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官能と神秘の香り - イランイラン
「香りの迷宮を訪ねて」 (新連載) (官能と神秘の香り - イランイラン) 山本芳邦 香りにも故郷がある。天然香料の由来を知ることはその故郷を知ることでもある。果たし てどの様な所でどの様な人が植物を栽培し、いかなる方法で芳醇な香りのひとしずくを 生み出しているのか。それを知ることで香りの世界はより深遠で豊かなものとなる。だが 、香りを生業とする者の特権としてその故郷を訪れ、馥郁たる香りの誕生を自の当たりに する至福の時を重ねれば重ねるほど、その香りの迷宮に迷い込んでしまうのである。 マダガスカルはインド洋西部に浮かぶ世界で4番目に大きな島で、その面積は日本1.6 倍もある。西はモザンビーク海峡をはさんでアフリカ大陸が横たわり、東は広大なインド 洋が黒々と広がる。数千年前までは誰も住んでいなかった島なのだが、7世紀ごろから遥 々 (はるばる)インドネシア方面から人が移り住み始めた。 アフリカ人やインド人がそれ に続き、人種の交わりは進んだ。動植物に関して言えば、島がゴンドワナ大陸から完全に 分離され、それとともに当時の状態がそのまま保存されたため、時間が停止したかのご とく国有主の宝庫である。バオバブの木やワオキツネザル、 アイアイやカメレオンなど珍 しい動植物が数多く生息している。 しかし、 この島には比較的近代になって持ち込まれ、 いつしか島を代表する香り豊かな植物がある。それが神秘の花イランイランだ。 マダガスカル本島北端から北西に15kmに位置するノッシベ島(Nosy-Be)にその花は 咲き誇る。対岸のアンパンジャから船で1時間弱、空港もあって首都アンタナナリポから 空路1時間ちょっとで着<。 この島町沖合いではクルマ工ビの漁が盛んに行われ、 日本へ も相当輸出されているようだ。街の中心はエル・ヴィル。けだるい空気が漂う蒸し暑い昼 間は、パーの軒下でビールをあおる人影があちこちで見られる。食いつぶしたようなフ ランス人がまさに退廃を絵に描いたようにゆらゆらと陽炎の中でなびく。 この街の近郊に官能の香りを放つ奇妙な花、イランイランが生育しているのだ。 カナン ガ・オドラータ。 この優雅なラテン名をもつ植物は、黄緑色をした花弁が長く垂れ下がり なんとも隠微な形をしており、その花が宿る木の幹は、筋肉隆々の腕をニョキニョキと伸 ばした怪物が地を這う如くである。 もともとフィリピン周辺が原産ではあるが、人の流れ と共にインドネシアを経てこの地にもたらされた。その香りは甘美で艶やか、エステルの 豊富なエキストラグレードはまさに天然のフレデランス。パフューマーの称号を与えら れても良いくらいの見事なパランスを保った香りを作り出す。 花は早朝に摘み取られ水蒸気蒸留にかけられる。直火のかまどで湯を沸かし花の詰まっ た蒸留器の中に水蒸気を通してゆく。比重の重いエクストラが最初に蒸留され、 ファース ト、セカンド、サードと香りの艶は次第にフェードアウ卜して行く。延々と続く蒸留作業は 夜通し続くこともある。最後の1滴まで大切に搾り取るが如くに。 タ闇に吹く風までがイラ ンイランの香りに包まれ、ふと仰ぎ見た天空には南十字星が煌々と輝いていた。 山本香料株式会社 代表取締役社長(薬学博士)