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惑星エアロゾル実験の教育的利用: 火星の夕焼けは本当に青いのか?
Feature Article Earozoru Kenkyu, 22(2) , 107-112(2007) 特集「惑星エアロゾル」 惑星エアロゾル実験の教育的利用: 火星の夕焼けは本当に青いのか? 中串 孝志 1 ・古川 邦之 2 ・ 山本 博基 3 ・ 大西 将徳 4 飯澤 功 5 ・ 酒井 敏 6 Planetary Aerosol Laboratory Experiments for Science Education: Is the Sunset on Mars Really Blue? Takashi NAKAKUSHI 1, Kuniyuki FURUKAWA 2, Hiroki YAMAMOTO 3, Masanori ONISHI 4, Isao IIZAWA 5 and Satoshi SAKAI 6 Received 8 February 2007 Accepted 11 April 2007 Abstract − Planetary aerosol laboratory experiments for science education were carried out in a curriculum of Kyoto University. Our goal is to reproduce “the blue sunset” on Mars which are reported from NASA’s Mars Pathfinder. In reproducing the rays scattered by Martian atmosphere (dust storm)in a laboratory, the number density of scattering particles has to be as large as possible. Three experiments were conducted in the air and water. Although we were not able to reproduce Martian blue sunset, we elucidated its spectrum. Converting this spectrum to a color in the RGB system, we obtained R = 114, G = 122, B = 192. Though the experiment, we proved that planetary aerosol laboratory experiments are significantly fruitful for science education as well as for science studies. We propose that researchers and lecturers should make active use of planetary aerosol laboratory experiments for science education. Key Words : Blue Sunset, Dust, Mars, Mie Scattering, Planetary Aerosol, Science Education. 子である。惑星エアロゾルの研究は,天体物理学の対 1.序 論 象として,主として地上観測による天文学的手法によ 「エアロゾル学」はまだ発展途上の比較的若い学問 り研究されてきた。しかし惑星大気の直接探査が行わ 領域である。エアロゾルは地球に限らず大気を持つ惑 れるようになり,惑星大気の地球物理学的手法による 星の多くに存在し,その表層環境を決定する重要な因 理解が進んできた現代においては,「惑星エアロゾル 1 4 1 2 2 3 3 京都大学大学院理学研究科地球惑星科学専攻 (〒 606-8502 京都市左京区北白川追分町) Graduate School of Science, Kyoto University Kitashirakawa-Oiwake-cho, Sakyo-ku, Kyoto 606-8502 愛知大学経営学部 (〒 470-0296 西加茂郡三好町黒笹 370) Aichi University 370 Kurozasa, Miyoshi-cho, Nishikamo-gun 470-0296 京都大学理学部 (〒 606-8502 京都市左京区北白川追分町) Faculty of Science, Kyoto University Kitashirakawa-Oiwake-cho, Sakyo-ku, Kyoto 606-8502 Vol. 22 No. 