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名誉革命のイデオロギー構造とロック : 政治機構成立の
社会的・論理的背景
松下, 圭一
一橋論叢, 32(5): 259-293
1954-11-01
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://doi.org/10.15057/4218
Right
Hitotsubashi University Repository
49
名血管革命のイデオ ロギ l構造とロ
下
圭
的構造とイデ才ロギ I性を、統髄的蓮闘において、その
﹁名春革命の思想家﹂ジョン・ロックの金思想の内在
ス問題とその指向性をおたじくしている。もちろん通常
と﹁園富論﹂の矛盾日として提起されたアダム・スミ
識されなかったのではあるが、たとえば C ・C- マクシ
が別々に論じられたため、ほとんどこの封立は充分に意
第一のそれは、理論内在的な問題であって、イギリス
ロ
由
。PE白。江g の一つである
2
・
ュ
L(
傍貼引用者)とし、また
第二章第二節﹁ロックの経験論的方法とその自然法思想
わが闘でも馬場啓之助教授は﹁経揖皐の哲率的背景﹂の
0
とも偉大た知性の持主すらもおちいるまれた矛盾
生来の模利の勇敢友闘士でもあったが、このことはもヲ
ーは﹁生具観念の否定者としてのロックは、また同時に、
尽き)との内在的蓮闘で
名血管革命のイデオロギー構遣とロタク
の具瞳性・感性性と﹁市民政府論﹂における自然擢←吐
ある。すたわち﹁人間悟性論﹂におけるヱンピリシズム
昨日突出え
ci-c
。402Bgy
自然擦の観念を中心とする﹁市民政府論﹂(吋4
5 寸叶
g
a
w
gEmgEぬ 出 口58 守口宏ag出血庄内 尽き)と自然法 H
経験論哲関学の成熟をしめす﹁人間悟性論﹂(﹀回開出血ミ
づの論離を抽出することができるであろう。
これまでのロック解轄においては︽哲塵︾と︽政治皐︾
題であって、これは近年わが園において﹁道徳情操論﹂
合契約設の抽象性・合理性との聞の︽方法︾的矛盾の問
ll政治機構論成立の世舎的・論理的背景ll
ク
松
個有の問題性からとらえようとするばあい、大略してニ
問題提起
ヅ
259
_~ll血迫&
50
論的方法と合理論的思想との交渉によって生じたが、こ
との矛盾﹂においてとの問題をとらえ、﹁その混乱は経験
置づけ をあたえられてきた。しかしたがら、ロッグの思
││近代市民社合思想の護展史の過程において、その位
比すべき問題意識のもとに、ホ?プズ、ロック、スミス
起されるか、あるいはまた最近日本では、大壌史曲学にも
第三十二巻 第
五時抗
の混乱はかれの杢著作を貫いて、その思想に調得たニュ
想を、名曲想問革命の兵瞳的な政治過程に媒介させながら、
一橋論叢
アンスを奥えている﹂とのベ、ロ yクの思想を公式的に
そのイデオロギー性の杢性格を、その固有性において追
︽市民世舎︾論の形成と、通常﹁安協的﹂とみなされ、
遣にかんして提起される。自然擢思想の成熟にともたう
つぎの問題黙は、ロックの思想のイデオロギー性の構
から、ロ yクの重商主義的立場と労働財産設の問題が古
れるととはなかったように思われる。たお経梼開学の側面
導的観念とその構造的異質性との機能的聯闘が問題とさ
求することが試みられなかづたがために、名問答革命の指
﹀
事賞また等族園家的観念にようて指導された名春革命へ
れは、名春革命の経詩的政治的構造とロ yクの自然櫨思
典経構事形成史の一環としてとりあげられているが、こ
1
ハ
している。
とらえられた︽経験論︾と︽合理論︾の﹁複合 L とみな
のロックのアポロギ I (このアポロギーは、周知のごと
第一の問題にづいては、私がさきに護表した﹁ロ yク
想(生命・自由・財産)との闘蓮として、豆観的にはこ
く、﹁市民政府論﹂の序においてロックみずからのべてい
における近代政治思想の形成とその展開(法拳志林・第五
論じた折、その内在的統一性を解糧事的操作により明ら
の第二の問題に踊蓮せしめることができるであろう。
E
合理的自然樺観念と︽古来クたえられた権利︾ Pロロザ
H58色gqH目的伊丹田との異質性が、名臨時日革命の政治的プロ
るところである)との開係がそれで、ロックの抽象的、
セスにおいて、いかたる機能的聯闘をもちえていたかの
十品位・第二一一波)において、ロックの樺カ日政治正統論
の基一昨配念としての︽自然︾観念の形成、構造、機能を
P ックの自然楼
H市民社合論は、問
問題である。一般に
題史的観結からとらえられるばあい、おおくホップズ、
ロック、ルッーという近代世合契約設の系譜のうちで提
260
5
1
円'円。
ou
表現した o す な わ ち ア プ ロ ー チ の ︽ 方 法 ︾ は 理 論 。 内 在 的
展開を規制ナる論現に柑神化する白である。なおとり債依観
かにナることをここるみた。
本稿においては、ロックによる擢力日政治機構論の形
念と機導観念との論理的区別は、たとえばマルクスにおい
摘するにとどめる。なお前掲・拙稿・第二援・四四頁・註
ー白的に︽自然︾として統一されていたことを、ここでは指
て ︿ る の で あ る が 、 ロ yク に お い て は こ の 二 つ の 概 念 が 印
日間︾の範隠との論理連閥として方法論上重要な意味をもっ
ては、史的唯物論にもとづく︽人間的解放︾の概念と︽向
成を焦黙としたがら、第二の問題への手がかりをえてみ
たいとおもう。
(1)
の・。・民回同o
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一O国暗号︿u
- CHH片山口目、]司Z
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馬場啓之助・経済拳の哲事的背景・一九五三年・
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m参照。
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ロタクの政治折口拳﹂︺ Cげ
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国 HY)比一E 目当ロ宮田 D
︾
J52・の第一論文﹁自然法﹂
H
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八二l 一一一頁。なおセイパイシもロ yク の ﹁ 哲 拳 的 綬 昧 性
mwず
B目
的邑22﹂ と 題 し て ﹁ 自 然 棋 は と の 方 法 ( エ シ ピ リ シ
ロ yク の 舟 一 具 概 念 否 定 。 の ち は 会 浬 と し て 批 判 さ れ ず に ナ
ズム│引用者)によって透明することはできないし、また
に お い て 、 未 刊 行 ラ テ シ 語 草 稿 ( 一 六 六Ol六 四 年 に 執
の概念を中心に、この
筆、オックスフォード大間苧出版局で英諜刊行準備中)にみ
2
5
0ロ ロPES-o
ますととはできないということはあきらかである﹂とのべ
られる自然り光
ているo(C- 国-∞ mwHUEP戸
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町。 CHMJ
gqc同旬。日目立口 m︼
w斗
H叩 h r y H U h
・ 玄叩・)
い 。 さ ら に 、 と の プ オ フ に よ り な が ら 、 サ イ モ yが と り 矛
方法の非矛盾性を指摘しているが、この観念の会論四時構成
におけるカテプ F Y ジ ユ な 意 味 に ま で 問 題 を 展 開 し て い な
ととで基礎概念として、私が意味しているものは、会
思想に統一的蓮闘をあたえる範時的観念である。との基礎
(2)
概念はより殻密には債値観念と機導観念とに匝別ずること
れは合現論と経験論の二元論として方法的に一貫している
盾を意識的にとりあげ、その一一放を結論づけているが、と
ことを指摘しているのであるか己、したがって問題はむし
ける政治権力の、思想ないしイデオロギーへ白飛躍の基礎
をなす償値意識日モラルの概念的結日間核であり、開制導概念
が で き る 。 債 値 観 念 は 、 特 定 の 祉 舎 構 造 な ら び に そ ζ にお
とは、この債値観念を基礎に岡山想内在的範障として機能し、
↓
krBO江口柏戸口句 CH
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山
口
色 ω色。ロ
g 問。丘 AvtFぐむ﹁ M門下ぐ・ zc-NW
02
ろ逆轄せしめられたといえるであろう
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口 FC
口
町 C 可げ戸 28]U
げMvp
﹂C
ロロで己{片山口 p- EODHUJur
思想の論理的展開過程を制約する観念をいう。そしてと白
思想内在的な範時的制約関係H方法を﹁論理構成﹂として
名 春 草 命 の イ デ オ ロ ギ ー 構 造 と ロ yク
2
6
1
同唱MN
・
一橋論叢
第三十二容
ロックの思想史的位置と
第五競
理にたいするインストルメンタルな存在として、すなわ
ち自由と財産の秩序たる︽市民枇舎︾の道具・機棟とし
て、副次的意義においてのみ把握され、市民社舎の自律
論が貫徹され、ある意味ではもっとも︽非政治的︾な政
性への︽自然︾的確信を基礎に、市民社舎と間家の二元
テ司ン・ロックは、通常、古典的市民政治理論の形成
法・自然様の観念によって聖化された生命・自由・財産
政治機構論の形成
者として知られている。﹁精神の立場の徹底的革命﹂(へ
ー丸山による連語的論理の完徹│イギリス経験論の
を基瞳とする非政治的た論理構成のゆえに、それは何よ
化され、その杢論理構成のアンファングに設定された。
自由・財産の確立が・自然法n自然断げ観念によっ(け一霊
紳事思想、下極たる多元的閉鎖的中間共同種内部の侍習
を含んだとはいえ、中世的イデオ官、キIの上極としての
る政治思想、また中世においては、教櫨と世俗楼の封立
って形成されたとされる。古代ギリシャのポリスにおけ
ルネサンス期イタリアのニ?コロ・マキァヴェルリによ
一般に、政治的思考は、権謀術数という一言葉で有名た、
主義的権力構成原理の源流とたりえたのである。
って、ロッグの理論は市民的自由主義国家像たいし立憲
三に必然化された擢力機構のルール化 H手積化とあいま
りも静態的た法秩序優位の思想として組みたてられ、そ
治・園家理論を形成せしめたのであった。しかも、自然
成立ーーによってもたらされた︽自然︾の観念の成熟と、
それを基礎とする自然欣態←自然擢←社合契約のプログ
ラムによるロ yグの市民社合 H園家理論は、つぎの十八
世紀・啓蒙の世組において、イギリスのみたらず、全ヨ
1 ロ yバ的スケールをもって繕受、護展せしめられ、直
接間援にアメリカ調立、フランス革命のイデ太ロギッシ
ュた推進力となったとされている。
園家闘係は、これらの市民的秩序原理1 1個人的自由と
的思考も、本質的には、ゾ l オン・ポリテイコンの思考
ロックにおいては、すでに、市民的生活慎値たる生命・
財産の檀系とは、直則された、しかもこの市民的秩序原
2
6
2
5
3
であった。それは、世舎における異質性よりも祉舎の等
質性を前提とした非政治的た、しかも政治的関連が同時
e
支配と服従、努力と自由のアンチノミーを充分自莞的に
提出するととはできたかった。マキアグェルリの思考の
ルネサンス期イタリアにおいて、マキアグェルりは博統
あり、さらに絶封主義への傾斜をふくんだ、この動乱の
活動を背景として偉統的秩序、ないし倫理が崩壊の過程に
たということができる。これにたいして、前期的資本の
ていたということができる。それゆえ、また、伎の政治
ァヴェルリの封立も、殺においては即自的に自同化され
題とされる共和主義者マキアグェルリと君主主義者マキ
のである。したがって、通常マキァヴェルリ解理論上問
の意味で彼はまた古代復興││ルネサンスの人であった
る古代官 1 マ 的 危 ヴ ィ ル ト ウ 乱 立 応 の そ れ で あ り 、 そ
的思考たいしモラルを超えてダイナミックな政治的思考
的思考は、特定の祉合・生産関係において成熟したモラ
基軸的観念は、樺カと自由を直接無媒介的に統一してい
の論理を樹立したのであった。すたわちその政治的思
ルを媒介とし友い(動乱の過渡期ルネサンス日)、ナたわ
に経構的基礎のみたらず意識形態においても、杢吐合関
考は、まず第二、動的た政治献況の思考として││瓦・
ちE続 性 F品目注目立九芹の原理を基礎にもたないlーその
係を杢瞳として統一的に内匂するようた思考形態であっ
フライヤIの言葉をかりるならば﹁政治的た力の揚の構
官母印2 3 5出
遺﹂22
品gptHEおの︽必要︾
β28前日広が客観的に強制する政治技術的 A口理性の思考
サンスとおたじく封建制の危機を背景として、嘗時の支
ある。他方、その指向性をまったく異にしたがらもルネ
いる)として獲得されたのである。じかしたがらとのマ
とればレゾン・デタH園家理性の観念と結びづけられて
封置という外在性をもの
ネサンスは、カトリシズムにたいする新しい文化原理の
配的た意識形態であるカトリシズムを内在的に批剣(ル
意味ではまた抽象的た││樺力の思考にとどまったので
として貫徹され、づいで第こには樺カ倫理の高昇(通常
キアグェルリ的政治思考は、権力献況の動態性を前提と
デ定ロギッシュた契機として大衆的たェ、不ルギーを暴護
J)
することによって、それをイ
したがらも、いまだ近代的意味における治者と被治者、
ふ名血管革命@イデオ回ギ 1構造と p p p
263
峰子~_ ;
;
.
