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Chaucer の麦虫倉ルー生

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Chaucer の麦虫倉ルー生
Chaucerの独創性
菅 野 正 彦
Chaucerの伝統と創意の問題は,これまで多くの批評家達によって論じ
られてきた。伝統を意味する英語は"tradition”の他に,時に“convention”
や“familiarity”等が,創意は"originality”の他に“creation”や“innovation”
等が使われる。1)特に作家の伝統と創意が頻繁に研究の対象に取り上げ
られるようになった背景の一つに,
T. S. EliotのTradition
vidual Talent (1919)等の評論が及はした影響が当然考えられる。
ndi-
and
the
I
Kemp
Maloneは中世の物語の独創性に関して次のように説明している。
中世の物語は,一般にお馴染みの型をたどり,聴衆はこれから得られるものを
前もって分っていたが,別に新鮮さに欠けたということはなかった。各作家が
固有な文体と,よく知られた題材の固有な扱い方を心得ていた。これら各個人
の違いがそれぞれの作品に特有な味わいを与えた。独創性を力説している今日
も,実は,事情は昔とあまり違っていないようである。2)
このように,作家独自の創意と工夫が存分に発揮される領域は「固有な文
体」と「よく知られた題材の固有な扱い方」にあるとMaloneは率直に指
摘している。
中世文化と現代文化の相違は,伝統に認められる権威の偉大さに存在す
ると言われる。今日では,新しいものが持で囃され,個人の独創性が強調
され勝ちである。しかし,中世では,逆に古いものが尊重され,新しいも
のは軽視される傾向があった。
45
例えば,英語の“originality”はフランス語の“originalite"に由来し,
1776年の文献に“authenticity”の意味で現れるのが最初である。それか
ら約10年後に“novelty
or
freshness
of
style
にしている人物の属性としての独創力“the
fresh
ideas
or
or
character”,また,今問題
power
of
originating
new
or
methods”等の意味を獲得する。3)それ以前,独創性に近い
意味に使われていた言葉は"power
of
mental
creation
or
construction”
の
意味をもつ"invention”である。4)“originality”という言葉と共に,18
世紀後半から19世紀にかけてロマン派の詩人達によって「個性」や「独創」
が声高に叫ばれ,古典主義とロマン主義との間に明確な一線が引かれるこ
とになった。英文学史に記述されているように,前者は伝統,模倣,才能,
習慣,空想が強調され,それに反して,後者は個性,独創,天才,生得,
想像がことのほか強調されて今日に至っている。
古英詩の主流は,勿論Beowulf等が代表するように頭韻詩(alliterative
poetry)である。次第にこれらの頭韻詩は衰退していき,再び13世紀,14
世紀に人気を挽回する。英文学史は大抵,この文芸活動を頭韻詩復興
(alliterative
revival)と呼んでいる。
Plowmanや,
Sir
Gawain
and
14世紀にWilliam
the
Green
LanglandのPiers
Knight等の素晴らしい詩が生まれ
た。特にロンドンから遠く離れた北西の地方で隆盛であった。確かに,彼
は頭韻詩を書き残してはいないが,よく知っていたことはまず間違いな
い。5)その例証として頻繁に引用される箇所がThe
Parson's
Prologue
る。
But trusteth
l kan
wel, l am a Southren
nat geeste ‘rum,
ram,
man;
ruf,' by lettre
(Pars Prol 42-43)
実は,出身地の表明(l am a Southren man.)が,ME期の頭韻詩の多くが
West Midland やNorth-Western地方の方言で書かれたことを示す暗黙の
了解の役目を果たしている。即ち,語り手は「南の生まれの者」を引き合
いにだして,頭韻を使って物語を作ることができない理由を聴衆に間接的
46
−
にあ
に伝えている。
Chaucerが各地で作られたメトリカル・ロマンス群に早くから親しんで
いた事実が,内外の学者によって実証され,かつ近年ますます注目を惹い
ている。これらの研究によって地方言文学のChaucerに及ぼした影響が
明らかになってきた。
Chaucerが独白に物語を生み出しだのではなく,
Shakespeareに見られるように,人々によく知られた話を下敷きにして新
しく作品に仕立て直した。優れた物語は,権威のある古い物語であるから
聴衆は元の話を知っている。繰り返すと,中世の物語は「古い物語」の焼
き直しであるから,聴衆は話を聴く前に分かっているのが普通であった。
作る側から言えば,当時の作者は聴衆に過度な緊張を強いることをしなか
った,と表現した方がより適切かも知れない。なぜなら,聴衆は新しいも
のや未知のものより,よく知っているものに親しみを抱くのが人情だから。
Chaucerの読者なら誰でも気付くことだが,彼は作品のなかで何度も「書
物」に言及している。The
Parliament
of Fowlsの初めに述べられているこ
とは,我々読者によく知られており,作者の側から書かれた読者論を開陳
している興味深い箇所である。ただ娯楽(solaas)のためばかりでなく,
様々な教訓(sentence)を得るためにも我々は本を読んでいるのである。
このような考えは,既にHoraceの「詩学」などに見られるものである。
彼は詩人達に「(人々を)向上させ,かつ喜ばせること」,また「喜びを与
えること,人生に役立つ教訓とを結び付けること」を目指すように勧めて
いる。6)知識と娯楽を結び付ける詩人が人々の賞賛を得られるのである。
Of usage一what
for lust and what for lore―
On bokes rede l ofte,as l yow
tolde.
