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映画研究の再検討 - Publications

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映画研究の再検討 - Publications
映画研究の再検討
序
︿研 究 ノ ー ト ﹀
映 画 研 究 の再検 討
再 発 見 さ れ た ﹃武 士 道 ﹄ の位 置 づ け を 例 に し て
小
川
順
子
に焦 点 を当 て、 ﹁京 都 か ら 世 界 ヘ
チ ャ ソバ ラ映 画 ﹂ と掲 げ ら れ た。
催 さ れ た。 こ の度 の テ ー マは 近年 ブ ー ム にな り つ つあ る チ ャ ソバ ラ
祭 で 特 別 上 映 さ れ る こ と にな った。 日 本 で最 初 の本 格 的 な 国 際
士 道 ﹂ の フ ィ ル ムが ロ シ ア で見 つか り 、 九 月 の第 四 回京 都 映 画
日 本 と ド イ ツが 共 同 製 作 し 、 一九 二 六年 公 開 さ れ た映 画 ﹁武
一九 二六 年 映 画 ﹁武 士 道 ﹂
三 つ の会 場 に分 か れ て多 く の映 画 が 上 映 さ れ たが 、 中 でも ﹁特 別 上
合 作 映 画 と み ら れ る。 同 映 画 祭 実 行 委 員 会 と東 京 国 立 近 代 美 術
﹁日 本 最 初 の国際 合 作 を発 見
映 作 品 ﹂ と し て東 京 国 立 近 代 美 術 館 フ ィ ル ム セ ンタ ー より 再 発 見 さ
館 フ ィ ル ム セ ン タ ーが 十 一日 発 表 し た 。
二〇 〇 四 年 九 月 十 八 日 か ら 二十 六 日 ま で、 第 四 回京 都 映 画 祭 が 開
れ たぼ か り の 日独 合 作 映 画 ﹃武 士 道 ﹄ が 公 開 さ れ る こ と に な った 。
を 、 同 セ ンタ ー研 究 員 らが 確 認 し た 。
ロシ ア国 立 映 画 保 管 所 にド イ ッ映 画 と し て保 存 さ れ て いた の
道 ﹄の上 映 は、第 四 回京 都 映 画 祭 の目 玉 と し て取 り上 げ ら れ た感 が あ
﹁武 士 道 ﹂ は 二十 年 代 に活 躍 し た賀 古 残 夢 と 、 ド イ ッ の ハイ ン
そ し て、 公 開 記 念 シ ンポ ジ ウ ムも 併 せ て 開 催 さ れ た 。 こ の ﹃武 士
る。 映 画 祭 に先 立 って宣 伝 さ れ た 新 聞 記 事 を 二 つ例 に挙 げ て み よ う 。
ツ ・カ ー ル ・ ハイ ラ ントが 共 同 で監 督 し た 八 十 三 分 の無 声 映 画 。
鉄 砲 伝 来 を モ チ ー フに、 日 本 に流 れ着 い た外 国 人 が 戦 乱 に巻 き
ま ず 、 映 画 祭 が 開 催 さ れ る 地 元 の京 都 新 聞 に は、 次 の よう に書 か
れ ている。
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込 ま れ る時 代 劇 。 岡 島 艶 子 や ド イ ッ人 俳 優 らが 出 演 し、 京 都 の
東 亜 キネ マ等 持 院 撮 影 所 で製 作 さ れ た 。
国 際 合 作 映 画 と し て は 、 原 節 子 さ ん主 演 の日 独 合 作 ﹁新 し き
監 督 は、 独 の ハイ ン ツ ・カ ー ル ・ ハイ ラ ント と 日本 の賀 古 残
夢 。 岡 島 艶 子 、 明 石 潮 が 出 演 し て い る。 日本 に漂 着 し た 異 国 船
の将 校 が 、 彼 を 客 人 と し て招 いた 大 名 に鉄 砲 や 火 薬 を 伝 え る物
同 セ ン タ ー の常 石 史 子 研 究 員 は 、 ﹁武 士 道 を 海 外 に宣 伝 す る
語 にな って い る。
の十 年 以 上 も 前 に撮 ら れ た が 、 公 開 以 降 は フ ィ ル ム の所 在 が 不
目的 で作 ら れ た 映 画 。 日 本 の名 所 を紹 介 し、 腹 切 り や芸 者 も 描
土﹂ (三十 七年) が こ れ ま で 最 初 と さ れ てき た。 ﹁武 士 道 ﹂ は そ
明 で内 容 も は っき り し な か った と いう (共 同通 信 )﹂ (京 都 新 聞
か れ て い るが 、 意 外 に ち ゃ んと でき て い る﹂ と いう 。
ユ 映 さ れ る。 東 京 で の上 映 は 二〇 〇 五年 春 の予 定 ﹂ (読売 新聞 二〇
﹁武 士 道 ﹂ は、 九 月 二十 日 に、 ﹁第 四 回 京 都 映 画 祭 ﹂ で 特 別 上
二〇 〇四年 八月十 一日)
次 は 、 そ の約 二週 間 後 に発 行 さ れ た読 売 新 聞 か ら であ る。
京 都 映 画 祭 公 式 H P に よ る 確 定 し た情 報 発 信 や チ ラ シ等 、 ﹃
武士
〇 四年 八月 二十 七 日)
東 京 ・京 橋 の東 京 国 立 近 代 美 術 館 フ ィ ル ム セ ン タ ーが 、 一九
道 ﹄ に 関 す る上 記 以 外 の情 報 が 出 回 った の は、 九 月 以 降 であ る 。 も
﹁日 独 合 作 ﹁武 士 道 ﹂ を収 蔵 ⋮ ⋮ 一九 二 五年 作
二 五 年 に 日 ・独 で合 作 し た無 声 映 画 ﹁武 士 道 ﹂1
1写 真 11 を 新 た
ち ろ ん 、 実 際 に フ ィ ル ムを 目 にす る⋮
機会 も 九 月 二 十 日 を 待 た な く て
の割 合 で フ ィ ル ムが 失 わ れ て い る。 断 片 す ら も 発 見 さ れ な いも のも
過 去 に 製 作 さ れ た 日 本 映 画 (と り わ け無 声 映 画 時 代) は、 か な り
て言 及 し たも のは ほ と んど な いよ う に思 わ れ る。
ヨ 数 々出 さ れ て き た 日 本 映 画 史 の著 書 に お い ても 、 ﹃武 士 道 ﹄ に つ い
﹃
新 し き 土﹄ が 最 初 であ る と考 え ら れ て い た。 た し か に、 こ れ ま で
新 聞 記 事 に も あ る よ う に、 こ れ ま で 日 本 と 諸 外 国 の合 作 映 画 は
はな ら な か った。
に収 蔵 し た。
同 セ ン タ ー は 一九 九 九 年 か ら 、 ロシ ア に保 存 さ れ て いる 日 本
映 画 の収 集 を 行 って き た。 ﹁武 士 道 ﹂ は これ ま でド イ ッ映 画 に
分 類 さ れ て いた た め、 調 査 が 及 ん で いな か った と いう 。
外 国 と の合 作 映 画 は、 一九 三 七 年 の ﹁新 し き 土 ﹂ (アー ノ ル
ド ・ファ ンク、 伊丹 万作 共同 監督 )が 先 駆 的 作 品 と し て よ く 知 ら
れ て い るが 、 同 セ ン タ ー で は、 ﹁﹃
武 士 道 ﹄ は、 日 本 初 の本 格 的
な 国 際 合 作 で は な い か﹂ と 評 価 し て い る。
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映 画研究の再検討
が でき る の であ ろ う か。
あ ら た な る研 究 対 象 と し て位 置 づ け、 あ る い は アプ ロー チ す る こ と
そ のよ う に し て 再 発 掘 さ れ た 映 画 に 対 し て、 我 々 はど のよ う に接 し、
タ ー のよ う な発 掘 事 業 に専 心 でき る部 門 が 設 置 さ れ た こ とが あ る。
化 し た フ ィ ル ム の再 生 な ど 、 技 術 的 な進 歩 、 あ る い は フ ィ ル ム セ ン
も ち ろ ん、 そ の背 景 に は、 フ ィ ル ムを保 管 でき る 設 備 の確 立 や 、 劣
ら 、 失 わ れ た フ ィ ル ム の発 掘 が 盛 ん に な り だ し た と 言 え る だ ろ う 。
未 だ に数 多 い。 よ う や く 映 画 が 研 究 対 象 と し て の地 位 を得 始 め て か
こ の記 事 に お い て事 前 にど の よう な情 報 を 得 る こ と が 出 来 た の か、
る﹂ と 題 し た シ ソポ ジ ウ ムを 催 す こ と に し た旨 を 伝 え て いる 。 で は、
に も 関 わ って お り 、 こ の 映 画 の上 映 を 挟 ん で ﹁映 画 は 国 境 を 越 え
十 五 日発 行) に て 、 触 れ た 記 事 であ る。 山 根 氏 は京 都 映 画 祭 の企 画
が ﹃キ ネ マ旬 報 二〇 〇 四年 九 月 下 旬 号 (Z。・
一自 ω)﹄ (二〇〇 四年 九 月
メー シ ョン と し て得 る こ とが 出 来 る のは 、 映 画 評 論 家 ・山根 貞 男 氏
簡 単 な あ ら す じが 書 かれ て い るだ け で あ る。 次 に、 詳 し いイ ソ フ ォ
ロ ・サイ レ ソ ト)、 監 督 名 、 長 さ (分 数)、 出 演 者 、 そ し て き わ め て
を 例 に模 索 す る。 未 だ に資 料 が 整 備 さ れ て い な いた め、 結 論 は仮 説
を 、 研 究 対 象 と し てど の よ う に扱 う こ と が でき る か を 、 ﹃武 士 道 ﹄
る。 そ し て、 お そ ら く こ れ か ら も 再発 見 さ れ る であ ろう 過 去 の映 画
に お け る報 告 に触 れ な が ら 、 二〇 〇 四年 現 在 で の位 置 づ け を 確 認 す
の目 に触 れ た のか 。 一般 の人 々も 見 る機 会 を 得 た第 四 回京 都 映 画 祭
見 さ れ た 。 映 画 祭 に先 立 って、 記 者 発 表 後 、 試 写 が 行 わ れ 、 山 根 氏
術 館 フ ィ ル ム セ ン タ ー (以後 、 フィ ルム セ ソタ ーと略 す) に よ って発
を ミ ュン ヘソ映 画 博 物 館 か ら の情 報 を 通 し て知 った 東 京 国 立 近 代 美
と し て分 類 さ れ て い る (日独合 作 映画 のド イ ッ版 であ った た め) こ と
本 に は フ ィ ル ムが 存 在 し て いな い。 こ の たび 、 ロシ ア で ド イ ッ映 画
﹃
武 士 道 ﹄ は当 時 日 本 でも 公 開 さ れ て い た記 録 が 残 って いる が 、 日
山 根 氏 の言 葉 を借 り つ つ、 紹 介 し た い。
に過 ぎ な いが 、 こ れ ま で の映 画 研 究 の方 法 を 振 り 返 り 、 今 後 の課 題
は そ こ で初 め て実 物 を 見 て ﹁大 い に感 銘 を 受 け た ﹂ そ う で あ る。 映
本 稿 で は、 再発 見 さ れ た ﹃武 士 道 ﹄ が ど の よ う に紹 介 さ れ 、 人 々
と あ わ せ て、 再検 討 を 試 み る 。
我 々が 実 際 の作 品 を 目 にす る前 に 、 ﹃武 士 道 ﹄ に つ い て ど の よ う
ンが な さ れ 、 姫 路 城 も 登 場 す る のは い いが 、 途 中 、 鎌 倉 の大 仏
話 の舞 台 は 特 定 さ れ て いな い。 彦 根 城 を中 心 に大 ロケ ー シ ョ
画 解 説 を ふ ま え て次 の よ う に記 し て い る。
な 紹 介 が な さ れ た であ ろ う か 。 九 月 に な って紹 介 さ れ た第 四 回 京 都
が 出 てく る か と 思 え ぽ 、 奈 良 公 園 で鹿 と戯 れ る シー ンも あ り 、
発見された ﹃
武 士 道 ﹄ の紹 介
映 画 祭 の チ ラ シ に は、 公 開 年 、 撮 影 所 、 フ ィ ル ム の 種 類 (モ ノ ク
237
あ げ く に吉 原 ま でが 舞 台 に な る。 架 空 の藩 が デ タ ラ メ に つく ら
な映 画 が 作 ら れ て い た のか﹄ と 驚 いた 、 と いう のが 真 相 で あ る﹂ と