;
;
.
.
u
5
4
一清論叢
第一一ヱ﹄二巻
第五輔副
問題史的意味において、権力と自由という近代に固有
代的な︽圏家︾像を形成することはできなかった。しか
しめたにとE まり、この封極を統一的に内包している近
ろ主韓的な人民の樺利にまで問題が轄換せしめられてい
た︽政治︾的アンチノミーは、中世一世舎における多元的
もまたこの樺力と自由のアンチノミーを統一的に把握せ
せしめえた宗教改革すたわちクル・プロテスタン一アイス
た自然秩序を打破したがら登場してくる結封主義樺カ形
しめうる正統性の根擦としての秩序原理もいまだ未成熟
うた。じかしたがら、いずれも、権力と自由、治者と被
成の過程において自畳されてきた。すたわち一方におけ
ーーとの秩序原理は、近代ブルジョアジーによる市民吐
ムスも、その︽政治像︾においては中世的構成を一歩も
る主樺観念の構成と他方における抵抗擢理論の形成と
舎の形成とそのモラルの高昇を基礎として、祉舎の統一
治者の問題の一方のみをポレミッシュ友意味で尖鋭化せ
して。 (I﹀ ボ lダンを中心に形成された主樺理論は、成
的再生産過程を反映する自然法思想として得られるので
でていたかヮたことは論をまたたいであろう。
熟しのノクある絶封主義園家権力を、紳率的普遍主義秩序
この方向への一歩前進はグロティウスによって一なさ
あるがーーであヮた。
制原理)との壁方にたいして、排詮したのであり、主楼的
れ、さらにこの問題のドラスチ yクな解決はホ yブズに
と奮来の多元的共同瞳規制(封建枇舎における貫質的規
存在としての圏家樺カを最高・絶封たものと規定したの
(E)
他方、モナルコマキ等によって主張され
であった。
における王 BM と人民(圏鰻)ちゅ己5 との二元的封
れ、権力と人民とのアンチノミーは権力の共通的主盟
周知のごとく理性 H自然法に決定的た近代的轄換が友さ
ランダ商業資本を背景とする所有の問題を媒介として、
よってあたえられる。まず、グロティウスにおいて、オ
立というかたちをとり、その貴盟においては封建貴族の
主え
た抵抗樺は、その理論の構成においては等挨園家的意味
既得特櫨の擁護にすぎなかったが、この観念の展開の過・
としてとらえられることにより、その融和が試みられた
852β と固有の主韓 m丘2 官 。 れ と の 闘 係
程において、王と人民との二元的相闘闘係よりも、むし
2M
55
が、しかし統一的閤家像へと撰集せしめることはでき宏
する棲力のコロラリI化として解決されたのである。
然法の観念を基軸とする論理蓮闘において、自由にたい
ここにみられるようたロックの政治理論・間家観は、
かった。このアンチノミーへの解答の決定的段階は、ホ
ップズによって、寓人にたいする寓人の闘争←吐合契約
(I)
たらされた。しかしたがらとのホップズにおいても、主
思考方法によってもたらされたのである。しかもまたそ
代的ノミナリズム 1 1原子論的・機横論的経験論哲事の
論理内在的には、窮極の貫在を︽個︾とみたす近
←リグァイアサンの形成という論理的プロセスとしても
に構成された全能た園家が人民を塵殺し、社合契約にお
髄的人民の登場にもかかわらず、その人民の平和のため
過程は、官?クにおいてはじめて、前述のごとき論理構
ととにみたようた近代政治思想史における問題展開の
哲皐における八 f子の自己完結性の理論の未成熟││分子
運動の形態率的アプロけチ!ーのため、との人魚的物糟
的構成物日人魚的物睡とされたのであるが、その経験論
においても園家は佐合契約設によって説明され、機棟論
の機構化もはじめて可能とたることができた(ホップズ
れにともたつて枇合関係の前近代的責憧性の否定と園家
成に工って、市民的解答があたえられた。ロックがその
いて自然法は自然楼を否定してしまうのである。
後のプルジョア政治思想の展開にあたって決定的意味を
としての園家は︽道具︾としてよりも人民のすべてを吸
て把えられた)。
牧しタくす内費的な賓在日地上的神宮。え色の。仏とし
有するのはまさにこの黙においてである。
自然朕態において自然樺を享有する自己完結的た個
人、その個人の自然櫨の貫瞳的基礎とたる︽勢働︾にと
市民階級一般(ここでは各園ブルジョアジーの不均等愛
しかし、また、このようなロックの解決方法は、
自然法の支配、さらに・自然櫨の擁護と自然法の賓殺性の
(E)
確立のために、合意による道具としての政府の創設(祉
形態によっても必然化される。すたわち市民階級は何よ
展たいし歴史的護展形態を一膝捨象する)の擢力の存在
もたう所有権の確立、自然楼を相互に調和的に規制する
舎契約)。このように権力と自由のアンチノミーは、自
名春革命のイデオロギー構造とロタタ
2
6
5
りもまず私的階級官守旦忠告-仏である。市民社舎は、個
家と封立するのであるが、このような問題性は﹁ブル
ルにおいても自律的な吐舎として、義母たる結封主義園
第主務
個人の慾堅の法則に基礎をおくところの、非政治的友経
ジョア的意識﹂においては市民世舎と園家の匝別・二元
第三十二巻
樺的必然によって結合する枇舎であって、公的な園家か
一橋論叢
ら二廃論理的には匝別される私的吐舎として存在する。
とは、ここで論をまたたいであろう。しかもこの私的 H
の二元論を背景として歴史的に成立するそれであるこ
力におけるような、きわめて政治的危楼力(超越的債値
市民的生活と公的園家関係の分離は、貫質的生活債値の
的封立として把握されてくる。前述のアンチノミーはこ
によって正統化された経韓外強制日)とは質的に異っ
私的生活領域への還元と相まって、園家の機構化を完成
市民階扱の楼力は、絶封主義閑家をもふくめて封建的権
た、本質的には経横的祉舎における非政治的構カである。
︽財産︾の擁護││資本主義的私的所有と資本の運動法
(関民主権型コIス)といういずれの過程をとるにせよ、
いしは蕎岡家楼力の打破にともなう新園家権力の樹立
は、嘗困家櫨カのブルジョア化(立憲主義型コ l ス)な
の意味で絶封主義圏家にたいする市民階殺の革命的闘争
ロックの有名た革命楼の理論も登場しえた。ことでは園
の信託として説明されている。かくして、またとこから
って構成せられた自律的友市民社舎の櫨カの園家機構へ
ロックにおいては、とのプロセスはまず一位舎契約によ
しろコンペン、νョナルた(約束上の)構成物に韓化した。
点以るモラルの調占と超越的困家
AAの強制的配給とに
封比)。園家は論理的には市民社舎外的な存在として、む
することにたったのである(絶封主義園家における間家
則の貫徹││!のための闘争であって、それは非政治的擢
家機構は可費的な存在に韓化し、君主は中世的な契約誌
市民階殺の楼力は、直接的に政治的櫨力であるのではな
い。ここでは経漕的樺力の政治的意義が問題と恥問。こ
カの政治化として貫徹されているのである。したがって
にみられるような意味での政治社合
σ。印可甘え庄のの本
園民園家の全領域にわたって自己の運動法則を貫徹した
質的な要素ではたく、吐合契約によって全躍となった人
F
進一一」ーー一ー一一
市民吐舎は、経時倒的基礎過程の把握を前提として、モラ
2
6
6
民の機関にすぎなくなっている。 ロックは
述べることができた。
ぎのごとく
AJ
を可能ならしめうる濁自の封象領域が論理的にもたらさ
れることとたるのであり、そこにおいて政治構力の吐舎
﹁政府が解消すれば、人民は自由に丘ばぴ叩ユ司、彼
同じ。)
凶
,
gp注目ゆえの守口の0
4
2
H
H
H
H
H
σ巳・陥 NNO の略。以下
・
口
・ mNHHHmRC
直別したければならない﹂ (CC4
目
己
舎 ω25q の解消と政府 C0420医師尽の解消とを
に お い て 、 困 家 櫨 力 の 形 成 H正 統 論 の み を 前 面 に お し だ
た、この政治機構論の成立は、おたじ社合契約設の系譜
楼力の︽機構論︾が可能とたりえたのである。そしてま
超 越 的 原 理 と も 結 び づ き え な いl
i
lたらびに闘家ないし
を問題とすることが可能となり、排誼論はもはや何らの
れた︽吐合︾の出現により、政治権力の↓粧品問内在的機能
内在的︽排詮論︾││前述したごとく園家機構と直則さ
等の安全および義口にとヨて最良と考えるがままに、
しているホップズ、ルソーにたいするロックの決定的優
﹁政府の解消を論じようとする人は、まず第一に吐・
人間H
V
2
g
Eまたは政抽涯を費えることによって、ま
位性を示すものとなっている。
円凶
w
H
CHHO
Raw の。出口町 ロ
FZ
(1)
当
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吋
・
出
品
。
﹁
︿
田
口
口
相
官
口
出
ヴ
。ロ目白血 同
N
E
唱
。
∞
咽 mw- 申H
RHVEHcgHUEFaz?出
ロ yクは、自然法と自然様の異質的野立を設定したホ
(2)
タプズとは異なり、自然様の具盤的内容は、また自然法と
してとらえられ、客観秩序化せしめられている。たとえば
口という主樫的な自
ロックは﹁自己保存﹂目。民雪gR ︿伊豆D
然棟。内容を、基本的にして神事不可侵の法とみなしてい
るが(のC
J
w
F 申E3、これは市民的生活債値の一騒の客
観的な成熟と安全とを反映したも白である。なお λトアな
たは雨者とも費えることによって、以前のものとは
臭る新しい立法府を彼等自身のために設立すること
ができる。なぜなら吐舎は他の何ものの溶度によっ
B
m
ても、その祉舎がそれ自身を安全ならしむるために
mHHH
けを決して失うものでは
有している生れたがらの、かづ基本的た権利甘
g
t
g
p目白 2Gg色 立
‘ないからであるし。への。 J・
mNNC)
1ロ しかも、公的閤家から市民的、私的一位舎が直刑された
ととは、倫理問宇や経商事から直則される意味での政治問宇
名著革命@イデオロギー構造とロック
267
,
.
t
.
.
o
.
.
.
