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彼女は私と明日も微笑む

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彼女は私と明日も微笑む
中学・小説・佳作
彼女は私と明日も微笑む
友人の言葉をさえぎって波留のくっきりとした声が響いた。こ
めた。絵を描いている時を人に邪魔されるのは大嫌いなのだ。そ
【佳 作】
れが例え褒め言葉であろうとも。大抵の相手は私の不機嫌そうな
様子を見るとそっと傍を離れて行く。その時も彼女の友人は行こ
うよ、と小声で言い、女王の腕を引っ張った。しかし、彼女は動
かなかった。
海老名星緒 (東京都 桜蔭中学校) 「左側の子は淋しそうだね……」
そして波留はそう呟いたのだ。その時私が描いていたのは二人
の少女だった。二人共笑い合っている。ぱっと見ただけでは淋し
そうになど見えないはずだ。
〈始まりの今〉
「えっ、波留どういう意味?」
私には恐れている相手が居る。相手の名前は山西波留。彼女と 友人もそう思ったのか不思議そうに聞く。
私は家が近所で幼稚園から高校までずっと一緒だった。人はそれ 「んー上手く言えないんだけど……眼が淋しそうだなって思った
を幼馴染と言うけれど、私と彼女の関係をそう呼んでいいのかは んだよね……あっ、違ったらごめん」
分からない。少なくとも私が彼女と初めてきちんと話したのは小
困ったように女王は言った。私は何も言えなかった。だって私
五の秋が最初なのだから。それまで私が知っている波留はいつも は 確 か に そ の 左 側 の 少 女 に 淋 し い イ メ ー ジ を 持 っ て 描 い た か ら
皆の会話の中心に居た。小柄でかわいらしい外見と社交的な性格 だ。左の子はもうすぐ病気で死んでしまうけれど、右の子はその
は人を引き付けるのに十分だった。勉強も運動も得意な彼女に敵 事を知らない。そんな少女たちの場面だった。でもこんなにあっ
う人は誰もいないようで、私が心の中で彼女の事を「女王」と呼 さりと見抜かれるとは思わなかった。しかも、私とかけ離れた場
んでいたくらい、波留はいつも輝いていた。つまりおとなしくて 所に居る彼女に。そしてその瞬間私は、初めて彼女を怖いと思っ
可愛げがなく、人を寄せ付けない雰囲気を持っている私とは最も た。私にとって他人に考えをよまれる事が何よりも怖い事だった
離れた位置に居る少女だったのだ。だから、もちろん話しかけて のだ。自分の内面に踏み込まれる事への強い抵抗は幼い頃から私
の中に確かに存在していた。じっと動かず黙ったままの私を見
て、女王はかくっと首をかしげた。動作がいちいち絵になる。彼
女の友人が少し言いにくそうな様子で口を開いた。
「えっでもさあ、この左側の子って」
「ごめんね、広瀬さん。気悪くした?」
きたのは彼女からである。その時、私は唯一の趣味である絵を
ノートに描いていた。
〈過去から今へ〉
「わあ、素敵!」
突然声がして私は驚いて振り返った。傍には女王――学級委員
の西山波留とその友人の一人が立っている。思わず私は眉をひそ
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中学・小説・佳作
んな風に人が話している時に割って入る様な真似をするのは彼女
らしくないような気がする。
「思った事が口に出ちゃっただけだから、気にしないで! 行
こっ」
波留はそう言って友人の手を引いて私のそばを離れて行った。
やはり彼女には私の内面を簡単に解ってしまったという意識は無
かったらしい。でもそういうのが一番やっかいだったりする事も
私は知っていた。
案の定女王はその時から何かと話しかけてくるようになった。
学校でも家の近くでも彼女は気が向いては私のそばに来て、くだ
らない話をしては勝手に離れて行った。最初は相槌すら打たな
かった私だが、何度も話しかけてくる彼女にだんだん感化され、
少しは会話が成り立つようになった。考えてみるとクラスの人気
者がアウトサイダーと仲良くしていたというのは不思議な事だっ
たが、女王は女王らしく特に気にしていない風だったし、彼女に
は皆も文句は言わなかった。
中学に入ってからはあまりにも何でも出来るためにさすがにク
ラス全員から好かれた訳ではなかったが、それでも女王の周りに
集まる人は多かった。私は相変わらずクラスでは浮いた存在だっ
たけれど女王が気まぐれに私の元を訪れるのも変わらなかった。
その間に彼女はいつのまにか私の事を由布、と名前で呼び始め、
私も彼女に何度も言われて波留、と呼ぶようになった。けれど女
王は時々私の本質をぴたりと言い当てる事があり、私はますます
彼女を恐れ、苦手に思うようにもなった。
〈今から明日へ〉
そして、今現在彼女はクラスの中心から外れてしまっている。
高校に入ってから少しして気の強そうな女子たちに睨まれてし
まった女王は所謂いじめを受けていた。女王様はついに失脚した
のだ。私は高校でもクラスで空気の様に扱われていたから、陰口
に参加する事も自分から彼女に話しかけに行く事もなかった。そ
の辺りは私の弱さなのだろうと思う。誰からも理解されたくない