ほぼ オ リ ジ ナ ル に近 い こ と に言 及 し、 ﹁日本 検 閲 で切 除 さ れ た と い
記 し て い る。 ま た 、 日本 検 閲 時 と発 見 さ れ た フ ィ ル ム の長 さ を 比 べ、
合 作 の経 緯 はわ か ら な いが 、 ハラ キ リが 重 要 な 要 素 と し て出
う 記 録 はな い の で、 日本 版 はあ ら か じ め別 の形 で編 集 さ れ て い た の
れ て い る わ け で、 外 国 人 と 日本 人 の会 話 も 自 由 に な さ れ る。
てく る こ と も あ って、 日 本 に対 す る西 洋 人 の好 奇 心 が ベ ー スで
日 本 を 題 材 にし た ﹁エキ ゾ テ ィズ ム映 画 ﹂ は 、 映 画 の草 創 期 か ら
か も し れ な い﹂ と 報 告 す る 。
ラ メ な部 分 が あ る の で、 キ ワ モ ノ め い て見 え るが 、 愚 作 でも 出
各 国 で頻 繁 に製 作 さ れ て いた ら し いが 、 こ の ﹃武 士 道 ﹄ が 製 作 さ れ
あ る こ と は 一目 瞭 然 であ る。 そ れ も 含 め て、 実 に面 白 い。 デ タ
来 損 な いで も な く 、 と き な ら ぬ 外 国 人 の上 陸 に よ って 起 こ る波
る ま で は、 そ れ ら の映 画 は 日 本 人 も 出 て い な け れ ば 、 日本 で撮 影 さ
よ う に述 べ て いる 。
て 、 ﹁か な り 本 格 的 な 国 際 合 作 であ る﹂。 そ し て、 当 時 の様 子 を 次 の
も ﹁日 独 合 作 ﹂ であ り、 実 際 に 日本 で撮 影 が 行 わ れ て い る 点 に お い
紋 、 隣 国 と の戦 、 そ れ を 通 じ て の火 薬 と銃 器 の伝 授 と い った こ
れ てき た わ け で も な か った 。 そ の点 にお い て、 本 作 品 は監 督 も 俳 優
と が 、 あ る 時 代 劇 様 式 のも と に 描 き 出 さ れ て いく 。
サ ム ラ イ ﹄ (二 〇 〇 三) に 通 じ る も の が あ
そ し て 、 ﹁映 画 の中 身 も 素 晴 ら し く 、 ま さ に珍 品 と 呼 ぶ に ふ さ わ
し い ﹂ と 評 し 、 ﹃ラ ス ト
る と感 想 を述 べ て い る。
九 二四年 =
一
後 に触 れ る と し て、 次 に 二〇 〇 四年 九 月 十 八 日 発 行 、 す な わ ち 京 都
に亙 り約 四 千 の常 設 館 を 有 し て い る﹂ ウ ー フ ァと の共 同 製 作 で
(大 阪 朝 日新 聞 京 都 付 録
映 画 祭 当 日 よ り 販 売 さ れ た 公 式 カ タ ログ で の紹 介 を 見 て いき た い と
あ り 、 ﹁忠 孝 と 武 士 道 を 海 外 に 紹 介 す る 大 映 畫 ﹂ と 誇 ら し げ に
﹃武 士 道 ﹄ の 製 作 開 始 を 報 じ る 記 事
思 う 。 こ こ で は 、 フ ィ ル ム セ ンタ ー 研 究 員 であ る常 石 史 子 氏 に よ っ
報 じ ら れ て い る が 、 実 際 は ウ ー フ ァ傘 下 の ハイ ン ツ ・ カ ー ル ・
こ の記 事 か ら 受 け る印 象 は人 そ れ ぞ れ であ ろ う が 、 そ の可 能 性 は
て 、 入 手 の経 緯 や ﹃武 士道 ﹄ 製 作 当 時 の状 況 、 映 画 の詳 し いあ ら す
ハイ ラ ン ト ・ フ ィ ル ム が 製 作 に 入 っ た よ う で あ る 。 ヨ ー ロ ッ パ
﹃
武 士 道 ﹄ 入 手 の経 緯 を 説 明 し た後 に、 ﹁﹃発 見 ﹄ を 待 ち 望 ま れ て い
ム ・ ユ ニオ ン に よ っ て な さ れ た (一九 二 六 年 に ベ ル リ ン で 検 閲 通
配 給 も 結 局 は ウ ー フ ァでな く ド イ ッ ・ノ ルデ ィ ッ シ ェ ・フ ィ ル
月 二 二 日) に は 、 ﹁欧 州 第 一流 の 大 会 社 で 欧 州 全 国
じ紹 介 と解 説 が な さ れ て い る。
た 映 画 と は と ても 言 え ず 、 実 際 に フ ィ ル ムに接 し て は じ め て ﹃こ ん
238
映画研 究の再検:討
つま り お ク ラ にな った のは こ の内 紛 に よ る部 分 も
演 二千 人 ﹂ と華 々 し いが 、 完 成 か ら 公 開 ま で 一年 五 ヶ月 も の時
を要 し た
一月 に製 作 が 開 始 さ れ た 時 点 で の監 督 に は、 賀 古 残 夢 の他 に 日本 映
続 い て、 日 本 で の実 際 の製 作 状 況 を 説 明 し て い る。 一九 二 四年 十
ポ ル ト ガ ル人 と 特 定 。 前 述 し た新 聞 記 事 で も触 れ て い る よ う に、 本
こ と に言 及 し 、 時 は 一五 四 三年 、 場 所 は種 子 島 、 漂 着 し た 外 国 人 は
山 根 氏 と 同 様 、 物 語 に つい て ﹁鉄 砲 伝 来 を モ チ ー フ﹂ に し て いる
一九 二六年 五月 三 十 一
過 )。 日本 で は ﹁す で に 独 逸 で は ハイ ラ ン ド 氏 が 公 開 し 多 大 な
好 評 を 博 し た の であ る﹂ (
京 都 日 日新 聞
画 の父 と 呼 ば れ る牧 野 省 三 を は じ め 、 当 時 の日 本 映 画 界 を 支 え た監
作 品 が ﹁日本 紹 介 ﹂ 目的 のた め、 実 際 の舞 台 は 明 ら か に さ れ ず 、 た
あ った の か も 知 れ な い 。
督 名 が 挙 げ ら れ て い た。 彦 根 城 に、 他 の作 品 と 合 同 ロケ ー シ ョ ンを
だ ﹁彦 根 城 を中 心 に、 姫 路 城 、 鎌 倉 の大 仏 や奈 良 公 園 な ど 国 内 の さ
行 った 辺 り ま で は 順 調 であ ったが 、 吉 原 の セ ット を 組 む 段 階 で頓 挫
まざ ま な 景 勝 地 が 登 場 し、 徒 歩 圏 で つな ぎ 合 わ さ れ て い る﹂ と 解 説
日) な ど と 報 じ ら れ て い る 。
し、 一時 製 作 中 止 。 漸 く 完 成 に こぎ つけ た のが 翌 一九 二 五年 の 一月
映 画 を 見 た人 な ら あ ら す じ が 当 然 分 か るが 、 公式 パ ン フ レ ット の
す る。
撮 影 所 にお い て東 亜 キ ネ マ側 と マキ ノ映 画 側 と の内 紛 が 起 こ り 、 牧
性 格 上 、 よ り 詳 細 な 物 語 の内 容 を 綴 って い る。 後 の資 料 比 較 の た め
であ った 。 し か し 、 こ こ で 別 の問 題 が 発 生 す る。 そ れ は東 亜 等 持 院
野 省 三 を は じ め と す る マキ ノ映 画 一党 が 東 亜 と 分 離 、 天 授 ヶ丘 (
御
敢 え て紹 介 さ れ たあ ら す じ を引 用 し た い。
が 将 校 の マ ヌ エルを 城 に招 待 す る。 庭 を 散 策 中 、 頼 朝 は家 臣 の
嵐 で 航 路 を 外 れ た異 国 の船 が 大 名 ・頼 朝 の 国 に漂 着 し、 頼 朝
室) に新 た な る マキ ノ映 画 撮 影 所 を 設 立 し て 独 立 す る の であ る 。 そ
の た め 、 撮 影 所 スタ ッ フも 分 か れ 、 ﹃武 士 道 ﹄ 製 作 開 始 に名 の挙 が
った面 々 のな か で賀 古 残 夢 だ けが 東 亜 に と ど ま った と いう 。 こ の背
景 を 踏 ん だ 上 で、 常 石 氏 は次 のよ う に説 明 を付 け る。
は侍 の面 目 に か け て切 腹 し な け れ ば な ら な い。 マヌ エ ルが 取 り
礼 之 助 に、 弓 で小 鳥 を 射 落 と す よ う に命 じ る。 射 損 じ た礼 之 助
二年 越し漸 く完
出 し た小 銃 に頼 朝 以 下 一同 は仰 天 し 、 頼 朝 は 礼 之 助 に ﹁あ の武
公開時 の宣伝資料 は ﹁
世界最 初 の大時代 劇
見 よ⋮ ⋮
遂 に諸君 の眼前 に現 はれ たりH
成
器 を 作 れば 切 腹 を 免 除 す る﹂ と告 げ る。 礼 之 助 の身 を 案 じ る許
稀代 の明畫H
絶 世 の國寶 映晝 をH﹂﹁撮影 日数 満 二 ヶ年 撮影費 三十萬 補 助出
239
マ ヌ エルは 礼 之 助 と吉 原 に出 向 き 、 エヴ ァが 純 潔 で あ る こ と を
た エヴ ァは 、 マ ヌ エル に吉 原 の⋮
遊 女 と 誤 解 さ れ て嘆 い て い る。
ヌ エ ルは頼 朝 に礼 と し て鉄 砲 の秘 密 を 教 え た 。 無 事 救 い出 さ れ
の間 に大 掛 か り な 戦 が 始 ま る。 戦 は 頼 朝 軍 の勝 利 に終 わ り 、 マ
去 ら れ て し ま う 。 客 人 を 救 う た め 、 頼 朝 は 一軍 を 派 遣 し 、 両 家
け る 。 エヴ ァは 西 田 の城 を 逃 れ て吉 原 に逃 げ 込 む が 、 結 局 連 れ
れ去 ら れ て し ま う 。 西 田 は エヴ ァ に着 物 を 着 せ 、 好 色 な 目 を 向
海 辺 に打 ち上 げ ら れ た エヴ ァを 救 うが 、 二人 と も 西 田 の城 に連
犬 猿 の仲 であ る 西 田 の領 地 に迷 い込 ん だ マ ヌ エルは 、 難 破 し て
願 で 一人 は命 を助 け ら れ る。 釣 り に熱 中 す るあ ま り 、 頼 朝 と は
芸 者 を 助 け る。 頼 朝 は 二人 に切 腹 を 言 い渡 す が 、 マ ヌ エ ル の嘆
そ う と す る。 あ る 日 マ ヌ エルは 、 酔 っ払 った侍 二 人 に迫 ら れ た
嫁 の静 香 は 、 マ ヌ エル に そ の身 を 捧 げ て も 武 器 の秘 密 を 聞 き 出
な ウ ー フ ァ所 属 の有 名 監 督 で も な く 、 ﹃武 士 道 ﹄ 出 演 の 二俳 優 と 三
調 査 の結 果 、 宣 伝 文 句 と は 裏 腹 に、 ハイ ラ ソト 監 督 は ド イ ッ で有 名
作 ・監 督 し た経 験 が あ った ﹂ と 報 告 し て い る。 フ ィ ル ム セ ソ タ ー の
日本 に つい て も ﹃日本 の仮 面 ﹄ (一九 二 一∼ 二 二) な る フ ィ ル ムを 製
パ人 にと って未 知 な 国 を舞 台 に し た冒 険 映 画 を 主 に手 が け てお り 、
こ ろが 大 き い の で はな い か と 想 像 さ れ る 。 ハイ ラ ソ ト は、 ヨ ー ロ ヅ
ハイ ン ツ ・カ ー ル ・ ハイ ラ ン ト の個 人 的 な イ ニシ ア テ ィヴ によ ると
て いる 。 ま た 、 ﹁こ の壮 大 な 試 みが 実 現 し た の は 、 ド イ ッ側 監 督 、
交 流 ﹂ が 行 わ れ て い て ﹁不思 議 な 面 白 さ﹂ が あ る と コメ ソト を述 べ
着 せら れ た エヴ ァ の ア ク ロバ テ ィ ック な動 き な ど 、 生 身 の ﹁異 文 化
映 画 全 体 に つい て は 、 映 像 に現 れ る西 洋 の剣 と 日本 の刀 や 、 着 物 を
え ら れ て いな い こ と に大 い に疑 問 は 覚 え る﹂ と の こ と であ る。 だ が 、
は 、 ﹁武 士 道 ﹂ の意 味 合 いが 、 ﹁主 君 への絶 対 服 従 と い う 点 で し か捉
解 の代 表 と さ れ て い た か ら であ ろ う 。 こ の点 に つい て常 石 氏 の見 解
知 る。 か く し て マヌ エ ルと エヴ ァは結 ば れ 、 日本 の伝 統 的 な 祝
人 だ け で映 画 を 製 作 し て い た極 小 プ ロダ ク シ ョン の監 督 であ る そ う
