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第1章 教員としてのキャリア形成
第1章 教員としてのキャリア形成 第 1 節 教員としてのキャリア形成について考えてみましょう 2009.5.11 三年次フォローアップ研修 より 1. キャリアとは? キャリアと聞くと、仕事上の「身分・職制」だとか「出世」というイメージと結びついて、「自分とは関 係ないなぁ」と感じる人も多いかもしれません。他の公務員や民間企業の方々は、職制が変わると 仕事も変わり、それを全うできるだけの能力(職能)を磨かねばなりません。それに対して、「教員 は、経験と慣れで人生を全うできるので、キャリアについて考える必要がない。」と言う人もいるぐら い、教員は、仕事と職制があまり結び付くことのないフラットな組織の中で自己形成してきました。 自分たちのキャリアを考える上で、教員にとってはある種の難しさがあったと言えるでしょう。 キャリアという言葉は career という単語に由来するもののようですが、馬車などが通った跡にでき る「わだち」に例えられます。言い換えれば、自分が仕事や人生にどのような意味を見出し、どう向 き合ってきたのかを示す軌跡であり、その先には、これからの行方の展望が切り開かれていきます。 広義のキャリアは「人生そのもの」ですが、狭義のキャリアは「仕事上の道筋」だと言うこともできま す。 2. キャリアの成功とは? よいキャリア形成とかキャリアの成功・不成功というのがあるのでしょうか。「出世」という考え方に 引きずられてしまうと、「同期より早い出世」とか「他人より収入が多い」というようなことが成功例に 思えてくるのですが、キャリアの基準はけっして他者と比較して自分がどうかということではありませ ん。自分の中に、仕事に対する充足感や充実感、納得感があふれており、仕事を通じて自分が生 かされていると実感できる状態がキャリアの成功だと言えるでしょう。 ですから、自分が教員として目指すキャリアを、「中学校を出たら高校へ行って、高校を出たら大 学に行って…」というような図式できちんと計画しようとしても、次のステップが漠然とし過ぎていて、 あまり現実的だとは言えないでしょう。行き当たりばったりでは困りものですが、教員になろうと志し た時の思いを忘れず、「自分はこんな風に頑張ろう。」とか「自分が大事にしたいものはこれだ。」と いうような感じで、大まかな方向性さえもっていれば、日常の仕事の中 である程度流されているような状況でもほとんど問題はありません。むし ろ、子どもを相手にくたくたになりながら、「今日も忙しくて何も考えられ なかった。」とため息をつきつつ、それでも、流されていることにある種の -3- 心地よさや充実感を感じていることが大事なのです。 3. 「節目」をとらえる ただ、流されていても、迷う場面は必ず出てきます。馬車が分かれ道に差 し掛かった時や、選んだ道が思いもかけず行き止まりだった、というような 時がそうです。「さて、どうしたものか?」と考え、右に行くのか左に行くのか 自分自身の決断を下さなければならない場面です。これを「節目」とか「トラ ンジション」などと呼んでいます。「節目」だけは流されてはいけません。自 分がこれまで進んできた道を確認し、さらに目の前の選択肢のどれを選べ ば、自分にとって望ましい方向に人生が向かうのか、立ち止まってじっくり と自分自身と語り合わなくてはなりません。異動する学校を決める時や自分の指導スタイルを見直 してみる必要が出てきた時などがそうです。この「節目」では、自分自身がこの旅の道筋をこちらの 方に選んだのだという気持ちが大事です。「節目」との巡り合せは偶然によるものが結構あります が、「だから、こうする。」というところは適当に済ませてしまってはいけません。そうでなければ、自 分の一生全体が流されていることになってしまうからです。 4. 筏下り 勤め始めたばかりの若い頃のキャリアは、筏下りによく似ています。