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即興的な描画を用いた非言語的コミュニケーションに

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即興的な描画を用いた非言語的コミュニケーションに
[論文]
即興的な描画を用いた非言語的コミュニケーションに
関する予備調査
Preliminary Survey on Nonverbal Communication Using Spontaneous Drawing
田中彰吾*1
Abstract
Results of a preliminary survey to design an experimental study on nonverbal communication using
spontaneous drawings are reported. Participants (N=110) grouped into 55 pairs, who were students
in the author ʼ s classes, communicated using spontaneous drawings. They also responded to a
questionnaire, which indicated that 55 pairs, or 27 ( 49% ) were positive about communicating
nonverbally using drawings, whereas 6 pairs (11%) were negative. Comparison of comments and
remarks by the participants with both positive and negative opinions indicated three aspects of the
process of drawing communication: (a) Using nonverbal signals to share intentions and emotions, (b)
Understanding the objects that the partner has drawn, and (c) Imagining and understanding the
partnerʼs ideas on the picture as a whole. Of these, it is suggested that (a) is critical and necessary to
communicate effectively with each other and our discussion is focused on this point. In communication
by drawing, nonverbal signals such as facial expressions, gaze and gestures are consciously utilized to
understand each otherʼs intentions, more often than is the case in general interpersonal communication.
Furthermore, more spontaneous coordination with the partner, such as mirroring movements, posture
sharing, and contagious smiling is observed. Such coordination is composed of behavior matching and
interactional synchrony, which can be described and understood from the notion of intercorporeality
proposed by Merleau-Ponty. Through this analysis, we developed the hypothesis that successful cases
of drawing communication would be characterized by the frequency of intercorporeal phenomena.
Keywords: drawing communication, nonverbal behavior, behavior matching, interactional synchrony,
Merleau-Ponty, intercorporeality
*1
東海大学総合教育センター
第33号(2013)
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即興的な描画を用いた非言語的コミュニケーションに関する予備調査
はじめに
表題にある「即興的な描画を用いた非言語的コミュニケーション」(以下「描画コミュニケ
ーション」とする)は,筆者が過去に担当した講義 1)において,非言語的コミュニケーション
の実習の一環として学生たちに行わせていた課題のひとつである。詳しくは以下で述べるが,
この課題は,私たちが日々実践しているコミュニケーションについて,とくにその非言語的な
側面について,さまざまな観点から考察するヒントを多分に含んでいる。筆者は,この課題を
応用したコミュニケーション実験をデザインするため,授業での実習の機会を利用して,予備
調査を実施した。本稿では,その結果と,そこから得られた考察,今後の実験研究の見通しに
ついて報告する2)。
1.描画コミュニケーションの概要
(1-1) 趣旨と手順
