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『万葉集』における祈りの服飾

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『万葉集』における祈りの服飾
Nara Women's University Digital Information Repository
Title
『万葉集』における祈りの服飾
Author(s)
楢﨑, 久美子
Citation
古代日本と東アジア世界, pp.182-189
Issue Date
2005-12-25
Description
URL
http://hdl.handle.net/10935/675
Textversion
publisher
This document is downloaded at: 2017-03-31T04:41:38Z
http://nwudir.lib.nara-w.ac.jp/dspace
『万葉集』における祈 りの服飾
楢崎久美子
は じめに
祈願 とい う言葉がある。 自身の努力ではな く、別 の何かに 自分の願 いを叶えて もらお う
とす ることであるが、現代の 日本 においては一般的に神道 と結びつ きの強い行為であると
言 える。 た とえば正月 には家内安全 を願 って初詣 を した り、悪い ことが続 くと厄除け祈願
を した り、受験期 には学業成就 を願 ってお守 りを買った りす る行為 は珍 しくはない。神社
に行 って何かを祈 る際、人は賓銭 を入れ、拍手を打 ち、鈴 を鳴 らし、礼 をす る。その とき
の服 は普段着であることが多い。 あるいは、少 し改まった格好 を して神主に商売繁盛の祈
のりと
願 のための祝詞 を奏 して もらった り、盛女 に舞 を舞 って もらった りす ることもできる。
人が何か神 に祈 る とい う行為は古代で も行われていた ものである。 しか し上記 に挙げた
祈 りの形式や服飾そのままが古代か ら受 け継 がれてきた ものであるとは言 えない。
そ こで古代の祈 りの様子 を知 る手がか りとして、『万葉集』 に注 目したい と思 う。『万葉
集』は 日本最古の歌集 であ り、二十巻の うちに 4540首c
L
l
を収録 し、作者層 は天皇 ・皇后 を
あ
そ
び
め
ほかいび と
は じめ皇族 ・貴族 ・宮廷宮人か ら農民 ・遊行女婦 ・乞食者 に至 るまで実に多様 な階層 にわ
たってい る。そ して大別 して二部 に分かれ②、第一部 と第二部で違いは色々あるが、大きな
そ うもん
ば ん か
特徴 として、第一部はおおむね時代順 に配列 され、 さらに 廃 韻 」③・「
相聞」④・「
挽歌」 ⑤
ぶだて
等の部立⑥によって分類 されてい ることが挙げ られ る。この ことによって歌の詠 まれた心情
や、状況や風俗的背景 を探 ることができる。そ して第二部 は部立がな く笑祥 業苦 の歌 を中
心 とした 日記 のよ うな内容であ り、時間軸 と大伴家持 に関わる文化的背景 を知 ることがで
きる。つま り 『万葉集』は、様 々な階級の人々に関わる祈 りの様子 を広 く深 く研究できる
文献 として重要な ものなのである。
しか し 『万葉集』 における服飾 についての先行研究は、中村典子 「
万葉 にお ける袖 の研
究」 (
1
984)、中田尚子 「
万葉 にみ る頬粧 と眉 について」 (
1
989)、中滞美恵 「
「しろたえ」
について」(
1
991
)
、中田尚子 「
『万葉集』にみ る袖 」(
1
999)
な ど、当時の服飾品その ものを
取 り上げ、その構成や役割 を探 ってい くものであ り、神道 にかかわる服飾 とい う視点での
研 究は多 くはない⑦。
よって、本稿 では 『万葉集』 に収録 された神道お よび民間習俗 を背景 とした歌か ら、 自