But wherfore that l speke al this? Nat yoore
Agon
Upon
And
it happede
me for to beholde
bok. was write awith lettres olde,
therupon. a certeyn thing to lerne,
The longe day ful faste l redde and yerne.
-
47
−
For out of olde feldes, as men seyth,
Cometh
al this newe
corn from yer to yere,
And out of olde bokes, in good feyth,
Cometh
al this newe
science that men lere.
But now to purpos as of this matere:
To rede forth hit gan me so delite
(PF 15-21)
That al that day me thoughte but a lyte.
語り手は「古い畑から収穫する新しい穀物」と「古い書物から学ぶ新しい
知識」とを対照させて,読書の楽しみを述べると同時に,伝統と創意をし
っかりと念頭に置いている。昔の言葉を使うのは決して悪いことではない。
古い作品を見つけて新しい作品に創り変えるのが,当時,一般的な詩人の
傾向であり,それが創意と見なされていた。畑と書物,穀物と知識の関連
(隠喩)は後の作品にも現れる。機会あるごとにChaucerは「昔の本」
に言及している。
The House 0f Fameで語り手は昼間の仕事を終えると
Aldgateの家に帰り,読書に没頭する情景を得意そうに描いている。
For when
thy labour doon al ys,
And hast mad alle thy rekenynges,
In stede of reste and newe
Thou
goost horn to thy hous anoon,
And, also domb
Thou
thynges,
as any stoon,
sittestat another book
Tyl fully daswed
(HF
ys thy look.
652-58)
Chaucerは若い頃,役人として税関に勤めていたことがあった。
“Re-
kenynges”が示すように,彼はサラリーマン生活の一端を語り手の口を借
りて回想しているのかも知れない。何れにしても,目がぼんやり霞むほど,
毎晩,本を読んでいる姿が時空を超えて目の前に現れる。恐らく,当時の
Chaucerの自画像を想い起こさせる描写であろう。
ChaucerがThe
Book
of the
DucHess,The
House
Fowls等,比較的初期の作品に利用したと思われる原典や類話が詳細に研
48
Fame,The of
Parliament
of
究されている。7)他の作品からの借用が多いということは,古い書物へ
の敬愛心と同時に,旺盛な読書家を映しだす結果となっている。聖書を初
め, Homer, Ovid, Cicero, Boethius等,ギリシア・ラテンの詩人,
bius, Allan of Lille,Guillaume
de Lorris, Jean de Meun,
Macro-
Dante, Boccaccio
等,フランスやイタリアの作家の書物を手当たり次第読み漁り,新しい知
識(newe
science, PF 25)を貪欲に吸収したことにつくづく驚異の念を禁
じえない。 Chaucerの時代,文芸や学問が盛んであった国はフランスとイ
タリアであったから,当然,彼はそれらの国々の文芸に好奇の目を向けた。
常に大陸の文学の動向に注目し,大胆に新しい文学や思想を吸収し,それ
らを自分の作品に取り入れて紹介したのである。他の作家達と違って
Chaucerの場合,他の作品からの語,句,文章,イメジの借用は単なる借
用に止まらず,大袈裟に言えば作品の中心テーマ(思想)と直結している
場合が多い。従って,作品を解釈する上で非常に重要な手掛かりを提供し
てくれる。
Chaucerの先人,書物,読書,創作に対する尊敬と信頼の気持がThe
Legend of Good Womenに語り手を通して表明されている。
Thanne mote we to bokes that we fynde,
Thourgh whiche that olde thynges ben in mynde,
And to the doctryne of these olde wyse
Yeven credence,in every skylful wyse,
And trowen on these olde aproved storyes
Of holynesse, of regnes, of victoryes,
0f love, of hate.of othere sondry thynges,
0f which l may nat make rehersynges.
And if that olde bokes weren aweye,
Yloren were of remembrance
the keye.
Wei oughte us thanne on olde bokes leve,
There as there is non other assay by preve.
