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こちら - まちや紳士録
■ 文化遺産を活用した景観まちづくりの展開 【作成者】福岡県八女市: 2015 年 09 月現在 八女文化遺産保存・活用ネットワーク事務局長 北島 email: [email protected] 八女福島の現場から つとむ 力 HP:http://yame-machiya.net/ 往還道路に沿って「町人地」を配したと考えられる。 や め し ●八女市の概要 町人地の敷地はこの往還道路と中堀・外堀の間に短冊 八女市は福岡県南部に位置し、福岡市より 45Km、 状に地割がなされている。元和 6 年(1620)当地は 九州自動車道を使えば車で約 1 時間弱と近いので福 久留米藩有馬豊氏の支配下となり、福島城は廃城とな 岡都市圏への通勤圏ではあるが、人口は 7 万弱の地方 ったが、町人地はその後も八女地方の交通の要衝の地 の小都市である。市域の多くが山間部で占め、平野部 として、また、経済の中心地として発展する。福島は は、福岡、大分県境に源を発し、有明海に注ぐ矢部川 城下町としては短期間であったが、その間に都市の主 ほし の が わ が星野川と合流する地点より西側に開けた扇状地で 要な骨格ができたと思われ、 ある。 たいこう 古代の八女地方は、大和朝廷(継体天皇時代)に対抗 た た か っ た つくしの きみ いわ い はか いわとやま こ して戦った筑紫君磐井の墓とされる岩戸山古墳をは じめ、全国に知られる八女古墳群がある。これは、古 代から定住の条件にかない筑紫国の中心として栄え たことを示している。 沃な耕土と豊かな自然環境に恵まれ、ブランドの八 女茶、電照菊を中心にした全国に有数の農芸都市とし て知られている。 また、手工芸のまち、職人のまちでもある。中世に 起源を持つといわれる手漉き和紙や石燈籠、近世に始 まる仏壇、提灯、絣などといった多種多様な手工芸は 江戸時代に産業としての基盤が形づくられ、現在に至 るまで綿々と受け継がれている。今でもこれらの伝統 産業に携わる職人も多い。 や め ふくしま ●八女福島の歴史 城下町から在方町へ 八女市の市街地・福島は天正 15 年(1587)筑紫広門 が築いた福島城を、慶長 5 年(1600)関が原の戦い で功を上げ、筑後一円 32 万 5 千石(柳河城を本拠と した)に抜擢された田中吉政が、支城として大修築し、 城下町をつくった後、大きく栄える。福島城は三重の 今も本丸跡、城堀跡の水路、屈曲した道路網等当時 堀によって囲み、中堀・外堀の南半には城を迂回する の面影を残している。 1 や ば ら まち ふるまつ まち う開発などから免れ、現在でも矢原町・古松 町・ きょうまち み や の まち こ ん や まち 京 町 ・宮野町・紺屋町には、伝統的町家建築が多く 残っている。 これらの存在は市街地の個性ある固有の景観をつ くりだす貴重な歴史的文化遺産となっている。 近世以降八女地方は、和紙、ハゼ蝋、提灯、仏壇、 石工品、茶など様々な特産品の開発やそれを素材とし た工芸品の創作に取組んできた。農産物の生産・流通 の拠点であることに加え、積極的な商工業の振興によ る富の蓄積で重厚な商家が連続する町並みを形成し ていった。 ●近代化とモータリゼーション発展は 都市構造を大きく変えた 福島は明治に入っても往還道路沿いの町並みは依 然として中心街として栄えたが、徐々に近代化の洗礼 を受けることとなった。明治後期に入るとまちの北側 に西から東へ国道 442 号、東側に北から南に国道 3 号が整備され、国鉄(現 JR)羽犬塚駅から「南筑馬 車軌道」や久留米から「三井電気軌道」が通じ、交通 網の整備や手段により国道 442 号と国道 3 号が交わ ●八女福島の町家建築 どばし いぐら る土橋が八女の地の玄関口として栄えることとなっ 福島の町家建築の特徴は、 「居蔵」と呼ばれる妻入 た。1945 年(S20)国鉄矢部線が開通し、その繁栄 入母屋大壁塗込造りを基本とする防火構造の土蔵造 は戦後まで続いたが、ライフスタイルの変化、とりわ りで、江戸時代以来しばしば大火に襲われたことから、 け車の利用は、中心街の渋滞と生活圏の拡大をもたら 江戸末期から明治にかけて建てられた。 し、次第にまちはその骨格を作り直す必要を迫られた。 主屋は3~4間の梁間に小屋組みをかけ、両側に袖 1958 年(S33)三井電気軌動の廃止、昭和 40 年代以 下屋を下ろす形式である。1階の部屋の配列は3~4 降には国道 3 号のバイパスの完成、九州自動車道八女 室の部屋を一列に並べ、通り土間を配している。江戸 インターの開設、国鉄(現 JR)矢部線の廃止、福島 末期から明治前期の町家では商品の荷揚げに利用し を四角に囲む環状線道路の完成などにより車社会中 た吹き抜けが設けられている。