と自分から「みんな」と距離をおいておきながら、結局は保身の
気持ちは拭い去れないのだ。そしてそんな私と違って、やはり波
留は女王の名にふさわしい毅然とした態度で毎日を過ごしてい
た。
波留は人気者だった頃と同じようにいつも前を向いている。登
校してから下校するまでの間、何を言われても彼女はそれを全て
無視してじっとしていた。そして私に話しかけてくる事もパタリ
と無くなった。私に迷惑がかかる事を恐れたせいだろう。中心に
居た頃はこっちの都合を考えずに話しかけてきたくせに、そうい
う切り替えは潔いとも言える。女王は相変わらず、どこまでも気
高く誇り高く、私には眩しいくらい強かった。失脚した所で彼女
が女王らしくある事実は変わらないのだった。
それでも、もちろん時々は沈んだ表情を見せる事もあった。ど
んなに強くてもずっとそれを維持し続ける事は難しいのだろう。
そしてそんな時、女王の感じている想いが急に見えなくなって何
故か私を無性に不安にさせる事にやがて私は気付いてしまった。
彼女を理解したい訳ではない。他人から理解されたくないと感じ
ている私がそんな事を望むのはいくらなんでも我儘という物だろ
う。ただ、私の想いを意図せず見抜いてしまう女王は私にとって
特別な存在で、彼女が一人で私の届かない場所に行ってしまうの
が、私はどうやら嫌なようだった。そんな自分自身の想いを持て
余し、悩み続けた結果、私は初めて女王に、自分から話しかけに
行く事にした。
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中学・小説・佳作
「ねえ、波留はつらいんじゃないの? どうして私に話しかけな
いの? 遠慮してるの?」
家の近所で女王を呼びとめた私の口から出たのは自分でも思い
がけずきつい言葉だった。それにこれでは私が話しかけてほしい
みたいではないか。でも他人と正面から向き合った事のない私に
はこういう言い方しかすぐには思いつかなかったのだ。女王は一
瞬私の言葉が理解できないというようにきょとんとした顔をして
から、突然薄く笑ってこんな事を言い出した。
「由布、気づいてた? 由布の描く淋しそうな少女はね、大抵私
の顔をしてるんだよ」
「あっ」
思わず私の口から声が漏れ出た。考えてみれば、いや考えるま
でもなく確かにそれはその通りだった。私はそれに気が付いてい
て、でもその事を考えようとしなかったのだ。私にとって波留は
女王で、そんな弱そうな少女であってはならなかったから。でも
私の目に波留は淋しげに映っていた。いつも皆の輪の中心に居
て、笑っていて、楽しそうだったのに、彼女は常に淋しさを背
負っていた。もしかしたら彼女の本質は強さだけではなかったの
かもしれない。考えてみれば彼女は私の前で、女王らしからぬ、
普通の少女としての姿を見せる事があったのだ。彼女の気高さは
本物で、彼女の淋しさもまた本物なのだろう。波留は続けた。
「由布は私を見てくれた。他の皆が見る私じゃなくて淋しさを
持った方の私を見てくれた。意識してた訳じゃないみたいだった
けどね。だから、由布がいたから私は強く居られたの」
それは多分全てが真実ではない。一人が自分の事を解っている
という想いだけで前を向いていられるほど普通の人は強くない。
その根源にはやはり波留自身の強さがあるはずだ。それでも、彼
女の強さの源に、ほんの少しでも私の存在があったのなら、それ
は凄くしあわせな事なのかもしれなかった。
「波留は、さ。他人に自分を解られるのは怖くないの?」
この疑問は自然と湧いてきた。波留が私から受けた物自体は私
が波留から受けた物と同じだ。けれど私はそれを怖いと感じる。
何よりも怖いと。波留はどうして平気なのだろう。
「ん……少しは怖いよ。でも由布が私の淋しさを見抜いたと知っ
た時、凄くドキドキしたの。もちろん由布が私の事を全部知って
る訳ないんだけど、もしかしたら知ってるのかもしれない、私の
知らない私まで全部解ってるのかもしれないって思うと興奮した
の。それで、私の淋しさを当たり前の様に知ってる由布を素敵だ
と思ったんだ」
「それなら、私と同じだ。私は、波留に絵から淋しさを感じ取ら
れて怖かった。私は人に理解されたくないって思ってしまうか
ら。波留が苦手だよ。今でも苦手。でも、私は波留と初めて話し
たあの時から、ううんその前から、いつのまにか波留の姿を目で
追っていた。私も波留に興味を持ってたって事なんだろうね。
あっそうか」
感じた事をつらつらと言葉にしているうちに私は気がついた、
波留がかくっと首を横に倒す。
「私、波留の事が大切なんだ」
波留は大きな目を丸くした。そしてふわっと微笑む。
「ありがとう。なんだか告白みたいだね? でも私だって由布の
事は大切なんだよ」
私は胸がかすかに高鳴るのを感じた。そして波留の笑みを、女
王としてではなく西山波留としての笑みをとても美しいと思っ
た。それから、少し、ほんの少しだけ、彼女に私の考えを感じて
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ほしい、という想いが頭をよぎった。
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