(LGW
17-28)
12行の中に5回“olde”が繰り返されている。「昔の事柄」(18).「昔の
-
49
−
賢人」(19),「是認された昔の物語」(21),「昔の書物」(25,
27)に見ら
れる。優れた物語というのは,昔の事柄が昔の賢人(詩人や学者)達
(auctours)によって書かれ,そして人々に受入れられた昔の物語を暗黙
の内にあらわしていた。従って,権威のある古い物語を指していた。詩人
は聖書に精通しているから,
Chaucerも当然,立派に説教ができたであろ
う。The Parson'sTaleに見られるように彼は神学にも精通していた。一般
に自由七学科と呼ばれる修辞学,文法,論理学,算数,幾何,天文学,音
楽,その他古典哲学や医学も勉強したと思われる。彼は古典文学とりわけ
ローマの文学,学問を身に付けたのである。
John Gower のConfessio Amantisは自己認識を欠いたAmanが,
Genius
との対話を通して自己を取戻し,最終的に本来の自分にたちかえる過程を
描いた作品である。8)忘却,目覚め,認識という長い時間の経過をへて
identityを把握する。この詩の冒頭は次の行で始まっている。
Of hem that writen ous tofore
The bokes duelle, and we therfore
Ben tawht of that was write tho:
Forthi good is that we also
In oure tyme among
Do wryte of newe
Essampled
ous hiere
som matiere.
of these olde wyse
So that it myhte in such a wyse,
Whan
we ben dede and elleswhere.
Beleve to the worldes eere
In tyme
comende
rol
(CA
after this.
1-11)
「我々が生まれる以前に書かれた書物が現存している。従って,昔に書か
れたものによって我々は教えられるのだ。だから,現在,昔の賢者を手本
にして,何か新しいものを書くことは立派なことだ。」温古知新,古きを
たずねて新しきを知ることは洋の東西を問わずその軌を一にしている。
KatherineR.Chandlerは記憶について次のように述べている。
-
50
−
恋人の欲望(wille)を導くさいに思い出の役割を認識することによって,想起
は分裂した自己,或いは分裂した王国を一つにする方法のみならず,回想はま
たその詩を統一するモチーフであることが理解され得る。9)
“Memoire”,即ぢremembrance”をGowerが「王国を統一するメソッド」
と「詩を統一するモチーフ」と考えたように,
Chaucerも“remembrance”
を記憶の「鍵」と見なした。古より引き継がれた本が失われることは記憶
(経験)の鍵が失われることなのだ。
And if that olde bokes weren aweye,
Yloren were of remembrance
(LGW
the keye.
「記憶の鍵」とは一体何を意味するのであろうか。
G 25-26)
Chaucerの作詩法を検
討してみると,「記憶」と修辞学に使われる専門用語とが同一のものを指
しているように思われる。教科書に従って,古典修辞学では一般に以下の
ように五つの部門に区分されていた。1o)
Invention
{L.inventi
o)
(Gk.heuresis)
Arrangement
{L .dispositio)
(Gk. taxis)
Style
(L.,elocutio)
(Gk. lexis)
Memory
(L.memmoria)
(Gk.mneme)
Delivery
(L.actio)
(Gk.hypocrisis)
“Remembrance”どmemory”が修辞学の用語を通して結びついているのは
確実である。 Robert 0. Payneは,
Chaucerの言葉を借りてThe
Key of Re-
雄がmbrance:
A Study of Chaucer's
Poeticsと著書の題名とし,見事にChaucer
の詩論を展開している。11)実は,
Chaucerの創作技法を別の角度から垣間
見させてくれる描写がThe
For
wel l wot
that folk han
Of makyng
ropen,
[And] l
come
And
am
Legend of Good Womenに認められる。
here-beforn
and lad awey
the corn;
after, glenynge
ful glad if l may
fynde
here and
an ere
-
51
−
there,
Of any goodly word
And if it happe
that they han left.
me rehersen eft
That they han in here freshe songes said,
l hope that they wole nat ben evele apayd,
Sith itis seyd in fortheryng and honour
(LGW
Of hem that eyther serven lef or flour.
上の引用は,
G 61-70)
Chaucerの伝統と創意という問題とこれから深く関わってく
る示唆に富んだ言葉を若干含んでいる。既にThe
Parliament
of Fowlsで言
及したように,畑と穀物の隠喩が巧みに使われている。先に人が来て「詩
の実を刈り」(of
making
ropen)取って言葉の穀物(corn)を運び去って
しまった,と愚痴をこぼしている。自分は後から生まれて来だのだから,
「落ち穂拾い」(glenynge
(an ere of an goodly
here
and
there)をして,もし「優れた言葉の穂」
word)を見つけることができたら非常に喜ばしいこ
とだ。先人が爽やかな詩のなかでうたったことを「繰り返」(rehersen)
しても聴衆が気を悪くしないように願っているのだ。これは先人を尊う心
(honour)から生れた言葉であろう。何故なら,彼は比喩的な意味でなく,
文字通り多数の先輩詩人から優れた言葉の穂を拾い集めて,自分の作品と
いう納屋にせっせと収納していたのだから。
模倣ということに少し触れておきたい。アリストテレスが「詩学」で「叙
事詩,悲劇…は,いずれも全体として見れば,模倣様式である。」と述べ
ている。12)これまで模倣ということが随分と問題にされてきた。アリス
トテレスによると,模倣は人間のごく自然な性質の一部で,模倣によって
色々なものを学ぶのである。また,模倣されたものを見たり,聴いたりし
て喜びを感ずることも人間の本性である,とも述べている。「模倣は本来
人間につきもの」というのがアリストテレスの模倣に対する彼の肯定的な
主張である。
短詩を除いて,
The
かった最初の長詩である。
Book
of the DuchessはChaucerが比較的早く取り掛
John
of Gaunt
の妃であったBlanche夫人が黒
死病で亡くなった。彼女の死を悼み,またJohnを慰める目的でこの詩は
-
52
作られた。従って,これは一種の挽歌,即ち慰めの詩である。ところで,
語り手がOvidの「セイス王とアルシオーネ妃」を読んでいる情景がこの
作品にでてくる。その中で彼は次のような言葉をもらす。
And in this bok weren
written fables
That clerkes had in olde tymes,
And
other poetes. put in rime
To rede and for to be in minde.