己の望みを神 に願 う行為、つま り祈 りを行 う際、 どの よ うな形式、特に どの よ うな服飾で
行 ってい るかを明 らかにす ることを 目的 とす る。
-1
8
2-
『万葉集』における祈 りの歌
本稿 で研 究文献 として使用 したのは 『万葉集
本文篇 ・訳文篇』⑧である。
まず歌の中に祈 りに関す る動詞⑨が含 まれているもの、お よび神事や祈 りに関す る事物⑩
が含 まれてい るものを抽出 し、そ して、歌の内容 によって祈 りの服飾が異なる可能性 があ
るため、それぞれ を内容別 に分類 した。その結果、 1) 任地-の旅や遣唐使 の航行 な どの
無事 を神 に祈 る歌、2)恋人の幸せ ・自身の願 い ・天皇や主人の幸せ を神 に祈 る歌、3)神
や神事にかかわる歌、の三つにま とめることができた。
1
)任地への旅や遣唐使の航行などの無事 を神に祈 る歌
さ り
『万葉集』 には多 くの 人や遣唐使 の歌が収録 されてい る 防人や遣唐使 自身が故郷 を
き
も
防
。
偲ぶ歌が 目立つが、出発 に際 してその家族や友人か ら贈 られた歌 も数多 く見受 けられ る。
その中に旅 の無事 を祈 る様子がえがかれている歌を見つけることができた。 た とえば、
秋芽子乎
徒者
妻問鹿許 曽 一子二
竹珠乎
密貫垂
斎戸ホ
子持有跡五十戸
木綿取四手而
鹿見 白物
忌 日管
吾濁子之
吾思吾子
草枕
客二師
真好去有欲得
(
9・
1
7
90)⑪
か
ひとりご
かこ
あ
秋萩 を 妻 問ふ鹿 こそ 一人子 に 子持 て りとい- 鹿子 じもの 我が一人子の 草枕
たかたま
い(
1
ひゆふ
し
いは
旅 に し行 けば 竹玉 を しじに貫き垂れ 斎念に 木綿取 り垂でて 斎ひつつ
あ
あ
さ
き
我 が思ふ我が子 ま幸 くあ りこそ
みずの とと り
とあ り、 これ は天平五 (
733) 年 巽 西の春閏三月に遣唐使 の船が難波 を発つ際、その旅
に同行す る子 にその母親 が贈 った歌である。 この歌か ら旅 の無事 を祈 る ときは、竹 で作 っ
た管玉を繋 ぎ、
神 に供 える酒 を入れ る器 に白い布 を取 り付 けるとい う形式が明 らかになる。
また、
杭毛見 目 屋 中毛波可 自 久佐麻久良
や ぬ ち
櫛 も見 じ 屋 内 も掃 か じ 草枕
多姫 由久伎美乎
伊波布等毛比氏
いは
も
旅行 く君 を 斎ふ と思いて
え もん のかみおお とt
)
a) こ
(
1
94263)
し び す くわ
とあ り、 これは天平勝宝四 (
752)年間三月に衛 門督 大 伴 古慈悲宿弥の家で入唐副使大伴
こ
ま
ろ
はなむけ
胡麻 呂宿弥等 に 鰻 す る際に大伴宿弥村上 と大伴清継 が伝話 した歌である。 この歌か ら櫛
を使 って髪 を杭かない こと、家 を掃除 しない ことが旅 を している人の無事 を祈 る行為 とし
て認識 されていた ことがわか る。 また、旅 をす る当人 も旅 に際 して
久ホ具ホ乃
夜之里乃加美ホ
奴佐麻都理
阿加古比須奈牟 伊母賀加奈志作
こ
ひ
いt
,
国々の 社 の神 に 幣奉 り 我 が恋す なむ 妹 がかな しさ
(
20・
43
91
)
と歌 ってお り、残 してきた人の無事 を旅行 く道すが らの神社で祈 り、お供 えを している様
-1
8
3-
子 が明 らかで あ る。
7首抽 出で き、「竹 玉 」
家族 の旅 先 で の無事や 、残 され た人 の安寧 を祈 る歌 はそ の他 に も 2
や 「
玉 だす き」 を用 い、旅 行 安全 の神 を邸 内 に配 ってい る様 子 をえが く歌 もあ った。
2) 恋 人の幸 せ ・自身の願 い ・行事 な どで天皇 や主 人の幸せ を神 に祈 る歌
『万葉 集 』 には恋 の歌 も多 く、そ の 中には恋 愛成 就 や 恋 人 の幸せ を神 に祈 る様 子 が えが
かれ てい る ものが あ る。 た とえば、
管根 之
