 が いま .
一
.
日え る の は 、 私 た ち も
﹁お 手 紙 拝 見 し ま し た 。 私 た ち 夫
ら 折 り.
返 し 返 事 を も ら った
れた。
ー ク ・ラ ッ ド が 彼 女 に 面 会 に 訪
て い た ウ エ ザ ー マ ン の同 志 、 マ
.︼
年五
姉 バ ー ナ ー デ ィ ン ・ド ー ン は 八
FB Iか ら 指 名 手 配さ れ て いた
一 ←几 山ハ○ 年 代 の 隔
凹顧 ﹂
・
学 校 新 聞 の編 集 長 も し て いた 、
、
男 子 生 徒 のあ こ が れ の的 で デ ー
だ った .
. そ の ..人 の娘 が 反
て いる 、 と いう こ ヒ だ け で す 。
く辞 かれ て いた 。 そ れ による と 、
ト の 申 し 込 み が 絶 え な か った そ
戦過 激 運 動 に 身 を投 じた こ
ど う か 私 た ち を そ っと し て お い
彼女 よ り先 にF B Iに投降 し
マー ク ・ラ ッド が バ ー ナ ー デ
が 、 私 は 父 親 に は会 え な
一回 と 第 .︻同 に
会 え ず 、 妹 ジ ェ ニ フ ァー と の会
結 局 、 姉 バ ー ナ ! デ ィ ンと は
は 激 怒 し て ﹁私 た ち の努 力 は 何 だ
ら や り 直 し た い ﹂と .
︾
.
口う と 、彼 女
だ った 。 出 来 る こ と な ら 最 初 か
ィ ン に ﹁あ の 七 年 間 は 八 生 の 無 駄
か った 。 い や 、 会 わ な か っ
見 記 が連載 の第
数 日後 、 私 は バ ー ナ ー ド 氏 か
うだ.
、 姉 は 名 門 シ カ ゴ 大 学 で、
と を 父 親 は ど う 考 え て いる
て ,ト さ い ﹂。
た 。 終 始 快 活 に イ ンタ ビ ュ
掲載 さ れた 。
あ れ か ら ざ っと 二 十 年 、 新 聞
かず ・
お会 員
、几 二,年 岡 山 県
みなと
五.
五隼 読売
,
八一.
年連鞭 ﹁アメリカN O
ワシ ント ン芝 局 長 論 説委 員
東京 大 高
.
r法 学部 卒
八六雫退職
現 在 お 茶 の水女ゴ大 学教 授
W﹂でボー ン上 田 記 念 国 際記者 賞を 受 賞
な どを務める
新 聞・
人社
生まれ
った の か ﹂と 質口え た そ う だ .
命 のため に貢 献 し た ので はな か
った の か 。 武 ﹁
力 闘 争と米 国 の革
ー に 応 じ た ジ ェ ニ フ ァー が 、
せ た 。 ﹁父 は F B I の 絶 え 間
・記 者 を や め 、 大 学 教 授 に な っ て
父親 の話 にな る と顔を曇 ら
な い 監 視 、 心 な い人 の 電 話
か らも、 時 折 ふ と
﹁あ の 姉 妹 は
で悩 ま さ れ 続 け て いる 。 ど
今 ご ろ ど う し て いる か ﹂ と 思 い
の求 め で 、 書 評 を 書 く た め 、 ピ
先 年 ﹁臣 界 週 報 ﹂(時 事 通 信 社 )
出 した。
う か そ っと し て お いて ほ し
い ﹂﹂
定 年 退 職 し た バ ーナード
氏 は フ ロリ ダ 州 サ ンシ テ ィ
〔3)
/1 投 降 し た 。
か 、 も 知 り た か った。
激 派 若 者 の ア イ ドル だ っ た 、 パ ー ナ ー デ ノ ン げ 「.1、ジ 」.ニ フ ァ ー 姉 妹
ワーキングブレス
自民党総裁選
﹁コ ンチ ク シ ョウ が ま た 、 集 ま
って いる よ う だ ﹂
と い わ れ る 。 そ の 後 、 政 局 の主
﹁竹 ド ー 金 丸 不 仲 説 ﹂ は い ま だ
引 き 継 ぎ 、 そ の意 思 決 定 は 徹 底
そ れ で も ボ スト 中 曽 根 政 局 で
導 権 争 いが 続 い て い る 、 と み る
自 民 党 竹 下 派 の金 丸 信 会 長 の
は 金 丸 、 竹 下 .両 氏 の ほ か に 小
し た 秘 密 主 義を と る。
指 名 で事 実 上 、 宮 沢 喜 一総 裁 が
し か し 、 ..一
氏 は 小 沢 氏 の妻 の
最 近 で は ﹁小 沢 氏 が 急 成 長 し
沢、 羽 田、 橋 木 各 氏 ら
て 、 いま や 竹 下 -金 丸 戦 争 で は
こn
艮ム
虫 、。
i右 弓 し
誕 生 し たポ スト海部 政 局 のキ ー
行 η の へ口議 で方 針 が 決 ま る こ と
な く 、 竹 ド ー小 沢 戦 争 だ ﹂ と い
今 同 は 重要 な局 面 で ﹁
金竹
妹 が 竹 ド 氏 の弟 に 嫁 ぎ 、 竹 ド 氏
"七 奉
ワー ド は ﹁
金 竹 小 ﹂ だ った 。
が 多 /\ 何 が話 し 合 わ れ た か 、
う 八 も 出 てき た 。
金 丸 氏 と 竹 下登 元 首 相 、 そ れ
は 徐 々 に 明 る み に出 た 。
頭 文 字 を 連 ね ただ け だ が 、 こ の
小 ﹂ 会 談 が ひんば ん に 開 か れた 。
の娘 が 金 丸 氏 の息 f と 結 婚 し て
に 小 沢 .郎 ・竹 下 派 会 長 代 行 の
三 入 、 ﹁金 竹 小 政 局 ﹂ と 一
.
﹁
口わ れ
取材 対 象 が.
.
天 だ け 、 と あ って
田
達
﹁金 竹 小 ﹂ト ラ イ ア ン グ ル
長
治
る ほど 、 政 局 を左右 し 続 け た,
も と も と 政 局 の動 向 を 決 め る
の は百 丑 人 を擁 す る 竹 下 派 、 と
いわ れ て いた 。 国 民 的 人 気 の高
い橋 本 龍 太 郎 氏 が 証 券 ・金 融 不
祥 事 で傷 つき 、 小 沢 氏 は 突 然 の
を 夜 討 ち 朝 駆 け で と って き て は
確 認 作 業 を繰 り返 す う ち に、今
同 の 政 局 も 終 わ った 。
金 丸 事 務 所 のあ る パ レ ・ロ ワ
イ ヤ ル、 竹ド事 務 所 のあ るT B
R ビ ル、 小沢事 務 所 のあ るト 全
ヒ ル は国会 議事 堂 裏 手 の交 差点
心臓 病 で退 院 した ば か り。 そ れ
い る 親 戚 でも あ る 。 他 人 が 聞 い
い 限 り 、 竹 ド 派 担 当 .記 者 は こ の
な か な か 本 当 の中 身 が 出 て こ な
じ ゃ れ 合 い の部 分 も あ る だ る つ。
に 党 内 の 幅 広 い人 気 を 集 め る 羽
平 河 ク ラ ブ (自 民 党 担 当 記 者 ク ラ
に 近 接 し た ..一
角 地帯 を 形 づく っ
﹁金 竹 小 ﹂一
.
一
人 の 関 係 が 一定 で
と無 縁 では過 ご せな い のだ ろう
た ら び っく り す る よ う な き つ い
ま れ 、 同 派 が 誇 る ネ オ ・ニ ュー
な い こ と が 、 時 に誤 っ た 予 測 、
ブ )の 竹 下 派 担 当 記 者 が 週 司 誌
か。
い。 こ れ が 竹 ド 派 担 当 記 者 と し
リ ー ダ ー が相 次 いで リ タ イ ァ し
推 測 に つな が る こ と も あ った 。
を に ぎ わ す 金 -竹 、 竹 - 小 対 蹉
川 孜 ・党 選 挙 制 度 調 査 会 長 が 政
た。 残 る 選択 肢は海 部 続 投 支 持
ポ スト 竹 ド 政 変 で 竹 .卜 氏 が 宇
論 に 簡 単 11一の れ な い ゆ え ん は 、
て いる . 派 閥 再 編 の 大 波 が こな
か反 海部 一
.