描画コミュニケーションは,2人1組で白紙の上に交互に描画を行いながら,1枚の絵を制
作する作業である。実施に際しては,事前に次の点を参加者に伝えるようにしている。
・描画コミュニケーションは,言葉を使用することなく,パートナーとコミュニケーションを
図る練習として行うものである。描画には,1箱のクレヨン(サクラ・クレパス20色入)
と,A4サイズの白紙1枚を共同で使用する。
・開始から終了まで,会話は一切行ってはならない。紙面に文字を書いてもいけない。ただ
し,非言語的なコミュニケーションの実習として行うものなので,言葉以外の手段(たとえ
ばジェスチャー,表情,アイ・コンタクトなど)は,自由に用いてよい。
・この実習は,絵の上手さを競うものではないし,終了後に絵の内容を評価するものでもな
い。目の前のパートナーとできる限りコミュニケーションを取ろうとしてみる,という趣旨
のものである。上手に描けるかどうかを気にする必要はない。
・描画の内容や形式に制限は設けないので,文字や数字以外なら何を描いてもよい。人,物,
風景などの具体的な対象を描いても構わないし,色,形,模様などで抽象的に表現しても構
わない。
以上の手順だけを見ると,特異な実習に思われるかもしれない。実際の授業では,非言語的
なコミュニケーションを理解し,そのスキルを向上させることを目標として,距離と接触を主
題とする実習や,音声(パラランゲージ)を主題とする実習なども行っている。描画コミュニ
ケーションは,通常のコミュニケーションで言語が担っている記号的な情報伝達を絵画に置き
換え,いわば「思い通りに話せない」状況を設定し,ジェスチャーや表情などの非言語的側面
への注意をうながすことを意図して実施している。
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東海大学総合教育センター紀要
田中彰吾
(1-2) 作品
当然予想されることであるが,できあがる作品はきわめて多様で,描画の内容に共通性を見
出すことは難しい。ランダムに選んだ例を図1〜図4としてここに掲載する。
描画の主題には,各種の風景(たとえば図3)
,人物(たとえば図4),動物や植物,食べ
物,マンガ・アニメーション・ゲームなどのキャラクターとそのシーン(たとえば図1)など
が見られる。また,はっきりとした主題を持たず,色・形・模様・線などの組合せで構成され
ており,具象画よりは抽象画に近いもの(たとえば図2)も一定の頻度で見られる。興味深い
のは,あたかも1人で描いたかのような,統合的な印象を与える作品が多く見られることであ
る。図1〜4も,そのように見えるのではないだろうか。
図1
図3
図2
図4
(1-3) 感想
作業終了後に描画過程を振り返るさい,参加者からしばしば発せられる感想は次のようなも
のである。
「言葉なしでもコミュニケーションを取ることができて,驚いた/面白かった」
「普段の会話に比べて,相手の考えや気持ちについて,よく考えた」
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即興的な描画を用いた非言語的コミュニケーションに関する予備調査
「お互いに描きたいことのイメージが共有できると,描画がスムーズに進んだ」
「表情・視線・身ぶり手ぶりなどから,相手の意図を読み取ろうとした」
こうした感想に接すると,さまざまな問いが浮かんでくる。そもそも,
「コミュニケーショ
ンを取ることができた」とはどのような事態を指しているのだろうか。言葉を使わなくてもコ
ミュニケーションが成立するとすれば,そこで伝達されたり,共有されたりしている内容は何
なのだろうか。あるいは,描きたいことのイメージを共有できていることは,どのように確か
められているのだろうか。心理学の観点から言えば,このとき,相手の心的状態についての推
論が作用しており,いわゆる「心の理論」3)が用いられていると考えられるのだが,それはど
のように実践されているのだろうか。また,表情・視線・身ぶり手ぶりなどの非言語行動に見
られる身体性は,コミュニケーションの成立にとってどのような影響を与えているのだろう
か。そこから,相手のどのような意図が読み取れるのだろうか。意図の伝達以外にも,身体性
が担っている機能があるのではないだろうか。
(1-4) 実験の趣旨
これらはいずれも,描画コミュニケーションという特殊な状況に端を発する問いでありなが
ら,私たちが日常的に実践するコミュニケーション行為そのものの本質とも連続する重要な問
いであろう。筆者は,こうした本質的な問いを念頭に置きつつ,本実習を応用した実験を実施
したいと考えるに至った。もちろん,ひとつの実験で上記の問いすべてに答えることは不可能
である。しかし,言葉なしでもコミュニケーションを取ることができたと報告する参加者が多
いことを考慮すると,少なくとも,コミュニケーションの非言語的な側面について,理解を深
める有力な手がかりを与えてくれるだろう。
とくに,筆者が関心を寄せているのは,非言語的なコミュニケーションにおいて身体性が果
たしている役割である。近年,認知心理学や社会心理学などにおいて,二者間の対人的相互作
用における身体性を解明しようとする各種の研究が進められている。具体的には,カウンセリ
ング場面でセラピスト−クライエント間の身体動作が同調する現象(小森・長岡,2010),身
体動作のやり取りを通じて母子間で「感情の共有」が生じる現象(Downing, 2004),発話や
身ぶりをともなうコミュニケーション場面で「息が合う」現象(古山,2007)など,各種のも
のがある。本研究も,これらの例のように「身体的相互作用(embodied interaction)」に重点
を置くものであり,また,ここに新たに現象学的な観点(5節で詳述する)を持ち込んで実験
を構想しようとするものである。
2.予備調査
(2-1) 調査方法
