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廃棄物の広域処理―見送られた東京湾フェニックス計画

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廃棄物の広域処理―見送られた東京湾フェニックス計画
廃棄物の広域処理―見送られた東京湾フェニックス計画
樋口 浩一(関西大学ガバナンス研究科博士課程後期課程)
Keyword: フェニックス事業、自区内処理原則、廃棄物の広域処理、相互援助方式
【問題・目的・研究方法】
は、ごみの収集・処分を「原則、市」から全ての市町村
大阪湾フェニックス事業は、廃棄物にかかる広域行政の
の仕事とした。
一つの到達点として、
大阪湾圏域にあたる近畿 2 府 4 県 168
しかし、当時自治体の規模・能力から単独での処理が
市町の共同事業として廃棄物の海面埋立処分を行うもので
困難で、近隣自治体同士の一部事務組合など広域処理が
ある。その根拠法令は 1981 年の広域臨海環境整備センター
行われており、その後の高度成長に伴う大量消費・大量
法(昭和 56 年法律第 76 号)であり、これは大阪湾だけの
廃棄の時代を迎えますます広域処理の活用が増えたiv。
特別法でなく、国の構想においては東京湾もその対象と考
(2)東京都ごみ戦争と自区内処理原則
えられてきた。
経済合理性による広域化の流れに一石を投じたのが
関東圏では 1987 年に国が東京湾フェニックス計画を発
1971 年の東京都ごみ戦争であった。東京都特別区のごみ
表し関係自治体に正式に提案した。以後、六都県市首脳会
の最終処分場として長年にわたって悪臭、交通渋滞、事
議(首都圏サミット)の場で議論がなされたが、1998 年に
故、大気汚染などで苦しんできた江東区民が、ごみ焼却
同会議で検討中止が正式に決定された。
場建設が住民の反対でとん挫した杉並区のごみ受け入れ
i
関東も関西も、ともに焼却灰などの一般廃棄物 の最終処
を実力阻止した運動である。この問題の収束の論理とし
分場の確保が困難な自治体が多い、という状況を同じくす
て使われた考え方が自区内処理の原則である。現実に 23
るが、何故この違いが生じたのか。
区全区ごみ焼却場建設の方針決定をもって問題は決着し
本稿では東京湾側の経緯の詳細を調査し、広域行政・広
ている。
域処理が実現しなかった要因を分析する。
排出者責任の概念に合致し、誰もが分かり易い本原則
【研究方法・分析枠組み】
は、廃棄物問題の関係者を中心に広がり定着していった。
先行研究としては、東京湾フェニックス計画が実現しな
ただ、もともと江東区民は埋立地という最終処分までを
かったがゆえ、これを取り上げた学術論文は見いだせなか
全区に求めたわけでなく、中間処理である焼却施設の各
った。
研究方法は、
文献調査として関係自治体議会議事録、
区の平等な負担を求めたものであった。いずれにしろ、
新聞記事を調査し、関係者インタビュー調査で補完した。
自区内処理原則は広域処理の対立概念となったのである。
1.分析枠組みー広域処理と自区内処理原則
(3)東京湾フェニックス計画と自区内処理原則
(1)市町村事務と広域処理
東京湾フェニックス計画の是非が議論されるなかでこ
リサイクル都市の模範iiと言われる江戸も廃棄物がゼ
れに反対する理由に挙げられたのが、自区内処理原則で
iii
ロであったわけでない。国の白書 によれば明暦元年の
あった。国の正式提案の後の六都県市首脳会議(1987 年
触書(1655 年)で深川永代浦(江東区の富岡八幡宮あた
11 月)後の会見で 4 人の首長が自区(域)内処理を口に
り)をごみ投棄場に指定するなど廃棄物処理システムが
し、うち 3 人が反対ないし消極の立場を示したv。その後
構築されている。そこでは大商人などの町役人を核とし
も千葉県は常に自区内処理を反対の第一理由とした。
た町が、ごみの管理・処理のルール化を担っていること
【分析内容】
がわかる。ごみ問題は身近な問題として身近な組織が身
東京湾フェニックス計画も含め関東における一般廃棄
近なルールで片付けることが合理的であり、住民自治の