派 に の る し か な い。
野 宗 佑 氏 を か つぎ 、 そ れ を 知 ら
こ の ﹁親 戚 ﹂関 係 だ っ た 。
言 葉 も 、 フ ァミリ ー な ら で は の
竹 ド 派 が どう かじ を と る か、 が
な か な か 本 晋 を 芳.
[わ な い =.
氏
て 最 大 の悩 みだ った .
注 目 さ れ た ゆ えん で あ る 。
な か った 金 丸 氏 が 福 田 赴 夫 氏 の
.
再登 板 を 画策し て対 立 し た のが
と 、 そ の側 近 のさ さ いな 言 の葉
治 改 革 法 案廃 案 のう ず に巻 き 込
竹 ド 派 は 田中 角 栄 .
兀首 相 が 健
竹 ド . 金 丸 両 氏 の対 立 の 出 発 点
た つじ氏
九 一年 か
一馬 七 一
.
一
年 毎 日新聞
中部本 祖報道部 を 雑 て
ら 政治 部
・
人祉
おさだ
﹁ポ リ テ ィ カ ル ・ト ラ イ ア ン グ ル ﹂
在 だ った こ ろ の田 中 派 の 伝 統 を
〔4}
こ皇'し歪
珪H〔10.5}
'ドず5ト
こ」受力f什 ㍉
,窮
与あ し・さ'ノ:二'与
第261号
1991年11月10日
ワー キ ング プレス
ユ ー ゴ内戦取材
ク ロア チ ア 防 衛 隊 の 参 謀 を 囲
いた 欧 米 の 記 者 た ち が 、 市 長 や
って 、 取 材 を 始 め た 。
の人 が 出 歩き 始 めた のを 見 計 ら
﹁カ ル ロ バ ッ ツ ﹂、 ク ロ ア チ ア
の首 都 ザ グ レブ か ら は 、 南 西 五
み、 記者 会 見 が始ま る と こ ろだ
て いな い。
現 場 は市街 地 の 通 り で、私 た
旧 市 街 で は 、 防 衛 隊 兵 十 の案
ト キ ロ、 高 速 道 路 で .二卜 分 も か
V ﹂と入キラ\長 .
小 し て いた た め 、
っ て い た . 私 た ち は 車 に ﹁T
邦 軍 の 穴 だ ら け の建 物 内 部 な ど
狙 わ 札 た の か も し れ な い。
ち の前 に も 地 .
兀の 車 が 何 台 か 通
説 明 では 、連 邦軍 と 武 装 セ ル
を撮 影 し 、住 民 へのイ ンタ ピ ュ
内 で 、 前 目 の戦 闘 で 陥 落 し た 連
し か し 、 こ の町 の南 は 、 連 邦
ビ ア 八 は 、 市 の南 部 を 流 れ る ク
t を 行 った 後 、 連 邦 軍 兵 舎 に 近
った 。
軍戦車 部 隊 が 迫 る セ ルビ ア側 支
バ川 に 沿 って 展 開 し 、 カ ル ロ バ
い救 急 隊 詰 め所 へ軌 ち 寄 った 。
か ら な い .距 離 だ 。
配 地 域 。 ク ロア チ ア 側 に と って
ッツに攻 撃 を加 え てお り 、 付 近
私 たち が 訪 れ た のは 、 卜 月 六
す る ク ロア チ ア側 と の 間 で 、 戦
の連 邦 軍・
基 地 でも、 これ を 包 囲
いす る と は 、 夢 にも 思 わ な か っ
状 況 を 聞 こう と 寄う た の が 幸
.
不 思議 な く ら いだ。内 戦 の弾
の 由rを 兄 る と 、 生 き て い る の が
る 。 弾 痕 だ ら け に な った 私 た ち
ナ ダ 人 のカ メ ラ マ ン が 死 ん で い
カ ル ロバ ッ ツ で は こ の [ . カ
は首 都防 衛 の最前 線 であ る 。
日 、 E C の 調 停 に よ る =.
か月 の
た が 、 十 分後 には自 分 た ち が 、
いう 落 ち 著 い た 町 並 み の 、 カ ル
十 八 世 紀 以 前 の建 物 も あ る と
う 危 険 は 胃 し たく な いと 、 地 図
し て 行 った が 、 何 分 こ ち ら は そ
の説 明 が終 わ ると 、外 へ飛 び 出
の右 後 方 か ら銃撃 を 浴 び 、 助 手
百 メ ー ト ル 先 で、 乗 って い た 卓
再 び 町 へ出 た 。 と こ ろ が わ ず か
私 た ち は、救急 隊 詰 め 所 か ら
おは ら
瓦 ○年 か∴J NN
テ レ ピ ニ λi ス部
.拡 L ヒ句 中部 口本
みちお氏
放 送 (C B C)入甘
-C HC ウ rー ン支局 長
(現 。報 道離 りを経 て
ら な い.
は 、 ど こから 飛 ん で く る か分 か
闘 が 続 い て いる と の こ レ一
だ った 。
道
雄
独﹂
眺宣 .
.
.
日凍 結 の 期 隈 切 れ 前 日
で 、 一方 的 独 窪 の .再 宣 言 を 前 に
各 地 で 戦 闘 が 激 化 し て いた .
原
助 け を 求 め て 駆 け 込 む 羽 11 に な
小
救 急 隊 詰 め 所 近 く で被 弾
戦 闘 取 材 に 慣 れ て いる の か 、
ロバ ッ ツ に 入 る と 、 遠 く で 砲 声
を 使 って 、 市 長 か ら さ ら に 具 体
席 の 宮 カ メ ラ マ ンが 背 中 か ら 腹
〔5}
のど かな 川 園を 走 る高 速 道 路
に は 、 数 か 所 、 地 .宙 が 敷 設 さ れ
て いた が 、 そ れ も ひ と 目 で 分 か
る 置 き 方 で 、 検 問 にも 会 わ ず 、
情 報 省 の プ レ ス担 当 者 の ﹁
一
.
目葉 通
が響 き 、 機 関 銃 な ど の 連 続 し た
的 に、 戦 闘 場所 や危 険 個 所 の説
部 を 、 ま た 運転 席 の 私 も 腕 や
って し ま った 。
発射 音 も 聞 こ えて、 こ こ が前 線
明 を 聞 いた 。 と こ ろ が 、 市 内 の
胸 、 足 を 負 傷 し た 。 幸 い運 転 に
フリ ー の カ メ ラ マ ンら は 、 大 方
の町 で あ る こ と を 、 改 め て 認 識
取材 に 出 掛 けよ う とし た矢 先 、
りに、 難 無 く 到着 でき た 。
さ せら れ た 。
脱 出 で き た が、 狙 撃 者 の 姿 は 見
支 障 が な か った た め 、 そ の 場 を
で 待 機 す る こ と 一時 間 余 り 。 町
空襲 警 報 が嶋 り響き 、 建 物 の中
戦 況 把握 のた め、 ま ず 市 役 所
を 訪 れ る と 、 一足 先 に 到 著 し て
嵐AFP時}1ト
〔9,21)写
に 突 入寸 る 連 邦軍 の 戦 卓
ブ ゴ パ ルrh街
第261号
1991年11月10日
ワーキングプレス
バ ン コ クG7
ン コク で 開 か れ た 。 橋 本 蔵 相 は
十 七 日 ま で の ,週 闇 、 タ イ の バ
国 際 金 融 会 議 が 十 月 卜 .日 か ら
F >・世 界 銀 行 総 会 な ドニ 連 の
議 (
G 7 )、 国 際 通 貨 基 金 T M
七 力 国 蔵 相 ・中 ・
央銀 行 総 裁 会
だ った 。
し 、 夕.
