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近江 弘一さん

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近江 弘一さん
手書きの
「6枚の壁新聞」で
被災地の人々を励まし続けた
石巻日日新聞社
代表取締役社長
近江 弘一さん
(おおみ こういち)1958年、宮城県石巻市生まれ。
1981年3月社会学部社会学科卒。卒業後は、自動車販売の営業職と
して、1年目から全国表彰を受けるほどのトップセールスマンに。
その後、自らの趣味でもあり、当時流行していたマリンスポーツの
事業に転じる。2006年、スポーツによる地域活性化事業を目指し、
故郷に社会人サッカークラブ
「コバルトーレ女川」
設立。同年に石巻
日日新聞社取締役総務局長に就任し、2009年6月より現職。
急な冷え込みで積雪し、地面は真っ白に覆われていた。大津波
がさらった町並みは、いまだ多くの爪痕を残していたが、それ
らの上に雪が降り積もったせいで、まっさらの美しい草原のよ
うに見えた。
静かで、眠っているよう──。そんな町並みの中に、石巻日
日新聞社はあった。
石巻日日新聞は、1912(大正元)
年創刊で、今年で100年を
迎える夕刊紙。宮城県東部の石巻市、東松島市、女川町をエリ
アとする、地域に深く根付いた新聞だ。近江さんは約5年前、経
営が厳しくなっていた同社に財務担当として着任。就業体系や
設備投資などにメスを入れ、就任後約1年で再建へ。初めての業
界だったが、これまでも
「地域貢献」
をキーワードに活動してき
た近江さんにとって、
「地域紙は、地域貢献のための有効なツー
ル」
との認識で、
とまどいはなかった。震災後、
「壁新聞」
の一件で、
ジャーナリストとして多くのメディアに取り上げられるに至った
が、
「僕はジャーナリストというより、ローカリストのつもり」
と
笑う。石巻で生まれ育ち、大学進学の際に、東京へ出た。
大学時代、勉強のことは正直あまり覚えていない。当時、社
会学部1年生は朝霞キャンパスだったが、勘違いして白山に通
学してしまい、
「田舎からきた学生が初日から出遅れた焦り」
は
一生忘れられないのだそうだ。とにかく、勉強以外の──バイ
トや遊び、ゼミ合宿での出来事など、茶目っ気と遊び心に満ち
たエピソードなら溢れんばかり。
「おおよそ真面目というタイ
プではなくてね」
。マリンスポーツが大好き、という近江さん
の横顔は確かに、海を愛し、真っ黒に日焼けした頃を髣髴とさ
せる瞬間があった。
『6枚の壁新聞
石巻日日新聞・東日本大震災後7日間の記録』
石巻日日新聞社編
〔角川SSC新書〕
「手書きでいこうや」── 震災による大津波が社
屋に押し寄せ、輪転機が一部水没。創刊99年の
新聞発行が危機に立たされたとき、記者たちは停
「壁新聞」
はひっそりと、会議室
の隅に置かれていた。近江さんは、
1枚1枚に思いを馳せながら、
「こ
こから家や車や、あらゆるものが
流されていくのが見えて…」
と遠く、
窓の外をみやった。社屋は奇跡的
に助かったといっていい。ほんの
数百m先の家屋は、全壊した。
時代を先読みし、何より楽しんでチャレンジする姿勢に長け
た人なのだろう。故郷に軸足を置きながらも、全国を飛び回り
ながら多くの事業を手がけてきた。大きな転機は48歳、父親
の死だった。
「写真を並べて父の一生を辿ったとき、
“地域”
と
いうひとつのことに向き合った人だと感じた。父は
“いい人”
と
いう代名詞がぴったりの人間で、自分とは異なるが、自分のや
り方で
“地域貢献”
を人生のテーマにしようと決断した」
。
「人は
みな、地域に帰属して育てられたはず。企業が地域に帰属する
ようなやり方で貢献したい」
と考え、これまで兼ねていたさま
ざまな肩書きを降ろし、石巻に根を張った。その経緯で新聞社
との出会いがあり、そして思いも寄らない震災が起きた。
生死に向き合う壮絶な状況下で発行した、3月12日から17
日までの6枚の壁新聞。
「伝える使命」
に懸けた記者たちの姿を、
多くのメディアが報じた。すべては左下の書籍に詳しいが、近
江さんはそれを有り難く受け止めながらも、
「ジャーナリスト、
そしてローカリストなら、紙とペンがあったらきっと同じこと
をしたはず」
と冷静だ。
「震災があってもなくても、地域に対す
る伝える使命は何も変わらない」
と断言する。
ジレンマもある。だが、震災を忘れさせないために、新しく
繋がれた絆をさらに強くして自ら復興の力になるために、取材
を受け入れるのだという。
建て直した経営も、震災後は購読者の激減により振り出しに
戻ったが、近江さんの表情はなぜか明るい。
「購読料ゼロでも
できる新たなビジネスラインを考えようと話していた。時間軸
が早まっただけだから」
と、すでに次を見据えているのだ。
電の中、新聞用ロール紙をカッターで切り取り、
今でも揺れているような気がして、朝5時には目覚めてしま
ペンを持って壁新聞を発行した。震災後、7日間
うという。
泣いたり憤ったり感動したり忙しい1年だったという。
の葛藤が克明に記された、
近江社長自らによる記録。
だがこんな言葉をもらった。
「みんなで未来を描くために、あ
3月6日には日本テレビ系にてドラマ化される。
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地域を愛するローカリストの当たり前の気持ちから
2012年2月。震災からもうすぐ1年が近づくその日の石巻は、
TOYO UNIVERSITY NEWS
らゆる思いを笑い飛ばせ」
と。
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