根 毛-伏 三 向凝 呂ホ
石相 穿居
竹珠乎
吾
無 間貫垂
念
妹 ホ縁 而者
有
天地之
言 之禁 毛
神祇 乎 曽吾祈
斎念 を
ね もころ ごろに
斎 ひ掘 りす ゑ
(
1
33
28
4)
こと
言 の忌 み も
我 が思- る
妹 に よ りて は
あ め つ ナ)
間 な く貫 き垂れ 天 地 の
竹玉を
斎戸 平
甚 毛為便 無 見
すが
菅 の根 の
無在 乞常
な くあ りこそ と
〟
)
神 をそ我 が祈 む
い た もす べ なみ
とあ り、作者 は不 明だ が恋 人 に悪 い こ とが あ って ほ しくない とい う願 い を神 に祈 る際 、祭
耐用 の酒 の器 を地 中に掘 り据 えて、竹 で作 った管 玉 を間 の ない よ うに貫 い た もの を用 い て
い る様 子 がわ か る。 また、
白玉之
思
遣
人 乃其名 実
田時乎 白土
手ホ 取持 而
白玉 の
中々二
肝向
真 十鏡
心砕 けて
た まだす き
まそ鏡
不遇 日之
珠手次
なか なか に
重 な り行 けば
手 に取 り持 ちて
我 が思ふ 心
心推 而
直 目ホ不視者
人 のそ の名 の
恋 ふ る 目の
辞 緒 下延
不懸 時無
下槍 山
口
下逝 水 乃
こと したL
l
言 を下延 -
思 ひ遣 る
数 多過者
口止 まず
T
i
gf
=
B'に見ね ば
累行者
吾轡見 失
不息
上丹 不 出
玉釧
吾 念情
安虚 欺 毛
(
91
7
92)
逢 はぬ 目の
た どき を知 らに
か けぬ時 な く
懲 日之
まね く過 ぐれ ば
肝 向かふ
我 が恋 ふ る児 を
したひ 山
下行 く水 の
た壬くし
ろ
玉釧
上 に出でず
安 きそ らか も
たなべu
)
さきまろ
と歌 った の は 田辺福 麻 呂で、愛 しい恋 人 に早 く会 いた い と願 ってい る歌 で あ る
。
この歌 で
は 「
た まだす き」や 「
玉釧 」 「
まそ鏡 」 な ど神 事 に関わ る物 が枕詞 と して用 い られ て い る。
しか しお そ らくは実際 に も神 に恋 人 に会 え る よ う願 う時 には これ らの物 を用 い てい た と考
え られ る。 なぜ な ら、
(
前略)
知波夜 夫流
安我 麻都 等 吉不
真 追太 要 乃
神社ホ
平 登 善 良我
波麻 由伎 具 良之
氏流 鏡
之都 ホ等 里蘇 倍
伊 米ホ都 具 良久
奈我 古敷 流
己比能 美皇
曽能保 追 多加 波
(
後 略)
(
1
7・
4
01
1
)
-1
8
4-
し/
)
の
ちはやぶ る 神 の社 に 照 る鏡 倭 文 に取 り添 え 乞い頑みて
をとめ
いめ
な
ほ
我 が待つ時 に 娘子 らが 夢 に告 ぐ ら く 汝 が恋ふ る その秀つ鷹 は
(
前略)
松 田江の
浜行 き暮 らし
(
後略 )
とい う大伴宿弥家持 の歌があるのだが、 これ は飼 っていた鷹 が逃 げて しまい、行方 を心配
して神社 に奉幣 した ところ、夢 に乙女が出てきて鷹 の行方 を教 えて くれ た こ とに感動 して
作 った歌 とい う説 明があ り、 この歌か らかな り私的 な願 いであって も神社 に願 っている事
実 を伝 えてい るか らである。
また宴 の中で臨席者 の幸せ を神 に祈 る様子 が分か る歌 もある。
和我勢故之
可久志伎許散婆
我 が背子 し か くし聞 こさば
安米都知乃
天地 の
可未乎許比能美
〟
)
神 を乞い痛み
奈我久等 曽於 毛布
(
20・
4499)
長 くとそ思ふ
し
さ
ぷo
)
たいふ
これ は天平宝字 二 (
758) 年二月 に式部大輔 中臣清麻 呂朝 臣の邸宅で宴 が催 され た際、中
あそびめ
臣清麻 呂が客の長寿 を祈 る歌である。 さらには宴の中で、遊行婦女 とよばれ るもともとは
盛女であった といわれ る女性 が、踊 りや歌 を以 って祈 りを神 に奉 げてい る と考 え られ る歌