:
J
品
品
一橋論叢
第一一一十二巻
第五毅
いしスコラの前近代的自然法、さらに近代の大陸型の自然
法と、ホ yプズ、ロ yク か ら ア メ リ カ 濁 立 宣 言 に い た る ブ
ルジョア革命型の自然法を直別ナるのは、この自然様概念
通常、ロックについてその理論の安協性、二菌性、非
の主鐙的形成であるととをとこに注意する必要があろう。
(3)
論理性が問題とされるが、とこに略述したように、その基
礎 概 念 日 論 理 構 成 の 近 代 的 旋 悶 を カ テ 主 p y ジユな意味で
とらえることりできないばあい、安協性等弁を問題にする
とと、それ自慢がナシセンスとなるであろう。との問題は
口 yク は │ │ 自 由 ・ 平 等 で 自 律 的 な 個 人 の 登 場 、 と の
にづいても同様である。
本稿第三節でのべるように︽妥協︾的といわれる名春革命
(4)
m
Dロ円。々、母国幽民的共同樫︾ gBBCロ
いう︽市民社合︾ロ守口i
伺 人 の 内 在 的 必 然 性H 欲 望 の 法 則 に も と づ ︿ 鮭 舎 的 結 合 と
巧op-50観 念 を 成 熟 せ し め た け れ ど も 、 し か し な が ら 、
いては、いまだ想到する
との枇曾の基動力たる資本の運動法則←生産一カの樫系につ
ζと は で き な か っ た 。 ロ yクにお
いては︽持働︾にともなう私的所有の成立と貸幣を媒介と
って生産的舵労働一般ないし有用的持働が定位されているの
する所有の姉、大についての観念、があるのみである。したが
みであって、資本と賃納骨働との野立の問題は瀬在化してい
E
(5)
同
ω
(6)
-AFmψ
・
gEPぐOE︹
H
a
)戸口H
国・吋同町可。一吋晴嵐m
M
U
冨O
U
1
0
H田内-oEO出血H
ω
∞wお
︺い{屯
同日目白口司白口 FHmNM
民・の円。片山口出切り白﹄5・
0 切O
・4。--F
グロティウスの理論は爽雑物おおく論環的に一貫した
HHF ﹃・(邦議・第一巻・四回頁)
立論を抽出することは困難であるが、わが図でも著名な自
(7)
といわなければならない。
然法思想の近代的韓同のみならず、重要な意味をもづもり
ロタクの一位舎契約設については、前掲拙稿・第七節
(一枇舎契約設の必然性とその政治的意義)を参照。
(8)
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なおマルクスは﹁図家の郎自的に存在
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せしめ﹂ざるをえなかった、へ 1ゲ ル に お け る ド イ ツ 的 問
する諸国遍を市民社舎の特殊的な︹私的︺利径と欲求に封立
題性を指摘しながらも、ブルジョア一位舎における﹁政治図
ーゲル図法事批剣・改造社版マルク
λ ・エシゲルス全集・
家と市民枇舎の分離﹂の本質的意義を強調している。(ヘ
第 一 巻 ・ 三 三 三 頁1 三三七頁)。
(日)絶品到主義図家の成立は、他方中世的なカトリック普遍
唱曲
ない。それは産業革命前夜におけるアダム・スミスの︽経
済︾拳にまたねばならない。
2
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教舎を分断し、キリスト教は図民化、図家化されて、図家
日
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として機槌した。たとえば有名なスペインの宗教裁判 P
枇 曾 と 図 家 θ区 別 と い ラ ブ ル ジ ョ ア 的 解 答 が あ た え ら れ る
のである。
しなかったが、この鉾詩論正機構論との直別を白直覧してい
(ロ)ロック自身も、﹁市民政府論﹂において具慢的に展開
た。﹁政治問学町包{片山口出は相互にまった︿臭った一一つの部分
を も っ て い る 。 一 つ は 図 家 の 起 源 CEmE色 あ る い は 政 治 機
カの始源江田O と能力。阿H
OE の 問 題 で あ り 、 他 は 閤 家 に お
一可
山岳山岳ロはロ 1 7法 王 膝 の そ れ で は な く 、 ス ペ イ ジ 絶 品 詞
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咽日
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主 義 の そ れ で あ り 、 ま た イ ギ F ス 園 教 舎 の 国 掲 げ のC
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gロ も 同 様 な 機 能 を も づ も の で あ っ た 。 ま た 白 木 の 天 皇
唱
(日)一般に知的に指導きれる一枇舎ないし岡家の組織化・機
論 の 成 虫 の た め の 資 質 的 マ テ P アルをなしている。
ピア﹁オセアナ﹂など。すなわちこれらの終験は政治機構
の ﹁ カ ロ ラ イ ナ 基 本 法 ﹂ の 草 案 立 索 、 ハ p yト y のユート
民 地 建 設 の 終 験 を あ げ な け れ ば な ち な い 。 た と え ば 口 yタ
政府機構の務化の経験、ときらに営時のイギりスにおける耕
イギ F ス寧命の会遁程における数次の権力移動尺ともな、勺
たお、ロタクにおける図家機構論の成立にあたっては、
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け る 統 治 の 技 術 PB の問題である﹂ m
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制イデオロギーも政治的機能においては、おなじ指向性を
もっていたことにヲいては論をまたないであろう。もちろ
んセクトの分裂の極端なばあいは、とのようなエラスティ
ア エ ズ ム を 貫 徹 す る こ と は で き ず 、 一 時 的 に 、 逆 にJ ・ポ
ーダ yに み ち れ る よ う な セ ク ト 的 針 立 を 超 え た 様 力 の 耕 詮
をもたらナとともありう一る(とれは近代的寛容というよ
V ンテイズムで
ある)。しかしながち一般に絶封主義穣カの存在形態の必
りも図家探性の立場におけるイシダイアア
も指摘ナるように、政治的自由の闘争は必然的に良心の自
然性からエラステ 4 アユズムが貫徹される以上、トレルチ
しての共同際規制の経費性から社合開係がとらえられ、と
で き な い 。 前 近 代 的 思 考 は ア ア 9 ナV ズ ム で あ っ て 所 奥 去
れらの中間的多元的諸共同樫白金秩序は、きらに帯同時の知
権化という問題は前近代的思考においては資見するととが
由H寛 容 へ の 闘 争 と 結 び つ い て 登 場 す る と と に な る ( 肘 ・
時
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肘勢働の捨営者支る信侶階級によ勺て、神的秩序の反映・
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との問題については、市民革命によって、私的信仰H市民
名 春 草 命 の イ デ オ ロ ギ ー 構 造 と ロ yタ
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0
第三十二巻
第五貌
においてのみ、こりうえない熱意をもって要求され、﹁立
一橋論叢
流尚として永遠化・翠化せしめられているのである。いわ
く後世まで図事。蓮轡を規制する法僅系を整備すべきで
法者は将来の政鴎胞をすべて偶然に委ねてしまうべきではな
EZロ の 論 理 の 形 成 は マ ニ ユ ア ア ク チ ェ ア
の展開と他方における紹封主義図家機カのダイナミタクな
ゆる︽作銭︾旨
という誇の成立の問題が興味あるものとなるので
あるが、それはいまだあきらかにされていないというとと
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きるであろう。(ぽリ問
5q-E唱ヴ日刊吋・国・のHoopSHN-HU・混同・)
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またことで英語におけるお話ロロゆえ暗色5 2 やカ♀円昨日
っ た 非 人 格 的 機 構 化 、 手 段 化 の 思 惟 の 成 熟 ξ みることがで
す﹂とのべている。このととはおなじ︿図家の可測性をも
θ作 震 の 論 理 は 超 越 的 債 値 な い し 資 蜂 論
登場を背景として可能となる。しかしながらこの総数主義
時代においてはと
的な闘家法性の概念との結合のために、世舎ないし園家の
θ客 盤 的 俊 件 は 基 居 的 な ︽ 市 民 世 舎 ︾ の 展 開 に と も
組織論・機構論としては完成しない。との組織論・機構論
の成熟
なう図家H枇舎の二元論の貫徹であり、主種的篠件は作然
的 思 考 方 法114貝塚初は機械論的思考として登場する1li。
形成である。イギリス経験論はかかる論理として機能しえ
ていたことに注目されねばなちないであろう。
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ヘ叫)古典的市民政治拳は、とり意味で康史的に形成された
出
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た、したがって自然様←祉曾契約による図家の拘象的構成
定 し た イ ギ F ス 終 験 論 の 最 後 白 哲 撃 者D ・ ヒ ュ I ム は 、 ま
におけるいわゆる﹁近代政治事﹂の問題は、非政治的と定
関家と一位舎の分離を背景としち成立するのであるが、現在
三
には反勤したが││そしてこのことは名春革命以来のホイ
のち習慣の論調刊によってアプリオリな閃果律の存在を否
タギズム樫制の安定化・習慣化を禁味ナる││、彼は﹁政
2HHMP可ヴOBE
治撃を科聞宇たらしめるために﹂吋甘丘町三5
非合理的なものの溌見という二つの相鞠的問題性として意
他方
ある。とのととは
識されたが、さらに現在このことはコミュニケイションの
(E)
。
︽
ごcmwmロ古田尽において、﹁特定の人間の偶然的な気質
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アトミ?クで合理的な人間像の崩壊││政治行動における
プ閥係への蹄属││グループ(集同)の登場と
式化された︽市民社曾︾の内部における︽政治︾の後見に
アトミ yク な 等 質 的 個 人 の グ ル ー
や性格﹂に左右きれない政治組織の安定性、恒常性の問題
同様に一般的で確賓﹂でありうるとしている。さらに安定
(I)
をとりあげ、政治形態にかんする思考は﹁数撃的誇科事と
的な法律・制度・慣習は専制図家とは具なり﹁自由な図家﹂
270
61
ζ こにいわゆ
技術の愛遣を背景とする︽マス化︾の現象と同時に虎斑きれ
な け れ ば な b な い も の と な っ て い る o そして
る 骨 骨 仲 附 な 政 治 は 骨 骨 仰 が かm還 流 し た の で あ る 。 か く
してここに二元的野立を前提とする従来の政治機構論は政
で轄化したイデオロギーとしては機能しえていなかヲ
、
た。すなわち通常、ロヲクは名恐ロ革命のイデオロlグと
して解揮されているけれども、その理論は名春革命の客
ある。この問題は、後述するごとく名春革命の金構造か
骨骨たアポロギーとして機能するにとどまワていたの f
ら必然化されているのであるが、名血管革命のイデオロギ
治遁程論に挑戦吉れ、それにともなう一位曾過程。機能論的
政治化的把握は、方法論に洗煉されないまま、政治拳の嚇剖
クの論理構成からその主導的償値観念を供給されていた
ーは、抽象的た自然穫というアンファングをもったロ y
象領域の惜明大としてあらわれている。なおこれらの問題に
づいてのマルクス主義的アプローチはここでは省略する。
( お ) 園 式 化 し て の ぺ れ ば 、 ホ yプ ズ に お い て は 抽 象 的 な 意
のではたく、むしろ別個の債値観念によってにたわれて
では名春革命のイデオロギーはいかたる構遣をもって
(1)
は、のちにみるように、すでに成熟している犠力の合理的
-昧での園家機カの確立が、ルッーにおいては市民的図家権
力 の 概 念 的 先 取 が 問 題 と な っ て い た の に た い し て 、 ロ yク
いた。
鉾登と齢骨ム仰が問題とされていたといえるであろう。
いたか。そしてアポロ、キーとしてのロッグの理論とはい
以上の工うた論理構成から、ジョン・ロッグは、み。す
ロギーから弟離していたにもかかわらず、首時の祉合的
念ロックにおける論理構成は、名巻革命の指導的イデオ
かたる機能蓮闘にたクものであるか。さらに、このよう
からもその﹁市民政府論﹂の序言でのべたように、名春
政治的情況からどのようた脈絡によって必然化せしめら
名血管革命のイデ方ロギ l構 遺
革命によって成立したレジームを正統化していったので
れたものであるか。
、
によってその法制的確認をえたが、との﹁権利章典 Lは
名春革命は一六八九年の﹁擢利章典﹂田口広阿古げ仲間
あるが、しかしながらロ?クの理論は、名春革命のトレ
ーガーたるコンヴェンション議舎のホイッグ系政治家た
ちによって推進された指導的た、そして物質的たカにま
名血管革命のイデオ国ギ I構 造 と 田 タ タ
2
7
1
一 品
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一構論叢
第三十二巻
第五披
EE
は、全般各別に、との王園の人民の合府市開炉いかが
真正、明白た権利および自由であって、何人もまた
かく考慮、確認、判断、思惟、了解し:::、前記各
項は確然かつ巌然、遵守保持せられねば友らたい。
百僚有司は、ことごとく、将来において、右宣言に
した叫に)て雨陛下および雨陛下の継嗣に奉仕せねば
たらたい。﹂(傍黙引用者)
として前面におしだした﹁アメリカ掲立宣
このような名春革命のイデオロギーは、抽象的な自然
楼 H人権観念から出費し、︽人民︾を構成的権力
MM戸
G ぎぽ
昨日
gEEPE
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たえられた自
言﹂、﹁フランス人楼宣言﹂めように、原子論的、機棟論
的構成をもつものではなくして、古来の
由、権利の観念を基礎とするものであっ売。それは封建
H等旋圏家的殺意味における議舎を主曜とする町民貯の楼
伊丹
利にほかならたいのである。ナ友わち封建的権力構成
gas
は、類型論的にとらえるならば、知行園家 F各
(多元的)、等挨園家 P
EArぇE け(二元的)、結封圏家
-522SH(一一一万的)と展開するのであるが、この
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p
。
由
﹁楼利章典﹂において主張せられた楼利は、等族舎議
272
イヱリネックによってすでにその﹁人権宣言市︺に明ら
S
かにされているように、組先から纏承した︽古来の権利
および自由︾
丘町民立怠ー仲間 P白 血 ロ げ 白
の観念を基
軸として構成されている。
﹁権利章典﹂は﹁プロテスタンテイズムおよびこの王
閣の法律および自由を侵害﹂せんとしたジェ 1 ムズ二世
を攻撃するとともに、十三項目にわたる事項を、傍侶、
貴族および庶民の﹁疑うべからざる﹂しかも﹁祖先が同
様のぼあいに(失われる危険のあるばあい││引用者)
つねにおとたったように﹂確立されるべき﹁古来の擢利
および自由﹂として.宣言し、オレンジ公ウィリアムが迎
立せられた理由を述べている。その十コ一項目とは、議舎
の法律承認棒、主権の悉意的行使の制限、宗務裁判所の
禁止、議舎の財政監替棒、園民の請願楼、常備軍にたい
ナ一る議舎の承認擢、プロテスタントの自衛権、議員選拳
の自由、保理金・刑罰の制限、陪審制、裁到の平等、議
舎の開設にづいての権利で、おもに議舎 HUH-558H の
﹁前記宣言中に確認かヲ要求された楼利および自由
権利を中心として構成されている。
6
2
に客観化されているイギリス人の権利江ぬ冒え任。
て、君主権との牽連関係を前提とし、イギリス王園の法
の楼利、あるいは人類一般たいし人聞の権利ではたくし
的櫨利の観念の構成のように、法に先行する絶封不可倭
のである。すなわちこの︽古来の擢利︾の観念は、近代
園王に封置される)の封建的特楼的権利にほかたらない
世紀初頭以来の憲法闘争における古来の会議舎の特権︾
て長期議舎の権力を突破したイギリス第二草命は、十七
い債値観 H モラルの高昇をともたうのであるが 111そし
徹底的に打破寸るために、灼熱的たシンボルによる新し
しての革命は、奮瞳制に閏着するぺリ 1 フ・システムを
も、一般に祉舎の全睦制的轄換と政治的支阻暦の費動と
替をドラスティックにもたらしたものではたい。しか
化によって必然化された祉合的政治的支配層の徹底的交
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O
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) であった。名問事口革
H
}広え匹目印 89]自(2E目
立-
の主張をこえて、﹁人民協定﹂た主にもみられるようた
EEPSぬ(一一元的楼力構成をとる等族園家において、
命のコンヴェンション議舎が主張した権利は、後期スチ
にまで下降しえたのであっ.