主屋の座敷に面して中 心のまちの骨格が形成された。 庭をとり、それを囲むように廻された廊下に接して便 こうした都市構造の変化は、商業機能が中心部から 所と風呂場が置かれている。通り土間の奥には炊事場 国道 3 号バイパスや環状線道路沿いにシフトするこ が設けられその奥は離れ座敷から蔵へと続く。この基 ととなった。一方で、往還道路沿いの町並みは、商業 本的な「型」を共通項として、それぞれの敷地形態や 機能は失ったものの戦災やモータリゼーションに伴 建物の規模に応じた多様性を許容しながら、しかも全 2 体として統一性が保たれている。 間口が狭く奥行きの長い敷地割ゆえに考案された 中庭や通り土間の存在は空間構成の質の高さを感じ させる。これらの江戸時代から昭和初期までの様々な 町家建築は、変化ある町並み景観を楽しませてくれる。 東宮野町の町並み また、明治中期・昭和初期の二度の道路拡幅に伴う 町家の軒切りにより、町家正面の一階意匠が大きく変 化しているが、二階意匠は多くが旧状をとどめている。 これも八女福島の特徴である。 八女福島の町並み説明図 3 めぐる小さな旅”をテーマとする「八女白壁ギャラリ ー」など町並みを舞台としたイベントが、様々なまち づくり団体が参画して実行委員会方式で取組まれ、定 着してきている。 ●町並みを保存・継承する市民活動 ●市民と行政が協働するまちづくりの展開 国の支援事業として「街なみ環境整備事業」 「伝 統的建造物群保存地区保存事業」を活用 市は、1993 年度(H5)1 月の市長選挙で「町並み 保存」を公約に掲げた 34 歳の若い市長が当選し、前 述の町並みを保存活用する市民のまちづくり活動の気 運に応えて、住民活動を支援する形で建築物等の修 理・修景事業や住環境の整備を行うために、建設省(現 国土交通省)の「街なみ環境整備事業」の導入を取組 み、1995 年度(H7)から事業をスタートさせた。1997 八女町屋まつりの夜のあかり 市民が八女福島の町並みの価値に気づくきっかけと 年(H9)5 月には町並みの情報発信の拠点、そして市 ひがしきょうまち なったのは、1988 年(S63)に東 京 町 の「旧木下 民の交流の場として造り酒屋跡を買収整備し「横町町 家住宅」 (堺屋)が市に寄贈され、修理・復原された(公 家交流館」を開館した。 開は 1992 年(H4) )ことに始まる。また、1991 年(H 事業導入に先立って、1994 年度(H6)には事業対 3)の大型台風によって被害を受けた町家が取り壊さ 象地区の住民によって「景観のまちづくり協定」が締 れて空き地になるなど、町並みが歯抜け状況になるの 結され、協定者の代表による「八女福島伝統的町並み を見て危機感を感じた市民有志が、 勉強会を重ね 1993 協定運営委員会」が組織された。 年(H5)にまちづくり活動を展開する市民団体「八 この住民組織は、事業内容やまちづくりについて協 女・本町筋を愛する会」を発足させ、 「八女町屋まつり」 議し、地元住民と行政との調整をする役割も担う。 をスタートさせた。この影響で八女福島の町並みに市 徐々に保存整備の成果が見えてくるにつれ、建築物 民や観光客の関心が向けられるようになった。 さらに、 等の修理・修景事業に対して、長期に継続して国の支 1994 年(H6)にはまちづくり団体「八女ふるさと塾」 援制度が受けられる文化庁の「伝統的建造物群保存地 が新たに発足し、八女福島の町並みを活かすまちづく 区制度」 (=伝建制度)を導入できないかと模索が始ま り活動が、 市民が主体的に実践する形で充実してきた。 り、住民団体と市が一致協力して取組んだ。 現在、地場産業でもある雛人形をアピールする「雛の 1996~1997 年度(H8~9)に国の支援で保存対策 里・八女ぼんぼりまつり」や町家を活用して“暮らしを 調査(調査団:九州大学(当時・九州芸術工科大学) 4 の宮本雅明教授と西山徳明教授が中心メンバー)を行 役を果たしてくれ、一年間を超える住民組織と行政の い、学術的に高い評価を受けた。その後、市は、 一致協力した取組みの中で、75%を超える住民同意を 八女福島のまちづくり推進体制 住民 協定者 許可・助成・指導・ 相談・申請 意見収拾 ・ 啓発 ・ 指導 ★ 行政 (八女市) ★ 諮問機関 ★ 住民の推進機関 町並みプロジェクトチーム 諮問 八女市 【構成】 検討依頼 伝統的建造物群保存 ・都市計画課 地区審議会 【構成】 ・学識経験者 ・地元住民 代表 ・関係機関・団体 代表 答申 代表者委任 ・ 相談 ★ まちづくり団体 八女福島伝統的町並み 協定運営委員会 (町並み景観係・都市計画係) 協力 ・文化課 (文化財係) ・建設課 (道路・河川係) ・市長公室(企画政策係) ・行財政改革推進課(財政係) ・観光振興課 協力 町並みガイドの会 ● ● ● ● ● ● 八女・本町筋を愛する会 八女ふるさと塾 NPO 八女町家再生応援団 八女福島町家保存機構 八女福島丸林本家保存機構 NPO 八女文化振興機構 空き家活用委員会 事務局 事務局 ★ 専門家 ・九州大学 ・久留米工業大学 ・地元建築家 ★ 事務局 都市計画課 (町並み景観係) 相談 支援 事務局 ★ 設計・施工 相談 NPO法人 八女町並みデザイン研究会 助言 町並みを活かしたまちづくり事業を一本化し推進する 得ることができた。 