刻 に声 明 を 発 表 す る は ず
日 目 は 目中 、 マ ク ロ経 済 を 議 論
じ え 、 支 援 問 題 で 集 中 討 議 。 . 側 代 表 団 と のプ ラ ス ー 会 合 を 交
十 二 日 の 一.日 間 。 十 一日 に ソ 連
G 7 の 当 初 の H 程 は 、 卜 .、
れ ﹂。
は 、 ソ連 大 使 館 に で も 聞 い て く
な ぜ 遅 れ る か って 。 そ ん な こ と
も 申 し 上 げ ら れ な い ﹂﹁代 表 団 が
れ の 質 問 に も ﹁講 ⋮
論 の途 中 だ 。 何
帰 国 。同 日午前 中 に、 既定方 針
ュ ニ ケを と り ま と め 、 十 四 日 に
長 とす る ソ連側 代 表 団 のバ ン コ
家 経 済 管 理委 員 会 副 委 員 長 を 団
と ころ が、 ヤ ブ リ ン スキー圓
み は 整 った が 、 中 身 に つ い て は
ケ を 採 択 し て 閉 幕 。 支 援 の枠 組
開 催な どを 盛 り 込 ん だ コミ ュ ニ
ス ク ワ で の蔵 相 代 埋 会 議 の緊 急
午 後 、 金 融 支 援 の実 施 条 件 や モ
結 局 、 G 7 は 三 日 H の 十 .一.日
G 7 の議 長 と し て 対 ソ支 援 コミ
ど お り 証 券 ・金 融 不 祥 事 の責 任
ク 入 り が遅れた た め、 対 ソ支援
ソ 連 の "遅 刻 " で 延 長 戦
か ら 、 も っと 対 ソ 支 援 に協 力 し
て は ﹂と 問 わ れ 、 北 方 領 土 問 題 の
説 明 に四苦 八 苦。十四 日朝 に
は 、 プ レ ス セ ン タ ー の当 社 ブ ー
ス に 他 国 の 記 者 が 訪 れ 、 ﹁ハシ モ
論 議 は ト 一.[ に 回 さ ざ る を 得 な
え る H本 と し て は 、 具 体 策 の 先
北 方 領 土 と いう 固 有 の問 題 を 抱
何 も 決 ま ら な か った 。 も っとも 、
G 7 が 延 長 戦 に も つれ 込 ん だ
た。
辞 め た の か ﹂と 確 認 を 求 め て き
昭
通 渋 滞を 少し でも 緩 和 しよう
く な った 。 同 日 午 後 に は 、 ゲ ラ
た め 、 十 一二日 午 前 の I M F 暫 定
木
と 、最も 混雑 が 予 想 さ れる四 日
シ チ ェ ン コ国 疏 銀 行 総 裁 ら 主 要
送 り はも く ろ み ど お り。 ﹁
会議 の
委 員 会 に は 七 力 国 の蔵 相 、 中 曳
鈴
闘 、官庁 や 学 校 を 休 み にして、
メ ンバー が .
一行 か ら さ ら に 遅 れ 、
結 果 は ﹂と 水 を 向 け られ て橋 本 蔵
銀 行総裁 が ほ と んど 出席 で き
一
を と って 辞 任 と 、 今 回 の会 議 が
文 字 ど お り 最 後 の お 務 め とな っ
た。
I M F ・世 銀 総 会 は 、 タ イ で
初 め て の本 格 的 な 国 際 会 議 。 同
国 政 府 は バ ン コ ク 市 内 に壮 麗 な
市 民 に郊外 への旅 行 を 奨 励と、
同 夜 のプ ラ ス ー 会 合 に 間 に合 わ
相 、 ﹁思 わ ず ニ ヤ ッ と し て し ま
ず 。 そ の意 味 で も G 7 ば か り が
ト は 東 京 に 到 着 し た か ﹂ ﹁本 当 に
国 家 の威 信 を か け て 受 け 人 れ 態
な いことが判 明 。 1
,一
一.目 に も G
う ﹂。 前 夜 の不 機 嫌 な 表 情 はす っ
ム至議場 を 建 設 . ま た 悪 名 h
尚 い交
勢 を 整 えた。
7 、 お よ びプ ラ ス ー 会 合 を 行 う
と ころ で、 わ が国 に対す る各
通信 入廿
社会部
年 から経済 二部
.証券部 を縫て
八七
一九ヒ 六年 時 嘱
際 立 つ格 好 と な った 。
ソ 連 側 の 事 情 で 二 転 、 =.
転す
国 の関 心 は 依 然 高 い。 筆 者 も 地
し、
①う いち氏
か り 消 え て いた 。
催 が 遅 れ る な ど 、 経 済 の急 拡 大
る ス ケ ジ ュー ル に 橋 本 蔵 相 の イ
.
兀の 記者 に ﹁日 本 は 金 持 ち な の だ
すずき
は め に な った 。
そ れ でも 、 英 国 の 代 表 団 が 渋
に 都 市 計 画 が 追 い つ か な い実 態
ライ ラ は昂 じ るば か り。 わ れ わ
滞 に巻 き込 ま れ 、 初 [ のG 7開
を 見 せ つけ た 。
{6}
事
写 貞.AFP=時
議 長 役 を終 え て 会 見
第261号
1991年11月10日
第261号
1991年11月10日
ワーキングプレス
美術担当記者
て、 夏 や冬 にも優 れ た 内 容 のも
な ん ら か の展 覧 会 が 開 か れ て い
な った 。 .
画廊 を 回 れ ば 、 一年 中
美 術 に は 最 近 シ ー ズ ン がな く
て いた か ら だ 。 画 廊 の 入 た ち と
で よ し あ し を 判 断 し た いと 思 っ
印 象 に左 右 さ れ ず に 、 作 品 だ け
が 、 そ れ以上 に作 家 か ら受 け る
た。人 兄知 りす る 質 にも よ る
い画 廊 が増 え た こ と であ る 、 と
った の で あ る 。 そ の 一因 は 新 し
順 序 だ てて コー スを 歩 けな く な
ち ょ っと 様 子 が 変 わ っ て き た 。
画 廊 回 り が ご.年 日 に な っ て 、
る のだ ろ う か 。 いや 、 そ れ だ け
は、 二年 の間 に でき た習 慣 によ
れ で は 居 心 地 が 悪 いと 感 じ る の
いに 違 いな い の だ が、 ど う も そ
は物 理 的 に .
昌 って も や む を え な
い の は 事 実 と し て も 、 作 口⋮のは
展 覧 会 が集 中 し て と り わ け 忙 し
れ な い。 取 材 ら し き も の は ひ た
く な い態 度 、 と み ら れ る か も し
こ れ は いわ ゆ る 新 聞 記 者 ら し
山 方 面 、 池 袋 方 面 、 新 木 場 ・佐
が あ る か ら な の だ が )。 渋 谷 ・青
の 他 に も 新 聞 社 の いろ ん な 什 事
言 い訳 し て お こ う (実 は 画 廊 回 り
にし ても 、 [
日の 記 憶 と いう も の
ち いち 覚 え て い る わ け で は な い
発 表 す る 作 家 た ち の名 前 を い
で は な いよ う だ 。
て 回 る わ け だ 。 こ う いう や り 方
の が な いわ け で は な い 。 昔 か ら
も あ ま り 話 を し な か った 。
ん らん は必 ず し も質 の高 さを 保
す ら 作 品を 見 る こ と だ け で、 人
が あ る 。 こ れ は あ の時 に 兄 た 作
き で は な い )、
.
美 術 の秋 と 言 わ れ 、 こ の 時 期 に
証 し な い.
賀 町 方 面 な ど 日 本 橋 -銀 座 界 隈
家 の作 品 で は な いだ ろ う か 、 と
思 い出 せ る こ と が 、 後 に な っ て
作 品 を 評 価 す る 際 に役 凱 つ。 ボ
ク シ ング で ボ デ ィー を 打 ち 続 け
るにも 似 て 、 それ はた ぶん 後 に
課 も 終 わ った 、 と 足 の 疲 れ を 覚
夕 方 。 やれや れ こ れ で今 目 の日
か ら く 作 品 に 構 造 化 さ れ て いな
べ き で あ り、 制 作 の 意 図 は す べ
し 、 作 家 は 作 品 で す べ てを 語 る
だ か ら 離 れ た 場 所 に 一軒 だ け ポ
れ ば な らな い個 所 が 増 え てき た 。
ろ ん 近 県 の美 術 館 な ど 行 か な け
以 外 の画 廊 の ほ か 、 東 京 は も ち
し美 術 担 当 の基 本 は、歩 い て作
か り に な っ て し ま った が 、 し か
見 て歩 く こと にな る。歩 く 話 ば
座 -日本 橋 の見 残 した 展 覧会 を
こう し て 週 末 と も な れ ば 、 銀
夫
え る。
く て は な ら な い、 と い った本 質
ツ ン と あ る 所 は 、 つ い足 が 向 か
品 を 見 て 回 る こ と に つき る よ う
教
文 化欄 で展 覧会 評 を かく よう
的 な 問題 のほ か、 いろ んな 埋由
な いまま 、 会 期 が 終 わり がち だ 。
原
に な った 数 年 前 は 、 毎 週 の 月 曜
か ら 芙 術 担 当 の基 本 は これ に つ
こう な る と ﹁決 め 打 ち ﹂と で も
菅
﹁コ ー ス 歩 き ﹂に あ る 変 化 が
の話 を 聞か な い のだ か ら. し か
日本 橋本 石 町 にあ る とき わ.