2(2007) 4 5 5 6 6 (25) 京都大学大学院人間・環境学研究科相関環境学専攻 (〒 606-8501 京都市左京区吉田二本松町) Graduate School of Human and Environmental Studies, Kyoto University Yoshida-Nihonmatsu-cho, Sakyo-ku, Kyoto 606-8501 京都市立堀川高等学校 (〒 604-8254 京都市中京区四坊堀川町 622-2) Kyoto Municipal Horikawa Senior High School 622-2 Shibo-Horikawa-cho, Nakagyo-ku, Kyoto 604-8254 京都大学総合人間学部 (〒 606-8501 京都市左京区吉田二本松町) Faculty of Integrated Human Studies, Kyoto University Yoshida-Nihonmatsu-cho, Sakyo-ku, Kyoto 606-8501 107 学」はそれ以前の天文学的研究とはまったく異なる意 を取り入れることにした。この「地球科学実験」とい 味を持った新しい学問領域と言えよう。 う科目はおもに 1,2 年生を対象とした実験・実習系 われわれは,天文学的見地からの惑星エアロゾルの の授業で前期と後期に分けられている。前期には 4,5 研究の長い歴史を含めても,惑星エアロゾルをター 人で 1 つのグループをなし,2 週ごとに,地球科学の ゲットとした実験的研究がこれまでほとんど行われて 中の異なる分野の課題に取り組む。たとえば,可逆振 こなかったことを憂慮し,この分野の研究の有用性と 子による重力の測定,計算機を用いたカオスの体験, 将来性について議論した (たとえば Nakakushi 1))。 水槽を用いた渦や乱流の観察などがある。後期は 8 つ 今後ますます重要になるであろう「惑星エアロゾル ほどのテーマ(分野)の中から,各人が 1 つを選択し, 学」において,実験的研究は必要不可欠である。しか グループに分かれる。そして,同じグループ内の学生 し現状では惑星エアロゾルの実験的研究が広く行われ たちと教官が半期を通して議論を繰り返しながら,実 るための素地はまったくない。それどころか,実験的 験の目的,方法を決定し,その結果に対する考察を行 研究以外のアプローチをとる研究グループもきわめて う。後期の最終週には,各グループがおのおのの活動 限られている。惑星エアロゾル学の発展を願うならば, 結果をプレゼンテーションの形で発表する場が設けら まず第一に未来の惑星エアロゾル研究者を育てなけれ れており,これに向けたスライドの作成および発表の ばならない。その意味で,惑星エアロゾル実験を大学 練習も授業の一部となる。また,最終週の発表の場は, 初年次(あるいは高等学校)の教育課程に導入するの 単に発表するだけでなく質疑応答の時間も設けられて は大きな意義がある。 おり,大学 1,2 年生にとっては貴重な経験となる。 NASA の着陸機により報告されている火星の「青い われわれは後期枠にて「火星の夕焼けは本当に青いの 夕焼け」は(たとえば Maki 2)),地球と異なるエアロ か?」と題した検証実験を 2003 年・ 2004 年にわたっ ゾル環境に起因する現象である。地表面気圧で地球の て行った。 1 / 100 ∼ 1 / 200 程度の薄い大気中にダスト粒子が常に 本稿では,まずこの検証実験の指導原理について述 存在しており,そのダスト量も大きく変動する。理論 べ,続くセクションでは実行された 3 種の実験の概要 的には以下のように説明される。 と結果を述べる。最後に結語に代えて惑星エアロゾル 大気分子によるレイリー散乱は波長が短いほど散乱 実験の教育的利用の有用性と可能性について議論する。 効率が高くなる(Qsca を散乱の強さとすると d Qsca / dl 2.実験の指導原理 < 0)。したがって地球の場合,昼間はこの散乱光を見 るため青空になり,夕焼けは透過光を見るため赤くな 火星の表層土は玄武岩質的で,モンモリロナイトに る。ところが大気の薄い火星の場合,大気分子による 近いとされている。これはわれわれが普段目にするい レイリー散乱の寄与は地球より少ないため,日没時の わゆる「砂」「粘土」に近い。また散乱特性は散乱体 太陽光を赤くする作用がより弱い。そしてダスト粒子 の屈折率が大きく寄与するが,ケイ酸塩的な物質であ によるミー散乱の寄与が地球より有効に働く。ミー散 れば屈折率にさほど差はない。つまり散乱体としては 乱の特性は粒径分布と屈折率に依存するが,火星ダス われわれの周囲にある「土」で代用可能であると思わ トについてさまざまな観測から予測されているパラ れる。