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佐藤一斎と吉田松陰

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佐藤一斎と吉田松陰
てはじめに
:広口
照士
也、田
較 i
器
託松
椎
綜
の行動力を生み出せるものを指すように思われる。長州藩志士
て探究する奥深い哲理というより、むしろ理念を実現するため
末の時期において、いわゆる学問は、ただ老学究が饗斎に閉篭っ
原動力の一つだといえよう。とくに空論より実践を重んずる幕
取りて観るを可と為す。然れども吾れ専ら鵠明学のみを捧
に自孜に借る洗心掲額記を以てす。大塩も亦陽明派なり、
李氏焚畿を得たるに、亦陽明振にして、雷々心に当る。向
吾れ曾て王楊明の伝習録を読み、頗る昧あるを党ゆ。領ろ
に披が最も重んずる実践は賜明学の﹁知行合こと一致してい
以上の首輪をみれば、陽明学は縮かに松陰の共惑を時び、とく
(﹁全集同第五巻、一七七1 一七八頁)
に、それを止揚しなければならないと考えている。朱子学に反
届けなかった督作に比べれば、藤離帯の志士であ旬、また鴎明
肺結殺に確慰したことによって病没し、明治政府の樹立を見
るように忠われる。
させることを意味するのである。こうした実践力、行動力に寓
学者と思われる西郷隆盛(一八二七1 一八七七)は維新三擦の
る。さらに陽明学の﹁知行合こ思想は理論、理想を実践に移
れが時代の趨勢に対応できるというところにあるように忠われ
して、陽明学に当時の幕末志十一が深く共鳴した所以はまさにそ
が象徴する封建的道徳思想は時勢の変化に対応できないがゆえ
﹁朱子学では戦争ができない市と大胆に断言しており、朱予学
むるに非ず、但だ其の学の察、往々吾が翼と会うのみ。
の晩年の安政六年(一八五九)に次のように述べている。
かならない。松桧は自らを趨明学者と明一⋮補間してはいないが、そ
与 え た の は 幕 末 思 想 家 の 吉 田 松 捨 ( 一 八 三0 1 一八五九)にほ
張
で あ り 、 額 明 学 者 で あ る 高 杉 晋 作 日 ご 八 三 九1 一八六七)は
景から考えれば、日本揚明学はそれを成就させた霊要な思想的
明治維新を促した要素が数多くあるが、もしその思想的な背
主
主
定と
んだ晋作の思想的な背景を探ってみれば、最も深い影響を彼に
1
0
9
佐
藤
読するだけでなく、さらにその中から抄録した一 O 一条を鹿右
は議要な役割を操たしているのである。彼は吋九百志閤録﹄を愛
一人として、明治維新を見腐けたにとどまらず、幕末維新史で
において、日本⋮回一聞の﹁人間﹂という概念に対して独創的な解釈
和辻哲郎(一八八九i 一九六O
) は﹁人間の学としての倫理学﹂
れば、興なる解釈が成り立つように思われる。日本の倫理学者
かに正確であるようにみえる。しかし、他者との関係性からみ
という自己同一性を強制する命題は一見何の誤謬もなく、明ら
を行っている。まず、彼は﹁倫理﹂が人と人の間柄を指すもの
の銘としている。したがって、言悶志間録﹂の離感に対する盤
者佐藤一斎(一七七二i 一八五九)の主要な著述である。彼は
だと説いている。具体的にいえば、﹁倫理﹂は社会共悶体の基
要性と欝欝がうかがわれる。で富士仙間銀同は江戸後期の陽明学
昌平融資で朱子学を教えているにもかかわらず、実際にはその学
る解釈をふまえながら、B本語の﹁人間﹂という言葉に着自し、
その意味と歴史の変還を分析している。周知のように、現代日
底としての秩序、道理である。さらにこうした﹁倫理﹂に対す
本諮の﹁人間﹂は、その意昧から考えれば、﹁人﹂としても﹁社ふ主
説が勝明学に欄斜しており、ゆえにその学風には﹁隣朱陰王﹂
思想にまで遡ることができ、すなわちそれが階明学に通ずる思
という評がある。したがって、経盛の思想の源流は佐藤一斎の
想だといえよう。
としても解釈できる。しかし、哲郎は辞書 2一一口海﹂の解釈を引引
ている。つまり、﹁人閥﹂とは﹁社会﹂であり﹁ひと﹂ではない。
以上をまとめていえば、佐藤一斎と吉田松陰の思想は幕末の
さらに、彼は歴史の視点からその言葉の意味の変化を検証して
﹁人﹂の意味としての使用が誤りである、ということを説明し
構築することではなく、それは人々の心を打ち、さらに実践、
用することによって﹁人間﹂はもともと﹁社会﹂の意味であり、
行動に移させる思想だ、ということである。この点に着眼した
いる。つまり、いわゆる﹁人﹂、すなわち日本語の﹁ひと﹂は、
維新運動に大きな影響を及ぼしたものだと考えられる。しか
拙稿は、否定思想の視点から江戸末期の陽明学者の一斎と松陰
単に﹁私﹂を意味するだけでなく、さらに他者、世間をも含意
し、注意すべきは、こうした影響はけっして路大な思想体系を
の思想を討究し、さらに両者の恕想を分析・比較することによっ
するのである。いわゆる﹁人間﹂は、仏教の輪廻思想に影響され、
ている。
言葉の歴史的背景を分析することによって、次の結論を導出し
の意味として転用されるようになった。哲郎は﹁人間﹂という
比するとき、人間(人類の世界)の﹁人間﹂という言葉が﹁人﹂
六遂における叢生中(密生の世界)の﹁畜生﹂という言葉に対
てその理論を解明しようと試みるものである。
二、否定の論理
一斎と松陰の思想を論究することに先立って否定の論理にふ
れる必要があろう。﹁私は私であって私以外の侭ものでもない﹂
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1
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﹁