画
廊 から 出発 し 、 口本 橋 、 京橋 を
経 て銀 座 八丁 U ま で。 こ の間、
だ いた い.一
十 な い し 三 十 軒 の画
廊 を 兄 て 回 る , 午 前 十 一時 に ス
タ ート し、 銀 座 七 丁 目 の村松 画
を そん な ふう に 過 ごし た 。何事
き る 、 と 今 も 思 って いる (
も っと
呼 べそうな 歩 き 方 が始ま る。 今
き いてく る 効 果 であ る、
も 慣 れ で、 回 る コ ー ス は し ば ら
も 画 廊 を 回 って い れ ば 、 作 家 を
日 は こ こと こ こ と あ そ こ、 と い
廊 あ た りにく る ころ は そろ そ ろ
く た つと 身 体 化 さ れ 、 見 落 と す
は じ め次 第 に顔 見 知 り ができ る
う ふう に、あ ら か じ め案 内 状 な
浦 和支 局
年から文化 部
聞入社
すがわら
だ。
所 も 少 な く な って く る 。 最 初 の
のは事 実だ が、 そ う し た人 間関
り で展 覧 会 の内 容 の 見 当 を つけ
地方部を 繰 て
.
八〇
.
㎜九七 乱年 読売 新
一年 間 は 、 た ま た ま 作 家 が画 廊
係 を 作 品 の 評 価 に 結 び つけ る べ
のりお 氏
に いても ほと ん ど 話 を し な か っ
(7)
と セ ット さ れ て い る 。
で は、今 日 は会 見 が あ る のか と
いう と 、 必 ず し も そ う と は 限 ら な
事 に な り 、 プ レ ス セ ンタ ー か ら の
連絡を 受 け 、 そ れを各 杜 に 流 す 仕
組 み に な っ て い る。
が 思 し 〃目せ ば )﹂。 毎 度 の こ と で 記
ね て も 、 返 事 は 、 ﹁イ ン シ ャー ラ (神
の で あ る 。 大 統 領 府 の報 道 官 に 尋
だ け で あ って 、 な いか も し れ な い
者 に会 見 を 申 し 込 む こ と は 可 能 だ
一切 な い 。 直 接 、 官 僚 や 政 府制関 係}
例 会 見 の よ う な プ レ スサ ー ビ ス は
は、 政 府 スポ ー ク ス マン によ る 定
か ら 一方 的 に 連 絡 が あ る 以 外 に
カ イ ロで は 、 こ のよ う に 情 報 省
者 た ち も 慣 れ て い る か ら 、 そ う 昌.
門
が 、 実 現 す る ま で に時 間 が か か り
い。 た だ 準 備 が さ れ て い る と い う
わ れ て も 焦 っ た り は し な い。 ア ラ
エジプ ト は 、 重 .
要情 報 が 滅 多 に リ
す ぎ る し 、 会 え ても 実 に 口 が 堅 い。
幸 い にし て こ の 日 は 、 四時 闘 近
イ ロ の特 派 員 か ら 、 ロイ タ ー 、 A
とプ レイ を 中 断し て 短波 ラ ジ オを
勢 い頼 ら ざ る を 得 な い の が 、 B
P の チ ッカー と短波 ラ ジ オを 取 り
! クさ れ な い国 で あ る 。 自 前 の 取
B C ラ ジ オ と ロイ タ ー や A P な ど
ヒ げ た ら 、 間 違 いな く 全 員 、 パ ニ
く 待 った 揚 げ 句 、 共 同 記 呂 会 兄 は
西 側 通 信 祉 の 報 道 だ 。 エジ .
フト 国
ック に 陥 る こ と だ ろ う 。
取 り出 し 、 BB C放 送 に 耳 を 傾 け
通 常 、 こ う し た 重 .要 イ ベ ン ト の
営 の ア ラ ビ ア 語 の 通 信 社 ・M E N
こう し た 間接 情報 の 収集 にき ゅ
材 で 生 の情 報 を 得 る こ と が 、 非 常
領 官 邸 の .室 で は 現 在 、 中 束 和 平
日時 と 場 所 は、 大 体 前 日 の夕 方
A も あ る が 、情 報 の 伝 達 が 遅 い
うき ゅう と し た生活 か ら解 放 さ れ
行 われ、 べー カー 、 ム バラク 両 氏
会 議 開 催 の最 終 的 な 根 同 し のた
に、 情 報 省 の 管 轄 下 にあ る プ レ ス
し 、 官 製 の 内 容 は、 ほ と ん ど 役 に
る の は 、 出 張 した時 だ。 十 月末 、
る の が 、 習 い性 に な っ て い る 。 カ
め 、 カ イ ロを 訪 れ て い る ア メ リ カ
セ ンタ ー か ら 各 国 特 派 員 に 電 話 で
立 た な い 。 テ レ ビ ニ ュー ス に し て
マド リ ー ド で 開 催 さ れ る 中 東 和 平
に むず か し い。
の べー カ ー 国 務 長 官 と ム バ ラ ク 大
伝 えら れる。 こ の連絡 があ れ ば 、
も 、 ム バ ラ ク 大 統 領 の 動 向 と 一日
会 議 の 取 材 に、 カ イ ロ特 派 員 は
議 開 催 は 間 違 いな し と いう 感 触 を
統 領 の会 談 が進 行 中 であ る。中 庭
そ れ は 当 局 が 取 材 を 許 可 し て いる
の出 来 事 が 大 雑 把 に 伝 え ら れ る だ
新 聞、 テ レビ 合 わ せ て十.
五社 、
け で、 見 て も 新 し い発 見 は な い。
今 、 胸 を 躍 ら せ て いる。
得 る こと が でき た 。
に は 、 数 時 間 前 か ら 会 談 後 の共 同
と いう こ と で あ る 。
り の 記 者 や テ レ ビ ・カ メ ラ マ ン が
や む な く 毎 日 、 支 局 で チ ッカ ー と
入社
.
八瓦年 からカイ ロ特 派 員
﹁ニ ュー スステーシ ,ン﹂デ ィレクダー
一九 六κ 年 テ レビ朝 日
十 九 名 の 特 派 員 が いる 大 所 帯 の カ
に ら め っこ で あ る 。 た ま の 休 日 、
を軽 て
た かし氏
集 ま って いる 。 記 者 会 見 用 の演 壇
イ ロ日 本 人 記 者 会 の場 合 は 、 輪 番
ゴ ル フを し て い ても 、 時 間 が 来 る
あきもと
も す で にし つら え ら れ て いて 、 テ
制 で 新 聞 、 テ レ ビ か ら 各 .社 が 幹
る ク リ ー ム 色 の し ょ う し ゃな 大 統
記 者 会 見を 期待 し て、 内 外 百八 余
の二
昌葉 か ら 、 レ 月 巾-の 中 東 和 平 会
ブ 流 に のん び り 待 つし か な い。
者'撮 景多
ク 会 ∋己く大 彰 ヒ寧頁'1'f唾1玉1Ω.14,箏
隆
元
秋
エト ハデ ィ ア ・パ レ ス と 呼 ば れ
待 一
っ て へ」っ と 厩iま っ た べ ・.カ ー一 ・ ム パ ラ
4時1用
カ イ ロ
レ ビ 各 局 の マイ ク ロ ホ ンも 所 狭 し
〔81
"な く連 絡 待 つ だ け
"定 例
(8)
轟
第261号
1991年11月10日
第261号
1991年11月10日
﹃勇 気 あ る 平 和 国 家 を め ざ し て
決 断 の早 さ を ア ピ : ルし た 。
﹄と
ず ・
,
え ん じ トを 選 び 、﹁これ が 一番 い い ﹂。
へ﹂と の報 道 が 流 れ て いる中 で の 会 見
ら か に な ら ず 。﹁竹 ド 派 、宮 沢 氏 支 持
と .解 読 "し た が 、意 昧 、出 典 な ど は 明
大 ﹄。司 会 者 が ﹁水 ゆ る けれ ば魚 大 き い﹂
人 方 の 論 調 だ った 。
回 り 、渡 辺 氏 が 善 戦 し た 、と いう の が
予 想 に 比 べ、宮 沢 氏 の得 票 が大 き く 下
自 民党総裁 候 補 者 連続 記者 会見
意 ﹂発 菖 以 後 、様 相 が ⋮変 し た 今 回 の
の バ ン フ を 持 ち 込 ん だ ..