While
{BD
men loved the lawe of kind.
52-56)
「自然の法」,即ち恋愛物語が読まれ,そして「記憶に止められる」よう
に昔の詩人は「韻を整え詩にうたった」のである。この“for
minde”というプレイスは,先のThe
Legend
to be in
of Good Womenに見られた
“olde thynges ben in mynde” と類似した成句である。記憶の鍵が失われな
いように先人と同様,きちんと韻を整えて詩にして,それを後世に残す必
要性を痛切に感じているようだ。語り手は物語を読み,悲しみを抑えるこ
とができない。
Such sorowe
this lady to her tok
That trewly l,that made
Had
this book,
such pittee and such rowthe
To rede hir sorwe
that, by my trowthe,
l ferde the worse al the morwe
(BD
Aftir to thenken on hir sorwe.
ここで注目すべき点は,
95-100)
Seyx王の死に対するAlcione妃の悲しみと,
Blanche夫人の死に対する語り手の悲しみとが微妙な重なりを見せる。夫
人の死去という否定できない現実をChaucerのイマジネイションの虚構
一詩的世界一に創り変えることが,彼の脳裏から離れず,しかも避けて通
ることができない課題でもあった。
Chaucerの作詩への抑制された表現で
はあるが,はっきりした意識が感じられる意味深長な箇所である。
更に, Chaucerの作詩への意識が前面に押し出されてくるのはイタリア
53
旅行以後に書かれたThe
House 0f Fameの中である。先述した通り,仕事
を終えると真っすぐにAldgateの家に帰り,読書に没頭した様子がユーモ
アを交えながら描出されている。以下,“art
poetical”ど‘craft”とが共起
する点に留意されたい。
O
God
of science
Appollo,
thurgh
and
of lyght,
thy grete myght,
This lytel laste bok
thou
gye!
Nat that l wilne, for maistrye,
Here
art poetical be shewed,
But for the rym
Yit make
Though
And
To
ys lyght
hyt sumwhat
som
and lewed,
agreable,
vers fayle in a sillable;
that l do no diligence
shewe
but
sentence. craft,
o
{HF
1091-100)
“Artpoetical”
を強く打ち消す背後に,逆に詩的技巧への肯定的な姿勢
が読みとれる。13)詩に限らず,一般に芸術は高度の技巧を必要とするの
で技巧が演ずる役割は重要である。詩の形式とその表現法を自分の言葉で
再現する意志が感じられる。修辞学をひけらかす目的のためでなく,
Chaucerは詩に明確な輪郭を与え,それを耳で聴いて心地よいものに昇華
させたいという願いがあった。
このように,
Chaucerの胸中に詩的技巧への意識,即ち詩を作る技術へ
の意識が比較的早い時期に芽生えた。彼は既に若い時,
(grammar)とrhetorica
grammatica
(rhetoric)の古典の教養を身につけていたと
Dorothy Everett は作品から推測している。14)ラテン語で書かれた作品を
解釈する技術としてのみならず,ラテン語を正しく読み,かつ話す技術と
してもgrammaticaという科目は教えられた。しかし,当然Chaucerは創
造的詩人として,自分の作品にかかる構成の技術を適用したと思われる。
彼にとって修辞学は作品理解の手段としてよりも,むしろ作品構成の手段
として大いに被益したと思われる。当時,その科目は作品構成に関する細
54
かな要領が書きこまれた入門書の役目を果たしていた。
The
Parliament
The
of
Fowlsの冒頭は次の有名な一行で始まる。
lyf so short, the craft so long to lerne. (PFl)
Hippocratesの『古い医術について』がこの“aphorism”の出典であるから,
「人生は短く,芸は長し」の「芸」は本来の意味として「医術」を指して
いると思われる。
一般に“Ars
longa,
vita brevis” のラテン語訳で広く世間に知れ渡ってい
る。“Techne”ぱars”に解釈’され,更に“craft”と英語に翻訳された経緯
がこれで明らかになる。
Jacques
Le Goffが次のように述べている。
いったい学芸とは何か。それは本来たんなる知識ではなく,技を意味していた。
技すなわちギリシア語のテクネーは,大工や鍛冶屋の特殊技能と同じような,
教師の特殊技能のことである・・。 技芸とは,物質的なものにせよ精神的なも
のにせよ,器具の制作に向けられた理性的で適切なすべての精神活動をいう。
つまりそれは造ることを理性的に会得させる術である。「技芸とは,造られる
ものについての正しい理である。」したがって知識人は職人なのである。
15)
上記の引用にある“craft”は狭い意味では医術,広い意味では自由七学科
(the seven liberal arts)かもしれない。実は,