正i 反i 合﹂の弁証法的運動だけによって静止となったら、
う動的状態でなければならない。なぜなら、もしただ一回の
証法的運動においては、終点がなく螺旋的に上昇していくとい
人間とは﹁世の中﹂自身であるとともにまた世の中におけ
自己間一の行き詰まりから脱出することができないからであ
る﹁人﹂である。従って﹁人間﹂においてはこの両者は弁
誌法的に統一せられている。 ω
の私﹂に甘んずることは逆にでのるべき私﹂を見失うことをも
主体性を盟持することができるようにみえるが、しかし﹁現在
もし﹁私は私である﹂という命題に安んじれば、一見自己の
る
。
れる。換言すれば、﹁人間﹂という言葉が使われるとき、文字
したがって、﹁人間﹂は﹁人と人の間にある存在者﹂と解せら
自体は﹁人﹂として考えられるが、実際その言葉に含まれてい
に臨むとき、当然自己を否定して﹁あるべき私﹂を目指して精
ない。したがって、﹁あるべき私﹂を前提として﹁現在の私﹂
いる自己は決してあるべき様態に向かって進歩することができ
ようとするのはまさにこうした社会共同体における人と人の間
進するのである。言葉をかいえていえば、自己を否定することに
たらすのである。こうした状態に置かれては、現状に満足して
にある秩序、道理にほかならない。したがって、こうした立場
る意味はただ一人の﹁人﹂にとどまらず、それは﹁社会共伺体
によれば、﹁私﹂とは単なる儲としての﹁私﹂ではなく、他者
うした否定思想は佐藤一斎の害口志郎録いに見出せるように思
よってのみ、初めてでのるべき私﹂に近づくことができる。こ
にある人(存在者こである。哲郎の﹁人間倫理学﹂が探究し
との関係性を前提とする﹁私﹂をいう。つまり、哲部の論理か
な関係性が存する。こうした社会組織の基本単位としての個人
るべき様態﹂を呂指しての現状に対する否定である。自己否定
前部では、否定の論理を説明してきた。つまり、それは﹁あ
三、佐藤一斎の否定思想
われる。
らみれば、﹁人間﹂という言葉を解釈すると同じように、社会
と個人の関係性をも弁証法的に解せられるのである。
伊藤益は田辺元(一八八五1 一九六二)の哲学の立場から、
﹁否定の弁証勺において社会と個人の関係性を弁説法的に把捉
が﹁党躍﹂した場合、必ず社会との簡に対立、矛臆が生ずるの
の私﹂を否定し、﹁正 i 反よとという過程を経て次の段階の﹁私﹂
の角度からみれば、それは、﹁あるべき私﹂を自掛けて﹁現在
している。つまり、個人の集結によって成立した社会には様々
である。そして個人と社会は互いに対立し、矛臆しあうという
を完成する、ということである。翻っていえば、もし現在の状
状態を保ちながら、止揚、綜合の過程を経て次の新たな社会共
肉体の次元に遼する。人鵠社会はこうした﹁正i反 j 合﹂の弁
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1
なり、いわゆる﹁否定﹂はしないであろう。幕末の簡明学者佐
態に満足するならば、あるべき機態を目指すことは自ずとなく
では、二誌は如何にしてで身﹂、?心﹂を解釈するであろうか。
とができる。一斎は﹁真己を以て仮己を克するは、天理なり。
州知殻はこれ地気の精英、父母に由りてこれを緊む。心は制約
処なり。心に至りでは、則ち来悠何くにか在る。余日く、
挙自の一白物、皆来処あり。一県殻の父母に出づるも、また来
彼は次のように
ω、一七回
藤一斎の主主必阻録﹂から否定思想に似ている論点を見出すこ
一員)と述べている。一斎にとって、己(我)には﹁真己﹂と﹁仮
ち天なり。躯殻成りて天街す。天寓して知覚生ず。天離れ
身我を以て心我を饗するは、人欲なり﹂(一首志議録
己)があり、﹁身我﹂と﹁心我﹂がある。﹁真己﹂を陪いて﹁仮
と述べている。人鍔の体は父母が地気の精華を集めることに
一三頁)
よって作るのである。心は天であり、体は天の住む所となる。
(
ヰ
一
一
口
志
錦
町
、
て知覚浜ぶ。心の来処は、乃ち太虚これのみ、と。
て﹁心我﹂を損替するのは人間の欲望に溺れることである。ま
己﹂を超克するのは天理に応ずることであり、﹁身我﹂を mmい
んことを要すべし﹂(言志録問、一二O頁)と論じている。この
体に住んでいる一大は心となり、それによって知覚が生ずる。も
た被は﹁本然の真己あり、躯殻の板己あり。須らく'自ら認め得
を﹁心我﹂と見なしてもいい。したがって、﹁身我﹂が﹁心我﹂
文句によれば、﹁仮己﹂とは﹁身我﹂をいうのであり、﹁真己﹂
の身体は地によって成り、人間の心は天と同じであり、ただ人
し天と体は分離となれば、知覚がなくなる。したがって、人間
身に存する天は心と呼ばれる、ということがうかがわれる。一
を損なうことを防ぐためには、人間の欲望に溺れてはならない。
我﹂に打ち勝たなければならない。すなわち、﹁真己﹂を以て﹁仮
のようにそれぞれの善悪状態を論述している。
斎は心と体を天と地の関係になぞらえ、さらに一歩を進めて次
人間の欲望に耽漏させようと欲しなければ、﹁心我﹂を以て﹁身
るのである。換言すれば、﹁板己﹂を否定することによってのみ、
己﹂に克つことによってのみ、初めて天理に応ずることができ
ることによってのみ、初めて﹁心我﹂を完成することができる
して形なし。形なければ別ち通ず。乃ち普に一なるのみ。
性、これを天に築け、躯殻、これを地に受く。天、純粋に
初めて﹁真己﹂を完遂することができ、また﹁身我﹂を否定す
といえよう。したがって、一斎が主張する﹁仮己を去りて莫己
ぬ。地本と能く天を承けて以て功を成すは、風雨を起して
地、駁維にして形あり。形あれば則ち滞す。故に善悪を兼