川の上流で筏に乗っている 自分の姿を想像してみてください。川の上流では、周囲を断崖絶壁に囲まれていて、すぐ先の景 色も見えませんし、自分がいったい何処に向かって流れているのかもよく分かりません。目の前の 急流と向き合い、自分のもつすべての力を振り絞って、やっとの思いで急流や岩場を乗り切って いきます。一つの急場をしのいでも、またすぐに次の難所が待ち受けて います。目の前に繰り広げられる激流との闘いに追われて、キャリアが どうのこうのと考えている暇はありません。次から次へと起きる出来事へ の対応に追われ、保護者からの要望にドギマギしながら、何とか授業を 成立させることに必死になり、次に学校行事はどんな展開をしていくの かも分からないまま、クラスの子どもたちと格闘している…まるで、筏で 急流を下っているのと同じではありませんか! でも、そうやっているうちに、場数をこなしながら、知らず知らずのうちに力を付けているのです。 初期のキャリアは、「場数を踏む」ということです。すなわち、経験をすることでいろんなことを身に 付けていきます。予期せぬ出来事や偶然性にとまどいながらも、そのことが自分の糧になっている ことも少なくありませんので、それを受け止める柔軟さが大切だということになります。 -4- 5. ドリフト そのうち、急流は徐々に緩やかになり、それほど全力を尽くして何とかしなくても流れていける中 流に達します。同じ流されている状態でも、先ほどの上流の激流を乗り切っている時とは状況が違 ってきます。流されている状態をドリフトと言いますが、中流から下流にかけてのドリフトは、謂わば 「ぬるま湯状態」です。ここで「節目」をとらえることができず、そのまま流され続けると、エンジンが 壊れたボートのように、波に揺られてどこに流れ着くのか分からなくなってしまいます。問題意識を もたず、ただ何となく仕事をこなしていくだけになると、こうした状態になっていきます。子どもたち のために、保護者の願いに応えて、と必死で頑張っていたのが嘘のように、惰性で勤めているよう な感じです。これでは、仕事を通じて充足感を得たり、生きがいを感じたりすることが難しくなって いきますし、当然、子どもたちや保護者の心も離れていってしまいます。流れている間はよくても、 漂い始めたら要注意ということだと思います。 6. キャリア・アンカー 漂い始めないうちに、「ここが分かれ道かも!」という「節目」を感じたならば、 その時は、次にどちらへ向かえばよいのかをじっくりと考えて、自分なりの決 心を固めることです。筏からアンカー(錨)を下ろし、回りを見回しながら、じっ くりと考えを巡らせます。この時ばかりは、流れる筏を止め、自分としっかり向 き合うことが大切です。場合によっては、いろんな人たちの意見を聞くことも必要になるでしょう。自 分にとっての仕事の意味や、家族、趣味など、人生の価値観について考える時です。その中で、 初めて、自分ならではの活躍の姿、自分ならではの出番、自分ならではの仕事を思い浮かべるこ とができるでしょう。そのために、今の自分はどうすればよいのかという答えを見つけていきます。 7. 山登り そこに、自分の目指す山が見えたならば、一念発起して、「もう一度山に登ろう。」ということになり ます。しかし、もう一度山に登るということはそうそう簡単なことではありません。ましてや、これまで は流れに身を任せていればよかったのですが、今度は自分の力で登っていかなくてはなりません。 「よし、やるぞ!」という固い意志と覚悟がなければくじけてしまいます。やらさ れているとか、いやいやながらに、というのでは途中で挫折してしまうでしょう。 先ほど述べたキャリア・アンカーの重要性はここにもつながっています。敢え て高い山に登ることに挑戦することで、自分自身のパワーアップを図りながら 自らの仕事観の充足を得るわけです。こうして、キャリアは深化し、自分自身 が高められていきます。