ため、1999 年(H11)市商工観光課に特徴あるまち 第二の山は、市全体への市民的合意形成である。市 づくり係を設置し、予定保存地区内の住民の合意形成 民の代表である市議会で、伝建制度を盛り込んだ「景 を積極的に取組み、2001 年(H13)6 月に「八女市文 観条例」を可決し、制定することが必要である。本施 化的景観条例」 (文化景観=地域性豊かな伝統的な建造 策はまちづくりの大きな柱であるとともに、長期的に 物群と周囲の大切な環境とが一体となって、地域の歴 継続して予算確保も必要である。住民と市が一致協力 史と文化を表している景観のことである。)を制定した。 してこの文化遺産を保存継承していくという姿勢を議 同年 12 月末に保存地区の都市計画決定を行い、伝建 会で丁寧に粘り強く説明を行った。議員各位に住民の 制度をスタートさせるとともに、2002 年(H14)5 情熱とそれに裏打ちされた市の積極的姿勢が理解され、 月に国の「重要伝統的建造物群保存地区」(=重伝建地区、 同条例は満場一致で可決された。 全国 61 番目)の選定を受けることとなった。 第三の山は、保存地区の都市計画決定である。30 年 しかし、伝建制度導入への道のりは想像以上に困難 以上も前のこととは言え、保存地区の中央を南北に計 を極めたといえる。三つの大きな山を超えて(保存対 画された都市計画道路計画があった。現在の幅員9m 策調査から 5 年の歳月を要した。 ) 導入にこぎつけた。 を計画どおりに 22m~25m に拡幅すれば保存地区は まず第一の山は、住民の合意形成である。建築行為へ 真二つに分断され、 町並みを壊してしまうことになる。 のルールづくり(高さは二階建てまで、通りに面したも 中止を含めた大胆な見直しが必要だが、見直しには 5 のの構造は木造など)を行い町家群等の文化遺産を半 年ほどの時間がかかる。この課題にも住民の情熱と市 永久的に維持しなければならない。街なみ環境整備事 の積極的姿勢が功を奏し、 「今後、都市計画マスタープ 業の実績があり住民意識は少しずつ向上していたのに ランを策定し、早い時期に見直しをする。 」ということ 加えて、市民活動の活発化などでリーダーたちが先導 5 で前に進むことができた。 の重伝建地区選定から 9 年後に中心市街地内の町並み 表1 街なみ環境整備事業(国土交通省)の概要 保存地区にかかわる 2 路線に、東西の 1 路線を加えた ○事業年度 :1994~2013 年度(H6~25、20 年間)、 2014~2018 年度(H26~30、5 年間延長) ○主な事業 :伝統的な建造物等の修理・修景、旧往還 道整備( 1,440m ) 、水路の整備( 2,400 m)、 街路灯や案内サインの整備ほか ○区域面積(整備促進区域・事業地区) 94.2ha※P3 の図参照 ○区域内住宅戸数 995 戸 ○まちづくり協定締結区域 47.74ha (74%・424 世 帯締結) +46.46 ha 追加 ●〔伝統的な建造物等の修理・修景事業の実績〕 ・H7~25 年度 49 件(主屋 32、離れ 2、本殿 1、土蔵 4、 倉庫1、山門 1、塀 3、看板 1、ゴミ置場 1、 参道 2) ●〔公共施設整備〕 ・H8 年度 1 施設 麹屋(造り酒屋)を復元、横町町家交 流館としてオープン。 情報発信基地として活躍中。 ・H14~25 年度 街灯整備 151 基 ・H22~24 年度 旧往還道整備 1,440m 長期未着手路線である 3 路線を一気に見直そうという ことで行政内部を固め、住民の合意を得て、ようやく廃 止等の手続きを終了している。 ●伝建地区周辺のまちづくり資源 繁栄の記憶を魅力づくりへ 表 2 伝統的建造物群保存地区(文化庁)の概要 ○保存地区の名称:八女市八女福島伝統的建造物群保存地区 (2002 年(H14)5 月 23 日選定) ○保存地区の面積:約 19.8ha ※範囲はP3 の図を参照。 伝統的建造物 主屋 125、離れ座敷 15、土蔵 33、袖蔵 3、 (建築物) 倉庫 20 を中心に 215 件 伝統的建造物 護岸 132、石碑40、燈籠 28、塀 26、祠 20、 (工作物) 石柵 19、水盤 13、石積み 11、石段 10 を中 心に 352 件 環境物件 樹木 110、庭園 6、樹林地 4 を中心に 128 件 ●〔伝統的な建造物の修理等実績〕 今後、年間約6~8件の 保存修理事業を計画的に推進の予定。 ・H14~25 年度 建築物:62 棟 (主屋 39、社寺 3、土蔵 6、離れ座敷 4、小堂 2、社務所 1、 楼門 1、倉庫 5、工場 1)※うち主屋修景 1 工作物:15 件(水門1、塀 6、上屋 2、手水舎 2、鳥居 2、灯 籠 2、石積み1) ○防災施設整備(初期消火用消火栓等・H22~23) 32 基 本市の特質として、市街地において、中心商店街と伝 統的町並み地区をどう連携させて全体の賑わいづくり をいかに進めていくかも課題である。 貴重な資源として土橋行政区には、 土橋八幡宮境内に 「土橋市場」がある。戦後、台湾から引き上げた人たち が境内に市場を始めたのが始まりで、 色んな店が集まる 土橋市場へと発展し、 華やかりし頃は八女地区で一番の 初期消火用消火栓整備 飲み屋街であった。近年は、空き店舗も増え寂しい状況 なお、都市計画道路の計画見直しは時間を要した。国 6 なっていが、 現在は若い人が雑貨店やカフェ等を開店し、 造等を学び、地元建築士の立場から町並み保存のあり 賑わいが徐々に戻りつつある。また、通をへだてて近く 方を考え、本物を残していくために福岡県建築士会八 に堂々とした 「木造アーケード」 の旧土橋商店街がある。 女支部の八女市居住者が中心に建築集団 ( 「NPO法人 昭和 20 年代に土橋銀座と呼ばれ大変賑わったそうであ 八女町並みデザイン研究会」 、以下「町並みデザイン研 るが、今は、多くが廃墟のような状態となっており、再 究会」という。 )を発足させ、住民への修理・修景事業 生活用に向けたアプローチが望まれる。 等の相談活動をはじめ、その事業実施にあたっての設 一方、国道 442 号と旧国道 3 号沿いに中心商店街が 計監理及び施工工事を担当し、現場での技術の研修会 あり、現在は、シャッター通りと揶揄されるように社会 を行い、技術の向上・継承に努めている。 の変化の中に取り残されている状況にある。しかし、当 「修理の伝統技術 」 時の繁栄を偲ばせる存在感ある建築物が点在し、 大正時 代や昭和初期のアールヌーボー、 アールデコの影響を受 けた洋風建築をはじめ、 色々な伝統的な建築物が残って いる。したがって、歴史的市街地の景観形成を誘導する 梁の継ぎと入替え 中で、 各商店街の努力と有機的に結合させつつ賑わいづ くりをめざしている。 土壁、柱の根継ぎ ●保存継承に二つのシステム構築が不可欠 1)第一は保存技術を継承する建築集団 永尾家 2012 年度(上修理前、下修理後) (2012年・H24:永尾家) 修理後の内部仕上げ(居間空間) 修理後の内部仕上げ(キッチン) 2000 年(H12)には伝統技法を駆使した町家の構 28 7 また、小学生の社会学習の一環として、町家の修理 事業が行われ地元の多くの建築関係者が携わることに 現場で、土壁塗り、土間のたたき締めや外壁のべんが なり、一定の経済効果もある。 )行政はそれを積極的に ら柿渋塗り等の体験学習など、積極的な取組みが展開 仕掛け、仕組みとして成熟させるためのサポートが重 されている。 要である。 八女福島はそれを試行錯誤しながら、実践している。 ◇八女福島における建築技術集団の役割◇ 住民 協定者 修理・修景 設計・施工依頼 ★専門家 ・九州大学 ・久留米工業大学 相談 ★住民の 推進機関 委員参画 八女福島町並 み保存会 ★設計・施工 助言・指導 ★諮問機関 八女市伝統的建造物 群保存地区審議会 NPO八女町並み デザイン研究会 委員参画 調査等依頼 相談 事務局 事務局 ★行政 地域づくり文化振興課 (町並み景観係) 団体名:NPO法人 八女町並みデザイン研究会 所在地:〒834-0031 福岡県八女市本町 315 連絡先:理事長・中島孝行 0943-22-5804 E-mail:[email protected] http : //yame-machiya.net「八女町家ねっと」 会員数:正会員 54 名(建築士 15、工務店 35、職人等 4) 年会費:正会員 3,000 円、賛助会員 10,000 円 設立年月日:2000(H12)年 4 月 2)第二は空き町家の保存活用 ◇空き家(町家等)の問題◇ 社会構造の変化 中心市街地は空洞化、農村は過疎化・人口の流出・少子高齢化 ↓ 空き家の増加・長期化 ↓ 建物の老朽化の進行→放置住宅 ↓ コミュニティ活動・ 防災活動・生活環境・賑わいづくり に支障 重要なことは、行政の職員は、宿命として人事異動 があり、数年すれば替わる。新しい担当者は、また壱 から勉強しなければならない。