.
塚 氏 は 、あ え
会 閉 幕 を 受 け て 、.五 日 には 宮 沢 喜 一.
兀
な が ら 附必 勝 ﹄と 署 名 し た 、司 会 者 か ら
て キ ャ ッ チ フ レ ー ズ は 警 か ず に .笑 い
スト ラ イ プ ﹄を プ レ ゼ ント さ れ る と 、
と あ って 、表 情 は 終 始 穏 や か .﹃紺 地 の
ち 、
几 月三 ﹁U の 海 部 首 相 の ﹁重 大 決
臼 民 党 総 裁 選 挙 。卜 月 四 日 の 臨 時 国
副 総 理 .渡 辺 美 知H雄 .
兀政 掴剛Aム長 、一
二塚
・
,
紺 地 に角 の ド ット
ネ ク タイ で 、私 は 常 に愛 用 し て いま す ﹂
﹁︹
ク ラブ か ら いた だ いた )何 本 目 か の
博 前 政 調 会 長 の "3 M "が 正 式 に 出 馬
﹁(総 裁 選 の )届 け 出 の 時 と 投 票 の 時 、
と相 妊を く ず し た 。
"を 渡 さ れ る と 、
こ の ネ ク タ イ を し て が ん ば り ま す ﹂ヒ
のと お り で 、第 .回 投 票 で 宮 沢 氏 が 過
皇7〔[人
く
を 表 明し た。
ク ラ ブ で は 、十 加 B の告 示を 前 に 連
サ ー ビ ス し た (後 日 、会 員 か ら コク ラ ブ
タ イ で は な か った よ う だ ﹂と の 声 が 寄
さ て 、一.,七 日 の投 票 の結 果 は ド 表
続 会 見 を 行 い、各 候 補 折 から 総 裁 選 に
臨 む決 意 、他 候 補 者 と の政 策 の相 違 な
半 数 を L 回 る 一.百 八 レ 丘 票 を 獲 得 、
(9)
せ ら れ た が ⋮ ⋮ ).
.
}1け富室
除
1抽男隻4を
ll}席24〔1人
ど を 語 って も ら った .
川1・正
響一一誠 委 昊ミ
第 卜 五 代 総 裁 に .た だ し 、投 票 11 前 の
百1≦∼
三 番 目 の 宮 沢 氏 の 署 名 は 、・
.
水 寛 魚
日}席∫17【[入
会 兄 の内容 に つ いて は各紙 に譲 る
ゴ
可 幽奇{守 ・ ・
摸1二委 貝
こ と にす る が 、紀 八,
心署 名 は 次 の と お り
で 、"で き た て ウの ク ラ プ タイ を プ レ ゼ
ント し た ヒ こ ろ 、=,入 三 様 のデ ザ イ ン
を 選 ん だ 、いみ じ く も 各 八 の.違 い 〃が 、
会 兄前 に明 ら か にさ れ た格好 と な っ
た 。以 ド 、裏 話 を 。
責任と実
ま ず は ト ップ バ ッタ ー と し て 登 場
し た 渡 辺 氏 。﹃本 音 と 決 断
行 ﹄のキ ャ ッチ フ レ ー ズ に 、﹁
.
道 は近 き
に あ り`
・
と付け 加 え た (
会 見 終 了 後 ﹁道
じ ゃし ょう が な いな 。(総 理 の)いす じ
ゃな いと な ﹂シ一.
可
.
[った Aム昌只が いた よ ・
つ
だ が ⋮ )。ま た 、渡 辺 氏 は ふだ ん 芦 田 淳
の ネ ク タ イ を 愛 用 し て いる そ う だ が 、
三 本 の ク ラ プ タ イ を 提 示す る と 、迷 わ
月1、
司 ニセ
河つ1卜.[≦セ詞覧`し唱匡`ま、 非塗5衷 裂悲 数395ぴ)う
田 畑 光 水 委貝
司会
昔会見
10.lll金1記
己名`≦奇 多
己
1〔」,呂r、'火Ll言
記 名』
ゴ≧レ↓
1り.7【
ト
ス
ゲ
ブ
ラ
ク
ト
ス
ゲ
ブ
ラ
ク
三井
恒夫 東京電力最 高顧問
大 気 中 の C O 2 濃 度 は 、 こ の =.卜
年 間 、 毎 年 . ・五 P P m ず つ増 え 、
同 じ よ う に気 温も 上 昇 し て いる が、
﹁私 自 身 、 C O 2 の 増 加 と 温 暖 化 の
因 果 関 係 は 、 必 ず し も は っき り し な
いと 思 って いる 。 し か し 、 エネ ル ギ
ー を 供 給 し て いる 企 業 の 務 め と し て、
C O 2 を い か に軽 減 し て いく か 、 研
究 ・実 践 し て いかな けれ ば いけな い﹂。
オ ー パ ー ヘ ッド プ ロ ジ ェ ク タ ー を
使 って 、 C O 2 軽 減 対 策 を 説 明 。 そ
の 中 で 化 石 撚 料 エネ ル ギ ー を な る べ
く 使 わ な い よ う に す る こ と (省 エネ に
努 め る こ と )、 エネ ルギ ー 効 率 を 高 め
る こ と、 な どを 強 調 す る と と も に、
C O 2 の海 洋 処 分 や バイ オ 技 術 によ
る 固 定 な ど 、 現 在 の技 術 開 発 の現 状
を 分 か り やす く 説 明 し た 。
排 ガ ス か ら CO 2を 分 離 す る 技 術
う で 、 ﹁東 電 ・横 須 賀 火 力 発 電 所 の
す る ﹂と 。 大 西 洋 に 向 け て いた 顔 を 太
業 基 盤 整 傭 に日本 から の 融 資 を 期待
平 洋﹁に も 向 け る と いう の が 基 本 姿 勢
C O 2 総 An研 究 施 設 で は 、 今 年 中 に
も 分 離 実 験 を 開始 す る 。 興 味 のあ る
の よ う で 、 ﹁我 々に と って H 本 は 一番
大 き い 重 要 な ド ア だ ﹂。
最 大 の社 会 問題 は麻 薬 。 経 済支 援
一連 の 経 済 不 祥 事 の .
原 因 と し て①
り 、 現 在 会 長。
いう 質 問 に は、 ﹁我 が 国 の 人 々は 何 r
{
昌セ 導 の 固 定 的 規 制 、 ② 企 業 人 の モ
を す る と し ても そ の点 が気 が かりと
久 々 の秋 晴 れ . ﹁両 国 の 国 旗 が 、 東
年 も の 間 コカ を 栽 培 し 害 の な い形 で
ラ ル欠 如 、③ 日本 社 会 の不 透 明体質
ポ リピ ア
方 は 見 学 に来 てほし い﹂ と P R も忘
れ な か った 。
ハ イ メ ・パ ス ・サ モ ラ
京 の 空 に 翻 る のを 見 て と て も う れ し
使 って き た 。 そ こ に 麻 薬 と し て の コ
な ど を あ げ る 。 ﹁時 代 の 変 化 に 日 本 の
大統領
い﹂ と [ 火 を 切 った 。 独 電 以 来 百 六
カ イ ン が 外 か ら 入 って き た 。 コカ が
国 、 加 工 ・販 売 す る 国 、消 費 す る 国 す
麻 薬 問 題 は、 原料 の コカ を 栽 培 する
い 。 フ ラ ンス革 命 の自 由 、 .