公 式 パ ソ フ レ ット に ﹃武 士 道 ﹄ 公 開 記 念 シ ソポ ジ ウ ム の案 内 が 出
言 を あ げ て、 二 人揃 って 元 の世 界 へと帰 ってゆ く。
あ ら す じ を 読 ん でも 推 測 でき る と お り 、 ﹁ハラ キ リ﹂ や 吉 原 (
芸
て お り 、 次 のよ う な 予 告 が 付 さ れ て い る。 ﹁は る か昔 か ら 、 さ ま ざ
だ。
者) を 物 語 のな か に取 り 込 む た め に、 や や唐 突 な 展 開 が な さ れ て い
ま な 国 のあ いだ で 映 画 の合 作 が 行 わ れ 、 世 界 の映 画 人 が 活 発 に交 流
実 を映 画 フ ァ ン の眼 前 にあ ら た め て差 し 出 す 事 件 であ ろ う。 た し か
し て い た 。 日 独 合 作 映 画 ﹃武 士 道 ﹄ (一九 二 六) の発 見 は、 そ の事
る。 ﹁武 士 道 ﹂ と いう タ イ ト ル は、 映 画 の冒 頭 で筆 に よ って 描 か れ
る形 で示 さ れ 、 す ぐ 後 にド イ ッ語 題 名 ﹁鉄 の掟 ﹂ と いう カ ッ トが 挿
入 さ れ る。 ﹁ハラ キ リ﹂ に こ だ わ った のも 、 お そ ら く ﹁武 士 道 ﹂ 理
240
映画研究の再検討
に リ ュ、
、
・エー ル の シネ マト グ ラ フ によ って 明 治 の 日本 が 撮 影 さ れ て
以 来 、 日本 と世 界 は映 画 を 通 じ て交 流 し てき た 。 草 創 期 ハリ ウ ッド
であ ろう し 、 そ の よ う な 貴 重 な意 見 が 聞 け る の であ れば 、 フ ィ ル ム
セ ン タ ーあ る い は映 画 祭 の実 行 委 員 会 が す で にイ ン タ ビ ューを 行 っ
映 画 ﹃武 士 道 ﹄ は 、 紹 介 さ れ て い る と お り ド イ ッ版 であ る 。 無 声
て いる であ ろ う 。
躍 し、 あ る い は海 外 の映 画 と 日 本 映 画 は 相 互 に影 響 を 与 え合 ってき
映 画 であ る た め台 詞 は 映 像 の合 間 に ﹁文 字 ﹂ で挿 入 さ れ る。 常 石 氏
の人 気 ス タ ー早 川 雪 州 か ら始 ま って 、 多 く の日本 人 が 海 を渡 って活
た 。 そう し た流 れ は 現 在 に 至 る ま で途 切 れ る こ とが な い。 そ こ で、
交 流 の歴 史 と 現 状 を 多 様 な 角 度 か ら 語 る。﹂ 出 席 者 は 司 会 の山 根 貞
た 台 詞 のド イ ッ語 に対 す る 日 本 語 の翻 訳 を、 映 画 公 開 用 に字 幕 と し
詞 の文 字 部 分 の違 い を 指 摘 し て い ると 思 わ れ る。 こ の度 は挿 入 さ れ
が 触 れ た よ う に ﹁日本 版 ﹂ が ﹁別 の形 で編 集 ﹂ と いう のも 、 こ の台
男 氏 、 稲 賀 繁 美 氏 、 ア レキ サ ンダ ー ・ベ ネ ット 氏 、 常 石 史 子 氏 、 冨
て附 け て上 映 さ れ た。 日本 版 が 未 だ発 見 さ れ て いな い と報 告 さ れ て
﹁映 画 は 国 境 を 越 え る﹂ と 題 し た シ ンポ ジ ウ ムを 催 し 、 映 画 に よ る
田美 香 氏 の 五 人 で、 そ れ ぞ れ の簡 単 な プ ロ フ ィ ー ルが の せ ら れ て
た ちが ど の よう に説 明 を し て いた か は想 像 す る し か な い。 当 日 は、
い る わ け だ か ら、 当 時 の 日本 公 開 時 の模 様 や字 幕 、 あ る いは活 弁 士
二〇 〇 四 年 九 月 二十 日、 京 都 文 化 博 物 館 別 館 に お い て映 画 ﹃武 士
ド イ ッ人 のギ ュンタ ー ・A ・ブ ー フヴ ァ ル ト氏 に よ る ピ ア ノ伴 奏 と
い魂 ・
道 ﹄、 ﹃奇 傑 ゾ ロ﹄ の上 映 、 そ し て シ ンポ ジ ゥ ムが 二時 間 開 催 さ れ 、
あ わ せ て鑑 賞 す る こ と にな った。
映 画 のあ ら す じ は先 に引 用 し た も のと ほぼ 同 じ であ る が 、 実 際 、
最 後 にも う 一度 映 画 ﹃
武 士 道 ﹄ の上 映 と な った 。
こ れ ら の情 報 を 何 ら か の形 で 知 った 映 画 フ ァ ンが 、 ﹃武 士 道 ﹄ と
鑑 賞 後 に確 認 す る と 、 少 し 説 明 を は し ょり す ぎ て い る点 が 感 じ ら れ
る た め、 そ の事 に目 く じ ら を 立 て て批 評 し て い て は、 映 画 が 成 立 し
る の は、 今 でも 同 じ で あ るし 、 劇 映 画 が そ も そ も フ ィ ク シ ョ ンで あ
い よう に見 受 け ら れ る 。 ただ し、 荒 唐 無 稽 な 物 語 が 映 画 で展 開 さ れ
映 画 を見 る 限 り 静 香 は 腰 元 であ り 、 芸 者 でも な く 吉 原 と も 関 係 が な
い る。 そ し て、 マヌ エ ルが 助 け た芸 者 が そ の静 香 であ った。 し か し、
た。 映 画 で は、 礼 之 助 の許 嫁 ・静 香 を 最 初 から ﹁芸 者 ﹂ と紹 介 し て
は いか な る映 画 であ ろう か と 、 そ れ ぞ れ の期 待 を 胸 に会 場 に足 を 運
ん だ と 思 わ れ る (無 料 で はな いの であ るか ら)。 筆 者 も そ の 一人 であ
るが 、 二〇 〇 席 用 意 さ れ て いた 会 場 は、 上 映 及 び シ ンポ ジ ウ ム の間 、
ほ ぼ 満 席 であ った。 試 写 に立 ち会 った のが ど の よう な 人 々 であ った
のか は分 か ら な いが 、 お そ ら く 会 場 に集 ま った 人 々は初 め て こ の映
画 に接 し た と い、
兄る。 一九 二 六年 の公 開 時 に 見 て い た 人 あ る い は製
作 に何 ら か の形 で関 わ った 人 が い れば 、 か な り の高 齢 に な って い る
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な い。 こ こ で敢 え て断 り 書 き を 入 れ た の は 、 西 洋 人 が 持 つ日本 のイ
メ ー ジ のほ と んど が ﹁ハラ キ リ﹂ ﹁ゲ イ シ ャ﹂ であ る と い った点 が 、
﹃
武 士 道 ﹄ を も 含 め た 、 映 像 に現 れ る 西 洋 人 の日 本 イ メ ー ジ と し て
繰 り 返 さ れ る と 、 冨 田氏 が 公 式 パ ン フ レ ット の中 で指 摘 し て い た か
お ら であ る。
冨 田氏 は ﹁映 画 に先 立 つ日本 イ メ ージ ﹂ と し て、 十 九 世 紀 末 の万
国 博 覧 会 か ら の流 れ を 解 説 し、 ﹁い わ ば 、 ジ ャポ ニズ ムと と も に広
く 普 及 し た 日 本 的 な る イ メ ー ジ と は、 自 分 た ち の文 化 と は違 う 異 文
化 を 求 め た 欧 米 の欲 求 と 、 そ の欧 米 の希 望 に応 、
兄る 異 文 化 と し て の
自 文 化 を 売 り 込 む 日 本 側 とが 、 互 い に補 強 しあ った 日 本 文 化 像 と 言
レ え る だ ろ う ﹂ と述 べ て いる 。 同 氏 は続 い て、 そ のよ う に作 ら れ て し
ま った ﹁日本 的 な 記 号 ﹂ が ﹁富 士 山 、 大 仏 、 日 本 庭 園 、 武 士 、 芸 者 、
ゆ 茶 屋 ﹂ な ど であ り 、 そ れ ら の モテ ィ ー フが 出 てく る合 作 や 協 力 映 画
を ﹁国 辱 映 画 ﹂ と 位 置 づ け て い る。 も ち ろ ん 、 ﹃
武 士 道﹄も そ の中
の 一つと し て数 え て い る。
第 四 回 京 都 映 画 祭 の後 、 筆 者 の知 る 限 り 、 パ ネ リ ス ト であ った稲
め 賀 氏 が シ ンポ ジ ウ ム の様 子 を 振 り返 って、 発 表 し たも の以 外 は、 十
二月 下 旬 の現 在 ま で 、 ﹃
武 士 道 ﹄ に つ い て の新 た な る見 解 な り 、 報
告 、 研 究 は 見 出 さ れ て いな い。
﹃武 士 道 ﹄ を め ぐ る 当 時 の報 道
い さ さ か 冗 長 に な って し ま った が 、 再 発 見 さ れ た ﹃武 士 道 ﹄ に つ
い て は 、 以 上 のよ う な 情 報 と 見 解 が 示 さ れ た 。 も ち ろ ん、 映 画 を 見
た人 が そ の映 画 を 評 し、 そ の事 に つ い て発 言 し よ う と な る と 、 完 全
な る 客 観 的 な意 見 はあ り得 な い。 必ず 主 観 が 混 じ って し ま う 。 そ の
時 に、 ど れ ほ ど の情 報 が 作 用 す る の であ ろう か 。
﹁発 見 を 待 ち 望 ま れ て い た﹂ わ け で はな いと紹 介 さ れ た ﹃武 士 道 ﹄
は 、 製 作 な い し上 映 当 時 に お い て、 ど のよ う に扱 わ れ て い た の であ
ろ う か。 日 本 初 の合 作 と 報 道 さ れ た のな ら 、 な ぜ 話 題 にな ら な か っ
た の であ ろ う か。 当 時 の資 料 か ら 、 ﹃武 士 道 ﹄ の位 置 づ け を 探 って
み た。
常 石 氏 が 記 し て い た パ ソ フ レ ット に よ る と製 作 が 報 じ ら れ た記 事
は 一九 二 四年 十 一月 で あ った。 そ の当 時 他 の記 事 に は ど の よう に 報
じ ら れ て いた の か。
レ 製 作 発 表 で は な いが 、 大 正 十 三 年 (一九 二四) 十 月 に第 一号 が 発
行 さ れ た ﹃東 亜 グ ラ フ ィ ッ ク﹄ に ﹁東 亜 キ ネ マ製 作 リ スト﹂ と 銘 打
た れ た中 に、 ﹁目 下 製 作 中 のも の11﹂ と し て いく つか の作 品 が 列 挙
日 獨俳 優 合 同 時 代 劇 ﹃
種 ヶ島 ﹄ 全 八巻
力 ー ル .テ テ ング 、
さ れ て い る。 そ こ に、 ﹁長 野 健 太 原 作 、 H ・K ハイ ラ ソド 、 賀 古 殘
夢監督
ロー ・ホ ー ル、 島 田嘉 七 、 生 野初 子 共 演 ﹂ の文 字 が 見 いだ せ る。 題
名が ﹃
種 ヶ島 ﹄ で発 表 さ れ て いた 。 同 年 の ﹃キ ネ マ旬 報 ﹄ 十 月 二十
一日号 で も 、 次 のよ う な 製 作 予 定 の記 事 が 見 ら れ る 。
242
映画研究 の再検討
側 の出演俳 優 は明石潮氏河合 みどり孃 月形龍之助 氏島 田嘉 七氏岩城
秀哉 氏 泉春 子孃 生 野初 子孃 等 で技 師 は橋本 佐 一呂 氏 が 擔 當 し て
松 竹 加茂 に在 り し 賀 古 殘 夢 氏 は今 回東 亞 等
持 院 撮 影 所 に 入所 し 第 一回作 品 と し て 獨 逸 人 ハイ ラ ソド 氏 と 共
ゐ る﹂ と、 具 体 的 な俳 優 陣 が 発 表 さ れ 、 合 作 映 画 の製 作 が 本 格 的 に
東 亞等持院 通信
同 監 督 を な し て 日 獨 合 同 劇 を完 成 す る事 にな つた脚 本 は長 野 健
始 ま った よ う に思 わ れ る 。
む 太 氏 原 作 脚 色 に な る ﹃種 ヶ島 ﹄ に て、 俳 優 は等 持 院 俳 優 と獨 逸
こ の製 作 に は暗 雲 が 立 ち込 め始 め て い た よ う であ る。 こ の指 摘 は常
だ が 、 大 阪 朝 日新 聞 十 一月 二十 二日 に華 々し く 報 じ ら れ る ま で に、
る 。 街 完 成 の曉 は獨 逸 に輸 出 す る爲 め特 に輸 出 品 丈 特 に數 場 面