もある。 た とえば、
雪嶋
巌ホ植 有
奈泥 之故波
千世ホ 開奴 可
君之挿頭ホ
(
1
94232)
雪の山斎
巌 に植 ゑた る
なで しこは
千代 に咲かぬか
とい う歌 は、天平勝宝三 (
752) 年一月三 日に窟
君がか ざ しに
軍界磁 )憲与誠巌 畠の館 で宴があった と
を と め
きに遊行婦女である蒲生娘子が縄麻 呂の栄華 を祈 って歌 った歌である。 この よ うに神-の
祈 りを専門 とす る人は宴 に同席 し、貴人 と共 に歌い合 うことで一種 の言祝 ぎの儀式 を成立
させ てい るのだ と考 え られ る。 なぜ な ら今 までの よ うな 「
たす き」や 「
幣」 は歌われ てい
ないが、その場 にある神聖性 を帯びてい るもの⑫に事寄せ て将来- の願 いを歌 っているか ら
である。
以上の よ うな私的な願 いを神 に祈 る様子 のわか る歌 は この他 に 25 首 あ り、その様子 は
1) の旅 の安全 を祈 る様子 と同様 に、願 いを叶 えて欲 しい 当人が神-祈 った り神社 に赴 い
て幣 を ささげた りす る場合 もあれ ば、饗宴 の中で神- の祈 りを専門 とす る者 を同席 させ て
言祝 ぎを行わせ てい る場合 もあることが歌の内 容 か ら確認 できた。 また服飾 としては 「
木
綿 だす き」や 「
竹 玉」 を肩や手 に懸 け、 「
にぎたえ」 「
倭文幣」 な ど様 々な幣 を持 って神 に
祈 っていた。
-1
8
5-
3
)神や神事にかかわる歌
歌っている場や歌い手が神道 に関わっている、あるいは神事の様子 を具体的に表現 して
いる歌をここにま とめた。た とえば
新室
踏静子之
手玉鳴裳
玉如
所照公乎
内等 白世
(
11・
2351
)
にいむろ
新室を 踏み鎮む鬼 し 手玉鳴 らす も 玉のごと 照 りたる君 を 内に と申せ
む ろほ ぎ
とい う室寿の儀式の様子が うかがえる歌や
三幣 烏取 神之祝我
鎮賓杉原
僚木伐
殆之囲
手斧所取奴
(
71403)
み幣取 り 三輪の祝が 斎ふ杉原
五十串立 神酒座奉
薪伐 り ほ とほ としくに 手斧取 らえぬ
神主部之 雲衆玉蔭
みわ
はふり
べ
岩鼻立て 神酒据ゑ奉 る 祝部が
見者乏文
たま
うずの玉蔭
か
(
13・
3229)
げ
見れば ともしも
とい う神社で神祇 に携 わる人の様子が うかがえる歌な どである。律令 において神祇官⑪とい
う機 関がお もに朝廷内で行われ る祭紀をつか さどっていたが、同時に諸国の神社 も管理 し
てお り、それぞれの神社には祈 りを専門 とす る人々が存在 していた ことがこれ らの歌か ら
改めて確認できる。 また、
久堅之 天原従
生来 神之命
斎戸乎
竹玉乎
加此谷裳
忌穿居
吾者祈奈牟
奥山乃
繁ホ貫垂
賢木之枝ホ
十六 白物
膝折伏
白香付
木綿取付而
手弱女之 押 目取懸
君ホ不相可聞
(
3・
379)
あ
久かたの 天の原 よ り 生れ来 る 神 の命 奥山の さかきの枝 に
ゆふ
いは
ひたかたま
木綿取 り付 けて 斎食を 斎ひ掘 り痴ゑ 竹玉を しじに貫き垂れ
鹿 じもの 膝折 り伏 して
しらか付 け
たわや めの おすひ取 り掛 け か くだにも 我 は祈いなむ
君に逢わ じか も
とい う大伴坂上郎女が天平五 (
733)年の冬 11月に氏神 を祭 るときに歌った歌か ら、神聖
な榊 に白い布 を結び、神酒 を入れ る聾 を地 中に掘 って入れ、竹で作った管玉を持ち、鹿 の
よ うに深々 と膝 を折って伏 し、女性のつけるおすひ とい う布 を肩か ら懸 けて、懸命 に祈っ
とじ
ている神事の様子が読み取 ることができる。当時各家々での祭 配はその家の刀 自⑮が行 って
みこ
と
おき
な
が
命⑯の
お り、坂上郎女 も神事 を担 う役割 を持 っていたよ うである。 この他 にも息長足
しらぎ