た1 1、名琴革命は、新しい府間借観念の昇華ξ燃焼を必
昨日
2
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﹁全然の楼利﹂
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Eご P当 な い
要とすることたく、同王にたいする古来の議舎の特槽擁
目白血
しマグナ・カルタの一紳悟によって鼓舞された、等族合議
護という既成のシンボルの操作に工って、その一六八八
にたいする闘争として、基本法 E
y
v ュには
ナシhvIルたスケールにおけるヨ 1 マン暦←中産的生
す、なわちイギリスの市民革命は、その基層において、
年をE続化してゆくととができたのであが十
的特穫の復活、復古という形態をイデオロギ
とっていたのである。したがってこの甑念はまた長期議
Z
ンシ冒ン議舎のイデ沈ロギ I の纏承でもあったので
合、また一六六O年のレストアレイションにおけるコン
グ
合暦への針懸の仕方に膝じて、しかも他方におけるスチ
産者層の形成を起酔潤色している。との工うた裳暦的、た旺
名嗣事国革命は通常、革命という一言葉によってフランス革
ュアート結封主義の上昇とあいまって、奮来の支配暦を
ある。
命を原型として理解されているよう念、生産諸関係の.捷
名春草命@イデオロギー棒遣とロ?ク
273
ュアート朝のプレロガティブ(大権)の撰大への再傾斜
63
64
同時に中産的生産者暦の政治的支配暦としての未成熟か
クロムウエルの調裁││階放封立主閑際的危機の激化と
二つの分沃に抗争せしめ、さらに第二革命において一時
する鰻制でもあったのである。それゆえとの瞳制は産業
にイギリス第一帝聞の建設としてクライマ?クスにたラ
とされるほどの議舎の専制によって特徴づけられ、さら
想起せよ﹀、他方では﹁もっとも腐敗した寡頭制の一つ﹂
第五披
ら必然化されたーーーをもうむが、このような十七世紀の
で、スミスやペンサムなどをイデオロギッシュた代問者
資本のヘゲモニーの確立する十九世紀に入るにおよん
密史的には議合重商主義あるいはバ 1 ラメンタリ・コル
的たジエントリー←貴族居による議合主権確立を意味
を基動因とする資本制的生産関係の展開に機能的に適合守
名春革命は、との意味において、ヨ 1 7ンリ 1 の登場
274
一橋論議第三十二巻
政治闘争に一臆の最終的解答をあたえたのがこの名春革
ペルテイズムといわれる園家(議合)を背景としたイギ
し、それゆえにまた、との政治的支配暦の等族議合的ぺ
としたが呂、マンチェスタI運動を中心とする諸﹁改革
リス資本主義の本源的蓄積期に相常し、政治史的にはイ
リ 1 フ・システムの横張たいし機能轄換として貫徹され
とする一八三二年の選拳法改正(一八三二年の革命日)
命であった。その後、産業革命日産業資本の成熟を背景
ギリス型議合主権 H議合寡頭制の時代といわれるもので
たのである。すなわちイギリスにおいては、結針主義以
運動﹂によって否定されていくことになる。
ある。との時代は、一枇合的基暦における中産的生産者暦
前の等技的闘家形熊の主張が、基礎的関係の近代化を僚
J わゆるホイ?ギズム睦制は、経
にいたる一一九0年間の い
シアン的たいし過渡的性格によって政治的支配層にま
Z
ている問題はまさにとのことを意味する。
あった。通常名血管革命の︽妥協的性格︾として述べられ
件として、絶封主義にたいする抵抗と友りえてい売ので
のたえざる析出・分解を基調にしながらも、そのリリピ
で轄化しえず、活に土地貴族たらびに商業資本家居を背
景とする議舎に指導された時代であ一旬したがってこの
時代の矛盾的性格は、ヨーロッパ大陸からは自由の租園
とのような名春革命のイヂオロギluホイタグ的E統
‘
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←
一
一
と讃美されたがらも(モンテスキュー、ヴォルテールを
、
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性の観念は、のちブラックストーン、
マコ l v Iたどに
よって停道され、現在にいたるも繕承されている﹁イギ
義はネグレクトされ、
、
.
、
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、
.
、
.
7グ ナ ・ カ ル タ 以 来 の 一 貫 し た イ
ギロス的法律とその自由が讃美され、その神話を確認し
たものとして名春革命が位置づけられているのである。
し た が っ て レ ヴ ォ ル ュ シ ョ ン 見04czto誌 と は 一 六 八 八
リ ス の 紳 話 ﹂ と た る の で あ る が 、 た と え ば コ ン サ 1グア
テイズムの思考方法の形成者といわれているパークの名
ゴォアもこの黙を指摘して﹁ロックがコシゲエシシヨ
EB は叛凱知。げ色由。ロと
年 で あ り 、 昼 位 時 代 EZ口町内
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みである。
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成立を一六八三年から一六八八年白オラ yダ亡命中にもと
めている GZP N
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シ議舎におけるホイ yグ政治家遣によってもちいられた理'
論を供給したというととは、あきらかにまちがっている﹂
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C口町田町Cロ立のと句甘口C由
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みたされる。
春革命讃美のなかにもみいだすことができる。パーク
は、その有名た﹁フランス卒命にかんする考察﹂のたか
で 、 ﹁ 名 春 革 命 は 、 わ れ わ れ の 古 来 の P目。山町民仲間快うべか
らざる法律や自由と、法律と自由にたいするわれわれの
唯 一 の 保 障 で あ る 政 府 の 古 来 のg 口 芯 巳 憲 法 、 を 擁 護 す
るためにおとたわれた﹂。﹁マグナ・カルタから樺利宣言
まで、われわれに祖先からったえられ、またわれわれの
後 代 に 停 え ら れ る べ き 世 襲 の 相 積 物 g g F己 E Z
号守
口g │ │他 の 工 り 一 般 的 た あ る い は 先 験 的 た 擢 利 の な に
ものにも関係たくとのイギリス王闘の人民に特別に相穣
されている財産として、われわれの諸自由を要求し、主
張することが、われわれの憲法の一貫した方針であった﹂
宣言会員Ti;l 引 用 混 と の ぺ 、 フ ラ ン
ス卒命のイデオロギーの抽象性、作魚性を批剣してい
る。とのようた史観においては、第二革命の決定的た意
名春革命。イデオロギー椿一迭とロフク
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一橋論叢
第三十二巻
第五披
( 5 ) 名血骨掌命のコシグエシシヨジ議舎はいかにジェ
I ムズ
二世とウィ P アム一一一世との世臨岡山町を、法的に確認するかを
終始問題とし、﹁権利章典﹂はジェ I ム ズ 二 世 が み ず か ら 王
位 を 退 い た と い う 論 理 構 成 を と っ た 。 ご1 1当E08850
g広 FgE甘mすB250ω 巾口CEF雪山口mpAE一口忠apo
m20558円釦白色同町058ロσOEmsoHOSES口
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を参照。
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﹁イングランドにおける資本主義は、大略農村的性格
( 6 ) この﹁中産的生産者層﹂の概念は大塚久雄教授のそれ
による。
(7)
を も ち 、 ま た ジ エ シ ト ロ 1悼閣の一部は都舎の資本家と同盟
して新しい生産様式にきりかえていたために、封建的構成
をとっている議舎は、王政に嚇創立して新しい階級の要求を
おしナナめるためにもちいるととができた。一六四二年に
おいて衆議院の多数と貴族院白指導的少毅者は図王とその
回
目
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.封建的支持者に針立じた。﹂(ゎ・出口 Y 一
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0 )。大塚教授はこのイギリスの地主(ジ
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何百CC内出円一昨︼羽目。担立同丘町5
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ェントルマン)の}近代的性格も﹁究極においてヨウマンの
後りにも早熟的な成熟に起闘するりである﹂とのべている
( 近 代 資 本 主 義 む 系 議 ・ 九 五 頁 註2)
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とのイギリス市民革命より産業革命・一八三二年の選
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- 参照。
(8)
るいは 44EmR芯
SRP口 可 と も 呼 ば れ 、 い ま だ そ の 基 礎 過
附帯法改正にいたる一五0 年間の慢制は巧}回目的色恒常口 FMNあ
程・政治構成についての充分な統一的研究がなされていな
い が 、 こ こ で は ホ イ yギ ズ ム 樫 制 と 名 づ け て お く 。 と と で
ホイ yグ と い う の は ホ イ yグ葉、ト I P I黛をもふくめて、
る。﹁一六八八年の事態は、ホイ yグ 黛 と ト I P 1黛
θ問 に
名春草命によって確立された慢制の正統性原理を意味す
: : : 基 本 的 な 野 立 の な い と と を 明 ら か に し た 。 ホ イ yグ と
トlp1の政治家遣は円資本主義的議展の速度と方向にづい
て 、 な ら び に ス ポ イ ル ズ ( 官 職 配 分 ) に つ い て θ み不一致
﹁イギ F スでは:・:名揮官革命を劃期として、プルジヨ
H
M
m
u
H
Wロ
,
であった﹂(の・回目 -F 凶
m
r
H由げ列。ぐDE色。口 PロQ50
ωSF 山口一一足。凸0205司件。ュア grhfH喝さ・ HV・ロ∞・)。
(9)
ア 化 し た 地 主 ( ジ ェ yトルマン)居を前一聞に押し立てつつ
政機を掌僚ナるに至った照汎な工業生産者層とそれと利害
をともにナる貿易商入居は:::アダム・スミスによって重
たあの政策燈系を全面的に展開ナるにいたった﹂(大塚久
商 主 義 S225HH022B522と 与 えOB と 名 付 け ら れ
O頁じ。なお中底的生産者暦によるマユユアアクチュア
雄・重商主義成立の一舵舎的基盤︹舞出教授還歴記念論文集、
一
一
276
6
7
の登場はかな bず し も 商 業 費 本 の ﹁ 濁 白 的 存 在 ﹂ を 排 斥 し
はしない。とれば重商主義のニヲの型として問題にされて
いるものであるが、同教授はそり初期の勢作﹁所謂前期的
θ支 配 的 で あ
の存在﹂としての商業資本の機能を分析し、﹁マニユフアク
資本なる範鴎に就いて﹂において﹁終遁的に産業資本の震
チュアの支配的であるととは常に商業資本
る﹂ととを指摘する(系譜・四二一良)。
吋
(叩)吋・。・H)即日片岡噌﹀HVD口氏ロ包P口弘ωcロ門戸日出混同DH可。同
屯 u
開
口
m
H
H
H
口
門
F
HN
H
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A
F
m