平 等 (・公
日 水-的 な 倫 理 感 覚 だ け で は 通 用 し な
欧 米 諸 国 と 同 じ 上 俵 に の る た め には 、
制 度 ・慣 行 が 合 わ な く な って いる 、
年 前 、 政 敵 の仕 組ん だ 航 空 機 爆 破 嘱
べ て の 国 の共 同 責 任 で あ り 、世 界 的 に
正 )、 博 愛 → 社 会 還 元 )の 精 神 を U
"悪
故 に 遭 い、 重 傷 を 負 ・
り。
考 え な け れ ば な ら な い ﹂と 匁口え た 。
た ボ リ ビ ア だ が、 大 統 領 自 身 も 十 .
安 定 。 経 済 も 徹底 し た 緊 縮 財 政 や輸
コ カ 生 塵 農 民 は 、 三 卜 ∼四 十 万
だ が八 二年 の民政 移 欺
官後 、 政 情 は
入 自 由 化 な ど で、 年 率 二 四 、 ヒ ○ ○
人 。﹁他 の 作 物 への 転 換 を 促 す た め に
の 問 い に は ﹁政 治 改 革・と コ メ 問 題 ﹂と
新 政 権 が取 り組 む べき 課 題 は、 と
本 企 業 も 目 指 す べ き ﹂。
% (八 五 年 Vと いう 超 イ ン フ レ を .O
も 、 ま ず 資 金 が 必 要 ﹂と 訴 え た 。
代 表 幹 弘 に 就 任 し て ち ょう ど 半
問 題 で は欧米 が求 め る 関 税 化 に後追
な く て は いけ な い﹂。 コ メ の 市 場 開 放
竺口え 、 ﹁ど こか で 思 い 切 った 改 直 を し
年 。 ﹁ス タ ー ト 直 後 か ら いろ いろ "た
い 的 に 乗 って いく こ と を 懸 念 。 ﹁これ
経済 同友 会 代 表 幹事
た か れ " ま し て⋮ ﹂。 目 銀 に は .
..
重野
ま で の・
ゼ張を 繰 り 返 し て いたら 、 ガ
優
整 備 や 、 中 南 米 へ の 天 妖一ガ ス 供 給 パ
総 裁 と 同 期 で 入 行 、 =.
十 四 年 間 "通
ット で の リ ー ダ ー シ ップ を 失 う 。 タ
太 平 洋 への臨 口と な る 幹 線 道 路 の
イ プ ライ ン建 設 計 画 な ど を 語 り、 ﹁産
貨 の 番 人 力 に 携 わ った 。 固 定 相 場 制
イ ミ ン グ を 失 せず 政 治 決 断 す べき だ ﹂
記 念 著 名は 一
、
上 の器 ﹄。 ﹁大 きな 家 に
か ら 変 動 相 場 制 に 移 行 し た 当 時 の内
速 水
% 台 に収 束 、 混 乱状 態 を 脱 し た 。
力 と な った のは 外 的 要 因 によ る。
十 年 間 に百 九 十 回も の政 変 を 経 験し
出 席52八.
と 述 べた 。
書 も あ る。そ の後、 日 商 岩 井 に移
(1ω
藤 原f乍 弥 委 貝
司会
食会
10.25(金1昼
幕 を つ づ った ﹃海 図 な き 航 海 ﹄ の著
出 席6{,人
ま買ナ
寛 と 手支循L〔1)
と し て は 、 吸 収 法 (化 学 的 分 離 )と 吸
通,」く 横 田 佐 知r・
究会
0,16髪 水1研
着法 (
物 理 的 分 離 )の 二 通 り が あ る そ
遠 藤 勝 巳理 事
司会
者 会 見
1〔1.18〔金}記
佳 辰委 貝
堤
il会
第261号
1991年11月10日
良r窩'43ノ 、
第261号
1991年11月10日
も ら し 、 続 け て ﹁口 本 の 国 会 の 制 約 は
ぐ に 国 会 で 答 弁 し た こ と も あ った ﹂と
日 の ク ー デ タ ー の前 と 後 で は 、 明 ら
ド を 交 じ え て ケ解 説 " し 、 ﹁八 月 十 几
れた 。
比 ゆ と ユー モ アを 巧 み に ち り ば め 、
か に 日 本 に 対 す る 見 方 は 変 わ った 。
は金 銀 だ け でな く 、木 や ヒ の器 も あ
る 。 も し 入 が 卑 し いも の を 取 り ー
3一り
本 当 にキ ツイ, 外交 担 当 責 任 者 に、
ひ ん 度 を よ り 一層 多 く す る 必 要 が あ
ソ連 の文 学 . 政治 、社 会 , 経 済 に つ
い い と い う )自 山 な 時 間 を 与 え る こ と
る ﹂と 結 ん だ り
今 後 、 指⋮
導 者 間 の接 触 、 意 兄 交 換 の
﹁我 々 は 多 .
兀ト 義 を 求 め て き た が 、
は 、 国 益 にかな う と 思 う 。 こ の こと
・
目 分 を 清 め る な ら 、 そ の 八 は 尊 い漁佃
共 和 国 単 位 で の通 貨 の 多 .
兀性 は 、 ル
を 率 直 に ヰ.
口い た か った ﹂。 声 が 大 き く
(
外 田門訪 ⋮
⋮
凹⋮
Tは 国 ム試P睡山山席 丁しな /、ザ、
JU
ー プ ル の交 換 性を 確立 す る う え で脅
な った 。
いて 興 味 深 い 発 .
.
臼が 聞 か れ た ,
威 ヒ な る ﹂ ﹁ゴ ル バ チ ョ フ の 欠 点 は 、
めら れ た 器 と な って、す べ て の善 業
を そ な え た も の と な る ﹂, 聖 書 の テ モ
テ後 書 か ら の 引 用 だ った 。
イ フ ゲ ニ イ ・ア レ ク サ ン ド ロ ビ ッ
激 動 す る 国 際 惰 勢 を 振 り 返 って 、
﹁ヒ リ わ け ソ 連 に つ い て は 、 就 任 当 初
白 分 よ り 賢 く な い氏 に 囲 ま れ て いる
の が 好 き な こ ヒ . エリ ツ , ン の 長 所
に は 想 像 も つか な い変 革 が け わ れ
外相
始 め 、 ソ 連 と の交 渉 経 過 を エ ヒ ソ ー
た ﹂。 ヤ コ プ レ フ の 訪 11 (,
八・
几年・
}か ら
は 自 分 柔 り 優 れ た尺 に囲 ま れ る こヒ
を 恐 れ な い点 ﹂ な ど な ビ 。
﹁ク ー デ タ ー に つ い て い ろ い ろ な
報 道 が で て いる が 、 あ の ヒ 十 二 時 間
は 本 当 に 危 険 だ った ﹂。 そ れ ま で柔 和
太郎
だ っ た 表 情 が 一瞬 険 し く な った 。
中 山
副 総 理 兼 外 相 に渡 辺 美 智 雄 ∴ 疋政
調 会 長 が 確 定 . と の報 道 が 流 れ る 中
で の会 見 。
ま ず は 、 ﹁外 相 と し て こ れ ほ ど 厳 し
く 過 酷 な 時 代 は な か った の で は ﹂と 述
懐 し 、 ﹁こ の 一.
年一
一
.
か月 で、 地 球を 十
丘 周 半 回 り 、 三 分 の .は 海 外 出 張 、
ま る で ウ国 際 宅 急 便 の よ う な 生 活 "
だ った ﹂と 、 珍 妙 な 造 語 で 形 容 し た.
﹁自 分 の 体 力 に限 界 を 感 じ た こ と も
﹁イ ン デ ィ ペ ン デ ン ス ﹂
1
,月 八 日 (火 ). 鉦 十 八 が 参 加 し
て 米 空 母
︹排 水 墳 八 万 ト ン 、 全 長 .
、一.一六 メ
ー ト ル )を 見 学 し た 。
あ いにく の雨 模様 の中 、 午 後 .
時 米 海 軍 横 須 賀 基 地 正 面 ゲ ー ト に
焦へA12, ス パ ン 報 道 次 長 の 案 内 で 、
一時 間 、 狭 く 急 な 艦 内 の 階 段 を
ポ ツ ン と 置 か れ て いた 。
格 納 庫 に は バ ス ケ ット の ゴ ー ル が
艦 載 機 の姿 はな く 、 ガ ラ ンと し た
訓 練 の た め か 主 力 の F 14 を は じ め .