筏下りは、謂わば「基礎力」を身に付けていく過程でありますが、山登りは、 自分自身の「専門力」を高めるための自覚的な挑戦であると言ってもよいでしょう。 -5- 8. 「節目」のサイン 今まで述べてきたように、私たちにとって大切なことは、「いま自分は節目にいるのだ。」ということ にきちんと気づくことです。「節目」をとらえてこそ、自分自身のキャリアをデザインできるからなので す。漫然と過ごしていたのでは「節目」をとらえそこねることになってしまいますが、かと言って、い つもいつも気を張っているのも大変なことです。そこで、こんな時は「節目」に差し掛かっているの かもしれないというサインを4つほどあげておきましょう。 (1) 危機意識を感じたとき 自分の中に焦りを感じたり、仕事や生活に何かしらの違和感を覚えたりした時は、「節目」に差 し掛かっているのかもしれません。特に、今までと同じことをしているにもかかわらず、何かが違 っていると感じる時は、自分にとっての「節目」だと考えて間違いありません。例えば、同じように 学級経営しているつもりなのにいつまでたっても子どもたちのまとまりが悪い、とか、いつもならこ の話題で授業が盛り上がっていたのに子どもたちの反応が悪い、とか、そんなことを経験したこ とはありませんか? (2) 仕事が予想外に楽しくなったとき 悩みの多かった学級担任の仕事が面白くなってきたというときなど、何故楽しく感じられるよう になったのかを考えてみる必要があります。自分に学級経営の力がついたということもあるでし ょうし、子どもたちとの向き合い方に微妙な変化が生まれ、自分自身の適性や仕事との相性に 気がつき始めている時なのかもしれません。 (3) 節目を知らせる誰かの声 客観的に自分を見てくれている人からの何気ない声かけが節目の接近を知らせてくれる時も あります。例えば、職場の先輩から、「この運動会をやり遂げて一人前だね。」というような励まし をもらうような時がそうです。ここが一つの勝負時というところでは、いろいろ勉強しながら何とし てでも成功させようとすることが成長をもたらします。 (4) 職場や社会が与えてくれる目印 校務分掌が今まで経験のないものに変わった、担当学年が変わった、異動で学校を変わるこ とになった、というように、今までの流れではないところに立たされた時が転機になっていること は結構よくあることです。仕事だけでなく、結婚した、子どもが生まれた、というようなことで「節 目」を迎えることもあります。 ○ キャリアとは、仕事上の道筋(経験)であり、私たちが教員生活の中で積み重ねて いくものである。同時に、自分自身の仕事に対する価値観でもある。 ○ 教員生活の中で節目を感じた時には、自分を振り返り、これから自分はどうあるべ きかをじっくりと考え、課題を見定めることが必要である。 -6- 第 2 節 キャリア発達におけるプラトー 1. キャリアプラトー 兵庫教育大学大学院の浅野良一教授は、エドガー・シャイン(E.H.Schein)のキャリアサイクルの 考え方をベースにして、教員に限らず組織人のキャリアに焦点を当て、キャリア開発の時間的な流 れを整理して、次のような図を作成しておられます。 図 1 キャリア発達におけるプラトー 「ゴール」を見据えることができれば キャリアプラトー (40 歳代半ば) ← キ ャ リ ア 成 長 キャリアプラトー (30 歳代前半) 「自分の持ち味」を発揮できれば キャリア成長のカーブ 「場数を踏む」時期 この図の意味するところは、組織人のキャリア成長を考えた時に、30 歳代前半と 40 歳代半ばに 大きな転機があるということでしょう。これは、私たちの、組織内で置かれた立場や仕事上で期待さ れるものの質は、一定均一なものではなく、その段階その段階に応じて変化し、それに伴って私た ちの意識や行動が変化しなければ、次の段階での成長が止まってしまう(キャリアプラトー)というこ とを表しています。先ほど述べた節目がここにあてはまります。