一方,散乱に大きく寄与するもう一つのファク メータは,レイリー散乱とは逆に d Qsca / dl > 0,すな ターは散乱体のサイズ分布である。サイズ分布が広が わち長波長側を効率よく散乱することを予言してい ると波長依存性がなくなっていく。これらのことは, る。したがって火星では昼間の空が赤く,日没時の太 われわれの興味に合わせて要約すれば「色が付く散乱 陽透過光が青くなるわけである。 は粒子種と粒子サイズがよく揃っている証拠である」 しかしこの「青い夕焼け」現象は,火星面上であれ と言うことができよう。 ばいつでもどこでも観測されるのであろうか。地球で 火星大気で起こる散乱について,もっとも単純なモ の赤い夕焼けが日々変化するように,火星での青い夕 デルとしてわれわれが採用したのは以下のような Beer- 焼けもエアロゾル環境の変化によりその姿を変えるで Bouguer-Lambert の法則である。 あろう。しかし着陸機による観測報告も少なく,どの I = I0 e−t ようなケースにどのような「青い夕焼け」が見られる (1) のかという疑問を解決するには,室内実験による検証 I は地表面で観測される太陽光 (すなわち透過光),I0 が必要である。そして室内実験による検証は,言うま は散乱を受ける前の太陽光,t は光路の光学的厚さで でもなくより自然な疑問「青い夕焼けは本当なのか?」 ある。さらに単純化するため, に答えることにもなる。やはり自らの目で「青い夕焼 t=nsL け」を見たいではないか! (2) そこでわれわれは京都大学の一般教養科目の「地球 とする。n は平均的な数密度,s は散乱断面積,L は光 科学実験」の実験テーマとして「青い夕焼け」の再現 路長である。実験室で火星大気と同様な散乱状況(あ 108 (26) エアロゾル研究 るいは可能な限り近い状況)を再現するためには, DV カメラで撮影し,どのような色合いになるかを調 Eq.( 1)の枠内で考える限り,火星大気と同様の t を べた。その結果,特に色合いの変化は見られず,単に 再現すればよい。したがって Eq.(2)から,s が同様 暗くなるだけであった。このことから,やはり相当粒 の試料を用い,小さい L を補うべく n を大きくすれば 径を揃えなければならないことを実感された。散乱光 よい,ということがわかる。つまり,火星の表層土と に色が付くのは粒径が揃っている証拠であるが,身の 同じような試料を製作し,これを何らかの媒質に分散 周りにある鉱物でも,粒度分別を行えば本当に理論か させ可能な限り濃密な「ダストストーム」状態を作り ら予測されるように散乱光を着色できるのであろうか。 出せばよいわけである。 4.実験 2 :粒度分別後の水槽実験 3.実験 1 :自然なダストストーム 探査機によるさまざまな観測から,火星のダスト粒 そこで,まず手始めに,手近なところで大学運動場 子は 1 µm 程度であると言われている。そこで,粒径 の砂を使うこととなった。ホームセンターで購入した を可能な限り揃えた試料で理論が再現できるかどうか 塩ビ管と廃材を中心に,Fig. 1(構成は Fig. 2 参照)の を検証するため,濾過による粒度分別を行った上での ような装置を組んだ。偶然,研究室で保有していた業 散乱実験を行った。着色という目標から,今回は粉体 務用の掃除機が逆噴射可能であったため,装置内に砂 の材料として赤レンガを採用した。赤レンガの赤色は を送り込む送風機として使用した。このように組むこ 酸化鉄であり,火星の赤い土壌と同じである。ただし, とで,沈降速度からきわめておおざっぱながら粒度分 赤レンガは焼成してあるため,鉱物種としてはかなり 別が可能であると考えた。また光源はハロゲンランプ 異なるが,「色」の特性がシリカサンドなどより近い であり,基本的には熱放射すなわち連続スペクトルで であろうと期待される。 ある。装置内で疑似ダストストームを作るわけである。 地質調査グループの鉱物分析用のボールミルを借用 ミー理論から考えればできるだけ粒径を揃えなければ してレンガを粉砕し,メンブレンフィルタを用いて水 ならないことが予想されるが,手始めにもっとも自然 中濾過を行い,1 µm 程度以下まで粒度分別を行った。 な状態を再現するという意味では,この状況設定は悪 これを水槽内でコロイド状態にして,ハロゲンランプ くないと思われる。装置を通り抜けてきた透過光を を光源として透過光を撮影するとともに,スペクトル を測定した。スペクトル検出器は,大気汚染状況に関 する別の観測のためのものを借用した(Fig. 3)。 実験の結果,鮮やかな赤い夕焼けを作成することに 成功した。この赤い透過光と光源自体のスペクトルを おのおの測定し,得られた減光率スペクトル(Eq.(1) の e−t)が Fig. 4 である。530 ± 20 nm に明瞭な減光部 が見られる。白色光からこの波長帯が散乱により削ら れれば,透過光が赤みがかったものになるであろうこ とは容易に推測される。