以て万物を生ずるが如き、これなり。また時ありてか、風
を成し、客己を逐ひて主我を存す。これを﹁その身を獲ず﹂と
であろう。
諮ふ﹂(書志後録幻、七回頁てということの真意が理解できる
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2
た真に悪あるに非ず、過不及あるに由りて然り。性の善、
雨物を壊れば、期ち善悪を兼ぬ。その所謂悪なるものもま
善を行うにせよ、悪を為すにせよ、﹁心﹂と﹁身﹂が一一体とな
が合一しなければ人間の体は死体と同然である。したがって、
てその働きを発揮することができる。換言すれば、﹁心﹂と﹁身﹂
ない。形がなければ滞りなく何処にも通じて菩に集中できる。
ず。躯殻の設は、本と心の使役に趨きて以て普を為すもの
性は普なりといへども、躯殻なきときはその善を行ふ能は
一斎は次のように所論を展開している。
らないかぎり、いずれもできないのである。これについては、
躯殻の善悪を兼ぬるとは、また、かくの如し。
(一言志録問、二五i 二六頁)
地は混滑して形を有する。形があれば滞りが起こり、故に善悪
て菩を為し、また過不及あるに由りて悪に流る。孟子に云
なり。但その形あるもの滞すれば、別ち慨に心に承けて以
性は天から受け、体は地から受ける。天は純粋にして形を有し
を兼ねている。地はもともと天を承け、地としての働きをする
ふ、﹁形色は天性なり。惟聖人にして然る後以て形を践む
ことによって風雨を起こして万物を育むのである。しかし、時
には風雨は物を破壊するから地は普惑を兼ねている。いわゆる
(一吉志録問、二六頁)
可し﹂と。見るべし、躯殻もまた本と不善なきを。
のである。本性が普であることと、体が菩惑を兼ねていること
惑というものは真の悪ではなく、普の過不及によって生ずるも
に移すことができない。人間の体は心が蓄を行う道呉である。
性、心は普であるにもかかわらず、もし体がなければ普を実行
とはこれと同じようなことである。︿吾一口志録的別﹀と︿一言志録制﹀
で、天から受ける性は菩であり、体に住む天は心となり、伺じ
を分析すれば、国定の形体を持たない天は純たる普であるの
したがって、?心﹂を受けた﹁身﹂は普を行う場合、却ってそ
しかし、それは回定の形体を有するがゆえに、滞りが生ずる。
いと考えている。もし人間の体は本来不善ではないとすれば、
の過不及によって惑になる。二放は人身がもともと不善ではな
く菩である。父母が地気を集めることによって形成される体は、
うことが理解できる。とくに留意すべきは、いわゆる悪は真の
形体を持っており滞りが生ずるので、善悪を米ねている、とい
懇ではなく、それはただ蓄の過不及によって起こした状態であ
べているであろうか。その源阪は、﹁身﹂がもともと不審では
何故に一斎は︿言志録問﹀において﹁躯殻は普惑を兼ぬ﹂と述
ないが、ただ﹁普﹂を行うことに過不及が起こり、故に体は普
る
。
天合同す。天官附して知覚生ず。天離れて知党混ぶ﹂と述べている。
惑を兼ねている、というところにある。
一斎は︿言志録的別﹀において﹁心は別ち天なり。組殻成りて
すなわち、入閣の生理知党は﹁心﹂が﹁身﹂に存することによっ
1
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さらに一斎は体の耳目口鼻四肢を例として性善と、人間が惑
て狂を発せしむ。道れ都て楚れ汝の耳目口鼻四肢を寄ふ的
らしめ、葵昧は人の口をして爽はしめ、馳締出猟は人をし
を究むべし。人の惑を為す、果たして何の為ぞ。耳目口燃料
性の蓄を知らんと猷すれば、須らく先づ惑を為すの由る所
する知くして、方に才に簡の耳目口鼻四肢を成得す。道範
にして動くかを慰霊すべし。必須ず礼に非ざれば視聴言動
き、自は如何にして携、口は如何にしてき口ひ、四肢は如何
耳目口鼻四肢の為着する時は、使ち須く耳は如何にして聴
なり。宣是れ汝の一司自日興凶叶恨の為にするを得んや。若し
四肢の為に非ずや。茸自ありて後声也に溺れ、鼻口ありて
を為すことの関 怖
M を次のように説明している。
後臭味に枇り、問肢ありて後安逸を縦にす、皆惑の自りて
って馳求し、名の為にし利の為にす。道れ都て是れ躯殻外
一而の物事の為替にす。汝若し耳目口鼻四肢の為着にし、礼
才に走れ耳陸口嗣枠組肢の為着にするなり。汝今終日外に向
に非ざれば視聴一 日
t 勤する勿きを要むる時は、出旦是れ汝の耳
起る所なり。設し認殻をして耳目鼻口を去り、一塊の車肉
んや。また牲をして躯殻を脱せしむれば、別ちこの性果し
目口島四肢、自ら能く揖聴品一一日勤する勿からんや。須く汝の
と打倣さしむれば、別ちこの人果して何の思を為す所あら
て態を為すの惣あるや否や。議、ぞ試みに一たびこれを思は
肢は声色、美味、安逸を余ろうとする欲望を持っており、それ
一斎の論説によれば、明らかに入閣の身体における耳司羽陶伴侶
り。若し汝の心無くんば、使ち-耳目口鼻無からん。所謂汝
心の言、搬を口に発し、汝の心の動、販を四肢に発するな
心の視、殿を目に発し、汝の心の聴、鍛を耳に発し、汝の
心に由るべし。遣の視聴一言動は、皆是れ汝の心なり。汝の
ざる。(言志録山、二五頁)
らの欲望は皆惑が起こる原因となるところである。もし人間間が
選在り、簡に縁ってか視聴一盲動する能はざらん。所謂汝の
一塊の血肉ならば、如今日に死せる人は、那の一一回の血肉
心は却って是れ那の能く読聴言動する的にして、這儲は便
の心、亦専ら走れ那の一一塊の血肉にあらず。若し是れ那の
を為すことができるであろうか。したがって、性は普であるに
ち是れ性なり、使ち是れ天理なり。這簡の性有って、才に
耳目口弊四肢を持っていないとすれば、おのずから声色、美味、