しかし、地元の建築士 や大工等の職人が建築の専門家として、継続的に活動 空き家活用 をしていけば、生業をキープしながら技術もおのずと 継承されていく。 (八女福島では、1 年間に国土交通省 町並み保存 の補助事業で平均約 2 棟 30,000~40,000 千円、文化 庁の補助事業で平均約5~7 棟 80,000~12,000 千円の 8 地域活性化 21 設)を推進し、賃貸契約及び売買契約を含めて様々な ◇空き家の再生活用の仕組みの例◇ (所有者が事業主体) サポート活動を展開している。 ≪通常のパターン≫ ◇住宅として活用◇: 空き家 (伝統家屋) 所有者(事業者・自己資金) 所有者が市補助事業で修理し、賃貸活用 修理前 ・伝統家屋の利活用=修理再生事 業 ・修理再生した伝統家屋で店舗、 工房、住宅等として賃貸活用を展 開 ・市は、賑わい 創出、定住促進 を推進するため、 伝建事業、国交 省事業等で伝統 家屋の修理を支 援 大坪家主屋「2005年(H17)度修理」 ・伝統家屋の修理再生事業 の設計・施工等の支援 ・店舗、工房、住宅として 利用希望者を斡旋 修理後 支援 補助 NPO法人等 まちづくり団体 行政 (国・市) 9 入居者 2006.10〜 ◇セレクトショップとして活用◇ ◇空き家の再生活用の仕組みの例◇ (NPO等が事業主体) ≪その2:創造型・代行の仕組み≫ 【うなぎの寝床】 2005年(H17)修理 修理後 空き家 (伝統家屋) 所有者 定期使用貸借契約 来訪者へ地域の手仕事のよさ を伝える。 会 員 金融機関 修理後の内部 資金調達 行政 (国・市) 補助 ・市は、滞在・体験 型のツーリズム及び 定住施策を推進する ため、伝建事業、国 交省事業等で伝統家 屋の修理を支援 木のお弁当箱 NPO法人等 まちづくり団体 (事業者) ・伝統家屋の利活用= 修理再生事業 ・修理再生した伝統家 屋で各種まちづくり事 業を展開 移 住 者 受 35 入 ◇時代に対応する活用◇: 市街地の空洞化に拍車をかけている少子高齢化の 修理前 高橋家主屋を利用して「宅老所」 入居者が内部改修して、 賃貸で活用 進行は、歯止めがかかるどころか深刻な影響を地域に 落としている。特に伝統家屋の空き家の増加は年々増 宅老所の内部 え続け、有効な手立てが望まれている。そこで、八女 福島は空き家の解消に向けて、2003 年(H15)に空 オープン 2013年4月〜 き家再生の専門集団( 「NP0法人八女町家再生応援 団」 、以下「町家再生応援団」という。 )を発足させ、 空き家の紹介・マッチング活動を開始した。それを受 けて、2004 年(H16)住民組織は、町並みに関係す るまちづくり団体に呼びかけ、 「八女福島空き家活用 借り手の空き家の活用内容は、飲食店が多いほか、 委員会」を立ち上げ情報の共有を行い再生活用に力を 住居を兼ねたギャラリー・手仕事工房兼住宅、住宅な 入れている。 空き家の実態調査に基づいて、所有者 ど様々だが、専門集団発足以降、約 46 軒の空き家が再 と借り手等のマッチング活動(町家再生応援団は空き 生活用され、徐々にではあるが実績を上げている。最近 家を紹介するホームページを「八女町家ねっと」を開 の傾向として、市外からの若い人の入居が目立つよう 9 になっている。 団体名:NPO法人 八女町家再生応援団 ◇需要に対応する活用◇: 事務所:〒834-0031 福岡県八女市本町 264 町家を利用して「ゲストハウス」 正面 来訪者の八女の新し い発見の場に・・・ オープン 2014年4月〜 連絡先:副代表・ 北島 力(きたじま つとむ) :090-8413-6128、email: [email protected] 2階・宿 所 http ://yame-machiya.net 「八女町家ねっと」 会員数:14 名 年会費:5,000 円 設立年月日:2003(H15)年 8 月 1階 共有 スペ ース ●八女福島のまちづくりの特徴 ◇八女福島の活動:日本ユネスコ・プロジェクト未来遺産登録 ◇ 重要なことは、空き家を活用し、人が住むなり、店 を構えれば、小さいけれど経済活動が生まれるという 需要減少による町家 を支える伝統建築技 術の後継者の減少 ことである。ポイントは、新しく入る人の人柄である。 少子高齢化の進行や空洞化が進む中、新しいコミュニ ティーの担い手になる期待も生まれる。これらへのサ 少子高齢化・市街地 空洞化による 空き町家の増加 【プロジェクトの目標】 ポートは行政の業務ではないと消極的になりがちで ある。しかし、深刻な課題であり、どう対応していく 伝統建築技術の継承 空き町家の保存再生 ≪八女町並みデザイン研究会≫ ≪八女町家再生応援団≫ かの動きは自然発生的には起こらないので、行政はそ プロジェクト未来遺産 2010登録 れを積極的に仕掛け調整し、仕組みづくりに向けたサ 「八女福島遺産」 全体の保存継承 ポートが必要である。 