神話 に関す る歌か ら足 日女命が新羅征討のための祈 りを行 う様子や神職 の存在 を確認 でき
た
ら
し
ひ
め
の
日
女
-1
86-
る歌が 22首ある。 しか し神事 に関わる人の祈 りの様子や服飾 の特徴は これ までにでてき
た もの とそ う変わ らず、 「
たす き」や 「
幣」 「
まそ鏡 」 な ど、神事 に関わる服飾 を使用 して
いることが確認 できた。ただ し、「
竹玉」を含む歌はすべて女性 が歌ってい ることは注 目す
べ き点であ り、 「
竹玉」 自体 も珍 しい服飾 として研究の余地のあるものである と言 える⑰。
まとめ
以上、『万葉集』か ら祈 りに関す る歌 を抽 出 し、内容別 にそれぞれ の祈 りの様子や服飾 を
検討 していった歯
。その結果以下の よ うにま とめ られ る。
当時仏教 もすでに輸入 されてお り、『万葉集』に収録 された歌の中にはその影響 を感 じら
れ る歌 もあったが、祈 りに関わる歌は神道 とも関係 の深いアニ ミズムを根底 に持っ、 自然
発生的な信仰 を背景 に作 られてい るよ うに感 じられた。特 に律令制度の中で専門職 として
位置づけ られた神祇官の管轄 である祝部や祝、砿女の存在 ははっき りしてい るにもかかわ
らず、老若男女が神 に関わる事物 を歌に詠み込む ことができ、それ によって祈 りの心情 を
あ らわ し、また実際 に祈 りを行 ってい ることがわか る。つま り、祈 りの内容や祈 り手が異
なっていて もその様子や服緬 は共通 してお り、よって 『万葉集』 に収録 された歌が作 られ
た時期 には祈 りの形式や服飾 は様式化 し、誰 もが神事 を行 うことができた とい うことがは
っき りす るのである。
そ して 『万葉集』 の歌か らうかがい知れ る祈 りの様子や服飾 は、共通 して大変質素なも
のであると言 える。沢 山のお供 え物 を した り、 きらびやかな装身具 をま とった りす るよ う
こう
ぞ
な祈 りの歌はまった く見 られ ない。 椿 でつ くった 「
木綿だす き」 (
図) を肩か ら掛 け、麻
おすひ」をま とい、「
竹玉」 を装飾品 とし
や木綿や紙で作った 「
幣」 を持 ち、女性 な らば 「
て用い るのが 『万葉集』 にお ける祈 りの服飾 である。それ らは簡素であるか らこそ清浄 さ
や神聖 さが宿 り、
神-の祈 りのひたむ きさが感 じられ る服飾 であった とい うことが言 える。
今後の研究課題であるが、本論 の最後 にも指摘 した、祈 りの服飾 として登場 した 「
竹玉」
ま
がたま く
だたま
についてである。現代 において勾玉や管玉はお守 りのモチー フな どで用い られて認知度 は
高いが、「
竹玉」は今回の分類 において初やて 目に した装飾 品であった。もちろん竹 は竹取
物語 を代表 として神秘的な植物 として知 られている。それで作 った玉であれ ば神聖性 を内
包 してい るのは当然の よ うに思われ るが、『万葉集』においては女性 が歌 う歌に しか登場 し
ない 「
竹玉」 は大変興味深い存在 である。 よって 「
竹玉」の起源お よび変遷 については今
後 さらに研究が必要である と考 える。
注
① 『新編 国歌大観』 (
角川書店、昭和 58-平成 4年刊行) による。『国歌大観』 (
松下大
三郎編、明治 3
4-3
6年刊行)によると 451
6首 と数 えるのが一般的であるが、誤 りが
ー1
8
7-
多いため 『新編国歌大観』で修正 された。
②第一部 は巻-∼巻十六の十六巻であ り、第二部は巻十七∼巻二十の四巻である。
③三大部立の一つで、名称 は中国六朝の詩文集 『文選』による といわれている。『万葉集』
の雑歌は常にほかの部立に先行 し、公的色彩が濃い。
④三大都立の一つで、本来は手紙 のや りとりくらいの意味だが、『万葉集』においては相
聞に分類 され る歌の 9割以上が男女の恋歌である。