自分の能力や仕事の進め方が年 代に応じて習熟した時期を迎えるのですが、その状態に安住すれば、次のステップに向かうことな く、キャリア開発は滞ってしまいます。したがって、キャリアプラトーの時期に、キャリア・アンカー (「自分は何ができるのか」「自分は何をやりたいのか」「自分にとって仕事とは何か」等々)を自覚 し、自分は何をするべきかを考え、行動することが大切になります。キャリアプラトーから次へのキ ャリア成長へと自分を奮い立たせるものは、教員を目指そうと志した当時の情熱や、様々な同僚と 出会う中で「こんな先生でありたい!」と感じた目指すべき教員像だったりするのではないでしょう か。学校という組織の中にあっては、それぞれの教員が自らそこに向かって動いていこうとする内 なる声に耳を傾け、それを互いに大事に育て合い、高めていく関わりが大切になるのだと思われ ます。 -7- 2. キャリアプラトーから次のステップへ 教職経験者(8 年目)研修が最初のキャリアプラトーの時期に設けられて いるのは、そうした意味合いからだと言えます。勤め始めた最初の 10 年 間のテーマが「場数を踏む」ということにあるとすれば、8 年目研修をきっ かけとして、自分の持ち味を探し求めることが大切になります。この機会に自分の持ち味や関心の 向かう方向に気づくことで、次の 10 年間の課題設定が見えてきます。「専門性を高める」「一芸を 磨く」「自分の得意手をつくる」このような自分の強みを生かした居場所づくりを進めることが、実は、 教職という仕事が自分にとってどういう意味をもつのかという仕事観の確立にもつながっていきま す。自分の強みを生かして仕事をすることは楽しいことです。 仕事に対する基本的な考え方や取組の姿勢の核をなす拠り所がこの時期に形成されてこそ、 教員生活最後のキャリア段階に至っても、自分ならではの活躍の姿を思い描きながら自分の力量 を発揮し続ける教員として成長していけるのではないかと思います。言い換えれば、自分自身の 「ゴール」の姿をはっきりと見据えることで、自らの果たすべき役割と責任を自覚し、それに向けて のモチベーションを高めていくことができるのではないでしょうか。 ○ 学校組織の中での教員の成長を考えた時、キャリアプラトーと呼ばれる時期があ る。次のステップへと自己開発できるかどうかの分かれ道になっている。 ○ キャリアプラトーの時期には、自らの課題に対する自覚的な取組が必要である。そ のことが次のキャリア開発に結びつき、仕事観の確立にもつながる。 第 3 節 教員の職能課題と様々な教員像 1. 教員の職能課題 先にも述べたように、自分の中に、仕事に対する充足感や充実感、納得感があふれており、仕 事を通じて自分が生かされていると実感できる状態がキャリアの成功だと言えるでしょう。そのため には、その時々のキャリア段階に応じた自分への期待に応え、与えられた役割を果たすことができ なければなりません。私たちは、そのことを通じて「こんな先生でありたい!」という理想の教員像を 思い描き、日々努力を重ねているのではないかと思います。 私たちには、経験や年齢に応じて、期待される役割や仕事を進める上での能力があります。表 1 は、教員としてのキャリア形成を考えた時に、どの時期にどういったことがらを克服できていてほし いのかをできるだけ単純な表現で表してみたものです。みなさん各自で、今の自分にあてはめた -8- 場合に、具体的にどんなことが課題になっているのだろうかと一度考えてみてください。そして、そ の課題をクリアするための助けとなる機会がどこにあるのかを見極め、目的意識をもってその場を 活用していくことが求められます。このガイドラインは、そんな時に役立てていただきたいという思 いの中で編集されています。自分自身が力を発揮し、周囲の期待に応える役目を担っていてこそ、 自信をもって教壇に立つことができるのではないでしょうか。さらには、しかるべき技量と経験を身 に付けることによって、教員として、子どもたちや保護者からの期待に応えることができていくのだ と思います。 <表 1> 教員のキャリア形成と能力開発の実際 キャリア段階 20 代 基 初任 礎 形 成 基 礎 充 実 30 代 ス テ ッ プ ア ッ プ 資 質 向 上 40 代 ス テ ッ プ ア ッ プ 資 質 発 展 50 代 ス テ ッ プ ア ッ プ 資 質 円 熟 職能課題 ・ 仕事を覚える(何をどうするか) ・ 1 年の流れをつかむ(何をいつするか) ・ 子どもの中に入り込む 2・3 年目 ・ 授業ができる ・ 学級経営ができる 4~8 年目 ・ 役目を果たす ・ 生徒指導ができる ・ 新しいことに挑戦する 9~10 年目 ・ ・ ・ ・ 授業を工夫する 児童生徒理解を深める キャリア形成を理解する 専門性を高める ・ ・ ・ ・ クリエイティブな仕事ができる 主担当として仕事ができる 組織的な動きができる 後輩を指導できる ・ ・ ・ ・ 授業を工夫する 危機管理ができる 児童生徒理解、保護者理解を深める 専門性を磨く 11~18 年目 19~20 年目 自分のスタイルを確立する 21~28 年目 ・ 校務分掌の中心を担うことができる ・ 学校運営に積極的に参画できる ・ 自分の仕事への意味づけを理解する 29~30 年目 ・ ・ ・ ・ 授業を工夫する 人材育成ができる 学校経営について理解する 総合力を養う ・ ・ ・ ・ リーダーシップを発揮し、学校経営を行う 後輩の実践を支援し、学校経営を支える 組織の活性化に貢献する 人材育成を担う 31~38 年目 場数を踏む(経験を積む) -9- 自分を振り返る モチベーションを高める 自分の殻を破る(一皮むける) 一芸を磨く(得意手をつくる) 仕事観を確立する モチベーションを高める 自分を生かし、他を生かす 職能の完成を目指す モチベーションを高める 今まで培ってきたものを発揮する (1) 場数を踏む 誰しも経験することなのでしょうが、教員になりたての頃は、授業をするにも学級会を運営する にも、どうすればうまくいくのかが分からずオロオロしてしまうことがあります。特に、保護者からの 要望や問合せにうまく答えられなかった時など、落ち込んでしまった経験をもつ人も少なくない はずです。また、学校は季節と共に行事があり、そのために何を準備しておかねばならなかっ たかがわからず大慌てしたということもあったでしょう。その度に、周りの教員がてきぱきと仕事を こなし、子どもたちや保護者とも上手に対応しているのを見て、「すごいな」と感じたと思います。 私たちの仕事は、何をどうするのか、また、何をいつするのかを経験の中で身に付けていくもの です。頭では分かっていても、目の前にいる子どもたちを相手にできなければ、知識だけでは 役に立ちません。うまくいかなかったという失敗も経験です。その度に、「次はこうしよう。」という ものを先輩の様子を見たり助言を得たりする中で自分のものにすることができればよいのです。 (2) 自分のスタイルを確立する 何とか授業ができ、自分の学級の中で担任としての役目を果たせるようになれば、次は、学年 や学校全体の中で与えられた役目をきちんとこなしてもらいたいという期待が周囲から生まれて きます。同時に、安心して子どもたちへの指導を任せられるということも期待されます。生徒指導 ができるということは、子どもたちの心をつかむということです。そのためには、自分らしさを発揮 し、教員として自信をもって活躍することが必要です。授業や学級経営の中 で、新しいことに挑戦しようという意欲が湧いてきたなら、それは、自分のスタ イルを確立し始めたことの表れだと思います。 (3) 自分を振り返り、自分の殻を破る 自分のスタイルを確立し、自信をもって教壇に立つことができるようになるまでが、1つのキャリ ア成長サイクルだと言えるでしょう。ここで今の自分に甘んじてしまうと、キャリアプラトーの状態 にとどまってしまいます。教員として次への成長課題を自覚し、今までの手法やスタイルにこだ わることなく、授業を工夫し、児童生徒理解をさらに深めていかねばなりません。