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9 「釜石の奇跡」に学ぶ
9 「釜石の奇跡」に学ぶ 岩手県釜石市では,数年前より,子どもたちに対して,群馬大学片田教授による津波防災教育が 行われてきました。東日本大震災で多くの命が失われた中,釜石市の学校管理下にあったすべての 子どもたちが自らの命を守ったことが「釜石の奇跡」と呼ばれています。 片田教授の唱える「避難3原則」が今後の防災教育には大切だといわれています。 避難3原則 ・想定にとらわれるな ・最善を尽くせ ・率先避難者たれ それでは,この3原則がどのように生かされたのでしょうか。釜石市の生徒たちのとった行動を 参考に考えてみましょう。 【津波からの避難の詳細】 平成23年3月11日14時46分,大きな揺れが鵜住居小学校,釜石東中学校を襲った。 地震発生時,釜石東中学校ではすでに授業終了時刻であったため,校庭で部活動を行う生徒,校 内で課外活動を行う生徒など,生徒たちは学内の様々な場所に点在していた。一方,鵜住居小学校 では放課直前であり,多くの児童は校舎内に滞在していた。 釜石東中学校では,大きな揺れの最中,副校長が校内放送を使って全校生徒に避難の指示を出す ことを試みた。しかし,地震発生直後,停電になってしまい,ハンドマイクで生徒に校庭への避難 の呼びかけを試みるようとした。しかし,多くの生徒は地震の揺れの大きさから“ただ事”ではな いことを察知し,各々で揺れから身を守るための最善の対応を行い,揺れがおさまった後に,自ら の判断で校庭に集合し始めたのである。そして,ある教師が生徒に向かって, 「逃げろ」と叫ぶと, 運動部員を先頭に全生徒は予め決めておいた避難場所(ございしょの里)まで走り始めた。 一方の鵜住居小学校では,津波の襲来に備えて,全校児童を校舎の3階に移動させていた。しか し,中学生が避難していく様子を見て,すぐに校外への避難を決断する。児童たちは中学生のあと を追って,ございしょの里まで走り始めた。 ございしょの里まで走りきった小中学生はその場で点呼を取り,避難は無事に完了したかに見え た。しかし,ございしょの里の職員や生徒数名が,建物の裏山の崖が崩れていることを発見する。 「 ここ も 危険 だ から , もっ と 高い と ころ に 避難 し よう 。」 とあ る 生徒 が 先生 に 進言 す る。 釜石東 中 学校の教師は,すぐにさらに高台にある介護福祉施設への避難が可能であるかどうかの確認に走る。 避難可能の確認がとれ,小中学生はさらに高台までもう一度走り出す。 このとき,すでに地震発生からかなりの時間が経過していた。中学生は訓練したとおりに,小学 生の手を引き,避難を支援する。避難の道中,園児を抱えながら,たくさんの園児を乗せた散歩用 の台車を押し,必死に避難する鵜住居保育園の保育士を生徒たちは確認する。ここでも生徒たちは 教 えら れ た通 り,『助 け る人 』 とし て の役 割 を果 た すこ と とな る 。保 育 士と 一 緒に 園 児を 抱え, 台 車を押し,必死に避難する。 先頭を行く中学生が介護福祉施設に到着し,点呼を取り始めたとき,消防団員や周辺にいた地域 住 民の 「 津波 が 堤防 を 越え た !」 と いう 叫 び声 が 聞こ え た。「 逃 げろ ! 」襲 い 来る 津 波の 恐怖に , 子どもたちは福祉施設よりもさらに高台にある国道45号線沿いの石材店まで駆け上がる。中には 敷地内の裏山まで駆け上がる生徒もいた。避難の列の最後尾の児童は,介護福祉施設にたどり着く まえに津波に追いつかれてしまう。とっさの判断で山を駆け上がり,間一髪のところで無事にみん - 97 - なのところに合流することができた。 こうして,津波襲来時に学校管理下にあった鵜住居小学校,釜石東中学校の児童・生徒約570 名は無事に津波から生き残ったのである。 【想定にとらわれるな】 図1の赤い線が過去の浸水地域で,オレンジ色の線がハザードマップに記された浸水地域です。 釜石東中学校も鵜住居小学校もマップ上では,浸水域からは外れています。また,鵜住居小学校 は耐震補強工事がが終わったばかりでした。もし,児童生徒がこのマップを鵜呑みにし,校舎が 安全だからといって,学校で避難を続けていればどうなったでしょう。結果は,次のマップや写 真を見れば容易に想像できると思います。 想定にとらわれず避難行動をとった小中学生により「釜石の奇跡」は起こされました。 ○大槌湾(鵜住居・片岸周辺)の津波浸水範囲 ○津波によって浸水した鵜住居小学校(手前) ○校舎の3階に軽自動車が突き刺さった と釜石東中学校(奥) 鵜住居小学校 - 98 - 【最善を尽くせ】 最善を尽くすということは,避難するときは「ここまで来ればもう大丈夫だろう」ではなく,そ のときにできる最善の対応行動をとることです。 子どもたちは,予め避難場所と決めておいた「ございしょの里」まで一気に駆け上がりました。 そこで,近くの崖が崩れているのを発見し,危険と判断し「介護福祉施設」さらに「石材店」と, より高いところをめざしました。高台にたどり着いたその数十秒後に,すぐ近くまで津波が到達し, まさに危機一髪だったそうです。 もし ,「 ござ い しょ の 里」 に たど り 着い た とき に 「も う 大丈 夫 」と 避 難行 動 を終 え てい たなら , 多くの尊い命が失われていたかもしれません。今,自分たちにできる最善をつくすことが釜石の奇 跡を産んだのです。 ○小中学生が最初に ○小中学生が駆け上がっていった避難路 避難してきた場所(ございしょの里) 【率先避難者たれ】 釜石東中学校では,教師の「逃げろ」という一声で,運動部員を先頭に予め決めておいた避難場 所 (ご ざ いし ょ の里 ) まで 走 り始 め まし た 。さ ら に「 津 波が 来 るぞ 。 逃げ ろ。」と 鵜 住居 小学校 の 子どもたちに声をかけながら走りました。 一方,鵜住居小学校では,中学生が避難していく様子を見て,すぐに校外への避難を決断し,後 に続いたのです。釜石東中学校の生徒たちは,鵜住居小学校の児童にとってまさに「率先避難者」 となったのです。 さらに,地域のおじいちゃん,おばあちゃんも小中学生の後についていきました。鵜住居保育園 の保育士さんも,子どもたちを連れて坂道を登りはじめました。その子どもたちを中学生が抱っこ して,予め決めておいた避難場所の「ございしょの里」まで行きました。 中学生が「率先避難者」としてとった行動が,小学生だけでなく地域の人たちの多くの命を守っ たのです。 釜石市で実践された防災教育を参考にし,学校や地域の実情に応じた防災教育を展開していくこ とが大切です。 文章,図並びに写真は「群馬大学社会工学研究室HP」より - 99 -