それまでの実習の参加者からもっとも多く聞かれていた感想(「言葉を使わなくてもコミュ
ニケーションを取ることができて,驚いた/面白かった」
)に着目して,描画コミュニケーシ
ョンを参加者自身に評価させることにした。
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東海大学総合教育センター紀要
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調査方法には質問紙を用いた。描画の終了後,参加者に描画のプロセスを振り返らせ,コミ
ュニケーションの成立度を以下の5段階で評価させた。
(5) 非常によくコミュニケーションを取ることができた
(4) 十分にコミュニケーションを取ることができた
(3) ある程度コミュニケーションを取ることができた
(2) 少ししかコミュニケーションを取ることができなかった
(1) ほとんどコミュニケーションを取ることができなかった
記入は,パートナーと離れた位置で個別に行わせ,互いの評価について相談させないように
し,互いの結果も開示しなかった。なお,希望者には,質問紙の余白部分を用いて自由記述に
よる感想も求めた。
(2-2) 調査対象者
2010年度秋学期から2011年度秋学期にかけて,大学生110名(男性86名,女性24名,年齢デ
ータなし)を対象に実施した。全員が同じクラスで筆者の講義を受講していた学生であるが,
それまで一度も話したことがない相手であることを条件に,2人1組のペアを設定した。男女
数のばらつきが大きいため,性別に関して条件は設けなかった。終了後,45名から自由記述に
よる感想を得ることができた。
(2-3) 調査結果
コミュニケーションの成立度を示す数値については,ペアごとに,次の2つの観点から整理
表
点数差
コミュニケーション成立度に関する主観的評価の分布
0点差
1点差
2点差
3点差
4点差
計
10点
(5-5) 12件
――――
――――
――――
――――
12件
9点
――――
(4-5) 13件
――――
――――
――――
13件
8点
(4-4) 2件
――――
(3-5) 5件
――――
――――
7件
7点
――――
(3-4) 6件
――――
(2-5) 0件
――――
6件
6点
(3-3) 11件
――――
(2-4) 3件
――――
(1-5) 0件
14件
5点
――――
(2-3) 3件
――――
(1-4) 0件
――――
3件
4点
(2-2) 0件
――――
(1-3) 0件
――――
――――
0件
3点
――――
(1-2) 0件
――――
――――
――――
0件
2点
(1-1) 0件
――――
――――
――――
――――
0件
計
25件
22件
8件
0件
0件
55件
合計点
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即興的な描画を用いた非言語的コミュニケーションに関する予備調査
することが可能である。(A)5段階評価の合計点:互いの評価値の和で,最少2点から最大10
点まで分布する。(B)5段階評価の点数差:互いの評価値の差で,最少0点から最大4点まで
分布する。全55例の得点の分布は,前ページの表のようになった。なお,合計点と点数差の組
合せが存在しない欄は「――」で表記してある。
3.考察:評価値の分布について
(3-1) 評価値の合計点
合計点は6点の事例が最も多く(14件,25%)
,次いで9点(13件,24%),10点(12件,
22%)の順に多い結果となった。ただし,点数の組合せでみると「4点 −5点」(13件)
,「5
点 −5点」
(12件)
,
「3点 −3点」(11件)の順に多い。全体として表を見ると,着目すべき特
徴は次の2点にあると思われる。
第一に,合計点はすべての事例で5点以上であり,4点以下になる場合は見られなかった。
とくに,参加者がともに「コミュニケーションを取ることができなかった」
(2点以下)と否
定的に評価している場合はなかった。
第二に,参加者がともに4点以上の評価を与えている事例が27件(49%)を占める。つま
り,約半数の参加者は,
「非常によく」または「十分に」コミュニケーションを取ることがで
きた,と肯定的に評価していた。
いずれの結果も,描画コミュニケーションそのもののポジティヴな可能性を示唆している。
描画という視覚的なチャンネルと,その他の非言語的なチャンネルのみを介して,相手とコミ
ュニケーションを取ることは十分に可能なのであろう。言語を用いて有意味なメッセージを伝
達するという一般的な形式でなくても,当事者がともに「コミュニケーションが取れた」と感
じられる事態は成立する。
この点は,日常生活での非言語の経験を振り返っても十分に予測できるだろう。私たちは,
他者との距離を調節するだけで互いの感受性を繊細に変えられることを知っているし,ただ黙
ってそばにいることで時には濃密なやり取りが成立することも知っている。評価値の合計点の
分布は,無言でもコミュニケーションが成立することを改めて示していると言えよう。
(3-2) 評価値の点数差
0点差が最も多く(25件,45%)
,次いで1点差(22件,40%)
,2点差(8件,15%)の順
で多かった。3点差,4点差の事例はまったく見られず,全事例において,評価の差は2点以
内に収まった。
0点差もしくは1点差の範囲で見ると,じつに全体の85%(47件)が該当する。つまり,大
半の事例においては,僅差で互いの評価が一致していたことになる。コミュニケーションが取
れたかどうかの判断基準や,何を「コミュニケーション」とみなすかという言葉の意味内容
は,すべて各自の解釈にゆだねられているにもかかわらず,このような結果が得られたこと
は,きわめて興味深い。
