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催馬楽における拍子と歌詞の リ ズムについて

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催馬楽における拍子と歌詞の リ ズムについて
催馬楽における拍子と歌詞のリズムについて
林 謙
目 次
1.前 言
2・拍 子 の 種 々 相
3.源・・藤 2 流 の 拍 子 説
4・拍子から見た催馬楽 と 原楽曲
5.歌詞 のリ ズ ム の 一般 的 原則
6.結 言
(附表)リズム的処理による催馬楽23曲の歌詞
1.前 言
平安時代の歌謡である催馬楽は今日でも一一部の人々には大きな関心をもたれている。そのもつ
魅力も今日わずかに聞くことのできる音楽的のそれよりも、むしろ変化に富んだその歌詞のもつ
文学的魅力によるものではないだろうか。催馬楽の歌詞はたしかにおもしろいが、かつて唱あれ
たものであるので音楽的な面がわからなければ得心がつかないところが多々ある。これは琴歌や
神楽にも見られることながら畳句を用いたり、はやし詞をはさんだり、無意味に近い句をならべ
たりするのも、音楽としての事情によるものであろうとは、すでに云われていることであるが、
楽譜をしらべてみるともっともとうなずけるところが少なくない。また歌謡としてのリズムにつ
いては到底音楽の面を覗かずには理解できないであろう。さらに古の人は歌詞を音楽的にどのよ
うに処理していたかについても、それに関するかなり多くの資料に恵まれた催馬楽は示唆に富む
解答を与えてくれるであろう。それにもかかわらず催馬楽の音楽的研究がほとんど未開拓のまま
に放置されているのが現状である。
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今日聞くことのできる催馬楽は江戸初期以来徐々に復興された6曲と今世紀以来、楽家や好事
家の手により再興された数曲にとどまる。しかもこれらは式楽として、あるいは尚古趣味から生
れたものであり、はじめから学問的研究に目的をおいていないから、その一部を除くとこれらを
資料としてとりあげてみてもうるところはわずかである。ところが多くの人々は今日の催馬楽を
そのまま平安朝のもののように錯覚しがちなところに、いろいろのあやまりをともなうことに気
がつかないでいるようである。これは催馬楽だけの問題ではなく、伝統をはこる唐楽・狛楽につ
いても同様で、もう一段と古い時代の姿となると十二分に要心してかからないと、ついあやまっ
た判断を下しやすいのである。平安朝の催馬楽の音楽について正しく考えようと思うならば、ど
1
うしても、もう一度古い資料をできるだけ集め比較検討してそれ自身が語るものをつかみかかる
ようにしなければならないであろう。その仕事はたとえ繁雑であってもそれほどむつかしいもの
ではないのは、催馬楽には関係資料がかなりそろっており、実証的研究もある程度まで可能であ
り、決して雲をつかむような遠い世界のことではないからである。
本稿は催馬楽全曲の音楽的研究の第1段の仕事として、そのリズムを明かにすることを目標と
してさまざまの角度からこれを考察したものである。まず催馬楽独自の拍子を判定するために、
唐・狛楽等の原楽曲のあるものとの比較検討法を採用した。そこからえた結果に基ずいて鍋島本
や天治本催馬楽等のような古譜の歌詞がどのようにリズムづけられているかをたずね、リズムづ
けのうらに古代歌謡に通ずる何かの法則性を見つけ出そうとつとめた。このようにしてリズムづ
けられた歌詞に楽譜に示された高低の音を配するときは古催馬楽は眼の前によみがえるわけであ
るが、これは第2段の仕事として本稿では取扱わない。なお以上の論証には多数の五線譜訳の提
示を要するが、紙面の都合上その発表は別の機会にゆすることにしたことを、ことわっておく。
催馬楽の古楽譜について−
催馬楽の文献は比較的に豊富であるが、本稿のような音楽的研究を主とするものにとって、も
っとも役立つものは云うまでもなく由緒のある楽譜そのものである。それらを次に列挙して短い
解説をつける。〔〕を附したものは本稿の参考にした譜本。
(1)鍋島家本催馬楽。平安朝写の歌語としてもっとも古いもの。律歌を先にあげ、呂歌を後に
する。次の天治本に未収の17首を含んでいる代り、拍子記号としてほ単に「百」を附すのみで中
にはそれすら欠くものが5首ある。この点はリズムの研究資料として天治本より一段とおとる。
源家流。〔稲荷神社影印本〕
(2)天治本催馬楽抄。奥書に天治2年春3月とあるが、現在本はそれより少し後の書写であろ
うと云う。呂歌・律歌の順に記している。拍子記号としてほ「膏」の他に小拍子ト」を附すも
の呂に9首、律に10首もあり、歌詞の細かいリズム判定上もつとも古く正しい資料を与えるもの
として高い価値をもっている。藤家流。〔古典保存会影印本〕
(3)三五要録.十二巻。.藤原師長(妙音院)撰。平安朝末の琶売譜の集成で、その巻2・3に
催馬楽の茸琶譜を律・呂の順に収めている。呂歌の目次の第32曲の難波海に「巳上載類衆等譜」
の注のあることによって、本譜説の由来を知ることができる。類衆等譜には師長の祖父、知足院
忠実または中和門宗俊を著者とする2説があるが、その催馬楽説に関するかぎり、何れにしても
天治本(の年紀)とはぼ間代の藤家の説を示すことになる。この琵琶譜には「育」や小拍子と共
に片仮名の歌詞を傍記してあるが、同じ著者の下記仁智要録と多少違うところのもののあるのほ、
伝写するうちに生じた何れかの誤りであるか、それとも始めからの差のあるもあか検討を要する
であろう。この譜には別に多数の藤家の説や、ごくわずかの源家や桂譜(源信綱の譜)や師長の
師にあたる中御門大臣(宗能)等の説をも集めて載せているし、催馬楽と比較すべき唐・狛楽の
譜をも収めている。藤家流。〔京都大学図書館蔵本〕
(4)仁智要録.十二巻。藤原師長撰。三五要録の姉妹編をなす等譜の集成で、巻2・3に催馬
楽の撃譜を収めている。譜の体裁−もっとも琵琶と挙の差はあるが一一一は三五と大同である。藤家
流。〔京都大学図書館蔵、菊亭家本〕
(5)竜笛古語。正しい書名は不明。阿倍李良の説によると基政譜(平安未)をもとに書き加え
てできたものではないかと云う。催馬楽はわずか10曲あまりであるが、鎌倉時代風の笛譜の体裁
をなしている。刺櫛の次に建久4年5月の記があり、拍子も落ち書写の誤りもある不完全な譜な
2
がら、催馬楽笛譜としてほもっとも古い面影をのこしている。〔山井家本〕
(6)催馬楽略譜。室町時代には全巻を存した五巻本催馬楽譜から曲・大曲を除く涼家相伝の全
曲を引いたものと云う。五巻本には建久8年、御室北院に進上云々の記があった由で、略譜にも
これに呼応して同年の伝授記(源資時人遺筆との注記あり)を附している。そこで本譜を建久本
催馬楽とも、または巻頭に享徳元年の催馬楽濫膀記のあるところから享徳本催馬楽と呼ぶ人もあ
る。本譜は片仮名の歌譜に笛の手つけを加えてあり、その内容・表現法は鎌倉初期の楽譜として
ふさわしいものであることを示している。源家流としては晩期の説。〔多家本〕
(7)博雅笛譜。正しくは新撰楽譜、また長秋卿笛譜、長竹譜の異名がある。源博雅撰。康保3
年の詫言をもつ唐・狛楽笛譜の集大成で現存最古の笛譜である。今日存するところは双訝・黄鐘
調・水調・盤渉調・角調の諸曲にとどまるが、それでも後世失伝の大小10数曲を収めている点に