Chaucerは一行目で聴衆に
そのように思わせておいて,二行目以下で巧みに相手の意表をつく。
“Craft”は「愛の技」を意味すると同時に,本論に入るまでに119行を費や
している。文字通り,修辞学の技一拡充法(amplification)
―を聴衆に実
演して見せてくれる。まさにChaucerの得意技で存分に腕前を発揮する。
“Craft”ぱart”と同様,技能,技巧,巧妙,(特殊の)技術,わざ,職業,
手工業,工芸,悪知恵,狡猾,策術,企み,等の意味をあらわす。更に,
MEでは魔術,七学科をも意味した。このように,良い意味から悪い意味
まで幅広い領域に亘る“craft”が練金術の同義語として,
The Canon's Yeo-
man's Taleでは鍵語の役を演じている。16)
Trdlus
and Criseydeという作品は,
-
Chaucerの創作の謎を解く手掛かり
55 −
が隠されている宝庫である。彼の詩作との関連でよく引用される有名な箇
所で「家を建てる」際の心構えが述べられている。
For everi wight that hath an hous to founde
Ne renneth naught the werk
for to bygynne
With rakel hond, but he wol bide a stounde,
And sende his hertes line out fro withinne
Aldirfirst his purpos for to Wynne・
Al this Pandare in his herte thoughte,
And caste his werk
(Tr
ful wisely or he wroughte.
これは中世に愛読されたGeoffrey
of Vinsauf
(Geoffroi
1065-71)
de Vinsauf)のNew
Poetry (Poetria Nova)に内容が酷似した詩文がよく見られる。恐らくChaucerは「新詩学」を読んで影響を受けたと思われる。The
riest's
Taleの中で語り手は,
みを込めでO
Nun's
Vinsaufをアイロニーとユーモアを交えながら親し
Gaufred,
deere maister
soverayn” (NPT
3347)と呼び掛けて
いる。
Si quis habet fundare domum,
Impetuosa
manum:
non currit ad actum
intrinseca linea cordis
Praemetitur opus, seriemque
sub ordine certo
Interior praescribit homo, totamque
Ante manus
cordis quam
Est prius archetypus
quam
figurat
corporis; et status eius
sensilis.Ipsa poesis
Spectet in hoc speculo quae lex sit danda
poetis. (Poetria Nova 43-49) ^^^
上の引用文から明らかなように,「詩を作る」ことと「家を建てる」ことが,
建築学の用語で譬えられている。建築に取り掛かる前に熟慮は勿論のこと,
念入りに計画された設計図が必要であると同様に,作詩の場合にもそれら
が必要である。 Chaucerはこの比喩に大いに心を動かされ,それを実行に
移した。 Pandarusに劣らず,彼も作品に取りかかる前,慎重に構想を練
る巧みな大工,即ち建築家タイプの詩人であったと思われる。このような
対照的思考がPandarusのものの考え方や表現の方法を規定している。こ
−56
−
P
れは相反する言葉を利用して概念や思想をあらわす技法で「対照法」(L.
contmtio, contrast, antithesis)と呼ばれる。皮肉にもこれほど世故にたけ
たPandarusであってもCriseydeの不実を見破り,押し止めることはでき
なかったが,彼はこの技法を最大限に活用した。
A wheston is no kervyng instrument,
But yet it maketh sharppe
And
there thow
Eschuw
thow
kervyng
tolis;
woost that l have aught myswent,
that, for swich thing to the scole is;
Thus
often wise men ben war by foolys.
Thus
thow
do so, thi wit is wel bewared;
By his contrarie is every thyng declared.
For how myghte evere swetnesse han ben knowe
To him that nevere tastedbitternesse?
Ne no man may ben inly glad,l trowe,
That nevere was in sorwe or som destresse.
Eke whit by blak,by shame ek worthinesse,
Ech set by other,more for other semeth,
(Tr1 631-45)
As men may se,and so the wyse it demeth.