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東海大学総合教育センター紀要
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逆に,参加者間で,肯定的評価(5点〜3点)と否定的評価(2点〜1点)にコミュニケー
ション成立度の評価が分かれた事例は,「2点−4点」(3件)と「2点−3点」
(3件)の場合
で,合計6件(11%)にとどまった。
したがって,次のように言ってよいであろう。大半の事例においては,コミュニケーション
の成立度について,相手の評価を知らされていなくても参加者間で近似する認識が成立する。
コミュニケーションの成立度についての判断は,おそらく,各自の主観的な印象のみで決まっ
てはいない。そのメカニズムは現時点ではよく分からないにせよ,当事者が互いに近似する評
価を形成することはできるようなのである。現象学的に言うと,主観的な判断を越えて一定の
相互的な了解が生じているように見えるという意味で,間主観性がはたらいていると考えられ
る。
4.考察:自由記述について
(4-1) 考察の観点
評価値の分布から分かるように,描画のプロセスにおいては,
「コミュニケーション」と呼
びうる事態が成立しており,その成立度についての評価も互いに近似する場合が多い。それで
は,より具体的に,描画コミュニケーションは当事者の間でどのように経験されているのだろ
うか。そこでいうコミュニケーションの内実はどのようなものだろうか。
この点について考察するため,「5点−5点」「4点−5点」「4点−4点」と参加者がともに
高い評価を与えた27事例(全体の49%)を「成功事例」とし,逆に,「2点−3点」「2点−4
点」と参加者間で成立度の評価が肯定と否定に分かれた6事例(11%)を「失敗事例」とみな
して 4),自由記述の内容を比較する作業を行った。明確な違いが見られたのは以下の3点であ
った。
(4-2) 非言語的なやり取りに関する指摘
描画コミュニケーションでは,ジェスチャー,表情,アイ・コンタクトなど,非言語的で身
体的なコミュニケーションは自由に用いてよいことになっている。各種の非言語的なやり取り
について,成功事例では以下のような指摘が見られた(以下,カギ括弧内はすべて参加者自身
による記述であるが,体裁を整えるため必要最小限の修正を加えてある)
。
「お互いに時おり顔を見合わせて,どんな風に描いたらいいか分からず困った顔をしたり,
相手が何を描くのかワクワクしながら待っていることが表情から分かり,クレヨン画を楽
しめた」
「少しだけ描いて『ゴメンね』と両手を合わせるジェスチャーをすると,向こうが笑顔で
『OK!』と指でサインをくれて,だんだんとコミュニケーションが取れ,いい空気でや
ることができました」
「自分が相手に期待することがなるべくわかり易いように,身ぶり手ぶりや相づちを大き
くすることで,自分の考えを伝えることを試みた」
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即興的な描画を用いた非言語的コミュニケーションに関する予備調査
「描いている途中に目を合わせて笑いあったり,顔をしかめて『分からない』なんていう
表情をしたり,手の動作で『WHY?』とやってみたり,表情や身ぶり手ぶりでここまでお
互いの気持ちを楽しませることができるのだな,と気づいた」
「クレヨン画は描くもののテーマが決まっておらず,選択の幅が広すぎてまったく予測が
つかない。そこで私は,相手の描こうとするものを予測するために相手の表情を読もうと
した。自分が描くときも,クレヨンを1本ずつ手にとって相手の表情の変化を見てみた。
笑ったときは『これで当たってるんだな』と感じ,迷った表情のときは『違うんだな』と
感じ取ることができた」
「途中,何度か二人で微笑みあったり,うなずいたりなどのコミュニケーションをとりま
した。…(略)…自分の意図を目でうったえたり,身ぶり手ぶりなどで伝えたりしまし
た」
他方,失敗事例には以下の指摘が見られた。
「男二人で黙って絵を描き合うのが異様なことに感じられ,非常に恥ずかしかったです」
「ジェスチャーで伝えることも少しはできたけれど,やはり納得がいくほどの『あー,そ
ういうことか』という感じにはならなかった」
以上の記述を見ると,成功事例では,表情やジェスチャーそれ自体において,互いの感情
(「ワクワク」「分からない」
「楽しい」など)を共有できていることが分かる。成功事例の記述
を見る限り,こうした感情の共有は,それ自体として喜びをともなうものなのであろう。一般
に,自分の微笑みに他人が微笑みで応じてくれるとそれだけで嬉しいものだが,描画コミュニ
ケーションにおいても,身体的なシグナルを通じて,きわめて素朴な次元での共感が生じてい
ることがうかがえる。
また,これにとどまらず,成功事例では,互いの意図を伝達する手段として身体的なシグナ
ルが利用されていることも分かる。身体表現を普段より大げさにすることで,相手に自分の意
図を伝えようとしたり,相手の意図を読み取ろうとして相手の身体表現に注意を払う,という
ことが生じているようである。
(4-3) 互いの意図に関する指摘
この点に関連するが,身体的なシグナルを用いて非言語的に伝達される互いの「意図」と
は,どういった種類の意図なのだろうか。成功事例では,以下の記述が見られた。
「僕とペアになった相手は,自分の意図しているものをとてもよく理解してくれた」
「やってみると案外,相手が何を描いて欲しいのかや,何のことを描いているのかが分か
りました…(略)…後で何をイメージして描いたのか聞いてみるとほぼ一緒の考えで驚き
ました」
「私はお花を意識して描いていて,相手の方もそれに答えるようにお花につづくものを描
いてくれました。やっている最中も『そこ塗って欲しい』とか『そこ付け足して!』と私
が思うと,相手の方はそうしてくれたり,意思が伝わって嬉しかったです」