おいて、古楽曲研究に欠くことのできない好資料である。催馬楽に関する楽曲としては、催馬楽
・夏引楽・榎粟井の3曲がある。ちなみに博雅は藤家の淵源。〔羽塚啓明写本〕
(8)綾小路家本催馬楽。享保元年、綾小路俊資が書写させた巻子本で、識語によって応永19年、
伏見殿御本が底本であったことを知る。曲数は20、その多くには楽譜がついている。楽譜を省略
した印刷本〔古典全集本、歌謡集(上)〕によっても、本譜が催馬楽略譜と同系統の源家の晩期の
説のものであることは見当がつく。源家流。
(1)寛永3年、伊勢海を始めとし、その後、安名尊・山城・更衣・席田・美濃Lhの計6曲が再興された。今
日ではもはや古典付している以上、そのものに改訂を加える必要はないであろう。これらを1部また全部
を五線譜訳したものに次のものがある。
Ch.Leroux,La musique classique japonaise〔Bulletin delaSoci6t6Franco−JaponaisedeParis〕,
1910一席関;
田辺尚雄、日本音楽講話、1919−F一更衣・席田;
兼常清佐・辻荘一、日本音楽集成、第一編第一稀、1930−全曲;
Eta Harich−Sclmeider,Brief notes.Koromogae.One of the Saibara ofJapanese Court Music
〔MonumentaNipponica,VOl・Ⅷ,SemiAnnualno・/2〕,1952−更衣; −.The present
condition ofJapanese court music〔The MusicalQuarterly,VOl.XXXIX,nO.1〕,1953一席田;
芝祐泰、雅楽(第二築、催馬楽縫譜),1956−全曲。
2.拍 子 の 種 々 相
催馬楽の音楽的研究を念願する人々の第1につきあたる壁は五拍子・三度拍子と云う独白の拍
子の謎である。拍子とは楽曲に節度を与えるために、ある間隔−一定の場合と不定の場合とが
ある−ごとにおく主拍子と、主拍子の間におくいくつかの小拍子から成立するのが普通である。
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そして主拍子と小拍子との関係によって四拍子・八拍子・只拍子等々の種類が生ずる。近世の唐
楽では主拍子は太鼓(粛鼓が附随)が主役となり、′再白子は掲鼓(ときに壱鼓)が指導する。〔奈
良時代でははるかに複雑な拍節楽器の組合せがとられたらしい。〕こうして1つの拍子のうちには
単純から複雑に至る多様のリズムの姿が見られるのである。催馬楽では主拍子も小拍子も筋拍子
だけによって打たれたもので、主拍子は名目上、拍子の首であり、歌曲1首にふくまれたその数
によって拍子数がきめらるのが式となっている。それでは催馬楽の五拍子と云い三酎白子と云う
のはどのような拍子であるか。不幸にして古書にこの2拍子の規格を明記したものはない。ただ
3
古楽譜には五拍子は「盲」と4つの「・」を、三度拍子は「首」と2つの「・」をもつことを示
すだけで、小拍子がどのようにおかれているかを明示していないのである。そこで近世の公卿が
再興にあたって拍子の判断にとまどったのも無理のないことで、その五拍子の解釈は全く支離滅
裂である。それゆえに問題の壁をやぶるためには近世の復興曲は一応白紙にもどし古楽譜そのも
のについて新らしい手がかりを求めて解決する他はないのである。この手がかりとして私は2つ
の方法をとりあげたい。
(1)催馬楽には唐・狛楽の旋律を借りたものが少なからず知られているが、そのうちにほ伝え
のたしかなものも10数曲は存している。そこで催馬楽と原曲とを順次対照してみるのである。旋
律線が合うことがわかれば同曲とみとめて、その拍子の比較をして、できるだけ原曲の拍子に実
質的に一致するように催馬楽の譜をおき、それから催馬楽独自の拍子の規格を推定するのである。
この対照は少数の曲にとどまらず、どの曲にもあてはめてみなければならない。もちろん流派の
差や伝写本の差によるわずかのくい違いのあること−これは原曲を催馬楽化するに当ってもあ
りうる−は容認したい。
(2)天治本でも三五・仁智要録でも五拍子曲がはるかに多いのに反し、略譜では三度拍子の曲
が過半をしめている。こうして同1曲でも2つの拍子をもって唱われたものが10曲ほどにのぼる
ので2拍子兼用曲をもって、2拍子の規格を相関的に知るのに役立てるのである。(1)項によって
判定した2つの拍子が同1曲の上でも矛盾なくおさまることが証明できれば(1)項の判定の正しさ
が保証されるわけである。
以上のようにして拍子の規格がわかると、次は原曲の有無にかかわらず、催馬楽全部の譜につ
いて推定拍子通りに五線譜に訳す。この場合同1曲でも2段以上もつもの、同音の他の曲−例
えば安名尊に対して新年・梅枝は同音−その他、歌・琵琶・撃・笛譜としての異説などをでき
るだけ多く集めて、これを比較しやすいように総譜表(score)風にならべるとよい。琵琶・挙譜
のようなタプラチユア(tabulature)式の楽譜をそのまま対照したところでたちどころに音の異
同が日にうつるものではない。五線譜訳がこうした研究には絶対的に必要であることを力説した
い。このような総譜表によって、流派の差、伝の違、書写の正否などが案外たやすく見出すこと
ができるし、楽曲構成もはやくのみこむことができる。旋律についてはまだまだ考究の余地があ
るが、旋律のくり返し、歌詞のはめ方、歌詞のリズム的処理などがどうなされているかもこの表
によると解答が求めやすいであろう。
ところで催馬楽の多くが実際に唱われた時代に書かれた梁塵秘抄口伝集のうちには、この2拍
子の名称は見あたらない代り現存の楽譜でも知ることのできない拍子に関する示唆に富む記事を
見出しうる。催馬楽の唱いようにはいろいろあったと見え、その拍子にも後人が想像するほど単
純なものではなかったことを、上書を通じて知ることができる。
催馬楽の唱やう、ひざうのことを催馬楽一段づつにして、拍子ノ楽拍子とり叉延ても唱なり。そのめぐりを
朝倉(神楽)、桜人(催馬楽)、異観(神楽)なんど云唱なるペし。拍子帖のごとくにつゞめて、楽に合なり。(巻12)
これは当時楽拍子、その他、何れにでも唱いうることを指したものであろう。ここに神楽の朝
倉や其駒を引いているのは、この2曲がもと催馬楽または風俗からとり入れたものであり、催馬
楽と同様に唱うことがあったからである。
其牌、催馬楽ノ楽把手・‥…朝倉、催馬楽の音にして三段に唱。(巻11=郡曲抄)
殊に朝倉は朝倉返しと称し、催馬楽拍子に唱う例があった(袖中抄)。その伝は絶えたが、こ
の拍子をつけた古語は残っている。口伝集の楽拍子とは催馬楽拍子ほどの意にとるべきで、換言
すると五拍子・三度拍子にあたるとみなしてよい。延べて唱うと云うのは延拍子にして唱うこと
4
である。この他に仲絃の名をもつ延只拍子に唱うことも明記されている。
書中十操記を引いた段に
申絃操音楽姪拍子ノ只拍子催馬楽拍子モ苛振二申絃こ合唱、然共振こ噸テ安名尊ヲ先作云云。(巻12)
とある。五拍子・三度拍子もこれを延只拍子にリズムを変えることができる。以上のことを念頭
において下文を読むときほその云う意味が通ずるであろう。
地久、桜人と倉、こま笛の拍子とりなり。相合もあり。帖のごとくにして、延て唱も、あなとふとう(安名尊)