賢者と愚者,苦味と甘味,悲しみと喜び,白と黒,恥辱と栄誉,これら二
つの相反するものから一つの教訓が生まれる。この教訓がPandarusの人
生観,世界観の根底にある。 Chaucerはこの人物を通して自分の思想の一
端をあらわしている,と同時に彼の創作意図を披瀝している。
喜びと悲しみの間を微妙に揺れ動くCriseydeの心理を,太陽の明るさ
と雲の暗さとのコントラストによって表現している。
nne
But
In
te
right
March,
And
that
is put
oversprat
A cloudy
shyneth
chaungeth
that
Which
That
as when
thought
ofte tyme
with a cloude
wynd
the sonne
thorugh
gan
overspradde hire brighte
as for
hire
the
brigh so
his face.
to flighte,
space.
soule
thoghtes
57
a
pace,
alle,
So thatforfeerealmost she gan to falle. Tr
764-70)
Ⅱ
A. C. SpearingはChaucerの隠喩(mataphor)について次のように説明し
ている。
最も凝縮された文学的手法,即ち20世紀になって詩の精髄とみなされている手
法は隠喩である。しかし, Chaucerは殆ど独創的な隠喩を使わないでやっていく。
彼が隠喩を使うときは非常に用心して用いている。例えば,‘a
cloudy thought'
は比較的単純な隠喩で,内面の経験と天候がはっきりと等しい関係になってい
る。CriseydeがTroilusを愛するか否か,決めようとする際,彼女の情調を叙
述するためChaucerによって使われている。18)
太陽と雲,雲に包まれた思いと明るい輝いた思いを対比させて,
Criseydeの内面を象徴的に描いている。
Chaucerの創意が原典や伝統的な言葉との関連,及び言葉の反復という
視点から解明される。常套語,慣用句,直喩,諺等,極くありふれた言葉
の最も個性的でかつ典型的な使用例が「総序」に多く認められる。先ず尼
僧院長の人物描写をご覧いただきたい。
Ther
was
also a Nonne,
That of hir smylyng
ymple
a Prioresse,
was
ful
and
coy,
s
{GP
118-19)
“Symple and coy”がフランス宮廷詩,即ちロマンスに広く使われている
ことに気が付き徹底的にJohn
L. Lowesは調査した。19)Chaucerは,専ら
世俗の女性を描写する特徴的な言葉を聖職者の尼僧院長に意識的に転用し
て,その人物の虚像と実像をものの見事に焙り出した。
では,次に托鉢修道士の描写はどうなっているか。
His nekke whit was as theflour-de-lys。 (GP
托鉢修道士の首を“whit
238)
as the flour-de-lys”(AF. flour de lis, L.fl
deliciae)と形容しているのが曲者だ。この直喩は属性としてVirgin
os
或いは聖女と伝統的に結びつく傾向がある。従って,この比喩を托鉢僧に
−58
−
Mary,
当て嵌めているのが問題であろう。 Chaucerの素晴らしい比喩は賞賛に値
いするもので,この一行に彼の技巧家としての面目を充分に窺うことがで
きる。
また,一般に中世の人相学によると「首の白さ」は不身持ちや堕落の徴
候を示している。F. N. Robinsonは次のように記している。
For citations from
the physiognomists
lisping were regarded as marks
showing
that the soft white neck and the
of licentiousness or depravityo
アリストテレスは比喩について興味深いことを述べている。特に,詩人に
大切なのは,比喩を思い通り使いこなす能力を持つこと。これだけは人か
ら学ぶことが不可能で,また天才の印でもある。比喩が優れているという
うことは,即ち異なったものの中に類似点をとらえる直感力を持っている
という証拠と見なされるに充分だから。21)
顔色を描写している珍しい直喩がSir Thopasに見られる。
Sir Thopas
wax
a doghty swayn;
Whit was his face as payndemayn,
(Thop 724-26)
His lippes rede as rose;
Sir Thopas
の顔が「白い」ことを表わすのに,“payndemayn”(AF.
demeine, L. panis dominicus
ぱんを意味した。
pain
domina)を使った。この言葉は最上等の白い
or
L. D. Bensonは次のように注記している。
Poetic praise of a pink-and-white
complexion
is normally
reserved
for women
and children. as in the stock simile “red as rose”,
sometimes
coupled with the
equally common
with
“white as (lily) flower". But the comparison
fine
ayndemayn,
white bread. is unparalleled.22)
赤や白は,女性と子供の顔色を形容するとき使われる色彩語である。それ
を若い騎士見習いに結び付けたところに問題がある。しかも,前の“white
as the flour-de-lys”
と同じように,“payndemayn”との結合から聴衆が予
-
59
−
p
想もしなかった新しい世界が生じた。雰囲気として勇敢な騎士を連想させ
るよりも,逆に色白の女々しい人物を彷彿させる結果となる。
Chaucerの
詩には何でもないと思われるような表現が沢山あるが,彼がいかに技巧を
重んじたかは検討に値いする問題である。
“Still
as a stone"に類する一連の直喩は極くありふれたもので,時に,
単なる行の埋草か,
rime-tagの一つと見なされることが多い。中でも比較
的意味のある例文を引用しよう。
In stede of reste and newe
Thou
goost hom
to thy hous anoon;
And, also domb
Thou
thynges,
as any stoon,
sittestat another book
Tyl fully daswed
(HF
ys thy look.
