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彼女 が 競馬 に ハ マ っ た ら

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彼女 が 競馬 に ハ マ っ た ら
駆け抜けた四年間
な か
ほ り
ゆ
中堀祐香
か
最大の励みだった。当時のダービー馬ロジユニヴァー
れ、競馬に夢中になった。高校受験の勉強も、競馬が
好きな少女はいつしかサラブレッドの走る姿に魅了さ
だけだという誇りでなんとか自我を保っていた。乗馬
しかしたらこの町の同年代の子どもたちの中でわたし
を走らせることができるのはクラスどころか学校、も
物園に通って、スタッフの方たちに顔を覚えてもら
回数で攻めることにした。毎週末競馬場のふれあい動
せてください﹂と言えるだけの度胸はない。わたしは
いたおじさんにたまらず話しかけたけれど、まだ﹁乗
ここに来れば馬に乗れるんだ、と思った。馬を曳いて
場で観光客が馬に乗せてもらっているのを見つけた。
あ、
しはスタンドの裏側にあるふれあい動物園の小さな馬
曳いて走る世界一遅い競馬だ。初めて訪れた日、わた
重一トン近いばん馬が数百キロの重りを載せたソリを
帯広競馬場。ばんえい競馬は、ダート一ハロンを、体
大学から自転車で三十分くらいのところに、世界で
一つしかない重種馬の競馬場がある。ばんえい十勝、
に飛び乗り、馬上でさまざまな動きやポーズを決める
Gをやってみたり、札幌競馬場に遠征してみたり、男
が何人か入部してきた。十人近くに増えた部員でPO
略して﹁あれちく﹂
。春になると筋金入りの競馬好き
を意味する命令語と大学の略称を組み合わせたもので、
Chikudai﹂
。フランス語で﹁行け、進め﹂
めにあてられることになった。
サークル名は
﹁Allez
男の子ひとりだけで、次の春までの期間はメンバー集
き集まったのはわたしのほかには件のクラスメイトの
直感のようなものが働いて、すぐに連絡した。このと
方は連絡ください﹂投稿者は一つ上の知らない先輩。
そうして半年とすこしが過ぎたころ、SNSでふと
見つけた投稿。
﹁競馬サークルを作ります。興味ある
アピールをしよう。作戦は成功し、数回目で﹁おう乗
スとオークス馬ブエナビスタは、七年経った今なお大
いつつさりげなくわたしも馬に乗れるんですよという
競技︶
や騎射
︵走る馬の上から弓矢で的を射る、所謂や
部に入学した。競馬サークルがあれば入りたかったけ
好きな二頭だ。
クの出走レース。鞍上
︵ばんえいの騎手は馬の曳くソ
ぶさめ︶
といった馬を使った競技への挑戦。少しでも
ってみろ﹂と馬に乗せてもらえたわたしは、その後も
もともとは国語が好きで、将来は国語辞典を編纂す
るのが夢だった少女は、あまりに馬が好きすぎて理系
リに乗ってレースをするので鞍はなく、鞍上という表
多くの引退競走馬や絶滅を危惧される和種馬たちが働
れどそんなものは存在せず、馬術には興味を持てなか
に転向、獣医学部を目指すことにしたが、高い壁を越
現は比喩でしかないが︶
の大河原騎手が、心なしかに
き口を見つけられるよう、馬好きな人の数を増やすこ
馬のおかげで生きていられているので、馬のために
生きようと思っていた。
えることはできず、浪人も許されなかったため畜産学
やりと笑いを浮かべているように見えた。確定オッズ
とと、既存の乗馬経験者に新しい馬との遊び方を示す
何度か通っているうちに﹁いつでも好きなときに来て
の子ばかりとはいえ、内気で友達もほとんどいなかっ
では三番人気。天気が良く馬場も重い
︵ばんえいでは
のが目的だった。乗馬教室の開催にあたっては指導や
好きなように馬に乗っていい﹂との許しを得ることが
たわたしが同年代の人たちと競馬を見て騒げる現実が
馬場が水を多く含むほどソリの摩擦が少なく曳きや
補助の方法を学んだり他の部員に教えるのが大変だっ
ったので馬術部にも入らなかった。クラスメイトの男
本当に嬉しかった。
すい軽馬場となり、乾くほど重馬場と言われる︶
ので、
たが、終わってみれば保護者の方々から﹁子どもが安
の子に競馬好きがいてたまに話せたのは救いだったけ
物園︶
にばかり行っていたわたしたちだったが、その
そうして中央競馬ばかりを見て、帯広競馬場に行っ
ても二階のJ PLACE
︵と、わたしはふれあい動
オークには苦手な条件に見えた。が、発走後、オーク
全に乗馬を楽しめてよかった﹂という評価を貰えたし、
内気で人見知り、容姿も性格もよろしくない女子中
学生の友達になってくれるのは馬しかいなかった。授
年の秋口になって、方針を転換することに。関東の大
は先手を取って第二障害前にやってきた。他馬が追い
できた。馬に乗せてもらえるだけでなく、おじさんは
学競馬サークルが帯広に来て交流したときに、ばんえ
ついてくるのを待って、他の数頭が障害を上りかけて
騎射は弓を扱えるようになるまでかなり苦労したもの
れど
︵競馬の話をできる同年代の子は今まで誰もいな
いについて聞かれたことにほとんど答えられなかった
止まった瞬間に大河原騎手の手が動いた。ほとんど止
の、いい馬と縁があったこともあり、今のところみん
業中後ろから消しゴムのかけらを投げられたり机に
のがきっかけだった。この土地にしかないものを、こ
まらずに先頭で第二障害を駆け下り、そのまま他馬を
な安全に楽しむことができている。