馬破など合ペし。(巻12)
この歌(安名草・霜田を指す。)は何にてもその拍子々々こうつして巡よろしき音なり。たとへば帖の板に唱ても
めぐりとゝのひ、文楽拍子に合様に唱てもよろし。馬破の延拍子には帖なり、文中けん拍子にはその拍子を
(ふり)
あてゝめり、合に唱時は楽にをなじ。(巻14)
案ずるに都道には安名尊と鳥破、席田と烏急を組みとすることが多い。ここに記しているとこ
ろは烏破を延拍子で奏するときほ、これに合うように安名尊を帖の振に、また鳥破を中絃に奏す
るときは安名尊を延只拍子に歌うとよく似合うと云っているのであろう。以上の数例に見える帖
の拍子とか帖の擬の帖については定義らしいものが示されていないのでよくわからないが神楽の
(2)
和風の自由な拍子や唱いぶりに関係がありそうである。
このようにして平安末から鎌倉時代にかけての催馬楽の唱い方には拍子をいろいろとかえてす
るような、後世では全くわすれられている方法が存したことが明かに知られるのである。このよ
うな方法があればこそ、当時の宮延の好楽家が千遍一律の単調さにあくことなしに唱いくらし、
時にのぞんで日頃の練磨ぶりを自在に発揮できたのであろう。
ついでに口伝集に見える催馬楽の起源についての有力な説の1つと云われる挿話に対して私見
を述べたい。
先だち奄1父の仰せに、催馬楽がくの催馬楽の拍子に咽て、もと其楽より起るなるべし。風俗の音声、みじか
く、節にいやしめる声のあり。其ふりをかへて唱なり。本は催馬楽と云楽の音こめぐりて唱つゝるもの也。
妙音院相国、びわの御譜にも合せられてしらべほんべり。(巻11)
かつて臼田甚五郎氏も指摘したように、長竹譜(博雅笛譜)の黄鐘調には問題のがく(楽)の
催馬楽がある。それは序1帖、拍子7の曲で、「拾翠楽ヲ以テ破ト為ス」と注記しているから本
来、序だけの曲であったことを知る。序拍子の曲がいくつも拍子をかえて催馬楽にとり入れられ
ているとは云え、序拍子が催馬楽拍子の本体である五拍子・三度拍子と直接関係がない点から、
口伝集の上説はそのままの形で受けることができない。次にこの楽は我駒に合うとの説もあるが
(和名抄注)楽の方がかなり長すぎて、その1部をとって合わせたものとでも考えなければ、そ
の説にしたがいがたい。もっとも、これらをもって、楽の催馬楽の、歌の催馬楽に対する関係を
否定するわけではない。いつかもつと適当な説明が下される日があるであろうと思う。
催馬楽には古くから、源・藤の2流があり、その間に拍子の使用法やかぞえ方にも、それぞれ
特異のものがあった。このことも当然ここで言及すべきであるが、それには五拍子と三度拍子の
具体的智識が必要であるので、この2拍子の性格を考察した後に述べることににする。
さて五拍子と三度拍子については唐楽に同名のものがあるが、その意味はやや異っている。原
則的に云うと、唐楽の五拍子は均等の小拍子をもつ五拍子であり、三度拍子は八拍子・四拍子の
加拍子の名で楽曲のくり返しのとき、これを加えて楽の拍子の面白味を深める役をなしている。
これに反し催馬楽の五拍子・三度拍子は実質的にはそれぞれ八拍子・四拍子であり、ただその八
拍子・四拍子が打たざる小拍子をまじえ1つほ5つの拍子で、1つほ3つの拍子をもってそれぞ
れ1組の拍子を形成するものを指している。近世復興の催馬楽6曲は後記のように2つの拍子一
5
特に五拍子についてはその真義を知らないでいるもののようである。それで平安朝の2つの拍子
を推知するためにはこれらの復興曲を足がかりとすることは断念して、催馬楽のうち、唐・蔓白楽
の旋律を借りて用いているものを介して新らしい解答を求めるのが適切となるわけである。今そ
の若干曲を通じて2つの拍子の推定し方を具体的に示してみよう。
五拍子の老鼠は狛楽林歌と同曲であるから催馬楽譜と林歌の音譜を対照して旋律が一致するよ
うにならべつつ、一方未知の五拍子と既知の四拍子を適応させて五拍子の特異な性質をつかむの
である。この場合、伝の相違や写本の間の差もあることだし、必ずしも正確に一致を望むべきで
はない。それから以下の数例に見るように同一著者の手になる三五・仁智要録でも歌詞のくはり
方にかなりのずれのあるものもあるが、このことは拍子の性格を追求する上にはかかわりのない
ことである。
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\ ノ ヽ ノ
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デ デ血
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催馬楽化のときに多少の手加減を加えるのが常例であるから、2曲の旋律の根幹に少差のある
のも、ここでは問題とすべきでない。酒飲と独楽の胡徳楽も上例と大同小異である。
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・ コ コ g
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ベテ ク ベ エ ウ テ
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百 タ タ e
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ベ テ ク ベ エ ウ テ
百
一朗徳楽
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以下2例は拍子だけを対照し、旋律関係は上例に似たものであるからこれをほぶくことにする。
三度拍子の例は田中井戸に見られる。この曲は唐楽四拍子の胡飲酒被に基いている。
百 ‘ 百 ° 百 ‘ 百 ° 百 .百
(三) タ ナ カ ノ ヰド ニ ヒ カ レ ル タ ナ ギ ツ メ ツ メ ア コ メ
(仁) タ ナカ ノ ヰド ニ ヒ カレ ル ク ナ ギ ツ メツ メ ア コ メ
‘ 百 ’ 百 ° 百 ° 百 ° 百 ° 百
潮戸1
−胡飲酒破
(略) タ ナカ ノ ヰドニ ヒ カレル タ ナギ ツ メツ メ ア コ メ
’ 百 ° ’ 百 ‘ . 百 ° ’ 百 ’ ・ 百 ° . 百
田中の仁・略2譜は完全に一致する句と共に毎拍子同様の形体をとることから、この2つの三
度拍子は正しいものとして認めめてよいであろう。五拍子・三度拍子の関係を1つの曲において
示した好例は眉止自女である。この曲は唐楽四拍子の酒清司に基いている。
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・ メ ー 百
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・サ l一 サ
・ク寺ク
マ ・ ?
百 ミ ニ ミ
一滴清司
原曲のあるその他の催馬楽についても相次いで検討してみて、これらと同様の結果をえた。上
例に見る原伯の拍子は研白子であるが、ここでは延・早の2種の形をとっている。前者は早八拍
子の格に比すべきである。そこで五拍子・三度拍子を有機的に関連させるためには五拍子を八拍
子に、三度拍子を四拍子にあてた次のような規格をもつものと判断してよい。今、唐楽の拍子式
にならい、五拍子の「膏」に5、三度拍子の「百」に3の数字を附すことにする。
百
3
・
1
・
・
.
.