654-58)
静かに机に座って本を読んでいる姿を石に譬えている。饒舌なPandarus
がCriseydeの裏切りを心の底まで確信して,ついに言葉を失い沈黙に至
る次の一節はどうであろうか。
This
Pandarus,
And
wiste
wel
He nought
For
sory
that al thise thynges
he seyde a soth of this,
a word
shamed
And
stant, astoned
stille
ayein to hym
of his frendes
And
As
herde,
sorwe
for his nece
hath
answerde;
he is,
don
of thise causes
ston: a word ne kowde
amys.
tweye,
he seye
(Tr
1723-29)
.
D. H. Howardは次のように興味深いコメントをしている。
Pandarusはcarpeやdiem秘奥という異教の哲学を信奉する異教徒であり,他方,語り
手はキリスト教徒である。
Pandarusは彼らの時代の人であり,語り手は我々の
時代の人である。人間は可能な間に幸運(Fortune)を利用すべきだという彼の
道徳観は他のことがら同様,
Troilusに慰安を与えることはできない。23)
Pandarusは黙る以外に方法はなく,完全に石にされてしまった。 Chaucer
−60−
の面目躍如たるものがあり,他の作家の追従を許さない。
The House of FameにDidoとEneasの話がある。
Hyt
is not al gold that glareth 。 (HF
275)
この諺はAllan
of
Lille
の“Non
teneas
aurum
totum
quod
splendet
ut
aurum”まで遡ることができる。表面のみを見てEneasを夫にしたため捨
てられたDidoの物語である。
“Apparence”(265)ど‘existence”(266)の
問題であり彼女は言葉の裏に潜んでいる本質を見抜くことができなかっ
た。彼女がただ外面で判断したために裏切られる。即ち,これは実在と仮
象との不一致を暗示的に表現している格言である。また,物語全体を集約
する格言を使用することがある。
The
Canon's
Yeoman's
Taleは卑金属を貴金属に変える練金術師の話であ
る。カンタベリーに至る道をすべて黄金と銀で舗装できると吹聴している
ペテン師の暴露話である。
But al thyng which
that shineth as the gold
(CYT 962-63)
Nis nat gold, as that l have herd it told.
弟子が話をする直前,恥ずかしくて師は遁走する。この諺は物語を発展さ
せる回転軸の働きと同時に,物語を要約する作用をしている。結局,師の
正体を暴露することになる。24)
言葉の繰り返しにChaucerの固有の表し方が認められる。これが彼の
特徴の一つである。引用に困るほど例が多すぎる。そこでThe
Duchessから一例をあげるに止める。
“In bed al naked"
作品に3回,“naked”が2回現れる。先ず,
Book of the
とその類句がこの
Seyx王の行方が分からなくな
り, Junoに祈った後にAlcioneが気を失って倒れる。そういう哀れを誘う
場面に使われる。
With that word she heng doun the hed
and fela-swowne
as cold as ston.
-
61
−
Hyr
women
kaught
raked, broghten
And
and
she,
Was
hir
in
forweped
up
bed
and
anoon
al
hi
n
forwaked,
(BD
wery;..・
122-27)
次に,語順を少し変えてMorpheusとその息子Eclympasteyrを始め,大
勢の神々がお腹を丸だしにし,大軒をかいて寝ている場面に使われる。
Somme
henge
her chyn
And
slept upryght,
And
somme
And
slepe whiles
upon
hir brest
hir hed yhed.
lay naked in her bed
the dayes
laste.
(BD174-77)
神々の寝相がユーモラスに描かれている。当時,人々は一般に「裸で寝る」
のが習慣であった。25)深刻な状況と愉快な場面とがこのように対照的に
写しだされる。最後に,陳腐な慣用句を語り手が眠る場面にChaucerは
使っている。
Loo, thus
Me
hyt was;
thoughte
thys
was
my
thus: that hyt was
sweven.
May,
And
in the dawenynge
l lay
(Me
mette
thus) in my
bed al naked
And
loked
forth, for l was
With
smale
That
had
thorgh
waked
foules a gret hep
affrayed
noyse
and
me out of my
swetnesse
slep
(BD 290-97)
of her song.
Chaucerが慣用句を三度も繰り返したことは,それぞれの状況を対比させ
るためであったと見て間違いなかろう。聴衆はこれを聴いて思わず爆笑し
たことであろう。このように同じ言葉をそれぞれ違った文脈に嵌め込むと,
必然的に様々な情緒が醸しだされる。
実は,“naked”はThe
Book
of
the
“Naked"の一般的意味は,OEDによるど‘unclothed,
62
Duchessの核心に触れる言葉である。
having
−
no
clothing
upon the body”である。しかし,この言葉が死(deth)と共起し,比喩的
意味を帯びるとその場の雰囲気は激変し,ふざけた調子はあっと言う間に
吹き飛んでしまう。
Y wrecche, that deth hath mad
al naked
Of al the blysse that ever was maked,
Yworthe
worste of alle wyghtes,
(BD
That hate my dayes and my nyghtes!