そのためには、 外部での研修会などでヒントを得たり、研究部活動の中で考え方や指導法を深めたり、教育書 に眼を通すようなことが必要になってくるかもしれません。そうした自覚的な努力が教員として成 熟していくための次への成長曲線へと結びつきます。教科等の専門性を磨くことは子どもたち や保護者からの信頼を高め、自分自身が仕事を面白いと感じることにもつながっていきます。こ うした姿は、学校組織の中でのあなたへの信頼感を増すことにもつながり、主担当としての役割 を任されることも出てきますし、後輩から相談されることも増えてきます。自分の殻を破り、一皮 むけた自分となっていくことで、教員としての資質・指導力に大きな幅が生まれてきます。 - 10 - (4) 自分を生かし、他を生かす 中堅と呼ばれる存在になってきたら、学年主任や校務分掌の部長などを任せられることが増 えていきます。自分の学級から学年全体、学校全体に視野を広げた教育活動が期待されます。 同僚に仕事の分担を依頼するような場面も生まれてきますが、役割分担の中で個々の教員が 成長できるように配慮できる気遣いも求められます。教員として、今後の自分のあるべき姿を思 い描きながら、次のステップに向けての準備を進めていくことも必要になります。 (5) 目指す教員像に向かって、今まで培ってきたものを遺憾なく発揮する 教員として最後まで子どもたちと共にあることを願うのか、管理職として学校経営を担う立場に なることを願うのか、それぞれの教員像は異なってきます。しかし、そこで共通することは、今ま で培ってきた教員としての指導力を遺憾なく発揮し教育界に貢献することが求められる時期で あることと、子どもたちだけでなく後進を育てるという重要な役割を担う立場であるということです。 どんな立場であれ、教員が生き生きと実践活動に取り組むことのできる、コミュニケーション豊か な学びの共同体としての学校の機能(同僚性)を十分に発揮させるために力を尽くすことが最 後の大仕事として期待されます。 2. 様々な教員像 私たちがどんな理想の教員像を思い描き、どんな教員生活を展望しようとしているのかは十人十 色であると言ってもよいでしょう。しかし、教員生活の節目節目で自分自身のキャリア形成を考えて いく時に、その時々で、「こうありたい。」という自らの価値観やモデルになる先輩の存在は非常に 大切であると思います。キャリアの成功は、学校の中での役職や給料の高低で一義的に決められ るものではないからです。 (1) 新米の私を陰で支えてくれた A 先生 私が初めて教員になった時のことです。前日の校外学習の帰りの電車の中で、私の担任する 学級の生徒がこっそりとお菓子を食べていたということがわかりました。私は、その日の授業を HR に切り替えて、クラス全員でその問題を考える時間にしました。しかし、十分な成果をあげる ことができないままにその時間は終わってしまいました。帰りの ST でこの続きをしなければなら なかったのですが、あいにくその日に新採研の出張があり無理です。そこで、副担任であった ベテランの A 先生に理由を話し、指導の続きをお願いしました。出張から戻り、A 先生にお礼を 言うと、「締め付けといたで。」と言うだけで細かな話はありませんでした。A 先生がどんな風に生徒たちを指導したのかを知ったのはその翌日になっ てのことです。生徒の日記を読んでいると、ほとんどの子が「今日は A 先 生の授業の時間に感動した。」と言って自分の思いを綴っていました。A - 11 - 先生は、「俺が初めて教師になって初めて担任した生徒はな、今でも出席簿順に名前が言える んや。初めて担任した生徒というのは、それぐらい大切に思うものなんや。それを、お前らは担 任の先生を悲しませるようなことをした。それについてどう思うんや。一人ひとり、自分の気持ち をしゃべってみろ。」と言って、生徒たちの心情を揺さぶり、学級全体に反省を促したということ でした。