「何を描いていいのか分からない状況でも,お互いに何かしら描いているうちに,じょじ
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田中彰吾
ょにこの人はこういうことを描きたいんだ,と感じることができた」
「自分が描きたいと思っている絵,相手が描きたいと思っている絵,苦労するところもあ
りましたが,何とか伝え合うことができました」
「しっかりと読み取ってもらいたかったのでていねいに絵を描きました。すると相手も分
かってくれたみたいで,すらすらとお互いの思ったことを絵にして伝え合うことができま
した」
「相手はなぜその絵を描いたんだろう。相手はどういう考えや意図があるんだろうという
ことを頭の片すみに置いておけば,その絵に一連の共通点が生まれる」
成功事例では,相手が何を描こうとしているか,という描画の意図が互いに理解できている
ように見える。ここには二つの水準がある。ひとつは,相手が描いている内容や対象が何であ
るかを理解すること。いまひとつは,互いに絵を描き合うことで,一筆ごとに描画全体が変化
していくが(たとえば空の花瓶に花を添えるなど),その先の作品の展開についてイメージを
共有できるということ。それゆえ,たとえば「相手が何を描いて欲しいのか」が分かるといっ
たことにもなるのである。つまり,作品全体のテーマを共有できるかどうかという水準での互
いの意図の理解ということである。これに対して,失敗事例に見られたのは以下の指摘であ
る。
「ほぼ初対面の相手で,相手の描いた絵が何を表しているのかが分からず,相手の意図を
理解できなかった」
「相手がどんなことを考えているかを懸命に考えた。しかし私が考え,次につなごうと思
ったものを,また私の意表をつき,描き返されてしまう」
「相手が描いているものが何なのか予測し,それに対して返答の意を込めたものを話さず
に描くというのは非常に困難だった」
以上を見る限り,相手の描いているものが理解できない場合もあるし,理解できても,自分
の描こうとしているものとかみ合わない場合もある。ただしいずれも,実際の描画を通じて互
いの意図を調整することはできていない。参加者の一方が以上のように感じていることが,コ
ミュニケーションの成立度を否定的に評価した主な要因になっていると思われる。
(4-4) 相手の心的過程に関する指摘
互いに描こうとしているものの意図を理解し,作品の展開についてイメージを共有してゆく
さいには,相手の考えを読み取ろうとしたり,相手の想像していることを思い描いたりする作
業がともなう。いわゆる「心の理論」を用いるプロセスである。成功事例には次のような指摘
が見られた。
「自分の思っていることだけを描いてしまうと,何を描いているのか分からなくなってし
まい,完成することがない。なので,私は『この人は何を考えているのだろうか』と考え
て,それに合わせて描くことにした」
「スタートしてすぐは相手が何を描きたいのか理解できずに,互いにかなり長時間考えて
から絵を描き上げていった。後半は,会話がなくても相手の考えていることが少しずつ理
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即興的な描画を用いた非言語的コミュニケーションに関する予備調査
解できた」
「最初はぎくしゃくしていたが,後々相手の思考が読み取れるようになり,すらすらと絵
を描くことができた」
「相手は最初,雨を描いた。僕は,この絵を見て,
『今日は雨が降っているから,雨を描い
たのだろう』と考えた。次に,雨が降っているとすると,何を想像するだろうと考えた。
すると,『傘じゃないか』という考えが浮かんだ」
「絵を描くことで,その人の心の中が分かるような気がしました。雨,嵐,火事のような
風景なら少し心が荒れているんだなと思いますし,夕日,朝日,昼間の風景だとおだやか
な気持ちなんだなと思います。同じことが,使う色でも分かる気がしました」
失敗事例では,対照的に,同様の作業がきわめて困難だったとの指摘が見られた。
「相手が何を描こうとしているのか言葉として伝わらないので,その場で自分なりに感じ
取ることが求められた。そして,自分が考えていることと相手が考えていることはとても
違うということに気づかされた」
「ほとんど初対面の状態で,相手の考えていることを理解するのは無理だった。人はやは
り,ある程度一緒にいて,コミュニケーションを取りあうからこそ,相手の考えているこ
とも分かるようになるのではないだろうか」
「相手の絵を見て,相手の考えを読み取ろうとして,かえって分からなくなってしまいま
した。こうなると,自分の手も止まってしまいます」
具体的で目に見える描画内容から,目に見えない相手の心的過程について考え,想像し,理
解すること。成功事例では,この点について肯定的な印象が得られている。相手の心的過程を
理解できたことで,それが再度具体的な描画内容へと反映され,互いの描画がかみ合い,良い
方向で描画のサイクルが進展してゆくようである。
(4-5) 考察のまとめ
以上の分析から,描画コミュニケーションで生じている「コミュニケーション」の内実に
は,次のような,じょじょに抽象化してゆく緩やかな順序を見て取ることができる。すなわ
ち,
(a)非言語的で身体的なシグナルをやり取りすること→(b)描画内容から互いの意図を
読み取ること→(c)直接には知覚できない相手の思考や想像を推測すること,という三つの
段階である。表情やジェスチャーなど,もっとも具体的で身体的な相互作用に下支えされなが
ら,互いの意図の理解や,相手の心的過程の推測といった,抽象的で心的なコミュニケーショ
ン過程が成立しているように思われる。
5.予備調査から得られた見通し
(5-1) 非言語的なやり取りの重要性
以上の考察を踏まえて,筆者が得た仮説的な見通しは次の点にある。それは,表情やジェス