もかかわらず、悪は身体の欲望によって惹起される、と説かれ
能く這の性の生理を生、ず。使ち之を仁と謂ふ。這の性の生
安逸を追い求めようとする欲望が生じないので、如何にして悪
ている。こうした主張は主陽明が縮恵の﹁克己﹂の潤いに返答
ち聴くを会、発して口に在れば使ち一一一一口ふを会、発して四肢
理、発して呂に在れば使ち視るを会、発して耳に在れば使
した内容に訟でいる。陽明は次のように述べている。
美尚一は人の呂をして富ならしめ、美声は人の耳をして聾な
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4
這の心の本体は、原只だ是れ簡の天理なり。原礼に非ざる
生なり。其の一身を主宰するを以ての故に之を心と諜ふ。
に在れば使ち動くを会るなり。都て只だ是れ那の天理の発
るべきで、声色、美味、安逸を禽ろうとする欲望に耽つてはな
ことがない。こうした孔に背くことがない﹁心﹂はまさに﹁真
である。﹁天理﹂は礼に背くことがないので、﹁心﹂も礼に背く
るのである。﹁心﹂はすなわち﹁性﹂であり、すなわち﹁天理﹂
らない。陽明は礼という読点から﹁克己﹂の功夫を論じ、人間
己﹂につながるのである。人聞は内に向かって﹁真己﹂を求め
は常時言行挙止を礼に合致するように注意すべきである。それ
無し。這笛便ち是れ汝の真己なり。這簡の真己は是れ躯殻
有れば別ち生じ、之無ければ即ち死す。汝若し真に那笛の
の主宰なり。若し真己無くんば即ち躯殻無し。真に是れ之
躯殻の弓の為にせば、必須ず這舗の真己を用着ひて、使ち
こうした陽明の論述を分析すれば、佐藤一斎との開に微妙
によって﹁真己﹂を保つことができると考えている。
し、関かざるを恐摺し、惟だ他を腐損了すること一些なる
須く詰常這箇の真己の本体を保守着して、観ざるを戒慎
﹁礼﹂と、一斎は﹁善﹂と提-一一目している。賜明が説く﹁躯殻の己﹂
な相違が見出せる。つまり、﹁真己﹂を求めるために、陽明は
は一斎の文章においては﹁仮己﹂、﹁身我﹂となる。一斎は﹁真
をも恐るべし。才に一幸の非礼の璃動する有らば、使ち刀
己を以て仮己を克するは、天理なり。身我を以て心我を害する
もて割かるるが如く、針もて刺さるるが知く、忍耐し過さ
の為にするの心有りて、方に能く己に克つなり。汝今正に
ず、必須ず万を去了り、針を抜了くべし。這れ才に走れ己
に対する否定は天理であり、﹁身我﹂の﹁心我﹂に対する損館
は、人欲なり﹂︿一一呂志議録刊﹀において明白に﹁真己﹂の﹁仮己﹂
は人問の欲望である、ということを指摘している。言い換えれ
是れ賊を認めて子と作す。何に縁ってか却って己の為にす
(一近藤康信・三樹彰・春山宇平校注吋伝溜録い
ば、﹁身我﹂の﹁心我﹂に対する損傷を紡止するため、欲望も
るの心有れども、己に克つ能はずと説くや、と。
︿新釈漢文大系日﹀、明治書段、
否定の対象となりうる。こうした欲望については、一斎は︿一一呂
入、欲なき能はず。欲、能く悪を為す。天、既に人に賦す
志録
m﹀において次の論説を提出している。
一九六七年、一八六 j 一九O頁)
にすぎない。たとえこの﹁一回の臨肉﹂には耳目口鼻四肢が
に欲の患なるものを以てす。一大何ぞ人をして初めより欲な
るに性の普なるものを以てして、而もまた必ずこれを潤す
開閉明にとって人間の身体は単なる﹁一回の臨肉﹂(蹴肉の塊)
あったとしても、﹁心﹂がなければ視聴言動をすることができ
からしめざる。欲、果して何の問、ぞ。余調ふ、欲は人身の
ない。したがって、﹁心﹂がこの﹁一団の血肉﹂に入ることに
よってのみ、初めて身体としての働きを発揮させることができ
1
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5
生気、常脂精液の蒸す所なり。これ品りて生き、これなく
い。しかし、人身には本来欲望があり、声色、美味、安逸を禽
するならば、善悪を兼ねている﹁身体﹂を借りなければならな
も性も心も静であるにもかかわらず、を実践に移そうと
ろうと欲するため、﹁奨己﹂、﹁心我﹂を喪失して﹁仮己﹂、﹁身我﹂
して死す、と。人身の欲気間嶋し、九州淑毛孔に由りて漏出
となってしまう。したがって、一斎は﹁真己を以て仮己を克す
す。関りて躯殻をしてその制服を蛾んならしむ。惑に流るる
処 に 用 ふ る の み ︹ 後 略 ) 。 ( 言 志 錦 山 、 二 六i 二七真)
所以なり。凡そ生物は欲なき能はず。唯型人はその欲を善
ω﹀と主張している。天理が人間の身体に入ることによっ
るは、天理なり。身我を以て心我を害するは、人欲なり﹂︿一一一一同
て形成された心は普であるが、普を行おうと欲すれば、﹁人身﹂
によってのみ初めて実践ができるのである。欲望は﹁人身﹂の
志議録
元気であるため、必ず﹁人身﹂に随伴して生ずる。人間は普を
欲望は身体の生長の元気である。身体に欲望があれば生きるこ
なければならない。欲望が惑になる所以は欲望の気が体内から
とができ、欲望がなければ身体が死ぬので、人間は欲望を持た
体外へ拡がっていき、身体の穴及び毛孔を過して外へ漏れ出る
ているため、それの過不及によって惑になる。したがって、人
行うことによって天理に応じようとするが、身体が欲望を持っ
間は﹁真己﹂、﹁心我﹂を﹁あるべき轍態﹂として﹁仮己﹂、﹁身
ことによって獄望を盛ん立らしめることにある。欽望は人間の
い。入院が行き過ぎた欲望に従って肉体を駆使するため、惑に
は身体を維持する元気なので、身体の欲を否定することは、欲
我﹂を否定しなければならない。注意すべきは、﹁人身﹂の欲
身体を維持する蝦源なので、人間には欲望がなくてはならな