[ 百 ・ ・ 百
4 百 一
2
1
4 1 2 3 4
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, 百 ’ 首
子 子
1 2 3
J J コ 一 . T イ J
3 1 2 3
自 白
’ 百
百 °
八 四
8 1 2 3 4 5 6 7 8
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百 百
一
−
一
唐楽では冒頭に「百」がおかれることはほとんどないが、催馬楽では空拍子(下記参照)をふ
くめて、これがもっとも多い。狛楽にはこの2様が見られる。また犯楽には八拍子をもたないの
で狛楽に由来する催馬楽では延四拍子を五拍子にあて、四拍子を三度拍子にあてる。
もし梁塵口伝集に説くように仲絃(延只拍子)に唱うときの拍子も異説はあるが、これを紙上
に書くことはできる。唐楽の只拍子はすべて偶数の小拍子が短く、奇数のそれが長くなっている
が、催馬楽の曲も唐楽との相応位置の小拍子において、短長のリズムをもって唱うべきである。
かなりの数の曲はこの唱い方に適するような旋律構造をもっているのは特に注目すべきである。
以上のように判定した2つの拍子と近世再興の5酉の2拍子とを比べてみるとその結果は次の
ごとくである。五拍子の方は再興者が五拍子を何んであるかを知らないもののようであり、そこ
に現われた筋拍子のうち方は全く一定の規格をもたない。伊勢海には均当な五拍子と解するあや
まりがあり、安名尊・山城2曲には古譜に比べて、拍子の軽視から来る冗長の旋律が目立つ。次
に三度拍子の方はおよそ上説のものに近く次のように取扱われている。〔0枚陰の拍子で打たな
い〕
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3
2
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3
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2
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3 ………四拍子)
臼でみたところ、楽譜ではノ再白子の2黒点がつねに接近しておかれているところから近世説のよ
うな判断に達したものであろうが、それぞれ同音の五・三度拍子の4曲(酒飲・眉止自女・義山
・肯之馬)を通じて私が考えるような拍子を妥当としてよいのではないだろうか。なお再興曲で
7
も山井基清氏の手になる老鼠等の五拍子の考え方は私説に通ずるものであることを一言加えてお
く。
催馬楽に五拍子と三度拍子の2つの拍子があると云うことは、同1旋律のものでも単に2つの
拍子規格にしたがって筋拍子で拍節上の違った色合をそえると云うこと以外に、旋律のリズムに
まで何かの差を与える意図があるのではないかの疑いもないではない。しかし楽譜の上でその差
を指示することはほとんど不可能である。
催馬楽は始めの拍子についてはadlibitumに唱うのが慣例で、この部分は神楽の榊風に不均
柏に歌われる。歌出しを緩やかにするのほ唐・狛楽にも見られるところで、それは上古の遺風と
云うよりも、むしろ唐楽の感化によるものかも知れない。また催馬楽の最初の拍子「百」のおき
方にはおよそ3つの場合があり、狛朝葛記として体源抄(10下)にあげたところによると次のご
とくである。
(1)雄拍子(すなわち官)を打ちおいて歌出するもの−安名尊。
(2)声音と拍子を一度に歌出すもの−席田。
(3)歌出して後に拍子を打つもの−老鼠。
天治本におさめたものについて云うと、同音をふくめて(1)は15曲、(2)は18曲、(3)は
14曲がかぞえられる。もっとも鍋島本では拍子のつけ方が慎重さを欠くために(1)(2)の差をみ
とめることはむつかしい。(1)のような拍子を空拍子(からぴようし)と呼び、源・藤2流の
間にとり扱いに異なるところもあった。(下記参照)
空拍子を用うる歌では、歌をくり返し、または次の段の歌にうつる場合に、どのような間をお
いて空拍子を打ったのであろうか。天治本の五拍子曲では小拍子1つを捨ててこれを打ち、三五
・仁智ではそれと同様のものと、小拍子4つとも打つものとがある。元来この拍子は自由性をも
っているからあまりきびしい約束にしぼられなかったものであろうか。
(1)磨楽の四拍子・八拍子にはそれぞれ延・早の2種があり、只拍子には早只四、早只八の2種が今日用い
られている。その拍子中もつとも問題のあるのは只拍子である。今日雅楽で用いるところは文化6年勅定
になるもので、それ以師には異説があった。平安朝の只拍子の真相はなお考究の余地があるであろう。只
拍子には中絃・喘吠・中吠の3種があり、近世楽家の見解は次の書中に見える。十操記拝註(太秦広頼)、
十操記図解評註(太秦広雄・同昌隆)、只拍子ノ記(阿倍季艮)。なお今日の唐・狛楽の諸拍子について
は下記の参考書がある。山井基清、撃物総譜〔楽道撰書第1巻〕、1942;EtaHarich−Schneider,The
RhythmicalPatternsin Gagaku and Bugaku,1954.
担〕芝祐泰氏は帖の拍子を伝統的混合拍子と解し、神楽歌の唱い万の本態はこれにあると説く(同氏、唱和
大意集、神楽歌大意)。口伝集111214に散見する帖の記事から矛盾のない見解をうることはむつか
しいので、その解決を将来に期したい。
3.源・藤2流の拍子説
催馬楽そのものは同一源であるが、それが源・藤2流にわかれ、それぞれ新らしい解釈を加え
て行くうちに次第に差を生ずるに至った。これは唐楽においても見られるところである。そして
この差は異流の問だけでなしに、同流の問にも時代のへだたりによってかなりあざやかに見出さ
れる。今は問題を拍子に限定して2流の説にまま異るところのあるのは何かをたずねてみる。
(1)鍋島本と天治本は源・藤2流の古語本の好一対である。前者の拍子数にはときに誤記があ
るが、その正しいものでも後者との問に表現法の異なるものが少なからず見出される。
8
川
本
砂
芹
上表中、本滋・無力蝦・走井の3曲をのぞく他、拍子上の異説はほとんど空拍子(但し美作・
藤生野は常の拍子)の有無と、そのおき方の差にもとずくものと云ってよい。安名草を例とする
と次のごとくである。〔(百)印は空拍子に相当。〕
(鍋)
6 (百)
(百)
百 百 百 百 (百)
ア ナ タ フ ト ケ フ ノ タ フ ト サ ヤ イ ニ シ へ モ ハ レ
百 百 百 百
(百)
百 百 百 百 (百)
イ こ シ ヘ モ カ ク ヤ ア リ ケ ム ヤ ケ フ ノ タ フ ト サ
百 百 百 百
5
3
百 百 百
ア ハ レ ソ コ ヨ シ ャ ケ フ ノ タ フ ト サ
(百) 百 百 百 4
拍子数は3段とも始めに空拍子をおくと天治本のように5 5 4となり、ⅡⅢ段とも前段の末
9
に空拍子をおくと鍋島本のように6 5 3となる。同じ著者の三五・仁智の問にも空拍子のおき
方にはまま相違があり、上表に見える山城・異金次・紀伊州・石川は三五では歌の始めにおくの
に対し仁智では歌の末においているが、拍子数はすべて天粉本と一致している。また上家中には
空拍子の有無だけの2書の差のあるものもあるが、空拍子は曲の根幹からしてはさほど重要なも
のではないところから流によってはこれを加滅することもあったのであろう。こうして空拍子の
おき方による2流の拍子数の考え方の相違がここに明かに現われているわけである。それから本
滋だけが古くから源家三度拍子、藤家五拍子の対立を示していることを知るが、後には源家には
この他にも、かなりの数の三度拍子説を生じている。(下文β)参照)
もう1つ附記したいことは上表中の無力蝦の2説の差である。鍋島本が後半を拍子2にしてい
るのは、下記の難波海と共にやや無理な取扱いをしているような印象を受ける。
(鍋) 百 石
ホ ネ ナ‡ミ ミ ズ ホ ネ ナ‡ミ ミ ズ
C天) 百 百 百 百
原曲(書簡)との比較からすると、この部分の旋律前半部との比例上、天治本の拍子説を可とす
る。
また2流の拍子のおき方に少差をもつものはかなりの数にのぼる。桜人・美作・妹与我・浅緑
・席田・酒飲・高砂・貫河・走井・飛鳥井・我門・大芹・更衣・何為等がこれである。そのいち
ぢるしい例は難波海で、鍋島本には天冶本より拍子を2つ減じているために次のようなものとな
っている。
(鍋〕 百 百 百 百