物の広域処理に関して、最も動きがあった東京都の議会
起源だと言える。
議事録をもとに新聞記事を参考に、事実経緯を検証する。
明治以後、
わが国初の廃棄物法というべき1900年の
「汚
東京湾フェニックス事業の経緯を分析する中で東京都
物掃除法」
(明治 33 年 3 月 7 日法律第 31 号)によって、
の動向において、3 つの節目があることが分かった。第 1
廃棄物(当時は「汚物」
)の処理は市の事務とされ、また
は、1987 年に国が東京湾フェニックス計画を正式に提案
1954 年の「清掃法」
(昭和 29 年 4 月 22 日法律第 72 号)
したことである。その結果、同計画が東京都独自の埋立
1
処分計画とバッティングする形となった。第 2 はその矛
時の建設省所管の湾内エリアを指すものと思われるが、
盾を解消し、独自処分場の確保をはかるために東京都が
フェニックス事業が港湾を管轄する運輸省の所管である
広域処理の逆提案をしたことである。第 3 は、紆余曲折
ことから困難な注文であった。
を経て最終的に関係自治体間で広域処理の検討を断念し
東京都としては、ここでフェニックス計画についての
たことである。
以上の節目を境に4期に分けて考察する。
関係都県市の合意を待っていたのでは新海面処分場が間
1.東京都の動き
に合わなくなるおそれがあり、反対の意思を示すことに
①傍観期~国の提案(1987 年)以前
なった。
東京都のフェニックス法案成立(1981 年)当時の状況
1989 年 11 月 16 日に第 22 回六都県市首脳会議では「埼
をみると、自らの処分先(23 区のための)の手当てのた
玉県が強く求めていたフェニックス事業の着手を当分見
め新たな処分場の確保に迫られていた。当時は中央防波
送り、当面各自治体での自区内処理を徹底させることで
堤外側処分場での処理が1985年に満杯となる見込みであ
合意した。
」
(朝日新聞 11 月 17 日朝刊)
り、フェニックス計画を待てない状況であった。また、
③逆提案期~都清掃審答申(1990 年)以後
vi
国の当初の構想 では、千葉県浦安沖での大規模集中埋め
1990 年 11 月 27 日に東京都清掃審議会答申があり、新
立てとなっており直接の関係はないということだった。
しい埋立処分場も長期間の使用は期待できないとし、他
1978 年 3 月 8 日の美濃部都知事が本会議質問答弁で、
県市との相互援助の方向性を探るべきだと提言した。具
国の広域処分場計画には準備会に参加する等、積極的に
体的には、他県市から焼却後の灰を受け入れる代わりに、
検討していく考えを示した。
都内から出る建設残土を持ち込ませてもらう、というよ
1980 年 12 月 9 日の鈴木都知事が本会議答弁で、1985
うな相互協力とともに『広域最終処分場』を建設するこ
年度いっぱいで満杯となる現埋立処分場(中央防波堤外
とを挙げた。
側ごみ投棄場)の代りとして、フェニックス計画で対応
1991 年 1 月 18 日に東京都港湾審議会・海面処分場検討
することは相当困難で、つなぎとして都が独自に確保せ
部会が中間報告とりまとめで、現在の中央防波堤外側処
ざるを得ない考えを示した。また、直近の六都県市首脳
分場の沖に 500 ヘクタールのスペースを確保する案を提
会議では千葉県が消極的であることを示唆した。
示した。また、今後は首都圏全体の広域処分の必要性を
②反対期~国の提案(1987 年)以後
強調し、都は運輸省の東京湾フェニックス計画も念頭に
1987 年4 月28日の両省による正式提案によって状況が
おいていることを否定していない(1 月 19 日朝日新聞朝
一変する。東京都の独自処分先であった中央防波堤外側
刊)とされている。
沖がフェニックス候補となったからである。なお当該海
1991 年 7 月、東京都環境局が「廃棄物等の処理処分の
長期的展望について」を策定した。都の議会説明viii によ
域は都の港湾区域内の最後の埋立区域であった。
1987 年11 月27 日の第18 回六都県市首脳会議で東京湾
れば、これは廃棄物の発生見込みと埋立処分の計画を示