八女福島はこれも試行錯誤しながら、実践している。 町家再生応援団と町並みデザイン研究会の二つの 図‐3 八女福島空き家活用委員会の体制図(2004 年発足) NPO団体の協働プロジェクト「伝統家屋の空き家の 住民 代表者委任 ・相談 協定者 ★まちづくり団体 再生・活用と伝統構法の育成・継承を推進する」取組 ○八女・本町筋を愛する会 ○八女ふるさと塾 ○NPO 八女文化振興機構 みは、プロジェクトとして展開している。これが、八 ・情報提供 そして、プロジェクトは、 (公社)日本ユネスコ協会 ★事業推進住民組織 八女福島町並み保存会 意見収集・ 啓発・指導 空き家活用委員会 女福島のまちづくりの特徴である。 連盟が 2009 年から進める、 「プロジェクト未来遺産」 ★町家保存活用 ★設計・施工 事務局 (日本の各地域の文化・自然遺産を未来へと伝える NPO 八女町家再生応援団 NPO八女町並み デザイン研究会 人々の先駆的な活動を毎年選考して登録)として、そ ★行政 ・家屋調査 ・応急処置 協力 地域づくり文化振興課 (町並み景観係) ・HP等で町家 の紹介、PR の第一号で登録されている。この登録に恥じないよう に全国のモデルとして、空き家の保存・再生と、伝統 支援 的な建築技術の継承の取組みを継続的に推進している。 【空き家活用の活動のポイント】 ○地域事情に対応した取組みと官民協働の推進 (地価・賃料の相場の違いなど地域事情がある) ● 自然景観や文化遺産を活用するまちづくり ○課題を有志と共有し、組織づくり の展開 (不動産にも知識のある協力者を探す) ○地元住民組織の保存会等との協働事業の展開 ○結果を求めすぎない(まちづくりである) ○新住民へのフォローを継続的に 10 その課題と展望 八女市は、水と緑に恵まれ、悠久の歴史の中で、伝 統文化が培われた文化都市である。市内には雄大な自 然景観の中に古代から近世に至る歴史景観が展開し、 その中で住民の生活が日々営まれている。1991 年(H 3 年)には「八女市個性ある地域づくり推進計画報告 書 ~八女伝統工芸文化都市~」をとりまとめ、景観 に対する取組みはそこから始まった。 八女市は 2006 年 10 月上陽町と合併後、2010 年 2 月黒木町、立花町、矢部村、星野村と合併し、市域は 北九州市に次いで県内2番目となり、自然景観や山村 集落景観の保全が重要になっている。 矢部川(八女市矢原付近) 2005 年(H17)景観法が全面施行後、全国の多く の市町村が景観行政団体になり、各地で景観に関する 取組みが本格化している。 福岡県は、景観法制定を契機に一級河川である矢部川 を骨格とした広域の景観づくりを先駆的に取組み、矢 部川流域の周辺市町村(上流域から旧矢部村・星野村・ 黒木町・上陽町・立花町、八女市、筑後市、大木町、 みやま市、柳川市)に働きかけ「矢部川流域景観テー マ協定」が 2007 年 5 月に締結され、2009 年 7 月に「矢 部川流域景観計画」が施行された。 星野村の棚田 八女市上陽町の納又集落(集落と茶畑の山村景観) 黒木町の矢部川三ヶ名堰・花巡廻水路落水口 2007 年 5 月に景観行政団体になった八女市は、歴史 や文化、伝統を現す「八女らしい景観」として、 「八女 福島・黒木・北川内の歴史的町並み景観」 「岩戸山古墳 に代表される八女古墳群の景観」 「農村集落・田園の景 観」 「伝統産業の集落景観」 「茶畑と山村集落景観」 「眼 鏡橋群の景観」 「矢部川・星野川に代表される河川景観 と廻水路群の景観」 (廻水路は柳川藩と久留米藩の水の 争いの中で生まれたシステム) 「棚田群及び山村集落・ 山並みの景観」等を、後世に継承すべきその候補として 八女市上陽町の飯塚(集落と茶畑の山村景観) 11 捉えている。また、創造していく景観として、社会の発 ーワードに広域的にその資源のネットワーク化、建築 展とともに創られている「幹線道路の沿道景観」 「新し 版の循環型社会づくりをめざす地場産住宅の開発と推 い建造物等の建築景観」 などを誘導していくべきその候 進による生業の維持、都市と農村の交流を含めた交流 補として捉えている。 人口の拡大や地域全体に保全型及び創造型の景観まち このような景観資源等の調査を行って、 景観特性及び づくり施策を追求することで、八女の個性豊かな地域 景観課題等を把握した後、 継承されている地域固有の景 づくりをめざすべきであると考えている。 観を地域の財産として、 それらの資源を活かしながら後 以上述べたように地域の景観まちづくりは、時代の 世に引継ぎ、そして、社会構造の変化の中でこれから創 要請の中で、実践段階に突入している。一方で結果と 造していく景観を積極的に誘導していくため、 官民協働 して経済的な潤いを生み出さなければ持続しない。