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-
ロ
(
日)
HW-切口H-rpmopw口tc口出。ロ昨日同O 司
5出口町HU︿CHロ立qp
占
h
g
H
W︿再三回P
H
H 唱団Fop- ガ-NYωH- なお、パークのとり
ような名春革命叡は、ジョージ三世り議合日政黛否定にた
い す る 批 剣 を も 意 味 し て い た と と に つ い て は 、 -EC
ロmrz
・
850(UEg
血 c 同H
VOUH20
巳巴田口 g g 回 同u
国 H
ミ。を参
照
。
自然樺思想の登場とその論理・機能蓮闘
にかかれた﹁教育にかんする悲劇九﹂(一六九二年版)にみら
れるごとく、ロ yク・自身においても一臆併存していたと
みることができる。
﹁子供が、キケロの﹃義務にづいて﹄をほぼ消化し、
Pディクスの﹃戦争と
づいでプi フエンドルフの﹃人間と市民との義務﹄
を加えたのち、そのころにグ
卒和の法﹄か、あるいはよりよきものであろうが、プ
Iフエンドルフの﹁自然法と寓民法﹄を護ませるこ
、、、、、、、、
とが遁営であろう。彼はそれによって人聞の岳貯が
権利、それに世舎の起、源とその基礎、およびそこから
OAYW
おとる諸義務にづいて教えられるのであるLm
(傍鮎筆者)
自然朕態 H自 然 権 か ら 出
とのプ1フエンドルフは、自然法の哲聞学者グロディク
ス、ホップズの理論を止揚し
護して、契約設を世合契約 ]
USES口互注目出と統治契約
百円片目、EZE件目。白山田とに整合し、近代大陸型自然法思
念は、ボイル・ニュートン的た自然科事者的法則性に媒
想に盟系をあたえたものとして著名である。その自然概
てくるであろう。しかもこのこっのイデオロギー過程
p y h yの思想も、
介されたい理性命題一般ではあうたが、
名春革命のイデオロギー構造とロ y ク
は、たとえばジェントルマンをその人間範型として暁年
想との論理構成日償値観念の構造的異質性が明確にされ
デ太ロギーと自然権観念にもとづくジョン・ロ yクの思
このようた視角からみるたらば、名春革命の指導的イ
四
2
7
7
4斗,
ω」 → 斗
一
6
8
第五貌
ては﹁経験と歴史、それはわが閣のそれによってもっと
第三十二巻
それに負うところ大であるとされている。しかしさらに
もよく皐びうる﹂としてプラクトン、コークたどをあげ
一橋論叢
ロックは諸摺におちいらぬ限界内で、という保件のもと
との問題へのアプローチは、全イギリス革命の脊椎を
ているのと照臆している。
﹁コモン・ロ I の古き書物、あるいはこのコモン・ロ
たす第二革命のイデ方ロギ1論的問題性の究明からはじ
でづぎのようにのべている。
ーの書物のたかに政府の存在理由を見出している現
めたければたらたい。
争は、、なによりもイデオロギー面においては︽法︾の観
イギリス革命の初期的形態すなわち十七世紀初期の闘
代の著作たどに、イギリスの憲法・政府組識にかん
ナる見解を見出すことが:::ジェントルマンにとっ
a
て、法律研究の正しいあり方であるとおもう﹂
Egzoロ色 g 白目
白山口広としておこなわれた。ジェ I ムズ一世、ペイコン
念を中心とするいわゆる憲法闘争。。ロ
したがって、 ロックはイギリスの憲法、政府組織にか
た ど の 紳 権 設 に よ っ て 粉 飾 さ れ た 園 王 の 大 擢H
V
B
g
m
p
t
'
H∞ 可 )
んする具瞳的た構成にづいては、コモン・ローにその原
否かの問題としてとりあげられた。コークがこの憲法闘
が、イギリスの師存の法律にとって趨法的であるか
降に書かれた﹁ジェントルマンの請書と研究にかんする
争における指導的イデオロ Iグ と し て 登 場 す る の で あ
g
考察﹂において、政治正統論と政治機構論を直別したの
るが、彼は園王権力、さらには議舎の擢限にも優越する
理 を も と め て い る の で あ る 。 こ の こ と は 、 一 六 九O年以
E統 論 に づ い て は フ I カI の
フの前記ニ著(﹁自然法と寓民法﹂は、この種の最善のも
が二ハ一 O年のボ I ナム切。F55 聾師事件一件記)し、
g
g
P
4司(抽象的た自然法E︽
法
︾ H基 本 法E E
目E
ES--P唱 で は な い ﹀ の 存 在 を 主 張 ( も っ と も 著 名 た の
ち(本稿集二節、註十二)、
のである、とのべている)たど自然法 H自 然 様 系 の 思 想
この過程においてコモン・ローやマグナ・カルタが再編
一 一 一
﹁数合政治論﹂、シ Fマ lの﹁政府論﹂とプ I フエンドル
とともに白からの﹁市民政府論﹂をあげ、機構論にづい
278
6
9
と異たり、中世的性格をもっている)の、そしてギルド
の存在形態からみれば、近代的た統一権力による制定法
ある。しかもそれは貫質的にコモン・ロ 1 (これは、法
た法の優越さゆ859口可え宮司の観念にもとづくもので
くるのであるから﹂という言葉にもしめされているよう
い。けれEも紳と法の下位にある。すなわち法が王をづ
プラクトンの有名た﹁圏王は人民の下位にあるのではた
はけっして近代的構遣をもづものではたかった。それは
の﹁基本法﹂や﹁法の支配﹂の観念をささえる思考形式
宮司の観念を接集せしめていった。しかしながらこれら
成され、イギリス憲法の秘儀となる﹁法の支配﹂EZ え
理的で数用あJ存在にづいての論議を停止せしめること
とたび園王と僧侶の一紳樺的権威がすぎさヲたのちは、合
共和園論を登場せしめるまでにいたったのである。﹁ひ
ト、レヴエラーなE によって自然様、人民主擢の観念、
在理由を根底から問われることにたり、インデペンデン
一般的、抽象的た性格たいし政府日構力機構の起源、存
あったのである﹂(傍貼引用者)。そして、ここに樺カの
的知識によってではたく、創によヲて解決される運命に
あって、先例の問題ではたい。そしてこの問題は、骨董
めぐる論争から一歩クきすすめた。﹁これはカの問題で
二革命への推移はイデオロギー闘争の枠を︽法︾観念を
的抗争への轄化l!長期議舎による第一革命、
た非主憧的た法の支配の観念の機能轄換として形成され
U
a
この︽法の支配︾の観念は、大陸型の︽法治圏家︾ H
cEmmgE の観念とは構造的に直則される観念で、中世的
己の立場をアポロジャイズナるもろもろの、イデ方ロギ
第二革命における相封立する諸反封勢力の登場は、自
AJ
いで第
的た法律家の支配を意味するものであった。したがって
るのである。︽古来の権利と自由︾はまさにとの法に化
l活動をラみ、イギリス史上かっ吹たい理論的多産性の
時代として﹁バンフレ?トの大洪水﹂を現出せしめた。
各諸黛沃のイデオロギー闘争は、思考のもっとも政治的
は困難であった。﹂
臆されているものにほかならなかった。﹁樺利は既存の
形態たる宣停・煽動nバンフレツ干活動としておとたわ
yク
法によって設定された事賓として要求されたのである l
。
一
しかしたがら園王と議舎との封決の窮迫化たいし武力
名審議・命。イデオロギー構造とロ
2
7
9
、
第三十二巻
第五務
かくして、とのイギリス卒命の全過程の解決である名
における︽サロモン曲学院︾の構想の共龍化としての復古
すなわち、 F ・ベイコンの?一ュI・アト一フンティス﹂
目
をつきやぶった.第二革命によって必然化せしめられた権
力・国家機構の存在理由は何かという根底的た問題提起
れたのである。そのうち著名たものとして、たとえば、
セルドン、ハリントン、ミルトン、リルパ 1 ン、クイン
括することが必要であった。
の﹁生れたがらの樺利﹂たいし﹁自然擢﹂の観念をも包
程を制約する中産的生産者層によって捲われた、個々人
論的把握たいし基礎づけは、ととに全イギリス革命の過
のでたかったことは営然であろう。名春革命鰻制の杢理
にたいして、理論的た意味で、金躍的解答をあたえるも
J
スタンリI、ホップズ、フィルマI、シドニー等をあげ
るととができるであろう。すなわちイギリス革命の全過
程を規定する中産的生産者層の政治的登場ーーしかしそ
の政治的支配暦としての未成熟とその聞における諸沃の
分裂はクロムウエルの調裁を必然化しているのではあれ
たがーーによって遂行された既存の全イデオロギー構造
しかもこのようなイデ汰ロギI献況を背景として、同
時にこれらの問題性は、マニュファクチュアを基軸とし
の破続、粉砕は、それぞれの政治的分誠に、自己の黛沃
的利害に遁 A口的たラジカルた諸思想を噴出せしめるにい
て成立しクタある資本制的生産様式←祉合開係に遁合的
式の形成として問題とたるのであるがーーによヲて一フシ
た思考形式││それはたによりも営然自然科接的思考形
たったのである。換言すれば奮来の瞳制的視座構遺 H範
臨時機構の崩壊は、思想的真空朕況を現前せしめ、そこに
各黛抵の債値観念日正統化原理の赤裸々の闘争を導きい
春革命は、一膝その指導的勢力であったホイッグ系議合
期院おける﹁ロイヤル・ソサエティ﹂の成立一(ピュリタ
ヨナルた形態でとらえられることを必然化されていた。
政治家のイデオロギーたる﹁古来の樺利﹂の観念を基礎
れたのである。
観念とした﹁権利章典﹂によって正統化せしめられたが、
ン 革 命 期 の 一 六 四 四 年 に 結 成 さ れ た 白 石 田 正 O 6ES
。
問
。。ロ相官にその母胎をものJ1 ピュリタン日生産者層によ
これは古いイギリスに固着していたペリ 1 フ・システム
2
8
0
︿
ηu
の基瞳をたしていた。また、 ロ yクにとづては、この自
2
6
k
r
s
p
s
u刊を想起せよ)、
る自然科曲学の推進へ豆町田刊誌
然擦の観念を提出することは、﹁市民政府の真の起源、能
ンドルフの大陸自然法理論の吸
Z
牧 は 、 他 方 ホ ッ プ ズ を 媒 介 と す る フ 1 カ l の存在論的自
グロティウス、プ1フ
もっともプルジョア化していたオランダへの亡命による
へ 、﹂ということもできる。しかも嘗時
かにわずかしかたの
料
6J
﹁{金位時代の諸思想家に見出されないものはロ?クのた
司自
mHO
ZC50ユぬ広田、foMgログ阿倍仏 OD仏 丘 三 三 力、目的﹂同,
BgmE を問うことであヲた。このかぎりにおいて
さらにボイル、ニュートンによる初期自然科壊の完成た
どに象徴されるような経験論日自然科率的︽自然︾の観
念の成熟と、原子論的、機掛論的思考方法の政治理論に
おける貫徹である。
ュ 1十 ン と も 交 遊 の あ っ た 自 然 科
ここに、ボイル、 ニ
ン出身のジョン・ロックの理論的立場が明確とたる。こ
然法論の影響とあいまヮて、彼の理論に、基礎的ではな
曲学者であり、かクホイ?グ系の政治家であづたピュリタ
の黙に、ロックの問題性があり、そこに中産的生産者層
女節でのべる名春革命の政治瞳制の排詮とともに、名春
の意味で、自然楼理論を出護黙とするロックの理論は、
いが重要なニュアンスをあたえるものとたっている。こ
J
に窮極的規定性をもの イギリス卒命日名春革命の金構遣
革命の金構遣とみあっていたということができるである
を見透しうる位置が決定されていたのである。ロックに
おいては、コモン・ロ l の先例ではなくして自然法によ
(時)
。
λノ
p
c
c
p
- F Oロ
rpω0504FDロ向日戸仲田口C出口O一円ロ庄内肘山口口
Eg--同・
日目当2
(1)
λにおいては、一般に、大陸におけるごと
自然法思想は、寅定法との閥係。みを抽象してのぺる
︿自然法の寅定化ないし賓定法の白然法的規制といづたよ
ならば、イギリ
(2)
し
﹁
って整序せられ、貧定法に論理的に先行する自然擢がそ
のアンファングとたりえたのである。そしてこの自然楼
とは、身罷・自由・財産を意味するが、それは︽努働︾
ー!ここでは査本と賃労働はいまだ分化せず、生産一般
J
(
。
。 4・口 -mNむ が そ
C
gHMH824P江防
の立場のみが問題とたの ているーーを前提とする自己保
存の権利己的宮
名春革命のイデオロギー構識とロヲタ
2
8
1
72
第一一一十二巻
第五滋
うな論理聯蹄において問題となるととはマきず、コモ y -
∞吉弘⑦出円。同件目。。C
H
H民自己口伊担当︽)片岡出口mFロP E日開口包山田町
H
U