石 氏 の パ ン フ レ ット及 び シ ンポ ジ ゥ ム で の報 告 で は触 れ ら れ て い な
俳 優 の合 同 出 演 な るが 目 下 俳 優 不 定 の爲 め 出 演 俳 優 は 未 定 であ
外 國 向 に撮 影 す る筈 で あ る、 題 名 も 輸 出 の分 は ﹃武 士道 ﹄ と 改
い。 だが そ れ は、 お そ ら く紙 面 や 時 間 の制 限 上 、 そ こま で詳 ら か に
れ て い る。 す な わ ち 、 ﹁ハイ ラ ン ト個 人 のイ ニ シ ア テ ィブ が 大 き い﹂
る。 ま た、 輸 出 の為 に ﹁外 国 向 き に数 場 面 撮 影 す る筈 ﹂ と も 予 見 さ
出 用 を 意 識 し た よう で こ の時 点 にお い て ﹃
武 士 道 ﹄ と改 題 を 表 明 す
日 本 用 に は ﹁種 ヶ島 ﹂ と し て 脚 色 が 決 定 し て い たが 、 と り わ け 輸
ち ら を 完 成 さ せ て い る と 、 報 告 さ れ て い る。 同 雑 誌 次 号 一九 二 四年
に て暫 時 中 止﹂ し、 別 の作 品 (﹃劍 を 翳 し て﹄) に着 手 し 、 さ き に そ
日 獨 合 同 映 画 ﹃武 士 道 ﹄ を 監 督 中 な るが セ ット其 他 の都 合 に て中 途
年 十 一月 十 一日号 ﹄ ﹁東 亞 等 持 院 通 信 ﹂ に よ る と ﹁賀 古 殘 夢 氏 は 尚
引 き 続 き 完 成 ま で の記 事 を 見 て いき た い。 ﹃キ ネ マ旬 報 一九 二 四
題 する由。
だ け でも な く 、 ﹁国 辱 ﹂ と 後 に理 解 さ れ る 西 洋 人 の日 本 に対 す る イ
十 一月 廿 一日 号 の記 事 を 見 る と、 ﹁賀 古 殘 夢 氏 は ﹃劍 を 翳 し て﹄ を
述 べ る こ と が 出 来 な か った の であ ろう 。
メー ジ に合 わ せ さ せら れ た わ け でも な く 、 日本 側 も 意 識 し 、 了 解 の
完 成 し 再 び ハイ ラ ンド 氏 と 共 に ﹃武 士 道 ﹄ の監 督 に着 手 、 俳 優 は多
伝 し た ﹃東 亜 グ ラ フ ィ ッ ク﹄ に遅 れ て、 ﹃キ ネ マ旬 報 一九 二 四 年 十
通 信 で そ の成 り 行 き が 報 告 さ れ て いく 事 にな る。 す で に製 作 中 と 宣
こ れ ら の 一九 二四 年 (大 正+ 三) 十 月 の記 事 を 皮 切 り に、 撮 影 所
紅 緑 監 督 の ﹃戰 國 時 代 ﹄ と と も に彦 根 城 に て合 同 ロ ケ ー シ ョ ンを 十
き て い る。 翌 月 一日 発 行 ﹃キ ネ マ旬 報 ﹄ に て 、 ﹃武 士 道 ﹄ は、 沼 田
勤 め る事 にな つた﹂ と 、 製 作 再 開 し た も の の今 度 は俳 優 の変 更 が 起
少 變 更 さ れ 、 新 加 入 の岡 島 つや 子 孃 及 び 衣 笠 英 子孃 等 が 重 要 な 役 を
も と に撮 影 を 決 定 し た と 読 み取 れ る。
一月 一日号 ﹄ の ﹁東 亞 等 持 院 通 信 ﹂ で ﹁賀 古 殘 夢 氏 と 獨 逸 の監 督 ハ
一月 下 旬 に 行 い、 そ の た め に 等 持 院 撮 影 所 全 員 が 駆 り 出 さ れ 、
れ イ ラ ンド 氏 の共 同 監 督 に 成 る ﹃武 士 道 ﹄ は尚 監 督 中 な る が 、 等 持 院
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﹁大 々的 冒 險 撮 影 を 斷 行 し ﹂、 両 作 品 と も 完 成 に近 づ い て い る と 報 告
さ れ て い る。
だ が 、 ま た も や 中 断 と な った 。 ﹃キ ネ マ旬 報 一九 二四 年 十 二 月 十
一日 号 ﹄ で 、 ﹁賀 古 殘 夢 氏 と ハイ ラ ン ド 氏 と の共 同 監 督 に な る ﹃武
武士道
東 亞等持院映 畫
原 作 脚 色 日長 野 健 太 氏 、 監 督 "エ
ッチ ・ケ イ ・ ハイ ラ ンド 氏 ・賀 古 殘 夢 氏 、 撮 影 凵橋 本 佐 一呂 氏
主 要 役 割 ー マ ル コ ・バ ルボ ア "カ ー ル ・テ テ ソグ 氏 、 ル井 ザ 凵
ロー ・ホ ー ル孃 、 東 堂 信 行 "御 園 晴 峯 氏 、 靜 香 H岡島 艷 子 孃 、
早 見 勝 秋 氏 "本 間 直 司 氏 、 織 機 日衣 笠 英 子 孃
︹解 説 ︺ 獨 逸 の
士道 ﹄ は 一時 中 止 と な つた 。 未 完 成 のま 玉全 然 中 止 と す る か 撮 影 を
監 督 ハイ ラ ンド 氏 と 東 亞 とが 共 同 で製 作 し た 日獨 合 同 劇 で、 輸
お 出 向 き に作 ら れ た 映 畫 であ る 。
續 け る か 目 下 未 定 ﹂ と、 暗 礁 に乗 り 上 げ た よ う であ る。
年 が 明 け て 一九 二五 年 に 入 る と 、 ﹃武 士 道 ﹄ 製 作 の情 報 が 錯 綜 し
の物 語 。 或 る海 岸 へ漂 着 し た ポ ルト ガ ル の探 險 船 に乘 り込 ん で
略 筋 - 群 雄 各 地 に割 據 し て世 は痲 の如 く 亂 れ て居 た戰 國時 代
﹃キ ネ マ旬 報 一九 二五 年 一月 一日 号 ﹄ で は 、 等 持 院 撮 影 所 で製 作 さ
居 た マ ル コ ・バ ルボ アは 、 其 の地 の城 主 東 堂 信 行 に招 待 さ れ て
てく る。
れ て いた は ず が 、 ﹁東 亞 甲 陽 通 信 ﹂ (東亜 キ ネ マは甲 陽 撮影 所 と等 持 院
手 厚 いも て な し を 受 け た が 、 マル コの持 つて 居 る短 銃 の偉 力 を
見 た信 行 は 、 そ の製 作 の方 法 を教 へて呉 れ る や う に頼 んだ が 、
撮 影所 を持 つ) の欄 に て、 二 時 中 止 さ れ た ﹃武 士 道 ﹄ は 再 び ハイ ラ
ンド 氏 及 び 賀 古 殘 夢 氏 の共 同 監 督 に て撮 影 開 始 さ れ 愈 々近 日 完 成 の
マ ル コは 聞 き 入 れ な か つた、 信 行 は家 臣 山 部 禮 之 助 に命 じ て ピ
ぬ 運 び と な つた﹂ と 報 じ、 翌 号 一月 十 一日 号 に お い て、 再 び ﹁東 亞 等
スト ルを 製 作 さ せ や う と し たが 、 成 功 し な か つた。 或 る風 の日
主 早 見 勝 秋 の家 臣 の た め に、 二人 は 城 へ連 れ去 ら れ た。 信 行 は
は彼 女 を 介 抱 し た が 、 豫 て信 行 と は犬 猿 の間 柄 であ る隣 國 の城
此 の海 岸 ヘ ル井 ザ と 云 ふ ポ ル ト ガ ル の乙 女 が 漂 着 し た。 マル コ
持 院 通 信 ﹂ の欄 に戻 り 、 ﹁賀 古 殘 夢 氏 は 昨 冬 以 來 引 續 き 監 督 中 であ
つた 日獨 商 會 と の共 同作 品 ﹃武 士道 ﹄ を ハイ ラ ソド 氏 と 共 に尚 監 督
を 續 け る筈 。 吉 原 の セ ット は素 晴 ら しき も の に て出 來 上 り 次 第 直 ち
に着 手 す る 豫 定 であ る ﹂ と 報 告 さ れ た。 ﹁續 け る 筈 ﹂ ﹁豫 定 であ る ﹂
禮 之 助 に命 じ 二人 を 助 け 出 さ う と し た が 、 マル コだ け は 救 ひ出
お と は随 分 弱 気 なあ る い は推 し 量 った よ う な 書 き 方 に思 わ れ る。 そ れ
し た が 、 娘 を 助 け 出 す こと は出 來 な か つた。 二人 の城 主 の間 は
斯 く し て盆 々險 惡 と成 り 、 早 見 の軍 勢 は東 堂 城 へ攻 め寄 せ た。
でも 作 品 は完 成 し た よう で、 同 誌 一九 二五 年 一月 廿 一日号 の ﹁近 作
映 画 紹 介 ﹂ に 以 下 の よう な紹 介 が な さ れ て いる。
マ ル コは 火 藥 と 鐵 砲 の製 法 を教 へた ので、 そ の威 力 によ つて早
244
映画研究 の再検討
も な く マ ル コと ル井 ザ 、 禮 之 助 と 腰 元 靜 香 の 二組 の結 婚 式 が 舉
見 方 は潰 走 し た。 か く し て ル井 ザ も 救 ひ 出 さ れ 、 東 堂 城 で は間
読 み取 れ る。 そ し て、 錯 綜 し て い る も う 一つ の点 が 、 両 雑 誌 と も 、
画 通 信 ﹄ を 見 る 限 り 、 一九 二 五年 三 月 の段 階 で ま だ 製 作 中 の よう に
﹃キ ネ マ旬 報 ﹄ に て は 既 に 一月 に完 成 し た か のよ う であ る が 、 ﹃映
年 一月 に映 画 が 完 成 し た と 考 え ら れ る。 だ が 、 ﹃キ ネ マ旬 報 ﹄ の 日
﹃キ ネ マ旬 報 ﹄ を確 かな 情 報 源 と み な す な ら ば 、 お そ ら く 一九 二 五
士 道 ﹄ の撮 影 が 中 断 、 再 開 を 繰 り 返 す 間 に、 いろ いろ な 問 題 が 生 じ
るが 、 時 期 は 、 ず れ る と し て も 二雑 誌 と も 同 じ 報 告 と な る と 、 ﹃武
所 に わ た って いる 事 であ る。 一雑 誌 な ら 記 述 欄 の誤 植 とも 考 え ら れ
げ ら れ た。 城 内 に は晴 れ や かな 平 和 の色 が 滿 ち 滿 ち た。
付 よ り 遅 れ て、 雑 誌 ﹃映 画 通 信 ﹄ に、 ﹃武 士 道 ﹄ の記 事 が 見 ら れ る。
て いた と 推 測 せざ るを 得 な い。
﹃武 士 道 ﹄ 製 作 の場 が ﹁等 持 院 撮 影 所 ﹂ と ﹁甲 陽 撮 影 所 ﹂ と 両 撮 影
﹃映 画 通 信 創 刊 号 ﹄ (大 正十 四年 (一九 二五)新 年 号) に あ る ﹁東 亞 通
一呂 氏 ・持 田米 三氏 、 舞 臺 装 置 凵河 合 弘 氏 、 俳 優 "カ ー ル ・テ テ ン
内 容 は 、 ﹁總 指 揮 日牧 野 省 三 氏 、 脚 色 日長 野 健 太 氏 、 撮 影 凵橋 本 佐
紹 介 後 ﹁右 完 全 後 左 を 監 督 に着 手 ﹂ と ﹃武 士 道 ﹄ 八巻 が 載 って い る。
の獨 立 を 是 認 す る事 に依 つて 一先 解 決 ﹂ と し ﹁マキ ノ映 畫 の結 果 賀
突 に対 し て ﹁牧 野省 三氏 に等 持 院 撮 影 場 の全 權 を 委 任 し マキ ノ映 畫
﹃映 画 通 信 ﹄ 一九 二 五年 四 月 号 で は 、 マキ ノ 一党 と 東 亞 キ ネ マ の衝
と こ ろ ﹃武 士 道 ﹄ 製 作 に関 す る 記 事 が 発 見 でき て いな い。 た だ し、
し か し 、 残 念 なが ら 一九 二五 年 三月 の ﹃映 画 通 信 ﹄ 以 降 、 いま の
グ 、 ロー ・ホ ー ル、 生 野 初 子 、 河 合 みど り 、 明 石潮 、 岩 城 秀 哉 の諸
古 殘 夢 、 明 石 潮 一派 は甲 陽 撮 影 所 へ﹂ と 報 告 し て い る。 記 事 か ら 推
信 ﹂ の等 持 院 通 信 に、 ﹁賀 古 殘 夢 氏﹂ と 項 目が あ り 、 ﹃劒 を翳 し て﹄
因 み に同 劇 は 同 氏 と 獨 逸 ウ ー ハー會 社 の監
甲 陽 撮 影 所 と を 行 き 来 し て し ま った と も 読 み取 れ な く も な い。 だ が 、
氏
測 す る に、 マキ ノと 東 亞 の問 題 に よ り 、 製 作 の場 が 等 持 院 撮 影 所 と
ンド 氏 と 合 同 監 督
一体 、 ﹃武 士 道 ﹄ が 正 確 に い つ完 成 し た の か。 そ れ が 明 ら か に な っ
時 代 日天 文 十 二年
督 (ルビ ワ チ氏 と 共 に ﹃フ アラ オ の戀﹄ を 監督 せ し) H ・K ・ ハイ ラ
我 國 に傳 へんと し た島 主 種 ヶ島 彈 正 の麾 下 に起 つた 挿 話 を 描 け る も
て い な い以 上 、 ﹃武 士 道 ﹄ 製 作 に関 わ る情 報 の錯 綜 (と りわ け 二 つの