中央競馬も好きだったので、中央メインの発走時間に
の土地の大学生が知らなくてどうする。わたしたちは
引き離す、鮮やかな勝利だった。大好きな服部先生の
かったので本当にうれしかったものだ︶
、講義や実習
ばんえいの勉強を始め、動画サイトに予想動画を投稿
前人未到の節目の勝利を挙げた馬がわたしたちの命名
生活に光を与え、性格まで変えてくれた馬たちと、
もし出会えなかったらわたしはどうなっていただろう。
心当たりのない落書きを見つけたりする日々の底に
してみたり、競馬新聞を作ってネットで公開してみ
馬であるというのは、すごく嬉しくて、同時に誇らし
正直、ちゃんと生きていた気がしない。親には申し訳
なるとよく一緒に事務所のテレビを見て歓声を上げた。
たりするようになった。ネットの拡散力というのはす
かった。そして、後になって先生の一千勝目のときの
ないけれど、どこかで自死していたのではないか。
そんなフレンドリーで庶民的なおじさんこそがばんえ
ごいもので、ばんえいを応援している大学生集団がい
勝ち馬がアレチクオークの父親、ハマナカキングであ
は牛や豚のことばかりで大学で馬に触る機会はまずな
るという情報は一般のファンのみならず競馬場スタッ
ったことを知り、ばんえいにもこんな血統のドラマが
だから、わたしは馬のおかげで生きていると思って
いる。生きる力を与えてくれた馬たちが一頭でも多く
かった、そんなわたしを最初に拾い上げてくれたのが、
フの知るところにもなり、気がついたらわたしたちは
あったのかと感動したのだった。ばんえいに限った話
幸せになれるような手助けがしたい。でも、今はそれ
はいつもうっすらとした希死念慮のようなものがあっ
翌年デビューの明け二歳馬への命名権を手にしていた。
ではないが、愛着を持てる馬が一頭いるだけで、競馬
日々を送るうちに、わたしは馬だけでなく人間も大好
だけではなくなった。大学で忙しい、しかし充実した
調教師、服部義幸先生なのだった。
みんなで話し合ってつけた名前はアレチクオーク。管
は本当に面白くなる。義務感でばんえいを見始めたわ
そして、もう一つ変化があった。
﹁あれちく﹂を設
立した先輩は馬の研究室に所属して大学の馬の世話を
彼女に機会を与えてくれたからだ。
ていた。愛すべき馬たちと、そして馬を愛する人々が
に囲まれ笑顔で先陣切って周りを引っ張る立場になっ
が、アレチクオークだった。正直、勝ち目は薄い。前
土曜日に四レース出走する。その二レース目の出走馬
二千勝達成になるという話題が上がった。先生の馬は
初勝利から約一カ月後のある金曜日。SNSのタイ
ムラインで、服部先生があと二勝で厩舎開業後通算
してそこに集まるようになった有志を引き連れて立ち
くても馬の世話や乗馬ができるようになっていた。そ
化して、関連する研究室や馬術部などに所属していな
なったのだ。そのころから大学の馬に関する体制が変
を紹介してくれて、わたしも大学の馬に触れるように
これがわたしの大学生活で得られた結論だ。
て生きようと思っている。まだあと半年あるけれど、
れるかもしれない人たちのために何ができるかを考え
馬を愛する人々や、いつかのわたしのように馬に救わ
たち
わたしは、馬と、その周りにいるたくさんの人
のおかげでここにいる。だから、今は馬だけでなく、
きになっていた。内気で人見知りだった少女が、仲間
したり馬に乗ったりしていたのだが、わたしが二年の
走も特に見せ場のない八頭立て五着だ。しかし、当日
︵円状に走る馬
対象にした乗馬会の開催、そして軽乗
上げたのが﹁うまぶ﹂だ。活動内容は地域の子どもを
れず競走を中止した過酷なレースで、オークは完走し
たものの他馬に大きく遅れをとった最下位だった。し
ときの秋、彼が大学で馬を飼養管理している先生や職
頭でゴールを切った。もしや、と思いつつ迎えたオー
第一レース。服部先生の管理馬、ステージハートが先
員に馬が大好きで少し経験もある子がいるよとわたし
彼の初勝利となった。
−
かしその後、少しずつ調子を上げて三回目の出走が、
能力検査では好成績だったアレチクオークも、デビ
ュー戦は馬場が重く苦戦。二頭が第二障害を上がりき
−
まれたけれど、馬に跨ればだれより速く走れるし、馬
理はあの服部先生だった。
たしたちは、
いつのまにかその魅力にとりつかれていた。
た。体育も苦手で、団体競技では足を引っ張って周り
●受賞のことば
誰もいない深夜の研究室で時にニヤニヤ
しながら、
また時には少し泣きそうになりな
がら書き上げたこの文章を、
尊敬する選考委
員の諸先生方に読んで頂けたこと、
またこう
して大勢の方々の目に触れるところに届け
させていただけることを、
本当に幸せに思い
ます。
これまでお世話になった、
また私の文
章の原動力ともなった多くの方々、
そして馬
たちに心から感謝申し上げます。
皆さまのお
かげで、
私は今日も元気です。
い競馬の通算最多勝利記録を現在に至るまで更新中の
受賞作
服部先生だった。
佳作
(GⅢ)
に疎まれ、個人競技でもあまりの不出来に劣等感に苛
●プロフィール
22歳、帯広畜産大学にて牛馬の育種改良に
ついて勉強中。
来春から同大学院に進学予定。
進学後の生活費と馬券代を稼ぐため勉強の
傍ら博打好き雇用主のもとでアルバイトを
しつつ、
その合間に競馬場に通っている。
2016 優駿エッセイ賞
2016
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