フェニックス計画について議論され、畑和埼玉県知事、
したもので、フェニックスあるいは(清掃審答申の)相
長洲一二神奈川県知事らが同計画の検討に賛成したのに
互援助方式というような広域処理について検討を進めて
対し、鈴木俊一東京都知事、沼田武千葉県知事らが安易
いくことが盛り込まれている。また、新海面処分場を広
な同湾内への埋め立て処理に頼るべきでないと主張した
域処分場としたときのメリットとして、率先して現処分
(毎日新聞 11 月 28 日朝刊)
。
場を広域処分場として提供することは、将来の東京都の
なお、会議後の会見で都知事は「はじめは東京湾の真
処分場確保を見据えた有意義な方法だと説明している。
ん中につくる構想だったがその後、各都県の地先につく
ちなみに「長期的展望」は 20 年計画であり、新海面処分
ろうということになってきた。それなら各都県がやって
場が都で埋め立て可能な最後の処分場となるが、その寿
いる。国が特殊法人をつくってやるなら湾のしかるべき
命は「おおむね 15 年」ix しかもたないとしたうえで、将
所でやった方がよい。…あくまでも自区域内処理が原則、
来の処分場については、広域処理に依存せざるを得ない
できるだけやって、できなくなってから考えたらどう
考えを示した。
か。
」との発言viiがあった。この発言の中で「湾のしかる
これら一連の動きを分析すれば、都としては、フェニ
べきところ」とされているのは港湾区域外、すなわち当
ックス計画に反対はするものの、港湾計画に影響力をも
2
つ国の港湾審議会(当時)あるいはこれを所管する運輸
埼玉県は内陸県で海がなく、最終処分場に最も困窮し、
省がフェニックス推進の立場である以上、フェニックス
推進に最も熱心であった。神奈川県も海岸部は横浜市・
の候補地とかぶる新海面処分場を都独自の処分場として
川崎市・横須賀市の所管で、その意味で内陸県と同様だ
埋立許可手続きを進めることには難があった。そこで、
と言え、推進派となった。
関係自治体の合意を条件として、新海面処分場の一部を
横浜・川崎の両市は港湾管理者として自ら処分場の確
広域処理に提供するという形が考えられた。また、都民・
保が可能であってフェニックスに依存するよりも、自身
x
住民のコンセンサスがとれるよう相互援助方式 とした。
の埋立海域の提供が必要なため、消極的な姿勢である。
これにより、広域処理も可能な形の都処分場建設が可
【考察・今後の展開】
能となった。現にこの状況で、1994 年 7 月に東京都港湾
1.広域処理の不成立の要因
審議会において新海面処分場埋立を含む港湾計画が承認
都の広域処理の提案は、広域処分場に提供する分だけ
され、1996 年 7 月に新海面埋立事業の免許が下りている。
都自身の持ち分が減るデメリットがある。その分は将来
都は当面、単独埋立処分場の確保に成功したのである。
の他の自治体分で返してもらうという目論見だが、不確
1998 年 3 月 3 日に至ってもなお、東京都議会本会議で
実である。一方、広域処分場として合意がとれるのかも
xi
の答弁 中、青島知事は、関係自治体により相互に廃棄
不確実である。二つの不確実性というジレンマの中で、
物を受け入れる広域的な処理体制をつくることの合意が
都はある意味、思い切った提案に踏み切ったことになる。
なされた場合には、新海面処分場の計画地域の一部を広
ただ、国の圧力で新処分場の全域が広域処分場にならな
域処分場として活用する用意のある旨のこれまでの方針
いための確実な方法だったと見れば納得はできる。
を改めて示している。
この都の広域処理提案が、ついに実現することなく終
④収束期~計画検討中止(1998 年)以後
わった理由は、関係都県市間に十分な信頼関係が構築さ
1998 年11 月18 日に第23 回七都県市首脳会議が開催さ
れていなかった、ということになる。フェニックス事業
れ「都県域を越える広域処分場については、
(略)最終処
が、自治体間では一方的な受け入れという片務的な関係
分量の削減効果及び処分場の残余容量や将来見通し等に
であるのに対し、相互援助方式は具体的な双務関係を総
ついて定期的に調査・検討を行うこととし、その結果、