種 ヶ島 への黒 船 入 港 と そ れ に 因 し て武 器 鐵 砲 を
の、 尚 同 劇 は俳 優 に多 少 の變 更 新 加 入 岡島 艶 子 、 衣 笠 英 子 の 二孃 等 、
そ して、次 に ﹃
武 士 道 ﹄ の文 字 が 見 ら れ た のが 、 再 び ﹃キ ネ マ旬
も の であ る と は断 言 でき な い。
撮 影所 にわ た る通 信記 録 ) と 、 マキ ノ ・東 亞 問 題 と が 直 接 関 わ っ た
め 甲 陽 撮 影 所 ﹂ の欄 に ﹁賀 古 殘 夢 氏
既報 の
重 要 の配 役 を せら れ た り ﹂ と な って い る。 そ し て 同 誌 一九 二 五年 三
月 号 で は、 ﹁東 亞 通 信
﹃武 士 道 ﹄ の撮 影 を 一時 中 止 し たが 再 び 着 手 ﹂ と報 じ ら れ て い る。
245
ー ク劇 場 (新 世界 )﹂ に て 六 月 一日 ー 七 日 ま で 上 映 。 七 月 一日 号 の
倶 楽 部 (浅草 公 園)﹂ に て 六 月 四 日 ∼十 日 ま で、 ﹁大 阪 の部 ﹂ で ﹁パ
続 い て 一九 二六 年 六 月 二十 一日 号 の同 欄 、 ﹁東 京 の部 ﹂ で ﹁キ ネ マ
(
東 亞等 持 院)が 六 月 一日 ∼ 七 日 ま で 上 映 さ れ た 記 録 が 載 って い る。
表 ﹂ の ﹁京 都 の部 ﹂ を み る と ﹁中 央 館 (
第 二京 極)﹂ に て ﹃
武 士 道﹄
報 ﹄ であ る。 一九 二 六年 六 月 一日 号 の ﹁各 地 主 要 常 設 館 番 組 一覧
切 腹 の 一場 面 。
艷 子 の靜 歌 、 下 段 右 は明 石 潮 の禮 之 助 と マ ヌ エル、 同 左 は家 臣
で の大 映 畫 。 寫 眞 中 段 は カ ー ル ・テ チ ソグ 氏 の マヌ エ ルと 岡島
加 古 殘 夢 氏 と 獨 逸 人 H ・K ・ ハイ ラ ンド 氏 監 督 の東 亞 で は近 頃
し 合 つた 二人 の異 國 人 は遙 か に武 士 道 の國 を 見 返 つ て賞 讃 し た 。
軍 を 惱 ま し エヴ アを も 救 ひ出 し て 二人 の幸 福 な 船 出 を 遑 つた戀
潔 な 心 に感 じ て彼 を 救 ひ出 し 、 途 に砲 術 の教 へを受 け て速 見 の
お そ ら く 常 石 氏 が 時 を 一五 四 三年 と 特 定 し た情 報 源 は 、 ﹃映 画 通
同 欄 ﹁名 古 屋 の部 ﹂ で ﹁中 央 館 (
広 小 路 )﹂ に お い て 六 月 十 五 日
∼ 二十 二 日 ま で上 映 さ れ た 記 録 が あ る。 し か し 、 同 誌 の映 画 批 評 欄
の対 象 に は な って いな い。
ら か に な って は い な い。 も し、 当 時 の脚 本 が 見 つか って い た のな ら 、
信 ﹄ にあ る ﹁天 文 十 二年 ﹂ であ る よ う に思 わ れ るが 、 こ の辺 りも 明
新 映 畫 ﹂ と し て 三枚 の ス チ ー ル写 真 と 共 に映 画 紹 介 の記 事 が 見 ら れ
そ れ は報 告 さ れ て いる だ ろう 。
あ と も う 一つは雑 誌 ﹃映 画 界 ﹄ 一九 二 六年 七 月 号 に ﹁東 亞 キ ネ マ
る。 そ こ に は 次 の よう に紹 介 さ れ て い る。
見 家 の領 内 ヘポ ル ト ガ ル婦 人 エヴ アが 漂 着 し そ れ を 救 つた マ ヌ
肉 の策 と し て戀 人 靜 歌 を マヌ エ ルに近 づ け た。 丁 度 此 時 隣 國 速
を 命 せ ら れ たが 、 ど う し て も そ の秘 密 を 知 る こ と が 出 來 ず 、 苦
エルは な かく
云 はな か つた 、 信 行 の臣 、 禮 之 助 は 鐵 砲 の研 究
居 た マヌ エ ルを城 中 に招 き 鐵 砲 の製 作 法 を 知 ら ん と し たが マヌ
探 險 船 が 漂 着 し た こと に始 ま る 。 領 主 の東 堂 信 行 は 船 に乘 つ て
﹃武 士道 ﹄ (中 段及 下段) の物 語 は 或 る海 邊 の村 に ポ ル ト ガ ル の
あ るが 、 フ ィ ル ムが 発 見 さ れ て い な い以 上 、 断 言 は出 来 な い。 ﹁大
版 ﹃武 士 道 ﹄ の日本 語 字 幕 で は ﹁靜 歌 ﹂ と 記 載 さ れ て い た 可能 性 も
字 変 換 し て い る と思 わ れ る の で、 ば ら つき が 出 た の であ ろう 。 日 本
か﹂ の漢 字 に つ い ては 、 あ ら た め てド イ ッ語 か ら翻 訳 し た とき に漢
頼 朝 ﹂ に、 隣 国 の ﹁速 見 家 ﹂ が ﹁西 田﹂ に 変 更 さ れ て い る。 ﹁し ず
人 名 が 変 わ って い る こ と が 分 か る 。 ﹁領 主 ・東 堂 信 行 ﹂ が ﹁大 名 ・
あ ら す じ と 、 日本 公 開 当 時 の映 画 紹 介 で のあ ら す じ を く ら べ る と 、
﹁ド イ ッ語 ﹂ であ った か ら だ け で は な い。 発 見 さ れ た ﹃武 士 道 ﹄ の
ド イ ッ語 版 の字 幕 の挿 入 と 日 本 版 が 異 な る と いえ る の は、 そ れが
エルと 共 に城 内 に捕 へら れ て し ま つた 。 禮 之 助 は マ ヌ エル の高
246
映 画研究の再検討
は定 か で は な い。 ﹁頼 朝 ﹂ が す で に 日 本 を 想 起 さ せ る 人 名 で あ った
る の で挿 入 さ れ た の であ ろ うが 、 何 故 、 人 名 の変 更 が 起 こ った の か
名 ﹂ と いう 日本 語 は 十 九 世 紀 末 の万 国 博 にお い て す で に流 布 し て い
って い な いよ う に思 え る。 け れ ど も 、 気 にな る こ と が あ る。 そ れ は、
九 二 七年 に は映 画 界 を 引 退 し て い る。 そ の た め か 、 あ ま り 資 料 が 残
が 今 のと ころ 見 つか ら な い。 ま た、 監 督 の賀 古 残 夢 も 公 開 翌年 の 一
と いう こ と であ る。 戦 後 、 こ の映 画 に つ い て詳 細 は 不 詳 と し なが ら
﹃武 士 道 ﹄ が 日本 公 開 後 、 全 く 忘 れ 去 ら れ て し ま った映 画 で は な い
ま た、 ﹃キ ネ マ旬 報 ﹄ の ﹁近 作 映 画紹 介 ﹂ のあ ら す じ よ り も 、 ﹃映
も 、 言 及 し て い る記 事 が 二 つあ る 。 両 方 と も ﹁キ ネ マ旬 報 社 ﹂ か ら
の かも 知 れ な い (源頼朝 と義 経 、静 であ ろう か?)。
画 界 ﹄ と第 四 回 京 都 映 画 祭 の パ ン フ レ ット のあ ら す じ の方 が 、 内 容
出 さ れ た も の であ る。
時 代 劇 (ド イ ツと 東 亞 キ ネ マと が 共 同 で製
作 した 日独合作 映 画 で輸 出向 き に作 られ た)﹂ と書 かれ て いる 。
さ れ た後 、 ﹁封 切 日 不 詳
東 亞 等 持 院 作 品 ﹂ とあ り 、 原 作 、 監 督 、 脚 本 、 撮 影 、 出 演 者 が 掲 載
大 鑑 一集 ﹄ であ る。 大 正 十 四年 (一九 二五年) の項 目 に、 ﹁﹃武 士 道 ﹄
一つは 、 一九 六〇 年 に別 冊 企 画 と し て発 行 さ れ た ﹃日 本 映 画 作 品
が よ り 近 い。 日 本 で 公 開 さ れ た も のも 、 お そ ら く ほぼ 同 じ 映 像 で あ
った と 推 測 し ても 間 違 いな い であ ろ う 。
ヒ エラ ル キ ー構 造 の相 似 形
今 入 手 で き た 当 時 の資 料 と 、 二〇 〇 四年 に発 見 さ れ 、 第 四 回京 都
映 画 祭 に て特 別 上 映 と 共 に紹 介 さ れ た ﹃武 士道 ﹄ の扱 い方 を 比 較 し
確 か に 、 ﹃武 士 道 ﹄ が 完 成 さ れ た と 推 定 さ れ る 一九 二 五 年 か ら 、
手 が け る な ど 進 取 の気 性 に富 み、 新 し い テ ク ニ ック の研 究 にも 余 念
の賀 古 残 夢 の項 目 であ る 。 そ こ には ﹁最 初 の合 作 映 画 ﹃武 士 道 ﹄ を
も う 一つは 一九 八 八年 に発 行 さ れ た ﹃日本 映 画 テ レビ 監 督 全 集 ﹄
上 映 さ れ る ま で 一年 以 上 の月 日 を 要 し て お り 、 何 故 そ のよ う に な っ
が な か った と いう ﹂ と解 説 が な さ れ 、 作 品 リ ス ト にも ﹃武 士 道 ﹄ の
てみ よう 。
た の か は、 明 ら か で は な い。 ま た 、 製 作 が 決 し て順 調 で は な く 、 し
文 字 が あ る。
記 事 に お い て も 、 公 開 時 の記 事 に お い ても 、 日 独 合 作 の ﹁大 映 画 ﹂
後 に、 ﹁封 切 日 不詳 ﹂ 作 品 が 列 挙 さ れ て い る。 引 用 さ れ た 出 演 者 の
前 者 の記 述 を 見 る と、 一九 二 五年 に公 開 さ れ た映 画 が 並 べら れ た
お ば しぼ 中 止 し て い た こ と は 事 実 のよ う であ る。 だ が 、 製 作 を 報 じ る
と し てそ の試 み を 華 々し く 報 じ て いる 。 そ れ は 、 日本 側 にし ても こ
名 前 な ど か ら 推 測 す る に 、 お そ ら く 過 去 の ﹃キ ネ マ旬 報 ﹄ よ り 情 報
を 集 め、 近 作 映 画 紹 介 に と ど ま った も のを ま と め て ﹁封 切 日 不 詳 ﹂
の試 み を ﹁大 企 画 ﹂ と 受 け 取 って いた か ら で は な いだ ろ う か 。
残 念 な が ら 、 ﹃武 士 道 ﹄ の 日 本 公 開 後 に 、 当 作 品 を 批 評 し た も の
247
ピ ー ク時 に当 た る 。 大 量 生 産 さ れ て いる 同 時 代 の映 画 を 扱 いな が ら 、
であ ろ う 。 も う 一つ考 え ら れ る のが 、 一九 六〇 年 は 戦 後 の日 本 映 画
道 ﹄ は 公 開 ま で 一年 以 上 も 日数 が 経 って い る ので 、 見 落 と さ れ た の
な ら 近 作 紹 介 さ れ た 映 画 は す ぐ に公 開 さ れ て いる の に対 し て ﹃武 士
お そ ら く 、 後 の ﹁映 画 批 評 ﹂ 対 象 作 品 で は な か った た め、 ま た 普 通
誌 に見 出 さ れ るが 、 こ の よ う な 扱 い に な った のは ど う し て な のか 。
と し て紹 介 し て いる よ う であ る 。 実 際 の公 開 年 が 一九 二 六年 と 同 雑
う に 思 わ れ る。 し か し ﹁ウ ー フ ァ﹂ に 何 故 こだ わ った の か と 、 う が
当 時 の報 道 の是 非 を ただ し 、 より 正 し い情 報 を も た ら し て く れ た よ
も ﹁ウ ー フ ァ﹂ では な か った と いう 事 であ った。 一見 、 こ の指 摘 は
傘 下 で は あ るが 、 結 局 極 小 プ ロダ ク シ ョソ にす ぎ ず 、 ド イ ッ の公 開
い た。 そ の点 に関 し て、 常 石 氏 が 調 査 し 指 摘 し た の は、 ﹁ウ ー フ ァ﹂
ァ﹂ の監 督 と 報 じ ら れ た り 、 ﹁ウ ー フ ァ﹂ と の共 同 製 作 と 謳 わ れ て
一つが 、 ハイ ラ ン ト監 督 の扱 い で あ る。 当 時 の 記 事 に は ﹁ウ ー フ
当 時 の記 事 にあ り 、 そ し て 二〇 〇 四年 の段 階 で指 摘 さ れ た こ と の
お こ のよ う な 過 去 の大 量 作 品 を ま と め よ う と し た試 み に は、 お のず と