なるのである。逆にいえば、もし欲望を抑制し、それを普に導
る。したがって、﹁真己﹂が﹁仮己﹂に克つことと﹁心我﹂が﹁身
望の否定ではなく、欲望の過不及を否定する、ということであ
ければ、欲望は替である。したがって、一斎は﹁人身の生気は、
乃ち地気の精なり。故に生物必ず欲あり。地、善悪を兼ぬ。故
を自指しての現状に対する否定である。自己否定とは﹁あるべ
第二節では、否定の論理をみてきた。それは﹁あるべき様態﹂
である。
も恐るべし﹂と論ずるように、まさに休息静止の一刻もないの
慎し、関かざるを恐憎し、惟だ他を防損了すること一些なるを
は王陽明が﹁常常道簡の真己の本体を保守着して、観ざるを戒
我﹂に克つことは緊迫した動的状態でなければならない。それ
に欲もまた善悪あり﹂(母国志録山、二七頁)と述べている。彼
き私﹂を目当てに﹁現在の私﹂を.否定し、﹁正 i 反i 合﹂とい
は明らかに欲望には警もあるし、惑もあると考えている。
う過程を経て次の段構の﹁あるべき私﹂に到達する、というこ
とである。以上を総括していえば、一斎にとって、﹁あるべき
機態﹂は純粋な普としての天理に通じなければならない。天理
1
1
6
回、吉陪松韓の否定思想
前節では、陽明学者の佐藤一斎の﹁一一一一口志間録﹂における否定
(﹃全集﹂第三巻、二三八頁)
ども地を去りでは天の功用をなすこと能はざるが如し。
らに普と患の関係を天と地に擬し、天は悪無しの普であり、地
は善悪の混滑という状態だと述べている。天に太開聞があること
まず、松陰は人間の性が悪無しの天理であると論じており、さ
によって万物が平穏に生長することができる。しかし、太陽の
思想を検討してきた。すなわち、﹁真己﹂が﹁仮己﹂に克つと
が天と地を引用して心と体の関係に比鳴するという論述は、も
いう思想には自己否定の論理が見出せるのである。とくに一斎
う一人の陽明学者の吉田松陰の述作からみられる。彼は﹁講孟
気を受けた地がなければ、万物が生長できない。したがって、
人性郎ち一大理なり c天理は悪なし。故に性笠に悪あらんや。
が、その性善の働きを発揮させるために、善悪をともに含む人
を育むのである。人間の性も天の理と同様に悪無しの普である
粋な、普の天は地を媒介としてその働きを作用させることで万物
善悪を混治する地が種々の災害をもたらすにもかかわらず、純
余話﹂において次のように所論を展開している。
ず。何となれば、天は唯一の太陽ありて万物を発育生長す
且つ天地を以て論ずるに、天は善あるのみにて地は善悪混
G
若し太陽なくんば、雨極の下の如く泣寒不毛、人
肉体を持つ以上は、様々な欲望を持つことを意味する。とすれ
間の形気、すなわち肉体を媒介としなければならない。そして、
るのみ
物の生育を遂ぐること能はず。地普く太陽の気を受けて、
否定すると同時に、肉体を通して善に通ずる行為をしなければ
ば、もし性善を具現しようと思うならば、人間は肉体の欲望を
ならない。したがって、松陰は続いて次のように感慨を吐露し
万物を発育生長す。若し地なくんば、太陽ありと雛も、発
皆地気の然らしむる所にして、天は関らず。是を以て性善
ている。
育生長するべき織なし。然れども諸々の水田十・銚鰹-疾疫、
を認むべし。人に形気あるは饗へば地の如し。故に耳司口
みに耳目口鼻手足を除きて自ら省みば性警告ら顕はるるな
忽ち利欲の念に奪はれ、一度義心起れども忽ち設営の間に
孝も仁義も皆駁維にして純粋ならず。一度忠心起きれども
嶋呼、世人形気を離れて性善を認むることをせず。故に忠
輿あれば声色味由党の欲あり、手足あれば安逸の欲あり。試
に依らざるはなし。故に性は純警にして、形気に至りては
(﹁全集い第三巻、二三八1 二三九一員)
蔽はる。何ぞ深く性警の地に忠を致さざるや。
り。己に性善を知らぱ、走れを施すものは又耳目口鼻手足
G
然れども形気を去りて性善の功用をなすこと能
はず。楢ほ一大は純替にして、地に至りでは善悪混ず。然れ
善悪混ず
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るべき様態、すなわち忠義の行為にかなう者になろうと努める
望を抑制しなければならない。つまり、欲望を否定しつつ、あ
明自に松践は性善を忠孝、仁義と結びつけており、しかも、こ
のである。
の変化に応じながらその学問の理論を構築し、さらにそれを実
ものが学問とはいえないのである。したがって、彼は常に時勢
実践を何よりも重視する松践にとって実行に移させられない
うした性普、すなわち患孝、仁義を行おうとする心を先天的だ
が、ただこれを実行に移そうとするときに、往々にして綿入の
ととらえている。人間は誰しも忠孝、仁、識の心を所有している
欲望を満たすために、忠孝、仁義の実践が阻害されがちである。
と歴史を巧みに結合することによって次のように﹁七生説﹂を
践しようとした。こうした理念を常時念頭におく松陰は理気論
天の什広々たる、一理ありて存し、父子祖孫の綿々たる、一
認めている。
したがって、人間は忠識を尽くすと同時に、不断に欲望を否定
一議と同じく、指障も﹁醤﹂を行おうと飲すれば﹁身﹂を媒
しなければならない。
有するがゆえに蕃態を兼ねている。しかも身体と欲望は常に分
し、斯の気を禦けて以て体と為す。体は私なり、心は公な
気ありて鴎く。人の生るるや、斯の濯を資りて以て心と為
介としなければならないと考えている。しかし、身体は形気を
に否定しなければならないと松陰は見なしている。欲望に善も
り。私を役して公に殉ふ者を大人と為し、公を役して私に
離できない鴎捺なので、﹁善﹂を実践すると問時に欲望を不断
あり惑もあり、それが惑に傾く所以は過不及によるからだと考