なおスペクトルを計測したの は赤レンガだけであったが,同様の赤い透過光がシリ カサンドやガラスの粉末でも見られたので,この赤い 透過光を作る減光部は吸収によるものではなく,散乱 による減光である。 Fig. 1 Blue sunset experiment I. Window Window Light Video Light source Blow pe Slo =Dust flow Large particles Fig. 2 Blue sunset experiment I. Pebbles and large dust particles can not go up through the tilted part(“slope”) . Vol. 22 No. 2(2007) Fig. 3 Blue sunset experiment II. (27) 109 一般に粒子による光散乱では,粒径そのものではな dl < 0 と見なせる。これは短波長ほど強く散乱を受け く波長に対する粒径の比が本質的なパラメータとな ることを意味する。したがって水中での実験では透過 る。この比が小さい極限がレイリー散乱であり,逆に 光は赤く色づくのである。 大きい領域では幾何光学散乱であり,そして粒径と波 ここで同じ可視波長帯を空気中での r に換算すれば 長が同程度である場合がミー散乱である。ミー散乱を 9.5 ∼ 17 となり,この範囲では水中とは逆に d Qsca / dr 議論する場合,この比に屈折率を加味した < 0 すなわち d Qsca / dl > 0 となる。すなわちこれは, r =(nr − 1)4 pa / l 同様の試料を用いて空中で散布することが可能であれ (3) ば青い夕焼けが得られることを意味する。しかし,水 で定義されるパラメータ r を使うことが多い。ここに 中濾過した試料を乾燥しても,乾燥過程で粒子が固着 a は粒子の有効半径,nr は粒子の相対屈折率の実数部 するため同様の粒径分布が得られるとは考えにくい。 である。散乱効率 Qsca の r 依存性を示す計算例を Fig. 5 また空気中では,水中のように高濃度の分散状態を作 に示す。 ることは難しい。なお,水以外の低屈折率の液体の分 ダスト粒子の屈折率はこの実験のサンプルも火星ダ 散媒,および高い屈折率を持つ分散質によって相対屈 ストでもあまり変わらず,nr = 1.5 としてよい。水の 折率が 1.5 付近になるような分散系も検討したが,少 屈折率を 1.33,粒径を 1.2 µm と仮定すれば,減光部の なくとも入手可能な範囲では存在せず,入手が困難な 中心波長 530 nm は r = 4.3 に相当する。この付近は ものも含めても条件を満足するような系は存在しない Fig. 5 によれば,散乱強度がもっとも大きくなる波長 ようであった。 に相当する。ここで可視域を 450 ∼ 800 nm と仮定す 5.実験 3 :空気中に分散させた粉砕済み粒子のスペ れば r で表される可視域は 2.8 ∼ 5.0 に相当する。この クトル測定 領域は大局的に見て d Q sca / dr > 0 すなわち d Q sca / そこでもう一度塩ビ管装置に戻り,Fig. 6 のような 装置を使って沈降速度差を用いた粒度分別を考える。 1.2 サンプルとしては,シリカサンドをボールミルで限界 Intensity 1.1 まで粉砕したものを大量に用意した。ここで言う沈降 1 速度差による粒度分別とは,今回の実験装置で発生可 0.9 能な程度の風速では,試料中の 1 µm 程度の粒子しか 0.8 分散・滞留していることができないであろうという仮 0.7 定に依拠したものである。きわめておおざっぱな仮定 0.6 400 450 500 550 600 650 Wavelength(nm) 700 750 であるが,その仮定が正しいかどうかは,後から実現 800 した粒度分布を測定してみればよい(このあたりが教 育目的の実験の特徴とも言える)。実際の粒径分布の Fig. 4 Spectrum obtained from blue sunset experiment II. 測定では,粘着剤を塗布したプレパラートを装置内に 入れて直接採取し, 顕微鏡写真から見積もるという方 4.5 3.5 Qsca 法を採用した。粒子のサンプル 161 個について粒径を b=0.01 b=0.10 b=0.50 4 測定し,平均粒径 1.25 µm,モード 0.79 µm,分布の標 準偏差 1.05 µm という値を得た。粒径分布については 3 かなり理想的な状況と言えるだろう。ハロゲンランプ 2.5 では光源として弱いため,野外活動用の電熱線式投光 2 器を用いて実験を行い,スペクトル Iobs が得られた。 