った 見 方 も 出 来 る の で は な い か。
﹁ウ ー フ ァ﹂ と は ド イ ッ映 画 を 代 表 す る大 会 社 で あ り 、 当 時 も 今
限 界 が 伴 った の では な いだ ろ う か。 そ し て、 一九 六 〇 年 の段 階 で は、
現 在 と 違 い、 フ ィ ル ムが ビ デ オ に (も ち ろ んD VD にも )変 換 さ れ 、
〇 四 年 現 在 の ﹃武 士 道 ﹄ 再 発 見 の ニ ュー スに 、 これ ま で は ﹃新 しき
の であ ろう か。 も し、 筆 者 の見 落 と し にす ぎ な い の であ れ ば 、 二 〇
の ﹁日 本 映 画 史 ﹂ を 編 纂 し た人 々が 、 何 故 こ の作 品 を 語 り 落 と し た
﹁最 初 の合 作 映 画 ﹂ と 記 載 さ れ て い る。 そ れ にも か か わ ら ず 、 多 く
た だ し 前 者 に も ﹁日 独 合 作 映 画 ﹂ と 記 述 さ れ 、 後 者 に お い て も
な い か。 そ し て 、 そ れ を 否 定 し た こ と も 、 ﹁ウ ー フ ァ﹂ は 大 会 社 で
を 喧 伝 す る こ と に よ って、 ﹁は く が つく ﹂ 企 画 と 報 じ ら れ た の で は
り が たが って い た の で は な い か 。 だ か ら こ そ 、 ﹁ウ ー フ ァ﹂ の名 前
の監 督 と な る と 、 日本 側 の意 識 と し て、 ド イ ッ の方 を 上 位 に見 てあ
な いが 、 表 現 主 義 を 生 み 出 し たド イ ッ であ り、 し かも ﹁ウ ー フ ァ﹂
響 を も たら し て い た。 歴 史 的 背 景 を ふ ま え る と 断 言 でき る わ け で は
も 歴 史 的 に高 く 評 価 さ れ る名 監 督 ・作 品 を 出 し て い る会 社 であ る。
土﹄ が 最 初 と さ れ て いた な ど と い った 記 載 が な さ れ な い であ ろう 。
上 位 であ るが 、 ハイ ラ ン ト は ﹁つま ら な い﹂ 下 位 の監 督 にす ぎ な い、
保 存 さ れ る、 あ る い は家 庭 用 に販 売 ・レ ソ タ ルさ れ る な ど は 、 誰 も
こ こ に、 過 去 の映 画 を振 り 返 る点 のバ イ ア スが 存 在 し て い る よう に
と いう 意 識 が 働 い て いた の で は な い か。 そ し て入 手 し て見 る こ と の
一九 二〇 年 代 は ド イ ッ の ﹁表 現 主 義 ﹂ が 日本 の映 画 界 に も 多 く の影
思 わ れ る。 そ し て、 そ の構 造 は、 当 時 の記 事 にも 似 た も のが 感 じ ら
出 来 た ﹃武 士 道 ﹄ が ﹁キ ワ モ ノ﹂ だ った と いう 事 の 理 由 に し て い る
思 って いな か った 時 代 であ った と いう 事 であ る。
れ る。
248
映画研究 の再検討
の で はな い だ ろ う か。
の映 画 を 発 掘 し て いく 上 で及 ぼ し て い る影 響 を軽 く 見 る の は、 いさ
ら れ た文 章 の中 に は 、 映 画 は ﹁芸 術 ﹂ にな る べ き で あ り 、 ﹁娯 楽 ﹂
ルキ ー構 造 ﹂ と名 付 け て お こう 。 こ れ を 念 頭 に、 二〇 〇 四年 の シ ン
こ の よう な 作 品 に上 下 (優劣 ) を つけ る無 意 識 を 、仮 に ﹁ヒ エラ
さ か危 険 のよ う な 気 が す る 。
で は ま だ ま だ だ 、 と 言 った指 摘 や、 ﹁芸 術 映 画 ﹂ と 位 置 づ け し た も
ポ ジ ウ ム で の ﹃武 士 道 ﹄ の位 置 づ け 、 評 価 な ど を振 り 返 ってみ た い。
実 際 、 一九 二〇 年 代 の ﹃キ ネ マ旬 報 ﹄ や そ の他 の映 画 雑 誌 に寄 せ
のが 評 価 の対 象 で あ る べき と し た、 ﹁芸 術 ﹂11上 位 、 ﹁娯 楽 ﹂冂 下 位 を
す で に 日 本 の時 代 劇 映 画 の中 に は、 水準 の高 さ を誇 った作 品が 多 々
現 在 、 日本 映 画 の再 評 価 が 行 わ れ て お り 、 一九 二〇 年 代 にお い て
先 にも 述 べ たが 、 ﹃
武 士 道 ﹄ の作 品 批 評 が 見 あ た ら な い と い う こ
製 作 さ れ て い る と いわ れ 、 そ れ ら の フ ィ ル ム の再 発 見 が ニ ュー スと
前 提 に し て い る言 説 が 見 ら れ る。
と は、 そ のま ま ﹃武 士 道 ﹄ は批 評 す る対 象 で は な い映 画 であ った 、
な っ て い る。 そ れ に比 べ て、 ﹃武 士 道 ﹄ は 水 準 が ﹁高 い﹂ と は言 え
であ り 、 ﹁国 辱 ﹂ と し て見 な さ れ る べ き で あ る、 と の指 摘 を 引 き 起
と も 読 み取 れ る。 だ か ら こ そ、 ﹁最 初 の合 作 映 画﹂ と 言 及 し たも の
映 画 研 究 、 映 画 批 評 が 始 ま って 以 来 、 そ の 対 象 と な る の は ﹁芸
こ し た と考 え ら れ る。 も ち ろ ん、 そ れ だ けが 指 摘 の裏 にあ る ので は
ず 、 現 に ﹁映 画 批 評 ﹂ の対 象 にも な って いな か った。 こ の よ う な 無
術 ﹂ 作 品 であ り 、 名 作 と 後 に語 り継 が れ る ﹁優 れ た﹂ 映 画 であ る と
な いだ ろう 。 当 時 の資 料 にも 、 こ の映 画 が ﹁輸 出 用 ﹂ と し て製 作 を
が あ る に も か か わ らず 、 大 き な枠 組 み か ら は 語 り 落 と さ れ て し ま っ
いう 無 意 識 が 横 た わ って い る と 思 わ れ る。 換 言 す れ ば 、 コ優 れ た﹂
意 識 さ れ 、 そ の た め に ﹁数 場 面 ﹂ 撮 影 す る で あ ろ う と 予 見 さ れ た こ
意 識 が 、 そ こ に現 れ た 日 本 イ メ ー ジ を 、 ﹁西 洋 人 ﹂ に合 わ せ た も の
映 画 は 批 評 ・研 究 対 象 で あ り 、 そ れ 以 外 は語 る 必 要 も な いと 斬 り捨
と か ら 、 ﹁西洋 人 ﹂ のイ メ ージ に 合 わ せ た と 言 え る。 そ し て前 述 し
た。
て て し ま って い た と いう こ と で も あ る 。 す な わ ち ﹁優 れ た ﹂凵上 位
た よ う に冨 田 氏 も 日本 人 が 自 ら そ のよ う な イ メ ージ を 引 き 受 け 、 売
少 し 、 ﹃武 士 道 ﹄ 評 価 から 離 れ て し ま う が 、 こ の シ ンポ ジ ウ ム の
に対 し て、 ﹁つま ら な い﹂11 下 位 と いう 構 造 が 見 ら れ る。 そ し て こ の
は と て も 言 え ず ﹂ と いう 発 言 に つな が った の で は な いだ ろ う か。
構 成 員 を 客 観 的 に眺 め て み よ う 。 第 四 回 京 都 映 画 祭 に は、 他 にも シ
り込 ん で い た と 指 摘 し て いる 。
﹁発 見 ﹂ を ﹁望 ま れ る﹂ す な わ ち 収 集 し た いと いう 欲 望 対 象 に な っ
ン ポ ジ ウ ムが い く つ か催 さ れ て い る。 当 た り 前 だが 、 実 行 委 員 会 事
無 意 識 が 、 ﹃武 士 道 ﹄ に対 し て ﹁﹃発 見 ﹄ を 待 ち望 ま れ て いた 映 画 と
て い る の は 、 ﹁優 れ た﹂ 名 作 で あ る。 そ の よ う な バ イ ア スが 、 過 去
249
る。 ど の よ う な 意 図 のも と に構 成 員 を 選 出 し た か は、 明 ら か に さ れ
務 局 が シ ンポ ジ ウ ム の構 成 員 を 事 前 に依 頼 し 、 調 整 し て実 現 し て い
よ う に見 え る の は、 悪 意 のあ る見 方 であ ろ う か 。
画 な ど 、 いた ると こ ろ に ﹁ヒ エラ ル キ ー構 造 ﹂ の無 意 識 が 横 た わ る
語 り 落 と さ れ る 映 画 、 ﹁発 見 を待 ち望 ま れ ﹂ る 映 画 と そ う で な い映
る 共 通 点 を持 って い る。 常 石 氏 は東 京 国 立 フ ィ ル ム セ ソ タ ー の研 究
﹃武 士 道 ﹄ を ﹁国 辱 映 画 ﹂ の中 に、 位 置 づ け し て し ま った と 見 ら れ
そ し て、 現 在 の 日本 の視 点 か ら 、 逆 転 し た ﹁ヒ エラ ル キ ー﹂ が 、
ぬ て いな い。 た だ 、 こ の ﹃武 士 道 ﹄ の シ ソポ ジ ウ ムだ け 、 構 成 員 が あ
員 であ り、 こ の ﹃武 士 道 ﹄ 発 見 に携 わ って い る の で参 加 は当 然 で あ
な い か。
前 述 し た パ ネ リ ス ト は、 映 画 研 究 者 だ け に限 ら ず 、 美 術 史 や 武 道 学
いう 映 画 を 様 々な 視 点 か ら語 ろ う と いう 企 画 意 図 であ ろう た め か、
﹁研 究 者 ﹂、 言 い換 え れ ば ﹁学 者 ﹂ と い う こ と で あ る。 ﹃
武 士道 ﹄と
論 家 だ け で な く 東 海 大 学 の教 授 でも あ る。 す な わ ち 、 共 通 点 と は
も 果 た す マ ヌ エル の下 僕 と し て 、 ﹁中 国 人 ﹂ が 登 場 す る。 そ の イ メ
か。 例 え ぽ 、 ﹃武 士 道 ﹄ に は ポ ル ト ガ ル の船 に乗 船 し 、 通 訳 の 役 割
ら れ た と いう 、 一方 的 な 見 方 だ け で く く って し ま って い い のだ ろ う
の ニ ュア ソ スが 強 く 感 じ ら れ る。 し か し、 (こ の場 合) 日 本 を 辱 め
﹁国辱 ﹂ と いう 語 は 、 筆 者 にと って は 、 国 を 辱 め ら れ た と いう 憤 り
視 点 のず ら しと 今 後 の課 題
る と し て、 他 の パ ネ リ ス ト はど う であ ろ う か 。 稲 賀 氏 は国 際 日本 文
化 研 究 セ ン タ ー の教 授 であ り、 ベネ ット 氏 も 同 セ ン タ ー の助 手 であ
な ど の専 門 家 も顔 を そ ろ え て い た。 し か し、 映 画 が 観 客 に 向 け て つ
ー ジ や 扱 い を棚 上 げ し て い い の か疑 問 が 残 る。
る。 冨 田 氏 は立 命 館 大 学 の助 教 授 。 山 根 氏 は 司 会 と は いえ 、 映 画 評
く ら れ て い る も の であ る 以 上 、 映 画 の受 容 者 を代 表 す る パ ネ リ スト
は最 近 の こ と であ る。 そ し て、 そ の経 緯 を見 ても 、 先 行 研 究 の多 い
そ も そ も 、 ﹁映 画 ﹂ が ﹁学 術 対 象 ﹂ と し て 定 着 し た の は、 本 国 で
ク ロード ・ フ ァ レー ル の小 説 ﹃
戦 争 (ラ ・バ タイ ユ)﹄ (一九 〇 九) に
にす る静 香 の行 為 も 、 例 え ば 日露 戦 争 の対 馬 沖 海 戦 に話 題 を 取 った
の勝利 ) を 夫 に成 就 さ せ る た め に と 、 当 の夫 に た いす る 貞 淑 を 犠 牲
稲 賀 氏 は シ ンポ ジ ウ ムを 振 り 返 って ﹁主 君 の命 令 (あ る いは祖 国
も の は ﹁芸 術 ﹂ 作 品 、 あ る い は ﹁優 れ た﹂ 名 作 、 監 督 と さ れ て い る
反 復 さ れ る ﹂ と し、 そ の よう な ﹁日 本 婦 人 の貞 操 観 の解 釈 ﹂ や ﹁切
は いな か った の であ ろ う か ?