チャーのやり取りに見られるような,参加者間の身体的な相互作用のあり方が,コミュニケー
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ション成立度の主観的評価に大きな影響を与えているのではないか,ということである。
成功事例と失敗事例の自由記述を比較してみると,(a)非言語的なやり取り,
(b)意図の
読み取り,
(c)心的過程の推測,という3点に大きな違いがあることが読み取れる。ただし,
緩やかな順序が見て取れると指摘したとおり,
(a)の非言語的なやり取りが最初に求められる
必要条件であって,この点がクリアできないと,それ以上はコミュニケーションが進展しにく
くなるように思われる。
たとえば,一方が描画を終えて用紙を手渡す場面では,相手がうなずいたり微笑んだりする
ことがしばしばある。その動作は「あなたが何を描いたか理解できていますよ」という趣旨の
メッセージになっているように見える(もちろん,それ以外の趣旨である可能性もある)
。逆
に,顔をしかめたり首を横に振ったりする動作は「あなたが何を描きたいのか分かりません」
というメッセージとして伝わるだろう(または,それ以外のネガティヴな含意も持つだろう)。
こうしたやり取りがないと,描画内容が伝わっているかどうか,互いに判断することが難しく
なる。
また,非言語的なやり取りのなかには,必ずしも本人が自覚しないままに行っている前反省
的な動作も多く見られる。たとえば,一方が描き始めると他方が身を乗り出して紙面を見る,
一方が頭を抱えると他方が腕を組む,一方がクレヨンを見つめると他方も同じように見つめ
る,等々である。これらのやり取りは,2人1組での描画という作業が,そもそもコミュニケ
ーション行為として成立するための時間的・空間的な「場」を形成するのに役立っているだろ
う。これは,当事者自身に必ずしも意識されないために自由記述から読み取りにくい論点だ
が,予備調査の過程で学生たちを観察するなかで,先の(a)に含めてよいと筆者が感じた点
である。
いずれにしても,描画コミュニケーションにおいては,紙面に描かれた色と形のみから描画
内容を相互に伝達できるとは限らないため,こうした非言語のやり取りが成立していることが
まずは重要である。そうでないと,紙面を見て描画の内容を読み取ること(先の(b))が困
難となり,目に見えない相手の心的過程を推測すること(先の(c)
)はさらに難しくなる。成
功事例では,非言語的コミュニケーションとして実践される身体的な相互作用が,一方的なも
のではなく,まさにしっかりとかみ合った相互作用として成立していると推測されるのであ
る。
(5-2) 間身体性と「行動の同調」
以上の見通しに対して有効な補助線を与えてくれる概念がある。現象学的身体論の哲学者
M・メ ル ロ = ポ ン テ ィ が 提 起 し た「 間 身 体 性 intercorporéité 」で あ る( Merleau-Ponty,
1960)。なお,本稿で展開しているコミュニケーション研究の文脈にメルロ=ポンティの現象
学を持ち込むことは議論の逸脱に見えるかもしれない。この点に関しては別稿で論じているの
で(Tanaka, in press; Tanaka and Tamachi, in press)
,ここでは省略する。
間身体性とは,自己の身体と他者の身体のあいだに広がる独特の相互的関係性である。たと
えば,他人が満面の笑みを浮かべているのを見て思わず自分も頬が緩むのを感じたり,自分が
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即興的な描画を用いた非言語的コミュニケーションに関する予備調査
あくびをしたのにつられて友人があくびをしたりするような現象がある。これらの例では,他
者の行為を知覚することが,自己の身体において同じ行為(またはその可能性)を喚起し,逆
に,自己の行為が,他者の身体において同じ行為(またはその可能性)を喚起している。間身
体性とは,このように,自他の身体間において知覚と行為(およびその可能性)が循環的に連
鎖する相互的関係性のことを言う(図5参照)
。
メルロ=ポンティは,もともと哲学上の他我問題を論じる文脈において,つまり,他者の意
識や心はそもそも理解できるものなのか,独我論を真に乗り越えることは可能なのか,という
原理的問題との関連において,間身体性の概念を提起している(1960年に刊行された『シーニ
ュ』所収の論文「哲学者とその影」)
。しかし他方で,この問題を具体的な他人知覚から考え直
すことの重要性も強調している。彼が着目するのは,乳幼児における他人知覚や共鳴的模倣の
現象である。この点は,とくに講義録「幼児の対人関係」(Merlau-Ponty, 1951/1997)におい
て明らかである。つまり,間身体性は,哲学上の他我問題から心理学的で経験的な次元の他者
理解の問題までを一貫して扱おうとする概念なのである5)。
図5:間身体性の構造
ところで,メルロ=ポンティの時代には知られていなかったものの,今日のコミュニケーシ
ョン研究では,間身体性を裏づける事例は数多く知られている。たとえば,新生児が大人の表
情を模倣する(Meltzoff and Moore, 1977),乳児が母親の発話に合わせて声を出そうとする
(Cappella, 1981),心理療法の面談場面でセラピストとクライエントの姿勢が一致したり,グ
ループで会話中に複数の人が自然と同じ姿勢を取ったりする(Scheflen, 1964)
,授業中に教師
の姿勢が変化すると,それに合わせて一定数の生徒の姿勢が同様に変化する(LaFrance and
Broadbent, 1976)
,特定の感情が他者へと伝わるさいに表情の自然な模倣が生じる(Hartfield,
Cacioppo, and Rapson, 1993)