八 で景観意識の向上を取組みつつ2010 年6 月に八女市に 女市でも複雑で困難な課題が山積みしているが、常に ふさわしい「文化的景観計画」の策定(同年 9 月施行) 市民と行政が響きあう協働のまちづくりを意識しなが を行った。 そして景観行政のさらなる前進を図っている。 ら、 外からのサポーターの参画を積極的に受け入れて、 そこで、これからの景観まちづくり課題は、第一に 八女の魅力を研き輝かせる日々の取組みと絡めつつ景 ダイナミックで見事な秩序を持つ八女福島や黒木に代 観まちづくりを持続的に追及していく考えである。 表される町並みの保存と継承をどう持続的に進めるか である。単なる見栄えが良くなる景観整備からその背 後にある空間構成の原理まで踏み込み、常にこれから ● まちづくりの経緯 ● の時代の創造活動と連動しつつ、一つひとつの町家が 輝いた時代の意匠などを追及して本物を残し伝えるこ ●1991年(H3) ・新聞記者の呼びかけで「町並みの勉強会」を開始 ・超大型台風 17号・19号により町家の被害甚大 とが大切である。そして、綿々と受け継がれてきた地 ※H4年・堺屋(旧木下家住宅)の一般公開で市民の意思高まる 域の文化、暮らしやコミュニティーとともに継承しな ● 1993・1994年(H5・6) ・まちづくり団体「八女・本町筋を愛する会」「八女ふるさと塾」発足 ・「八女町屋まつり」 スタート ・町並み保存を公約に掲げた若い市長が誕生 ● 1995年(H7) ・「八女福島伝統的町並み協定運営委員会」発足(住民組織・12町内 会:現・八女福島町並み保存会) ・「街なみ環境整備事業」で町家の修理・修景事業の開始 ければならない。第二は、市域全体の自然景観、文化 景観など地域固有の景観を保全・継承、創造するため に、どのような景観まちづくりを展開するかである。 奥八女の価値の高い自然及び八女遺産をきちんと調査 ● 1996・1997年(H8・9) ・伝統的建造物群保存対策調査(2ヵ年) し、それをどう景観まちづくりに活かして行くのかを まとめる個々の保全活用を展望した総合プランづくり 1 が重要である。 ● 1998年(H10) ・「雛の里・八女ぼんぼりまつり」スタート ● 2000年(H12) ・「NPO法人 八女町並みデザイン研究会」発足(設計・施工) ● 2001年(H13)6月 ・「八女市文化的景観条例」制定、伝建地区の都市計画決定 ●2002年(H14)5月 ・「重要伝統的建造物群保存地区」に選定 ・「伝建制度」による町家の修理事業 開始 ●2003・2004年(H15・16) ・「NPO法人 八女空き家再生スイッチ」発足(歴史的建築物再生) ・「NPO法人 八女町家再生応援団」発足(空き町家保存再生) ・「八女福島空き家活用委員会」発足(空き町家保存再生) ●2005年(H17) ・「景観法」全面施行 八女市上陽町の眼鏡橋(大瀬橋・三連) 2 その総合プランの実践と同時に、暮らしの文化をキ 12 ●ドキュメンタリー映画「まちや紳士録」紹介 ●2008年(H20) 2013 年 8 月完成、全国各地で上映中(88分) ・「歴史まちづくり法」施行 ―ドキュメンタリー映画製作の活動と意義― ●2009年(H21) ・「八女福島白壁ギャラリー企画室」発足(若者が参加企画) ●2010年(H22):デザイン研究会と町家再生応援団の協働活動 私たちは、先人の知恵と努力の中で育まれてきた日 ・日本ユネスコ協会連盟のプロジェクト未来遺産に第1号登録 本の伝統文化として、世界に誇るべき歴史的町並みを ・ 「八女市文化的景観計画」施行(景観法に準拠、市域全域をカバー) ●2012年(H24) :デザイン研究会、町家再生応援団、文化振興機構、白壁ギャ 後世に伝え残していくため、少子高齢化の深刻化によ ラリー企画室が連携(協働のホームページ開設) るコミュニティの担い手不足、社会構造の激変に伴う ・「八女町家ねっと」発足 建築文化の変化の中で大工や左官などの職人の減少に ●2013年(H25) ・「八女福島のまちづくりを記録し検証」(まちや紳士録の製作) よる伝統構法の技術者の確保などが厳しい現実に直面 ・「第9回JTB交流文化賞・交流文化賞の優秀賞」を受賞 しております。その課題に重点的に取組むため、八女 ●2014年(H26) ・「第36回サントリー地域文化賞」を受賞(八女福島 住まう文化のま ちづくり) 福島の町並みの保存・継承活動を展開している様々な 3 まちづくり団体及び住民、そして技術・技能者に取材 し、空き家への移住者の受入れの場面や修理現場を含 めつつ撮影を行い、ドキュメンタリー映画を製作しま ◇八女文化遺産保存・活用ネットワークの仕組み◇ 八女町家ねっと 事業展開 した。 ―製作の体制及び地域上映等の問合せ― 連携・支援 ◎問合せ先: 「八女町家ねっと」事務局長 北島 力 〒834-0031 福岡県八女市本町 264 構成 ☆NPO八女町家再生応 援団 ☆NPO八女町並み デザイン研究会 ☆NPO八女空き家再生ス イッチ ☆八女福島白壁ギャラ リー企画室 NPO法人八女町家再生応援団内 協働 支援 TEL 090-8413-6128、FAX 0943-22-5804 ☆八女福島町並み保 存会 ☆八女ふるさと塾 E-mail [email protected] 行政 HP http://www.yame-machiya.info 市地域づくり 文化振興課 ―DVD 購入申込受付中 (@3500、Eメール、FAX で)― ≪作成者・北島力のプロフィール≫ ● 1952 年(S27)八女市生まれ。1970(S45)年八女市役 ◎賛同人: 安部龍太郎(直木賞作家)、梶山秀一郎(建築 所に勤務し、2012 年(H24)都市計画課長を最後に退職。 家)、黒木 瞳(女優)、椎窓 猛(詩人)、調 紀(明永 ● 42 才から町並みの担当部署に通算 16 年間勤務し、住民と 寺住職)、西村幸夫(東京大学副学長)、野村興兒(萩 ともに活動。 市長)、前野まさる(東京藝術大学名誉教授)、松久保 ● 在職中からNPO法人八女町家再生応援団(空き町家再 秀胤(薬師寺長老)、松田久彦(八女ふるさと塾名誉塾 生) 、NPO法人八女町並みデザイン研究会(建築集団) 、N 長)、山本源太(陶工) PO法人八女文化振興機構(大型の伝統家屋再生)など町並 ◎後援:八女市、八女市教育委員会、八女商工会議所、 みの活動を担う仕組みづくりに奔走。八女福島の町家建築を 八女市観光協会、八女ロータリークラブ、八女ライオ 一つでも多く後世に継承するため空き家の保存活用及び建 ンズクラブ、八女福島町並み保存会、全国伝統的建 築の伝統技術・技能者の育成に全力を注ぎ、現在もその活動 造物群保存地区協議会、NPO法人全国町並み保存 を日課としている。 連盟、作事組全国協議会、公益社団法人日本ユネス ● 2013 年 8 月からドキュメンタリー映画「まちや紳士録」 コ協会連盟、公益財団法人日本ナショナルトラスト、朝 の全国上映にも奮闘し、町並み保存のネットワークを形成 日新聞西部本社、毎日新聞社、西日本新聞社 中。その傍ら、自身も町家に移住し人材を育てることを模索 している。 13 ―製作スタッフ― でいる。 ◎プロデューサー: 川井田博幸 (株)グループ現代 福岡県八女市福島地区は県南部のかっての城下町。 ◎監 督: 伊藤有紀 廃城後も周辺の町の商業的中心地、その歴史的町並みは現 ◎撮 影: 尾登憲治、伊藤有紀、 ◎音 楽:原みどり 在もまだ白壁の伝統家屋を数多く残している。 しかし、高度成長後の少子高齢化とバブルの崩壊、人口の減 高度成長時代、経済の論理、開発の波から多 くの町家が壊された 少から始まる、伝統手工芸や町並みの喪失は、いまや中間山 古民家を修理して住む、古材を利用する、 家を代々つないでいく だ。 日本の「木の文化」は、伝統、暮らし、命、 心とともに家(町家)を繋いできた の波と台風等の災害により古くからの町並みが日に日に壊さ 村だけではなく、日本中どこの都市でも起こっている問題なの 記録映画化された八女市福島地区もまたグローバリゼーション れていった。 奮起した北島さんは「このままではいけない」とまちの建築家 繁栄のかなで忘れかけている日本の伝統文 化の本質を問う 中島孝行さんと手を組み、伝統的建造物の再活用をめざす。 空き家活用の取り組みのポイントは様々の分野の移住希望者 を集めることであろう。 そして、大工、左官、瓦や塗装・・・・伝統技術を若い人に引き 継いながら、競争無縁社会を「つくろいなおす」営みが映画の 中に克明に描かれていく。 ― 宅老所 「はるさん家」 ― この映画を作れた監督の伊藤有紀さんもまた、この地に最近、 越して来られた家族。 さらに、都会のマンション生活を切上げ、子どもの為の絵本や 八女地方の伝統手工芸品の情報発信を取組む若者。 あるいは原発事故で汚染された地を見限り、この地で新たに 宅老所を運営されようとされる家族。 -映画を見た方のブログの感想が映画の醍醐味を語る- みなさん、若い方々だ。 いい映画だ。まちの再生はやはり「人間」だ。 これから始まるであろうヒト・モノ・コトのつながりは、このまちの 「柳川堀割物語」を思い出した。 伝統継承、目を見張る「燈籠人形」の上演と解体に象徴され、8 あの時の柳川市職員広松伝氏に代わり、今日は北島力さん。 8分の映画は終わる。 彼は元市職員で現役の時から、八女町家再生応援団というN 配布された作品紹介パンフの中には「町並みと伝統を守っ PO保人を立上げ、その代表として空き家の再活用に取組ん てきたこの地での命をつなぐ営みの記録」と書かれている。 14