・・‥‥コ ギ モ テ ノ ボ ル ヲ ブ ネ オ ホ プ ネ ック シ ツ マ デ ニ
(天〕 百 百 百 舌 百 百
ここに見られる源家の流は上記の無力蝦と共に正常なものとは思われない。その他の曲は2流
とも大同小異である。
(2)三五・仁智要録の著者は藤家の正統者であるが、2譜の中には藤家の主税の他に同歌とし
て多数の藤家の説と、ごくわずかの源家の説を併記している。曲目や拍子を見わたしたところで
も本譜がかなりよく藤家の伝統を保っていることがうなずかれる。そのうち本譜の源・藤2流の
示されたものはわずかに酒飲・難波海・我家の3曲にすぎないが、その拍子や拍子のあて方に2
流の差のみとめられるものがある。〔下表には参考までに源家の略譜説を併記する。〕
説
このように2流の問には酒飲では拍子種の差があり、難波海では拍子のあて方に、また我家で
は拍子の種とそのあて方に差違がみとめられる。源説は同流の略譜説とも一致するもの(難波梅)
としないもののあることは記憶すべきである。本譜と天治本の両説がおよそ一致することは本譜
のよりどころが、天治本とほとんど同時代につくられた同流の類衆啓譜の説である点からしても
10
了解されるが、本譜の源説と略譜説とのわずかながらの差は時代的へだたりのためと考えてもよ
いであろう。
β)平安末から鎌倉初期にかけての藤家の説は三五・仁智要録に残されたような、それ以来か
らの説と大同であると思われるのに対し、源家では以前五拍子で歌った曲でも好んで三度拍子で
歌うことが多くなったことを略譜が示している。この拍子上の変革の次第は明かでないながら、
平安末のおよそ半世紀ほどの問に現われた新説ではないかと思われる。そして鍋島本や天治本で
蛍 薔 貴 鴇 尊
は五拍子曲であった浅緑・青之馬・妹之門・席田・義山・眉止自女・酒飲・田中井戸・我家〔天
蛍 ☆
治本なし〕・我門・我門乎・大路の諸曲をすべて三度拍子で唱うようにした。このうち瀞印をつ
けたものは略譜に藤家では五拍子を用うと明記した曲である。田中井戸は三度拍子の曲として古
くから知られており、五拍子の曲は世に存しないが、上記略譜の注によって藤家にもいつか五拍
子の説の生じていたことを知る。
略譜1つに限ったことではないが、この譜には拍子の異説を示したもの(妹之門・我家・刺櫛)
や三度拍子中には同1曲の五拍子のものに比べて拍子数が2倍に満たないもの(酒飲)がある。
また同じく源家の流でありながら鍋島本(天治本も同じ)に比べて2つの三度拍子がある間隔を
もってくい違っておかれているものが10曲余りあることは、時代の経過による拍子上の1変革を
示すものであろうか。それらは美作・席田・角総・本滋・田中井戸・難波海・浅水・更衣・何為
等に見られる。下に本滋・田中井戸を例にとって、拍子のおき方の差を示してみよう。〔鍋島本
の歌詞の細かな拍子づけほ天治本や三五・仁智によって補った。〕
百夕 タ
ナ ナ
レ百ル
ギ百ギ
百キ キ
カ ル
レ
シ シ
ゲ百ゲ
百ヒ ヒ
ニ百二
ド ド
ノ
百ヰ ヰ
カ百ノ
ナ”
百々ノ タ
百ト ト
モ モ
百
百キ キ
ゲ百ゲ
シ シ
モ モ
田中井戸と慧;
百ト ト
本滋と雲;
同じ例は三五の難波海の源・藤2説の間にも見られ、要録におさめることの殊に少ない源家の
三度拍子の、少しおくれた時代の姿を略譜を通じて知ることができるわけである。
綾小路家本も2つの拍子の使い方は略譜とほとんど同じと判じられる。妹与我の末のあたりの
拍子のとり方が鍋島本・天治本とも明かに異なり、略譜とよく一致するところのあるのもその一
証である。
〔体源抄(十ノ中)に収めた催馬楽55首の中にも2流の間の異なる拍子説を併記したものが見
出されるが、重復するので、ここでは省略することにする。〕
絶)以上諸譜本の比較によって知ることのできた源藤2流の拍子説を一まとめにすると次のよ
うなことが云えるのではないかと思う。
2流の問には実質的に始めは大した差はなかったのが、拍子種のえらび方や拍子数のかぞえ方
や空拍子の使用不使用による差が生じて来た。2流とも時代と共に異説を生じたが、どちらかと
云うと藤家は保守派で、古説をいちじるしくは変えない行き方であったのに対し、源家は革進派
で、拍子の上でも変化を求めたあげく、五拍子を三度拍子に改めるものが多くなった。改変であ
るか異説であるかわからないが、藤家にもまれな例として三度拍子の田中井戸にいつか五拍子の
常説を与えたことがあげられる。ともかく、以上の見方から従来、催馬楽の楽譜としてほ完備す
るもののように思われていた三五・仁智要録は源家の説をわずかしか載せていないために、その
11
欠を略譜によって補うべきであることを確認する次第である。
4.拍子から見た催馬楽と原楽曲
催馬楽のあるものが唐・狛楽からその曲節を借りて被歌しているものであることについては古
来多くの云い伝えがある。それらのことを多少とも記載したものには、古くは鍋島本催馬楽・倭
名類衆抄(二十巻本)・梁塵秘抄口伝・〔練管要抄〕・三五要録・仁智要録・教訓抄・続教訓抄・
類軍治要・体源抄から江戸時代に入っては楽家録・玉堂雑記等がある。〔〕印伏書。古典の記載
はとかく権威のあるもののように後人に思われがちで、また高名の楽家の説も、それが楽家であ
ることから後人に過信されがちであるが、すべての説が正しいものではなく、まま誤りが混在し
ていて、どの原曲にどの催馬楽が合うかは一応検討しなおしてみる要がある。それから所謂唐楽
中には名目通りの唐製楽曲もあるが、催馬楽の原楽曲とみとめられる唐楽は、そのほとんどが平
安初期にわが国で新作せられたものが大部分であると云うことは記憶すべきである。
ここに催馬楽とその原楽曲と云い伝える楽曲との主なるものの対照表を掲げる。〔・印該当曲〕
催馬楽 原 曲 催馬楽 原 曲
上表中、全くの異説のあるもの(竹河・青柳)はどうしてそのような説を生じたものであろう
か。中には高名な楽家の書に明示してありながら実は誤っている例のある理由は次のように解せ
られるかも知らない。例えば教訓抄の著者のような唐楽の大家でも催馬楽には深くもたずさあら
ないところから、伝え誤りのある古説をも、ついそのまま転載したために、誤りを犯したとする
見解である。教訓抄を祖述した続教訓抄や体源抄の誤りも同じである。検討したところでは2説
あるものでは、三五・仁智要録や類等治要等に引用された平安中・末期代の古説・楽説−長竹
譜、竜吟抄等−の説がさすがに妥当であるのを知る。具体的な例をあげると竹河は拾翠楽昼と
同急の2説があり、前説が正しく、青柳は長生楽序と拾翠楽序の2説があるが、これも前説が正
しく、その正しいのは何れの場合も古説である。
山城・鷹山については続教訓抄に
酉王楽…‥此破山城ノ寄ノ音振様也。又上書説、鷹山ノ音也。真偽難決。
とあり、鎌倉中期でもすでにどちらか明かでないらしく思われていたように見えるが、楽譜の対
照から西王楽被が鷹山に該当することをたしかめえた。なお表中の曲では走井(甘州)のように
はぼ同曲と認められるものもあるが、比較資料を欠くために是非の判断のできない鶏鳴・我駒・
安披乃戸3曲をのぞく他の曲は、今のところうたがわしいものである。また表外のもので更衣・
何為・道ロが同音説であるのに、それぞれに別の原曲の附会説のあるのほ腑におちない。
上表について古説通り原曲と称するものとそれぞれ対照した結果、妥当と判じたものは・印を
附した18曲(同音を加えると25曲)である。もっとも同1曲と判定したものでも部分的少差のあ
るものや、かなりの差があっても同1曲とみなしてよいものもある。
ところで18の歌曲は拍子の上で原曲とどのような関係をもっているか。これをわかりやすくす
るために、それぞれの相子の種類・箇数・拍子構成・異説等を対照した黍を掲げてみよう。
催 馬 楽
(下段ハ原曲名)
拍
二子
備 考
種 l 数 l 構 成
1田中井戸
三 度 拍 子
]4[412 日
胡飲酒破
四 拍 子
目Il:4:(2 汀
2無 力 蝦
三 度 拍 子
吉 簡
四 拍 子
ニl器㍊ll説拍子612
3酒 飲l,(孟誓‡
胡 極 楽 四 拍 子
4老 鼠
五 拍 子
林 歌
四 拍 子
ユ:1:5 二I
:1:l:1:[:5:l:
5眉止自女
酒 清 司
四 拍 子; 8
13
1説拍子11
12 j 411
7 石 川l 五 拍
】214 日
白日
石 川 楽
四 拍 子 j ユ6
8 伊 勢 海
1 1
]:2!4:1〔4日〕
1説拍子10
0 0
拾翠楽破
1116i11:】
9 鷹 山
1116[11ll
酉王楽破
八 拍 子
l:1::61〔1〕1.