ブ リ ッジ (写 真 Vな ど を 見 て 回 った 。
登 り 降 り し て格 納 庫 、 飛 行 甲 板 、
約
δ ノ\
鮭∼F桑
∫1け
呂.ゴミト↓
賦1.31〔1、1,i己
チ ・エ フ ト シ ェン コ氏
こ の 八 月 の 一日 は / 詩 歌 と 伝 説 で
称 賛 さ れ る だ ろ う ⋮戦 車 の わ き で良
心がよみが・
凡 って く る / 戦 車 の ヒ に
は エリ ツ ィ ン が 仁 王 疏 ち ・
:( ﹁八 月 卜
九 日 ﹂よ り ∀
八 月 二 十 日、 ロシァ共 和 国 議 事 堂
前 の反 ク ー デ ター 集会 。 エ フト シ ェ
ン コ 氏 は 自 作 の こ の詩 を 朗 読 し た 。
一九 三 }
.一
年 生 ま れ の五 十 八 歳 , 高
校 、 大 学 と も "退 学 "さ せ ら れ た た
め 阜 業 証 書 は 持 た な い。 四 九 年 初 め
て の詩 隼飛ヰ﹂発 表 。 以 来 、 小 説 家 、 映
画 監 督 、 写 真 家 な ど 七 つ の職 業 を 経
た び た び で 、 ア メ ーー カ か ら 帰 っ てす
(1D
窪奉 川 委鬼1亘 委 蛋4
rllfミ
∼.
[⇔、29汰;,{1].名'f?ら
験 、 八 八 年 に は人 民代 議 員 に選 出 さ
イ ンデ ィペ ンデ ン ス
見学 会
十く1巧
リ バ[
通IJく
奏 玉工
郎
嘔i:友
、
・
陰fl・
ト
ス
ゲ
ブ
ラ
ク
出11?;61へ
○ 囲碁 の会 ●
-,月 の 例 会 は 二 十 六 日 (土 )。 レ 九
名 が 集 ま って 、 ク ラ ブ 宴 会 場 で 行 わ
れま し た 。
成 績 .優 秀 者 は 石 僑 俊 彦 六 段 、 川 本
ゴ ル フ コー ス で 行 わ れ 、 渡 辺 圭 介 会
員 (K B S 京 都 )が 、 ア ウ ト 48 、 イ ン
53 の 1
01 、 ハン デ ィキ ャ ップ 31 の 70 で
初 優 勝 し た。
会 員 の 著 書 (ご恵 贈 いた だきました}
ア メリ カ のジ ャー ナ リ ズ ム
團
23 )
10 ・27 - 11 ・
第 八 回中 南 米 記 者 研 修
(F P C
ボ ーー ビ ア V
A ・ D ・ト
M ・F ・ ウ ー リ ッ チ ︹ラ ・ ナ シ
オ ン紙
ア ル ゼ ンチ ン)
藤田
ー レス (
ブ レ セ ンシ ア紙
博司
五八 〇 円 )
F ・ S ・ フ ァ ガ (ガ ゼ タ ・メ ル カ ン テ
(岩 波 新 書
ド ナ ウ河 紀行
こ の 11 は ..
十 一人 が 熱 戦 を 繰 り 広
げ た が 、 未 明か ら の雨 が続 き 、 スタ
N ・R ・ エ ル ナ
ン デ ス ・ マキ ロ ン ︹
プ レ ンサ ・リ ブ レ
ブ ラ ジ ル)
加藤
・ポ サ
紙
ホ ンジ ュラ ス V
グ ア テ マ ラ )F ・フ エ ル ト
五八 〇 円 )
ス (エ ル ・ エ ラ ル ド 紙
メ キ シ コV
C
・グ テ
M ・A ・ビ ネ ー ダ ・オ ル テ ガ (エ ク セ
ルシオー ル紙
ニ
S ・パ ス ケ ス ・ロ ア イ サ
イ エ レ ス ・タ ピ ア (ラ ・プ レ ンサ 紙
カ ラグア)
ペルー )
朝 日 新 聞 社 か ら ﹁ル ー
(エ ク ス プ レ ッ ソ 紙
十 月 .一卜 八 日
プ ル美 術 館 特 別 展 ﹂ の
子 山 の各 委 員 。
第 82 回 施 設 運 営 委 員 会
(10 ・31
第 2会 議 室 ︺
招待 券を ご 恵 贈 いただ き ま し た 。
佑 ・韓 國 言 論 会 館 常 任
柳善
オ マー ン大 使 館
N H K 放送 文 化 研究 所
書
稚彦
ノア紙
贈
(岩 波 新 書
-東 欧 ・中 欧 の 歴 史 と 文 化 ー
前 半 は 、 吉 岡 秀 夫 氏 が 41 、 近 浪 廣
糊
理事
第 撚回会 報 委 員 会
の各 委 員 。
瀬、 大 塚 、 出畑 、 中 村、 柴 崎
奇 宇 卓 ・同 ↓.
口論 事 業 部 長
O M A N 9ー
N H K 年 鑑 91
寄
ー ト 時 は .霧 雨 (午 後 は L が った )。
な お 、 規 定 によ り 細金 正 人 、 田中
氏 が 42 と 飛 び 出 し た が 、 渡 辺 氏 が 前
和 孝 、 大 久 保啓 一
.一
の.
両 四 段 で し た。
信 義 の 両 氏 が 二 段 に昇 段 さ れ ま した 。
後 半 と も 無 難 にま と め 、 優 勝 の 栄 冠
渡 辺 圭 介 会 員 の 話 H日 本 記 者 ク ラ
た え て 、 懇親会 が行 わ れ た。
プ レー 終 了後、 お 互 いの健 闘 を た
三 位 は 近 浪貞 予氏 。
準 優 勝 は坂 井 田几 美 雄 氏 (
東 電 )、
を か ち と った 。
次 回 の 例 会 は 十 一月 一
二十 目 ︹L )午
後 一時 か ら 。 ア マ チ ュア 囲 碁 界 の第
一人 者 、 菊 池 康 郎 氏 を 招 い て の 指 導
対 局 を 予 定 し て いま す 。
● ゴ ル フ の会 ●
渡 辺 会 員 (KBS京 聾 が 初 優 勝
ブ の コ ン ペ に優 勝 で き て 、 本 当 にう
れ し い。 ﹁生 の 思 い 出 に し た い。
第 五 十 八 回 ゴ ル フ会 は 、 ク ラ ブ 創⋮
立 記 念 日 の ト 一月 一日 (金 )、 武 蔵 丘
出 席
内 、 田 所 、 岩 田 、 後 藤 、 酒
11 、 藤 原 、 河 崎 、 田 畑 、 川
細 野、 飯沼 、 江 藤 、 石 川 、 江
圏会議 報告口
第 憎 回 企 画委 員会
大 会議 室∀
∼ 一月 五 日 )を 決 定 し た ほ か 、 ア ラ ス
︹10 ・8
井 、 堤 の各 委 口
貝。
十 一月 号 の 編 集 に つ い て協 議 し た
カお よ び貸 室 の売 リ上 げ に つ い て事
宮 地 、 八 木 、 田中 の各 委 員 。
年 末 年 始 の 休 業 (十 二 月 .一卜 八 日
委 員交 代 (
読 売 ・阿 部 義 正 氏 か ら
第 ㎜回 会 員資 格 委 員 会
後 、 明 年 一月 号 の ﹃新 春 随 想 ﹄ を 坂
深川 委 員 長 。 山 崎 、 川.