⑤三大部立の一つで、人 を葬 るときに棺 を挽 くものが歌 う歌の意だが、『万葉集』では葬
送 の歌 をは じめ、病 中や臨終の作、死者追悼の歌、伝説上の人物の死 を悼む歌な ど広
く死に関す る歌が見受 け られ る。
⑥ 『万葉集』 の分類上の名称。
⑦ 『万葉集』 にお ける 「
袖 を振 る」 とい う行為が、恋人の無事 を祈 った り思いを伝 えた
りす る意味を持 ち、「
紐 を結 う」とい う行為が再会 を期 した恋人 との愛の誓いであると
い う意味を持つ ことか ら、 これ らは呪術的行為である、 とされている。 この場合 の呪
術 とは民間習俗 を意味 し、特定の宗教 を指 してはいない。
⑧佐竹昭広 ・木下正俊 ・小島憲之共著、塙書房 よ り 1
967年刊行。本文は西本願寺本万
葉集 を底本 としている。
いは
を
ろ
が
の
の
祈む」・「
祈 う」・「
乞 う」・「
乞い痛む 」な どの動詞。
⑨ 「
斎ふ」・「
祈 る」・「拝 む」・「
あ す は
いはいへ
⑩足羽の神 ・神の社 ・幣 ・玉だす き ・斎食 ・窟損な ど神道お よび神事 に関わる事物。
⑪ 『新国歌大観』 による通 し番号 と巻数。以下の表記 も同様。
⑫ この歌に歌われた 「
なで しこ」 は、縄麻 呂の邸の庭 に積 もった大雪に彫刻 を施 して岩
山を作 り、それ に挿 した造花のことである。造花なので枯れ ることはな く、それ を主
人の栄華 になぞ らえて歌った と考 えられ る。
⑬幣は神前に供 える布 の ことであるが、手に持っ場合 には現代 の御幣の よ うな ものであ
るとも考 えられ る。
⑭太政官 と並ぶ政府 の最高機 関である。
⑮その家の主婦 を指す言葉 であるが、古代 においては一族 あるいは一家の祭配 を担 う女
主人の意で もある。
⑯神功皇后の ことである。
⑰ 『万葉集』 において上代か らの装身具 として一般的な碧玉や金、粘土な どで作 った勾
玉や管玉はほ とん ど登場 しなかった。
⑩そのほかの分類方法 として表記 の違いによる分類が可能である。 とい うの も訳文篇で
は同 じ漢字 を使 っていて も本文篇では異なった漢字 を用いてい る場合があるのである。
た とえば 「
斎ひつつ」が 「
斎乍」や 「
忌 日管」、 「
伊波比都 々」、 「
幣」が 「
幣」 や 「
奴
佐」、といった よ うに複数の表記が見 られ る。また今回研究文献 として挙 げた本以外で
の書 き下 し文の漢字や読み仮名 の違い もある。た とえば本稿 の研究文献では 「
神主部 」
ー1
8
8-
はふり
べ
が 「
祝部」 とあるが、小学館発行 の 『新編 日本古典文学全集
かんぬし
万葉集』 では 「
神 主」
となっていた。 しか し用字法の違 いが実際 の行為や事物 を本質的 に異 なった ものに し
てい るわけではないので本論 では この方法 は用いない ことに した。
図
木綿 たす き
(
『神道大系
首編
p.
463よ り引用)
神道集成』
仰
雷
げ ',1.
.氏
・
1
L1
m
、
、
。。 。■■
。.
」
㌦∴ .
≡
mW 陽 一 一 驚
階潟
研 究文献及び参考文献
『万葉集』本文篇 ・訳文篇
佐竹 昭広
『万葉集 を知 る事典』樫井満監修
1
967年
塙書房
東京 出版
2000年
『神社 の歴史的研 究 一神信仰 の変遷 -』鶴 岡静夫
『
歴 史発掘④古代 の装い』春成秀爾
『日本史小百科
『日本 の聖地
神社』岡 田米夫
講談社
東京堂出版
日本宗教 とは何 か』久保 田展弘
『中世の非人 と遊女』網野善彦
『新編古典文学全集
『ヒミコの系譜 と祭紀
講談社
国書刊行会
1
992年
1
997年
1
977年
講談社
2004午
2005年
寓葉集①∼④』 1
994-1
996年
日本 シャーマニズムの古代』河村邦光
-1
8
9-
学生社
2005年
Fly UP