浅緑・妹之門
同音
10苛 之 馬
夏 引 楽
11紀 伊 州
白 浜
此殿・此殿之・
此殿奥同音
八 拍 子1 12
五 拍 子
1説拍子191715
序拍子及四拍子:
12 10
l
16青 柳
長生楽序
五 拍 子
夏引楽序
序 拍 子
18高 砂
五 拍 子
=艮生楽破
八 拍 子
聖﹁ I伊丹濡函Ⅷ10
17夏 引
催馬楽の拍子数については後にも指摘するように源家の鍋島本や略譜・綾小路本と藤家の天治
本や三五・仁智との間に若干の相違があるが、細かい拍子のわかる三五・仁智と、これに準ずる
略譜を中心とした拍子数をとり、これに対する原曲の方も異説あるものは催馬楽の拍子の説明に
適するものをとって表に入れることにした。ちなみに天治本の拍子数はこの表示のものに合って
いる。さてこの表によってもわかるように、催馬楽の拍子のとり万はおよそ次のようなものがあ
る。原曲と拍子数の一致するものは概してそのまま原曲の拍子を−この意味は「百」のおかれ
た位置如何にはかかわりがない−転用しているが(nos.3 5 6 81012131516)、その
他原曲の1部のくり返しを減じたり(nos.12)、原曲の1部を切りすてたり(nos.7 911)、
原曲に別のものを添えたり(no.4)、あるいは全体をわけて唱ったり(nos.1718)、原曲を段
によって1部切って唱う(no.14)などいろいろの方法がとられている。五拍子・三度拍子の2
拍子説をもつものは五拍子の2倍一一中にはそれより少ないもの(no.3)もあり一を三度拍子に
与えている。
これら歌詞のはめ方は原曲の楽句、楽節とよく一致するもの(nos.12)や、これに準ずる
もの(nos.3∼10)以下、原曲の切りどころと食い違うものまでいろいろの段階がある。この食
い違いは音楽的に特に注目すべき点である。なぜならば切りどころのずれによって原曲のもつ各
楽句・楽節の終止音は狂いを生じうる場合が少なくないからである。今実際にあたって検してみ
るに、ずれはあっても音としてほ全く同じであるもの(no.5)の他は、ずれの部分だけ大なり
小なりの音の差を生ずることもあるのを示している。
第1拍子 2ク 3ク 4ク 5ク 6ク 7ク 8ク
‥・1∴一° 一.一一.,−。害.i!:、一 言..i.!
言.i.言..:言.−j ∴
一層止自女
\ /一一一−/、\′一・・、−−\′一/㌧一一\/一一ノ\一一・、(一ノ\−、ノ一一一一一一、、、!一一ノー\一一\/−ノ/
第1句 2ク 3ク 4ク 5ク 6ク 7ク 8ク
上例は句切りにずれがあっても終止の音としてはあまり差のないことを示している。
二一
㌢一e。
け百一
9ク 10ク
el】 g
(mV段)
一高 砂l竺」
l
㍉
.
二一
仁㌦
l㌫・ぱ
一長生楽破
∵−1
第1拍子
l・=.‥ ∴
CⅡⅣ111甘段)
。、・.引「トゴl・...;。‥.
ー\ノー一一一一−ノ+、\一一ヽノー一一 \、・−・ Ⅰ ノ−ー \ 、ノ−−ー・/\一一\ノーノ/ \
第1句 2ク 3ク 1ク 2ク
Iと盲目
3ク
上例によって2曲の問のずれによるわずかの音の違いをみとめる。
これらの音の差も唱ってみて、それほど気にかからないところに、このようなずれの方法がと
られているのかも知らない。原曲の楽句・楽節に整然と歌詞をはめて唱うのは一面単調の感じを
与えやすいであろう。そこで歌詞の句切をずらして変化を求めたために催馬楽の多くが故意に音
のずれをもっているのではないだろうか。
音楽的立場から見て18曲については、いろいろ記すべきことがあるが、原曲不明その他の催馬
楽を一括して述べてよい段階に達しているので、すでに明かな2つの拍子によって整理できる催
馬楽全曲にあったての総合的な見解を次に考えてみたいと思う。
15
5.歌詞のリズムの一般的原則
古記や古語を通じて知られる催馬楽の拍子はおよそ以上のようなものであると私は考える。こ
のように拍子について、くわしく検討したわけは次の歌詞のリズムを考える前にできるだけ正確
な基盤をきずいておきたかったからに他ならない。五拍子や三度拍子の筋拍子の打ち方が明か
になると、その打ちどころによって厳格にし切られた担{の中に歌詞を正しくならべるととがで
き、歌詞がどのようにリズムづけられているかをしらぺる手がかりをうる。(附表参照)
催馬楽の歌譜の拍子づけを一見すると字くぼりははなはだ自由で、その間に何らの規則もない
ように思われるが、拍子と歌詞の1句1句を結びつけてながめてみると、そこに何かの約束のよ
うなものがあって、全歌曲はそれにしたがっているように感じられるのである。これは催馬楽の
ように原曲に歌詞をはめることの多い歌曲だけに見られる現象であろうか。不均相を主とする古
代歌謡にも節づけのときの何かの規準とか原則のようなものがあり、それと同じようなものが催
馬楽の上にもとり入れられて現われているのではないかと思われるのである。
催馬楽の歌詞の字くぼりをたずねるにあたっても2つの拍子の関係を念頭におく必要がある。
一般的には三度拍子2つで五拍子1つに相当することは両拍子をもつ同1曲の譜によって明かで
ある。しかしながら、三度拍子を単独に用うる多くの曲では、拍子の標準を2とするか1とする
かによって判断に差を生ずることを見逃しえない。ある1部の曲では五拍子と全く同格的に三度
拍子を用いているから、これを標準とすると本来からの三度拍子曲はあたかも五拍子のごとく、
対等に用いたのではないかとも思われるし、またある他の曲では2つの拍子をもって五拍子1つ
に対していると見る方が適当と思われるのである。その具体的な例は後に述べる。
催馬楽全曲を通じて見られる歌詞のくぼり方には、便宜上、5言と7言を対照させ、その拍子
関係にもとずいてA B Cの3種にわけて考えるのがよいかと思う。違った立場からするとこれ
とは別なわけ方もできるであろうが、1つの試案として提出することにした。
以下の例で示す符号・記号について−
(a)l ̄j内の句はごく、大ざつばには、それぞれが1つの拍子の範囲内におかれていることを示す。
Cb〕(3)(5〕(7〕……はそれぞれおよそ拍手1つにあたる1句の字数。
(C)(5−)、(7一)……はおよそ拍子2つにあたる1旬の字数、この場合2分された1句の切り目を=をもっ
て現わす、(7‥・)は(7)、(7一)の中間。
(d)「・」1旬間の歌詞の細分。例「タナカノ・ヰドニ」。〔但し=の位置にあたる「」は省略する。〕
〔e)…∼比較的長い音をもつ字。
A l句5言系と1句7言系の音の長さのとり方がおよそ対等で1:1の比をなすもの。5言
には字の過不足の場合があり、7言には字あまりのこともある。三度拍子と五拍子とでは考え方
が少し変ってくるが、この場合は5言も7言も拍子1つにあてる五拍子説をとりたい。この方が
全体的に統一のある解釈をうるであろう。公式的には5言:7言:8言は1:1:1とみなした
い。したがって平均的、概括的には7言の各字の音が5言のそれよりも短いことになる。この点
はBとはっきりした差をもつ。
B l句5言系と1句7言系の音の長さのとり方が1:2の比をなすもの。ここに云う7言は
l−l
l−l [− ̄l
内部的に.4=3(7−)、3=4(7一)、5=2(7−)等の場合があり、2分してそれぞれに拍子1
つをたもつから、公式的には 5言:4言:3言〔:2言〕ほ1:1:1〔:1〕とみなしたい。
16
したがって平均的・概括的には7言の各字の音が5言のそれらよりも長いことになる。この点は
Aとは正反対である。
下表はABにおける5言、7言(8言)の各字の平均長を対照したものである。
5 7 8
(5)−;
芸コ(7−日7一)
2 .