,等である。先に例として挙げた笑顔の場合も,それを見る側の
頬の筋肉や脳内の関連部位が活性化することが確認されている(Schilbach et al., 2008)
。
いずれも,ある身体の知覚を介して,他の身体においてそれに類似する非言語行動が生じる
という現象である。これらの現象は,mimicry,mirroring,congruence など,文脈によって
38
東海大学総合教育センター紀要
田中彰吾
さまざまな呼称で呼ばれていて必ずしも定着した術語がないが(長岡,2006),非言語行動の
研究者であるベルニエリとローゼンタール(1991)は,
「行動の同調 behavior matching」と
いう術語でこれらを包括的に理解することを試みている。同調とは,コミュニケーション当事
者の行動が,いわば鏡写しになったように類似する(=マッチする)現象を指す。間身体性の
概念を部分的に反映する概念であると言ってよい。
描画コミュニケーションにおいても,参加者ペアの間身体性を示唆する行動の同調は多く見
られる。たとえば次のような場合である。
一方が笑う→他方がそれにつられて笑顔になる
一方が紙面に向かって前傾した姿勢を取る→他方もほぼ同時に前傾する
一方が顔を上げて相手の顔を見る→他方も顔を上げて目が合う
これらは,観察者の視点からすると,意識的にそうしているというより,むしろ「ただなん
となく」「ごく自然に」
「相手につられて」生じているものに見える。知覚を介して,一方の行
動と他方の行動が連鎖するような関係が生じているのであろう。
(5-3) 間身体性と「相互作用の同期」
間身体性の概念にもとづいてコミュニケーションをとらえることが重要であるのは,自他の
あいだの知覚−行為の循環的関係が,私たちの一般的な他者理解の基盤を形成しているからで
ある。自己の身体と他者の身体のあいだには,いわば鏡映的な関係が潜在的に広がっている。
そして,他者の行為を知覚すると,自己の身体において同じ行為が仮想的に再現され,他者の
行為の意図が直感的に了解される6)。ごく身近な例で言えば,本棚の高い場所に他人が手を伸
ばしているのを見て,
「本を取ろうとしている」というその人の意図が分かる,といったこと
である。つまり,言語的なメッセージを理解することや,目に見えない相手の心の状態を想像
すること以前に,身体レベルでの自他の相互作用が,他者理解をもっとも基礎的な次元で支え
ている(Gallagher, 2005; Gallagher and Zahavi, 2008; 河野,2005)
。私たちは,自己の運動能
力を通じて,他者の行為の意図を直接的に理解するのである。
描画コミュニケーションの文脈に即して言うと,間身体性を反映する,もっとも基礎的な次
元での他者理解は,たとえば次のような場面で目に見えて現われてくる。
一方がクレヨンに手を伸ばす→他方がクレヨンを見る
一方が描画を始める→他方が身を乗り出して用紙を見る
一方が描画を途中で止める→他方が相手の顔や目を見る
一方がクレヨンを置く→他方がうなずく
これらはもちろん,相手が何を描こうとしているかとか,描くことで何を自分に伝えようと
しているかといった,伝達されるメッセージ内容の理解を示すものではない。それ以前のレベ
ルで,いわばコミュニケーションの入口部分において,「相手が何を描こうとしているかが決
まった」「相手がこれから描き始めるところである」「相手の描画が思い通りに進んでいない
(または描画の方向性を変えたがっている)」
「これで描き終わった」等,相手の行為の意図を
理解していることの指標になっているのである。
第33号(2013)
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即興的な描画を用いた非言語的コミュニケーションに関する予備調査
そしてこれらの場面では,一方が行為を起こすと,継起的なタイミングで他方も行為を起こ
している。観察者の視点からしても,非言語的で身体的な行為のやり取りにおいて,一方の行
為の意図が他方へと伝わっていることが読み取れる。すなわち,互いの行為が時間的にかみ合
い,同期しつつ進行していくことが,互いの行為の意図の理解を示す指標となっているのであ
る。このように,コミュニケーションにおける複数の動作が同期し,協調することを指して,
先のベルニエリとローゼンタール(1991)は「行動の同調」とは別に「相互作用の同期 interactional synchrony」として分類している7)。なお,ここでは互いの行為 action が問題であ
・ ・
・ ・
ることを考慮して,訳語を「相互行為の同期」とするほうが適切であろう。
6.今後の研究に向けて
予備調査の結果を踏まえて,まず改めて確認しておきたいのは,描画コミュニケーションに
備わる,「コミュニケーション」としてのポジティヴな可能性である。質問紙調査の結果を見
る限り,クレヨン画を介した非言語の状況であっても,
「コミュニケーション」と呼びうる事
態は十分に成立することがうかがえた。また,相手とコミュニケーションが取れたかどうかと
いう判断も,僅差で一致する場合が全体の8割以上を占めており,ある種の間主観性の作用を
示唆していた。
描画コミュニケーションでは,あえて言葉を用いない条件でコミュニケーションを実践する
ことで,言葉を用いていれば容易に伝わるであろう記号的なメッセージの伝達可能性が大幅に
抑制される。だがそれゆえに,非言語的なコミュニケーションの諸チャンネルを活性化し,そ
の機能をきわだたせる。成功事例では,表情,ジェスチャー,アイ・コンタクトなど,身体的
なシグナルのやり取りそれ自体において,当事者間でさまざまな感情が共有されるし,描画の
意図を伝達する手段としても巧みに利用されている。この条件を満たすことができるからこ
そ,描画を通じて互いの意図を調整したり,相手が次に何を描こうとしているかを推測したり