戸、 宝
(P ・9 第2会議 室 )
飯 沼⋮
健㍗具 氏 )を 了 承 、 剛回 以 降 の行
︹10 ・8
務 局 か ら報 告 し た 。
第 2会 譲 室 )
事 を 報 告 し た 後、 十 月 以 降 の ク ラプ
本 朝 一会 員 ︹N H K 名 誉 顧 問 Vに 依 頼
十
一月 一H 付 の 会 員 入 退 会 を 審 議
ゲ ス ト に つ いて 協 議 し た 。 終 了 後 、
出席
し 、 理 事 会 へ答 申 し た 。
出席
す る こと に決 定 し た 。
プ ッ シ ュ小 委 員 会 を 開 き 、 対 応 策 を
出 席
松 下委 員 長 。 羽原 、播 谷、 村
検 討 した。
(12)
第261号
1991年11月10日
1991年11月10日
第261号
111
1991年11月
Il
工0日
第261号
第261号
1991年11月10日
刻 一刻 、 上 昇 し て 来 る 水 位 を 眼 に す
る 時 の 、 あ の 金 縛 り にあ う よ う な 恐 怖
こ の 秋 の ヒ つ の台 風 で 、 西 湖 糊
て も 伊 勢 湾 台 風 を 思 い出 し て し ま う 、
いう 写 真 を み る と 、 私 と し て は ど う し
辺 がそれ を 味 わ わさ れた のだ が 、 こう
感
あ れ は 昭 和 三十 四 年 で、 ㌦
.
日本 の素
顔 ﹄と いう N H K の ド キ ュ メ ン タ リ ー シ
リ ー ズ が 始 ま っ て 閻 も な く で あ りた .
屋 の 競 馬 場 ち か く で 一.
卜 時 間 、 こ のリ
ポ ー タ ー 氏 よ り も ず っと 深 く . 水 に つ
か った ま ま で 撮 影 を 続 け た 。 舟 も な く
移 動 す る 手 段 が な か った か ら 、 い っそ
定 点 観 測 に し よ う と 、 カ メ ラ マ ンと 水
の中 に 並 ん で 動 か ず 、 す ぐ 前 を よ ぎ る
た く さ ん の 悲 惨 な も の の 姿 を 撮 った の
であ る 、
し か し 、 こ の人 が は いて い る よ う な
り っぱ な ゴ ム の ズ ボ ンも な か った し 、
こ ん な き れ いな 水 でな く 、 お そ る べき
ド ロ 水 だ っ た か ら 、 終 わ った 時 は 体 中
ふ や け 、 か ぶ れ て ひ ど い 目 に あ った 。
お ま け に 東 京 へ帰 った ら 、 神 田 川 が
あ ふ れ て 石 切 橋 のわ が ア パ ー ト は 水 び
た し 。 妻 チ が 被 災 者 に な って いた 。
げ に 、 治 水 ほ ど 大 事 な も の は な い.
(吉 田 直 哉 V
(15)
艶 姦構r戴86年)
東 京 か ら カ メ ラ マ ンと 駆 け 付 け 、 名 占
刻 一 刻 の 水 位
公雅e騨
間山
写真
九 二 年 度 ﹁日 本 記 者 ク ラ ブ 賞 ﹂の
筆 、 ネ ク タイ 、 タ イ ピ
ク ラ ブ で は、 万 年
デ ータ を 使 って 作 成 、 判 を 大 き く し ま し た 。 落 ﹁ 、
春導 入 し た 会 員 事 務 のオ フ コ ン に 入力 さ れ て いる
新 し い会 員 名 簿 を 十月末 に お 屑 け しま し た。 今
新 し い ﹁会 員 名 簿 ﹂を ご 確 認 く だ さ い
◇ 取 材 、 報 道 、 評 論 活 動 な ど を 通 じ て、 ジ ャ
ン セ ット . ボ ー ル ペ ン
乱 r があ り ま し た ら 、 お取 リ か え いたし ます 。
ペ ー パ ー ウ エー ト を 作 製
ー ナ リ スト と し て 顕 著 な 業 績 を あ げ 、 ジ ャ
な ど を ゲ スト に プ レ ゼ
また 、 会 口
員名 簿 の デ ー タ は 会 報 や コ会 合 の お 知
新し い記念品ー
ー ナ リズ ムの信 用と 権 威 を高 めた個人 を 、
ン ト し て いま す が 、 こ
候補 者 を ご推 薦く だ さ い
明 年 ﹁目 .
一.
レ 一日 ま で に 候 補 と し て ご 推 薦
ら せ﹂ のあ て 名 ラ ベ ルと 連 動 し て お り ます 。 誤 植 、
事
ヒ○ 入
一.
、 八 一〇 入
試 写 会 ﹃ロ ケ ッ
(5 日 現 在 v
二 二 一.社
特 別 賛助会員
法 入 ・個 人 替八
助
基 本 会員
変 更等 が あ り ま し た ら ご連絡 願 いま す .
の ほ ど ヒ 宝 ・
人り の ぺ ー
こ の ペ ー パ : ウ エー ト は 、 直 径 六 〇 ミ リ 、 厚 さ
.四 几 社
の 行
計
二三 八人
一、 六 丘 五 入
法 入会員
個 八 A云"
貝
会員 現 況
四八
七.
二社
一 月
= 二人
会員
名誉 会員
十
20 日 ︹水 )午 後 6 時 ∼ 7 時 40 分
誠
金林 正義
川.
戸恵 子
委 員 ・宝 子 山 幸 充
一
〇 =一ー =⋮
丘 〇 一ニ ー..
.卜︼⊥ハ四日︺
テ ィ ア﹄
︹
行 童F案 内 電 話
会 報 委 員 長 ・深 川
山 崎英 祐
河野
〇 三 -三 五 〇 三 - 二 七 二 二 ︺
事 務 局 連 絡 "長 谷 川
︹電 話
八.
二
く だ さ い。
現 役 ジ ャー ナ リ ス ト 個 入 に 与 え ら れ る 賞
κ ミリ の 銅 を 下 地 と し 、 表 は 金 メ ッキ で "N K C 瑠
バ ー ウ エ ー ト (写 真 )を 作 製 し ま し た 。
で あ る 。 (現 役 と いう 意 昧 は 現 に活 動 し て
NAT 1
C L U B ﹂の文 字 が 入 っ
﹃と っ て お き の 話 ﹄ を お 分 け し ま す
P RESS
の シ ンポ ル マー ク 、 裏 には ﹁J A P A N
0NA﹂
て いま す 。
単行本
現 役 時 代 の 取 材 ・報 道 上 の 思 い 出 、 エピ ソ ー ド
の話 ﹂ は 、 本 誌 の閲 読 率 の 中 で も 常 に ト ップ を 占
を 随 想 風 に ま と め て い た だ い て い る ﹁と って お き
そ の 存 在 お よ び 業 績 が 、 ジ ャー ナ リ ズ ム
め て い ま す 。 と こ ろ で、 こ の ﹁と って お き の 話 ﹂
業 績 が 顕 著 であ る こ と が重 視さ れ る。
ス ク ー プ 賞 で は な く 、 特 に最 近 数 年 間 の
嘗滑 で ・
もな い。
こ ろ で 活 動 し て いる と いう 意 昧 で の "風 雪
老 賞 " で も な く 、 目 の 当 た ら な い困 難 な と
活 動 が 長 期 に わ た る と いう 意 昧 で の "敬
いる と いう こ と で 、 故 人 は 対 象 と し な い )
◇ ﹁選 考 基 準 ﹂は 左 記 の 通 り で す 。
①
②
偶
柳
の活性 化と 成 熟 にイ ンパ クトを与 えるよ う
が 単 行 本 に な って いる こと を ご 存 じ で す か ? ク ラ
﹃日 本 記 者 ク ラ プ
こ れ ま で 二 巻 刊 行 し て いま す 。
ま た 、 新 規 会 員 の中 には
﹃ゲ ス ト サ イ ン集 ﹄ を お 持 ち で な い
ご希 望 の 方 は 、 事 務 局 (三 五 〇 三 - 二 七 二 二 )へ
方 も い ら っし ゃ る よ う で す 。
ー
.年 の歩 み ﹄
ニ
ブ の 創 立 記 念 行 事 の 一環 と し て ま と め た も の で 、
な 個 人 を 顕彰 す る 。
◇ 会 員 お よ び プ レ ス会 員 社 に 属 す る方 々 が 候
補 有 資 格者 です 。
◇ 推 薦 者 は 所定 用紙 に 記 入 し、 推薦 理由 、
参 考 資 料 を 添 え て 提 出 願 いま す 。
◇ 詳 細 に つき ま し て は 、 事 務 局 へお 問 いA口わ
せ く だ さ い。
お 申 し 出 く だ さ い。
(16)
第261号
1991年11月10日
Fly UP