合的に構築する難しさがあった。この信頼関係の一定の
広域処分場の必要性を確認した時点において、その設置
醸成が、この複雑な利害調整を全うするに不十分だった
について検討・協議を行うこととする。
」とする報告書を
ということである。
もう一つの理由としては、ごみの減量化xvが当時の予測
採択し、事実上検討を断念した。
なお、この検討中止の新聞報道の中で、東京は一安心
を超えて進展したことが挙げられる。都の新処分場の容
という見出しで、都は肩すかしを食った形となったが、
量が当初の 15 年から倍に延びたように、各都県市の状況
xii
ほっとした空気も流れている、とする記事 もあった。
も好転し、切迫感が薄らいだことは間違いない。その後
なお、広域処理提案にあたって一定の議論を呼んだ都
もごみの減量化が進み、新海面処分場の寿命は今や 50 年
議会xiiiで、断念の報告の際に何等の質問も出なかった。
xvi
思えば同年 5 月に新海面処分場の寿命がごみの減量化等
2.分析枠組みからの考察
と公表されている。
xiv
により、一気に 30 年に倍増した報告 が極めて効果的で
本事例において自区内処理原則は広域処理への反対の
あったのかもしれない。
論拠として使用されている。終始反対の立場をとった千
その後も、都議会での廃棄物の都県域を越えた広域処
葉県、また反対期の東京都がこの論理を使っている。こ
理に関する質問は確認されていない。
こで留意すべきは、都県市を超える広域処理に関して使
2.各都県市の動き
用されていることである。元来、自区内処理は特別区間
千葉県は終始反対の姿勢を貫き、その理由としては自
に関して使用され、基本的には廃棄物行政を所掌する市
区内処理原則と漁業への影響を挙げている。東京湾全体
町村単位で議論されることが通常である。各都県は、内
の漁獲生産高の 9 割を千葉県が占めている。構想段階で
部の自治体間での広域処理に関してはむしろ積極的で、
浦安沖一か所に集中埋立をするという当初案の影響が大
その場面では自区内処理を持ち出すことはない。
きいと考えられる。
終始、同原則を主張し続けた千葉県の一般廃棄物の県
3
外処理量xvii が埼玉県に次ぎ全国 2 番目であり、かつその
原意というべきである。
割合が年々増えている。また、既に 1989 年に千葉市の一
【引用・参考文献】
般廃棄物が 600 キロ離れた青森県三戸郡田子町の民間処
鄭智允(2014)
「
『自区内処理の原則』と広域処理」
(上),
分場に 1 トンあたり 2 万円のコストをかけ処分されてい
『自治総研』通巻 427 号,地方自治総合研究所, pp.29-46
xviii
ることが報道
され批判をあび、また広域処理の是非の
鈴木繁(1989)
「首都圏における廃棄物処理の現況とフェ
最終決定をする1998年時点でも千葉県から万トン単位で
ニックス計画を巡る動向」,月刊『PPM』1989 年 4 月,日刊
xix
県外移動している報道 がなされている。この千葉県の
工業新聞社, pp.57-64
実態を見れば、その主張の真意を推し量ることは難しい。
全国市長会(2008)
(廃棄物に関する都市政策研究会)
『都
自区内処理に関する研究で、鄭(2014)は同原則の役
市と廃棄物に関する調査報告書』第 2 章「都市自治体の
割のひとつとして「自治体同士の外交の産物として合意」
廃棄物をめぐる主要課題」㈶日本都市センター,2008 年 3
xx
月
されたものとし、外交ツール的な機能を挙げている 。
まさに、今回の事例が関係都県市のそれぞれの利害をか
i
本稿では、市町村に処理義務のある一般廃棄物を中心に論述し、
厳格な排出者責任のある産業廃棄物は別稿にゆずることする。
ii 石川秀輔(1997)
『大江戸リサイクル事情』講談社
iii 環境省(2001)
「歴史的に見た我が国の廃棄物問題とリサイ
クルの取組(江戸期を中心に)
」
『平成 13 年度循環型社会白書』
序章第 1 節 2001
iv 鄭智允(2013)
「廃棄物行政のあり方に関する考察-廃棄物
関連一部事務組合を中心に」自治総研通巻 415 号 2013 年 5 月