する作業が可能になっているものと思われる。
予備調査を終えた現在の段階で得られる仮説は次のことである。他者と「コミュニケーショ
ンが取れた」と私たちが感じる主観的な印象は,おそらく一定の間主観的な基礎を持つこと,
また,その間主観性は,自他の身体間での知覚−行為の循環的・相互的関係として生じる間身
体性に基礎づけられているであろうということ,である。
そこで,今後の研究で筆者が明らかにしたいのは,コミュニケーション成立度の主観的評価
が相互に高い値を示す成功事例と,当事者間での非言語的なやり取りの成立度との相関関係で
ある。おそらく,成功事例では,メルロ=ポンティが間身体性と名づけたような,身体間の相
互的関係性が,当事者のあいだでより十分に成立しているだろう。しかもそれは,たんに潜在
的で不可視な次元にとどまるのではなく,
「行動の同調」や「相互行為の同期」という顕在的
で観察可能な次元にも現われてくるだろう。したがって,成功事例では失敗事例に比べて,当
事者の身体性に「同調」と「同期」の関係がより多く,また,より安定した頻度で観察される
であろう。これが,今後の研究で検討すべき仮説である。
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東海大学総合教育センター紀要
田中彰吾
ここまでの考察にもとづき,今後の研究では,次のような順序で実験と分析を進めてゆく予
定である。(1)一定数の実験参加者を募集し,描画コミュニケーションの過程をビデオカメラ
で記録する。(2)予備調査と同様の方法で,コミュニケーションの成立度を主観的に評価さ
せ,成功事例,失敗事例,その他の事例に区別する。(3)間身体性を映像から客観的に評価す
るための「行動の同調」と「相互作用の同期」の動作カテゴリーを設定する。
(4)記録した映
像のうち,成功事例と失敗事例について,
「同調」と「同期」の出現パターンを定量的に評価
し,比較する。
以上,ひとまず今後の方向性を明確にしたことをもって,今回の予備調査を終了することに
したい。
注
1)東海大学湘南校舎において2010年度秋学期〜2011年度秋学期に開講された「集い力(演
習)
」の各クラスである。
2)本稿の出版に先立って,本稿とほぼ同内容の次の報告を実施した。田中彰吾「描画コミ
ュニケーション実習に関する予備調査−実験のデザインに向けて」
(日本認知科学会,第
29回大会発表論文集,pp. 612-621)
。
3)よく知られているように,
「心の理論 theory of mind」とは,もともと霊長類研究者の
プレマックとウッドラフ(1978)が提唱した概念で,他人の心的状態や行動について想像
したり推論したりする能力のことを指す。たとえば,友人の行動を見てその動機を推測す
る,会話中に相手の考えや次の発言を読むといった作業において,私たちは心の理論を用
いている。概説としては,子安(2000)も参照。
4)本来の「失敗事例」とは,互いの評価値がともに2点以下で否定的になっている場合と
考えられるが,今回の予備調査ではそうした事例は見られなかった。なお,仮にそうした
事例があったとしても,そこでは「コミュニケーションを取ることができなかった」とい
う否定的な認識が当事者間で共有されていることになるので,メタ・レベルでのコミュニ
ケーションはいわば成立していると見ることもできる点に注意されたい。
5)間身体性の概念に至る以前のメルロ=ポンティの論考,すなわち『知覚の現象学』第2
部4章「他者と人間的世界」で論じている他者論(Merleau-Ponty, 1945)を参照すると,
メルロ=ポンティの思考が哲学的次元と心理学的次元の双方を結びつつ展開していること
がよく理解できる。彼は一方で,超越論的主観性と独我論の問題に言及しながら,他方
で,具体的な他人知覚にもとづいて他我問題を考えることの重要性を主張し,15か月児の
共鳴的模倣の事例等を引用している。
6)本稿の議論から多少それるが,この点は,神経科学におけるミラーニューロンの研究で
も以前から指摘されていることである。たとえば,ミラーニューロンの発見者の一人であ
るリゾラッティは,その著作のなかで次のように述べている。
「ミラーニューロンは運動
の言語で感覚情報をコードし,私たちが他者のすることを見てただちにそれを理解する能
力の根底にある,行為と意図の「相互関係」を可能にする」
(リゾラッティとシニガリア,
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即興的な描画を用いた非言語的コミュニケーションに関する予備調査
2009, p. 148)
。
7)もともと「同期(シンクロニー)
」の概念は,コンドンとオグストンが提示し,非言語
コミュニケーション研究に広がったものである。彼らは当初,一人の発話主体において,
発話行為と身体動作が同期することを発見してその同期的関係をシンクロニーと名づけた
が(Condon and Ogston, 1966)
,後に,話し手と聞き手のあいだでも,話し手の発話と聞
き手の動作,話し手の動作と聞き手の動作に同期的関係が見られることを見出している
(Condon and Ogston, 1971)
。
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謝辞
本稿を執筆するうえで,前田泰樹氏(東海大学)
,田所まり子氏(自治医科大学)から貴
重な助言をいただいた。記して感謝したい。
※
本研究は,次の各補助金の助成を受けた。2012年度科学研究費補助金(課題番号24500709),2012年度
東海大学総合研究機構「研究奨励補助計画」,2012年度東海大学総合教育センター・学部等研究教育補
助金。
第33号(2013)
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