私は今でもその時のことを思い出すと涙が出そうになります。私は、この時ほど「ありが たい。」と強く思ったことはありません。 (2) 教育の課題に挑戦し続けた B 先生 B 先生とは、私が初任校で一緒の学年を担当させていただきました。もう、ベテランの域に達 する先生でしたが、いつも笑顔で、どんな時も生徒と一緒になって活動されていました。B 先生 は学年主任をしていただくのにふさわしい人格と指導力を備えた方でしたが、担当学年の生徒 が卒業したのを機会に、「私には取り組んでみたい教育がある。」とおっしゃって養護学校に異 動なさいました。数年後、「車椅子を押していたら腰が悪くなってね。」と、普通校に戻られました。 50 歳も半ば過ぎだったのでしょうか、B 先生は御自身の最後の職場に夜間中学校を希望され、 若い頃に教育を受けることができなかったお年寄りたちと一緒に苦楽を共にされました。定年退 職後も、「まだまだ勉強したいと思っている人がいる。」とおっしゃって、地域で識字教室を開か れました。B 先生は、きっと、自分が役立たなければならない人々はどこにいるのだろうかを考え、 様々なフィールドでチャレンジし続けたのだと思います。 (3) 物静かな C 先生 その学校に異動してきた 2 年目に C 先生は学年主任を引き受けられました。その時点で定年 退職まであと数年を残してというご年齢でした。学校行事など子どもたちが集う場面では、C 先 生はいつもカメラを片手に写真を撮り、放課後などに黙々と学年掲示物をつくっておられました。 また、校内の菜園で収穫したサツマイモを使った飯盒炊爨を学年で提案し、担当した先生の計 画のもとで子どもたちは「芋パーティー」だとはしゃいでいました。バスケットボール部の副顧問 でしたが、練習には毎日のように顔を出し、体育館の隅で黙って部の旗をつくっておられたの が印象的でした。C 先生は、学年経営でも部活動でも、学級担任や主顧問をさしおいて意見を 主張されるようなことはありませんでした。物静かで常にサポート役に 徹しているような雰囲気でしたが、ポツリポツリとお話されるアドバイス をみんなはとても有難く受け止めていました。定年を迎えられた後も、 再任用で学校に残り、今度は楽器のサックスに挑戦なさいました。文 化祭では、ブラスバンド部の子どもたちと一緒に演奏に加わり、ちょっ との間でしたがスポットライトを浴びておられました。 - 12 - (4) 子どもに真摯に向き合われた D 先生 「子どものためなら労をいとわない。」一言で形容するなら、そんな先生と初任校でご一緒させ ていただきました。初任の時期に先生にお出会いできて、私の理想の教師像ができたように思 います。 まだ朝早い、子どもが来ない教室で、毎日欠かすことなく子どもたち全員の日記を見てコメント を書いておられました。日記帳は 2 冊あって、子どもたちは毎日家で日記を書いてきます。提出 した日記は、次の日には、2 行、3 行と長いコメントが必ず書かれて戻ってくる。それが励みとな って毎日書く。ときには学級通信に載せられたり、朝の会で友達に読んで紹介してもらったりす ることもあって、たゆまず続けられる。年間 1 日も休むことなく行われる「書くこと」が、子どもたち のものを見る目と書く力を養い、子どもと先生との暖かい距離を育んでいたのだと、今ではその 価値の大きさに気づきます。横でその姿を見ていて真似ようとしましたが、1 日も欠かすことなく 続けるということができません。毎日続けられるその真摯さには、強い意志があったこと、それが なければ人によい影響を与えることなどできないのだということを今は自分への反省とともに振り 返ることができます。 (5) E 先生の子どもたちへの思い E 先生は、退職される最後の年まで学級担任を希望され、教壇に立たれました。 普段、職員室でもご自分の考えを大声でどんどん主張されることが多く、 授業や学級での指導においても、生徒の考えを聞くというよりは、こうあるべ きだというご自分の考えで進められていることが多かったようです。