C 上説のABのようなをjにあてはまらないものを一括してここにおさめる。これらはほと
んど5言、7言の取扱いや拍子づけが不規則的で複雑化している。もっともこれに属する曲は少
ない。
Aの例−
次の2曲は五拍子である。
○老鼠 ニシデラノ(5)、オイネズミ(5)、ワカネズミ(5)、オムシャウ・ツムヅ(7)、ケサツムヅ(5)、
ケサツムヅ(5)、ホウシニ・マウサム(8)、シニマウセ(5)、ホウシニ・マウサム(8)、シニマウセ(5)
I
I
〇本滋(1段)モトシゲキ(5)、モトシゲキ(5)、キビノ・ナカヤア(7)、ムカシヨリ(5)・ムカシカラ(5)
次の三度拍子の2曲は1句としての5言を欠いているので、判定に迷わされるが、田中井戸に
は略譜に藤家五拍子説の記もあることだし、分類上、全曲を五拍子的に見ゆることが統一的であ
るならば、むしろAに所属させるのが適当であるかも知れない。
 ̄ ̄1 「 ̄ ̄  ̄ . ̄  ̄ 日− ̄l
l  ̄ ̄ ̄ ▼ ̄ ̄「
○田中井戸 タナカノ1ヰドモ〔7−)、ヒカレルごタナギ〔7−)・ツメツメaアコメC7一)、コアコメと
l ! ! 11 [
タリラリ(8−)、タナカノココアコメ C8−)
〔五拍子的に見ると:タナカノ・ヰドテ(7)、ヒカレル・タナギ(7)・・・〕
「 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄「!−l
l ̄ ̄ ̄  ̄′ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄=−I
l 日−I
l ̄− ̄!
○無力蝦 チカラナキーカヘル(8一)、チカラナキコカヘル(8一)、ホネナキニミミズ(7一)、ホネナキコ
rI「
ミミズ C7−)
〔五拍子的に見ると:チカテナキ・カへ!レ(8ト〕
Bの例−
次の2曲は五拍子である。
j−!
○安名尊(I段)アナ・タアト(5)、ケフノ・タブフトサ・ヤ(8一)、イニシへ空、こハと(7−)
】 l
l−l
l− ̄「l−l  ̄ ̄ ̄ ̄日−l
O此段(r紗 コノトノ二、(5)、ムべそ(3)、ムべそ・_、とこミケ′リ(7一)、サキクサノこアハと(8一)、
サキクサ、!。ヒハレ(7一)
上2例の末のはやし詞「ノ、レ」、「アノ、レ」は第Ⅱ段の末句との対照上、前句に加えて7言とみ
17
なすのが至当であろう。
三度拍子の曲では拍子の標準を2とするか、1とするかによって考え方に差の生ずるが、上記
の田中井戸や無力蝦のような曲は句の形体から云って2とするのがよいのに対し、美作の場合は
事情が全く違っている。
○美作 ミマサカヤ6)、クメノ(3)、lクメノ・サ.コLラヤマ.(7−)、サラサラニニナヨヤ(8)、サラサラここ
l−l
ナヨヤ(8一)
この三度拍子曲は五拍子の此殿とほとんど同型であるから、拍子1つを単位とすべきであろう。
﹁
⋮
∼
○難波海(天治本)ナニハノ・ウj(6j、ナニハノ・ウミ(の、コギセテFノボルし㌣一)、ヲプネ・オニ
ヽ
ヽノ
﹁ツ
7
′し
 ̄1日  ̄「 i−l
クシツ・マEデニ(7−)、イマスコシごノボレ(8一)
「ナニハノウミ」を5言の字あまりと見れば正しくBである。
Cの例−
次の1例は第4(5)句を2分するときほAにあてはまるもので、Cのうちではもっとも整然
としている。
○我門乎 ワガカドヲ(5)、トサン・カウサン(7)、ネルヲノコ(5)、ヨシコサルニラシ・ヤ(8−)、
ヨシコサルミラシ・ヤ r8−〕
他の例はほとんど不規則である。
I
「++ 日
j ̄】
○高砂(I段)タカサゴ豆(5一)、サイササゴノ(6)、タカサゴこノ(5一)(1段)ヲノヘニニタテル(7一)、
 ̄  ̄ ̄ ̄− …’ ̄l; −  ̄
シラクマ・タマッハこチ(9・‥)、タマヤナこギ(5−.)
Cに所属するものはこの他、更衣グループ(7曲)と大芹・我駒にすぎない。
A Bとも1つの拍子に対する字くぼりほ2∼8のあらゆる場合があることは共通で、任意に字
をはめているような外見はあっても、句としてみると、ここにはっきりとした差のあることがみ
とめられる。歌謡として、これを唱い、これを聞いて何らか感動するはどのものには歌詞のリズ
ムのうちにも原理的な何かがひそんでいてもよいはずではないだろうか。そして歌詞の1句中の
彿慮
各字の間にも、おのずからリズム的軽重、変化が求められる結果、ある字には他よりも比較的に
長い声が与えられがちになるのであろう。概して5言1句や7言半句(音楽上の)では前の方が
軽く取扱われ、その昔は短かく、これに対して後の方が重く取扱われ、その昔は長くなっている。
次にすでに例示したもの以外の数例をあげてみる。
A
○席田 ムシロダノ・ヤ(6)、ムシログノ(5)、イヌキノ・カハニ・ヤ(8)、スムツルノ(5)、イヌキノ・カバニヤ(8)
−‘ ̄1−「
スムツルノ(5)
○山城 ヤマシロノ(5)、コマノtワニタリノ(7一)、ウリツクリニナヨヤ(8−)、ライシナヤ(5)、
ウ
5
=
ヽ
クー
、Hノ
ツ
サイシナヤ(5)、ウ
リツクリニハレ(アーブ
18
1 1 1 1 ヨ ILllllJ
O石川 イシカハノ(5)、コマウドニ(5)、オビヲつ′ニラレテC7−)、カラキクイニスル(7−)
一般に均等の音長をもつ1旬の内部では前半が後半より字くぼりが多い。7言では前3言後4
言の句が多いために、これを音楽化して2つの拍子に分属させる場合にはおのずから前4言、後
3言と区切ることになりやすい。例えば下の例のごとくである。
葦垣 マガキ・カ
‖ノ
ニ
1 サ ハ
一
=ノ′
ニ
ヽ、ヽ
ケ.
美作 クメノ
ノへ
タ
?