1.5 1 Window 0.5 0 Light 1 10 Light source Fig. 5 Efficiency factor for scattering, Qsca, as a function of the parameter, r. The two parameter gamma distribution (see Eq.(2.56)in Hansen and Travis(1974)3))was used with three values of the effective variance b. The refractive index is nr = 1.50, ni = 0, and the effective radius a = 1.20 µm. See also Figs. 8 and 9 in Hansen and Travis(1974)3). 110 Window Spectrometer Fan =Dust flow Fig. 6 Blue sunset experiment III. (28) エアロゾル研究 装置を通さない投光器のスペクトル Idirect を測定すれ られた仮想スペクトルを「色」に変換し,パソコンの ば,Eq.(1)から装置の透過率のスペクトル(e−t)lab モニター上に表示することを目指した。モニター上で = Iobs / Idirect が得られる。 は赤(R),緑(G),青(B)の光の 3 原色を用いて色 減光に寄与するのがダストだけであると仮定し,か が表現される。色彩科学によれば,線形変換によって, つ火星ダストの分布を簡単のため高度 15 km まで均一 ある光のスペクトルから色ベクトル(R,G,B)への に分布しているとすると,火星の赤道半径が 6,794 km 変換が可能であることが知られている。この線形変換 であることより,日没時における光路長は Lmars = 4.5 によって得られた 3 原色の強度を,(R2 + G2 + B2)1/2 × 105 m となる。したがって大まかに Lmars / Llab ∼ 105 = 1 となるよう規格化し,モニターの色階調である として良いだろう。実験装置を簡略化し過ぎたため, 255 を乗じると, 装置内の流量は測定不能である。したがって数密度の R = 114,G = 122,B = 192 推定は難しいが,nmars / nlab ∼ 10−3 − 10−4 の程度であ (6) ろうと考えられる。ここでは nmars / nlab ∼ 10−4 を採用 とパソコンのモニターでも表現できる形式にすること している。したがって Eq.(2)から tmars / tlab ∼ 10 と ができた。この色を何と呼ぶかについては諸説あるだ なるので, 次のように火星の夕焼けスペクトルを「再 ろうが,少なくともこれは明らかに「青」の部類に入 現」することができる。 る。したがって,この検証実験の結論としては,「火 10 Imars = Isun・(e−t) lab 星の夕焼けは本当に青いようである」ということに (4) なった。 Isun として 6,000 K のプランク関数を採用して「再現」 したのが Fig. 7 である。なお,光子カウント数−光量 間の関係のキャリブレーションを行っていないため, 6.議論および結語 現在,大学初年次の教養の科学系の実験・実習授業 また後述するスペクトルから色への変換の際の利便性 は,基本的器具・機器の操作法の習得,基礎理論と現 のため,Fig. 7 に示したスペクトルは 実との関連の理解など(場合によってはレポートの書 ∫I mars dl = 1 き方も)を目的としているため,実験の目的から手法, (5) 結論に至るまですべてに「既定値」の存在するものが のように規格化されている。したがって Fig. 7 は仮想 ほとんどであろう。 スペクトルの形状を表している。これによると明らか 研究者を育成することを目標の一つとするならば, に短波長側の強度が強く,「青」の部類に入る色が観 研究という活動の持つ意義やその行動および行動原理 測されるであろうことが予想される。 を学ばせることが重要となる。その意味で,実験・実 以上により,仮想「火星の青い夕焼け」のスペクト 習という教育の場は,研究者が本当にやってみたいこ ル(の形)は推定できたが,この実験の本来の目的は と,自分の目で見たいことを,素朴にやってみる良い 「この目で火星の青い夕焼けを見たい」ということで 機会と考えることもできる。 あった。実際に自分の目で見ることは教育という目的 したがって, 「惑星エアロゾル学」が新しい学問であ には最上なのだが,それが叶わない場合にどのような り,しかも実験的研究がほとんどないという事実を踏 次善の策があるのか,それを案出するのも学生実験の まえれば,惑星エアロゾルに関する実験が学生実験・ ポイントと言える。