それで いて子どもたちが先生を避けたり、嫌うということは見たことがありませんでし た。確かに「怒鳴られると怖い」と言うこともあったでしょうが、ただそれだけで、子どもたちが先生 の言うことを聞いていたとは思えませんでした。E 先生のところには、度々、かつての卒業生が 訪ねてくることがありました。E 先生は子どもたちに本当に好かれていたんだなと思いましたが、 それが何故かということは分かりませんでした。 ある日の放課後、一つの理由が分かりました。部活動終了後、HR 教室の点検に行く途中、E 先生の教室の前を通りました。何気なく見ると、黒板いっぱいに E 先生の担当されている教科の 板書があるではありませんか。確か掃除の後に通った後にはきれいに消されていたはずです。 気になって次の日も見に行ってみると、今度は違う教科になっています。不思議に思い、E 先生 に尋ねてみると、「実はな、クラスで勉強のしんどい子に、週のうち 3 日間だけ、部活動に行く前 に勉強を教えてるんや。何とかしてやらないかんのでな。」とおっしゃいました。詳しく聞くと、家 庭学習用の自作プリントを渡したり、休みの日には部活動の後に見たりと、何十年も続けられて - 13 - いるとのことです。 E 先生の生徒への強い思いが分かりました。これはごく一部であり、普段の生徒たちとの関わ りの様々なところで、この熱く強い思いに溢れていたのだと思います。それが生徒の心を掴み、 信頼につながっていたことと思います。部活動でも、生徒と共に、腕立て伏せ、腹筋、ランニン グとすべて同じメニューをこなし、全く年齢を感じさせない E 先生でした。 (6) 職員の親睦に心を砕いた F 校長 F 校長と初めてお会いした頃は、まだ 40 歳代前半でいらっしゃった と思います。先生は、「親睦会の幹事は僕の天職」とおっしゃって、 松茸争奪卓球大会を企画したり、忘年会の景品を工夫したりしなが ら、学年を超えて、事務職員さんや管理員さんも含めて楽しみ合い ながら、みんなの結束を図ることを心がけておられました。先生がイライラしたり深刻そうに考え 込んでいるようなところを見たことがありません。そんな方でしたので、F 先生のことを悪く言う者 は 1 人もいませんでしたし、音楽をはじめとする多芸ぶりにはみんなが尊敬の眼差しを送ってい ました。F 先生は、その後、校長先生になり、教育委員会の事務局でもお仕事をされましたが、 職員の和を気遣う姿に変わりはありませんでした。何気なく職員を校長室に呼び、ねぎらいの言 葉をかけながら褒美と称してお菓子を差し出されますと、褒め言葉も不思議と厭味なく受け止め られるのです。また、校長先生になられてからは、同期や同じ教科の仲間を大切にされ、得意 の宴会攻勢を通じて仲良く過ごされていました。現役最後の年は校長会長を務められましたが、 仲間の校長先生たちがみんなで F 校長を盛り立てたことは言うまでもありません。 教員としてのゴールを迎えた時、自分がどんな立場であるかは様々ですが、「充実して満足のい く教員生活であった。」と振り返ることができること、「あの先生のおかげで今の私がある。」と感謝さ れること、そういうことがあればこそ、キャリアの成功と言えるのではないかと思います。そして、教 員として素晴らしいキャリアを積まれた先生方は、一様に、その時々の自分の課題に対して前向き に取り組まれ、自らの職能を高めることを通じて、子どもたちや保護者、同僚の信頼を得てこられ てきた方々であったということです。その時々の職能課題と向き合うことと、教員としての理想の姿 を追求することは、同じことを意味するのであろうと思います。 ○ 理想の教員像は様々であっても、教員には経験や年齢に応じて、期待される役割や 仕事を進める上での能力が求められる。その時々の職能課題に添った自分たちの育 ちこそ、教員のキャリア開発である。 - 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