則ち腐糊潰敗して復た収むべからず。君子は心、理と通
ず、体減して気端くるとも、而も理は独り古今に亙り天壌
殉ふ者を小人と為す。故に小人は体滅し気埼くるときは、
を窮め、未だ嘗て暫くも歌まざるなり。
える一斎の見解に比すれば、松陰は人間の欲望に対してはより
が若年の﹁寡欲﹂の主“強から後の﹁薄欲﹂ゅの見方へと変わっ
余聞く、婚正三位楠公の死するや、其の弟正季を顧みて日
否定的な姿勢を示している。こうした欲望に対する松陰の観点
たため、彼は欲望に対しては絶対に否定的な態度を取るわけで
く、﹁死して伺をか為す﹂。日く、﹁頗はくは七たび人間に
生れて、以て国械を減さん﹂。公欣然として臼く、﹁先づ五口
はないが、明らかに一斎より人間の欲望に対して比較的ネガ
したがって、人間は普としての忠義を実践するに際し、その
りて之れを一吉はば、楠公兄弟は徒に七生のみならず、初め
が心を獲たり﹂とて稿刺して死せりと。︹中略︺是れに由
ティブな評価を持っている。
ていれば、欲望がともに付随しているのはいうまでもない。と
より未だ嘗て死せいさるなり。是れより其の後、忠孝節義の
蝶八八としての体を通じなければならない。しかし、肉体を持っ
すれば、理に通ずる患義を実行に移そうとする者は、同時に欲
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余嘗て東に遊び三たび湊削を経、楠公の慕を奔し、沸涙禁
拙り七たびのみならんや。
た楠公を生ずる者、国より計り数ふべからざるなり。府内、ぞ
入、楠公を観て興起せざる者なければ、期ち摘公の後、復
る理と相通ずるため、たとえその体が滅して気が尽きたとして
壊滅と同時に気も消尽していく。しかし、君子は心が天に存す
肉体の欲望を満たすというような私を禽っている小人は肉体の
であるのに対して、私のために公を犠牲にするのは小人である。
べている。ここでは、松陰は宋学の理気論における尾大な論理
も、その心は理に通じて天地とともに永続していると松陰は述
に触れずに、ただ理を精神に、気を肉体に擬することによって、
ぜず。其の碑陰に、明の徴土朱生の文を制するを観るに及
の思あるに非ず、師友交遊の親あるに非ず。自ら其の一棋の
んで、別ち亦一慌を下す。晴、余の檎公の於ける、骨肉父子
わち七たび人間として生まれ変わって赦を滅ぼそうとする事例
続いて松陰は過去の歴史から楠木正成の﹁七生滅賊﹂、すな
みずからの見解を開陳しているのである。
謂れなし。退いて理気の説を得たり。乃ち知る、楠公・朱
その精神は不滅だということを力説している。捕公の﹁七生滅
を引用し、忠義を尽くすという楠公の精神が理に通ずるため、
って楠公を悲しむ。布こうして吾れ亦朱生を悲しむ、最も
出る所を知らざるなり。朱生に至りでは期ち海外の人、反
かずと離も、桶も心は別ち通ず。是れ涙の禁ぜざる所以な
生及び余不肖、皆賠の理を資りて以て心と為す。別ち気属
楠公と詞じく忠誠を尽くすために決起する。したがって、こう
した忠義を尽くそうと立ち上がった者は、まさに生まれ変わっ
賊﹂の心、すなわち忠義を尽くすという精神に感化された者は、
た﹁楠公﹂にほかならない。それゆえに、尽忠のために生まれ
り。余一小肖、壁緊の心を存し忠孝の志を立て、国威を張り
忠不孝の人となる、復た面白の世人に見ゆるなし。然れど
変わった﹁捕公﹂は数え切れないと松陰は述べるのである。楠
海賊を減ぽすを以て、妄りに己が任と為し、一献再敗、不
に随って騎購潰敗するを得んや。必ずや後の人をして亦余
も斯の心己に楠公諸人と、斯の理を伺じうす。安んぞ気体
るため、この精神が天地とともに、氷久に続くといえよう。
公の心、すなわち勤王減賊という忠識を尽くす精神は理に通ず
完全集い第二巻、三九五i 一ニ九七頁)
を観て興起せしめ、七生に一全りて、市る後可と為さんのみ。
の忠義心に心をむたれたという経験を吐露している。彼は三度
さらに松陰は三度東行の途次、渋川にある楠公の暮を見てそ
果てしないほど広い天も、ひとつの理があることによって成立
た涙を禁じえなかったという。問問知のように、朱舜水は明王朝
いられなかった。また朱舜水が刻んだ同文を読んで、さらにま
公のために私を犠牲にするのは大人
東に旅する途中で渋川にある楠公の譲を参拝し、落涙せずには
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している。また親と子という関係が連綿として続いてゆくのは
し、気を受けて体とする
そこに気の繋がりがあるからである。人間は理を受けて心と
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今日に償はせ度きこと本意なり。︹中略︺先づ我が大夫を
を知らしめ、犬れより幕府をして前罪を悉く知らしめ、天
の再興運動に努めたが、果たせずして日本に亡命した人物であ
子へ忠勤を遂げさするなり。若し此の事が成らずして半途
して是れを知らしめ、又主人同列の人々をして悉く此の義
心に松障が深く共感を覚えたからである。松践は捕公の﹁七生
にて首を制ねられたれば夫れ迄なり。若し僕幽閉の身にて
諭し六百年の罪と今日忠勤の慣とを知らせ、又我が主人を
滅賊﹂という己の生死を以て忠義を尽くす姿勢を、あるべき機
る。何故に松陰は涙を禁じえなかったかといえば、それは捕公
態として受け止めるにとどまらず、現にある自己を不忠不孝の
躍くなり。子々孫々に至り候は、ばいつか時なきことは之れ
死なぱ、一世れ必ず一人の話が志を継ぐの士をば後世に残し
にしろ、朱舜水にしろ、両者の共通点である尊一土減棋に努める
人だと否定しつつ、その生死を賭して尊王摺夷を実践し、たと