577-80)
死は万人から喜びは勿論,生命という衣をすっかり剥ぎ取ってしまう。三
回に亘る‘'al,""alle”の繰り返しに注意されたい。この言葉が結び付く先
は,黒死病で亡くなったJohn
of Gaunt の妃Blanche夫人である。
che"は英語で“White”の意味で,この詩の中では"goode
“Blan-
faire White”
(948)の愛称で呼ばれている。
For wher-so men had pleyd or waked,
Me thoghte the felawshyppe as naked・
Withouten hir that sawgh l oones
As a corowne withoute stones.
(BD
977-80)
彼女の死を「彼女のいない交際」と「宝石のない王冠」に譬えることによ
って,彼女の死を嘆く悲痛な気持ちが実に良く出ている。死は万人に必ず
訪れる。死は貴賤の別,貧富の差を問わず平等にやって来る。ここに中世
文学にお馴染みの死の平等思想が生まれる。死は全ての人々を文字通り
「裸」にしてしまう。
Chaucerは多分,少年時代からOvidの『変身物語』等を読みながら気
の利いた表現や面白い語り方に魅せられ,感化されたことであろう。当時
の学校教育では古典作家の文章を修辞的に分析する作業が生徒に課せられ
ていた。彼は「薔薇物語」や,
Boethiusの「哲学の慰め」等を翻訳して,
終生,大きな影響を受けた。多種多様な本を読み漁り,その中から優れた
言葉を拾い,まるで大伽藍を建築するかのように遠大な計画を立て丹念に
-
63
−
詩を構築していった。努力家Chaucerは持ち前の天分をいかんなく発揮
した創造的な作家であった。また,自らの詩の中で幾度も述べているよう
に,多くの先人達から言葉の穂を集めた作家であり,同時に深い教養を身
に付けた職人であった。激変する14世紀のロンドンで,当時,文化の高い
ヨーロッパの伝統を採り入れて,より広い精神世界へ入ろうとした作家で
もあった。このようにChaucerの調理したイギリス料理には,遠く離れ
たヨーロッパ世界から集められた珍しい材料がふんだんに混入されている
のが分かる。
TEXT
Larry.
D.
Benson
(ed.), The Riverside Chaucucer, 3rd Ed.
(Boston: Houghton
Mif-
flin, 1987).
NOTES
1 )
J.
A.
Burrow,
(London:
et
Ricardian
Routledge
&
あるChaucer's
Early
conventional,
original,
Tradition
&
Chaucer,
Poetry: Gower,
Kegan
Paul,
Poetry,
Langland
and
the
1971)の中で,またWolfgang
tr
A,
M.
Sym
Gawain
Clemen
(London: C.
Methuen,
1963)
の名著で
p.
129.でも
individualの問題が詳細に論じられている。Derek
Inn。ation
in
Chaucer(London
and
Po
Brewer,
Basingstoke:
Macmillan,
1982)のよ
うに題名にもなっている。
2)
Kemp
p.
5.
how
Malone,
Derek
a
OED,
4)OED,
5)
writer
treats
of
his
a
Kegan
Salter,
in
particular
s. V. originality.
Elizabeth
Chaucer(The
Johns
Hopkins
Chaucer”,REL,
5
topic
or
subject
is
University
(1964),
often
52
to
Press,
:
arrive
'To
examine
at
“The
Alliterative
Middle
English
Paul,
1977),
pp.
Revival,”MP
64
Poetry,V0l.Ⅰ(London,Henley
(1966).
and
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Pearsall,Old
Boston:Routledge
Poetry
1991),
Chaucer and Medieval
(Oxford:
&
150-188.
111-116
English
fresh
4.
and
Elizabeth Salter,
a
1. 2. 3.
原田東雄,「チョーサーの「侯爵夫人の書」を読む」(東京:学書房,
pp.
1951)
quality.'と同趣旨のことを述べている。
s. V. invention,
English
on
Brewer,“Children
appreciation
3 )
Chapters
English Tradition: Fourteenth-Century
Clarendon
Press,
-
64
1983)
−
pp.
117-140を参照されたい。
“The
Relationship
and
of
Chaucerians.
Chaucer
to
ed. D. S. Brewer
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Dorsch
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Penguin
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rt of
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1984),
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Loeb,
Boitani,
House
of Farm,
Piero
Boitani
8 )
The
rpt.
No.
1966),
194,
European
pp. 1 -38.
(1965;
Li
A.
Maxon (tr.)のHorace:
1943)や,
H.
71
(1992).
A
(tr.),Horace:
A
brought
to life in
dreams:
the
(Cambridge
of John
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Parliamentof Cambridge
Works
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Jill Mann
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of Poetry・;Classical
90-91.他にT.
the
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1969).引用はすべてこの版による.
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-
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−
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Century
Poetic
Diction,”
P
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The
Book
of the
p. 145.
■
25)
op. cit., p. 918.
66
−
(Durham:
Duchess
Old Shire
Hali,
Fly UP