v 鈴木繁(1989)p.63
vi 1980 年 11 月 広域廃棄物埋立処分場整備構想(厚生・運輸
両省名)東京湾圏域(25000 万㎥)及び 1984 年 4 月「東京湾フ
ェニックス計画」(構想)18400 万㎥
vii 鈴木繁(1989)p.63
viii 1991 年 9 月 17 日 東京都建設清掃委員会 青木(な)
委員へ
の今澤ごみ問題緊急対策室長答弁
ix 1991 年11 月14 日 東京都建設清掃委員会 大川委員への今
澤ごみ問題緊急対策室長答弁
x 相互援助方式は、双務的な具体的義務の相殺という点におい
て、片務的な義務を金で相償するフェニックスと比べ、都県市
の合意の難しさがあることも留意すべきである。
xi 1998 年 3 月 3 日 都議会本会議 内藤議員への青島知事答弁
xii 1998 年 11 月 19 日 朝日新聞。なお、記事は続けて、そもそ
も広域処理の暫定案は厚生省からの持ち込みで、2000 年度に東
京23区を市並みに格上げする廃棄物関係の都区制度改革に必要
な関連法案の上程のリミットが近づく中で迫られた条件だった、
とする。
xiii 1998 年 11 月 19 日 都市・環境委員会
xiv 東京都清掃局・港湾局 「廃棄物等の埋立処分計画」1998
年 5 月 これは 1991 年策定の「廃棄物等の処理処分の長期的展
望について」を改定したもの
xv 減量化の要因は焼却等中間処理の徹底、住民意識の向上によ
る分別の進展が考えられる。
xvi 東京都環境局ホームペ-ジ「回答 1-6 中防の寿命」
https://www.kankyo.metro.tokyo.jp/resource/faq/chubou/faq_li
st/answer_01_06.html
xvii 環境省「一般廃棄物の排出及び処理状況(平成 26 年度)に
ついて」2016 年 2 月 廃棄物・リサイクル対策部廃棄物対策課
xviii 1989 年 5 月 27 日 朝日新聞
xix 1998 年 8 月 28 日 朝日新聞
xx 鄭(2014) p.33
xxi全国市長会(2008)pp.17~20
xxii 埋立海域を提供した4府県市(大阪府・市・兵庫県・神戸市)
の議事録検索では大阪府 1 件(別件で当局が引用)のみである。
けた外交劇とみれば同原則は、一般的には善と見られが
ちな協力関係を否定するうえで都合のよい論理であった。
一方、この自区内処理原則の定義の曖昧さから、むし
ろ本原則をより普遍的にとらえて、
「国の内外を問わず、
廃棄物の処理はできうる限りその排出地域に近いところ
で行うという社会的合意」xxiとする考え方 もある。この
考え方は、むしろ自区内処理原則を狭義にとらえてしま
うことで「廃棄物行政の効率性を阻害している側面が見
られる」点を指摘し、自区内処理原則の原意(負担の公
平化など)を踏まえつつ、原則を前提とした広域処理が
可能であるとしている。
いずれにしろ、自区内処理原則が東京湾フェニックス
計画の不成立に大きな役割、ないし影響を与えたことは
間違いない。一方、広域処理が実現した大阪湾側でみる
と、少なくとも事業者側でこの原則が議論された形跡が
見当たらないxxii。
歴史的に見て、わが国で自区内処理原則がきわめて自
然に行政関係者はもとより住民民側にも広く受容された
のは、ごみ問題が住民が共同生活を営む上で避けて通れ
ない問題であり、住民自らも排出者・原因者である認識
が少なからずあり、お互いに迷惑を避けようという意識
が根底にあるからである。これは、住民が自らの問題を
自裁する、という「住民自治」の根底にある命題なので
ある。廃棄物が地方自治と親和性があるのは、
「住民自治」
の面であって、必ずしもその管轄範囲を固定的に限界と
する「団体自治」ではない。
廃棄物処理は「住民自治」の視点であるべきで、たと
え、やむを得ず広域処理となっても、関係者が住民自治
=排出者責任を忘れず、他者に無用の迷惑をかけず、当
事者意識をもって取り組むことこそが自区内処理原則の
4
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