事なり。︹中略︺今幽閉して征夷を駕るは空言なり、且つ
なく候。今拐の惑に﹁一一誠兆人を感ぜしむ﹂と云ふは此の
えそれによって生命を犠牲にしたとしても、必ず尊掛に尽くす
こうした﹁七生説﹂に松陰の否定思想がみられる。つまり、
同罪なり。我が主人も同課なり。己れの罪を開きて人の罪
吾が一身も征夷の罪を諌めずして生を織む。されば征夷と
という志を地者に継受させようとする念願を披躍している。
松践はみずからを不忠不孝の人間だと否定しながら、﹁当為﹂
を論ずることは五口れ死すともなさず。︹中略︺他日主人を
としての尊王譲夷を実践しようとするのである。留意すべきは、
松陰が否定しようとする対象は自分にとどまらず、それは自己
(吋全集﹂第七巻、間四二j四四三頁)
諌めて関かざれば諌死する迄なり。
を追求する、ということである。松陰は安政三年(一八五六)
否定によって地者を否定し、さらに社会共同体のあるべき様態
り、藩主は天皇の臣一トであるため、天皇に忠義を尽くすべきで
武士は藩主の臣下であるため、藩主に忠義を尽くすべきであ
に勤王摺獣謀との関に勤王倒幕をめぐって激しい論争を行っ
た。その論争を分析することによって、その否定思想を理解す
す る な り 。 毛 利 家 は 天 子 の 臣 な り 、 故 にE夜 天 子 に 奉 公 す
撲は毛利家の尽なり、故に日夜毛利に奉公することを練磨
あり、それ自体が大罪にぼかならない。武士としての私は、こ
皇(皇国)に忠誠を尽くさないこと六百年に及ぶという現実が
忠誠を尽くすことである。しかし、武家政権の支配が続き、天
君主の毛利家に忠誠を尽くすことはすなわち天皇(皇国)仰に
あると松陰は述べている。すなわち武士である松陰にとって、
ることができる。その主要な内容は次のとおりである。
るなり。吾れ等盟主に忠勤するは即ち天子に忠勤するな
うした天皇(皇国)への尽忠の欠落から生ずる罪を藩主に幕府
り。然れども六百年来我が主の忠勤も天子へ摘さ叩さること
多し。実に大罪をば自ら知れり。我が主六百年来の忠勤を
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続行させるのである。これが﹁一誠感兆人﹂である。今、藩主
できなければ、必ず後継の士に五口が志を伝え、さらに﹁諌﹂を
幕府に罪を自覚させて正しい尽忠の状態を要請することが完遂
もし、私が獄中で死んで、そして私の﹁諌﹂、すなわち藩主に
に知らせた上で、あるべき尽忠の道に導かなければならない。
て武家政権の非と天皇親政の是を自覚しないという罪である。
れた罪である。二つめは、あるまじき武家政権の慣に生を受け
れる天皇(皇国)への尽忠が欠如していることによって醸成さ
その一つめは、徳川幕府という武家政権においては、当為とさ
る罪について、二つの罪の意識という解釈があると考えられる。
また、前述した引用文から考えれば、松陰が自ら披濯してい
か。その原因は松陰の﹁諌死﹂が自己否定の思想だからである。
では、何故に松陰はこうした罪の意識を持っているであろう
と征夷の罪を諌めない私も無論悶罪である。己の罪を無視して
彼は他人を諌めるとき、自らをも﹁諌﹂の対象としている。武
他人の罪を鈴めることなど、私には死んでもできない。藩主を
諌めて関かれなければ、死ぬまで諌めるのは本望であり、私が
家政権の世に生きているかぎり、幕府も薄主もすべての日本人
も天皇(皇居)への尽忠が欠落することによって生じた罪を背
師として敬慕しているのは諌死を成し遂げた比子一人であると
﹁諌﹂とは、諌める紹子に﹁あるべき機態﹂を前提に白下の
うのである。もし松陰は自己を否定しなければ、すなわち自己
負わなければならない。そして松陰も同様にこうした罪を背負
松陰は論じている。
二麗類に分けられ、一つは死の党活で相手を諌めることであり、
欠絡を指摘し、さらに改善を要諾することをいう。﹁諌死﹂は
が欠点無しと思い込んで﹁あるべき自己﹂を追い求めることは
なぜなら、自己の正確さを関執すればするほど﹁司下の自己﹂
ないからである。松陰は自己否定の思想を有するからこそ、自
を﹁諌﹂の対象としなければ、罪の意識が生じないであろう。
がら把手の欠点を指摘し、あるべき棟態を要求することを指す。
己否定の極限、すなわち自己犠牲の境地に達することができ、
もう一つは死ぬことによって相手を諌めることである。死の党
これと較べれば、死による諌めは自らの死を以て相手の欠点を
安政の大獄で従容として死に赴いて他者を諌めたのであるマ
組問で諌めることは、宛を結くという最悪の事態を念頭に置きな
いう行為には世間から誉れを獲得しようとする欲望がないとは
﹁真己﹂が﹁仮己﹂に克つということに集約できる。すなわち、
一議と松陰の否定思想をまとめていえば、一斎の否定思想は
五、おわりに
指摘し、さらに改善を求めることである。死の党組問で諌めると
断言できないが、死による諌めは自らの死によって己の潔'臼を
証明すると同時に紹子の党離を要議するという意味である。し
たがって、松陰の﹁諌死﹂は単に死の覚悟によって相手を読め
るにとどまらず、それは自らの命を犠牲にすることによって相
手を諌めるということである。
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人間が﹁天理﹂を実賊するとき、欲望の過不及を常に否定する
吋伝習録いからの引用は近藤原信・三期彰・春山宇平校注
↓九八O年)に拠る。引用の際、(出所条数、員数)と略記した。
注吋佐藤一議・大混中斎い︿日本思想大系必﹀(岩波書信、
吋伝習録い︿新釈漢文大系日﹀(明治書院、一九六七年)に拠る。
ことによって﹁身我﹂が﹁心我﹂を損なうことを紡止する、と