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g
u
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w﹃ 恒 国a
た(一寸・問。ヴヴo
pkpロS F包括ずえ司0
0口P
-橋論叢
gpHB に た い し て 支 配
たんに大陸思想として、即日コモ y・
ロ 1 0合 理 化 gtgpHナ
E
H
H
M
O
E
P
-担当の概念と結合して、 E
の 時 代 は 基 本 法 苫 ロQ
中世においてはコモシ・ローと同一視されて、 E憲 法 闘 争
的 影 響 を あ た え る と と は な か っ た 。 ヘ イ yズによれば、 I
σ2・広53 一方・民同・)。それはまさに︽職業的秘術︾苛gp'
'
経験によってえられた理性の人録的な完全性民丘一白色色也2
F22口白色 580口﹂であり、自然的期日性ではない(問。ヴ'
が理性を問題としたとしてもそれは﹁ながき研鑓と観察と
w
mR E C同 国Cヴ
ヴ2・4
巧
0︼・ぐyHYR)。 そ れ ゆ え 、 コ ー ク
b !な い し 王 図 の 法 宮 司 白 色 各 局
但色。出。思考規準として機憶しえたにとどまった(の・の・
N
w
同
C
ESP-B35可を意味するものであった(開・ ωC
・ ZF
F50ユ可国内色目えの C︿
N
ω ・)。なおとの
2ロ目。ログ 54∞ 句-
ユ
d
F
o 出目的げの Cロ
片
付
問題の研究にはわ・出・民ロロ耳g p 凶
ν
HH唱N品、がある。
同
H
OのH
町 C同同町。開口向日ぽぽのC口
1
0向。由回目。口 Cロ件H
叩
口E
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4同
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同P
H
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a岸
田 mH
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B自由ロuJ35、 簡 単 な も の と し
口
山
F o E E 8 8 0同50HO
ては者-∞-問。︼弘司CHF 凶,
官H
(5)
た。﹁コ 1ク の 法 の 再 解 棒 、 プ ル ジ ョ ア 的 諸 閥 係 へ の 法 @ 適
その賛質においては資本主義的要求にとたえるものであっ
て、そり指向においては中世的概念にささえられていたが、
けるプルジョア化の反映として可能であったかぎりにおい
しかしながらとのような憲法闘争そむものが骨格同閣にお
十七・十八世犯における思想吠況における自然法思想の決
﹁::・・議舎制定法が、一般の豆義と理性に反し、コモ
定的重要性と多産性を否定するととにはならない。
(本稿第六節註1 参 照 ) 。 以 上 の と と は イ ギ リ ス に お け る
紳論的)序論において装飾的意味をもつにとどまっている
P ス憲法懇議﹂においても自然法観念は、その#同事的(理
出色
パ門官財
2 Z色 え Z 伊丹同HP-E唱 のCロ83w38・
S
F
凶H
Y おJ 主・)。なお HFHc
H口向山場①勺庄件。同 50 のCBBS
H
- 参 照 。 し た が っ て プ ラ yクスト I Y O ﹁イギ
F
P
4
4・ 巴N
︹
3)
ローはとれを規制し、その法律を無数。ものと裁決するで
用 は 、 ナ ポ レ オ ン 法 典 ︹ 白 問 題 性 に ︺ た い ナ る イ ギ F ス的
シ・口Iに反し、あるいは執行不能の場合には、コモン・
七九頁参照。
回
︼h
なアプローチであった﹂(。・出三w 何
U︼沼}戸対。︿czzcロ
C口
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︼
守
口 Cロ
ロ
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J ぐc--AfH甲品汗 ]
M
H
N
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f ロCぢぃ・)。かかる連闘においてのみコ lタ は ﹁ 古 い 世
あろう﹂。こり判決の問題性については次詮ならびに本稿
(4)
このようなコ 1 ク の 立 場 は 、 主 権 者 の 決 断 的 意 志 を 法
とみ一なしたホ yプズからは批剣され、コIクの法制観念はぎ
U150FPHロ山口問え poHP司R に す ぎ な い と さ れ
gpmE同
282
る(C・出・閉山Epcy 肘ロ包宮町
HLP
毛
色Ha広田回世ロr
mgロロ︽ Y
問介と新しい世界と白悶に架けた橋を提供﹂しえたのであ
吋HνD--c口付・パ司HHnu白門田円。弓C同開口畑町民団FFmH4司白田由民SE
邦謬一二七頁)。
ロロEC片岡νCH昨日ロ皿、山口日岡田由P苫ぽ]ロユ田町ERHOロロOPE
(6)
切
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∞
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(7) の
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のccロYHVCE片山口PHパ門FDロmEEH刷出向日pロ門同日同48B
出
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口 Cロぢ同mw毘胆阿(邦謬四四頁)。
について詳説するととはできないが最近のウッドハウスの
彩をこくしたことを注意しなければならない。
・出回目 f 凶
(9) の
,
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っているため、
ζ とでは詳論をさける。
(叩)の-MV-DCCロ 2・
5広・(邦謀、一二 O 頁 )
( 日 ﹀ と の 問 題 は 前 掲 拙 稿 に お け る 基 本 的 テ 1 ?の 一 つ と な
( ロ ) し か し な が b ロックは自然擢の主践としてはFσcd?
g
- ぐ戸
HU-HM叶)を考えてはい
宮内目白色白50385Pロ(Fsrp剛山O戸田CRPH)-oロg∞ C同
の甘口由民自由同一子日目当CHE・
とえば渡性宗教はとれらの下層階級︿三mRP口色白加盟国の
な か っ た こ と を 指 摘 し て お か ね ば な ら な い o その教育の理
想かぜントルマシ白教育であったどとく、彼にとって、た
ハ
8) と と で 自 然 法 ・ 自 然 様 に か ん す る ピ ュ リ タ ン 系 譜 思 想
資料による一職回数一・道徳哲拳としての近世自然法(図家
C神 秘 主 義 的 波 情 は 債 依 観 念 韓 換 の た め の 心 理 的 培
りえたその会理論の論理的批舎的背景である。
者であると同時に、かヲ古典的市民政治理論の形成者とな
(日)の-HV・のCDロFP口仏国・し﹁-FSEL凶口問州日目曲目HUOBCQ注目口
H品目胆曲目HM 仲]O
︼ H吋H
F口O口付HMH一可wH甲 N〆
日
)
・ ω。N・
( 日 ) と と で 直 接 問 題 と し て い る の は 、 口 yク の 理 論 。 階 級
的 基 礎 で は な く し て 、 む し ろ ロ yク が 名 響 革 命 樫 制 の 弊 誼
マルクス、﹁ユダヤ人問題﹂を想起せよ。
わ し か っ た ( 芯 広 u 5 甲・)。とのととは市民的︽白然︾
・
匂
叡念の構造から必然化される(拙稿、第二披三七支)。なお
人々にはふさわしくなく、パイプルによる啓一不宗教がふさ
撃舎雑誌・第六十七巻・第五・六裁)を参照。ピュリタン
系諸汲の思想が、一部自然法・自然擢の観念にまで到達し
えたとしても、革命の段階の推移とともにその様相も複雑
と な っ て い る 。 た と え ば 一 六 四O 年 前 後 に お い て 、 そ の 政
治的プラストレイショジのたあに蓮田約的神秘主義白色彩を
ってその紳秘主義的滋情は醇化され、その主張は明確に現
つよくもったこと、しかしながら第二草命の移行にともな
で、前
世的権力構成を世皆川町にとりあげていったことハとの意味
養基H神話的構造をもっていたというべきであるう。)、さ
V ニユム的な神秘主義の色
らに最後の段階において最左翼分汲たる長正水卒汲ないし
第五王園汲の思想はふたたびミ
名 春 革 命 。 イ デ オ 回 ギ I構也記とロ yク
283
7
4
冶よび諸一世舎の聞におとたう﹂同盟
a
田広江戸
仏由民ぎ
HMHHH
。
Hhω)
件。樺カにすぎない﹂(の 04
・口・明
aEmH
すなわち吐舎丸山肌によって、自然楼 S
EE-H事件の
EZS} 宮司2
Hsi--
自然樺の一部でもないーーは、園
コロラリーとしての私的た自然的権力
HH
32・ ・明
家に信託可同車され、その結果として各人の自然櫨は少
的に保障されるが、このようなプロセスをとる園家なら
びに政府の形成は立法府の構成によってはじめて骨骨伽
される。
g
S の成員が結合し、一個の緊
﹁園家 85BO肖巧
密に蓮闘した生ける圏盟gZBEロ
i 目的σ。身に
合捜するのは彼等の立法部においてである。立法府
は囲家に形態守口出と生命日。と統一口巴守をあ
NHN)
たえる魂 gE である。:::立法府の創設は祉舎の
第一の基本的行震である o
﹂(の。 4・ロ・明
が、ロックにおいてはまさにこの立法府にもとめられ
ハ日下ップズにおいては園家の︽魂︾は主櫨におかされた
(
の04・口-mNHS、立法府の崩壊たいし解消は、国家の
治減門出回日QE昨日。口、死 n
H
S
F と同一視されている(の C4・
284
第五擁
名曲脊革命の耕詮と政治機構論
とのようなロックの自然擢概念を出費黙とする思想は
いかたる媒介環をもって名春革命の瞳制のアポロギ lに
到達しえたのであるか。それは閤家の﹁魂﹂(の。 4・同明
NHN)と 規 定 さ れ た 立 法 府 の 構 成 に お い て で あ る 。 そ れ
ゆえとの立法府の構成方法は、いわゆる﹁議合主樺﹂を
確立した名春革命にたいする p yクの位置を決定してい
る
。
ロヲクによれば、閤家櫨力は、機能的には法律を制定
する立法権 o
m
-丘三日4254司耳(の。戸口・蜘E3、法律を
執行する執行楼自由口口片山寸 O ℃04
﹃号(の O寸・ロ-mzδ 、﹁鞍
J
争、講和、同盟、協約その他あらゆる取引を営吐舎外の
すべてのひとびと
4
穣 ppg丘﹃
口
・ mH怠)に分類される。
即
日841(C04・
これらの三権のうち、立法権は﹁政府の存績する限り、
常にどんたばあいにも最高の櫨カ﹂(の。 4・口・明白。)で
あり、この﹁園家において最高である立法構にたいし
J
ては、執行樺と同盟樺は・::補助的かれ 従属的な B円
旦
比 Jι-
王
7
5
H・
H
明 NHN
。
﹀
このようた立法府の機能は、圏家の﹁意志の宣言﹂、具
定法との論理的聯闘を政治機構論的に保障することがで
メントとすることによって、このようた︽自然法︾と貫
いたけれ応ならないのであって(の。 4・口-mEM﹀、それ
においては、自然法そのものに適合しての O
民。自
gzo ざ
︽執行︾
貴定化された法律にもとづく統治として、あるいは法の
づいで、このようた観結から、園家の物理力の行使は、
oe
かも、立法府の形成を吐合契約H闘家形成の現貴化のモ
瞳的には﹁常設の、確立した、公布せられる法律﹂の制
は自然法の貴定化、明文化にすぎたい。自然法は自然献
化されるものとたっている。ここに立法府の優位を基礎
きていたのである
態においても支配しているけれども、そこではその解韓、
としながらも、分立論にたれ かぎりにおいて、コンミュ
mEC。しかもこの法律はその内容
執行は各個人に委ねられて、その統一的運用が扶けてい
1 ン型と具たり、執行的構力と立法府との封立が問題と
・
口
・
定にある(の。 4.