も の に集 中 し て い る。 対 象 と す る映 画 の中 にも ﹁ヒ エラ ル キ ー 構
腹 ﹂ を盛 り 込 む こ とが 、 共 通 し て い る と指 摘 し て いる 。 そ し て 、 一
九 三〇 年 代 に はす で に外 国 輸 出 用 に ﹁ヨ シ ワ ラ に フジ ヤ マ、 ゲ ー シ
造 ﹂ が いま だ に存 在 し て い る。
当 時 の ﹁ド イ ッ﹂ と ﹁日 本 ﹂、 批 評 ・研 究 対 象 と な る ﹁映 画﹂ と
250
映画研究 の再検討
お ヤ は や め て はど う か 、 と の苦 言 が 呈 さ れ た と も いう ﹂ と 述 べ て い る。
レ ー ル の ﹃ラ ・バ タ イ ユ﹄ が ア メリ カ で映 画 化 さ れ、 早 川 雪 州 が 出
な いが 、 ﹃武 士 道 ﹄ 製 作 が 開 始 さ れ る 一九 二 四年 、 ク ロー ド ・フ ァ
が わ れ わ れ に はあ る の で は な い か。 独 断 的 に ﹁すば ら し い﹂ 映
ら な い のだ ろう か。 し か し だ から こ そ 、 国 辱 映 画 史 を 編 む 義 務
国 宝 映 画 ど こ ろ か、 あ わ れ 国 辱 映 画 の系 譜 に数 え ら れ ねば な
い て次 のよ う に述 べ て い る。
演 し て い る。 そ し て 日本 でも 公 開 さ れ て いるが 、 検 閲 時 に かな り カ
画 (たと えば ブリ ッ ツ ・ラ ング の ﹃ハラキ リ﹄ 企 九 二〇﹀) と ﹁く
当 時 、 す で に ﹁国 辱 映 画 ﹂ と 日 本 側 が 思 って い た の か は定 か で は
ッ ト さ れ 、 日 本 公 開 作 品 は原 映 画 か ら 離 れ て し ま った と の指 摘 が
だ ら な い﹂ 映 画 を 裁 断 す る蓮 實 映 画 狂 人 のご 意 見 に は あ え て楯
突 く こ と に な るや も 知 れ ぬが 、 国 辱 と の価 値 判 断 と 、 映 画 史 的
あ あ る。
そ のよ う な 出 来 事 が あ った から 、 ﹁ハラ キ リ ﹂ ﹁ゲ イ シ ャ﹂ あ る い
達 成 と に亀 裂 の走 る瞬 間 を 見 届 け る 努 力 は無 駄 で はあ る ま い。
下 に、 あ る い は自 ら進 ん で そ のよ う な イ メ ージ を 引 き 受 け て、 製 作
だ が 、 当 時 の 日本 側 の スタ ッフが ﹁輸 出 用 ﹂ と意 識 し て、 同 意 の
え て み る と 、 ま た別 の研 究 が 成 り 立 つで あ ろ う 。 こ れ ま で の映 画 研
く 、 単 にそ の時 代 に 流 布 し た ﹁日 本 イ メ ージ ﹂ と いう 視 点 に置 き 換
﹁国 辱 映 画 史 ﹂ と いう 視 点 で編 ま れ た 作 品 系 譜 を 、 ﹁国 辱 ﹂ で は な
は ﹁日本 婦 人 の貞 操 観 ﹂ な ど が 描 か れ る ﹃武 士 道 ﹄ を 、 日本 側 が お
さ れ た とも 考 え ら れ な い であ ろ う か。 前 述 の冨 田氏 の指 摘 か ら そ う
究 の方 法 論 を い たず ら に批 判 し た と こ ろ で 、 も ち ろ ん何 も 生 ま れ な
そ ら く ﹁国 辱 ﹂ と 評価 し た と も 考 え ら れ る 。
解 釈 でき る。 ま た 、 現 在 の時 代 劇 映 画 を 見 て も 、 例 え ぽ ﹃隠 し 剣
い。 そ れ よ り 、 そ こ か ら 視 点 を ず ら し て、 研 究 自 体 を見 直 し て み た
鬼 の爪 ﹄ (二〇 〇 四) に お い て、 ﹁日 本 婦 人 の貞 操 観 ﹂ (夫 の為 に自 分
ら 、 さ ら に研 究 が 拡 が る であ ろう 。
﹃
武 士 道 ﹄ に つ い て は、 現 段 階 で は あ ま り に も資 料 が 少 な い。 参 考
の操 を 相手 (
敵) に捧げ る) が 、 使 用 さ れ て いる 。 す で に、 現 在 の日
本 人 が 、 ﹁時 代 劇 ﹂ の世 界 に お い て そ のよ う な イ メ ージ を 引 き 受 け
資 料 に挙 げ て い る雑 誌 に当 た っ て み た が 、 ﹃武 士 道 ﹄ に関 す る 記 事
が 出 て こ な か った の であ る。 た だ 、 そ れ ら も 全 号揃 って いた わ け で
て し ま って い る 例 と し て見 る こと も 可能 であ ろ う 。
二 〇 〇 四 年 の再発 見 に お い て ﹁国 辱 映 画 ﹂ に位 置 づ け ら れ て し ま
はな い の で、 欠 号 の中 に ま だ 可 能 性 が 残 って い る。 現 段 階 で は 、 筆
者 が ﹁国 辱 映 画 ﹂ と いう く く り 方 に疑 問 を 挟 ん で も 、 そ う で は な い
った ﹃
武 士 道 ﹄ であ るが 、 こ れ に対 し て 疑 問 符 が 投げ かけ ら れ な か
ったわ け では な い。 稲 賀 氏 は ﹁国 寶 映 晝 ﹂ と 謳 わ れ た 宣 伝 文 句 を 引
25工
と 断 言 でき る わ け で は な い。 当 時 の社 会 背 景 な ど 、 考 慮 に入 れ て考
察 し 直 さ な く て はな ら な い。 フ ィ ル ム セ ソ タ ー の持 つ資 料 や 発 表 さ
れ て い な いだ け で、 九 月 以 降 収 集 さ れ た か も 知 れ な い資 料 に つ い て、
よ う に 思 わ れ る 。 も う 一 つは ﹃
講 座 日本映 画
無 声 映 画 の誕 生 ﹄ (岩
い て 出 て く る のだ が 、 ﹃武 士 道 ﹄ に つ い て と り わ け 印 象 が 語 ら れ て い
波 書 店 、 一九 八 八) に あ る 。 こ ち ら は 岡 島 艶 子 の イ ン タ ビ ュー に お
る わ け で も な い。
(4 ) 山 根 貞 男 ﹁謎 を 謎 と し て差 し 出 す 力 ﹂ (日 本 映 画 時 評 一九 一)
﹃キ ネ マ旬 報 二 〇 〇 四 年 九 月 下 旬 号 (Zo・
H自 ω)﹄ キ ネ マ旬 報 社 、 二
実 際 に調 査 も ま だ 及 ん で い な い。 さ ら な る資 料 収 集 や 精 緻 な 資 料 調
査 が こ れ か ら の課 題 と し て大 き く 横 た わ って い る。 ま た、 こ れ から
﹃ラ ス ト ・サ ム ラ イ﹄ に 通 じ て い る と いう 意 見 は 、 シ ソ ポ ジ ウ ム
他
﹃ラ ス ト ・サ ム ラ イ ﹄ 二 〇 〇 三 、 米 、 ワ ー ナ ー ・ブ ラ ザ ー ズ 、 エ
三頁。
〇 〇 四 年 九 月 十 五 日発 行 、 一 一ニー 二
(6)
ド ワ ー ド ・ズ ウ ィ ッ ク監 督 、 出 演 "ト ム ・ク ル ーズ 、 渡 辺 謙
(5)
再 発 見 さ れ る映 画 に対 し て も 、 当 時 の資 料 収 集 の困 難 さ を 覚 悟 し て、
研 究 対 象 と し て さ ら な る映 画 研 究 に つと め て い か な け れ ば な ら な い
であ ろ う 。
に お い ても 繰 り 返 し 述 べ て いた 。
日 本 の風 景 を た だ 記 録 的 に撮 った も の は 存 在 し て い る。 そ れ ら
(8) 常 石 史 子 ﹁
特 別 上 映 作 品 ﹃武 士 道 ﹄ 新 た に発 見 ・修 復 さ れ た 鉄
は 劇 作 品 と し て 構 成 さ れ た も の で は な い。
(7)
(1) 著 作 権 の制 限 に よ り 以 下 、 写 真 を 略 す こ と は 、 ご 了 承 願 い た い。
砲伝来 を めぐ る 日独合作 時代 劇 ﹂ ﹃
第 四 回 京 都 映 画 祭 公 式 カ タ ログ ﹄
注
(2 ) ﹁新 し き 土 ﹂ 一九 三 七 (日 11 独 、 J ・0 ・ ス タ ジ オ) 監 督 Hア
京 都 映 画 祭 実 行 委 員 会 事 務 局 、 二〇 〇 四 年 九 月 一八 日 発 行 、 一六 -
(3 ) 絶 版 に な って い る も の に 関 し て は 目 を 通 し て い な い の で、 筆 者
(10 ) 同 右
(9 ) 同 右
映 画 は国境 を越 、
兄る ﹂ ﹃
第 四
ー ノ ル ド ・フ ァ ン ク、 伊 丹 万 作 。 出 演 n原 節 子 、 早 川 雪 洲 、 市 川 春
の見 落 と し が あ る か も 知 れ な いが 、 管 見 の 及 ぶ 限 り 、 現 在 の と こ ろ
(11 ) 同 右
一七 頁 。
﹃日 本 映 画 発 達 史
他
二 点 し か 確 認 で き て い な い。 一 つ は、 田 中 純 一郎
代 、 マ ッ ク ス ・ヒ ンダ ー、 ル ー ト ・ エヴ ェラ ー
n﹄ (
中 央 公 論 社 、 一九 七 六 ) で あ る が 、 ﹁等 持 院 で ド イ ツ人 ハイ ラ
四 回 京 都 映 画 祭 公 式 カ タ ログ ﹄ (前 述 )、 四 〇 1 四 一頁 。
(13) 冨 田美 香 ﹁日本 、 映 画 、 異 文 化 1 映 画 に映 る 日 本 の自 画 像 ﹂ ﹃
第
回 京 都 映 画 祭 公 式 カ タ ログ ﹄ (前 掲 )、 四 二頁 。