実験チーム内での協議の結果,得 実習の授業で扱う対象となるのは自然なことである。 惑星エアロゾルの置かれた環境そのものをすべて忠 実に実験室的に再現することは大変困難である。むし 0.1 ろ内在する物理的・化学的過程のうちどれを再現して 何を見たいのか,という問題設定こそが重要であり, Sunset intensity(normalized) 0.01 アナログ実験のキーポイントと言える。 0.001 さらに,その後の発展性を考えれば,すべての環境 0.0001 条件を再現する必要もない。たとえばわれわれの実験 1e−05 では,検証実験としては一応『NASA の報告は正しそ 1e−06 うだということが検証された』という結論に達したが, 1e−07 そもそも火星表層環境における自然な過程で,われわ 1e−08 れがボールミルやメンブレンフィルタでかなりの調整 1e−09 400 450 500 550 600 650 700 750 が必要だった程の狭い粒径分布が実現されるのか?実 800 は何らかの他の物理過程(特に吸収)が支配的ではな Wavelength(nm) いのか?という疑問も湧く。また仮にそのような粒径 Fig. 7 “Simulated” sunset spectrum on Mars. Vol. 22 No. 2(2007) 分布が実現されているからこそ青い夕焼けが観測され (29) 111 たのならば,ダストストーム発生時には大型の粒子も 多様性を学生に理解させる格好の機会ともなる。環境 巻き上げられダストエアロゾルの粒径分布は広がり, 科学系の研究室には,地球大気環境の測定・実験を前 夕焼けは青くなくなるはずである。これは着陸機の撮 提とした各種装置がある。実験の目標を的確に定める 影時の前年のダストストームとの関連を指摘する説と ことができれば,ちょっとしたアイデアと工夫で,そ 矛盾する可能性がある。このような発展的な問題を解 れらを惑星エアロゾルの研究に用いることができる可 決するためには,たとえば風洞実験などで沈降速度差 能性は十分にある。 による粒度分別がどのように効くのかを検証しなけれ われわれが展開した「火星の青い夕焼け再現実験」 ばならないだろうが,それはまた別の実験と捉えるべ では,これまで述べてきたような「惑星エアロゾルを きだろう。あるいは,大学初年次において,学生の意 対象とした学生向け実験」の持つ有用性や可能性を示 欲を刺激し,その後の進路に好影響を与えたいという すことができたと考えている。 意味では,最後に登場したスペクトルと色の関係は色 Acknowledgements 彩科学や測色学への扉でもあり,学生の興味次第で まず本実験に参加してくれた学生諸君に厚くお礼申し上げ る。彼/彼女らの力なくしては本稿の成立はおろか何も起こら なかったであろう。また本実験の遂行にあたり,紀本電子工業 株式会社代表取締役社長紀本岳志氏より貴重な助言をいただい た。ここに記して謝意を表する。 CG レンダリングや大脳生理学,視覚デバイスの開発 などへ進むこともあろう。すべての環境条件を再現し 忠実に「火星を作る」ことよりも,まず一つずつ条件 を再現していく方が,実習授業としても実験的研究と しても得るところは大きい。 References この『火星の青い夕焼け再現実験』は,実質的には 「ミー散乱の前方散乱の波長依存性を調べる簡易的な 1 )Nakakushi, T.: Potential of Experimental Studies of Planetary Aerosols, Proc. the 23rd Symposium on AEROSOL SCI. & TECH., 181-182(2006) (in Japanese) 2 )Maki, J. N., Lorre, J. J., Smith, P. H., Brandt, R. D. and Steinwand, D. J.: The Color of Mars: Spectrophotometric Measurements at the Pathfinder Landing Site, J. Geophys. Res., 104, 8781-8794(1999) 3 )Hansen, J. E. and Travis, L. D.: Light Scattering in Planetary Atmospheres, Space Science Reviews, 16, 527-610(1974) 実験」ではあるかもしれない。しかしモデル化の対象 が火星ダストなのであり,科学的なコンテクストは まったく異なる。惑星エアロゾルを想定してパラメー タ等を少し調整してやることで,地球エアロゾルに関 する既存の実験もまったく異なる意義を持ち得るので ある。地球エアロゾルと共通の実験で惑星エアロゾル をモデル化できれば,惑星大気・表層環境の相似性と 112 (30) エアロゾル研究