引用の捺、旧漢字は新字に改めた。
いうことである。松陰の否定思想は﹁諌死﹂という⋮百葉で説明
できる。つまり、﹁練死﹂という否定思想は単に他者を否定す
士口問松陰の著述からの引用は、すべて大和審問版﹃吉田松
るにとどまらず、その前に最も重要なのは自己否定だ、という
意味である。自己を﹁諌﹂の対象とすることによってのみ、初
と略記し、出漢字は新字に改めた。
陰全集い(初版)に拠る。引用の際、(﹁全集﹂巻号、頁数)
年)において、幕末志士の高杉晋作を日本陽明学者と看倣
井上哲次郎はその著作内自本陽明学派﹂(富山関、一九二八
めて松陰は罪の意識を持っており、自らを不忠不孝の人間だと
第二部では、日本語の﹁人間﹂という言葉に対する和辻哲郎
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反省しているのである。
の解釈をみてきた。その意味は単に他人でもなければ単に社会
でもない、そして偶人でもあるし社会でもある、と解せられ
る。接話すれば、個人と社会の関には弁証法的な関揺が存する
(掘哲三郎編集﹁高杉晋作全集﹂新人物往来柱、一九七四年、
している。普作の著作では陽明学に関する論述が多くない
参照)が、関明学の思想に極めて共感を覚え、実践を重視
といえよう。社会の自己否定は個人を媒八八としなければならな
成長するのである。したがって、両者の関部は常に相互媒介の
問の系譜からみれば、彼を陽明学者と考えてもいいと思わ
する吉田松陰を普作は師匠とする。したがって、普作の学
と、﹁一一故死﹂を不可と考える吉富簡一とは論争を行った。
の親証に際して、正義派では﹁諌死﹂を主張する井上問多
は長州藩主の親征によって退勢を挽回しようとした。藩主
対戦していた。もはや勝機を失って敗北に迫られた俗論派
力の俗論派は高杉晋作が統率し、改革を象徴する正義派と
慶応元年(一八六五)、長州藩では内戦が勃発し、保守勢
れる。
緊張状態にある。一斎の否定思想には自己否定の論理がみられ
※三一口志図録﹂からの引用は椙良亨・溝口雄一二・語、永光司校
キ+{
ト品、っ。
する。したがって、松陰の否定思想はより実践的であるといえ
定思想は自己を否定するとともに他者をも社会共同体をも否定
の相互媒介の関係が非常に弱いといわざるをえない。松陰の一合
るが、松陰の否定思想に比すれば、その否定思想は個人と社会
いし、また髄人も社会の行う種々の個人に対する否定によって
(
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結局、高杉晋作がいった﹁朱子学では戦争ができない﹂と
の相即関係とその存在である。これについては、拙稿﹁吉
う忠強から展開した君民一体(一君即万員、万罰則一君)
るという絶対主義ではなく、それは、松陰の一君万民とい
田松陰の自体思想﹂(吋淡江B本論議い第一三号所収、淡江
いう一句によって一戦を決したのである。こうした文句は
大学日本語文学系、二O O五年)を参照されたい。
全面的に朱子学への否定を意味するわけではないが、朱
る観念的な封建的道徳の名分論とに対する晋作の否定的
に赴いた。彼の遺言書ともいえる訪問魂録﹂に、己の死に
松陰は安政六年(一八五九)に安政の大獄で従容として死
よって他者を諌め、さらに尊王捜夷を実践させようとする
志がみられる。これについては、拙稿﹁吉田松陰の生死の
二O O七年)を参照されたい。
台湾・育達商業科技大学
哲学﹂(﹁倫理学い第二三号所収、筑波大学倫理学研究会、
(ちょう・いそう
拙稿は昨年(ニO 一
O) の六月二二日に台湾大学で台大人文
応用日本語学科助理教授)
ものだから、それらに耽溺するという問題がない。しかし、
ポジウムで発表した内容を日本語に訳し、さらに修正・加筆を
施したものである。ご意見・ご指導を下さった方々に深謝の意
社会高等研究院が主催した﹁二O 一
O年東亜陽明学﹂回撚シン
を表す。
詩文欝画に対する欲望が己の志をだめにすることを恐れる
る欲望は人間の情から自然に生まれたものなので、こうし
松陰は、自らを律することが極めて厳しいため、﹁寡欲﹂
ある。それによれば、彼にとっては声高}はもともと好かぬ
松陰は﹁講孟余話﹂において人間の欲望に論及した簡所が
二
一
ニ1三三真、参照)。
論集﹀第二O号所収、筑波大学倫理学研究会、二O O留年、
伊藤益﹁否定の弁註﹂(﹁倫理学い︿水野建雄教授退官記念
一九六七年、六七京、参照)。
﹁和辻哲部い︿現代日本思想大系お﹀所収、筑摩書障問、
和辻哲郎﹁人間の学としての倫理学﹂(塘木順三編集
二O O二年、二四二1 二臨七真、参照)。
な姿勢がうかがわれる(梅渓昇﹁高杉普作﹂古川弘文館、
子学が時勢の変化に対応できないことと、それが象徴す
(
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)
を主張していたが、年を取るにしたがい、詩文書画に対す
た欲望が聖賢が説く道義に背かなければ、あえてそれを禁
一 O頁、参照)。
(吋全集い第三巻、問。九 j四
じなくてもかまわない、と﹁縛欲﹂論を説くようになった
ここにいう天皇(皇国)の意味は、天皇の存在を絶対視す
1
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3
(
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)
(
4
)
(
5
)
(
6
)
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