(12 ) ﹁﹃武 士 道 ﹄ 公 開 記 念 シ ンポ ジ ウ ム
ンド と 提 携 し た ﹃
武 士 道 ﹄ と い う 映 画 を 、 新 入 社 の 賀 古 残 夢 の監 督
で 作 っ た り ﹂ (二 八 頁 ) と し か 書 か れ て お ら ず 、 文 脈 に お い て も 重 要
視 さ れ て いな い。 ﹁提 携 ﹂ と ﹁日 本 初 の合 作 ﹂ で は 、 少 し 意 味 が 違 う
252
映画研究の再検討
シ ンポ ジ ウ ム でも ﹁ハラ キ リ﹂ ﹁ゲ イ シ ャ﹂ が ﹁キ i ・タ ー ム﹂ に
な った 。 ま た 、 マ ヌ エ ルは 明 ら か に 静 香 に 好 意 を 持 った よ う に描 か
れ 、 礼 之 助 の た め に静 香 が 自 分 の操 を 捧 げ る か ら 鉄 砲 の秘 密 を 教 え
て 欲 し い と 訪 ね て き た こ と に 対 し 、 戸 惑 い 、 そ の申 し 出 を 断 り 、 静
香 を 追 い返 し て い る シ ー ンが あ る。 こ の シ ー ンも ま た シ ン ポ ジ ウ ム
の話 題 の 一つと な って い た 。
(14 ) 冨 田 美 香 ﹁日 本 、 映 画 、 異 文 化 ー 映 画 に 映 る 日本 の自 画 像 ﹂ (前
述 )、 四 〇 ー 四 一頁 。
(15 ) 同 右
一〇 五 号 ﹄ 二〇 〇 四年
(16 ) 稲 賀 繁 美 ﹁歴 史 の 珍 品 と そ の命 運 ー 新 発 見 の 日 独 合 作 フ ィ ル ム
﹃武 士 道 ﹄ (一九 二六 ) を め ぐ っ て﹂ ﹃あ いだ
九 月 二〇 日 号 、 二 九 - 三 四 頁 。
第 一號 ﹄ 映 畫 之 日 本 社 、 一九 二 四 年 十 月
第 一七 九 號 ﹄ キ ネ マ旬 報 社 、 一九 二 四 年 十 二 月 一
第 一七 八 號 ﹄ キ ネ マ旬 報 社 、 一九 二 四 年 十 一月 二
第 一七 七 號 ﹄ キ ネ マ旬 報 社 、 一九 二四 年 十 一月 十
第 一七 六 號 ﹄ キ ネ マ旬 報 社 、 一九 二四 年 十 一月 一
第 一七 五 號 ﹄ キ ネ マ旬 報 社 、 一九 二 四 年 十 月 二
(17 ) ﹃東 亜 グ ラ フ ィ ッ ク
(頁 数 な し )
(18 ) ﹃キ ネ マ旬 報
十 一日 、 二 三 頁 。
(19 ) ﹃キ ネ マ旬 報
﹃キ ネ マ旬 報
日、 三 二頁。
(20)
﹃キ ネ マ旬 報
一日 、 二 四 頁 。
(21)
﹃キ ネ マ旬 報
十 一日 、 二 四 頁 。
(22)
日 、 三 二頁 。
(23)
﹃キ ネ マ旬 報
﹃キ ネ マ旬 報
一日 、 二 五 頁 。
(24)
﹃キ ネ マ旬 報
四 一頁 。
(2
5)
﹃キ ネ マ旬 報
日 、 = 二頁 。
(26 )
﹃
映 画通 信
一日 、 二〇 頁 。
(27 )
三〇頁。
第 一八 ○ 號 ﹄ キ ネ マ旬 報 社 、 一九 二 四 年 十 二 月 十
第 一八 一號 ﹄ キ ネ マ旬 報 社 、 一九 二 五 年 一月 一日、
第 一八 二號 ﹄ キ ネ マ旬 報 社 、 一九 二 五 年 一月 十 一
第 一八 三號 ﹄ キ ネ マ旬 報 社 、 一九 二 五 年 一月 二 十
新年 号 (
創 刊 号 )﹄ 梅 光 社 出 版 部 、 一九 二 五年 一月 、
原 文 で は 、 橋 本 氏 の ﹁は し﹂ が 違 う 漢 字 にな って い る が 、 該 当 漢
る。
字 が 存 在 せ ず 。 同 一人 物 と 判 断 し、 あ え て ﹁橋 ﹂ の字 を 使 用 し て い
三 月 号 ﹄ 梅 光 社 出 版 部 、 一九 二 五 年 三 月 、 三 〇 頁 。
﹃
映 画通信
(28 )
(
頁 番 号 な し )、
四 月 号 ﹄ 梅 光 社 出 版 部 、 一九 二 五 年 四 月 、 九 頁 。
一九 二 六 年 七 月 号 ﹄ グ ラ フ ィ ッ ク社
(29 ) ﹃映 画 通 信
(30 ) ﹃映 画 界
ス テ ィ ー ル 写 真 は、 略 す 。 三 枚 と も 、 こ の 度 上 映 さ れ た ド イ ッ版
﹃武 士 道 ﹄ 中 に あ る 場 面 であ る。 ち な み に 上 映 さ れ た ド イ ッ版 に 照 ら
し 合 わ せ る と 、 ﹁マ ヌ エル と 静 歌 ﹂ は 静 歌 が 鉄 砲 の秘 密 を 知 る為 、 マ
ヌ エ ル の 乗 船 し て い る 船 に 訪 ね て い った シ ー ン で 、 船 室 に飾 ら れ た
鉄 砲 を 見 せ て い る 場 面 。 ﹁禮 之 助 と マ ヌ エル﹂ は 、 西 田 (雑 誌 上 は速
見 ) の領 地 を う かが う 二人 の場 面 。 ﹁切 腹 の シ ー ン﹂ は 、 酔 って 静 歌
に 絡 ん だ 二人 の侍 が 、 無 礼 な 振 る 舞 い を 主 君 に 詫 び る 為 切 腹 す る 場
面。
253
(31 )
﹃日 本 映 画 作 品 大 鑑 一集 ﹄ (キ ネ マ旬 報 別 冊 一九 六 〇 年 一月 号 )、
﹃日 本 映 画 テ レ ビ 監 督 全 集 ﹄ キ ネ マ旬 報 社 、 一九 八 八 年 、 五 〇 四
キ ネ マ旬 報 社 、 一九 六 〇 年 一月 、 一八 ニー 一八 三 頁 。
(32 )
頁。
(33) 正 確 に は 、 日 本 映 画 観 客 動 員 数 のピ ー ク が 一九 五 八年 、 映 画 館
数 の ピ ー ク が 一九 六 〇 年 であ る 。
武 田晃 ﹃映画 十 二講﹄素 人 社、 一九 二六
立花高 四郎 ﹃映画 道漫談 ﹄ 無名 出版社 、 一九 二六
寺川 信 ﹃映画 及映 画劇 ﹄大 阪毎 日新 聞社 、 一九 二五
寺川 信 ﹃映画 雑記 ﹄改善 社 、 一九 二五
根岸 耕 一 ﹃国産奨 励 と映画 事業 ﹄ 日本活 動写真 株 式会 社、 一九 二六
速見 清 ﹃映 画と劇 ﹄登 美屋 書店 、 一九 二五
と 常 石 氏 が 語 った ど 伝 え ら れ て い るが 、 京 都 映 画 祭 公 式 パ ン フ レ ッ
吉 川速男 ﹃
活 動写 真 のう つし方 ﹄ アル ス、 一九 二六
水 野新幸 ﹃
映 画大 観﹄ 春草 堂、 一九 二六
水 野新幸 ﹃
大 阪毎 日新 聞活 動写 真史 ﹄大 阪毎 日新 聞社 、 一九 二 五
ト に お い て は、 ﹁発 見 を 待 ち望 ま れ た 映 画 で は な い﹂ と 記 し て い る 。
﹃
全 日本 映画 界総 覧﹄ 成瀬書 店 、 一九 二六
(34) 読 売 新 聞 の記 事 で は 、 こ の映 画 が ﹁意 外 と ち ゃ ん と 出 来 て いる ﹂
そ こ に 、 す で に 日 本 の映 画 保 存 を め ぐ る 社 会 環 境 の位 置 づ け に優 先
﹃日本映 画年 鑑
鬼 の爪 ﹄ 二 〇 〇 四 、 松 竹 、 山 田 洋 次 監 督 、 出 演 "永
他。
﹃映画教 育﹄ 映 画教育 研 究会
﹃映画改 造﹄ 映 画改造 社
﹃
映 画往 来﹄ 往来 社
雑誌
﹃
文 部省 推薦 映 画目録 第 一輯﹄ 文部 省、 一九 二五
大正 十 四年 ﹄ 朝 日新聞 社、 一九 二六
順 位 を つけ る無 意 識 が 働 い て い る と も 読 み 取 れ る。
(35) 稲 賀 繁 美 ﹁歴 史 の珍 品 と そ の 命 運 - 新 発 見 の 日 独 合 作 フ ィ ル ム
﹃キ ネ マ旬 報 第 一七 六 號 ﹄ キ ネ マ旬 報 社 、 一九 二 四 年 一 一月 一
﹃武 士 道 ﹄ (一九 二 六 ) を め ぐ っ て﹂ (前 述 )、 三 三- 三 四 頁 。
(36 )
﹃
隠 し剣
日、 三 三- 三四頁。
(37 )
瀬正 敏、 松 たか子
(38 ) 稲 賀 繁 美 ﹁歴 史 の 珍 品 と そ の命 運 - 新 発 見 の 日 独 合 作 フ ィ ル ム
﹃映画芸 術 ﹄映 画芸 術社
﹃映画 時代 ﹄文 藝春 秋社
﹃映画 時代 ﹄映 画時 代社
﹃
武 士 道 ﹄ (一九 二六 ) を め ぐ っ て﹂ (前 述 )、 三 四 頁 。
﹃映画 研究 ﹄映 画研 究社
参 考 文献
﹃映画 紹介 ﹄ アカジ ンヤ出版 部
シネ マ﹄映 画普 及社
石巻 良夫 ﹃欧 米及 日本 の映 画史﹄ プ ラト ン社 、 一九 二六
﹃映画 雑誌
五味 政和 ﹃活 動写真 講義 ﹄ 大 日本 活動 写真 学 会、 一九 二六
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映画研究 の再検討
﹃映 画 随 筆 ﹄ 映 画 随 筆 社
﹃映 画 と 芝 居 ﹄ フ ァ ー ス ト ・ナ シ ョ ナ ル映 画 会 社
﹃映 画 パ ン フ レ ット ﹄ 映 画 パ ン フ レ ッ ト社
﹃映 画 文 芸 ﹄ つみ き 社
﹃キ ネ マ レビ ュ﹄ 関 西 映 画 通 信 社
﹃週 間 マキ ノ﹄ マキ ノ映 画 配 給 所 宣 伝 部
﹃世 界 映 画 ﹄ 世 界 映 画 社
﹃日 活 映 画 ﹄ 映 画 世 界 社
﹃日 本 映 画 ﹄ キ ネ マ旬 報 社
﹃フ ィ ル ム ラ ン ド ﹄ フ ィ ル ム ラ ソ ド 社
﹃リ ズ ム﹄ リ ズ ム社
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