2 ・口・明吋﹀、その確定・貫定化がこの立法
J
﹁立法櫨はその構成員の保全のために、いかに園家
たロてくる。
Rog氏。ロという形式において、はじめて正統
るので、(の
府の機能とされている。自然的自由の享有者たちは、彼
(COJ1
・
口 -mNNN)
の物理カ宏司
g が行使されるべきであるかを指示
J
等自身が﹁えらびかれ 任命した﹂立法府
と、。それによって制定されたとの法律によって、現貫的
する樺利をもっている﹂(の。寸・ロ-mZω)。
﹁しかし法律が、一定時にあるいは少期間で制定さ
に閤家における自由友人民とたる。﹁法律のたいところ
BSF508UHM。
れるとしても、それは持績的で恒久の物理カをもた
山田
gfg(の05・口-mM30 この意味で人民の樺力は第一
ねばたらないし、また不断の執行を必要としている
に自由はたい﹂当ZBF20
次的には、執行的権力の掌握というジャコバン的観念に
ゆえ、制定されそして強制されるべき法の執行
吟
よっているのではたくして、むしろ自然法の立法府によ
gtCMM にあたるべき常時存在の樺カ望者R がある
o
g,
る貫定化という形において表現されているのである。し
名春革命。イデオロギー構造と担 y タ
285
一橋論叢
第一一一十二巻
第五披
べきであるということが必然化される﹂(の。 4・口弘
と
。
HA?
ロックによって意園されていることは、 たえず執行的
権力を法のコロラリ I化してゆくことによって、執行的
権力を法目立法府に等質化することである。社合契約
によって、ホップズのように直接園家権力が導出される
のではたく、まず立法府が構成され、立法府との闘係に
おいてのみはじめて執行的権力がその存在理由を護見す
ることができる。ホップズの rpoZ たT皆とはこと
たり、門同ゆ]ロ吋白た執行的構力が問題となヮているのであ
544巴
NHω)は立法府において存在する。しかも
り、園家に統一をあたえる﹁一クの意士山﹂。
(C04
・ロ・耽
園家機構内部における立法府の優越という黙において、
ロックの権力分立論は、またモンテスキューの櫨力分立
論やアメリカ型の櫨力分立制とも匝則されるのである@
しかしながら、もちろん、立法府の優位をみとめたが
らも、被が自然法思想を基調とする市民吐舎と園家との
面におしだされている。それゆえその権力分立論も、市
民世舎と匝別される各園家機構の分立にともたう、相互
牽制と櫨力濫用の防止という
│l動・反動の力事的機誠
論の原油を前提としていることは、づぎにみられるごと
く営然であった。
UOB
﹁法律をづくる構カをも宮ているその同じひとびと
が、また、その手中にその法律を施行する櫨カ
にとヨてあ
42吋を握ることは、とかく擢カを掌握せんとする傾
H
E
H
H 母国bq
向をもク人間性の弱結げ民
まりにも大きな誘惑に遣いたいから、モれによって
彼等は自己のづくヲた法律に服従することを院れ、
J
そして、法律をづくりかれ 執行する南方の場合にお
いて、その法律を彼等自身の私的た利益に適合せし
め、かくして吐舎と政治の目的に反して吐舎の爾飴
のひとびととはまったく別の利害をもづにいたるで
)
。
あろう﹂。(の。 4・ロ・明 Eい
づいでこれらの櫨カの櫓賞者からみれば、それは、貫
質的に、議舎と君主に分割せられる。立法櫨は﹁さまざ
J
二元論にたづかぎりにおいて、一元論にたれ ホップズや
2
勺 85 の手中に委ねら
まの異なったひとびと会
ga
ルソーと具り、園家の泊極化たいし樺カぎらいは首然前
•
2
8
6
1
7
mggt42岳SEw-vggBHvogaσwsoH}g'
え吋即日比四
によって一時的に選出された代表者の集合m
gpgg号ぞ
H白色仲間H
集合 EMP出目白日巴刷、。同Z
4
5
σ 邑号、タいで人民
況における非常穫であり、﹁固定した不壁の法律をもヨ
0
m
p
t
A﹁白が委ねられている。この大権とは極限扶
権回同2
mEC からである。しかも園王にたいしては、庚汎た大
しめられることに同意するとは考えられない﹂(。。戸口-
れる﹂(の。 4・口・叩E
30 それは世襲制による特定個人
H
V
H叩 の 三 主 題 で あ る ( 明 白 ω﹀。他方﹁執行擢と同盟櫨
てしては充分た指導が不可能であるようた、議見できぬ、
ものはなく、そしてまた彼が立法府の他の部分に服従せ
とは本質上まったく別のものであるが、雨者を分離して
不確かな出来事に左右される場合に、公共の幅一祉を目的
律を制定することもできぬから立法府には伎に優越する
同時にベタベヲの人の手中に委ねることはほとんど不
として、園壬の手に委ねられた権力﹂(の C4
・戸昨
伊田山口紅白 H58色zq])28Dすたわち園王、世襲貴族の
可能であり:::ともに祉舎の物理カ匹。同280同岳町
である。
は、貴質的には︽君主︾と︽議合︾のそれに解消される。
樺に輿り、他方議舎は立法穫にのみ参加し、樺カの分立
的に一個人に委ねられるべきである。かくして園王は三
るのであるが、しかしここで注意すべきととはつぎのニ
質的に圏王にたいして強大た構限を残すととにたってい
いるのであるけれども、以上にみたようた意味では、貫
立法府は、機能的にみて、園家の最高楼とみたされて
z
e
田。口目立可を必要とする﹂(明早∞﹀ゆえ、との雨者は統一
さらにロックによれば、﹁もしある共同社舎において
酷であろう。
名春革命期のイギリスにおいては、園
立法府が恒常的に存在せず、執行穫が立法府に参興する
王に強大た執行的権力を許すととは、二一冗的た等族園家
(I)
ただ一人の人間にあたえられているとすれば、ある限定
の観念と第二革命への現貫的た考察との艶方によって、
むしろ営然であるとされていた。問題はむしろ法制定の
その一個人の穣力が
機能日立法樺をいかに議舎に貫質的に把握させるかにあ
EpggE町田88
また最高の E
MV550 擢 力 を 有 す る と い っ て も よ い ﹂
された意味で
(
の
。 4・口m出C。たぜならば﹁彼の同意がなければ法
名血管革命のイデオ nギ l構造とロック
2
8
7
78
第一一一十二各
第五猿
ある時には、人民の反抗をうけねばたらないとい フ
w
一橋論叢
ったのである。それゆえ、ロックにおいてほ、立法、執
ととと、いずれが人類にとって好ましいものである
-mNH3
行、同盟の三楼の分立よりも、むしろ、困王封議舎の封
た使用 gZE一色己目白B
-仏日常江田由(の。戸口
立として遂行された名春革命の構遣を反映して、立法楼
の最高性とこの立法擦の議舎への分割の主張において、
そのイデオロギー性をもちえたのであ(列。 (E﹀さらに
佐舎内在的機能が問題とされていた。
うか﹂。 (COJ1
・
ロ
・ m N N唱 )
、、、、
したがってことでも閤家権力たいし君主権の意闘され
、
君主に強大た樺限を委ねるということよりも、その政治
友されたように、君主の問題を機構的た意味における政
'もちろんロックにおいては、のちパジヨットによって
クによれば、執政官 B
h
H
m
z
g
g は、﹁自己にあたえられ
治的機能のみに還元して、君主を大衆にたいする舞畳敷
的機能すたわち質的被規定性が問題とされている。ロッ
た信託に反して人民の財産を侵害する場合は、盗賊や海
mNN
∞)、しかも
賊と同一一服される﹂のであって(の。 4・戸
はたいのであって、いまだ貴質的倫理闘係としての﹁愛
果をねらった俳優術たいし道化として取扱ヲているので
ハ
7)
向。口氏。ロのそれとして庭理してい
P
彼がそのようた財産侵害を敢てする場合は暴力甘月四を
己
ー
情と信頼﹂ -0408
の園王がはたすであろう機能 H投割が問題とたヮている
人民にたいして振うことを意味し、したがって闘争獄態
間百件。ぇ 4
4
2 への還元を招くものとみ注された(の。 4・
口・朗自印)。ここにかの有名な卒 AP
楼の思想をその基底
のである。
る。しかしたがら、やはりそこには、財産にたいしてそ
にもヮていたのである。
政治の目的は人類の善である。人民がクねに悉意的
の権力を濫用し、そして人民の財産の保持のために
に園王は人民の正営危要求に反劃することによって、
﹁もしλ が園王の人格あるいは穣利を犯したとした
、、、、、、、、、、、、、、、、、、
ならば、園王において統合され、自由と財産と安全
、、、、、、、、、、
とを見出している金十人民を犯したことにたる。同様
た厭一制的意志にゆだねられるのと、支配者たちがそ
ではたく、それの破壊のために使用するばあいに、
288
79
g S包DPEv
M
H
O
-仏
を切断する危険に営面させられるので
伎と人民との間にある黄金の鎖
gEZEB
8
︿ )
家の優位の観念も否定され、﹁基本法 E
HLipsgEご P認
の観念は、それを凌駕する︹主法府による︺制定法浮守
。﹂
512 の擢能の承認にとってかわられるので丸山
ら出穫し、立法府の構成を基軸として耕詮したのである。
この腫制を、ジョン・ロックは自然楼←祉舎契約理論か
︿市民的園家。。BB84g
。BBC邑 司 の 機 関 と
y。
司z
そしてアトミックた︽人民︾と市民世舎を幹世一昨に前提
ある﹂(傍鮎引用者)。
との意味で、強大な君主配は、議舎と論理上はおたじ‘
してとらえられ、国家と圏王とを同一視する家産的園家
することによって、等族議合的構成とそのイデオロギー
グ・イデオロギーとの決定的危構遺的相異11そしてこ
力分立論によって正統化していった。すなわち、ホイッ
議舎とのこ一万的形態をとった等族園家的機構を近代的権
近代議合主義的理論づけをあたえることができ、君主と
のもとに活動していた営時のイギリス・パ 1一フメントに
観念日出仲立50邑 ご
g丘 mEZ は完全に否定されてい
Pa
たのである。
﹁雨陛下において享有され、行使されるすべての事項
は、乙の現議舎の権能によヮて、宣言・制定・確立され、
今後永久に持摘し、この王園の法たるべきである。右の
とたしたのであるがーーは、その立法府の基礎が、等族
れが、ロックをして古典的危近代市民政治理論の形成者
言、承諾およびその樺能によって雨陛下はこれを宣言
議合的伝聞王にたいする古来の特権という観念を突破
事項は、議舎に合同している僧侶、貴族および庶民のゆ
制定確立せらるるものとする﹂(傍貼引用者)と﹁権利章
し、自然樺 H個々の人民の擢利のたかに錯を下しえてい
において、近代リベラリズムの原型ともゑりえたのでる
園家にたいして保障され、論理的に先行するという形態
るという黙にある。しかもこの自然擦が、園家形成後も、
典﹂はのべている。名春革命は︽回目もか︽阿古川H E
H邑
VPp
ggC かの政治的闘争に事責上の解答をあたえ、
ホイヲギズム龍制における﹁至高にして艶抑制?と議舎の
位置を決定した。それゆえコIク的た意味での法日法律
春 検 制 命 白 イ デ オ ロ ギ ー 棒 迭 と n yタ
2
8
9
8
0
一橋論叢
第三十二倉
第五貌
同盟擦とは資質的に営時君主が管掌していた、海軍・
O
た 。 ホ イ yグ系パ yキ シ グ ム 卿 の 一 六 七 七 年 。 議 舎 演 設
ホ イ タ ギ ズ ム 健 制 の 法 イ デ オ ロ ー グ ・ プ ラ yクスト 1
p
v
ユBE
巳 BP
を原文のまま引用する。 h
門
担
口
問
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︿
O
B
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門
口
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ESEM38β20HMN 吉岡門えSOS げgp H
円8
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0ロ門回目ロロ0
0ロoc旬。ロ B052一自己主匹同FOB-P目当広町ロ-sEga
dggvg::・-wkr 切H
印 ロcロ
C司ロg
m
-。
H
H
OロF-u・ロuロH
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シもイギ F ス 憲 法 の 卓 越 性 を 主 権 的 な 立 法 府 が 、 君 主 ・ 貴
(5)
族 院 ・ 衆 議 院 の 別 身 の 瓜52目 立 三 構 成 部 分 に 分 割 さ れ て
いるととにもとめている。しかもそのととをもって君主@
岡凶出向日目色・ 3 ・