マ
ノ
コ
一
l
此殿 ムベモ
﹁ ア ⋮ 1 ト ”
蓑山lトヨノ
ラヤマ
以上のようにして歌詞の字くぼりの方法を拍子を介してリズム的に考えてみたわけであるが、
実際は歌詞のずれによって相等複雑な姿を示しており、また五拍子によると三度拍子によるとに
かかわらず、字くぼりの上にはかなりのひらきのあるはど変化に富んでいる。これは一面催馬楽
そのものが雑多な起源をもつ歌曲の寄せ集めによるからであるかも知れない。同一曲でありなが
ら換歌が全く型の違うもの(我門平:大路)や共通の曲の上に、自在に曲を重ねるもの(更衣・
刺櫛・鷹子・浅水)などがあって、なかなかの多様性を示している。
催馬楽に対するこのような見方は後人である私が一定の尺度をもって古歌謡をほかることから
生れたものであり、古人はさほど深くも意識することなしに歌謡のリズムづけをこころみていた
かも知れない。とは云いながら、その時代の慣例のようなものにしたがっていたのであり、それ
であればこそ何かの法則のようなもののあることを見出しうるのであろう。
いま催馬楽全曲を歌詞の音楽的配分の如何によってABCに大別し、さらにABをリズム的に
純正なものから以下数段に分けた試案を次に掲げてみる。
A
l級…‥本態・大宮・角絵・席田・浅緑・(附〕田中井戸・無力蝦
2級‥‥‥酒飲・老鼠・眉止自女・育之席・妹之門・我門・〔我門乎〕
4級‥‥‥我家
B
l級‥・‥・美作・藤生野・難波海(天治本)
2級・・・…蓑山・石川t伊勢海・安名尊・新年・梅枝・紀別、1ト此穀・此穀之・此穀奥・鷹山・奥山・大略
・〔沢田川〕
3扱‥…・葦垣・桜人・葛城・竹河・河口・真金吹・山城・青柳‥夏引・賓河
4級‥‥‥妹与我・鈴之河・走井・飛鳥井・東屋
C
2級‥‥‥我門乎
その他…難波海(鍋島本)、高砂・庭生・大芹・浅水・刺櫛・鷹子・更衣・何為・遺口・遠路・〔我駒〕
6.緒 言
平安朝歌謡のうちもつとも豊富な音楽的資料を残しているのは催馬楽と神楽であろう。この2
つは興味のある対照を示している。催馬楽は均柏を旨とするのに対し、神楽は不均柏を旨として
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いる。風俗は前者に、朗詠は後者のグループに属する。しかしながら2つの楽には互に交り合い
がある。催馬楽がadlibitumに唱い出すのは神楽的あであるし、神楽のあるものが三度拍子や
楽拍子を用いるのは催馬楽的であると云える。
神楽は今日も相当数の曲を伝存しているとは云え、時代的な変化がかなりいちぢるしく、今日
のものはそのまま平安朝の旧でないことはもちろんである。その不完全な古歌譜から平安朝の古
い姿をしのびがたいのに反し、催馬楽はすでに一旦亡んだものの、後入には比較的理解し易い唐
楽式の琵琶・寧譜を残してくれたことはまことに幸いであった。これら古譜や古書を通じて催馬
楽がかつていろいろに唱われたものであり、自由な帖のふりにも、整然とした楽相子にも、変化
に富んだ延只拍子にも拍子をかえて唱われたり、それがまた流派により、時代により変化をもっ
たことをも知ることができる。
催馬楽の拍子については現存の古楽譜には五拍子と三度拍子の2つを記するにとどまる。思う
にこの2つが催馬楽拍子の基本であり、古人はこの2拍子から、ときに応じて帖のふりにも延只
拍子にも唱いわけることに練達していたのであろう。五拍子と三度拍子と云うものは後世の人ほ
全く忘れ果てた催馬楽独自の拍子であるが、唐・狛楽起源の催馬楽およそ18曲と原楽曲との対照
によってこの拍子の規格を知ることができる。五拍子は唐楽八拍子又は延四拍子に相当し、三度
拍子は唐楽四拍子に相当する。何故唐楽そのものと同じ拍子にしたがわないのかの問題は未決で
あるが、筋拍子1器を使用することと共にわが祖先の新工夫になるものであるかも知れない。
ともかく2つの拍子の規格が確定すると、この拍子のを{にはめられた歌詞がどのようにリズム
づけられていたかを知る段階に達することができる。全催馬楽の歌詞を拍子にしたがってならべ
てみたところ、一見雑然として歌詞の字くはりに何らの規律もなさそうに思えるのであるが、句
を標準として吟味してみると、そのうちにある傾向−1−法則が見出される。これは催馬楽1つに限
らず古代歌謡につながるものとして訓目しなければならないことを指摘したい。風俗や神楽のあ
るものや、また琴歌のうちにも相通ずるものがみとめられるのである。
催馬楽の名が史上に現れて以来千百年である。その間に源家・藤家の2流を生じ、平安時代の
上流を風靡した。この2流もその始めはさほどの差のあったものとは思われず、それぞれの問に
名人が現われては新説を加えて差を生むようになった。今日残る2流の楽譜には源家に鍋島本・
略譜・綾小路本があり、藤家に天治本・三五・仁智要録がある。これらの譜それ自身はよく2流
の消息を物語っている。どちらかと云うと源家がより進歩的に動いた注がみとめられ、また名人
も多く輩出した。藤家の定能が源家の資質・雅賢をはめたたえ、藤家に人なしと語った逸話があ
るのもさこそと思われる。そして藤家は早く亡び源家は室町時代まで余命を保った。江戸初期以
来伊勢海を始め除々に再興した曲は何れも源家の説によったものらしいが、拍子の意味を正解し
なかったためにゆがんだ姿でよみがえらせている。今後催馬楽を再興しようとするものは拍子に
もつと心すべきである。
本稿では催馬楽の音楽的研究の第1段の仕事として、そのリズムの問題をとりあげ、これを明
かにすることに専念したが、私はこれに引き続いて罪2段の旋律の問題をとりあげ、これを明白
にする仕事も遠からず果したいと念願している。(1958.10.12)
本稿の資料については、古くは亡友、羽塚啓明をはじめ平出久雄・土橋寛・吉川英史の諸氏から多くの援助
を受けたことをここに記してあっく感謝の意を表したい。
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(附表)リズム的処理による催馬楽23曲の歌詞
ここに収める催馬楽23曲はその原曲の明かなものとして本文に示した18曲及びその同音合せて
25曲の諸譜から適宜にえらんだものである。なるべく源・藤2流の譜を対照的に収めたいと思っ
たが、鍋島本は小拍子を欠くので特に多く天治本を引用した。南本とも小拍子のない曲はは三五
・仁智要録によって按配した。これも今しばらくはやむをえない処置である。三五・仁智はこれ
らの全曲を包含しているが、4曲にとどめたのは主として大治・鍋島南本を注目したかったから
である。この両本は古写本としてもっとも価値の高いものであるだけでなく、三五・仁智や略譜
にも見られない歌詞の延声文字や記号が豊富で、それがリズムの上ではどのように処理されてい
るかを示すことは本稿では格別に必要なことと思われたからである。
天治本に次いでは略譜を多く引いたのは、この譜は源家の晩期の説ながら三度拍子を多く用い
ている点が注目に催いするし、藤家の大治本と対照するのに適当と思われたからである。もっと
もこの譜をあげたくも曲譜を欠くものや、現存の写本では略記してあるもの、その他、強いてあ
げる要もないと思われたものは掲げていない。
表の歌詞をし切ったをj内は小拍子1つの長さに当る。これをテンポの緩急の差はあるが、亀
拍子1小節くらいに考えるのが便宜であろう。1至上の中央においた1字も音としては1小節の
始めにあるものとして読むべきであるが、特に右に寄せた字は1小節の後半にあるものとして読
むべきである。
拍子は主拍子「首」を「・」で現わし、小拍子は省略した。後者を記すことのほんざつになる
のをおそれてである。五拍子・三度拍子とも本文で述べたように、それぞれ一定の型があるから、
主拍子を書くだけで理解ほっくわけであろう。但し空拍子は必ずしもそれれを書きこんだを_≦_の
内にはおくべきではなく、ここでは表としての前後関係から適宜の位置に書きこんでおいた。
天治本はまれに小拍子の多い少ないがあり、同流の三五・仁智を対照としても判読にくるしむ
場合が往々にある。その箇所は判読にあやまりがあるかも知れないことを附言しておきたい。略
譜は他の譜より歌詞の切り目が多いが、そのままに符号をつけることにした。
凡 例
(天)=天治本。(鍋)こ鍋島本。(三)=三五要録。(仁)=仁智要録。
(申)=中御門大臣説〔三五記載)。(〕0=三五・仁習参凧っ(略〕=催馬楽略譜。
、二歌詞のミまたU C引)。 tヒ主拍子、百。f・ノご空拍子。,=息切り。
」==歌詞の段略 伊勢海・夏引に用う。また終りを示すにも用う。
i::)=くり返し。〔〕=脱略。 ‥・=判読した小泊手不足の部分。
21
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城
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−
1
一 ハ ワ セ イ
1
・ケ・ナ・ハ・モ
一 夕 ハ カ マ
−
一
青
柳
弓
夏
河
27
〔昭和三十三年十月二十三日受理〕
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