3 1 F 3・HalHao・)このロァクにおける
H
H
H
B
Oロ宮口gc 内50FP420 片
であるとみなしている。(のC
力、貴族の知窓、庶民の公共精神が舎し、混合政慢の極致
立法権の分割にづいては、 C- プリド p ッ ヒ が 注 意 を 喚 起
付
目C口h
HmφωiH吋玄温
肘
口
品
川
戸
山
田vm2CH口
ロ yクの一位合契約訟における一重話、二重読位干の解稼
ロ
田
汁
広
口
昨
日 D口とのむぐ。同ロ目。ロ門
している。(の・し﹃・司同庁舎・円口 Y(UC
op4HHO
Q- り・﹄Cロ
H
U
H
M
)
(第二
(Z)
毅七六│七頁参照)。またロァクの信託概念。特殊イギ P
論上の諸問題にづいては、前掲拙稿・第七節註二O
H
V
D
uロ・
議曾﹂への枯特化とこのイギリス・パ 1 ラ メ シ ト の 等 族 的 構
命 に お け る エ R ・ ぜ ネ ロ 1 0分 裂 に よ る 第 三 部 舎 の ﹁ 図 民
d
o
p・3U0・
HH
50口窓口出﹀吋o
H
)
H吋
戸 仏 巴0
m
) なおブラシス草
ホ yプ ズ は ﹁p ヴ ア イ ア サ シ ﹂ の 序 文 で つ ぎ の ご と ︿
成を比較せよ。
人6) と の 草 命 権 は 、 モ ナ ル コ マ キ の 、 お 阿 ( 王 ) と
構封市民一位舎の闘係に構造斡換せしめたものである。﹁市
論を、人民の主種的な自然櫨の観念を媒介として、図家機
-5(人民国鐙)の二一万的封立を前提とした封建的持抗構理
との原理はのちのモンテスキューをまづまでもな︿、
民政府論﹂二三二節以下の抵抗棒理論否定者バークレー
(4)
との時代においても︹時計!を原型として)一般化してい
もかなナホ yプ ズ と の 質 的 な 相 兵 が あ き ら か と な ろ う 。
あって全陸に生命と蓮動をあたえ:::﹂。ととに魂を機構
的 な 立 法 部 に み と め る ロ yクとそれを抽象的な絶叫剖主権と
述べている。﹁リグアイアサシのなかで主権は人工の魂で
(3)
吋自己ogFe を参照。
ス的性格については、
白
色g
csmyEP(UHYMHHHHVC目
-
]{唱品∞
ちろん名春革命以後は議舎によって漸時議食されてゆく
に 枢 密 院 内Zm 目 。 cd
ロロロにおいて行使されていた o も
goFC5 ととも
議舎のい管轄外事項たる宮中事項同色吋丘町c
仏
良 mgRZLmmoiHロム・︹。民D吋
S
F
H
r
u
J
E
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H
h
p仲
が(の
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国 王cac同肘ロmF出
血
︺Lu-E∞・)、とれば事賃上もう一づの
z
マシ・コシクウエスト以来議舎の管轄外の事項とせられた
植民地・外交にかんする権限をいう。とればながく、ノル
(1)
る
290
8
1
o
u
(
巧 5HPBW肖口町-
。
噌
﹃
DEHP'旨SPBHHOBSE) への言及
山
吋
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3
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HH
H
AE
N
∞A
F
W 同屯M
U
u・H
制定・確保・被大・制限・駿棄・取消・復蹄・解緯にかん
yは ﹁ 議 舎 は 教 舎 的 と
織が問題となるととができたのである。(本稿第二節豆七
λト l
世俗的とを問わず:::あらゆる領域の事項にわたって法の
-HS またプヲタク
間宮口︻ Y 匂
C目白MESH-2850HP30内 何 回 E
ハロ)巧 -EPロr280・
円U
抗 に と ど ま ら ず 、 園 家 機 構 の 基 本 組 織 508ロ由耳目昨日 C口 広
を参照。したがって口タクにおいては図主にたいナる祇
mcSBHH52(のD4・ロ・出 NSU の 努 草 と 人 民 に よ る 再 組
して主権的にして無制限の権能をもっている﹂とし、また
ととではロ yタ の 輩 命 権 の 思 想 を 批 列 し て ﹁ イ ギ P ス憲法
合 が あ る が 、 し か し ヒ ュ I Aも の べ て い る よ う に ﹁ 天 に 訴
またロ yクの﹁夫同訴える﹂出し
回(の ・
a∞ ﹀ を も っ て 革 命 権 の 観 念 の 港 特 化 と 解 緯 さ れ る 場
ロ・申 H
の﹁議舎における闘王の主糠﹂@﹁図王の主穣﹂にたいす
(ロ)宣門戸噌宅 -HmoIHS-のCロ吃YEP- 対-HHYZCHON- 乙
限なきものとあえていうととができる﹂とのべている。
がつづくかぎり、われわれは議舎の穣カが絶封的であり制
頁参照)
32-svgg 2
えるとと﹂は﹁戦争と暴カとによって決着をつける﹂とと
それゆえ、名血管革命以後の︽法の支配︾はコ 1ク的な法の
昨
日Dロ担日出ECH予 H
己自己・肘口間同町田町 (UC52ロ
CH)
由
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∞
ニ
)
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- 冨包・
,舎に優越する法律﹂の原理の否定をも意味した。 (
る勝利ほ他方コ 1ク 的 な ﹁ 園 王 に 優 越 す る 法 律 、 園 玉 と 議
C同C同日色白色。。
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H
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を意味する主解される。(ロ・出ロB0・
H
ν ・。目円HF・-。。・円出・のHoopsrFHU5 日明白血P
U可田昌O口︼円0・﹀ H030同州HOBPHVAWHg白えの位向在同一可件。
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吋・)
(7)
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A山u
吋w
-HHHd司CHrp ︿crH
( 伊 藤 正 巳 ・ 法 の 支 配 ・ 一 九 1i四九・一一一一一員)。なおお阿
支配と構造的にととなるととを注意しなければならない
U
Dロ
回日明司立。ロ仏︼口同何回。 (
ロ-FHT
貴族白議舎における闘争を砕地べたもので、﹁古来の議舎の
ないが、巨視的には、イギ F スにおいては封建制の枠内に
の勢立としてこれらの問題を簡単に園式化するととはでき
ロE B 封]ロHEED野 EAEmF同 設 立m F官 Z E ロ
一
防止法﹂に反費したホイァグ系
v
B∞・とれは、﹁図家危害ア
同-
唱
-NNN
特様﹂、﹁イギ F ス人の自由﹂の観念を中心としている。
r
o
-ず広
(8)]-FC口
近 代 が 成 長 し た と い う 近 代 化 の コ I Xの特殊性から、絶品到
ポ ラ ル ド は ﹁ 一w
六八八年の革命はキシグを弱めたが、
し か し ク ラ ウ シ を 強 め た ﹂ と の べ て い るOKF・町・句D-EE
2
9
1
(9)
基軸とする闘争において、その機能蒋換として近代型の
oHVHOH の議舎を
主義の BHVHO阿 に た い ナ る 封 ぜ 的 な 切 耳
H
H 同時国ぢ江口P
H 巴Oロ
仲
田
ロEmpop- 肘白色a
ロBOロ
8
時げO 肘
︿czzcロ え 句H
W
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H
H
5ロFSNhJHν ・N
N
U
E
(山口 ) k p .
名 春 革 命 。 イ デ オ ロ ギ ー 構 造 と ロ yク
/
第三十二巻
第五披
濁立宣言﹂、﹁フランス人楼宣言﹂に決定的友影響をあた
八世紀にイギリスのみたらず大陸にも決定的な影響をあ
理論の形成者とたりえたのであり、その理論はの ぎの十
以上のような論理構成から、ロックは古典的市民政治
者をみいだすととになうた。一人は︽自然︾概念を方法
において、たがいに相反する指向性をもった二人の批剣
とき、この市民的プログラムは、ロ?クの組問イギリス
ランス革命においてその杢容をぷたたびあきらかにした
クのそれは正統的市民政治思想への鈎立物であり、パー
2
9
乙
一橋論叢
O阿VHOHがもたらされたというととができよう。
えるものと友ワた。
たえ、いわゆる啓蒙思想の聖者とたるのである。すたわ
そしてかかる市民的プログラムのもづ政治的意義がフ
ちその︽自然︾の観念は、イギリスにおけるその後の経
的に可能にした原子論的、機械論的思惟方法を否定して、
近世保守主義の組とたったバい Jんであり、他の一人はこ
むすび
験論日イギリス市民思想の展開の礎石とたり、他方フラ
の原子論的思惟方法を纏承しながらも︽自然︾の観念の
J
ンスにおいてはその啓蒙思想に基礎観念を供給するとと
て、市民的債値を貫定法盟副川においてとらえんとした-
市民的僚債の革命的表ーを否定し
機能的側面 l │ │
の批剣はプルジョア的債値観念の後展段階 111
自然の観
︽功利︾主義者ペンサムである。しかしたがらペンサム
また︽自然法培︽自然権︾︽社合契約︾の市民的プログ
念の日常的表現たる︽功利︾への移行l!の差によるも
のであって、むしろペンサムにおいては市民政治思想の
制・の擁護者でありたがら名春革命のホイッグ的解轄を担
クの歴史的有機的瑳展の思想は、とくに封建的反動屠の
E統的展開を見出すことができる。これにたいしてパー
否したヒュ 1 ムによって桓否されはしたが、﹁アメリカ
ストーンによって瞳制讃美的な︽イギリスの法︾の背光
として保守的に利用され丸叫。あるいはホイッギズム膿
ラムは、ホイッギズム瞳制の法イデ尤官Iグ、ブラック
態たる無神論をうむにいたるのである。
もに、フランス唯物論によって論理的極限にまでづきす
.
.
.
.
すめられて、アンシャン・レジームとの闘争の哲率的形
、
"
思想たるロマン主義系ドイツ保守主義に稽承され、十九
世紀前今、大陸における唇蒙主義封保守主義のイギオロ
プラ yクストーンは、﹁イギ F
スの法﹂日担当由。同肘口問
をロ yク 的 前 提 に お い て 樫 系 化 し た の で あ る が 、 レ
ゆくのである。
ギI闘争の過程において、その政治的性格を明確にして
(1)
s
a
か し ロ フ ク 的 前 提 111
自然法・自然穣・社舎契約は基軸的
意味を喪失してたんなる論理的背光に韓化せしめてしまっ
た。したがってプラ?クスト I Y
においてもやはり、﹁イ
ギリス人の擢利﹂と﹁自然様﹂は分裂をしめナととになる。
とれについては、プラ yク ス ト I Yは、﹁自然様﹂は現在イ
ギ F ス を の ぞ い てE
と白図においても保障吉れていないか
ら そ れ は ﹁ イ ギ P ス人の権利﹂である、といラ築制倒的な三
段 論 法 に よ っ て 解 決 す る と と に な っ た ( のOBB。
ロS5u担口口
巴
5 F P弓田氏︼T
V包白H
H
3・H
N∞
tN申・)。とれがダィジ
U
H
v・H
ー の い わ ゆ る プ ラ ? ク ス ト I Y的 オ プ テ ィ ミ ズ ム で あ る
J
1・同)
(の戸﹀H口白MJFP司 mgaHvdヴロロ C
H
U
B
cロ宙開目的-'
P
H
M己広口江口 -HHHOZSOSO口同討。。ロけ口同一ア N白色。臼
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JH喧
品
∞
唱
FO口
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)
。
ヒュ 1 4は そ の ﹁ イ ギ
(2)
F
ス
史
﹂
出
山
田
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前掲拙稿・第二披・一一一七頁、五八頁参照。
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参照。
(本稿は文部省研究費による研究の一部である。)
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